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シナリオ詳細

<けがれの澱>亡貌の薄雪草

完了

参加者 : 25 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


「記憶を一つ、売って頂きました」
 穏やかに微笑むのは『夢鬼』と呼ばれた獄人、コヅヱであった。
 艶やかな白妙の髪に金色の瞳。黒曜の角はぐるりと上向きに捻り曲がっている。
「厄裳様のお口に合えばよろしいのですけれど」
 琥珀色の珠をヤクモの前へと差し出すコヅヱへと射干玉の髪をした乙女は「良い子だ、コヅヱ」と頷いた。
 幼く見える容貌の娘はコヅヱの頭を撫でる。母の愛情に餓えた娘はその慈しむ視線と仕草に心よりの安寧を覚えるのだ。
「……買い取ったのならば、対価は? 何かの記憶を渡したのか」
「いいえ、忘憂神社に居る幾人かの無事を、との事でした。勿論、『ひとりぽっち』の記憶ですから全てをとはお返事しておりません」
「そうか、そうだね。特にその記憶は瑞に関連するものではないのだろうし」
「それでも、『神使』のものです」
 褒めて欲しいと良いたげな瞳でゆっくりとヤクモを見上げるコヅヱに「ああ、本当に素晴らしいよ」と囁いた。
「こうして記憶を集めていこう。そしていつか――」
 何時の日か、この黄泉津を乗っ取るために。
 記憶の検分をしていたヤクモは「ほう」と呟いた。
「コヅヱ」
「はい」
「天香の……これは血は引いていない小僧への愛情かな」
「ええ、そう仰っておりました」
 コヅヱが買い取ったのは隠岐奈 朝顔(p3p008750)の恋心だった。焦がれるような恋だったのだろう。
 確かに、これっきりならば恋慕の情はよくあるものだと淡々と処理できるが、ヤクモは「ほおう」と呟いた。
「天香の女房の顔も良く分かる。記憶に刻まれているな。……なあ、ヤサカ。お前ならどうする?」
 ヤクモが振り向かずに声を掛ければ、傍に仕えていた獄人の娘は「天香の小僧の首でも取りましょうか」と囁いた。
「それも面白い。京を傾けるならば、舞台から役者が消えた方が良いからな」
「……所詮落ち目でしょう。何も手出しをする必要はありません。それより、その記憶を預けては下さいませんか?」
「薄雪か」
 ヤクモが振り向けば神霊『黄龍』に良く似たかんばせの女が佇んでいた。
 畝傍 薄雪。歴史の影に姿を消したその女は嫋やかな笑みを浮かべて珠を掴み取る。
「天香をどうにかするのは何時だって出来ましょう。それより……この子は御所にも出入りしている。
 道は分かるではありませんか。ねえ、厄裳。あの優しい賀澄がどの様な顔をするか。実に見物でしょう?」
 ヤクモは「どうだか」と呟いてから、有無も言わさぬ気配を宿した薄雪から目を背けた。
「コヅヱ、アイツから目を離すなよ」
「……はい」
 膠窈肉腫の女はくすくすと笑みを浮かべてから唇を吊り上げる。

 ――ああ、建葉の坊も大きくなっていた。あの子を最後に見たのは三言が死んだ頃か。
   随分なときが立ってしまったけれど、わたくしを忘れてなど居ないでしょう? 賀澄。


 高天御所で特異運命座標の狩りを待っていたのは『霞帝』今園 賀澄であった。
 俯いた『中務卿』建葉 晴明の傍には困った表情を浮かべている月ヶ瀬 庚(p3n000221)とメイメイ・ルー(p3p004460)の姿が見えた。
「ちょ。ちょ……たみちゃん様、メッチャこの部屋、暗くない? どうする? 光ろうか?」
「光ることが出来るのですか?」
 ぱちくりと瞬く水天宮 妙見子(p3p010644)に禄存はそんな冗談を言ってからこそこそとその背中に引っ込んだ。
 重苦しい空気を滲ませているのは晴明だけではない。賀澄とてそうだ。頭を悩ませてから「そうか」と一言返したきりである。
「黙っていては分かりませんよ。『おさらい』からです」
「瑞様、頬に米粒が……」
 ツナマヨおにぎりを食べて居たのであろう瑞神の頬を手拭いで拭ってからアルテミア・フィルティス(p3p001981)は穏やかに微笑んだ。
 ぱちりと瞬いた瑞は礼を言ってから特異運命座標と向き直る。
「豊穣郷の流刑地である『自凝島』には複雑なけがれが溜まり込んでおりました。
 けがれとは即ち大地の宿す陰なる気そのもの。わたしがそれを身に溜めそそぐ事で大地を循環できていましたが――」
 その機構が上手くいかず、豊穣郷は危機に陥ったことがある。瑞神が再誕しある程度の『力』を取り戻した今だからこそ、その地のけがれ祓いを行なう為に向かったのだが――
 内部には神霊が掬っていたのだ。それも、実害のある形でそれは『判明』している。
「『忘憂神社』は自凝島にあるということですね。黄龍からも報告は受けております」
「うむ。あの地には『厄裳』が居る。吾と気配の似た彼奴は姉妹と呼ぶべきであろうよ」
 瑞神は頷いた。神霊である瑞神が『第一』に産まれた娘であれば、その子のように作り出されたのが中央に坐す黄龍と四神達だ。
 自凝島は穢れが溜る。穢れや雨を司り地を注ぐ事は瑞神の近しい存在では余り好まれない。
 故に黄龍は『分霊』として麒麟を作り自凝島の管理を任せていたのだ。その分霊を支えるのが厄裳である。
「奴も好んでけがれる訳ではない。ただ、役割がその通りなのじゃろう。……解き放ってやりたいが……」
「けがれに飲まれているのであれば、解き放たねば、あれは豊穣を飲み干そうとする事でしょう。
 その力の源が記憶。つまりは、人の記憶を位、己がものにする事が出来るのです。だからこそ、忘憂神社は――」
 民草の記憶を『商売』として得る事を望んだのか。
 忘れたい疎ましい記憶を持つ民は多く居る。獄人ならば迫害の歴史と凄惨な過去がそう望ませるはずだ。
「……民の記憶を糧にするだけなら良いですが……どうやら相手はわたしへの道筋を探している模様」
「そりゃあ、そうじゃろうなあ! 瑞を取り込めばこの豊穣郷で一番に力の強い神霊は厄裳となろうよ!」
 からからと笑った黄龍に「黄龍」と鋭く瑞神は言った。ぺろりと舌を見せてから黄龍は「冗談じゃ」と呟く。

「ええ、そうでしょうとも」

「ッ――――!?」
 肩を跳ねさせてから飛び退いた庚が「帝!」と叫んだ。符を手にした青年に睨め付けられてのは――
「どう、」
 それ以上の声は出なかった。賀澄の声が掠れ、目を見開く晴明の手をメイメイが引く。
 妙見子は守るように立ちはだかってから「またお会い致しましたね」と囁いた。
「記憶を一つ、売って頂きましたから……ご挨拶に窺えて良かった。
 御所は瑞神の加護が大きすぎて道が分からなかったのだけれど、此れであれば辿れましたわ」
 黄龍と同じ貌をした女が微笑み立っている。
「感謝なさってくださる?」
「……何をですか」
「あなたの大切な方のおうちを守って差し上げたのだもの」
 鹿ノ子(p3p007279)は眉を顰め女を睨め付けた。美しい黒髪、輝かんばかりの瞳。勝ち気にも見える表情。
 ただ、その体から漂う滅びの気配は彼女が人では無い事をいやでも理解させる。
「……薄雪……?」
「お久しぶりですね、賀澄。随分と老け込んで。……あなたの方が年上になってしまったかしら」
 穏やかに微笑んだ薄雪はそっと手を伸ばす。誰も動けぬままに居た。それだけ、その女の纏う気配が異質だったからだ。
 賀澄の頬に触れてから女は一層美しく微笑んだ。

 ――薄雪、こんな世界にイキナリ飛ばされて納得できるわけないだろ。
 ――ふふ、拗ねないで賀澄。……大丈夫ですよ、物事は上手く回っていくもの。
   恐くなったらわたくしを頼って頂戴。いつだって、あなたの味方よ。

「少し、遊びましょう、賀澄。民を選ぶか、己の身を選ぶか――」
 賀澄はゆっくりと傍らの刀を手繰り寄せてから唇を震わせた。
「神使よ、この女を御所より追い遣り自凝島に返すぞ」
「賀澄――」
「瑞、『薄雪』の気配を覚えておれ。必ずしやこの女から厄裳への縁を結びつけてやろう」
 賀澄の苦しげな表情を見て瑞神は眉を顰めた。

 ああ、あなたの『初恋の人』――
 異邦人であったあなたを受け入れ、この国を何たるかを教えたその人に。
(もう二度とは刃を向けないと、誓っていたでしょうに)
 どうして、このように因果は廻るのか。
 答えは出ぬままに眼前の女の背後にはぞろりと白い能面の女の姿が現れた。

GMコメント

『豊穣郷』で大きな事件はこれが最後です。<けがれの澱>は3話~4話程度で構成されます。
 第二話。御所編です。薄雪を撤退させ自凝島にある本拠への情報を得ましょう。

●成功条件
 『畝傍 薄雪』を御所から撤退させること。
 (今園 賀澄の安否についてはこの条件には含めない)

●自凝島
 神威神楽による流刑の地。悍ましき呪いの蔓延る罪人の終の地です。おのころしまと読みます。
 嘗て、天香長胤&巫女姫が捉えたイレギュラーズをこの地に捕えた事があります。その当時より肉腫やけがれが蔓延っていました。
 刑吏・畝傍家は全滅し、今は黄龍が『島を封じる』事で管理が成されていました。
 黄龍より別たれた自凝島の守護神『麒麟』が中央に坐しています。その内部に瑞神は黄泉津の穢れを集め、現在の麒麟を禍津神にして討伐することで全てを終らす決断を黄龍と行って居ました。
 ですが、黄龍にも良く似た気配を宿す神霊が内部に入り込んだようです。

 簡単に言うと
 ・けがれを利用する神霊をどつくために道を開いた! ←<けがれの澱>禍津忘憂
 ・なんか其処に居た霞帝の初恋の人の顔した女がやってきた! ←今回
 ・女を追い返して、道を繋いで神霊を目指そうぞ! ←今回目標

●敵勢対象
 詳細は不明です、が、色々分かってきた気がします。
 彼女達と接することで自凝島への縁を結ぶことが大いなる目的です。

 ・畝傍 薄雪
 膠窈肉腫の女性。八百万です。
(※膠窈種は純正肉腫(魔種相応)に原罪の呼び声がへばり付く、もしくは複製肉腫が【反転】した際に誕生する事がある特殊種族です。純正よりも強力な感染力を持ち更に【純正肉腫(オリジン)の誕生を誘発させる】能力を持ちます。)
 自凝島の刑吏であった畝傍一族の女であり、天香長胤に仕えていた中務省勤め『だった』女性です。
 外見は黄龍そのものであり、今園 賀澄の初恋の人であることが判明しています。当時の中務卿である建葉 三言の補佐でもありました。
 忽然と姿を消した彼女は記憶を辿ってこの場にやってきました。手には隠岐奈 朝顔(p3p008750)さんの記憶を握り締めています。
 戦闘方法は不明ですが、侮れない相手です。

 ・憂女衆
 白い面を付けた女達です。全員同じ外見をしています。薄雪をサポートします。

 ・コヅヱ
 『忘憂神社』の巫女。影より薄雪の様子を確認しているようですが――

 ・隠岐奈 朝顔(p3p008750)さんの記憶
 薄雪が手にしています。買い戻すとも出来れば壊すことも出来ます。買い戻すならば何らかの対価が必要です。
 壊せば全てが喪われます。現状の朝顔さんは『渡した記憶に関してを全て失って』います。

 ・皆さんの記憶
 薄雪やコヅヱに売ることも出来ます。
 渡した場合はその記憶範囲を『消失』させてしまい、相手に情報が渡ります、が、交渉次第では何らかの対価を得られるでしょう。

●NPC
・『霞帝』今園 賀澄
 所謂黄泉津で一番偉い人です。帝。現代日本に類似した世界から転移した旅人です。
 迚も正義感が強く獄人差別に抗い、色々と(本当に色々と)大暴れした結果、帝になりました。
 彼自身は眼前に現れた薄雪に恋い焦がれた過去や、彼女の存在が支えであった事もあり、非常に困惑しています。
 彼女の狙いが自身である事も理解しており、己が前に出ればある種で人質状態の天香家や、弟分の晴明を護る事が出来ると認識しています。
 刀を召喚する戦い方をします。何事かがあった際にはいの一番に自らが前に出て薄雪に着いていく選択を行なうようですが――

・『中務卿』建葉 晴明
 中務省(帝の補佐)の長。獄人差別を受けてきた当事者ですがそれから守ってくれた霞帝に恩義を感じ兄のように慕っています。
 刀を駆使して戦うことが可能です。父の知り合いであり、幼い頃に接した薄雪の存在に非常に困惑しています。
 晴明の忘れたい記憶とは長胤が父・三言(みこと)を処刑したことや薄雪に関することのようですが……。

・『陰陽頭』月ヶ瀬 庚
 陰陽頭。符術によるバッファータイプ。黄龍&瑞神を護る事を優先します。

・黄龍
 薄雪の姿をしている神霊です。その姿は霞帝の初恋の人を真似ていたので――まあ、そういうことです。
 何らかの『制約』が存在して動けません。黄龍自身は戸惑っているようですが……。

・禄存
 フェグダちゃんと呼ばれたいお年頃の黄龍の神遣。ウキウキるんるんですが、今は黄龍を守っています。

・黄泉津瑞神
 神霊。豊穣の守護神です。御所そのものの保護を行なっています。

・宵暁月&星月夜
 瑞神の神遣。速力を生かし偵察も得意な前衛タイプの宵暁月と、後方からの支援と連絡役を担う星月夜のペアです。
 瑞を守るように立っています。命に代えても瑞神を守るつもりのようです。

●四神とは?
 青龍・朱雀・白虎・玄武と麒麟(黄龍)と呼ばれる黄泉津に古くから住まう大精霊たち。その力は強くこの地では神と称される事もあります。
 彼らは自身が認めた相手に加護と、自身の力の欠片である『宝珠』を与えると言い伝えられています。
 彼ら全てに愛された霞帝は例外ですが、彼らに認められるには様々な試練が必要と言われています。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はDです。
 多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
 様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。

  • <けがれの澱>亡貌の薄雪草完了
  • GM名夏あかね
  • 種別長編
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2023年12月08日 22時55分
  • 参加人数25/25人
  • 相談7日
  • 参加費100RC

参加者 : 25 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(25人)

シフォリィ・シリア・アルテロンド(p3p000174)
白銀の戦乙女
シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)
優しき咆哮
ウォリア(p3p001789)
生命に焦がれて
アルテミア・フィルティス(p3p001981)
銀青の戦乙女
ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)
優穏の聲
ゴリョウ・クートン(p3p002081)
黒豚系オーク
メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りの守護者
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
蒼穹の魔女
新道 風牙(p3p005012)
よをつむぐもの
紫電・弍式・アレンツァー(p3p005453)
真打
茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)
音呂木の蛇巫女
鹿ノ子(p3p007279)
琥珀のとなり
黒影 鬼灯(p3p007949)
やさしき愛妻家
長月・イナリ(p3p008096)
狐です
一条 夢心地(p3p008344)
殿
天目 錬(p3p008364)
陰陽鍛冶師
ヴェルグリーズ(p3p008566)
約束の瓊剣
フリークライ(p3p008595)
水月花の墓守
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
星影 向日葵(p3p008750)
遠い約束
八重 慧(p3p008813)
歪角ノ夜叉
ルーキス・ファウン(p3p008870)
蒼光双閃
金熊 両儀(p3p009992)
藍玉の希望
マリエッタ・エーレイン(p3p010534)
死血の魔女
水天宮 妙見子(p3p010644)
ともに最期まで

サポートNPC一覧(3人)

建葉・晴明(p3n000180)
中務卿
黄龍(p3n000192)
月ヶ瀬 庚(p3n000221)
陰陽頭

リプレイ


「薄雪」
 名を呼ぶ声音が好きだった。
 愛おしそうに、一音一音と確かめて呼び掛けるその声には確かな愛情が籠っていた。
 その響きの心地よさは陽向で微睡む子猫の甘やかな眠りの如く。
 わたくしにとっての救いの声であった。
「薄雪」
 楽しげにはにかむ笑顔が好きだった。
 まるで幼い子供の様な顔をするから。その微笑みを見るだけで胸が苦しくなるのだ。
 手を引く貴方のぬくもりは、遠い空も海も渡って行けそうな程に軽やかで。
 わたくしにとって唯一のお役目を忘れられる刹那であった。
「薄雪」
 貴方の思いに応えることが出来ない我が身を呪った。
 わたくしは八百万で、畝傍家の当主となる女だった。対する貴方は四神の加護を受けている男だ。
 わたくしは畝傍を継ぎ、貴方は神霊の加護で国を治める。
 わたくしは自凝島の刑吏となり、貴方はこの国の主となる。
 ――だから、わたくしは。

「忘却をお望みかな」

 ――わたくしは、愚かな選択をしたのだ。


 長く伸びた射干玉の髪に眩い眸。唯一、女と神霊『黄龍』に違いがあるとするならば、その髪型や細やかな化粧のみであろう。
 それだけ精巧に黄龍はその女の姿を真似ていた。口では『霞帝』の初恋の人を模したとは言うが、事実はどうであったのか。
 ――ああ、聞くまでもないかと『白銀の戦乙女』シフォリィ・シリア・アルテロンド(p3p000174)は背後に立つ今園 賀澄を見遣り感じた。
『麒麟』は幼き黄龍といった風貌だった。ならば、眼前の女は黄龍……ではなく、『その姿を借り受けた』存在なのだろう。
「畝傍 薄雪」
 名を呼べば、彼女は「ごきげんよう」とより一層美しく笑うのだ。
 黄龍は娘の形をしているがその性質はどちらかと言えば男性寄りだ。神霊は無性であるが故の性質の偏りなのだろう。
 だが、畝傍 薄雪は歴とした女である。楚楚たる仕草に、優美な指先の動き一つをとってさえ彼女が高等教育を受けた存在であることが良く分かった。
「え?」
 ぱちくりと瞬いたのは『音呂木の巫女見習い』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)であった。
「えっ!? 黄っちじゃない!? え、どした!? どゆこと!?」
 慌てた様子の秋奈が黄龍と薄雪を見比べる。同じ顔ではあるが、全く違う。詰まる所――「初エンカじゃん」と挨拶するわけである。
「秋奈ですよろしくお願いします。
 意味サッパリだケド、なんか訳アリ寄りのアリ的な? で、そっちのほうから会いに来たって的な?」
「ええ、訳アリ寄りのアリでございます」
 微笑む彼女の笑みの薄ら暗さは気にもなる。それに、彼女と霞帝の関係性についても迚も気にはなるのだ。
「おう、豊穣の危機ば聞いてやってきたぜよ! しかし……がっはっはっ、なんじゃぁ、何回目の危機じゃ!
 全く、騒ぎに事欠かぬ愉快な国じゃのぅ! 偉い人らからしちゃあ笑えん事じゃろうがな、がはは!」
 このような状況となってでも、快活に笑って見せたのは『特異運命座標』金熊 両儀(p3p009992)であった。
 賀澄が「全く以て愉快だろう」と言ったその言葉に大きく頷いてから両義は賀澄の肩をぽんと叩いた。
「霞帝、間違うても敵方に着いて行く真似ばするんじゃのうぞ?
 おまんは大衆首じゃ、戦は大将首ば取られたら終わってしまうぜよ。この戦ば儂らに任せちょって後ろで構えとれ」
「……ああ」
 両義はふと、物思う。記憶を奪う神霊『厄裳』。それは己の過去の記憶が存在しないことにも関わっているのだろうか。
(……いや、儂の無い頭じゃ知恵を巡らせたとて詮無きことか)
 はてさて、もしもそうであったならば、厄裳への縁は――そこまで考えてからコヅヱの姿を探した。
 畝傍 薄雪では己の求める返答が存在しないと考えたから。
(畝傍……か)
 その名前に『蒼穹の魔女』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は聞き覚えがあった。
 アレクシアは自凝島に囚われた事のある神使(イレギュラーズ)だ。嘗ての神威神楽では猛威を振るった肉腫と、魔種。転移軸のズレである召喚バグによってこの島国へと渡った魔種『巫女姫』は統治者であった霞帝を深き眠りの呪いに落し、政を牛耳る天香家と組んだ。
 無論、外より遣ってきて魔種の思惑を挫く神使は大罪人である。文字通りの島流しの刑に処されたその場所で刑吏であった畝傍鮮花(あざか)と出会ったのだ。
(……まさか、その名前をこんな所で聞くだなんてね)
 アレクシアは警戒を滲ませる。後方では黄泉津瑞神を護るようにして眷属足る神遣の二対が構え、霞帝を護るように幾人ものイレギュラーズが立っている。
「薄雪さん、だったよね。こんな所にまで乗り込んでくるとは……貴方からすれば敵地のど真ん中に等しいと思うけれど」
 アレクシアの問い掛けに薄雪は「わたくしにとっては親しんだ場所ですよ、月人(幻想種)のお嬢さん」と軽やかな声音で返した。
「何せ、三言と、賀澄と、この地では翌々話をしましたものね。
 八百万のわたくしと、獄人の三言、ああそれに、時折、長胤殿も見えましたか……それも懐かしいこと」
 ぴくり、と肩を動かしたのは『豊穣の守り人』鹿ノ子(p3p007279)であった。
 長胤とは鹿ノ子が自らの主であり、信ずる存在である『天香遮那』の義兄である。前天香家の当主たる男は罪人として処された。
 彼は『謀叛を企んだ』とされている。どうあれ、先頭に立つ者が消え去れねば収まらぬ戦だった。
 その男の名を彼女は知っているのか。
「……望くん」
 ひりつく空気を感じながら鹿ノ子は精霊『望』に声を掛けた。柔らかな尾を揺らした望は顔を上げる。
「霞帝から一連の流れは通達為されているでしょう。ですが、現状は予測不可能。
 疾く、遮那さんに通達を! 侵入者への警戒を強め、有事の際はローレットへ救援要請をするようにと!
 ――そして……僕は必ずあなたのもとへ帰ります、と」
 それが鹿ノ子が今できる精一杯である。長胤の名を出したのは自らが御所に縁深い存在であると言うことと同時に『天香の事は把握している』と言葉にしたと同義だ。
(……流石に、朝顔さんの記憶を辿ったとするならば此方に顔を見せたのは温情と言うべきでしょうか)
 鹿ノ子はごくりと唾を飲み込んだ。天香家を壊滅させることは容易いとでも言う様な女の笑み。
 人質であると言うべきか。彼女の目的は他にある筈だ。薄雪と、厄裳はそれぞれが別の思惑を有している可能性がある。
 厄裳のことはまだ分からないが、その在り方には懐疑的であった『ロスト・メモリー』隠岐奈 朝顔(p3p008750)は拳を固める。
(コヅヱさんには恨みはないけれど……このままではいけない。……今の私でも、大丈夫、戦える……)
 朝顔が手渡しのは思い人に関する記憶だ。彼に関しての記憶がすっぽりと抜け落ちている。行動理念も、決意さえも揺らぐように本気の恋だった。
 だが――それがこの状況を読んだというならば。
「コヅヱさん、取引有難うございました」
 何処に居るかも分からぬコヅヱは確かに見ているはずだ。だからこそ、朝顔は臆することなく話しかけた。
「私は貴女に悪感情を抱いてないし、厄裳様を救いたいから……だから厄裳様の事を知りたい。
 どうして厄裳様は黄泉津を乗っ取りたがっているんですか?
 厄裳様の幸せが最初から人々の記憶を食い尽す事だと思えなくて。もし穢れの悪影響だとするなら……コヅヱさんはどうする?」
「穢れさせた側が悪い、というのが忘憂神社の結論ですわよ」
 薄雪が困った顔をした。その掌には記憶が握り締められている。彼女は朝顔が望むのならば『返す』とも言った。
 朝顔が望んだのは忘憂神社に拐かされた者の無事だ。つまり、それを対価としているだけの状況では容易に返却もしてくれるのだろう。
(……きっと、返して欲しいというなら、返してくれる。けれど……)
 その中に存在するのは己の記憶だ。八百万と獄人の身分違いの恋と実ることなかった恋心。
 大切な友達と呼ばれたとしても、離れがたいと苦しみ喘いだ果てに手放した記憶だ。
(……友達にそんな記憶は要らない。要らない、筈だ)
 今の自分ならば何があったって友人として祝福できるはずなのに、どうしようもなく、苦しい。
「……」
 薄雪は静かに朝顔を眺めてから「どうなさいましょうか」と笑いかけた。
「賀澄が此方に来てくれるのならば問題は解決するのですけれど」
「そんなこと……許せるわけがねぇだろうが!」
 噛み付くように『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)が叫んだ。警備はどうなっているのだと叫びたくも鳴るがこれが『神様の不思議パワー』だと言われてしまえば仕方が無い。
 自凝島にも黄龍と麒麟の力を駆使している。厄裳が黄龍にも連なる存在だというならば、これは有り得た話だったのだろう。
(……神様たちは自分で身を護れるし、神遣たちも付いてるからよしとして。
 カスミさんとセイメイの様子がおかしい。あの女を一目見てからだ。なんだ、知り合い……ってレベルじゃなさそうだなこりゃ。
 あの女も、カスミさんを見る目がやばい。明らかに狙っているって宣言してるしな……)
 風牙は槍の先を薄雪へと向けた。背後には賀澄が立っている。まるで庇うような姿勢で立ちはだかって見せた。
「やらせるかよ! カスミさんも誰も彼も、手出しはさせねえ。逆にふんじばって、敵側の本拠地まで案内させてやらぁ!」
「まあ」
 薄雪は両手をぱちぱちと叩いた。その在り方は、眩いものである。

 ――この国をよくしたいんだ。外様の俺が言うと可笑しいかも知れないけれどさ。
   三言と薄雪だって仲良く出来るだろ? そうやってもっと皆が手を取り合えると嬉しい。

 まるで貴方のように眩くて、ああ、頭が痛くなる。


 まるで何かに縛られたように黄龍は動く事が出来なかった。
「……」
 それが『厄裳』によるものであるかは分からない。少なくとも薄雪と、そして何処かに潜むコヅヱからは同じ気配がするはずだ。
(黄龍と瓜二つ……心情的にはやり難い事この上ないが、刃が鈍る事は無い……どちらでもいい事だ)
『生命に焦がれて』ウォリア(p3p001789)は静かに「黄龍、どうして戸惑っている?」と問うた。
「何かに縛られている様にも見えるが……この女の外見がオマエと似ている事に関わりがあるのか……!?」
「吾が薄雪の姿を真似て居るだけ……しかし、そうじゃの……厄裳の力を底まで宿すとは」
 どこか蒼い顔をした黄龍を見て、思考に耽っている暇はないとウォリアは認識した。
「……帝、心情察するに至らぬ身なれど、黄龍の友として…神使の末席として御身の覚悟を承った。
 庚! 神遣達! 黄龍と瑞の守りを頼む……! そちらへは……オレが行かせん!」
 ウォリアに頷いたのは『銀焔の乙女』アルテミア・フィルティス(p3p001981)と共に居た宵暁月と星月夜であった。
 瑞神を護るように立ちはだかった二人と共にサポートを行なうのだ。すらりと引き抜いた刃を見るだけで過去を思い出さずには居られまい。
(――エルメリア)
 妹は御所のこの場所で『姉』を捉えた。それをよく覚えている。この場所はそうした『やんごとなき者』が入るに相応しい場所なのだ。
「……買い取った記憶を道標にここまで入り込んで来るだなんてね……。
 オマケに相手は膠窈肉腫で、尚且つ霞帝の知り合い……厄介極まりないわ。
 なんにしても、ここまで入り込まれた以上は瑞様を御守りしないと。それに、"最悪の状況"だけは避けないと、ね」
 アルテミアをちらりと見た瑞神は「アルテミア」と呼び掛ける。彼女はこの地の神霊だ守り抜かねばならぬ存在でもある。
「何にせよ瑞様には指一本たりとも触れさせやしないわよ」
「うん、そうだ。瑞のことは渡さない。……黄龍のことも、賀澄さんもだ」
『龍柱朋友』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)は真っ向から薄雪を見ていた。
 今回の一番の目的は、厄裳への途を開くことだ。記憶を売ったとしても対価に神社への途を教えてくれるかと言えば、微妙だと判断している。
(……うん。それに、私の記憶は黄龍と瑞との大切な記憶…渡して不利になることも避けたい。
 ゆえに、いつも通りだ。押しとおるよ。それが私のわがままでも)
 もしも、薄雪が生者であったとしても、賀澄にとっての大切な相手であったとしても豊穣を護りたいこの気持ちは譲ることはできない。
 シキは小さく息を呑んでから真っ直ぐに薄雪を見た。彼女には人として生きて欲しかった――それが叶わぬとしても。
(……薄雪さまと何があったか。沢山傷ついてきた過去に怯える愛しい人に……わたし、は。
 優しく包み込んで、守ってあげたい。逃げてもいいと、楽にしてあげたい……でもそれは、違う気がして)
 ゆっくりと『ちいさな決意』メイメイ・ルー(p3p004460)は首を振った。彼の語った夢や想い、心の灯火が消えてしまわぬように支えるのがメイメイの役割だ。
「わたしが、共に在ります、から。今、為すべき事を、果たしましょう……!」
 そっと晴明の手を握り締め、賀澄を守り切るとメイメイは決めた。
「守り、ます。賀澄さまも付いて行ってはいけません、よ……!」
「ああ」
「賀澄様」
 酷く、叱り付けるような声音であったのは『瑠璃雛菊の盾』ルーキス・ファウン(p3p008870)であった。彼自身は忠臣である。
「この命に代えても賀澄様のことは御守り致します」
 ルーキスは忠誠の印たる刀に手を掛けた。鯉口を切り、地を踏み締める。憂女衆の気配に警戒をしたからだ。
 賀澄にとって一番の脅威は薄雪である。それは確かだ。さて、どうしたものか――相手が『賀澄にとって特別な相手』であることが問題だ。
(さて……薄雪は何を考えて居るのか。彼女の記憶は、ええ、きっと薄雪そのものなのでしょう。
 ですが『欠けている』ようにしか見えない。彼女も記憶を売り払ったか、それとも――)
『死血の魔女』マリエッタ・エーレイン(p3p010534)はまじまじと薄雪を見た。少し前までならば魔女の記憶などどうでも良いと売り渡したが、そうとも行かぬ。
 今のマリエッタがあるのは魔女との共存のお陰だからである。
「それにしたって、豊穣も豊穣で厄介なことになっていますね。
 私に助けを呼ぶぐらいですし妙見子さんも随分と思い詰めていますねぇ。上位存在で傾国なのに……」
「すごい馬鹿にされた気がするのですが……でもありがとうございます」
「ええ、ええ。貴女は大概優しすぎですですから、悪いことはこの私――死血の魔女に任せてくださいね?」
 くすりと笑ったマリエッタに『心よ、友に届いているか』水天宮 妙見子(p3p010644)は肩を竦めた。
 己がそうであるように向こうも何かを考えて居る。愛する事は、罪深く。それだけでも脚を竦ませて仕舞うのだ。
「こういうところが甘いって言われる所以なんでしょうね……。
 なりふり構っていられません、使えるものは悪い魔女で使いませんと。
 この豊穣の危機、どうかお力を――死血の魔女」
 にい、とマリエッタの唇が吊り上がる。賀澄は「貴殿は悪い魔女なのか?」とマリエッタに問うた。
「ええ。私はとっても悪い魔女なのですよ。悪い魔女から忠告です。
 私自身は記憶に価値もありませんから、交渉のフィールドに上がることも致しません。
 ですが、貴方には価値がある。賀澄さん。貴方が手玉にとられ、人質にでもなりやしたら……」
 どうしようもないでしょうとマリエッタは眉を吊り上げた。賀澄が『そうなる』可能性は十二分にある。
 それを『真打』紫電・弍式・アレンツァー(p3p005453)とてよく理解している。
(薄雪……忽然と姿を消した畝傍家の一人、か。
 ……ダメだな、黄龍が初恋の人の姿だったりといい、今持ってる情報が少なすぎる。
 どうしてこんなところで膠窈になっているのかなど聞きたいことが山積しすぎて逆に集中が乱れてしまう……ひとまず、この場は霞帝を守ることを優先する。ノイズは少ない方がいい)
 徒に買う、賀澄を護る事を重要視するべきか。剣呑とした空気に包まれる賀澄を一瞥してから『やさしき愛妻家』黒影 鬼灯(p3p007949)は酷く思い息を吐く。
「章殿は貴殿と今年もシャイネンナハトを過ごせると信じて疑っていないのだ。
『帝さんのお誕生日お祝いするの』と嬉しそうに言うのだ。……裏切ってくれるなよ、帝よ」
「そう言われると、弱い者だな……」
 自分のことを父と慕う章姫を思えばこそ。賀澄には子は居ない。晴明が弟分であり、つづりやそそぎを娘のように可愛がっているが、子を成すような相手は存在して居ない。
 青天の霹靂ではあるが、章姫が娘の枠にすっぽりと収まったように過ごしてくれているのだ。彼女の愛情は純真無垢だ。
 その眸を裏切ることは耐え難い。賀澄は小さく息を吐いてから目を伏せた。
「なあ、賀澄殿。主君であるなら民も自身も大事だぜ。オレたちに任せてどっしり構えて欲しい。
 ……たとえ初恋の人であっても、斬らなければならない時がある。かつてのオレが、シュティを斬らざるを得なかった時のように……覚悟を、決めろ」
 紫電は声を潜めた。霞帝を護る為に秋奈に合図をする。情報が少ない、それ以上になすべきを見定めねばならない。
(さて……此処からどうするか、だ)
 じいと見詰めていた『狐です』長月・イナリ(p3p008096)は声を潜める。
「霞帝をここで連れていかれると面倒くさくなりそうだから、断固として阻止する必要があるわ。
 それに、あれが『忘憂神社』の一味なら……お願いしてみようかしらね」
 思惑は無数に――狐の娘は何時だって知的好奇心に満ち溢れているのである。


 一発触発の空気、地を蹴って前線へと飛び出した鹿ノ子の眸がぎらりと輝いた。
「貴女がどの様な存在であれど」
 鹿ノ子が身を屈める。帯刀していた白妙刀が引き抜かれる。真白く、澄んだ刀身がすらりと引き抜かれ煌めいた。
「霞帝とは浅からぬ縁があろうとも、彼が『追い遣り自凝島に返す』と言った以上、情は移さずいっさいの手加減など致しません。
 豊穣に乱あるを許さず――我が大義に曇りなし!」
 堂々と告げる鹿ノ子の刃が薄雪の扇にぶつかった。閉じられたままの扇の先に、刀がぴたりと張り付き制止される。
 唇が吊り上がり女の笑みが深まった。一歩も動けぬ状況に鹿ノ子がひりつく空気を感じ、一度後方へと下がる。
「手練れである事は把握致しました。ですが、此方とも退けぬのです」
「大義は結構。賀澄にもその様に信ずる方が出来て嬉しく思います」
 微笑む薄雪に鹿ノ子が歯噛みした。まるで全てを見通すかのような女の余裕は気にも障る。
(朝顔さんの記憶があの女の手にはある。……朝顔さんに記憶を買い戻すつもりがないならば後顧の憂いを払うためにも破壊せねば)
 ああ、けれど――どうなのだろうか。胸を抑え涙を溢れさせた彼女にとって、失っても言い記憶なのだろうか。
「朝顔さん……」
「この記憶を渡すのが、彼に害を為すなら嫌だなあ。……思い出すのは恐いけれど、でも、傷付けたいわけじゃないんだ」
 朝顔はぼろぼろと涙をこぼした。壊してしまう前に買い戻せば、良いのだろうか。
 そんな朝顔にも覆い被さるように憂女衆が襲い来る。地を蹴って飛び込んだのは風牙だった。
「対話に暴力は必要ないだろうが、畝傍 薄雪!」
 風牙の目的は霞帝を護る事、それ以上に相手の情報を引き出すことだ。だからこそ、憂女衆の身体を御所庭園へと吹き飛ばすように叩き付けた。
「なんだ、こいつ。無表情な面は、記憶を捧げて個を無くしたって意味か?
 ちゃんと『自分』は保ってるかお前ら!? あるなら何か言い返してみろ! 記憶乞食の薄汚い神の使いども!」
「……」
 煽ることで言葉を引き出したい。だからこそ、その言葉に『返答がない』事で風牙は翌々理解しただろう。
「おい、……コヅヱ。聞いてんだろ」
 風牙は奥歯を噛み締めた。
「コイツ、本当に生者か?」
 ――応えはない。だが、沈黙は答えでもある。憂女衆が記憶を全て売り払い、生きる屍のように転じているならば。
 何れだけ倒そうとも、それは無心に動き回る兵士ともなろう。なんと言う悪逆だと風牙が苛立ちを滲ませる。
「うーん、賀澄ちゃんにインタビューは後にすっか。
 民を選ぶか、己の身を選ぶかじゃねぇんだよな全部が大事な思い出だもん、一つも取りこぼしたくないっしょ!」
 それにしたって此処の神様は、誰に祈れば良いのだろう。神霊は詰まりは神様が菅田を顕現させた状態だと言えようか。
 ならば、瑞神に祈れば全てが丸く収まるワケもなく。秋奈は嘆息しながらも薄雪を見た。
「ぶはははッ! 随分と賀澄の旦那にご執心だが、俺らを忘れてもらってちゃあ困るねぇ」
 腹をばしりと叩いてから『黒豚系オーク』ゴリョウ・クートン(p3p002081)は明るく笑って見せた。
「おぅ、旦那! 俺ぁオメェさんが奴さんとどんだけの縁があったかは分からねぇ。
 分からねぇが、それでもオメェさんのその意思を支持したい! 手ェ貸すぜッ!」
「ゴリョウ殿……」
 賀澄にとってゴリョウはある意味で胃袋を掴んだオークである。そして、一度戦闘ともなれば頼りになる盾であるとも認識していた。
 こっそりと彼が施した保護結界と、共に此処までやってきたゼンシンと大膳司の鹿原包平によって周辺の避難誘導の段取りも組んでいる。
 賀澄に余裕がないのならば民を護る手となるのがゴリョウの考え方だ。
「一人で考え込むんじゃねえぞ!」
「……ああ、感謝する」
 賀澄が頷いた事を確認しゴリョウは腹をばしんと叩いた。
 薄雪に向けて突撃を行なうウォリアは全てを巻込むようにして薄雪を此処で排除する事を願った。
 眼前の女はと言えば相変わらず優美な笑みを浮かべて扇をひらりひらりと揺らしている。
「賀澄の想い人をその眼前で殺すのは、どうなのかしら」
「何が言いたい」
「……人はね、姿が同じだとどうしたって思い出すものなのですよ」
 ウォリアの一撃を扇で受け止めてから、ふうと息を吐く。薄雪の吐息が徐々に花を作りそれが周囲に巻き上がった。
 目を眩ませるだけではない。それは眩く、そして鮮やかな術式を作り上げた。
「敵の手に誰が落ちても、豊穣へ仇なすのに利用するでしょう。それは止めねばならないですし。
 売買はともかく、思い出や情をああやって利用されてんのは不快っす」
『歪角ノ夜叉』八重 慧(p3p008813)は誰も行くなと堂々と言った。その後、ゆっくりと賀澄へと振り返る。
「周囲の方々への信頼ゆえでもあるかもしれませんが、あなたが向こうに行ったら、敵が使える手が今以上に増えます。
 ……信じてるんなら、後を任せるんじゃなく頼ってもらう方が、相手は嬉しいと思いますよ」
 己が仕える『主』にも思うことだ。それを素直に口にすることは難しくはあるのだが。
 慧に「俺が武器になっては流石に困るものな」と苦い笑みを浮かべた。
 ――本当に黄龍にも良く似ている。シフォリィはそう感じていた。
 薄雪の元へと肉薄する。だが、流麗な仕草で剣を受け流す女はさして表情を変えることはない。
「どうして霞帝と離れなくてはならなかったのかを聞いても?」
「面白みもないよくある話ですわ。貴族ならではの、ね」
 その言葉に『優穏の聲』ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)は「ああ」と小さく息を吐く。
 薄雪が賀澄の初恋の人――つまり、恋しい相手であるというならば、目の前の人物が本人であるかどうかを定かにせずとも、その記憶を持ち得る限りは何らかの利用を行なわれる可能性もある。
「成程、面倒な相手だな。賀澄の人となりも十分に知っているということ。
 言葉で籠絡できないと見れば……次は私達の無事と賀澄の身柄を引き換えにすることを企むかもしれない。
 友を、民を守るためならば、賀澄は自分のことなど簡単に犠牲にしてしまうだろうからな」
「よく分かって居るのですね」
 薄雪の薄い笑みにゲオルグは「それなりに見てきた」とそう言った。生きているわけがないと頭が理解していても、目の前の存在が『同じ姿』であれば動揺してしまうのも仕方が無い事だ。
 相手が『肉腫』であり未だ生者だというならばウォリニアにかけたその言葉も揺さ振りだ。
 つまり、畝傍薄雪は死して居らず、当人であると。その状況が霞帝にとってどれ程に気を揉ませるかは想像に安い。
「……だが、豊穣がやっと前に進もうとしているというのに。
 ここで賀澄を失うわけにはいかない。まずは不届き者にお帰り願わなければ――」
「不届き者などではありませんわ」
 嫋やかに微笑む彼女。女が望めば更なる肉腫が生まれる可能性もある。ある程度の攻勢は必須級であろうか。
「参拝料をせびるなら参拝するだけの価値を証明してみなぁ!
 悪ぃが、今のオメェさんら相手じゃあそんだけの価値は感じねぇのよ『それ』に!」
 鼻で笑ってから、憂女衆をその周囲へと引き込む。出来うる限りの憂女衆を引き寄せるのがゴリョウの仕事だ。
 防衛経験はそれなりに熟してきている。攻め手のつもりで入ったのならば此の儘押さえ込めるはずだ。
(しかし、何か『匂う』な――)
 ゴリョウはふと、そんなことを考えて居た。薄雪という女の目的が余所にあるような気がしてならないのだ。
 アルテミアが瑞神に近付かんとする憂女衆を退ける。地を蹴り、身を捻る。そして叩き付けた刃に狐火が灯された。
「手伝うのじゃ」
 二人の神遣との連携は心地良い。瑞を護る為に立ち位置を意識し一体一体を撃破する。それが今のアルテミアの役割だ。
「ぶたちゃんたちが前頑張ってくれるって? マジ助かる
 私ちゃんは、そうだな……賀澄ちゃんの隣でパリるか! ぶっはっは!」
 にっかりと笑った秋奈は兎に角面白そうならばなんだって構わないとも考えて居る。
 秋奈の『面白そう』とは詰まりは「朝ぽよ(朝顔)の記憶を人質と認識させて、演技し、扇動し、煽り、情報を引き出して、何となく良い感じに事を収める」という状況を一言に纏めたものでもある。
(ま、朝ぽよがどうしたいかにも寄るけどな!)
 目的は大きく変わらないのだから戦うことには違いが無い。幸いにしてゲオルグがサポートしてくれている。
 憂女衆と言えば、無数に召喚され続けて居るがそれは『この地に縁が繋がっていく』事だ。裏を返せば相手の本拠に至る可能性とて高くなろうもの。
 この状況であるならば、存分に耐えきることが最適解だ。全てを倒し切り無理に王将を狙ったならば賀澄や黄龍、瑞神に何らかの被害が及ぶ可能性もある。
(……益々を持って相手には何か目的がある筈だ。賀澄本人を狙う表と裏があるのか?)
 悩ましげなゲオルグはじとりと薄雪を見た。女はと言えば何も話さず目さず笑みを浮かべ続けて居るだけである。
「賀澄様と何らかの影響があろうとも物言いには承服しかねる。
『民を選ぶか、己の身を選ぶか』……愚問だな。賀澄様にも豊穣の民にも手出しなどさせるものか。
 賀澄様を脅かす存在は何者であろうと許してはおけない!」
「良い部下を持って」
 薄雪が薄く微笑みを浮かべた。じらりと睨め付けたルーキスに薄雪は「それが成せれば宜しいのですけれど」と囁く。


「国の長を失うという事は、国の荒廃を招きます。故に、この場で貴方達の企みを阻止させて頂きますわ。お覚悟を!」
 告げるイナリは構築した稲荷神の『術式』を用いて相対する。
 無数の憂女衆の行く先を塞ぎ、賀澄を守り抜くのだ。それはそうとしても、記憶の売買は非常に気に掛かる。
 特にイナリという娘は異界の神である稲荷神の影響を夥しく受けている。個人個人の自主性は尊重されるが記憶に関しては干渉を受けやすい。
(外部に自ら記憶を切り離すだなんて、どんな感覚なのかしら――?)
 くすりと笑ったイナリの横顔を見詰めてから、『陰陽鍛冶師』天目 錬(p3p008364)は小さく息を吐いた。
「自凝島も厄介なものばかりで困ったものだな。心の傷に付け込んで、なんて言うつもりがないがその態度が個人的に気に喰わん」
 御所に入り込んで来た相手に対してどの様な感想を抱くのかは人それぞれ。
 特に彼女が霞帝の初恋の相手に良く似ているとしたって――だ。
 気配を感じ取ってから錬は旗と顔を上げた。
「神使は何時だって欲張りに二者択一を蹴飛ばして来たんだ。今回だって例外じゃない!」
 無数の符が浮かび上がり、千切れていく。その気配がコヅヱであるのは確かだ。だが、姿を見せないようにしているか。
(……自凝島に麒麟が担当するように高天京には四神の結界があるはずだがそれを通り抜けて来るとはな。
 それだけ瑞神と麒麟の縁が四神にとっての脆弱性なのか、はたまた別の理があるのか。
 いや、そもそも、『厄裳』自体が黄龍の分霊であって、四神よりも力が強いが故か?)
 考え倦ねた錬は個人敵に忘れたい記憶はないからどうでもいいとも呟いた。本当にただの商売であれば言うことはない。
 だが、それを悪用しているからこそ問題なのだ。豊穣に仇為すのであれば容赦する必要も無いのだ。
 浮かび上がった符がぶつかり合う。錬はコヅヱの姿を追掛ける。薄雪はそれをも護るように無数の風を吹かせた。ひゅう――と風が音を立てる。
「薄雪」と呼ぶ賀澄へと『青樹護』フリークライ(p3p008595)が首を振った。
「ン。賀澄。良ク見テイテ。アノ『薄雪』ヲ良ク見テイテ。彼女ハ膠窈肉腫。
 畝傍薄雪ノ記憶ヲ受ケ取ッタダケノ 純正or赤ノ他人ノ複製ノ可能性モアル。
 勿論 薄雪本人ノ複製肉腫ガ転ジタ可能性モアルデアロウ――ダトシテモ。彼女ハ膠窈肉腫ダ」
 複製肉腫が更に魔種へと転じた存在。それをフリークライは悪だと言いたいわけではない。そうではないのだ。
 賀澄がフリークライを見る。どうすれば良いとその視線が告げて居る。
「違ウノダ。ドウデアレ 彼女ハ 君ノ知ル薄雪デハナイ。
 何モ見ズ同一視スルノハ 君ト共ニ生キタ薄雪ニモ眼前ノ彼女ニサエモ失礼デアル。
 故ニ。良ク見テイテ。過去ダケデハナイ。彼女ヲ見テ 今ヲ見テ ドウスルカ考エテ。
 我 フリック。我 フリークライ。我 墓守――過去 生キタ者 今 遺サレシ者 ソノ死 ソノ心 護ル者也!」
 そう、もしも『薄雪が生者』であり、魔種に転じただけの存在なのであれば、その命を愚弄し続けることを許せやしない。
 佇むフリークライは前線に立つ妙見子を癒し、支える。瑞が縁を結び薄雪と共に『島』に繋ぐ為の段取りを組むならば錬と共に青龍と結んで加護で支援も出来よう。
『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は宵暁月と星月夜を見詰めていた。危ない時には護りに行くと決めて居た。
「記憶は『想い』によって歪んだり書き換えられる事もあるが、ヒトがそのヒトである為の大事な構成要素。
 俺個人の意向としては渡すべきではないと思うし。取り戻せるものは取り戻すべき、と思う。
 ……だが、忘れたい記憶、抱えておく方が辛い記憶がある事は理解できる。
 故に本人の意向次第、と思っている……俺の忘れたいやらかしは忘れない事が戒めだ」
 だからこそ、記憶の売り買いに対してはアーマデルは必要以上に言葉を挟むことはしなかった。
 仲間達が交渉を行なう際にはそれを見守る。薄雪をここで『ぶちのめす』事が出来ないとは考えて居る。
(こちらがぶちのめされる側である可能性は置いといて……戦うだけの準備は出来ているのだから、まだ安心するべきか)
 アーマデルは擦れ違うように前線へと飛び出した『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)を見た。
「記憶は大切だと、わたくしも思いますよ」
「そうか。それは同意見かも知れないな。けれど、いきなり本丸に飛び込んでくるとはね。
 そちらの思惑がどうであれ、思い通りにさせるわけにはいかないかな。この場で狼藉を働くというなら……それ相応の対処はさせてもらうよ」
 加熱していく戦場でヴェルグリーズは賀澄と瑞神、そして愕然と合っている晴明を護ると決めて居た。
「晴明殿?」
「胃薬が必要か」
 呼び掛けるヴェルグリーズのそばでひょこりとアーマデルは顔を出し胃薬を取り出した。
「……」
「その身の安全は守る、けれどね」
 賀澄を守ることが大事だが、彼等が救われることを望んでいなくては勝利は遠離る。瑞に「何を問えば良い」とヴェルグリーズは聞いた。
「……薄雪は、敵ではないと、わたしはおもいます」
「……どういうこと?」
 ヴェルグリーズは瑞神に囁いた。何処か困った顔をした瑞神は「あの子は、此方を倒すとは考えて居ない」と言う。
「ですから、あの子は賀澄だけが目的だけれど、わたしの識っている薄雪ではないような……何かが欠落している」
「もしかして、薄雪殿も記憶を売り払った、とか……?」
 問うたヴェルグリーズの声が聞こえていたのだろう。扇を揺らがせた薄雪は「ええ、いくつか」と微笑んだ。
「わたくしは賀澄にどうしてこうも固執するのかは分かりませんもの。
 けれど、最初から信念は同じ事。ずっとずっと、『こうなってまで』も為したいことがありましたの」
 微笑む薄雪にヴェルグリーズは「為したいこと」と呟いた。
 賀澄が行くならば自らも行くつもりだった。護衛としてついていくとは決めて居た。自凝島に渡るならば、己も行くと堂々と宣言する彼に賀澄はどこか苦しげに眉を寄せる。
 自身よりも特異運命座標を大切にしたいなんて思って仕舞う彼は存外に『国家君主』に向いていないのだ。
「うむ、うむ。賀澄も晴明もようやったの。────ようやったが、やはり最後はこの一条夢心地の出番というわけじゃな。
 積もり溜まって穢れた『澱』を、カラっと払うからこそ『殿』というもの。
 ひとりで全て抱える必要なぞ無い。大船に乗ったつもりで麿に任せておけい。なーーーっはっはっは!」
 扇でばっさばっさと己を仰いだのは『殿』一条 夢心地(p3p008344)であった。
 凝視する薄雪は「まあ、何かしら」と首を傾げる。
「黄龍が動けぬのはおそらく足が攣ったからじゃな。
 うむ、うむ。寒くなってくると麿もよくなるからの、皆まで言わずとも良い。
 ゆっくりとストレッチをするのが効果的じゃ。こう、そおっとな、そおっとじゃぞ。腿の裏を伸ばしてみるが良いぞ」
 ウキウキとした様子の夢心地はバトルの雰囲気を早速感じ取ってから何故か憂女衆の面を込めていた。
「若女の能面は材質、彫技ともに上等。舞台映えする見事な逸品よ。
 じゃがそれを被っておるということは、ただ与えられた役割しか出来ぬと言っておるのと同義。
 ここから先に進むのは、己の才気、才覚で道を開く者だけじゃ。木偶人形の出番は仕舞いよ」
「ああ……どこか賀澄に似ている」
「似ているか……?」
 薄雪の言葉に思わず眉を吊り上げてしまった賀澄は「確かに俺も殿か」とぽつりと呟いた。
 思わずアーマデルがぱちくりと瞬くが致し方がない。
「仕方があるまいのう。コレが本番で無いのは大凡の者が気付いている筈。まずは皆が無事であればそれで良いのじゃ!」
 堂々と告げる夢心地。『不確定ななんやかんや』も切り捨てて進むのである。
 斬って斬って斬って斬って、片端から切り捨ててみせると彼は決めて居た。
 まさに夢心地、大暴走の回である。


 常に賀澄の側に構えていた鬼灯は傍らの賀澄を見た。彼はまだ武装状態に至っていない。
 R.O.O等で見たとおり彼は加護を武器とし無数の刀を作り出す。それを駆使して戦うのだ。宙に浮かび上がった刀の美しさは目を瞠る者がある。だが、今は――
(護れ、と言っているのか)
 それでこそ帝である。鬼灯は憂女衆を見据えてから囁いた。
「前にも言ったが、俺は強欲だ。
 章殿も暦も、狂気に侵されかけていた祖父も電脳世界の『俺達』も皆つなぎとめたのだ。
 今保護している孤児院の子らも、この豊穣も守る。そして当然、帝も守る」
「……鬼灯」
「故に、薄雪とか言ったな。貴様の出る幕はない。早々にお帰りいただくとしよう」
 帝が民と己の身を何方を優先するかなど、笑わせるではないか。何方も護ってこそである。
 糸がきゅるりと音を立てた。己も民も己の大切な者も全て護るのである。
「『帝』よ。まさかとは思うが、今、貴殿を父と慕う章殿より、戯言を連ねるあの女の方が大事だとは言わないだろう?」
「……素直なことを申しても良いか?」
「ああ」
 もしも賀澄が薄雪を選んだならば鬼灯は共に行くと決めて居た。だからこそ、その応えを識りたかったのだ。
「何方も、と考えた」
「は……それでこそ『帝』だ」
 強欲な己の主になり得るならば、それこそ強欲でなくてはならない。
「踊るならオレも混ぜて貰っても?」
 紫電が地を蹴った。薄雪の扇が振り撒く力が周囲を包み込んでいく。それは名の通り降る粉雪、深々たるその気配が周囲を包み込んだ。
 薄雪が厄裳の思惑とは別に動いているのは確かだ。その実、彼女が悪人ではない可能性にも紫電は気付いて居た。
 例えば――『自凝島のけがれを全て払う為に、態々己がやってきた』だとかはないだろうか。
(だからこそ、民か己の身か。賀澄殿が渡れば神使が着いて遣ってくる。敵地で、全てを払えと言って居るのであれば……)
 其方の方が幾分も良いと紫電は独り言ちた。

 ただ、追い返すだけではそれきりだ。だからこそ、メイメイはこれがチャンスのように思えたのだ。
 道を繋ぐならば、薄雪との縁を繋いでおくことが目的だ。こうなってしまった理由だって何処かにある筈なのだから。
(瑞さまが彼女の気配を覚える為の時間稼ぎも狙いのひとつ。そうすることで、きっと辿れるはずだから……)
 晴明を支え、憂女衆を退けんとする。マリエッタがひらりと前線に飛び出して、赤き血潮を武器とした。
「今回は攻撃特化、守りは任せますよ。妙見子さん」
 その言葉と共にマリエッタの眸に朱色が走った。魔女の魔力が激しく燃え盛るように廻る。
 その気配を感じ取りながら妙見子は「ええ!」と頷いた。
「マリエッタ様! 私の背後は任せましたよ!」
 妙見子の周辺に無数の魔力が漂った。元より得ていた魔術に豊穣の術式が交わった。
 それは己の身にもよく馴染む。薄雪を真っ直ぐに見詰めた妙見子は「薄雪様」と声を掛けた。――その様子をマリエッタは観察している。
「雪様は…今の豊穣を見てどうお考えですか? まだ獄人差別はわずかに残っているのでしょう。
 それでもきっと昔よりは、平和で穏やかで……私のような者も受け入れてくれるような。
 私はこの国が好きです、失いたくはないと思っております。
 貴女だって良い国にしたいと思って三言様のお傍にいらっしゃったのではないのですか?」
「ええ、けれど。ご存じかしら。
 それでもこの国は穢れが活性化し、悍ましいことが起こり得る。黄泉津瑞神の暴走のように」
 神逐。それはこの国に漂う全ての穢れによるものだった。

「ねえ、畝傍鮮花って知ってる?」
「ええ、勿論。わたくしの従妹に当たりますもの。……と、言っても名前だけ」
 薄雪は後方に下がった。穏やかに微笑む女が扇を振るう。アレクシアははたと顔を上げて杖の先へと魔力を集めた。
 周辺の憂女衆を引き寄せる魔女は帽子を押さえる。杖の先に灯った魔力が僅かにぶれた。動揺してしまったか。
「……貴女も、姓の通り係累ななんだね。
 一族まるごとあの島にいたのなら、肉腫に変じてしまってもおかしくはないけれど……なら、私が捕まっていた時に、あなたはどうしていたの?」
 薄雪がぱちくりと瞬いてからアレクシアを見た。
 捕まっていたとき、という言葉に思い当たることがなかったのだろう。薄雪は「罪人だったのですか」と問う。
「……巫女姫にとっては」
「ああ、そういう。ならば冤罪ですね。無罪放免でございましょう」
 薄雪がくすりと笑った。そのかんばせが黄龍(見知ったもの)である所為でやり辛さは付き纏うが戦い方はある程度察することが出来た。
(……ここまで乗り込んできたって事は私達全員を倒せるか、少なくとも目的を果たして逃げ果せるだけの自信はあるということ。
 目的がはっきりしないけど……もし帝なら、本人よりも周りの人達が危ない可能性が高い。
 ――それとも、帝が『どういう風に動くか』を確認したかったの? 例えば、晴明さんや瑞神を……)
 アレクシアは不安と、そして考え得る最悪のパターンを認識した植えでの戦闘を続けて行く。
 今だ、相手の出方が不透明であるのは困った話だ。その上でコヅヱまでもが戦場に存在しているのだから警戒は解けやしない。
「ところで薄雪さん、あなたの目的は何?
 前に会った時も思ったけど、あなたは厄裳様とやらに尽くしているようには見えない。
 むしろ……豊穣への、そこにいた人への執着が強いように見える。前も思い出話を色々としていたものね」
「何を仰いたいの? 月人のお嬢さん」
「アレクシア」
「アレクシア様」
 名乗り上げれば、薄雪は漸く名前を呼べたとでも言う様に微笑んだ。
 その様子も、そうした感情の揺れ動きも『迚もじゃないが狂気を孕んだ存在』になど見えない。
 だからこそ、真っ向から向き合えば何か知り得るものがあるのではないかと考えたのだ。
「……あなたの目的は厄裳様とは違うところにあるんじゃなくて?」
 薄雪はくすりと笑みを浮かべた。
「わたくしは、ただ、賀澄と会いたかっただけ……いけませんこと?」
「いけなく、は……」
 戸惑うアレクシアに賀澄は「本当に薄雪なのか」と問うた。
「もしかして……賀澄さんと話をしたいだけ、なんじゃないのかい?
 連れて行かせはしないけれど、話をするといいと思う。
 この世界には、言わなくちゃわからないことの方がよっぽど多いんだから。ね?」
 シキに薄雪は頷いた。賀澄はもう一度向き合ってから「本当に?」と問う。
「ええ。薄雪です。三言と、それに迚も幼い頃の晴明と、共に御所の庭で散歩をしましたね。
 あの頃の貴方は帝と成り得たばかり。まだほんの青年であった頃……四神の加護を強く持っているからとその座に着いた気苦労は絶えず――」
「ッ、薄雪殿」
 思い出を語る薄雪を食い止めるように晴明は声を荒げた。
 青ざめていくその顔を見ていると妙見子は悔しさが溢れ出る。己は、秘めたる想いが多くある。
「晴明様」
 呼び掛けても言葉がない。妙見子はぐ、と唇を噛んだ。
「しっかりなさい、晴明。私には、あの方と貴方の関係性は分かりません。ですが、何を惑っておられるのですか」
 叱咤するその声音は母のように芯がしっかりとしていた。こうして言葉を掛ける度に胸が痛んだのは気のせいではあるまい。
 薄雪は「母代わりのようなものですから」と妙見子を見た。
「薄雪さま、貴女は……どうして、姿を消したのです、か? ……賀澄さまを、愛していたのでしょう?」
 メイメイの愛らしく、少女めいた考えを耳に為てから薄雪は目を伏せる。
「……もう、失ってしまったものですけれど」
 懐から取り出した薄紅色の珠を転がし、そして魔力の一撃を持って割る。きらりと輝くそれは走馬灯の如く『映像』を魅せ付けた。


 駆け寄る童には黒曜石の角があった。深い紺碧の眸と、黒い髪を束ねた少年は利発に笑う。
「父様」と。呼び掛けられた男は今の建葉晴明にも良く似ていた。
 ――建葉 三言。
 元々は刑部省の出身であるが、武家である建葉の生まれである彼は『バグ召喚』でこの地に流れ着いた賀澄を保護した張本人であった。
 何処の馬の骨とも知れぬ男を保護し、彼が神の加護を得ていると識らずとも屋敷で世話をした。
 当然、三言の息子であった晴明とは兄弟のように過ごしたのである。
 それが、現帝の賀澄であったというのは識る人は識る話だ。
 賀澄にとって三言は命の恩人であり、その恩人の息子であった晴明は家族同然だ。
「賀澄殿は神威神楽を学んでどうなさるのですか?」
「俺はね、八百万による獄人が理解出来ないんだ。三言も晴明もいい人だ。だから、幸せになって欲しい。
 ……その為にこの力を瑞神がくれたと思っている。この加護が帝の証だというなら、俺がその地位に就くよ」
 長らくの間、空席であった帝に即位したのは紛れもなく『黄泉津瑞神』の加護を有していたからだ。
 天上の人になってしまうと笑った三言を中務卿に引き立てたのも当然ながら賀澄である。
「その様な事をして、反感を買いますよ、賀澄」
「……仕方ないよ、薄雪。君みたいな人が多ければ良いのだけれど」
 長い黒髪の娘は膝に晴明を乗せてころころと笑った。
 五つになったばかりの幼子は母親を八百万によって殺害されている。そんな彼が薄雪に気を許したのは三言の取り計らいのお陰なのだろう。
 晴明の母は八扇に属する女房であったが八百万の娘達の手酷い虐めにあった。それでも尚も、職務に向き合う姿勢は好感を抱いていた。
 幼い晴明を残し彼女が亡くなったのは八百万曰く不運な事故だという。真冬に御所の堀掃除を一人で取りなせと言ったのだ。
 いじめで貴人の品を掘に投げ捨てられ、その犯人にまで仕立て上げられた女は冬の寒さに負け、命を落としたという。
「……本当に、嫌になりますもの」
 薄雪は晴明をぎゅっと抱き締めてから目を伏せた。
「晴明が見る未来は、賀澄が作った素晴らしい物になれば良いですね。
 ……わたくしも、それを側で見て居たい。八百万であるわたくしも、お役目から外れても良くなるでしょうし」
「……薄雪」
「あら、だって、島流しなんて御免ですわ?」
 くすくすと笑った薄雪に晴明は「島流し?」と問うた。
 神威神楽の全ての穢れを集め、そうして、全てを『循環』して地へと返す。自凝島はそうした場所だという。
 その地の管理者である畝傍の娘は、家を継ぎ、その島で一生を終えることになるのだそうだ。
「お役目なんてなくなって、穢れも苦しみもない世の中になれば良いのですけれど」
 悲しげに眉を顰めた薄雪は息を吐いた。己は天香長胤に仕える中務省の八百万だ。こうして彼等と共に過ごしているのは偶然のことである。
 賀澄と出会い、そして彼の理念を理解して、三言の補佐となった。
 それから――
 そう、それから、あの日がやってきた。
「薄雪」
 呼ばれた薄雪が顔を上げた。目の前の長胤はただ、その顔から表情の全てを削ぎ落としたように無であった。
「中務卿を殺せ」
「……は?」
 薄雪は、息を呑み真っ向から長胤を見た。長胤と賀澄は確かに歩み寄り始めていたが、それでも許せぬ事があったのだろう。
「中務卿の座には八百万が就かねばならぬ。でなければ、八百万の反感は政にまで影響がある。
 畝傍の技術を以てしてならば、罪をでっち上げることくらいは出来よう。罪状は――帝への暗殺未遂」
 そんな酷いショーを演出した男に従って薄雪は男を手にかけた。
 雨の降る日に、晴明の手を振り払い、賀澄に別れを告げたのだ。
 己は畝傍の跡取りで、刑吏である。
 陽の下で過ごすべき存在が共に在ってはならないのだ。

「だからこそ、わたくしはこの記憶を売り払った。
 ……厄裳は、穢れを蓄え、それそのものとなっておりますもの。ねえ、賀澄」
 薄雪の唇が揺れる。賀澄は目を見開いてから息を呑んだ。
「賀澄さま……」
 メイメイは息を呑む。ゆっくりとお茶をしてのんびりと話し合うことなど出来ない。
(……きっと、何も終らなかった。複製肉腫からの、反転……どれだけの、苦しみでしょう。
 ……ああ、『厄裳』を頼ってもなお、救われなかったであろう薄雪さまを、救えやしないかと思っているわたしが、います)
 メイメイは真っ直ぐに薄雪を見た。
「厄裳さまは、滅びの化身そのもの……。ならば、祓えば……」
「消え失せます。ですが、神霊は何れは同じ形で生れ落ちるもの。わたくしたちとは違う、なんて傲慢な生き物でしょう」
 忌々しそうに呟いた薄雪はゆっくりと晴明を見た。
「晴明、三言を殺したのは」
「薄雪」
「賀澄、止めても無駄でしょう。あの記憶はあの子も見ましたもの。
 ねえ、晴明。貴方の父を殺したのはわたくしです。この掌を汚し、あの首を刎ねました」
 晒し首にまですることはなかったでしょうに、と薄雪は呟いた。
 その記憶を晴明はただ、見詰めていた。愕然とした様子の彼の唇が震えている。
「薄雪殿は、あの日のように……素晴らしい未来を目指しているのだろう……?
 その為に一時的に、賀澄殿が必要で、記憶を利用しているだけ、そうであろう……?
 父を殺したのも、指示で……だが、それを乗り越えてこの国は良く……」
 そろそろと近付く晴明に薄雪は穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「貴方も、さぞ苦しい事が多かったでしょうね。三言も処刑され、賀澄しか頼るよすががなかったのですもの。
 今見た記憶をわたくしが頂いて上げましょう。晴明は、何も苦しまなくて良いのです。可愛い子、中務卿など止めて、市井にお戻りなさい」
 政(まつりごと)は悪意が付き纏う。そんな世界に居なくても良いだろうと薄雪は嫋やかに微笑んで見せた。
「……」
「晴明。辛いことも、忘れたいことも、沢山経験してきたのでしょう。
 私も同じです。忘れたい記憶なんて山ほどあります」――もう伝えることのない貴方への恋慕も。
 妙見子はその言葉を最後まで口にはできやしなかった。妙見子は真っ直ぐに晴明を見る。記憶を渡すというのは神の御業だ。
 だが、それはただの処置でしかない。消えることない道筋に、何を目が眩んだように立ち竦むのか。
「貴方の記憶、悪いことだらけでしたか? 違うでしょう」
「……」
「なら背負っていかなくては。全て、余さず、皆、貴方のことを愛しているのです」
 ――貴方を護ると決めたのだ。これは恋情ではない、ただ、愛情として。豊穣の朋として。
 妙見子が真摯に告げる言葉に晴明はぴたりと足を止めた。マリエッタは嘆息する。ああ、なんて不器用な人、と。
「貴女は瑞様に近しい人の記憶が欲しいのでしょう? それは貴女が、というよりも厄裳がなのかもしれませんが」
「ええ、そうですわ」
 薄雪は穏やかに微笑んで居た。身のこなし一つをとってしても隙が無い。それがあの島を治める責務を負った畝傍家の在り方か。
「……ならば、巫女姫に関する記憶は如何でしょう? それは、ここにも」
 己の胸に手を当ててからシフォリィは堂々と言った。
「シフォリィ・シリア・アルテロンドは『巫女姫』の記憶を持っています。姉にも秘密にしていたあの時の記憶が。
 対価は、そうですね……帝の代わりに私を自凝島に連れて、麒麟にあの時の礼を言わせてほしい。
 その後好きなだけ私の記憶を渡します。なんだったら貴方達の方につきます。如何ですか?」
「貴女に何か得が? ああ、貴女に縁を繋ぎ、島に乗り込むようにするとでも?」
 薄雪がじろりとシフォリィを見た。シキは「シフォリィ」と呼び掛けてから首を振る。
「誰も傷つかない選択肢がないなら、痛みを差し出すのは『私』がいい。……薄雪さん、朝顔の記憶を私に売ってよ。
 それが買い戻せれば、御所や天香家への道は絶たれるはず、壊すのはなんだか気が進まないんだよね」
「ええ、勿論売ることは構いませんわ。買い戻すのだって、彼女が求めた対価が安かった位ですものね」
 微笑む薄雪は朝顔を見た。恋に破れ気触れであるとは聞いていたが、彼女は友が居るではないか。
 薄雪はちりちりとした黒いものを感じた。それが何かは分からない。賀澄を見て『何をしたいのか』と問われたとて、その答えも出なかったからだ。
「……シフォリィさん」
 アルテミアが眉を吊り上げて彼女を見た。確かに、そうだ。己は妹の真実を全て把握していたわけではない。
 どの様に彼女が苦しんだのかさえ分からないのだ。だが――唇を噛んだアルテミアは真っ直ぐに薄雪を見た。
「巫女姫のことならば私が識っているわ。勿論、この魂を分けたとも言える存在ですもの」
 じらりと睨め付けるアルテミアに薄雪は「誰も彼も、忠義の心なのかしら、それとも自己犠牲の塊なのかしら」と嘆息した。
「三言みたいで、いやになる」
 びくりと肩を跳ねさせた晴明の顔が青ざめた。メイメイは「晴さま」と支え、まるで叱る母のように目頭を釣り上げた妙見子が警戒を行なう。
「二人とも! 何があったかは知らないけど、しっかりしてもらわないと困るぜ!
 この国を良くしていくために、二人にはまだまだ働いてもらわないといけないんだから!」
「……晴さま」
 風牙の呼び掛けに何ら反応もなかった晴明を支える様にメイメイがそっと手を差し伸べた。
「過去に色々あったから、今こうして頑張ってるんだろ!
 後悔も未練もあっていい、けどそっちばっか見んな! 過去は土台! 足元ばっか見てたらスっ転ぶぞ!」
 風牙を見詰めた賀澄は「何かあれば俺が一人で薄雪と共に行けば良い。これは信頼である」と神使(イレギュラーズ)を見回した。
「何を――」
 ルーキスが息を呑んだ。
「薄雪の狙いは俺だ。そしてこの女は俺を害することは無い。つまり、俺は『瑞の加護を受けている』が故に……」
「辿れる、と――? 賀澄様、相手の言葉に惑わされてはいけません!
 御身も豊穣の民も、どちらも救う……その為に俺達(神使)が居るのです。だからどうか、今は堪えて下さい……!」
 ルーキスが声を張れば賀澄は「その為に貴殿等の記憶を売らせるわけには行くまい!」と声を張る。
「薄雪が賀澄様にとって大切な存在であることは承知しています。
 ……ですが、俺達……いや、『俺』にとっても、同じ様に貴方は大切な存在なのです。
 みすみす敵の手に渡る様なことを、看過など出来ません!」


 賀澄は、選択を迫られている。
 晴明を励ましてくれる声は多い。だが、それでも――薄雪がそれを話したのには理由がある筈だ。
「……俺が、行けば、お前は何かを教えてくれるのか?」
「ええ。わたくしは、大切な事を教えにまいりましたもの」
「そうか」
 賀澄が一歩踏み出そうとした。薄雪がどうして姿を消したのかを賀澄は識らない。薄雪が姿を消した理由が何処かにある。
 畝傍薄雪は『中務卿』を処刑した女として中務省から辞したあと消息が不明だった。
 女は、何処に向かったのか。三言を殺したことが耐えきれなかった以上に何かあったのか。
「薄雪、お前は」
 賀澄が声を掛ける。微笑んだ薄雪の笑顔は『知っているものとは違って見えた』。
「賀澄の旦那!」
 声を上げたゴリョウに賀澄が唇を噛んだ。
 正気を失った憂女衆の殴り合いを眺めながらも、彼の防衛を行って居たゴリョウは賀澄が『過ち』を前にしていることに気付く。
 過ちではあるが、誤りと言い切ってやりたくないのが男心だ。――彼は、薄雪に思う事がある。
「ご自分の立場をお忘れですか!!
 遮那さんや建葉様に危害が及ぶのと、今園様に危害が及ぶのとでは、どちらが国の危機と成り得るか理解なさっているでしょう!?」
 鹿ノ子は賀澄の腕を掴む。立ち止まった賀澄の切れ長の眸は、何処か苦しげな色を灯していた。
「貴方様は! この国の主でしょう!
 どのみち豊穣が厄裳とやらに支配されてしまえば、この国は滅びます。
 ならば心を鬼にして、何を犠牲にしてでも霞帝を死守しなければなりません」
 忠義の示し方は、この在り方だ。国を何としても守護するというならば主の安全こそが最優先事項である。
 鹿ノ子が『遮那や晴明を犠牲にしても良い』などと思うわけがない。この神威神楽を愛し、身を砕き過ごしてきたのだから。
「……連れていくなら僕を連れていけ!」
「鹿ノ子殿!」
 声を荒げた賀澄を鹿ノ子は睨め付けた。この様な場で不敬などと申してくれるな。
 国を憂う事こそも忠臣の在り様だ。シフォリィはゆっくりと足を産み出した。
(……ええ、ええ、霞帝はとても心を揺さぶられてしまうはずです。
 ただでさえ想いの強いアルテミアが巫女姫を務めていたエルメリアに感情をかき乱されたように。
 ……ならば少なくとも誰かがとめなければなりません。誰かができないのならば私がやるべきです。
 エルメリアを……親友すら手にかけた私が)
 シフォリィが唇を噛んだ。己にしか出来ない事があるとも認識している。利敵行為になってしまう可能性だってある。対価には足りないかも知れない。
 だが、決意していた。
「賀澄さん、行っちゃだめだ。君に守られたみんなが、きっと悲しむからさ。
 ……天香家や晴明さんが心配なら大丈夫。私が全部守ってみせる」
「シキ」
 引き攣った声を漏したのは瑞神だった。シキはにこりと微笑む。神霊に愛された娘は傍らのウォリアを見た。
(……無二の友たる黄龍に、豊穣の迷える人々に届かせる様に、言葉で語りかける。
 ――『シキ』は行動し、祝福した。オレもまた、想いの限りをこの詞で!)
 ウォリアはシキを庇うように立つ。黄龍は硬直したように見詰めている。その姿を庇い『友』を救うことだけをウォリアはただ、考えて居た。
「貴様の仕業とは完全に断定できぬが、どうも黄龍に妙な事をしているようだな。
 ぐだぐだと説教を垂れる様なつもりはないが、『弱み』に付け込んで記憶を食い物にする様なやり口には心底うんざりだ。
 ――オレも記憶をくれてやる気は無い……御所からは手ぶらでお帰り願おうか!」
「そうは行けません。賀澄の記憶でも良い。アレクシアが言って居ましたけれど、わたしは厄裳と志は同じくしておりませんもの」
「……何?」
 ウォリアは薄雪を見る。黄龍と同じ顔は居心地が悪い。
 彼女が記憶を手にしているのは神霊厄裳の力に過ぎない筈だ。忘れたいと思えど、全てが今に至る道であると認識するウォリアにとっては何もかもを失いたくはないことだ。
(『自分』が『自分』で有る限り、そうで有るために……全ての想いは『自身』の心で背負わなくてはならない)
 故に、暗く共に刻み立ち上がれば良い。忘れたいと思うならば心の奥深くに刻み込めば良い。
 耐えられぬのならば、その時のために『友』が傍に居るのだから。
「記憶」
 フリークライは静かに呟いて向かい合った。
「ドンナ形デアレ薄雪ノ記憶ヲ持ツ彼女ハ 薄雪ノ墓標ト言エルカモ知レナイ。
 ……賀澄ニ向ケタ 忘レナイデ欲シイトイウ薄雪ノ墓標。
 朝顔 記憶破壊スルトイウノナラ 其レハ ソノ想イ ソノ記憶ヲ抱イテイタ朝顔ノ死デアル。
 我 墓守。死ヲ過チトセヌ者。
 記憶ヲ売ルト選ンダカツテノ朝顔ノ心 破壊スルト選ンダ今ノ朝顔ノ心 過チトセヌ者。
 鹿ノ子ガ送ルトイウナラ ソノ死ヲ看取ロウ。弔オウ」
「私は……」
 朝顔は俯いた。フリークライは「破壊シナイナラ 護ロウ」と淡々と告げる。
 それが、フリークライが教えて貰った心なのだ。永遠の『少女』。情の篤い彼女が教えてくれた事でもある。


 賀澄の元へと一歩ずつ近付く薄雪を睨め付けながらもウォリアは立っていた。
 その動きを止めやしなかったのは賀澄が少しだけ時間が欲しいと言ったからだ。
「手出しは無用よ」
「分かって居ますわ、信頼なさって」
 アルテミアへと微笑んだ。ゆっくりと向き直った両義は「さて、のう」と呟く。
「隠れて観察ばしとってどう動くかわからんヤツはのぅ……! こうして、舞台に引き摺り出して行動ば縛るんが手っ取り早いわ!」
 勢い良く叩き付けた一撃に、薄雪の程近い位置で『靄』が晴れる。符が無数に散らばって、地に落ちて行く。
「……何か」
「コヅヱじゃな? 影でこそこそしちゃっても無駄じゃき、儂にゃぁ、居場所は手に取る様にわかるぜよ。
 また隠れる前におまんが忘憂神社の巫女である事を前提に聞かせて貰いたいことがあるき。
 1つ聞きたいが……儂ぁ、おまんやおまんの仕える神さんに会うた事はあるか?
 儂には過去が無くてのう! おまんらが関わっとるか知りとうんじゃ!」
 両義の問い掛けにコヅヱはぱちりと瞬いた。イナリがちら、と彼を見る。
 彼の記憶は『欠落』している。大切な記憶があったとしても敵に無価値ならば幾らだって差し出すつもりではあったのだ。
 憂女衆の動きが僅かに揺らぐ。コヅヱが動揺したことで女達の召喚にも影響があったのだろうか。
「……さあ、もしかすれば来て頂いたかも知れませんね」
 微笑んだコヅヱは『ビジネスライク』な反応であった。両義の記憶の売買は為されている可能性もある。
 だが、彼女は言う。「無数の売買を行なってきたのですもの」とそう言った。
 それがごまかしであり、『覚えていない』という反応である事は確かだ。イナリは両義の顔色を伺ってからゆっくりと踏み出した。
「初めまして。記憶を買って頂ける? 勿論、対価は不要。
 これはテストなのです。部屋が狭くなったので不要なゴミを処分する様なものなの……と言ったら?」
「ええ、宜しいですよ」
 微笑んだコヅヱにイナリはまずは確かめるように彼女を見た。記憶や人格をねつ造した式神の中心。
 外部に記憶を切り離すというのは『好奇心』である。記憶への干渉はただの観測である。生物の記憶の仕組みを識る事が出来れば良いのだが――
「この記憶を忘れる為に、この都で胡蝶忘丸とやらを入手したのですが、その者が言うには、まだ試作品の様で……やはりここは実績のある方にお願いした方が確実だとは思いませんか?」
 そっと差し出したのは狐たちが制約した忘れたい記憶を思わせる不安定なものである。詰まり、記憶の上書きを行なう為のちょっとしたお薬なのである。
 それを手にしている時点でイナリは本当に知的好奇心でその記憶を渡すつもりである事が良く分かる。コヅヱはさらりと記憶を受け取ってから一歩後退した。
「ああ、お待ちを。どうも、忘憂神社の遣いの方。先日ぶりっすね。申し遅れました。俺は八重慧ってモンっす」
 警戒する慧にコヅヱはじり、と地を踏み締めて一歩ずつ交代していく。
「あちらはご友人で? あの記憶、あなたが買ったものですか。あの方に渡す為だったんですかね?」
 仲良さげには見えないと慧は付け加えた。コヅヱはと言えばじろりと慧を見てから笑みを浮かべる。
「厄裳様に差し上げても宜しかったのです。ですが、それよりも多くの記憶を得るならば薄雪に協力し此処に居たる方が良い。
 霞帝が瑞神を手に入れる事が出来るか、それを護る為にイレギュラーズの記憶が手に入るか……それを得たかったのです」
 じとりと見た慧は「なら、帰る切欠が必要っすね?」と問う。
「記憶の売買は、記憶同士じゃなくてもいいようっすね。あなたの手元にある、釣り合う適当な記憶くだされば退きます。
 イナリさんの記憶が売られたのですから何かこちらも頂いても?
 ……ああ、俺が個人的に欲しいんで、先日お話してたジュカクとやらの記憶でも良いっすよ」
 揶揄うように言った慧に対してジュカクと薄雪は呟いた。
「それは『呪い』の名前ですね。ええ、呪い……けがれを受けた獄人の名前ではなかったでしょうか」
「薄雪」
 コヅヱがその言葉を遮る。
「ジュカクも、けがれの化身も――すべてはわたくしたちの手の内側にある」
「薄雪!」
 叱るようなその言葉に薄雪がくすりと笑った。その唇がゆっくりと揺れ動く。賀澄は目を瞠り、その唇を読んだ鬼灯は息を呑んだ。

 ――島に、いらっしゃい。この国をよくするならば、わたくしを踏み台にして。

「帰りましょう、薄雪。『貴女は何時だって無駄な動きをするのだもの』」
「……そう仰らないで。
 ああ、忘れていましたね、どうぞ。貴女『は』なくされませんように」
 微笑んだ薄雪は何事もなかったように朝顔の記憶を差し出した。薄く炎が灯された鮮やかな珠。
 朝顔は「え」と驚いた様子で見遣る。コヅヱは「薄雪様」と囁いた。
「貴女はコヅヱに『人を護る』代わりにとこの記憶を売っただけでございましょう。これは商売ですもの。
 買い戻すならば、今、安全ではなくなったと言うだけのことですもの。もうなくされてはなりませんよ」

「黄龍! 大丈夫? どこか不調だったりしない? 瑞も大丈夫? ケガはない? 気配は辿れそうかい?」
「お任せ下さい、シキ。薄雪は『何かを残していきましたもの』」
 瑞神が頷いてからちらりと賀澄を見た。シキはすうと息を吸ってから賀澄に向き直る。
「……それと賀澄さん。薄雪さんを傷つけて、ごめん。大切な人だって分かっていたのに。本当に、ごめんね」
「構わない。薄雪にも何か考えがあったのだろう……」
 賀澄は俯いてからその名を呼んだ。その掌に収まっていたのは小さな雪の結晶をもした簪。
「それは……」
 問うたシキに賀澄は「彼女との縁が出来たようだな」と囁いた。
 行くべき場所はとっくに決まっている。向かうべきその場所に踏込めば――

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 お疲れ様でした。
 次回。島へ、渡りましょう。

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