PandoraPartyProject
ユリーカレポート モリブデン事件
強者こそが栄光を掴む国ゼシュテル鉄帝国の裏では、首都に存在するスラム街モリブデンをめぐる大きな事件が動いていた。
スラム民を襲う悪質な地上げに始まり、地元ギャングや軍人、傭兵や地下ファイターを使った破壊活動や誘拐事件。
複雑に絡み合う事件群は、まるで目的を見定めたかのように収束しはじめる。
モリブデンでおこる大量の誘拐・拉致事件。
浚われた子供たちは『血潮の儀』によって虐殺され、古代兵器起動のための生け贄とされるという。
スラム民は軍や警察を頼れない。今こそ、『世界の何でも屋』ローレットの存在が求められていた。
-
――主よ、慈悲深き天の王よ。彼の者を破滅の毒より救い給え。
毒の名は激情。毒の名は狂乱。どうか彼の者に一時の安息を。永き眠りのその前に。
たとえばそれは家族の願いであった。
たとえばそれは世界の嘆きであった。
ただ当たり前の幸せを、きっと世界の誰もが望んでいて、みんなが少しずつ優しくなれば、きっときっと、世界はずっと素敵になれる。
だけれど。
「そんなのは、無理なんだよ」
――主よ、天の王よ。この炎をもて彼らの罪を許し、その魂に安息を。どうか我らを憐れみ給え。
世界が揺れた春先の大地。
海洋王国が大号令の大波に揺れ、深緑が妖精たちとの語らいを始めたころ。
いまだ雪の冷たさがのこる鉄帝の風が、移動要塞『歯車大聖堂』がゼシュテル首都スチールグラードの直前でどっしりと腰をおろし、停止していた。
首都の守りを固めていた鉄帝軍兵士たちや、その依頼を受けてかけつけたイレギュラーズが、一様に半壊した大聖堂を見上げ、そして武器を下ろす。
唐突な破壊と略奪におびえた人々が、そして怒りをあらわにしていた人々。
一転して訪れた静寂と青く突き抜けるような空。
大聖堂の吹き上げていたもうもうとした煙が風で穴を穿ち、筋状の光が金と白の建物を照らしていく。
誰もが理解した。
これで、終わったのだ。
――信仰とは、実は無力なのかも知れませんわね。
かつて聖女が、悪魔の力を借りる事でしか平和を実現できなかったように。ですが……
冷たい大地の上。いびつで巨大な聖堂のなかで。
今日、ひとりの聖女がこの世から消えてなくなった。
彼女はかつて多くの人に慕われ、多くの人生を壊し、多くの人を死に至らしめた。
彼女はかつて多くの人に慕われ、多くの人生を救い、多くの人を助け手をさしのべた。
あのときも、あのときも、あのときも、ずっとずっと、彼女は人のために憤り、ひとのために戦い、ひとのために祈った。
その結果として、形なきむくろと巨大過ぎる聖堂が、この世界に残ったのだ。
きっとそれが、彼女のもったただ一つの、そして唯一絶対の、業の形であったのかもしれない。
――聞いたのです。魂を焦がすような祈りを。託されたのです。どうかあの人を救って欲しいと。
ならば、それに応えぬ理由がどこにありましょう。
救いは無い。
何処にも無い。ひとすじも無い。
心優しき傷んだ聖女は死に、涙は枯れた。
彼女を知る誰もが、彼女を慕った誰もが消せない傷を負い、歪みは白日の下に晒された。
救いは無い。ひとすじも無い。
何も無い――だが、果たしてそれは本当にそうだろうか?
鉄帝の人々から多くを奪い去った事件は深くつよく、この土地に刻まれた。
鉄帝軍や人道団体クラースナヤ・ズヴェズダー、その他この事件に関連する様々な集団や個人が、この事件に対して何かをしようと動き始めることになる。
動力が死に二度と動かなくなった歯車大聖堂は『一人の墓標には大きすぎる』と改修がなされることになった。
クラースナヤ・ズヴェズダーをはじめとする多くの団体の施設および住居となり多くの人々の受け皿となるだろう。
屈強で剛毅な鉄帝民はこの壮大な建造物を観光名所にでもして祭りのひとつでも開くだろう。
聖女の願いは、大きすぎる破壊と犠牲の上に、皮肉にも、実現しつつある。
泣かないで、アナスタシア。
君の愛した者達に、君の傷みの日々達に。
君の望んだ後悔達に、君が見たあな遠き夢達にも――光あれかし。
※――鉄帝の歯車大聖堂(ギアバジリカ)およびモリブデン事件はローレットの活躍により収束しました。
<涙の王国>
-
鉄帝国。その大地にて一つの巨大な影が動いていた。
それは歯車大聖堂(ギア・バシリカ)と名付けられし古代兵器である。
村々を略奪し、己が内に取り込むその様は正に怪物。グレイス・ヌレ海戦による出兵で主力を割いていた鉄帝軍は、首都の付近に突然と湧いて出たその存在に対して――部隊の動員が些か遅れていた。
これが例えば国境付近の出来事であれば守護神たるザーバ・ザンザが即座に対処した事だろう。かの人物は軍事の傑物であり、幻想・鉄帝の前線はいつでも軍事行動が出来る様に軍勢が常備されている。更に戦の緊張が常にありし地であれば、突発なる事態にも神速の対応を見せた事だろう。
しかし歯車大聖堂は鉄帝の内地に出現した。防衛線の、内側に。
これに対処するならば付近の部隊によって――だが。先述の通り海戦の影響で部隊は平時より少なく。そして何より、出現した歯車大聖堂は文字通りに『巨大』であり半端な数や連携ではとても物理的に止めれぬ圧を有していた。
苦戦免れぬ。ともあらば首都すら危機に晒されるかもしれないこの事態に対して――
「レディィ――ス・アンドッ・ジェントルメェーン!!
さぁ鉄帝に住まう紳士淑女の皆様方!! 今日も今日とて如何お過ごしかァ!!」
鉄帝の民はただ座して見ていた訳ではなかった。
歯車大聖堂の進軍先。ある街にてマイク携え、声を張り上げるはジェッディンという男。
「見るがいい、かの巨大兵器を! あれぞスラム街『モリブデン』の地下に眠っていた古代兵器!! いつ、誰が作ったのか? そんな事は分からないが――『コレ』は分かるだろう!! あれは真っすぐ此処へ向かってきていると!!」
大仰にジェッディンは歯車大聖堂を指差し、民衆へと語り掛ける。
今はまだ遠くに見えている、が。確かにアレはこちらへと迫ってきている。目の良い者が見れば、なにやら先行して迫ってきている――歯車大聖堂から排出された『兵器群』の姿も捉えられるだろう。
アレは歯車大聖堂の子の様な存在。親に食料を献上し、或いは敵を討つ『物』ら。
されば慌てふためく民衆達もいる。
避難は――軍はどうしたんだ――様々な感情が吐露されていく中。
「さぁ、どうする諸君?」
それでも、何の焦りも無くジェッディンの軽快な語りは続く。
「かの地では既にイレギュラーズの援軍を得た者達が戦っているぞ?
そう! イレギュラーズ!! あの! ローレットの! イレギュラーズ達、だッ!!」
言うは歯車大聖堂の接近に混乱している者達へ、ではない。
かの兵器の進軍を目の当たりにしても――臆しておらぬ『鉄帝人』達へ。
「彼らは英雄だが、彼らにだけ任せてよいのか!!? この国は一体どこの、誰の国だ!!?
誰が住まう、誰の為の土地だ!!? ――さぁ、今こそ! 奮い立つ時ではないか!!」
鉄帝国は厳しい気候に晒されている国家。
そして『武力を愛好する』者達で多くが溢れている闘争の国。
舐めるなよ歯車大聖堂。タダで奪わせてなどやるものか。
進軍してくる歯車兵器達。強靭なる牙、駆動音を響かせて疾走するその姿。
――ぶん殴りやすそうな身体だと、誰かが呟いて。
「宜しい!! ならばこの戦い、私が見守ろう!!
何。後ろの家族が心配ならばそれは私に任せたまえ――場外での乱闘なんぞは許さんよ!!」
闘志漲る腕自慢達が街を護るべく前へ出て。ならばとジェッディンのテンションも上がり。
彼は鉄帝の各地にどこからともなく出現する男だ。
勝負や賭け事の気配を感じ取り、レフェリーや解説を誰に頼まれずとも務める元ラド・バウの闘士。試合や競技には無関係な人を巻き込まず守る紳士でもあり、そしてこれもまた……彼の感じ取った決闘の一つたれば。
「さぁさぁ罠も小細工も何も不要!!
ここに在るは魂のぶつかり合いであれば――今こそここに宣言しよう!!」
腕を上げて、力を籠め。
振り下ろすと共に――どこまでも響く掛け声を一つ。
「ではいざ尋常に――ファイッ!!」
戦いのゴングが、鳴り響くのだ。
*鉄帝に出現した歯車大聖堂への抵抗の動きが各地で発生している様です!!
ギア・バシリカへの抗い
-
それはきっと此の世の悪夢に違いなかった。
それはきっと目の錯覚と思う他はない――驚天動地の光景に違いなかっただろう。
白煙天を覆い、鉄車の軋音が大地をゆらす。
巨大な生物のごとく頑丈な脚をはやした複雑怪奇な大聖堂が、村を踏み潰して進む様。
それは『信じられない位に冒涜的であり、ゼシュテルそのものを示すかのように暴力的であった』。
その道中にあった哀れな生物は、建物はまるごと内部へ放り込まれ、大量のカッターやアームで分解され、全てこの巨大移動要塞を構成する資材、塗料や糊へと変えられていくばかり。
最初に言ったのは誰だったか。
唯その呼び名は酷くしっくりと来るものだった。
この移動要塞はその様相をさしてこう呼ばれたのである。
――歯車大聖堂(Gear Basilica)
大聖堂が祈りの歌を捧げている。
聖歌を奏でる巨大パイプオルガンが、まるで大勢のシスターが清らかに歌うかのように合成音声をエンドレスリピートしていた。
――主よ、力なきは罪なのですか。主よ、何故この子が吹雪に凍え、飢えて死なねばならなかったのですか。私はこの子に一欠片のパンすら与えられなかった。主よ、この子の死が無駄でなかったと仰るならば、どうかその証を。
掲げられたシンボルには、まるで磔刑に処された聖人のごとくアナスタシアが張り付いていた。
否、『組み込まれていた』と言うべきだろうか。
伸びた無数の管が彼女を縛り、突き刺さった各部より何かを吸い上げていく。
彼女の鼓動にリンクするように、聖堂の複雑怪奇に入り組んだシャンデリアが明滅した。
さながらその地獄のような光景は聖女の慟哭を示す讃美歌の如く。
ロスト・テクノロジーと哀しき魔種の織り成す嘆きと絶望はとめどない血の涙を流しているかのよう――
「――見ての通り、いや、酷い風景だぜ」
モリブデン事件の結末――遂に起動した、『起動してしまった』Gear Basilicaを阻止せんとするイレギュラーズの一団が出会った、或いは出会ってしまった男は目を細めて彼方を眺めていた。
「勿体無ぇ。嫌いじゃねぇよ。ショッケンって野郎も、アナスタシアって姉ちゃんもさ。
……ま、熟成する前に駄目になっちまったのは本当に勿体無いとしか言えねぇが……」
当を得ない言葉は何処か虚しく響き、目の前で最高のディナーを取り上げられた肉食獣を思わせる彼は、うんざりするように頭を振った。
「オマエ達が最近噂の特異運命座標(イレギュラーズ)だろう?」
「……だったらどうした?」
「やっぱりね。実は俺様も『旅人』ってヤツでね。オマエ達には興味があったのさ」
Gear Basilicaの咆哮を遠く聞きながら、今ではない時、ここでは無い場所で。
或いは近しい先か、遠大な彼方か――交わるかも知れない、ひょっとしたら永遠に交差する事は無いかも知れない。そんな不定形の運命は、しかし眩く『強い』運命は、この日幾ばくかだけフライングしたのだ。
――――♪
惨劇なる讃美歌が鼓膜を打つ。
新たな運命が重なる音色をきっと今、イレギュラーズは聞いていた。
それは幕間。それは余禄。
「ふぅん? やっぱり面白ぇ。面白い面してるぜ、オマエ達!」
眩い金色がもたらす、鉄帝国事件の異聞に違いなかった――
――歯車大聖堂がスチールグラードへ向けて進撃を開始しました
――歯車大聖堂から放たれた兵が各地で略奪を始めています
<金色異聞>
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海洋が『絶望の青』の真実に揺れる頃、ゼシュテル鉄帝国もまた激震に晒されていた。
それはきっと此の世の悪夢に違いなかった。
それはきっと目の錯覚と思う他はない――驚天動地の光景に違いなかっただろう。
白煙天を覆い、鉄車の軋音が大地をゆらす。
巨大な生物のごとく頑丈な脚をはやした複雑怪奇な大聖堂が、村を踏み潰して進む様。
それは『信じられない位に冒涜的であり、ゼシュテルそのものを示すかのように暴力的であった』。
その道中にあった哀れな生物は、建物はまるごと内部へ放り込まれ、大量のカッターやアームで分解され、全てこの巨大移動要塞を構成する資材、塗料や糊へと変えられていくばかり。
最初に言ったのは誰だったか。
唯その呼び名は酷くしっくりと来るものだった。
この移動要塞はその様相をさしてこう呼ばれたのである。
――歯車大聖堂(Gear Basilica)
大聖堂が祈りの歌を捧げている。
聖歌を奏でる巨大パイプオルガンが、まるで大勢のシスターが清らかに歌うかのように合成音声をエンドレスリピートしていた。
――主よ、力なきは罪なのですか。主よ、何故この子が吹雪に凍え、飢えて死なねばならなかったのですか。私はこの子に一欠片のパンすら与えられなかった。主よ、この子の死が無駄でなかったと仰るならば、どうかその証を。
掲げられたシンボルには、まるで磔刑に処された聖人のごとくアナスタシアが張り付いていた。
否、『組み込まれていた』と言うべきだろうか。
伸びた無数の管が彼女を縛り、突き刺さった各部より何かを吸い上げていく。
彼女の鼓動にリンクするように、聖堂の複雑怪奇に入り組んだシャンデリアが明滅した。
さながらその地獄のような光景は聖女の慟哭を示す讃美歌の如く。
ロスト・テクノロジーと哀しき魔種の織り成す嘆きと絶望はとめどない血の涙を流しているかのよう。
あの略奪の日から、全ては始まっていたのかもしれない。
兵のため国のため、心と罪なき弱者を見捨てた夜。
地位も名誉も財産もすべてを捨ててスラム街へと逃げてからも、あの夜が消えることはなかった。
それは追いすがる罪であり、忘れ得ぬ罰である。
お前は誰も救えない。
お前は誰も愛せない。
お前は誰も解らない。
聖女と呼ばれ善行を石積みのように重ねても、罪と言うなの悪魔がそれを戯れた子供のように蹴散らしていくのだ。
そしてあの日、理解した。
お前は――いや。
「『私』は誰も救えない」
目を開けた、黒衣のアナスタシアが虚無を呟く。
「だから、もう一度、もう一度だ。あの夜からやり直す」
この巨大な怪物と……『歯車大聖堂』とひとつになったアナスタシアは大本の『原動力』である。
強大な魔種としての力が、本来大量の生贄なくして動くはずのない移動要塞を動かしているのだ。
それはさながら彼女の願いのように、聖堂の形をとった。
それはさながら彼女の業のように、聖堂をどこまでも大きくした。
それはさながら彼女の贖罪のように、全てを飲み込んでひとつのものへと変えていった。
「我が国、ゼシュテル鉄帝国首都スチールグラード。あなただ、あなたのせいだ。
あなたが全てをため込み続けたがゆえ、弱者は寒さに凍え飢えなければならなかった。
あの略奪の夜でさえ……あなたがため込んだ全てを解き放ち平等に分け与えていたならば、あんな夜はおこらなかった」
黒い油が、両目からだくだくと流れ出る。
「あんな夜はおこらなかった! おこらなかったんだ! あなたさえ! あなたさえ平等であったなら! あんなことは、しなくて済んだはずだった!」
やりなおそう。
全てを食らって、ひとつのものに変わるのだ。
このなかでは……歯車大聖堂の中では全てが平等だ。
平等に生き、平等に動き、平等に稼働する。
巨大な移動要塞が、その脚をスチールグラードへと向け、動き出した。
全てを食らうために。
全てを平らにするために。
きっとそれが、平和というものなのだと、信じて。
願いが遠い事は分かっていても。聖堂一つで世界は変わらない事を知ってはいても。
嗚呼、盲目。見たくない世界なんてもう見ない。聞きたくない言葉なんて聞こえない。
「よわいから、なにひとつかなわない――」
――歯車大聖堂がスチールグラードへ向けて進撃を開始しました
――歯車大聖堂から放たれた兵が各地で略奪を始めています
<奪って手に入ったものは、>
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海洋王国がついに外洋遠征に乗り出し、鉄帝海洋間の交渉も収まった頃。
ゼシュテル鉄帝国の首都スチールグラードではある事件がひとつの閉幕をみせていた。
『モリブデン事件』――スラム街モリブデン地下に眠る古代兵器。それを鉄帝将校ショッケン一派による悪質な地上げや拉致、子供を対象とした生贄儀式。表面化すれば立場が危ぶまれるようなこの事件群はしかし、首謀者であるショッケンが鉄帝不在であったことから追求も難しく、そうこうしている内にショッケン一派は大規模な軍事制圧作戦を敢行。事件は最大の山場を迎えたが……。
グドルフ・ボイデル
奴らの進軍はすんでの所で足止めできたぜ。クソ軍人どもが、奪う浚うは山賊の専売特許だってんだ!
土地は巨大なスコップでひっくり返したかのようにえぐれ、元々構造の弱かったスラムの建物は沈下と共に崩壊している。
いまは土なのか建物なのかもよくわからないほどだ。
アリア・テリア
地中から這い出した巨大な建造物が、無数のタイヤや脚をつかってどこかへ走って行ったんだったね。
倒した軍人たちも途中で取り込まれるように浚われていったみたいだし……ショッケン一派があれを手に入れた、ってわけじゃないんだよね?ヴァレーリヤ=ダニーロヴナ=マヤコフスカヤ
ナーシャ……いいえ、クラースナヤ・ズヴェズダーの聖女アナスタシアが、生贄や私たちを逃がすために、遺跡内部に残って戦いましたわ。
彼女が無事だとよいのですけれど……主よ……。
モリブデンをめぐる事件は幕を閉じ、そして新たな幕が開く。
開幕のベルが聞こえるだろう。
それはきっと、あなたのためのベルだ。
――軍事制圧からモリブデンを守ることができました
――鉄帝将校ショッケンをはじめ多くのショッケン派軍人、傭兵、マフィアなどが行方不明になっています
モリブデン事件終結
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古代遺跡、そのコアルームに辿り着いた『聖女』アナスタシアは目を剥いた。
一面の赤に蠢く何かが存在している。ごうん、ごうんと何かの音がする。まるで獣の胎の中にいるかのような錯覚に陥らせるその音を聞きながら『聖女』は震える声で聴いた。
「『何』だ」
古代遺跡の中ではショッケンを始めとする帝国軍人たちが多数存在し、イレギュラーズとの攻防を繰り広げている。
多方面から作戦の成功は聞こえるが、完全成功に至らない事からこのコアルームに運び込まれた子供達が多数いるという事をアナスタシアは認識していた。同様に、『血潮の儀』と呼ばれる全容が明らかになってはいないこの儀式を把握し、破壊することも自身に課せられた試練であるとも考えていた。
だからこそ、彼女は一人で来た。
共に声をかけてくれた特異運命座標の希う未来の為にも。
仲間は居ると力強く言った特異運命座標が無事に撤退できる時間稼ぎをする為にも。
命を賭してでも,誰かの未来を護ることが聖女だという自負を抱きながら。
「これは……?」
ひゅ、と息を飲むと同時にアナスタシアは『視』た。
無数の腕が、蠢いている。赫々たる世界で肺の奥深くまで入り込んだ血潮の香りを感じ取りながら。
確かに『視』た。
それと同時に、彼女は悟った。
無理だ。一人でなど。
無理だ。救うなど。
無理だ。聖女でいることなんて――私は、奪って生き延びたのに。
アナスタシアが『儀式』を視た時、体の中に、何かが入り込む感覚がした。
酷い酩酊の後、視界を覆う黒き靄が喉奥を突き刺した。錆びた鉄の香りがその身体を包む。
頭の中にガンガンと直接的に何かが渦巻いた。
苛立ちと共に、笑う声が響く。
――救えないくせに、聖女だなんて。
――奪ったくせに、聖女だなんて。
嗚呼、嗚呼。
「助けて」
心の臓を握り潰されたかのような絶望と、不快感に唾が咥内に滲む。ぼとりと口端から落ちるとともに、彼女は叫んだ。
「助けて――ヴァリューシャ!」
『聖女』――だったものの、体が黒く染まっていく。
呑み込まれるようにして女の体は闇に染まる。
頭の中に響く、響く、響く――!
その後、『聖女』の姿を見た者は居なかった。
※鉄帝国の騒乱に動きがあったようです……!
<奪って生き延びてしまったのは、>
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略奪は全てを解決する。
それが鉄帝軍将校ショッケン・ハイドリヒの信条であった。
何も持たず、何者にもなれず、しかし何者かにならなければならないと焦っていた若き日の彼が、ある赤き夜に知った世の理でも、ある。
銃声と灰の香りに目をつぶれば、いまでもありありと思い出せる。
歩けもしない老婆からロザリオをもぎ取った腕。すがりつく村民を蹴り飛ばして食料庫をあさる様。その鮮烈な記憶が、今の彼を作ったのだ。
財産がないならば奪えば良い。
権力がないならば奪えば良い。
武力がないならば奪えば良い。
弱い者は踏みつけにして奪い、豊かな者や強い者は陥れて財産や力を奪う。
上り詰めたその先に、鉄帝軍将校という肩書きと力があった。
そしてそれは今、更に大きなものへと上ろうとしている。
「諸君、聞け」
戦車の上に立ち、整列した兵隊やマフィア、傭兵たちを一瞥する。
吹き抜ける冷たい風が、心を熱く燃やした。
「我々はこの夜、力を手に入れる。
諸君も知っての通り、この国は力こそが全てだ。
弱い者は虐げられ、強き者が王者となる。極めて簡単なルールだ。
故に!
力を奪った者が王者となり、奪われたものはただ滅び行くのみ!
モリブデンの地下に眠るという『古代兵器』は、スラムの弱者どもには過ぎたる力。
諸君らが――我々が持ってこそふさわしい!」
ワッと兵たちが声を上げる。士気の高まりが手に取るようにわかった。
もちろんこの弱肉強食論をショッケン自身が強く信じているわけではない。
弱くも強くもない者にとって、これが最も『焚き付けやすい題材』だと知っているがゆえ、このように演説をしたまでだ。
弱者には一発逆転のチャンスを、強者には勝者の義務を、権力者には国益を説き、少しずつ少しずつ人を動かし、手駒を増やしてきた。
そうして貯蓄された人脈は今や『ショッケン派閥』として軍に爪を食い込ませ、今や皇帝の目を盗んで大いなる力を手に入れんとしている。
見よ、兵士たちが笑って銃を掲げている。
「「将軍! スラムに残ったギャングどもはどうしましょう」」
「郎党殺せ。墓すら建てさせるな」
「「粗末に並ぶあばら屋は」」
「爆破しろ。塵も残すな」
「「クラースナヤ・ズヴェズダーたちは」」
「大司教は教会ごと吹き飛ばせ。残る残党も皆殺しだ」
沸き立つ群衆。
見ているか赤き嵐よ。私はついにここまできた。
「諸君。力を手に入れよう。力さえあれば、なにもかもが思うままだ!
オールハンデッド(全軍銃帯)! オールハンデッド(全軍銃帯)!
これよりモリブデン制圧作戦を開始する!!」
――鉄帝軍ショッケン一派によるモリブデン制圧作戦が開始されました。
――ローレットに多数の救援依頼が舞い込んでいます。
黒き御手の物語
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国家の未来と威信を賭けたグレイス・ヌレ海戦が終結し、戦後交渉が行われている、まさにその頃。
蒸気と錆色に覆われた鋼の街スチールグラードでは『モリブデン事件』と呼ばれる異変が続いていた。
祭壇を背にして、厳めしい表情で部下を睨むのは大司教ヴァルフォロメイ。弱者救済を掲げるクラースナヤ・ズヴェズダーという教派の宗教指導者である。ゼシュテルは風土柄余り宗教的に敬虔な人間の多い場所では無いが、大聖堂――と呼ぶには些か質素な建物――には、今日も十数名ほどの聖職者達が集っていた。いずれもクラースナヤ・ズウェズターを担う幹部者達である。
「今日の議題は主に二つ。一つ目は『例の計画』に対する今後の我々の行動の周知、徹底だ」
この日の議題と参集の号令は大司教ヴァルフォロメイによって発せられていた。
内容の一はヴァルフォロメイの口にした現状への確認である。
スチールグラードのスラムでは、軍主導の都市開発計画が進行していた。
鉄帝国において『軍主導』の枕詞がつく計画は往々にして『荒っぽく雑』という意味も帯びるのだが、今回の場合、計画自体は全く的外れというものではない。鉄帝国のスラム問題は年々深刻化を辿る一途であり、成り行きに任せた自然治癒を期待するに時は既に遅すぎた。幾分かの荒療治は必要悪であり、政府がそれを望むのは必然であった事までには疑いの余地は無い。開発は新たな雇用や経済効果を生み、必要な区画整理は魔窟と化し、多数の組織犯罪の温床ともなったスラム及び周辺地域の治安を大幅に改善する事だろう。それ自体にはクラースナヤ・ズヴェズダーとて賛同しているのだ。故に、当然ながら一連の計画にまつわる問題は軍の計画という枕詞が意味する『荒っぽく雑』な部分に集約される。
一部による強引な地上げは人道派でなくても目を覆いたくなるものであり、更に頻発する『人さらい』事件が、事態のきな臭さに拍車をかけていた。
そうした状況を大司教ヴァルフォロメイは、最早待ったなしと見る。
彼は皇帝の親征帰還と共に直訴を行う事に決めていた。
「簡単な話ではないが、陛下自身はどちらかといえば人道的な考えを持つ人物だ。
政治的に難しい話も孕むが、何らかの効果はあると見る。そしてそれを粘り強く達成する心算でもある。
これは今までの確認であり、この後の決定の通告である。今日の主な問題はもう一つの方――」
ヴァルフォロメイの眼力はそこまで言った所で、何とも複雑な顔をした一人の女を射抜いていた。
「――お前だ、アナスタシア!」
一喝はままならぬ酷い苛立ちを含んでいた。
気風の良い豪快なこの老人が、これほどの表情を見せる事は珍しい。
「今後は独断での行動は控えろ!」
クラースナヤ・ズヴェズダーは、民心を救う為の宗教集団である。但し、彼等は常に、多くの場合において一枚岩では無い。彼等を構成する主な勢力は、現状の国家を内部から改善しようとする穏健な『帝政派』と、帝国を打倒することを目標とする過激な『革命派』とに分かれる。ヴァルフォロメイは帝政派を掲げており、対するアナスタシアはこの革命派の急先鋒なのであった。
組織のトップである大司教がヴァルフォロメイである以上、現状の主導権は『帝政派』にあり、今槍玉に上げられた『革命派』のアナスタシアは今回の計画に対する組織スタンスにおいてもやや議論的劣勢を強いられているのは間違いなかったのだが……
怒声を浴びたアナスタシアは、しかし眉をつり上げる。
「その温い対応が、ここまでの事態を引き起こしたと、まだ分からないのか!」
「『温くない対応』とやらで得られるものは何か。お前の自己満足か? 我々の壊滅か?
世界最強とも呼ばれるゼシュテルの軍部と正面から事を構えて――
戦火と瓦礫、怨嗟の声以外。我々が民にもたらせるものは何だ!?」
「もし、皇帝以下現政府が『我々の声を汲み、良いように計らってくれる連中ならば』にべもない武力行使等するまいよ。翻ってもし彼等がそれを選ぶと言うならば、温い話し合いや直訴等、理念に対する敗北主義だ! 事態に対するおためごかしにもなりはしない!」
「まあまて、両名……」
襟首を掴まんとする程の勢いで、大股に詰め寄るアナスタシア。
応戦さえ辞さない構えのヴァルフォロメイ制したのは、見事な禿頭の男――ダニイール司教であった。
「アナスタシアの述べるにも確かに一理ある。
しかし、クラースナヤ・ズヴェズダーが組織である以上、大司教の言葉に理があるのも確かであろう」
「……チッ……」
憮然としたアナスタシアは露骨なまでに舌を打つ。
「ここは一つ、大司教の直訴の後に様子を伺うのが良いかと思うのだがどうか――」
「――話にならんな。結局それは帝政派の好きな事態の先送りに過ぎまいよ!」
ダニイールの言葉は両者をとりなしたが、帝政派である彼の言がアナスタシアのお気に召す筈も無い。
彼女はかねてより、スラムの住人に被害を出しているモリブデン事件への積極的な介入を主張していた。
『元より現時点まで耐えている事それそのものが酷く不本意な妥協と譲歩の結末なのである』。
ヴァルフォロメイが国と交渉を決めた以上、クラースナヤ・ズヴェズダーが動き難いのまでは理解するが、惰弱な帝政派が主張する「過激な行動は自重してほしい」等という主張は既に譲歩している革命派――アナスタシアにとってみれば、手足を縛った上で残された精神の自由――羽をもぐかのような要求であり、到底受け入れ難いものだった。
「求めるばかりで譲る心算はまるでないという訳か。まるで本家本元、帝国のようだな」
薄ら笑いで吐き捨てたアナスタシアにヴァルフォロメイの顔が紅潮した。
両者の主張は分かり切ったまでの平行線であり、繰り返された不毛である。
――変化が生じたのは、そんな時だった。
「貴様、どういう事だ! アナスタシア!!!」
全く別角度――礼拝堂の入り口より投げかけられた声は単純な怒りだけでは語るに足りない憎しみにも似た色を含んでいた。
一同がそちらに目をやれば、そこには肩で息をする男が立っていた。
「フェリクス副輔祭……? なっ!?」
何事か激発するフェリクスと共に現れたのは、実にうさんくさい身なりの男であった。
顔に包帯を巻いた彼はラサの商人を名乗るハイエナという男だった。
怪し過ぎる見た目通りにこんな男が福音をもたらす理由は何もない。
「貴様、この聖堂に何のようだ!」
「そう睨むな。『赤き嵐』のアナスタシアさんよ」
聞きたくない名前が礼拝堂に響いた。
殊更にわざとらしく伝えられたその言葉の意味を考えぬ程アナスタシアは愚鈍では無い。
フェリクスの激昂という周辺状況を併せれば、この先の展開等、余りに簡単に読めるではないか――
「此方は善意の徒。酔い潰れていらしたフェリクス様を、お連れしたまでのこと」
「……っ……!」
「第一、俺の嘘吐き具合何て、聖女様に比べれば冗談みたいなもんだろうよ?」
招かれざる客の『臭い』を知り、吠えたアナスタシアに皮肉げな言葉を返すと、ハイエナは踵を返す。
泥酔は本当なのだろう。千鳥足のフェリクスは、実に覚束ない足取りで礼拝堂の中央に歩み出る。
支えようとした助祭の腕を払い、彼はアナスタシアへ告発の指先を突きつけた。
「赤き嵐……なぜ否定しなかった!」
「……」
「否定する材料を持たなかったからだな? 違うか? 違うなら違うと言え!」
「……………」
「神に誓い、信仰に誓い、民に誓え。己のこれまでの救済の全ての誓って否定しろ。してみせろ!」
唇を噛んだアナスタシアは答える術を持たなかった。あのショッケンと共に『ブラックハンズ』――即ち鉄帝国の暗部を担う特殊部隊に属した事は彼女にとっての消せない罪、枷であり、記憶であった。
「――俺の故郷を焼き、奪い、家族を殺したのは貴様だったんだな!」
アナスタシアは目を見開き、フェリクスを強く睨みつけた。それは殆ど咄嗟の行動で、彼女に残された殆ど唯一の抵抗――最早虚勢にも等しいやせ我慢のようであったかも知れない。
「ああ! やっぱり否定はしないよなあ!」
「待て! 話は我々が聞く。せめてこの場は改めよ――!」
叫ぶフェリクスを落ち着かせようとダニイールが駆け寄るが、彼の告発は止まらなかった。
フェリクスは抱えていた紙束をまき散らし、ゲラゲラと大声で笑い出す。
「見ろよ! あれも、これも、それも――全部そう! こいつは真っ黒だ!
俺達の嫌った、俺達の憎んだ、あのブラックハンズ(黒き御手)そのものだ。
傑作だ。これ以上の傑作があるか!? 罪も知らないような顔をして。
まるで正義の使徒のような顔をして――右往左往する俺達を嘲り笑って楽しかったか!?
案外、こちらの動きは本当の仲間――例えばあのショッケンに筒抜けなのかもな!?」
ぶちまけられた資料に記されているのはかつてアナスタシアが軍に居たこと。
軍が過去に村の略奪に関わっていた事実。その部隊にアナスタシアがいた事実。
『本来ならば絶対に表に出る筈も無い、正真正銘の極秘資料であった』。
「俺はアンタを尊敬してた!
俺はアンタを信じてた!
アンタこそこの国を救うんだと!
それをアンタは! アンタは!!! 騙しやがって! 騙しやがって!
俺を、クラースナヤ・ズヴェズダーを、皆を――瞞しやがって!!!」
フェリクスの乱心に一同が息を呑む。
フェリクスが狂っただけかも知れない、そう思う者も居た。
アナスタシアが裏切り者かも知れない不安、恐怖、疑心がもたげたのも確かだ。
『同時にそれが本当だとするならば聖女然とした彼女に対する憤怒も消して消えるものではない』。
アナスタシアへの信頼は確かにある。
しかしフェリクスの告発の精密さが信じたくない真実を告げているのもまた確か。
それより何より、誰よりもアナスタシアを尊敬していたフェリクスの言葉だからこそ余計に重い。
「傑作だ! これ以上の傑作があるか――!」
ざわめく礼拝堂にフェリクスの哄笑が響く中、磔になった聖女は一人姿を消していた。
※何かが起ころうとしている予感がします……
磔の日
Gears of Fortune
ゼシュテル鉄帝国とネオ・フロンティア海洋王国が、後の世に第三次グレイス・ヌレ海戦と伝えられる事となる大規模戦闘を繰り広げている、丁度その頃――帝都スチール・グラードでは重く錆びた音を立てながら、また一つ扉が開こうとしていた。
些か神経質そうに、されど同等に無骨に不遜に。
時計の針がかちこち、かちこちと冷淡に几帳面な音を立てている。
宮殿は国の象徴。されど、ゼシュテル鉄帝国という強国の象徴としては些か飾り気の無い――豪奢と呼ぶよりは『如何にもな質実剛健を思わせる』調度の数々は、全くこの国の宮殿らしいと呼ぶべきなのだろう。
衛士より幾分かマシな応接間に通されてから数十分。
そんな一室でクラースナヤ・ズヴェズダーの司祭イヴァンは、眉根を寄せたまま外の雪を眺めていた。
「待たせたな」
低い、地鳴りのような声であった。
「イヴァンよ。わしが報告を預かるのである!」
背後からかけられた声に、イヴァンは慌てて居住まいを正す。
振り返った彼の視界に居るのは無数の勲章をぶら下げる、老いて尚、些かも覇気を減じない『鉄宰相』バイル・バイオンその人である。
「そう言えば、貴様とも随分久しいな」
「ハッ、閣下もご壮健の様子、何よりでございます」
……この老人の前に立つと流石のイヴァンでも、多少は気も引き締まるというものである。
鉄帝国でまがりにも政治に関わる者で彼の功績を理解しないものはない。最強優先(どくとくのルール)で謂わば雑に帝位が変わる事もあるゼシュテルにおいて、半世紀以上もの間、この国の政治のトップを司り、歴代の皇帝に仕え、常在軋みだらけの帝国という政体を辛うじて支える屋台骨――『鉄宰相』バイル・バイオンはともすれば戦闘力ばかりが重視されるこの国において数少なく大いなる尊敬を集める大宰相なのだ。
『たとえ彼が黄金双竜やその他、名だたる大政治家達に比べれば凡百極まる政治能力しか持っていなかったとしても、このゼシュテルにおいて凡庸な文官を長らく続けてきた事それそのものが砂漠に森を作ったようなものである』。
「して、イヴァンよ。今日はどんな話を聞ける? わしはそう長居出来る身の上ではないぞ。
陛下の凱旋勝利を待つ身にも、仕事は山積しておる。
同様に貴様が参った懸念事項も然りであろう」
「ハッ……!」
バイルは幾分か皮肉に笑うと、椅子を引こうとするイヴァンを制した。
この老人は文字通り、全く休まない。畑違い等無いとばかりに内政から諜報まで何でもこなしてみせる。
こなせなくても実行する。戦場における『献策(しょうめんとつげき)』に誰も何も言わないし言えないのは……まぁ、この場は愛嬌としておこう。
「これは、失礼致しました。では……」
「……して貴様は何があるとみる?」
せっかちな老人はイヴァンの言葉を遮るように食いついた。
バイルが求めたのは、かねてより帝国上層で問題視されていた鉄帝国首都のスラム『モリブデン』で発生する一連の事件に対する情報である。イヴァンが宮殿に召喚されたのはその途中経過を報告する為であった。
おさらいするならば、モリブデンでは現在、軍主導の都市開発計画が進行しており、その方向性自体は軍民問わず大方歓迎されている。だが、多くの場合と同じくこの手の施策には政治と利権が絡んでくるものだ。帝国らしいと言ってしまえばそれまでだが、些か強引な地上げを発端に巻き起こった抗争は徐々に激しさを増している。更にこの所、事態にきな臭さを強めている要因が『人さらい』である。軍の一部がモリブデンの地下闘技場に出入りしているといった噂がまことしやかに流れており、今の所軍部もこれを完全に否定する材料を持てていない。
麗帝やら守護神は相応に人道的な人物だが、興味や得手にその手の話があるかと言えば別だ。
そこで『我等が賢明なる宰相』バイルはイヴァンを通じ、先んじて一件の調査を任せていた訳だ。
「臭いが……」
「うむ?」
「悪臭と言えばいいでしょうが、特有の何かを感じざるを得ません」
そう応えたイヴァンは言わば、クラースナヤ・ズヴェズダーと軍とを繋ぐスパイのような役柄を担っているのである。
「まだるっこしいのう。では問おう。その心は?」
「幾つか――『勘』を裏付ける報告が可能です」
「ほう!」
老人は片目をぎょろりと見開き、イヴァンに続きを促した。
第一に――大司教ヴァルフォロメイが皇帝陛下に謁見を求めていること。
「新年早々、凱旋の祝いに続けて坊主の説教とは、こりゃ愉快痛快山椒の木である!
陛下はさぞ嫌がる事であろうなあ! わしもそれには大賛成じゃ!」
バイルは禿げ上がった額をぴしゃりとやると、大口を開けて笑った。
第二に――一連の事件で軍部に秘密裏にマークされているショッケン将校は、恐らく鉄帝国地下闘技場に眠る『何か』を狙っているのだと考えられるふしが見られたこと。つまりこの場合の問題は『ショッケンが私的にそれを狙っているのか、鉄帝国軍人として公益に叶う目的に根差しているのか』である。
「……真っ当な目的なら隠蔽している事自体が奇妙ですな。
個人的にはあまりいい臭いを感じない、とは先に述べた通りです。
奴めはやはり、個人的に何かの『力』を――」
鉄帝国の領土――時には街中、時には凍土の下――には時折物騒な遺物が眠っている事もある。
そして野心を秘めた鉄帝国の軍人が時折、過ぎた『おいた』をするのも又伝統である。新鮮な驚きは無い。
本件の問題は――
「成る程、成る程! では彼奴めの狙いは、『古代の呪い』であろうな!」
「……は?」
――バイルの明瞭過ぎる結論がとんでもなく物騒な方角に振れた事であった。
眉をひそめたイヴァンにバイルはとんでもない事を語り出した。あの辺り――スラム一帯の地下には帝国の古代文献によれば歯車城『モリブデン』と呼ばれる兵器が眠っているとされているという。
「臭う臭う。お伽話だと思うておもったが――よしんば真実でも『他者の生命を燃料に変えて動く怪物を稼働しようと思う愚か者』がおるとは思っておらなんだ。
呪いに朽ちたガラクタに気を入れようとするならば――はて!」
文献の情報。抗争となる程の強引な地上げ。そして人さらい。人命を喰らうという『モリブデン』。点と点を線で結ぶのならば、この古代兵器に対してショッケンが知られざる何かを掴んだと見るべきではないのか。
眠らせておけば良かっただけの呪いを掘り出そうとするなら、彼は。
「……先んじてショッケン一派を制圧すべきでは?」
「坊主に政治は分からぬか! ショッケンは軍部に食い込んでおる。
どうせ良くて逃げ遂せる、悪ければ暴発するが関の山よ!
彼奴めもおらぬがな、今は陛下も帝都におらぬ」
しばし続いた沈黙を破ったのはバイルであった。
「つまる所、本件は『現時点においては』他言無用のこと。貴様は調査を継続するがいい!」
「ハッ!」
――宮殿に背を向け、イヴァンはスラムへと歩き出す。
ひどく寒い夜だった。
司祭服の襟を寄せ視線を上げると良く見知った少女いるではないか。少女は膝に手を置き、必死に肩で息をしている。
「ラウラ……?」
呼びかけに気付いた少女は顔を上げると、イヴァンの胸に飛び込んだ。
「あそこに行かないで、お願い!」
ああ、きっともうすぐそこ――複雑に絡み合う、運命の歯車は動き出すのだ。
-
「やれやれ……一体全体どうなっていやがる?」
鉄帝国のある聖堂……統一された法衣に身を包んだ者達がいた。
その集団はクラースナヤ・ズヴェズダーという教派に属する面々だ。鉄帝国に存在する『身分や生活水準の平等を掲げる』彼らが拠点ともしている場所で、吐息と共に口火を切ったのは彼らの長――
大司教、ヴァルフォロメイである。
老練な佇まい。教派の聖典を片手に集まった面々へとゆっくりと視線を巡らせ、切り出した会話の内容は……昨今の鉄帝のスラム地帯を中心に進められている『ニュータウン開発計画』の事である。
「最初は只の都市再開発計画という話だった筈だ。国家の内政政策の一つ……都市交通網の見直し、住宅街の再建設。その為にスラムの住人には一度立ち退いてもらう必要がある、と。その為に俺らにも住民への説得協力の依頼があった訳だ」
それはいい、だが。
「実際にはどうだ? 軍主導計画の筈が、どこの者ともしれねぇ輩も現れてスラムの住民に強引な立ち退きを迫っているらしいじゃねェか――この時期の外に放り出されてみろ。幾らこの国の民だからって耐えられねェ者もいようよ」
鉄帝の民は強靭にして精強。それは極寒の大地に鍛えられたが故でもある。
過酷なる地への耐性を得ている者が多いという訳だが……それはあくまで『環境に強い』というだけであって『無敵』という訳ではない。劣悪な環境に長時間いれば死に瀕する者も当然いよう。特にスラムの住人など他に行く所が無い者達ばかりであり――
「俺は。いやクラースナヤ・ズヴェズダーはそんな『追い出し』に加担したつもりはねェぞ」
「……仰る通りです大司教。我々が軍から受けた話と、些か異なる点があるようですな」
ヴァルフォロメイの断ずる言に続いて、言葉を重ねたのはダニイールという男だ。
元帝国の内政官にして現在は教派の一人でもある彼は、軍から打診があったニュータウン開発計画に前向きな意志を示していた。軍はスラム住人達の説得の為、民に寄り添っているクラースナヤ・ズヴェズダーの協力が欲しかったのだろう。
意図は理解できるし開発計画にも確かな効果と意味があるとダニイールは踏んだのだが。
「民の中には不安になっている者も出ている次第です。幸い、と言うべきか……ローレットのイレギュラーズが未然に事態を防いだ件が幾つか確認されており、助かっている者もおります」
「おお、ヴァレーリヤも所属しているローレットだな!
アイツらには本当に助かるもんだ。国内の勢力だと色々としがらみってヤツもあるからな……」
「はい。曲がりなりにも軍の計画である以上、半端な組織では介入を避けますでしょうから」
怪しい動きが確認されている、と言ってもやはり表向きには『軍』の計画だ。
軍に好きで睨まれたい者などそうはいまい。ローレットの様な特殊な立ち位置の者達がいてくれた故にスラムを襲う横暴の幾つかが排除された訳である、が。
「だがよ、当事者の俺らがローレット任せで放置とは筋が通らねぇ。スラムで起こっている件は話を持ち込んだショッケン将軍に確かめないといけないだろう。俺自身が出向いてでも、な」
それはそれ、これはこれだ。
ローレットのおかげで助かった者がいる、だからよし! ――で済ませては根本的な解決にならない。鉄帝に住まう者として、そして開発にも協力と言う形で携わっている長の身として自らも動かねばなるまい。聞いた話によると子供達にまで被害が出ているとか……行方不明者の出る再開発計画など冗談でもない故に。
「しかし……彼は皇帝陛下の遠征に従事しているとか。戻って来るまではなんとも難しいかと」
「あぁ、手紙で片付けられる内容でもねェからな。たしか……年を過ぎてからだったか」
帰還の予定は、と言葉を続けて。
今頃海洋の領域で皇帝ヴェルス自らが親征した――第三次グレイス・ヌレ海戦が繰り広げられている所だろう。勝敗がどうなるか、国内にいるヴァルフォロメイには分からないが……ニュータウン開発計画を持ち込んだ責任者のショッケン将軍も赴いている以上、軍勢が帰還するまでは待つしかないのが現状だ。
「計画の影にちらほらと見える連中の事を、少なくとも存在を把握してないとは言わせねェ」
「対応せよ、と?」
「少なくとも『誠意ある態度』は期待したい所だろ」
クラースナヤ・ズヴェズダーはあくまでも民の為の教団だ。
軍には協力しているのであって、今回の件で配下になっている訳ではない。
民への横暴を見過ごすというのならヴァルフォロメイとしても考えがあり――
「ショッケン将軍の不信を皇帝陛下に直訴申し上げる。
ま、俺も大司教として色々人脈や伝手はあるんでな。将軍が黒なら――俺に任せておけ」
……鉄帝首都で何かが動きを見せています
聖堂会議
-
ゼシュテル鉄帝国とネオフロンティア海洋王国が第三次グレイス・イレ海戦にて戦の黒煙をあげた。これは、その数日前。鉄帝国での出来事である。
帝都自然公園。大きな湖を囲む木々と空。しかしながら、土のならされた歩道は雑草にまみれ広く等間隔に置かれた黄色いベンチはコケとツタと汚れですっかり変色している。
公園の五割ほどはトタンとビニールシートでできたホームレスの共同住処と化し、伸び放題の木々は空をほとんど隠している。
ずっと前の管理者が自然を豊かにだの子供たちの教育がだのと述べて作ったが誰も使わず管理もされず、スラム街の端にめり込むかのようにただ巨大に横たわっていた。
ここはいわば『詭弁のなごり』である。
そんな公園の一角。雨上がりの土道に、ひとつだけの足跡。
足跡の先にあるのは、傾いたベンチ。
ベンチに腰掛け、紙袋から鳩へパン屑をまく女がいた。
白く清らかな僧服の袖から見える黒鋼の手。
彼女の後ろに、黒いレインコートの男が立ち止まった。
「相変わらず弱者に餌をまくのが好きなようだな、『赤き嵐』のアナスタシア」
ピタリと女の……アナスタシアの手が止まる。
「……私をその名で呼ぶな。『目くらまし』のショッケン」
クク、と背後の男は喉を鳴らした。
「意趣返しのつもりか? 私には自虐に聞こえるぞ」
コートの内側。傍目からはわからない程度だが、小さく軍服の襟が、袖からは黒鋼の手が見えていた。
「私は過去の汚れ仕事を受け入れ、この地位まで上り詰めた。今や皇帝から大艦隊を任される将校だ。その点貴様はどうだ? 地位も財産も失い荒れ地で餌をまく毎日だ」
「そんな話をするために呼び出したわけではない」
「だろうな。何年も使われていない秘匿通信ルートだ。よほどのコトなのだろう?」
フードの内側から見下ろすショッケンに、アナスタシアは目を合わせぬまま言った。
「スラムへの攻撃をやめなさい。彼らは人。彼らには尊厳があります。これ以上続けるのなら、皇帝への直訴を行うつもりです」
「無駄だ。皇帝閣下は『暖かい海』をかじるのに夢中でな。こんなゴミためにさく兵員も政治家もない」
「……お前がそう仕向けたんだろう」
「とんでもない。時代の流れだ。ただ、そうだなあ、貴様は昔から政治が下手だったな」
くしゃり、と紙袋が握りつぶされる。
「それに、なんだ。人権? まああるだろうなあ。公園にテントをはるホームレスどもにも、あのひ燃やした村の連中にも」
ショッケンの声のトーンが、わずかに上がった。
口調が早まる。
「『聖女』? 笑わせる。貴様があの日やったことを知ればあの弱者どもはどんな顔をするだろうな」
「――」
ごう、と空気が鳴った。
立ち上がったアナスタシアが人体をへし折らんばかりの手刀をショッケンの首元へと放った音である。
が、その手はショッケンの手によってガチリと受け止められた。
鋼の手がぶつかりこすられ、火花を散らす。
「今でも鮮明に思い出せる。お前が歩けもしない老婆からネックレスを取り上げた腕。泣いてすがる男を蹴って食料庫をあさる様。仕方なかったろうなあ。上官の命令だ。部下の命もかかっている。敵国の村から略奪など、軍人ならばやって当然。特殊部隊ならなおのこと」
目を見開き、笑うショッケン。
目を見開き、にらみつけるアナスタシア。
「話は終わりだ、ブラックハンズの脱落者よ。貴様はせいぜい、この朽ちた公園できれいな詭弁でも述べていろ。私は『ここにあるもの』を手に入れる」
「『ここにあるもの』……? 一体何があると」
「使えないもの、わからないものはないのと同じだ。貴様ら弱者には関係ない。
私もじきに海洋から巨大な戦果をあげて帰ることになる。せいぜい、私にすがって利益を得る方法でも考えるんだな」
アナスタシアの手を振り落とし、歩み去るショッケン。
見下ろすと、湿った土に倒れた紙袋を鳩がつついていた。
……鉄帝首都で何かが動きを見せています
赤き嵐の物語
-
鉄帝国首都スチールグラード。
繁華街の酒場では、賑やかな宴が繰り広げられていた。
大テーブルを占拠しているのは十名程の屈強そうな軍人である。
いずれも派手な軍装を纏っている。鉄帝国軽騎兵の一部隊であろう。
船上でいつ命を落とすとも知れぬ覚悟を抱き、平時は狂乱に明け暮れるのが常という連中だ。
そんな酒場で、大きな帽子が左右に揺れた。
かぶっているのは小さな少女だ。
片手に銅の杯を、もう片手を腰に当てながらぴょこぴょこと歩み出たのである。
「飲んでる?」
「ダース!」
「ほんとに?」
「ダーダダース!」
「飲み足りてる?」
「……ニェット!」
少女――『セイバーマギエル』エヴァンジェリーナ・エルセヴナ・エフシュコヴァ(p3n000124)は満足げに頷くと、卓に銅杯の尻を叩き付けた。
「注文! 追加よ!」
「如何なさいましょう」
少女は懐から取り出した札束を、紙袋ごと店員の手へ叩き付けるように乗せてやる。
「いいっ? もっとじゃんじゃん飲みなさい!?」
「ィエースチ!」
「ハラショー!!」」
「さっすが隊長だぜ!!!」
エヴァンジェリーナはご満悦といった表情で、酒場の奥にある小さな卓へと向かっていった。
「それで、今日は何のご用?」
ぶどうジュースを一舐めし、エヴァンジェリーナは椅子に腰掛けようとする。
腰をぶつけ、グラスを置く。それから座面に手をついてようやくぴょこんと座り込んだ。
ボリスラフは壁掛けの時計見てみない振りをしてやっている。
「何のご用って聞いているじゃない」
「これは失礼しました。それとこれからお話することは、くれぐれもご内密にお願いします」
些か胡乱な言葉を耳にしたエヴァンジェリーナは、自身より階級が高い筈のボリスラフをジト目で睨む。
個人や組織の力関係云々等と云うよりは、単に物腰柔らかなボリスラフと跳ねっ返りのエヴァンジェリーナという性格から来るものであろう。
「めんどくさい話じゃないでしょうね」
「残念ながら、面倒くさい話です」
海洋王国では二十余年ぶりの大号令が発布されたという話だが、鉄帝国を専ら騒がせているのはとある計画である。
スチールグラードのスラムでは、ニュータウンの開発計画が立ち上がっているらしい。
軍主導の計画だが、住人にとっても雇用を生み出し、貧困から脱却するチャンスとなる。
それにスラムを根城とする悪人が問題視されているのも事実だ。
またこの国で信仰を集め、特にスラムで強く信仰されているクラースナヤ・ズヴェズダーと呼ばれる教派もまた、計画そのものには歓迎の意向を示している。
しかし一部では問題も発生していた。
強引な立ち退きを迫るといった問題が多発していると云うのだ。
だが問題は、どうも根が深いらしい。
開発計画に熱を上げる将校ショッケン・ハイドリヒの蠢動。
突如巻き起こったギャングの抗争。
軍のヴァイセンブルグは手配者の男を追っており。
それからスラムでは不穏な動きが起りつつあるとも――
スラムの住人同士、軍内部の派閥、それからクラースナヤ・ズヴェズダーの派閥――様々な思惑が複雑に絡み合っているようだ。
おそらく国家上層部は状況を前々から事態を注視しており、これから手を入れる決断をしたのだろう。
「それで依頼のお話なのですが」
「その話、明日にしない?」
「そういう訳には行かないのです」
ボリスラフは言葉を続ける。
「あくまで闘士による私闘として、イレギュラーズとの共闘を――」
「えっ……?」
「えっ……」
「えっ??????」
「えっ」
「乗ったわ!」
即断即決したエヴァンジェリーナは輝かんばかりに瞳を潤ませ、満面の笑みで飛び跳ねた。
ボリスラフは――年端も行かぬ少女の武威に頼らねばならぬ事へ、心の内で聖句を紡いだ。
※鉄帝国帝都スチールグラードのスラムで異変が起っています。
※海洋王国が二十二年ぶりの大号令に沸き返っています。
White Sleigh
-
軍事国家、ゼシュテル鉄帝国。
生きるに厳しい大陸北部を領土とするこの国は、常に領土と資源の問題に悩まされていた。
そんな鉄帝にとって、海洋資源が豊富で暖かい気候に包まれているかの国の風土は非常に魅力的であった。
「フン……軍議会の連中め、そろいもそろって腰抜けになったか」
鉄帝首都。闘技場へ続く大通りの一角。
時には軍のパレードも開かれるこの通りにある黒いベンチに腰掛けて、軍服の男は息をついた。
買った新聞を広げれば、『練達で連続猟奇事件』や『幻想に新世界ありや?』や『海洋王国の大号令! 国民は外洋へついに進出か!?』といった記事が踊っている。
中でも特に大きいのが、ネオフロンティア海洋王国の記事だった。
「海洋の稚魚どもが『大号令』なんぞを発令したというのに、まだ軍を動かさんとは。
奴らが力をつければ資源を獲得するチャンスを失うかもしれんのだぞ」
「ヒヒヒ旦那ァ、そりゃあ無理ってもんさ。下手に動きゃあラサと天義がここぞとばかりに侵略してくる。軍事国家ってのは、突っ張るのをやめたら終わりなんだろう?」
独り言をぶつやく男の『すぐ隣』で、いかがわしい雑誌を広げた商人風の男が引きつるように笑った。
お互い手にしたものを読みあさるフリをしながら、独り言のように話し始める。
「ハイエナか。例の情報は手に入ったんだろうな」
「そりゃあもう。アンタのご指名とあらば何だって手に入れてみせるさ。ショッケン将軍殿?」
一枚のなにげない茶封筒を脇に置くハイエナ。
ショッケンもまた、全く同じ茶封筒を脇においた。
二人はそれを、あたかも取り間違えたかのようにスッと自らの懐へと入れる。
「海洋王国海軍が動き出した。その海域にいけば『名ばかり艦隊』に遭遇できるはずだぜ」
「数は」
「名ばかりって言ったろう? せいぜい二隻。それも戦いなれてない連中さ。奴らを派手に血祭りに上げればアンタが推進するあの……」
「喋りすぎだ」
新聞をたたみ、席を立つショッケン。
「貴様は闇商人らしく小銭を稼いでいればいい。国政に口を出すな」
「へいへい、怖いねえ」
ショッケンが立ち去った後で、ハイエナは封筒の中に入った多額の金に顔をゆがめた。
「所詮この世は無間地獄。どうあがいたって、醜くくたばるだけだってのによ」
――鉄帝に怪しい動きがあるようです
我が世誰ぞ、常ならむ
-
「「K・O・N・G! K・O・N・G!」」
歓声と拍手が地鳴りのごとく響くここは鉄帝の中心ともいうべき大闘技場ラド・バウ。
今日も有名選手のファイトを見物しに多くの観客たちが座席を埋めていた。
そんな中……。
「ハァーァ……今日もパルスちゃんは最高だったのだわ。帰りにTシャツ買って帰ろうかしら」
つやつやした顔で通路をゆくアーデルハイト・フォン・ツェッペリンの姿があった。
ゼシュテル生まれの闘技場育ち。ファイター好きは大体友達。齢13歳にしてなかなかの顔の広さをもつ彼女は、ラド・バウのような有名闘技場のファイターのみならず、その関係者や裏闘技場のファイターにも精通していた。
その例として……。
「ああっ! あれはアリス・メイル!? 名工にして名ファイター! 石版サインをもらわない手はないのだわ! サインくださーーーい!」
「おや? ツェッペリンのお嬢ちゃんか。もう何回もサインしたのに、飽きねぇなあ」
石版とノミを持って駆け寄るアーデルハイトに気づいて、アリスは手に持っていたコーラカップのストローから口をはなした。
そして受け取った石版にノミで素早く名前を刻み込んでいく。
と、そんなとき。
「――ハッ!? そこにいるのはもしかして、ウサミ・ラビットイヤー!? 地下闘技場のファイターとこんなところで会えるなんて!? 今日はラッキーなのだわ!」
「ひぇ!?」
後ろをそーっと通り抜けようとしていたウサミ・ラビットイヤー(リングネーム)は半分寝かせていたウサギ耳をピンとたてて振り返った。
「ば……ばれてしまっては仕方ないぴょん? いかにもワタシは――」
ウサミは得意のポーズをとってみせた。
「文字通りの地下アイドル、歌って殴れるウサミミアイドル、ウサミだぴょん!」
もう何百回やったかわからない熟達した名乗り文句に、アリスは『おや?』と振り返った。
「なんだ地下ファイター、とうとう表の闘技場でやる気になったか?」
「いやいやまさかアハハ、ちょっと様子を見に来ただけですよ。……ですぴょん!」
アリスの圧に若干おされ気味だったウサミだが、すぐに調子を取り戻してキャラを維持してみせる。
「最近。首都に新しい闘技場ができるって聞いたぴょんよ! 建設予定地がちょっと馴染みのある土地だからそのー……」
あまり話すべきことではないと考えたのか、ウサミは途中でもごもごと口を抑えた。
その様子に苦笑するアリス。
一方でアーデルハイトは『ウサミさんサインくださいなのだわ!』といって石版を突き出していた。
そんな様子を、VIP席からなにとはなく眺めるけむくじゃらの男、かつての大スターであり『閃電』の異名を持った元ラド・バウファイター、バルド=レームである。
彼の隣には軍帽で顔を隠した男が一人。
「協力してはくれませんかな? 剣聖『閃電』殿の名声があればスラムの連中も多少は言うことを聞くでしょう」
「その『連中』というのをやめろ。彼らも立派な鉄帝国民だ」
「おっと失礼」
隣の男は嫌味っぽく笑うと、封筒をバルドの前に置いた。
「考えておいてくださいよ。スラムの土地開発は国益にかなう。雇用も生まれ犯罪も減り経済も回ってみんなシアワセになれますぞ?」
「フン……どうだかな」
バルドは封筒を男に突き返すと、きゅらきゅらとキャタピラ義足を動かしてVIP観戦ルームを出ていった。
――鉄帝で都市開発計画が持ち上がっているようです……。
闘技場は今日も揺れる
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「ふーむ……他国の動きも面妖な事になっているようだな」
鉄帝。その首都スチールグラードの一角にて新聞を片手に持つはマカールという人物だ。
かの国で身分や生活水準の平等を掲げる教派『クラースナヤ・ズヴェズダー』に属する彼は『イオニアスの乱壊滅! 果ての迷宮に異世界が!?』と書かれた主に幻想で発刊されている幻想タイムズの新聞を一つ。
これは先日幻想のローレットのとある情報屋の元に侵入……もとい押しかけ……もとい訪ねて強引に排除された際のついでに手に入れて来たモノだ。彼は教派に属する司祭の一人として鉄帝の各地を巡る事があり、もののついでに他国に足を踏み入れる事もあるにはある。
先日もラサ側の国境付近で聞いた話では魔種に対する大規模な動きがあったとか。
「しかし幻想の乱もラサでの事件も解決に向かっているとか!
ハッハッハこれは良い事だ――」
彼は鉄帝の人間ではあるが、どこの国・民であろうと混乱が落ち着くならば良い事だ。
そう、良い事であるからこそ。
「……我々ももう少しばかり踏ん張らねばならないな」
最近は鉄帝でも色々面倒な事がある故にとマカールは思考する。
鉄帝は混沌の中でも北に位置する国家であり、厳しい気候の中にある。その環境の中で培われた肉体の強靭さは世界的に有名であるが――同時に極寒であるからこそ伸びない経済の脆弱性は長年の問題でもある。
貧富の差は必然としてスラム街を形成し……そして最近そのスラム街ではある『動き』があって。
「――こんな所にいたのか、マカール。『話し合い』に行くぞ」
「おおダニイール殿。なんと……もうそんな時間ですか」
その時、マカールの前に表れたのは同じくクラースナヤ・ズヴェズダーの一員、ダニイールという人物だ。新聞を畳み、マカールは立ち上がって。
「今日もまたスラムの一角をなんとか説き伏せよう。
場合によってはアナスタシアの小娘が出張ってくるかもしれんが……」
「『革命派』とのゴタゴタは、なんとも勘弁してほしいものですな。我々は本質的に同志・同胞であり、ただ些か……信義の違いがあるにすぎない。そもそもアナスタシア殿とも全く知らん仲ではないもので」
「無論分かってはいるが――それはあちらの出方次第だろうな」
クラースナヤ・ズヴェズダーには二つの派閥がある。
大多数を占め、帝国と上手く付き合いつつ可能な範囲で理想を実現しようとする『帝政派』――マカールやダニイールがこちらに属しており。もう一つは少数派で、帝政を転覆させて国の実権を握る事で理想を実現しようとする『革命派』と呼ばれる集団だ。
彼らは今、スラムを中心にある活動に取り組んでいる真っ最中で――
「これも多くの貧しき民を救う為。この地域から一度、平和的に彼らには立ち退いてもらわねばな……」
鉄帝国でクラースナヤ・ズヴェズダーという組織に動きがあるようです……?
クラースナヤ・ズヴェズダー
用語解説
- ニュータウン開発計画
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首都に広がるスラム住民を立ち退かせ、新闘技場をはじめとする様々な施設を建設することで正常化をはかる軍主導の都市開発計画です。
クラースナヤ・ズヴェズダー帝政派はこの計画によってスラム住民に雇用が生まれ福祉も整い生活が良くなると信じていますが、悪徳軍人ショッケンや悪徳商人ハイエナたちによってことごとく悪用されてしまいました。
ショッケンたちはスラム住民の家を破壊したりモンスターを放ったりなどとても悪辣な方法で立ち退きを行なっています。
ですがスラムが問題視されているのも事実で、暴力的な悪人たちがスラムの一部を根城にしているケースも少なくありません。
- クラースナヤ・ズヴェズダー
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鉄帝の人民平等化思想のもと弱者救済をめざす宗教団体です。
彼らの目指すゴールは同じですが、政治を中から変えるべきだと考える『帝政派』と、国を転覆解体し再構築すべきと考える『革命派』で派閥が分かれています。
なので今回の件では帝政派は軍に、革命派はスラムに味方しています。ですが彼ら自身は互いに対立するつもりはなく、あくまで善意で動いています。
『帝政派』代表は司教ヴァルフォロメイ。『革命派』代表は聖女アナスタシアにあたります。
- 血潮の儀
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黒幕たちが求めていると思われる古代兵器起動のための儀式。
集めた子供たちを虐殺し、多くの血と涙を流させることで完了するというが……。
- 古代兵器『???』
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謎の古代兵器。モリブデンにあると言われているが……?
登場人物
- 『聖女』アナスタシア
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クラースナヤ・ズヴェズダーの司教。
革命派の筆頭であり、スラム街モリブデンに拠点を構え弱者の救済をはかっている。
スラム都市開発や拉致・暴行事件を察知し、『特別な同志』のいるローレットへ教団をあげて助けを求めた。
実直で真面目でカリスマもあり、多くの同志や民に慕われている。
が、彼女には黒い噂もあるようで……
イラストレーター:イツクシ
- ショッケン
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鉄帝軍の将校。裏工作に長け、暗躍の得意な鉄帝人。
グレイス・イレ海戦の口実を作ったりモリブデンの地下に眠る古代兵器を狙ったりと今回の裏で動いている。
かつてブラックハンズという特殊部隊に所属しており、当時アナスタシアとは過去に因縁があるらしい。
イラストレーター:降矢 青
- 『大司教』ヴァルフォロメイ
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クラースナヤ・ズヴェズダーを統べる大司教。
教団の徒はみな自分の子のように慕っている。
豪快な人柄であり、教徒以外からも多くの人々に広く愛されている。
教団はあくまで国家帝政を輔佐する車輪の一つであるとの立場を崩さず、時には教会の蓄えを切り崩し、窮地に陥った軍を援助する事すらしたという。
しかし、それは鉄帝国がゼシュテルを治めるに足る力を持っていると、鉄帝国の存続が人々の生活に利益をもたらすと判断したからに過ぎない。
彼の胸にあるのは貧者の救済を第一とする教派の理想であり、ゼシュテル鉄帝国よ永久にあれと願う忠誠心はない。
イラストレーター:萬吉
- 『帝政派の司教』ダニイール
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クラースナヤ・ズヴェズダーの司教。
帝政派の筆頭であり、元は鉄帝国の内政官だった経験を活かし、集めた寄付金を元手に湿地を開拓したり職業訓練学校を設置したりして、貧民の生活基盤を作る政策に重点を置いている。
裏を返せば、働けない老人や病気の者、戦争で不具となった者を見捨てる政策だが、鉄帝国の経済力を考えれば仕方ないと考えている。
アナスタシアとは頻繁に口論している。
イラストレーター:naporitan
- ボリスラフ
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密かに革命派に協力する鉄帝国の軍人。
真面目で義理堅く、温和な性格。
思想的には帝政派だが、かつては『聖女』アナスタシアの部下であり、命を救ってくれた事に恩義を感じており、彼女の剣となる事を誓っている。
皇帝に仕える軍人である立場上、表立って支援できないものの、かつてアナスタシアの部下であった仲間と共に、非番の時に彼女の炊き出しへの協力や警護を行っている。
イラストレーター:ねこのこねこのこ
- ヒューゴ・ライト(オリヴァー・ブライト)
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ヒューゴ・ライトというペンネーム以外の全てが謎に包まれている作家。主にホラー小説を手掛けており、どの国においても一定の知名度と人気を獲得している。
彼、あるいは彼女の知名度と人気を後押ししているのは「魔本」の都市伝説である。
『新世界』という組織に所属しており、メンバーのことを同志だと認識している。
今回の事件に直接は関与していないが、モリブデンを狙う地上げ屋たちが彼の『魔本』を持っていた。
イラストレーター:柿坂八鹿
- 『セイバーマギエル』エヴァンジェリーナ・エルセヴナ・エフシュコヴァ(p3n000124)
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イレギュラーズに憧れる鉄帝軍人にしてラドバウ闘士(事件現在D級)。
モリブデンで発生した悪質な地上げ騒動を察知し、イレギュラーズとともに個人的に介入を始めた。
イラストレーター:pes
- 『野生開放』コンバルグ・コング
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ラド・バウA級闘士。パワーは無敵で頭脳はカラッポのゴリラファイター。
闘技以外に興味は無いが、イレギュラーズに興味を持ちイベント仕事などを受けはじめている。
イベントのさなかおこった古代兵器がらみの誘拐事件にイレギュラーズとともに解決に乗り出す。
イラストレーター:柿坂八鹿
- ミハイロ・アウロフ
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鉄帝で指名手配されているテロリスト。罪状は要人暗殺。
元々は鉄帝内の良家の子息だったが、殺された恋人の敵討ちの為に最後には殺人にまで手を染めてしまったという。
スラム地帯へ身を隠しており、元来は優しく真面目な性質を持つが、反面不条理を許せぬ面を持ち、今回の事件で地上げ屋達と敵対。
『力こそ全て』を歪んだ形で実行する彼らの行動をこそが許せなかったとのこと。
イラストレーター:sima
- レオンハルト・フォン・ヴァイセンブルグ
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ハイデマリーの父にして鉄帝軍人。
モリブデン再開発計画にあやしい気配を察知し個人的介入を開始。
ローレットの力を借りてスラム街へと乗り出す。
調査の中で指名手配犯ミハイロの潜伏情報を見つけ……。
イラストレーター:たぢまよしかづ
- 【鎖兎】ウサミ・ラビットイヤー
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モリブデン地下闘技場のファイター、ウサミ・ラビットイヤー(リングネーム)。
強くてかわいいファイター兼アイドルを目指して日夜チェーンデスマッチに挑む。
ファンの子供たちが誘拐されたことでローレットとともに事件解決に乗り出し、なんやかんやあって見事ファンを増やした。
イラストレーター:猫月ユキ