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ギルドスレッド

unknown

博物館の恐怖

テネブラエ
アナタは戸口を開けた。
其処に羅列するのは『像』で在った。
病的な雰囲気に塗れた『像』には。

動くような気配。

我が作業場は客だけを歓迎する。

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感染か。しばしじっくり考えてみやう。私が知る恐怖の大王は姿形を持った者だったが超常存在だった。もっと思考を殺して解脱すべきか。
「終幕に到った物語の旅人か。我が物語の場合は終幕が開幕とも思考可能で在る。数多の上位存在が我等を綴り描き、死せる死の如く筆を繰るのだ。到達すべき結論は『我が存在』の所以よ。幾多の理が混沌に爛れ、己と己を冒した貌だと解る筈。伝授すべきは人間の肉の味わい方と説き、奇怪な人型の嘲笑と解く。何。我が三日月を暴きたいのか。発くのは食屍鬼で充分だと思え。想うならば南極の山脈で留めるべきだ――思考も嗜好も至高に維持するが好い。殺すよりも絞めるのだ。搾るのだ。凝縮された物異『物事』を薄め、万人を勧めるのだ。胎蔵曼五佛巡りには早すぎる。埋葬されるのは良いが!」
画が来たぞ!さあオラボナ!狂気と恐怖をぶち込むのだ!
芸術とはやはり素晴らしいね。(辺りを見回しながら)
おっとそろそろ皆の姿絵が見られるのかな?
楽しみだねえ。
「成程。画。我が輪郭を描写する術。問題なのは金銭だ。我は酷く貧しい故、時も思考も要だと思考すべき。諸々の準備が不足。難いものだ」
(好奇心に惹かれてやって来た骸骨)
芸術か。表現するという方法には、像や画に敢えて欠落した部位を造り、
人の想像性により創造させる技法が存在する。
例えるならミロのヴィーナスの神秘性…人の想像が創り出した芸術。
形は違えども恐怖の想像の創造は可能か?
「形は如何物でも『真の恐怖』には至れず。到る可能性は『個々的恐怖』だ。普遍の域に達せず、十人十色を要だと成した、為される中途半端。心の芯で震動する『未知への渇望』こそが得るべき宝よ。箱の中身は不明だが!」
箱の中身が何なのか、未知なる物に手を伸ばさずには 探求せずには居られない。人間は何時だって愚かでだからこそ面白い生き物。そう思わないかい?
未知が探求心をくすぐるのは同意だが、その箱が未知の恐怖であるならば衆人はマンネリを好み、変化を嫌う。人間が愚かであるならば当然自分自身も含まれている。生きるために必要ではない生物の殺害、暮らしを豊かにする為文明水準を上げ環境を破壊する。確かに愚かだ。
危ない生物だから殺す、可哀想だから保護する。それはある意味人間の勝手なエゴだね。
だが人間はある意味弱者だ。弱いからこそ狡猾で知恵が回る。知恵があるから力を持つ事ができる、故に強者に立ち向かう勇気がある。知恵、力、勇気を兼ね備える。それは人間にのみ許された特権だと私は思う。だからこそ面白い。道理ではある。
普遍的な恐怖の代表例には死の恐怖が存在する。万人が飽きた恐怖だとオラボナ君は説いたな。では何故死が恐怖されるのだろうか…?未知の恐怖だから?それもあるかもしれない。
だがどちらかというと死への恐怖は怯え、臆病心から来るものだ。
ならば真の恐怖とは潜在的な物、突き詰めれば心に刻まれた恐怖の遺伝子に起因するものではないだろうか?心という臓器は心臓や脳ではない。だが他の臓器が遺伝子によってあるべき形に造られているのに心だけが特権的に自由であることなどありえない。親兄弟と思考や性格が似ると言うのも心も遺伝しているからだ。ならばどうしても中途半端な恐怖になってしまう。
未知とは無知ではない。つまり既知も含まれている。ある程度は認知度がなければ恐怖と成りえない。難しい所だの。
「未知とは何か。既知が存在するが故に発生する、精神的な理だ。貴様の言葉は正しく『恐怖』を語るに相応。されど貴様に――我の憶測だが――死の恐怖に耐え切れず、骨と化した貴様に問う。普遍的かつ代表的な恐怖からの脱出。否。今現在も蝕まれるべき『恐怖』を如何に想う。我は思うのだ。死は既知の代表格だと思考するのだ。故に『安らか』だと表現可能――心。親兄弟の思考や認識か。素晴らしい! 某書物を想起させる。胎児の夢が如く、我等の心は繋がって在るのだ。胎児は歴史を。人間の積み重ねた愚行を。愚考を夢に視る。故に我等は既知に怯む。怯んでしまう。真に潜む恐怖を忘れ、過去の恐怖に縋り付く。好いか。骨。真なる恐怖とは『人間』以外の生命体にも伝染する。未知なる恐怖とは根源への逆行を意味する。彫像とは知識だ。知的生命体が多様性を歪ませる、唯一の方法だ。有象無象が等しく狂い。有象無象が等しく嗤い。有象無象が等しく融ける!」
私は確かに死に恐怖した。愛する者を失った事と知識を失う事を懸念して死者蘇生と不老不死を求めた。それは忘却、喪失感だろうか?死を想うが故にタナトフォビアに陥った私はきっと狂っていた…だから平気で大切な部下230名を実験素材にした。死と老いは事情がよく似ている。不死になったとしても死の恐怖を克服したわけではない。死に立ち向かったと世間は言うが、そうではない死から逃げたのだ。それは死というものの理解が乏しかったからだ。
私は研究を重ねるにつれ死は魂に密接すると考えた。そして世のシステムを見つけることで輪廻転生の答えに至った。死は終わりではなく通過点でしかなかったのだ。死は次の生への旅立ちである故に私は死に殺意、憎悪を抱いた。だからこそ私は正常を保ちながら狂っている。
人間以外の生命体に恐怖が伝染するならば神にも伝染するのだろうか?
だとしたら、例え神でも死ぬのは怖いか?と私は問いたい。
おお、大魔道とオラボナが論じている。(大迫力)
「死が魂に――恐怖の宿る、非物質の塊――密接するのは不偏なる理だ。魂を有する存在ならば『恐怖』を抱擁し、己の脆弱性に蝕まれる筈だ。観よ。神こそが真に恐怖を。死を越えた恐怖に満ちて在る。人間の想像で創造された、歪なる輪郭は『消滅』の二文字に震えるのだ。勿論、我が説くと『神・恐怖』は別。此度。恐怖に脅える神とは『普遍』に束縛された、民の脳髄に在り。神は時に殺される。神は人間に殺される。物語の『死』だ。物語も時に融けて逝く。ああ。我も物語の一部。無辜の世界に導かれたが、真に到るべき道が在る。最悪なる結末とは『忘却の彼方』に!」
人間に創造された神はやはり何処か人間に似ている…か。それはやはり神を創造した人間の心が物語を通じて遺伝するからだ。人型として普遍的な神が形作られているのも其処に理由がある。ならば真の恐怖と説く『神・恐怖』を表現するにはどうする?人間は見たいものだけしか見えないように脳にフィルターが掛かっている。言わば倫理的ノイズ。人間の丸焼きの写真を見ようが内蔵がぶちまけられた写真を見ようが綺麗に脱臭されていて全く胸糞悪くならないからとても胸糞悪い。忘却は心を正常に保つ為の自己治癒能力だ。だからこそ人間は困難に立ち向かう事が出来る。忘却を防ぐには欲がなくてはならない。なればこそ言葉を紡げば人間も欲が出るだろう。耳にはまぶたがない。言葉があるなら心があり、其処に魂が存在する。魂の宿る物質化された言葉を聴かせれば物語はそれを保って永遠の命に至るはずだ。
「言葉は心に在り。心に魂が宿り。物質化した言葉――成程。物語とは魂に保存される。ならば我が芸術に視点を変え『神・恐怖』を応えよう。不可能だ! 真に神を造る事など不可能なのだ。自己治癒能力は『耳朶』にも影響を与える。好いか。貴様の魂云々は理解した。されど我には暴けぬ術。例え。物語が永遠の命に至れど、至った法は破滅する。骨が朽ちる。さて。人間と呼ぶべき物体が永劫に存ずるとは想えぬ! 無限なる虹色にも終は在るのだ」
神を造る事が不可能ならば、神を表現する事をそこで諦めるのか?『耳にまぶたがない』とは眼で見ないことは出来ても耳で聴かない事は出来ないという意味だ。耳朶に脳でフィルターが掛かるとは思わん。脳で補完する事はあるだろうがの。
永遠の持続は物語にも人間にも約束されてはいないなら、意思に継がせるしかない。
意思とは魂にも直結する。魂の源は意思の重さ、思考の重さ、思いの強さだ。心に魂が宿るから、逆説的に魂が在れば心がある。心の臓器に意思を継がせるならば『神・恐怖』への敵対心を持てば永遠が持続する。敵対心は恐怖、怯えを齎す。そしてそれは親から子へ語り継がれる。これが私の思考する法だ。
「人間とは何れ消滅する物体だ。貴様の論は『超常』の話に過ぎぬ。超常程度で永遠が発生するとは解き難い。良いか。耳朶も瞼も『阻まれる』原因だ。脳の保管以前に『人間』とは『偽り』で活きる生命体だ。思考とは個々の『経験』で在り、普遍的な『歴史』で在る。総ての『神』は過去で成る。真の恐怖=神を表現する事を諦めるだと。貴様。殺すぞ。如何なる存在でも『一』なのだ。糞が――敵対心を抱かれた神など。神に在らず。其処等の獣だ。恐怖が『反撥』を孕む時点で『深』とは解せぬ。本当に。貴様の如く。血肉が無い」
殺すなどと出来ない事を発言すべきではない。恥をかくだけだ。しかし私の神への理解度はどうやら足りていないらしい。耳朶は言葉を阻む、偽りは思い込み、ここまでは理解出来る。だが、思考は個々の経験だと?思考は言葉に先行するのだぞ!言葉があるから心がある。そして心は遺伝すると私は言ったぞ?ならば思考も遺伝するはずなのだ。個々ではない。受け継がれるものなのだ!だが『一』とは何だ?自分自身か?神への敵対心を持つのは宗教戦争ではよくある話だが、恐怖を神とするものには該当しなかったな。そこは間違いか。では真の恐怖を永続させるにはどの様な方法を取るべきか…表現が不可能ならば絵画や像ではいけない。言葉は超常の話。方法はあるのだろうか?
「其処だ。其処が問題なのだ。我自身の『物語』に依存するのだ。絵画。彫像。我の『造るべき神』など在り得ぬもの。貴様を『殺す』事が不可能な如く、我に『彫像で神を造る』事は出来ぬ。此処で問題だ。否。戯れだ。我は何故『彫像』に拘る――答えは『根源』に在り。良いか。我は物語の欠片なのだ。物語の一部。全体とは『規則』『既知』に束縛される。我の場合は『彫像』だ。彫像に囚われ。彫像に魅了され。己を動かさねば――神を造るのだ! 恐怖を成すのだ! 其処には何も無い!」
システムに縛られる。まるで監視されているかの様だの。
彫像を造るのがオラボナ君の魂に刻まれた遺伝子という事か?
……待て、何故自らが物語の一部だと気づいた?登場人物は作者を認知できないはずだ。
上位存在と会ったとでも言うのか?
「我は存在『物語』の全頁。オラボナたる『貌』故に。我こそが物語なのだ」
「皆の画が増え始めた。我は彫像専門故、奇特な輩は願い給え」
「祝福を成すべきだ。感情の一たる『歓び』を為すべきだ。貴様の美貌に大いなる幸在れ。強烈な恐怖在れ。神に繋がる人間どもの、愛なる想像を!」
「喜怒哀楽を貌に成す。良質な事柄だ。我が無貌では表現し難い『感情』も在る。有るのは常に嘲りの業。罪にも値する傲慢の悦。彫像とは固定された物だ。固定された者が創造するに相応よ。問題なのは貴様の画だ。如何にも。想像とは真逆で在ったらしい」
ありがとう、オラボナ。
なに、私にはもう一つ形態がある。そっちが画無しのときに動いていた姿なのだが、まあこちらが先だったので、こちらをとっているに過ぎない。色々街角で乙女だの言われているがな。
「成程。姿形に意味は有るが、内部の意味こそが真なる在り方。乙女でも何でも『容れた』ものが重要だ。彫像も人間も込めた『感情』などで変化する。宝は人間の脳髄で蠢く。何。我は如何したのか。問題は束縛だと思考すべき。違う混沌に金を注ぐのだ」
 自身で作成した半端物――電気椅子だ。稀に奇怪不可解な音を垂れ流し、座した存在へ訴え――に腰を下ろす。酷く暇だ。正しく『無聊』の一言が相応しい。影は空々と虚を仰ぎ、三日月の赤を歪ませた。如何にも。此処だけが現状『落ち着く』で、他所を活動の機会とは思えず。取り敢えず。神を造る為の道具を清潔に。
中身は、男女どちらにも為れる性質上、私は私だとしか言えぬな。
愛という感情を解せんが、それを知りたくは思っている。理由は非常に俗なのだが、元の世界で愛に敗れたからだな。
だが、第三者の目線に立たねば、愛だと理解できないのかもしれないと最近思う。

恋は美しいが、当事者になってしまえば恋せぬ昔が恋しくなる。
世の中は暑苦しい。正義だの、自由だの、友情だの、俯瞰してみれば、きっと美しいのだろう。
当事者にとってみれば、トラブルや情の真っ只中で、これが愛だ。これが友情だ、といった美しさを感じる余裕があるのか疑問を覚える。
雨の中、傘もささず、マイフェアレディを待ち続ける紳士を、第三者の目から見れば、哀愁だの愛の美を見いだせるだろう。しかし当事者からすれば美を感ずる余裕などない。

愛はあるのかもしれない。
これが愛と理解できていないのかもしれんが。
こういう場は一種の瞑想のように、世間を見つめ直す場としてみる。
「成程。他者の視点では良質な美『餌』だが、本人の双眸には『苦』と映る。貴様の言葉は至極真っ当で在り、一種の真実を綴る理だ。恐怖も娯楽に堕ちて往き、戻る気配を忘れて果てた。我が物語も被害物の個だ。陳腐と歓喜を含ませた、御大の所業だと思考可能よ。重要なのは外の眼。宙に浮いた有象無象の眼だと理解するのだ。某魔導書にも記載された『白い蜘蛛』を貪るが如く、遠方を見据える『第二』の感覚を!」
(賽子を振る)
芭蕉という男は、馬小屋で馬が枕元で尿をする様すら美として詩作をした。
美とはむつかしい
46
「普遍的かつ普遍的な神を造る予定の『我』には痛い言葉だ。故に感情は愉快な貌を晒す。人間こそが美の塊よ。宿命と偶然が骰子を投げ、遊戯を始めた。神々は夢の中で現を育み、時の牙に殺される。終焉とは時の捕食で成る。我等は物語。時と神々の物語に融ける」
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オラボナは画おめでとう!!!
思ったよりスタイリッシュだった!!!!!!!!!!!!
私の勝手なイメージでは、髪のシルエットもなく、丸い頭部と滑らかな肩から下が曖昧な感じだった
「良好。我は至極満足だ。物語の外側に任せた結果、想像以上の肉体を入手した。取り敢えず。己の輪郭を更に歪ませ、新たなる作品を成さねば。ああ。貴様の思考は想定内だが、此度の嗜好には万々歳。捗る。滾る。膨らむ。抉る。さぁさ。手先を揮うべく」
 この異世界にやってきたとき、得物はもっていなかった。
 着衣以外は手ぶら。このため、初期装備探しを熱心に行っていた。
 金属が苦手が故に、石工、木工、骨工が中心である。欲しいものが売っていないのだから自分で作るしかないのだ。
「こんなものだな。金属ほど文明的ではなく、棍棒ほど非文明的ではない」
 木工と骨工は別所で行っているが、石工は道具が揃うこの場を利用させて貰っていた。
 創意工夫と少しの書物の知恵から、卑鉱石材という卑金属成分を含む半合金石材を、手前で拵え、ごりごり、と武器のようなものを削り出した。
 峰に相当する部分が鋸状になっている鉈だ。鋸鉈だ。猟奇的である。
 石工道具をオラボナから借りていること、そして恐怖が吸う息吐く息に宿るこの場の空気によって、魔性が宿っているのかもしれない。
 対象の手元を確認する。殺傷能力高だと思考可能な物体が、鈍い光を纏って在った。芸術家――自己判断すべき。影は己を作と名乗る――は常なる『嗤』に『笑』を重ね、嬉々快々と傍観する。周囲の『作品』が僅かに蠢き、死の臭いに反応する。勿論、気のせい。たぶん。おそらく……取り敢えず。神を。恐怖を渇望する影は『ランラン』と音を漏らし。
 数十分後。言葉を発す。
「好いな。半端物でも。原始的な恐怖『死』に繋がった」
「星を仰ぎながら芸術を為す。海を嗤いながら芸術を成す。我は半端な芸術に留まった、至極滑稽な存在だが『奇妙』には到る。蛸とも烏賊とも言い難い如何物が生じ、酷く既知的な『もの』が蠢いて在る。残念だ。真に残念だ。我等の恐怖は不変的でも普遍的でも無く、個人の領域に収まって融ける。日々精進せねば。我が精神が活動を欲して沸くのだ」
ひゅー! ねじねじしてわちゃわちゃなみょうちきりんがぞろぞろですっ!
ヨハナはわかりますよっ! こーゆーの、前衛芸術っていうんですよねっ!
ヨハナはアートは全然わからないから何を伝えたいのか全くわかりませんけどもっ
迫力っ?がすごく、ガガガガーって感じますよっ!
ガオーッ!というよりもウヲォーッ!な感じですねっ!
(酷く頭の悪そうな言葉の群)(空気を読めなさそうな女がきゃいきゃいと騒ぐ)
「初対面の輩に挨拶を。我等『物語』はオラボナ。オラボナ=ヒールド=テゴス。ラーン=テゴスと呼んでも構わぬ。何だ。半端物に興味を抱くとは稀な存在。我等『物語』が造るべき神。感情。恐怖とは真逆の性質だが、貫き通せば『神に似る』筈だ」
なんということでしょうっ御丁寧にも挨拶と自己紹介を頂いてしまいましたっ!
やっぱりこの時勢の方々は素晴らしく親切なんですねっ! こんばんわっお邪魔してますっ!
ヨハナはヨハナ・ゲールマン・ハラタと言いますっ! じゅうななさいですっ!

なぁるほどなるほどっ これはオラボナさんの神様の像なんですねっ!
すごいですねっすごいですよっ! なにがすごいかはよくわかりませんがっ!
とにかくこのウヲォーな感じがすごいですよねっ ヨハナではとても作れませんものっ!
「違う。違うぞ。神など存在しない。世間一般が説く神など糞尿の溜まりに棄て嗤って終え。感情。人間の感情こそが神に成り得る、唯一の理なのだ。持論だが。更に。人類の恐怖こそが普遍に『神』だと解くべき真。理解し難いもの。ああ。我等『物語』の半端も悪くないか!」
とってもポエットっ 圧倒的ポエット力があふれるっ!
要約するとヨハナのウヲォーッ!ヲボァゥーッ!な感じが神様なんですねっ!
そうなんでしょうかっ?
「コズミック! カオス! ホラー――――! な感じだ。嘘だ」
 沈黙。冷気じみた間。
 芸術家は背を向け、自己の『作品』に精神を傾ける。
 綺麗に保たれた道具を携え、嘲るように。
 神造りを開始して――甲高い音。
 続けて。沸騰する音。
 更に。破裂する音。
 次は。啜る音。
 後。闃を成せ――成したい。
おぉー・・・・おぉー・・・・・・おぉー・・・・・・・・!?
(感嘆しているのか驚いているのかよくわからない間延びしたおぉーを発する)
これはまるで粘土細工っ それとも沸騰するゲル細工っ?
もしかしてこれ、石とかじゃなくって石以外のよくわかんない材料でできてるんでしょうかっ。

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