＜春告げの光＞夢、見果てず

オープニング

●
　いつのことだろう。
　もはや定かでないほどの昔から、その島々はあった。
　表層を形作る滅びた都市、文明の名残は今や見る影もなく。
　遙かな時の流れの中でいずれもが、朽ち、崩れ、壊れて墜ちて行った。
　古代アーカーシュ文明の浮遊島が一つ、この精霊都市レビカナンも、また同じ運命を辿るのだろう。

「……けれど、それは今ではありません」
　遺跡深部のコントロールルームに集った面々に向けて、大精霊『黒冠』セレンディはそう述べた。
　歯車卿による「この島はいつまで保つのか」への返答だった。
「より具体的には？」
「不明です」
「十年ですか？」
「余裕です」
「百年ですか？」
「余裕です」
「千年ですか？」
「たぶん、余裕です」
「……」
　視線を合わせあった一同が、安堵の表情を浮かべる。
　この島は決戦の折りに二柱の大精霊のうち一柱、『紅冠』ラトラナジュを喪っていた。
「……ラトラナジュ、貴女は――」
　グリーフ・ロス(p3p008615)は、人の胸をかきむしる何かの感情と同質のものを味わっている。
「こんな事になるなんてな」
　一撃目のトリガーを引いた天之空・ミーナ(p3p005003)も呟く。
　その上、セレンディ側もかなりの無茶――雲の精霊による実存幻影投射を行使している。
　彼女の力の一端を封じていた宝珠は、ついに力を完全に失った状態だった。
「……セレンディ自身は、無事ってことなんだね」
「はい、問題ありません」
　掠れる声を絞り出すように問うたジェック・アーロン(p3p004755)に、セレンディは確かにそう答えた。
　口を閉ざしたままの夢見 ルル家(p3p000016)は、どこかほっとしていた。

　そんな島の表層は、無数の精霊達による気象制御が為されている。
　帝国の大地より僅かに温暖なそこは、穀倉地帯として期待されていた。
「畑のほうはどうなってるの？」
「……」
　カティ・ファルツが手を振りながら、ヨシュア・レジアーネの元へ駆けてくる。
　島では大規模な戦いが二度もあり、かなりの破損が見られる状態だ。
　畑の片隅で、駆け寄るカティの目の前に、ヨシュアは俯いていた。
「ねえってば！」
「カティ。これ、みてよ」
「……！」
　それは大地を突き破り、青々と美しく伸びる麦の芽だった。
「うわ！　やったやったやった！！」
　ユルグ・メッサーシュミットが跳びはね、『レリッカの長』アンフィフテーレ・パフ村長がほっと胸をなで下ろした。敵の大攻勢は軍事基地方面に集中しており、こちらは無事だったのだ。
　その傍らには、イェルナとウェナス――島の案内や補助を司る存在達が静かに佇んでいた。
「ま、確認は終わったんだ。あとはパーティーでもやったほうが、この国らしくていいんじゃないか？」
　なにしろ豊かな大地である。
　米なんかも作れそうだなあなどと、フロラ・イーリス・ハスクヴァーナ(p3p010730)も思えた。

　基地内の整備工場には、破損した大量の機器類が積み上げられている。
「これは忙しくなるっスね」
「だが、全て修繕――いや、改良してしまえばいいんだろう？」
　拳を握ったキャナル・リルガール(p3p008601)に、天目 錬(p3p008364)が口角をあげた。
「全部元通りに、いや。前以上にもっと良く、だね！」
　ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)も大きく頷いた。
　けれど今日は、そろそろ一休みにしたらどうだろうか。
　何事にも節目や休息というものは必要なのだから。

　島の中央にはかつて魔王が残したエピトゥシ城がある。
　機能は健在であり、これからもローレット支部として活用されることだろう。
　周囲にはマイヤ・セニア(p3n000285)の司る精霊都市の中枢が存在しており、居住なども考えられる。
「それじゃ今日も張り切っていこうじゃないか、聴いてくれ愉快な歌を！」
　ラジオ中継局では、アルマスクやスチールグラードに存在する大電波塔を通じて、ヤツェク・ブルーフラワー(p3p009093)が人々を元気づけていた。
「なあヤツェク」
　やってきたのはリチャード・マクグレガーとエッボだ。
「今日んとこはもう、ラジオのほうは生じゃなくてもいいだろ」
「そんなこともあろうかと、収録済みのがけっこうあるんだ」
　エッボの言葉にリチャードも続ける。
「そうだそうだパーティーやるんだ。そっち、いっとこうぜ。演りたきゃそこでライブすりゃいい」
　エッボがグラスを飲む真似をした。

「……ほんと、滅茶苦茶じゃないの」
「研究成果は大幅に失われてしまったがね」
　ジュリエット・ラヴェニュー(p3p009195)は研究施設の片付けに追われ、クロム・スタークスは爪で髪を掻き毟っているが。成果は失えど、データは残って居るのは幸いだ。
「クロム・スタークス、ありがとうございました」
　決戦で助力を願った小金井・正純（p3p008000）は、静かにそう述べた。
　傷ついたのは大地や機械だけではない。
「みんなの様子はどう？」
　独立混成連隊ルーチェ・スピカ連隊長のリーヌシュカ(p3n000124)少佐は、医務室に姿を現した。
「こっちは大丈夫だ、明日にも退院出来るぞ」
　宙を舞うライ・ガネット(p3p008854)が胸を張る。
「そっちはどう？」
「もう少しかかるけど、姫少佐殿のお望みとあらばなんとかするさ」
　デスクのヨハン＝レーム(p3p001117)が頬杖を突いた。
　帝国軽騎兵隊客員軍医将校とかいうけったいな肩書きのせいでこんなことをさせられている訳だ。
　まあ、けれど救急の患者はいない。
　今日はそろそろ仕事を終えても良いだろう。

「ありがとう、オディール。これからもよろしくね。それにカルマートも」
　エピトゥシ城に向かうオデット・ソレーユ・クリスタリア(p3p000282)は、カルマートハウスに立ち寄っていた。この長老の木も、決戦では彼女を助けてくれたのだ。
　傍らに座り、オデットを見上げる氷狼の子犬オディールと共に。

　そんなエピトゥシ城ではさっそく宴の準備が始まろうとしていた。
「最後に一杯やってくか」
　壁に背を預けるバクルド・アルティア・ホルスウィング(p3p001219)が笑う。
「我も一つ呼ばれるかの。ピチピチのティーンエイジャーじゃがな！」
　ニャンタル・ポルタ(p3p010190）がおどける。
「ウルはこれからどうするの？」
「んー、一端帝都に戻って、軍の指示待ちかなー？」
「そっか」
「でも、これからも一緒に居ようね！」
「そうだね！」
　ソア(p3p007025)とウルが両手のひらを合わせ、飛び跳ねた。

「終わりましたね」
「はい、終わりましたね」
　マリエッタ・エーレイン(p3p010534)とユーフォニー(p3p010323)が頷きあう。
「たくさん、怪我をさせてしまいました」
「そんなこと、気にしないでちょうだい、ねえムエン」
「まあ、当然だな」
　セレナ・夜月(p3p010688)にムエン・∞・ゲペラー(p3p010372)が頷いた。
「皆無事で、本当によかったであります」
　ムサシ・セルブライト(p3p010126)も心からほっとする。

　居並ぶスタッフは、一人の小柄な男の前で指示を待っている。
「気張れよ――」
　居並ぶスタッフを前に、キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)が後ろ手を組む。
「――と言いてえところだが。喜べ、休暇だ！」
　スタッフ達は互いに顔を見合わせ、それから叫ぶ。
「いやっはー！　さっすが社長！」
　復興作業は山積みだから稼ぎ時でもある。
　だが長丁場になる以上は、ガス抜きさせるのも仕事の内だろう。
　まったく社長も楽じゃない。

「義母、艦姫島風　頑張り　褒めて　ｖ」
「はい、島風様、ええと」
　島風型駆逐艦 一番艦 島風(p3p010746)の頭に、水天宮 妙見子(p3p010644)が手を乗せてやる。
「そういえば城の近くに新しい温泉の遺跡が見つかったみたいよ」
　ノア＝サス＝ネクリム(p3p009625)の情報によれば、早速商売を始めた者が居るらしく、どうやらきちんとした温泉施設として稼働しているようだ。エピトゥシ城から徒歩数分と、散歩感覚で向かえる。
　興味があったら行ってみるのも悪くないかもしれない。

「あーじゃあそうしときまスか」
「ほら、みんなグラスとって」
「は、はい」
「お、悪いな」
「昼だからジュースだけど、それじゃ、かんぱーい！」
「あ、はい、かんぱい！」
「かんぱーい！」
　ココロ＝Bliss＝Solitude(p3p000323)と普久原・ほむら(p3n000159)、佐藤 美咲(p3p009818)や機関の面々がグラスを打ち合う。
「終わったっスね。ジオルド氏、マキナ氏」
　だが美咲は僅かに不安げな様子を見せていた。
（そうだ美咲）
　その言葉は機関の人間にだけ分かる符丁だが――
（この戦い、機関からの評価はSだ）
（S……まさか失敗じゃないスよね）
（馬鹿たれ、最高評価に決まってるだろうが）
　ラトラナジュの火、その弾丸が無事に消費されたこと。
　そして冠位憤怒が討伐されたこと。
　おまけにこの島は平和利用の方向へ舵が切られること。
　練達としても充分な成果と言える。

　そんな城に、敵将ターリャを弔った幾人かのイレギュラーズが戻ってきた。
「……ゆっくり眠って下さいね」
「だな」
　すずな(p3p005307)の呟きに、ルカ・ガンビーノ(p3p007268)が頷く。
　ターリャの亡骸は、彼女が遺した最後の言葉通りルカの故郷に埋葬された。
　最後まで傷一つ無いままだった美しい身体を傷つけるものは、もう居ない。

「歯車卿も、エヴァさんも本当にお疲れ様」
「これはアーリアさん、助かります」
「いえお構いなく」
　パーティー会場に現われた二人をアーリア・スピリッツ(p3p004400)が労っていると、これまた雑務に追われていたマルク・シリング(p3p001309)もようやく戻ってきた。
「こっちも全部終わったよ」
　歯車卿はマルクに笑いかける。
「あなたの指揮は、本当に魔術のようでしたよ、マルクさん」
　あとは頂き物のヴォードリエ・ワインでも注ごうか。
　この日のためにとっておいたのだから。

　喫煙所から、そんな皆の様子を見たリドニア・アルフェーネ(p3p010574)が瞳を細めた。

　これですべて終わった。
　そして新たな始まりがやってくる。

参加者 : 40 人

冒険が終了しました！　リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧（40人）

サポートNPC一覧（3人）

リプレイ

●02:33 Pm
　穏やかな陽光が冷えた肌をゆっくりと温める。
　そよぐ鈴なりのムスカリが微かに香り――

　ようやく全てが終わった。
　故パトリック将軍の一件から、浮遊島アーカーシュを包んだ動乱はどうにか解決を見せた。
　だが――
(――終わった後にも仕事があるのが俺等だな)
　幾人かのイレギュラーズと共に、錬と正純が瓦礫の脇を歩く。
　なんだか身体のあちこちが痛い。誰も彼もが怪我だらけだ。
　たどり着いたのは浮遊島の島内に点在する遺跡の一つ。その入り口に立ったジュリエットは中を見渡す。
（……仕方ないわね）
　決戦の傷痕は深く、様々な設備や兵器が破損している。
　当然ながら研究施設もひどい有り様だった。
　各種設備の復旧と、古代技術の修繕は火急と思える。
　いずれにせよ、ジュリエット自身は成したいように為すだけだ。
　目に付く限り生産設備の他、防衛兵器や作業用ゴーレムの工廠に――
　まずは優先度の目星を付けていきたいと錬は考えた。
　いずれにせよ職人として、壊れたものは直すまでだ。
　仮にそれは新たな戦禍を産み出す可能性がないではない。
　けれど同時に、やがて来る最終決戦における鍵にだってなり得る。
　なにより破損したままでは、かわいそうではないか。
「日々之勉強ってなー」
　この古代技術から学びを得るのも、また技術屋の業でもあり、仕事でもある。
「あれだけ無理しても当分飛び続けられるとは…嫉妬したくなる技術力だ…少しでもその技術力を取り込めるように頑張ろう。次こそは……今度こそ守れるように俺は力を付けなければならない……」
　サイズもまたアーカーシュの技術を学ぼうと努力していた。
　妖精達は皆サイズに感謝はしている。だがそうは思えない性分であるのは致し方のないことだった。
「久しぶりだな！」
　ライもまた、ゴーレム――もふもふ宝玉丸（略して『も宝丸』）の様子を見に来ていた。
　破損箇所もないようで安心する。
　傍から見れば無機物とて、ライにとっては絆を深め合った仲間なのだから当然だ。
　そっと『も宝丸』が、ライを腕に包み込み、肩へと乗せた。
「ん？　一緒に散歩したいのか？　良いぞ」
　普段抱き上げられるのは得意ではないが、も宝丸ならば、なぜだか平気なのだ。
　そんな瓦礫の中でふと肩をすくめたクロムに正純が問う。
「それで貴方はこれからどうするつもりです。クロム・スタークス」
「この島は愉快だ。歯車卿は私の技術を買っている、研究を続けるまでだが」
　少し安心した。このパッチワーカーは無軌道ではあるが、研究にだけは真摯でもある。
　あるいは歯車卿はクロムの狂気の向き先を、この遺跡に向かせることで凶行を防ごうとでもしているのだろうか。
　いずれにせよ、何かあったとしても正純が止めてやれば良い。
　このどうしようもない人格を、たとえばパトリックを――そういったことへ向き合うのは領分だ。
　さて、あれやこれやが終わったら、最近見つかったという例の場所へと足を運んでもいいだろう。

　そんな時、島内のラジオに元気な声が響き渡った。
「鉄帝の皆！　セララニュースの時間だよっ」
　きっと民達は決戦の様子が知りたいだろうから。
　セララは激戦の様子を語り出す。
　イレギュラーズの戦い、ヴェルスの戦い、そして黒い太陽を止めるために力を合わせた時のこと。
　誰もが手をとめ、時に感涙しながら耳を澄ませ始めた。
　重鎮達が生存しているというニュースもまた、誰しもの心を安堵させたろう。
　そして最後には感謝を。
　帝国の民すべてが手をとりあったからこその勝利なのだと――

「――ここが温泉じゃな！」
　そんな訳で、混浴大浴場へレリッカ村の住人達を引き連れ、ニャンタルが現われた。
　岩とレンガに囲まれた不思議な浴槽は、どこか異国情緒がある。
　そんな大浴場の一角へ現われたのは、どこか覇竜様式を思わせるドレッシーな水着を着用した二人。
「……超音波精霊湯」
「どんなのだろうねぇ。超音波ってことは下から気泡を出してくれるのかな？」
「どんなお湯なのか気になるから……行ってみない……？」
　武器商人とヨタカは手を取り合い、その奇妙なお風呂へ向かってみる。
　なるほど何か細かな気泡が身体を包んでくれるようだった。
　身体の疲れが溶け出るような、あるいはじんわりと染み込むような、そんな感覚がする。

「はい、ちゃんと脱ぎましょうね」
「………浴場　着衣　厳禁？」
　厳禁。そう、こちらは女湯。
「い……否、此、皮膚…………人形…………脱衣……あ、あーっ」
　そんなこんなで、こちら露天風呂ではノアと妙見子、それから島風が温かな湯を楽しんでいた。
　とろとろのモール泉が肌に良く馴染む。
「はぁ……ほんと」
「……気持ちがいいものですねぇ……万年肩こり気味なのでとっても助かります……」
　抱えるほどに豊かな実りが、お湯ならば浮いてくれるのだから。
「求心力以外はなんでもあるわねこの島」
　思えば幻想での戦い以来。久しぶりに動き回ったのだが、骨が折れる戦いだったものだ。
「島風ちゃんもお疲れ様、ゆっくり体の疲れを抜きましょうねー…」
　島風もまた、この世界に来て海上、空中、氷上と様々な場所を駆け回ったことを思い出していた。
「……満足(むふー…)」
　口元まで温泉につかり、ぷくぷくと息を吐く。
「温泉　極楽　v」
　自身はこの島のために尽力しきれたろうか――ふと妙見子の胸中を不安が過ぎるが、けれどここから復興して、さらなる発展を遂げると信じることは出来る。
　とはいえ折角の湯だから、今は楽しもう。
「義母　背中　お願い」
「……島風様？　お身体は一人で洗えるでしょう……？」
「お願い」
「もうしょうがないですねぇ…… 次は妙見子の背中も流してくださいましね？」
「……ん。後々　流す」
　しかし――妙見子は神妙な表情で身体を洗っているノアを眺める。
　きっと共通の悩みがあるに違いない。
「ノア様も、折角ですしマッサージでもしましょうか？」
「たみこちゃんもお疲れ様、マッサージしてくれるのなら喜んで……」
「肩こりひどそうですし……って柔らか！？」
「……？」
「う、羨まし……！」
　思わず叫んでしまう。
「え、肩こり？　私胸に重力魔法かけて軽くしてるから肩こりしないの、たみこちゃんに言ってなかったかしら……。あ、たみこちゃんも知りたい？　胸を支える重力魔法。結構便利よ？」
「ノア姉　主砲　素敵　うらやま」
　そういうのはもっと早く知りたかった！

　はてさて。
　湯を上がったら、喉の渇きを潤さねばなるまい。
「我の奢りじゃ！」
　ニャンタルの言葉に喝采があがる。
　腰に手をあて、つめた～い牛乳を乾杯だ。
　近くではルンペルシュティルツのスタッフがビールを乾杯していた。
「社長もひとっ風呂浴びに？」
「馬鹿言え、てめえらの見張りに決まってんだろ」
　キドーが首を横に振る。
「一杯ぐらいいっときましょうぜえ」
「ったくよお」
　躾けてはいるが、こいつらも賊上がりだ。
　我慢の効かない奴もいれば、酒を入れると人が変わっちまう奴も居る。
　そんなだから賊だったのだと言われればそれまでだが、抱え込んだからには面倒を見たい。
　信じる事と脳天気に放任することはまるで違う。
　ともかくこうしてあちこちでスタッフの様子を見て回り、休暇に水をささぬようトラブルの種を先回りして潰していくのだ。まったく社長ってのも面倒なものだ。
　そんな休憩室の片隅で――
「義母　これ　あげる」
「島風様……？　これは……再臨祝い……？」
「……プレゼント　受け取って　ほしい」
「そんな……気を遣わなくても……」
「いつも頑張ってる、ご褒美」
「でもありがとうございます……」
「これからも よろしく」
　島風が妙見子をぎゅっと抱きしめると、優しい石鹸の香りがした。
　妙見子はもうあの世界へ戻ることはないのだろう。
　星を滅ぼし国を傾けた女はもう――だが過去から目は背けまい。
　この身は罪に濡れていようと、ノアや島風――ここに居る沢山の人々と共に未来へ歩んで行くのだと。
　ミニ島風ちゃんを見つめ、そう願う。

●04:13 Pm
　夕暮れも間近な、温泉のほど近く。
　エピトゥシ城では盛大なパーティーが開かれている。
「お風呂とっても気持ち良かったね！」
「良かったですわねー」
「最高だったよ！」
　ゆったりと流れる雲を眺めながら、まるで夢のような時間だった。
　マリアはふにゃふにゃになっていたヴァレーリヤを思い出し、ついつい微笑んだ。
「あっ、マリィそれ美味しそうですわね。どこにありましたの？」
　エリザベスアンガス正純に片栗粉をまぶして揚げ、ケッパーや赤唐辛子にスライスオニオンと共にマリネしたもの。あとはアカキジのもも肉をリーキと交互に串に刺して、塩でじっくり焼いたもの。
　要は小魚の南蛮漬けと焼き鳥である。
「ふふ！　あそこにあったんだ」
「ふうん、特産品が並んでいる所に。後で覗いて……」
「ならヴァリューシャ！　一緒に食べよう」
「あら、良いんですの、マリィも食べたくて取ったのでしょう？」
「いいんだよ、はい！　どうぞ♪」
「ありがとう！　それなら次は、私がマリィのために取ってきますわね！」
「やった！　じゃあ後で一緒に行こうね」
「今なら何と、歯車卿のウォッカも大サービスでございますわー！」
　近くにあったボルシチやブリヌイも気になって仕方がないし。
　それに何より、一緒に居たいから。
「……ねえマリィ。この戦いの後処理が終わって自由な時間が出来たら、またいっぱい色んな所に遊びに行って思い出を作りましょうねっ！」
「勿論さ！　それに戦後処理もきっと大切な思い出になるよ」
　旅行にだって沢山行こう。
「いつも私のために頑張ってくれてありがとう。大好きでしてよ！」
「私も…いつも太陽みたいに私を照らしてくれるヴァリューシャが大好きだよ！」
　これからだって、つらいことも、かなしいことも、きっと沢山あるだろう。
　けれどそれさえ、大切な想い出に変えていくのだ。

「たぬきじじい共が雁首揃えて何の悪巧みだ？」
　ヤツェクがリチャードと歩いていると、突然首に腕を回される。飲み仲間のエッボだ。
「なんだよ人聞きの悪い」
「エッボ、今日は飲むぞ、騒ぐぞ」
「当然だな！　ほらよ」
　エッボが二本のウォッカ瓶を寄こしながら、自身も煽る。
　――死んだ奴等のために、そしてこれからを生きる者のためにも。
　聞けばここへ領地を持てるという話もあるそうだから、これからも忙しくなるだろう。
　ヤツェクも資金の都合がつきしだい、引っ越しを考えていた。
　そのほうが楽しいだろうし、それに誰のこととは言わないが、墓参りもちょくちょく出来る。
「さあて、今日は吟遊詩人ヤツェク様の皆に捧げる生コンサートだ」
　酒を置いたヤツェクが椅子へどかりと座り込む。
「奏でるはご機嫌なDelirium――」
　お次は、All You Need Is Powerのアコースティック版だ。
　それを終えたなら、後は――

　しかし本当に大変な戦いだったとマリエッタは思う。
　それに――非常に重要な仕事をこなすためだが――守られてばかりだったとも。
　ならば料理で恩返しでもしようか。
　ムエンやセレナもまた疲労を隠せないでいる。
　バクルドもまた、何もかもがぎりぎりではあったが、つかみ取った勝利だと考える。
　戦争には犠牲が付きものであり、割り切れるものでもないだろう。
　だが勝利したならば、それを喜ばねば何のために戦ったのかも無意味になってしまうから。
　ムサシも思う。長く過酷な争乱も冬も、ようやく終わり、春が来たと。
　失われたものはあれど、それでもこの国は新しく前を向くだろう。
　他の国でも騒動があり、まだ完全な平和ではない――それでも。

「パンケーキなど、色々作ってみました」
　ポポッカやフラペペなどの精霊達も連れて、マリエッタがやってきた。
　近くではユーフォニーの雑草むしゃむしゃ君がムスカリを頬張り、山口さんも立っている。
　不在の今井さんは当面の用があるらしいが、さておき。ドラネコさんにワイ君に大所帯だ。
　精霊達が無事でよかったが、これからも任せることは多くなりそうだから、労いの意味もある。
　ふとユーフォニーの表情が曇る。
（今日くらいは、なんて。いいのかな）
　奪う必要のない命を、どれだけ奪ったのだろう。
　ターリャのことだって、ずっと、ずっと、覚えている。
「ユーフォニー、戦いとは奪う必要のない命を奪わせる物だ」
「……」
「だからみんな本当は戦いたくはないと思っているはずだ」
　同じなのだと、ムエンが告げる。
「ありがとうございますムエンさん」
　大丈夫、大丈夫。だから、切り替えよう。
　そんな時、バクルドが杯を掲げた。
　辛気くさいのはおしまいだ。
「呑める奴は呑もうや」
　ちょうど覇竜の酒、竜鱗葡萄の赤ワインがある。
「わあっ、バクルドさん、ワインさすがです♪」
　ユーフォニーが各々のグラスに注ぐ。ムサシとセレナにはジュースだ。
「乾杯！」
　ワインを飲むマリエッタを、ちょっとうらやましく思うセレナではある。
　それに良く似合ってもいる。
　真っ赤な液体いうのも、その、なんというか――ではあるが。
「何はともあれ、お前さんらお疲れさん。しかし大活躍だったな」
「セレナもお疲れ様」
「ありがとう、ムエン」
「それにしても本当に賑やか。人も、精霊たちも……料理もいっぱい！」
「好きなだけ食べて好きなだけ休め。大人になるにはちゃんと食べることが大事だからな」
「えへへ、ありがとね、ムエン。沢山食べるわ！」
「こうして皆さんと一緒に、楽しく平和を祝える事が何より、でありますよ！」
　ジュースを受け取ったムサシも、杯を掲げて頷く。
「お料理いっぱい……！」
　折角だからいろいろな料理を味わってみよう。
　それで、これは、この料理は、ええと。

　元からの料理もあれば、マリエッタが作ったものもある。
　美味しそうなものもあるが、たまに泡だった紫色のソースとかあるけど、大丈夫だろうか。
　ムエンとしては手伝いがてら、出来る限り救ったつもりなのだが、はてさて。
「みなさん何から食べますか？　全部美味しそう……！」
「目移りしてしまうでありますね」

（マリエッタの料理か、確か前に食ったときは……まあいいか）
　バクルドは「どれ」と一口。
「まあ、俺はこんなもんがちょうどいいと思うぞ」
　多少の失敗など、酒で流せば良い。
「ほれマリエッタ、食は進んでねえようだが呑むだろ？」
「あ、私は少食ですから……あ、でもお酒……お酒はいただきますね、結構強いんですよ？」
　普段は飲み過ぎれば叱られてしまうが、今日は構うものか。皆で素敵な想い出を作るのだから。
（……さて）
　ムエンはふと思った。
　そろそろ覇竜へ里帰りでもしてみようかなどと。

●05:14 Pm
　たまには酒でも注ごうかと思ったのだが、美咲の前に現われたのは――
「なんでジオルド氏じゃなくて室長が居るんスか」
「ジーくんには先に挨拶してきたわ。自衛隊から連れてきてだいぶ経つのに今でも敬礼」
　室長――真由美が微笑む。
「昔から変わってないわね」
　それから室内を見渡した。
「ミサちゃんも一時はトモちゃんが『うちに戻す』なんて言ってたけど、結果的に良かったわ」
　視線が見据えた先を伺い、美咲は動きそうになった感情を殺した。
「やっぱ、愛国心は信じるものね。けれどマキちゃんは……」
「彼女は任務を全うしましたよ」
「ええ、そうね。けれど評価は違う」
　鉄帝国からラトラナジュの火を消費させた上に、練達にとっての障害でもある冠位魔種と直接
戦闘した美咲や、その上長であるジオルドとは違い、マキナは独立島でかなりの古代兵器を作成していた。
　それも練達で学んだ技術を生かした上でだ。少々『やり過ぎ』なのは否めない。
（マキナ氏……）
「評価といえば、ほむちゃんはジーくんの元で大分頑張ったとか」
「普久原ほむらに適正はありません」
　佐伯系の会社員、ただのソフトウェアエンジニアなのだ。
「私のような反社会経験も非正規戦経験もない。全うにしか生きられない普通の人間です」
「けれど『機関』は評価したの。元は日本人なんだし、ウチに誘ってみても良いんじゃない？」
　真由美が部下から上がったデータを元に、あえて直接乗り込んできた理由は、まさか。
「彼女は、たとえ政治的に有害だったとしても、無辜の人であれば殺す事なんて絶対できませんよ」
「……」
「私達とは違う」
「けれど『訓練』をしたらどう？　同じような性格だったミサちゃんがここまで伸びたんだし、ね？」
　頭に血が上りかけ、けれど美咲はおくびにも出さずに封じる。
「だから、考えておいて。ね？」
「……」
　真由美が去ったあと、首を傾げながらほむらが近付いてきた。
（ほむら氏から見える場所で、わざわざ素人に気付かれるように……）
「なんか、さっきの人、こっち見てました？」
「……あれは忘れなさい」
「？」
「彼女は召喚前の祖国に取り憑かれた悲しい人。本質的には練達すら考えていない」
「あー、あのもしかして公社関係の……」
「まあ、……あとヤツェク氏より年上という噂もありまス」

「あっ、ほむらちゃんだ！　かんぱーい！　皆もかんぱーい！」
「あ、あ、ど、どうも。だ、だぶるほむらですね、へへ」
「なんとか終わってよかったね！　最後の方はずっとラド・バウの周りで動いてたからこっちの方がどうだったのかよくわからなかったけど、少なくともここにいる皆は元気みたいでよかったよ！」
「そっちもご無事そうでなによりです、パルスさんも無事だったそうでなによりです」
「……ど、どどどうしてそこを聞くの？」
「え」
「え」
　なにはともあれ、料理は豪華なものだった。
　よく知らない料理も多く、どれも美味しそうで迷ってしまう。
「よーしっ！　せっかくだから少しずつ全制覇を目指してみようか！　ほら、行こうほむらちゃん！」
「あ、え、あ、はい」
　お酒も飲みたいが、温泉にも行っておきたいから後にしようか。
「そうだ！　後で一緒に温泉行こうよ！」
「あ、あ、あああ、ええ」
「それで、せっかくだから洗いっことかもしちゃおう！」
「ええええええ！？」
　近くでは氷狼の子犬オディールをつれたオデットが、舌鼓を打っていた。
「これがポテトサラダで、こっちがブリヌイ？　なんですって」
　器用に椅子へ座ったオディールが、興味深そうに眺めている。
「これはボルシチ。温かいからあなたにはどうかしら？　大丈夫？」
　どうやら大丈夫らしい。良かった。やはり精霊であって本質的に犬とは違うのだろう。
「あ。見て見て～！　ご挨拶！」
「オデット！」
　現われたのはリーヌシュカと歯車卿だった。
「オディールと言うのですね、あらためてよろしくお願いします」
　この子も欠片だったころから、オデットと共にこの島に居たのだ。
　だから独立島の仲間の一員なのだ。

「ヨハン！」
　この後、リーヌシュカは何を食べるかを問う。
「何食べる？」
　ほら。なんだこの直感は。
　眼前のおチビの気持ちが理解出来るというか、そろそろ先読みできつつある。
　たとえばまず、そこまで自身が鉄帝国の力になれなかった気がするなどと言えば、間違いなくボルシチをこれでもかと口に詰め込まれて黙らされるに違いない。
　しかしともあれ、あの冠位と直接やり合えば、間違いなく力みすぎたとも思う。
　犠牲だの何だのをくそくらえの精神ではいられなかったろう。
　いつもちょっとしたことで気を沈めてしまうのは、良くないくせだ。
　見抜かれるまでに、目の前のお姫サマの相手でもしなければ。
「で、お姫サマ？お味はいかがでしょうか？」
「美味しいけど、もう少しサワークリームがほしいと思わない？」
「どうして僕のほうにもどばどば入れるんですかね」
「美味しいもの」
　ヨハンは少し呆れ、そしてしばらくしてからふと笑った。
「リーヌシュカ」
「なに？」
「いつもありがとうな」
「うん、え。ええ、な、なに？　急に、頭でも打った訳？」
「はいはい、はい、いいです」
「何？　なんで？」

●06:16 Pm
　――城外。
　のんびりと猫と一緒に、祝音とヨゾラは夕暮れの散歩をしていた。
「ふふ、パーティも温泉も楽しかったね」
「うん、ファトラさんやヴァンデラーさんも居たよね」
　祝勝の席に遠方から駆けつけてくれたのだろう。
「それにお風呂上がりのミルクも美味しかった」
「うん。パーティのポテトサラダにペリメニ、ヴルストも美味しかった」
　ヨゾラの言葉に祝音も頷いて、くすくすと笑い出す。そんな二人の間をゆたりと猫が通り過ぎた。
「……本当に、色んな事があったな。 大変な事もあったけど……楽しい思い出の方が多いかも」
「うん、実を言うとね。 僕、落ち着いてない気がする」
　そうなのかとヨゾラは祝音を見つめる。
「アーカーシュと、皆と離れるのが寂しい。でも練達にも帰りたい。大切な人を、猫さんをぎゅってしたい。　……もう会えないけど会いたい人もいる」
　戦いの余韻と寂しさと。祝音とヨゾラの脳裏には言葉にならない思いが流れていく。
「今ほど沢山は来れなくなるけど、時々は……アーカーシュに来て良いよね」
「ああ、今は体を休めて……明日以降もできる事を色々やろう……ありがとう、アーカーシュ。そして皆」
　――この先何を思い出そうと、変わろうと、汝は汝である。自分を信じて進むがいい。
　そう言ってくれたファトラの言葉を思い出しながら祝音とヨゾラは忘れ得ぬ風景を胸に刻み――

「お疲れ様でした、シュカさん、リュドミーラさん」
「すずなも！」
「はい、お疲れ様でした」
　ようやく、全てが終わったのだ。
　元はと言えばリュドミーラとリーヌシュカ、二人の再開に同行したことが切っ掛けだった。
　随分と前のような気がしてくるが、実際には数ヶ月だったろうか。
「……まさかシュカさんが連隊長になるなんて」
「ふふーん」
「あの頃には想像できなかったですよね、リュドミーラさん！」
「本当ですね。少佐ですって。早いなー」
　天を仰げば、西の尾根へと沈む夕陽が美しい。
「今は立派な隊長さんだと思います。沢山頑張りましたもんね？」
「もちろんよ、デスクワークはしんどいけど」
「遅れましたがお祝いということで――前にお買い物には行きましたがアレは別物で」
「え、なに、なに！？」
「こほん。――お手合わせ、しましょうか！」
　リーヌシュカの瞳が輝いた。
「うん！」
　互いに修羅場を潜り抜け続けた身。その上、リーヌシュカは成長著しい。
　まあ、色々な意味で。
　ともあれその成長を実感したいと感じるのは、剣士の性というものだ。
「なんでしたらお二人一緒でも構いませんよ！」
「あ、あーいえ、私は皆さんほど前ではやれませんので、避けるので精一杯でしょうし、というか避けてもその先を斬るタイプって聞いてるんですが……」
「あー、で、では、見届け役をお願いできれば！」
「もちろんです」
　そんな訳で、向かい合った二人が腰を落とし――刃が火花を散らす。
　真剣勝負である。
　互いに、一太刀で首を落とす斬撃を、安心して繰り出すことが出来る。
　幾合と打ち合う様は、さながら優美な舞踏のようでもあった。

　パーティー会場はとても賑やかだったから。
（ほら、やっぱり）
　建物から少し離れた、けれど少しだけ喧噪が聞こえる所にほむらは居た。
「おっげんき～？」
　めいっぱいの笑顔で。
「あ、はいココロさん、げ、げんきー」
　曖昧な表情で――おそらく全く力をいれずに――力こぶのポーズをするほむらが、なんだか可笑しい。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
　包んだブリヌイは、チーズ入りのほう。
「今回は荒っぽいことに付き合わせてもらってごめんなさいね。でもかっこよかったですよ！」
「え、ええと、そのへんはおたがいさまっていうか、すごい助かりました」
　それから少しゲームの話をしたり。
　ベンチで付かず離れず、たわいのない会話を楽しむ。
　それこそが、ある種の掛け替えのない『普通』。
　今望むのは、大切な友人たちと共に生きるということ。
　ただのそれだけ。
　けれどそれこそが大事だから。
　――わたしがそれを、望むから。

「保安官さんもたくさんありがとうございました」
「ユーフォニーさん？　どうしたんで……」
　熱気のこもった会場から休憩がてらに、ユーフォニーとムサシは暮れなずむ林道を歩いていた。
「手違いとはいえ内緒のメモ、見ちゃいましたからね」
「あ……あのメモはその……」
　ユーフォニーは思う。貰ってばかりだと。ヒーローとして当たり前なのかもしれないが、けれど――
　ムサシは思う。ほんの少し、貴方だけを守りたいと思ったのだと。しかしそれを口にすればヒーローとしても宇宙保安官としても失格ではないかと。けれど――
　それは命さえ賭すほどの、決意の表明のことだった。
「……あの。嫌だったら振り解いてくださいね」
「……？」
　上目遣いのユーフォニーに、ムサシは僅かにたじろいだ。
　ユーフォニーがかかとをあげ、つま先で立つ。
　やわらかな唇が頬へふれ、耳をくすぐったのは、ほんの小さな音――
（――！？！？！？）
「私、保安官さんのこと好きです。さっ、みんなのところに戻りましょう♪」
　その言葉に決意する。
　ふわりと身を翻そうとしたユーフォニーを、ムサシは抱き寄せた。
　そして額にキスを返す。
「……先手を取られたのは悔しいですけど……気持ち！　おなじでありますから！」
（――！？！？！？）
「さ！　皆さんのとこに戻りましょう！！！」

●07:58 Pm
　ご馳走も食べたし、温泉も楽しんだ。
　ソアとウルは戦いの疲れなどすっかり洗井――もとい。洗い流した所だ。
「変なのが居たね」
「うん、変なの居たね」
　目の前で井が川を流れていくものだから変なことを言いかけたが、それはどうでもいい。
「楽しかったね！　……食べ過ぎたかも」
　見上げれば、満天の星空だった。
　ウルとはまたしばらく会えないかと思うと、すこししんみりしてしまう。
　食べたいものは制覇したし、香りのよいお酒も飲んだ。
　けれどそれでも、今は――満たされないものがある。

　――血が欲しい。

　それはラサでの戦いで受けた烙印のせいだ。
　血に飢えるなんて、普段の自身と変わらないと思っていた。
　けれど全然違う。
　もっとずっと『乾く』のだ。
「どうしたの？」
「う、ううん。なんでもないよ」
「ダメ、白状して」
　もじもじしていると、すぐウルにばれてしまったらしい。
　ウルの目はごまかせない。さすが天性の狩人ということか。
「えっ、血が吸いたい？　烙印？」
　仕方ないので白状すると、ウルはきょとんとした表情を返した。
　まさか鉄帝国の大事件の裏で、そんな冒険もしていたとは思いもしなかったのだろう。
「仕方ないなあ」
　微笑んだウルが、そっとソアを抱き寄せた。
　ソアは――もう何もかも我慢が出来なくなっていた。
　やわらかな首筋に唇をそわせれば、ウルの背が微かに震えた。
（……ごめんね）
「いいよ、あの頃みたい」
　昔は遊びで噛みっこしてたっけ。
　今はちょっと恥ずかしいけれど――
「落ちついたかな？」
　甘く――胸の奥底から満たされる甘美な赤い雫は、食べ物とはまるで違って思えた。

　エッボとリチャードを伴い、ヤツェクが墓標の前に立つ。
　視界の端に、静かに立ち去った小さな姿が見えた。キドーだったろうか。
「なあ、おれが疑ったのが反転の引き金の一つだったんじゃないか、パトリック・アネル」
　ヤツェクが酒瓶を墓の前へ置く。
　――見くびらないでくれたまえ。
　大佐はそんな風に言ったような気がした。
　理屈っぽい大佐のこと、きっとそうなのだろう。
　イレギュラーズに責などあろうはずもないのだ。
　けれど心というものは、そのようには出来ていない。
「おれはアンタと罵声を交わしながら、崩れる遺跡から逃げたかった」
　そして訥々と語る。
　やりたかったのは、童心の追いかけっこだと。
「好敵手であってほしかった。あと、いけ好かない夢見がちな息子にも思えてな――」
　杯へ注ぎ、自身も瓶から一口。
　喉が焼けるような味がするかと思えば、度数の割にやけに優しいではないか。
　これが『アンタの好きな酒』か。
　上品にも程がある。
「正直、鉄帝に関わった理由は、アンタの敵討ちにおれの贖罪だ」
　結果結局――死に損ない、やることも出来た。
　――だから、生きるさ。
「また飲みに来る。お休み」
　将軍を夢見て空に想いを馳せた、どこにでも居る、がきんちょ。

　そんな頃、ジェックは遺跡深部のラン＝カドゥールへと足を運んでいた。
　昼はレリッカ村でユルグ達と語らい、また飛ぶ練習なんてせがまれたりもした。
　パフ村長は結局、鉄帝国の大佐扱いとして、この島を切り盛りするそうだ。
　歯車卿は空にばかりは居られないから、仕方がないのだろう。
　後でマルクに報告しておくとして。それからちょっとした些細な秘密を聞けたりもしたが、これを思い出すのは後に譲ろう。他にはイェルナやウェナス、マイヤやセレンディ達も労った。
　アイル＝リーシュやハイペリオンにも戦いの終わりを伝えた。
　そしてジェックは、ラトラナジュのために祈る。

　一人一人と会い、話し、一つ一つの光景すべてを、その目に焼き付けて。
　多くを喪いながらも、けれどこの光景は守れたのだと実感する。
　だからようやく終わったのだ。
　ハイペリオンに頼まれたこの島が、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
（ねぇ、アタシは……"勇者"になれたかしら）
　そんな称号に、興味なんてなかったはずなのに。

「まったく……何も教えてくれないと思ったら、とんでもない隠し玉用意してやがって」
　ミーナもまたラン＝カドゥールへ訪れる。
　何度考えたかわからない。
　けれどその方法は分からなかった。
　自身を矢と成すこと――
　いや、覚悟がなかったからだとも思う。
「お前のおかげで、私達は生きてる。未来を見れた」
　溜息がこぼれる。
（……代償がでかすぎらぁ）
　ラトラナジュには、世界の広さを知ってほしかった。
　この小さな島だけでなく――けれど、それはもう叶わない。
「だからせめて、私が世界を見てきて、話してやる」
　届かないなんてことはない。
（私は死神なんだから。声を届けるなんて、朝飯前だろ）

　――だから、またな。
　　　遺してくれた、決意の焔と共に、未来へ。

　果たしてそこに、彼女の残滓はあるのか。
　ラトラナジュの存在を証明出来るものはあるか。
　グリーフもまた、島内のあちこちをゆっくりと散策していた。
　はじめは敵として対峙した空。
　傷を癒し過ごした石室。
　共に見上げ、守った青。蒼穹から茜へ、そして宝石をまぶしたかのような群青へ。
　振り返れば、それほど長い時間ではなかったろう。
（……それでも）
　グリーフにとってはかけがえのない時間だったと思う。
　果たしてこれは、返すべきだろうか。
　だが共にありたいとも願う。
　グリーフの手のひらにあるのは、自身の胸にある秘宝にも似た紅玉――小さな宝石だった。

　――はじめて『私』を認めてくれたのは、『貴女』だった。

　感謝された経験はある。
　能力を認められる経験もある。
　けれど。
　共に在ることを許してくれたのは――

　石室に並ぶ二つの玉座。
　その一つには今日も変わらずセレンディが座している。
　もう一つには、もう誰もいない。
「ありがとう」
　呟く。守れなくてごめんなさいよりも、その言葉なら笑ってくれると思うから。
　けれど――

　……でも、ごめんなさい。
　今、私は、上手く笑えていないと感じます。
　瞳から零れるものが、止められないのです。
　今だけは、許してください。

　……どうして。
　……ごめんなさい。
　私を、一人にしないでください。
　私にこの感情を教えたのは、貴女なのに。

　――貴女がいない。

●09:22 Pm
「ご苦労、エフシュコヴァ少佐。正式な書面はまだだったろう、受け取れ」
「フロールリジ大佐！　嬉しい！」
　騒がしいパーティー会場の片隅でエッダは筒を携えていた。そこには帝国の紋章が刻まれている。
　リーヌシュカが敬礼し受け取ったのは、ザーバ将軍と皇帝のサイン入りの書類だった。
「貴官の働きは、大きい。最前線で戦うことばかりを盆暗共は喜ぶが……」
　エッダが言葉を切り、リーヌシュカを見据える。
「どうだった。あの火の煌めきは」
「……」
「心惹かれたか？　 また撃ちたくなる。そう思わないか？」
「帝国軍人であれば思うべきよ。けれど私には――思えない」
「それでいい」
「……なぜ」
「忘れてはならない。大きな力を持つことのおそろしさを」
　エッダは続けた。それを忘れた者を見たことを。新皇帝派となったバトゥの行動を、下らぬと切り捨てることは出来ない。あれこそ武力至上主義のなれの果てだ。
「私が教えたやり方は、南方の、ザーバ閣下のやり方だ。中央では要らぬ謗りもあるやも知れん」
　だから――
「実力で黙らせてやれ。それに……私も頼るといい」
　エッダを見つめる真剣な眼差しに思わず胸が熱くなるものだから、軽く肩を叩き笑ってやる。
「これからはもう少し首都に居る予定だからな」
「ありがとう、大佐。ううん、エッダ！」

　ルカは独立島の盟友とはいえ、北辰連合に所属する。
　だから今後の方針に口を出すのは筋違いだとは考えた。けれど気になるのは確かだ。
　リドニアも思う。
　戦いは終わったが、リドニアやルカにとって全てとは到底いえない。
　それにリドニアは天義の人間であり、この古代兵器の行く末は気になるものだった。
「よぉ歯車のニーサン。おつかれサン」
「ルカさん、お疲れ様です」
　ならば問え。
　ベルヴェドウォッカのグラスを合わせると、小気味よい音が響いた。
「冠位は倒したがこれからが大変だな」
　ワンショットを一息に飲み干し、ルカが問う。
　疲弊した民、荒れた国土――今は勝利の余韻があれど、いずれ厳しい現実に直面することになる。
「ま、あんま心配はしてねえけどな。この国のやつらは存外にタフだ」
「そうですね……私はこの島がもたらす未来に賭けています」
　それはかの特務大佐と組んでいた頃から同じこと。
「今年の秋には、はじめての小麦がとれるでしょうから」
「農業のインフラだのってやつを整えてえわけか」
「はい、この国はどうしても武力一辺倒なところは、ありますが」
「この国のあり方が正しいかなんて知らねえが、強くあろうって考えは俺は結構嫌いじゃねえ」
「そこは実は同感ではあります、しかし信念を曲げるつもりもありません」
「ああ、だからアンタには期待してるんだ、エフィム・ネストロヴィチ・ベルヴェノフ」
「ありがとうございます」
　短い付き合いだが、ルカはエフィムという政治家が鉄帝国をより正しく導けると信じていた。
「もしまたターリャみてえな事が起こるなら、俺がその街を潰すぜ」
「では、そうならないように、努力するのが我々の務めですね」
　二人は笑い合う。
　冗談めいてはいるが、ルカもエフィムも本気だった。
　けれど「そうならないように信じられる」からこそ、冗談に出来る。
　そしてルカには、まだこの国での仕事が残されていた。

　――シグバルドの野郎の、本当の仇ってやつとケリをつけなきゃならねえからな。

「そういえば歯車卿、今後アーカーシュはどうされるんですか？」
　近くで遠慮無きもぐもぐタイム中だったルル家も尋ねた。
　独立島はノーザンキングスのような立場を目指すのだろうか。
　だがラトラナジュの火がない以上は、むずかしかろう。
　やはり空中を自在に移動する国家などというものは、危険視されて当然だ。
「帝国が誇る一大農業地帯にしてみせますよ」
　だが歯車卿はあっけらかんと答えた。
　なにせそれが彼の夢そのものだったのだから。
「この国が戦を求めるのは、資源の不足からです。ならば根本を断つべきだ」
「それなら他国との貿易をされるなら簡単な口利き程度ならできますよ！」
「なるほど、それも興味深いですね」
「んもう、またお仕事はじめちゃって」
　やってきたのはトレーに数脚のグラスを乗せたアーリアだった。
「ささ、今日はもうお仕事とか堅苦しいことはやめて飲みましょー！」
「ではマルクさん、音頭をお願い出来ますか？」
「はい、では皆、本当にお疲れさまでした……！」
　余程のことがなければ酒を飲まないマルクだが、この日ばかりはその『余程』だろう。
　振り返れば、どれだけ濃密な半年間だったろうか。
　だから万感の想いをこめて――
「乾杯！」
「「乾杯！」」
　注がれたのは、新たな伯爵――ベルフラウから贈られたヴォードリエ・ワインだ。
「ささ、今日は宴なんだもの、とことん飲みましょー！」
　乾杯のワインも早々に、歯車卿自慢のベルヴェドウォッカを、アーリアはまずストレートで。
　雑味のないクリアな味わいは、丁寧な貯蔵で円みを帯びている。
　オレンジジュースあたりに入れたら危険極まるレディキラーになるだろう。
　喉を通り落ちていく熱を生で感じるのは、あの日はじめてお酒を飲んだ時から変わらない。
　けれど、生きてこうして皆と飲めるのは、あの日とはまるで違って――幸せだと感じる。

「火力としてのアーカーシュの役割は終わって、これからは復興のアーカーシュですね」
　自治権の話もあるし、帝国全土支援も考えなければなるまい。
「けれど、あんまり心配はしてません。最高の『インフラ屋』がいますからね」
「ええ、ありがとうございます」
　だから――
「エフィムさん、アーカーシュの舵をお返しします」
「――お受け取りいたしました」
「僕は、良い司令官だったでしょうか」
　過去ばかりみていてもいけない。
　喪われた命には献杯を、未来には乾杯を。
「ええ、マルクさん。あなたは最高の司令官――『ウィザード』だ」
　振り返れば思う。
　もっと良い指揮や作戦で、犠牲を出さない方法があったのではないか。

　――きっと気持ちを一生背負っていくのだろう。

　また仕事を始めた、と。アーリアはジト目で一瞥し、けれど微笑んだ。
　無理に奪うこともないだろう。
「もー。おーさーけーくーさーいー！」
　リーヌシュカを抱きしめると、体温と、彼女独特の不思議な鼓動が聞こえてきた。
「いずれ貴官にも分かる日が来る」
「エッダも！」

　――この島のはじまりは、ばらばらだった。
　そんなパーツ、歯車がかみ合い、一つの星、その放つ光（ルーチェ・スピカ）となった。
　ターリャは安らかに眠れているだろうか。
　大丈夫だろう。最高に良い男と良い女が看取ったのだから。
　そして訪れたのが、今日。おしまいの日。
　不安に思う訳ではない。
　けれどアーリアは問うた。
「地上に戻るの？」
「そうね、私はここだけを見ている訳にはいかないわ。けれど管理の範囲にはなるでしょうね」
　多くはパフ村長の管理になるはずだが、彼に軍籍はあれどその道の素人ではある。
「私はそうですね、頻繁に行き来することになるとは思いますが」
　アーリア自身にも帰る場所がある。
　だから返答には、何を言うこともない。
　けれどいつだってここに来れば、皆出迎えてくれる。

　――何処にいたって、出来ることは沢山あるわ。

　――星（スピカ）は落ちる事無く、これからも空に輝き、アーカーシュを導いてくれる。

「歯車卿のご実家のものなのですね、これも試してみようかな」
「ああ、それはもう。是非ご賞味下さい」
「あらぁ」
　そんなこんなで一時間ほどの歓談が続いた。

　ふと、廊下に出たマルクが壁にもたれる。
（……酔いが回っちゃたかな）
　そしてそのままへたるように座り込んみ、うな垂れた。
（ごめん、エフィムさん。ごめん、シュカさん。ごめん、皆……）
　床におびただしい赤が広がっていく。

「ひっ！？」
　何かの物音を聞きつけ、慌てて駆け寄ったアーリアがしゃがみ込む。
「何があった！」
　なんだなんだと何人かが集まってきた。
「マルクさん！？　どうしたんですか！」
「んもう、怪我は……大丈夫そうね」
　アーリアが割れた瓶やティーカップの破片と、飛び散った紅茶用のジャムなどテキパキと片付けている。
　すっかり寝てしまったマルクはルカが運んでやり、エッダはしゃっくりをしながら気道を確保させ、アーリアがブランケットをかけてやった。
「お疲れ様」
「え、マルクどうしたの？」
「酔いすぎ」
「その赤いのなに！？」
「紅茶とジャム。ひえっひえの」
「マルク戻れないみたいよ」
「三次会のリスト、ケータリングの人数からマルクさん外しといて下さい」
　リーヌシュカが両手の指でバツをつくり、歯車卿が指示を飛ばす。
「魔術師（ウィザード）、還らず――か」
　ヤツェクが喉の奥でくつくつと笑った。
　さて、宴が終わるまで、まだまだ楽しもう。

　そんな光景をリドニアは遠目に眺めていた。
　葉巻に沿えるのは、そんな幸せそうな喧噪だ。
　いつもの紙巻きではない。良いではないか、こんな晴の日くらい。

　――01:27 Am

成否

成功

ＭＶＰ

状態異常

あとがき

　長きに渡った鉄帝国編、お疲れ様でした。

　MVPは魔術師の異変にいち早く気付き、適切な対処をした方へ。
　ほんま、なんぞ……。

　※アーカーシュは領地システムに実装予定です。しばしお待ちくださいませ。

　それではまた皆さんとのご縁を願って、pipiでした。