PandoraPartyProject
幼年期の終わり
金嶺竜アウラスカルトは、覇竜領域デザストル北部に位置する高山へと転移した。
高山植物のあわやかな花々に囲まれた、朽ちた神殿である。
そこから彼女は人の身体を模し、借りていた本を手にとり、そのままの姿で父祖ベルゼーが居るであろう場所へ飛び立った。不便な人の身体で大空を舞いながら、ふと思い返せば二百数十年が脳裏に甦ってくる。
これまで生きてきた、全ての軌跡だ。
あれは、いつのことだったろう――
『べぜう、べぅ、ぜ? ベユゼ!』
初めて人を真似、名を呼んだ日のこと。
『ベユゼー、こえ。こえね、ちっちゃの、なあに? えへ、エーデウ、ワイス!』
人を真似ると周囲が大きく見え、様々なことが気になり、花の名を教わった日のこと。
『ベルゼー、ゆーしゃアイオン、すごいね! われ、ゆーしゃ、たおしたい! りゅーだから♪』
初めて本を読んだ日のこと。
『ベユゼー、なぜひとまね? こわいのいい、りゅうだから。わ、ごほんよむの、ほんとね、べんり!』
人の身を真似る理由を、尋ねてみた日のこと。
『ベルゼー、たいにーわいばん、うごかない。力、せいぎょ? これはちゃんと食べるよ、ぎむだから』
初めて生き物を食うためでなく、誤って殺めてしまった日のこと。
『ベルゼー、われは力をせいぎょしたが、ドラネコは死んだ。なぜ……そうか、じゅみょうというのか』
もう二度とドラネコなど飼わないと決意した日のこと。
『ベルゼー、この本にある魔力伝達とは何だ? どう使えばいい? いやだ、我は今日がいい!』
初めて本格的な魔術を教わった日のこと。
『ベルゼー、我は怒っている。翼亜竜を蹴散らしてやったが、礼儀知らずにも程がある。我は竜ぞ!』
亜竜共とよく喧嘩をしていた日々のこと。
『父祖よ、我は貴様を父祖と呼ぶぞ。我は竜ゆえに、威厳が必要であろう! 我はもう雛竜ではない!』
はじめて呼び名を変えてみたこと。
『父祖よ、見よ。しかと目に焼き付けよ! 我が魔術――古竜語魔術の神髄を!』
得意げに高等魔術を披露してみせた日のこと。
『父祖ベルゼーよ、フリアノンの民は、人というものは、どんどん姿がかわってゆくのだな』
竜と人との時間の流れ、その違いを実感した日のこと。
『我は霊嶺を覇する竜ぞ、近付く者は統べてなぎ払うまで。それが人の賊でも亜竜でもな』
はじめて人間というものに、竜としての威を示した日のこと。
『父祖よ、我は金嶺竜アウラスカルトと呼ばれておるらしい、故に我もそのように名乗ろう』
人の伝承に記されたのを知り、名乗りを得た日のこと。
『そうか……あの者は、居なくなったのだな。時の流れは速いものだ』
言葉を交したことのある数少ないフリアノンの民が、老衰により亡くなったのを知った日のこと。
『父祖よ、どこにおる。父祖よ。なんだ居らんのか。本は借りていくぞ』
一つ一つなど思い出せぬほど何度もあった、ベルゼーがそこに居なかった日のこと。
『生まれた赤子を琉珂というのか。貴様は本当に亜竜種(同族)が好きだな。知らぬ、我は興味がない』
よくフリアノンや周辺集落の出来事や人々について、嬉しそうに語る父祖の話を聞いたこと。
その時、ほんのかすかな嫉妬の感情を覚えた日のこと。
ベルゼーは滅多に現れないが、少女は父祖が姿を見せるたびに、ついて回っていた。
アウラスカルトは滅多に人の身を真似ないが、思えばその時に限って模していたものだった。
ベルゼーは竜よりも小さいから、この姿は何かと利便が良かったのだ。
それからずいぶん後のこと、彼女は立て続けに二度――生涯忘れ得ぬ敗北をした。
――――
――
思えば、全てが幸福だった。
今日のような気分だったことなど、一日たりとてありはしない。
気分はもちろん、最悪だ。
二度の敗北よりも、ずっと。ずっと。
「ベルゼー、父祖ベルゼー!」
アウラスカルトは叫んだ。一度目は声が裏返る。二度目は最早金切り声だった。
少女の姿をした竜はベルゼーに駆け寄って、胸ぐらをひたすらにぽこちゃかとぶった。
「おっと、怪我は痛みますかな、アウラスカルト?」
「誰に物を言うておる、我は霊嶺を覇する金竜にあるぞ」
実際の所、完治にはほど遠いが、いつものように強がってやる。答えるベルゼーは――
「無用な心配でしたかなあ。しかし万全ではありますまい、であればゆっくりと休むが肝要」
「……心配するなと言うておろうに、本当に貴様というやつは――」
――いつものように、ただただ優しかった。
ベルゼーは、亜竜でなく、真竜(ドラゴン、あるいはウィルム)たる膂力を以てしてもよろめきすらしない。少女はただ一人の父祖と呼ぶべき存在へ、彼女を卵から孵し、育て、書を教えた存在――けれど冠位七罪(オールド・セブン)なる究極の災厄の一つへ、ありったけの感情をぶちまけている。
無論、今は人を真似た姿であり、(途中からはきちんと自制し)人なりの力しか出してはいない。彼女は長い年月の中で、力の加減というものを学んでいる。二百年ほど前に、硝子のコップだって、きちんと握れるようになったのは少し自慢だった。
けれどベルゼーはアウラスカルトが、抑えの効かない雛竜だった頃から、受け止めてくれた。
ぽこぽこと拳を振るうたび、こうして思い出してしまうだけだ。ふと頬を温かな何かが伝う。アウラスカルトは、それが生まれて初めて零れた涙であることに、まだ気付いて居ないが。
ともかく何をどうしようと、父祖、何かを背負う『大人』というものは、微動だにしてくれなかった。
それなのに――その『化物』は少女の頭を撫でる――度しがたいほどに優しかった。
この日なさねばならないことは、ただ決まり切った儀式に過ぎない。結末は明らかであり、けれど儀式というものは手順を追って進行せねばならないものだから。あたかも魔術にも似ており、メイガスの矜恃を抱くアウラスカルトは、あえて言葉にして真正面から問うてやる。
「ベルゼー。父祖よ。我は形あるものは、いずれ全て滅ぶことを知っている。人も獣も、竜さえも例外ではない。ならば世界とてその範疇に違いない、ならば、ならばだ」
「……」
「生ある全てが終焉する、とこしえの果てに、何もかもが消え去るまで、待つことはできんか」
ベルゼーはずっと何も応えない。
しばしの後、アウラスカルトはベルゼーを抱きしめた。
涙も鼻水もぐしゃぐしゃにすりつけて、腕に力をこめる。
「あの者等は、英雄共は、命を賭けて戦っておった。守るべきもののため、竜へ挑み狩らんとした。ゆえに我はイレギュラーズを対等とみた。その想いは、我と同じであったからだ!」
がむしゃらに、しがみつくように。なくしてはならない何かへ、すがりつくように――
「貴様とて同じではないのか。フリアノンの民はどうした! あれは、戯れにすぎんのか!? 違うであろうが! 貴様は、あれをこそ愛しておろうに! だから違うと言え、言えったら言え! ベルゼー!!」
「――同じや違うやと、難しいことをおっしゃいますなあ」
「はぐらかすでないわ!」
竜がこうしたならば、ひしとつかんだならば、いつだって全ては壊れてしまう。
ただ抱きしめたものが、折れ、砕け、粉々に消えてしまう孤独など、二百五十年の歳月――厳密には休眠期を除く――の中で、嫌と言うほど味わってきた。もっというなら、慣れきっていた。
けれどベルゼーだけは特別なのだ。
いくらぽかぽかと殴りつけても、ぎゅうと抱きしめても、壊れない父祖。
――だめなぱぱ。ずるいぱぱ。だけどやさしい、だいすきなぱぱ。
それはこれまでただ唯一の『心の拠り所』であったのだ。
沈黙、寂漠――静謐な時間が流れている。
抱きしめながら、ただじっと、体温を確かめた。
温かい。きっと亜竜種であれば、家族を相手にこんな感触を得ているのだろう。
えもいわれぬ眠気さえ感じる。愛する者を力一杯に抱きしめる悦楽は、何にも代え難い。
アウラスカルトは、自身が恵まれているのだと感じた。
「……貴様は、なぜ答えぬ……父祖ベルゼーよ」
――アウラスカルトは想う。
あの時、勇者達――イレギュラーズの数名が父と向き合おうとしていたように感じた。
だからここへ来る前に、千里眼の魔術を行使して『のぞき見』したのを思い出す。
今日という日を迎えるために、ひとかけらの勇気が欲しかったから。
たとえば、それは三者三様の在り方だった――
――ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)が夢の檻から目覚めた時のことだ。
その父ジョゼッフォ、『ずるいぱぱ』は自身を実の父だと告げた。
娘を捨てた、ひどい父親なのだろう。けれど、そこに誠意はあった。
もう一人、ニュース・ゲツクは、ドラマ・ゲツク(p3p000172)の父に似た存在である。
実の親子ではない。
そういった意味では、アウラスカルトとベルゼーの関係にも似ているかもしれなかった。
あれがよりにもよって冠位怠惰(ねこちゃん)への魔術的な交信(うざがらみ)を試みたのは、思わず好奇心から傍受してしまったのを思い出す。寝ているくらいなら、いっそ反転したいと、すすがしいまでに知識欲の魔人であった。あの勤勉さでは冠位怠惰が歯牙にも掛けなかったのは言うまでもあるまいが、仮に別の冠位でも無理だろう。その後は何食わぬ顔でしれっとイレギュラーズの味方として登場し、こちらの軍勢(亜竜達)と交戦しはじめたあたり、食えない人物であるが、どこか憎めない『だめなぱぱ』なのかもしれない。
最後に、クオン・フユツキ。
クロバ・フユツキ(p3p000145)の父――のような存在は、今は冠位怠惰に与しているらしい。
あの英雄達同様にイレギュラーズでありながら、冬の王オリオンなる存在の力を行使し、自身を高みへと導き続けている。あれは本当に、人なのか。人がああも深き業を背負えるのか。
最早、世界の破滅を願う、恐ろしい存在――怪物ではないのか。
ああそれは、まるで――
「――ベルゼー、貴様は恐ろしい怪物だ……この冠位暴食め!」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、アウラスカルトはベルゼーを突き放した。
二百五十年の歳月を生きる竜の少女が、大人へ向けて駆けだしたかのように、反抗期がやって来た。
多くの親子とただ一つ違うのは、これがただ『別れの儀式』であることだ。
結末をアウラスカルトは知っていた。考えないようにしていただけである。
「仕事というものは、そういうままならぬ所もあるのだと――」
知る限り、初めてよろめいた怪物(ぱぱ)は――『煉獄篇第六冠暴食』ベルゼー・グラトニオスは言った。
分かりきっている答えに対して、けれど最後の望みを賭け、この瞬間、永遠に断たれる。
アウラスカルトはここへ立ち寄るときに、借りていた本を返す。いつもなら別の一冊を持っていく。
けれど彼女は、生まれて初めて『一冊も』手に取らなかった。
長い決別の儀式が、ようやく終わろうとしている。
「このうそつきめ! ……我は――我はもう、ここへは帰らぬと知れ!」
きっと、二度と、永劫。
「……」
「ベルゼー……さらばだ、ベルゼー!」
長すぎた幼年期が、ついに終焉を告げた。
――大切な、大好きな、愛すべき、家族よ。
――これまで、今日まで、たった今の今まで、そうであった者よ。
大嫌いだと、そう信じ込むように、一心に念じて。
竜は翼を広げて果てなき蒼穹へ舞い上がった。
(我はあの者等を――イレギュラーズを信じる!)
「思う所へ行きなされ。この世界(無辜なる混沌)では、竜も人も、誰もが自由なのですからな」
そんな顔で、そんな所にいつまでも居られては――ああ、腹が減って仕方がない。
ベルゼーは天高く消えていった竜から、頬へぽつりとこぼれ落ちた一滴を、指に取り、舐める。
「……こんな日が来るならば、いっそひと思いに、食っておけばよかったのでしょうなあ」
優しい怪物は、愛娘(やくたたず)を見送ると、己が腹をひと撫でしたのだった。
※『金嶺竜』アウラスカルトが『煉獄篇第六冠暴食』ベルゼー・グラトニオスの陣営を離反しました。
※アウラスカルトは人知れず、傷を癒やしているようです。
※『夢の牢獄』からイレギュラーズが脱出しています。案内人を宣言したただ一人を除いて――
※『夢の牢獄』内でイレギュラーズによる『巨大な眠りの核(月)』の破壊作戦が行われています。
※冠位怠惰との決戦『<太陽と月の祝福>』が開始されました!
※リミテッドクエスト『<太陽と月の祝福>Recurring Nightmare』が公開されています!
これまでの覇竜編|深緑編
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- 鉄帝の空に浮かぶ伝説の浮遊島<アーカーシュ>の探索チームが結成されました
→アーカーシュアーカイブス - 進行中の大きな長編シリーズ
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