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シナリオ詳細

<春告げの光>氷解のエウダイモニア

完了

参加者 : 43 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 春を啄む小さな啼鳥の声を聞く。鉄帝国の動乱は、長らくの冬を遠ざけ漸く春の兆しを齎した。
 復興作業を必要とする帝都を始め、諸地には春告げの花が綻び人々は一息吐くことが出来た頃合いだろう。
「イレギュラーズちゃん」
 ほっと一息を吐いたのはエリス・マスカレイド――銀の森の女王にして『フローズヴィトニルの欠片』、本来の名を『ディスコルディア』と言う精霊である。
「よくぞ、バルナバスを退けました。
 あの暗き太陽が消え失せ、鉄帝国(ゼシュテル)の旗がはためいたのはまるで夢のような光景でした。
 わたしは、ゼシュテルの住民でなければ、人でもありません。ですが……心の底から喜びを感じたのです」
 穏やかに微笑むエリスは傷を追いながらも強大なる相手に立ち向かうイレギュラーズに敬意を抱いていた。
 どれ程に恐ろしいことであっただろうか。戦いの中で命を落とした者だって居た。彼女は、そして、仲間達は、皆、求める未来の為に必死だったのだ。
 エリスとてフローズヴィトニル――伝承の『悪しき狼』を封印する為に己の身を挺するつもりだった。
「……イレギュラーズちゃんには、驚かされることばかりでした。
 わたしは、フローズヴィトニルと……『おとうさま』とひとつに混じり、共に眠るために生まれたのだと、ずっと信じていました」
 不和と争いの名を与えられた精霊であった彼女は人間との関わりの中で、『エリス』とその呼び名を変えたのだそうだ。
 長く続いた自らの宿命から解き放たれたのは、フローズヴィトニルの為を思ったイレギュラーズ達のお陰でもあった。
「今日は、のんびりと過ごしませんか。
 ……フローズヴィトニルの封印も、バルナバスの撃破も、終ったのですから」


「賀澄殿! どうして御身を大切になさらないのか!」
 声を荒げた『中務卿』建葉・晴明は頭を抱えていた。目の前には手厚く『神使』に護られて居たことで無傷の『霞帝』今園・賀澄の姿がある。
 エリスと共に銀の森で祝宴を行なうのだと彼は――一国の主であるにも関わらず、自由奔放である――四神と共にその準備に参加しているようである。
 そもそも、豊穣郷カムイグラの守護精霊である『四神』達は、豊穣の地から自由に出る事は出来ない。
 だが、晴明や(今回は留守を任されている)『陰陽頭』月ヶ瀬・庚が彼等を外へと召喚する形で外の世界を満喫する事が可能なのだ。
 そもそもにおいての、四神の加護厚く、黄龍や黄泉津瑞神にさえ加護を与えられる霞帝は異例中の異例の存在ではあるのだが――
「俺がいるから黄龍も此処で思う存分遊べるのだ。折角の祝いの席を楽しまぬ道理はないであろう」
「……そういう事ではありませんが」
 頭を抱えた晴明の肩をばしばしと叩いたのは黄龍である。「そういう事もあろうよ」と嬉しそうな『彼女』は眠たげな朱雀を小脇に抱えていた。
「……ん」
「銀の女王よ、吾等も助力するぞ。祝宴の準備は此方に任せよ。
 あの魔女と話すことがあるのだろう? 吾等には祭の大将がおるでな」
 肩を叩かれた玄武が「パアアアアリイイイ!!」と『バイブスぶち上げ気味』に応じればエリスは得も言いがたい表情で頷いた。

 悪しき狼の爪は大地を抉った。恐ろしき冬が全てを閉ざしてしまった事は、何もにも代えがたかった。
(……長い別れを、しなくてはなりませんね)
 エリスが振り返れば、そこには『ウォンブラング』の魔女、ブリギット・トール・ウォンブラングが立っていた。
「……ブリギットちゃん」
「精霊女王、お父様の容れ物と、わたくしの……『友人』だったものはお預かり致します」
 ブリギットは魔種である。呼吸をするだけで、心の臓を動かすだけで、世界に滅びを蓄積させる『許されざる存在』である。
 だが、彼女が幾許かの『許された時間』を得ているのは確かなことだった。
 奇跡によって、女は僅かに考える時間を得た。同様に、最後の決定を降せば穏やかな眠りに就くことも出来るだろう。
 今、彼女が手にしている『封具』は柔らな春色の欠片であった。その内部には鎖が透けて見えている。封じ、そして『包み込んだ』品を持って、彼女は『封印の地』へ向かう。
「わたくしにお任せ下さい。無事、フローズヴィトニルはウォンブラング……はじまりの地に、縛り付けましょう」
「ブリギットちゃんは、どうするのですか?」
「リュティスにアレクシア、ルル家にスティア……ンクルスやリュコス、ヨゾラ、ジルーシャにシラス、ヴァレーリヤ……。
 沢山の子供達に少しだけ時間を貰いました。わたくしは、魔種です。斯うして話しているだけでも滅びを蓄積させ、愛しき子達の未来を潰しかねない」
 暗い表情を見せたブリギットは欠片を撫でてから目を伏せた。
「本当の春が、救いの日が訪れるまで眠っていることを、時を止めることを、あの娘達はわたくしに機会として与えてくれました。
 莫迦なことを、と思って居たのです。ええ、けれど……ある『友人』が底抜けの御人好しばかりのイレギュラーズを相手にしているのだから、と。
 わたくしを驚かせ、狂気をも吹き飛ばすような未来を見せてくれる事だろうと、言っていたのです」
 その人の言葉を一つ、胸に留めていたからこそ己はこの時間を享受することが出来た。
 そう呟いてからブリギットは「改めてお礼を申し上げねばなりませんね」と呟いて目を伏せた。
 女は、ウォンブラングの地でフローズヴィトニルの最後の封印を施す。
 そして、その場で――『あの海の魔種と同じように最後の死が訪れることなく』、『あの森の魔種のように長き眠りに着く』のだそうだ。
「……別たれた道を、ともに歩み、今からはまた、皆が別の道を進むことになるのですね」
 エリスは目を伏せてから、先行きを願うように指を組み合わせた。

 白魔に攫われた命も、動乱の影に消えた数々の星もあっただろう。
 それでも、今、この地に訪れた春が運んだぬくもりは、素晴らしき未来の訪れを予感させた。

GMコメント

 夏あかねです。よろしくおねがいします。

●銀の森
 ラサと鉄帝国の国境沿いにあります。温暖な空気が漂い、雪化粧でありながらも穏やかな空気を感じます。
 普段はそんなことはないのですが、精霊達の計らいにより、『雪色の桜』の樹が存在し、非常に美しい場所となりました。
 この場所は防寒対策は必要ありません。
 食事等は黄龍や玄武が張り切って用意したようです。霞帝も酒宴だと大騒ぎして、中務卿の胃が痛そうでもあります。
 何時も通りに楽しく過ごされるのであれば是非此方にどうぞ。

 >NPC
 ・エリス・マスカレイド
 ・『霞帝』今園・賀澄
 ・『中務卿』建葉・晴明
 ・『四神』達+黄龍(瑞神と庚くんは豊穣郷にお留守番です)
 ・カヌレ・ジェラート・コンテュール嬢、他、豊穣海洋連合軍などなど

●廃村ウォンブラング
 ヴィーザル地方に嘗て存在したハイエスタの村です。ブリギットが収めていました。滅びた原因はフギン=ムニンです。
(フギンのせいでブリギットが反転し、その余波で村が滅びてしまったようです)
 その端の祭祀場にてブリギットが『フローズヴィトニル』を封じます。後は地に縛り付けるだけですので代償は必要ないようです。

 ブリギット・トール・ウォンブラングは魔種です。明確に世界の敵です。
 PPPの効果や、皆さんの声掛けにより少しだけ『良き未来』を期待しようとフローズヴィトニルと共に眠りに就くことにしたそうです。
 死とイコールではなく、少しだけの『別れ』として割り切っているようですが……。

 >NPC
 ・『フローズヴィトニル』
 フギン=ムニンと一緒に封印されてます、フギン自体はフローズヴィトニルに混ざり合い、個をなくしてしまったでしょうか……。
 伝承のはじまりの地に縛り付けられ、この地で穏やかな眠りにつくことでしょう。

 ・ブリギット・トール・ウォンブラング
 個人的なブリギットのプロフィールです
  ・雷神の末裔を自称したハイエスタの女。ウォンブラングの村の長老です。幻想種です。
  ・己の村の子供達を愛しており、血の繋がらぬ存在を家族として慈しんできました。
  ・フギンにより反転させられた事で、『イレギュラーズ』を愛しい子供達であると認識し革命派で共に行動していました
  ・今はその認識がなくとも、イレギュラーズ達を己の愛しい人として認識しています。

●その他
 何かございましたらご選択下さい。
 (鉄帝国系NPCや夏あかね所有NPCもお声かけ頂ければご一緒させて頂きます)

 のんびりとお過ごし頂ければと思います。


行動場所
 以下の選択肢の中から行動する場所を選択して下さい。

【1】銀の森
ラサと鉄帝国の国境沿いに存在する銀の森でパーティーをします。
ローレット銀の森支部では、援軍であった【海洋】【豊穣】軍、及びエリス・マスカレイドの姿も見えます。

【2】廃村ウォンブラング
廃村となったヴィーザルのハイエスタの村、ウォンブラングに征きます。
ブリギット・トール・ウォンブラングと【封印の要】となった石が存在します。

【3】その他
何処か行きたいところがあればご指定下さい。
ただし、ご要望にお応え致しかねる場合もございます。その場合は銀の森で対応させて頂きます。
(鉄帝国国内です。例としてはマイケル鍾乳洞やバラミタ鉱山など)

  • <春告げの光>氷解のエウダイモニア完了
  • GM名夏あかね
  • 種別イベント
  • 難易度VERYEASY
  • 冒険終了日時2023年04月19日 22時05分
  • 参加人数43/∞人
  • 相談7日
  • 参加費50RC

参加者 : 43 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(43人)

夢見 ルル家(p3p000016)
夢見大名
エイヴァン=フルブス=グラキオール(p3p000072)
波濤の盾
オデット・ソレーユ・クリスタリア(p3p000282)
鏡花の矛
ツリー・ロド(p3p000319)
ロストプライド
ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)
【星空の友達】/不完全な願望器
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
武器商人(p3p001107)
闇之雲
ウォリア(p3p001789)
生命に焦がれて
ヴァレーリヤ=ダニーロヴナ=マヤコフスカヤ(p3p001837)
願いの星
ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)
優穏の聲
ジルーシャ・グレイ(p3p002246)
ベルディグリの傍ら
オリーブ・ローレル(p3p004352)
鋼鉄の冒険者
シラス(p3p004421)
超える者
メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りと誓いと
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
大樹の精霊
炎堂 焔(p3p004727)
炎の御子
エレンシア=ウォルハリア=レスティーユ(p3p004881)
流星と並び立つ赤き備
アベリア・クォーツ・バルツァーレク(p3p004937)
願いの先
新道 風牙(p3p005012)
よをつむぐもの
如月=紅牙=咲耶(p3p006128)
夜砕き
エッダ・フロールリジ(p3p006270)
フロイライン・ファウスト
イーハトーヴ・アーケイディアン(p3p006934)
キラキラを守って
ルカ・ガンビーノ(p3p007268)
運命砕き
レイリー=シュタイン(p3p007270)
ヴァイス☆ドラッヘ
ンクルス・クー(p3p007660)
山吹の孫娘
リュティス・ベルンシュタイン(p3p007926)
黒狼の従者
リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)
神殺し
八重 慧(p3p008813)
歪角ノ夜叉
ルーキス・ファウン(p3p008870)
蒼光双閃
ハリエット(p3p009025)
暖かな記憶
ニル(p3p009185)
願い紡ぎ
祝音・猫乃見・来探(p3p009413)
優しい白子猫
ルブラット・メルクライン(p3p009557)
61分目の針
囲 飛呂(p3p010030)
君の為に
ミザリィ・メルヒェン(p3p010073)
レ・ミゼラブル
メリーノ・アリテンシア(p3p010217)
そんな予感
ファニー(p3p010255)
秦・鈴花(p3p010358)
未来を背負う者
月瑠(p3p010361)
未来を背負う者
劉・紫琳(p3p010462)
未来を背負う者
マリエッタ・エーレイン(p3p010534)
死血の魔女
水天宮 妙見子(p3p010644)
ともに最期まで
クウハ(p3p010695)
あいいろのおもい

リプレイ


 柔らかな春の気配を纏う風が吹き込んだのは銀色の木々の葉を揺らがせる。銀泪の傍でやっと一息吐いたのであろうエリス・マスカレイドは胸を撫で下ろしてからイレギュラーズへと向き直った。
「イレギュラーズちゃんたち、此度の勝利は皆のお陰ですね」
「エリスちゃん」
 そんな彼女に飛び付いたのは焔だった。『大変なこと』も沢山あったが、漸く終った。それを確かめるようにエリスを抱き締める。
「焔ちゃん」
 呼ぶ彼女に焔は少しばかり眉を吊り上げて「エリスちゃん!」と叫んだ。
「最初から自分が犠牲になって、フローズヴィトニルを封印するつもりだったんでしょ。
 来年も、再来年も、シャイネンナハトにはずっと遊びに来るよって言ってあったのに! それなのに、エリスちゃんがいなくなっちゃってたら意味ないよ!」
「あ、ごめんなさい。わたしは」
 焔の剣幕に思わずたじろいだエリスは何処か悲しげに眉根を寄せる。唇をつんと尖らせて困ったような表情を浮かべた彼女を焔は更に抱き締めた。
「……でも、エリスちゃんが無事で、本当によかった。
 今度からは何か困ったことがあったらボク達にちゃんと相談してよね。お友達が困ってるのに、力になれないなんて嫌だから、約束だよ!」
「はい、ありがとう、ございます」
「本当よ。漸く、漸く、全部終ったわね。……エリスちゃんも、本当にお疲れ様」
 グラスを差し出すジルーシャは小さく微笑んだ。エリスは焔の背を撫でていたのとは逆の手で握るグラスをジルーシャのそれと打ち合わせる。
 全てがめでたしとはいかなくとも、彼女が生きていてくれたことだけが本当に喜ばしい。
 雪色の桜の花びらを一枚、掬い上げてからジルーシャは焔の背中越しに伺うエリスの表情に思わず吹き出した。
「もう、そんな顔しないでったら。あの時、アンタが願ってくれたから――アタシたちを信じてくれたから、ここまで頑張れたんだもの」
「けれど」
 なくなった右眼の事を彼女が気にしないように。微笑むジルーシャにエリスは目を伏せる。屹度、彼女は分かって居たのだろう。
 ジルーシャの目は、祝福で呪いだった。いつかは彼の未来をも奪う残酷な呪い。それがなくなったのだから恐れること何てないと彼は柔和に微笑んだ。
「エリスが無事でよかったわ。この森も一足早い春みたいでとても綺麗ね」
 祝宴の為に集まるイレギュラーズ達を見詰めてからオデットはそう微笑んだ。エリスはこくりと頷く。
「やっぱり今はもうコンコルディア、調和の名の方が相応しいわよね」
「調和、ですか?」
 ぱちくりと瞬くエリスに「ま、改名するより今の『エリス』の方が呼びやすくてもっと好きだけど!」とオデットは冗談を交ぜて微笑む。
「はい。わたしも、エリスがいいです。皆さんが、そう呼んで下さいますから」
「……それはそれとしてオディールはフローズヴィトニルの欠片なわけだけど、エリスとは兄弟ってことになるのかしら?」
「お、弟……?」
 ぱちくりと瞬くエリスにオデットは「オディール」と挨拶を促した。それは彼女の奇跡によって生まれた存在だが――「怒るのはなしよ」と彼女が言うのだから、それ以上は何も言えまい。
「あら、言われてしまったわね」
 くすくすと笑うレイリーにエリスは何処か困ったように微笑んだ。
 そんなレイリーの傍にもロージーがいる。エレンシアは小さな氷狼を眺めてぱちくりと瞬いた。
「エレンシア、こちらロージー。今回活躍してくれた子よ」
「ああ、こいつがねぇ……ふむ」
 ロージーを撫でるレイリーにエレンシアはまじまじと子犬を眺めた。戦場では満足に見ることは叶わなかったフローズヴィトニルの欠片だが、斯うして見ればあの憎たらしい狼も案外可愛らしいのだ。
「ロージー。彼女はエレンシア、戦場でも会ってるよね。私の戦場での相棒よ」
 あん、と吼えてからロージーがエレンシアの足元をぐるぐると回る。それもそのはずだろう。エレンシアが手にしていたのは――
「あたしはエレンシアだ。よろしくな、ロージー。そうだ、お近付きの印……って訳じゃないがこいつをやろう」
 ――取り分けた肉だった。一気に距離の縮まった二人にレイリーは微笑ましそうに目を細める。
「……いやまあ、じゃれるのは構わないが少しはゆっくり飯食わせろ……」
「ロージー、私と一緒にお肉食べよう!」
 膝の上にロージーを乗せて微笑んだレイリーにエレンシアはあの戦に対して思う事はあるが、それは心に仕舞い込んでおこうかとグラスを傾ける。
 今日はロージーと共に楽しむ日だ。レイリーにとっては大好きな戦友と戦う機会を少しだけ逸してしまった心残りもあるが。
「ありがとう。次こそ2人で大暴れしたいね」
「ああ、そうだな。次は……な」
 そう微笑んだレイリーにエレンシアはその時までに更に強くなると決意を固めたのだった。
 何処か暗い表情を見せたサイズは念の為にと銀の森へと張り巡らせたバリケードの撤去をして居た。
 精霊女王であるエリスのことを思っての作業であったが、この地が戦火にさらされなかったことは幸運であったとしか言えない。
 ふと、思い浮かべたのは妖精女王と呼ばれたファレノプシスの事だった。彼女が『どう』なったのかは今代の女王達に聞けば良く分かる。
 夜の王なる災厄を祓うため、女王は『遠い所』に行くことを選んだ。そこは妖精達にとって『真なる妖精郷』と呼ばれており、妖精達はそこから来て、いつかそこへ帰ると思われ、考えられ、信じられている。それは、平坦に言い換えれば『死』を意味している。ただ、そう口にしないのが心理的な救いなのだ。
 ――彼女は手の届かぬ存在になったが、今代の女王達は彼の起こした奇跡をよく知っている。
『短命であること』、そして、『二度と外の世界を見ることは叶わないこと』を消し去ってくれた彼に彼女達は確かに感謝しているだろう。


「お食事はたんまり持ち込みましたわよ」
 にんまりと微笑んだカヌレにエイヴァンはやれやれと肩を竦める。海洋群や護衛対象の『お嬢様』が居るというのに席を外すのも妙な心地だからだ。
 酒と食事がある以上、特に避ける意味もないというのがエイヴァンの考えでもある。
「玄武のじいさんは相変わらず、力の無駄使い感はあるが今回はありがたく便乗させてもらうとしよう」
「何ィ?」
 パーリィナイトを楽しむ玄武にエイヴァンは掌をひらひらと振った。彼にすれば冠位魔種というのは海洋にとっての敵ではあるが、海洋が此処まで協力的に動くというのは意外だった。
「絶望の青での一件で協力はしたが、その前はまぁ……いろいろあったしな」
「あら?」
「別に不満とかではない。そもそも俺自身も援助のためにそこのお嬢様に声がけしたこともあったわけだからな」
「ええ、あなたの声を聞いてあげたのではありませんの。恩着せがましく言いますわよ!」
「……」
 護衛を続けろという事かとエイヴァンの表情が曇るがカヌレは相も変わらず楽しげだ。海洋王国の女王名代であろう彼女の明るい様子に大声を上げて笑ったのは『霞帝』である。
「賀澄様、怪我はありませんでしたか? 何か痛むところは……ああ、それよりも、ご無事で何よりです」
 慌てて声を掛けたルーキスの傍には空木が腰を下ろしていた。天子が無事ならば酒宴を楽しまぬ意味もないと思う存分に賀澄と酒を呷っている様子でもある。
「まさか豊穣から援軍が、それも賀澄様や四神の皆様が駆け付けるとは思わず、驚きました。
 しかもこの様な祝宴の席まで設けて頂き、ありがとうございます。
 共に肩を並べて戦うことは叶いませんでしたが、戦いの最中はずっと気…って、師匠!? いつもの調子で酒瓶片手に賀澄様に絡むのは流石にダメですよ!!」
「あ? ふっ、お前は相変わらず堅いな。これは戦場での働きに対する報酬ってやつだ。素直に受けとらねぇとな!」
「ああ、そうだぞ。ルーキス。楽しめ」
 相変わらず、明るく、そして無礼講だと口にする賀澄にルーキスは「いやいやいや!?」と大慌てで止めに入る。相手は何せ、天子――『国王』と呼ぶべき存在だからだ。
(賀澄様の行動にいつも頭を抱えている晴明殿の心情が何となく分かった様な気がするな……)
 沈痛の面差しであった晴明に気付いてから風牙が肩をぽん、と叩いた。「カスミさん!」と呼び掛けて、安堵に肩を落とした風牙は何時も通りの明るい笑みを浮かべる。
「あんたらが戦場に現れたの見たとき、ほんと心臓止まるかと思ったぞ!
 いや、助けにきてくれたのはすごくありがたいし心強かったんだけど! そこはお礼を言う! ありがとう!!
 ……けどな、あの場所でも言ったけど、二人とも双子にとって大事な人なんだからさ。あいつらに、家族を失うような気持ちは味わわせたくないんだ」
「ああ。そうだな。俺は双子の父代わり、セイメイは兄代わりだ。あの娘達に二度とはその様な思いをさせたくはない」
 頷く賀澄にも何か思うことがあったのだろう。二度とは、と唇を動かした風牙が些か不安そうな表情を見せたが――それは今は横に置いておこう。
「ほんと、頼むな。あんたらみたいな人間はさ、自分より周りの多くの人間を大事にしちまうんだ。
 だけど、そうやってあんたらが傷ついたら、辛い思いをする人間がいるってこと、胸に刻んでおいてくれな」
「もっと言ってやってくれ」
 晴明の小言に賀澄は腹を抱えて笑う。ぱちくりと瞬いたのは妙見子であった。雪色の桜にロマンを感じ、風靡な世界を楽しみながら『会う事に途惑い』を感じていた妙見子は明るい『主上』の姿に思わず息を呑んだのである。
「ああ、賀澄様」
「ん?」
「……賀澄様。そんなきょとんとした顔しないでください、お酌くらいするっていたじゃないですか。
 ……はい、盃を出してください。晴明様も……少し三人でお話がしたいのです」
 目配せに晴明は頷いた。賀澄を慕う青年は彼がそうすると決めたのならば何も問うことはしない。妙見子は姿勢を正す。四神達が周りの喧噪を引き受けてくれたようだ。
「もうご存じだと思いますが私は九尾の狐、国を傾け、害を為す者。
 フローズヴィトニルが悪しき狼であったならば私は悪しき狐の女。それはこの混沌であっても変わらないものだと、今でも思っております。
 ですから盃を共に……これは私の我儘、そして獣を縛っておくための鎖として……豊穣……いえ人と共に歩むための誓いをここに」
 盃を掲げる妙見子に従いながらも賀澄は彼女の頭を乱雑に撫でた。晴明が「女性にその様な」と当たり前の様な注意をするが男は気にした素振りもない。
「妙見子殿、俺は実は旅人だ。再現性東京にも近しい様な場所から一人でやって来た。
 此処からは、まあ、一人の男の戯言として聞いてくれ。豊穣は『イレギュラーズ』を神の使いと呼ぶ場所なのだ。
 ……元の世界で何者であろうとも、混沌は受け入れてくれる。そして、この俺も同じく受け入れられた側だ。
 何、其方が悪意を持って害するならば俺が止めてやろう。その役目を任せてはくれるか?」
「何を仰いますか、貴方様は背後に控えていればよいと」
 くどくどと幼子に言い聞かせるような晴明の声に賀澄が「俺の弟分は煩いモノだなあ」と笑う。
 自身の存在は、この戦いを経て大きく変わるだろうか。この地に召喚されなければ、穏やかで温かな気持だって浮かんでは来なかった。
(ああ――隣で穏やかに微笑む愛しき人よ。どうか貴方は幾久しく健やかに生きていてほしい)
 晴明様、と呼び掛けてから妙見子はおまじないとして彼の頭を撫でた。祝福を、愛しき人が為に彼女が込めた願いは嫋やかなモノだった。
「晴明様」
 呼び掛けたメイメイは黄龍に掴まって居たのかその膝にちょこりと座らされていた。何時か春風と共に優しい目覚めを――そう告げた彼女を捕まえた黄龍が手を振っている。
「……お疲れ様、でした。……晴明さまにはお酒よりも薬草茶、が良いでしょうか? 賀澄さまをお止めする時は、力になります、ので……」
「……ああ」
 はははと声を上げて笑った賀澄に晴明ががくりと肩を落とした。メイメイが見たいと願ったのは雪色の桜である。少し喧噪から離れた位置へとメイメイは一人で歩いて行く。その背を追掛けた晴明は、彼女はぽつりと呟いた。


「皆さまがこうして揃って過ごす姿が見られて……本当に、良かった……あっ……晴明さま……わたし、また、泣き虫になってます、ね……めぇ……」
 ほろりと一つ涙を零したメイメイに晴明はたじろいだ。どう、声を掛けるべきか、戸惑ったからだ。
「この度の戦いで、わたしは沢山の勇気を貰いました……立ち止まらずに来られたのも、そのおかげ。
 だから、この先も……進んでいけます。まだまだ、やるべき事は山積みですもの、ね」
 涙を拭ってから肩を竦めた。銀の森の雪色の桜も美しいが豊穣の桜も屹度見頃――瑞神は庚と共に寂しく過ごしているだろう。
 あちらでも花見をしましょうと約束を一つ、交して。


「ゼラーさん、ありがとうございました! 貴方と一緒に戦えて、すごく心強かったです。
 それに、どこで戦っていても、貴方のファンとして恥ずかしくない戦いをしようって思えて。その想いが俺の、支えになってくれました」
「何、気恥ずかしい話だ」
 ゼラー・ゼウスが少し顔を赤らめれば、イーハトーヴはくすりと笑った。
 護りたいモノに手を伸ばし、強欲(こころ)の儘に進むことは誰かを傷付けるのだとイーハトーヴは知った。その心の痛みは胸の内、だ。
「……お酒、美味しいな。オフィーリアは嫌だろうけど、もう控えなくていいんだね。
 この国は勝ったから。毎日、理不尽な争いに備えなくても良くなったから」
「なら、飲め飲め」
 ゼラーが盃に酒を勧めればイーハトーヴはぱちくりと瞬いてから笑った。
「ねえ、ゼラーさん。俺、ファントムナイトの日の約束が叶うの、楽しみにしてます。勿論、試合もいっぱい応援に行きますね!」
 ゼラー・ゼウスは青年の頭に手を伸ばしてからぐしゃりと頭を撫でた。その楽しげな笑みは妙に気恥ずかしい。
「雪色の桜、しかも寒くないし、精霊たちに感謝だな」
 そう呟いた飛呂は想い人のことも此処に呼んでみたかったとぽつりと呟いた。戦いの後だ、彼女もローレットの情報屋として戦後処理に大忙しだろうか。
「……桜とか、宴会楽しんでる人たち……そういやあの人達って豊穣のお偉いさんなんだよな、何やってんだ……まぁ、許可貰ってから撮ってみよう」
 視線の先に居た賀澄は飛呂に「ぴーす」といきなり声を掛けてきたが――それは驚きばかりだ。
 この美しい桜を見れば、彼女は、ユリーカは、何と云うだろうか。エリス曰く、桜は未だ散らないそうだ。共に見る事は(彼が誘うことが出来れば)屹度、叶うだろうか――?
 慈雨と名を呼べば武器商人が振り返るクウハは雪化粧なのに暖かいなと周囲を見回した。雪色の桜は美しく、見事なものである。
「寒くないのは嬉しいな」
 クウハは体温が低い。ココアや彼の好きな物も用意してきたが、喜んでくれるだろうかと武器商人は切れ長の眸を彼へと向けた。
 美しい物が好きな彼が花の下に立っている。その光景だけでも優しく、そしてしあわせの象徴だ。
「慈雨、今日は俺も好物を作ってきたんだ。海老とブロッコリーのタルタルサラダに、海老カツ。海老が好きだって聞いてたからな」
「ああ、我(アタシ)もさ。しぐれ煮のおにぎりと、明太子入りのだし巻き卵。2人で美味しくいただくとしようか」
 花見に合うみたらし団子も用意したのだと目を細め笑ったクウハの頬を擽る指先は感謝を込めてのモノだ。
 美しい景色を見て、共に過ごす。流れる時間の優しさが変えがたい幸福となるのだ。
「慈雨」
「なんだい?」
 呼び掛ければ、武器商人は口元を緩めた。何時だって、彼は気遣ってくれる。この優しい時間を与えてやれたことは武器商人にとっての喜びだ。
「我(アタシ)の可愛い近縁種(はらから)。愛してるよ。これからも我(アタシ)の猫でいておくれね」
「……ああ。愛してるよ、慈雨。これからもずっと、慈雨の猫でいさせてくれよ」
 手を取って、散歩をするのも楽しいだろう。うたたねをするのだっていい。膝を貸してその重みを甘んじよう。
 ――二人なら、桜に攫われてしまうのも、屹度、悪くはないかもしれない。

 さくさくと、花を踏み締めたハリエットは宴席を遠巻きに眺めて呟いた。
「私は結局、あの人のことを一つも理解できなかった」
 胸を撃ち抜いた彼は――ローズルは、何を考えて居たのだろうか。わかり合いたかった、けれど、あの人は心の底を曝け出さなかった。
「……人の心に無理やり入り込むようなことはできないよ」
 ――それが、良くなかったのだろうか、それとも。彼の望みを叶えるにはハリエット一人では抱えきれなくて。
「勝ったからには、望みを叶えるために動こう。それが彼への弔いだと信じて」
 動乱で親を亡くした子供も多数出ただろう。自身の様な孤児が生きていける国を作りたい。
 強さだけが全てではないのだと、そう、教えて笑いかけてあげられるような国を――

「雪の桜ですか。見るのも聞くのも初めてですが……。今まで見た桜とはまた違った美しさがありますね」
 ほうと息を吐いたのは紫琳であった。給仕を担当する彼女はそれ専用コスチュームだとメイド服を着用し、淹れ方を学んだばかりの呈茶を行って居る。
「琉珂様もいかがですか?」
「わあ、ありがとう!」
 にんまりと微笑んだ琉珂に紫琳は頷いた。ふと、紫琳は琉珂が手にしていた鈴花特製弁当を眺めるが――
「お花見弁当もとても美味しそうで……。……ところで今回は琉珂様がご用意されたものは……?
 い、いえ、こういったイベントの際には琉珂様の動く料理を見ている気がしますのでつい……」
「大丈夫よ、止めたわ」
 視線が明後日の方向に向いている鈴花の成果なのだろう。「琉珂の飯は凄いんだったな」と笑ったルカの声に「ギッ」と鈴花が声を上げる。
「ほ、本日はお日柄もよくお花見日和で!」
 ラサの顔が良い男が一緒なのだ。風流だと笑うその笑顔一つで胃がひっくり返りそうな鈴花は「たすけて」と唇を動かしている。
「……なぁユウェル、琉珂。鈴花っていつもあんな感じなのか? 前はそうでもなかった気がするんだが」
「りんりんは今日もダメみたいだけど大目にみてあげて。いつもはもっとしゃんとしてるの。いけめん? のそばだとああなるの。大変だよね」
「ルカさんのね、顔面が凶器なんだって」
 凄いことを言うユウェルと琉珂の頭を鈴花は掴んでから「ああー!」と叫んだ後に深く息を吐いた。特製の花見弁当をこれから楽しむのだ。
「あ、ルカ、ピックが刺さったおにぎりは食べないようにね。ゆえ用の宝石入りのおにぎりは、いくらアンタが強かろうと歯が折れちゃうわ」
「美味いのかそれ?」
「おいしいよ? いる? いらないか……」と笑うユウェル。流石のルカも宝石は食べるよりプレゼントとして送ることを選ぶと笑う。ならば、ユウェルが『とびっきり』を準備してあげると身を乗り出した。
「りんりんの料理はいつも美味しー! 宝石おにぎりを作らせたら世界一だね。
 他に作ってる人おかーさんしか知らないけど。あ、さとちょーはりんりんいない時にお料理しちゃダメね」
「ええー」
「はいはい、リュカも今度は一緒にお弁当作りましょうね、一緒によ」
 鈴花の手料理なのかとルカは目を瞠った後に、屈託なく微笑んだ。
「これは鈴花が作ったのか? うめえじゃねえか。店で食うもんと遜色ねえ。お前さんと結婚する男は幸せモンだな」
 ――心停止した。鈴花レスキューが必要である。
「なんだ琉珂は作ってねえのか。今度はお前さんが作る料理も食ってみたいもんだな」
「ルカもその時は来て頂戴よ、料理を捕まえる人手はいくらあってもいいもの……本っっっ当に、大変なんだから!」
「ルカせんぱいもさとちょーの料理は堪能した方がいいよ。一回見ればわかるから」
「逃げる料理……? 材料になる動物の捕縛って事か? そりゃあ手伝うのは構わねえが……違うのか?」
 何か作ろうかと立ち上がる琉珂の肩を鈴花とユウェルは押さえ付けてから首を振った。
「そう、そういえば! お友達紹介きゃんぺーん!
 ねえルカ、アンタリュカの師匠でしょ、今度アタシ達とも手合わせしてちょうだい!
 アタシもゆえもリュカも難しく考えるのは苦手で『真直ぐ行って殴る!』が得意なの」
「あ、わたしもわたしもー! わたしのおししょーはおかーさんだけどいろんな人と手合わせするのは大事だもん。
 これからもっと大変になるだろうけどそのためにも強くならなくっちゃ。ずーっとずっとおばあちゃんになっても一緒にいたいもんね!」
 身を乗り出した鈴花とユウェルに琉珂も「私にももっと教えて」と手をびしりと上げる。
「力任せの戦い方か。はっ、そりゃあ良い。それなら俺の得意分野だ。教えられるかは知らねえが稽古相手にはなれるぜ」
 これから彼女達が向かうのは危険地帯だ。それまで三人仲良くし、誰かが『間に合わない』事ないように――
 ルカの眸に滲んだ気配を見詰めてから琉珂は「大丈夫、凄く仲良いもの」と微笑む。彼女には護りたい物が沢山ある。
 唐揚げを美味しいと笑うユウェルも、イケメンに泡を吹きそうな鈴花も。お茶を入れて持ってきてくれた紫琳も。それから――
「今日のように皆で集まって、食べて、飲んで、騒いで、というのも悪くないですね。
 ……森の奥の問題の後には里に皆様をお招きして大々的に宴会というのも良いかもしれません。
 その頃にはお花見の季節ではないでしょうから……なんでしょう?」
「星見?」
 琉珂の問い掛けに何か考えましょうと紫琳は微笑んで。
(……ええ、こんな日がこれから先、何度でも迎えられるように。貴女の進む道を、未来を、守らせてください)


 ウォンブラングは荒れ果てていた――が、ある程度の掃除をしたのだとシラスは誇らしげに笑う。
「褒めてくれよな」
「ええ。屈んで、シラス」
 ブリギットは柔らかに声を掛けてからシラスの頭を撫でた。まるで、幼い子供にするように頭を撫で、頬をなぞってから良い子と彼女は言う。
「なんだか、不思議ね」
 優しい風の吹く場所で、メリーノは呟いた。
「エリスちゃんもおばあちゃんも、とりあえずは今、笑っていられるのね、よかった。
 おばあちゃんに『内臓の換えの用意はある?』って訊かれたときは笑っちゃったわあ もう大丈夫よぉお腹はすっかり治ったみたい。
 だからもう、なんにも気にしなくていいわあ 意地悪ばっかり言ってごめんなさいね」
「いいえ、貴女もよく頑張りましたね、メリーノ。大切な人は護れましたか?」
 ブリギットの問い掛けに、メリーノはぱちりと瞬いた。年の功、とはよく言ったもので、彼女はメリーノの護りたいモノをよく分かって居たのだろう。
「ちゃんと、みんなにめでたしめでたしを渡したかったんだけど あそこで止めてくれてありがとうね。
 止めてもらわなきゃ、きっとわたしの銀色が大泣きしてたから ふふふ!」
 くすくすと笑ったメリーノにブリギットも「泣かせてはいけませんよ。あの娘は、泣き虫でしょう?」と揶揄うように言う。
 そんな彼女の背中に声を掛けたのはルブラットであった。「ご機嫌よう」と恭しく挨拶をしたルブラットにブリギットも応じる。
「……先日貴方は、かつての同志も愛してはいたと、そう答えていたな。
 ブリギット君が二回も裏切ったことを誰も責めやしないだろうし、私も同様だ。
 だが、貴方の心にはしこりが残っている、と思う。私の推測だがね」
「……ええ」
 ブリギットはまじまじと、ルブラットを見詰めた。確かに、ブリギットは『母』として『祖母』として、彼等を愛していたのだろう。
「確かにアラクランには悪人もいたが、その全てを悪とは断言できまい。それを私達は知ってしまっている。
 彼らとの戦いを、悪行へのありふれた制裁や、弱肉強食の結実としたくない……。
 だから、彼らや貴方がどんな国を夢見ていたか、もっと語ってもらってもいいかな。
 その夢を知った上で叶えれば、彼らも多少は報われるだろうし……手伝ってくれた貴方も、裏切りの贖罪を果たせるだろう?」
 目指したのは、強さなど必要ない国だった。ギュルヴィがどう考えたのかは分からないが、それでも、少しだけは分かる。
 あの男は、アレでいて甘い。屹度、己が王の名を付けた楽園を手に入れれば莫迦みたいな理想論で国営をするつもりだったのだ。
 ブリギットにとって、餓えも苦しみもないなど夢でしかないと分かりきった理想を彼は当たり前の様に机上の空論として語るのだ。
「……ふふ、完璧だな」
「ええ、友人、だったものは莫迦ですから」
「『友人』だったもの、か。ふむ、……そうか。
 ――ギュルヴィ君は、私の言葉を聞いて、死者となった仲間のことを思い出してくれただろうか?
 そして、他ならぬ彼は一体どのような国を夢見ていたのだろうか? 今となっては、知り得ぬことだな……」
 彼の『柔らかい部分』は自分がちゃんと抱き締めて行くとブリギットは揶揄うように目を細めた。
 彼女のローブををきゅ、と握りしめた祝音は唇を震わせる。フギン=ムニンは混ざり合って、溶けてしまったのだろう。
「ブリギットさん……おばあちゃん」
「おいで、祝音」
 優しく手を差し伸べた彼女の腕に祝音は飛び込んだ。少しだけ、ぎゅうと抱き締めて欲しかった。少しだけ、泣いていても、赦して欲しかった。
 甘えたいと幼い子供の様に擦り寄ったのは年相応の姿だった。気丈に振る舞っていた彼の背をブリギットは撫でる。
「……おばあちゃんが生きてて、眠る前に会えて……本当に、良かった……」
「ええ。あなたを抱き締めてあげられて、よかった」
 おやすみなさい、と告げる事が怖かったのは永劫の別れが待ち受けている予感がしたからだった。けれど、今は、そんなことはない。
 また『おはよう』が待っている。不安定な感情を吐露するように零した言葉をブリギットは受け止めてくれる。
 周辺の霊魂達の様子を眺めて居た慧は、はっとしてからブリギットを見た。彼女が安心して眠れるようにと確認したが――ああ、此処は暖かな場所だ。彼女の培ってきた、大切な場所なのだろう。
「……見守ってくれるんすね」
 慧は花を用意した。フローズヴィトニルと、それからブリギットへだ。魔女さんと呼び掛ければ彼女は緩やかに顔を上げる。
「いつかともに笑い会える春が来るように、まぁそういう祈りみたいなもんですよ」
「慧、あなたにとて、その未来は有り得るモノだと思いますか?」
「……さあ。魔種は滅びを呼ぶから倒す、俺は優先順位がはっきりあるんでそういうの選択しますがね。
 だからといって、それが楽しいわけじゃない。もっと楽しい未来がくればいい、くらいは思いますから」
 良い返事だとブリギットは慧から花を受け取って綺麗だと微笑む。その美しさを眺めて居たアミナは「あ、あの」と声を掛ける。
 彼女を此処まで連れて遣ってきたのはヴァレーリヤだ。走り出す『後輩』の天真爛漫さは見ているだけで愛らしい。
「あのっ、お花、摘んできたんです。とっても良い匂いなんですよ。これがあれば、安眠間違いありません!」
 ヴァレーリヤに背を押されたアミナは古紙で包んだブーケを手にしていた。目を瞠った様子のルブラットにアミナはにこりと微笑む。
「有り難う、アミナ」
「それで、目が覚めたらギア・バジリカに来て下さいね。いっぱいご馳走しますから!
 大丈夫ですよ、きっと間に合います! 夢は大きく持たないと! ですよね先輩?」
「ええ。……これ、持って行って下さいまし」
 ヴァレーリヤは廃村でアルアと共に手にしていた宝物と、封筒を差し出した。
「手紙を書きましたの、貴女に。せめて心くらいは一緒に居られたらと思って。
 ……教会宛ての書状も入れておいたから、目が覚めるのがずっと後になっても、これを持って教会に行けば良くしてくれるはずでございますわ」
「良いのですか?」
「良いも何も……」
 傷付けたでしょうと目を丸くするブリギットにヴァレーリヤはくすりと笑ってからその背に腕を回した。
 嗚呼、そうしてみれば彼女は随分と細く頼りない体をして居たのだと分かる。雷の魔女、なんて似合わぬ呼び名だったのだろうか。
「本当に行ってしまいますのね。私達を守ってくれて有難う。
 貴女の強さに、温かさに、何度も救われましたわ。
 ……私にお婆ちゃんは居なかったけれど、もし本当に居たとしたら、ブリギットみたいな人だったのかも知れませんわね」
「わたくしは、あなたのおばあちゃんのつもりでずっと居ましたもの」
 何処か、揶揄いを含んだ声音にヴァレーリヤは「まあ」と面白おかしく微笑んで見せた。暖かく、優しい温もりだ。
「アミナもいらっしゃい。おばあちゃんをぎゅっと抱き締めてください」
 ブリギットに呼び掛けられてからアミナはヴァレーリヤと共に彼女を抱き締めた。
 暖かく、それから、もう一度はない温もりが離れて行く。
「愛しい子達」
 唇が動けば、アミナは困ったように笑ってから目を伏せた。涙が零れる所なんて、見せたくはなかったからだ。


「こうして話すのは初めてでござるな、ウォンブラングのブリギット『殿』よ」
 彼女と関わることを避けていた。それは咲耶にも信念があったからだ。
 魔種とは己の歪んだ狂気を第壱都市、一度堕ちれば、命を欠けた奇跡を起こせども救えぬ存在だった。
 今まで共闘した魔種達もたまたま目的が重なった、それだけの事だったはずだ。それでも――
(……しかし、拙者は氷の城の戦いでブリギットやクラウィスを見て最後に気付いてしまった。
 魔種の中にも狂気と抗おうとする『人』の心を持つ者が居て、同時に己が『その事』を心のどこかで拒んでいたという事に)
 けじめをつける。それは自らを認めて、受け入れる事なのだ。彼等と、己の心の弱さを受け入れるために彼女に声を掛けた。
「改めて助力を頂き感謝を申し上げる。またいつの日かお主が目覚めた時は、気軽に拙者達を訪ねてきて下され。その時は茶でも馳走しよう」
 どうにも気恥ずかしいと咲耶は肩を竦めたが、ブリギットは嬉しそうに笑う。
「ええ。有り難う。咲耶。あなたはわたくしが間違っていたならば、直ぐにでもこの命を絶ってくれたでしょう」
 それは、己が求めていたものだと笑うその笑顔に、エッダは姿勢を正したまま唇を噤んだ。
 エッダも魔種とは敵だと認識している。敵であることには変わりないが、すべてを憎むべきではないのだと、そう強く思ったのだ。
(かと言って、意志の強さ故により深く絶望に狂う者も居て――ああ、やはりこれは病のようなものなのだ。病理が解明されれば、いずれは。だから、今は)
 だから、今は――この選択を、受け入れなくてはならない。
「友が慕った故、貴女の助力をした。今はそうしたことを、誇りに思っている。此度の助力、帝国軍人として感謝申し上げる。」
 エッダの柔らかな声音にブリギッドは「そう思って貰えたのであれば、わたくしが生きた意味もあったのでしょう」と、そう笑った。
 ウォンブラングに来るのはヨゾラにとっては初めてだった。フギン=ムニンがこの場所に手を出さなければ――とそう思わなくはない。
 それでも、ブリギットが反転しなければ彼女と出会うことはなかったのだ。今に繋がる過去は事実として受け入れ、これからを見届けるために彼はやって来た。
「ブリギットちゃん! 実はおはぎを作ってきたのです! 出会ってすぐの時もごちそうしたの覚えてますか?」
「ええ」
 ルル家がおはぎを配る。ヨゾラはブリギット共に受け取って、柔らかな笑顔をまじまじと見詰めた。
「そんなに時間が経ってないのにすごく懐かしい気持ちがしますね。
 最後の時まで思い出を作るように、あの日革命派でのお祭りをした日のように楽しく過ごしましょう!」
 アミナの姿もある。あの、穏やかで幸せだった日々を思い出すように、共に過ごすと決めて居たのだから。
「この村、ブリギットちゃんが目覚めるまでに直しても良いですか?」
「ええ。好きに、使って下さい」
 封印についてはエリスが管理するだろうとブリギットは頷いた。この村の改修は、ゆっくりと進めていけるだろう。
「此処がブリギットさんの思い出の場所なんだね」
 ヨゾラはウォンブラングを見回してから、彼女を見詰めた。彼女を救いたいと願った――だが、彼女は叱るようにヨゾラへと叫んだのだ。
 ブリギットが自害をすると、自らが奇跡を起こし命を賭すことを赦さないと告げたのだ。その時、思いとどまった事を思い出す。
(もし今後、心の底から助けたい人が増えた時。僕は命を、いや……『僕の全てを』賭けられるかな……)
 己が死んでも救いたいと、そう願うことが出来るのだろうかとヨゾラは彼女の背を眺めながら、考えた。
 友達――というよりは『おばあちゃん』であるブリギット。そんな彼女はヨゾラのことも我が子のように慈しんでくれた。
「ブリギットさん、これはどうしたい?」
「スティアに任せても良いですか?」
 アルアと共に集めた思い出の品を箱に入れていたスティアは「分かった」と微笑んだ。彼女が眠った後はこの場所に飾り付けてやろう。
 村の復興だって、手を貸すことが出来る。目が醒めれば盛大に迎え入れてあげられるようにウォンブラングを大切にしなくてはならない。
「ねえ、色々教えて貰いたいことはあるけど、それは次にあった時になるのかなぁ?」
「ええ、そうですね……ですが、簡単なモノなら……」
「じゃあ、ちょっと頑張りたいと思う時にやるやつとか知らないかな?」
 スティアの問い掛けにブリギットは囁いた。スティアは小さく頷く。ただの、仕草の一つだ。それでも意味を持たせば『おまじない』になる。
 沢山の品々をアルアと共に集めてくれたスティアに「これがおばあちゃんの大切なものなんだよね」とンクルスは微笑んで。
「……ブリギット様。ニルはかなしいのはいやです。
 おわかれはかなしいこと……さみしいこと……。でも……ニルは、またいつか会えるって、信じてるから。
 ブリギット様のこと、ずっとずっと忘れません」
 ゆっくりと紡ぐニルはたどたどしく言葉を重ねた。ブリギットはニルと目線を合わせてその言葉を聞いている。
「目覚めるのが遠い遠い先で、ブリギット様がさみしくないように。
 ここがもう一度、あたたかい場所になるように、お花を植えたりしたいです」
「ええ。ニルの好きなお花にして下さいね」
 ブリギットが穏やかに微笑めば、ニルはこくりと頷く。『かなしい』ではなくあたたかいなにかを、彼女に与えたかった。
「滅亡の方も任せてください!
 滅亡の日をばばーんと倒してぴゃぴゃーっと乗り越えたらきっと魔種がいても平気な世の中になりますよ!」
 にんまりと笑ったルル家にシラスが揶揄うように「甘いな」と声を掛ける。
「何か大団円って感じになってない?
 バルナバスをどうにかしただけで鉄帝の元々の問題は手つかずだぜ。
 だからさ、ひと眠りして起きたらおばあちゃんは大忙しだよ……子供が死なずに済む国にするんだろう?」
「あっ、本当だね。大変だ」
 アレクシアが『あっ』と驚いたような顔をすればブリギットはくすくすと笑う。
「それまでの間、お任せしても良いのでしょう? シラス」
「勿論だよ。おばあちゃん。今日はさ、別れるときまで皆で楽しむだろう。それから、少し眠って――起きるんだ」
 休日らしくスコーンを焼いて、暖かくなった春のウォンブラングでお茶会を楽しんだ。今日は良い日だ。
 漠然とした寂しさや不安。全部やりきった気持で眠ったら溶けて消えてしまいそうな彼女を『繋ぎ止める』言葉の欠片。
「その時、おばあちゃんは斯う言うんだぜ? 『よく、預言を退けました』ってさ」
「褒めて、思い切り抱き締めましょう」
 シラスが妙な顔をすればアレクシアは小さく笑う。肩を竦めて、ブリギットへと呼び掛ける。
「……ブリギットさんと永遠の別れにならない形を見つけられたのは良かった。
 話ができて、でも結局お別れなんて、苦難のおとぎ話の幸せな結末にはふさわしくないもの。生きてこそ、だと思うから」
 幻想種であるアレクシアはうんと長生きだ。だからこそ、言いたいことは決まっていた。
 永い時を、どうやって使うかは決まっている。『希望』の光がそこにあると、知っていたから。
「そう、おとぎ話。ここにまた村をさ、ゆっくりとでも建て直していくのがいいと思うんだ。
 改めて、フローズヴィトニルの伝承を語り継いで、守っていく場所としてさ。
 ……誰も見守る人がいないなんて、ブリギットさんがいつか目覚めた時にも寂しいものでしょう?
『おばあちゃん』の子供たちは、たくましく育ったんだ、って。いつか見られたら嬉しいじゃない」
「アレクシアも、シラスと一緒にわたくしに結果を教えるのですよ」
 愛おしい魔女。立派に前を向き、進むことを厭わない彼女にブリギットは微笑みかけた。
 穏やかな笑顔を見れば、オリーブはほっと胸を撫で下ろす。
 ずっと、引き摺っていたのは彼女を救えなかったことだ。あの戦いでそれも全て精算できただろうか。
「一度は助けられなくても、今度は犠牲とならずここにいる。それで十分です。
 ……もう関わる理由はありませんけど、最初に居合わせたのですから最後も見届けようと思います」
「オリーブ……」
 オリーブはブリギットをまじまじと見詰める。
「しかし、結局やり合えないのは残念ですよ。魔術をどういなすか、剣をどう叩き込むか、考えていたのが無駄になりました。
 別に嫌いとかそういう訳ではありません。ただ貴女と、諸々を抜きにして、全力でやり合ってみたかっただけです。
 ……あの拳が自分の本気だと思われていたら嫌ですし、戦いの中なら子ども扱いもされないでしょうし」
 ああ、何て言えば良いのか。言葉を重ねる度に、子供っぽくなるとオリーブは唇を噛む。
「目が醒めたら、わたくしとお手合わせをして下さいますか? その頃は、わたくしが弱くて、あなたに負かされてしまうでしょうけれど」
「……」
 まるで本当の『祖母』のように彼女は振る舞った。
「短い間だったけど、ほんとうのおばちゃんじゃないのもわかってるけど……。
 やさしい目とつつみこむような言葉はほんものの『おばあちゃん』みたいに思えたよ。次会えた時はもっとお話しようね」
「いいえ、リュコス。わたくしはあなたのほんものの『おばあちゃん』ですよ」
 そう呼んでと彼女は微笑んだ。ぱちくりと瞬いたリュコスは「おばあちゃん」と呼び掛ける。
「長い長いおやすみになるけど……どうかお元気で。氷のおおかみさんもいい夢見てね。
 次目をさました時はやさしい春の世界が迎え入れてくれますように」
 ええ、ええ、と何度も繰返し頷くブリギットにリュコスは軽くハグをした。優しく抱き留めてくれるブリギットにリュコスは息をゆっくりと吐出す。
「……ぜったい、また遊びに来て『つづき』の世界がどんな風景かお話にくるから。
 わかれた小さなおおかみさんたちが元気にのびのびと走り回れる世界を守るから……安心して」
 またね、と口にしたとき、ほろりと涙が零れた。
 泣かないと決めて居たけれど――零れた涙を掬い上げてからブリギットは「期待しています」とリュコスの背を撫でた。


 ブリギットは小さく息を吐いた。自身の杖を預っていて欲しいとブリギットはンクルスへと手渡す。ンクルスの頭を撫で、抱き締める。
「良い子」
「……ねえ、おばあちゃん」
 ンクルスは一言ずつ、ぽつりぽつりと呟く。
「即座におばあちゃんを元に戻せなくてごめんね……でも私頑張って魔種を元に戻す方法を探してみる!
 もしかしたら世界を平和にして原因を取り除けば解決するかもだしね! だからそれまでちょっとだけお別れ」
「ええ」
「秘宝種の寿命は結構長い筈だし私も出来る限り長く生きてみるよ。おばあちゃんにまた会いたいからね!
 そうだ! 集まった皆で写真を撮ろうよ。残念ながら封印が解けた時に皆で集まれるとは限らないからね。
 だから……今を未来に残しておきたいんだ。物ならきっと残ってくれると思うから」
 練達から借りてきたのだと告げたンクルスにブリギットは少しだけ考えてから「この子も、でしょう?」と呟く。
「ヴァン」
 ブリギットが指先を動かせば、銀の毛並みのオオカミが姿を見せた。ただし、それは実態ではない。
 ブリギットが『僅かな奇跡の間』だけ姿を顕現させることの出来た『ヴァン』だ。
「おやすみ、フローズヴィトニル。……良い夢を」
 柔らかに声を掛ければ狼は少しだけ首を動かした。
「フローズヴィトニルは……やはり封印するほかないのですね……。
 いつか……この子が自由になれる日が……感情や力に振り回されずに、穏やかに暮らせる日が……いつか来るでしょうか……」
 呟くミザリィの傍にファニーは立っていた。封印されるのは可哀想だ、というのは『兄』としての感情か。
「混沌肯定がなければ……私だってこうなっていたかも知れないのに……。
 元の世界に居たときでさえ……力を制御できずに実の兄を喰い殺そうとしたことがあるのに……」
「……まぁ、大丈夫さ、ひとりぼっちじゃないんだからな。
 ミザリィ、おまえだってそうだ。ひとりじゃない。混沌に来て、友達だって出来ただろう?
 もしもいつかまたおまえが暴走してしまう日がきても、なんとかしてくれる仲間がいるさ」
 くしゃりと髪を撫でればミザリィは小さく頷いてから目を伏せる。少しだけ、覚悟が決まったような気がする。
「ばあちゃん、頼むぜ。フローズヴィトニルが夜鳴きなんかしないようにな」
「ブリギットおばあさん、その子をよろしくお願いします」
 二人は、そう告げる。ミザリィは花の種を要石の周りに撒きたいと告げた。ブリギットが懐から取り出した花の種は、どの様に使っても良いと彼女は笑みを浮かべる。
「嘗て此処に咲いていた花なのです。わたくしが、ひとつだけ種を持っていたの。大切にして下さいますか」
「……はい」
 どの様な花が咲くかは見届けて欲しいとブリギットは微笑む。
「今はもう、オオカミちゃんに触っても大丈夫?遅くなっちゃったわぁごめんねぇ。
 これね、ラベンダーの香りがするんだって 良い眠りにはいいんじゃないかしら――おやすみ よいゆめを」
 そっと、その首を撫でるようにメリーノは囁いた。
 ヴァンの毛並みを撫でるブリギットにアミナは――『革命の象徴だった』彼女は言う。
「……おやすみなさい。ちょっとの間、お別れですね。私、楽しみにしていますから、絶対に来て下さいね。約束ですよ」
「アミナ……強く、なりましたね。子供の成長は、何時も目を瞠るほど。
 いいえ、あなただけではない。わたくしの子供達は、わたくしを追い越していってしまうもの」
 ブリギットは穏やかに微笑む。アミナの肩を抱いたヴァレーリヤは「そうですわよ」と揶揄うように笑った。
「おやすみなさい、お婆ちゃん。
 貴女の行く先を主が見守って下さいますように……元気でね。起きたらちゃんと御飯食べるんですのよ」
 微笑むヴァレーリヤの傍から飛び出して、ルル家はブリギットを抱き締めた。
「永遠の別れではありませんが……それでも寂しいんです。ちょっとだけ許してください。
 生きてくれてありがとう。私達と一緒に戦ってくれてありがとう。もう、魔種でも友達を殺すのはずっと嫌だったんだ……」
「わたくしも、あなたを抱き締められて良かった。ルル家、可愛い子」
 ぎゅうと抱き締めて背を撫でた。笑みにルル家の唇が震える。泣き出しそうになる――けれど、今日はダメだ。
「おやすみなさい、ブリギットさん」
 ヨゾラは静かに告げる。願わくば良き未来で再会できるように。そう願わずには居られない。
 見届けにやって来た彼女の姿は、長き眠りなど、感じさせないくらいに何時も通りだったけれど。
「ねえ、ブリギットさん、私はきっと迎えに来るから、すこーしだけ待っててね。
 他にも待たせてる人がいるからさ。その人との約束を違えないためにも、私はきっと平和な世界を掴む力になってみせるから。楽しみにしててね」
 にこりと微笑んだアレクシアは小指をそっと差し出した。幼い子供の様な、約束の結び方だ。
「起きたら、今度こそ魔法を教えてね。まだ約束守ってもらってないんだからさ。『忘れない』よ。その言葉も、魂の輝きも。
 今度会う時は、私も立派な魔女としてお話できるといいな……それじゃあね、おやすみなさい」
 おまじないは、皆で共有しよう。アレクシアはスティアを顔を見合わせて笑った。
「どれくらい眠ることになるかはわかりませんが、またお会い致しましょう。
 その頃にはなんの心配もなく、暮らせるようになっているでしょうから」
「無茶をするあなたを置いて眠ることは心配です」
 ブリギットの咎めるような声音にリュティスは肩を竦めた。ああ、やはり彼女は怒るのだ。
 無茶をして、怪我をして、それで――と叱られる前に退散しなくてはならない。ウォンブラングの民にも声を掛ければ、次第にこの場所にも人の営みが栄えるだろうか。
「それでは、暫しゆっくりとお休み下さい」
「リュティス――」
 そそくさと背を向けたリュティスはふと、思う。
(……そのままにしておくことなどできませんでした。
 御主人様に、そして亡き友(ブルーベル)に背中を押されたように感じました。私がこのようなことをすることになるとは不思議ですね。
 魔種など全て滅べば良いと思っていたはずなのに……)
 心とは全く、不合理で。今更、眩く見えてくるのだ。過ぎ去った時がどうしようも亡く愛おしく感じてしまうのだから。


「ニルは秘宝種です。ニルはずっとずっと、ニルのまま。
 だから……きっと、ブリギット様が目を覚ますときにも、ニルは今とおんなじで……笑って迎えられるようにありたい」
 遠い遠い先で。ブリギットを迎え入れられるように。写真だけではなくて、絵も、残したかった。
 ニルは背筋をぴん、と伸ばす。ブリギット様、と名を呼んでいた唇が震えた。ああ、そうではなくて――
「ニルたちみんなのことを好きでいてくれた、おばあちゃんの物語、絵はずっとずっと残って伝えてくれるものだって、伯爵様に聞きました」
 ――おばあちゃん、と呼ばれた事にブリギットが目を見開いた。
「ニル」
「おやすみなさい……おばあちゃん、いつかまた」
 そう呼ばれたことが、愛おしくて。ブリギットは目を細める。
「……ブリギットさん、ごめんなさい。あたしは結局貴女に何ひとつしてあげられる事は無かったわ」
「いいえ、リア」
 首を振ったブリギットはリアの顔を覗き込んだ。眸の惑いが、苦しみが、良く分かる。
「あたしは長女だから……あたしには戦う力があって、あたしは強いから、自分の家族は自分が護るものだって信じてた。
 だけどそれはあたしの思い上がりだったんだって、この国で思い知らされました」
「……リア。良いですか。長女だって……『おばあちゃん』だって、護りきれない物があるのです。
 わたくしは、護る事が出来ず、心を堕とした。苦しみ足掻き、あなたたちを傷付けようとした。苦しいことでしょう」
「ブリギットさん」
 顔を上げたリアにブリギットは「おばあちゃんですよ」と揶揄うように目を細める。
「愛おしいあなた。わたくしは、あなたのことも護りたかったのですよ。どうか、気に病まないで。どうか……あなたが求める答えが見つかりますように」
 ブリギットはリアの頬を撫で、微笑んだ。
「……あたしの……。せめて、眠りにつく貴女に祈りを捧げさせてほしい。あたしに出来る事は、それくらいだから」
 アルアから聞いた思い出やこの地の精霊の見た景色、ウォンブラングに眠る『家族』との思い出を旋律に、彼女の眠りを美しい物にしたい。
 願うリアにブリギットは「ありがとう」と微笑んだ。
「ブリギットちゃんが目を覚ましても知ってる人が誰もいなかったら寂しいですから。ずっと待ってます!」
「……約束ですよ。わたくしの、愛おしい子供達。かならず、生き延びて。わたくしは、もう、あなたたちを護れないのですから」
 ――わたくしは、救わねばならぬのです。
 その言葉が、彼女を突き動かしてきた。もう、必要ない行動原理となってしまったけれど。
 今は、愛おしいこどもたちの危機に手を伸ばせぬ事がこんなにも、歯痒い。
「本当に……貴方という人は……羨ましい限りですよ。
 いいえ、これが貴女の在るべき選択。そしてあなたの周りの……皆さんの選択ですから。
 私はその結末を見守るだけ。眠りに付くあなたは、最後まで子供達を見守るのでしょう?」
 お互い『やること』は決まっているのだとマリエッタは肩を竦める。ただ約束を守るだけだ。
 長い長い眠りの中で、叶う必要などない行為だ。マリエッタとブリギットの約束は『狂ったならば、殺して欲しい』というものだった。
「本当に……そんなものしなければよかった」
「ふふ、そう言わないで。わたくしにとっては希望でしたから」
「……けれどおかげで思えます。死血の魔女は、ハイエスタの魔女を狩ると見定めた。
 だからこれからどうあっても、絶対に生き永らえて、その約束……果たすと。這い出てきた貴女に嫌味を言ってあげるんですから」
 毒づいたマリエッタにブリギットはクスクスと笑う。ああ、彼女のような存在が居て良かった――約束して、くれただけで、安心できる。
「まさか詞を交わす前に『友人』と言い切られるとは。ならばあえて言おう――『また』逢えたな」
「あなたでしょう。わたくしに、ひとひら、思いを届けてくれたのは」
 ブリギットにウォリアは頷いた。世界に赦されざるモノである魔種。しかし、それは世界の都合だ。
 今の二人には垣根などなく、ただ、ウォリアは『友』としてブリギットを見送ると決めて居た。
 拳を向けて突き出せば、それにこつりと拳をぶつけ返してくれる。魔女は戦士の言葉を待っていた。
「――此処に誓いを。偉大なる魔女、我が友ブリギット・トール・ウォンブラング。
 この世界に良き未来を導こう。眠りから目覚めたオマエが、可笑しさに涙すら流して笑えるような、輝く今日の先を」
 目に見える形に何も残らないのかもしれない。眠りに誘われる彼女と結ばれた縁はそれでも確かにあるのだから。
「これは永久の別れに非ず――また逢おう、友よ!」
 心の中で感謝した。きっと、黄龍(あれ)はこの瞬間すら見透かして微笑んでいるのだろう。酒を携えて訪ねれば「待っておった」と笑うだろうか。
 揶揄う笑みはきっと――黄龍からの愛なのだ。確かな繋がりであり、友情や絆。あの日、縁を結んだウォリアへの優しさに満ち溢れた感情。
(……ああ、そうだ。如何なる道も、それが『想う心』故の道だと見透かされているから。だから、『この先』も真っ直ぐに進めるのだ)
 魔女も、黄龍も、同じようにウォリアを慈しみ、想ってくれると良く分かる。
 ブリギットはウォリアに微笑んでから、目を伏せた、そろそろ、時間だ。
「また会おうね」
 おばあちゃんとンクルスは杖を抱き締めて微笑んだ。
「またね! ブリギットちゃん!」
 微笑むルル家の傍で、踵を打ち付け敬礼をして居たエッダはぽつりと呟いた。
「ヴィーシャ。人とは、何なのだろうな。
 ……あれほどの人ですら、何かに狂った。人の熱情は、難しすぎて……私には、よくわからない」
「さあ」
 ヴァレーリヤは目を伏せる。人とは難解だ。一言で言い表すことは出来ないからこそ、人間とは面白いのかも知れない。
 眩い光が包み込む。春の陽射しのような暖かさに一人と一匹が飲まれていく。
 ふと、アミナは「あ」と声を上げてからルブラットの手を引いた。
 ブリギットが何か白い布を持っていた。嘗ての友を抱き締めるように花を包み微笑む。
「愛しい私の子供達――」

 ――おやすみなさい。それから、語り継い頂戴。『希望』の物語を――

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 雪色の花を見て、また、思い出して下さいね。
 鉄帝国編お疲れ様でした。

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