シナリオ詳細
<タレイアの心臓>竜獄の大樹
オープニング
●『怠惰』と『暴食』
その森で、大樹ファルカウと言えば信仰的価値と首都的意味を持つ中心地であった。
アルティオ=エルムの実質的指導者たる予言者リュミエ・フル・フォーレは『ファルカウの巫女』として仰がれる。
永き時を過してきた彼女は森を開くことを決め、イレギュラーズを受け入れた。
その永すぎる寿命は変化を嫌う節がある。無論、それは幻想種達だけではない。永い時を過す木々もだ。
唐突に訪れた変化に、霊樹達はざわめいたことだろう。
恐れ、戦き、嘆いた者も居た筈だ。
囁かれた『停滞』の響きはどうしようもない程に森を侵蝕した。
「けど、眠いにゃあ」
「そう仰いますな。後ひと頑張りでは?」
「結構頑張ったにゃあ……そうだ、ベルゼー。アイツらを纏めてどーんとするにゃ。
にゃあが出なくても良いように……ふにゃあ、眠い。竜種(こども)を集めて戦うと良いにゃ」
身を丸める猫に紳士は肩を竦めた。紳士にとって、己の生まれは汚泥より出ると称するようなものであった。
原初より生み出された大罪。目の前で眠たげに目を擦っている『可愛い猫』の振りをしているのは己の兄に当たる存在なのだ。
――『煉獄篇第四冠怠惰』カロン・アンテノーラ。
彼が兄だというならば、己も原初より生み出された大罪に他ならぬ。
――『煉獄篇第六冠暴食』 ベルゼー・グラトニオス。
それが男の名前であった。
普通の男として、普通に生きていく事を想像したことはある。寧ろ、そうして歩んだことだってあった。
誰かと愛し合い、子をもうけ、幸せに生きていく未来に焦がれた事はあった。
残念ながら『兄弟姉妹』達は同じ『産まれ』でありながらも性格の不一致は激しかった。
……残念ながら『深く近付いた人』は簡単に『飲まれ』てしまい直ぐに自我を崩壊させた。
ある時に一匹の竜を育てた。ベルゼーにとっては戯れ事だ。竜種ほどの存在であれば、影響を受けることも少ないと感じたからだ。
「竜種は飼育できるんですか?」
問うてきたのは年若い夫妻であった。彼らは巨竜フリアノンの世話役をしている亜竜種(ひと)であった。
巨竜フリアノンは穏やかな性質であり、自身の世話を買って出た人々を庇護下において暮らしているらしい。
「ええ、まあ。どうやら竜に好かれるようでしてなあ」
「まあ、凄い……! フリアノン様とご友人になれるかもしれませんね」
嬉しそうに語る彼らに連れられて里に戻った際に、巨竜は言ったのだ。
(――なんてモノを連れてきたのだ! ……まあ、そうでしょう。そうでしょうとも。
人と違う『大いなる災いの種』だ。仕方もないでしょう。けれど、私の飽くなき欲求は止まらなかった)
腹が空けば近くの獣を喰った。腹を満たすだけなら易い。それでも、食欲は止まらない。『暴食』とはリソースの浪費だと知りながら、人らしい生活を営むために『彼らに手出しをせず』にその害を喰らい続けた。そうして、彼らの隣人として認められたのだ。余り深く繋がりすぎなければ彼らに影響を及ぼし続けることはなかった。兄(アルバニア)などに言わせれば「妬ましい生活」を送ってきた自覚はある。
亜竜種達と過せば、自身が『オールドセブン』であるとは思えなかったからだ。だからこそ、『原初』より告げられた侵略の旨を受け入れることが出来なかった。
覇竜領域(くに)を襲わぬ代りにカロンとの協力体制を取った。怠惰である彼が戦わなくとも良いように『前菜』の役目を任されたのだ。
所詮はメインディッシュは彼だ。自身は此処で『本気』で戦う必要も無い。あくまでも、彼の眠る時間を稼ぐだけで良い。
そうすることで覇竜領域は護られる。自分から。何とも皮肉な事ではあるが。
「そうして、他を犠牲にするのですから困ったもんですなあ……」
――なんと?
「いいえ、ジャバーウォック。無理をさせて申し訳ない。あと少し協力してくださいますな?」
――喜んで盾になろう、我が父よ。
無数の目の幾つかを潰され、肉体を動かせばまだ血の滲む傷も残る。決して浅くはない傷を負わされた彼が己の為に戦うというのだ。
なんと喜ばしいことであろうか。
奇怪な姿をしていても彼は優しい子だ。その言の通り、有事の際には盾にもなってくれることだろう。
「……べるぜー、かろん、ねた」
「おや、フロース。管理権限は『レディ』から移ったようですね。
カロンは寝ましたか。いやはや、彼の休眠時間は長いもので……時間稼ぎには骨が折れますなあ」
飽くなき怠惰。そして腹を空かせた己。
「べるぜー、おなか、すいた?」
感情を伝播させ、そして肥大化させる性質を持った『大樹』の精霊。
首を傾げるフロースへとベルゼーは「そうですなあ」と微笑んだ。
大樹ファルカウの上空に位置する場所は、最もこの森を見渡すことが出来た。
灰燼と化した森を進軍してくるイレギュラーズの姿が見える。
「べるぜー、あれ、ごはん」
「そうですな、フロース。今からアレを貪り喰らうのさ。……ああ、なんてことだ」
「べるぜー、こわい?」
「ええ、怖いですなあ。なんと、何と言うことか……やはり『来てしまう』んですな」
ベルゼーの眼窩に広がる光景には、無数のイレギュラーズの姿が見えた。
被造物である彼は七罪(オールド・セブン)の中でも温和な性質を持っていた。
故に、愛してしまった。自身を受け入れようとしたフリアノンの民を。其処へ訪れる人々を。
――己を『仲間である』と笑いかけてくれた『亜竜種』達を。
神を恨むとするならば、亜竜種を『特異運命座標』となる未来を描いた事である。
神など、元から信じては居なかったが。
●アンテローゼからの道
灰燼と化す森の姿に目を覆う幻想種は数あった。
それでも、進まねばならぬのだ。進む他に道はあるまい。
アンテローゼ大聖堂で『タレイアの心臓』を保持し、その権能を以て『茨』を打ち払わんとするのは『灰の霊樹』とその守人であるフランツェル・ロア・ヘクセンハウス (p3n000115)。
アンテローゼ大聖堂近くでは幻想種達が防衛の陣を張り、敵の侵入を防ぐのだそうだ。
「此処は良いですから、行って下さい」
森の姿に苦悩しながらも幻想種はあなたの背を押した。
先に見える大樹ファルカウには彼方からすれば助っ人、此方からすれば最悪の存在――『竜種』が観測できたのだ。
「クエルさんに関してはイルスが案内してくれるわ」
――霊樹レテート。
それはファルカウと深く繋がった霊樹である。だが、その強かさは今代の巫女が『親和性が高くその身に全てを反映させている』事に由来しているのだそうだ。
巫女とレテートを犠牲にすれば、ファルカウ内部には未だ残る『眠りの呪い』を解ける可能性はある。
霊樹は動くことが出来ない。故に、『其方の援護』は別働隊が向かう事になった。
「……それから、」
そうフランツェルが視線を送った先には灰の霊樹。ざわめくそれは何らかの存在を予感していた。
「此処とは隔絶された空間。聖域と呼ぶべき、人智及ばぬその場所――其処に、貴女のお母様が居るのでしょう?」
問われたのはリア・クォーツ(p3p004937)である。
「……ええ、まあ。けれども、どうでも良いことです。あたしも自分の為に好き勝手やるだけですから」
「『玲瓏公』が聖域に残されていた願望器の力を使えば、消滅する可能性さえある……そうでしたよね、司教フランツェル?」
ふい、と視線を逸らすリア――彼女は、憤っているようにも思えた。『娘が居たとしても手放すような女』の盟約も事情も、直ぐに飲み込めるほどに彼女の気性は穏やかではない――の傍でマルク・シリング(p3p001309)は問いかける。
「ええ。そう聞いているわ。奇跡というのは生半可なことでは起こりっこない」
「それは、ジャバーウォックと僕らの関係性で良く分かっているよ」
ファルカウの傍にその姿が見られた事を越智内 定(p3p009033)は思い出すように言った。
覇竜領域で活動を続ける仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)やクーア・ミューゼル(p3p003529)、アーリア・スピリッツ(p3p004400)は『ファルカウの傍の竜種』がどれ程の脅威であるかを痛いほどに知っている。
「『玲瓏公』に頼らずの勝率は? ……なんて聞くのも莫迦らしいな」
「そうかも。誰かを犠牲に知る事を知りながら私達は『其れに最初から頼るなんて』できっこないよ」
シラス(p3p004421)に頷いたアレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)の瞳には強い気配が宿されていた。
「森を焼いてしまった――なら、その責任は取らなくちゃね」
ウィリアム・ハーヴェイ・ウォルターズ(p3p006562)は静かに言った。
幾つも、手札は用意した。霊樹レテート、玲瓏公、『タレイアの心臓』、ファルカウの巫女が目覚めてからの『反撃の時間』
其れまでだ。
「先ずはお帰り頂かないと、いけないよね」
アレクシアは不安げに呟いた。森へと火を放った痛ましさが少女の胸を締め付ける。
――私は『娘を手放すしかなかった母親』で、そんな者に今更名乗りを受けた失望や怒りは理解しています。
……私が消滅を厭わず、七罪との戦いに臨みたいと思うのは旧き盟約が故です。
それを貴女の為と言えるなら、いよいよ私は母親とは呼べないでしょう?
貴女の為なんて言いません。これは全て自分の為です。ですから、リア。危険に挑むなとは言いません。ただ、きっと無事で……
……『母親失格』かしら。少しの時でも、貴女と話せて良かった。もう少し話していたかったけど――
「馬鹿じゃないの。……お互いに会う事なんてせずに、お互いに知らないまま好き勝手やればよかったのよ」
呟いたリアは「あの人なんて関係ないわ。『帰らせれば良いんだから』」とアレクシアへと言った。
「そうねぇ、行きましょう」とアーリアが笑いかければ、クーアは唇を尖らせて「あの竜が火竜であれば嬉しかったのですけれど」と呟いた。
「他にも無数、飛んでいったようだな。アレは練達でも見られた『複数の竜種』か。忙しくなりそうだな……」
汰磨羈の呟きに『死を遠ざける』事の難しさを実感してマルクは静かに唇を噛んだ。
●大樹の竜域
神聖なる大霊樹ファルカウの上空に竜種の影が認められた。
その姿に見覚えがあった者も居るだろう。冬空のセフィロトに暴威を振り乱した巨大なる竜――『怪竜』ジャバーウォックが姿を現したのだ。
傍らにはふわりと浮かぶ精霊フロースの姿も見える。
「みて、ベルゼー」
つん、とコートを引かれた紳士の姿を珱・琉珂 (p3n000246)は見逃すことはなかった。
「……オジサマ?」
驚愕に見開かれた瞳は、男の姿だけを射る。
そうして、幾許かの時を経て男の元から戦場へと広がっていく複数の『誰か』の姿に声を震わせた。
「……ザビーネ……? アウラさん……? クワルさん……?」
男が琉珂の遊び相手として連れていた者達だ。正確な名前は知らない。
年頃が近いと『認識』していたアウラと呼んだ少女と、この場には姿は見えなかったクレスと名乗った少年は琉珂にとって初めての友達だった。
世話役のように傍に立っていたザビーネと、つんとした様子のクワルさんは琉珂にとっても話し相手ではあった。
……顔が少し怖くて関わることのなかったクリスさんは、どうしようもなかった。
それでも、彼女達が此処に居る『筈』がないのだ。何時だって、『オジサマ』が連れて来て何処かに帰って行く友人達。
「うそ」
唇を震わせる琉珂は信じられないと頭を振った。
ユウェル・ベルク(p3p010361)は「さとちょー?」と琉珂の顔色を伺った。
酷く、青褪めている。
彼が、彼女が、其処に居るならば。
それは『イレギュラーズ』の敵である事を表している。
Я・E・D(p3p009532)は「行っちゃダメ」と琉珂の手を握りしめる。
「オジサマ――!」
叫ぶ琉珂に男は――ベルゼーは笑った。
「ああ、琉珂じゃあないか。オジサマは止めなさい。刃が鈍りますぞ。
此度の進軍、誠におめでとう御座います。まさか、『森を焼く』とは。大樹もさぞ怒ることでしょうなあ。
改めて『前菜』の自己紹介でもしておきましょうぞ。
――『煉獄篇第六冠暴食』 ベルゼー・グラトニオス。
これから、貴殿等が相手にする事になる……なァに、ちょっとばかし強い腹ぺこオジサンですな」
ベルゼーが朗々と挨拶を行えばその盾となるようにジャバーウォックが飛来する。
白き閃光が森を焼く。吹雪の暴威を破った先に待ち受けていた竜はその爪でファルカウの幹を剔り嗤って見せた。
「よぉ、久しぶりだな!」
ブライアン・ブレイズ(p3p009563)の声に定は「二度とは会いたくなかったよね?」と軽口を叩く。
「準備は出来るか?」
「……心の準備っていうなら、今すぐ逃げる用意なら95%位はあるよ」
ブライアンに定は『練達の空を覆った黒き影』を思い出して震えた。
青年の顔をまじまじと見てからジャバーウォックの怒声が響き渡る。
――我が父には触れさせんぞ。貴様等……。
良くも、良くも、我が躯に傷を付けたな。あの日、あの事、忘れて居らぬぞ。
翼を広げ、叫ぶジャバーウォックの背後でくすくすと『精霊』が笑った。
「おこった!」
まるで子供の様に声を重ねたその精霊はぱちぱちと手を叩く。
感情の増幅。
感情の伝播。
その能力は大樹より広がって行く。
クラリーチェ・カヴァッツァ(p3p000236)は「精霊さま!」と叫んだ。
幾人かの魔種は『彼女に感化されたように』イレギュラーズへ向けて刃を構えていた。
- <タレイアの心臓>竜獄の大樹Lv:50以上完了
- GM名夏あかね
- 種別決戦
- 難易度VERYHARD
- 冒険終了日時2022年06月07日 21時30分
- 参加人数103/∞人
- 相談8日
- 参加費50RC
参加者 : 103 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(103人)
サポートNPC一覧(2人)
リプレイ
●『亜竜種』
――本当に幼い頃に、父が死んだ。母も一緒に。
ピュニシオンの森は恐ろしいところだと教えてくれたのはあの人だった。
草臥れたマントを羽織り、菓子を分けてくれたあの人は親を亡くしたばかりの私のためにと友人を紹介してくれた。
優しい人だった。
優しいからこそ、あまり郷には立ち寄らなかったことが今になってから分かる。
……そうだ。『郷で関わりすぎれば反転してしまう』のだ。
彼の正体にも気付かずに、大切な人だと感じていた私は。
彼の連れてきた友の本来の姿を知らない儘、全てを受け入れていた私は。
ひょっとして、郷を危険にさらしていたのだろうか――
「さとちょー」
愕然とした琉珂へとユウェルは声を掛けた。琉珂は『オジサマ』の話を良くしている。
彼女にとってオジサマは大切で大事な人なのだと言う。
琉珂はオジサマと呼んでいた男が冠位『暴食』と呼ばれる存在であるとは知らなかった。
「……ユウェル……」
「リュカ……」
鈴花は俯く琉珂へと寄り添った。琉珂の話す『オジサマ』は優しい人だった。
幼かった自分に郷の事を、竜種の恐ろしさを、生きていく方法を教えてくれた人。
「わ、私――」
「さとちょー、さとちょーにとってオジサマは大事な人なんでしょ?
それならちゃんとお話しなきゃダメだよ! さとちょー! わたしたちと一緒にオジサマのところへ行こう!」
「そうよ。何が何だかよく解んないけど、とにかくリュカをあのオジサマの所まで連れていって一発頬をぶん殴るわ」
行きましょうと手を差し伸べる鈴花とユウェルに琉珂は頷いた。
途惑いばかりだった。
各地の戦場に散らばった竜種達だって『友達だった』存在なのだから。
「何が何だか分からなくなってむしゃくしゃしてきて、もう、嫌になるくらい!
私を、いつだって腹ぺこで笑うと笑窪があって、困ると頬を掻く癖のあるオジサマの所へ連れてってくれる?」
ユウェルと鈴花は勿論と笑いかけた。その様子は、日常の一頁のように朗らかであった。
これが戦場でなければ、義弘とて微笑ましく眺めてやることが出来ただろう。
「……さて、冠位魔種のベルゼー・グラトニオスを撃退しなければならない。だが、珱・琉珂と奴は縁深い関係らしい。
まずは話をさせる為に、琉珂を守ってベルゼーに会わせなくては。その為の露払いをさせてもらおうか」
琉珂がベルゼーと対話をするためにはその道を切り拓いてやらねばならないか。
「『第六冠』、下から二番目、か。強欲(あね)や嫉妬(あに)より老け顔だ、な?
一つ聞く、が。アークが満たされた時、お前の愛しい覇竜の子らは、どうなる? 答えによっては、お前の為に、お前を討つ、が」
「気にしてるんですが、まあ、本当の『兄姉』という訳でもありますまい。
……ああ、そうですな。『護りたい』と応える事を望まれたのかも知れませんが――『そう言う生き物に』出来ておりませんでしてなあ」
からからと笑ったベルゼーにエクスマリアは表情を歪ませた。
オールドセブンに生まれたからには破滅へと導くだけの存在でしかない。
だが、彼の善性は『愛しい覇竜の子ら』を出来るだけ永き平穏に浸らせる事に注力されていた。
直ぐにでも覇竜を攻め立て、イレギュラーズと相成る前に襲わなかったのは彼が覇竜の子等を害したくなかったからに他ならない。
「そうか」
エクスマリアは呟いた。切り揃えた金色の髪が深き森の風に揺らぐ。
「なんじゃ、新参……ドラゴニアたちの知り合いか。複雑な事情がありそうじゃな。守護か滅亡か、決めるのは汝じゃよ、暴食」
竜種を引き連れた七罪ともなれば、数は少なくとも戦力とすれば全国家の人類が足並み揃えても対抗しえる者か定かではない。
竜種達を愛し、父とも慕われるベルゼーだ。彼がこの戦場から引かぬ限り、勝機はないかとウルファはベルゼーを眺めた。
「永き平穏を与え続けることはできましょうなあ。ですが――『この体で作られてしまった』以上、滅亡の跫音は避けられない。
少しでも、愛しい彼等が笑っていられるように……努力はしてきたつもりですが」
ベルゼーが一瞥する。指先でピンと何かを弾く仕草と共に周囲から飛来したのはワイバーンを模した影。
だが、権能を使用するごとにベルゼーは腹を擦る。暴食の魔種である事だけあって、力には何らかの代償が付き物なのか。
ウルファの魔砲が影を打ち払う。霧散し、空に漂う平穏を打ち払うようにまたもワイバーンの影が産み出された。
「話し合い前に戦うなんて良く無いし琉珂さんとベルゼーさんは家族みたいな物なんだよね? 家族は大事にしたい気持ちは良く分かるよ。
それなら満足するまでちゃんと話し合わないとね! その為の場は私が守ってしっかり作るよ!
――皆に創造神様の加護がありますように」
祈るようにそう告げたンクルスは琉珂に微笑みかけた。自身がいれば、傷付けさせることはない、と。
「私は不屈のシスターさんなので! 安心して構えてね。再生力を信じて節制すれば……というのは暴食の魔種に言うには酷かな?」
「ンクルスさん……有り難う」
琉珂は涙に潤んでいた瞳を指先で擦った。
本当にお人好しばかり。そう言いたくもなる様な、優しい人ばかりのイレギュラーズを傷付けても良いとする『オジサマ』が琉珂には何よりも許せない。
ンクルスの魂に刻まれた言葉が原初の祈り――ンクルスの願いとしてその身に宿った。どんな逆境だって鋼のシスターは屈することはない。
テネシティオブディヴァイン。道を切り拓いて、と彼女は仲間達へと声を掛ける。
「自らが慕う者の心を救う為に行動を起こす、その意気や好し。なれば私はその道を切り開く指標の旗となろう!」
ベルフラウは琉珂の表情を盗み見た。ベルゼーは琉珂にとっての良き理解者だったのだろう。
笑顔を溢れさせていた少女が宿した暗く悲しげな表情。それ一つでベルフラウは全てを察知する。
「征くぞ! 友の為、ゆかねばならぬ!」
旗を掲げ、ベルフラウは運命を捻じ伏せろと叫んだ。
「気に入らぬ運命を捻じ曲げて何が悪い、答えを求めて何が悪い! 決して折れるな、その先に道はある!」
暴食の元へ彼女の声を届けるのだ。その為ならば、ベルフラウは倒れることなどない。
「琉珂、顔をあげろ。卿の答えは卿自身が導き出すしかないのだ!」
「ベルフラウさん。私、オジサマを一発殴ってやってもいいかしら?」
突拍子もない申し出にベルフラウは笑った。それ位、してやった方が良い薬にもなるであろう。
ベルゼーへと続く道を塞ぐのは無数のワイバーンの影であった。義弘は腕力に鬼を、否、竜をも宿し止まらぬ勢いで怪物の如き一撃を放つ。
拳撃は大地を揺るがせ、ワイバーンを振り落とす。
圧倒的勢いで制圧を目指し、路を開く。全ては、対話のためである。
「どうして、亜竜種が此処に来てしまうんでしょうなあ」
――ぽつりとベルゼーが零したその刹那こそが、隙だ。此処だとエクスマリアは踏み込んだ。圧倒的な火力を放つ連続魔。
嗜虐的な追撃は、今は人の為にある。藍宝の眸は、攻撃をいなすベルゼーを睨め付け苛立ちを滲ませる。
「オジサマだって、どうして――!」
唇を噛んだ琉珂を支援するンクルスとベルフラウは彼女が問いかけたかった言葉の続きに気付いて居た。
どうして、此処に来たの。どうして、協力しているの。どうして、世界の敵なの。
言葉を打ち消すようにベルゼーの周囲から牙を剥きだした影のワイバーンが飛来した。
ウォリアはアヴァドン・リ・ヲンを構える。
全てに等しき苦しみを、死すら赦さぬ苦しみを。荒れ狂う焔となった空虚な鎧は雄弁に戦士としての心の深淵を語る。
「露払いは請け負った……特異運命座標としてオマエの道を切り拓く! 琉珂……存分に言いたい事を言って来い!」
ベルゼーを狙ったチェルナボーグ。戮神の放つ決別の一撃を受け止めたのはベルゼーではない。
その眼前へと飛び込み威嚇をするジャバーウォックか。
「邪魔立てを――」
――我らが道を害する愚か者め、恥を知れ!
ジャバーウォックの声が響き渡る。ベルゼーを護り、盾として動くジャバーウォックはそれ一個体でも強敵だ。
(背後の男を見てみろ。渇望、そして達観。眼差しの奥底は、オレには推し量れぬ。
軽い前菜の気分にも、此方は最初から全力を尽くすのみ。
今は退けるのが精一杯だとしても……必ずオマエという大敵を食らい……魔種を討ち倒し……オレは『最強』を目指す!)
ジャバーウォックも、ベルゼーも、ウォリアにとっては越えねばならぬ相手だ。その巨躯が邪魔立てしようとも、いつかは越えねば行けぬ相手だ。
「まあ、『子』に庇われて……なにか、消極的ですわね。
怠惰の七罪であればそういう性なのだと納得しますが、彼は暴食。
あの怪竜に父と慕われるのみならず、琉珂様とも何やら親交があったようですし、本人の容貌も一見すれば亜竜。
なにか、竜種・亜竜種に対する執着でもお有りなのかしら?」
くすりと笑った玉兎はするりと星の剣を引き抜いた。
「……『子』より先に、彼から討つべきかもしれませんわね。そんな調整めいた事、している余裕など微塵もありませんけど!」
どのみち『子』が庇うのならば好都合。全て、打ち払えば良いだけだ。
闇の如き影が落ちる。巨躯を翻し爪先で木々を傷付けるジャバーウォックの影の下であれど、天の光は耐えやしないと玉兎の剣は煌めいた。
冥闇満ちて絢爛に座す。夜天の覇者は此処に在り。放たれるは最大火力。
影を打ち払い、ジャバーウォックの『癒えきっては居ない肉体』に僅かな傷が刻み込まれる。
咆哮が響き渡る。ゲオルグは真っ直ぐにベルゼーとジャバーウォックを見据えた。
(琉珂の様子を見ると大分慕っていたようだし、冠位魔種ともなれば呼び声もかなり強力なはず。
覇竜領域の掌握なんてそれこそ簡単に終わるだろうに。
――そうしなかったのは……覇竜領域に生きる者達を愛してしまったからなんだろうか)
琉珂を見れば分かる。
彼女は覇竜領域でも特に大きな里の代表だ。古き一族に産まれ、早くに両親をなくした彼女に様々な教えを齎したのは彼であったらしい。
覇竜領域に生きる者を愛してしまった彼は、覇竜領域の掌握を為ずこの地へと遣ってきた。
その心を少しでも揺さぶることが出来れば、勝機は屹度、其処に見える。
「あんたが『イグニアス』って名付けた亜竜、琉珂さんはイグちゃんって呼んでたな」
飛呂の言葉にベルゼーの腕が僅かに止まる。僅かな動揺。全てを見通すその視座は、彼の動揺もしっかりと見据えていた。
狙撃銃を構え、狙いを定める。
冠位魔種だ。一撃でも穿てばそれが戦果だ。
飛呂は狙い澄ませる。ウォリアが、開いた先に不可避の狙撃を放つために。
「理由は知らねぇけどちゃんと話せよ――サヨナラしたいんなら、先に琉珂さんとしっかり親子喧嘩でもしろ!」
●竜獄の大樹I
「あれが冠位魔種……初めて見るな。
それにベルゼーさん、R.O.Oでは見たが混沌では暴食の冠位魔種だったなんてな。驚いた」
この場では姿を見ることのなかったフェザークレスにもよろしく伝えておいて欲しいな、と茶化すように笑ったイズマの声はベルゼーに届いたか。
「友人ですかな? 伝えておこうか」
ああ、その柔らかな声音に、態度はR.O.Oで見た『竜王』そのものではないか。イズマは何とも居心地の悪さを感じていた。
「――……けど、こっちも必死なんだ。
深緑をいきなりこんなにされて竜種にまで襲われて、大人しくやられるなんてできやしない!」
短期決戦でリソースを食い尽くされる前に攻め立てねばならない。ベルゼーが戦場から奪ったリソースを排出するように、影のワイバーンが襲い来る。
魔道武器を掻き鳴らすイズマはそれらへと鋭き一閃を放った。
「冠位魔種が 権能を おさえるだなんて……きっと 慈悲とかではなくて そうしなければ かれの目的が はたせないからなのでしょう。
であれば……ここで 食欲を そそってやれば、意識を ほかのかたではなくて 自制にむけなくてはならなくなるでしょう」
正しく『食べられる事』には慣れているノリアらしい判断だった。
決して食べられてしまいたいわけではないが、食材に適した体には特級天然海塩を振りかけて、つるんとしたゼラチン質の尻尾を揺らす。
\\\のれそれ///
「――ですの!」
ベルゼーの視線はまじまじとノリアを見た。ベルゼーは呆然とノリアを見た後、「こんな場面でなければ真っ先に食べたんだがなあ」とぼやく。
(ほ、ほんとうに食べられてしまいそうですの……!)
それがベルゼーの隙を作り出したのは確かだ。呆気にとられた冠位暴食は『意外にも心優しい』。
しかも、ノリアの考えたとおり彼の目的は手抜きをして亜竜種を傷付けないことだ。穏やかな彼の横面に一撃を噛ますくらいならチャンスがある。
(冠位魔種に竜種、精霊と魔種……とんでもない戦場だけど。
逃げずに、立ち向かわなきゃ。お兄ちゃんならきっとそうする。……集中して、恐れずに……)
一閃する。叩き込んだのは全身の力を雷撃に返還した一撃。
ばちりと腕に走った痛みはその力の反動か。メルナは地を踏み締める。身を捻り、不撓の精神を蒼炎と化し剣へと纏わせた。
「ッ――!」
「お嬢さん、あまり急ぎなさんな」
ベルゼーの指先がメルナの視界の真っ正面に存在した。
近い、と感じた刹那、無垢なる正義の焔を纏う剣が腕から滑り落ちる。足ががくりと震える。眠気が身を支配する。
「かの大樹を燃す機会とあらば……と言いたいところなのですが」
そんな羨ましい『焔』に魅入られないわけがないと言いたげなクーアに利香は「こら」と声を掛けた。
「むう」
「ま、私も言えた事じゃないかしら。野次馬根性には危険すぎるけどね……呼ばれたのなら。破滅が相手だろうと」
クーアがこの地に行くなら、利香だって駆け付けた。目の前の存在は『冠位魔種』と呼ばれる者なのだ。
ジャバーウォックがベルゼーを庇う。利香の目から見て、最初に離脱するのはジャバーウォックだ。後はベルゼーの心を揺さぶれば勝機は見えるはずである。
「竜王ベルゼー。自らの本懐を遂げるために、己の同胞を傷つけるのが怖いのであれば。
せめてその前に腹を割って話を付けてみたらどうなのです?
それすらも怖いのであれば……心の整理を付けるため、一度出直してくることをお勧めするのですよ。割と本気で」
クーアはベルゼーの放ったワイバーンの影に行方を遮られながらも、一呼吸の内に跳躍、追撃を行った。
業火の如き恋と終焉の『劇薬』はベルゼーへと迫る。激情は言葉となって、帰還を促した。
「いやいや……語ることもありませんからなあ」
「なら」
クーアの背後から飛び出したのは利香だった。防御の構えから飛び上がり、雷の魔力を帯びた魔剣は――夢の支配者の魔鞭は、鋭く影を打ち倒す。
「敢えて問いましょう、何故手を抜くのです? パンドラの権能のない今見せかけでも冠位と戦いになる筈がありません。
共喰いを恐れているのですか? 怠惰との……あるいは、何か別、大切な存在との」
「いいやいいや、そんなに」
「……私は戦いの手を抜けません、暴食の炎にみすみす彼女を食わせるつもりはないのですよ。
ですが貴方は……せいぜい一度自分の意志に自分で決着をつけるんですね!」
焔に魅入られた彼女を取られて堪るかと利香は苛立ちを滲ませた。
冠位魔種があからさまに手を抜いているのは可能性(パンドラ)を大きく傾ける事がイレギュラーズにはないからだろうか。
ベルゼー・グラトニオスは敢えて手を抜いて、敢えて、そうして戦っているのだ。
……まるで、只の時間稼ぎですとも言いたげな顔をして。
「冠位魔種が1人、暴食のベルゼー・グラトニオス、はじめましてだな。
いきなりで悪いがお前が後悔しない為にも……"お話"に付き合って貰おうか?」
「琉珂の事ですかな? こうなった以上は……もう話すことはないでしょう。
そもそもにおいて生きる場所が違いますからな。琉珂と必要以上に関わり続ければ、彼女をも変質させてしまう」
プラックは唇を噛んだ。それは、可能性として何時も頭に過っていたことだ。
相手は冠位魔種だ。出来る限り意識して呼び声を抑えようと彼が考えようと、戦場では影響が大きくなる可能性もある。
オジサマと慕う琉珂を出来るだけ前に連れて行ってやりたい気持ちと、彼女が影響を受けた場合を大きく天秤に懸ける事となった。
「くそッ――琉珂さん。ギリギリを見極めるぜ」
プラックは、少しでも彼女が話しかけられるように。その際を見極める。
「わたしは、わたしの、できること、を……! みなさまを、支えるお手伝い……やり遂げてみせ、ます」
震える脚に力を込めて、ファミリアーの小鳥で戦場を俯瞰していたメイメイはタクトを揺らがせた。
恐ろしいことばかり。例え、冠位魔種が力を抜いているとしても、太刀打ちできないのは確かだ。何せ、ここには竜種もいる。
「めぇ……」
「――――」
ナハトラーベは人間とは何と矮小なる存在かと感じていた。大食らいの少女は唐揚げを囓りながらも戦場を走る。
夢の牢獄は恐ろしい場所だろうか。だが、その場で倒れていれば直ぐに命を失ってしまう。
仲間達が膝をつくならばナハトラーベは直ぐにでもその身を回収した。権能の及ばぬ範囲へと、その体を保護するように。
「練達だけじゃなくて深緑にも竜が現れるなんて……少しでも多くの人たちを生きて帰せるよう尽力しなきゃね」
仲間達との回復支援を行ってチャロロは「月原さんもよろしくね!」と声を掛けた。亮は緊張を滲ませながら頷く。
「チャロロさんも気をつけて。庇うのは大変だろうから……何かあれば俺も直ぐに」
「有り難う! 頼りにするぜ!」
癒やし手を長く戦場に留めるために、チャロロはベルゼーへと向けて攻撃を重ねじりじりと、接近を行う仲間達を支える道を選んだ。
「はぁ……出たよ魔種が……
しかも勝手にHPAP盗ってくしさぁ……なんであたいら若者の資源で年寄りを支えなきゃいけないのさ……?
魔種でコソ泥で老害とかトリプル満貫ギルティなんだよねぇ……何が暴食だ老人ホームで宅食でも食べてろだよぉ……」
苛立ったよう呟いたリリーは攻撃に集中してバールを投げていた。それこそニートの誇りである。
攻撃の手は止めず、影目掛けて投げ続ける。自身のリソースを喰らい尽くされる『ギルティ』な出来事をそう簡単には許せるわけがない。
「空腹は人を苛立たせますが、度を超えた飢餓は逆にやる気を削ぐそうですね。暴食の権化は、どちらを感じていますか?
……いっそ自らも同じに、などと思わないでください。誰かを大切に思うならば」
「腹が減っては戦は出来ませんからなあ。飢餓が『この身をずっと離さないからこそ』斯うしてここで食事をしているわけですよ」
ベルゼーにエステルは「そう」と呟いた。練達の時も竜種は壮大で、神々しかった。
しかし、彼等を率いるベルゼーは禍々しい一方で優しい。優しすぎると感じてしまう程に。
ベルゼーへの道を進むイレギュラーズを支援し、飛ぶ斬撃を放ったエステルは「優しいのに、分かり合えないのですね」と囁いた。
「暴食に、怠惰に、ザントマンに、竜種に……いくらなんでも幻想種に降りかかる災難は度が過ぎてるわね? そこまでされる謂れもないでしょうに」
全く以て、災難も過ぎるとシャルロットは紅い刀身の剣を引き抜いた。
ベルゼーへと向け至近に飛び込む。影を切り裂いたのは逃さじの殺人剣。続き、直死の一撃が紅色の波動となって産み出される。
「いやはや、大変ですなあ」
「他人事ね?」
「まあ、『お手伝いオジサンですからなあ』」
「なら会話が出来る程度には温厚そうな暴食の大魔種よ、良ければもっとおしゃべりに興じてくれないかしら?」
ベルゼーは「構いませんが」と言いながらも指先をぱちりと鳴らした。対話をしている時間で己のリソースが削られる。
温厚な見た目に騙されては仕舞わぬ様にシャルロットは更にもう一閃、剣を振り上げた。
「やれやれ、深緑を解放しなければいけないって時に、冠位魔種の相手をしなければいけないなんてね。
でも、なんだろう……報告書にあった他の冠位魔種に比べると権能の効果とかが低い気がするね」
手を抜いているならば本気を出される前に退場して貰わねばならないか。零時は前線へ飛び込んだシャルロットの回復を担う。
治癒は体内で練り上げた気を放出する気功術だ。彼は生命を躍動させ、その身のうちから全てを沸き立たせることに注力した。
わざわざ深緑くんだりまで飛び出してきたのだ。覇竜の『冠位魔種』にも訳ありだ。その事情を出来る限り汲んだ上で早急に撤退して貰わねばならないか。
「七罪が一人、暴食の冠位魔種。旅人として召喚されたからには会って見たかったぜ。
だが、今回は他にもお客様がいるみたいだな――事情は知らんが必要とあらば送り届けよう、俺たちも前菜だが胸焼けは起こすなよ?」
唇を吊り上げて、琉珂を送り届ける為に錬は全力で戦う道を選んだ。
「センチメンタルな気分になってるところ悪いが依頼なんでな、今の俺たちが冠位にどれだけ届くか確かめさせてもらうぞ!」
符で作成した剣は鈍い色彩を帯びる。真銀の刀を鍛造し、煌めき刃文を揺らがせた。
「冠位に何れだけ、ですかな――さて……生憎、竜付きなものでして」
ベルゼーが肩を竦めれば、錬は自身の肉体から『リソース』が抜け落ちる感覚を覚えた。
符の色彩が僅かに変容する。それが彼の抑えた権能の一つか。そうして、権能を喰らい己のものにしているというならば脅威だ。
だが、それを抑えているならば――少しでも良い。剣が届けば。
その視界に巨大な影が落ちる。
「おんやまあ、暴食の冠位? くっふふー、これは一目見ておかねばねえ?
まさに死線でごぜーますな。おお、怖い怖い。でもね、わっちらの事、舐めてかかっておりはしいせんか?
強欲に嫉妬の冠位――彼女らがどうなったか。存じ上げない訳がありいせんで。
1人どころか2人も倒されれば、それだけの実力があったという事……押し切らせていただきんす」
「ははあ。それでも構いませんがなあ……『こちらは冠位が二人』揃っていることも忘れてはなりませんぞ。挙げ句、竜と来た」
ベルゼーの言葉にジャバーウォックが天から牙を覗かせる。エマの言葉に返すように男は肩を竦めたのだろう。
――小さきモノよ。竜とは矮小なる貴様等と生物として違うのだ。
●竜獄の大樹II
「燃えてきたよ! こっちをムシケラだとか思って軽く見てるデカブツに目にモノ見せてやろう!」
ジャバーウォックの尾を狙う。イグナートは肉体を鋼の如く硬くする気功術で集中を高め続ける。
竜の尾を落すが如き戦果が欲しい。相手は暴食魔種を庇いながらイレギュラーズを相手しているのだ。
『随分と、舐められている』とイグナートが感じたのは無理もない。
――虫螻同然ではあるまいか。矮小なる貴様と竜種(ドラゴン)は違うのだ。
「でも、矮小なる存在に世話をされることは嫌いではないでしょう?」
エルシアは人類は敵などではなく不快な羽虫なのだろうと感じていた。あの大きな鱗にワックスを掛けながら、言葉を掛けてやりたかった。
(――貴方ほどの方がこんな場所にいてはいけない、あちらのおじさまの事を想うならあの方も一緒に連れて帰って差し上げて)
そう囁きかける事は無駄ではないはずだ。故郷を護る覚悟を持って、足下へと近付いていくのだ。
奉仕する対象として認識されていても構わない。拐かされようともこの地を護る為だと思えばお安いご用である。
エルシアが見上げるジャバーウォックは以前のように簡単に鱗に触れさせてはくれなかった。それは、その鱗が傷つき、未だ傷が癒えていないという事なのだろう。
「はじめましてだな、ジャバーウォック。
少しばかりお前には恨みがある。逆恨みかもしれないが……トカゲ様の無駄にデカい図体で寛大に受け止めてくれ」
竜真は静かに息を吐いた。『以前』の傷を負った時――エルシアがその身を美しくしてやろうと考えた『以前の戦い』のことである――竜真にとってジャバーウォックは許せない存在になった。
「俺は怒ってるんだ。……お前を討ち倒して乗り越えなきゃ、前に進めない。誰かを守る英雄の剣じゃない。オレの剣で、貴様を」
練達を襲った。あの都市には大切な人たちがいた。彼等はジャバーウォックに抗う力を持たない。
正しく、竜が言う『矮小な存在』であったのかもしれない。だが――だからといって虐げられる事を赦しておけるものか。
竜真が地を蹴った。剣に乗せた果敢な一閃は聖光を纏う。
「幻想種はね、森を荒らすものを許さないんだよ。勿論、竜が相手でもそれは変わらないって事……思い知って貰うんだからね!」
練達の空とは大きく違う、深き森。クルルは仲間達と共にジャバーウォックの元へと踊り出す。
何処だ。エルシアが触れようとして拒絶された場所に古傷があるはずだ。
クルルは目をこらした。目、体の内側、傷跡。竜の逆鱗。ジャバーウォックがブレスを放たんとする予備動作全てを確認し続ける。
「こっちだよ、竜!」
構えたファルカウの小枝より作られた長弓を引き絞る。
「ヤバいのとヤバいのが一緒に向かって来るなんて悪夢も良い所――だけど、そんなのはいつもの事! 好き勝手させる訳には行かないし、ご退場願わなきゃだね……!」
ヤバいとヤバいが合わさっても代わらない。骨が折れそうだと嘆く暇もない。ベルゼーの盾になり古傷を引き摺るならば、その予知さえ与えないほどに苛烈に攻めるだけだ。
竜の逆鱗は何処か。怪竜と呼ばれたその存在だ。知識を束ねても、難しいことは多いか。
「――弱点を見つける、なんて余裕はないかもだけど攻撃の予兆は確実に読み取ろう。任せて!」
「ああ。其れまでの盾は、」
自身の役目だとエイヴァンはどすりと大盾を降ろした。観察眼を駆使するカインは『マルチディヴィジョン』の特異術式を身に降ろす。
エイヴァンがジェイクを庇う役目を担いながら、クルルと共に前線へと走るその背をレイチェルは確認した。
(さァ、勝負だ)
唇より吸血種の牙が毀れた。レイチェルの前、生き抜くために事故対車を活性化するエイヴァンは海洋技術工房で作られた凍波の大盾を振り上げる。
「爪だ!」
「流石は手負いの獣だな――手負いだからこそ油断ならねえ。忘れるな、獣は手負いの方が怖いのさ」
死が間近にあれば、其れだけ敵は苛烈になる。ジェイクはジャバーウォックとベルゼーを引き離すため、大型銃より弾丸を放った。
ジャバーウォックを掠めた弾丸はその鱗に傷を付ける。黒曜の鱗はばちん、と音を立て脆く毀れた。
――貴様ァッ!
「……来るぞ!」
エイヴァンが声を荒げる。ジェイクは再度銃を構え直した。妻との誓いがある、そして何よりも家で待つ娘のために帰るという決心が揺るぐことはない。
此処で死ぬわけがない――手負いとなるならばお互い様だ。『此方とて、傷を負えば』何度でも牙を突き立てる用意は出来ている。
「借りを返しに来たぜ、ジャバーウォック。皆の痛み──倍返しだ、ぶっ飛べ!!!」
叫ぶ声が響いた。竜はベルゼーの元に行かせやしない。レイチェルは己の術式のリミッターを解除する。
魔力の奔流が迸ると同時に背には片翼が生えた。無慈悲な暴力を許せるわけもない。
レイチェルが使用する金術は運命の歪曲。太陽天の徒・ジョアンナの力を借りた魔術は、死をも拒絶する。
「ッ、根競べだ、デカブツ!」
レイチェルの美貌が歪んだ。
緋色の術式に、蒼き祝福が侵蝕する。前へ、前へと進むように魂に刻まれた宿命をおんなは放った。
――我が鱗に傷を付けた愚か者め!
「愚か者? 気に入らねえ、馬鹿でかい図体して親父にべったりってか?
その似合わない盾、やめさせてやりたくなるな。見せてもらうぜ、ジャバーウォック。絶対強者ヅラしたテメェの意気地がどんなもんなのか」
虫螻と呼び、たった少しの『掠り傷』で喚く相手だ。高道に言わせれば殴られ、骨をへし折られた自身の鍛錬の方がずっと上である。
翼の付け根周囲の傷を狙えば良い。ベルゼーを庇うならば、庇わせて遣っても構わない。
(ミー達から意識が離れたときがチャンスだ! ベルゼーを狙うヤツらの邪魔をしに行った時、その横面をぶん殴る!)
盾を遣るならば飛び回れない。ベルゼーが地に立っているならば、ジャバーウォックとて大地に降り立つ可能性があるのだ。
その翼を狙い全体重を乗せたフックを叩き込み続ける。嵐の如き打撃を叩き込み続ける貴道にカインが「後ろに!」と声を掛けた。
「ブレス……!」
シルキィが声を上げ、リサはブレスから身を隠すように一度森の木々の裏へと身を投じる。
森をも焼き払うその光撃。酷い、とクルルが苦しげに呟く声を聞きながらシルキィはシルククロースの裾をぎゅと握りしめた。
(護りたい者が沢山在るんだから……わたし達は勝つんだよぉ、もう一度!)
シルキィの癒やしの魔力糸がエイヴァンへの傷口を包み込む。天蚕癒糸は、直接的にその傷に癒やしの魔術を流し込み傷を縫合して行く。
「みんなで頑張ろうねぇ……!」
「よーし! ハッハーまたお会いしたっすねこのデカブツがぁ! 練達を滅茶苦茶にしやがってこの野郎がぁ!
撃退なんて言わず、今度こそブチ落としてやるから覚悟しておけっす!」
びしりと指差したリサは恨み骨髄不退転の覚悟で攻撃へと飛び込んだ。翼を狙う。空中へなど二度と向かわせるものか。
ブレスで命を散らすほど愚かな真似はしない。リサの鋼の驟雨は改造に改造を重ね続けて完成させた魔導蒸気機関搭載巨大火砲より放たれる。
「空中に行かせるつもりは毛頭も無ぇ!」
それだけの覚悟がリサにあるのだ。支えて見せようと昼顔はひゅう、と息を吐き出した。ライラックから抽出された薬が、生きる事への執着を思い出させてくれる。
(……本当、危険な所だから来たくはなかったけど、此処には僕が知っている人がいる。彼らが死ぬのも。何かが起きるのも僕は嫌だ)
生きていて欲しいと言ってくれた人が居る。『あたしの人生の責任』と言われてしまえば笑うしかない。でも、そうだ。
セチアにとって頼れるのは自分だけなのだから。死ねない――「誰も死なせない。その為に僕は此処に来たんだ」
昼顔は聖霊の傍らで癒やしの言葉を届け続ける。術式を編み、火風を放つ。嘗て、空を飛ぶはじめてを与えてくれたその鳥のように。
「死ぬには今は未練がちょっと多すぎる。だから死ぬ気で頑張るよ」
「ああ、『此処で誰一人死なせねぇよ』
お前らのせいで診療所は開けられねぇじゃねぇか、患者が待ってるってのによ。
……それだけじゃねぇ、此処には親父の墓があんだよ。絶対に許さねぇからな」
苛立ちながらも杖に白衣を結びつけて簡易的な旗とした聖霊は陣を張る。昼顔と帳との協力で一人でも多くの仲間をジャバーウォックの眼前へと届ける為に。
「みんなの痛みはぼくらが治す。だれも倒れさせはしないのさ!」
帳は前線で拳を叩き込み続ける貴道を支援した。リサの怒りも、皆が感じた苛立ちも痛いほどに分かる。
(……これが練達を襲った竜か。それに冠位の魔種までくるなんて絶望にもほどがあるよね。
それでもね、誰かが死ぬなんてゴメンなんだ! たとえ微力でも全身全霊支えて見せるよ!)
何が冠位魔種だ。何が絶望だ。目の前で誰かが死ぬ方が十分に怖いではないか――!
「いや~コワイコワイ流石は竜種といったところだね……帰りたくなってきたよ」
そう言いながらも、ラムダは魔導機刃『無明世界』を構えた。
――起きろ無明世界! 狂い咲け剣禅一如『彼岸花』!
何れだけ恐ろしかろうとも。一気呵成乾坤一擲の一手を打つべく仲間達と共に遊撃を行えば良い。
ジャバーウォックの傷口にゼロ距離で叩き込んだ魔力の斬撃は掌に確かな感触を与え、ラムダの身を弾いた。
「ッ、硬い――!」
その体を受け止めて、更に走り出すのはブランシュ。
「竜よ。その大きく勇ましい翼よ。これで、終わらせる」
相手が何であろうと、エルフレームの魂が呼んでいる――魔種を打ち砕けと。私は対魔種決戦用機体エルフレームtypeSIN。
ブランシュのエルフレーム・リフルクロスは防御力には割り振っていなかった。
死なば諸共。その勢いで相手を破壊することだけに特化する。レッグアンカーで自身を地面に固定する。強化腕部パーツががしゃんと音を立てた。
「練達の分まで、ケリをつけるですよ! ジャバヴォック!」
放たれたのは神速の一撃。衝撃波が産み出され、竜の傷口に塩を塗り込むかの如く。
「セッカク御伽噺にも出て来るドラゴンに逢えたって言うのに目も合わせてもらえないなんて切ないね! 振り向かせてやらなきゃ!」
奇跡をも願った。だが、それが易いことではないとイグナートとて知っている。
竜殺しの一撃を。
たった、その一撃を届けるだけで良い。
――何だ、貴様は。
「貴様? 『竜殺し』をしに来た鉄帝の闘士、もしくはイレギュラーズって呼んで貰おうかな!」
イグナートは唇を吊り上げた。死地を乗り越え、鉄騎の拳は只、その尾をへし折るように打ち付けられた。
●竜獄の大樹III
「……仕事だ。私は私の出来る事をする。例え相手が龍であろうと、冠位魔種であろうと。
――削って、喰らいついて……そして、成功への突破口を開く。行くぞ!」
ベルゼーが何れだけ頑丈であろうとも、ジャバーウォックが『庇いに』やってこようとも、小細工を仕掛ければ得るものもある筈だ。
ルクトは狙い定める。蒼穹より狙いうがち放つのはMulti-Explpsive Bullet Launcher。
炎と有毒ガスが展開する。ベルゼーは「ふむ」と呟いた。
彼の側からすれば『リソース』を削ろうとも、数が多いのは確かだ。確かに、頑丈であろうとも細工を施されれば痛みと化す。
「いやはや、しぶといものですなあ。流石にベアトリーチェとアルバニアがやられるだけはありますか」
「お褒めの言葉を頂けたのなら有り難いものだな。冠位魔種……話に聞くのは2度目で、お目にかかるのは初めてか。
今のボクのリソースで打倒せるとは最初から信じちゃいないが――
ここで爪痕の一つでも残せる存在でなければ、ボクはこの身を縛る魔性から債権を取り戻すことはできないだろう。
勝負だ暴食。可食部は少ないが食いでがあるところを見せてやろうじゃないか」
「『歯ごたえ』も重視してますからなあ」
ベルゼーを睨め付けたセレマの契約の指輪は光り輝いた。オフラハティは苦痛を遠ざけ、代償として命を蝕んだ。
喰われることにはある意味慣れている。吸血鬼手尾フィールの愛憎さえも、心の臓を焦がすようにじわりじわりと広がるのだから。
劇的な一撃に、振り上げたスウィンバーンの契約は勝機と共に影を作り出す。
「召喚術ですかな? これは見事」
「ああ、そちらもお褒め頂き有り難う」
喰われる前に一撃を投ずる。重ねた攻撃が冠位魔種の『首』をも収奪する機会を狙うが為に。
「暴食の方、琉珂ちゃんの大切な方なんですって?
でしたらお手伝いしないといけませんね……魔種とお姉さん達は相容れません。ですがお話はしたいでしょう……」
悲しげに目を細めてから斬華は振り袖を揺らがせて、巨大な大太刀を振り上げた。
「くっびー♪ くっびー♪ おおきなくっび~♪ 斬華流麗で綺麗に首を刈りましょうね♪」
るんるんと謳うような声音は弾む。琉珂がベルゼーと対話できるように、そして――『目の前にジャバーウォックが飛び込んできた』とて首が増えて喜ぶだけだ。
己の身を修復し、地を蹴った。複数技能を十全に扱えば『首』を狙う足は淀まない。
「竜種たちには練達でも手を焼かされた……できることならここであの怪竜は仕留め切るのが最善だろうけど、どうなるかな。
――仕留められなくても、暫く表舞台には出て来られない様に痛打を与えておきたいね」
竜に冠位、魔種に精霊。リウィルディアは冷たき霊刀を握りしめ「大盤振る舞いだな」と呟いた。
「この戦場では、継続して戦う事さえ辛いでしょう。冠位がリソースを『喰う』となれば……」
鹿ノ子が呟けば、リウィルディアは小さく頷くだけだ。回復に気を配り、十全に仲間を支え続ける。
此処で誰も喪わぬようにと、各地に気を配ることこそが回復部隊の在り方だ。
(祈りを、幸運を、少しでも多くの奇跡を起こせるように――)
鹿ノ子は護衛を必要としない。直ぐにでも己が敵を翻弄するだけの剣術は身に着けた。リウィルディアとて自身の駆使できる戦略と統率能力で戦場を統べることが出来る。
「相変わらず大きいなあ」
見上げたアンジュの傍でみるくが唇を噛んだ。パーシャは身震いを一つ、サモナーズ・タクトを振り『召剣』を行う。
「また、戦うんですね……この強大な相手と」
此処で立ち止まったら、また多くの人の笑顔が失われるのだ。隣の、みるくが苦しげであるように。
「ジャバーウォック……! あたしの故郷をめちゃくちゃにしといて、またノコノコやって来るなんてね。
面が厚いったら! いいわ、今度こそあたしたち──イレギュラーズに歯向かえないようにしてあげる!」
みるくが底冷えするほどに美しい刃を引き抜いた。全てを見通し、そして己に物理攻撃を遮断するシールドを張る。
相手は手負い、しかも何に変えてもベルゼーを護ると来た。
「ッ、ここで斃すよ」
「……うん! だからお願い、私達に力を貸して――! 召剣、ウルサマヨル!!」
みるくに頷いて、パーシャは七星剣・セプテントリオンの一振りをみるくへと追従させた。彼女の動きをサポートし、そして戦い易いように。
続き、灼星剣・グロースベアがみるくの周囲に熱風を巻き起こした。反撃の好機を強引に奪うための一助。
二人の様子を眺めてから、地をとん、とんと蹴ったアンジュは前線へ飛び込むみるくへといわしの群れの祝福で包み込む。
数百万にも及ぶパパの群れと共に、いわしプリンセスはやってきた。友達の故郷を荒らし回った愚か者を叱る為に。
「お前、庇うんだ」
――……何が云いたいのだ、矮小なる者よ
「矮小かあ。そうかも。いわしって小さいし。
……身体とプライドだけは大きいだけの調子にのったやつだと思ってたけど、謝るよ。ごめんね。
あのさ。お前がボロボロの身体だろうとあのおじさんを守りたいと思う気持ちと。
アンジュがいわしを、みんなを、この場所を、この世界を守りたいと思う気持ち――何が違うの?」
アンジュはジャバーウォックをその眸で射る。
「海で生きるいわし一匹一匹にも命はあって、山のように大きいジャバーウォック、お前にも命がある。
身体の大小はあれど、その命の大きさはどれも同じ。大事な命じゃん!」
ベルゼーを護りたいと、彼が言うならばその気持ちはアンジュは否定しない。ただ、矮小なる羽虫程度に扱われることは気分は良くないのだ。
――種の在り方が違うであろう。貴様等とて、虫螻を殺す事もあろう! 我ら竜にとって『貴様』は食事だ。
家畜を殺す事と何ら変わりなかろう。命のステージが違うのだ。価値観を共有せよと言うならば、片腹痛いわ。
(やはり腑に落ちない。ジャバーウォックはこう言った。『奴』は覇竜には手を出さぬ。
……それだけか? たったそれだけのことであんな傷を負いながら異種族を庇うのか?
何が来ようが己の力で捻じ伏せる。他の命は全て等しく虫けらのように価値を感じない。それが竜種ってやつじゃないのか?)
シラスはジャバーウォックを見遣った。世界に迫った滅びに対して決定的に情報が不足しているのかもしれない。
「随分と良いザマじゃねえか、そんなになってまであの魔種を庇うのか?
覇竜から滅びを遠ざけるのに奴の力が頼りってわけか? 怪竜ジャバーウォックが聞いて呆れるぜ」
――我らが領域は決して滅びには抗えぬ。世には序列があるのだ、虫螻よ。
このジャバーウォックはアウラスカルトの様に無垢な竜ではない。
少なくとも原初の魔種(オールドセブン)が齎す滅びに諦観を懐いて居るのは確かよ!
ならば、その道中まで何を好ましく思おうと我らが勝手。このジャバーウォックは『父』を気に入って居るのだ。
「お父様のため? その粋や良し! ああ、ああ――ジャバァァァアウオックッッッ!!!
うふ、うふふ! 素敵で「素敵」で『素敵』なドラゴンさん、どうかワタクシにその天より高い鼻っ柱を折らせてくださいまし!」
心躍らせシャルロッテは飛び込んだ。恨みに憎しみ以上に、彼女は強敵と出会えたこと全てに感謝をしている。
勝ちたい。死ぬまで、戦いたい。勝ちたい。死ぬまで、踊り続けるように。
ああ、なんと幸福か。
シャルロッテがジャバーウォックの視界へと飛び込んだ。
視界を覆った鮮やかなブラウンの髪。揺らぎ、そして、その拳を弾いた爪の先にがちんと音が叩きつけられる。
にゃあと聞いたら既に遅い。雷轟重は蝕み埜術を叩き込む。
「例え小さな虫けらの毒でも死に至る事だってあるんすよ……これは練達の皆の分! 喰らえデカブツ!」
無黒は靱やかに駆けた。牙を剥きだし、食らい付くように。
「――泥人形の身体だからこそ出来ることがある。怪竜にはわからんだろうがな。それぞれの得意を出して戦うのが『俺たち』だ」
マッダラーは「任せろ」と言った。背後には定とブライアンがいる。
彼等の一撃を投じてやれば良い。一度合ったならば二度目くらい容易いことだ。何としてでも維持を駆けて庇いきる。
「……かわいい生徒が男を見せるんだもの。あの子の先生として頑張らなきゃ、イイ女が廃るわ」
くすりと笑ったアーリアはジャバーウォックの行く手を阻む。ベルゼーを庇いたいというならば『そうしようとした隙』だけ作らせれば良い。
ジャバーウォックがベルゼーを庇ったならば多重に傷を負わせ離脱させれば良いだけだ。
魔女の気まぐれはたっぷりのおまじないを込められ。失敗なんて何処にもない。瞬き一つで黄金色に煌めく眸は毒の運命を嘲笑う。
「目を逸らさないで頂戴? そこまでウブじゃないでしょう。
一度逃れても二度目に注意よ。しつこい女は嫌いかしら?」
香る蜂蜜種の如く、決して離れはせぬ恍惚の運命がアーリアの瞳で笑う。
「かっ飛ばして行きますですよ。今日のぼくは強気だ。だって怖気付いてなどられないでは御座いませんか!」
「心の臓が抜かれようが、身が砕かれようが私が護りぬきます、だから安心して前に進んでください――その生命は、ボクが護ります」
ヴィクトールさまと未散は笑った。練達の人々の心の疵は癒えてやしない。
竜への畏怖、竜への疎み。
相容れぬ存在だ。ヴィクトールが皆を庇う盾となるならば、未散は皆のための剣となろう。
真っ正面から殴り合ったならば、どちらかが折れるしかないのだ。
「ヴィクトールさま、怖くはありませんか?」
「ええ。怖いなど、あるものですか。巨大な黒い影の下であろうとも、手足を動かすことは出来ましょう」
それに――ふたりぽっちではないのだ。
ふたりが、タイムを庇い『出来る限りの時間を戦うように』と気を配る様に。タイムとて戦場に立っていた。
怖い。
ジャバーウォックとの初めての出会いは隣にはフランが居た。二人で支え合って、頑張ったと笑い合った。
(――でも、弱音は吐かないわ。弱音なんて、此処には必要ない者。胸を張って『やったよ』と伝えたいもの)
シルキィ達と足並みを揃える。癒やし手として、この戦場を支える為に。
「任せていてね」
「ええ、お任せ致しましょう」
ヴィクトールが朗々と応えれば未散は「前へ、前へ!」と号令を掛けるように前線を指し示す。
前へ――進む足は縺れやしない。
「頑張りましょうね! 鬼灯くん!」
美しき紫苑の魔女が教え子のためだと彼の背を押していた。ならば鬼灯とて『同僚』の願いを無碍には出来まい。
共に笑った麗しの章姫。優しい声は少しの緊張。
「竜さんめっ、なのだわ!」
「とっとと、おかえり願おうか」
拗ねたような彼女がこの森を傷つけられることを怒っている。
――雪を待つのは次縹の月。心凍てつくは狩人の月。
糸を束ね、狙撃銃へと変化させた。標的はジャバーウォック。その翼の付け根、鱗の禿げた生々しい肉体への一撃を。
「ジョー。落ち着いていこう。お前さんならやれる。俺はお前さんを信じてるし、あの時のことは生涯忘れん。今回も皆付いてる。またやっちまおうぜ!」
天川が定の肩をばしりと叩いた。浅く、定は「は、は、は」と笑みを滲ませる。
仕留めるつもりで行くとジャバーウォックを睨め付けた天川が小太刀を握りしめた。
敵を切り伏せるための無慈悲なる一撃。復讐者としての矜持を胸にした男は只、定が戦いやすいようにと気を配る。
「アイツは僕の顔なんて覚えてないだろう。畜生ふざけやがって。お前のせいでなじみさんと喧嘩したんだぞ!」
「はは、そりゃアイツも悪い奴だな」
「アーリアせんせにだって呆れられた!」
「でも仲直りしたでしょう?」
天川とアーリアの声に、定はすう、と息を吐いた。あの時とは違う。『僕』は『僕の意思』で此処に来た。
やれることを、やるだけだった。協力してくれと声を掛ければ皆が来てくれたのだ。
「恩人が傷つくのは怖いですよね。家族のために戦うとは、何も知らず悪者扱いしてました。ごめんなさい。
……しかしわたしはあなたの敵、あなたと同じく大切な人を護るために立つ者。同情で引き下がれはしません」
澄恋は『理想の近似解』をその身に宿す。
「――前と同じなら目を潰せば、帰ってもらえるのでしたよね。ならばあなたの目を潰します。この意味がわかりますね?」
――面白い!
「おっと……アブねぇ!」
ブレスの余波――澄恋の前へと飛び込んだ英司はジャバーウォックの後ろでのんびりと構えている冠位魔種を睨め付ける。
「これはダンディーなおじさまだ。和やかにティータイムと洒落込みたいトコなんだがね。
ドラゴンステーキのバイキングがお好みかい? なぁに、丁度焚き火もあるもんで――アンタ、もう言い訳はついたろ。帰っちまえよ」
「そうですなあ。ジャバーウォックの焚き火で焼かれるのを見るのも忍びないですしなあ」
そう言いながら彼は動かないか。ベルゼーを睨め付けながら英司は澄恋に「気をつけていって来い」と声を掛けた。
「ええ、ええ。それでは巨竜の貴方。
どうぞ我々の存在を恐れ、忌み嫌い、恨んでください、此処を退いた後も死ぬまで……――否、死んだ後も、ずっと。
せめて悔いの残らぬよう、命を燃やし。足掻いてください。わたしたちだって、絶対に負けたりなんかしないので」
絶対に負けないという澄恋を死なぬ様にと庇う英司が其処には立っている。
ジャバーウォックがそうするように、誰かがそうやって『命を守る』のだ。
「また会いましたねジャバ―ウォック。私が裂いた腹の傷、もう治りましたか?」
ボディはとん、とん、と地を蹴った。竜種だろうが関係ない。戦うならば、戦うだけだ。
エゴの刃が切り裂いた腹の傷はさぞ痛むだろう。これだけの巨体だ。治癒力に優れた竜でないならば、少なくとも未だ未だ痛む。
(あの時は、逃げられた。手を伸ばすことしか出来なかった――今度は逃がさない。
深々と、その身に刻み込んでやる。お前の怒りより強い、私たちの意志を)
ボディは地を蹴った。竜を封ずる。其れだけが目的だ。凡百は理解さえも及ばぬ事だろう。
ならば、とくと見るが良い。
お前は、ここで止まっていけ――!
ブライアンが手を伸ばす。だからこそ、マッダラーは彼を庇った。
こんな体だからこそ、得られるものがあった!
手を届かせる者を守り切ることこそが、維持だ。
泥人形だからどうした。砕け散ろうとも、己が体は『生きていられる』と確信できるのだから。
ブライアンと定が持ってきた鱗はとっておきだった。
「こっちだ! 掛かってこいよ、クソヤロウ!」
「ヒュー! 命懸けのスナップ・ドラゴンだぜ!
何度だって立ち上がる――英雄なんてガラじゃねえが、テメーが俺をそう呼んだんだぜ?」
定とブライアンが掲げた鱗にジャバーウォックの無数の目がぎょろりと動いた。今度もその目を潰してやれば良い。
(怪我を負って尚、実力差は歴然――ビビってトチるなんてダセえ真似は出来ねえよ)
ブライアンは剣を振り上げた。定が走る。天川が「ジョー!」と呼ぶ声を聞く。
「僕は出来ることをする、皆も!」
「オーケー、行くぜ! 少年!
――ハッ! そんなデカいナリでパパにベッタリかよ! ウケるぜ!」
ジャバーウォックの傷口に押し込んだ刃が、紅い血潮に染まる。
ブライアンの表情が歪むが、さらにその刃を押し込むように乙女はふわりと微笑んだ。
「ええ、ええ、痛むでしょう? けれど、よくお考えになって。
他の冠位がいる限り覇竜が狙われるのも時の問題――その際は共闘しましょう。
どうか、次は仲間として会えますように」
澄恋は囁いてから懐刀を引き抜いた。紅色が、その白い装束を汚して行く。
オニキスは何度だって押し返すと決めていた。
練達を襲った此の竜は、深緑までも爪で削り取るか。何れだけ装甲が硬くともフルパワーで砕き落すだけ。
オニキスのマジカルゲレーテ・アハトは、決死の鉛となり、少女の足を止めた。
それでも良い。最大火力。最大出力。防御など捨てて、全てを叩き込むだけだ。
「――バリアの向こうまで届かせて、撃ち落とす。マジカルアハトアハト、フルバースト……!」
眩い光がジャバーウォックを包み込む。手負いの竜はベルゼーに届かせまいと牙を剥きだし飛び込んだ。
――父よ!
その光が、包む。一撃で良い。この竜の戦意を消失させ遠く覇竜領域の山奥へと帰還を促すために。
●竜獄の大樹IV
(あれは……ROOのことを思えば琉珂君の……。
……大切な人と対峙しなきゃいけない時の気持ちは、痛いほどわかるつもり……。
だからこそ、琉珂君には後悔しないでほしい。思いの丈を、すべてをぶつけてほしい。そのために、私は琉珂君を守り、道をひらく!)
アレクシアは琉珂君と呼んだ。琉珂の手をぎゅっと握った焔はもう一度、問う。
「ねえ、リュカちゃん、もう一度聞いても良い?
リュカちゃん、大丈夫? この先は命がけの戦いになる、だからこれ以上、戦えなさそうなら下がっておいて。
でもおじさまと話がしたいなら、ボク達が全力で連れて行ってあげる。……どうする、リュカちゃん?」
焔とアレクシアの視線を受け止めて、琉珂は唇を震わせた。
「……行きたい。一発、ひっぱたいてやりたい」
「ん。その意思だね!」
「頑張ろう。琉珂君。支えるから」
背を押して、アレクシアは琉珂を護ると決めた。ライオリットはにんまりと笑う。
「琉珂嬢を送り届けるために全力を尽くすっス! 基本的には皆と纏まって動くようにするっス。
もし接近が困難でも琉珂嬢がベルゼーの元に一瞬でもいいから近づきたいなら、オレが抱えて運んでもイイっス。
ただ、絶対に無理はだめっス――琉珂嬢に何かあったらみんな悲しむっス」
「ライオリットさん、私だって貴方に何かがあったら怖いわ」
首を振った琉珂に「それでも、やるっスよ」とライオリットは笑った。耐久力に優れていると自己認識しているわけではない。
だが、為せることは少しでも。それがライオリットがこの地にやってきた理由だった。
山をも揺らす竜の一撃がベルゼーの作るワイバーンの影を打ち払う。
「例え手を抜かれ、己自身は弱かろうと特異運命座標として冠位魔種には立ち向かっておきたくてねぇ。ま、一戦お願いしたく。
勝てぬと言われようと、やれるだけの事を果たさずしてこの場には立てませんからねぇ。
身体を数度貫かれようとパンドラが尽きようと、刃を振るう事を決して止めませんとも。……私、とてもしつこいですので」
「自己犠牲は褒められたものではないですがなあ」
「『命の優先順位』も褒められたものではありませんよ」
バルガルは眼鏡の位置をは推し、只管に攻撃役に徹した。絢爛に、華やかに。
鎖付きのナイフを手にした青年は背筋を伸ばし『猪鹿蝶』の三撃を放ち続ける。
琉珂の声が届くか、貴族騎士として見守ろうとシューヴェルトは曰く付きの刀を握りしめた。
振るう、シュヴァリエ家に代々伝わる剣舞の型。それは民を護るという意思を込めた舞となる。
シューヴェルトは琉珂の為の路を開く。護るべき誰かのために剣を振るうことこそが『騎士』の役目であるからだ。
「魔種、それも冠位持ちかぁ。ボク、キミみたいのと一度戦ってみたかったんだよね。
折角銃を新調してカスタムしたんだ、ちょっとこれの具合がどうか、キミの身体で確かめさせてよ」
にんまりと笑ったリコリスはフードを被る。その爛々と輝く瞳がベルゼーを射る。
ぜんぶみえてるよ。創痍痛げに目をこらした少女は無銘の銃を構え、そして放つ。
血に飢えた『狼』は牙を研ぎ澄ませ、遠距離よりその狙いを外すことはない。
「ベルゼーさん! あなたはどうしてそこにいるの!
大罪だから……なんて言わせないよ!それだけで、敵対しなきゃいけない道理にはならない! 降りてきて、説明してもらうよ!」
アレクシアの極大の魔方陣が光を放つ。焔はその光御赤を走り、父より授けられた炎の槍の力を解放した。
「どうしてこんな……ううん、逆だよね。
どうしてリュカちゃんに優しくしたの、世界を壊しちゃう魔種であるあなたが」
焔は苦しげに呟いた。R.O.Oで見た彼は優しかった。父代わりとして琉珂を支え、笑っていた。
――オジサマは素敵な人なのよ。
――私はね、オジサマが父代わりなの。
道中に、彼女は言った。早くに両親を失って、オジサマが色々なことを教えてくれた、と。
彼が情を滲ませたからこそ、此処に居るというならば。
「覇竜をどうしても襲わなくちゃ鳴らなくなったときは、どうするの……?」
焔の零した言葉にベルゼーの動きがピタリと止まる。
「退いて下さいベルゼー。ここでは、フリアノンで生まれ育った貴方の子供達も多く戦っているのです。そして、貴方が行く先にも」
サルヴェナーズは声を張った。悪意を持って傷付けられたその体は、羽虫が湧き出してくる。
汚穢の鎧が槍となり、傷つきながらも声を発する。蓄積してきた罪と穢れ、災厄が、溢れ出す。
「彼らの命を奪うのが、貴方の望みなのですか?この時のために彼らを慈しみ、見守ってきたのですか?
違うはずです。今ならまだ、何も失っていません。今ならまだ、間に合います。
……ここは決して通せません。私達にも、守りたい人がいるのですから。傷付け逢うことなど、望んで居られないではないですか!」
「……いやはや、組織に属する者の哀愁と言えば分かりますかなあ。
何か為さねば、誰かが『あの地を害するかも知れない』。そんな恐ろしさを抱えて幾星霜。その毒手が伸びる前に――」
ベルゼーはサルヴェナーズを眺めてから嘆息した。
それは、もはや変えられぬ定めであったか。亜竜種として、覇竜領域の民として風花は戦うだけだ。
「ベルゼーさん……貴方は言わば覇竜の父で王と言えますね。
王には王の考え方が……とはいいますが、では民は王を正しましょう。この場に来れた、ドラゴニアとして!」
風花は魔弓礼装を展開した。狂い咲く弓に花影の矢が現れる。
「ローレットから話を聞いたその時から、戦場で相見えるのはわかっていたことです。
あなたが手を出そうと出すまいと、覇竜は現に今、危機に瀕してますし、イルナークは滅びましたけどね!」
「自然淘汰されるの間違いですぞ。お若いの。
いいですかな? 『そうして滅び行くのも人の定め』――滅びが蓄積し世界に汚泥の如く『破壊』が溢れ出すのとは違うのです」
ベルゼーの指がぱちりと鳴らされる。体から奪われたリソースが腹を空かせた紳士が産み出すワイバーンの活力になったか。
「むむむ……ベルゼー殿。お主とは地元で会った事は無かったが、琉珂殿がオジサマと言うのであれば、お主も覇竜の民であろう?
何故にこんな事をしておるのじゃ!! わりとマジで覇竜に風評被害とか来そうなのじゃが!!」
拗ねたように叫んだのは小鈴であった。フリアノンでは其れなりの名門家系に生まれた彼女もベルゼーとは逢ったことが無い。
つまり、ベルゼーは『亜竜種達への影響』を気にして限られた人間としか顔を合わせないようにしてきたのだろう。
働きたくはないけれど、小遣いを稼ぐために厭々働いている小鈴はあわよくば不労所得に有り付きたかった。
――だと、言うのに。
小鈴の狙いは琉珂をベルゼーの元へと送り届け、その精神を揺さ振り撤退を促すことである。
「ROOの事があるからベルゼーさんって呼んじゃうんだよね。貴方がまだ覇竜の民である事を信じてるよ。
琉珂さん、言いたい事があれば遠くてもわたしが伝えてあげられるよ?」
「ううん、Я・E・Dさん、私も前に行くわ。だから――」
「OK」
Я・E・Dの交渉術は小鈴の助けを得ている。戦闘長引けば琉珂にも流れ弾がやってくる筈だ。それに、ベルゼーの盾として動くジャバーウォックも満身創痍そのものだ。
「いいの? 此の儘だと、可愛い竜種も死んでしまうかも知れない。
そもそも、手負いでしょう。ジャバーウォック。練達でやられて、それから……一匹なら直ぐに撤退していそうなのに。貴方がいるから此処に留まってる」
ベルゼーの眉がぴくりと動く。
「それにさ、竜で満腹になってメインを食べきれなかったら? 深緑が落ちたら次は『カロンが覇竜を狙わない』可能性ってゼロなの?」
「カロンは『怠惰』ですからなあ」
「そう。じゃあ、他の冠位は?」
「ルストはあの地に執心し、ルクレツィアとて愉快犯。バルナバスは――ああ……奴も自身の担当に執心しておりましょう」
ベルゼーにЯ・E・Dは「ふうん」と呟いた。
「けど、安全だとは言い切れないよね? ジャバーウォックも、ザビアボロスも、メテオスラークも、クワルバルツも、アウラスカルトも。
もし、此処で落とされたら? 覇竜は伽藍堂になる。留守番をしている二匹だけ残しても意味はないでしょう」
淡々と交渉をし続けるЯ・E・Dにベルゼーは唇を噛んだ。
「どーも『オジサマ』。フリアノンの秦・鈴花よ」
「フリアノンの秦家か」
ベルゼーの表情が歪む。飛行する事にはまだそれ程慣れない。フリアノンの空は危険だらけであったから。
だからといって鈴花はベルゼーの下まで近付くことを止めやしない。
牙を立て出ても食らい付いてやる。
腹を空かせたならば『秦』の料理を食べて皆で幸せに過ごせば良いのだ。
「リュカが『オジサマ』の事を話す時の顔、アンタ見たことないでしょ。そのリュカに悲しそうな顔させて、ふざっけんじゃないわよ!」
魔術と格闘を織り交ぜろ。弾かれるのなら全力で叩き込めば良い。
「……傷付けたく、ないんですがなあ」
「そんなこと――ッ」
ひゅ、と鈴花が息を呑んだ。ベルゼーの放った魔力の弾丸は不規則な軌道を辿り鈴花の腹を剔る。
「鈴花!」
朱華は叫んだ。その声に琉珂は「も、もういい」と首を振る。
「馬鹿ね、大馬鹿者じゃない! 琉珂! 冠位魔種? 七罪? 知った事じゃないわよ。
琉珂、アンタにとってのオジサマは父親代わりであって、 まだ敵だなんて思えないんでしょう?
――聞きたいこと、話したいことだって山ほどあるんでしょ? だったら、会ってちゃんと話すのよ。その為だもの!」
灼炎の剱と無銘の剣。ベルゼーは朱華を見遣って「煉家の娘か」と呟いた。
朱華の火花が爆ぜる。だからなんだというのか。こんな風に人の気持ちを踏み躙ったのだ。『やられたらやりかえす』しかない。
亜竜種を大切だと願うなら、亜竜種たる自分が前に出る。
「煉家だからなによ! 朱華は朱華。フリアノンの――琉珂の為に剣を振るう『友達』よ!!」
「そうだよ。わたしたちはさとちょーの友達なんだ。さとちょーが頑張ってるのはみーんな知ってるよ。
それに言ったでしょ? わたしは何があってもさとちょーの味方だって。だからどーんと言いたいこと言っちゃって!」
ユウェルに背を押されて琉珂は「オジサマ!」と呼んだ。声音が震える、不安が滲む。
自らを前菜だと言った彼は此処で全ての権能を出し切っていない。
それでも強敵である事には違いなく。ジャバーウォックが庇い続けて居たこともあり彼を武力で撃退する事は難しい。
(引いてくれれば一番だけれど――朱華達だけじゃ、押し切られる……!)
だからこそ、亜竜種は前に出た。その種を愛するベルゼーの眼前に飛び出して、撤退を促した。
「オジサマ、私に嘘を吐いてたの? 郷が大事だって言っていたのに。それは全部嘘だったの……!?」
琉珂が傷つかぬように。ジンとベルフラウは護り続けて居た。
持久戦は分が悪い、これ以上続けばこの戦線は持たせ続けられない。ジンが苦い表情を滲ませた。
「オジサマ、応えて! フリアノンの亜竜種は、貴方と共に生きてきた。貴方がどの様な存在であれど、護ってくれていることを知っていたから!
けれど……けれど、あの里を護る為に他の場所に危害を加えるなら、私は貴方を許せない!」
「琉珂」
「私は、フリアノンの里長よ。ジンさんに、ベルフラウさんに、鈴花に、朱華に、ユウェルに、沢山の人に護って貰っている。
弱くって、子供で、頼りないかも知れないけれど、私は一人で立てる! 私は誰かを犠牲にするやり方なんて、大嫌いだ!」
叫んだ琉珂によく言ったとジンは頷いた。掌をその頭にポン、と乗せて直ぐに前線へと滑り込む。
ベルゼーの放った魔力弾は琉珂を狙った者だ。不規則な軌道――だが、ジンは大空を自由に羽ばたくように琉珂の身を庇う。
「ジンさん!」
「……さて、そう簡単に答えてはくれないだろうが、敢えて問おう。ベルゼー、あなたの欲するものはなんだ?」
素直に答えてくれるわけもないかと太刀を構え、膝をがくがくと震わせながらジンはベルゼーを睨め付け言った。
琉珂とベルゼーが知己であろうとも、彼が冠位魔種である事には変わりない。
今、己の身を貫いた魔力弾丸一つでさえそれが強敵である事が厭と言うほどに分かる。
膝をついて、浅い呼吸を繰り返した
彼が、琉珂に応えてくれれば良い――家族を大切にしたいと。
「貪欲なまでの、飽くなき食欲――『そう』作られた以上は、『そう』あるだけさ」
応えが『そう』であるならば、それ以上の容赦はなかった。
「此処は俺の妻の故郷だ。だから護る。当然だろ?
お前も事情あるんだろ。今の内に琉珂達としっかり話しとけ――そう思ってたのに!」
零は地を蹴った。暴食だというならば、厭と言うほどくれてやる。
普通の男子学生だった零は戦闘が恐ろしかった。怖くて、怖くて、堪らなかった。
それでも愛しい妻の故郷が竜の焔に焼かれることは耐えられる事ではない。
零さん、と呼んで笑ってくれるおっとりとした笑顔の花売りの彼女。
チトリーノのブレスレットが淡く光った。薔薇の花と羽をモチーフにした銀の指輪に魔力が籠もる。
「欲しいなら、くれてやるよ!」
たったの『一瞬』でいい、その動きを止められるほどの暴食の胃を満たすフランスパン。
美味しいと笑ってくれる人の笑顔が零の脳裏に過った。
実に彼らしい『奇跡』の使い方だった。可能性を束ねて、彼が行ったのはベルゼーをその場に一時でも留めるだけの術。
だが、其れだけで良かった。彼は後方でリアが「馬鹿!」と叫んだ声を聞いたからだ。
――僅か、ベルゼーがたじろいだ。
●花の精霊I
春の気配だ。冬に包まれていた深緑には遠かった、その中をルーキスとルナールは行く。
「さあ今回もルナールと頑張るぞ。頼りにしてますよ旦那様!」
ウインクを秘湯。災いと狂気が込められた黒銃を構えたルーキスにルナールは勿論と頷いた。
呪文の書かれたタロットの術式はその体を包み込む。周囲の魔種は有象無象と呼ぶべきであろうか――路を開かんとする仲間達と比べれば『夫婦揃って』割り切りは早いはずである。
「さて、操られてるところ悪いけど、見た目で手を緩めるほどお人好しじゃなくてね!」
幻想種だろうが魔種だろうが綺麗さっぱり片付けてクラリーチェをフロースの元へと送り届ける。
「よく思えば、この戦場じゃ『誰かを送り届ける』事ばっかりじゃないか? 旦那様」
「ああ、それも良いだろう。その分、『斃す数が増える』だけ」
「ふふ。それじゃ、本気だそうか」
ルーキスが微笑めば、クラウストラは深淵の鍵を開いた。彼方からの呼びかけは操られた幻想種であろうともその足を淀ませ包み込む。
「此度の事件、風の噂には聞いていたが…随分と厄介な事になっているようだ。微力ながら、吾輩も手伝う事としよう」
前を進むルアナが傷つかないように。グレイシアは細心の注意を払うこととした。
ターフェアイト、その魔種が行く手を遮るのだ。魔王は『幼い勇者』に対して親の抱く愛情に似た何かを有していた――故に、彼女が傷つく姿は見たくはない。
その感情をフロースがキャッチしてくれれば良いが……成程、この場で最も強い感情は空を行く竜の怒りか。
「……感情増幅とは厄介なものだ」
「わたしのおじさま好き! って気持ちを増幅してくれれば楽なのになあ。
なんて言ってられないか! この国のことは良くわかんないけど、良くないことが起きているのはわかるから。
わたしはそれを取り除くお手伝いに来たんだよ。『勇者』はみんなの笑顔のために!」
勇者として、やってきた。握りしめた剣はファルカウの加護も厚い。威風堂々、進むことが出来るのはその背をグレイシアが護ってくれるからだ。
「覚悟してよね!」
操られた幻想種達の体を薙ぎ払う、ターフェアイトが邪魔だというならば、彼にビンタでも張って正気に戻すのが勇者らしいやり方なのだ。
「フロースさん! 後ろで見ていないでよ! クラリーチェさんが、お話ししたいんだって!」
聞いてあげてと叫ぶルアナの声を遮るように幻想種の嗚咽が響く――痛い痛い、助けて助けて、と。
(琉珂さんも心配だけど、僕は僕にできる事をしよう――手伝いに行くって決めたんだ)
ぎゅう、と拳を固めたヨゾラは急ぎフロースの元へとクラリーチェを届けたかった。
「フロース! 気になってる事が一つあってさ。秘宝の時言ってた『ひとりにしないで』……。
ねぇ、それは本当に君の……フロース自身の言葉? それとも、誰かが『言ってた』呼び声?」
ヨゾラの問いかけにクラリーチェの背筋にぞくりと何らかの気配が過った。ひとり。そうだ、ひとりにしないでと彼女は言った。
まるで自分の心を見透かしたようなフロースの言葉にクラリーチェは恐ろしくなったのだ。
「フロース? ……クラリーチェ?」
首を捻ったヨゾラは周囲の幻想種を殺さぬようにと気を配り眩い光を放った。
「いいえ……」
不安げに俯いたクラリーチェの本心は、まだ。隠していられたはずだ。ヨゾラは「無理をしないで」と彼女に声を掛けた。
故郷を焼いた原因。感情の増幅と伝播が、どれ程恐ろしいかをヨゾラは良く分かっている。
「クラリーチェさん達をフロースの元に送り届ける。
この戦場に紡ぎたい思いを持つ人がいるなら、それを扶け支える事が僕の役割だ。
――だからこそ、ターフェアイトを。クラリーチェさんの心を惑わす存在を斃す」
マルクは堂々とそう言った。ワールドリンカーは世界と意思と魂を接続する。青年の此れまでの歩みは、無機質なものではない。
幻想種が盾となるならば、殺さぬようにと気を配るだけだ。
そうではないというならば。
マルクはターフェアイトに魔力を放った。圧倒的な魔術は光の砲撃と化し、ターフェアイトの頬を掠める。
「何を――!」
「此方の台詞だよ、ターフェアイト。君は、怒りに飲まれすぎた」
感情を制御する理性さえ、彼は持ち合わせて居ない。汰磨羈は牙を研ぎ澄ませる。
餮魂の大太刀は決して揺らぐことなき強き心を乗せて、厄狩闘流『太極律道』が一つ――木行のマナを放った。
暴徒鎮圧用の技の改良。則ちは、汰磨羈に課せられたオーダーそのものを全うするために存在する攻撃。
「負の感情を増幅する上、怠惰の呼び声と不完全とはいえ冠位権能までばらまく上位精霊か。
成程、確かに感情が頭に響いてくる、『こんな戦いはもうやめていい』『堕落して狂ってしまおう』という闇の誘惑もおまけでな……が、その程度かよ、悪いがオレはそんなんじゃ止まらないし止まれない」
唇を吊り上げたのは紫電であった。防衛武装は鞘の形を取る。引き抜けば、速力を火力に変換する『じゃじゃ馬』性能の太刀が姿を現した。
「こちとら平常心からくる強い『決意』の感情を抱いてるんだ――必ず生きて帰ってやる、汰磨羈たちと一緒に」
「案内役は承った。これより、道を切り開く!」
紫電が前線へと飛び出す。次元斬。模倣した技なれど、阻む相手を灰燼と化すには容易。
害する者が存在するならば、其れ等全てを払除け、路を開くだけ。
だが――幻想種の命までは奪いたくはなかった。故に、ウィリアムはターフェアイトだけを真っ直ぐにその双眸に映した。
「クラリーチェの想いがフロースへ届くよう全力でお手伝いするよ」
至近距離へと接近する。青年の苛立ちを肌でひしひしと感じようとも、ウィリアムは止まらない。
精霊達の嘆きを、木々の悲しみをその身に感じ取りながらゼロ距離で放ったのは神秘的破壊力。
圧倒する魔術の気配が広がり、そしてターフェアイトの視界を焦がす。
「クラリーチェが、フロースに!? 話をして何になる! あの精霊は『何も分かって居ない』んだぞ!」
「そうかもしれない。でも、だからといって対話を諦めても何も得るものはないよ」
ウィリアムの頬を切り裂いたターフェアイトの刃。その傍よりぴょんと飛び出したのは義足でも軽快なるステップを踏んだネーヴェ。
「仲間が、前へ進めるように。事が済むまでは……わたくしと、遊んでくださいませ!」
兎の魅力は、かよわく愛らしい。非捕食者であるという一点だ。
己の身を削ってでも構わない。魔法の掛けられた付け爪は、妙な気配を漂わせターフェアイトに傷跡を残す。
「ツゥ――!」
ひゅ、と息を吐いたターフェアイトが幻想種の女の肩を掴んだ。エアが目を見開く。酷い、と唇を震わせて道を切り拓く汰磨羈の盾となりターフェアイトを睨め付ける。
「罪のない人達を巻き込むなんて……! 待ってて下さいね、必ずわたし達が助け出しますから!」
心を静める。沸き立った苛立ちさえも平常心で鎮めるように。
殺意の乗らない颶風は、敵対する者を『戒める操り人形の糸』を切る。決死の盾となる小さな娘。吹きすさぶ暴風は迫る脅威すら薙ぎ払う。
エアの銀の髪が揺らいだ。『風竜』の結界は、仲間達を護る為に容赦はしない。
木々が、揺らぐ。その姿を眺めてから慧はやれやれと肩を竦めた。
「庭師としちゃ、自然とは共に有りたいんすけどね。
怒りだのに流されちゃ、この名が泣く……名に恥じぬ者である為、やれることをやるまでっす」
森を護る為の戦いだ。幻想種達を惹き付けて、殺さずと対策を講じた者達の攻撃支援を受けるだけ。
慧の額から生えた大きく、歪み、垂れた角は『重り』のように垂れ下がる。『お守り』ともなった其れは、忌まわしい敵意をも振り払う。
腕を切り裂けば、血潮が滴り落ちた。それは呪符となり、呪いの一端として幻想種達の敵意と殺意を呼び寄せる。
それらを操る者が敵意を持って『人を狙う』ならば、慧の呪いはその感情を誘き寄せた。
傷つき続けろ、苦しみ続けろ、そう囁く声が耐えず響く。
幻想種を盾としていた魔種達のカヴァーが外れることになる。ならば、だ。
「よくわかんねえがどこも大変だな。難しいことは置いといて俺は兎も角魔種を倒すぜ」
狂歌は大太刀で魔種を切り伏せるのみ。圧倒的な一撃は天蓋を覆う竜の如く、猛き勢いを放つ。
(――支える者こそ心を揺らしてはいけません、私たちなら成し遂げられます)
魔種を相手取るならば、傷つくのは明確。繁茂は狂歌を苛む気配を遠ざける。
完全回復とならずとも、傷を癒やせば動き続けられる。この戦場から幻想種を救う為。支援を行う繁茂は何時だって冷静でなくてはならない。
冷淡なる大鎌を握り、厳かにして絶対なる壁である繁茂の支えは狂歌の痛烈な一撃を支援する。
「魔種だってんなら、此処で死んでも構わないだろ?」
「むむ、さっさと退かねば轢いてしまうぞ! 操ったり眠らせたり忙しいヤツじゃな!」
背後から勢い良く飛び込んできたのは天狐であった。リヤカーうどん屋台『麺狐亭』を曳きながら全力で走り続ける。
安全装置なんて、最早必要と為ず、慈悲の一撃はうどん屋台での『交通事故』であたえられる。
「そこのけ! そこのけ! うどんが通るぞ!」
●花の精霊II
「惨いな。体を操るなんて……」
シキの呻く声にヴァイオレットは「敵も莫迦ではないのでしょうね」と囁いた。
「さて――此度の戦場も……どうしようもない運命が渦巻いています。
嘆き、絶望、恐怖……然して、それらに屈さぬ、強い光も感じます。その光は、どうしようもない筈の運命を覆しうる、強い意思……」
タロットを手繰り寄せ、蠱惑的に微笑んだヴァイオレットが担うのは足止めの役。
完全なる自由を得る。その足が澱み竦んでしまわぬように。乙女は仲間達の攻撃を支援すると決めた。
そう、その傍らにはシキが居る。友のためならばと身を張ってしまう、心優しすぎる一人の娘が。
「ま、友達の力になったらいいなって思ったのさ。
だから今回は私も運命見届け係。賽が投げられたなら、後はもう人事を尽くして天命を待つってヤツじゃない? ね、ヴァイオレット?」
雨を降らせることは、奇跡そのもの。ガーディアンブレードを構えたシキが声を張り上げた。
友の路を開け、と。活路を見出すように。
「……天命を待つ、ですか。シキ様がそのような事を仰るとは。
良いでしょう。不思議と心地良き、かの旋律も耳に届いておりますれば……精々ワタクシも人事を尽くすと致しましょう」
ヴァイオレットの指先が摘まむのか影のタロット。その内容こそ多数の残影を産み出す一手。
「――クラリーチェ様、アナタこそ運命の賽ならば。それを見届けるのが……此度のワタクシの役目でしょう」
運命の賽は最早投げられた。戦場は無数に別たれ、予期せぬ敵影まで現れていた。
「ジャバーウォックに『冠位暴食』ベルゼー……ある意味、『冠位怠惰』よりも此方の方が余程手強いかもしれませんね。
しかし……魔種の数が多い。冠位と竜種は論外としても、あの人数の魔種だけでも相当な戦力です。
自由にして横撃されるのは危険ですから捨ておく訳にも行かない……やはり叩く外ありませんか」
冬佳はベルゼーとジャバーウォックの対応に向かう仲間達の一助になるであろうと、魔種達の撃破を優先していた。
其れ等は怠惰の魔種カロン・アンテノーラの配下なのだろう。ベルゼーが連れてきたと言えぬ所見れば、別働隊として認識するべきか。
(恐らくは、戦場を混乱させて時間を稼がせるつもりなのでしょう。さすがは怠惰、眠る事に余念がありませんね)
指先に飾ったシルバーリングから清き水がふわりと舞った。剣へと化したそれは穢れを清める祓魔の光陣を作り出す。
(本当は死が隣り合わせの戦場に行くのは怖い。それでも……神使の先輩方の助けに行かない、誰かを救わない理由にならないんですよ!)
朝顔はマフラーをぐ、と鼻先まで持ち上げてから裏打薄翠を構えた。
操られた人々の相手は皆が担当してくれる。ならば、自身は竜撃の一撃を持って敵を殲滅するだけだ。
魔種は彼女の愛する人が居る国をも襲ったことがある。あの時の彼の表情は、どれ程に苦しげであったか――
「私に眠ってる暇なんて無いんです! 私は遮那君の最愛に成りたいんですから!」
朝顔は吼えた。決意は全てを打ち払う。
ならば、とキルシュも決意を叫ぶ。
「ルシェは、決めたんです。必ず深緑のみんなを助けるって。
その中にはフロースお姉さんもターフェアイトお兄さんも入っています。この思いは、願いは、ルシェの我儘です。
でも、背中を押してくれた人がいるからルシェは我儘突き通します!。
恐怖も迷いも寂しさも、抱きしめて乗り越えた先のルシェの心、増幅するなら増幅してください――深緑を守りたいって言う気持ち、みんなに広げます!」
強い心をフロースが増強してくれれば良い。届いて欲しい、届け。
蜻蛉に回復を任せたからこそ、キルシュは攻撃の手を緩めなかった。
「フロースお姉さんも死なせません――一緒に帰りましょう?」
「かえる?」
「そうです。フロースお姉さんだって、元に戻れるはず!」
「フロース、オルド種。ターフェ、魔種。それ、むりだって、言ってた」
「だ、誰がですか……!」
思わずたじろいだキルシュにフロースがその名を呼ぼうとして――
「止めて!」
クラリーチェが叫んだ。その名を聞いたら、心が、持って行かれるような気がしたのだ。
ああ、頭が痛い。
それはリアが感じる無数の旋律(かんじょう)の所為ではない。他の『声』だ。
「クラリーチェ」
「大丈夫です。行けます……!」
「あたしは足止め対応よ。いってらっしゃい、クラリーチェ。貴女の旋律……ぶつけてらっしゃい!
安心しなさいよ? シキも、ヴァイオレットも居るんだもの。負ける訳ないじゃない!」
胸を張ったリアにシキは「そうだね」と笑い、ヴァイオレットは「此方も素晴らしき旋律を奏でましょう」と囁いた。
リアは迷いなんて必要としていなかった。
一方的な愛情を与えてきて、一方的に勝手に退場しようとする『くそやろう』に強さを見せ付けてやるのだ。
「しっかり聴いてなさいよね、玲瓏公――アンタなんか、もう引退させてやるんだから!」
唇を尖らせて、リアが弾き鳴らしたのは英雄幻奏第七楽章。
膝をついても、血を吐こうとも、心は折れやしない。そんな簡単に挫ける為に『旋律(だれかのこころ)』を聞いてきたわけではないのだから。
母が見ているというならば、己は此処で全うして見せよう。
――アンタなんて、必要ないと胸を張って言ってやるために。
「いっておいで、クラリーチェ。 そこまで、見送ろう」
行人は幻想種達を惹き付けながらそう言った。夢檻に閉ざされる恐ろしさはこの空間に蔓延っている。
だが――其れを把握しておけば、いつかは役に立つはずだ。
蔦を纏った片刃の剣を振り上げる。
空を観よ。刻まれた言葉の通り、この世全てを読み取るべく行人はその目を光らせた。
幻想種達は、ワルツでも踊るように動き回る。
シキが惨いと言ったように、彼女達の意思とは関係なく、眠りながらにしてその体を操られた彼女達を出来る限り傷付けないようにと細心の注意を払う。
――深緑の色んな事は、よお分かりません。でも今日は大切な人の為に、此処に立ちます。
それって、いけんやろか? クラリーちゃんの大切な気持ちを、届けるお手伝いがしたいだけやの。
蜻蛉の微笑みにクラリーチェは有り難うと囁いた。
クラリーチェにとって、蜻蛉だけではない。妬ましいと唇に乗せる彼女も、剣を手に修羅の道を駆ける彼女も。
大切で、尽きぬ友情を抱き続けた相手だった。
「大丈夫よ」
蜻蛉は微笑む。月に寄り添う灯火を消さない為の祈りを――優しい炎で、あなたを蝕むものを救いましょう。
彼女のために、此処に来た。
彼女が、『仲良くするために』お話をして。
彼女が、にこりと微笑んでくれる未来を、夢想した。
「大丈夫、傍におるよ」
蜻蛉はそっとクラリーチェの手を握って。指先を絡めて、そうしてから離した。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
貴女の決意が、鈍らないように。
その背に祈りを込めて、蜻蛉は目を伏せる。
●永訣を奏で
「精霊さま。ターフェ。貴方達を好きに暴れさせるわけにはいかないのです」
クラリーチェは背を押された。蜻蛉も、行人も、リアも、キルシェも、誰もその背を押してくれた。
仲間を喪いたくはなかった。
……可笑しい。笑ってしまいそうにもなる。『修道女』であった自身が生と死の輪廻を曲げる事を願うだなんて。
――頭が痛い。
ずっと、ずっと、ずっと。『タレイアの心臓』を取り戻したあの時から脳の中を掻き混ぜる声がする。
『変わらぬ日々に望まぬ変化。森(くに)を開いたこの場所は、望まずとも大きく変わったはずにゃ。
ふむふむ。信仰の柱。 立派な事にゃ。そうにゃあ。けど、信心の強さだって何れは変わる。
変化せず、もう二度とは誰も失わないで居られればよっぽどいいにゃあ。 にゃあ、そうは思わないかにゃ……?』
眼鏡が吹き飛んだ。
隠した本心が転び出て仕舞いそうにもなる。
住んでいた村が襲われた。焔に塗れ、両親が燃えて行く饐えた匂いだけが鼻に付き纏った。
一人生き残った自身は修道院に預けられた。ある日突然『親しい人を全て喪った』『今日からここで死ぬまで修道女として生きろ』
なんて言われて納得できるはずもなかった。
楽になるために、全てを諦めた。天命を全うするその日まで、心を殺し、諦念のもと生きると決めた。
召喚された。そんな奇異な出来事でも『戦場でなら、死ねるかも知れない』と思った。
両親に貰った、生き残った命を自ら絶つ強さがなかった。
イレギュラーズになった。姉と慕いたい人も、友人も、沢山の人々に囲まれる幸せを知った。
それでも、諦観は捨てきれなかった。
『どうするかにゃあ?」
フロースの声だけなら、無視も出来た。ターフェも交えて、昔のように笑い合えたら良かった。
りーちぇ、と呼ぶ声が。一人にしないよと囁く声音が、優しかった。
けれど、『精霊様』、違うの。私が欲しいものは『もう戻らない、村での日々』だった。今じゃない。
「そうですね。変化せず、ずっとこのままで何も失うことなく……。死ぬまで眠っていられるならば。
それが私の一番の望みです。もう辛いことも悲しいことも……さみしいのも、いや。
おとうさまおかあさまおにいさまに会えるまで……ずっと目を閉じていたい」
あの雪の日、15の罪。
――彼と出会ったあの日は、もう遠い。
ああ、ああ、ああ。戦場で死にたかった。イレギュラーズになれば、其れが叶うかと思った。
もしも、もしも、『冠位』の力を僅かにでも削ぐだけの力が手に入ったなら? 皆の手助けをして死ねたら?
ブルーベルのように、理性を持ち、友になれるかもという感情を結べる存在に私がなれたなら?
――「私も貴女について行きますから。ね?」
『アッシェ、もう一度会いたかった』――
クラリーチェ・カヴァッツァの周囲からどろりと溢れ出した気配が、フロースを飲み込んだ。
「クラリーちゃん?」
蜻蛉の唇が震える。足が縺れだした。後衛から、前線へと飛び出すように。
「待って、違う、止して――! クラリーちゃん! クラリーちゃん!」
呼ぶ蜻蛉の双眸に映り込んだのは――悲しげに笑うクラリーチェと、その傍に寄り添いながらも一人、静かに消えて行くフロースの姿だった。
「クラリーちゃん!」
傍に、駆け寄ることも出来ないまま蜻蛉は膝をつく。
フロースの気配が失せた。精霊は霧散し、一人の女の気配に飲まれたかのように。
そうして、クラリーチェは―――
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
琉珂へと沢山の心を配りを有り難うございます。
彼女にとって、衝撃的な出来事ではありましたが、それでも立って笑っていられるのは皆さんがいるからです。
MVPは正直予想していなかったフランスパンの貴方に。
尚、クラリーチェ・カヴァッツァさんには『<13th retaliation>』での特殊判定でフロースを通じて冠位魔種怠惰から呼び声が『飛び続けて』居ました。
フロース諸共、彼女は『もう一つ、望みを掛けて』おりました。それについては、また、後ほど。
深緑編も、これからTOPも含め展開が変化して参ります。
どうぞ、最後までお付き合い下さい。
GMコメント
夏あかねです。
●成功条件
・『怪竜』ジャバーウォックを撃退すること
・『煉獄篇第六冠暴食』 ベルゼー・グラトニオスを『撃退』すること
上記2点の内、1点を満たすこと。
(※フロースや魔種の撃破は成功条件に含みません)
●決戦シナリオの注意
当シナリオは『決戦シナリオ』です。
<タレイアの心臓>の決戦及びRAIDシナリオは他決戦・RAIDシナリオと同時に参加出来ません。(EXシナリオとは同時参加出来ます)
どれか一つの参加となりますのでご注意下さい。
●行動
【暴食対応部隊】:冠位魔種ベルゼーへの対応全般を担う舞台です。
【竜種攻撃部隊】:ジャバーウォックを中心に攻撃を行います。
【その他対応部隊】:精霊フロース及び魔種に対しての対応を行います。
【回復部隊】:各部隊へと有効な支援を与え、死傷率を減少させます。
グループで参加される場合は【グループタグ】を、お仲間で参加の場合はIDをご記載ください。
1行目は行動を、二行目は同行者を指定してください。三行目からは自由となります。
書式は必ず守るようにしてください。
==例==
【竜種攻撃部隊】
月原・亮 (p3n000006)
なぐるよ!
======
●敵情報
1、『煉獄篇第六冠暴食』 ベルゼー・グラトニオス
冠位魔種。七罪(オールド・セブン)の一人。非常に強力なユニットである事が推測されます。
紳士然とした風貌ではありますがそのコートの下には飽くなき欲求を満たすことの出来ぬ『底知れぬ胎』が開いています。
覇竜領域を担当エリアとして担っていましたが、領域を侵したくないために『冠位怠惰』カロンの協力者となりました。
・本来的な強さは未知数ですが『理由があって、手を抜いている』『此処では意図的に権能を抑制している』為に難易度がVaryHardへと降下しています。
・『手を抜いていて』も冠位魔種である事には変わりなく、直接的な戦闘能力は不明です。死力を尽くして下さい。
・大樹ファルカウ上空から、ファルカウ前方エリアを戦場として利用します。翼を有するため、飛行する可能性もあります。
・抑制『している』権能は幾つか存在しているようですが、彼から感じられるのは以下の気配です。
a、『飽くなき暴食』を意味するように、数ターンに1度『ベルゼーの権能範囲内に存在する』存在のHP/AP等のリソースを喰らいます。その詳細は不明であり、彼の権能範囲も未知数です。
b、他シナリオ含む全ての戦場に存在する『竜種』に対してランダム偶数ターンに一度、ブレイク可の『物無』『神無』のバリアをそれぞれ付与します。
※どうやら『手を抜いている理由』が存在していますが、今回は其れを逆手に取るべきでしょう。
2、『怪竜』ジャバーウォック
その『怪竜』の名に似合う悍ましい竜です。強大な存在であり、巨体だけではなく鋭き爪や牙も目立ちます。
ベルゼーを父と呼んでいます。イレギュラーズを躯を傷付けた虫けらとして忌み嫌っています。
知性を有しますがその言葉は不可思議なことも多く、聞き取れたとしても人間的な倫理観などは伝わりません。
彼にとっては人など虫けら同然であり、それらが何事かを言っていても踏みつぶせば終わりだと認識しています。
闇の属性を身に宿し、その攻撃方法は『観測されていただけ』である為に全容が計り知れません。
・極めて堅牢かつ、凶暴性が高い竜です。高いHPを有し、再生能力なども備えているでしょう。
その巨大さから攻撃方法は範囲攻撃が中心になり、ブレスには注意して下さい。
・非常に高度な飛行能力も有しており巨体故に、ブロックには15人以上が必要になります。
・また『今回は手負いである』事と『ベルゼーの盾』でもある為に、以前の接敵時と比べると戦闘力は低下しているように感じられます。
(と言えども、ジャバーウォック一体でも十分VaryHard相応級です)
3、『精霊』フロース&魔種
『フロース』
オルド種と呼ばれる大樹の嘆き、その上位存在。元は人語さえ有さぬ無垢な精霊でしたが、何らかの事情で人語を理解しています。
コントロール権限が遊びに来ていた『冠位色欲』から『冠位怠惰』に移ったことで非常に強力なユニットとなっています。
・特殊能力:フロースは『他者の感情を増幅』させる能力を有します。それはフロースの意識の外にある能力です。
恐怖や怒り、不安に困惑は増幅し、進むべき道を見失うでしょう。彼女はその内で一番強大な感情を伝播させます。
・広範囲に『怠惰の呼び声』と共に『怠惰の冠位魔種の権能の一部(不完全)』を広げます
a、『眠りの呪い』
ランダムで『夢檻』と呼ばれる永続バッドステータスを付与します。このバッドステータスを付与されたPCは行動が不能となります。
(不完全であるために付与率は低いようです。BS解除不可)
b、『茨咎の呪い』
『麻痺系列』BS『相応』のバッドステータスです。100%の確率でそのターンの能動行動が行えなくなります。(受動防御は可能)
麻痺系列『そのもの』ではないですので、麻痺耐性などでは防げない呪いを付与します。解除可能。
『魔種』
・ターフェアイト
クラリーチェ・カヴァッツァ(p3p000236)さんの幼馴染みであった魔種です。
フロースの『特殊能力』を受け、目的意識を失い今は目の前の存在を襲うだけとなっています。
・怠惰の魔種 *10
カロンの手先である怠惰の魔種です。どうやら、ブルーベル(とリュシアン)の姿は此処にはありません。
フロースの『特殊能力』を受け、目的意識を失い今は目の前の存在を襲うだけとなっています。
4、操られた幻想種&精霊たち
大樹ファルカウに存在した精霊や幻想種達です。彼らは眠りに落ちて夢を見ながら、体を勝手に操られているようです。
負傷することで目覚めることもありますが、躯は『怠惰の魔種達』が操っているために、動きを止めることはありません。
フロースや魔種達の盾となります。無理な方向に躯を曲げられようとも、抗うことは出来ないようです……。
●『夢檻』
当シナリオでは<タレイアの心臓>専用の特殊判定『夢檻』状態に陥る可能性が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●同行NPC
・珱・琉珂 (p3n000246)
・月原・亮 (p3n000006)
ご指示在れば何なりとお願いします。
琉珂はベルゼーの姿に衝撃を覚えています。どうやら、琉珂にとっては『父代り』であったようですから……。
(※イレギュラーズとなった亜竜種の皆さんはベルゼーのことは見かけたこともありません。
琉珂が『慕うオジサマ』が居る事を知っていても構いませんが、彼がそうであることは今回初めて発覚しています。
また、フリアノンでのベルゼーは限られた『里長代行』か『里長』の前にしか姿を現していません)
●参考
・霊樹レテート
拙作『<タレイアの心臓>フェニカラム・ヴァルガーレ』にて防衛が行われます。
・玲瓏郷ルシェ=ルメア
参考シナリオ『永遠のルシェ=ルメア』
願望器相応の力を持ちます、が、今回は『頼らず』進攻します。
ですが、彼女の力を借りたいと求めても構いません。彼女は悪戯に戦場へと飛び出しはしませんが『最も危険な場面』に関しては命を張る事は辞さない筈です。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●情報精度
このシナリオの情報精度はC-です。
信用していい情報とそうでない情報を切り分けて下さい。
不測の事態を警戒して下さい。
●決戦シナリオの注意
当シナリオは『決戦シナリオ』です。
<タレイアの心臓>の決戦及びRAIDシナリオは他決戦・RAIDシナリオと同時に参加出来ません。(EXシナリオとは同時参加出来ます)
どれか一つの参加となりますのでご注意下さい。
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