シナリオ詳細
ブラック・ベルベットの花葬
オープニング
――滅海竜リヴァイアサンは眠りについたらしい。
それが、フェデリアでの戦いでの結果である。
コン=モスカの娘は『自身の使命を思い出し』そしてその身一つで狂濤を受け止めた。
蚕蛾の娘は魔種の張り巡らせた『鏡面世界』を肩代わりすることを選び、姿を消した。
誰が為、そして、我が為と。嫉妬の権能を抑えるが為に、二人の男がその身を挺した。
海洋・鉄帝軍の被害も決して少なくはなかったが、竜種と言う圧倒的存在――神とも称される理不尽――を退けたという英雄譚は海洋王国、そしてゼシュテル鉄帝国を大いに騒がせるだろう。
そして、海洋王国は王国の民達の関心と期待が一心に向けられるまだ見ぬ新天地(ネオ・フロンティア)を目指し航海の道を選ぶのだ。
――それはネオ・フロンティア海洋王国の片隅であった。寂れた小さな墓標が並んでいる見晴らしの良い丘があった。
その場所に向けて『鏡の魔種』ミロワールは駆ける。
フェデリアでの一戦での傷は決して癒えぬ儘、彼女は直ぐにこの場所に連れていってほしいとイレギュラーズへと懇願した。
……誰が見ても彼女はもう永くはない。
死兆が取り払われようとも、先の戦いでの傷は深く、その魔種はもう永くは生きられないだろう。
そして、魔種であるが為に生かしてもおけぬというのが実情だろうか。
彼女が駆け上がったその丘のほど近い場所には花畑があった。潮風に揺れる、誰が植えたのかも名も知れぬ花たち。
美しく咲き誇る花々を眺めるイレギュラーズへとミロワールは言う。
「此処に、シルキィがいるの。
わたしが、此処に来たいと願ったから。鏡面世界は彼女を、この場所に送ったんだわ。
鏡面世界を、肩代わりしてくれた時、わたしの為に死んでしまうと思った。
けれど……奇跡は、悪い事ばかりではなかったのね」
ミロワールは泣いた。奇跡は奪い去るだけではなく、何かを叶えてくれると、誰もが願っていた。
その美しい花に蚕蛾の少女は埋もれていた。丸く背を丸めて、まるで陽だまりのように転寝を繰り返す少女。
花に埋もれる様にして眠っていた『la mano di Dio』シルキィ(p3p008115)にミロワールはゆっくりと声を掛けた。
「――おはよう」
それから――約束を果たしに行こう?
――もしも、わたしが生きていたら、一緒にこの海を出よう。
もしも、わたしが死んでいたら……キミは生きて、この海を出て。
この海の外で、ビスコちゃんに綺麗な花を一輪買って、弔ってあげて。
……約束だよ、シャルロットちゃん――
みんなが、竜を越えてくれた。
だから、一緒にあの絶望の海を出られたわ、シルキィ。
●
イレギュラーズが、『あの時』言ってくれたように。
――もしも、わたしがわたしじゃなくなったら、
この海で『ビスコッティ』として殺して?
もしも、わたしが戻ってこれたら、
この海の外でもう一度『シャルロット』って呼んで。
ビスコッティに綺麗な花を一輪買って、弔いを行った後、
わたしのことを、彼女の許へ送ってほしいの。
約束よ、イレギュラーズ――
諳んじた約束は、叶うわけないとミロワールは感じていた。
ビスコッティ・ディ・ダーマと言う妹を殺し、愛されぬ自分を恨むように魔に転じた愚かな娘。
美しい金の髪の陽に愛された妹を妬み嫉んだ魔種は『鏡』の性質を得ていた。
相手を映しこみ、鏡像を作るだけでは飽き足らずその心を変質させる。
イレギュラーズを映しこんだミロワールは『普通の少女の様に振舞った』。
その身は魔種であるのには変わらぬと言うのに。
その身は破滅を齎す存在であると言うのに。
その唇は聞こえの良い言葉を口にする。
まるで、特異運命座標を映しこんで自身も特異運命座標の様に振舞った。
再度、純種へと至る事は幾重もの奇跡を重ねたとて――彼女には不可能だ。
それは決定付けられた運命として存在している。魔種を元に戻すだなんて荒唐無稽な話、ミロワールとて「ありえない」と笑ったのだから。
「みて、此処にビスコッティが眠っているのよ」
それは小さな墓標だった。それを見下ろすミロワールの表情は何処かすっきりと明るい。
鏡の魔種は、生きているだけで破滅を齎す存在だ。
それが魔種(デモニア)と呼ばれる存在なのだから。
もう、放っておいても一人で死ねる。
だけど――
「約束、したでしょう? 花を一輪、ビスコッティに。
……それから、わたしのことを、彼女の許に送ってほしいの。
他ならぬあなた達だから、お願いするわ。……どうか、殺してほしい」
- ブラック・ベルベットの花葬完了
- GM名夏あかね
- 種別イベント
- 難易度VERYEASY
- 冒険終了日時2020年06月25日 22時10分
- 参加人数96/∞人
- 相談3日
- 参加費50RC
参加者 : 96 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(96人)
リプレイ
●
海風が吹く。薫風が頬を撫で、雲脚は速く、鮮やかな空を見せる。
海洋王国の小高い丘に、立っていた『魔種』ミロワールは自身がこうして此処に建てたという事実を噛み締める様に息を飲んだ。
「いやー、良い場所ですね! 絶好のピクニックポイントと言えるでしょう!」
ルル家はレジャーシートを準備して、早速とピクニックセットを広げる。火を使うことに定評ある彼女は全力で使用したお手製お弁当と買ってきたおやつを広げて「ほらほら」と彼女を手招いた。
「シャルロット殿! 座ってください! 拙者は友達と遊びに来たんですよ?
なんですか? その友達が乗り気じゃないなら拙者、張り切り損じゃないですか!」
友達。シャルロット。そう呼ばれることで目頭が熱くなる。ミロワールは、魔種は一人の少女のように笑みを浮かべた。
レジャーシートに腰かけたシャルロットの背後からそろそろと近寄ったセララは花冠をぽん、と彼女の頭にのせて笑みを浮かべる。
シャルロットの為に何かを、と思えば思い出作りだとセララは「シャルロット似合ってるよ、可愛い!」と人懐っこい笑みを浮かべた。世界からの贈り物で、彼女が出力する漫画はたくさんのイレギュラーズと幸せそうに過ごすシャルロットの様子だ。
「ねえ、セララ。この中ではわたしは笑ってる?」
「勿論だよ、シャルロット。ほら、ご飯もいっぱい食べて、今もたくさん笑って過ごそう?」
にっこりと笑ったセララの側でルル家は「あーん」とシャルロットへとおかずを口に運ぶ。
「どうですか? お口に合いました? これは幻想のマーケットで売ってて、こっちはー」
説明を聞きながらシャルロットは「これは?」と指さした。「それは――拙者の手作り」とルル家が照れたように笑えばシャルロットは「一番好き」とくすくす笑う。
「ひぃ、ふぅ……みぃ」
蜻蛉は花を編んだ。花畑に腰を下ろして、シャルロットとビスコッティへ送る為の花を。
その様子を眺めながら「きれい」と瞬くシャルロットは「わたしでも作れるかしら」と彼女へ問いかけた。
「清々しく終わりを迎える君に、手向けの花を」
レオンハルトは花冠を作っていた。魔種でもあり、傷を負った彼女はこの運命から逃れられないのだろうと彼は実感する。処刑人ではあるが、自身よりもきっと――彼女を殺すのにふさわしい人が居る筈だと今日は見届ける側に留まる。
「最期まで笑顔か……。変わった魔種……で片付けたくはないな。
俺たちが可能性の塊であるならば、いつかは戻せる者も……勇者ではないこの身でも、その希望をまだ、抱いていたい」
「……きっと、そんな未来があればいいわね」
シャルロットはそう、笑った。レオンハルトは花冠を手渡し、頷くだけだった。
「シャルロットと約束のピクニックっきゅ!
転寝する時間はないけど、最高のピクニックにするっきゅ!」
楽し気に笑みを浮かべたレーゲンにウェールは頷いた。折角だからと『約束のピクニック』の為にたんまり準備をしたのだ。
アンファングは家事全般や料理、メイドとしてのスキルを活かして楽しいピクニックの為の準備をしてきたらしい。
「おすすめ料理? ――は、そうだな。南瓜ペーストのサンドだな。
そのままでもいいが、ホイップクリームを一緒に挟むことで更に美味しくなるぞ。ウェールの作るご飯は大体うまいがな」
アンファングのその言葉に誇らしげ気なのはレーゲンである。シャルロットの皿の上にはオススメが並んでいくのだ。花畑から数本積み上げて小さなブーケを作っていたニャーは「シャルロット!」と呼びかける。
「プレゼントにゃ! え? おすすめの料理? ニャーのおすすめはカットステーキにゃ!
噛み切りやすいサイズのお肉はそのままでも肉汁がおいしいけど、ポン酢、デミグラスソース、オニオンソース、ごまダレドレッシングなど無数のソースで様々な味を楽しめるのにゃ!
……たまにお肉がぽろっと地面に逃げられると辛いにゃ」
「お肉って、逃げるの?」
首を傾げたシャルロットにニャーは「逃げるにゃ」と緊張したように頷いた。
小さく笑い、パーフェクト・サーヴァントはホットミルクをシャルロットへと手渡した。
「ほっとするぞ。折角ならば至高の呈茶スキルを披露したかったが……火気厳禁だ」
「じゃあ、『今度』――……いいえ、『また』」
シャルロットの唇から滑り出した言葉にパーフェクトが小さく瞬いた。シャルロットもぎこちない笑みを浮かべている。
「あ、ああ、おすすめは新鮮なサーモンに醤油とマヨネーズを混ぜた具材だな。
パンはもちろん、ご飯が凄く進むし、ご飯を酢飯にして手巻き寿司にしてもいける。
母上がよく面倒くさいから財布を考えずに手巻き寿司パーティーよー! と、父上に酢飯を作らせていたな……」
「手巻き寿司ぱーてぃー?」
「それも『また』だ」
シャルロットが頷いたその傍らからアステールがひょこりと顔を出す。「アスのおすすめも聞きますにゃ?」と首を傾げる彼にシャルロットは頷く。
「りんごのシナモン煮ですにゃ。このまま食べてもおいしく、耳なし食パンさんにホイップクリームと挟めばお手軽なデザートになりますにゃ。
よく母上が作ってて、父上はもちろん甘すぎる物が苦手な兄上も大好きなんですにゃー」
「おいしそうなのね」
「皆、シャルロットとおしゃべりしすぎっきゅ! レーさんの番っきゅ!
苺と生クリームのサンドをシャルロットにお勧めするっきゅ。
練乳をかける事で甘いもの好きは幸せになり、苺が好きなら苺を好きなだけ挟めばいいっきゅ。
シャルロットの為のピクニックだから好きに食べるっきゅよ!」
レーゲンたちの『おすすめ』を聞きながらウェールは「おっと、なら俺もお勧めしないとか?」と揶揄った。勿論、お勧めの具材もオーソドックスなおにぎりも準備済みだ。
「俺がおすすめする具材は照り焼きチキンだな。
コンビニのをよく食べてたら、梨尾が、俺の息子が幼いのに頑張って作ってくれてな。
でもおすすめされた奴よりシャルロットが好きな物を食べていいんだぞ……ただし食べすぎには気をつけてな?」
まるで父の様に微笑みかけた彼にシャルロットはぱちりと瞬いた。アステールははっとしたように空き皿をシャルロットへと握らせる。
「シャルロットさんの好きな具材はウェールさんが用意したのにありますかにゃ?」
「全部、少しずつ貰おうかしら……?」
首傾いで、少しずつ食べ始める。その様子を見てから、レーゲンはぎこちなく笑った。
「レーさん神は信じてないけど輪廻転生は信じてるっきゅ。
季節の流れのように終わりは始まりっきゅ……レーさんすごく長生きだからいつか必ず会いに行くっきゅ!
今度は遊園地行ったり、皆でばーべきゅーしたり、シャルロットの来世に必ず会いに行くっきゅ!!」
「……ねえ、なら『また』おしえてくれる? レーゲンの楽しいを」
シャルロットその言葉にレーゲンは頷いた。ウェールは「レーゲンもう一つあるだろ?」とぽん、とその頭を撫でる。
大好きと、ありがとうと、またねを込めて。ぎゅ、とシャルロットを抱きしめる。皆でぎゅうと抱きしめ合った温もりにシャルロットは小さく笑った。
離れて言ったそのぬくもりに僅か感じた寂寞に、ルル家はおいで、とシャルロットを手招いた。
「大好きですよ、拙者の友達、シャルロット殿」
「……わたしも、だいすきよ。大切なお友達」
ポロ、と涙がこぼれた事をルル家は知らないふりをした。抱きしめた、そのぬくもりをまだ感じて居たかったから。
死なない未来を願った。抗えた。あの絶望を越えた自分たちなら。抗える。
――けど、それ以上はどうしようもなくて。結局、自分は何処まで役に立ったのだろう。
「なぁ、シャルロット。そういやお互い戦場以外で会えたのはこれが初めてだよな?
前からちゃんと食べてもらいたいもんが合ったんだよ。まだ、食べれるか?」
「いくらでも」
自然に笑うようになったものだ、と零は瞬いた。きっと、彼女が少女として生きている瞬間なのだろう。
「……ほら、フランスパン。後はイヌスラ型クリームパンとか。
バリエーションが少なくてわりぃな……ホントはもっと色々食ってほしかったが。
ほら、花畑の中で食事ってなると……ある意味花見になるかな? なんて」
「お花とパンっていいものね」
くすくすと、笑う彼女に零はそうだな、と呟いた。黄色のメランポジウムを、そっと彼女の手に握らせる。
往ってらっしゃい、なんて言えなかった。見届けなければならない。もう、その笑みとのサヨナラがくるのだから。
「ほぅ、ここは綺麗な花が咲くのだな。シャルロット、花は好きか?
もう、残りは少ないのだろう。誰かがやらなくても、いずれは……
俺はシャルロットを守れたか? 守りたいと願ったものが死に行くのは、どうもつらいな」
「大丈夫?」
「……俺は大丈夫だよ。シャルロットは平気なのか? もっと先を見てみたいと願わないのか?」
フレイにシャルロットは頷いた。大丈夫、と。
「わたしが見れない世界を、あなたが見てきて欲しいの」
「なぁ、できるならシャルロットの生きていた証をくれないか。
髪でも、何でも良い。アンタの一部を持って、この先に連れていってやりたい」
シャルロットは瞬いてから、フレイに「わたしは、どうしたらいいか、分からないけれど」と小さく呟く。
「花を、持って行ってくれないかしら。わたしの花。フレイが選んでほしいの。夜の色の花がいい。
それをね、……それを常に持っていて。わたしに、沢山の世界をみせてほしいわ」
そうやって、不器用に、シャルロットはフレイへと微笑んだ。
「約束を果たしに、か。もう永くはねぇんだろうな。
せめてもの弔いだ、お前の事は覚えておくぜ、『シャルロット』」
そう笑ったシュバルツにメルトリリスは頷いた。こんな光景、天義では目の当たりにすることも無く、惡を是とする光景は自身の中にある価値観さえも揺るがされそうなのだ。
「……魔種って、なんでしょうかね。シュバルツさま」
「世界の敵。破滅を齎す存在。それに違いはねぇさ。
でも、全員が全員、最初から魔種だった訳じゃねぇ。
運命の悪戯に巻き込まれて、或いは自らの意思を以て、あちら側に立つことを選んだ一個人。
白か黒かで切って捨てるのは簡単だ。でも、俺らは向き合わなきゃいけねぇんだろうな」
「……彼ら魔種のことを生涯の敵として見ておりましたが、別の視点から見たことあったかしら。
彼等も等しく幸せになる権利はあるはず、事実、目の前で繰り広げられてるのが全てだわ。
でも、彼等が不幸にしたものたちが返ってくるわけでも無いから複雑だなぁ」
魔種の事を何も知らずとも、それを悪と断ずることが国の、そして神の御意志だったのだから。
メルトリリスは声を潜める。彼の服をそっと握り、囁いた。
「シュバルツさま、私が堕ちたら助けなくていいからね」
さちあれかし。光を失いつつある自分は、今、世界で一番残酷な女だ。
「ばーか、何言ってやがる。堕ちる前に引っ張り上げてやるから安心しとけ。
もしも堕ちちまったらその時は……付き合ってやるさ、最後まで」
「馬鹿……っ、どうしてそんなずるい事言えるのよ」
狡い、と絞り出してメルトリリスは俯いた。今は、顔を上げることができないから。
●
海を見下ろして、蜻蛉は作った花冠をそっとその手から投げる。
「うちから……なんて、受け取ってもらえんかもしれへんけど」
薔薇をその腕に抱いた慈愛の乙女。海で果てたあの人へと――
もう少しだけ、もう少しだから。あの人の遺された時間をくださいと。悔いも無くそっちへ送り出したいと。
「――貴女の事を好きなままでええの、生きてさえくれとったら」
ざあ、と風が吹いた。まるで蜻蛉に「うそつき」と揶揄う様な夏の蒼い風が。
「嘘が混じっとる? ……ん、そやね。うちは、ずっとその妬きもちを隠していくつもり。
――でもね、貴女を想うあの横顔が好きやの、ほんまに……呆れるわ」
自分にも、それから、あの人にも。それで……『あなた』にだって。
「やから心配せんで、これからも命をかけて守るから」
二人から愛されるなんて、狡くて、そして、悪い人でしょなんて揶揄うように笑った蜻蛉に頷くように風は吹く。
あの海戦の最中にラダは旗を一つ預かった。紅雨の中で変異種となり果てても尚、戦っていたあの男からのものだ。
――あ、だ……は、た、を……
陸にもっていくものを。そう問いかけらラダはラムを一瓶片手に青き瞳の男の墓へと向かった。
遺体も遺品も水底。形ばかりの墓の前でラダは「海向こうへ連れてくと言ったが国に戻ってきたことは許せよ」と言った。
「まさか竜が出て来るとは思わなかっただろ」
本当は旗を墓に納めるべきなのだろうとは思う。だが、『約束』は果たせていないからこそ、今日は下見だ。
「次にこの墓に来る時、私は20歳になっているかもしれない。その時は一緒にこのラムを飲もう」
瓶を揺らし、ラダは笑った。その約束が叶う時に――お前の名を、知れるかもしれない。
誰とも知らない墓へと花を添えた。アンナは一人物思いに耽る。シャルロットには皆が十分声を掛けるだろうからと、見送るくらいがと丁度いいかと空を仰いだ。
水平線を追いかける。あの場所で、多くの船が沈み、幾人もの戦友を失った。
そして今、また一人逝こうとしているのだ。家族にも友人にも、自身は何時だって誰かの犠牲の上で生きているとアンナは実感した。何かを託されたわけではない、けれど、残されて行った。
残されたことに何か意味があったのだろうか――そう考えずには居られない。
「そろそろかしら。さて、いつまでも考えてないで笑って見送らないとね」
答えは出ない。まだ、分からない儘。だからこそ懸命に生きて、懸命に、戦って。ずっとその答えを探していくのだろう。
相容れぬと断ずる者、侵され憤る者、憐憫や慈悲を以て見送る者。
(――何れでもないオレは「綺麗」と告げられた焔として、死出の道を照らし最期を見守る)
綺麗な炎だと、シャルロットは言っていた。その言葉にウォリアは驚愕を覚えた事だ。
只の本のひとかけらでも『見せたかった場所』が此処と同じだと彼女が心に留めてくれれば、それで充分だと仲間たちをウォリアは見守った。
彼女の妹の墓には花束を。そしてその中から一本をシャルロットへと手渡そう。
紛い物であろう共、至る道に『悪』があろうとも、滅海竜を打倒する一助だったのだから。
「……オレが喰うべき業深き魂は此処には無い。
射干玉の娘よ、嫉妬の軛から解かれ……安らかに眠れ」
ヘリクリサムの花輪を捧げてヨタカは武器商人と共に祈った。
彼らの知人も命(モノガタリ)を終えてしまった者も居る。それは、少し寂しくて、そして『何時もの事』なのかもしれない。
「今回の大戦は海だったから、白鯨の君……昔のトモダチのことを思い出してしまったね。
全ての命は海に還るから、なかなか死なない我(アタシ)もいつか海に還るって……この世界も同じかなァ?」
そう呟く武器商人をちら、とヨタカは見遣った。その視線に応える様に武器商人は口遊む。
「だから小鳥、我の可愛い小鳥。一緒に歌っておくれ。命を終えたコたちへ労いを。
果ての無い命へ慰めを――おかえり、おかえり。海はいつでも、あなたがかえるのを待っている」
奇跡を奏でる様に、ヴァイオリンを手にヨタカは歌う。海へと散った英雄たちへの鎮魂歌を。
この音色は――あの海の向こうへと届いているだろうか?
「リリーはアクエリアに行くよ。……やりたい事が、あるの。
確かにミロワールさんの最期を見守るのも良いけど……狂王種だって、あの海に生きていたんだもん。……せめて、安らかに眠れるよう、祈らなきゃ」
アクエリア。その場所に訪れた戦火はもう拭われた。だが、それでも『死は等しい眠り』なのだから。
「アイランドタートルだって、カイトさんやそのお父さんの敵だったモンス・メグだって。
これまで、皆が倒してきた……どれも、安らかに眠る権利ぐらい、あるよね?
……そして、海の神威、リヴァイアサンも、水神様も。……死んではないけど」
誰も彼もが傷を負った。そして、その傷を抱えているのだ。だから、リリーは願う。
「ごめんね。……せめて安らかに、眠ってね。……おやすみ、皆」
目を伏せる。吹く風は心地よく、アクエリアにも新たな可能性が存在している気さえさせた。
お酒と花、それから海辺で拾った綺麗な鳥の羽を手にしてアーリアはアクエリアで佇んだ。
シャルロットを受け入れられない儘、複雑な気持ちを抱えてアーリアはその場に立つ。
酒を海に流す。これは、船乗りの皆へと――「痛かったでしょう、辛かったでしょう」
花と、鳥の羽を流す――「これは、その命で私達を守ってくれた仲間へ」
あの豪快な笑い声が耳から離れない。あと数年したら、大人の『洗礼』を浴びせてやると揶揄ったのに。
「……おやすみなさい」
呟く。叶わぬ願いと、訣別するにはまだ、時間が必要だ。
名前も知らぬ海賊、歴史に名を刻まぬ夢追い人。海に散っていった彼らの墓を作ろうとゼファーは潮の香が鼻先擽る浜で石を集める。
呑気にも見えたその空気は今は違った風に見えて。名を知らないばかりか、顔までも朧げな奇妙な共闘を思い返して何度も石を積んだ。
絶望と呼ばれたそれ――ゼファーはゆっくりと顔を上げる。
「だけれど、其れを拓いたのは、奇跡と希望と、勇気と夢と……
なら。もう絶望なんて名前は似合わないと思うのだけど――貴方達はどう思う?」
きっと、絶望なんて呼ばれやしない。もっと素敵な名を冠することになるのだろうという予感を抱いて。
「そういえば……アクエリアや、その周辺に居た、ほかの魔種や、狂王種たちは、どうなったのでしょうか……?」
ノリアの疑問も尤もだ。あまり深入りするつもりはないけれど、と昏い深海を青白いランタンを揺らして進み往く。彼女の疑問は尤もだ――今後、その周囲は海洋王国が統治する海域になるだろうが、総てが全て死滅したわけではないのだろう。
深い海に沈んでいった薔薇の遺骸を思い縁は目を伏せる。久しぶりに――22年も経ったか――その変化を解いて海の中を漂う縁の喉奥からは言葉が漏れ出した。
――ああ……ようやく、終わったのか。
首を絞められたあの感触がまだ両手に残っていた。胸を抉られた痛みに、死にたくないと叫んだ声。
懐から取り出した泪型のサファイア、小さな形見。彼女のいのちの証。それを握り込んだ手の甲を額に当てた。
思い出せば短くも幸せだったあの日々が巡る。身勝手な理由で、彼女の人生を狂わせた。
(忘れねぇよ。――この先一生……何があっても、絶対に。
……ああ、ここが海でよかった。年甲斐もなく泣いたって、誰にもばれやしねぇから)
●
人間と言うのはどうせなら、自分を好きだ考える奴らに囲まれて死にたいものだ。
それはヒトであろうと魔種であろうと何も違いはない。グドルフは静かに息を吐く。
「なあ――お前もそうだろ? オクト。
聞いて驚け、絶望の青の果てには島があった。
見た事もねえモノ、知らねえモンで溢れる浪漫の島だったぜ。悔しいか? なあ」
けらけらと笑う。丘の上、ただの一人で潮騒を聞きながら。山賊は語り掛ける。
「結局最後まで魔種として振る舞う事なんざ無く、世界を救う為に戦った自由な男だったよ。
お前の兄弟もな、最初はお前を連れてったクソ野郎だと思ったが――俺の為に死にやがって……兄弟揃って馬鹿野郎が」
凪ぐ風がグドルフの手にしていた紙片を煽る。其の儘、その手を離せばそれは海を辿るように飛ばされる。
「こいつは返すぜ。こんな紙っキレ、使えもしねえ……期待だけさせやがって」
くしゃくしゃの馬券は『期待外れ』だったが、博打もたまには悪くはない。
只、当たる事が少ない事は確かなのだという感想だけをその胸に遺させて。
「お前は良い友人だったよ――じゃあな」
その場所には、誰も眠らない。
その場所には、何も入らない。
ただ、それを知りながらプラックは墓を作る――作りながら、唇を噛んだ。
「本当に死んじまったんだ……もう会えないんだって、会え、ないんだってよ……」
その言葉を聞きながら、クレマァダは国にはもっと立派なものが作られるだろうと認識しながら墓を掘った。作らなければ、認められない。作らなければ、『分からない儘だ』
「実感、湧いたらさぁ……同時に……無力感とか悲しさとかで頭ん中ぐちゃぐちゃでよ。
なんつーか、前に進むのも億劫なくらいには心が折れちまったよ」
ぽつりぽつりと言葉を漏らすプラックのその言葉を聞きながらヨハナは立っていた。呆然と、手渡された花一輪を握り占めて。
「ヨハナ、あの時。意識がなかったんです。知らなかったんです。
ヨハナ、どうして。ここにいるんですか。なんのために花を握ってるんですか。
クレマァダさん……? クレマァダさんは、どうしてなんですか」
ヨハナの言葉にプラックは息を飲む。ぼとぼとと落ちた涙が土へと吸い込まれて行くだけだ。
「これを捧ぐと認められないことを認めてしまいそうです。これはどういう気持ちなんですか」
「――――ッ、戯けが、今の貴様らであれば萎れた昆布の方がまだマシじゃ!!」
クレマァダは怒鳴った。叫んだ。同じ顔でも、決して似ていない『顔』をして。
「『ハナちゃん』じゃったかの」
「ヨハナ。未来人です。この時代の人間じゃないです。
この時代のことはこの時代の人のことで、ヨハナは主体ではなくて……
確かにカタラァナさん友達で。ヨハナの話真面目に聞いてくれて……」
「我(カタラァナ)は死んだ。もう話さぬ! 笑わぬ! 歌わぬ! 先ずそれを認めよ!!
例えお主が未来人だとて、人は神の目を持つ観測者にはなれぬ。
せいぜい己の世界を守るので手一杯よ。それを繋げて初めて人の世は成り立つ。
じゃから、哀しい時は、哀しむべきなのじゃ。浜に打ち上げられた海驢の様に無様な姿を晒すのはやめよ」
ふい、とクレマァダは顔を逸らした。悲しい、とヨハナは何度も繰り返す。
悲しい――? ヨハナは呆然とその言葉を口にしたままにクレマァダを、プラックを見つめている。
「だってのに、はぁ……クレマァダさんは強ぇな、本当強ぇ。
なら、俺も……俺も、前だけは向くさ。後悔はずっと残っちまう。前までの俺には戻れない」
目ん玉、見開いて、『彼女の知ってる顔』して笑うだけだ。
――嫌われちまうのは、嫌だからな、かかっ。
「愚か者。我は強くなどない。お主の見えぬところで大泣きして済ましただけじゃ。
が、立ち止まるのは、あれの嫌った停滞じゃろ? ……久しぶりに、歌うかの」
泣いて、泣いて。それから、前に進む。漂うように。
決して似てはいない顔をして、同じような歌声で、違う歌を歌って見せる。
コン=モスカの『次代』はふたりでひとつだった。だからこそ、停滞の澱より抜け出す様に。
「でも、いままで沢山人が死んで、死んだのに、どうしてこの人だけ特別である必要があるんです。
ヨハナにとってのなんなんですか。クレマァダさんはなんなんですか」
――そして今も約束も、1文字も用意できずにいる。ぐるぐると。
歌声だけが、落ちていく。何も、見いだせないままに。
●
「俺は君達の人生を肯定しよう。
出来ることなら生き延びて次の舞台を見せて欲しかったが……うん、これはこれで良い終わり方じゃないか。こんな美しい景色を見せられたら、そう言わざるを得ないよ」
咲き誇る花々を見つめながら稔と虚は只、美しい海原を眺めた。海洋王国側の船で戦い、救えなかったいのちは数多い。
だからこそ、人々の死に対して感謝と祈りを込めたのだ。シャルロットの最期だって見届けよう。
常世の国でなら、きっと彼女の罪は洗い流せるはずだ。願わくば、再び清き人となるように。
「……この絶望の最中でなくなった人のために何かしてみますか」
ベークは、死に一番近かった彼は、そう言った。ネオ・フロンティア海洋王国に住んでいる者を好ましく思っているかと聞かれれば『どうでもいいや』に落ち着くのだが、この海を共に戦った者達の事までもそのようには扱えなかった。
「……僕がもっと強ければ、呪いなんか跳ねのけられるくらい頑張れたら。
もっと被害は少なかったんでしょうかね……まぁ、嘆いたも始まりませんし、適度に弔ったらまた『先』に進むために頑張りましょう」
それが、歌った彼女への、名乗りを上げた彼への、貫いた彼への、そして最後まで海を駆けたあの人の手向けになるはずなのだから――
「ここが、シャルロットさんの……最期の、場所……。
一緒に戦ってくれた、あなたが……この先に、一緒にいけないのは、残念です、が……仕方ないのです、ね」
フェリシアはぎこちない笑みをシャルロットへと浮かべた。此処から先に――そう願う者は無数居た。しかし、シャルロットはそれを是とはしないだろう。
――私が生きることで、この世界に破滅を、そしてローレットに不和を生むのは避けたい。
それが、彼女が映したイレギュラーズと云う存在だったのかも知れない。
「……どうか、あなたの行く道が、良いもので……あなた自身が納得の行く形で、ありますよう、に……」
フェリシアはビスコッティの墓の掃除をお手伝いします、としゃがみ込む。きっと、きれいな方がいいでしょう、と水を浴びせれば、草を毟る。誰も、此処に訪れていないことを嫌と言う程に感じたから。
「ビスコッティさんの墓、きれいにしてやらないとな。できるだけ、だけどさ」
そう呟いたチャロロは背後に立つシャルロットに静かに声を掛ける。
「シャルロットさんにはみんな助けられたよ。
あのとき、きみがオイラたちのために力を使ってくれなかったらどうなっていたことか……」
「わたしも、こわいわ」
皆が死ぬ事が、と囁くその声にチャロロはぐっと息を飲んだ。
「……綺麗な花、いっぱい見える…所。おれの、大切だった……場所に。よく、似てる。
前に…会った時、よりも。優しい"音"がするね……ミロワール。
迷宮の中で……伝えた事、覚えてる?『傍に逝きたいと願う、なら。手伝うことは……して、あげる』って。ささやかな事…だけど。約束は、叶えたい……から」
チックの囁くその声に、シャルロットは頷いた。『愛しい人』と過ごした花畑――それはチックにとっては美しい夜空であったのかもしれない。今は晴天が広がるそれの中、チックは花を捧げた。
「おやすみなさい、は。きっと……沢山の人が、伝えてくれる」
だから、自身は遠い昔に聞いた旋律で安息の祈りを伝える様に、シャルロットを送り出すのだ。
――良き旅路を。
旅に出る。そう口にすればスティアはぎこちなく笑った。譬え、どれだけ悲しくともその涙があふれてはシャルロットの往く道に影を残してしまうかもしれないから。
「ねえ、まずは戦いでのお礼を言っておくね。
貴女のお陰で救われた人も多かったと思うから……その身を盾にして皆を守ってくれてありがとう。私もそんな風に皆を守れるようになりたいって思ったよ」
「あなたなら、なれるよ」
まるで友人の様に、シャルロットは笑った。スティアは小さく頷く。彼女は、天義で生まれ『魔種の両親』と相対した彼女は、魔種の最期を辛い程に知っている。
彼女のこれからも。だからこそ、一輪の花を供えて聖職者として祈るのだ。
――あなたの罪が赦されますように。
――あなたの魂に祝福があらんことを。
それが、自身にできる最後の手向け。魔種であれど、大切な仲間だったとスティアは彼女に笑みを浮かべる。
「どうせ俺達がここで何かを起こさなくても自ら命を絶つのだろう?」
エイヴァンはそう、問いかけた。この魔種はどのみち最後は自身の死をもって『物語』を終わらせるつもりなのだ。だからこそ、此処で手を下すかどうかは彼には選択肢にはなかった。
「……だが、一人で死なせるのは些か酷というものだろう。
誰かに看取られない最後なんてものは、今の彼女に迎えさせるべきじゃない」
だからこそ、こうしてイレギュラーズがこの丘へと辿り着いたのだろうか。
魔種であるだとか、彼女が自身らを救っただとか、相容れない存在だとか。思想も、存在も。
様々な思惑を抱くものが居る事をエイヴァンは良く知っていた。
「……まあ、敬意をもって彼女を送り出せないのであれば意味はない、
決して憎しみで彼女を討ったとしても、その魂は妹の元には届かないはずだ」
だからこそ、今は、誰かに任せようとエイヴァンは成り行きを見守った。吹く風は心地よい。
「シャルロット、私達を信じてくれて、守ってくれて、ありがとう。今度は私達の番だな」
ポテトはたくさんの花を見て欲しいと少しずつ選んだブーケを作ったのだと微笑んだ。
リゲルの用意したピンクのスターチスをシャルロットへと手渡した。「花言葉って分かるか?」とリゲルが問いかければシャルロットは首を振る。
「花は意味を持つんだ。この花の言葉は永久、不変、一途、途絶えぬ記憶――シャルロットを通じてビスコッティも忘れられない人になった」
ビスコッティの元へと花を捧げに行こうとリゲルはシャルロットを誘った。
ポテトがビスコッティへ送るのはプルメリア。シャルロットの『陽だまり』の貴女へ。
そして、シャルロットへはシオン――君を忘れない。エーデルワイス――大切な思い出。ミモザ――友情。それから、それから。
「私はシャルロットと出会えて良かったし、大切な友人だと思っている。……沢山、有難う」
花を抱えて、シャルロットは微笑んだ。ビスコッティも喜んでいるわ、と。
その笑みを見て、リュカシスは唇を噛んだ。自身は軍人だ、殺せと言われたならば殺すべきだ。それが冷徹な軍人の姿なのだから。
「シャルロットサンのお願い、自分には……お手伝いできません。
だって、あなたは生き残って、土の上に帰って来たのですから……」
これは自分の我儘だと、今、その場所で華を抱えて笑っている彼女を殺すなんて、できないとリュカシスは息を飲む。
「――奇跡が続くことは、できませんか?」
その言葉に、シャルロットは首を振った。ごめんなさい、とも言わずに。
「ありがとう」
ただ、笑う。リュカシスは抱えた華を手に笑みを返しただけだった。
「そうだった、きみは……
最期に『ありがとう』と『さよなら』を言わせてほしいな」
チャロロは息を飲む。ぐ、と『その時』が来ることから目を逸らさぬ様に、今は泣かないように。
泣き顔なんて、彼女を見送るのには向いていないから――泣くなら、最後に一人で、でいい。
嗚呼、その様子は何と哀しいのだろうか。四音はふう、と息を飲む。
いろいろなことがあった。それこそ、途方もない犠牲を孕んだ戦いの終着点だ。
「山あり谷ありのハッピーエンドでちょっと悲しいこともある。
そんな良い物語となったと思います。おいしいって言うんでしょうか?
こうしておしまいまで見届けることができて私としても嬉しい限りですね」
うっとりと、微笑む。人の紡いだ命の軌跡が意味ある記録や記憶として残る瞬間はこれ程までに素晴らしい物か。
「結末が『綺麗』で、貴様等が物語を成し遂げたならば。
私は此処で『別れ』の言葉を紡いでも構わない。されど『存在』よ。
鏡の如く映して在るのか。貴様自身で染まったのか。その所以を晒して魅せ給え――最も、私が云々と垂れ流す事は無いか。葬送の温もりに溺れて終えよ、貴様」
オラボナは殺されることを選択した『物語』へ祝福を、そして、上位存在が与えた『終幕』に夕餉をと告げた。
此度の主役は誰であるか。そんなものはオラボナには必要のない情報であった。何故ならば、自身はそこに佇む壁に他ならぬとオラボナはいう。――嗚呼、羨ましいかな大団円。
ミロワールの最期を見届けると黒・白は『同胞』の墓所の掃除も行った。ただ、見守ることが今は必要な事だからだ。
「シャルロット君。戦場では本当に世話になったね。本当にありがとう……。
君のことはずっと戦友だと思っているよ。絶対に忘れない……。約束だ」
マリアは厳粛にビスコッティの墓を参り、その後シャルロットを敬意をもって見送ると言葉を以て彼女に礼をした。
「わたしも、マリアのことは、戦友だと思ってる。格好よかったよ、ばちばちって、赤い光が走るの」
子供の様に、楽し気にそう言ったシャルロットにマリアは笑みを浮かべた。
出来れば苦しみなく、そして、眠るように逝ってほしい。そう願うマリアはシャルロットに微笑んだ。
「君に安らぎと許しが……そして幸福が訪れることを祈るよ……」
そう、誰もが終わりを見守る為に、来た。リコリスは『絶望の青を巡る大きな悲劇』の最期は彼女なのだと、息を飲む。
そう思えばこそ、涙がつう、と彼女の頬を伝った。皆を守ってくれた、彼女。人を守った人、この海の為に死んでいった人。リコリスはの泣き声は響き渡る。まるで――空が泣いているように。
セイラの言葉は一部は真実もあった。心を抉るようなその言葉だった。
――彼女達が憎くはなかった。でも、恐ろしかった。
「だから『シグ』は、ううん『私』は『シグルーン』に逃げ続けた。
周りの人に自分はカオスシードと云う嘘を肯定してもらって。
きっとシグはセイラと同じことしてた。ただ相手が鏡だったか否かだけ」
シグルーンは『両方の脚』で地面を踏み締める。人魚姫は泡に溶ける、けれど。
「ねぇ、シャルロット。だから、鏡の魔種である貴方に誓うわ。
私、もう嘘は吐かない。魔種に誓うなんて変かも知らないけれど。
私はカオスシードじゃない、陸の人魚(ディープシー)だ」
「……もう逃げないの?」
シャルロットはそう言った。逃げ癖なんて、もう必要ない。癖になるのも嫌だった。
カオスシードだなんて自分を偽る事もやめた。シグルーンは――『ジネヴィラ・インディアクティス』は身分証明書を破り捨てる。カオスシードと、シグルーンとそう刻まれたその書類を。
頼々は遠巻きに鏡の魔種の最期を見届けることにした。それは、魔種とも言えども彼女は此度の功労者であるからだ。彼の中にある『価値観』に置いては魔種は『鬼』だ。しかし、鬼であろうとも、感謝を忘れてはならぬ存在ではある。
(どのような事情であろうと、鬼(ましゅ)は捨て置けん。
もっとも、あの鏡のと我は戦場で一度相対した程度の縁しか持たぬ。
全てが終わったその時は、散っていった者達に花でも供えるか)
もしも、彼女の命が潰える事が無ければ自身が、と刃に手を添えて、只、それを見つめ続ける。
●
眠りを求めている彼女の為に、ジルはシャルロットの墓を用意したいと乞うた。
賛同する義弘はビスコッティの墓の隣に眠らせてやろうと墓穴を掘り進める。ざり、と土の音を聞きながら海風に攫われる花弁を見つめた。
人は死ねば皆仏だ――尤も、混沌に仏がいるかは分からないが。死生観の上では彼はそう考える。
どのような悪人でも、魔種と言う存在だって穏やかに眠る事を妨げるべきではないだろうと。
只、誰かを恨むことを彼は否定はしない。それでも、墓は。その場所だけは守ってやりたかった。
「――――」
ナハトラーベは黒衣を身に纏い、手には白手袋を。葬儀屋のように振舞って、佇んでいた。
シャルロットの生前葬。それに協賛する同胞たちを見る。人であれども魔種であれども、死を慈しむに区別をしないのが彼女の矜持であった。
おめかしをして、馬車に乗って、それから、それから。12時までのケチはなしだと成り行きを見守った。
馬車の蓋を締める時には嚠喨たるbeginning bellで、新しき旅路を祝福してやろう。
錬にとって、初めて来た戦場があの海で、魔種に取ったってマリアとミロワール、そしてアルバニアしか見ていない。故郷を滅ぼしたくないからと必要あれば殺すためにと戦いに身を投じた――だが、直せた船は少なくあの光の奔流を前にすれば力不足を痛感した。
あの鏡は、自身よりも誰かの命を救った。だからこそ、彼女に対してしっかりと『送り出す』準備をしてやりたかった。
「因縁もなく以前に何があったかも知らない俺だが、あの海での出来事は称賛に値するだろう。安らかに眠れ」
万華鏡を共に、と錬は用意していた。鏡の少女は未だ、年端も行かないようにころころと笑うのだ。
ジルは暗色系のおしゃれなリボンをたくさん用意していた。裁縫道具や縫合に仕える医療道具もだ。
それは、シャルロットが『約束』を果たした後の為だった。傷口は血止めと防腐処理を行ってから可能な限り縫合して包帯で隠してやりたい。
折角の可愛らしいドレスは出来るだけ直してやり、隠し切れない外傷はリボンを巻いてやりたかった。
それが『癒す事の出来ない』自分が彼女へ向けて与えられる唯一の癒しだからだ。
「シャルロットは化粧はしたことは?」
「一度だけ、セイラの真似をしたとき」
その言葉にジルは笑みを零した。なら、もっと、可愛くしてあげましょう。流行りのルージュにチーク。少し背伸びした女の子になりますように、と。
「雑草まみれのままじゃあ海も空も見えねぇしな!」
ゴリョウは散々世話になったとシャルロットに笑みを浮かべた。一つくらい借りを帰しておかねばゴリョウ・クートンの名が廃ると彼は竹の籠を腰に下げ、ねじり鎌を片手に雑草毟りにいそしみ続ける。
土を均等に整え、看取りにしろ眠る場所にしろ、綺麗な方がいいと淡々と場を整え続けた。
その方が眠る者達も安心する、そして、自身とて荒れ地に眠らせるのなんて趣味じゃないのだ。
「ミロワールがビスコッティと向き合うのに汚れたハカバじゃ寂しいからね」
頷いて、イグナートは微笑んだ。魔種であったカノジョに変わることを求めた自分だって責任の一端を担っている。だからこそ、此処に来た。だからこそ、見送ろうと考えた。
「ミロワールはビスコッティのソバでも大丈夫? ビスコッティは嫌がったりしない?」
心配そうにそう問いかけたイグナートにシャルロットは「だいじょうぶよ」と囁いた。
「けど、わがままをいえるならね。お花を一輪、植えて欲しいの」
「ドウシテ?」
「……みんなとはなれるのが、さみしいから」
その言葉にイグナートは頷いた。墓守もきちんと手配しようと約束するようにその胸に誓って。
アリアはどんな別れであっても残される側は辛いのだと、だから、ミロワールを弔う為に遺志に文字を刻みたいと準備を続けていた。
――ミロワール、或いはシャルロット。ここに眠る。
願わくば、彼女の『望み』が明日の可能性を照らす光であらんことを。
花畑の花で作った輪を二つ。それはシャルロットと、ビスコッティへだ。
――漣と蒼天の大いなる腕に抱かれ、ビスコッティ・ディ・ダーマ、ここに眠る。
「ビスコッティは気にいってくれるかな……?」
「きっと気に入る」
ルカは大きく頷いてから、シャルロットに笑い掛けた。まるで、普通の友人の様ににんまりと微笑んで。
「ようシャルロット。どうだこの石? 気に入ったか?」
「選んでくれたの?」
「そりゃ、みんなでな」
にぃ、と微笑んだルカはシャルロットに「本人が気に入らないと意味ないだろ?」と揶揄うように告げた。
「色々考えたけどな。結局本人が一番嬉しいのが良いよなぁと思ってなぁ。どうだ? なんか希望あるか?」
「こんなに、しあわせでいいのかな、っておもって」
「――ハッ、そりゃよかった。んじゃ、またなシャルロット」
わしわし、とその頭を乱雑に撫でる。髪の毛がぐしゃぐしゃになる、と騒ぐシャルロットにルカは笑い掛けた。湿っぽい別れなんて苦手なのだ。
「私、あなたのことは良く知らない。でも、あなたがくれたあの希望は目に焼きついてる。
私は前に居た世界で、絶望してた。復讐が終わって空っぽになって、どうしたらいいか判らなかった」
イルリカは花を暴徒眺めながらシャルロットへとそっと言った。
あの花は何というのか分からない。けれど、どこか美しい夜の色をしていた。
「そんなときにこの世界に来て、思い出せた。私にもあこがれた翼があったことを――あの海で起きた奇跡を見て。
私がこっちに転移してきたみたいに、あなたにもそんなひょんなことが起きないかなって思ってる。あなたのココロの行く末に、幸福がありますように」
幸福を願うイルリカにシャルロットは「あなたも、しあわせでありますように」と小さく囁く。
「お花の名前、ですか。よろしければ、私が解説致しましょう。咲いて居る花に、蘊蓄に、それから……」
エルシアは考えた。もしも、シャルロットが普通の少女であったならば、きっと花の名位は諳んじていたであろうと。普通の少女として最期を迎えることを選んだ彼女には、花の名を教えてやらねばならない、と。
エルシアは語り続けた。シャルロットを振り返る事はない。これは、あれは、と次々に花の名を教えるのは、一度は仲間であった彼女をこれから失うことへのどうしようもない哀しみからだ。まだ、村の皆や契約精霊ほど死別には慣れていない。
彼女は今から死ぬらしい――今から、それも、この目の前で。
●
「その手の花はルリトウワタかな。綺麗だね。赤子が生まれた時や、結婚の時によく贈られる花だ」
柔らかに、ルフナはそう言った。無責任に死んで欲しくないとか、奇跡は何度でも起きる筈だよ、とはルフナには言えなかった。
美しい花畑で、彼女が眠りにつくまで傍に居たいと、花を摘む。
「君は自分勝手に家族を殺した悪者だし、魔種だ。
罪滅ぼしなんてできっこない。でも、僕らの命の恩人で、大切な友達だからさ」
ルフナはそっと、彼女の手を握った、花畑の中、薫る香りがどこか心を安らがせるから。
「廃滅に蝕まれた体と一度は絶望した心でよく生きたよね、頑張ったね。
休んだって誰も文句は言わないさ。願わくば、その瞬間までの間だけでも君が苦しまずにいられるように」
「……ありがとう」
そっと、彼女へとニアは近寄った。色々考えた。色々考えて、そして、最後はやっぱり約束を果たすという結論に行きついた。
「花も持ってきたよ。
こっちがビスコッティの分で、こっちがあんたの分。一緒に持っていっておくれ。
……頑張って選んだから、お気に召すと良いんだけど」
「気に入らない――って言うと思う?」
悪戯っ子の様にそう笑ったシャルロットに「なっ」とニアは息を飲んだ。む、としたニアが可愛らしくてシャルロットはくすくすと笑う。
「それと……あたしは、あんたの事を覚えておくよ。ま、あたしなんかが覚えて無くたって、あんたは誰もが忘れられないぐらい活躍してるけどさ。
だから……ゆっくりおやすみ、シャルロット。また、来るよ、何度でも」
背を撫でるその感覚にシャルロットは目を細めた。
「シャルロット、シャルロット。哀しき運命を辿ったもの、優しき彼方を夢見たもの。
あなたは独りで死ぬのが怖いと泣いていました。だから、私はあなたと同じになって、最期を寄り添いたかった。
まだ、あなたは私を『呼んで』くれないの?」
「わたしは、あなたを『わたしとおなじ』にしたくないの」
フルールはそっと、シャルロットの手に触れた。『呼び声』に応えるのにと囁く彼女に首を振る。
「愛されていたのに、気づいたの。だから、さみしくなんて、ないわ」
「ほんとうに?」
「ええ。手を繋いでくれるのね、ありがとう」
フルールはそっと、額に口付けた。おやすみなさい、と伝える様に。
愛されたいと泣いていた彼女は、愛を見つけたという。同じだったフルールは彼女を愛したから、だからこそ、見つかったのかもしれない――だからこそ、妬ましく、ならなかったのかもしれない。
「貴女も一度は人の原罪に溺れた存在……わかっているでしょう?
魔種はその息の根が続く限り滅びの運命を押し付ける存在、ましてや貴女程の者となれば。
……でも私は命令したわ、最期位は貴女の紡いだ……晴れ渡った綺麗な空を見て逝きなさいと」
原罪の呼び声を発することは出来る。利香はシャルロットの様子に肩を竦めた。
「けど、貴女は『逝く』のよね。ねえ、もしも貴女に助けが必要なら――『憎まれ役』位にならなってあげれる。
魂は……頂かないわ、あんたの好きな所へ行きなさい、シャルロット。
――まったく、本当に今日は酷い日よ。タダ働きなんて」
「有難う。やさしいのね」
微笑むその顔に「魔種やなければよかったのに」と利香はぼやいた。魔種じゃないならば『仕事』の一環で夢を見せて貪ってやるくらいの『対価』はもらったのにと彼女はジョークを交えた。
「シャルロット。約束、果たしにきたよ」
文は静かにそう言った。ビスコッティの墓に供える花に悩んで花束にしてしまったと少し照れ臭そうにそう言った。
(彼女の心が写し鏡であるのなら、悔やんだり悲しんだり、動揺しない方が良いのだろう。
見送る時は荒海ではなく、夕暮れの、凪いだ鏡海のように。――でないと、彼女は混乱してしまう)
文は静かに微笑んだ。「妹さんと仲良くね」と、ただ、その言葉にシャルロットは嬉しそうに微笑む。
「『お願い』を叶える時が来たみたいッス。
シャルロット……貴女は最初から今まで、一貫して願いは変わりませんでしたものね」
イルミナは、迷い、苦しみ抜いた『機械』は、ゆっくりと前を向いた。
「イルミナも、迷いはありません。約束通り、花を1輪。そしてシャルロット、貴女を殺します。
……シャルロット。貴女のおかげで……イルミナは、本当の意味で戦う意味を見出したのかもしれません」
「イルミナは、こころが芽生えたのね」
シャルロットは微笑んだ。その言葉にイルミナは唇を噛む。イルミナにとって最も大切な『ヒト』に数えてしまったから。
彼女が願うなら――その願いを、叶えない訳には、いかないのだから。
ハロルドにとって、ミロワールと言う魔種を直接見たのは『リーゼロット』を冒涜した時だった。
それ故に、彼の中での印象は『魔』であり、鏡の性質を持ったが故に一時的に善性を宿しただけに他ならないのだ。
それ故に苛烈たる自身を映したミロワールが『それ』を利用する事があるとさえ、考えていた。だから、彼女に映されることを拒んだ。
魔種がその命潰えるならば、それでいい。だからこそ、ハロルドは『最期』を見守ったのだ。死者を冒涜する趣味も無い。言葉少なく、しっかりと――その目は魔を見据えた。
「契約とは、互いの願いで互いを拘束する呪いだ。
これ以上の願いを持たない者を縛る術はボクにはない。同時に彼女の死に加担することに一切の利益はない」
だからこそ、セレマは傍観者として立っていると言うのだ。彼女がありのままな生への欲求を曝け出したなら、自身は加担してやると『見なかった振り』をする。
「ボクの物にならないなら、辱められようが安らかに死のうが知るところではない。
勝手に生まれたのだから勝手に死ねばいい――だって人生とは、選択とはそういうものだ。
そこに後悔はないのさ。だろうシャルロット?」
「ええ。セレマ。わたしはね、あなたのものになったってよかったの。
けど……『美しさは独占できない』――そうでしょう?」
セレマを映してシャルロットはそう言った。肩を竦めた美少年は「そうだね」と小さく返すだけだ。
●
「……いませんね。なんでもありませんよ。探し人がいないってだけっす。
とっくにおっちんでるとかなんでしょうね。特段縁のあるやつではなかったですし別にいいんでごぜーます」
ラグラはそう言った。絶望の青を越えることはどれ程に途方もなかったか。
冒険譚を聞きたいと彼女はそう言った。『探し人』はいないけれど。
「私達は星の光を見るのに滅茶苦茶時間がかかる。
誰かの光は星の光よりずっとずっと小さかったかもしれないけど
宙の向こうにいる誰か達にはよく見えたんでしょうね。あの丘の上にも沢山の光が見える」
ドラマチックな話だ。英雄たちがいた。竜を鎮めた少女に、自身の命を以て『数秒』を重ねた青年たち。そんな話、泣いたらいいのか笑ったらいいのかさえ、分かりゃしないではないか。
召喚されたのはつい最近の事だった。グラヴェイルにとっては『大きな戦いがあり大きな戦果を上げた』という事と、そして『少なくない犠牲者が出た』事しか把握はしていなかった。
しかし――最期の時を汚すのは無粋だと言うように彼は墓の掃除や手伝いをしようとその力を尽くす。
「戦いとは誇り高く、そして厳しく残酷なもの。私もゆめゆめ忘れぬようにせねばな」
その傍らで誠司は草むしりや掃除を手伝い続ける。政治はシャルロットを、魔種ミロワールを知らない。彼はイレギュラーズを知らない。ここにきて一週間の間、目の前の化け物にトリガーを引き続けただけなのだから。
感情も思い出も無い。だからこそ、遠巻きに眺めていた。――何時かこんな風に自分も心を震わし、誰かの死を目の当たりにするのだろうか。倒すべき相手に生きて欲しいと、そう願う時が来るのだろうか。
(その時――
その時、僕はどう思う? 僕は……トリガーを引けるだろうか)
そんな事、今考えたって意味はないかと誠司は息を吐いた。そんな瞬間に立ち会えるほど、『強くはない』と――そう、感じてしまうのだから。
何ができるだろう、とハンスは考えた。シャルロットにお別れを言う? 彼女の願いをこの手で? 其処まで考えてから首を振る。いや、それは違う、違うのだ。だって、重みが無いのだから。
約束よ、イレギュラーズ――
その言葉を、彼女が口にしたとき、召喚されていなかった自分は、『遅すぎた』のだと感じていた。
伝え聞いた来歴と、あの戦場で守ってくれたという事実だけ。物語に魅入って、その在り方に胸を熱くするだけの縁しか気づけなかったのだから。
だから、せめて感謝を。くちなしの花を捧げようと――そう、決めていた。
彼女を看取るのは他の誰かに。そうしてから十七護符は篭手を残した魔種ドレッドアナザーの事を思い出す。
副葬品も死体も無い、十字を打ち立てただけのものを墓として、弔うだけ。それは、魔種としてではない『龍になり切れなかった名も無き男』としてだ。
(――思い返せば、あれはさながら龍に成れなかったように生きていた。
だから奴が人の形を取った時、確かに私は驚愕したのだ。龍となることを諦めたようだったから。
無論それが真実かは知らない。けれど、私にこの籠手が遺された。
何の為かは知らない。だが、遺されたからには――龍の如く生きてみよう)
それは倶利伽羅竜王の如く。燃え盛る炎となって、自身を鼓舞してくれることだろう。
●
「シャルロット君にお礼を言いたいなって思ってたんだ」
アレクシアは微笑んだ。その言葉にシャルロットはきょとんとした表情を帰す。
「私ね、魔種の人とも仲良くなれればいいなって思ってるの。
……それは世界の仕組みから考えても、無理のある夢なのかもしれない。
でも、シャルロット君が応えてくれたから、もしかしたらって思えた。
だから、私に希望をくれてありがとう、それから……これからも、友だちだって思っていてもいいかな?」
アレクシアの美しい蒼穹の瞳を見つめてから、シャルロットは嬉しそうに微笑んだ。
「わたしのこと、魔種でも、友達だって思ってくれる?」
「うん。私と話して、友達になってくれて、ありがとう。これからも、友達だよ」
はっきり言えば付き合いは短い。短すぎるし、会話に至ってはあの日、あの時だけだ。
挙句に願いは聞き入れないって。夏子は拭えぬ罪悪感にがっくりと肩を落とす。
話をする人もたくさんいるだろう。約束を果たす人だってたくさんいる。
正直言えば、自分は此処ではお邪魔虫の気持ちなのだ。だが、それでも思うことはある。
なぁ、奇跡って知ってるか。叶わないから奇跡って言うんだぜ。
「奇跡の出処なんかどっちからでも良い。とにかくこの子はあの状況で覆した。
自分も、現状も、何もかもを……僕の常識もぶっ壊した。
どっかで諦めてたのか 最初から信じてなかったのか」
まあ、どちらもなんだろうと夏子は笑う。今までそうで、これからは違う。
その黒髪にさくりと一輪の花を挿した。可愛い少女には、きっとそうする事が似合うから。
「ありがとう 僕らもそのうちそっち行くから その時は 是非遊んでね。君は 独りじゃない」
頷いたシャルロットは花を一輪手にしている。その傍らでウィリアムはそっと、一輪の花を手渡した。
「綺麗な場所だな。花に囲まれて、海が見えて……俺も最期はこういう所で眠りたいな。
あの海で呼び掛けた時はその気配を感じただけ。でも今はよく見える。
その色は嫌いじゃない。優しい夜の色だから……なあ、俺、少しは格好付けられたかな?」
「ええ……。私が魔種じゃなかったら恋をしていたかもね」
冗談だろう、とシャルロットの笑みにウィリアムは返した。揶揄う様なその声音が、楽し気な笑みが、普通の少女のようで。ウィリアムは晴天の空を仰ぐ。
「シャルロット。お前は死んだ後、何処に逝くんだろうか。
その道行きが安息と幸福に満ちているように祈らせて欲しい」
「……有難う」
美しい夜空の色。希望を鏡写しにして、見ていてくれと星をなぞる様に密やかな声音で告げれば、シャルロットは頷いた。
星に願いを込めて。星に祈りを込めて。星が、叶えてくれるのを教えてくれたのはあなただったのよ、と彼に微笑みかけて。
「……やっぱ決意は変わらねぇかシャルロット」
ミーナのその言葉にシャルロットは頷いた。キンセンカを手にしたミーナはぽつりと言葉を漏らす。
「私はお前には生きてほしい。もう少しで海洋はお祭り騒ぎだ。一緒に遊びたかった。
……私が執着したのは、お前は私にそっくりだったから……生きてほしかった」
「ふふ、おかしいわ。ミーナ。わたしと、あなたは似ていないもの」
シャルロットは黒い瞳をミーナに向けてころころと笑った。
「あなたは、誰かを愛せるでしょう。わたしは、愛せなかった。
愛せないから、わたしはビスコッティをころした。それから……『知らないところで誰かを殺したってわたしは心を痛めなかった』。魔種、だもの」
シャルロットはミーナから受け取ったキンセンカに「きれいね」と小さく囁いた。
「だから……似てないわ。似てない方がいいの。わたしは『みんなを映して』みんなになっただけ、だもの」
その声にミーナは唇を噛み締めた。彼女は、魔種ミロワールは曖昧に笑うだけだった。
その笑顔を見て、サクラは唇を噛んだ。この時が来なければよかったと――そう願っていたのに。
共闘した仲間を斬ることは、避けたかった。それでも、サクラは、サクラ・ロウライトは、魔を斬るだけなのだから。
「ねぇシャルロット。私は貴女に約束するよ。
魔種になったからって、殺されなくてはいけない人がいない世界を作る事を」
「……ええ」
滅びの運命から逃れることが出来るように。魔種など、只の病だと――そうなるようにと願う。
サクラは美しい姿の儘、シャルロットを埋葬してやりたいと、そう考えていた。
青い薔薇をそっと手にして、ミルヴィは「青い薔薇の意味、知ってる?」と問いかける。
「どっかのお嬢様のシンボルだケド、意味は『不可能』『奇跡』ってゆーんだ……。
『神の祝福』って意味のほーはおとうさんやシャルロットは嫌かもしんないケド……。
シャルロット、貴方がここにアタシ達と共に経ってるだけでも奇跡だもん」
ミルヴィのその言葉にシャルロットは「きれいね」と小さく呟く。
ミルヴィは父を失った。ずっと悔やんでいたのだろうと、そう思う。沢山の事を捻じ曲げ、沢山の人を殺めた、運命を曲げ続けた彼は自分の為だって『嘘』を貫いた。
正しく『我を通した』存在だ。けれど――生きていて欲しかったとミルヴィはそう、呟いた。
「……ひとがしぬのって、かなしいね」
ごめんなさい、と、シャルロットの声が降る。メリーは「そうかしら」と首を振った。
「シャルロットって呼べ? わたしは約束してないし、今から殺す相手と仲良くしたってしょうがないでしょ。それに、手柄が欲しいの。
誰を犠牲にしてでも自分一人の利益と幸福を考えるのがわたしの”使命”だもの。それはわたしの”自由”でしょ? ”誰が為に”? もちろん、”我が為に”よ」
メリーのその言葉にミーナは「待ってくれ」と言った。死神たる自身が、せめて送りたいと。そう懇願する。
「……それに、わたしを殺したって手柄にはならないわ。討伐依頼も、でてないもの」
シャルロットのその言葉にメリーはそう、と小さく小さく返した。
「……憑物が、落ちたような顔をしてるね」
文字通り、落ちているのかなとニャムリはそう言った。このまま、彼女が辿る道もその顔を見て居れば明らかで。
「シャルロット様!」
コスモは走り寄った。あなたとお話しがしたかった、とそっと、その手を握りしめる。
お話を聞かせて欲しいと、コスモは囁く。リヴァイアサンに与する彼女を見た時からずっと、話したくて堪らなかったと言葉を溢れさせて。
「きっと、貴女の願いを叶えてくれるお方はたくさん居らっしゃるのでしょう。
……ですから、私は伝えます。貴女が今、こうして私の前に居ることが嬉しく、貴女が居なくなることが……何故でしょう。どうしようもなく、痛いのです」
「いたい?」
シャルロットは聞いた。コスモの中では『芽生えなかったそれ』がどうしようも無い程に主張する。痛くて、痛くて、堪らないのだと言うように――
「ぼくの話も聞いてくれる? ぼくの……『私』の価値観の話。
私にとって、死は現実であっても『死別』というものは存在しない。死は永遠の別れではない。
みんないずれ死ぬならまた会えるという事じゃなくて。あの世とこの世の、世界の隔りを超えて会える日はくる。
『夢』には、隔りを超える力がある。だから会える。そう私は……今のぼくは…信じてるって、話だよ……」
それなら、『痛くない』とコスモにニャムリは問いかけた。
「……『また』あえますか?」
「……ええ、会える。けど、眠りたいの。少し、疲れたから」
シャルロットのその微笑にコスモはゆっくりと、頷いた。
「……言っただろ? シャルロット。俺、約束は守る主義でな。俺がお前を……妹の元へ送り届けよう」
レイチェルは、覚悟してきた。殺すしかない、と。それしかないのだと。
ヨハンナと彼女を呼んだシャルロットはその顔を見上げてぎこちない笑みを浮かべる。
「聞きたいわ、あなたの話」
「……俺の片割れはこの世に居ない。世界も隔てて魂は別れたままだ。
だから見過ごせなかった。お前は必ず片割れの元へ送り届けると決めたんだ」
「さみしい?」
シャルロットのその言葉にレイチェルは曖昧に、笑う。それ以上――言えやしない。
本当はもっと、話したかった。本当はもっと一緒に居たかった。本当は、本当は。
溢れそうになる感情を飲み込んだ。レイチェルの、表情はシャルロットにしか見えない。
「ねえ、ヨハンナ。聞いて。わたしね、うれしいの。
……もしも、もしも、生まれ変わることがあれば、わたしの為に『泣いてくれるあなた』の側にもう一度行きたいわ」
揶揄う様なその声音は、わずかに涙を含んでいる。レイチェルはシャルロットの体をそっと抱きしめた。
「……輪廻が存在するなら、お前ら今度こそ幸せになれよ。もう絶対に離れるンじゃねぇぞ」
「ええ。『約束』が増えたわね、ヨハンナ」
●
「――また、会えたじゃろう?」
アカツキはにっこりと微笑んだ。「妾は約束は守るし、責任は取るタイプの幻想種じゃから」と胸を張った彼女にリンディスは「そうですね」と楽し気な声音でそっと、重ねる。
「のう、シャルロット。妾はずっと、あの海でお主が死ぬのは違うと思っておった。
しかし、成した事の責任を取る――ケリをつけるとも言ったのう。妹の墓に、花は供えたようじゃの」
「ええ。それから、あの時の白紙を一緒に埋めましょう。
貴女だけが生きてきた、貴女だけの物語を……ビスコッティさんのお話も、セイラさんのお話も、貴女に伸ばされた手も、貴女に向けられた憎しみも、全て『シャルロット・ディ・ダーマ』の物語として記すんです」
そうして、リンディスは自身の本の中で皆の記憶の中で、一緒にこの先に行こうと微笑んだ。
「ああ、最後には、サインも忘れずに。流行なんですよ、私たちの」
「うむ。妾もサインは考えてあるぞ」
アカツキは揶揄うように、そう言った。そうしてから、そっと、シャルロットの手を取る。
「妾達は勝って生き抜いて、絶望を超えて……そして、今ここに居る。約束は……もう十分か?」
「ええ。こんなにも、しあわせなんだもの」
アカツキは大きく頷いた。本をぎゅ、と抱きしめたリンディスは『敵』から始まって『仲間』になった彼女に微笑んだ。
「――おやすみなさい、シャルロット」
「うむ。そなたの魂が、二度とこの世に迷い出ぬように、あの世への、道しるべとなるように。
妾が送ろう。それがせめてもの……共に戦った仲間への。少しでもお互いを分かち合った友達への――妾の最後の餞別じゃ」
アカツキとリンディスにシャルロットは「ともだち、と呼んでくれるのね」と微笑んだ。
「リンディスとアカツキは、ともだちよ。忘れないわ、ずっと。『また』ね」
囁いて、シャルロットは微笑む。アカツキの焔となら、きっと、迷うことはないと、幸福そうに微笑んで。
「……漸く、お会いできましたね。
わたしは……本当に、勝手な想いを抱いているだけなのです
其れが、如何に勝手なものだと理解していても、なのに……あなたに想いを、伝えたかったのです」
アッシュはそう言った。遠く遠く、離れて決して近くはない戦場で光が『反射した』その刹那。
その力に救われたのだ。屹度、それはアッシュだけではない。数多くの皆が。
「貴女の力が、貴女の優しさが、多くを守ってくれました。
だから、わたしは……そんな貴女に、ただ。ありがとう、と。
わたしには、貴女を終わらせる勇気はありません。
でも、せめて。貴女と一緒に花を添えること――祈りをささげることなら、出来ます」
それは僅かな逡巡のささやかな邂逅。けれど、忘れない。忘れたくはない、その、黒き少女の事を。
「その、助けてくれてありがとう。一緒に地上へ来れてよかった」
ドゥーは静かに、そう言った。経験も浅いから、魔種が危険だという知識や意識が彼の中には存在していなかった。けれど――そう知っていたとしても手を伸ばしたと思うとドゥーは秘密を共有するようにそっと前髪を掻き上げた。
「あなたも顔を見せてくれたから。ありがとう、シャルロット。
俺がここまで戦い抜けたのはあなたのお陰だ。だから……あとは約束を果たすだけ」
「ねえ、ドゥー。あなたは、きれいなひとみをしているのね」
その言葉にドゥーは瞬いた。誰かに瞳を見せるのは久しぶりで、それも涙を流す瞳なんて。
情けないなんてシャルロットは笑わなかった。ただ、綺麗ね、と幸せそうに微笑んで。
「最期まで見ているから、さよなら、シャルロット。
あなたの事は絶対に忘れない――誓うから」
指切りをするように、そっと、言葉を重ねた。ドゥーの瞳は、シャルロットの中での小さな秘密。その美しさは、きっと、まだ、誰も知らないのだから。
過去の報告書も確認した。共闘をした魔種が居た事をベネディクトは確認している。しかし、魔種が純種に戻る事は無かったのだと――そして、シャルロットがこの形に落ち着いたのは彼女の『性質故』なのだろうとさえ思わせた。
すでに奇跡は消費され、あの出来事と他の特異運命座標の努力が彼女を此処に立たせていた。それでも時間はもう少ないのだ。
ベネディクトは見届けるためにここに立っている。全てが幸福で終わる事なんて、本の中の物語で過ぎない――だが、仮にこれが本の中の物語だったならば?
「……シャルロット、君の終わりが安らかでありますように」
詮無い事だろうか、とベネディクトは首を振った。
シルヴェストルはシャルロットの願いに報いる時が来たんだね、と囁いた。
「個人的な意見ではあるけれど、そういうのは君と約束を結んだ人とするべきだからね。
僕は、これから起こる事を淡々と記して、その結末も纏めるだけだよ。言っただろう? 君の行く末に興味がある、と」
シルヴェストルはシャルロットという少女の果てを記録する。物語と言う程整ったものではない。けれど、面白おかしく脚色する事無く、ありのままを、伝えようと、そう考えたのだ。
●
馬に跨って、ハルアはシャルロットとちょっとしたお散歩を楽しんだ。
「きれいな所だねぇ」
そう微笑んで、馬から慣れたようにハルアは飛び降りる。そして、両手を広げて「シャルロット」と彼女を呼んだ。
「おかえり」
両手を広げて、笑みを浮かべて、シャルロットは舞う様にその手の中に飛び降りる。ぎゅう、と抱きしめた体温は暖かい。
露草はビスコッティへ。愛の途苦しみの深さは分からないけれど、きっと、ふたりは家族で、片割れなのだから。
胸に手を当ててハルアは『失われた私』は見つけたとネックレスを揺らした。
「シャルロット。あなたはここにも、ボクはそこにも――ずっとだよ」
解放とは、はじまりだと信じているから。幸せを招くおまじないの仕草をひとつ。
願いが叶わなくたって、思いもしない程の驚きと、友達ができる世界だから。
絶望なんてしていない。しようがないんだ。
「――だいすき」
涙が、景色を閉ざす前に、ハルアはそう言った。
「……おはよう、シャルロットちゃん。約束、守ってくれてありがとうねぇ。
それじゃあ、今度はわたしの番。
だけど、せめて『その時』が来るまでは……お墓に着くまでの、この時間だけは。一緒に話して、一緒に笑おう?」
シルキィは心を分け合った。黒と白。その色彩は屹度輝く。
君を映した。君がいなくなっても良いように――君と、分け合えば、怖くはなかったから。
「シャルロットちゃん」
抱きしめる。ぎゅう、と。その腕に力を込めた。
涙が止まらなかった。止められるわけもなかった。
それでも、最後は笑いたかった。涙に濡れて眦に、シャルロットは「シルキィ、泣いているの?」と揶揄う。
「泣いてないよぉ」
「うそ、ないてるわ」
「……さようなら、シャルロットちゃん。わたしの、友達。
キミに会えて、本当に、本当に……良かったよぉ……!」
ぎゅう、と抱きしめた。その腕の力が落ちる。シャルロットはゆっくりと背後に立った無量を振り返った。
「シャルロット」
無量は小さく、そう呼んだ。振り返ったシャルロットは「無量」と彼女に微笑みかける。
「開いてはいけませんよ」
そっと、シャルロットへと手渡したのは『小さな約束』。シャルロットが開かんとしたそれに、無量は首を振る。
「でも――」
「……いけませんよ。
何時の日か、目覚めた時にはお茶をしましょう。ビスコッティさんと、此処にいる方達皆で」
それは、彼女が妹と交わした約束。彼女が『イレギュラーズ』とかわして護った約束、それから――希望だ。
「……ねえ、無量」
そっと、シャルロットが無量を抱きしめようと手を伸ばす。
「どうかしましたか、シャルロット。嗚呼、こんな時に涙雨とは――」
頬が濡れていく。斬りたくないと、そう感じてしまったのだ。それが何故なのかは分からない。
彼岸会 無量と言う女には存在しえなかった感情が、そこにはあった。
嗚呼、気づいていますか。シャルロット。貴女が変わった様に――貴女を見て、私も、変わったのですよ。
無量へと、シャルロットは囁いた。
「ありがとう、無量。『また』今度、目が覚めたらお茶をしましょうね」
いい天気だ。頬を撫でる風も心地いい。『滅海竜』や『嫉妬』との死闘が嘘のようで――
「旅立つには丁度いい日だな。シャルロット。
お前の顔をまじまじ見るのは初めてだったな。結構可愛い顔をしているじゃねぇか。
分かっているのか? お前を殺す為に俺はここに来ているんだぜ。
いい笑顔で俺を見るなよ。覚悟が鈍るじゃねえか」
「……『わたしを殺す』んでしょう? 覚悟が鈍ると、困ってしまうわ」
ころころと、笑ったシャルロットにジェイクは息を吐いた。彼女を殺すと誓った。魔種を生かしておくという例外はそこには存在していないのだから。
花を買ってきた、とムスティスラーフは一輪の花をビスコッティへと供えた。それから、もう一つ。
花を手にして、姿勢を屈めてシャルロットのその瞳を覗き込む。
「シャルロット、君に生きていて欲しいのは事実さ。
けれどいくら奇跡を願おうときっと破滅の運命は変えられないんだろう。
もし奇跡が起きて生き永らえたとしても君はそれを望まないよね」
「……ええ」
ムスティスラーフは頬を掻いた。シャルロットの黒い瞳を覗き込んで照れ臭そうに小さく笑う。
「命の価値は残された時間の長さじゃない――以前かけたこの言葉が逆に刺さっちゃうな。
ただ長く生きてもいい事とは限らない……だから今此処でその命を輝かせよう」
ゆっくりと、一輪の花を彼女の髪へと飾る。可愛らしい黒い髪に、沢山の花を飾って。
彼女はこれから旅に出るのだ。長い長い、誰も知らない、途方もない旅路に。
「父と呼んでくれてありがとう、懐かしい気持ちになれたよ」
そっと、抱きしめた。父として愛を込める様に。頭を撫でる。
「くすぐったいわ、おとうさん」
ころころと、楽しそうに笑ったシャルロットの声にムスティスラーフは「そうだね」と囁いた。
「もう、眠る時間だよ。可愛い娘(シャルロット)」
「……ええ。そうね、もう、そろそろ眠らなきゃ」
瞼を伏せた。ムスティスラーフの腕に抱かれて。
眠るように、目を閉じる。
そうしていれば、只の少女だった。
美しい夜の色の髪に、瞳。夜色であったことを厭うたひだまりを求めた小さな少女。
運命が違えた彼女はまるで微睡むように目を閉じて口元に笑みを浮かべる。
レイチェルは、「ヨハンナ」と呼んだ彼女の声がまだ、離れない気がしていた。
ハルアは優しさと愛を湛えて、彼女を呼ぶ。
シルキィは――痛み分け合う様に、彼女に微笑んだ。
そうして、ジェイクは、その時が来たのだと、確かに感じた。
「あばよ」
「ええ、おやすみなさい。
それから、――ありがとう。『 』」
「全てが、終わった後、彼女が、息を引き取った後に、手を掛けるのが手柄だと云うのなら――ぼくは、わたしは、そんなものは要りません」
未散は首を振った。未散が、ヴィクトールが、その手で葬らなくとも彼女はきっと願いを叶えることが出来るのだろう。そう思えば二人共は『魔種ミロワール』を殺すことはしなかった。
「あなたさまには白い花が似合うと、話しましたの、覚えておいでですか?
ね、ヴィクトールさま……――その通り、だったでしょう?
だからぼくからは、只、只、ヘムロックをひと茎、差し上げたいのです」
「ええ。確かにチル様の云うとおりです。貴方にはきっと、白い花がよく似合います。
ええ、そうですね。僕の眼よりもチル様のほうがしっかりとを捉えていたようで」
くすり、と小さく笑った。未散からはヘムロックを、ヴィクトールからはハマユウを。
咽かえる様な花の香に包まれて、花畑の中でシャルロットは「しあわせね」と――笑っていた。
もう、その瞳は開かれることはない。未散は唇を震わせる。
「薄情者、でしょうか?」
「いいえ。いいえ。ボクだって。思い出したんです、涙はもうとうに枯れ果ててしまったことを。こやっていつもいつも、見送ってきたことを」
ヴィクトールはただ、そう言った。咽かえる花に抱かれて彼女は眠る。眠って、もう二度とは華瞼を開くことはない。
「――もしも、生まれ変わったら、愛する『ビスコッティ』さまと、
今度は迷わず、ローレットにおいでなさい。
皆んな、今度は迷わずあなた達を見つけるでしょうから……約束ですよ、シャルロットさま」
――――――
――――
全てが済んでからカイトは海洋王国の王宮へと出頭していた。ソルベ・ジェラート・コンテュールと彼の父が報告を聞く為に待って居る。
「……そうですか」
最終報告だというそれを口にしたカイトへとソルベは静かに目を伏せる。
これにて、絶望の青はその『絶望』を終わらせたのだという。
しかし、これからも問題は山積みだ。アクエリアの自治、そしてフェディリアや遥か外洋の黄泉津と呼ばれる島国への対応。
まだまだ、海洋王国も、イレギュラーズも『これから』なのだ。
全てを見届けた。イレギュラーズの選択も、彼女の選択も。
それについて、マッダラーは何も言うつもりはなかった。ただ、彼女と、そして散っていったものへと捧げたいことがある。
鎮魂歌になって居るのだろうか。闇に沈む様に、淡々と奏でる音色が広がっていく。
生きているのか死んでいるのかすら自身は分からない。
けれど――一つ言えるならば。
彼らは、彼女らは、美しかったのだ――
一人、鬼灯はシャルロットとのもう一つの約束を叶える為にその場所へ向かった。
「『命が潰えたら貴婦人のキスの名前のお菓子を』だったか。作ってきたぞ、シャルロット殿。
素晴らしい演目だった、貴殿の人生はけして喜劇では無かったのだろう。むしろ悲劇だったとも言える。けれど、こんなに美しい最期を迎えられたのだな」
鬼灯のその腕に抱かれた嫁殿はこの日の為に喪服を、黒のワンピースを身に纏う。
美しい花が揺れる中、鬼灯の腕の中で嫁殿は囁く。
『あのね、また逢えたなら。その時はとびきり美味しい紅茶を用意してるから、だから、またお話してね』
――さようならシャルロット殿、どうか安らかに。
祈りを捧げましょう、と。それが神の為であるからとヴァレーリヤはその手を組み合わせた。
戦いで散っていった人々、私達のために命を捧げた友達、そしてミロワール達の魂が、主の御許で永久の安息を得られるように――
花を散らし彩り、共に過ごし笑い合うことが出来ないならばせめてその道が華やかであれと。
弔いの歌を歌いましょう、あの時ああしていればという悔いばかりが残るけれど、今は見ないふりをして。
叶わなかった小さな願いが、何時か主の御許で叶うことを信じて。
――我らが愛した人よ、灯火となりて我らの旅路を照らし給え
墓の上の嘆きのままに、我らが朽ちることのないように
いつか我ら、主の御許にて再び相見えんことを願う――
……おやすみなさい、また、いつか。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
――きっと、また。
GMコメント
夏あかねです。約束です。
もう残された時間も少ないのです――(相談期間にご注意ください)
●必須
魔種ミロワールの『殺害』を満たさなかった場合当シナリオは失敗となります。
●できること
【A】~【C】から1つセレクトしてプレイング冒頭にご記載ください。
また、グループ、誰かとという場合はIDの指定か【グループタグ】の指定を二行目に入れてください。
また、ミロワールに関連しない行動も可能です。
例:お花畑でのんびりする(【A】です)
例:海洋全体で死亡したNPCのお墓参り、海洋全体に出てきた貴族に会いに行く 等(こちらは【C】を選択)
【A】花畑
海洋王国辺境にある美しい花畑です。隣接する墓守が植えた者なのかさておき……。
ミロワールは花を知りません。それ故に何が咲いて居るのかはわかりません。
奇跡の様に満開に割いたその花の中でシルキィさんはPPP発動後眠っていたようです。
花畑ではのんびりと過ごしていただくことも可能です。
特段ミロワールに関わりなくとも傷を癒していただければ。
【B】お墓へ
ミロワールことシャルロットの妹ビスコッティのお墓のある場所です。
その他さまざまな墓が存在していますが、ミロワールは誰の者かは知りません。
海で亡くなった者達を偲ぶ場所であると呼ばれる墓標には様々な供物が並んでいます。
海で亡くなった者を偲ぶなど、シャルロット&ビスコッティと無関係の行動も可能です。
ビスコッティの墓は小さく荒れ果てています。美しい景色です。
こちらではシャルロットと一緒に花を供えることが可能です。
彼女は此処で死ぬ事を望んでいます。
【C】その他
何か海洋王国、またはアクエリアでやりたいことがございましたらば。
また、ご要望にお応えできない場合は無難にお花畑で過ごしたことになりますのでご注意ください。
(海洋全体シナリオ<Despair Blue>、<バーティング・サインポスト>、<Breaking Blue>、<鎖海に刻むヒストリア>、<絶海のアポカリプス>に関連ある行動であると嬉しいです)
●魔種『水没少女<シレーナ>ミロワール』
『鏡の魔種ミロワール』
本来の名前は『シャルロット・ディ・ダーマ』
黒い髪、黒い瞳の少女。『鏡』の性質を持った魔種です。纏わり着いた影はシルキィさんのPPPで払われました。
その性質からセイラ・フレーズ・バニーユを映し、彼女の理解者でありましたが、アクエリア島にてイレギュラーズを映しこんだことで変化を遂げ、セイラを討つ手伝いを行いました。
個人的なデータ
・双子の姉妹に『ビスコッティ』がいます。彼女を深く愛していますが、愛憎に駆られ身勝手にもその命を奪いました
・セイラとは互いに良き理解者であり、傍に居たいと願いました。しかし『性質変化』にて彼女を討つ手伝いをしたのもまたミロワールです。
・非常にイレギュラーズの様に振舞います。それは今まで映した皆さんの行動を反映しているからです
・死ぬ事に対しては怖れも恐怖もありません。寧ろ、彼女は最期の時を待って居ます。
●その他NPC/海洋関係者
呼び出すことは可能ですが、ご希望に添えない場合もありますのであらかじめご了承ください。
それでは、良き結末を。
Tweet