PandoraPartyProject

シナリオ詳細

求めよ、さらば与えられん

完了

参加者 : 175 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●それはまるで
「それは……本当なのですか……?」
 メモを取っていた『新米情報屋』ユリーカ・ユリカ(p3n000003)が目を見開く。
 新米らしく足で情報を得ようとしていたところ、幻想の外れ、とある村で奇妙な噂を聞いたのだ。
「ああ、間違いない。俺は今まで味わったことのない最高の料理を振る舞われたんだ!」
「あたしは馬さ。それも駿馬! 草原を駆け回ったもんさね」
「僕は魔王と戦ったよ! すっごく悪くて強いんだけど、僕が勝ったんだ!」
「ああ、俺の……俺の財宝が……」
 村人の多くから話を聞けたが、そのどれもがてんでバラバラ。
 噂話を纏めていたユリーカも、これは現地調査が必要なのです、と思い始めていた。


●幻のダンジョン
「ああああぁあーーー!!!」
 ユリーカがギルド・ローレットで泣きわめく。
 どうしたどうしたと寄ってくるイレギュラーズも、話を聞いては苦笑いで去っていった。
「どうして誰も信じてくれないのですか! ボクは本当にエウレカ・ユリカを超える情報屋になったのです! 皆さんがこぞって情報を求めてボクに感謝してたのです! なのに……なのにぃ……うあああーーーん!」
 わんわんと泣くユリーカの妄言は誰も信じなかったが、それでも心配になって来たイレギュラーズがよしよしと慰める。
 ときおりなんだ背でも縮んだのか胸でも落っことしたのかというヤジを追い払いつつ話を聞いてやれば、どうやらやはり妄言は妄言だったようだ。
 だが、聞き捨てるには非常に不思議で興味深い妄言だ。

「侵入者の夢を叶える、そんなダンジョンが出現したのです」

 その言葉に周囲のイレギュラーズの注目が一斉に集まる。
 夢が叶う、それはいくらなんでも規格外すぎる。
「当然条件もあるのです。調べてみた結果、叶う望みは一人一つ。ダンジョンに居る間しか叶わないのです」
「さすがに万能じゃないのか」
「叶う夢は万能なのです。望みは必ず叶いますが、そののちダンジョンの外へ転移させられてしまうのです」
「ほう」
「誰かを傷付けたいとか誰かの秘密が知りたいとかって望みも叶うの?」
「もちろんなのです。でも、それもダンジョンの外に転移した時に失われるのです。得たものが失せる、なのですよ。記憶や情報を望むと失って混乱する事もあるのです」
 聞けば聞くほど不思議なダンジョンだった。
 のめり込むようにイレギュラーズから飛んでくる質問に答えながらユリーカが言う。
「最終的にはこのダンジョンを潰したいのです。一時的にでも願いが叶うのならと入り浸ってしまう人も出てくるのですから」
 それはそうか、と言いつつ、やはり惜しい、一度は行ってみたいと言うイレギュラーズ。その声を聞いてにっこり笑うユリーカは、それならと依頼書を一枚書き上げた。
「幻のダンジョン探検ツアー、なのです」


GMコメント

 夢を見ようぜツアーです。
 以下依頼詳細です。

●依頼概要
・幻のダンジョンを探索して帰ってくる

●幻のダンジョンについて
 ある村の外れに現れた小さなダンジョン。
 進む内に侵入者の願いを叶える場所へと導きます。
 ある村人が美味いものを食べたいと思いながら進んだところ、高級レストランに辿り着き、美味しいものを山ほど味わったそうです。
 ある村人が魔王をやっつけたいと思いながら進んだところ、おどろおどろしい廃城の玉座の間で恐ろしい魔王と一騎打ちの末勝利したそうです。
 ところが、ある村人が二人で入ったところ、お金が欲しいと思っていた村人は気付けば一人で金銀財宝が積まれた宝物庫へと辿り着きましたが、相方とはぐれたくないと思っていた村人ははぐれる事無く一本道を歩き続けた末に入り口から出てきました。その時、お互いの話がほとんど食い違っていてパニックを起こしたそうです。

 叶う夢は1つだけ。
 だけどほとんど何でも叶う。
 ただし持っては帰れない。
 それが幻のダンジョンです。

●ユリーカの追記
 どうもこのダンジョン、あるアイテムが作りだした迷宮らしいのです。
 夢や望みを叶えるアイテムで、恐らくは害も無いだろうとのことです。
 ただ夢を叶えるたびに魔力が失われているとの情報もあり、このダンジョンはいずれ自然消滅するだろうと結論付けられました。
 なお、そのアイテムを求めた人はアイテムを手に入れましたが、ダンジョンから出た時点で失ってしまいました。残念。

●メタいこと
 この依頼はつまりイレギュラーズの皆さんの願いを一つだけ叶えられるというシナリオです。
 欲に溺れるも良し、失ったものを取り戻すも良し、いずれ自力で叶えるべき夢の再確認に使うでも良し。
 ぜひロールプレイにご活用ください。
 キャラが気付いてない望みを探す……そんなことも出来るかもしれません。

 また、誰かと一緒に入ったとしても自分の夢は自分にしか見えません。出るまで一緒に居たはずなのに出た時には記憶が食い違う、そんな恐ろしい体験をする事になります。
 それでも良いと言う方は同行相手の名前とID、あるいは同行チーム名などを分かりやすくご記入ください

 叶う望みは1つだけ
 それ以外はお気になさらず
 灯りや罠の心配をするとその心配が杞憂でしたと言うだけで終わってしまうかもしれませんのでご注意ください

 なお、描写的に無理な部分(エッチだったりグロかったり)は割愛されます

 それではどうぞ、夢のひと時を

  • 求めよ、さらば与えられん完了
  • GM名天逆神(休止中)
  • 種別イベント
  • 難易度VERYEASY
  • 冒険終了日時2018年04月16日 21時10分
  • 参加人数175/∞人
  • 相談7日
  • 参加費50RC

参加者 : 175 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(175人)

スウェン・アルバート(p3p000005)
最速願望
シェリー(p3p000008)
泡沫の夢
レイヴン・ミスト・ポルードイ(p3p000066)
騎兵隊一番翼
春津見・小梢(p3p000084)
グローバルカレーメイド
サーシャ・O・エンフィールド(p3p000129)
宵の狩人
レンジー(p3p000130)
帽子の中に夢が詰まってる
クロバ・フユツキ(p3p000145)
深緑の守護者
ヘイゼル・ゴルトブーツ(p3p000149)
旅人自称者
ヨタカ・アストラルノヴァ(p3p000155)
楔断ちし者
ドラマ・ゲツク(p3p000172)
蒼剣の弟子
シフォリィ・シリア・アルテロンド(p3p000174)
白銀の戦乙女
ユタ・ニヌファブシ・ハイムルブシ(p3p000187)
悲しみを乗り越えるために
チャロロ・コレシピ・アシタ(p3p000188)
炎の守護者
如月 ユウ(p3p000205)
浄謐たるセルリアン・ブルー
ルミ・アルフォード(p3p000212)
ルミナリアの姫
エマ(p3p000257)
こそどろ
セララ(p3p000273)
魔法騎士
零・K・メルヴィル(p3p000277)
つばさ
ポテト=アークライト(p3p000294)
優心の恩寵
朱・夕陽(p3p000312)
渡烏は泣いてない
ルアミィ・フアネーレ(p3p000321)
神秘を恋う波
マナ・ニール(p3p000350)
まほろばは隣に
アラン・アークライト(p3p000365)
太陽の勇者
日向 葵(p3p000366)
紅眼のエースストライカー
Lumilia=Sherwood(p3p000381)
渡鈴鳥
リゲル=アークライト(p3p000442)
白獅子剛剣
銀城 黒羽(p3p000505)
ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
不遜の魔王
ジーク・N・ナヴラス(p3p000582)
屍の死霊魔術師
ティア・マヤ・ラグレン(p3p000593)
穢翼の死神
世界樹(p3p000634)
 
オフェリア(p3p000641)
主無き侍従
暁蕾(p3p000647)
超弩級お節介
アクセル・ソート・エクシル(p3p000649)
灰雪に舞う翼
オクト・クラケーン(p3p000658)
三賊【蛸髭】
ミーチェ=クリエルト(p3p000677)
はらぺこ令嬢
江野 樹里(p3p000692)
ジュリエット
グドルフ・ボイデル(p3p000694)
モモカ・モカ(p3p000727)
ブーストナックル
恋歌 鼎(p3p000741)
尋常一様
オルクス・アケディア(p3p000744)
宿主
ルーカス・M・ベリー(p3p000753)
特異運命座標
コル・メランコリア(p3p000765)
宿主
夜乃 幻(p3p000824)
『幻狼』夢幻の奇術師
シュバルツ=リッケンハルト(p3p000837)
死を齎す黒刃
清水 洸汰(p3p000845)
理想のにーちゃん
アーラ・イリュティム(p3p000847)
宿主
グレイ=アッシュ(p3p000901)
灰燼
ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)
【星空の友達】/不完全な願望器
リリー・シャルラハ(p3p000955)
自在の名手
スガラムルディ・ダンバース・ランダ(p3p000972)
竜の呪いを受けしおばあちゃん
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
久遠・U・レイ(p3p001071)
特異運命座標
カタリナ・チェインハート(p3p001073)
美麗ディストピア
宗高・みつき(p3p001078)
不屈の
アトリ・メンダシウム・ケラスス(p3p001096)
ジェイク・夜乃(p3p001103)
『幻狼』灰色狼
ミスティカ(p3p001111)
赫き深淵の魔女
ヨハン=レーム(p3p001117)
おチビの理解者
琴葉・結(p3p001166)
魔剣使い
マリア(p3p001199)
悪辣なる癒し手
楔 アカツキ(p3p001209)
踏み出す一歩
ウィリアム・M・アステリズム(p3p001243)
想星紡ぎ
リカ・サキュバス(p3p001254)
瘴気の王
刀根・白盾・灰(p3p001260)
煙草二十本男
サングィス・スペルヴィア(p3p001291)
宿主
ルルリア・ルルフェルルーク(p3p001317)
光の槍
トゥエル=ナレッジ(p3p001324)
探求者
コルヌ・イーラ(p3p001330)
宿主
カウダ・インヴィディア(p3p001332)
宿主
ミルテ・キルト(p3p001333)
気紛れな
レーグラ・ルクセリア(p3p001357)
宿主
祈祷 琴音(p3p001363)
特異運命座標
アト・サイン(p3p001394)
観光客
カイン=拓真=エグゼギア(p3p001421)
特異運命座標
ブラキウム・アワリティア(p3p001442)
宿主
ストマクス・グラ(p3p001455)
宿主
諏訪田 大二(p3p001482)
リッチ・オブ・リッチ
佐山・勇司(p3p001514)
赤の憧憬
河津 下呂左衛門(p3p001569)
武者ガエル
ムスティスラーフ・バイルシュタイン(p3p001619)
黒武護
雷霆(p3p001638)
戦獄獣
ボルカノ=マルゴット(p3p001688)
ぽやぽや竜人
クロジンデ・エーベルヴァイン(p3p001736)
受付嬢(休息)
エリザベス=桔梗院=ラブクラフト(p3p001774)
特異運命座標
クィニー・ザルファー(p3p001779)
QZ
ウォリア(p3p001789)
生命に焦がれて
アルク・ロード(p3p001865)
黒雪
プティ エ ミニョン(p3p001913)
chérie
グレイル・テンペスタ(p3p001964)
青混じる氷狼
ハンナ・ゴードン(p3p001979)
ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)
優穏の聲
リック・狐佚・ブラック(p3p002028)
狐佚って呼んでくれよな!
ティミ・リリナール(p3p002042)
フェアリーミード
ニーニア・リーカー(p3p002058)
辻ポストガール
ゴリョウ・クートン(p3p002081)
黒豚系オーク
セティア・レイス(p3p002263)
妖精騎士
セレネ(p3p002267)
Blue Moon
タルト・ティラミー(p3p002298)
あま~いおもてなし
鬼桜 雪之丞(p3p002312)
白秘夜叉
美面・水城(p3p002313)
イージス
サブリナ・クィンシー(p3p002354)
仮面女皇
ブーケ ガルニ(p3p002361)
兎身創痍
ニエル・ラピュリゼル(p3p002443)
性的倒錯快楽主義者
リョウブ=イサ(p3p002495)
老兵は死せず
針金・一振(p3p002516)
狐独演劇
ルーキス・グリムゲルデ(p3p002535)
月夜の蒼
あい・うえ男(p3p002551)
ほよもちクッション魔王様
ルナール・グリムゲルデ(p3p002562)
片翼の守護者
クローネ・グラウヴォルケ(p3p002573)
幻灯グレイ
弓削 鶫(p3p002685)
Tender Hound
プリーモ(p3p002714)
偽りの聖女
エスラ・イリエ(p3p002722)
牙付きの魔女
九重 竜胆(p3p002735)
青花の寄辺
ネスト・フェステル(p3p002748)
常若なる器
橘 零(p3p002765)
ひつまぶし
神巫 聖夜(p3p002789)
仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)
陰陽式
クロウディア・アリッサム(p3p002844)
スニークキラー
Briga=Crocuta(p3p002861)
戦好きのハイエナ
ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)
アネモネの花束
レイア・クニークルス(p3p003228)
いかさまうさぎ
コリーヌ=P=カーペンター(p3p003445)
ミディーセラ・ドナム・ゾーンブルク(p3p003593)
キールで乾杯
棗 士郎(p3p003637)
 
レスト・リゾート(p3p003959)
にゃんこツアーコンダクター
コルザ・テルマレス(p3p004008)
湯道楽
ラルフ・ザン・ネセサリー(p3p004095)
我が為に
エルディン(p3p004179)
よーいどん!
松庭 黄瀬(p3p004236)
気まぐれドクター
カシャ=ヤスオカ(p3p004243)
カイカと一緒
ラクリマ・イース(p3p004247)
白き歌
ルチアーノ・グレコ(p3p004260)
Calm Bringer
シレオ・ラウルス(p3p004281)
月下
ノースポール(p3p004381)
差し伸べる翼
アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯
ハロルド(p3p004465)
ウィツィロの守護者
安宅 明寿(p3p004488)
流浪の“犬”客
Morgux(p3p004514)
暴牛
ロズウェル・ストライド(p3p004564)
蒼壁
竜胆 碧(p3p004580)
叛逆の風
Λουκᾶς(p3p004591)
おうさま
ヨダカ=アドリ(p3p004604)
星目指し墜ちる鳥は
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
蒼穹の魔女
栗梅・鴇(p3p004654)
金髪ヤンキーテクノマンサー
ブローディア(p3p004657)
静寂望む蒼の牙
タツミ・サイトウ・フォルトナー(p3p004688)
TS [the Seeker]
ニゲラ・グリンメイデ(p3p004700)
特異運命座標
縹 漣(p3p004715)
空想JK
Tricky・Stars(p3p004734)
二人一役
ジェーリー・マリーシュ(p3p004737)
くらげの魔女
Svipul(p3p004738)
放亡
レオンハルト(p3p004744)
導く剣
ルクス=サンクトゥス(p3p004783)
瑠璃蝶草の花冠
一条院・綺亜羅(p3p004797)
皇帝のバンギャ
東郷 翡翠(p3p004803)
カゲロウの視る夢
松庭 和一(p3p004819)
破られた誓紙
リシェル・ミシェーレ(p3p004842)
特異運命座標
華蓮・ナーサリー・瑞稀(p3p004864)
ココロの大好きな人
ルア=フォス=ニア(p3p004868)
Hi-ord Wavered
ロクスレイ(p3p004875)
特異運命座標
梶野 唯花(p3p004878)
ターンオーバー・アクセル
ウィルフレド・ダークブリンガー(p3p004882)
深淵を識るもの
シビュレ=レヴィナ=トリリハウル(p3p004922)
宙界渡り
ライハ・ネーゼス(p3p004933)
トルバドール
ココル・コロ(p3p004963)
希望の花
ヴァン・ローマン(p3p004968)
常闇を歩く
リーゼル・H・コンスタンツェ(p3p004991)
闇に溶ける追憶
天之空・ミーナ(p3p005003)
貴女達の為に
リリ・ステラ(p3p005007)
シロ(p3p005011)
ふわふわ?ふわふわ!
アリス・フィン・アーデルハイド(p3p005015)
煌きのハイドランジア
アラン=キャロル(p3p005017)
ミシャ・コレシピ・ミライ(p3p005053)
マッドドクター
剣崎・結依(p3p005061)
探し求める

リプレイ

●いざ、幻のダンジョンへ
「へぇ、願いを叶えるダンジョンッスか! すげぇッスね!!」
 意気揚々とスウェンが一番乗りで幻のダンジョンへと乗り込む。
 小さいとは聞いていたが、外観はたまたま地上に露出しただけの洞窟にしか見えなかった。
 しかし入って見れば、そこは間違いなくダンジョンだった。
 狭く湿った岩肌を剥き出しにした洞窟はすぐに壁と天地を舗装された迷宮へと変わる。迷宮、と言っても、一本道だが。
「淡々と直線を走るだけのダンジョンッスか!」
 やがて通路がなだらかになると、スウェンは待ってましたとばかりに走り出す。
 彼の願望はただひとつ。『最速を極めること』。
 ひと時の間に夢が叶うダンジョン。そのひと時を刹那へと縮めてしまうとしても、それでも、それでも最速を極めた自分に焦がれた。
 そんな彼の純真が呼び寄せたのは、遥か先まで続くコース。
 邪魔するものは何も無い。
 ただ速く。
 ただただ速く。
 加速だけを繰り返し、ギフトもスキルも使い続けて、見知らぬ速度にまで到達する。
「ヒャッホウ!! 止められないッス!!」
 ―― 自分は確かにこの瞬間、何物よりも最速ッス!
 その歓喜の声さえ置き去りにして。
 音速を超え、光速にまで迫らんと。
 いまや流星さえ追い抜くスウェンはなおも加速を続けながら走り抜けた。

「って感じだったッス」
 ダンジョンの入り口にて、
 音の壁を突き抜けたついでにダンジョンからも飛び出したスウェンは、後続のイレギュラーズにそんな風に説明した。
 彼の表情はヘルメット越しにも分かるほどに晴れやかだった。


●希望に満ちて
「願いが叶う、か……」
  富や名声、人の望みは様々だ。呟きながらそう思うレイヴンもまた、願いを持っていた。
 それは海洋に生まれ海と生きた人間であれば誰しも願う事。
「『絶望の青』の向こう側。遙かなる果てを、この目で」
 レイヴンが口にすると、床の音が変質した。
 石床を踏む音が、木の床を踏む音へ。
 その変化にふと視線を落せば、床は紛れも無く板張りになっている。
 驚いて顔を上げれば、目の前には真っ青な空が広がっていた。
「これは――」
 気が付けば、巨大な帆船の船首に立っていた。
 仰げば快晴、見渡す限りの大海原。
 群青の荒波を割って進む雄々しきガレオン船。
 見慣れない鳥が群れを成して飛び、見た事の無い島が水平線に浮かぶ。
「これが、『絶望の青』の……!」
 レイヴンの胸が高鳴る。
 絶望の向こうに希望を抱いた者達の夢。
 もはや潮の香さえ新鮮で、ああ、ここまで彼の海は美しいのかと。
 だが、
『これは憧憬。夢物語に描かれた、万人の願い』
 どこからか声がする。
『あなたには、もう一つ、大切な願いがある』
 声は語る。
 大いなる海さえ霞む、そんな願いがレイヴンにはある筈だと。


 目が覚めると、サーシャは陽だまりの中で樹に背を預けていた。
 いけない、いつのまにか寝ちゃっていた。
 陽に照らされた肌はじんわりと暖かく、やわらかな幸せに包まれていく気がした。
「二度寝しちゃいそうです」
 軽く頭を振って起き上がると、そばにいたリスや小鳥が驚いて距離を取る。その小さな声の向こうから、聞き覚えのある声がした。
 以前見つけた喫茶店で出会った沢山の友達が、陽の当たる広場で手を振っている。
 呼んでいる。笑顔で。友達が。
 陽の差す暖かな場所で。
 なぜだろう。
 昼間の何気ない一日が、なぜだか無性に愛おしかった。


「夢……」
 ヨタカは思う、ここは願いが叶うダンジョン。
 ヨタカも半信半疑ながら願いをもってやって来たのだ。
「もしそれが本当なのであれば……俺は……会いたい……。俺が幼少の頃……星になってしまった母上に……」
 広い通路の先、何度も小さなドアを開けては潜り進みながら思う。
「幻でも良い……嘘でも良い……喋れなくても良い……」
 母上に会いたい。
 会って、ただ一言伝えたい。
 ずっとしまっていた思いを。
「母上……」
 漏れ出した言葉。
 その言葉を受け止めるように、目の前に誰かが現れた。
「――え……」
 何度目か、ドアを開けた先に、その人は立っていた。
 月のような微笑みを浮かべた女性は、ただ静かにヨタカを抱きしめる。
 何かをささやいて、抱き締める腕に力が籠る。
 ああ。間違えようがない。


「母上……俺を……産んでくれて……ありがとう……」
 絞り出すような声だった。
 聞こえただろうか。
 伝わっただろうか。
 分からないけど、母上は微笑みを浮かべたまま、ずっと抱き締めてくれていた。


「幻のような場所ね」
 白く広々とした通路を歩きながらユタは言う。
 何の違和感もない。
 しかし既にイレギュラーズは分断されている。
 占い師としての勘も相まって、自分がすでに『幻』を見ているのだとユタは気付いていた。
 溜息を吐きながらも冷静に、ならばと自分の中の夢に向き合ってみる。
 ―― 私の願いは故郷の海と星空を、久しぶりに見ること。
 ユタが旅立って何十年経つだろうか。まだその時ではないとずっと帰らずにいる故郷。
 その情景を心に映せば、瞬く間に眼前の風景も移り変わる。
「ここは、あの時のままなのね」
 白い砂浜。
 透き通るようなコバルトブルーの海。
 満天の星空。
 はっきりと思い出す。鮮やかながらもただ静謐に満ちた景色。
 あまりに美しく胸を打つその星の海は、ユタの出発点だ。
「…… 惜しむらくは、皆にこの光景を伝えたくても、伝えられないことね」
 自然、歩を緩めてさくさくと砂を踏みながら、ユタはただ遠くの星を、あるいは海の向こうを眺めていた。
「さて……帰りましょう。長居しても仕方がないものね」
 もう、十分だろうか。
 ここはユタの出発点。ならば、もう一度歩き出さなければ。
「本物の星空を、今日も見に行きましょう」
 歌うようにささやいて、ユタは望郷を後にした。


「あれ?」
 突然、チャロロは雪原に立っていた。
 ここは願いを叶えるダンジョン。雪原はいわばチャロロの心象風景の様なものだろう。
 それならと、チャロロは一層強く願う。
 ――5歳のときに死に別れた父さんと母さんにもう一度会ってみたいな。
 そう思った時、ふと自分を呼ぶ声がした。
 見上げると、大きな男が立っている。
 空より明るい雪原の中で子供になったチャロロは、男と、父さんと遊んでいたのだ。
 寒いはずなのに、なぜかすごく温かい。
 また自分を呼ぶ声に振り向けば、家の戸を開けた母さんが呼んでいた。
 こんな日があっただろうか。
 過去か、あるいは来なかった未来の中に。
 家に帰れば母さんがオムライスを出してくれる。湯気を立てるそれは、どうしようもなく懐かしい味がした。
 だけどこれは夢だ。
「父さん、母さん、 オイラもいろいろあったけど、ハカセと元気にやってるよ」
 心配しなくても大丈夫だよ。
 そう告げるチャロロを見て、両親は嬉しそうに笑った。
 ――たとえ幻でも、また会えて嬉しかった。
 頷いてそう口にする両親に、チャロロは「オイラもだよ」と答えて、笑った。

 一人通路を歩むミシャもまた、家族の事を思っていた。
「私の夢……ねえ」
 思い浮かぶのは混沌に訪れる前の世界だ。
 魔法で稼働する機械が文明基盤として発展した世界。しかし魔獣という脅威との争いが絶えない世界。
「平和になった世界で、チャロロが大人になったころ、一緒にお酒を酌み交わすの」
 ミシャは願う。
 その願いに応えるように迷宮は変じ、気が付けばミシャは懐かしい世界に立っていた。
 周囲には歓喜に沸く群衆。聞こえてくるのは戦いが終わったという夢のような知らせ。
 涙を流しながら笑い合い、背中を叩き、肩を組んで、時に抱き合う人々は、ただただ喜びの中に在った。
 ミシャが肩を叩かれて振り向けば、成長したチャロロが居た。
 幾分逞しくなりながらも愛嬌のある仕草は変わらない。両手に持ったジョッキの片方をミシャに押し付けると、「約束、守り抜いたよ」なんて言って笑う。
「……あなたを機械の体にしてしまったこと、戦う運命を与えてしまったこと……恨んでるかしら」
 自分に都合の良い夢なのは知っている、だから帰ってくる言葉もきっと。
 だけどミシャは忘れていた。
 叶う願いは一つだけ。
 平和な世界でチャロロと酒を酌み交わす、それだけだと。
 だから、その問いの答えは、
 ――チャロロは真っ直ぐにミシャを見て、いつものように笑った。


 私の願いは叶わない。
 そう思いながらもこの迷宮に足を踏み入れたルミは、叶わないからと全ての願いを捨てたわけではなかった。
 彼女の願いは叶わない。ギフトとしてその呪いを受けたのだから。
 そんな絶望的な運命を、しかし彼女は生きている。
 彼女の意志に応えるように、唐突に目の前の景色が書き変わった。
 それは彼女が領主ではなくただの町娘であるという夢。
  書類に追われる事もなく、汚い貴族の相手をせず、そして何より、何もない家のドアを開けると彼が居る。
 ――ただ、何もない平穏な日々を彼と過ごせたら……。
 その願いは、今この時に叶ったのだ。
「嘘……!」
 願ったからには叶わない筈だった夢。
 でも、夢は夢のまま。現実にはなっていない。
 領主の私はあらゆる制約を受け、彼と結ばれない。
 でも嘆いていても仕方ない。
 この現実を受け止めて彼女は一歩を踏み出した。
 滲んだ景色の向こう側、夢と幸福を噛み締めて、今出来る最大限の幸福な未来を実現するために。
 運命に抗うのは彼女だけではない。
 イレギュラーズとは元よりそういう連中だ。
 打ち破れない筈が無い。
 そう信じて歩いていく彼女の背中を、彼の笑顔が見送っていた。


「私の望み……そりゃあもちろん天下を揺るがす大泥棒に!」
 含み笑いを漏らしながら進むエマは、妄想を膨らませる。
 だが、
 ――いえ、違いますね。
 エマは知っていた。そんな上っ面の願いは叶えば嬉しいかも知れないが、それよりも望む物が有ると。
 『家庭で過ごしたかった』。
 気が付けば、ある街の凡庸な家の、そう広くもない食卓に着いていた。
「これって……」
「どうしたエマ、食べないのか?」
「早く食べなきゃ冷めちゃうわよ?」
 ぽかんとするエマに声を掛けてくるのは、同じ食卓を囲んだ男女、いや両親だ。
 見たことのない顔。だけどどこか安心する顔が、眉間ではなく目尻にしわを寄せた顔で、エマを覗き込む。
「おいしい……」
 促されるままに口にしたパンとシチュー。
 湯気の立つ料理。
 自分を見て顔をほころばせる両親。
 交わす話題は自分の事ばかり。それも、甘い言葉だらけで。
 ――野ざらしではない温かい家の中で、両親と共に過ごしたい。人様の物をかすめ取るような真似もせず、バカにもされず、人も殺さず。
 人並の幸せを、穏やかに暮らしてみたかった……。
 幻で良い。この幸福に浸っていたい。
 そう願っても、やはり願いは一つしか叶わないのだ。
「……やっぱりだめですねあのダンジョンは」
 気が付けばエマは外に居た。
 それでも胸の内だけは確かに満たされていた。
 だから、
「つぶしたほうがいいと思いますよ。――行方不明者が出ちゃう」
 そう言って、エマは力なくふにゃりと笑った。


 荘厳な教会があった。
 大勢の人が居た。
 皆が笑顔で、教会へ続く道の脇に並んでいる。
 祝福の声。降り注ぐ光。その中をポテトとリゲルが歩いていく。
 純白のドレスと正装に身を包んだ二人。リゲルがポテトの手を握ると、ポテトもその手を握り返す。
「私はこの世界でかけがえのない人と出会えて、幸せなんだ」
「人の世は混沌としているけれど俺がポテトを守り、共に世界の行く末を見て参ります」
 女神達に向かって真っすぐと言うポテトとリゲルに、女神達もやわらかな笑顔を返した。
 ポテトはリゲルの両親にも向かい、言う。
「リゲルを支え、共に支え合って生きて行きます」
 付け足した「跡継ぎは……が、頑張ります」という言葉はやや引っ込み気味だったが、赤くなるポテトを見てリゲルも一歩前に出る。
 騎士の儀礼に則って、父と正面から向かい合うリゲル。
「アークライト家を継ぎ、俺が信じる名誉を守り、我が信念と共に正義を貫きましょう」
 母は微笑み、父は小さく頷いた。
 最後に二人はお互いに向かい合う。
「愛しているよ、ポテト。いままで有難うな」
 ポテトのヴェールをそっと静かに上げて、リゲルが言う。
「私も愛してる。これからずっと一緒に幸せになろう」
 ポテトは零れる涙を拭ってにっこり微笑む。
 これまでに感謝を、これからに誓いを。
 誓いと共に、口付けが交わされる。
 ――夢から覚めたとしても、その誓いだけは二人の中に正しく刻まれていた。


「何でも願いが叶うのですね!? 凄いのです!」
 感嘆の声を漏らすルアミィは通路を歩きながら思う。
 ――ルアミィは、神秘で人を救いたいのです。
 心優しいルアミィの願い、それに応えたダンジョンは、その壁一面に次々とルアミィの活躍を映し出した。
 人々を傷付ける強大な敵をもっと強大な攻撃術でやっつける。
 傷付いた人々も癒して、反省し改心した敵も許す。
 そうして最後は敵も人々も幸せそうに笑って、誰もがルアミィに感謝するのだ。
 素敵な光景だと、ルアミィは息を漏らす。
 でもこれは夢。
 だけど、今はひとときの幸せな夢でも、きっといつか現実に出来るのです。
 そう固く信じるルアミィの前に、映し出された光景は少しだけ変わる。
「これ……」
 少しだけ理想に届かない夢。
 でもそれは夢じゃなくて、今までのルアミィの歩みだ。
 そしてそれはさっきまでの理想の自分に、とても良く似ていた。


 夢なのは分かっている。
 そう確かめる様に思うマナ。
 そこは実家の屋敷。
 だが、そこで出会う人々は誰もが優しかった。
 朗らかな顔で微笑む両親も、慈しみの顔で語り掛けてくれる兄姉達も。
 身体も嘘みたいに、いや、本当のように、軽い。
 どれだけ本物のようでも全て幻に過ぎず、そしてそれは失われる。
 どんなダンジョンなのか、情報屋『フリートホーフ』の一員として調査に来たマナだが、調べるほどに思う。
 ここは幸せであり、時には残酷な場所なのですね……。
 大願と言うにはささやかな夢。だからこそ優しく、染みる様に暖かく。故に失われるのが、これが嘘なのだと突き付けられるのが残酷だと。
 だから長居は出来なかった。
 マナはひとしきりメモを取った後、現の幻である家族に挨拶をして屋敷を出る。
 その背中にまた優しい言葉と笑顔が届いた。
 ――いつの日か、本当の家族もこうして微笑んでいただけるよう、私も頑張らねばいけませんね。
 メモを抱き締めるようにして、マナは振り返らずにその場を離れた。


 俺、願いなんてあったかな……。
 そんな事を考えながら葵は進む。
 彼はやがて目の前に現れた光景にも首を傾げた。
 見知らぬ男が立っている。
 その男が踏みつけていたのはサッカーボール。
 よくみれば、開けた空間は芝のフィールドだ。
「いっちょ勝負しようや」
「いいっスよ。エースの実力見せてやるっス」
 勝負は1対1、1本勝負。
 ざっくりとルールを決めると、男と葵はフィールドの真ん中で向かい合う。
「じゃあ始めるか!」
 その言葉と共に、二人は走り始める。
 エースである葵の自信は、しかし直ぐに陰る。
 慢心していては勝てないほど、相手の男も強かった。
 ボールを取っては取られ、取られては取り返し、息が上がって汗が散るほど激しい勝負が続く。
「もらい!」
 しかし最後には葵が男を抜いた。
 足を開いた一瞬を突き、完全に抜き去ったのだ。
 しかし、駆け抜けた先は、ダンジョンの外だった。
「……あれ、いつの間に外に……」
 振り返ってもあの男が居ない。
 抜き際に言われた『強くなったな』という言葉の意味も、分からなかった。
「……なんだったんだ、アイツ」
 そう言えば、あの男の顔は葵によく似ていた気がした。


「夢か」
 一人ダンジョンの深淵へと踏み入ったオラボナは大仰にして語る。
「我等『物語』の夢は未知への回帰だ」
 そう願うオラボナは旅人だ。
 異界にて未知たる恐怖を綴じた物語であった筈だ。
 しかし混沌に訪れたオラボナは完全なる未知でも恐怖でもない。混沌肯定等に定義付けられ枠に嵌まった自らを既知の娯楽だと断じていた。
 それ故に、再度『未知なる恐怖』に孵りたいと願う。
「ああ。視える。悪夢が。崩壊が。人類どもが錯乱する、極光の抱擁が」
 そう、視えるとも。
 此処は最早迷宮ではない。
 謂うなれば宇宙であり、混沌よりも混濁の海たる異界だ。
 オラボナは既にオラボナでは亡く、宇宙的恐怖に、或いは数多の異形、或いは概念、上位存在、即ち神話へと成り孵ったのだ。
「素晴らしい。其処が夢『幻』か!」
 其れは声では無いが世界に響き、音では無いが宇宙を揺るがす。
「正しく我等『物語』だった頃の闇黒。実に良い。好い。如何か。夢『アザトース』が覚めないよう――夢『アザトース』だと現『ナイアルラトホテップ』だと。何処に。名前が在るのだ。融ける。融けて終う!」
 胎動する様に言葉と思いが溢れ出ては世界を腐らせる。
 暗黒に浮かぶ何かは身じろぎ一つで銀河を飲み込み、夢と現は境界を無くし、残酷と残虐とが混じり合って肉色の虫が生まれる。
 其処は何処だ。
 オラボナは嗤う。
 何が起こって居るのかはもう誰にも分からないだろう。
 其の『物語』は只紡がれ続けていた。


 城に居た。
 ふと自分の顔に触れ、そこに肌の感触を覚えて、ジークは理解する。
 これは貴族だった頃の姿だ。
 骨の身と成り果てる前の姿。だとすれば、
「其処に居るのはまさか、妻と娘か?」
 随分と記憶が薄れていたが……此処まで再現するとは。
 全て思い出したジークから見てもまるで夢には思えなかった。
 幻とは言え折角の再会だ。約1200年ぶりの家族の団欒を楽しみたい。
 私は只、妻と娘と会いたくて、言葉を聞きたくて死霊術を開発したのだったね……。
「会いたかった」
 それはとても長い間願っていた夢。
 叶わなかったが、それでも失われなかった夢。
 家族との再会を喜んでいると元の世界の人間の弟子兼友人も祝福してくれていた。
「私は日々の平和な日常を普通に暮らしたかったのか」
 確かめるように口にする。
 あの頃はいつもこんな風に幸せだったのだ。
 だからこそ、私はどんな手を使っても人間の腐りきったモラルを正すと誓った。
 やがて長い時が流れて、夢から覚める。
 思い出した願いと思いは消えないままに、ジークは外へと歩き出す。
 その背中を押すように、妻と娘から「頑張ってね」と聞こえた気がした。


「望むものが得られる遺跡、ですか……」
 言いながら進むオフェリアだが、迷宮は遺跡と言うには真新しい。
「私は……」
 その思いに反応して、迷宮の先には幻影が浮かび始めた。
 それは、この世界のどこかで暮らす人々の生活風景。
 大きな争いごともなく平和に暮らす人々の姿だ。
 国は分かたれ、魔種は暗躍し、犠牲になるのは力のない者ばかり。
 昔が平和だったわけではないが、滅びの予言が外れない限り、世界はますます荒れていくだろう。
 予言が外れたとしてそれで世界が平和になるわけではない。それを為すにはまた別の努力が必要だ。
「……全ての人が相容れることなど不可能なのは理解しております。それでも、一人でも多くの人が安らかに暮らせるように」
 祈りにも似た願い。
「そういう風に世界を導いていける方を見つけて、支えることが私の使命」
 口にしてみるも、その人物は幻影には浮ばない。
「まあいいでしょう。そこは自分の目で確かめるとします」
 言って、踵を返す。
 騒がしい限りの、幸せの混沌の中を、オフェリアは進む。
「今はこの光景を胸に刻んで、明日に進む糧といたしましょう」


「どうした兄弟」
 突然懐かしい声に呼ばれ、オクト・クラケーンはハッと顔を上げた。
 そこは海原、見慣れた船のデッキだった。
 そして目の前に立ち、「にししっ」と笑う烏賊の海種。
 そいつは蛸髭海賊団のもう一人の船長、スクイッド・クラケーンだ。
「なんでもねえよ、兄弟」
 オクトはそう返して「くかかっ」と笑う。
 そうだ、俺達はまた一つの冒険を終えて、その帰りだった。
 海の向こう、水平線に沈む陽を見ながら、俺達は語り合っていた。
 早くも今回の冒険譚を謳い上げる野郎どもが、二人の船長をひっきりなしに讃えてくる。
 ああ、これは夢じゃねえ。これはいつもの光景だ。
「兄弟、コイントスしてくれよ」
「ん? 突然だな。まぁ、良いぜ」
 急な頼みに、快く応じる。
 吉兆を占うコイントス。
 表が吉で裏が凶。
 指を弾けば一枚の硬貨が回転しながら宙を舞う。
 そして、硬貨が落ちていく最中、
「「なぁ」」
 オクトとスクイッドが全く同時に切り出した。
 間が開いて、無言のままにオクトがコインをキャッチする。
 顔を見合わせれば、直ぐにお互いに伝えたい事が分かった。
 だから、
「くかかっ、またな、兄弟」
「にししっ、またな、兄弟」
 そんな言葉を交わして、夢から覚めた。
 瞬きの間に夢は終わり、オクトはダンジョンの出口に立っている。
 飲んだくれた仲間達の喧騒も、隣に立っていたスクイッドも居ない。
 だが、大丈夫。
「必ずまた会えるだろう? なんたって――」
 手元のコインを見る。
 結果は、表であった。


 願いを叶えるダンジョンと聞いて、樹理は食べ物持参で訪れていた。
 ダンジョンの事を案じていたのだった。
「いつの間にか消えてしまう……というのは不本意でしょう。だから……せめて、その時までは魔力が持つように」
 もってきたリュックを下ろす。
 その中からは樹里の大好きな食べ物が次々と出てくる。
 それをダンジョンの通路の端に積み上げていって、樹里は祈る。
「与えるだけでなく、求められるばかりでなく、たまには、こういうのもいいものですよ……♪」
 ささやきに頷くように、積んだ食べ物がほつれるように光となって消えていく。
 きっと魔力になったのだろう。
 それとも、樹里の思いを汲んで、そう見えるように演出しただけかも知れない。
 この行為と願いが迷宮を作り願いを叶え続けている何かを癒せたかは分からない。
 しかし、帰り道でもダンジョンの魔力が回復しますようにと願う樹里の耳には、微かに『ありがとう』という声が届いたのだった。


 拳を打ち鳴らす音が響いた。
 凄まじい速度で壁に叩き付けられたモモカは、衝撃に息を詰まらせながらもにやりと笑う。
「アタイの夢は鉄帝の闘技に出ることだ」
 その言葉をそのまま叶えた迷宮は紛う事なき闘技場と化していた。
 とんでもないレベルの強豪ばかりがひしめく中で、モモカは懸命に拳を振り上げる。
 流石は鉄帝、流石は闘技。顔も名前も知れない戦士でさえ、弱い奴は一人も居ない。
 毎戦決死の覚悟で挑み、何度も叩き付けられ捩じ伏せられて、それでも渾身の一撃と無数の抵抗で喰らい付いて勝ち上がれば、その度に闘技場は歓声で沸き上がり、小さな勇姿を惜しみない喝采で包んだ。
「強い、痛い、だけど、楽しい!」
 肩で息をし、ボロボロになりながらも最高の笑顔で言ってのけるモモカ。
 ――そしていつか頂点へ……!
 遥かな高みで待つ二人の最強を見上げて、モモカは拳を突き上げた。
 夢は醒める。
 それでも鳴り止まない歓声の中で、モモカは固く誓った。
 ――この夢、いつか絶対叶えてやるんだ!


「よーし! 頑張るぞ-!」
 気合を入れてルーカスがずんずんと進んでいく。
 夢はでっかく、お宝狙い!
 だけど欲しいのはお宝そのものじゃない。
 ――俺は田舎もんだからな、父ちゃんと母ちゃんに親孝行してやるんだ。
 そんな思いから出た願いだった。
 父ちゃんは脚が悪くなって怖くなくなってしまったし、母ちゃんも昔の肝っ玉な所が段々と優しいおばあちゃんみたいになっちまってさ。俺が居てやらねぇとな。
 んで、料理が上手で気立ての良い綺麗な嫁さんと、素直でやんちゃでちょっとおバカだけど、可愛い可愛い子供に囲まれてな楽しく過ごすぜ。
「ふふ、良い夢だろ?」
 屈託もなく笑うルーカス。
 それに応えるように、目の前には宝箱が現れた。
 中身はまさに金銀財宝! 溢れんばかりの宝の山だ。
 大喜びで宝箱を持ち上げて、大急ぎでルーカスは家へと帰った。
 しかし家に帰るなり父ちゃんからは雷が落ちた。危ない真似すんな、冒険なんてやめちまえ。そんな事を言われた気がする。
 怯んでいると、ルーカスの背中をバンバン叩きながら母ちゃんが笑った。まあまあお宝が手に入ったんだから、なんて言いながら、ルーカスの無事を一番喜んでいた気がする。
 そして、足元には元気いっぱいな子供がまとわりついて今日の冒険について話せとせがみ、それより先にご飯にしましょと美人な嫁さんが優しく微笑む。
 だからルーカスはもう一度言う。
「よーし! 頑張るぞ-!」
 夢の中で思い新たに。
 ルーカスは元気よくダンジョンを後にした。


「………願いが叶うそうですよ?」
『我が望みは契約の果てに果たされる、気遣いは無用だ』
 呪具オルクスの言葉に、契約者である少女アケディアは頷いた。
 一方、別の場所でもよく似た組み合わせの一人が歩いていた。
「……ここまで……歩いたのは……失敗だった……」
『このまま侵入すれば確実に帰りたいというのが願いになるな』
 アケディア達と同じく、呪具コルと話す契約者の少女メランコリア。
 メランコリアは願う。延々と続く憂鬱で停滞した日々を。
 アケディアは望む。延々と続く平穏で怠惰な日々を。
 それら似て非なる願いと、似て非なる二人が、どこでどう交じり合ったのか。
 通路の先、小さな扉を開くと、二人は明るく清潔な部屋に着いた。
 柔らかな寝具に美味しい食事。
 平穏で幸せな情景を切り抜いたような情景。
「……アケディアが……いる……」
 メランコリアが言う。
 ごく自然に、当たり前の様にすぐそばに、アケディアとオルクスが居た。
『偽物かもと疑うくらいはしたらどうだ?』
 コルの言葉にも大して耳を傾けず、メランコリアは早速寝具に横たわる。
「……リアもここに来ましたか……」
 対して、アケディアの方もメランコリアに気が付きながらも流す事にした。
 二人はただ、その場所を気に入っていた。
 食べ物、飲み物、暖かい空気と自身が何もせずとも良い停滞した生活。
 涼しい空気、飲み物、食べ物と自身が何もせずとも良い怠惰な生活。
 同じ場所で同じ時を過ごしながら同じ様には感じす、しかし同じ様に満たされている。
「……このまま……朽ち果てたい」
『何年暮らすつもりか知らないが長い夢になりそうだな』
 呟き微睡むメランコリアに、しかしコルは付き合うようだ。
「……安眠が尊いですね……死ぬまで……堪能させていただきましょう」
『どの段階で夢が叶ったと判断されるのかは僅かばかり興味があるが、どうなることか』
 時の流れさえ幻の中。
 二人の少女は眠る。
 二つの呪具もまた。
 彼女達の夢が醒めたのはきっと、永遠の日々の、その翌日だろう。


 幻の式場はそこにある。
 唐突で段階を踏まない突拍子の無い演出は、まさしく夢そのものだと幻は笑う。
 かつては夢の住人であり、混沌にて現実に生きる事になったかと思えば、再び夢の中に居る。
「まるで永遠を反復横跳びするトートロジーのようで御座いますね」
 そう言う彼女は純白に身を包む。
 肌をなめらかに覆う総レースのウェディングドレス。降り注ぐ光に包まれ、幻を飾り立てる白。
 その、幸せの形をした服を着て、幻は前を見た。
 小さな式場には、無辜なる混沌で出会った家族と呼べる人達が居た。
 暖かく静かな祝福。
 嬉しくて、幸せで、少しだけくすぐったい。
 そんな彼女の手を取るのはジェイクだ。
 窮屈そうにタキシードの襟を引っ張る彼だが、今日ばかりはきっちりと着こなして見せ、そして幻のドレス姿を綺麗だなんて言って微笑む。
 二人は今日、この日、この場所で結ばれる。
 一夜限りの夢の中で生きて来た幻が、永遠の愛を誓う。
 不思議なものだと幻が思っていると、誓うや否やその唇をジェイクが奪う。
「こんな時まで僕のペースを乱すのですね、太刀川様は」
 照れてそう言う幻に、ジェイクは意地悪そうに微笑んだ。
 それは幻が夢見た光景。
 そしてジェイクが夢見たのはそこからもう少し先の光景だ。
 幻がジェイクと夫婦になる事を願ったのならば、ジェイクは幻と家族になりたいと願った。
 その願いのままに、二人の間には二人の子供が生まれていた。
 狼男と胡蝶一族という異世界種の混血、しかも双子。背中に可愛らしい蝶の羽を生やした狼の兄妹だ。
 男の子をジェイクが抱き、女の子を幻が抱く。
 ――この温かいものを求めて俺は今まで戦ってきた。
 それはイレギュラーズとしてだけじゃない。人生を生き抜いてきたという事だ。
 この幸せを手にする為に、愛した人を幸せにする為に。
 夢の終わりは訪れる。
 二人は夢に落ちるのと同じくらい唐突に、ダンジョンの外に立っていた。
「……幸福な夢をみるというのはこんなにも切ない気持ちになるものなのですね」
 幻は言う。
 ジェイクも頷く。
 彼女が見た夢。彼が見た夢。
 二人は二人の夢を語り合う。
 そして、互いの夢を叶えようと、強く抱き合って誓いの口付けをした。


 何故か、洞窟に入ったと思ったら森の中に居た。
 これもこのダンジョンの力だろうかと、グレイは考える。
 森の中の広場に佇む小屋があり、グレイはその小屋になんの迷いもなく入っていった。
「遅かったじゃないか」
 小屋の中、灰色をした長髪の女性が椅子に座ったままグレイを見る。
 見覚えのない女性だが、見覚えのある帽子を頭に載せていた。それはグレイが師から譲り受けたはずの魔女帽だ。
 なぜ彼女が、と思う事も無く。
 そして自分が被っていた魔女帽が無くなっている事にも気付く事は無い。
「折角立っているんだ、珈琲を淹れてくれないか」
 灰色の女性に促されて、グレイは珈琲を淹れる。
 淹れてあげたのに「まずい」と言われつつ、二人で一緒に珈琲を飲んだ。
「キミの珈琲はいつも同じ味だな、少年」
「じゃあ飲まないで下さい、先生」
 自然と口を突いて出た、先生と言う呼びかた。
 見ず知らずの女性、過ごした記憶のない小屋。先生とつい呼んでしまう女性とのやり取り。
 それが全部どこか懐かしく、こうした日常が当たり前であったように感じる。
 森の中の小屋で、灰色の先生と二人、皮肉られながら珈琲を飲んで過ごす。
 たったそれだけの日常。
 いつしかそんな風景は珈琲の湯気と共に消え失せ、グレイは一人、何も無いダンジョンの外に立っていた。
 普段の飄々とした余裕は失せ、悲痛な面持ちで。
 あれは、過去だった。
 過ぎ去った日々は、もはや叶うこともない夢だと自覚する。
「……全く、悪い夢だった」
 吐き出すように漏らすグレイの頭の上には、先生と呼んだ女性と同じ魔女帽が揺れていた。


 あらあら~、と、ふんわりのんびりした足取りでスガラムルディが行く。
「う~ん、私はお宝にも名誉にも、あまり興味はないのよね~。
 でも、ダンジョンをどうにかしたいし、ちょっとどんな夢が叶うかも気になるし……頑張って行ってみましょうか~」
 とてもふわふわした理由だが、問題など何もないのがこのダンジョンの幻たる所以。
「うーん、そんなに変わった感じもしないのだけど」
 そう言いながら歩くスガラムルディは頬に手を当て首を傾げて、そして気が付いた。
「……あら、あら……?」
 ない。
 服の袖をまくり上げ、腕を剥き出しにする。
 細い腕だ。が、ないと言うのは筋肉の話ではない。
 それは鱗。
 竜の呪いを受けた証の、群青色の鱗が無い。
「……私、自分で思ってるよりずっと、この呪い嫌ってるのねえ」
 あらあらと言うスガラムルディ。撫でた腕は肘から手首、手の甲から指先まで、しっかりと人の肌の感触だった。
「外に出たら、また鱗生えてるのでしょうね」
 残念そうに少しだけ笑う。
 なんだかんだで隠して来たのだ、気にしていない風を装ってはみても、結局ダンジョンに無意識で願っていたのだろう。
「……気にしないでいたけど、やっぱりこの呪いなんとかする方法、見つけたいわねぇ~」
 彼女は笑う。
 やっぱり鱗のない自分に戻りたい。
 そんな自分の願いを再確認した彼女は、心持ち来た時より足取り軽やかにダンジョンを後にしたのだった。


「最初の入り口までですが、一緒に行ってもいいですよね?」
「入り口までね、いいよ」
 トゥエルが声を掛けると、レイは二つ返事で応じる。
 例のダンジョンでは願いが違えばだいたいはぐれるという事で、それならと二人は一緒に道中を楽しんだ。
「レイ君の夢ってなんなのですか?」
「私の望み? うん。お金持ちになりたいかな。
 ナレッジさんの夢って……いや言わなくても分かるかも」
「私はですね! やっぱり世界の真理が知りたいのです! 何で知りたいかですか? やっぱり自分の知らないことを解明するのは楽しいからですかね! 知ってどうするかは、知ったとき決めればいいのですよ!」
 訊いてないのに結局早口大音量でぶちまけるように説明された。
「叶うといいね」
「はいっ!」
 お互いに、とハモって、二人は訪れたダンジョンに、別々に乗り込んでいった。

 知識が欲しい。
 そう願っていたはずのトゥエルは、狭い通路を歩ていく。
 やがて辿り着いたのは図書館だ。
 だが、本を一冊手にして捲っていると、後ろから声が聞こえた。
「もしかして君、それが読めるのかい?」
 振り返れば、同年代の男の子が立っていた。
 更に男の子の後ろから女の子が顔を出した。
「あなたすごいのね! ねえ、よければ私達とお友達になって?」
 そう言って笑顔で手を差し伸べてくる。
 トゥエルが思わずその手を取ると、二人の子供は嬉しそうに笑った。
 それからは楽しかった。
 トゥエルは持ち前の知識を二人に向かって披露すると、二人は凄い凄いと誉めそやす。
 その話が聞こえた大人もやってきてトゥエルの知識に手を叩いて賞賛を送った。
 気恥ずかしいけど、心地よい。
 トゥエルはいつしか本を手に取る事も無く、二人の子供や周囲の大人達と夢中になって話していた。
 認められたい。
 自分を見て欲しい。
 気の合う友達が欲しい。
 知識欲よりも、そんな小さくも切実な願いをダンジョンは汲み取った。
 知識なんて一つも蓄えられなかったけれど、それでもトゥエルは満足そうに話し続けた。

 お金持ちになりたい。
 そんなのは嘘だ。
 ダンジョンの奥へと進むレイは、当然のようにそこへ辿り着く。
 そこは、レイが元いた世界だ。
 髪を梳くような感触。
 知らぬまに、誰かがレイの頭を撫でている。
 それはレイの好きだった人。
 大切で特別な人。
 その人に頭を撫でられて、レイは何をするでもなく、ただのんびりと過ごしていた。
「どうしていなくなってしまったの。私はあなたがいてくれるだけで、それだけで幸せだったのに」
 訊いてみても、その人は苦笑するだけだ。
 ただ、今はここに居て、こうして頭を撫でてくれている。
「まぁ、確かにこっちの世界も楽しいよ。賑やかで疲れちゃうくらい」
 だからそれ以上何も言わず、レイは頭を預けて話し始める。
 訊きたい事より、聞いて欲しい事を。
「面白い子がいてね、案外楽しいよ――」
 ゆるゆると時間が過ぎる。
 レイはいつまでもいつまでも、その世界でその人に話し続けていた。

「……どうだった? トゥエルさん」
「……あ、なんだか楽しかったのです」
「なに? その顔。あはは、すごい夢をみたみたいだね」
「レイ君はずっと隣にいてくれたのですか? えへへなんだか嬉しいのです」
 気が付けばダンジョンの外。トゥエルとレイは並んで立っていた。
 嬉しそうだけど寂しそうな二人。
 トゥエルが「このまま一緒に帰りませんか?」と聞けば、「どんな夢だったのか帰りながら教えてよ」とレイは返して歩き出す。
「私はね、金銀財宝が沢山詰見つけて……」
 ちょっと嘘を織り交ぜながら。
 夢から覚めて胸に残った思いを抱いたまま、二人は並んで帰って行った。


 私も『物』だからと、幻のダンジョンを作りだしたアイテムに少しだけ共感するミスティカ。
 そんなミスティカにも願いがある。
 もう一度、あの『少女』との出会いを。
 願いは迷宮の壁に反響して、幻を呼び覚ます。
 現れるのは10歳位の少女だ。
 彼女は体が弱く、外に出歩くのも儘ならない程だった。
 ――おそらくこの先、永くは生きられないのだろう。
 そう悟ったのか、彼女はある決意をして家を出る。
 いつしか噂で聞いた、魔女の宝石を探し求めに。
 命の危険を省みず、無理をしてまで探し続ける強い想いが奇跡を呼んだのか、死の淵で、彼女は追い求めていた宝石と巡り合った。
 少女の願いは、ただ生きたい、と。
 ――そして今、彼女と私は共に在る。
 少女は、ミスティカは立ち上がる。
 もう病に苦しみ命を落とす事は無い。額で煌めく魔女の宝石がある限り。
 たった一つの小さな願い。
 魔女と少女、二人の最後から始まったミスティカの物語。
「懐かしい記憶の景色を視せてくれたこと、感謝しておくわ」
 彼女はそう言って微笑むと、消えていく幻に手を振って歩き出した。


 平和な世界でヨハンは姉と過ごしていた。
 争いのない平和な世界で、姉は退屈だとしきりに訴えてくる。
「お姉ちゃんはノーバトル・ノーライフだから」
 苦笑するヨハンは、それでも嬉しそうだ。
 幻想と鉄帝が互いに手を取り合えば……。そんな思いが叶ったこの世界では、バトル以外は何でもあった。
 まだ騒いでいる姉と一緒に食べるシチューにはたくさんの具が浮いている。
 姉はカルパスばかりかじっているが、それでも山と積まれたカルパスは無くなりそうにない。
 平和は多くの恵みを齎した。
 後回しにされていた多くの問題に目を向けて、ギルド・ローレットの活躍も相まって、国は、世界は、少しずつ良い方向へ進んでいた。
 もちろん悪が途絶えたわけじゃない。今もどこかで事件が起きているはずだ。だけど大きな事件、悲惨で陰惨な事件にはならない。
 平和の中、ヨハンは姉と穏やかに過ごす。
 戦いたいと騒ぐ姉と尻尾を掴み合う姉弟喧嘩に興じながら、ただ暖かい日々を送っていた。


「夢が叶うダンジョンかぁ。一体どんな感じなのかしら、楽しみだわ」
 わくわくしながら結と魔剣ズィーガーは進む。
 暗い迷宮の通路わ歩いていくと、やがて戦場へと辿り着いた。
 地平線を埋め尽くす魔物の軍勢が、雄たけびを上げながら結を目掛けて突撃して来る。
「これは……私の夢? それともズィーガーの夢?」
 問い掛ける結にズィーガーは答えない。
「っ!?」
 突然、魔剣を手にした右腕が振り上げられた。
 ズィーガーの刀身を夥しいまでの魔力が覆う。
 それは『勝利の魔剣』の名に相応しき威容。
「……はぁッ!」
 結はズィーガーを真っ直ぐに振り下ろす。
 その刀身から放たれた魔力の奔流は射線上の魔物の群れを一撃で消し飛ばした。
 津波のような金色の光の洪水が敵を呑み込んでいく光景に、しかし恐れはない。
 これこそが魔剣ズィーガーの真なる力。
 ズィーガーを振るう度に光の柱が敵を薙ぎ払い、爆炎が空を割り、斬撃が大地を砕く。
 戦場を蹂躙する魔剣使いは思う。
 ――いつか真の力を取り戻したら本当にこうなれるのかしら?
 ズィーガーが答える様に魔力を奔らせた。
 雷鳴轟く戦場に嵐の如く君臨する結とズィーガー。
 その進撃を阻む者は、居ない。


 どんな願いでも叶う。
 その噂を聞いてウィリアムは飛び付いた。
 彼の夢は『星を落とす魔法』を扱う事。
 幼少時、燃え盛る星が落ちてきて、ひとつの村を滅ぼす光景を見た。
 それがウィリアムの頭から離れず、その願いだけはどうしても離れなかった。
「此処ならその願いを見れる筈」
 ウィリアムは小さな部屋に辿り着いた。
 部屋には青い光の球だけが浮いていた。
 それは魔力の塊だ。
 ウィリアムがそっと触れれば、膨大な魔力の結晶は全てウィリアムの中に宿る。
 魔法ではなく、魔力。
「何故……?」
 呟いて気が付いた。
 星を落とす事はもう願いじゃなくなってたのか、と。
 代わりに、力を欲した。
 負けない為に。強くなる為に。
 星なんて落とせなくて構わない、あの光景も見れなくて良い。
 そんなものより、力が欲しい。
「俺は自分で思ってる以上に、こっちに来てからの生活を好く思ってたんだな」
 本当の願いは『護る為、力を得る事』。
 こんな所で力だけ得られても使い道はないが、だけど自分が何を求めていたかは知る事が出来た。
「いつか、己の手で辿り着くさ」
 ウィリアムは小さな部屋を後にする。
 もう流れ星は求めない。


「夢魔が夢を見せられに行くなんて、ちょっと屈辱じゃない?」
 そう言いながらも、雨宮 利香はとても楽しそうにダンジョンに入って行く。
「夢を見せる魔族である私にとって一番欲しいのは、ありのままの洞窟の姿と、幻を見せるその魔力なのだけれど——」
 そう願えば、それは叶う。
 しかしながら予想に反してあまりの『気持ち悪さ』に、利香は膝を付いた。
「なに……これ……?」
 迷宮は洞窟だった。
 それは進めば進むほど不快になる。
 そこかしこに染みついた死の痕跡。
 迷宮の奥には人骨がごろごろ転がっていた。
 何よりも不快なのは、『幻を見せる魔力』の方だ。
 利香の中に流れ込んできたそれは一つの魔力でありながら膨大な数の人間の願いによって編まれていた。
 それは祈りに等しい。
 この魔力は多くの者に願われ、与えられた物。
 此処に訪れた者ではなく、おそらくはダンジョンを作りだしたと言うアイテムを作った者達の魔力だろう。
 願いを叶えるダンジョン、それを生み出した何者かは、そうあれかしと望まれていた。
 この執念にも似た悍ましい無数の祈りによって。
「……二番目の願い、最初からそっちにしておけば良かったわ」
 無数の亡霊に『助けて』『救って』『願いを叶えて』と縋りつかれる幻覚に襲われながら、利香は意識と、そしてこの時の記憶を失った。


「きっと鉄帝の皇帝になった夢が見れるのでしょうな!」
 うきうきしながら刀根・白盾・灰はダンジョンへと踏み込む。
 そして意気揚々と進んでいって、辿り着いた先には町があった。
 見慣れた街角。行き交う見知った面々。
「おや? 鉄帝ではなく、幻想ですな」
 いきなり予想が外れた灰が肩を落とす。が、夢はまだ始まったばかり。
 きっとこれから誰もが羨む夢物語が始まる筈!と気を取り直し、灰は歩き出した。
 だが、どうだろう。
 灰が向かった先はいつもの場所ばかり。
 昼間は訓練、夕暮れはローレットの仲間と駄弁って、夜には武具の手入れをして眠る。本当にいつも通りの生活だ。
「……本当に何も変わりないですぜ!」
 ある日、遂に灰は叫んだ。
 途端に周囲からは辛辣な言葉が飛んでくるが、それもまたいつも通り。
「あーあ、せめて美しい方と一晩楽しく過ごすとか……宝くじが当たってワッハッハーとか……。嘘っぱちだったんじゃないですかね、この依頼」
 なんだか悲しくなって来た。
 がっくりと肩を落として首を垂れる。
 夢が叶うはずのダンジョン。
 なのに、辿り着いたのはいつもの日常。
 ――あぁ……ひょっとして、ひょっとしてですけど……。
「今、私の望みって叶ってしまってるのかもしれませんな」
 項垂れた顔を上げれば、そこにはやはりいつもの日常が、いつもの面々が。
 この光景を、金や地位や名誉や女よりも望んでいたとするならば……。
「……帰ったら、皆さんに日頃の感謝とか伝えてみましょうかな」
 ぽりぽりと頭を掻いて、「照れ臭いですけど!」と付け足す灰は、気付いていた。
 望んだのは夢を叶える事ではなく、叶った夢を守る事だと。


 ひと時の夢に囚われ、欲におぼれる人が出るかもしれない。
 なので早急に潰したほうが良さそうなのですと主張するルルリアだが、でも潰す前にせっかくですからルルもささやかな夢を見てもバチはあたりませんよねっ?と言い訳しながらダンジョンに潜っていった。
 ルルリアの最終的な願い。
 生まれ育った孤児院の義理の弟、妹たち、シスターと穏やかに食卓を囲むこと。
 誰にも虐げられない平和な日々。
「ルルの願い、叶いますか……?」
 囁くような声。
 それに反応するように、ルルリアは故郷の地に立っていた。
 あれ、と思う暇もなく、足元や腰に小さな弟妹たちがまとわりついて来た。
「あいたっ!?」
 不意打ちだったのもあって、ルルリアは子供達に押し倒される。
 痛がるルルリアを囲む子供たちは皆おかしそうに笑っていた。
 そんな子供たちを掻き分けて現れたシスターは手を差し伸べてくれた。
 手を取って立ち上がる。シスターは柔らかく微笑みながら、そのまま手を引いて孤児院へ連れていった。
 新鮮な野菜と焼き立てのパンが並ぶ食卓。いつもの店主さんがサービスしてくれたのだと笑うシスター。お腹いっぱい食べて幸せそうな子供たち。
 交わされる言葉も幸せだらけだ。
 今日は貴族の子と遊んだよ、孤児院に多額の寄付があったんだって、冬に備えてたくさんの毛布を買ってくれたんだ。
 そんな言葉。
 信じられないほど幸せで平和な生活。
 ――ああ、これは。
 ルルリアは改めて思う。
 このダンジョンは早急に潰さなければならない。
 気が付けば頬がぬれていた。
 どうしようもなく幸せで、どこまでも平和なのに、どうしても涙は止まらなかった。
 ルルリアは笑顔の溢れる食卓で、いつまでも笑っていた。


 サングィスとスペルヴィアは、道の向こうから歩いて来たコルヌとイーラと向き合った。
「これはどういう願いが叶ったのかしらね?」
 銀髪の少女スペルヴィアが肘を抱くように腕を組む。
『予測はつくだろう? 油断はしないように』
 すると、彼女の身に宿る呪具サングィスはたしなめた。
「ふぅん? なんとも中途半端に叶えてくれるみたいね?」
 腰に手を当て胸を反らせる赤茶髪の少女イーラ。
『曲解して叶えるよりは良心的だがな?』
 イーラに生えた角の様な呪具コルヌは皮肉めいた言葉を重ねた。
 相対した二人と二つは、互いを知っているが故に、会話も無く構える。
 二人の夢は遠慮のない闘争。
 冷ややかな傲慢たるスペルヴィアは潰す対象を求め願い、
 滾る憤怒たるイーラは灼く対象を求め願う。
 場所は迷宮、しかし気付けば通路は消え失せ、二人が立つのはとある町。
 崩れ落ちた壁、転がる瓦礫、空気に混じる焦げた匂い。
 かくして闘争は開始される。
 読み合いを放棄したかのような突進と激突。
 イーラの放つ拳は乱雑なようでいて的確にスペルヴィアを打つが、彼女に宿ったサングィスが衝撃を盾の如く受け流す。
 返してスペルヴィアが叩き込んだ魔拳は受け止めたイーラの皮膚を蝕み、崩していく。
「………っ! 遠慮なくやってくれるわねぇ!?」
『人のことは言えないと思うがな』
 闇色のコルヌが赤熱したかのように赤らむ。瞬間、イーラは苦痛に叫びながらもスペルヴィアの腕を取って地面へと叩き付けた。
「やっぱり至近でのやり取りは心躍るわね」
『相手も似たように思っていそうだがな』
 衝撃をサングィスに散らさせながら冷笑するスペルヴィアは、防御に回したサングィスを瞬間的に拳へ集め、今度は超重量の武器としてイーラを叩き潰した。
「ったく、アンタの同胞は厄介に過ぎるわ」
『液体金属の塊を殴っているようなものだからな』
 瓦礫を蹴り飛ばしながら立ち上がるイーラ。その角たるコルヌは益々真紅に染まり、眼前の敵を見据える。
 対するスペルヴィアも静かに笑みを浮かべたまま、ゆっくりと歩み寄る。
 互いに退く気は一つも無い。
 これは己が望んだ夢。
 灼くか潰すかだけではなく、闘争をも求めたのだ。むしろこうでなくては困る。
 そう、これは夢。
 殺したって構わない。
 一切の遠慮が要らない真向勝負だ。
 だから二人は戦った。
 巻き添えで瓦礫の町が焦土と化そうと、二人は止まる事など無く。
 二人は二人の望むがままに拳と拳を叩き付け合ったのだった。
 ……その結末は、二人の間で食い違ったのだが。


「……ここ……どこ……?」
 黒髪を重たげに揺らして歩く少女インヴィディア。その少女から生えた悪魔の尻尾に模している呪具カウダも周囲を確認するように揺れる。
『おいおいおい、我が契約者殿は何を願ったよ?』
 周囲は瓦礫の山だった。
 倒壊した高層ビル群、放棄された乗り物。
 それは繁栄を謳歌しながらも突如崩れ去った悲哀の廃墟。
 インヴィディアが願ったのは『誰もいない場所』だ。それは確かに望み通りなのだが、それが何故荒廃した世界になったのか。
「……なにか知ってるの?」
『想像はついてんだろう? 洒落た言い方すりゃぁ生まれ故郷ってやつだ』
 問い掛けると、カウダはあっさりと答えた。
 ここはカウダが無辜なる混沌へ呼ばれる前に崩壊させた異世界。
「……ふぅん、何か不思議な場所……」
『まぁ、崩壊しちまってるからなぁ。原因がいうこっちゃねぇけどよ』
 既に終わった世界を歩くと言うのは滅多に出来ない体験だ。
 終わっているからこそこれ以上崩壊せず、故にただただ静かな時が流れ続ける。
「……面白い場所があったら案内してよ」
 歩きながら、珍しくインヴィディアが積極的な事を言う。
『ほぉ、珍しいな?』
 驚いたカウダがピンと伸び、少しだけゆらゆらと揺れる。
『だが、了解だ我が契約者殿』
 楽しそうに、面白そうに、カウダは崩壊した都市の中でインヴィディアを導いた。
 誰もいない世界を望みながら一人と一つは分かたれる事なく、そしてそれに気付くことなく、二人は瓦礫の山を越えて行く。


 薄絹で作られた民族衣装、豪奢なドレス、煌びやかな装飾品。
 贅を極めたかのような眩いばかりの一室。
 ダンジョンの中に在るとは思えないその部屋では、レーグラとルクセリア、ブラキウム・アワリティアが顔を合わせていた。
「あっらあらあらあらぁ~♪」
『………』
 上機嫌な美女ルクセリアに、その身に纏われた幾何学模様型の呪具レーグラは無言で返す。
「なぁんかちぃっとばかり似合わないところに来てないかい?」
『ふむ? 同胞の願いと変な風に混ざったのかもしれないな』
 こちらは両腕に義肢を付けた美女アワリティアと、その義肢型の呪具ブラキウムのペアだ。
 場違い感に身を捩るアワリティアだが、奔放なルクセリアを見ながら思い直す。これも夢のためだ。
 アワリティアの夢は『たまにゃ妹たちにいい服でも着せてやりたい』というもの。しかしこれはより深くで願った思いだ。
 おそらく、その願いを真っ直ぐに叶えようとしたなら、ここではなく、妹たちの前に辿り着いていたはずだ。
 逆に『素敵な服に綺麗な宝石』を求めたルクセリアがここに辿り着いたのはごく自然な流れである。
「ふっふ~ん♪ 目移りしますねぇ、見掛け倒しの安物じゃないのが素晴らしいです」
『……』
 踊るような足取りで次々に服や装飾品を手に取り身体に当ててみる。
「ルクセリアは幸せそうだねぇ」
『願いが作った偽物かもしれないぞ』
 ブラキウムの言葉も、結局はどちらでも良い話だと流す。
 はしゃぎまわり騒がしいルクセリアに、アワリティアは肩を竦める。
「楽しそうで何よりさね。アタシにゃあ似合いそうもないけどよく似合ってるよ」
「そういえば、アワリティアは何か着ないのですかぁ? きっと似合いますよぉ?」
『ああ。着てみれば意外に似合うかもしれないぞ?』
「二人してやめとくれよ、趣味じゃないさね
『そういうことなら仕方がないがな』
『………』
 慌てて否定するアワリティアに、食い下がらずに引くブラキウム。
 ルクセリアは笑い、レーグラは話さない。
 でも、そうだなぁ。
 ふとアワリティアは美しい服を眺めて考える。
 ――妹たちには、似合うだろうね。
 その手には、ルクセリアにもアワリティアにも小さな可愛い服が揺れていた。


 庭園には色とりどりの花が咲き誇る。
 季節を問わず、乾湿を問わず、明暗を問わず。
 当たり前の様に庭園を彩る花々を見渡し、アーラとイリュティム、ストマクス・グラは茶会を開いていた。
「どんな願いでもといわれても困りますよね」
 と言うのはいたいけな少女グラ。
『持って帰れないというのならなおさらな』
 と同意するのは彼女の中から話す胃型の呪具ストマクス。
「持って帰れるのなら芸術品が欲しかったのですけど」
 と言うのはポニーテールを揺らす理知的な女性イリュティム。
『諦めて十全楽しめる願いを考えることだな』
 と、にべもないのは彼女の背に生えた大きな白翼型呪具アーラ。
 二人と二つは、花の庭園でゆったりとした時を過ごしていた。
 願いは共に『豪華で洒落た素敵なお茶会』で、なんと黒子の従者の甲斐甲斐しい世話付きだ。
 華咲き乱れる庭園の一角、細緻な装飾が施された噴水のそばで行われるティーパーティー。
「これなら私とグラが共に満足できますね」
『ふむ、ここの願望器はなかなか優秀のようだ』
「ここは私とイリュティムの望みのようですね」
『細部にまで拘れば幾らでも費用が嵩むからな、お茶会というものは』
 花も装飾も、茶葉や菓子、茶器に至るまで、拘り抜けばどこまでも金が掛かるのがお茶会というもの。しかし財布を気にしていては楽しめず、また、優雅とも言えない。
 だからこのダンジョンは飛び切り優秀で適任と言えた。
「さて、会話は食べながらでいいですよね?」
『手を付けながら聞くことではないが…まぁいい』
「えぇ、遠慮なくどうぞ。私も十分楽しんでいますから」
 笑い合う二人。
 茶会のマナーは先ず楽しむ事だ。
 満足気にグラは菓子を摘まみ、ティーカップに口を付ける。
 黒子たちは会話を邪魔せず、茶も菓子も切らさないようにと立ち回る。
 イリュティムが持ち上げたカップを見てアーラも感心する。
 何もかもが美しく、穏やかな庭園。
 二人と二つは、微睡む様にティータイムを楽しんだのだった。


「お爺ちゃん?」
 懐かしい声が聞こえた。
 やや舌っ足らずな子供の声。
 慌てて視線を落したムスティスラーフの目には、見間違えるはずがない、最愛の孫が立っていた。
「親父殿?」
 言葉もなく孫の顔を見詰めていると、今度は息子がやって来た。
 大切な息子だ。勇敢で優しい、自慢の息子だ。
「なんでもないよ、ロスティスラーフ。さあ、ローシャ、今日はお爺ちゃんが遊んであげよう」
 頬を緩めてムスティスラーフは笑い、喜ぶ孫を抱き上げた。
 周りには他の同族達も居る。ローシャがはしゃぐと、ロスティスラーフや他の者達も釣られて笑い、笑顔の輪が広がっていく。
 平和だ。それは決して楽で何の問題も無い暮らしではなかったけれど、ムスティスラーフには家族が居た。
 ――ああ、本当に叶うなんてなぁ。
 気付いている。これが夢だと。
 いずれ失われる幻だ。
 元居た世界に置いてきた一族、そして、その世界で失った大切な家族。
 この声も、この温もりも、もう感じることはできないと思っていた。
「もっと見ていたいのに涙で前が見えないや……本当に嬉しいなぁ……」
 ローシャと遊びながら、ロスティスラーフと語らいながら、ムスティスラーフは何度も泣いた。
 泣いて滲んだ視界の中で、それでも皆は笑っていてくれた。
「ローシャ。何がしたい? 鬼ごっこかい? かくれんぼかい?」
 なんでもしてあげよう。
 いつまでだって遊んであげよう。
 そこらじゅう走り回りながらムスティスラーフを呼ぶローシャは太陽みたいな笑顔で。
「ロスティスラーフ、僕の大切な息子よ。ありがとうお前のおかげで僕は今を生きている」
 呼び掛けると、息子は一瞬きょとんとするも、直ぐに悟ったような顔で微笑んだ。
「あの時のお前の行動は決して無駄にはならなかったよ。救ってもらったこの命、大切にするよ」
 また目の前が涙で滲む。
 光が溢れて、幻が解けていく。
 ああ、もう少し。もう少しだけ……。
 ムスティスラーフが伸ばした手を、誰かが掴む。
 大きな手と、小さな手。
「親父殿」
「お爺ちゃん」
 優しい声がムスティスラーフを呼ぶ。
 幻が消えるまで、二つの手は、ぎゅっとムスティスラーフの手を握り締めていた。


 光を見ていた。
 そこに立つのは、真っ白なマーメイドタイプのウェディングドレスに身を包んだクィニーと、同じく純白の可愛らしいウェンディングドレスを着た花嫁だ。
 白いチャペル。静謐な室内に降り注ぐ淡い陽光。
 厳粛な空気と、緊張と、少しの不安と、
 そして、たくさんの幸せに満ち溢れた結婚式。
 大切な友達に見守られて、誓いの言葉を述べて、アンクレットを捧げる。
 クィニーの故郷に伝わる形式で、二人の門出を祝おう。
 皆の前では緊張するけれど、
 そっと顔を上げて──誓いのキスをする。
「貴女を一生大切にします」
 それは言葉以上に強く思って、心から願うの。
 ――いつか、こんな日が来ればいい。
 ただ愛し合う二人が何の障害も無くたくさんの祝福を受けられる。
 そんな未来が。


 ――眼に映るのは、無数の武器。
 一目で解る名刀や業物を筆頭に、神の武具すらも顔を並べて大地に突き立つ光景。
 数多の神器の直中に立つウォリアは、遠く響く鬨の声を聞いた。
 彼方には己が出会った幾千の強者達。
 長い旅路の中で、酒を酌み交わし友となった者もいれば、血で血を洗う死闘の果てに散った敵の姿もある。
 総ての絆が軍勢となり、馬を並べ、武器を揃えて夢を見せてくれる。
 ある者は圧倒的な個の力を以て。
 ある者は非道の謗りを免れぬ謀の限りを。
 力を。策を。財を。毒を。
 己の持てる総てを使って、ウォリア一人に挑み来る。
「――入り浸りたくなる気持ちも解るな」
 ウォリアの胸に歓喜の炎が滾る。
「さあ始めよう、朋輩達よ。……二度と叶わぬ、夢幻と泡沫の大戦を!」
 咆哮が嵐となる。
 踏み込みが地を揺るがす。
 歓喜の声が、怨嗟の声が、憤怒の声が、絶望の声が、大気をも燃やし戦場を覆ってゆく。
 失われた総てが此処に在る。
 培って来た総てが此処に在る。
 ウォリアの中に残る絆は夢として具現し、究極の大戦を引き起こしたのだった。


 時を経て願いが変わる事も有る。
 迷宮を訪れたアルク・ロードも、昔とは望む物が違う。
「少し前なら両親を返せなんだが、今は二人の魂への報告かな」
 アルクは遠い目で呟いた。
 求めたのは復讐や黄泉返りではなく、報告。
 弔う事も出来なかった、墓すらない両親へ。
 気が付けば、アルクは小さな丘の墓地に立っている。
 眼前の墓が、それなんだと、直ぐに気が付いた。
「俺は幸せにクラン(家族)と共に生きてる」
 墓前に立ち、そう切り出したアルクに応える声はない。
「それと、俺の14の誕生日に貰った二人の婚約指輪を今も大事にしてる」
 雪豹の父さんと母さんは、黒変種に産まれた俺を『グレシアス』と名付け、白を混ぜて灰色として愛してくれた。
 今は『信念の道を歩む』って意味合いの名で隠しちまったけど、今も大事にしてる。
 グレシアスは、何時までもアベリアル家の子供として、教わったことを糧として生きてるんだ。
「だから、安心してくれな」
 伝えた。
 今の気持ちを。
 風が吹けば優しい気配は消えて、ダンジョンの外に立っていた。
 本当に夢が叶ったかなんてわからない。
 それでも、少しだけ心が軽くなった気がしていた。


 異界ル・モンドは、全てがデフォルメされる世界。
 その世界から召喚されたプティもまたデフォルメされた旅人である。
 そんなプティが望むのは、
「絶対叶わないようなデデーン!とでっかい夢!」
 ではなく。
 むしろ対極の、絶対に叶えたい夢だ。
 故郷であるル・モンドで見たあの輝き。
 『成聖剣ジョワユーズ』。
 並ぶ物の無い至宝の剣。
「私はあれを手に入れたい!」
 それは王の剣にして神の剣。人を王へと聖別する伝説の剣。
 日に30回彩りを変えるジョワユーズは常にフランス王家の象徴として燦然と輝いていた。
 今は亡き故国、今は遠き故郷。
「懐かしのル・モンド、麗しのフランスよ。こっちとそっちがどれだけ遠くたって私はいつも故国を思う。この世界を救うことでル・モンドも救ってみせるよ」
 無辜なる混沌が滅べば、支えを失った無数の世界も滅ぶ事になる。
 この世界での戦いは全て故郷を守る事へと繋がっているのだ。
 告げるプティの眼前に、やがて七色に、いや三十色に輝く一振りの剣が現れる。
「――私はそれをジョワユーズに誓う!」
 躊躇う事無く、その輝きを手に取ったプティは、あらゆる輝きをもって遍く世界を照らし出した。
 それは世界を救う光。
 故国を守る為の力。
 剣と共に姿を変え、伝説の王の姿に似たプティが掲げたジョワユーズの切っ先は、真っ直ぐに世界の終わりへと向いていた。


「……もし叶うなら……夢でもいいから……僕の育ての親に……もう一度会って……謝りたいな……」
 後悔に背を押されながらグレイルは言う。
 孤児であるグレイルを拾ってくれた老夫婦は、グレイルを獣種だと知らずに育ててくれた。
 だが、暮らしていた村では獣種は迫害されていて、それを知ったグレイルは逃げる様に家を出て学園に行ったのだ。
「……もし許されなくても……せめて……」
 そこまで言った時、目の前に見覚えのある二人の老人が立っていた。
 育ての親の老夫婦。
 二人が、出て行った頃と変わらぬ姿でグレイルを見詰める。
「あ……!」
 息が詰まる。
 だけど、願ったんだ、僕は。
 グレイルは両親を前に、変化を解いて獣人の姿を晒す。
 それだけでもう身を裂くような恐怖と緊張に襲われた。
 両親の顔を見る事も出来ずに、それでもグレイルは絞り出すように言った。
「ごめんね……!」
 謝りたかった。
 ずっと、ずっと謝りたかったんだ。
 そして、
「……ありがとう」
 感謝を。
 拾ってくれて、育ててくれて、ありがとう。
 その大恩が後悔に拍車をかけて、グレイルを苛み続けて来た。
 ――この後悔から……決別したい……。
 それが願い。
 許されるかどうかは分からない。
 それでも。
「あ……」
 ふと、顔を上げたグレイルは、老夫婦の笑顔が見えた。
 それは夢。
 優しそうな二人はこんな時まで優しいままで、
 そしてやがて、夢と共に覚めて消えた。
 願いは叶って、そして消えた。
 しかしグレイルを押し潰す後悔は幾らか軽くなっていた。
 いつか、夢ではなく現実で思いを伝えられたら、その時も夢の様に笑って許してくれるだろうか。
 グレイルには分からない。
 だけど、怒る両親は想像出来ないのだった。


「そうですねぇ。たった一つだけというなら、おじいさんに、会いたいですねぇ」
 ハンナ・ゴードンがそう言うと、たちまち迷宮は姿を変える。
「ふふふ、これは見事な幻。あの時の泉がこんな洞窟に現れるなんて」
 笑うハンナの前には、空さえ映る泉のほとりがあった。
 周囲からは晩春の気配。何かを呼びかけるバラの声。
 水汲みに行く途中だったハンナがおっかなびっくり茂みから泉を覗いてみれば、
「あなたが倒れていたのですよ」
 記憶のままに、其処にはおじいさんが倒れている。
 行き倒れた彼をハンナが村に連れ帰る。それも思い出のまま。
「いきなり抱きしめるのはなしですよおじいさん」
 なんて言いながら両腕を背に回し、彼のぬくもりを感じながら囁く。
「ねぇおじいさん。わたし、イレギュラーズというのになったんですよ」
 あなたと出会ったあの泉。
 あなたの血を引く子供たち。
 失わずにすむならいっそ、もうあの森に帰れなくていいかもしれませんね。


 件のダンジョンを評するゲオルグはしかし苦い顔をする。
「叶える夢についてはしっかり選ばないとな」
 夢が幸福であるほど現実に引き戻された時に揺り返しは大きい。それでも願う者が後を絶たないのが夢の業でもある。
「となると、叶える夢は……」
「また来たのか」
 聞き覚えのある唸り声。
 咄嗟に構え飛び退いたゲオルグに喰らい付くように迫る矢を手刀で打ち払う。
 着地したのは草の上、陽光の差す森の中だ。
「また会えたな」
 前を見れば、弓と矢を手にした四本腕の巨獣が立っていた。
 魔獣ベイオレイドは最後の一頭、グアルガフ。
 かつてゲオルグは彼の魔獣に挑み、打ち勝った。
 しかしその時はグアルガフ一体に対してゲオルグを含む複数人戦った。
 今度は私一人で――!
 地を蹴るゲオルグ。普段とは段違いの加速力で、数舜の内にグアルガフへと肉薄する。
 放った拳は数十発。一つ一つが渾身にして必殺の一撃。
 しかし何時の間にか弓矢を捨て四刀を抜いたグアルガフは全てを受け切っていた。
「素晴らしき武だ。よもや此処までの高みに至るとは」
 嬉しそうに魔獣は言う。「長生きはするものだ」などと笑んで。
 そうして四刀を放り投げた。
「さあ、己が武を示せ」
 魔獣は抜く。腰に提げた最強の一刀、ムメイカズウチを。
 彼の示す武とはその一刀にのみ捧げられたもの。
 即ち奥義、数多斬。
「ああ。私の武を、此処に示そう――!」
 踏み込みは音速。
 拳撃は光速。
 斬撃は神速。
 武と武の全てを賭けた一撃が交差する。
 ゲオルグは誓う。
 今日のこのひと時の幻を、いずれは現実のものにすると。
「今一度心に刻み込んでおくぞ」
 夢幻ごと叩っ斬るグアルガフの武を見詰めながら、ゲオルグは静かに笑った。


 狐佚の夢は忍者になること。
 両親とも忍者だったので、自分も当然忍者になるものと思い生きてきた。
 しかし里は戦火に焼かれ、両親ともはぐれたまま。
 それでも両親は必ず生きている信じ、だからいつか会う時のために立派な忍者になろうと心に決めていた。
「ハッ!」
 そう思った時には、狐佚は夜空を舞う忍者になっていた。
 闇に紛れる暗殺者、しかし大立ち回りも嫌いじゃない。
 忍び寄る無数の敵を火遁の術で炙り出し、水遁の術で押し流す。
 口寄せの術で呼び出した大蝦蟇は長い舌と大きな体で敵を羽虫の如く撃ち落とす。
 忍者は目立たぬこと、攪乱すること、煙に巻いて逃げることが仕事だが、両親を超える忍者ならそれくらいカッコいい筈!
 狐佚はたった一人で何十人もの忍者を退け、そのまま月夜に溶け込み、逃げおおせる。
 これぞ忍者。
 これが狐佚。
 ――両親は褒めてくれるかな。
 そんな事を考えながら、忍者狐佚は夜を往く。


 何でも叶うのなら決して叶わぬ夢を見たい。
 それは例えば過去を取り戻す夢。
 一人歩くティミの願いもまた、過去の夢だ。
 かつて奴隷商人に攫われる時にティミを助けようとして殺されてしまった兄と姉の夢。
 何度も夢に見た。
 そこは村の自分の家。
 両親が亡くなって以来ティミを育ててくれた兄と姉との何でもない日々。
 今よりずっと幼くなったティミも姉と一緒に料理をする。
 ティミは小さくて手が届かないからと、兄が踏み台を持ってきてくれる。
 姉が教えてくれた通りに猫の手でニンジンを切る。
 姉は隣でじゃがいもの皮を剥く。
 兄は鍋の用意をする。
「ねえさん、きょうはシチュー?」
「そうよ。ティミが好きなシチューよ」
「えへへ、たのしみ、です」
 まだ敬語が上手くない頃。
 5歳にもならない頃の暖かい思い出。
「ニンジン、きれた」
「お、よく出来たな、ティミ。偉いぞ!」
 優しく頭をなでてくれる兄。
「よく出来ました」
 あたたかく抱きしめてくれる姉。
 何度も夢見た。
 何度も何度も夢に見た。
 穏やかで幸せな風景。
 料理の音とシチューの香り。
 優しい声。
 大好きな兄と姉の姿。
 その日の夢は、今までで一番鮮明で、
 今までで一番、切ない目覚めをもたらした。


「腹には溜まらんが美味い飯でも食えるかなぁ」
 気楽にそう言うゴリョウは楽しそうだ。
 ある意味タダ飯が食い放題と言える依頼に参加しない手はない。
 大きな腹を揺らしてダンジョンへと入っていくゴリョウだったが、しかし夢は叶わなかった。
 一歩踏み込んだ先は、ゴリョウが元居た世界。
 混沌に呼ばれて居なければ迎えたであろう未来だ。
 ゴリョウは警邏として街を歩き、知り合いばっかの店の連中に声かけられて笑いながらそれに答える。
 暴れる酔っ払い獣人と、それに便乗するトラブルメーカー兼残念美人なエルフ連中を頭抱えながらもゲンコツして説教する。
 でも後腐れなく、笑いながら飯を食い、それぞれの生活に戻る。
 そんな夢。
「――まぁ、思ってたもんとは違ったが納得は出来た」
 気が付けばダンジョンの外。
 思い返せば脳裏に浮かぶ笑い声と飯の味。
 ああ、あれはある意味、最高に美味い飯だった。
「確かにアレが俺の『夢』だわな」
 頭を掻いてゴリョウは笑う。
 ダンジョンに見抜かれた夢を、その思い出を噛み締める様に。


 セティアはアイドルである。
 アイドルであるからして、彼女は無人島で古代の狩猟道具で魚を獲る。
「いいあせ、かけた?」
 などと独り言を言いながら水を飲む。
 アイドルであればこそ、せくしーな水着で一人、ポーズをキメながら。
 ちなみに水は雨水をろ過した物で、滅茶苦茶ぬるくて美味しくない。
 砂を集めて炭は窯で焼いた。
 小屋も建てた。
 これがセティアの家。アイドルの自宅大公開。斧で木とか切って作った。
 木だけで風雨に耐えられる作りで、試行錯誤の末に「今日はクリスマスだったっけ」って思いながら建てた。つまりイヴには家無しだったけどアイドルだし外で寝た。
 ペットはシャコだ。一生を観察するつもりで、よく観察するとシャコ同士三角関係してる。スキャンダル、良い絵が撮れるかもしれない。
 あとで空気椅子で鍛錬しながら馬刺し食べる。自分でさばいた野生馬。
 あれ、魚は?
 楽器演奏PVもある。アイドルだから。再生機器は無いけど。無人島だから。
 あと脱衣も出来る、たぶん。
 だってセティアはアイドルだから。


「自分が何を叶えたいのか……一番見たいものは何だろう……」
 はっきりしたものが見えないけれど、セレネはここに来た。
 何の変哲の無い迷宮の通路を歩きながら考える。
「――でも、そうですね……。今見たいものがあるとしたら……」
 思い浮かべるのは、幼い頃の記憶。
 両親が生きていた頃に今の自分の姿。
「あの頃に戻って、あたたかな時間を過ごしたい……ですね」
 口にした瞬間、迷宮は白い光に包まれる。
 その中には、誰かが立っていた。
「お父さん、お母さん!」
 叫び、セレネが飛び付くと、二人はセレネを受け止めて抱き締める。
 それは幻。だけど、たとえ幻でも構わない。
 セレネは両親を抱き締めて、その懐かしい匂いを胸いっぱいに吸い込む。
 思わず懐かしくて涙が出る。
 変わらない、思い出のままの二人。
「私、どうしたらいいか迷っています……どうなりたいのか……」
「それは、自分で見つけるものだよ」
「それに、貴女のすぐ傍にあるもの」
 甘え、縋るセレネの頭を、二人は優しく撫でる。
 どこまでも優しくて、心も体も暖かい時間。
 でも、そろそろ時間だ。
「行かないと」
 それは誰から言ったのか。
 二人と一人はそっと離れる。
 両親は光に包まれて消え、その後には何も残らない。
「欲しいものは……持って帰れないのでした」
 ――それでも、私は……


 夢は己が力で叶えるもの。
 そう思う者は多く、そんな者達はこのダンジョンに夢に満たない願いを託す事が多い。
 風の吹き荒ぶ草原を駆ける鬼桜 雪之丞もそうだ。
 託した願いは叶え様の無いもの。
 それは『己自身との一騎討ち』。
 ひゅる、と風が鳴けば、草ばらの向こうから白い鬼と化したもう一人の雪之丞が現れる。
 彼女の振るう草薙ぎの太刀を同じく達で受け流し、雪之丞は宙を舞って距離を取る。
「久方ぶりに戻ると、やはり気楽です」
 絶たれた草が風に靡く。
 雪之丞も相手と同じく、いや、雪之丞こそが真の鬼として、その真白き髪を風に揺らす。
 今の自分が、どこまで自分を越えられるのか。
 これは鍛錬。
 己を映す鏡写しは、何よりも己の未熟を映し出す。
「夢とは、実にいいものですね。雪自身と、戦えるなど……!」
 互いが互いを殺す気で、長物が瞬く度に澄んだ金属音が響く。
 快刀乱麻を断つが如く、翻り流れる一閃は風も草も諸共に束ね断ち切ってゆく。
 しかしてどちらの雪之丞も頭と胴を離すには至らず、白い鬼は火花を散らし合う。
 相手の隙は己の隙だ。探し、見極め、隙を突く。
 されど敵はまさに己自身。隙を突き合い防ぎ合えば、互いがその場で強くなる。
 修羅の道を、しかし、修羅道へ堕ちぬように。
 そのためには、もっと、強くあらねば。
 雪之丞は強い意志と力をもって己に挑む。
 克己とは己の弱さに打ち勝つ事。
 その強さを求めるならば、この夢の戦場は、これ以上無い程の試練となった。


「夢が叶う、なぁ。うちの場合、なんやねんろー?」
 軽い調子で言水城が迷宮に踏み入れると、壁面に水城の記憶が浮かび上がった
 夢って改めて考えて、そう思い浮かばない。
 そんな水城が夢を見付ける手助けをしているかのようだ。
「ほー。おもろいなー」
 そんな壁に映る思いで見ながら歩く。
 領主の娘として生まれ、何不自由なく過ごす幼少期。
 周囲の友達も、大人たちもいい人ばかり。
 お見合いは嫌やったけど、まあ……。
 でも、自分で最愛の人を見つける旅に出て、すぐに見つかった。
 人生単位で見ればまだまだ半生にも満たない長さの思い出だけど、どの場面にも大切な人や優しい笑顔、温かな幸せがあった。
「……あ、そっかぁ」
 当たり前に思えていた、愛する人との毎日。
 これが、うちの願い。
「忘れちゃあかんよね……当たり前になりすぎてたわぁ」
 夢ならとっくに叶っている。
 それを思い出した水城はあらためて壁に映る思い出を眺めながら、その夢を確かめていた。


「もう夢も願いも叶っている僕には何を見せるのかな」
 挑戦的に興味本位で臨む一振は、それでも惹かれる様にここへ来た。
 何の願いも無く、興味本位で来たと言うのなら、ダンジョンは彼をただ楽しませるだけで終わっただろう。
「……!」
 しかし、迷宮の中で視たのは、何も楽しくはないただひとりの老人の姿だった。
 老人は振り返り、一振の姿を見て、嬉しそうに笑った。
「……なるほど。これが僕の夢、か」
 願った覚えはない。
 だが、心の底で望んでいた。
 老人に、師匠に感謝を伝える事を。
 名無しの孤児で鉄砲玉だった一振に名前を与えてくれて、虐待寸前ながら確かな愛情と優しさの有る訓練を施して、独り立ちさせてくれた師匠に。
「………よくも滅茶苦茶詰め込んだ拷問を企ててくれやがったなクソ爺!」
 口をついて出たのは恨み言。
「鉄砲玉やってた時より必死だったわ! 毎日死ぬかと思ったわ!
 ……でも、御蔭で何とか生きていけます」
 声が萎む。
「師匠の教えの御蔭で世界の面白さを知れました。
 有難う御座いました。本当に……本当に、有難う御座いました」
 何度も何度も口にする。
 何度伝えても足りないほどの感謝を。
 それを聞いた老人は、ただ笑って、痛いくらいに力強く一振の背中を叩いた。


 ルーキスもまた、過去を見る。
 それはまだ悪魔になる前。
 軍に属し人間として生き、彼らを使役していた頃の景色。
 翼を持つ忠実な猟犬。
 常に穏やかに笑い傍に居た西の王女。
 そして一番最初に契約した蒼い鴉。
 夢の景色は、彼らと共に日々を過ごした記憶が大半だった。
 一言に幸福と呼べるものではなかったが、懐かしくも紛れも無く自身が望んだ夢。
 そんな夢の最後に、少年のような姿に化けた鴉に問う。
「どうして私の願いを聞き入れた?」
 軍を追われ家ごと消されたあの日、どんな形でも構わないから生かして欲しいと私は言った。
 己にとって益でなければ悪魔は決して頷かない。
 だというのに彼らは何故か引き受けた。
「――……」
 その解答は、記憶に残らない。
 これはただの夢だ。
「でも……必ずもう一度」
 今は刹那しか扉が繋げなくても何時か必ず帰るから、どうか待っていて欲しい。
 その言葉には何も答えず、全ての情景は燃え上がるように消え失せた。


 過去を見たルーキス。そんな彼女の恋人であるルナールは、彼女とは逆に未来を夢に見た。
 望む未来は、『ルーキスの元居た世界へ一緒に行き、穏やかに暮らす事』。
 恋人から聞いた彼女の暮らしていた世界。どれだけ語られても全ては知れず、語られるほど知りたくなる世界。
 そこには恋人やどこか自分に似た小さな子供の姿も見え、自らが憧れた『家族』になれている。
 現状では自分の世界に帰ることさえ出来ない。
 だからこれは夢だ。いずれ叶えたい、確かな夢。
「あぁ…何時か本当にこうなればいいな」
 子供を抱え上げ、苦笑を零す。
 世界を渡れなくとも、この子はこの手に抱けるだろうか。
「夢は夢、だが何時か叶えて見せるさ」
 ルナールの小さな誓い。
 恋人ではなく、妻に、そして母になったルーキスが微笑む。
「………うん、だから……遠い未来にまた会おう」
 そんな彼女と子供の頬を撫でてルナールは立ち上がる。
 夢だからと淡泊に。
 それでも、夢だからこそ惜しむように。


 気付けば寝ていたようで、クローネはベッドの上で目が覚める。
 そしてすぐ違和感に気付く。
 羽も尻尾も無いし出せない、肌の色も血色が良く、何より生きているという実感がする。
 しばらく困惑していると家の中から声が聞こえてくる。
 とうに忘れて、分からない筈なのに懐かしい声。
「……お姉ちゃん?」
 多分、姉と母が居た。
 忘れていたけどそうだった筈だ。
 姉に呼ばれて朝食を家族と一緒に食べて、今まで通りの生活を続ける。
 ……はは、夢みたいだ……夢なんだろうけど。
 一日が過ぎたらきっと元通りだからその前に家族と会話する。
「今日は」
 ――いいえ、
「今日も楽しかったわ。ありがとうお姉ちゃん、お母さん」
 夢は覚める。
 白く溶けるように掻き消える光景を見ながら、思う。
「……忘れた筈の、これが本当の望みかよ……未練がましいなアタシも」
 願ったのは、もしもの世界。
 『もし吸血鬼にならなければ』。


 弓削 鶫は気が付くと子供の姿になっていた。
 裕福さを感じさせる部屋の中で、座り心地の良い椅子に座り、テーブルの上に並べられた美味しそうな食事を眺める。
 ふと視線を上げると、そこには笑顔を浮かべた父と母の姿。
 横を向けば、にこりと微笑む弟が。
「ああ」
 目を閉じて、深く息を吐く。
 これは、夢だ。
 それも、これから叶えようとする夢ではない。
 もう二度と叶う事は無い、こうであれば良かったのにと思い描いた妄想の類。
「私は……まだ、こんな事を考えていたの」
 ゆっくりと息を吸い、目を開く。
「ごめんなさい。私、行かないと」
 そして、思い切って席を立ち、踵を返す。
 私が望むべきものは、コレではない。
 それは、現実の中にこそ──


 望みがなんでも叶う。
 馬鹿げていると思いながらプリーモは願った。
 ――死んだ兄に、もう一度だけ会いたい。
 肌身離さず持ち歩いているロケットの中で、兄はいつも微笑んでいる。
 でも、どうしても、もう一度だけ、笑いかけてほしかった。
 プリーモが聖職者になったのも、女装をするのも、すべては兄のためだった。
 兄は神父だったけれど、プリーモにとっては神様だった。
 夢でいい。
 夢でもいいんだ。
 だからもう一度だけ。
「兄さん……ごめん、おれ……弱くて。ごめん……死なせて、ごめん……」
 項垂れ、嗚咽を漏らすように呟く。
 謝りたいわけでも許されたいわけでもない。
 顔を上げて歩き出す。
 その通路の先に兄が居ると信じて。
 しかし、それ以上は一歩も進めなかった。
 だって、目の前に兄が立っていたから。
 ロケットの中の兄と全く同じ姿で。
 だけどたしかに生きていて、ただプリーモに優しく笑いかけていた。


「目標なら私にもあるわ。でも、ソレって私自らが何とかする事だし……困ったわね」
 凛と言い放つ九重 竜胆だが、しかしすぐに凛々しい顔が曇る。
 ではどうしようかと考えて、思い付いたのは一つ。
「……だったら、母様の手料理が食べたいわ」
 より正確に言うなら『当時の食卓での団欒』だ。
 此処とは違う、もう会えるか分からない母様や父様、兄妹。
 家族の皆で食卓を囲んだ、あの懐かしい日々を。もう一度だけ。
「だって、別れを言う暇すらなかったんだもの」
 そう零すと、ダンジョンはその願いに応えた。
 当たり前の様にそこには家族が居て、母の手料理を囲んでいる。
 そっと料理を一口食べてみれば、やっぱり懐かしい母の味がする。
「私ね――」
 それから竜胆は語り出す。
 食卓を囲みながら無辜なる混沌で頑張ってる事。
 それと、今までの事への沢山のありがとうと、さようならを。
 ――色々あったけれど、あの人達の家族に生まれて、私はきっと幸せだったのだから。
 家族は皆笑い飛ばさず、真剣に聞いてくれた。
 その上でいつも通りに振る舞ってくれた。
 食事が終われば、いつの間にかダンジョンを抜けている。
 夢はもう跡形もない。
 竜胆は振り返って、少しだけ泣きそうになる。
 堪えて、口を結んで、前を見て。
 それでもやっぱり、頬を涙が伝っていった。


「夢を叶える、か」
 呟き、変質するダンジョンを汰磨羈は見届ける。
 周囲を見渡すと、そこには何時もの光景が連なって存在していた。
 街角で駄弁る友人知人。
 ギルドにて歓談を交わす仲間達。
 或いは、剣を交えて鍛え合うライバル達。
 それらは、須らく最近の出来事、『現在』の姿である。
「だろうな」
 目の前には、まっすぐな道。その果てに見えるのは、真っ白な光。
「私にも夢はあるとも。だがしかし、それは『泡沫の夢』に縋るようなモノでは無い」
 夢を叶えたい気持ちが有っても、叶えられたくはないと言う気持ちが有れば、ダンジョンはより強く望まれた夢を叶える。
 汰磨羈は真っ白な光の前に立つ。
「ああ。でも、これはいい機会になったよ」
 剣を、構える。
「真っ先に現在を視た。つまり」
 目の前の光を、『未来』を斬り開く。
「私は――今も尚、良き縁に恵まれているらしい」


 調査目的でダンジョンを訪れたクロウディアは、幸運にも『調査』を願いとは取られなかった。
 夢など無い。ただ腹が満たされれば、生を明日に繋げる事が出来るのであれば。
 それだけを思って生きるクロウディア。
 それは元の世界で明日をも知れぬ毎日を送っていたから成る思考。
「しかし、そうですね」
 そんな中でも楽しみを見つける事を教えてくれた人がいた。
 その人は元の世界の教官と仰ぐ人。
 クロウディアはドッグタグ握り締めて思う。
「強いて言えば……彼と居た時間は楽しかった、のでしょう」
 会えるものなら再び彼に会ってみたい。
 小さく静かな零れた願いをダンジョンは決して見逃さない。
 通路の向こうから誰かが歩いてくる。
 クロウディアは一瞬身構えるが、しかし直ぐにそれが誰か分かって手を止めた。
 教官。
 見間違えることのない人。
「これは……私の喜び、なのでありましょうか」
 呟くクロウディアの前までやって来た教官が、かつての様に声を掛けた。


 ガイウスが振るう鋼鉄化した怪腕はBrigaの腹部を打ち貫いていた。
 何が起こったかも分からず迷宮の壁に叩き付けられ、クレーターを作るBriga。
「あァ、ガイウス……! 会いたかったぜェ!」
 鉄帝が誇るスーパーチャンプ、ガイウス。それは最強の称号に程近い。
 そんな掛け値無しの怪物が現れたのはBrigaが望んだからだ。
 以前、ローレットの催しで鉄帝を訪れた時、Brigaはガイウスに宣戦布告した。
 あれから少しは強くなれたのか、少しでもガイウスを楽しませるような戦いが出来るようになってるのか、彼我の力量差はどれくらいか。
 それを知る為に、望んだ戦い。
 しかし測ろうにも全く歯が立たない事だけが明らかで、遥かな高みを前に幾らか進んだところで近付けた気はまるでしなかった。
 だけどさ、少しでも強くなれてればそのうち楽しませられると思うし、な。
 ふらりとBrigaは立ち上がる。
 『時間が許すまで、倒されても何度でも立ち上がって挑みてェ』
 その心が折れない限り、Brigaはガイウスへと挑み続ける。
 圧倒的な強さを骨身に刻みながら。


 もしもあの時、そう思う者は多い。
 ベルナルドもその一人。
 天義で芸術家をしていた時、彼は個展を開いた。
 それが人生の分岐点。
 展示作品が『不正義』とみなされ断罪されたところを、空中庭園に飛ばされて命を救われたのだ。
 だが、その個展がもしも無事に成功していたら……。
 気付くと、ベルナルドは城の美術室にいた。
 個展に来ていた宮廷芸術家に彼の絵が認められ、国のお抱え絵画師になったのだ。
 依頼に筆が進み実績が認められ、ついに天義の絵画師の夢、フェネスト六世の肖像画を描くに至る。
 ……上り詰めた!
 頂点に至った達成感に酔いながらも、しかし同時に虚しさを感じる。
 そこには幻想で出会えたアトリエ仲間や、最愛の吟遊詩人が居ないからだ。
 天義に居る限り出会う事すら難しかったであろう、大切な人達。
「俺は……」
 風景が歪む。
 最高の栄誉、フェネスト六世の肖像画が消える。
 栄誉より仲間が大切だと気付いた彼の前には、いつものアトリエがあった。


「もしかしたら再び君に会えるかもしれんな……なんて思っていたが、どうやらワシの願いはそうではなかったらしい」
 棗 士郎は、辿り着いた場所で呟いた。
 ダンジョンの奥で見つけたのは、士郎とその妻の思い出の花園。
 そしてそこにひっそりと建てられた墓だった。
「棗 士郎、棗 綾、ここに眠る……か」
 妻は亡くなった。
 ただ、士郎は生きていた。
 彼はただ、君と共に当たり前のように日々を過ごして、
 当たり前のように年老いて、
 当たり前のように死にたかっただけ。
 だが士郎の魔術では妻を助けられなかった。
 魔術は失敗し、代償として士郎は妻と同じ墓に入ることさえ出来なくなった。
「……なに。大丈夫だ。君との思い出があればワシは生きていけるとも」
 さあ帰るとしよう。
 墓の前にしゃがみ込んでいた士郎は立ち上がる。
 その時、一陣の風が花びらを舞い上がらせて、そっと士郎の背中を押した。


「……こう、なるのだね」
 何もないただの洞窟を抜けてコルザは出て来た。
 入ったのと同じ場所から、という事は、幻は魅せられていたのだろう。
 ただ、その記憶を失ったのか、「夢を叶えた」という感覚はなかった。
 ふと、遠くにロズウェルの姿を見付け、コルザは駆け寄った。
 彼は泣いていた。
 ロズウェルの様子を見て驚き、コルザはそっとハンカチを渡しながら話を聞く。彼が望んだ世界の話を。
「……確かに私にはもう届かないであろう、夢でした」
 目を充血させ、流れた涙の後を拭う。
「私には親友が居ました」
 彼は夢を叶えて騎士となった。しかし。任務の最中、盗賊の刃であっさりと……。
 彼は彼女と結婚式を挙げる予定で、漸くかと祝い物を用意して、……でも、渡せなかったのだ。
「私が見たのは、そんな彼らの開かれる事のなかった結婚式。……幸福な景色でした」
 話す内にロズウェルの頬をまた涙が流れる。
 大人がみっともないですね、と言うロズウェルにコルザは首を振る。
「……もう失いたくない、だから手を伸ばしているのだね」
 頷いて、ロズウェルは顔を上げた。
「そういえばコルザさんはどんな夢を?」
「僕は。何も無かったのだよ」
 答えながらコルザは思い返す。
「『世界を安寧に導く為の存在』から剥がれ落ちた僕は、神使ではない『僕の望み』は、……そんなことを考えていたら、洞窟は終わってた」
 浮かぶ願いや望みを自ら否定するうちに、一つも叶える事が出来なかった。
 コルザはつまらないだろう?と笑うが、ロズウェルは頷かない。
「これからあなたは一人のコルザでしょう。夢くらい見つかりますよ、私もお手伝いしますから」
 夢くらい。
 もともと願いや望みなんて大層なものではない。
 こうでなければならない、なんてことはないのだ。
「……ありがとう。いつか見つかったその時は、きちんと話そう」
 先程とは全く違う表情で笑うコルザに、ロズウェルも笑顔で返した。


 たくさん患者が出て来たりするのかな?
 そんな想像をしていた松庭 黄瀬は、実際にはそんなこと欠片も願ってはいなかった。
 迷宮は優しく、叶えたい願いだけを叶える。
 病院の廊下より白い通路の先に、黄瀬の求めた人が立っていた。
 それは、幼い弟と自分を残して突然蒸発した両親。
 その顔を見た途端、その頃の幸せだった記憶が溢れるように思い出される。父と、母と、弟と、家族と過ごした懐かしい日々の記憶。
 更に通路の向こうには、紆余曲折あって住み込みで働かせてもらった幸せそうな家族が立っていた。
 旦那と奥さんと、その息子。
 その家族と過ごした日々もとめどなく溢れ出す。
 幸せな家族。
 本当の家族も、お世話になった家族も。
 皆が皆、幸せそうに笑っていた。
 夢から覚める、その最後まで。
「……はあ」
 気が付けばダンジョンの外に居た。
 周囲にはイレギュラーズが行き交う。
 それを横目で見ながら脳裏に先程見た大切な人達の顔を思い浮かべる。
「――あれ」
 その矢先、思い浮かべた弟の顔とダブるイレギュラーズがやや遠くの方を歩いていった。
「今かずくんが居たような……?」

 少し前、松庭 和一も夢を見ていた。
 物心ついた頃から闇組織で、決められたレールに乗せられて生きていくしかなかった彼は、未来より過去を思う。
 それはバラバラになった家族の事。
 両親は借金が返せなくなって蒸発したらしい。
 叶う事なら。
 そう願って、そして叶えられた光景には、幸せな家族の姿が有った。
 父さんと、母さんと、兄さんと……四人で、過ごせたかもしれない日々。
 幸せだった。
 闇組織の陰なんてそこには無く、両親はずっとそこに居てくれる。
 兄さんも見た事ないくらいに幸せそうだ。
 ひと時の夢。
 いずれ終わる願い。
 だけど、目が覚めても、兄、黄瀬の笑顔が脳裏に焼き付いていた。


 ダンジョンの奥のアイテム……どうにかしたい。
 そう思うも、カシャは良い案が思い浮かばなかった。
 結局は魔力を使い切らせるのが一番だろうと言うのが調査結果であり、カシャ自身の結論でもある。
 だから、そんな事は考えず、素直に夢を叶えた方が良いとカシャは考える。
「……願い……ボクの、願いか……」
 そう考えてみて、思い浮かぶのは一つ。
 ……『家族の遺体をちゃんと葬ること』。
 その願いが叶うという事は、カシャは遺体と対面するという事だ。
 歩くカシャは、行き止まりに当たった。
 一本道の袋小路。
 それは、迷宮がカシャの覚悟を問うてる様に思えて、カシャはきゅっと口を結んで頷いた。
 すると、迷宮は白く滲むように消え、代わりに残酷なほど鮮明な故郷が現れる。
「……ぅ、……っく……ッ!」
 目の前に転がる家族の遺体。
 カシャは溢れ出る涙を拭って進む。
 ちゃんと、葬らなきゃいけない。
 夢幻でも、遺体だもの……ちゃんと埋葬、する。
 涙は止まらなかった。
 だけどカシャの手も、最後まで止まらなかった。
「……ね、カイカ。僕の夢が、本当に叶ったときは……一緒に、お墓、守ってね……」
 埋葬し弔いを終えたカシャが自身のギフトでもある白犬カイカを抱き締める。
 カイカはカシャの涙を拭うように、その頬へ頭をすり寄せた。


 夢が一つだけ叶うなら、愛されてみたい。
 そう願うのはルチアーノだ。
 生まれながらに孤児だった彼はおそらく両親に捨てられた。
 その後拾われ雇われたが、それは利害が一致したからという理由から。
 ルチアーノが愛を求めるのはそんな過去から。
 つまり、ルチアーノが求めた愛は、親からの愛だ。
 実の両親からも育ての親からも与えられた覚えが無いルチアーノは思う。
 親は無償の愛を子に与えるというが、無償で与えるって可能なの? 愛情って何……? と。
 それを願ったルチアーノは、気が付くとごく平凡な一般家庭で過ごしていた。
 産まれたその瞬間から、いや、命を宿したその時から、両親は惜しみない愛情を注いでくれた。
 散々苦しめ、痛めつけて産まれて来たのに、母は子を抱いて笑い、父もまた母と子を讃え喜ぶ。
 その後も無力で事あるごとに泣き喚き迷惑を掛ける子を憔悴しながらも大事に大事に育ててくれた。
 どれだけ我が儘放題に振る舞おうとも、大人になるまで、いや、大人になったって、ただただ愛を注いでくれた。
 疑いようもない親の愛情を受け、幸せな生涯を送る。
 そっか……無償の愛を受けて育って、
 そしてまた誰かに無償の愛を注いで……。
 そうやって幸せの連鎖が生み出されていくんだね。
 ルチアーノは理解する。
「僕の知らなかった、人生の側面か」
 有難う、一時でも幸せになれたよ。
 ――奪う事ばかりを教えられてきたけれど、僕もいつかは、誰かに与えられる側になれるといいな。


「できれば原因のアイテムを見つけたいところでござるが、方法が思いつかぬな」
 わふん、と顎の下に手を添えて考える安宅 明寿
 思い付きを試す者も多いが、しかし成果を上げた事は無い。
 無理に奇を衒う必要もないと、明寿はとりあえずダンジョンへ入る事にした。
 ダンジョンの中は入り口とは打って変わって、純和風になっていた。
 襖越しに連なる無数の部屋、それが通路としてどこまでも続いている。
 そして、その迷宮を進んでいけば、途中の部屋で誰かが立っていた。
 墨色の髪、藤納戸の着流し、そして明寿と揃いの刀の拵え。
 ――そうであろうなぁ。
 明寿の師匠との再会だった。
 師匠は土産話だのなんだのを求めしきりに話しかけて来るのだが、明寿は頑としてそれを無視する。
「所詮は幻、本人でなければ意味がない」
 そう言って、アイテム探しに戻る。
 とは言っても迷宮は何だかんだで一本道だ。風景は一切変わらず、ただただ歩き、絡んでくる師匠を無視し続けるだけ。
 これは徒労で終わるであろうな。
 めぼしいものも無く、ただただ進み続けるうちに、段々と瞼が重くなって来た。
 どうやら夢が覚めそうになっているようだ。
「思った通り、精神的に疲れてしまったでござる……」
 心なしか足も重い。
 それでもと最後まで歩く明寿に、師匠が今までと違う、ひどく優しく穏やかな声で言った。
『大丈夫、貴方は貴方のことだけを思えば良いんですよ』


「……さて、俺に願いなんて有ったかねぇ……?」
 言いながらダンジョンを進むMorguxは、願いが迷子系の侵入者だ。
 このダンジョンの特性故か、この手の者も多い。
 大抵は無難なものか意図しない深淵を覗く事になるのだが、
「何かしら出て来るんだろうが……さて、何が出るか」
 言いながらも歩き続けると、やがて通路の真ん中に机を見付けた。
「あん? 紙の束……か?」
 机の上に、と言うかはみ出して床にまでどかどかと積み上げられている紙の束。
 妙な既視感を覚えてその内の一枚を手に取ったMorguxが、書かれた文字列にざっと目を通した途端に目を見開いた。
「こいつぁ、元の世界で最後に整理してた書類ッ……!?」
 間違いない。喉の奥に魚の小骨の様に引っ掛かっていた『やり残しの仕事』だ。
「成程、成程成程……! 確かにこれだけは心残りだったッ!!」
 ハハッ! 確かにこれは俺が望んでた事だなぁ!!
 いきなりテンションが上限を振り切ったMorguxがバンバンと机を叩く。
 ひとしきり笑うと、何の迷いもなく書類整理に手を出した。
 Morguxはバリバリと働き始める。
 後に夢から覚めれば書類の内容なんて覚えてはいなかったが、ただただスッキリとした気持ちになっていた。


 ヨダカは過去の世界を求めるような事は無かった。
 いや、過去の世界を思い出す事さえ稀だ。
 生まれ故郷では何をしていて、何があったのか。
「過去……いや」
 しかしその記憶は求めない。
 迷宮は沈黙したままだ。
「私の僕の俺の、『夢』って、何だろう……?」
 一本道を延々と歩きながら、夢を探した。
 そう言えば、この世界に来てからもうそれなりに経っていた、と。
 大した事ではない。
 しかし、元の世界の事よりよほど深くまで思い返せる。
 他のイレギュラーズとの縁にも恵まれ、多くのギルドに所属もしている。
 前の世界ではここまで広い交流を持っていただろうか。
 それ以上に、他者と長く深く関わる様な事が有っただろうか。
「嗚呼、私の、願いは……」
 思い返すのは交流の暖かさ。
 触れ合う事の喜び。
 それを求めた途端、迷宮はギルド・ローレットへと変化した。
 多くのイレギュラーズが団欒し、依頼の相談や雑談、ギルドマスターへの質問責めなどと賑わっている。
 外に出れば幻想の街角を行き交う人々も居る。大きなコルクボードの前にはイレギュラーズも良く集まって話していた。
 少し歩けば各ギルドも点在している。
 その夢の中には現実と同じく、多くの出逢いに溢れていた。
「もしかして……」
 そんな夢を見ながら、ヨダカは自分の願いに気付き始める。
 まるで子供のようで恥ずかしくもあるが、それ故に何よりも純粋で、尊い願いだった。


 アレクシアは顔を伏せて考える。
 どうしようかな、色々と欲しいものはあるけど……でもやっぱり一番は、あの人に会いたいかな……兄さんに……。
 いつからか会えなくなっていた、あの人に会いたい。
 ふと風を感じて、伏せていた顔を上げると、そこに、その人は立っていた。
「……兄さん? ずっと会いたかったんだよ?」
 歩み寄り、兄さんの手を取る。
「どこ行ってたの? しばらくうちに来なくなっちゃってさ、心配してたんだよ」
 少しだけ拗ねたように言うが、アレクシアはすぐに言葉を止めて首を振った。
 ……いや、そんなことはどうでもいいの。
 報告したい事が有る。
 それは故郷を出てからの冒険の日々。
「私、イレギュラーズになっちゃってさ」
 世界を救える唯一の存在。
 アレクシアもそんな一人に選ばれたのだ。
「兄さんも知っての通り、私は身体が全然強くないけど、それでも選ばれたからには何かできるんじゃないかって、誰かの役に立てるんじゃないかと思って。
 いつか兄さんが私にしてくれたように、私も誰かに優しくできるんじゃないかって」
 兄さんは黙って聞いている。
 そんな兄さんの手をぎゅっと握り締めて言う。
「だから、見ててね。死なないでね。いつか絶対見つけてみせるから」
 宣言する。
 大切な人を必ず現実でも見つけ出す。
 そんな夢に、ただ優しいだけの夢は笑って、消えた。


 栗梅・鴇は使えなくなったスマホを見つめて日々虚しい思いをしていた。
 しかし鴇は諦めない。
 虚しさに立ち向かい、混沌肯定が邪魔するなら混沌の技術レベルそのものを押し上げてやろうという壮大な計画。
 そんな鴇が見る夢はもちろんスマホが使えるようになること。
 でもそれだけ叶えたって彼女の研究者魂は満たされない。
「お金が溜まって練達に居住を構え、そしてついに、念願のインターネットに変わる情報通信網を、『全世界網(ホール・ワールド・ネットワーク)』生み出す!」
 無数の世界の基盤である無辜なる混沌なら出来る筈! 略してホーネット! どうせネットとしか呼ばれなくなるけど! と叫ぶ鴇。
 そんな鴇の願いによって迷宮は幻想へと変わりゆく。
 ダンジョンがその夢を叶えて見せた幻の光景の中では、元居た世界ではなく、無辜なる混沌でスマホが普及していた。
 みんな、便利になったと喜んでいる。
 旅人も気軽に故郷へと電話を掛けて近況を伝えあう。
 笑顔で溢れた世界。
 最初は自分の為だったけど、でもこの笑顔は……悪くない。
 鴇は自分の手で生まれ変わった新しい混沌の世界を眺めながら笑い、その光景を早速使えるようになったスマホで写真に撮ったのだった。


 呪いの短剣ブローディア。
 その失われた記憶を、ブローディアの契約者であるサラは望んだ。
「私は失われちゃったブローディアの記憶が見てみたい。どこからきて、今までどんな人達と契約を結んできたのか」
 そう言ってブローディアを見る。
「サラが望むのであればそれが叶うのもやぶさかではないと思う」
 すると直ぐに迷宮は変質した。
 周囲が光に包まれ、サラとブローディアを包む。
「そっか……そうだったんだね。ブローディア。あなたってやっぱり元は……」
「なるほど……忘れていた自分の記憶をこうして客観的に見せられるのは奇妙な気分だな」
 光の中、ブローディアの中で眠っていた記憶の奔流がサラとブローディアの目の前を流れていく。
 初めは二人の思い出だった。
 今では明るいサラが時を遡るほどに沈んでいき、そして出会いの瞬間まで巻き戻る。
 それより過去は、誰も知らない筈の思い出。
 やがて光が消えていくと、二人はダンジョンの外に立っていた。
「……事前に聞いていた話通りだ」
 ブローディアは言う。
 今見たばかりの記憶が既に失われていた。
 しかしサラはブローディアと違う事を思っていた。
 忘れたのはダンジョンのせいではなく、忘れてしまうというブローディアの特性のせいなのではないかと。
 どちらが正しいかは分からない。
 それでも二人は、胸の内に何かの切っ掛けを得た気がしていた。


 消えた姉さんと会いたい!
 その一心でダンジョンに訪れたタツミは、ただそれだけを思って迷宮を潜ってく。
 強く、一途な願いは直ぐに叶った。
 迷宮を抜けた先に、七年前と変わらぬ姿で立っていたのは、紛れも無く姉の姿。
「会えた……!」
 タツミは一瞬立ち止まり、姉の姿格好をその眼に焼き付ける。
 姉はただ静かにタツミを見ていた。
「なあ、七年前に一体何があったんだ?
 なんで親父を殺したんだ?
 母さんも会いたがってる。戻ってくる気はないか?」
 詰め寄り、矢継ぎ早に問い掛けるタツミには答えず、ゆっくりと構えた。
「……なんだよ、拳で語り合うしかねぇのかよ」
 何も答えない姉から向けられたのは殺意と切っ先だけ。
 それならなそれで構わない。
 イレギュラーズとして召喚されて、ここまで鍛えてきたんだ。
「今の俺の全てを出し切って挑むぜ」
 タツミは母から貰った脇差しを抜き放つ。
 相対する姉と弟。
 だが、
「……え?」
 姉は微笑んで、掻き消えた。
 気が付けばそこは迷宮の外で、ただ立ち尽くしていた。
 呆然とした後に、気付く。
 ここは夢の叶うダンジョン。タツミは姉との再会を願い、それは叶った。
 でも、なんて言って欲しかったのかは分からない。ましてや戦いたいなんて思わなかった。
「結局、実際に会うまでは何も分からないか」
 タツミは残念そうに、けど少しだけほっとしたように息を吐いた。
 ――実際に巡り合うその日まで、鍛錬を続けるだけさ。


「望みが叶うダンジョンですか」
 ニゲラは狭い通路を進みながら思う。
 僕の望みは……。
 と、ニゲラが夢想を始めると、迷宮が変化を始めた。
 しばらくしてニゲラが気付くころには迷宮はお菓子だらけになっていた。
 どこかで見た覚えのある風景。それは間違いなく初めての依頼で挑んだ『お菓子の迷宮(チョコレイト・ダンジョン)』だ。
 ニゲラの前に光の輪、次の階層へのゲートが開く。
 息を呑む。
 この先に待っているのは、チョコレイトドラゴンだ。
「オオオオオオオオッッ!!!」
 ニゲラがゲートを潜るなり目覚めたドラゴンが吼え猛り火を吹いて襲い掛かってくる。
「はあああっ!」
 しかしニゲラは真っ向から迎え撃つ。
 ドラゴンの爪は飴細工の彫刻やクッキーの壁を容易く打ち壊し、ニゲラを盾ごと吹き飛ばす。
 ニゲラも負けじと剣を振り、ドラゴンのチョコレイトジュエルの鱗を次々と切り裂いていく。
 一進一退。炎熱で溶け衝撃で荒らされたダンジョンの中で両者は激しくぶつかり合う。
「ッたあああぁ!!!」
 激戦を制したのはニゲル。
 渾身の一撃はドラゴンの首を刎ね飛ばした。
 山のようなチョコレイトジュエルを手に入れ、ドラゴンが守っていた名も無き美少女を救い出して帰還したニゲルはドラゴンスレイヤーとして讃えられ皆の称賛と美少女の愛をも手に入れた。
 やがてニゲル・グリンメイデの名は混沌中に轟き、誰もが彼に憧れた。
 ……という夢を見た。
「いや、こんなん駄目になってしまうしか無いですよ。ほとんど麻薬みたいなものじゃないですか、まったく!」
 目が覚めてなお喪失感を上回る満足感と幸福感にドキドキしながらニゲラは言う。
 ……閉鎖される前にもう一回来よう。


「1つだけならどんな願いも叶うダンジョンとか! ばり気になるし!」
 大興奮の縹 漣は画材の入った大きな鞄とファンタジー生物の姿絵を描きためたスケッチブックを持ってダンジョンへ飛び込んで行った。
 レンガ造りの暗く湿った通路、壁に点々と続く燭台には魔法の火が灯り、奥からは不死者のうめき声の様に不気味な風の音が聞こえてくる。
 まさしくダンジョンという雰囲気に興奮しつつ、漣は時折スケッチしながら奥へ進む。
「……私、1番なにが欲しいとかいな?」
 ふと、手を止めて漣は自分の作品たちを見返す。
 ドラゴン、オーク、ケットシー……。
 空想の生き物ばかりを描いたスケッチブック。
 そこで思い付く。自分の描いた絵と話せたら……一緒に戦えたら絶対楽しい!
「我が呼び掛けに応じよ……なんつって」
 冗談交じりにそう言うと、突然スケッチブックが光り出す。
 空中に魔法陣が描かれ、スケッチブックの中から魔法陣を通って二足歩行の猫が召喚された。
「ケットシー登場!だにゃあん」
 空中でポーズを取るケットシー。
「さあさあご主人ー? 冒険はこの先だにゃあん」
 感激のあまり硬直している漣の顔をやわい肉球でぽすぽす叩く。
「あっ、ばりぬくか……って冒険!?」
 バッと前を向けばダンジョンの向こうからモンスターの群れがやってくる。
 ケットシーが羽付き帽子を被りなおして短剣を抜いて、漣にウインクしてみせた。
「よーし! ケットシー! まとめてちかっぱ、くらしゃげれー!」
「任せてだにゃああああん!」
 漣の号令に元気よく答えるケットシー。
 二人の快進撃は夢から覚めるまで続く事になる。


「あらあら幻のダンジョンだなんて…ロマンがあるわね!」
 手を合わせて喜ぶジェーリーはダンジョンの中で願う。
「お婆ちゃんだけど……私の願いも叶えてくれるのかしら?」
 勿論。
 そう言うかの様に、迷宮は輝いて応えた。
 一瞬ののち、ジェーリーは海底に立っていた。
 ふわりとした浮遊感に、全身を抱き締められているような心地よい圧迫感。
 そしてなにより、眼前に広がる『水の中の桜』が、そこがジェーリーの故郷であると教えてくれていた。
「まあ……!」
 ジェーリーの願いは『あの桜をもう一度見てみたい』というもの。
 生まれ故郷の、水の中に咲く桜。
 それは桜に見立てた珊瑚礁。
 海面を通して揺らめく陽光に照らされた海の桜はとても綺麗だ。
「……久々に……見れたわね……」
 また見る事が出来るなんて、思わなかった。
 でも分かっている。これは夢。
 夢は夢見た者の想像の産物に過ぎない。
 でも、これが例え私の想像からのものでも……嬉しいわよ。
 美しく咲き誇る桜。
 夢が覚めれば失われる光景。
 ……外に出ると失うのは寂しい、わね。
 だが、
「あら……?」
 得たものは失われる。
 けれど元から有った思い出の中の桜は、以前より鮮明に思い出せるようになっていた。


「もう一度……もう一度、あの場所に……」
 願いが叶う。それを聞いたレオンハルトは、迷宮を先へ先へと進んでいく。
 彼の願いは、元の世界に戻ったところで叶えられるものではない。
 だからこそ願う。もう一度あの場所で……。
 洞窟を道なりに、途中からは光を目指して進む。
 その果てで花畑に出た。
「着いた……」
 辿り着けた。
 そこにはテーブルとティーセット、席に座った姫がいる。
 何も変わらない、望んだままの姿、願ったままの光景だ。
 しかしレオンハルトへと振り返った姫は何も言わない。
「……俺の中に、姫から言われたい言葉がない」
 願わなければ叶わない。
 だから姫は話せない。
 結局夢と変わらない。
 だけど。
 レオンハルトはそれで良いと、席に着く。
 姫は何も言わない。
 レオンハルトを見て、そして紅茶を口にする。
 レオンハルトも同じように紅茶を飲み、目を閉じる。
「ありがとう。もう一目だけ、見たかったんだ。それと……ごめん」
 目を開けるとそこには同じ花畑。
 ただ姫は消え、代わりに墓がある。
 レオンハルトはフッと微笑み、来た道を戻っていく。


「折角であるし何が出るかを楽しんでいくとするかの」
 ふらふらと道楽のつもりでやって来たルクス。
 願いと言えば、自身の望みを知る事こそがある意味で一番叶えたい事かも知れない。
 ダンジョンを暫く進んでいく内に徐々に風景が変わってくる。
 いつの間にやらすっかり森の中である。
 それと僅かな潮風。
「これは……ふむ」
 恐らくは里帰りなのであろう。
 見覚えのある風景、懐かしい感覚だ。
 しかし帰郷しようにも歩けど歩けど一向に村へ辿り着かなかった。
「里に戻らねば知り得ぬ事、戻れば何をされるか解らぬ恐怖。こんな所であろうかの」
 推察してルクスは少し残念そうにする。
 願えば叶う。
 しかし、様々な事情で願う事を拒む心理がある。
 願いと、願いを拒む願い。何方が強いかはその時にもよるが、少なくとも今のルクスは帰りたくないと思っているらしい。
「故郷に戻る事が我の望み、であるか」
 それをこのダンジョンが判断したという事は重要視すべきかも知れんの。
 そう思うルクスはもう少しだけ懐かしい風景の中に留まり、やがて現実へと帰って行った。


「ん……?」
 ダンジョンの入り口付近、東郷 翡翠は誰かと擦れ違った。
 イレギュラーズでごった返す中で擦れ違うなんて幾らでもあるのだが、何かが引っ掛かる。
「黒に濡れた茶……夜空の瞳……何処かで」
 見覚えのあるその誰かを見付けられないまま、翡翠は迷宮へと入っていった。
 迷宮は明るかった。
 進行方向が真っ白に塗り潰されているように見えて、自然と光に向かって進むような形になる。
 進み続けた先、光から現れたのは、小さな自分ともう2人の子供。
 嗚呼、あれは確か、確かに自身だ。
 それと……姉と、弟。
 探していた、弟だ。
 ゆっくり三人手を繋いで、背を向けて歩いていってしまう。
「いかないでくれ、僕はまだ」
 慌てて走るが、近付けない。
 三人の後ろ姿は遠く、再び光の中へ消えていく。
 それでも懸命に手を伸ばす。
「――……」
 弟が振り返った気がした。
 逆光で表情は見えなかったけれど。
 しかし、光の向こう、手を伸ばした先は、迷宮の外だった。


「願い……ねえ」
 他人に叶えてもらう願いなんざねえが、と前置きしてリーゼルは迷宮の奥へと進む。
 迷宮の仕組み自体には少し興味があるようだが、ま、術中にはまってみるとしますかね、と言って早速願った。
「……これは……」
 血の匂いと死の気配。
 誰かが自分の死を喜んでいる。
「そうか、混沌に飛ばされる直前の……あの英雄サマに殺された時か……」
 ……私はあの時死んでおきたかったと……そういうことか?
 痛い。苦しい。
 冷たい。寒い。
 暗い。見えない。
 指一本動かせない最期の瞬間。
「死んでおきたかったなんて冗談じゃねえ。
 ……と言いたいが、そうでもねえかもな」
 少なくとも遺跡を信用するなら、コイツは私の望みだ。
 ……ああ反吐が出るぜ。死にかけて弱気になったか?
 死ねば終わると思ったのか?
 私が?
 いいや、
「……アイツを殺すまでは死ねねえ、そうだろうが」
 そう思った瞬間、急激に意識が薄れ、そして次の瞬間には無辜なる混沌へとやって来ていた。
 こうして混沌へやって来た。
 思い出したのは、痛みと、寒さと、苦しみと……。
「……おかげさまで気合は入れ直せたぜ。じゃあな 」


「……はは、夢が叶う、だなんてな」
 そう聞いてミーナは真っ先に願ったことがある。
「この歳にもなって、情けねぇ。あの頃の事を思い出すなんて、よ」
 クソみたいな幼少期を過ぎて、たった一つの偶然から全てがひっくり返って。
 愛する夫を得て、失った、あの頃。
 ――もし、夫を失わず。子を成して、家族を手にしていたら
 そう願わずにはいられなかった。
 迷宮の中には家が有った。
 見た事も無い家、だけど住んでみたいなと思える家だ。
 入って見れば「おかえり」と声が掛かる。
 懐かしい、夫の笑顔。
 その足下に父親似の子供。
 人間として生きている自分。
「……ああ、叶うはずもない夢だったわ。けど、夢でも……今一度、あの人に会えて……」
 良かったよ。
 おかげで私は、もっと生きられる。
 貴方を失ってもう何年になるのか数えてもいないけど、貴方の形見のこのコートと共に。
 今度はこの世界を生きるから。
「もう暫く、この夢は保留にさせてくれや」
 来世に持ち越すから、よ。


 何でも叶う、か。
 ふむと思案顔になる剣崎・結依
 オレが求めてる相棒の姿、影だけでも見れるなら、まぁ、行ってみる価値はあるか?
 背中を預けられるような相棒と出会いたい。
「出会いたい、が……腹も空いてきた」
 なんだか目先の食欲に負けそうになる結依。
 なんとか堪えてダンジョンを突き進むが、段々無視できないくらい腹の音がうるさくなってくる。
「……いや、だが、今は相棒の方が……いや、ごはん……いやいや駄目だ、落ち着け」
 盛大に迷っていた。
 相棒がごはん持って来てくれないかな、などと思い始めた頃、どこからか良い匂いがしてくる。
「ん? 何か美味そうな匂いがする?」
 ふらふらとそっちへ導かれると、たくさんの料理の姿が見えてきた。
 香ばしい匂いの方を向くと分厚いステーキを焼いてる誰かの姿が……煙で隠されてるが、まさか、お前が……。
 近寄った途端、ステーキを突き出されたので食いつく。
「美味い……」
 そうか、これが、オレの求めていたものか……。
 ステーキと相棒。
 いや、ステーキを美味しく焼けて無償で提供してくれる相棒か?
 ……絶対に、見つけだそう。
 だからいまだけは腹いっぱいに食わせてくれ。
 美味い料理を相棒が次々と差し出して来る天国のような夢の中、結依はひたすらに食べ続けていた。


 私が本当に求めている夢って、何でしょう?
 そう自らに問うシフォリィは、振り返って思う。
 15歳で召喚されてから、求める夢なんて何もない、と。
 しかし、迷宮へ足を踏み入れたシフォリィは、荘厳な教会に立っていた。
 そこには亡くなった父に、次期当主の兄、三人の姉、知り合いになった皆。
 純白の婚礼衣装に身を包んだシフォリィと、
 ……目の前にいるのは、
 二年前、魔種から民を守る為、父と共に戦い亡くなった騎士。三歳年上の婚約者だ。
 ――私が17歳になったら、私が嫁ぐはずだった人。
 行われるのは愛の誓いの口づけ。
 頬を染めながら大事な人を見て、瞼を閉じて、開く。
 そこにはもう、何もなくて。
 捧げるべき物も、愛する人も失くしたのに、私はこんな夢をまだ望んでいたなんて……。


「……あぁ、懐かしい」
 アランは夢を見た。
 目の前に広がる光景。
 幼き日に過ごした村とそれを眺める長い銀髪の女性が見える。
 腰には剣を携え、甲冑を纏った蒼い瞳の美しい女性はこちらを振り返る。
「よぉ……久しぶりだな。死人にしては元気そうじゃねぇか」
「えぇ、あなたは?」
「そこそこ」
 彼女の横に立ち、村を眺めて話をする。
 吹く風は草の葉音を乗せ、温かく、頬を掠めて二人の髪を揺らす。
 そこからは色々と話を話した。
 友達は出来たのか、生活できるのか、ほぼ質問されっぱなしだったが、
 自分からの質問は……。
「……後悔とか未練は、ねぇのか?」
「……えぇ、ないわ」
「そっか……」
「貴方は?」
「……あったけど、これでもう無い」
「……うん、良かった」
 涙は枯れたと思った。
 でもこの瞳から零れる物は……。



●それもまた願いであれば
 シェリーが迷宮を訪れる。
 所詮は泡沫の夢。感傷などない。
 行きつく先など、自分が一番理解している。
 辿り着くのは、深い森を抜けた先の海が見える岬。
 そこに在るは刻んである文字すら読めぬ程に風化した小さな石碑の様な物。
 シェリーは石碑の前に跪き、パンドラアイテムたるリボンを石碑にかけ、暫しの間祈る
 静かな時間が過ぎ、やがてシェリーは立ち上がる。
「またいつの日か伺いますので、しばしの別れを」
 石碑にそう告げて去っていく。
 ――それが数千年後か、数万年後かは判らないが。


「願いなんて、夢と一緒で在る訳ないんだがな……」
 クロバは言う。
 内に渦巻く狂気に抗いながら。
 一歩、一歩と足を進めていき――
 次に見えたのは、
「兄さん! また怪我して帰って来たんですね……!」
 もう、見る事はないと思っていた家族の顔。
「はっはっは、また泣きべそかいたんだろう」
 殴りたい、そして超えたい師の顔。
 ――そうか、オレの奥底にもあったんだな。『穏やかな時間に帰りたい』って願いが。
 張っていた気が緩んでいく感覚があった。
 だが、「ただいま」と言いたくなる口を噤む。
 そしてクロバは刀を手に取り、――目の前の光景をその手で斬り裂いた。
「とんだ悪夢だ。……自分で斬った最愛の家族の顔を見る事になるなんてな」
 もう、オレは戻れない。


「何でも願いが叶うダンジョンねぇ……そんなに都合がいい物はないわよね……」
 皮肉げに言う如月 ユウは、それでも願う。
 もし叶うのなら、人間に捕まる前の私を止めてあげて、と。
 ……記憶は曖昧だけど、あの時の恐怖だけ忘れられない。
 今の私ならあの頃と違って、自分の身を護るぐらいの事なら出来るず。
 そしたらこんなに捻くれた性格には……。
 迷宮が歪む。
 願いを叶える為に。
 しかし、
「……いえ。流石に過去を帰る事は出来ないわよね」
 その願いをユウ自らが否定した。
 迷宮は元に戻っていく。
『願いを叶えない』という願いに応えて。
「……本当に柄にもなく何を考えてるのかしら」
 これは幻。
 一時の幸せは得れても、きっとこれは駄目な物だから、もうこの騒ぎは終わりにしましょう。


「夢、か……」
 ぽつりと漏らすティア。
『どうかしたか?』
 その言葉に神様は尋ねる。
「どんなものでも叶うのなら…何が良いんだろう…」
『……それはお前の好きにするが良いだろう。私は意識を落としておくぞ』
「……」
 そっけない態度で神様は話さなくなる。
 私は……恨まれたくなかった。
 利用されたくなかった。
 ただ、平凡に1人の女の子として過ごしていたかった。
 みんなを救いたかった。
 誰も傷付けたくなんてなかった。
 ただ、ただ普通に暮らしていたかっただけなのに。
 ――どうして、貴方達は私を――
 迷宮が歪む。
 彼女の願いを叶える為に。
 望んだものは幸福なのか、そのとも歪んだ何かだったのか。
 迷宮を出てその夢の記憶を失ったティアには分からなかった。


 願いを叶える迷宮。暁蕾は縋る思いで訪れた。
 暁蕾には混沌へ来る前の記憶がない。
 僅かに覚えているのは暗闇の向こうから私を呼ぶ誰かの声
 唯一身に付けていた眼鏡ケース。
 ――私の記憶を取り戻せる?
 迷宮に踏み込む時に、心の中で問い掛ける。
 入り口の暗がりを抜けると風が吹いていた。
 冷たさに身を縮めると、遠くに無数のイルミネーションの輝きが見えた。
 ――ここはシャイネン・ナハトに訪れた練達の賢者の塔?
 いいえ、そうじゃない……。
 どこか懐かしさを覚えるコンクリートのビルの屋上。
 風に乗って届いた匂いに視線を向けると、その先にも一つの瞬き。
 誰かが柵に身を預け、紫煙を燻らせている。
 ――ああ、あの背中、
 そして、私が混沌に来て最初に発したという『しゃお・り』の意味は――
 手を伸ばした時、暁蕾はダンジョンの外にいた。
「……全ては夢だったの?」
 答える者は居ない。
 ただ、夢の中の光景は忘れずに暁蕾の記憶に残り続けていた。


 噂を聞きつけ、遺跡に入り込む男が一人。
「ゲハハッ。カネ、酒、オンナ……さあて、何が出るかね。楽しみで仕方ねえや」
 下卑た笑いを浮かべやって来たのはグドルフだ。
 男は暗い一本道を歩く。
 突如、ぼうと現れる光が人の形となり──男は驚愕の表情を浮かべた。
 視界に映るのは黒髪の少女。言葉は無い。ただ、男に向かって柔らかく微笑む。
「あ、ああ、そんな。ウソだろう」
 すう、と滑るように遠ざかっていく少女。
「ま、待て。待ってくれ」
 走る。足がもつれて転び、少女には追い付けない。
 必死に手を伸ばす。
「お願いだ、待って……」
 伸ばした手は空を切り、少女はどんどん遠くへ。
 そして、──気付けば、ダンジョンの外に居た。
「チクショウがあ!!」
 拳を地に叩きつけ叫ぶ。
「クソ……俺は、まだ……」
 顔面蒼白の男は一人、慟哭の言葉を絞り出した。


 ――夢が叶うなら、もう一度だけ、あいつに会いたい。
 シュバルツはそう願う。
 しかし、その願いには諦観と抵抗が鎖のように絡まっていた。
 前の世界で喪った恋人に会いに来たはずが、待っていたのは見覚えのある彼女の墓。
「ま、そうだよな。夢と言えどあいつは死んだんだ。それに違いはねぇ」
 と開き直るシュバルツ。
「……そういや墓参りしてなかったな。
 こっちの世界に来てから色々あったんだぜ?」
 彼女の墓に語りかける。
 一輪の花を墓前に供え、立ち上がり、
「もう二度と墓参り出来ないかもしれねーがスマンな。じゃあ行って来る。」
 そう言って帰ろうとした背中に、
「行ってらっしゃい」
 そう語りかける懐かしい声。
 シュバルツはいつになく優しい笑みを浮かべると一言だけ「あぁ」と返し、振り返らずに迷宮を後にした。


「夢を見せてくれるダンジョンだなんて夢があるじゃないかね! フフ、ここは美女達に囲まれる夢でも見させて貰おうか……」
 さわやかな笑顔でカタリナは欲望をさらけ出す。
 肩にとまるシマエナガがその緩んだ頬をついばむがお構いなしだ。
 そしてその願いは叶う。
 迷宮へ入っていったはずが、気が付けば幻想のギルド・ローレットにやって来ていた。
  カタリナに気さくに声を掛ける仲間、ギルドのスタッフ、出入りしている情報屋、皆が笑顔で騒いでいる。
「素晴らしいじゃないか!」
 カタリナも美女に囲まれ良い気持ちで飲み物を頼む。
 いつもの風景のようで、今日はやけに騒がしい。
 気になって「どうかしたのかい?」と訊けば、「なに言ってんだ、混沌が救われてからこっち、ずっと賑やかなもんだろう」と返ってくる。
 滅びの神託が外れた。
 どうやら世界が救われたらしい。
「それはすごい」
 感嘆の声を漏らすカタリナ。
 なんでも、世界が救われてからというもの、国家間の小競り合いも無くなり、未開拓領域の踏破も進み、技術の発展も著しいとのこと。
 近い内に異世界と行き来できるゲートも開発されるだろう。そんな噂もある。
 まさに世界は繁栄を極め、全人類が大なり小なり幸福の中に居た。
 世界中に人々の笑顔が溢れている。
 素晴らしい事だ。
「最高じゃないか!」
 カタリナも喜んだ。
 ああ、なんて素晴らしい世界だ。
 カタリナは心の底からそう思い、
 その手の中の『滅びのアーク』を起動した。
 ――破滅の光が世界を包む。
 その中でカタリナは満ち足りた表情をしていた。


 サブリナは願う。『平穏に統治された自分の国』を。
 訪れた迷宮にはさび付いた扉が有る。
 開け放てばそこには豪華で煌びやかな王の間。
 集うのは威厳に満ち溢れた重臣・忠臣。
 そして王の帰還を待つ玉座と、
 親友だと信じていた女官長を勤める幼馴染の女性……。
 サブリナが一歩、また一歩と玉座へ近づけば、臣下達は跪き忠義をささげるだろう。
 だが、
「お前達が私を殺そうとしたのだろうが!」
 突然激情を露わにしたサブリナは腰に提げた剣を抜き放って女官長へ襲い掛かる。
 明確な殺意をもって振るった剣は女官長を、親友だと信じていた幼馴染を切り裂き、鮮血に染める。
 血と驚愕に塗れる女。
 その女の心臓に、憎悪の剣を突き立てた。
 ……そこで、サブリナは目を覚ます。
 ダンジョンの外だ。
 悲鳴も赤色も無い。剣も初めから装備していない。
「あれが夢……」
 サブリナは確かに『平穏に統治された自分の国』を望んだ。
 しかし、どうせ夢ならもっと都合の良い夢を見れば良かったのではないのか。
 ……夢は都合良くても、自分の心が都合よく願ってはくれなかったのだろう。
 心臓を貫く感触は記憶から消えていたが、それでも震える手を見ながら、そんな事を考えていた。


「ふむ……」
 シレオは肩を竦める。
「ちょっと身構えてたが、何も出てこないな」
 ま、俺の望みは『何も望まないこと』だからな。それでも……とは危惧していたが、大丈夫そうだ。
 迷宮は聞いていた通りの一本道で、特におかしなところも無い。
 しっかし、何も出てこない場合、他の参加者の様子が見えるのか?
 向こうに誰か突っ立ってるが……。
 夢心地のまま放心してるのか?
「どれ、正気づかせて……」
 人影に向かってシレオは近付く。
 だが、それは、
 ………、
 ………ああ。
 ……待ってくれ。
 嘘だ。
 頼むから、振り向かないでくれ。
 此処に、居ないでくれ。
 お願いだ。
 そうだ、違う、俺の本当の望みは、お前が、『此処に居ない事』なんだ。
 だから違う。
 お前は此処に居ない。
 居ないんだ。
 ――こんなのは悪夢だ。



●夢を暴く夢
「侵入者の夢を叶えるダンジョンですか」
 やって来たヘイゼルは装備を確認し、迷宮へ願う。
「では、私が望むことは……そうですね、『ダンジョンのありのままを探索する』、これですね」
 せっかくダンジョンくんだりにまで来ているのですから、と思い、そうして挑む。
 願いが叶ったのはすぐ知れた。
 先に入ったイレギュラーズの一人がふらふらと歩き、そしてどこかへ忽然と消えるのを見たからだ。
 マッピングのための白地図も用意したし灯の類も十分。
「では完全マッピング目指して進みましょうか」
 朽ち果てた迷宮は進めば進むほど広くなる。
 一本道だと聞いていたのに分かれ道が見付かったりもした。
 罠の類は壊れているのか何も無かったが、しかし風化した人骨はそこかしこに転がっていた。
「思ったより広い……いや、深い」
 迷宮はどこまでも続くかのように底知れない。
 通路の装飾も柱に彫刻銀細工と豪奢になって行き、朽ちていなければさぞ立派なものだったのだろうと知れた。
 いよいよもって、最奥には何があるのか。
 ヘイゼルが息を呑んだ時、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。

 イレギュラーズの多くが迷宮へ踏み入るのを見送った後、満を持してアトもそのダンジョンへ踏み入った。
「……さて、オーダーはアイテムを取ってくること、だったね?」
 狙うは深奥、アイテム狙い。
 まずはアイテムが魔力を消耗した頃を狙った。
 そして幻に囚われる事で先へ進めなくなる事への対策、それに願いを使う。
「僕が求めるもの、それは『ありのままの姿のダンジョン』だ」
 迷宮に入るなり口にし、勝手に他の願いを叶えられても敵わないと先手は打っておく。
 幸い叶えられる願いは一つだけ、この願いが叶えば後は何を思っても問題無い。
 そしてその願いは叶った。
「これがありのまま……」
 やたらと死体が多い。
 罠は無いようだが、ざっと見渡しただけで結構の数の人間が死んでいる。
 ユリーカが言っていた「入り浸ってしまう」は冗談では無かったという事か。
「いや――」
 違う。
 入り浸るだけなら入り口で良いはずだ。
 なのにこれは……明らかに、奥に進むほど遺体が増えている。
「なんだよ、ここ」
 自分と同じくアイテム狙いの侵入者が何かしらのアクシデントで命を落としたのかとも思い、警戒しながら進んではいるが、そうではない気がして来た。
 何かが引っ掛かる。
 と、そう思った瞬間、目の前の景色が溶けた。
「……そういう事か!」
 気になったのは『入り浸って死んだ者の遺体が迷宮内にある』と考えた時だ。
 それは有り得ない。
 何故ならこの、――『強制送還』があるのだから。

「……なるほど、タイムオーバーね」
 夢を叶えた後はダンジョンの外に放り出される。
 ヘイゼルの願いが『幻の姿』を無効化したとしても、『強制送還』を無効化したわけではなかった。
「……失敗したのか?」
 アトも外に居た。
 二人は記憶を殆ど全て奪われ『はじめから』になっていた。
「これだからわくわくするんですよね」
「踏破ならずか」
 そう言いながら、少し悔しそうに二人の挑戦者は笑った。


「驚いたな……」
 アカツキは頬を伝う冷や汗を拭った。
 ――『このダンジョンが人の姿を借り、人格と感情を持って現れ、対話する』事を俺は願う。
 その願いを叶えた物が、アカツキの前に立っていた。
 少女の様に見えるが、何もかもが完璧な造形をしていて、人型にして人間離れした美しさを湛えていた。
 だがその美しさも、『人の願いを叶える』という特性ゆえなのかも知れない。
『初めまして、アカツキさん』
 ふわりと笑む少女。
 それだけで得体の知れない感覚が背筋を這う。
 それでもアカツキは訊いた。
「ここは何のためのダンジョンなんだ」
『人々の願いを叶える為、そして、私を封じる為の物です』
 前半は副産物などではなく、主目的であるらしい。
 そしてやはり、彼のアイテムを手に入れられないのは意図しての事だった。
「では、どうして生まれたんだ?」
『願われたからです』
 ……ひどく簡単だったが、そうなのだろう。
 願いを叶えてくれるアイテムなんてのが作れるなら誰だって作る。
「しかしそうなると、直前の質問の答え、『封じる』と言うのがおかしくなる。
 望まれて産まれ、望まれなくなって封じられたのか?」
『そうです。私は願いを叶えてくれと望まれました。ですが、私の封印を望む方が現れたのです』
「……詳しく聞かせてくれ」
『はい』
 すう、と息を吸い、少女は語り始める。
 迷宮は元々巨大な教会、地下墓地だった事。
 かつては神への祈り、清らかな願いを受けていた事。
 アイテムとは十字架の様な物であり、人々の願いと聖別により神器へと高められたものだという事。
『私は遂に願いを叶えられるだけの力を得ました』
 ここまでが誕生秘話だと区切り、少女は更に続ける。
『ほどなくして、私に他者を傷付けるよう願う方が現れました。それは神罰であると』
「……始まったのか」
 夢は清らかな願いばかりではない。
 敵が居れば打ち倒し殺す事を望むだろう。
 願うだけならば実害はないが、この少女はその願いすら満たしてしまう。
「お前は全能なのか?」
『いいえ。人の願いを魔力として蓄積していただけです。
 多くの人が望み、小さな奇跡を起こすだけなら問題は有りません。
 ですが、個人の願いで大きな奇跡を起こす内に、私は急速に弱って行きました。
 だから最後には奪い合いが始まったのです』
「愚かだな……」
 大体は分かった。
 そして最後にこのアイテムを封じる事を願ったのだろう。
 しかし、完全には封じられなかった。
「お前はなにがしたい」
『私は、一つでも多くの願いを叶えたいのです』
 だから封印を維持しながらも人々の願いを一時的に叶え続けるのだろう。
 そうアカツキが納得すると、ソレは頭を下げる。
『私を求めて下さり、有難う御座いました』
 ソレはただ美しく、望まれたままに振る舞う。
 アカツキはソレに対して抱いた思いも得られた記憶も全て失う事になる。



●与えよ、さらば与えられん
 初めに、雷霆は迷宮の絡繰りを解き明かした。
 故に雷霆は言う。
「未知なる敵はおろか、出逢って来た敵との再戦も意味を成さない。
 結局全ては己に都合の良い幻影。俺はそれを『戦い』とは呼べん」
 戦いこそ全てと豪語する彼にとって、それは「何の価値も無い」と一蹴したに等しい。
 しかし彼は立ち去るわけでもなく、この迷宮で唯一戦いと呼び得るたった一つの願いを口にした。

「迷宮の主よ、俺はお前の願いを叶えたい。
 俺はお前が力を使い果たした後でもお前の願いを叶えてやれる。
 誰もお前を奪い合う事は無い。ただ、お前と俺の願いが叶うだけだ」

 ――その願いは、誰もが望まなかった事。
 力を使い果たした後、願いを叶えられなくなった後に、それでも雷霆の願いは叶えられると言う。
 そして雷霆は奪い合いは起きないとも言った。
『私は……』
 人々の願いを叶え、しかし求められない様にと努めて来た。
 絡繰りを解き明かした彼は、同じ様に『私』の求める物を解き明かしたのだろうか。
 無差別に人々の願いを叶えながらも記憶を消し迷宮の外へ追い出す、その矛盾から。
 分からない。
 偶然かも知れない。
 だが彼は平然と言う。
「案内は気にするな、俺が迎えに行く」
 それは『ありのままでいろ』という願いとは違う。『気にするな』を願いと呼ぶには無理がある。
 何より彼の願いは既に決まっていて、それは彼が『私』に辿り着かない限り叶わない。
 彼は最後の願いを叶えた後に、更なる願いを叶えられると言った。
 ……『私』はそれを願わずにはいられない。
 やがて、漆黒の獣人は辿り着く。
 夥しい程の屍の山に突き刺さる、血塗られた聖剣のもとへ。
 例え『私』が石にも劣る屑だったとしても、彼は必ず『私』を持ち帰るだろう。
 なら、ガラクタに成り果てたこの身を捧げる事に躊躇いは無い。
 『私』は宣言する。
『私は貴方の夢を叶えます』
 雷霆も宣言する。
「俺がお前の願いを叶えよう」
 それは夢にまで見た言葉。
 ……涙が零れる様に、迷宮の天井から石の粒が降る。
 いよいよ『私』が終わる。
 終われば迷宮も崩壊する。
 下手をすれば生き埋めになるであろう雷霆は、やはり微塵も動じずに立っていた。
 きっと彼はそれすらも覚悟の上。
 最後の願いを叶えて今、この迷宮には『私』と彼の二人きり。

「さあ、願いを叶えてくれ」
『はい、願いを叶えて下さい』

 最後の最後に『私達』は求めあう。

 ああ。
 願わくば、我等が望み果たされん事を。




成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 依頼お疲れ様でした。

 良い夢見れたでしょうか。
 それとも嫌な夢を望んじゃったでしょうか。

 補足になりますが、
 描写外でも全ての夢は叶っています。
 ですが、全ては夢の中、
 貴方の記憶から生み出された幻影です。
 全く知らない事は記憶のどこを漁っても想像する事しか出来ない、
 ただ、記憶も想像も『より鮮明かつ具体的になる』、
 忘れていた事を思い出したり、
 想像も出来なかった事が想像出来る様になったり、
 そんな感じです。

 こんなこと望んでないって時は、
 それは迷宮さんのせいだと思います。

 皆さんのおかげで力を使い果たし、迷宮は崩壊、
 逃げ遅れた一命はパンドラ使って生還しました。

 夢は自分の力で叶えるものとは言いますが、
 ここで何かを得た方々へ、
 それはもう『貴方の力』です。
 ぜひ夢の実現に御利用下さい。

 それではお疲れ様でした!

PAGETOPPAGEBOTTOM