シナリオ詳細
<フイユモールの終>Goodbye Dear You.
オープニング
●
おまえを抱き締めることが出来たならば、どれ程にしあわせだっただろうか。
おまえの側でずっと何も知らぬ顔をして、歌を歌っていられたならば。
「亜竜種達の、同胞の活動領域を増やしたい。何時までも暗い洞の中でなど暮らせやしない。
里おじさま、あなたが田畑を与え獣避けを教えてくれやしたが、それでも尚も、満足の行く活動域を得られたとは言えないだろう」
珱・珠珀は真面目な顔をしてそう言った。亜竜集落フリアノンの里長として、誰もが掲げる目標が安全な活動領域の確保だ。
竜骨フリアノンは竜種の侵略を許さず、亜竜を避ける。その周辺領域もベルゼーや彼が連れていた竜種――六竜と呼ばれた彼女達だ――によってある程度の平穏が齎されていた。
「珱の者は何時もそう言いますなあ」
「だって、オジサマが何時死んじゃうか解らないじゃない。私も、珠珀も。
……先に苦労を残したくないのよ。次代はあの子が担う。なら、出来るだけをしてあげたいでしょう?」
桃色の髪を束ね、微笑んだ珱・琉維の胡桃色の瞳が甘く煌めいた。
「それが、親ですもの」
ベルゼー・グラトニオスは思い出す。罪の日を――
珠珀と琉維。それから、泰・花明を連れてピュニシオンの森へ踏み入れた事を。
『帰らずの森』と呼ばれたその場所に彼等を連れて入ったのはほんの気まぐれと、ただの自惚れであった。
自らの周りには己を慕う竜種も多い。嘗ての地廻竜がそうであったように、彼等とは共存できると認識していたのだ。
「本当に大丈夫なのですか、里おじさま」
花明は不安げであったか。あの子は、穏やかで思慮深い。だからこそ珠珀の良き友人だっただろう。
「大丈夫よ、ワイバーンなら捕まえて食べましょう」
琉維は対照的に明るく、強かだ。何処へだって走って行ってしまうあの子の力こそが必要だったのだ。
「……此の辺りは鬱蒼と茂っているが、木々は余り倒したくないな。
里おじさま、森を抜ける最短ルートは? その先に、新たな拠点を開くことが出来れば……」
やはり、聡い子だった。珠珀はフリアノンを導くに相応しい男だ。
幼い頃から見守ってきたが、それだけに彼が聡明に、そして里長の自負を有していたことが喜ばしい。
彼ならば、愛おしいフリアノンを護ってくれる。
珠珀と琉維の娘である琉珂も、彼等が育てれば立派な里長となり、フリアノンを守り抜く光となる。
眩い、届きやしない愛おしい私の光達。
はじめての冒険だと幼子のように喜ぶ三人を何時までも、見ていたかったのだ。
「ただの、『魔種』の癖に」
瞬く間に世界が暗転した――うぬぼれていたのだ。
何者からだって、この愛しき者達を護れると。
「オジサマ!」
琉維が花明の体を押し退けて鋏を構えた。錆び付こうとも、その炎の美しさは変わりやしない。
彼女の戦う姿が眼に焼き付いた。
桃色の髪が揺らぎ、その眸に炎が宿る。
「オジサマ、逃げて!」
――魔種を、護ろうとする彼女の優しさも。
「里おじさま、此処は私達に任せて」
――何を差し置いても民を守りたいと願った彼の正しさも。
「……あの脅威が何か、見極めなくてはなりません。民を護る為に! 里おじさま!」
――ただ、繋ぎ止めるだけの言葉を吐出したあの子の手を振り払った己の愚かさも。
護りたかっただけだったのだ。
馬鹿な話だが、自惚れ浮かれていたのだ。戦い方も忘れてしまう程に平和ぼけしていた。
瞬きをするような僅かな時間であったのに。人として、己を偽り生きる事が心地良かったのである。
なんて、愚かな。
権能を『制御』する難しさを知っていただろう。
290年余も経ったのだ。
あの子を喰らうてから。
リーティア。
愛しい我が娘、パラスラディエ。
――腹の中の彼女を『消化』して、開いた『飽くなき暴食(はら)』が世界を蹂躙した。呆気もなく、小腹を満たすように大地を削る。
湖を吸い上げ、木々を薙ぎ倒し、眼前の者が命辛々遁れた後にようやっと気付いたのだ。
「珠珀……?」
あの子の姿がないことに。
「……琉維……?」
あの子を喰らってしまったことに。
花明は意識を失い『我が罪』を見て等居なかっただろう。
フリアノンには竜の襲来により、里長とその妻を喪ったという一報だけが齎された。
ああ、違うのだ。
私が喰らったのだ。
愛おしい、愛おしい、あの子達を。
――美味しいと、何よりも幸福であったと感じた事が己の罰だ。
「オジサマ、手を繋いで」
まだ幼い少女だった。10にも満たない、小さな娘。
「琉珂」
小さな手を引いて、それから抱き上げた。
「ふふ」
なまめかしく萌える翠のように美しい瞳だった。
揺らぐ髪は鮮やかに花開く桜のようだった。
華やぐ春に、萌える夏に、褪せていく秋へ、眠り行く冬に。
この子は、ただの一人で過ごすのだ。
「見て、あの花。おかあさんがくれたのよ」
琉珂の指先を辿ってからアウラスカルトが「これか」と摘み取った。
「アウラちゃんの髪に飾っても良い?」
「やめろ」
「えへへ。あっちで、ザビーネと一緒に花冠を作ろう?」
体を地へと降ろせば、その小さな小さな足で大地を駆けていく。
ちょっとの歩幅、直ぐにでも追い付いてしまいそうな距離。小さく、簡単に折れてしまいそうな体。
「オジサマ、こっちこっちよ! ねえ、クレスはどこにいるのかしら」
「さあ。クワルバルツと何処かに……」
「クワルさんとクレスにもお土産を作ろう、アウラちゃん、こっちよ」
彼女を竜とは知らず、ただの『遊び相手』として手を引き走る『里長となるべき娘』
人の子を奇異なる目で見詰め、父祖がいうならばと唇を動かしたアウラスカルトを見送ってベルゼーは目を伏せる。
あの子の未来を見るのは自分ではなかった筈だ。
珠珀。琉維。
……パラスラディエ。
あの二人の親を奪ったのはこの私だ。
腹が減る。
どうしようもなく、愛おしいと感じる度に腹が痛むように響いた。
抱き締めてやりたかった。そのまろい掌を繋いで二度とは離しやしないと誓ってやりたかった。
柔らかい髪を撫で、眠るまで唄を歌ってやろう。
名前を呼べば微笑むおまえ達が、何よりも『美味しそう』だったのだから。
求めては、ならないのだ。
生きることが、罪ならば。
愛することが、罰ならば。
何を犠牲にして、生き長らえろというのか。
それでも。
「……子ども達を愛おしいように、親のことも愛おしいのだ。
この身は、どう足掻いたとて『七罪』。産まれながらの滅びの化身」
御せぬ己を思うたならば、ここまで『よく保った』と褒めるべきだ。
己の身体は滅びを求め、口を開く。滅び行く世界を喰らう為の暴食よ。
己は立ちはだかるのだ。
世界を蹂躙し、破壊し尽くす滅びの使徒として。
それが最後の『親孝行』で、悪人として振る舞うことが『彼女達への手向け』だ。
「さようなら、琉珂」
――この世に、一番不必要だったのは愛だったのかもしれない。
●『可能性』の子達 (更新:07/08)
本気で戦うというならば、覚悟をするべきだ。
何方が生き残るか、だ。
滅びに抗う者達が勝利をするべきか、神託によって来るべき滅びを目指す者達が勝利をすべきか。
「我慢比べとでも言いましょうか。いやはや、そんな事を言えば兄のようではありますが……」
先に散っていった兄や姉を思い浮かべてからベルゼーは目を伏せた。彼等のことは嫌いではなかった。
消滅したと聞いたとき己達は人間ではないからこそ、死しても肉が残らぬ事を知った。
長兄であるルストがベアトリーチェを『霧散』させたとき、自ら達は斯うして跡形もなく消滅するのだと実感したものだ。
確かに、カロンもそうだった。兄は怠惰であったからこそ強欲なベアトリーチェのように欠片を残すことはなかっただろう。
さらさらと風に凪がれて消え失せていった彼を見てから「人とは違うのだ」と改めて思い知ったのだ。
……いや、己の生まれた理由も、使命も疾うの昔に理解をしていた事もある。
――何時までも、遊んではいられないよ。
彼(イノリ)は何時もそう言っていた。
――優しすぎるのも、悪癖だ。
彼(イノリ)を厭うてはいなかった。寧ろ、情はあったのだ。
肉親の情と言うべきだろうか。蔑ろにした使命ではあったが随分と堪能したものだ。
体が言うことを聞かず暴走を始めたのもタイムリミットだと、告げて居るのだろう。
――暴食なのだからね。愛は罪ではないけれど、愛は罰なんだ。
彼(イノリ)が皮肉げに呟いたことを思い出す。
……全てを愛する己だからこそ、覚悟は決まっていた。
ただ、惑いがあったというならば。
覇竜領域を喰らう事だ。ならば、外へ向かえば良いと周りのものは言った。
そうして最後には竜領域を喰らう事には世界は滅びに直面しているだろう。
人間という脆い生き物はその時までは持たないはずだと竜種は甘く囁きかけるのだ。
それならば、良い。それなら、愛する亜竜種(かれら)が死にゆく姿を見なくても良いのだ。
……私は、原罪だ。
……私は、そうあるべしとして産まれたのだ。
この腹が、叫んでいる。食え、喰らえ、全て無へと帰せと。
喰らうた瞬間の満足感に、その後に襲い来る空虚な心。すべては空しい。
――そろそろ、目を醒ますが良い。
「疾うに醒めているさ。……さあ、滅びへと向かおう。これが、私のあるべき姿なのだから」
●
神託の少女――
彼女が、親(イノリ)にとって何者であるかをベルゼー・グラトニオスは理解していた。
誰よりも愛情深い男であったベルゼーは『子ども達』に彼が向ける感情とは大きく懸け離れた『イノリの人間性』を察して居たのだ。
(ああ、彼女『までも』出て来てしまったか――)
ベルゼーは独り言ちた。
何も己が彼(イノリ)の信頼を得ている等とは露程思っては居なかった。
ベルゼー・グラトニオスという男の性質を彼は翌々理解していたからだ。
だが、彼は子供に対して目的さえ完遂されれば良いと放任を決め込んできたではないか。
生も死も普く全てを己の者だと強欲にも告げた姉(ベアトリーチェ)にも。
醜い己に絶望し全てを妬み嫉みながらも散った兄(アルバニア)にも。
微睡みの淵に佇みながら全てを鎖そうとした兄(カロン)にも。
最強と謳われながらも、自らの力に驕り沈んでいった兄(バルナバス)だって――
(これまでの勝手を許してくれたからこその『親孝行』だったんですがなぁ……)
それが何だ。
聞こえるだろう。あの声が――あの『悪辣な笑い声』が!
無慈悲な女の、凄惨なる呼び声が脳を掻き混ぜる。
愚かね。
優しすぎたのよ。
……違う。優しさなんて、言い訳だわ。愛したなんて、言い訳だわ。
ただ、意気地が無いだけでしょう?
脳裏に囁きかけたそれは如何に不愉快であるかさえ表現し難いものであった。
軈て来る破滅の片鱗。原罪で有る限り『自らが受ける事の無い不愉快な感覚』が臓腑にまで染み渡り欲求を強くする。
酷く傲慢であり、強欲であり、いや、それ以上に無慈悲としか言いようのない声の主が誰であるのかは直ぐに察することが出来た。
父が女との『約束』を違えた涯ての嫌がらせのようなものだとベルゼーは感じている。
巻込まれた側ではあるが、それだけが男の感情を逆撫でしたのではない。
自らの決意を蔑ろにされたことも、存在への酷い冒涜だと感じたことも。
それ以上に――『在り方全てを変えて仕舞う部外者』という存在こそが切欠だった。
ベルゼーは生まれて初めての感覚に激しい嫌悪感と、悍ましい程の怒りを感じていたのだ。
喰いたい。喰いたい。腹が減った。ああ、全てを喰らい尽くせばこの欲求は収まるか――
頭の中を支配するそれを払い除ける事が出来たのは。
差し込んだ光――只それだけだったようにも思える。
『空繰パンドラ』が指し示した可能性にベルゼー・グラトニオスは『滅びのアークの化身』でありながら縋るように手を伸ばした。
「父よ」
一度たりとも、彼をそう呼んだことはなかった。
己は斯くあるべしと世界に生み出された『人間の根源の欲求』である。
七つの罪とは、生命が持ち得る当たり前の欲求であり行き過ぎて訪れる破滅の形だ。
暴食は尤もたる人間の浅ましさの表れであり、隣人のように傍にある『人間らしさ』なのだから。
「……父よ」
思うに、ベルゼー・グラトニオスという生命は人間らしさを得すぎたのだ。
本来ならば得るべきではない人間性を得た男を不安視するのは当たり前であった。
――それでも、信じて欲しかったというのは『子』の勝手だ。
いや、彼に手を下されるのであれば良かった。それが『産み落とした彼に己が唯一与える事の出来る罰』だ。
お前は失敗したのだと、あの男に刻みつけることの出来る烙印だった。
だが、これは違うだろう。
あの男の側で笑う『怪物』は悪戯な介入者にしか過ぎず、『怪物』を食い止めるべくその動きを見せた『神託の少女』は己と彼の決別だけを物語るのだ。
(そうだろう? イノリという男は『ざんげ』に執着してる。
兄が妹を愛するにしては度が過ぎるほどの愛情だ。その相手が己のせいで命を削ったというならば)
もう二度とは、彼の側に寄ることは出来ないのだ。
神託の少女の手にする可能性(パンドラ)は彼女が呼び寄せた英雄を、『座標』達を守り抜く。
悪辣なる聖女の手を払い除け、わざわざとベルゼー・グラトニオスを『ベルゼー・グラトニオス』として保ったのだ。
神託の少女(ざんげ)が見せたのは己への優しさではない。そうしなくてはあの怪物が世界へと危機を齎すからに過ぎない、が――
(なんともまあ)
ベルゼーは皮肉げに笑った。
世界を護るべき『機構』でしかない彼女が些か感情的に思えるような行いを見せたのだ。
(――可哀想な父よ)
無機質な娘。必要とされた人間らしい部位を削ぎ落とした人形。
『七罪(にんげんらしさ)』までもを作り出せてしまう男とは対照的な彼女が、男の手から離れた所で変化を帯びた。
それは喉から手が出るほどに求めたものであっただろうに。
(ああ)
ベルゼーは喉を鳴らして笑った。
彼の為に戦うと決めて居た。それが親孝行だとは思って居た。
あの悪辣な聖女の横槍に興が削がれたのも確かだ。己の覚悟を何と蔑ろにするか。
(私は怒っているのか。柄にもなく)
何人をも愛してしまう『暴食』らしくない感情だ。
自分にこの様な感情が存在したなど、露程知らなかったのだ。
(ざまあみろ――)
「琉珂」
「……オジサマ……」
そっと彼女の前に降り立った。
心配を掛けたと抱き締めようと手を伸ばせどもすかりとその体を通り過ぎる。
「……、私の権能は暴走している。けれど、『一縷の望み』を賭けて見せよう。
少しだけならば、この心が抑える事が出来るのさ。お前が、仲間達と持って行っておくれ」
鎖されていたフリアノンへと外より来たる者を受け入れた里長よ。
特異運命座標として世界の未知を既知と変えると微笑んだ小さな少女よ。
――おまえを連れて、遠く遠く、共に駆け抜けていってくれる、特異運命座標よ。
「オジサマを『連れて』いけばいいの?」
彼女に手渡したのは古びたコートと使い古した武器だった。
カトラリーセットを手に、コートを羽織った彼女は緊張したように唇を震わせる。
「ああ」
あの『私』ならば彼等は迷うことなく殺してくれるだろう。
さあ、見ろ。
あれが『暴食』だ。欲に濡れ、全てを食らい尽くす化物だ。
「私がおまえ達に出来る最後の贈り物だ」
細い、一筋の糸だ。
直ぐにでも途切れてしまいそうなそれに、願いを込めた。
琉珂、おまえは『特異運命座標(わたしのてき)』と共に遠くまで走って行けるだろう。
私はおまえの成長を見ることが出来ないだろう。
「オジサマ、一緒に行こう。皆が――トモダチが、私と共に進んでくれる」
「……ああ」
特異運命座標。
私を今から殺す者よ。
私の愛しき亜竜種を、竜達を、守り抜く為に、その刃を曇らせやしないでおくれ。
――己の不手際には、己で決着を付けようではないか。
元より、人ならざる身。人間と共に生きていくことなど出来やしないのだから。
- <フイユモールの終>Goodbye Dear You.Lv:60以上完了
- GM名夏あかね
- 種別決戦
- 難易度VERYHARD
- 冒険終了日時2023年07月27日 22時05分
- 参加人数110/110人
- 相談7日
- 参加費50RC
参加者 : 110 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(110人)
サポートNPC一覧(2人)
リプレイ
●
ひりつくような破滅の気配。遠く、息衝いたのは世界をも喰らい尽くさんとする『暴食』
己の在り方をまざまざと思い知らせるような在り方だ。
世界を滅ぼす必然に、人間を愛する偶然に。
ただ、変化という抗えぬ刻の流れに身を任せていただけだった。
飽くなき暴食。
竜を喰らい。人を喰らい。大地をも呑み喰らう。
その空間へと繋がる光の梯は、一人の娘が繋いだものだ。
「おやおや、事態は混迷を極めておりんすね。流石は覇竜。流石は冠位暴食。
――そして何やら横槍が入ったようで。
なんともまあ、不条理と理不尽が代名詞の。混沌らしいと言えばその通りで……今回も出し惜しみなしで往かせていただきんす」
くつくつと喉を鳴らして微笑んだのはエマ。黒く光を帯びた魔術回路はその体を廻り、緩やかに変質して行く。
此処は腹の底。踏み入ったそれは『権能(ぼうしょく)』の内側だ。
「――傾注! 琉珂達に祝福を!」
何が暴食だ。傲慢であればいい、強欲であればいい、人間はそうやって生きていく。
少なくともイーリン・ジョーンズと騎兵隊の前に『敗北』という文字は有り得てはならない。
「敗北は私達が食い尽す!」
旗が揺らめいた。全員の生存を狙い、誰もを支える事を騎兵隊の目的とする。全員生存を掲げる旗頭が願うのは隊の者の命だけではない。
この場に居る誰もの生存を願っていた。
「なんでも食べてくれる……ってなら、この終わらない劫火も平らげてくれるんだよね。
ま、そこまで期待はしてないけどね。俺も死にに来た訳じゃないし」
全てを残さずというならば、それは命の終わりをも意味しているのだろうかと火群は渋い表情を見せた。
途絶えぬ命灯。その身を焦がすのは業火の如き、命の有様。何度も灰に戻ることを許さぬと可能性(パンドラ)が囁くように火群を支えるのだ。
生命力の弾丸を受け止めたのは大口を開いた『ウィンクルム・ドラゴン』だった。
「あれも食べたのか」
火群の視線の先、無数のドラゴンの最奥には巨大な竜が腰掛けている。だが、その存在もリーティアと名乗る『竜種の娘』の罠により幾分も弱体化し姿をも小さくしているか。
エマは堕天の輝きに呪いを帯びさせた。火群も腰掛けたドラゴンたちを目掛け攻撃を放つ。強大だ。されど『倒せぬモノ』ではないか。
「本物のフリアノンはあんなものじゃない」と亜竜種達が告げるとおり、あれはベルゼーの内部でも随分と風化した存在であったのだろう。
「……けれど、『アレ』を倒さなくちゃ彼等は前に進めないんだ」
雲雀はすう、と息を吐いた。タイニーワイバーンの背を撫でる。怖れるように身を縮めるタイニーワイバーンの背を撫でて雲雀は眼前を睨め付けた。
「行くぞ!! お腹が空いたって言うなら無視できないな。だってオレ、プリンだもの!」
自らの胸をドンと叩いたマッチョ☆プリン。頷いたのは雲雀だけではない。ココロにイーリン、そしてミヅハとカイト、オニキスにも合図をして前線へと駆けて行く。
支える事は、皆で生きて返ること。プリンを燃料に走る大型バイクはカラメルの薫りを纏いながら前線へと向け進み行く。
「どけどけ!」
「お通りだぜ」
ミヅハの弓がきりりと音を立てた。プリンがぷるんと揺れ動き、甘い香りを醸し出すその傍らで夜のとばりを切り裂くように、一矢放たれた。
ワイバーンの背に乗り駆る。感じる気分の高揚は、正しく『今』を表しているかのようで。
「――さあ、『竜狩り』の時間だぜ!」
狩人にとっての誉れ。竜を打ち倒すという栄誉。眼前の存在が紛い物であれど構わない。寧ろ、多くを狩り尽し仲間達への道を開けたというならば何よりの褒賞だ。
騎兵隊は下支えをする。他者の行く道を示す為に。
それがどれ程に大切なことであるかを旗頭が示してくれている。
(俺達は常に狩る側だ。何処であろうと臆することなく。此処が『獲物の胎の中』だとしても!)
ミヅハの眸に鋭い色が灯された。眼前に居る敵へと向けて走るオウェードとレイリーを産み出された『竜』が見ている。
「私の名はレイリー=シュタイン! 騎兵隊一番槍のアイドルよ!」
ムーンリットナイトは臆することなく走って行く。重装備のレイリーを乗せ、真っ向から戦うために。
彼女が手にしたのはドラゴンの翼を思わせる白い大盾。確実に防御をし、仲間達を守り抜くと心に誓う。
白き騎士乙女は誰かを護る為に、誰かを支える道を選んだ。『自分が生きていれば』誰かを助ける事が出来る。
深く息を吐き、陣を造り上げる。白い波紋を踏み締めてオウェードがその斧を振り下ろした。
「ワシも見届けてやるワイッ!」
手にしたはローゼンジェネラル。美しき薔薇を守護する鋼の意志。自らは盾であり、剣である。
適を引き寄せ、叩き着けたバルムンク。一撃、一撃を重く。出来うる限りの早さで敵を屠る事だけを念頭に置き戦い続ける。
「此処から先は、行かせまい!」
「ええ。私達を倒してからゆきなさい?」
前方で全てを担うように戦う者も居れば、後方で其れ等を支える者も居る。戦場では油断はしない。オウケードは自らの負傷具合を鑑みながら、『修復』を行ないながら継戦を続けて行く。
(騎兵隊は勝つ、私が勝たせるのだわ!)
華蓮の背を押したのは微かな追い風。母のような愛を有する女神が大丈夫だと笑っている。
巫女は光に透けて瑠璃色に煌めいた千早を身に纏い、仲間達を支え続ける。
「私が、神にそれを誓うから!」
追い風は、誰もの背を押すことだろう。稲妻の突風の如く吹いたかと思えば、女神の神託の声音が力となる。
(皆を守り抜くのだわ……!)
天地あらゆる物が、そこで怒るあらゆる偶然が。護ってくれると信じていられる。神託が告げて居る。
此の儘進め、と。求めるならば、願うならば、自らが動かねばならないと。
「此処だ!」
カイトが鋭くその声を上げた。不意を衝いた一撃。三輪バイク型飛行探査艇を駆り敵の後方へと回り込む。
華々しくその門出を彩るが良い。カイトの攻撃は舞台演出そのものだ。命という舞台の最後を与えるために、唯、艶やかに『演出』するのみ。
その背面より、穿つ。矢は、虚空へと撃たれたかと思えばその軌道を変え、直ぐに竜の背へと深々と突き刺さった。
狩人は手数が多ければ多い方が良い。選び抜いた一撃が、『獲物』の動きを食い止めるまで迷いはしない。
竜が叫ぶ。それは慟哭にも似て。その声を聞きながらレイリーは「次!」と叫んだ。
地が蠢いた。その気配にオウェードが「何かが来る……!」と身構えた。
「おっと!」
プリンが声を上げ、己の内側より溢れるプリンパワーを体に留める。次の行動に備えなくては『オードブル』は摘まみ食いするように遠慮無しに持って行かれる。
「舐めないでよ、『騎兵隊』を!」
レイリーの声音に頷いたカイトは華蓮の支えを受けて眼前のデミ・フリアノンを睨め付けた。
「……呑み込まれない為に。この開かれた道行きの楔になんのさ。勿論、二重の意味でな?」
「ああ、そうじゃ。大口を開けているからこそ、飲み込まれて仕舞いそうにも為ろうよ」
ゆっくりと前線へと歩み出たクレマァダは神威を『限定的』に再演する。金色の眸に、竜のようにうねる体捌きと共に、叩き着ける。
「――大いなる者よ」
自然と頭を垂れたのはクレマァダが、いや、『コン=モスカ』が竜に通ずる一族だったからだ。
誰よりも自身が表さねばならないと、そう切に感じていた。盾突き、弓引けども、敬意を示さねばならない。
それは、幻影であれど、偉大なものの影であるのだから。ゆっくりと顔を上げる。旗振りが旗を振れ、というのだ。
「尊厳とは、万物の砦である。たとい敵であれ、それを守る為の戦いを我らは惜しまぬ。そうであろう、イーリンよ」
「ええ。……私達は」
進むべき道のためならば、此処で挫け諦めることはない。
そう、『私』が望むのだから――!
カイトが身構え、クレマァダがその行く手を開くように叩き着けた眩き砲撃。後押しするように放たれたのはマジカル☆アハトアハト・QB。
「――――発射(フォイア)!」
オニキスの鋭い声音が響き渡る。魔力回路は前期同調。超高圧縮魔力がオニキスの不安定な八十八式マジカルジェネレーターの中で揺らいでいる。
砲手はただ、行く先を開くが為に佇んでいる。雲雀は唇を吊り上げた。
「彼らにとって最後の時間、邪魔はさせない。さあ騎兵隊のお通りだ、無粋な奴は片っ端から轢き回すよ!」
絶えず運命は星と共に流転する。頭上に輝く星の名を、彼等は知らないだろう。
天を眺めれど、ここは胃袋(そこ)。何処まで行ったところで再現された景色ばかりしか見えやしない。
(喰われた後にまで眠りを妨げられるのはどれ程に恐ろしいことだろう――)
目を伏せてから雲雀は血潮に呪力を含ませて『印』とし、その力を強固なものとした。
「私たちは止まらない。その程度の壁、私の砲撃で撃ち抜く……!」
仲間達の行く先を開かねばならない。騎兵隊ならば、それが出来る。
オニキスの全力の一撃は、『全てを受け止めんとする敵』を更に上回るが為にあった。
天地を揺るがせ、号令を聞け。戦は、今――!
●
「死に挑み生き切ろうとするベルゼーの心意気は気高いもの。ならば私もそれにこたえよう」
静かにそう告げてからリースヒースは瞼を押し上げた。癒やしと調和を帯びた白き剣を手にする亡霊は『嵐の前』と名付けた馬車を駆り進む。
影が一拍だけ早く動き、リースヒースの行く手を示した。
「『冠位魔種』との共闘とは、中々にないことだろうからね」
囁くリースヒースの傍らに蝶々が踊っている。その美しさを傍らに「気ぃ引き締めてヤるか」とバルガルが息を吐く。
弱小と己を称せども伏せ札にはなれよう。カロン・アンテノーラの――『ベルゼーの兄』の符で作られた鎖は、今はバルガルが握り締めている。
その先に揺らいだナイフを投げ入れる。此処はカロンにとっては弟のベルゼーの『権能(はら)』の中だ。
嘗ての深緑ならば、一度は相対した相手だ。ベルゼーはこの地を護る為に他を犠牲にしようとしていたのだから。
それを知っている。知っては居ても今は状況が大きく違う。鋭く放つ邪道の極み。ウィンクルム・ドラゴンを斬り伏せた殺人剣は鋭さを帯びて行く。
「底知れぬ胎。ほの昏き此は我らの劣化二次創作を勝手に生産し、あまつさえ原典たる此方へと牙を剥いてくるらしい。
hmm…成程、つまるところ文字通りの命知らずというわけか――よぉしテメェら海賊版業者から著作権料ふんだくんぞオッラァ!」
拳を振り上げたのは幸潮。自身の在り方を演じてみせるヒーラーは世界法則をも否定する。『自己否定』と共に自らの行くべきを定めるのだ。
BAD ENDなど認められるか。その唇が嘲るように笑みを浮かべた。
胎。飽くなき暴食。その場所がよもや冠位暴食(せいぶつ)の胃袋の内部だと思えば愉快そのもの。
「……回復、厚く!」
イーリンが叫ぶ。頷いたのは弟子のココロだ。体力を喰らう権能を有するとは思って居たが――これは。
「継続的に此方を削るだなんて、まるで『消化』ね」
「腹の中……ですしね」
ココロは前線に赴いているレイリーに、オウェードに、そして華蓮に焔を纏わせた。
あなたの力になりたいと願う『医術士』は知っている。自らが支える事で、間接的に誰かの命を奪う可能性にもなるのだ。
(それでも、そうしなくちゃならない時が今――! ここに居る誰も食べさせやしません。わたしが、そうさせない!)
イノリの言葉を唇に乗せる。それはココロという娘の在り方であり、害意をも溶き流す神秘医術。
煩わしい呪いだ。イーリンが判断した『フロマージュ』は権能『飽くなき暴食』内部に入り込んだものを消化する為の生物には在り来たりな能力であったか。
(そうね、生き物は当たり前の様に臓器を動かし、活動させる。忘れてしまったって仕方が無いわ!)
人が生きる上での臓物の動きを全て把握している訳があるまい。特に、ベルゼー・グラトニオスという男の知識は『外』に向いていた。
男に権能についての詳細を問うたところで忘れてしまったと言いながら名だけ告げたのは、兄による所が大きいのだろう。
――仕方ない奴だにゃあ。
カロン・アンテノーラは自らの権能を『分ける』タイプであった。何れだけ自分が動かないかに着目するならば必要となるのは自身を支える者達の能力の把握だ。
「冠位怠惰なら全て分かったのか……っていうのは、もう今更ね」
「でも、教えて貰っていたとするならば兄弟仲は悪くなかったんですかね?」
駆け足で前線へと向かうエマは繊細な作戦を要求されているのだと不満を漏らし揶揄うように唇を尖らせた。
天を仰げばレイヴンの姿が見える。イーリンの指示と、自らの目を信じ、目まぐるしい戦場をよく観察しているエマはメッサーを振り下ろした。
飛び込む。そして突き刺せば、それは疾風の如く変化する。青褪めていく世界にも、何も恐れる事などないと知っていた。
ひらりと身を躱せば、勢い良く降り注いだのは天より降り注ぐ万物の星。仲間達の姿を認めてからレイヴンは詠唱術式を変化させ、大気漂う元素を黒き泥へと変化させた。
「此処に至ればそれも分からないことではあるが――竜の模造品を打ち倒して『冠位魔種(きょうてき)』殺しの舞台を整えるという目的は確かだ」
「ヒヒ、確かに! あっ、回復して貰っても良いですか? アイツらちょこちょこ痛いんですよね……ヒヒ」
エマが揶揄うように告げれば、天井を擦れるように飛行して居たレイヴンの指先がぴくりと動いた。
『ウィンクルム・ドール』――喰うためにそれを好んでしまう冠位魔種がイレギュラーズを模して造り上げた存在だ。それらは、自身達と同じように戦わんとするか。
「形振り構わず、行くか」
「Nyahahahahaha――!! 『同一奇譚』で有るかのように見せかけて、そこに肉もなければホイップクリームも詰っていない!
貴様はキャンバスに描いただけのペンキの塊でしか非ず、腑(ぞうもつ)を持たないならば実に生命を愚弄し愉快そのものではないか」
ロジャーズは実に面白いと言葉を並べ立てた。自らの存在をアプローチし、ウィンクルム・ドールの視線を釘付けにする。
ほら、見るが良い。同一奇譚(われわれ)は共に在るべきだ。チームプレイを行なう騎兵隊は直ぐ様に前線へと躍り出たロジャーズ達の姿に気付いた。
複数の障壁があろうとも、この場では何が致命傷になるかは分からない。不利な状況を立て直しながらも引き寄せるロジャーズと同じく、ヘイゼルはウィンクルム・ドールたちを自らに向けて誘き寄せた。
「さて、鉄帝はらしいストレートな総力戦でしたが、今回は冠位魔種と共に権能を叩くとは。毎回趣向が違い面白いですね」
「確かに、相手が違えば戦い方も違うのかな? やっぱり魔種であっても十人十色、という事だね。
これが吉と出るかどう出るか――ともあれ、まずはこの権能を何とかしないとなんだけどね!」
カインが問えばヘイゼルは美しく微笑んだ。唇にゆったりと乗せた笑みには僅かな余裕さえも滲んでいる。
「力だけに負けても詰まらないですし。それでは、ゆるりと参りませうか」
魔力が光を帯びる。眸と、そしてタトゥーが深紅に輝けば、ヘイゼルは其の儘の勢いで飛び込んだ。
儚きその刹那を追い求めるように、自らの可能性を掴み取り、叩き着けたのは終焉をも思わせる崩落の運命。棒切れを振り回しているとは思えぬ清冽たる太刀筋で、迫り来るウィンクルム・ドール達を見定めた。
あれは騎兵隊の誰であったか。その姿を見るだけで『相手が何か』を分かるだけ戦いやすいと言うべきか。
カインは冒険で把握した情報を竹葦t共有しながら、不測の事態を警戒し続ける。広まる眩いひかると共に、仲間達を巻込まぬ場所を見計らい最大火力を叩き込んだ。
冒険者はその知識を活かし進むことが出来よう。カイン・レジストにとってこれまでの道程は紛れもなく自身にとっての糧だった。
「ベルゼーがどうなるとしても……いい結末になることを信じて、ここで権能を削っていくぜ!」
「そうだね。この冒険(みち)の涯がどうなろうとも!」
リックはカインの情報と、ウィンクルム・ドールの状況を考えて、戦いやすいようにと仲間達を『マッチ』する。相性を見計らい、戦局を揺るがす事態を察知する。それこそが司令塔の役目だ。
誰も死なないように。感覚を研ぎ澄まし、広範囲の仲間達を見詰めていく。波濤の戦術は、波のように広がり精霊の力を進み行く支佐手へと与え給う。
「この結末に納得したわけではありませんが、ベルゼーの……いえ、ベルゼー殿の意地は伝わりました。
ならば、わしに出来ることは唯一つ。その意地が実を結ぶように、手を尽くしましょう」
誰もが物思うだろう。だが、歩むべき道が定まったというならば支佐手はそれに従うのみだ。
水銀を塗布した剱を手に、睨め付ける。根の国との境界は巫術を有して開かれるものだ。故に、黒蛇は『宮様』を守り抜く為に『冠位魔種』の自死を手伝うのだ。
剣の先より現れる雷神の化身。神鳴りと共に、天の怒りが降り注ぐ。呪詛は立派な戦術だ。宮様が為ならば、異邦の神をも詛うであろう。
「行く手は定まりましたが――」
「ええ、最大の敵は……地廻竜フリアノン」
ドラマは囁くようにして、『御伽噺の竜』を睨め付けた。
●
――地廻竜フリアノン。
それは現在の亜竜集落フリアノンを形作る重要な存在である。竜骨フリアノンと洞穴が合わさって作り出されたという里は、フリアノンの加護を有しているという。
「……流石は骨の状態でもアレでしたから、模造品と言えども大きいのですね」
幾許か大きさも『マシ』にはなっているのかもしれないが、それでも巨大であることには違いない。
「……全く、お伽噺に出てくるような竜と交戦するだなんて、昔であれば考えられないですね。逞しくなってしまったモノです」
ドラマは独り言ちた。デミ・フリアノンは物語の中で語られる存在よりも幾分も小さく見られた。だが、その威圧感だけは変わらない。
「ど、どうなってるにゃ……?」
目の前にはデミ・フリアノンが。そして、自身の背後からゆっくりと歩いてきたのはベルゼー・グラトニオス。
そんな不可解な状況にちぐさが目を丸くすれば、それはリスェンも同じだというように目を瞠ってから「えっと……?」と首を捻る。
「あなたが琉珂さんのオジサマですか?」
「如何にも。琉珂だけじゃありませんけれどな」
柔らかな笑みを浮かべたベルゼーにちぐさは「ホンモノのベルゼーは琉珂と一緒で……?」と頭を悩ませる。
琉珂と共に居るベルゼーは触れることは出来ない。琉珂が手を繋いで歩こうと誘ったとて、その指先は重ならず抱き締めることさえも叶わない。
「よ、良く分からないけれど権能の暴走は止めなきゃにゃ!」
「ええ。フリアノンで過ごした私のことも、護って下さっていたという事でしょう。
覇竜の地を大事にしてくださったこと、いちフリアノン出身のイレギュラーズとして感謝します。……いや、感謝するのはよくないかもしれないですが」
フリアノンの限られた人間は彼を里おじさまと呼んで親しんでいたとは耳にした。リスェンはそれだけ愛されていたその人にどの様な態度で居るべきかも思い悩んだのだ。
ああ、けれど――
「暴食として行った凶行は許されるものではないですから。それでもこの地を大切に思ってくれていることは伝わってきます。
だから、わたしも微力ながら共に覇竜を守るために戦います。ベルゼーさんと、きっと一番辛い琉珂さんの覚悟に報いるためにも」
「……リスェンさん」
琉珂が小さく呟いた。大丈夫にゃとちぐさは微笑む。凜と佇む『彼女』は覚悟をしている。ちぐさも、リスェンも同じ覚悟を抱いている。
逃げ出したい程に怖い。ちぐさの本音はそうだ。皆が頑張っている、琉珂にもベルゼーにも幸せになって欲しいという想いだけは変わらない。
「琉珂」
「ちぐささん?」
「琉珂がこれからしっかり生きて覇竜領域を守って、世界を知ってってするのに、それを見届けられないのはイヤなのにゃ! 僕の宝物が絶対力になってくれるのにゃ!」
ぎゅ、と握り締めたのはネックレスだった。揺らぐイヤリングも力になると知っている。琉珂を、ベルゼーを、それから仲間達を最奥に送り出すためにちぐさは此処で迫り来る脅威を押し止めると決めて居た。
「お任せ下さい」
ちぐさが産み出す泥がウィンクルム・ドールを覆い尽くす。仲間達のリソースを供給するためにリスェンの杖には魔力が宿された。
「ベルゼーさんの精神……みーおですにゃ、よろしくですにゃ。本当はベルゼーさんにパン焼いて食べさせたいですにゃ。
でもみーおでは権能を相手取るには力不足……こっちで制圧手伝いますにゃ!」
「此処も私の権能(はら)の中ですから、思う存分に『食べさせて』くれても構わないですからな?」
揶揄うような声音でそう言ったベルゼーにみーおはぱちくりと瞬いた。自身そっくりの敵も居る。みーおは「行って下さいにゃ!」と手を振った。
無数に降り注ぐ鋼の驟雨。弾丸を鱈腹ベルゼーに食べさせれば良い。みーおはそれで『お腹いっぱい』にしてやるのだ。
ベルゼー・グラトニオスを満足させるために。
「覚悟を汚した相手に吠え面をかかせる。……いいね、格好いいよ。
仲間のために全力で手伝うつもりだったけど、ますます振るう杖に力が篭りそうだ。
いってらっしゃい。ベルゼー、皆。君達が奥でよき戦いが出来るよう、僕はここで全力で支えよう!」
ウィリアムは至近距離へと滑り込んだ。格好から叩き着ける。魔力がより強固な気配を宿したのは青年の覚悟だ。
ベルゼーは戦う事など好んでは居ないのだろう。それは彼の性格などから容易に察することが出来た。
それでも、彼は冠位魔種だ。為さねばならない事がある。性格と使命が一致することなどはない。
――故に、イレギュラーズをも打ち倒すと決めた彼の覚悟を台無しにした『闖入者』はベルゼーにとって自らの決意をも台無しにするものだったのだろう。
「私は臆病者ですからな」
「そんなこと、ないよ」
「……いいや、ありますさ。臆病だったからこそ、彼女は『ああやった』。お陰で、踏ん切りがついてしまった!」
あっけらかんと笑った冠位魔種を送り出すためにウィリアムはデミ・フリアノンを殴りつけ道を開く。
「進んでくれ!」
洸汰は叫んだ。琉珂が手にしているカトラリーセットはベルゼーのものだ。彼の影が、少女の背に掛かる。
(ベルゼーのオッチャンが、ベルゼーのオッチャンを抑えるために頑張ってる……!
でも、オレだって、オッチャン一人でオッチャンと戦わせやしねーよ。オレも暴食の権能、少しでも削ってやるかんな!)
ぐ、と奥歯を噛み締めた。パカおとメカパカおと共に前線へと駆け参じた洸汰はデミ・フリアノンへと向かわんとする仲間達を傷付ける者を強かに貫いた。
蒼き彗星が走り抜けて行く。敵の目を奪う事が出来たならば、一助となる筈だと信じている。外の喧噪が響く。手を取り合うモノも居れば、敵愾心を抱くモノも居る。遍く不条理を知っているからこそ、シフォリィは止らない。
「ここで暴食の権能を止めなければ覇竜のみならず混沌全土を喰らいつくすでしょう。
そんなことは絶対にさせません。竜も、かのベルゼーも、私達に力を貸してくれています!
さあ正念場です、ただただ何もかも食す悪食の化身を倒す道を、私達が切り開きます!」
シフォリィの握る漆黒の片刃剣が周囲のウィンクルムたちを薙ぎ払う。メインディッシュを喰らい尽くすのは自身達の役目だ。
こんな『摘まみ食い』ばかりをしている暇など彼等にはないだろう。仲間達が辿り着くべき場所は一縷の望み――男が賭けた夢の欠片。
「私達が相手です!」
喉を鳴らして、地を蹴って。大口開いたフリアノンに扇動されるようにウィンクルム達が迫り来る。グドルフははんと鼻を鳴らした。
「また俺らのニセモンたあ、芸がねえなあ。
こちとら影だ泥だアルベドだ、散々コピーと戦って来たんだぜ? 贋作じゃあ本物は越えられねえよ」
何時だって贋作(まがいもの)を倒す事が出来るのは本来の自身だと知っていた。何の変哲も無い、それでも使い込んだ刀を勢い良く叩き込む。
一か八かのぶった切り。それだけで道を開くことは出来る筈だ。戦線を維持するべくシルフォイデアが支えてくれている。
グドルフはちらりと後方の少女を見た。穏やかに微笑んでいた引っ込み思案の娘の変化は誰が見ても明らかだった。
「……きっといつものように帰ってくると信じていたわたしにこそ、怒りを覚えているのかもしれないのです」
ぽつり、と呟いた。シルフォイデアにとっての星は、眩すぎるものだった。
義妹だと呼び微笑んでくれたその人は、奇跡となって掻き消えてしまったという。義父と共に聞いた知らせを飲み込めたわけではない。
運命は残酷だ。標を頼りにこんな場所にまでやって来てしまった自分を姉はどう思うだろう。
「わたしは、妹として何かできたでしょうか」
あの美しい海原を見据えていた瞳に憧れていた。
義姉は「ただいま」と何時だって笑いかけてくれると信じていた。――馬鹿みたいな話だ。そんなこと、もう二度と。
「嬢ちゃん、頼むぜ」
「……はい」
静かに呟いたシルフォイデアの眸に決意の火が灯る。グドルフは重たい刀を振り上げて、ドールに向けて飛び込んだ。
「やれやれ、悪食にも程があるぜ。こちとら毒も棘も癖も大アリの、犬も食わねえ連中ばかりだぜ?
タダで食われてやるほど、諦めもお行儀も良くねえのさ」
ああそうだ。諦め良く全てを諦めてしまう事など出来るわけがない。騎兵隊による回復支援も申し分なし。
ならば、鹿ノ子は最大火力を持って、攻撃を行なうのみだ。道を開けば必ずしや視界に入るデミ・フリアノン。その巨体を留め、全てを消し去るまで。
竜の装甲など、何のその。
「何度でも、何度でも! この二本の足が折れたとて、くるりくるりと舞い踊り続けて見せます!」
大地を蹴った。一撃、二撃、三撃、いや四撃でも。竜の弱点を作り出す為に、止ることなど無い。
感覚を研ぎ澄ませろ。見定め――そして、『隙』を狙え。
「一度入れば2度と出られない、暴食の胎の中か。ただの消化器官じゃなくて迷宮の役割でも持っているのかもしれないな」
そうした逸話は最後に必ず外に出られるオチがつくものだと竜真は知っている。生きていれば帰れるはずだ。
畢竟(とどのつまり)、自身達には未来が存在して居る。
「……俺たちはこの胎を食い破るために来た。そうだろ」
因果をも越える術式を展開する。バルムンクは、鋭くデミ・フリアノンの鱗を削る。鹿ノ子が絶えず攻撃を続けたその場所へ、振り下ろす。
竜を殺すという誉れ。英雄と呼ぶべき者は『竜を屠り』伝承に語られるようになるのであろう。
竜真が一度後方に下がる。その一へと突撃してきたのは扇風機――ではなく、アルヤン。
「アルヤン不連続面、参るっす」
ウィンと首を動かした。大物狩りだ。見上げる程に巨大な竜を前にして自らの出し得る全てをそこに顕在させた。
「汚く勝ちをとりにいくっす! 支えて支えて!」
地を滑るように進むアルヤンに小さく頷いたジルーシャは「何をするの!?」と困惑していた。景色は絶えず変化する。
美しい花園が見えたと思いきや、視界を横切るように扇風機が飛んでいた。
「待って!?」
ここが冠位暴食の腹の中。恐ろしさも感じられず、思い出という美しさで満ち溢れていると感じていたジルーシャの穏やかな心を遮るように扇風機が宙を踊る。
頭目掛けて到達し、コードを首に巻き付けるべく勢い良く延ばす。
「自分、竜を乗りこなしているんでは!?」
「落ちないようにしなさいよ。ああ、もう……!」
ジルーシャは嘆息した。障壁が割られたって構わない。狙うのは『継続して戦う』という一点のみだ。
(魔種は強い力も、強い身体も持っているけれど……心まで強いわけじゃない。鉄帝で出会った、ブリギットちゃんを思い出す。
救う方法がわからないなら、戦うことでしか終わらせられないなら。……せめて、心だけは救えますように)
それが自己満足だったって、ベルゼーを救えるのならばそれで構わなかった。願うように漂った紫香は広がって行く。
ベルゼーの作り出した花園に、馨しい花が広がってから――それが消え去る様を眺めて居た。
●
「『冠位暴食』、貴方の依頼――承りました」
すずなは静かに呟いた。琉珂がはた、と立ち止まってすずなを見遣る。
「貴方の想い、覚悟。我侭と仰られていますが、私は貴方のその意志を尊く思います。私は貴方達の進む道を切り開く、その為に刃を振るいましょう。
――そう言う事ですので。此処は私達にお任せ下さいませ。必ずや、本懐を遂げられますよう!」
流麗にして澱みなき清流の刀身をすらりと引き抜いてから実にシンプルな『為すべき』へと向き直った。
模造とは言え、地廻竜は地廻竜。結局は斬り続ければ良いだけだとすずなが大地を蹴り上げる。
「あらまぁ、メインディッシュなオジサマが大人気。
けれど、つまり私達はこのステージで伸び伸びやれるってこと。尤も、私とプリマの振り撒く毒なんてお腹を壊すでしょうけれど!」
くすりと唇を吊り上げたアーリアにヴィリスは視線のみを送った後つい、とスカートを持ち上げて優雅なカーテシーを見せる。
「ふふ、メインのステージではないかもしれないけれど。
今回はここが私たちのステージ。私たちはここで思う存分やらせてもらうわ! イイ女に見惚れなさいな!」
地を蹴った。飛び上がったヴィリスに続きアーリアが燃えるような魔力(ささやき)を届ける。重ねるのは幻の濃い。
毒を孕んだ女の声音をも全て飲み込むように、アーリアの手を取ってプリマは踊る。
その美しいステージの下をすずなは走り抜けて行く。
忠義の如く道を開く侍を見下ろしてアーリアはデミ・フリアノンへと囁いた。
「きっと貴方は、優しい竜だったのね。だからこそ、貴方の骸がそのまま里となり、里の名となった。
……此処に居るってことは、あのオジサマが食べて――愛していたのね」
「貴方がいたからあのオジサマは友を得た。貴方がいたから亜竜種の子たちは大きくなれた。
ここにいるのは偽物かもしれないけれど敬意は最大限に払わせてもらうわ」
愛されていたけれど、風化し薄れ行く姿は何も残せやしないのだろうと『彼女』達は切なげに目を伏せた。
「綺麗な場所ね。相手戦力は地獄のようだけど。
……ベルゼーについて思うことはあるけれど、考えている余裕はないわ。
仲間と共に生還する、イレギュラーズとして使命を果たす。それだけを考えましょう」
アンナはすう、と息を吐いた。デミ・フリアノンと暴走した『ベルゼー・グラトニオスの権能』を打ち倒すことこそがイレギュラーズの勝利である。
ただし、これは権能で作り出された幻であるとアンナは知っていた。つまり、そう。
「貴方は此処に居てさえくれれば良いの」
デミ・フリアノンを無理に倒す必要なんて、どこにもないのだから。アンナが踊るように布を纏わせた。
美しく、地を蹴る。跳ねるようにフリアノンを誘う。デミ・フリアノンの視線が揺らいだ――ならば、ドラマが纏う蒼い気配が鋭く一閃する。
鱗は硬い。だが、『それも何度も叩けば壊れる』と知っている。滅海竜も、怪竜も、そうした様々な存在に比べれば弱い。
「……リーティア殿……」
ルル家は呟いた。イリスが開いた希望の道を、更に繋げるのだ。リーティアと呼ばれた淑女が残した爆弾がデミ・フリアノンをも『弱体化』させている。
「こういう時はこういうんでしたでしょうか。『ここは任せて先にいけ』ってね!」
「え! それしにゃも言っても良いですか!? 倒せたらアチコチで自慢できますよ! ドラスレです! ドラスレ!」
しにゃこが拳を勢い良く突き上げた。リーティアと呼んだあの人は、何処まで見越していたのだろうか。
「リーティアさんが弱体化させたっていうデミ・フリアノンに挑みに行きましょうか!
リーティアさんの頑張りを無駄にしない為にもバッチリ行きますよ!
今更でかい竜ぐらいではビビらないですよ! 親友にも竜がいるくらいですからね! 竜のバーゲンセール!」
――まあ、それは置いといて。
今は倒す場面なのだとしにゃこはにんまりと微笑んだ。『向こうがデミ』ならこちらも『デミ竜の檻』で相対するだけだ。
此処は任せて進めと誰もが背を押している。走る琉珂の背を見守って居たジュリエットが目を伏せた。
「いよいよ最後……ですね。お役に立てる様に頑張ります。悔いの無い様に、出来るだけ権能を削りましょう。
ですが、お別れはいつも寂しく辛いものですね……琉珂さんは今、どの様な顔をしていらっしゃるのかしら……せめて笑顔でお別れできます様に」
ちっぽけな背中に見えた。ジュリエットから見れば、彼女も年下の少女だ。駆け抜けていく彼女が最後の別れを迎えられるように。
ジュリエットはデミ・フリアノンを護らんと動いたウィンクルム達を気糸で引き寄せた。
「……お腹の中ではありますが、彼の方はフリアノンや関わった方を大事にされていたのですね。景色が全てを物語っている様です。
本当に魔種らしからぬ方ですが、彼の思いを知ればこそ手を抜く訳にはまいりません――精一杯全力であたらせて頂きます!」
「綺麗だからこそ、救われやしない」
瑠璃が呟けば、ルル家が悲痛な表情を見せた。ああ、そうだ。リーティアだって彼と生きていく未来を望んだだろうに。
目の前には規格外の竜が居る。大切なその人を護る為に命をも賭した彼女の在り方も、誰もを愛した暴食の在り方も。
「――信じて任せてこそ人は動くもの、とは誰の言だったでしょうかね。彼の竜の重ねてしまった罪を許容はしませんが、その反逆には敬意を」
瑠璃は全てを終らすために、此処で支えきると決めて居た。姿を隠し、奇襲を行ない続ける。眼前に存在するはイレギュラーズにも似通った存在達だ。
それだけではない。デミ・フリアノンもベルゼーの思い出の欠片も。
「死者の再利用をした物というのなら、ええ、同類として負けてはやれませんね」
遣る瀬ないほどに、褪せては居ない。腹の中で出来上がった幻影がベルゼー・グラトニオスが記憶する姿そのものなのだろう。
ボディは複数の障壁を己に。味方を庇い、自身が皆を支える為にその目の前に躍り出たからこそ、気付いて仕舞った。
声が聞こえやしないのだ。デミ・フレアノンも幾人かのウィンクルムも。
(……本当に)
得も言われぬ気持に襲われながらも、戦う事を止めやしない。易々と消化できてしまってはならないのだ。そうなれば、全て、『なくして』しまうだろうから。
ボディの傍らでエリスは全てを支えきるために魔力を廻らせた。サンクトゥアリウムに込められたのは灰の霊樹の祝福。障壁は、呪力を伴い展開されていく。
「権能を抑えなくてはならないというならば、此処がボーダーラインですね」
呟くエリスの前に。デミ・フリアノンが大地を踏み締め白いと息を漏し続ける。
「地廻竜、フリアノンさん……もしかして神代種『ガラクシアス』だったりしますにゃ?」
応えはない。ベルゼーならば、分かるのだろうか。
それでも『ベルゼーの思い出の中の竜』はそうした立場やしがらみさえ取り払ったように暴れ回っている。
「そっかあ。冠位にも思い出ってものがあるんだねー。
でも、それはそれ……ここで終わらせないとダメなんだよね。だいじょーぶ! 今までも何とかなってきたんだから、何とかなるって♪」
にっこりと微笑んだカナメは真白な刃をすらりと引き抜いた。それは月のように青褪めている。
「所詮は偽物でしょー? 群れてもよわよわなんだからムダだよ、ざぁこ♪」
敢て、煽るように言葉を弾ませて。カナメは押さえ込むことに集中し続ける。それが、フリアノンを狙う者を支える事になるからだ。
言霊に力を宿せば、集まり続けるウィンクルム達。鈴音は敢てポージングを決めてから其れ等に向き合った。
死ぬには良い日だ。だが、死んでくれるなよ、と告げるのが『冠位魔種』とは何と云えば良いか。
「最早笑い事だよ! 不条理な異世界転生! 笑うしかない敵の構成! 権能撃破に命を張ろうとしたら生き残って欲しいと乞うのがその本人!」
愉快愉快。鈴音はからりと晴れた空のように笑う。愉快だからこそ、踏込め。歩め、飛び込め。
戦う足を止めることはなく。熱砂の砂漠を舞い踊らせろ。ひらりと踊るようにして行く手を開く沙月の眸がきらりと光を帯びる。
「雪村沙月、参ります」
前哨戦で消耗する訳にも行かない。故に、その道を開くと決めて居た。
「龍鱗がどれほど硬くとも拙者のCT力の前では紙切れ同然ですよ!」
ルル家が滑り込む。硬い。だが、CT(可能性)は何時だって手にしてきた!
ルル家の一撃を押し込むように沙月が重ねる。強力な力を持つ竜だ。鱗も硬い。その認識には違いは無い。
「叩き込みましょう。何度でも」
涓滴岩を穿つ。僅かだと笑われようとも、その一撃が、大いなる道を開く可能性にもなるのだから。
「模造品ね。脅威までがこけおどしって訳じゃなんだもの。
どんな傷だろうと、死なない限りは完璧に癒やしてあげるから、安心なさいな。その代わり、前は頼んだわよ?」
ルチアがぐ、っと鏡禍の背を押した。鏡禍は小さく笑う。「大丈夫、ルチアさんがいるのなら倒れやしませんよ」と。
野放しには出来ぬ存在を前にしている。愛しい人の命をも揺らがすのだ。此処から出るためには『倒さねばならない』相手が居る。
(――ルチアさんを護る為!)
鏡より出る悍ましい気配。前線へと滑り出した鏡禍をルチアが支援する。彼だけではない、皆を護るべく啓示の乙女は指を組み合わせた。
その指先には手鏡の欠片を埋め込んだ金の指輪が存在して居る。薄紫の霧を纏ったその指輪があればこそ、強くだってあれるのだから。
沙月とルル家が見える。戦う二人を支えるエリスの魔力が揺らぐ。
「なんとか持ちこたえますよ!」
デミ・フリアノンの腕を受け止めた獅門が唇を噛む。だが、此処が好機だ。
「おら、行けよ。あのジジイの腹ン中――暴れまくって来やがれ!」
ジジイと呼ばれたベルゼーが笑った気配がする。グドルフはそれ以上何も言わず背を向ける。
「ここは私たちに任せて、貴方たちは先へ!」
瑠璃の水晶の眸が煌めいた。断片ばかりの未来視。それでも覚悟は疾うに決まっていた。
幾人もの仲間達が走り抜けていく。景色が変容していく。美しい野に、鮮やかな空。ベルゼー・グラトニオスの見た風景の全て。
「ベルゼーの旦那……格好いいひとだな。倒すしかねぇのが残念だが、それが旦那の望みなら、叶えられるよう全力を尽くすぜ。
奥へ向かった旦那や姐さん達が戦いやすくなるように、ここの制圧頑張らねぇとな!」
獅門は大太刀を抱え上げた。何れだけ傷付こうとも、何が起ころうとも此処で怯み挫けるわけがない。
己達は、立ち向かうために此処までやってきた。その膝が付くまで、全力を出すことを止めやしない。
さあ、進むべき未来はたったひとつだけ。一縷の望みは――
●
「この展開は、流石のリーティアさんも予想してなかったでしょうね。……でも、そう。それは……あってはいけない事などでは無い、と思います」
静かにリースリットはそう言った。リーティアと呼んだのはアウラスカルトの母竜であり、卵を産み落とした竜種が人の姿をとるときの名である。
彼女は、『パラスラディエ』はベルゼーにとっても愛おしい我が子のような存在であった。アウラスカルトがそうであるように、だ。
「……罪があるというのなら、それはまさしくあの権能こそが貴方に背負わされた罪そのものでしょう。
パンドラの成す救世とは、この世界と、そこに生きる命を救う事だと思っています。
ですから。貴方の心が、魂が救いを得てはいけない理由など無いのです。
ベルゼー・グラトニオス、貴方の心が暴走する権能に喰われてしまわなくて良かった」
ベルゼーは柔らかに笑った。屈託のない少年のような笑みを浮かべる彼こそが本来の姿なのだろう。そう思うからこそリースリットは遣る瀬ない。
(ああ、本当に――あなたは存在こそが罪であり、権能は罰で合ったのかもしれない)
『彼女』が愛した彼も、こうして屈託亡く笑っていたのだろう。そう思えばこそ、酷く心がざわめいた。
息を呑んで、拳を固めて。メイメイは震える声音で「ベルゼーさま」と呼んだ。彼は冠位魔種で、メイメイにとっては『恐ろしい存在』であったのに。
「……リーティアさまに導かれ、アウラさまと此処まで来ました。
ベルゼーさまが愛し慈しんできた、覇竜に住まう方達の為に、竜と人の未来の為に……!
約束、であり、わたしの願い、です。琉珂さま、ベルゼーさま、お供します、ね」
「お嬢さん。パラスラディエは良い子だったでしょう」
メイメイは泣き出しそうになりながらも唇を引き結んだ。『暴食』だから愛した訳ではない。人が人を愛するような、当たり前の感情を彼が抱いている気がしたのだ。
「……とても、素敵な方でした」
パラスラディエの『罠』がベルゼーにとって幸運であったのは、自らが離反する事が叶ったことだった。
琉珂の傍らに立つメイメイは存在を感じる男の『権能』そのものに対抗すべく、力を振るう。
「ベルゼーさん!? よくわからないけど、一緒に戦ってくれるんだよね?
琉珂ちゃんを悲しませたりした分はお仕置きしなきゃって思ってたけどそれは全部終わってからにしてあげる! 今は頼りにしてるよ!」
「いやいや、『私の本体』でも殴って満足して欲しいものですなあ」
焔があんぐりと口を開いてから琉珂の手をぎゅうと握り締める。「焔に殴って貰いなさいよ」と琉珂が不満げに告げる声を聞きながら焔は耳元でそっと囁いた。
「……大丈夫だよ、琉珂ちゃん。ボクが代わりにやっつけたってもいいけど、琉珂ちゃんならできるでしょ?」
何があったって彼女を護る。最後の別れの時を、用意すると決めて居た焔は守りを固めるように、自らに茨を纏わせる。
なるべく体力は高く保ち、琉珂が挫けぬようにと準備を整えるのだ。それが焔なりの戦いだ。
「……本当に優しい子ばかりですなあ。許されることはしていないでしょうに」
「いや、別に許さないが?」
茄子子の瞳が真っ直ぐにベルゼーを突き刺した。その素直な声音にベルゼーがからからと笑う。ああ、その方が良いのだ。
「顔がいいからって調子に乗りやがって……許さないでくれってなんだよ。知らんわ。許す許さないの裁量を自分で決めるなよ。
まぁいいよ。練達を崩壊された恨みは権能の方に八つ当たりするから。
謝ったって許さないんだからからね! まだ復興で忙しいぞ会長!!」
「お嬢さんのような存在の方が好きさ」
「知るか!!!」
茄子子は外方を向いた。自身はベルゼーの権能と相性が良い。『ぼこぼこ』にして貰う為に、支え続ければ良いのだ。
「空腹とか知るか! 満たされることなく終われ! ばか!!」
「ははは」
笑うな、馬鹿。
唇を尖らせる茄子子の支えを受けながら、ロロンは「なら!」と眼前を見た。ベルゼーと同じ顔をして居るというのに黒い瘴気を宿した『権能そのもの』が断っている。
「かつてのボクを滅ぼした極光の再現をお腹いっぱいに叩き込んであげるよ!」
構える。ベルゼー・グラトニオスというのはロロンにとって観測対象だ。ああ、なんて『不合理』な存在であるか。
「……完全に人の心を手に入れたら、世界を食べ尽くすことに耐えられなくなるんだね。
そういう形として生まれたとしても、ベルゼーくんが自分自身を否定するくらいに。困ったなぁ、困った。
ボクはもう大事なもの全部食べ尽くしちゃったのに、どうして人に近付こうなんて思ってしまったのだろう」
自分だってそうだ。食べ尽くしたのに、人間を愛してしまった理由が分かりゃしないのだ。それでも、皆を同じくらい大事に思ってしまったから。
(辛いとか哀しいとかはわかるけど、好きとかはわからないけど。それに縋って今は踏ん張ろう。
ベルゼー・グラトニオスが終わらせたいと願うなら、出来損ないの願望器はそれに応えよう――)
ロロンが放つ準備を整える中、ロレインはゆっくりとベルゼーに向き直った。
「ベルゼー・グラトニオス、貴方の覚悟と選択に敬意を。……天義の教えから離れ、今は一人の人間として貴方を討つわ」
天義という言葉にベルゼーが何処か懐かしそうに目を細めたのは彼にとっての長兄がいるからなのだろう。
ベルゼーとその名を呼ぶ。仲間達を支えるべく、回復手段を整えるロレインはゆっくりと踏み出した。
「ベルゼーは義務に従い我々と戦うはずだった。それは任務の天秤皿がやや重かっただけ。だけど任務は命じた者がその重みを自ら減じた……。
馬鹿にするつもりはないけど、人を知らなすぎるわね? ベルゼー、貴方はどこまでも真面目すぎたわ」
それが彼の性分だったのだろう。初めての反逆、と呼べば何とも愉快な事にも思える。
「へぇ……冠位も自分の運命に抗ったりする事があるのね……まぁそれも特異運命座標の賜物ってところかしら。ここにいる人達は皆凄いって事よねっ?」
にんまりと笑ったエルスに「勿論ですとも」とベルゼーは頷いた。そうやって褒め称えるようになったのも、ベルゼーがイレギュラーズの側についた証拠なのだろう。
エルスは何処か擽ったさを感じる。白髪を揺らし、祝福を胸に『権能』へと向き直った。
「なら……私も力を尽くすわ。ベルゼー、あなたの運命に決着をつける手伝い、私も加わってあげる。
なんでかしらね、竜の血が少し入ってるぐらいだけど……なんだか放っておけないのよ、不思議だけれど」
死ぬつもりはない。けれど、死んでも良いと――それだけ気持ちを固めていなくてはならない。
覇竜の隣にはラサがある。それだけで、戦う理由になる。『あの方』は竜種を屠ったと言えば、どんな顔をするだろうか。
(それに私は強くなれた……なれたはずだ、奢りでは無いと信じたい。だからこの脅威に恐れず全身全霊で立ち向かっていきますともッ!)
エルスが走り出す。重苦しい気配も、迫り来る全てを退けるべく戦場に立ちこめた冠位魔種の気配を打ち払う。
「いくよロスカっ! ふんばれっ!!
てか、ベルゼーさんが味方になったんですか!? なんで!?!?
何が何だかよくわかりませんが! とにかくあの腹ぺこおじさんを倒せばいいんですね!」
ややこしいとウテナは叫んだ。ロスカがキュイと声を上げる。ドラゴンライダーは空を駆る。嗚呼、空と行ったってこれは『彼の思い出』の中だ。
「うちも琉珂さんのお友達ですが!! 琉珂さんはうち達が支えますので!! 安心してください!!!
思い出と一緒に、どーーーんですっ! これがうちとロスカの全力全開――――ッ!」
ウテナが叫んだ。『権能』はそれを喰うかのような仕草を見せる。だが、確かにダメージは蓄積しているだろうか。
「ふむ、状況が動きますねぇ」
ベルゼーが此方に来たこと。権能が暴走していること。全てを俯瞰するように眺めてからベークが構える。周辺を支援し、支えるべく尽力するのだ。
可能であれば奇跡だって講じるだろう。叶うかは分からずとも、願うことは無駄ではない。
美味しそうな体でぴょこんぴょこんと跳ねる鯛焼き。そんなベークを見ていたのは琉珂の傍に居るベルゼー(幻影)だった。
「食べないで下さいよ!?」
「残念ですなあ」
呟いたベルゼーは悪戯を思いついた子供の様に楽しげであった。
●
「ベルゼー。ローレットの一員として、貴方の依頼、確かに引き受けた。俺等の立派な仕事ぶリ、その魂にきちんと焼き付けナ!」
大地は知恵の実を手にしていた。物語を綴るその手を止めることはなく。叡智を感じさせるその身には活力が満ちている。
足元に咲いた小さな花は大地当人が描いたものだ。甘い蜜の香りが立ち昇る。
「琉珂、安心してくレ。絶対に支えてみせるからナ!」
「ええ。有り難う……!」
走り行く琉珂を常に支え、見守るのが大地の役割だった。彼女の傍にはグリーフが立っている。護衛役を引き受け、琉珂と、そして彼女と共に在るベルゼーを護る為だ。
「ベルゼー、貴方の愛した覇竜のために、貴方を倒しましょう。とはいえ聞きたいことはありますね。新たな呼び声の主とか……」
ふと、問うたウルリカにベルゼーは「生憎ながら『彼女』の事は知らないんですよなあ」と呟いた。
彼女、と言うからには女性だ。ベルゼーは漆かをまじまじと見てから顎に手を当て考え倦ねる。そんな姿を見れば人間だ。何も変わりない。
(……本当に、普通の人間にしか見えやしない。この選択を、イノリは予期し得たのでしょうか。
比べようのない優しい人柄と、彼を慕った竜種らの歴史は、とうとう彼の離反に行きついた)
切欠となったのは横槍を入れた無慈悲なる呼び声。ベルゼーは「『彼女』は悪戯っこなんですなあ」とカラカラと笑った。
「い、悪戯ッコ……」
思わず大地が呟けばベルゼーは「私が心配だったのはイノリの方でしょうからな」とあっけらかんと言う。
『権能』へと向けて攻撃を重ねていたウルリカの傍でグリーフは静かに男を眺めていた。感情の色彩はこうも寂寞に満ち溢れている。
(『彼女』と呼んだ存在も、イノリに関してもこの人は余りに知らないのだろう)
グリーフは孤独であったのだと改めて眼前の男を見詰めた。
「ただ、まあ、『黒き聖女』はイノリの傍に居てくれるでしょうから私は安心しているさ」
「安心……?」
Я・E・Dの声音が震えた。Я・E・Dは覇竜という国が好きだ。亜竜種に竜、琉珂やそしてベルゼーが好きだ。
ベルゼーの為に死んでいった者達も居る。敵であったとしても、彼女達には生きていて欲しかった。
「どうして、諦めちゃうの」
「そういうものさ」
「そんなこと……そんなことないよ……イノリは、分からないけれど。この国にはベルゼーさんが居ないとダメなんだよ」
珱・珠珀も、琉維も。パラスラディエやフリアノンも。彼に喰われてしまったとしても、ベルゼーを愛していただろう。
ジャバーウォックや白堊、彼女達だって。その意志が残っているならば彼を作り替えたかった。唇を引き結んで、決意を口にしようとしたЯ・E・Dにベルゼーが「琉珂」と呼んだ。
「オジサマ……?」
「Я・E・Dと言いましたな。よく聞きなさい。確かに私は今、権能と精神(こころ)が分離した状態だ。
だが、肉体を作り出すというならばそれは生命の創造とも獲れるでしょうよ。この場のイレギュラーズ全員でも足りず、混沌から幾つの可能性を喪う可能性を私が喜ぶと思うかい?」
ベルゼーはЯ・E・Dの腕を掴み留めろと琉珂に言った。困惑する琉珂は「でも」と唇を震わせる。
――只の亜竜種に彼が慣れたら。肉体の許になるリソースが僅かで済むなら。
そんなわけ、無かった。Я・E・Dだけではない、この場のイレギュラーズ全員のパンドラを捧げても尚も届かない願いだ。
「……優しいお嬢さん。老いぼれは、早々に行くべきなのさ」
Я・E・Dが引き攣った声を漏した。その話を耳にしていた舞花は「貴方が優しいから」と呟いた。
「貴方が、初めからそう有れかしと在り方を定義されて生み出された存在だというのは、解っていた心算だけれど。
『生物の形を模した権能』というアークの器こそが彼らの肉体であり、それに宿った人格、心がその精神か……」
「はは、案外上手くいくものだと思いましたさ」
精神と権能が切り離されても権能単体で活動し続ける時点で舞花は理解していた。どう足掻いたとて『ベルゼーが何のにも慣れない理由』
「……冠位魔種、七罪はそれぞれが司る権能こそ――いえ、『冠を頂いた座』こそが真の本体なのね。
貴方の精神はその上に成り立った個に過ぎず風が吹けば消し飛ぶ可能性だってある。けれど、その『個』が私達と共に在ってくれる」
舞花は一度目を伏せた。僅かな礼をし、『権能』(ほんたい)へと向き直る。ひりつく風に貪り喰らうかのように減少していく己のリソースを感じ取る。
此方を喰らいじわじわと痛めつける様は正しく消化そのものだ。それを僅かにでも食い止めようとしているのが彼の精神だというならば。
「貴方に敬意を、ベルゼー・グラトニオス。
冠位魔種として生まれながらそのような精神を宿し育んだ貴方は、冠位魔種であろうとまさしく人であると思います」
ベルゼーが穏やかに微笑んだ。その笑みを眺めて居た昴は「生憎だが、覇竜領域の事情も冠位暴食の事情も知らん」と告げながら踏み出した。
「しかし、暴食の権能を放置は出来ないことくらいは理解できる。世界を喰われる訳にはいかん」
「その通りですな」
頷くベルゼーに昴は「あれが、お前の『本体』だな」と指差した。自らの体に沸き立った闘氣の気配が揺らいでいる。
向かう先は決まっている。竜殺しの一撃を、叩き着ける。猛き一撃に跳ね返される痛みなど何のその。権能は言葉もなく黒き気配を揺らがせている。
(――何か、奴らに為すことは出来ない。だが、だからこそ、迷わず恐れずただ全力攻撃あるのみ。
それが願いや祈りをもってこの戦いに臨む者たちへの最大限の支援となるはずだ)
傷だらけの拳を固め、昴は走り出した。その背に続くのはシラスである。黄金の竜の牙、武装になど頼ることのない青年の決意が揺らぐ。
その身を焼くほどの魔力の放出と、凄まじい速さで駆け抜けていく青年は、術式の構築を分散しその精度を上げて行く。
「フロマージュは『摘まみ食い』だったか。まあ、確かに『胃の中に入っちゃえば』消化は後のことだもんな?」
「胃の中だから? 確かにそうだね。
此処が牢なら、捕えた後に『奥の手』として削り取れば良い――問題は、それが……『権能(ほんたい)』を回復させているかどうか、だよ」
「確認してくるよ」
アレクシアの揶揄う声音が聞こえてからシラスは「アレクシア、行ける?」と問い掛けた。
「ふふ。まさかベルゼーさんと一緒に戦えるなんてね……ちょっと複雑だな」
肩を竦めたアレクシアがくるりと振り返った。『後でたっぷり』と言い含める彼女にベルゼーは何処か切なげに眉を寄せる。
(あ――)
シラスはその表情の意味が分かって仕舞った。唇が戦慄く。
「……後で、ね。後でたっぷり話は聞かせてもらうからね! 琉珂君にもちゃんと謝ってもらう! 戦い終わったらすぐ消えたりしないでよ!」
ベルゼーは何も言わない。琉珂を護るアレクシアに託してシラスは前線の『権能』に向き合うのだ。
権能の一つデセールが全てのどんでん返しを狙うものであったなら? それを見越して琉珂には出来る限りの護りが必要だ。
(……フロマージュが『回復を行なう』なら、デセールは? その量の分だけの攻撃であったなら……)
アレクシアはひりつく風にその身を寄せて、全ての苦難を撥ね除ける事ばかりを考えて居た。それが命を削る可能性があろうとも。
「アレクシア」
呼ばれ、顔を上げた。
「例えばさ、大技じゃなくって『ザコがわらわら』だったら? そういうのって得意だろ?」
シラスが拳を固め、頷いた。アレクシアはにんまりと笑う。
「暴食だろうが、喰らい尽くせないくらいの可能性ってやつを見せてあげる!」
「喰う――」
その言葉にピンと来たようにアンジュが飛び出した。ベルゼーの姿を見付けてからずいずいと詰め寄っていく。
「ねえ。冠位のおじさんはさ、いわし、食べた事ある? 私、いわしを食べる奴は全員ぶっ飛ばすって決めてるんだ」
鰯。
エンジェルいわしと呼ばれる娘は『いわ神(しん)』である。つまり、鰯を護る為に戦うのだ。
ベルゼーは突如、いわしを食したことの有無で仲違いする危機に陥ったのかと驚いたように目を瞠った、が。
「……なんてね。答えは聞かないであげるよ。だってどっちにしろ、今からぶっ飛ばすんだもん。行こう、おじさん!」
「はは――ははは、そうですなあ!」
どっちにしろ、ぶっ飛ばされると手を叩いて笑ったベルゼーに「笑ってる場合じゃないよ!」とアンジュは飛び出して行く。
最強いわしとなってアンジュは走って行く。魚群はなくとも、希望を手にしている。痛みが跳ね返されようとも挫けるわけがない。
「いわしも、みんなも、世界も――食べるなあっ!」
其処にあるのは痛烈なる『小魚』の意地だった。
ベルゼーがぴくりと指を動かした。アレクシアははっと彼を見る。何かを手繰るように制御しているならば――
(デセール……?)
権能を、食い止めようとしているのか。
「ヒトだって同族で争います。育てた家畜を食べます。
彼は魔種ですが、永く生き、たしかに他者を慈しみ、愛した方。
……なにより、反転や狂気などのように、ヒトを歪める事象を私は良しとしません。
その意味で、生まれた時から魔種である彼は、彼のままであっても良いと。世界の中で私たちと相容れぬものがあったとしても」
琉珂の傍でグリーフはぽつりと零した。琉珂はゆっくりと顔を上げる。
「あの人は、受け入れて貰えるのかしら」
たったの一言。弱音だった。ベルゼーがアンジュと楽しげに話している背中を見る。
琉珂にとって、グリーフは『覇竜領域』の外の人間だった。だからこそ、言う事が出来たのかもしれない。
「里長だったのに、あの人に弱い部分を晒し続けた私は一人で立てるのかしら」
両親を喪って、親代わりをもこれから喪おうとする一人の娘を前に、グリーフはゆっくりと瞼を降ろした。
「私も。私なりに。知った気がしますから。
愛を。離別を。だから――」
●
「さて、ベルゼーの思いがけない助力がきた代わりに、もう片方のは本当に慈悲も情けもなき破滅者になったとね。
それじゃあ、相棒……心置きなくアレを壊しにいくっすか!」
眼前の『権能』を指差したレッドへとウォリアはゆっくりと頷いた。随分な反抗期が訪れたものである。
「語るに及ばず。終焉を撃ち破るべく___時は来たれり」
レッドに援護を任せて、ウォリアは只、『権能』を打ち倒すが為の刃となる。誰よりも人間くさく、慈悲深き『大敵』に降すべき裁定は決まっている。
「ベルゼーさんを『連れていく』ならどこまででも。一縷の望みを掛けてそう繋げていこうじゃない、ねえ? ベルゼー」
「……そう、ですなあ」
別れがあれど、それは永久ではないと知っている。故に、支えるレッドは自身の中に燻る猛き想いを『権能』にぶつけるウォリアに託していた。
―――――
大地が震える。それが肉であり、胎の中であると識る。だから、何だというのか。
自身達は成すべきことを胸にやってきたのだ。ウォリアは愛とは何時に理解したものであっただろうか。
本来ならば彼(ベルゼー)は愛する事を知らなくて良かっただろうに。
「優しく、愛に溢れ、そして運命に葛藤する___詞で語れば『それだけ』ではあるが。
ならば、お前を『想う』この世の全と向き合い、彼らの『心』を噛み締めよ
お前の言葉、お前の心で……お前自身の『積み上げたもの』と向き合う時は今だ、ベルゼー」
「そうさせて、貰いましょうかな」
ベルゼーの指先が動く。何かを、食い止めているかのような動きだ。レッドは「相棒」と呼んだ。ウォリアが頷く
―――――!!!
『権能』の体が震えている。ダメージさえも『喰っている』。いや、それだけではない。じわじわとイレギュラーズを喰らい続けてきた結果だ。
「ヴェルグリーズ!」
星穹が呼んだ。ヴェルグリーズは頷く。『権能』の周辺に突如として現れたのは眩い光。『権能(ベルゼー)』の唇が笑う。
――デザートはお嫌いですかな?
「いいえ。けれど、お腹が減っている貴方から恵まれるとは思って居ませんでしたわ?」
星穹が目を眇めればヴェルグリーズは笑う。光は徐々に形を取り戻して行く。
それは人間の形をとったかと思えば『喰らった分』だけの力を跳ね返すように腕を振り上げた。
「ベルゼー殿!」
「出来る限りは抑えているので、頼みましたぞ」
ヴェルグリーズは頷いた。星穹は語る言葉を持ちやしない、『ベルゼー』という冠位でもない只の個人の信頼には在り方で応えるのみだと考えて居る。
ヴェルグリーズを庇う星穹の背後より、青年は鋭い一撃を振り下ろす。
「べルゼー殿、キミが冠位暴食で無ければ共に歩く未来もあったのかな。
……そんなことを思っても仕方ないか、ここで終わらせることが俺達の目指すべきものなんだから」
背を向けたまま呟いたヴェルグリーズは『子供』がいるならば、彼が感じている未練は良く分かる。
琉珂を護るように幾人ものイレギュラーズが居る。ベルゼーにとっての愛しい子ども達である亜竜種の幾人もが戦場を駆けている。
(恐ろしいことでしょう――ええ、けれど、この『食事』を終らせないと。
食事は苦しいのではなく楽しいもの。お腹を満たすときは心も満たされていませんと。
……貴方が結んできた絆こそがきっと、『おいしくない』の理由なのでしょうね)
ベルゼー・グラトニオスという個人が、『冠位魔種』の権能を抑えてくれている間に。景色は変化し続ける。
見たことのある風景に目を瞠ってからセレナは小さく息を吐いた。迚も険しいこの場所でも、良い場所だと感じる事が出来た。
(……この地を何よりも大切に思う娘だっているのだから。
だから、護る為にわたしも戦う。覇竜に集った祈りと願いが、未来を拓く力になると信じて――!)
セレナが顔を上げた。前に立っているのは魔力の余波でその体の色彩に僅かな変化をもたらしたマリエッタである。
「……元より、貴方を殺すと決めていました。貴方をその宿命の軛から奪い取り……助けると。
私は死血の魔女――無慈悲な悪意からその魂と心を血と共に奪い取る魔女です!」
彼を助けるために殺さねばならないというならばマリエッタはその未来を選び取ると決めて居た。
自身のリソースを奪うというならば取り返すのみだ。死血の魔女(かのじょ)は強欲だ。そして、マリエッタ本人も同じ性質を宿している。
「奪うだけではなりませんよ」
「マリエッタ!」
呼び掛けるセレナを振り向いてマリエッタの唇が震えた。セレナの視線の先にはユーフォニーが居た。
覇竜領域を一番に楽しみ過ごす彼女。大切な地だとこの地を慈しんできた彼女にだって考えがあるはずだ。
セレナは防御に用いる結界を刃の形へと変えて、光へと振り下ろす。霧散し、それがベルゼーに吸収される前にマリエッタの『魔術』が串刺しにした。
「遣い終ったものも再利用(リサイクル)ですか? ……させませんけれど」
「……そっか! 倒した後、それを消滅させれば良いのね……!」
二人の声を聞き小さく頷いてから、ヴィルメイズは「さあ、どうなさいますか?」と問うた。
「叶わない夢でも、叶えたいと願うのは……行けないことでしょうか?」
静かにユーフォニーが問う。幾つもの光を霧散させ、ヴィルメイズは「いいえ」と微笑むのみだ。
「旅の中、私が何故イレギュラーズとなったのかを考えていましたが……ええ、今がその時。
世界を救うために討つ。果たしてそれだけで良いのか? 人も魔種も、愛する心は何ら変わりはしない」
ゆるりと微笑んでからヴィルメイズは『権能』へと手を伸ばそうとするユーフォニーと共に走った。
「仲間の料理を味わったり、琉珂さん達の拳と想いを受け止めたり、
権能に縛られず自由に愛したり、ひとと竜が手を取るところを見届けたり――そんな時間を、貴方に渡したいのです!」
琉珂も、ベルゼーも、誰もが『しあわせ』になってほしかった。
ユーフォニーはベルゼーにとって覇竜の友と呼ばれていた。
「……友人だからこそ! 大好きな覇竜に、世界に、ベルゼーさんに生きてほしい! 貴方の手を取りたい!!」
権能ではない――その背後で、ベルゼーが眩い光を眺めるように目を細める。
「ベルゼー様。琉珂様や、あなたが愛した者の数だけ、あなたは愛されているのです。
だからどうか……あなたがご自身を愛せるような、そんな未来になりますよう」
ああ、なんて――なんて優しい子達だろうか。
それでも、願ってはならない。叶ってはならないのだ。
舞花が言って居たようにベルゼー・グラトニオスの本質は目の前の『権能』だ。世界が肯定しない事は起こせやしない。
「……ベルゼー」
ミーナはその背を向けた。無数の攻撃の『ダメージ』を喰わせ続ける。イレギュラーズはまだ、健在だ。
じりじりとする焦燥感を背負いながらも、ミーナはゆっくりと振り向いた。
「私もあなたと同じ。暴食故に全てを愛してしまった死神……だから、きっと、私達二人なら、全てを奪い取る事だってできる!」
「お嬢さんは、途方もない年月を生きたのでしょうな。ですが、まだ、諦めなくてもよいのでは」
博愛の心を持ち得るならば、そのココロを酌み交わせた相手を大切にして欲しい。ベルゼーは柔らかに眉を下げて彼女の背を押した。
赤い翼の娘が地を駆ける。彼女ならばベルゼーが飛べなかった空の下だって飛べるだろうか。
ベルゼー・グラトニオスは暴食だ。故に全てを愛したが、その気持ちが偽物ではないと思いたかった。思って居たかった。
(ですが、難しいモンですなぁ)
――愛する事を何と称するべきか。
ベルゼーだけではなく、愛無さえ分かりやしない。
「僕の名前は恋屍愛無。愛など知らぬ人でなしの化物だ」
愛も乞いも分からないが分からないなりに分かったことがあった。矢張り、彼と自身では違うのだ。
暴食とは生きる糧だ。生きる為に喰う。喰うというのは殺す事。そこに他者の介在はない。畜生を殺す事を罪などとは言えないだろう。
「冠位暴食。生ぬるい。お前は『人間』だ。ゆえにその罪咎を。その権能を僕が喰い尽す」
静かに愛無は言った。所詮、奇跡とは人のためにあるのだ。喰うも喰われるも結果でしかなく、死ぬならば死ぬ、生きるならば生きる。
死ぬまで持てる牙を穿つだけ。
走り続ける愛無やミーナを視線で追掛けてからルナは周辺を見回した。消耗を避け、出来る限りの突入タイミングを避けて遣ってきた。
戦線は維持されているが疲弊は大きい。
(さて、どうするか。あいつら、突っ込んだはいいが、ぶっ倒してその後はどうするつもりだ?
……ベルゼーの精神体がうまくやるかもしんねぇがよ。
もしかしなくとも、中でPPPぶっこむ奴もいるかもしんねぇし、あるいは、全力だして動けねぇとか。
最後の晩餐にてめぇの命を差し出そうって残ろうとする奴もいるかもしれねぇ)
ベルゼー・グラトニオスならば権能を破壊して其の儘全員を外へと送り出してくれるかも知れない。だが、『かもしれない』なのだ。
「思うところは知らねぇがよ。……泥臭く足掻けよ。それこそ、そこの暴食みてぇによ」
その為に、逃げる手筈は整えられる。退路が存在するだけで、何れだけ安心して事が運ぶのかをルナはよく知っている。
●
「……正直な所、少し安心しています。覚悟していたといえベルゼー様を討つ事に躊躇いが全く無かった訳ではありませんから。
これで憂いは無し。権能を打ち倒し、必ず皆で帰りましょう。琉珂様も皆も、勿論私も貴方に言いたい事、沢山あるんですよ」
紫琳は穏やかに微笑んだ。必ず視野守り切ると告げる彼女にベルゼーは「もしも、この身が掻き消えてしまったら?」と囁く。
ああ、きっと。猶予なんてないのだ。彼は所詮分離しただけの精神体。
(……ええ、権能を殺してしまえば貴方が居なくなって仕舞うかも知れない――)
ならば、その時までに琉珂と彼に話をする時間を与えてやらねばならない。
空が青いだとか、何が美味しいだとか、今日は何処に行ったとか。他愛もない、家族との会話はどれ程までに尊いか。
話す言葉がなくなれば隣でごろりと転がって一眠りするような平穏が、尊いのだ。
「ねえ、『オジサマ』」
ひりつく風の中で鈴花は静かに呼んだ。殴ると告げて居た彼女にベルゼーは意外だと目を丸くする。
「心の声を、盗み聞きしてごめんなさいね。でも、リュカを泣かせたのとか殴るカウントすごいのよ。
許すつもりもない、こっちのベルゼーも殴ってやりたいところだけど殴るのはあっち! それは決めたの」
「はは。そうしてやってほしいですなあ」
鈴花は「ゆえ!」と自身の前に立つ彼女を見た。空のような優しい色彩。美しい宝食の竜。
「うん。わたしの知ってる貴方はさとちょー……琉珂のおとーさん。
貴方のやってきたことはいいことも悪いこともある。いい人なのか悪い人なのかはわたしにはわかんない。
でもさとちょーを泣かせたのは許さない! わたしたちの想いと拳を届けてみせる!」
ベルゼーはああと呟いた。ああ、この子は友達が出来たのだな。
涙を隠すように俯いたベルゼーに「あのね!」と朱華が声を張り上げる。
「……正直複雑だけど、すっごい複雑だけどっ! 琉珂にとってはこれで良かったのかもしれないわね――さぁ、決着をつけに行きましょうか」
琉珂とベルゼーと一緒に『ベルゼー』を殴りに行くとは何ともややこしい。
「ベルゼー」
リアはゆっくりと彼に向き直った。ベルゼーはリアを見てから「玲瓏公」と呼び掛けたが首を振る。ああ、だが、その気配には違いない。
何があったのかという細かな部分は詮索しない。する意味も今のベルゼーは持ち合わせてもいない。だが。
「……玲瓏公、の娘ですかな」
「ええ。ベルゼー、今ならアンタが母さんを見逃してくれた理由が理解できるわ。だから、その時の借りを返す為に貴方を倒す。
……冠位暴食ベルゼー・グラトニオスとしてではなく、家族を愛する竜達の父祖『オジサマ』として眠らせる為に」
あの時、母の愛を見て、彼は確かに手を引いた。
母親の愛情なんてものは、基本的には自分勝手で我儘だ。押しつけがましく、自身を反映するように子供を映し鏡にしている。
そんなこと位、百も承知だ。母親(ベアトリクス)はリアに良く似ている。
「……よし、じゃあ冠位暴食をぶったおすわよ! シキ、クロバさん!」
――言いたいだけだ。言わなければ、屹度、後悔する。
「ああ、そうだね。リア、お師匠、行こう!」
シキはベルゼーを振り返ってからにこりと微笑んだ。その笑みに漂う気配は苦しげだ。
「……私も愛する家族をこの手で殺した。後悔しかなくて、想うたび雨はやまないけど。それでも、愛したことはうそじゃない、から。
ベルゼー。君に会えたら聞きたかった。家族を愛して共に生きた時間を想うこの心は、どんな名前の感情?
私が君を君のままでいさせることができたら、その時は教えて」
ベルゼーは琉珂に「しあわせ」と呼ぶのだと彼女に教えてやって欲しいと告げた。
「オジサマ……」
あなたのしあわせは、簡単に崩れてしまうガラス細工のようだったのに。こうやって大切に抱き締めて生きてきてくれた。
その声音を一つ聞いていたクロバはゆっくりとガンブレードを構える。
「ベルゼー、俺はその愛に報いよう。――欲のままに全てを喰らう獣よ、食事の作法を教えてやる。
琉珂、リア、シキ。行こう、愛深き父祖の望みを果たし彼女らの”オジサマ”を護る!」
地を蹴った。
怒ってくれたって構わなかったのだ。幸せなんて云って、それを崩したのはお前だろうと。
詰ってくれたって構わなかったのだ。愛しているなんて云って、結局家族を護れないではないかと。
……否定してくれて、良かったのだ。
それでも、おまえ達に与えたものよりも多くを返してくれるから。
「はは――」
「……オジサマ?」
「いや、なに。琉珂の友達は良い子が揃いましたなあ」
願わくば、この孤独な彼女が笑っていられる未来を、作ってやって欲しい。
「今暴れる権能の彼に、味や愛なんて関係ないんだろう。精神と権能よりも愛と空腹と呼んだ方が適切かな、なんて。
ただ……ね。愛を喪う限り、満ちる腹なんて存在しないんだ」
屹度、あのまま愛など知らずベルゼー・グラトニオスは全てを喰らい続けるのだ。
ゆっくりと狙撃銃を構えた。弾丸に、想いを載せた。古傷が軋めども――それは乗り越える度に強くなる。
「諦めてるって顔だよな。ダセェ面だ。ヘスペリデスにフリアノン。
竜と亜竜が手を取り合って生きていける……そんな奇跡みてぇな場所はベルゼー・グラトニオスにしか作れなかっただろうさ」
ルカは琉珂の肩を叩いた。彼だからこそ、フリアノンもリーティアも、『母さん』だって、彼を支えたかったんだ。
「胸を張れよベルゼー。お前はお前を誇りに思って良いんだ」
ルカが前を行く。その背を追掛けるように走る琉珂は「師匠」と何度も繰返した。
「琉珂、母親を殺すのは苦しかったよ」
「なら――」
「だが後悔はしてねえ。それに俺には琉珂がいる。琉珂には俺がいる。仲間もいる……だから、大丈夫だ」
師匠とルカを呼んでから琉珂は目を伏せた。当たり前の様に傍に居てくれる尊い存在と出会えた事はどれ程に嬉しかったのか。
「琉珂さん」
柔らかな声音でマルクは呼んだ。
「君が僕達と歩んでくれるなら。君のために。
故郷のためだと戦う朱華さん、ユウェルさん、鈴花さんのために。
竜を超え、運命を超えようとするルカさんのために――何より、僕らと、僕らの世界のために」
マルクは眼前を見据える。はためく黒は、常と変わりなく。
彼の背中は何時だって眩い光だ。
「黒狼隊が、道を拓こう!」
竜殺しなんて誉れは、世界を救った英雄に付随すれば良い。
暁と黄昏の境界線に立つ。青年の卓越した知識は、このためにあった。駆ける背中を追掛けて、メイが行く。
「こくろーのみなさん。回復がメイが頑張るですので、ベルゼーさんへの攻撃は任せるですよ!」
ベルゼー・グラトニオス。自らの討伐を願ったその人の在り方をメイは否定できない。
今、メイの目の前で怒っているのは『あの日』を思い出させるようだ。
ねーさま。
ねーさま――ねーさまは、しあわせだった?
別れの時が迫るならば、何と声を掛ければ良いのだろう。もっと抱き締めて欲しい、もっと名を呼んで、笑いかけて欲しい。
あの人の笑顔が薄れるように、あの人の声音を忘れるように。記憶は薄れていく。
その時が来る前に、せめて。
「メイが、ここで支えます!」
ぴゃあ、と光を放てばそれは温もりを持って広がって行く。
「……まさか、だ」
ベネディクトは呟いた。琉珂がベルゼーの前に立つために、自身達の目的である『冠位魔種』の妥当のために、此処までやってきた。
しかし――
「精神体と権能が分かれるとは、想像もしていなかったが――」
「悪くは、ございませんでしょう?」
「ああ、全くだ」
従者の知ったような口ぶりにベネディクトは思わず笑みを漏した。ああ、そうだ。悪くなどあるものか。
リュティスは「実にシンプルな作戦で良いではありませんか」と表情を変えずに云った。
「容赦をする必要もございません、全力で倒して見せましょう」
風牙の瞳に決意が灯されたのは『倒せば良い』という単純な解法があったからだ。
「魔種は必ず討つ。例外はない。ましてや冠位なら尚更だ。世界を護るため、大切な人たちを護るため。
……まあ、その『護る対象』に、ベルゼーの分を入れても構わない、よな。
おら、ベルゼーに用があるやつ! みんないってこい! あのオッサンに、お前らの想いをたっぷり食わせてやれ!」
「ええ、己の在り方を捻じ曲げられそうになり、それに怒れるのであれば、それは我々と何が違うというのでしょう」
風牙が肩を竦めたが正純がくすくすと笑う。ああ、そうだ。
考え方さえ整えば、人間はこうも簡単に進んでいける。
「冠位魔種が相手の戦場にこうして来るのはもう何度目でしょうか。何度経験しても、己の命が風前の灯であるかのように感じます」
正純はふ、と笑みを浮かべてから弓を引き絞った。此度は何時もと違うのだ。
「……その喉元に放たれる刃を届けるため、お手伝いさせていただきます」
その『人』は、実に人間染みていたのだから。
●
「私を食べる? 不味くはないと思うよ」
シキがふ、と笑みを浮かべた。クロバとリアをその視界に映し混んでから武器商人は「おやまあ」と笑みを浮かべる。
「『権能』は蛻の殻というよりも、端的な力比べになったとでも言えば良いのかな」
口元を袖口で隠してからからと笑う。『権能』たるベルゼーは『精神』によって弱体化させられている。と、云えどもこの人数で全力で掛からねば倒せない。
奇跡をも求める程に――そうでなければ、彼は打ち倒せないと理解していた。
誰もが、その人のために進もうとしている。ああ、それは実に、なんて悲劇だ。
(──愛されたのなら、そのカタチも意味があったのだろう。ベルゼー・グラトニオス。
ここで死ぬとしても彼らと在ることを諦めないでやっておくれ。誰に馬鹿にされようが、愛する者がキミとの先を望むなら)
それこそ一縷の望みのようだった。ベルゼーに女神の欠片を手渡そうとしたゲオルグは彼が触れることも叶わぬ事に苦心した。
琉珂が彼に触れることも出来ない。ただの思念体だ。だが、最後まで共に在りたいという願いを抱く誰かを支えようとした優しさは伝わっているだろう。
(ああ――フリアノンよ。代償が必要なら、我が命だってくれてもいいというのに)
永き時を苦しみながら宿命に抗い続けたベルゼーに。
幼い時から次代の里長としての使命と責任を背負い前に進み続けた琉珂に――父娘の時間を過ごさせてやりたい。
その願いを叶える為の奇跡が欲しかったのだ。
ゲオルグの祈りと願いを傍らに感じながらヨゾラは『願望器』として無数の願いを感じ取っていた。
「琉珂さん、ベルゼーさん……!」
ベルゼーは己を殺せと言った。その願いに全力で応えると決めた『星空の願望器』は地を踏み締め前へ、前へと走る。
「お腹が空いているなら……これでも喰らえ!」
星が瞬く様に激しい一撃を叩き着けるヨゾラに『権能』の気配が揺らめいた。
だが、まだまだ。これまでの激戦が重なったとて、倒しきるには足りない。
(ベルゼーに満足してほしい。ベルゼーに沢山の『しあわせ』をやりたい――)
そう願ったヨゾラの前には零が立っている。
「琉珂ァッ!」
名を呼ぶ青年はゴーグルを装着し、番長を思わす紅蓮のコートを着ていた。
「後悔が無い様やりたい事は全部やれ! 道は俺達で切り拓く!」
ベルゼーに、鱈腹食事をさせてやりたいというのは零たっての願いだった。この場の食物全てが、胃に溜れば良い。
彼を満足させるという事は自身が培ってきた全てを魅せ付けるという事だ。
「ベルゼー! 期待してろよ、絶対に満足させてやる!」
自身が何を喪ったって構わなかった。そう願うものは沢山居たのだろう。零も、ヨゾラも、ベルゼーの『最期』に対して思うところがあった。
「慈雨」
「ああ、……意地悪な猫だねェ」
クウハのやることは、最早決まっていたのだろう。だが、それを『主人』は見詰める事しかできやしない。
「ベルゼー様の食事は娯楽でなく処理であると……それは勿体ないですね。
我々はイレギュラーズ。凡ゆることの例外で可能性の源。味覚がなくとも幸せな食事を、あなたに。
私たち『料理人』がとっておきの最後の晩餐をご馳走して差し上げます」
くすりと笑みを浮かべてから、すみれは囁いた。距離を詰める。琉珂に何も危害が加わらぬように時を配りながら、刃にも盾にもなる。
ああ、だってお客様には安全無事に着席して貰わねばならないから。
薬にだってなり得る。すみれは誰もを支える為に尽力していた。
「黒聖女……底無しの暴食でも、食えぬモノはあるのですね……いえ、今は全力で皆様の背を支えましょう」
呟いたアンジェリカ。ベルゼーならば、きっと「喰いたくないモノもある」と応えただろうか。
黒き聖女、無慈悲の呼び声。その大元が『自身にとって大切な誰かの愛しい人』だったならば――
彼は何処まで立っても救われない。アンジェリカは道を指し示す。啓示を、声を、響かせて。
此処で誰も失わぬと云う強い意志は十字架に宿される。断罪を、救済を、そして、生存への道を。
「さぁ、ケリを付けようじゃないか! 此度集うは腕利きのシェフ!
喰らわせてやれ満漢全席! 満たされぬ胃袋が音を上げる程に!」
天狐がリヤカーうどん屋台を退きながら勢い良く飛び込んだ。飽くなき暴食ごと撃ち抜いてやれば良い。
竜穿つ一条となれたならば、うどんも屹度浮かばれよう。
後悔と、苦しみばかりを抱いた冠位魔種。実に人間らしいその人にとっての救いは「料理だ!」――うどんだったのだろうか。
「天狐様」
「良いか、良いな!? シンプルisベスト! 料理の味は素材で決まる!」
簡単な行動だけで構わないとリズムに乗る天狐にゴリョウが腹を抱えて笑った。
「ぶはははッ! 冠位の旦那と肩並べるなんざ実に愉快な状況じゃねぇか! そんじゃ一つ嬢ちゃんのお目付け役といこうかねぇ!」
「……私何だかお腹空いちゃったわ」
「ぶははははッ! 流石、里長だ!」
肝が据わってると背を叩いたゴリョウに琉珂が笑う。ああ、だって。この人達と一緒だから。
料理が出て来たならば彼が食材を調理してくれるだろう。琉珂を護る様に障壁を張ったゴリョウは「見てろよ、琉珂の嬢ちゃん!」と声を掛ける。
「ええ。ええ。皆が私を護ってくれるから、ここまでこれたのですもの!」
「琉珂さん! いい顔してる。やっと少しは、琉珂さんと話せたみたいだな。二人で思い切りやってきなよ。
親子初共闘かも。辛くても大切な、きっと心満たす記憶になるから、さ」
血が繋がっていなくったって『親代わり』であった彼は、確かに琉珂にとって『お父さん』だったのだ。
そう呼ぶことさえ出来なかった不器用な二人を支える様にして『権能』の動きを食い止める。
どうか、どうか、彼を少しでも長く繋ぎ止めて欲しかった。
「まさか冠位暴食が共に立つとはな。ならば最後くらいは、奴らしい終わりを迎えさせるべきか」
呟いた一晃が見据える。ベルゼーを満腹にするためのダメージは、無数に重ねてやってきたのだ。
どれ程強大な力を持っていようとも抜け殻を怖れる必要も無い。リュティスが地を蹴った。
ひらりと蝶々が踊る。その切っ先を更に押し込むように正純が朝を導く一射を放つ。
様々な思いがあるのは確かだ。先へと進む竜の娘達の背を押す、正純はそれだけを抱いていた。
ああ、ぶつけたいだろう。鈴花もユウェルも、朱華だって、ベルゼーに飲み込めやしない思いを抱いていた。
(それを届けるのが私の役目――!)
頑張れ。進め。ただ、それだけの単純な言葉で良い。
リュティスが「ご主人様!」と呼んだ。ベネディクトが『権能』へと一撃を放つ。
ベルゼーと同じ姿。だが、悍ましい程の気配を感じさせている。リュティスは冠位魔種に一撃を投じることを怖れて等居なかった。
「これでも喰らえ! 食らえ! くらえ!! そんで、食うだけ食ったら!」
――ゆっくり眠れ。
だからこそ、『鱈腹』喰わせてやるのだ。風牙は全力全開、有りっ丈をぶち込んだ。
それが『此方に向けて襲い来る可能性』? だからなんだ。それも含めて全て打ち倒せば良いではないか!
「ベルゼー、我々はあなたと共に生きていく事は出来ないのだとしても、思いを誰かが継いでいく事は出来る。あなたの娘達がそれを為していくだろう。
――だからこそ、暴食の権能よ!
貴様にこの覇竜の土地と住む者達を、貴様に喰らわせたりするものか!」
ベネディクトはぎろりと眼前を睨め付けた。舞台を整えるべく黒き狼たちはこの場にやってきたのだから。
●
「メルヴィム」
「ああ……!」
無数のパンを産み出す青年にそれだけでは味気ないだろうと一晃は『満漢全席ならぬ混沌全席』を用意してやりたかったのだ。
娘と共に過ごす最後の晩餐を。その為にはあの猛る『権能』を打ち砕かねばならない。
その為に、一晃は踏込んだ。腕に痛みが走る。唇を噛み締め睨め付ける。
体は、造られた物だった。腕がひしゃげたってかまわなかった。誰一人として欠けてやしまわぬようにとニルは考えて居たからだ。
「ニルはおなかがすくのがわかりません。だから憧れます。おなかがすくことも、ごはんが美味しいことも。
おなかがすくのがいやなことだと、ニルは思いたくないのです。ニルはベルゼー様も琉珂も『おいしい』で満たされてほしいのです。
だから――」
琉珂の背を押したのはニルだった。ありったけを重ねると決めて居た。
「リュカ!」
呼ぶ声に顔を上げた。手を引いてくれる人は何時だって傍に居たのだから。
本当は知っていたの。これは、貴方には云わない秘密。
お父さんとお母さんが死んでしまった理由はうっすらと分かってた。
貴方が食べてしまったとは思わなかったけれど、貴方が守り切ることが出来なかったと悔んでいたあの夜が瞼に焼き付いている。
離別は、突然訪れるのだもの。
夢ならば良かったのに。戯けて笑った貴方が「嘘だよ」と言ってくれれば良かったのに。
――オジサマ、オジサマ……どこ?
幼い頃、両親を喪ったばかりの私は何時だって泣いていた。
そんな私の手を引いてくれたのは、何時も、あなただったから。
次期里長。姫様と呼ばれることだってあった。
遠巻きに見ている皆の眸が誇らしかったのはお父さんが居たときだけだった。父が居なくなってから、それが酷く恐ろしくなったのだもの。
心を許せる人を作りなさい。
完璧な人間なんて、どこにもいないから。
「オジサマは?」と聞いた私に、「私だって完璧じゃないさ。とても完璧なんて言えやしない」とアナタは笑った。
「けれど、誰もに慕われている」
「そうありたいと願ったのさ。けれど、すべてが上手くいくわけもない」
今になったら良く分かる。
……不完全だった。人間になりたかったのに、そう離れなかったあなた。
それでも、アナタは私の光だった。
心を許せる人なんて難しいと泣いていた、そんな私に友人をくれた。
あの人は竜と人が仲良くなることを願っていたから。……友達が『竜』ばっかりだったのは笑ってしまったけれど。
――琉珂。
抱き上げてくれる。笑って、抱き締めて。いってらっしゃいと背を押してくれる。
安全な場所だと彼が『用意』した花園は何時だって美しかった。私を見て困った顔をするアウラちゃんも、手を引いてくれたザビーネも。
花冠をずっと被って居てくれるクレスも。私が転んだならば水で清めてくれるクワルさんも。
……皆が、私と居てくれたのはあの人が何よりも優しく、安心させてくれていたからだった。
――琉珂。
そうね、何時だってアナタは名前を呼んでくれたもの。
私が里を拓くと決めたとき、驚いた顔をしてから笑ってくれた。
……ねえ、あの時にはもう決心していたのでしょう?
――ほら、琉珂、いってらっしゃい。
そうね。
私、行くわ。
あなたが背を押してくれなくなっても、歩いて行ける自身がある。
此処に皆がいるのだから。
「さようならを言いに来たの」
琉珂のたった一言に『ベルゼー』が目を見開いた。
沢山の背を押してきたフランは今日は琉珂の背を押したわけではなかった。
救われた命で、誰かを救いたくて戦ってきた。頑張ってと戦線へと押し出す行為が誰かを殺すかも知れないと知っていても。
――あたしは、臆病なんかじゃない。
見送るだけじゃない。救えない命なんて、沢山合った。そのたび悔んで、悔んで、飛び出した。
「あたしが全てを受け止めてあげるっ!」
ああ、もう。嫌いだ。最悪だ。ベルゼーが『こうしている』のだって、あの人のお陰なのだ。
世界で一番のあの人に、最高にカッコイイ王子様に好かれているのに仏頂面で、笑いもしない、大っ嫌いな人。
あの人が言う神託なんて信じたくもなくって、あの人がどうと云う世界なんて滅びちゃえなんて『恋するからこそ』思って居たけど。
(――でも、あの人の笑った顔を、世界で一番大好きな人が見たいんだ。
馬鹿みたい。ばか。ばか。そんなことに命を張って。でもね、でも)
この身を賭けても世界を護って良いと思えてしまうのだ。あの人が、喜んでくれるなら。
恋する乙女は、最強で、挫けやしないのだから。
受け止めたフランの視界が眩んだ。進んで、と唇が動く。琉珂はまだ走り出した。
「フランさん! とォッ!」
勢い良く滑り込んだ朱華が「任せたよ!」とフランの体を黒狼隊へと引き渡す。
誰一人たりとも喪って堪るか。
「リュカ! こっちよ!」
「さとちょー!」
ユウェルが、鈴花が呼ぶ。彼女達がベルゼーの角へと手を伸ばす。一片で良い。断ったそれだけでも残っていれば彼が居た証になる。
「風化なんてさせるもんですか! お墓が空っぽなんて寂しいもの!」
伸ばした腕を、更に、届かせるように眩い光が満ちた。鈴花も、ユウェルも、朱華も、紫琳も。
決意が此処には在った。ユウェルは鈴花と琉珂と一緒に届かせると決めて居た。
お疲れ様でした。わたしたちはもう大丈夫です。
伝えたいのはきっとそれだけだった。この人は、世話焼きで優しいから、化けて出て来そうだとユウェルは笑う。
「ねえ、これからはさとちょーの両親の隣で見守っててね! ずーっとずっと! わたしたちの子どもや孫も!
貴方の作った皆大好きなフリアノンは皆で護っていくよ」
穏やかな風の中でユウェルはそう言った。痛みも、苦しみも、全て遠ざけるような希望の光。
「約束よ、一生アンタの墓に料理を供える。特別にリュカの料理も付けて、皆でそこで宴会しまくるわ。
煩いって苦情は却下! アタシらの子供にもその文化は永劫に遺す。
だってアンタはフリアノンの大事な友――里おじさまよ。アンタの愛したフリアノンは、この先ずっと護り抜くわ」
その約束と共に、『権能』を殴りつける。拳が痛い。それでも鈴花は、ユウェルは宣言通り横面を吹っ飛ばしたのだ。
琉珂を庇うかの様に立っていた朱華が地を踏み締めた。
『権能(かれ)』はまだ息をしている。駄目だ、許しやしない。背後から無数に弾丸が飛び込む。紫琳の援護射撃だ。
此処で挫けてなるものか。護る物は決まっていたのだから。
「琉珂は私達にとっての光なのよ――誰が相手だろうと消させはしないわ!」
朱華が吼えた。傷だらけだ。痛い。体がぎしぎしと鳴る。
象徴礼装(ほのお)は潰えてなんていない。煉の剱はまだ、まだ、振り下ろせる。
刃が毀れた。腕を動かす度に激しい痛みが走る。足が震える。
でも――
「琉珂、行くぞ――!」
クロバが全てを賭けて振り下ろす。刃に命を乗せろ。曇ることなく、救え。
彼女達の『父』だ。この刹那に全てを込めろ。彼が、別れの時を迎えられるために。
「ああ、もう、無茶ばっかしやがって!」
「でも、その方が、私達らしいよ、リア」
シキは笑いながらクロバに続いた。
―――――――!
それは声などではない。だが、泣いているようにさえ聞こえていた。
もしも、もしも、あなたに『未来』があったなら。
共に生きる未来が、欲しくないなんて嘘になる。
うんと大人になって、里を継ぐものが生まれ、そして繋がっていく血の道を見守って居て欲しいという願いがあった。
そうして私達は里を納めてきたのだから。
たったひとつだけ、我が侭を言えるなら。
強く抱き締めて欲しかった。お前はもう大丈夫だと笑いかけて欲しい。
琉珂の足が竦む。
「琉珂ァッ!!!!!!!」
ルカが叫んだ。ベルゼーが紡いだんだ。イリスが繋いでくれた。だからここで、有りっ丈をぶつけてやれば良い。
「ぶち砕くぞ琉珂ァッ!!!!」
――全てを終らすだけの、一撃を。
●
「かなしいは、いやです」
ニルは呟いた。零や、一晃、すみれが傍に居る。
「琉珂様」
背を押すすみれは「愛する者と一緒にご飯を食べると『美味しい』のだと教えて上げて下さいな」と微笑んだ。
奇跡は容易に起こらないと知っていた。どれだけ願ったって、叶わぬ事もある。
それでも、不格好でも少しの量でも琉珂は『僅かな時間』を彼と過ごしたかった。
「琉珂」
「……ええ」
零から受け取ったパンをベルゼーは食べる事は出来ないか。それでも『味わう』事は出来ているかのように満足そうに笑う。
「ベルゼー」
名を呼んだクウハはそっと手を伸ばした。
屹度、自身達の飢餓は同じだったのかも知れない。そう思わずには居られなかった。
彼の魂を喰らってみせることが出来たならば、彼を未来に連れて行けるだろうか。
ベルゼーは「やめておきなさい」と崩れ落ちる世界の中で囁いた。
ささやかな嫌がらせ一つで命を落とす可能性があるならば、彼の未来を守りたいと、そうベルゼーは云うのだ。
ファニーは手を伸ばす。
『なぁベルゼー、オレはアンタに同情も同調もしないよ。……何故かって?
オレは実の兄弟に食い殺されそうになったことがあるんだ。でもオレは、”兄弟になら食われてもいいか”って、そのとき思っちまったんだ』
正しい形でなかったとしても。屹度、彼の暴食は確かに愛だったんだ。
路傍に咲く花のようにひっそりとした命だったならば、苦しまなかったのだろうか。
ファニーはそう思いながらも手を伸ばした。お前の心臓を穿ったのは紛れもない、『特異点』の信念だった。
不必要なんかじゃなかった。
覚束ない歩き方をしてきたけれど、それでも、確かに誰かを幸せにしていたんだ。
――オジサマ。
――父祖。
――ベルゼー。
呼ぶ声を思い出してから『ベルゼー』が目を閉じる。
「ベルゼー、……っベルゼー!」
足を縺れさせながらも狙撃手の娘は走り寄った。ジェック・アーロンという娘はよく己を理解していたように思う。
ベルゼーはゆっくりと振り向いた。愛と食欲を切り離し、腹が満ち溢れて欲しいと。小さな小さな奇跡だ。愛を、愛として感じて欲しい。
「……ベルゼー」
「ジェック、と云いましたかな」
ジェックは緩やかに頷いた。彼の許を巣立った者は沢山居る。沢山の子ども達に祝福を与えてやって欲しい。
それは、もしかすれば自分の我が侭なのかもしれなかった。
それでも愛する事は、生きる事だ。せめて、彼が報われて欲しかった。
眩い光と共に、君がしあわせだと笑ってくれば、命だって安いものだった。
まるで解けるようにしてベルゼーが消え失せていく。刹那に。
たった、ひとつだけ。
されどそれが呪いとならないように口を開くことさえも、恐ろしかった。
ただ、おまえ達が居るならば『あの子』達は歩んでいけるだろう。
だから。
「――しあわせに、おなりなさい」
世界が解けて行く。昏く全てを呑み喰らう腹は喪われ、風に攫われるようにして『滅びのアーク』は溶けて消えた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。覇竜編、本当に本当の最後の戦いでした。
皆さんから、頂いた言葉を胸に里長もしっかりと歩んでいくことでしょう。
GMコメント
●情報精度(07/08追記)
このシナリオの情報精度は????です。
OPに加筆もしくは『状況の変更(難易度修正・エネミー情報付記)』が加えられる可能性があります。
→(07/08:追記)
・OP及びマスターコメントに変更が生じました。
・難易度に変更が生じました。(Nightmare→VaryHard)
●成功条件
『冠位暴食』ベルゼー・グラトニオスの撃破
●ロケーション
崩壊したヘスペリデス。そして『飽くなき暴食』です。
冠位暴食であるベルゼー・グラトニオスの『権能』が暴走を始めたようです。
ベルゼーの『底知れぬ胎』は『権能・飽くなき暴食』によって無尽蔵に全てを求めて吸い込み続けて居ます。
イレギュラーズが入り込む事が出来るのはベルゼーの『底知れぬ胎』の内部より出る権能『飽くなき暴食』です。
●【1】『底知れぬ胎』エネミー情報
・『ウィンクルム・ドラゴン』
ベルゼーが喰った存在を模倣して作り出された竜種たちです。
リーティアによる『罠』の効果及び『女神の欠片』の効果にて弱体化していますが強力なユニットです。
・『ウィンクルム・ドール』
腹に入ったのならば『食われた』も同然です。愛すべき皆さん、そう、イレギュラーズの皆さんを『模倣』した存在です。
本決戦だけではなく、『飽くなき暴食』エリアで戦う全てのプレイヤーを模倣しています。
ですが、リーティアによる『罠』の効果及び『女神の欠片』の効果にてやや弱体化しています。
・『ウィンクルム・ドラゴン』デミ・フリアノン
地廻竜フリアノン。ベルゼーにとって一番始めに友誼を結んだ竜です。
その模造品でしかありません。リーティアによる『罠』と『女神の欠片』の効果を受けていることで弱体化しています。
それでも巨大な竜であることには違いなく、警戒が必要となります。
●【2】『一縷の望み』エネミー情報(07/08変更)
・『煉獄篇第六冠暴食』 ベルゼー・グラトニオス 冠位魔種。七罪(オールド・セブン)の一人。非常に強力なユニットである事が推測されます。
紳士然とした風貌ではありますがそのコートの下には飽くなき欲求を満たすことの出来ぬ『底知れぬ胎』が開いています。
『底知れぬ胎』より起動し暴走しているのが権能の『飽くなき暴食』です。
『手を抜く理由』がなくなったため今回は本気です。『意図的に権能を抑制していた深緑』では難易度がVaryHardに降下していましたが、現在はそうしていません。
→(07/08:追記)
・『黒聖女』の介入及び『神託の少女』のカウンターを受け、ベルゼー・グラトニオスは己の覚悟や尊厳を踏み躙られたと離反を決意しました。
・ベルゼーの『権能』と『精神』が切り離され、『権能』は『無慈悲なる呼び声』の影響を受け、更なる暴走を行って居ます。
切り離されたと云えども、ベルゼー自身である事には変わりはありませんので撃破することで死亡(霧散)します。
権能は空腹に支配されており、意思の疎通は出来れども空腹に対してばかりコメントをします。
・ベルゼー本人による『権能への干渉』を受け難易度はVaryHard相応に効果しています。
・ベルゼー(精神体)については同行NPC欄を参照して下さい。
a、『オードブル』
数ターンに1度『ベルゼーの権能範囲内に存在する』存在のHP/AP等のリソースを喰らい己の糧とします。
その量はランダムで決定され、最大で80%奪われる可能性があります。(早期回復しなければ権能で死亡可能性が高まります)
→(07/08:追記)
・ベルゼーのコントロールによって最大数値が60%にまで低下しました。
b、『ポワソン/ヴィヤンド』
数ターンに1度、ベルゼーの権能内に存在する全てに対して『封印』もしくは『麻痺系列』BSが与えられます。
d、『フロマージュ/デセール』
(07/08:追記)
能力は不明です。ベルゼー曰く「長く使わなかったから忘れた」のだそうです。
e、『プチフール』
自身が受けたBSを確率で永続的に無効とします。また、『棘』によってダメージを反射します。
→(07/08:追記)
・ベルゼーのコントロールにとってBSが無効化されることはなくなりました。
●『同行』NPC(07/08更新)
・ベルゼー・グラトニオス(精神体)
『黒聖女』の介入により己の覚悟と尊厳を踏み躙られたと認識した『冠位暴食』です。
愛する子ら此処で倒し喰らい、冠位暴食として立ちはだかると決めて居ましたが、今や「好きにさせて貰う」と決めたようです。
自らの死を自らで齎すために皆さんと戦います。意思疎通は可能です。自身の権能を僅かにコントロールしています。
・珱・琉珂
フリアノン里長。皆さんと共に行動します。ベルゼーと真っ向勝負の予定です。
竜覇は火。イレギュラーズとして、皆さんとやって来た。覚悟は決まっています。
→(07/08:追記)
・ベルゼーのコートと武器を譲り受けました。ベルゼーの精神体が健在の内は、通常の琉珂の攻撃に乗せベルゼーの戦闘能力が僅かに上乗せされます。
(僅かであるのはベルゼーが自身の権能のコントロールにその力を割いているからです)
・ベルゼーの『精神体』は琉珂と共に在るために、琉珂が死亡した場合はベルゼーの精神体も掻き消え、『暴走する権能』のみが残ります。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
行動場所
以下の選択肢の中から行動する場所を選択して下さい。
【1】底知れぬ胎
権能『飽くなき暴食』の入り口付近とも言えます。
このエリアの可能な限りの制圧を行なう事で、ベルゼーの権能を削る事が出来ます。
景色は美しいヘスペリデスであったり、フリアノンそのものであったり、もしくは深緑や練達であったり。
これまで過ごしてきたベルゼーの思い出を表しているかのようです。
この権能へのアクセスはイリス・アトラクトス(p3p000883)さんのPPP及び『女神の欠片』によって補強されたものです。
一度飲まれれば二度とは戻れぬはずではありますが、ベルゼーが入る前に認可した対象は出入りできるようです(エネミーが利用しています)。そうした性質を利用して地廻竜フリアノンの残滓は皆さんが無事に帰ってくることが出来るようにと補強してくれています。
【2】一縷の望み
権能『飽くなき暴食』の最奥部分です。外に見えているベルゼーは『吸収するため』の分体のようであり、ダメージが通りません。
ベルゼー本体にダメージを与えるためにはこの権能最奥に存在する『権能そのものであるベルゼー』を倒す必要があるようです。
(精神体のベルゼーが権能を『抑えている』状態です)
Tweet