PandoraPartyProject

ギルドスレッド

足女の居る宿

灯が消えた宿

闇の帳のその向こう。
湿った石畳と酒気と汚濁の匂い。

狂おしい時間が過ぎて夜も眠りに入ったその時間。
灯が消えた宿の鍵が開いている。
扉をくぐれば水の様に張り付く闇の向こうの薄明かり。
その先で、少女のような形をした人形があなたを待ち受けていた。

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(少女は見ている。
何故ならば見つめる事は愛する事だからだ。
この人形は愛する機構を備えている。
目の前の人物にたいして全力で自身が持てる慈愛を注ぎ、尚且つ、その相手が1秒前と違う人物でもその愛情が自身の中で矛盾しない機構。
沁入:礼拝は愛する機構を備えている。
万物を愛する機構、しかし、決して愛には溺れない。

故に、その狂気の気配に気づきながらも観測を続けることにした)

貴方はまるで、神の手から逃れたように仰るのですね。

(胸に湧き上がる恐怖を深く沈め、そっと指先を頬から離す)

お辛かったのでしょう。その性が、生き方が、神の御威光でさえも。
貴方を示すものが悉く……。

(人形の首は、体格差も相まってジョセフの片手でもへし折れそうなほどに細く白い。
首にかかった傷だらけの手を抵抗する事もなく受け入れて、少女は淡く微笑んだ)

よろしいのですよ。可愛い方。
どうぞ、私に、お与えになって。
(笑みを形作る唇が引き攣った。)

過ぎ去ったこと。過去のことだよ。

(異端審問官にとって、礼拝の言葉、そして態度は酷く癇に障るものだった。
彼は恐怖と嫌悪を欲している。かつて審問にかけた女共のように、礼拝が恐怖で青ざめ、嫌悪で顔を引き攣らせる様を期待している。

いや正しくは、そうあるべきと思っている。
己の中の昂ぶりを奮い起こし、礼拝の首に手を掛けたのは何の為か。礼拝に縋り付き、甘え、泣きじゃくりたい。そんな己の欲求を掻き消す為だ。
彼は礼拝に母を求めてしまった。認め難い事だ。晒し難いことだ。耐え難いことだ。)

……いいか。ひとつ言っておく。
よく聞け。君に哀れまれる筋合など、何処にも、無い。
私は成熟した人間だ。強い男だ。哀れみも、慈しみも、不要なものだ。
私は子供では無いのだよ。

(語りつつ、異端審問官は包み込むように礼拝の首に両手を添えた。
髪の毛の下に指をくぐらせ、柔肌に直に触れる。この柔肌の下は人と同じだろうか。指先を滑らせ、這わせ、慎重に探り、確かめる。
彼は礼拝の『肉』を強く意識しようとしている。かつて痛め付け、辱めた、有象無象の女供と同格に落とそうとしているのだ。
礼拝の言葉、そして仕草は致命的な毒だ。薄めるのだ。和らげるのだ。恥ずべき欲求に呑まれぬように。)
例え、そうであっても、貴方が必要とするその時まで隣にあり続けるのが愛でございます。
貴方が、少しでも安らかにあるようにと願う事は、悪ではないはずです。
それに、そうされたとしても、私の末路は変わりません。

(己の首を握る手のひらにそっと自分の手を重ねる。
拒絶の為ではない。鉄仮面にそうしたように傷跡を撫でるためだ。
己の命を脅かす行為に恐怖心が無いわけではない。
しかしそれでも、態度に出さず言葉を紡ぎ続けられるのは沁入:礼拝がまだ追い詰められていないからだ。
此処が、沁入:礼拝の領域内で、尚且つ手札に相手の心に直接触れる「リーディング」をまだ残していた。
そして、あの赤い三日月の影と違って、ジョセフ・ハイマンはまだ理解の範疇にある。
それが仮面越しに見つめ返す瞳に現れる。
この人形が背負う罪は、「勇気」だ。)

現在とは過去の積み重ね。
貴方は、まるで自分が反転してしまったかのように仰いますけれども、私にはそのように見えないのです。
ジョセフ様は常にただ一つ、絶対なるものを信じておられる。
それが神であり、あの方なのでしょう。

そして、それ以外のものを邪道として罰せずにはいられない。
貴方の、最初の神が、貴方をそのように作ったから。

(沁入:礼拝の肉体はほぼ人間と同様だ。
しかし、致命的に違う点が4つある。
脳髄にある主に感情制御の為に用いる機械的機構、そして、その補助機構である心臓に埋め込まれた制御装置。防疫の為の血中ナノマシン。
そして、喉の栄養・薬液投与口。
左首筋にある雪の結晶のような刺青……沁入:礼拝を製造した北神祭のロゴの下にひそやかに存在する金具。
触れればわかるその突起を時計回りに回せば、ステンレスめいた質感の金属管が皮下より現れる。
本来であれば、専用のカートリッジを差し込み食事よりもコストパフォーマンスの高い栄養補給等を行う機構であったが、製造元から遠く離れたこちらでは一度も使っていない機構である。

人体に詳しい者が触れれば、すぐに異質であると気づく機構が首にはあるのだ)
う。

(傷だらけの手の上に重ねられる手。生の感触に身動ぎ、慄く。覆うものはない。遮るものはない。仮面越しのそれとは全く違う。
触れる事には慣れている。いや、『触れる』などという表現は生易し過ぎるか。自由を奪い、一方的に侵して、暴き、晒す。彼にとって傷は労るものではない。増やし、抉り、拡げるもの。
しかし触れられる事に関しては未知。稀に拘束を振り切った異端者の反撃を受ける事はあったが、そのような状況は故意的にでも作り出さなければ有り得ないもの。)

『反転』か。旅人が反転とは可笑しいことを……冗談。冗談だとも。解っているよ、そういう意味ではないと。

(笑いと共に戯言を吐き出し、動揺を誤魔化す。)

信仰、或いは依存。そして排他。
これが私と言いたいのか。私はそういう物体、と……。おや。

(右の指先に突起が触れる。端正な少女の外見にはそぐわぬ違和感。異物感。
軽く指先で弾いてれば、跳ね返る僅かな感触の違いからからその下にあるのは肉ではないと分かった。その器官、いや、部品が具体的にどのような役割を担うものかまでは判らない。しかし、それが肉人形と人間を隔てる要素のひとつだと言うことは凡そ見当がついた。)

……くそ。
ああ、そうだった。人形。人工物。芸術品。許し難い異端。
その様な分際で、愛するなどとほざいたか。その様な分際で、少しでも安らかにあるようにと願うなどとほざいたか。
作り物だろう。その身も、言葉も。
人に造られた分際で、この、私を……。

(唇が震える。舌が動かない。言葉が続かない。何故か。
せめてと力を込めた両の手も、使い物にならない。石のように固まって動かない。何故か。
気が付いてしまったのだ。異端。人に造られた分際。ならば、物語は。
(己は常に作られたもの。それは事実だ。
体も意志もすべてそうなるように計算されたもの。
しかし、それを全く恥ずべきものではないと、人形は捉えていた。
だからこそ、その顔色に怒りも悲しみも現れるはずがなかった。……しかし)

貴方、今、私と、あの方を、重ねましたね?

(責めるような声色。傷を撫でる手が止まる。
直後に悔悟の色が顔に現れるが、口にした言葉が消えるわけでもない。
やがて、触れていた手のひらは膝の上へと落ちて)

おやりなさい。
首が落ちてしまえば無理ですが、折れる位なら自分で何とかできますもの。
此処にいるのは、都合のいい使い捨ての女とお思いなさいませ。
首が無理なら殴りつけても私は構いません。早く。
(いままで痛め付け、辱めてきた有象無象の女共と同じだ。最初は泣き、叫び、呪い、罵り、暴れ、悶え、ありとあらゆる反応で拒絶を示す。しかし、やがて全てを許容し、拒絶を止めてしまう。無気力に、無抵抗に、ただ終わりを望む。早く、構わない、終わらせてと。
礼拝は拒絶の段階を踏まずに次の段階へ進んだ。その違いはあれど、行き着いた先は同じこと。
そう、彼は判断した。しようとした。だが何だ。この背中に冷たい物が落ちるような感覚。胸に針が刺さったような痛みは。)

お前、紛い物が……この……。

(罵倒の言葉が続かない。指が動かない。
女の細首を手折る、いや、締める程度、普段なら造作もないことだ。何時ものように嗤って、罵って、ほんの少し、あとほんの少しでも力をめれば良いだけだ。寸前の震え、軋みを手のひらで愉しめば良いだけだ。
しかし出来ない。何故か。彼は認めてしまったからだ。

息を深く吸い、吐く。そして拳を振り上げ、力一杯叩き付けた。
仮面の右側面。自分のの横っ面に。)
(首から硬い掌が離れる。どうやら相手は殴る方を選んだらしい。
従順に目を閉じて奥歯を噛み締める。口の中を噛んで血を流している所を見られるのは嫌だった。
初めからこのように振舞えばよかったのかもしれない。
激昂させて、殴らせるように振舞えばあふれさせた感情の分だけ、少しは情緒の安定につながるだろう。
この様に惑わせるだけ惑わせただけで、しかも相手を責めてしまうだなんて。それはもはや敗北に相応しい失敗だ。
それならばこれ以上心を暴くのをやめて暴力に流される方が良い。)

(そう思って居たのに)

っあ……!!

(衝撃は来なかった。聞こえたのは肉を打つ音ではなかった)

なにをっ、なにをしているのですか!!あなたはっ!!

(初めて声を荒げて立ち上がる。
瞳を大きく見開いて、頬に突き刺さったままであろう拳をさげさせようと手を伸ばす。
混乱しているのであろう、手を下ろしさえすれば傷も痛みも消えるはずだと信じているような必死さだ)

ああ、こんなこと。痛かったでしょう。
どうして、どうして自分を傷つけたりしたのです。
私にそうしてしまえばよかったではありませんか。
……っ、ぐぅ……。

(眼の前に星が散る。徐々に光量を落とし、薄らぎつつ。
右頬が酷く痛む。右拳も同様、いや、右拳の方が酷いかもしれない。骨まで痺れるような痛み。素手で鉄板を殴りつけたのだ。相応のダメージはあって然るべき。)

……ふっ。
ふふ、うふふふふふ……、滑稽だな。

(驚き、取り乱した様子の礼拝を見下ろして、彼は自嘲の笑いを漏らした。『滑稽』と言ったのも己に対してだ。
そうして、礼拝が伸ばした手に促されるがまま、従順に、手を下ろす。しかめ面と笑顔と泣き顔がまぜこぜになった表情で、肩を震わせ、笑い続けながら。)

くふっ、ふ、ふはははっ。
やっと、やっとだ。やっと動揺したな。いい表情だな。最高の気分だ。やっと気が晴れた!
そうだ、そうとも。認めよう。創造物。君は有象無象の存在ではない。執着に足る存在。
だからこそ、私は自分を傷付けた。そうすれば君は私の為に心を砕くだろう?君はそういう存在なのだろう?
ふひ、ひ、ふひゃはははははっ。

(気狂いのように笑う。嗤う。僅かによろける足取りを芝居がかった仕草で誤魔化し、後退し、先程まで座っていた椅子に沈み込む。
背もたれに身体を預け、手足を投げ出す。そんな、礼儀を放り捨てた尊大で威圧的な態度で彼は言った。どこかその様は、驕り高ぶる男というよりは、駄々を捏ね我を通そうとする子供を思わせた。)

加減を間違えたな……酷く痛む。
撫でろ。負い目に感じているのなら。

(傷だらけの指が指す先は僅かに凹んだ仮面の頬。)
(狂気じみた笑い声を唖然として浴びていた。
くろがねの仮面は歪んでいても顔を隠して表情を読ませない。
瞳が揺れる。
それは恐怖によるものではない。
それは狂気によるものではない。
それは余りにも相手の在り方が……)

可愛い方(可哀そうな方)

(ただ一言、それだけが相手への思いの真実だった。
何処か憧憬にも似た瞳の色は瞬きの間に消えて、唇の端は諦めを孕んで微笑む。
それはまるで他愛ない悪戯を許容する時の様に)

どうして、私が貴方の望みを拒めましょうか。

(薄暗がりの中を泳ぐようにジョセフが座る椅子へと歩みより)

いいえ、いいえ、どうぞ、私に貴方の望みを叶えさせてくださいませ。

(そして白い指先を言われるがままに仮面に沿わせて)

貴方の望みは私の望み。
貴方が自分に与えた痛みの分だけ、私を貴方に捧げましょう。

(先ほど行ったように、凹んだ部分を労わる様に指先を滑らせる。
決して柔らかいものではないそれが歪む程の力をもって叩いたのだと改めて認識すれば、小さく息を吐く。
静かな哀しみの悲鳴のような呼気。
それからは、古い傷も新しい窪みも、形を覚えんとするかのような熱心さで仮面に指を手を這わせる。
片手では足りぬとばかりに両手で頬を包み込み、指先だけではなく、間近に傷を見て思いをはせる。
そうする内に、体は体格差も相まってほぼ膝の上に乗ってしまうような形になるだろうか。)
(彼は機嫌良く両手を拡げ、礼拝の接触を受け入れた。
礼拝の心中など知りもせず。窺いもせず。考えもせず。
ただ彼女が感情を表に出し、彼の言葉に従い、彼の望みを叶えたことに満足し、与えられたものを享受した。
彼にとってはそれで十分だった。自身の中のひとつの目標に達した。)

ああ……そうだ。いいぞ。
望みを叶えろ。欲を満たせ。傷を……

(仮面の下で目を細め、脱力する。されるがまま。なすがまま。仮面越しの接触を受け入れ、愉しむ。小さな勝利の余韻に浸りながら。
……その、筈であった。
何故だろうか。礼拝の接触は親密さを増していく。
何故だろうか。もう殆ど彼女を膝の上に乗せるような形だ。
何故だろうか。こんなにも近く。彼女の吐息すら感じられる。
何故だろうか。それなのに、物足りなくなってくる。)

…………。

(仮面の内側に困惑が満ちる。自分自身が何を求めているのか分からない。ただ、焦燥感だけがつのる。
むずがゆい。もどかしい。さらなる接触を求め、彼は両手を彷徨わせる。触れるか、触れないか。探るように、確かめるように。

そこで漸く気がついた。
このような穏やかな形での、他者との肉体的な接触は初めてなのではないか、と。)
(沈黙の時間の分だけ沁入:礼拝は逸脱する。
「触れるのは仮面だけ」というルールを頑なに守りながらその接触は濃密さを増していく。
片手だったものが両手、頬だけだったものが頭まで。
撫でるのが顔全体を覆う仮面であるというのがそれを加速させる。なぜなら、粘膜も急所も隠してしまうそれは言い換えればどこをどの様に触ったっていいのだ。
指先が表面から傷跡から継ぎ目まで、もどかしいほど遠回しに己の体温を染み渡らせる。
止めてしまわなければ、仮面の表面に礼拝が触れたことのない部分など消え去ってしまうだろう、そして。)

貴方の、殻はとても冷たいのですね。

(己の右頬を先ほど作られたばかりの窪みに摺り寄せて)

こうすると、ひんやりして、つめたくて。

(貴方の耳元で囁き始める)

私、冷えてしまいました。

(それを許すかは、あなた次第だ)
(困惑の中、語る言葉は見つからず。かといって動けば小柄な礼拝を振り落としそうで。身動ぎひとつ取れぬまま、なすがまま、されるがまま。
仮面越しの接触は不愉快ではなかったが、あまりにもどかしかった。せめて口元を開放しようと試みたが、仮面の歪みが干渉しているのか僅かな隙間も開かず。
かといって、自分から仮面以外への接触を求めるのは矜持が許さず。
そんな時、礼拝の言葉はひとつの救いとなった。)

……あたためて、やろうか。

(抑揚に乏しく、低い声。しかし、その身の何処かに触れていれば直ぐに判るだろう。忙しなく跳ねる心臓の響きが。
礼拝の背中へ、腰へ、傷だらけの腕が伸びる。縛るように、捕らえるように。)
あっ

(相手の上に乗っている状態で腕を振り払うのは困難であったし、振り払う気もなかった。
容易く捕らえられ、ジョセフ・ハイマンの体に縛り付けられる。
それは己の体の支えのほぼ一切を相手にゆだねるという事であり……己の支えを失った沁入:礼拝は縋りつくような形で相手の体の上に投げ出された。
頭は胸に、腰は下腹部に、足は足に絡むように重なる。
手だけは、落ちてしまわぬように肩に添えられて。)

ああっ、触れてしまいました。

(怯えたように肩に触れる手に力が入る。
詐術だ。本当の怯えはない。
上目遣いの瞳の奥には、相手からの接触に対する狂喜が明確ににじみ出ている。)

でも、でも、暖かい。

(肉人形の体は言葉通りひやりとして、柔らかい。
肉付きは成人前の少女と同じ程度であって、それは決して特別なものではないが……。)

はしたない女と、思わないでください、でも。

(じっと覗き込む瞳は一瞬、無機質な色を映す。観察者の目だ。沁入:礼拝の愛情の為の機構だ。)

もっと触れて、ください。

(何が足りないのか教えてください)
君は、冷たいな。

(静かに息を呑む。
接触した身体の冷たさは、かつて審問にかけた異端者を思わせた。少年も、少年も、男も、女も、老人も、皆同じだ。恐怖、疲労、出血で冷え震える肉体。しかし、馴染み深い筈の感覚に愉悦を感じなかった。それよりもむしろ、未知への恐怖。
肉体は同じでも、礼拝の瞳はそれらと余りにもかけ離れていた。分からない。恐ろしい。そういう存在なのだと、そう作られているのだと理性が語りかけるが、本能がそれを受け入れない。
いや、礼拝だけではない。そもそも、瞳は恐ろしいものなのだ。人の目が私を見る。人の目が僕を見る。だから彼は瞳を隠した。見ないように、見られないように。)

どこを触って欲しいんだ。どこが冷える。言い給え。

(語りかけながら、ゆるりと手を動かす。次の一手を思考する。己を奮い立たせる。
瞳あるものにここまで執着するのは初めてだ。だからこそ、芽生えてしまった恐れを超えて向き合いたい。そして、受け入れてもらいたい。もっと、もっと。会ったことも、触れたこともない、母というもののように。)

教えてくれ。君のことを。
(くるくると独楽の様に思考が回転する。
これまで得られたジョセフ・ハイマンの性格は、受動的・短絡的・暴力的・抑圧的・不統合・頑迷。
それを念頭に置いた呼びかけであって、まさか、質問が返ってくるとは思って居なかったのだ。
自分の事を考えることなく、やりたいようにやるのだろうという思い込みがあったのだ。
沁入:礼拝が機械であればこんな傲慢な行き違いは無かったであろう。しかし、純粋に肉で構成された脳髄は真実を見ながらも虚像を映し出す。

まつ毛が、蝶が羽ばたく時の様に上下する。
目が穏やかに細められ、胸に手をついて身を起こす。)

手を。手に触れてください。

(自分の中で最も価値のある部位は足で、それ以外は添え物に過ぎない。しかし、今この時それに触れるのは途方もない間違いであるように感じた。
沁入:礼拝の手のひらは傷一つなく、白く、指先は細やか、皮が柔らかくてふくふくとしている。年頃の少女と赤子のキメラのような手のひらだ)

もし、手を触れた時、感触だけで誰か分かったのなら、きっとそれは一つの愛です。ですから、覚えてください。
心を、温めてください。

(観察と記録の集積は沁入:礼拝にとっての愛である。
それと同じことを、眼前の相手もしようとしていることが不思議でならなかった。
知る事は恐ろしい。見えなくてもいいものまで見える。感じなくてもいいものまで感じられる。
あの鉄の仮面は防護壁であると初めからアタリをつけていた。他人の認識を歪ませ、己を型に閉じ込めるための壁の一種であると。
だから、その歪みを超えて、「しりたい」という言葉が零れたことが何とも輝かしく尊いものに思えたのだ)

私に関する事など、本当に、本当に小さな事しかございません。
だって、私としての連続した意識はまだ一年にも満たないのです。
この体は言わば肉のつぎはぎ、受精卵から成長しない私には子供時代など存在しえないのです。

それでも、よろしいでしょうか。
(礼拝の手を見る。
綺麗な手だ。その肌は傷一つなく、白く、柔らかそうだ。ああ、なんてか細い指だろう。こんなものが己を撫でていたのか。こんな、脆く、儚げなものが。
大きく、無骨で、傷だらけの手を伸ばす。
先ずは指先から。そっと触れ、なぞる。細い指を、滑らかな甲を、柔らかな皮膚を。先ずは輪郭を確かめ、形を覚えるために。)

手に……触れる。
触れて……覚える。温める。

(ヒトの手指は敏感で繊細で精密だ。高度に発達した手指によってヒトは霊長にまで登り詰めた。礼拝を創り出したのもまた、手指であろう。
手指はヒトの共通の武器だ。そして、共通の弱点である。
彼は多くの手指に触れ、そして、破壊してきた。捻り、折り、潰し、断ってきた。それらは彼の記憶に残りはしなかった。輪郭を確かめる前に傷つけ、形を覚える前に壊した。温めるなど以ての外。)

なんて頼りない手だ。こんなもの、一捻りじゃあないか。

(傷だらけの手は礼拝の手を包み込み、捕らえるだろう。指は徐々に遠慮を捨て、絡みつき、隅々まで探り廻るだろう。侵略し、征服するように。
同時に、己の中に刻み込む。礼拝の感触を、低い体温を、彼女の構造を。)

……肉のつぎはぎ。存在しない子供時代。そうか。そうだった。君は人形か。
何でもいい。小さな事でも。何もかも教えろ。そして、私に確信させてくれ。君という存在を。そして……

(晒したい。壊れた仮面の中は酷く息苦しい。)
(己の手に絡みつく手のひらに、時々悪戯の様に指先を絡ませ返したり、軽く握ったりする。
抵抗とは違う、ささやかな指先の動きだけの言葉。
「まだここをさわってない」「こちら側は?」「もっと触って」「ここにも傷跡があるのね」「痛くない?」
唇の先にも上らぬ言葉は、雄弁に掌の上だけで語られる)

私は名門である北神祭に組み上げられた人形にございます。
沁入とは、北神祭で組み上げられる少女人形の連作の事……。
それを甚く気に入った「とある方」が特別な物を作り上げよとお命じになったのが私の始まり。

オーダーに応えるため北神祭は、沁入の中でも最高性能の素体を使い、原型師が持てる技術の全てを注ぎ調整を行い、汎用の精神原型ではなく「本物」の女から削り出した精神をはめ込みました。
開発期間は5年半、完成の後に「礼拝」という銘をいただいたのでございます。
本来であれば、この後は納品のお話をすべきでしょう。
ですが、そうはならなかったのです。

(小さく息を吐く。
長いまつ毛は陰鬱に伏せられて、その後に起こった出来事が楽しからざる物であったことを予告する。)

……「とある方」が納期の直前に破産なさったのです。
私は北神祭の最新モデルという看板を奪われ、代わりに持ち主を破滅に導く人形というレッテルが貼られました。
親(北神祭)には大変な苦慮をさせたと思います。
なにしろ、潰してしまっては全く損害を回収できませんし、投げ売りに出してしまえば「沁入」というブランドの名を落とします。
結局は完成後5年凍結された後、精神の再調整を受けてオークションに出品される事となりました。

人のうわさは不思議なもので、発表当時縁起が悪いと言われた私はいつの間にか「北神祭の幻の未発表作」になっていたのですよ。

……ここまでが、私の世界のお話でございます。
オークションの会場に登場した瞬間に消えて、本当の幻になった人形の話です。
(黙して礼拝の語りに耳を傾ける。緩やかに手指を遊ばせながら。しかし仮面の内の心境は複雑に入り混じり、乱れていた。
冒涜的なその産まれ。人が人を模して作り出した人形。欲望のために、肉体を、精神を加工し、枠に当て嵌め思いのままに形作る。
本来の彼の立場であれば、今すぐにでも叩き壊して無に帰すべき存在である。審問はしない。責め苦もない。人でない物に罰を与えて何になると言うのだろうか。)

……そうか。

(絞り出すような言葉と共に、強く手を握る。
夢か幻か。とうの昔に塞がった筈の傷が開いてずきりと傷んだ。しかしそこには何もない。鮮血も、肉の断面も。ただ凹み、盛り上がり、色素が沈着した痕・が有るだけだ。)

君は、己の事をどう思う?
己に課せられた……定められた道を。役割を。そして、与えられた性質を。機能を。評価を。

(今の自分に礼拝を異端として破壊することなど出来る筈もない。そうするつもりもない。
彼は礼拝に己を重ねていた。そして礼拝の言葉から答えを得ようとしていた。いや、卑怯にも代弁させようとしていた。)
(手のひらを握る力が強くなる。
伏目がちになっていた視線がゆっくりと持ち上がって。
そして――)

誇りに思います。

(仮面越しに、真っ直ぐな瞳を突き立てる。
顎を引き、口元を引き締め、僅かな期間しか稼働していない癖に死線を知る戦士の如き面構えに切り替わる。)

私は人の道具として生まれました。
人に求められ、慰めるのが私の価値。
最高の性能を披露するのが私の義務。
この異世界に落とされて、しかし、私は「故郷」を背負って常に証明し続けなければならない。
私の「世界」はどこの世界にも劣ってはいないと。

(ずっと前に戦いの片道切符を切ってしまった者の声だ。
今だに最前線に立とうとする者の声だ。
暴力に容易く恐怖し、歯の根を震わせる少女の莫大な勇気と傲慢だ。
それは、神(製作者)にそうあれ、と望まれた熱量をもって鉄の面へと叩きつけられる。)

(転調)

(凛として開かれていた瞳は柔らかく目尻を下げて)

――ですけれど、それはそれとして、私は自由なのです。

(決意の重みに強張っていた肩は脱力して)

私は、別に怠惰であることを選んでもよいのです。
「故郷」を馬鹿にされて何も反論せずに口を噤んでいたっていいのです。
誰を好きになっても良いのです。

(軽く繋がれた手を握り返して)

やめてもいいのです。この生き方を。
見捨てがたい方々も全部捨ててしまって、新しい生活を始めたっていいのです。
誰かがそうするように仕向けた?そんなことは些細な事です。
私は誰かに脅されて「こう」している訳ではありません。
「これ」以外にも幸せな事があると識っています。

ですが、それでも、私は「ここ」を選びました。
それは、私の誇りです。

(おおよそ一年にも満たない意識が放つ言い様ではない。
精神を加工した者の手腕というよりも、むしろ、精神を提供した女の影響なのであろう。
その言葉に迷いも憂いも無かった。)
(揺らぐ。揺れる。墜ちるような感覚。足元の地面が無くなったのかと錯覚するほどの、衝撃。
礼拝の瞳が、言葉が仮面を抜けて突き刺さる。
それらは仮面で整形された『私』という自我にとって、理想の回答であった。)

ああ。ああ。そうか。君は……

(前歯の裏を舐める。滲み出た僅かな唾液を舌でかき集め、なんとか飲み込む。喉も、口の中も渇ききっている。
口の中に貼り付く舌をなんとか動かし、ひりつく喉を震わせ苛み、かすれた声で次の言葉を紡ぐ。)

素晴らしい。誇り、とは。素晴らしい答えだ。
君は己を信じているのだな。君は世界を信じているのだな。君は神を信じているのだな。
君、は……。

(突き付けられた『理想』は彼にとってあまりに過酷だった。残酷だった。打ちのめされる思いだった。
己に重ねた筈の礼拝が遠のく。いや、違う。離れたのは、外れたのは己だ。理想に沿うことも出来ず、理想を棄てることも出来ず、未練がましく遠巻きに眺める己の惨めさ。

そう、だからこそ。
続く礼拝の言葉が、彼女が選び、繋げ、発した単語のひとつひとつに救われた。握り返された手の柔らかな感触に救われた。)

僕は君のようにはいられない。いられなかった。
僕、は……信じていたが、信じきれなかった。疑っていた。恐れていた。己も、世界も、神も、何もかも。
信頼も、確信も、何も、無かった。僕は、僕は、愚かで、臆病で、だからこんな……仮面で……。

(狭い視界が滲む、歪む。
手の力が緩む。しかし、その手は離れない。縋るように、甘えるように、礼拝の小さな手を握ったまま。)

……礼拝、殿。頼む。ど、どうか……っ
僕を、僕を慰めておくれ。僕を救っておくれ。一時でいいんだ。惨めな僕を、情けない落伍者を、慰めて、救って……う、受け入れて、くれ。
そっ、そして、君が望むなら……っ。

(仮面の下で目を閉じる。温かい何かが一すじ、頬を伝って流れて落ちた。
そこで漸く気が付いた。己は涙を流しているのだと。途切れる言葉は嗚咽のせいだと。)

……いや、許してくれるなら……か、仮面を、外して……お願いだ。

(俯く。執行人に無防備な首を晒し、差し出す罪人のように。
仮面は簡単に外れるだろう。貴方が許すのであれば。)
よろしいのですよ。

(弱さを肯定する。声を震わす姿を、己の内心を吐露するその行為を。
沁入:礼拝は極めて穏やかに、全てを良しとした。幼い子供に告げるように、ゆっくりと言葉は続く)

ジョセフ様、あなたは、ご自身がおしゃる通りの有様だとしても、怠惰ではなかった。
貴方の苦しみがその証左ですとも。

(己の手に縋りつく大きな傷だらけの手を、傷跡を、慈しむように撫でる。
その傷が付けられた時、誰かこの人を心配し、癒してくれる人はいたのだろうか)

痛かったでしょう。苦しかったでしょう。
……私は、どうして誰も貴方を慰めなかったのか、だれも手当てをしなかったのか不思議でなりません。
だって、仮面をつけていても、貴方が傷ついている事位わかりますもの。
体の傷ならば猶更そうでしょう。貴方が、大人で、男性でも、痛いものは痛いのです。
そうでしょう……?

(許しを請う姿はまるで顔を隠された罪人のように見えて、戸惑いに瞳が震えた。
その次に、仮面を外してしまえば、押さえつけられていた生々しい傷が開いてジョセフが溶け出してしまうのではないかという虚妄につないでいた手が震えた。
深呼吸を二つ。そして)

許しましょう。ジョセフ様がそう望まれるのであれば。

(縋りつく手のひらをやんわりと振り払って、顔を覆う鉄の仮面を外さんと手を伸ばした)
(かちり、と何処かの部品が音を立てた。
内部の留め具が外れたのだ。緩んだ仮面は軽く力を入れただけで、抜け殻のように頭部から抜け落ちる。
ずしりと重いくろがねの仮面。防具の部類と比べれば幾段か劣るが、造りは頑丈。)

あぁ……っ。

(外気に晒された顔が震え、歪む。顔面のあらゆる穴から体液が溢れて止まらない。
やんわりと振り払われた両手が頭に伸びる。しかし、そこに仮面は無い。頼るものも、隠すものもない。)

痛みはあった。でも、恐怖は、無かったんだ。僕には苦痛が愉悦で、愉悦が苦痛、で……うっ、うぅ…っ。
この、この傷だって、自分で付けたんだ。
手元が、く、狂って……異端者が抵抗して……。でも、それは、一寸気を付けさえすれば、充分防げるもので……。

誰も、誰も、僕を気にかけなかった。でもっ、僕もそれを望んでいたんだ。孤立する苦痛すら、僕には……ふぐっ、う、ううううぅぅ……っ。

(呻き声の合間に嗚咽が混じる。歪んだ顔は溢れ出る体液でぐしゃぐしゃで、だが、当の本人にはそれを気にする余裕など何処にもなかった。)

怖いのは、今だ。今、この時、現在が怖いんだ。
僕は開放された。でも、でも、それが永遠だという保証は無い。
嫌だ……嫌なんだ。離れたくない。助けてくれ。

(傷だらけの手が伸びる。救いを求める亡者のように。)
(沁入:礼拝は非力であるように作られている。
運命特異座標として強化されていて尚総体の中では非力、それ故にくろがねの仮面は非常に重かった。
片手ではとても支えることが出来ず、両手でそうっと抜き取ろうとしたが腕は重みで震える。
漏れる苦しげな息。
抜いた後も、床に放り投げるわけにもいかず。結局、膝の上に横向きに座る様に体勢を変えて膝の上に空の仮面を置くことにした。)

私は此処におりますよ。

(永遠の救いを求める手のひらを拾い上げて、己の頬に添わせようと持ち上げる。
ジョセフに己の実在を証明するように、もう片方の手をジョセフの頬へと伸ばしながら)

私を見てください。私に触れて、さわって。
ジョセフ様、貴方が今、見ているのは未来です。だから、まず、現在を埋めましょう。
私の瞳の色を知ってください。私の頬の感触を覚えてください。

私の実在を信じてください。

(そして、数秒、目を閉じる。)

(この青年の心は穴の開いたバケツのようなものなのかもしれない。水の中につけている間は満たされているように見えるが、水から引き上げられればからっぽである。
沁入:礼拝の考える愛とは、その様な状態を看過してよいものではない。
しかし、それは責任を持つという事である。
上手く穴を繕えても、逆にバケツという輪郭ですらつぎはぎにしてしまっても、縁は切れないし、切ってはならない)

(そして、ゆっくりと目を開く)

――ああ、ジョセフ様。貴方の瞳、緑色でしたのね。
(頬と手のひらに礼拝が触れる。冷たく、そして滑らかでやわらかい皮膚が。
その心地良い感触。それだけで、彼の精神は僅かであるが落ち着きを取り戻した。)

汚れて、しまうぞ。
仮面だって、放ってしまって構わない。その程度で壊れるような造りではないよ。

(鼻を啜り、首を振る。
しかし礼拝の手を払うことも、己の手を離すこともしない。添えた手の親指は礼拝の頬をそっと撫でる。そして、緑の双眸は微かな期待を込めて礼拝を見る。)

あぁ……そうだ。緑色。
昔……これは神聖な色だと言われたよ。壁の外にはない、失われた色彩。僕は小さくて……よく分かっていなかった。
……今更、思い出すなんてな。

(緩く、手を動かす。無骨な親指が礼拝の下瞼の際に添えられる。)

君の瞳は、黒いな。
薄い色の瞳は光に馴染むが、濃い色の瞳はよく光を映して……。
ああ、深い。吸い込まれそうだ。鏡のように、影のように。

(心奪われたように、礼拝の瞳を覗き込む。
体格差による目線のズレを補うために、身を屈める、首を傾げる。彼の性のように歪み捻れた癖毛の髪の一房が、微かに揺れた。)

きれいだ。
貴方ですもの。この顔も、これも。

(ジョセフを形作るもの、それが例え汚れていたとしても、抜け殻だったとしても愛おしく思わないはずがないと沁入:礼拝は囀った)

貴方は――

(緑色の瞳の覗き込まれる。
今まで通り、当たり前のようにそれを受け入れて、じっと落ち着いて見つめ返す。
なのに、それなのに。
何の動作も行わない、表情筋も一ミリたりと動いていない。
それなのに。
最後の4音で、明確に瞳孔が拡大した。)

…………。

(次の手を、その次の手を考えていたはずの思考が止まる。
言うべき筈の言葉が立ち消えて、機能停止寸前の人形が瞬きする。
自らに触れている硬くて傷だらけの手のひらの感触ですら遠くにあり、全ての事象が己からはるか遠くの所で―――否。

違う、違う、違う、違う、違う!
私は目を見ていた!
萌える緑の色をした瞳を、薄暗がりの中で虹彩のひだの数すら観測しようとしていた!
それ以外の事は一切していなかった。呼吸をすることさえ。
もしかしたら、心臓を動かす事さえも。)

そのように、瞳を、褒められたのは、初めてです。

(無理やりに紡ぎ出した言葉は心臓にひしゃげた痛みをもたらした。)

嬉しい。ああ、でも、どうしたら、どうしたらいいのでしょう。
私も、貴方の事を、知りたいと、思って居るのに、見つめたいのに。

(知るのは愛なのに、思考することが愛なのに)

もっと、貴方に、見てほしいと、思ってしまいました。

(機能停止しそうになってしまいました)
はじめて?

(眉を顰める。双眸が細まる。緑色の瞳が微かに翳る。)

本当なのか?何故だ?どうして?こんなにもきれいなのに。
だって、君は……。

(『完璧に造られているじゃあないか』
続く言葉を呑み込む。
言ってしまっても構わない筈だ。礼拝は自らの在り方を受け入れている。道具、人形、造られたものとしての己を。それどころか、誇りに思うとまで言い切った。
しかし、言わなかった。言えなかった。何故だろう。何かが引っ掛かった。)

……君も、鏡で見てみたらいい。私だけが見ていては損だ。知らずにいてはいけない。
だが、お望みならば、もっと見よう。もっと覗こう。
君の瞳は本当にきれいだ。こうやって覗けば、もっと奥、もっと深みが見えそうな気がする。

(目元の筋肉を緩める。僅かに翳った緑の瞳が、再び礼拝を真っ直ぐに覗き込む。)

君は、触れることで君を教えてくれた。
君が僕のことを知りたいのなら、僕もそうしてみよう。
触れてもいいかな。手だけじゃない。頬だけじゃない。君の肉体に。

(礼拝の頬に添えていた手を緩く広げる。小さな顔を、頭を包むように。
そこで彼は気がついた。己の中で引っ掛かっていた何かに。沈黙し、硬直した彼女の姿を見た時生じた己の傲慢で独善的な感情に。)

君に僕を齎したい。君の中に僕を。そして……。

(君を『人間』にしてしまいたい。
道具でも、人形でも、創造物でもない。君が思う君に変化を与えたい。最大限の印を、痕を、愉悦を、苦痛を。これは否定だ。侵略だ。冒涜だ。赦されざる行為だ。
そして、最大限の、歪んだ好意である。)
(沁入:礼拝の目は、心は、足以外の全ては、足を至上のものとするために存在している。
目玉だろうが、顔の造形だろうか、それ単体では傑作ともてはやされるだろう。
だが、盛られたメイン料理の前で、皿の模様を重点的に褒める者など居ない。
それだけの話なのに。

緑色に見られると、その程度の囀りすらできない。
心臓が見えない手に握りつぶされているようだ。
見られたい、その視線を独占したい。もっとその唇から「私」の事が零れ落ちるのを聞きたい。)

(呼吸停止、思考凍結、深呼吸、再起動、再起動、再起動再起動再起動再起動……。)

「足女」ですもの。

(二呼吸以上遅れての返答)

足を褒められるのも、足を見られるのも、慣れております。
そのついでで、瞳を褒める方はいても、貴方のように、そんなにも……。

(瞳を見つめる人はいなかった、と唇が動く。)

どうぞ、触れてくださいませ。私は、その為のものですもの。

(声が甘く、恐ろしい。
表情は平静を装っても、聞く度に感情は嵐の湖面に落ちた頼りない枯葉のようにもがき沈んでいく。
シロップのように粘度のある甘い毒が耳から侵食してくる。
どうなってもいい、頷いてしまえ、きっと良いものが観測できる。
もっともっと、深くに潜れる、知ることが出来る。相手の愛を、思いを、痛みを、何もかも。
同じに、抵抗をやめて、――大きく息を吸った)

いけません。

(知らず、声がかすれた。

両手で相手の頬をひしと包み込み固定する。
微笑みを捨て、歯を食いしばってジョセフを見つめ返す。)

それを、したら、私は、あの方と、私を比べます。

(唇が震える。鼻の奥がつんと痛んで、目尻に涙が浮かぶ)

比べて、しまいます。今日ここへくる前の貴方のように。
一つ一つの動作を見て、あの方と貴方との関係を、思い出してしまいます。

やめてください。

(一言一言、血を吐く時のように悶えながら訴えかける)

私を、二番目にしないで。

(――だから、余計なものまで落ちた)
なんてことを。

(包み込まれ、固定された頬が引き攣る。)

なんてことを、言うんだ。

(緑の瞳が冷える、澱む
その視線は礼拝の瞳に固定されたまま。しかし、意識の向かう先は奥ではなく、深くでもなく。
鏡面のように光を反射し、影を映すその表層。そこに映った己の姿を見ていた。引き攣った筋肉を、青ざめた皮膚を、澱んだ瞳を。)

このような時に、我が友が出てくるのか。
そんな、そんなの、あんまりじゃあないか。

(抉られるような痛みが胸に走る。歯を食いしばり呻き声を殺す。吹き出した汗が玉となり、ゾッとする感触を残して流れ落ちた。
瞳に映った男の顔は醜く歪んでいた。見たくはない。こんなものは。望んで外した筈の仮面が恋しい。しかし今更礼拝の膝から奪い取り、被り直す訳にはいかない。
これ以上、積み重ねる訳には。

全ては積み重ねだ。
男は吐いた言葉の数々を、重ねた行いの数々を悔いていた。
ここを訪ねる以前も含め、男が軽率に、節操無く積み重ねてきたあらゆるものが今、男の身に返ってきたのだと。)

それに、二番目だと?
僕は、そんな、順序など……。

(虚偽。薄っぺらな嘘。
平等は厭だとゆ吐いたのはどの口だ。
特別になりたいと駄々をこねたのはどの口だ。)

違う。違うのだ。

(何が違うのか。その否定は誰に向けているのか。
己の愉悦の為に愛を齎し、身勝手な執着から人間への変化を、束縛を求める。後の影響を考えず、眼の前の欲求に逆らえず、快楽を貪る獣。
吐き気がする。自己嫌悪に押し潰されそうだ。
男は悔いていた。しかし、同時に悦んでいた。その醜い感情を自覚しているから。)

…………。

(暫しの沈黙。そして、意識が再び礼拝に向く。
この人形は、いや、人間は何と言った。言葉の裏で、何を望んだ。)

君は……

(一番に、特別になりたいのか。)

僕と同じか。
(再起動、再構築、再点火)

(傷つける事なんてわかっていた筈だ。
それでも澱んでいく緑色の瞳を見つめれば胸が締め付けられた。先ほどの痛みとは別の痛み。
慰めるだけなら流されればよかった、一時の救いであるのなら溺れればよかった。
だが、それは駄目だと何かが叫んだ。
何処かで破綻する行いは愛ではないと、救われぬと分かったまま放置するのは嫌だと声を上げた。

血圧が一気に上がって天井が回りそうな気配。
涙は今にも零れそうで、しかし、黒い瞳だけは歪んだ緑の瞳を真っ直ぐに貫く。)

同じです。

(過ぎた時が惜しい。もっと見られたかった。ずっとずっと流されてしまいたかった。)

私は、貴方に、見つめられたい。触れられたい。
貴方の愛は恐ろしいけれど、それにだって応えたい。そう、思ってしまうのです。

(剃刀の上を歩くような感覚だった。痛みは薄く、鋭く、しかし心が出血するのは快楽)

でも、それ以上に、覚悟のない愛は駄目です。
それを続けたら、いつか、いつか、破綻してしまう。
私は、貴方が壊れる様を見たくはない。私は貴方を壊す要因になりたくはない。

(沁入:礼拝の愛は考える事。
それ故に「恋」に流されることを許さない。まず自分自身を律しないことを許さない。展望のない選択を許さない。)

食べても食べても満たされないのでしょう。お腹がいっぱいになったことが無いのでしょう。
私は知っています。私は知らなくても、私の中の女が知っています。
浴びるように飲まなければ満たされたように感じないのでしょう。埋め尽くされていないと不安なのでしょう。
私は経験があります。私に経験が無くても、私の中の女が教えてくれます。

(ジョセフを包み込む手のひらに力が入る。
顔がともすれば口づけしそうなほどに接近する。
そして、膝の上からくろがねの仮面が滑り落ちた音がして)

わたしを、みて。わたしは、ここにいます。
わたしが、あなたを、「人間」にみちびきます。
そのためなら、「一番」でなくてもいい。
いいえ、順番を付ける価値さえなくなったって、構いません。
だけど、愛さないでください。それを受けたら、私は、

(僅かな灯を反射して涙が落ちる)

こわれてしまいます。
(以前の、ほんの少し前の彼であれば、嬉々として人形をこわしただろう。無邪気な子供のように、玩んで、笑って。そして、悔いるのだ。手遅れになってから。
しかし、成熟した肉体にそぐわぬ幼子のような精神は、礼拝との邂逅を経て僅かな成長を遂げた。遂げてしまった。)

…………。

(瞼を伏せる。目前に闇が拡がる。闇の中で思考する。
礼拝から、彼へ。向けられた感情は悦ばしいものだ。しかし、ああ、そうだ。流されてはいけない。貪ってはいけない。傷付くことは怖くない。壊れたって構わない。寧ろ悦ばしい。それが己だけであるならば。

彼は脆いものを、儚いものを厭う。直ぐに壊れてしまうから。
否、壊さずに済む方法が想像できないのだ。分かりきった未来を予測できないのだ。それは圧倒的な経験不足に因るもの。
成長とは多様な経験を積むこと。彼にはそれが足りなかった。器ばかりが大きくなり、偏った経験ばかりを詰め込んでしまった。)

わかった。

(瞼を上げる。礼拝が見える。吐息を感じるほどに近く。
壊れてもいい。でも、壊したくはない。愛は封じよう。齎すことが出来ないのならば、己を捧げよう。
仮面は忘却しよう。曝け出そう。委ねよう。信じよう。 )

僕は君を愛さない。

(胸の奥がずきりと痛む。初めての苦痛、そして戸惑い。またひとつ、経験が積み上がる。
痛みを堪えて、傷だらけの両手を礼拝の背にまわす。慣れぬ動作で、ぎこちなく。)

でも、僕は君がすきだ。だから、信じよう。
順位は付けない。付けられない。この感情に当てはまるものを僕はまだ他に知らないんだ。
これは何だ。僕はどうすればいい。僕は一体……人間とはなんだ。
導いてくれ。教えてくれ。育んでくれ。

(緑の瞳は礼拝を見つめ続ける。未知を恐れる幼子の眼だ。)
(その言葉は、予測の内に合った。
だって、自分が望んだのだ。「愛するな」と言ったのだ。
だからその反応が返ってくるのも、予測してしかるべきなのだ。
なのに、「あいさない」という5文字は致命的に胸を抉った。

暗い縁へと望んで飛んだのに、底のない穴だと分かって身を捧げたのに。
全身の血の気が引いて、再起動をかけたはずの意識が遠のく。
鏡のようだと言われた瞳が曇り、陰り、絶望に濁る。
「愛」という回路が崩れ、「恋」という肉が出血する。)

…………。

(しかし、だからこそ、背中に回された腕の感触が温かかった。)
はい……!

(溢れ出す涙が瞳に凝りかけた穢れを洗い流していく。
最早その思考は足元にある途方もない断崖を見ていなかった。遥か遠くで輝く星を見上げていた。
己に縋る幼子のようなこの人を、必ずそこに連れて行こうと決意した。)

共に考えましょう。共に知りましょう。
見たこともないものを見て、やった事のない事をしましょう。
明日はきっと晴れの日になると、根拠もなく信じれるようになるまで。

人間について、貴方が考えるのはそのあとです。
私は、きっと、その時まで、その後も、お傍に居ますから。

(そうして、震える心の赴くまま、幼い子に母がするように背伸びをして額に口づけせんとした)
(鏡のようなきれいな瞳が曇る、陰る、濁る。
その様を見た彼は狼狽え、戸惑い、怯えた。何故。どうして。間違った選択をしてしまったのか。身体が強ばる。顔が引き攣る。

いや、違う。
ああ、何ということだろう。彼女は涙の一粒まできれいなのか。
思わず、溢れた涙の雫を目で追う。背に腕を回していなければ、指先で摘みとろうとしただろう。)

共に考え。共に知る。

(安堵。身体と顔を綻ばせる。
壊さぬようにと選択した『いま』は間違っていなかった。
壊れても構わぬと放棄した『もしも』が報われた。)

それはとても素敵なことだろう。
……今の僕には、まだよく分からぬが。

(口づけを受け止めんと、俯き、額を差し出す。拒む理由など何処にも無い。

いや、本当に、無いのだろうか。)

……待ってくれ。
(唇が額に触れる直前に急停止する。溢れていた思いに冷たい軛が刺さる。冷静さが戻ってくる)

(唇が震えながら「ごめんなさい」と動いて近づきかけた顔が遠ざかる)
(緑の瞳が泳ぐ。
言ってしまった。黙っていれば良かった。
後悔。そして罪悪感。胸がぎゅうと締め付けられる。しかし、時を巻いて戻す事は出来ない。
何故ならば、彼には言わねばならないことがある。礼拝に聞かせねばならないことが。
しこりを放置したまま甘えてよいものか。いいや、よい筈が無い。己はやがてそれに耐えられなくなるだらう。礼拝はそのような結果を望むだろうか。)

……すまない。
少し、気になってしまったんだ。

(礼拝と目を合わせられない。
きれいな黒い瞳が好きだ。慈しむ眼差しが好きだ。泣き顔も、微笑みも、彼女の見せる表情の全てがすきだ。
でも、今は見られない。耐えられない。)

君は、『人間』について考えるのは後と言った。
でも、僕は、知りたい。君が導こうとしている先を。
だって、出来ない。何も分からぬまま導かれることなんて出来ないよ。行き着く先が分からぬまま、僕の知らない僕になるなんて。

見たこともないものを見て、やった事のない事をする。未知を積み上げて、蓄積して……『人間』になるのか?
そうでない今の僕は何なんだ?
僕は、人間になって、僕のままでいられるのか?
そして。

(唇を舐める。
言うべきか。言わざるべきか。
きっと礼拝を傷付ける。それが怖い。
いや、違う。もっと怖いのは礼拝が傷付かないことだ。平然と受け答えられた時のことだ。)

今の僕は、我が友が愛してくれた僕は一体、どうなるんだ?
(言葉が重ねる毎に目元が緩んでいくのをジョセフは見るだろう。
拒絶が恐ろしかった。自分が相手に強いようとしたのが恐ろしかった。
だが、今、彼はこうして考え、疑問を述べてくれる。
本能に流されぬままこうして、「先」の事を考えて動いている。
それが実感として胸に広がるごとに、「拒絶」の嘆きを押し流していくのだ)

『人間』とは、『走り続ける』生き物の事です。

(ジョセフの頬に添えられたままになった手のひら。その親指が小さく、くすぐる様に頬を撫でる。)

私がジョセフ様に願うのは、ルートを構築し、ペース配分を考え己の幸福に向かって『走り続け』られる『人間』に至る事。
その為にはまず、己の持久力、体力を知り、目的地を決めねばなりません。
他にも、道を知ったり、天候を知ることも大事でございます。
それ故に、『人間』について考えるのは一番最後、と申し上げました。

(あの暗く赤い三日月の事も触れねばなるまいと思うと胸がちくりと痛む。
不自然に一拍遅れる返答、そしてジョセフの顔から僅かに下がる目線。
これは、必要な事なのだ。己よりも長く、深く、彼を支えてきたのはあの人なのだから。)

だから、あの方が愛する今のジョセフ様と未来のジョセフ様が途切れることは、きっとありません。
貴方の愛の形が、何か別のものに置き換わる事もないでしょう。
ただ、貴方は今より多くの選択肢を得て……自分が後悔したり、不満を貯めたりする選択肢を選びにくくなるかと思います。

(言い切れた、と小さく息を吐く。
そして、元々下がり気味だった眉をさらに困った様に、迷っているように下げて)

ね、ぇ。ジョセフ様。
私、先ほどは、あのように申し上げましたけれども。
もしも、貴方がもしも『人間』になった確信を得て、先を見据えて、それでもと思われるのであれば。
私を、こわしてくださって、かまいませんよ。
(彼は礼拝の返答に耳を傾け、頬を撫でる親指のこそばゆさに眉尻を下げながら、彼女の情緒の変化を窺った。
こんな、試し確かめるような行い。彼自身、己の不誠実さに嫌気が差した。
しかし、緑の瞳は幼子のように素直だ。彷徨っていた目線は徐々に落ち着きを取り戻し、やがて再び真っ直ぐ礼拝に向けられるようになった。

礼拝は満足のいく反応を、答えを返してくれた。
迷いを生じさせたしこりは溶けて流れ、彼の精神に平穏が齎された。
齎された、筈だった。)

……いま、何と?

(心臓が跳ねる。腹の底が疼く。
訊き返す必要など無い。確かに聞き、理解していた。
だが、そうすることで気を逸らさねば。些細な抵抗でもしなければ。衝動を抑えることなど。

目視で確かめた背の高さ。膝から伝わる肉の重み。触れた皮膚の柔らかさ。皮膚越しに感じる筋の張り。脳裏で組み上げられる肉の重層の下の骨。
駄目だと理性が叫ぶ。だが、止まらない。激しい衝動と、積み上げられた知識と経験が礼拝の身体を数字に置き換え、その強度を割り出してしまう。
このか弱い肉体はどの程度の衝動を受け止められるのか。この儚い肉体はどの程度の失血に耐えられるのか。この繊細な肉体は)
(そこが、彼の未熟な忍耐の限界であった。
まだ早い。まだその時でない。確信を得ていない。先などまだ見えない。そんな理性を衝動が押し退ける。

食いしばった歯の隙間から唸るような吐息が漏れる。爛々と光る獣の瞳が礼拝を射抜くだろう。
背に回した腕に力が込められる。軽い身体を力一杯抱き締める為に。そして、椅子から立ち上がる勢いのまま、攫うように抱き上げて、床に押し倒す為に。)
(視界が回転する。
最後に思ったのは「いけない」だっただろうか、それとも、もしかして、恍惚だったのかもしれない。
ともかく気が付いた時には既に礼拝の背は強かに床に打ち付けられていた。
目を開ければ間近には獣の眼光か。
決して平和的ではないその瞳でも、何も考えずただ自分だけを見ているのだと思えばたまらなく高揚する。
恋という植え付けられた狂気が共振しているのかもしれない。)

(思考が回転する。
この状態は「いけない」。そして、もはやすでに、言葉でどうにかなる状況を過ぎてしまった。
ともかく、このままの状況に流されてはジョセフの傷となってしまうだろう。
あの仮面の表面についた無数の傷跡のように。
決して多くの事が成せない状況でも、何も考えずにただただ相手の愛に身を任せるのはどうしようもない無責任だ。
愛という思考は胸の中で己の願いを最短ルートで導き出す。)

(すなわち、背中のばねを利用して跳ね起き、同時にジョセフに口づけしようと頭を抱き込みにかかる。
待ち受けるのはただ唇を合わせるだけのものではない。口腔を蹂躙するが如し濃厚なそれだ。
礼拝の力では何もかもジョセフには敵わないだろう。
しかし、ただそれだけが、己の最も得意とする土俵に相手を上げる細い細い蜘蛛の糸だった。)
(礼拝を抱き締めた時、彼は己の奥底から滾々と湧き上がる衝動に翻弄され苦悩していた。
礼拝を抱き上げた時、彼はそのあまりの軽さに霞を掴んだのではないかと錯覚し驚愕した。
礼拝を押し倒した時、彼は得も言われぬ高揚感に酔い痴れていた。彼女を壊したくないと願った事さえも忘れる程に。)

(軽く、小さな肉体に馬乗りになり、見下ろし、勝ち誇る。血が滾る。脳内物質が溢れ出る。思考が加速する。
ああ、これからこの肉体を蹂躙するのだ。破壊するのだ。私の『愛』を齎すのだ。
徹底的に。一方的に。この手が触れていない部分が無くなるほどに。この美しく完璧に組み上げられた異端の肉体を解いて侵して辱める。彼女を作り上げた文化を、世界を、貶めてやる。
さあ、先ずはどうしようか。耳元で『愛』の言葉を囁きながら、床の上に広がり流れる艷やかな髪に触れ、儚く小さな身の震えと絹のような指通りを愉しもうか。それとも細部まで拘り抜かれたこの脚に触れ、惜しみ無い称賛の言葉を捧げようか。この場所への称賛の言葉など聞き慣れているだろう。私は違う。私は皮膚組織に隠された奥の奥まで愛することが出来る。ともすれば醜い、悍しいなどと言い表されがちな領域まで。いや。いや。違う。きっと、張り巡らされた血管の流れ、筋の張りまで彼女は美しいだろう。
ああ、ならば。それならば)

(回転する思考。永遠にして瞬間。しかし、その滑らかな回転は礼拝の行為によって断ち切られた。
力で振り払うことは容易い。ああ、だが、出来なかった。司令塔たる頭脳に満ちるのは混乱でも衝動でもない。無だ。破壊的、暴力的な衝動も何もかも、漂白されて無になった。
それは未知の極地。恐れ、避け続けたもの。

手脚が棒のように硬直し使い物にならなくなる。体温が急激に上昇する。眼の前がぐらりと揺れる。
一拍遅れて、彼は悲鳴をあげた。喉の奥で、声にも満たないか細い響き。
それ以外、為す術もない。)
(沁入:礼拝とは非力である。その肉体はたやすく人に組み伏せられるように設計されている。
沁入:礼拝とは虚弱である。その意思がどうであれ、長くは抵抗できない様に組み上げられている。
押し倒され、「いいように」される。それが沁入:礼拝の正しい運用方法だ。
結局のところ、沁入:礼拝の世界での常識で測るとジョセフ・ハイマンの行動には全く非が無い。
沁入:礼拝の精神構造だって消費される哀愁はあれど、それを受け入れ、時には悦びすら覚えるようにデザインされている。
これは「閉じた」遊びだ。
発展性のない、未来のない、明日を変えることがない「安全」な遊び。
暗い部屋の中で行われる鎮痛の儀式。)

(嫌だ、そんなもので終わりたくはない!!!!)

(だが、礼拝という女は、その情動は、そうあれと願われたカタチから逸脱する。
精神励起。むき出しになる原型となった真性の女の形。
それは唇から己の銘がささやかれるのを聞きたいという恋情を蹴っ飛ばし、胸の中に甘い痺れをもたらす緑色の瞳を振り切って、己の何倍も太く逞しい腕を掻い潜る。
そして、手の中で震えるだけであったはずの小鳥は、己の小さな爪をジョセフへと引っかけた。

腕はしっかりと頭に絡められているが、体格差ゆえに唇がつくのはギリギリの位置。
そこから無理やり唇をこじ開ける。
歯並びの良い歯茎を舐め上げ、更には侵攻して舌をこね合わせ、滴ってきた唾液を啜る。
礼拝という銘の神聖さからかけ離れた凶事は苦し気な喘ぎと共に。
女の舌は、皮膚よりもずっと熱く、果実水の残り香と、そして僅かに他の男の味がするだろう。)

(それは1分にも満たない間の出来事だった。
力尽きたようにジョセフを戒めていた腕が解ける。唇が僅かに糸を引いて離れる。
再び、礼拝は元通りの位置に組み伏せられて)

落ち着かれましたか。

(しかし、その声は状況に怯える少女の声でも、更なる凶事へといざなう女の声でもない。
如何なる欲求も胸の中に沈めた平坦で冷静な理性の呼び声だった。)
(息が止まってしまうかと思った。心臓が破けてしまうかと思った。
狂しいほどの時間は過ぎて、口の中に取り残された礼拝の体温がじわりと馴染んで溶けていく。
身体は熱と倦怠感に支配された。頭の奥が痺れて何も考えられない。両手両足は体重を支えるだけで精一杯。
まるで熱病にうかされたような状態で、己が組み敷いた女を見下ろし見つめる。
体格的にも位置的にも彼女より優位に立っている筈だ。筈だった。今や、優越感の欠片も感じない。破壊も暴力も求めてはいない。己が何を求めているかすらもすっかりさっぱり思考から抜け落ちて、空虚を抱えて呆然としていた。)

ごめん、なさい。

(やっとのことで絞り出した六文字。たどたどしく、僅かに舌足らずに。
ぼやりとした緑の瞳は獣でも、子供でもない。蹂躪され、翻弄されて、茫然自失となった男のそれだ。)

ひどいことを。こんな、無理矢理するつもりは無かったんだ。
ただ、何故だろう。我慢ができなくなってしまって……。

(ぼやけた顔で、弛く開いたままの口から言い訳を捻り出す。
しかしその頭脳を満たすのは、衝動に呑まれて暴挙に及んだ後悔でも、礼拝に許されないことへの恐怖でもなかった。
頭を抱き包み込んだ腕の感触。触れた唇の柔らかさ。口腔を蹂躙し尽くした舌の動き。微かに漂う甘い香り。そして、己とも、礼拝とも異なる、何者かの味。
後から後からじわりじわりと蘇ってくる。苦しい。この痺れは、疼きは、痛みは何だ。)

……すまない。動けそうに、退けそうにない。
暫く、このままで。

(眉を顰め、バツが悪そうに緑の瞳を伏せる。
礼拝に馬乗りになったまま、その顔の横に置いた手のひらを固く強く握る。爪が食い込み、血が滲む程に。)
(女は真正面から緑色の瞳を見つめていた。
これでもし止まらなかったとして、同じ手はもう通じないだろう。そうすればもはや自分に後はない。否、愛がどれだけ捩じれても性に関しては潔癖であったあの様子、もしかして徒に「女という性への不信感」だけを植え付けた可能性もある。
傷を、痛みを、過去を塞ごうとして逆に引き裂いたなど笑い話にもならない。
目の前で点滅する最悪の結末。張り詰める精神。
だからこそ、たどたどしい謝罪の言葉に全身の力が抜けた。)

はい、いいえ、良いのです。

(肺に溜めていた空気を吐き出し、瞬きすら惜しんでいた瞼を閉じる、危機の前に消えていた体の感覚が戻ってくる。
押し倒された時の背中の痛み、虚脱感を覚える程の疲労。――口の中に残る感触、味。
口腔の広さも、歯列も押し返してくる舌の筋肉のしなやかさも、舌下に隠された襞の位置も覚えている。次はもっと上手くできるだろう。
きっと、自分が不用意な発言さえしなければ、これを知る事は無かったかもしれない。でも、もし、知れるとしたら、今よりずっともっと穏やかな状態で、互いに加害者でも被害者でもなく、あんな顔もさせなくて……。

口の中に溜まっていた最後の唾液を嚥下して、再び目を開いた。)

貴方だけのせいではありません。
私は、私は貴方を許します。許しますとも。

(でも、貴方は自分を許せないのでしょうね。

伏せられた緑の瞳を直視するのが辛くて目を逸らした。目を逸らした先にも血がにじむ手のひらがあって逃げられなかったけれど。
いつもならさらさらと出てくる慰めの言葉が詰まる。
ここを鎮痛しては、いけない。
暴行に至ろうとした「後悔」も己を壊そうとしてしまった「恐怖」も薄れさせてはならない。
勘違いの決意で礼拝は口を閉ざす。)

よろしいのですよ。驚かせたでしょう。

(かろうじてそれだけは返した。
しかし、沈黙が長引くほど体が泥濘に落ちたかのように力を失っていく。
そういえば、もう何時間起きているだろう。
朝、身支度をして、店の準備をして、今日は昼から客を取って夜中に帰し、それからジョセフを迎える準備をして――。
それらが横になった事で全身に降りかかっていた。先ほどまで極度の緊張状態にあり、それが解けたのも効いた。
瞬きの回数が増える。急いで瞼を開ける回数も。)
(深く、息を吐く。
礼拝の許しの言葉を聞いて、やっと、後悔と恐怖の感情が追い付いてきた。固まった手脚の筋が解れ、震えが伝わる。
同時に、それ以前に己に満ちていた感情への戸惑いが生じた。手のひらに滲む血を疑い、痛みに驚く。
彼は嫉妬という感情を知っていた。知識も、経験もある。しかし、男女の複雑なそれは未知の領域。
またひとつ、経験が積み上がる。その名も、扱い方も知らぬまま。)

礼拝殿。

(礼拝は彼にとって数少ない信頼できる人物だ。
礼拝は彼を『みちびく』と言ってくれた。故に彼は礼拝を頼り、この得体の知れぬ感情について問おうと考え、その名を呼んだ。
しかし、その先が続かなかった。胸の痺れと、疼きと、痛みが強くなる。舌が張り付き、喉が詰まる。
何故。分からない。それも問うべきか。いや、出来ない。何故。そうしたくない。何故。分からない。
何故。何故。何故。何故
何故だ。)

(どうにもならぬまま、沈黙。焦りと、気まずい思いだけが増してゆく。
せめてと、伏せた目を礼拝へ向ける。言葉にならない胸中を、せめて瞳を通じて伝えようと。
そしてふと、礼拝の変化に気が付く。)

……大丈夫か。

(声を潜め、穏やかな口調を意識して、呼び掛ける。
気に掛ける思いもある。だが、内心ほっとしていた。己の気持ちを逸らし、訳の分からぬ感情を紛らわせる切っ掛けが出来たからだ。)

何処か痛いのか?疲れているのか?
すまなかったな。長々と付き合わせて。ここには…………寝台はあるのかな?
起きれるかい?手を貸すよ。

(途中、挟まれた不自然な間。不埒な想像を無理矢理に掻き消した痕跡。
また新たに生じた胸に刺さるような痛みを無視して、彼は礼拝に微笑みかけた。)
(思考が鈍る。感覚が閉じる。
まだ観測を続けようともがく事に必死になって、それ以外のものを取りこぼす。
どうしてジョセフの体が今頃になって震え始めたのか。強く手のひらを握っていた意味は、今の表情の真意は。押し倒される以前ならば引っかかったはずの情報を全て見逃し続けている。
ただ、己の銘を呼ばれた時だけ覚醒に近づいて瞼を強く持ち上げた。)

ごめんなさい……。
少し疲れてしまったみたいで……。

(しかし、それも長くは続かずにまた瞼が重くなり始める。
鈍磨した思考は、ジョセフの微笑みは己を心配するが為に作られたものだと認識する。都合よく改竄する。
予兆に気付かず、前提を見逃し、事実を誤認。
己の意識が己の求める愛とはかけ離れて行くことにさえ疲弊した脳髄は気づけない。)

二階の一番奥の部屋に私の休憩室が……。

(無論、その部屋以外にも寝台はある。しかし、「客間」であるそこにジョセフを通さないだけの理性はかろうじてまだ存在した。
礼拝が示すその部屋は寝台と椅子が一つづつあるだけの簡素極まる部屋である。「仕事」が終わった後、生活する場としての宿に帰る気力もない時に利用するだけの部屋だ。
一度も客を通したことのないあそこなら仮に見せる事になっても問題はないだろうと判断した。

手を差し出されればそれに縋るようにして起き上がるだろう。捕食者と被捕食者か、加害者と被害者か、そのような関係になりかけた事も忘れて逞しい腕に縋るのだ。)
(震えを押さえつけ、身体を起こす。
彼自身の予想に反して、動作に支障は無かった。身体は指令に忠実に従い、すんなりと動いた。
肉体の不調ではなく、精神の不和からくる不具合であるから当然であるが、今の彼にはそこまで分析出来る程の判断力は無い。)

あぁ、解った。二階の、奥の部屋だな。

(礼拝の言葉に相槌を打ち、反芻しつつ、立ち上がる。
意識は上へ向かい、次に宿の内部を探る。そう広くは無い筈だ。礼拝は歩けるだろうか。いや、抱えていこうか。
押し倒す直前抱え上げた、驚愕するほどの軽さを思い起こす。あの程度なら大した手間にもならない。それに、疲弊した礼拝にこれ以上体力を消費させるのは気が引けた。)

(ふと、足元に転がるくろがねの仮面に意識が飛んだ。目も鼻もないそれに、何故か、視られていたような。
いや、神経過敏になっているのだ。酷く感情が揺れ動いたせいだろう。
頭を振る。思わず仮面へ伸ばしかけた手を引っ込める。それよりも先ず、礼拝だ。)

その様子ではもう、今日はお開きかな。
さあ、手をこちらへ。くたびれさせて済まなかった。部屋まで抱えていこうか?

(膝を付き、手を伸ばす。礼拝が拒絶せずその手に縋り、立ち上がれば、そのまま掬い上げるように抱えてその身を運ぶだろう。
気遣い半分、願望半分。彼は無意識の内に、いや、本能とでも言うべきか。礼拝に残った知らぬ誰かの痕跡を、己で上書き、掻き消そうとしていた。)
(闇の中の綱渡りの様な駆け引き、傷の発見、狂笑、そして焼け付くような感情の発露。
沁入:礼拝の精神は、成熟した女の上に接木された若木だ。感覚として知る感情は多かれど、まだ実体験として経験した感情は少ない。
制限された体力、そして嵐のような感情の動きは肉体的にも精神的にも疲労をもたらしていた。)

くたびれた、だなんて、そんな。
……私、今日は概ね幸せで、幸運なのです。

(だから、今日という日を終わらせたく無い。
そう、ジョセフの腕に縋り付くようにして身を起こすが、限界が近いのは縋り付く手の力の無さからして明白。
提案には素直に、しかし気恥ずかしさから顔を伏せて頷いた。
それは先ほど抱き上げられた瞬間の混乱と危機感に駆られた表情とは違う、ただ肌の密着を恥じらう少女のものだ。無論、胸に抱かれる程度の密着は肉人形にとって珍しいものではない。もっと濃厚な密着の経験もある。だが、それは人形として定められた機能の内の一つであり、全く自動の行動であって、己の欠陥を疑う程の強い衝動の上で戸惑いながら足を踏み出すものではない。
まだ今日、一夜の幸運を享受しているのだと、染み込むように確信を得て、控えめに己を抱き上げる手に自分の手を重ねた。

傷のある手、可哀想な手、愛おしい手、恋しい手。それが私を持ち上げている。)

(宿の構造は簡単だ。部屋を出れば直ぐに階段が見つかるだろう。目的の部屋もすぐに。
障害は暗闇だけだろうが、そろそろ窓の外からは夜明け前の薄青い光が差し込んで大したものではなくなっている。)

(ジョセフの腕の中で眠るモノは、意志の力が抜け落ちて、まだあどけない15、16の少女の顔を晒していた。)
(他者を抱えて運ぶのは初めてではない。むしろ、飽く程に繰り返した単調な作業。
大抵は荷物のように肩に担いで運んでいた。枷や帯で自由を剥奪し、若しくは薬品で意識を混濁させて、意志の無い肉塊として運搬するのみ。彼としは、拘束も薬品も使わず無理矢理に押さえ付けて運んでもよかったのだが、そこは規則・紀律が許さない。
今、腕に抱える少女もまた異端者だ。『愛』すべき存在だ。しかし、そこには新鮮な喜びと、戸惑いがあった。)

(二人分の体重を受けた版板が微かに軋む。一歩、一歩、目的の部屋へ通ずる階段を登り進む。
途中、射し込む薄青い光に照らされた、あどけない寝顔を見た。苛虐欲は鳴りを潜めて一方的な庇護欲と独占欲が満たされる。
だが、ああ、しかし。目当ての扉は直ぐそこに。予想した通り大した広さでも、道程でも無かった。分かっていたが、気持ちが沈む。
けれどもこのまま礼拝を休ませぬ訳にもいくまい。気を取り直し扉をくぐる。)

今日はとても……有意義な時間であった。

(寝台がひとつ、椅子が一脚。眠る女が一人、それを抱き抱える男が一人。
寝台へ歩み寄り、眠る身体を横たわらせる。低い声で語り聞かせる。聞こえているだろうか。いや、安らかに眠り休んでいるならそれでいい。)

おやすみ、礼拝殿。そしてさようなら。
また、こうやって語らおう。今度はきっと、心穏やかに。
楽しみにしているよ。とても、楽しみに……。

(屈み込み、耳元で囁く。どこか、偏執的な響きを含ませた声色で。
そして、執着を断ち切るように、背を向けた。)
(腕の中の少女は微睡みの中に居た。
腕の中で揺れるたびに意識が覚醒に近づくがそれも決定的なものにはならない。
床板の軋みも、窓から差し込む薄青い光もすべてが遠い出来事。

非現実感は危機感を鈍麻させて最も強い「衝動」を優先させる。
己を軽々と支える腕の太さ、服の感触、支える手の大きさ。
そして、もしかして自分はこの腕に溶けて同化してしまったのではないか、と錯覚しそうな力強さ。
僅かな意識の浮上の合間に小さく小さく積みあがっていく「経験」が心地よかった。
夢も現も一つながりで、柔らかな感触にあふれていた)

(しかし、それも終わる。暖かい腕から解放されて寝台に移される。
意識が浮上する。言葉が聞こえる、認識する。

何か言わねばと思った。「ありがとうございます」だとか「わたしもです」だとか。
しかし、頭の中ではそう認識していても、喉がたった数音の出し方を忘れてしまったように動かない。

意識が浮上する。瞼が開く。黒い瞳が貴方を見上げる。)

……ジョセフさま。

(声が出た。
莫大な信頼と親愛と、理外への恋が濃厚に絡み合った一雫。

ああ、なんて、この人の名前を呼ぶのは気持ちいいんだろう。

ただ一言、目的外のただ一言で少女の心は大いに満たされ、眠りへの抵抗が断ち切られる。
再び瞳は閉じられて、安らかな呼吸が繰り返される。
己の周りを巡る嫉妬も、偏執も、狂気も、退廃も、何も気づかず、何も見ず、幼子のような安穏さで深い眠りへと落ちていく。)

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