PandoraPartyProject
琥珀の雫
琥珀の雫
秋の初め。
いまだ日差しは高く、夕暮れ時の空に輝く橙色は燦々と降り注いでいた。
僅かばかり涼しさを孕んだ風が寂しさと共に頬を流れていく。
高天京には昨今呪詛が蔓延り、七扇が御所に集い会議を行うなど、物々しい空気に包まれていた。
そんな神威神楽の中枢。朱塗りの柱に囲われた廊下を忙しなく駆け抜けていく人影がある。
濡れ羽色の髪を靡かせ、花浅葱の狩衣を纏う『琥珀薫風』天香・遮那は何時になく真剣な表情だった。
「兄上に伝えねば……」
天香・遮那はこの天香家の当主――天香・長胤の義弟である。
幼い頃にこの天香の家に呼ばれた遮那は優秀な義兄である長胤の事をとても尊敬していた。
兄の為になるならと剣技を磨き苦手な勉学にも励んでいた。
だから、海が開かれ神使(イレギュラーズ)がやってきた時も、知見を広げるため自ら積極的に関わったのだ。子供なりの好奇心も多いにあったのではあるが。
そして、遮那は交流していくうちに、イレギュラーズの事が大好きになった。
自分の持ち得ない知識、武芸、考え方に圧倒され、親愛の情が湧いたのだ。
この者達は凄いのだと自慢したくなるような魅力的なイレギュラーズ。
されど、兄長胤は神使達を疎ましく思っているのだと聞き及んだ。
だからこうして彼等の魅力を伝えに兄の元までやってきたのだ。
――――
――
「兄上!」
遮那の声が広い室内に響き渡る。
室内には長胤と巫女姫が居た。御簾越しに巫女姫が扇子を開いたのが分かる。
息を吸った遮那は決意の表情と友に琥珀の瞳を上げた。
「神使は悪しき者などではありませぬ!」
レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)はカムイグラの外に住まう人にも感情があり悲しみがあることを教えてくれた。涙すら流さない安奈のような強者だけではない事を、最初に知る事ができたから、レイチェルが弱さを見せてくれたから。
外の人も自分と対等な『人間』なんだと理解することができた。
ポテト=アークライト(p3p000294)はけん玉を一緒に遊んでくれたし、ブーケ ガルニ(p3p002361)は豊穣郷によく似た外の世界を教えてくれた。
ウィリアム・M・アステリズム(p3p001243)は勉強の大切さを教えてくれ、アリア・テリア(p3p007129)は楽器を奏でてくれた。
初めて会った神使達は誰もが優しく、遮那を迎え入れてくれたのだ。
だからこそ胸を張って言える。神使達は悪しき者などでは無いことを。
「優しき者であり。また、強き者や賢き者でもあるのです!」
武者小路 近衛(p3p008741)は遮那や仲間を護るために果敢に敵へと立ち向かい、ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)は双槍を繰り敵をなぎ払った。マルク・シリング(p3p001309)は優れた洞察眼で多くの情報を得るに長け。
ジル・チタニイット(p3p000943)の回復能力はとても高く、それでいて自分の身を危険に晒しても子供を守る強さがある。エイヴァン=フルブス=グラキオール(p3p000072)は力を振るうだけが守る事ではないと教えてくれた。
「戦う事だけではありませぬ。清らかなる心。前向きな瞳は違うことなど無いのです」
ユン(p3p008676)と一緒に線香花火をしたし、Binah(p3p008677)は料理がうまいし、小金井・正純(p3p008000)と食べたかき氷は美味しかったし、赤羽・大地(p3p004151)にはまだ声の秘密をおしえてもらってない。
リゲル=アークライト(p3p000442)はかき氷の作り方を沢山知っているし遊ぶ約束もした。アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は自分がお気に入りのヒーローの本をくれた。リンディス=クァドラータ(p3p007979)と一緒にページの続きを書く約束をした。クレマァダ=コン=モスカ(p3p008547)は楽器を爪弾きながら、友だと言ってくれた。彼岸会 無量(p3p007169)と剣技を競い、手合わせする約束をした。
「仲間が駆けつけてくれた安堵に涙した自分に、大丈夫だと言ってくれた優しいタイム(p3p007854)の声を忘れておりませぬ!」
「いつも付き纏い悪戯に求婚してくる夢見 ルル家(p3p000016)は、きっと良き友となりましょう!」
「隠岐奈 朝顔(p3p008750)は獄人であるにも関わらず、八百万である私に好意を向けてくれた。獄人が受けてきた仕打ちを飲み込んでそれでも、私を好いてくれているのです!」
「そして、鹿ノ子(p3p007279)は……っ、大切な贈り物をしてくれた! 怖い夢の話をする私を嘲笑うこと無く受け止め、この願いを込めたこの琥珀をくれたのです!」
悪しき者が己の心を砕き真に優しい言葉を掛けてくれるだろうか。
そんな事は有り得ない。
己をしっかりと持った清き神使だからこそ、遮那という存在を認め友愛を示してくれる。
「だから、この国にとっても良き友となりえましょう!」
――衝撃。刹那の浮遊感。
身体が宙へ投げ出されたことを悟る。
咄嗟に受け身をとることが出来たのは、遮那が一角の武人であるからに他ならない。
素人であれば首の骨が折れていたろう。それほどの衝撃であった。
遮那は己が頬に手のひらをあてる。
打たれたのか。
義兄――長胤は般若のような形相で自身を見下ろしていた。
「愚か者めが。その様な考えの者は天香に必要無い。――勘当じゃ!」
勘当という言葉。それは遮那にとって何よりも重い罪だ。
誰よりも尊敬する義兄に『役立たず』だと言われるような事をしてしまった。
その事実に遮那は羞恥と後悔を覚えた。
「あに、うえ……」
伸ばした指先は長胤に届くことは無く。
「忠継、安奈。その者をつまみ出せ」
「御意」
楠 忠継と姫菱・安奈は古くから天香家に仕える従者である。
秘密裏に天香に降り注ぐ火の粉を払い、安寧を裏から支えてきた守護臣。
天香家の忠臣が遮那を担ぎ上げ出て行く。
「ねえ、天香。前から言ってるけど、あの子……本当に必要?」
御簾越しに色香を纏った妖艶な声が室内に這った。
――――
――
魔性を帯びたような美しい月が夜空に浮かぶ。
大きな川の上に掛かる橋は、徐々に下がっていく温度に小さく音を立てて軋んだ。
この川は流れが速く、大きな橋を掛けるのに何年もの月日を費やしたらしい。
遮那は橋の上から川の流れを目で追っていた。
悲しみを纏った背中。琥珀の瞳には涙が浮かんでいる。
少年の後ろには忠継と安奈が佇んでいた。
「若殿。長胤様は勘当とおっしゃっておりましたが、今は気が立っておられるのでしょう。しばらくの間は別邸で過ごされておれば、そのうち呼ばれる事もありましょう」
「でも、兄上に迷惑を掛けてしまった。役立たずだと思われてしまった」
肩を抱く安奈に振り返り、涙を零しながら見つめる。
「それに、兄上の力はまるで人では無いほど強かった。どうしてなのだ」
遮那は魔種という存在を理解していない。
特に理性を保ったままの魔種と普通の人の区別が付かないのだ。
遮那にとって義兄長胤はとても素晴らしい人格者のまま。
されど、先ほど遮那の頬を打った力は人ならざる者の域まで達していた。
「何故」
「……」
沈黙が三人の間に流れ、川の水音だけが勢いを増していくように耳に響く。
「知りすぎましたな、若」
突然の忠継の言葉に瞳を上げる遮那と安奈。
言葉の意味を理解する前に、忠継が抜刀したのが見えた。
月明かりに刃が光る。切っ先が狙う先は遮那だ。
安奈は柄に手を掛け刃を抜き去る。
白刃に在りし日の記憶が駆け抜けた――
「えい、えい! ただつぐ、どうだ!」
「ははっ、若にはかないませぬ。でも、此処はこちら側から斬った方が有効でございます」
「なるほどなー! ただつぐは、すごいな!」
パタパタと黒い翼を羽ばたかせ幼き遮那は木刀を振り回す。
「では、我の菱葉ポニテ抜刀術はどうかな?」
安奈は忠継の前に立ち、鞘に手を当てた。
「良かろう、安奈よ。久々に稽古をつけてやろう」
幾度かの剣檄のあと、一足跳躍した安奈は忠継の間合いに潜り込み、腕の内側から木刀を振り上げた。
気迫迫る居合い。忠継の首に血の筋が走る。
「……や、った! 取った! 初めて取ったぞ! どうだ、我も成長しただろう」
「そうだな。以前より無駄な動きが無くなった」
穏やかな空気。幸せの詰まった思い出――――
魔性の月が刀に反射する。川の流れが耳に弾けた。
安奈は地を蹴り踏み込み込む。
忠継の軌道を逸らす形で刃を突き入れた。金属音が夜空に散る。
「何故、若殿に剣を向けた、忠継!」
「……」
返す言葉は無く。振るわれる剣筋が重い。これは命を奪う刀だ。
一閃。空気が裂かれる程の刃を寸前で躱し、安奈は忠継の懐に潜り込む。
この間合いはあの日、一本を取った時と同じ間合い。
否。今のあの頃より腕を上げた安奈の実力ならば、忠継より剣速は早い――
剣光が閃く――
銀月に蘇芳の鮮血が舞った。
吹き上がる血潮。
遮那の琥珀の瞳に宙を舞う安奈の姿が映る。
血飛沫を撒きながら安奈は橋の欄干に当たり、そのまま川へと落ちていった。
「安奈――――!!!!!」
響き渡る遮那の絶叫。
欄干から身を乗り出し安奈の行方を捜すも、暗がりの川では痕跡を見つけることすら出来ない。
川の流れは速く、何処を漂っているのかも。生死すらも分からない。
目の前で起った事が信じられないと忠継へと掴みかかる遮那。
「何故だ! なぜ、安奈を斬ったのだ……ぐっ!?」
並の人間より風の流れを読む遮那が気付かぬ程の早さで、忠継は彼を橋の上に抑えつける。
「ただ、つぐ……、何を……」
人と思えぬ動きと力。まるで、先ほどの長胤と同じような。
忠継は懐から白い小袋を取り出す。それは、国府宮 篝という少女から預かった宝珠。
その紐がゆっくりと解かれた。中から溢れ出す禍々しい妖気。
黒紫の瘴気が這い寄り、遮那の白い肌に纏わり付く。
触れたところからじわりと広がっていく浸食。
「ぐ、ぁ……苦しい。やめ……ろ」
遮那の身体の中を這いずり回るのは肉腫と呼ばれる呪い。
何故、忠継は安奈を斬ったのか。何故、忠継は己にこのような仕打ちを与えるのか。
身を裂くような痛み、息も出来ぬ程の苦しみ。
全てを押しつぶす悲しみ。
手首に光る琥珀のブレスレット。鹿ノ子から貰った大切な贈り物。
彼女に語った怖い夢の話はきっと、此処なのだろう。
身体の中が塗り替えられていく恐怖――呪具によって複製肉腫へと変貌させられる恐怖、そして、『理解不能な存在』が頭蓋に直接、聲を届ける悍ましさ。その両方が遮那を包み込む。
『そうだな。私もたまに怖い夢をみるぞ。真っ暗な所で私の周りに誰も居なくて、とても苦しいのだ
身を裂くような痛みと苦しみ。剥がれぬ悲しみ。助けを呼んでも何処にも届かない。
それで、助け船を出すように声が聞こえるのだ』
「――もう、苦しまなくていい、この手を取れば楽になれる」
誰かが、そう<呼ぶ声>がした。
*カムイグラで不穏な動きがあるようです……?
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