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ギルドスレッド

unknown

博物館の恐怖

テネブラエ
アナタは戸口を開けた。
其処に羅列するのは『像』で在った。
病的な雰囲気に塗れた『像』には。

動くような気配。

我が作業場は客だけを歓迎する。

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人の分子から生まれた以上、人とのつながりを断てないと見えるな。超常なる者よ。
どれ、世界一有名な予言、Angolmoisの分子が一夜借りよう。恐怖の大王と夜を明かすのも一興だ。
誰が超常存在だ。我は有象無象の一人間。如何なる輩でも変換不可能。
あ、あのー。誰かいるのかな。(恐る恐る顔を覗かせたのは子供の頭)
(磨く。融かす。整える。歪ませる。熱が放出される――奇怪に障られた。幻想的な芸術品は『恐怖』に染まり、グロテスクな形を成して果てる。銅像が完成した。人型とも機械とも獣とも言い難い、腐乱死体じみた『型』で在り――動くような。気がする)誰だ。我が作業場に這入る、幼子は神の餌と説く。
雲雀が恐ろしいところに迷い込んだらしい。
銅像の御仁は、ナリは恐ろしいが――なるほど。人の一分子を自称する。神は憐れという情を知らないが、人が最も神に近くなる感情が憐れだと説こうか。

人の情にまみれて、げっぷが出るときに此処は安らぐのでな。銅像の御仁。Angolmoisの一分子がまた隅を借りにきた。
貴様が何でも。我が何でも。人類は人類だ。神とは人類の感情で想像され、強烈な感情に支配『創造』される理。盲目的な人類は神を崇拝するのだが、崇拝とは自己肯定を良く説いたもの。肯定とは滑稽な。否定されるべき己を肯定するとは。恐怖とは否定と恐怖の混在。混在する『物』こそが神に相応なのだ。我が思うに『感情』『恐怖』だけを『人類』は信仰すべき! 信じるのは真に鬼気迫る『もの』よ!
無。不味い。酷い興奮だ。恐怖とは否定と肯定の混在だ。失礼。熱に憑かれた。兎角。神は存在するが、冒涜こそが信仰の価値だ。負の面こそが唯一の導だ。
……っ!
(恐怖のあまり声が出せない。今にも泣きだしそうな顔、へたりと腰が抜けて入口で座り込んだ)
待て。此度の作品も芸術性に欠けた、粗末物体だ。確かに個々の精神が在り、恐怖に中る『差』も在るが。真逆、蜜蜂程度に屈したのか。全く。不在証明云々も。贈物云々も。最弱統一の理も。感情の前には無力だな。勿論、我自身も感情に支配された、一個の肉袋よ!
私の言う情というのは、西洋の詩に良く出る、義理、愛、友情、勇気、その辺の綺麗な綺麗な人情という奴だよ。
そんなものは適当な世俗に入ればげっぷが出るほど足りる。
詩的な感じのするもので飾り立てたとて、裏では金勘定するのが常だ。金は大事だが、瞑想を破られる感じが鼻につく。
我が喜び、我が悲しみを、前後省みず謳う詩人などそういまいからな。
銅像の御仁、貴殿の作は俗っ気が無いとおもうのだ。前後を忘れさって、恐怖を追求する点が一種の解脱に見える。
また隅を借り……いや、いい加減迷惑かな?
雲雀の御仁が腰を抜かしてしまったらしい。
銅像は確かに恐怖を前後を忘却して現し、どう動くのか想像力をかきたてられる余韻がある。というより、貴殿が怖かったのかもしれんが。
「幻想的。否。宇宙的な観点で『もの』を制作するのは難く視えて容易く美得る。金銭的な問題を無視する人間――文明を抱擁する、脆弱な知的生命体。勿論、如何なる姿形でも――など何処にも存在せぬ。我でも衣食住は大切だと考え、最低限の物は揃えて在る。第一、芸術性を求めるには好奇心――恐怖の窖へと導く、愛すべき感情――が不可欠だ。即ち、欲望。此処で説く『罪と罰』の要素か」

 久方振りに充実した戯れだ。痩身巨躯なる影は三日月の『赤』を無貌に浮かべ、入り口付近へと視線を――眼は在るのか――投擲する。迷惑云々に興味は示さない。何故か。影には『人の有無』など『同然』なのだ。己自身が幽鬼の如く。

「我以上の旅人『輪郭』など幾等でも在る筈だが」
あ、ぁ、アルエット、探検してたの。ごめんなさいぃ~(アルエットは逃げ出した!)
恐怖という感情を追求する銅像の御仁の在りように対して、雲雀の御仁の反応は正しい。
(隅っこで毛布に包まる)
「何。恐怖への探求が恐怖の汚染に繋がるのか。莫迦な。我が制作は芸術性の薄い、未完成に未完全を積み重ねた泥だ。泥に畏れを抱くのは道化師程度で充分よ。貴様。眠るのか。我が芸術性の前で眠るのか。退屈な奴だ。我が制作する過程を覗く為、訪れ――違うな。寝床を欲する輩だった。好きに為せ。我は好きに成す」

 失敗作を砕き潰す。影の両手に掴まれた鉄槌は『未』を破壊し、新たなる芸術を想像させる。次の種は何が好い。逃走した幼子か。眼前の毛布中か。
メテオラと紅信が入ったようだが、何を話すか窮しているような気がした。これは私も反省だな。

なので、ちょっと面白いことを言おう。
「銅像を下さい! はい、どうぞ~!」
「貴様の内『臓』を冷『蔵』庫にぶち込むぞ」 
 胴『象』の銅像を造る。頭には地球人の貌を。四肢の代わりに巨木を。後方には無数の鋭利な物体。最早『象』は『像』を忘れ、奇怪なものに成り果て
オラボナの怖さを乗り越えて、勇気のダジャレを言った私を褒めてほしい。
「猫を貪る鼠。壁を奔る鼠。壁の中に……ええい。糞。鼻っ抓みものが。神どもの肉の味わい方を、さあ、伝授してやろう……うおるでいい……誰が何を褒めるのか。我は……恐怖とは掛け離れた存在」
え?>恐怖とは掛け離れた存在
いやいや、街角で最初にきたときの皆の反応を思い出すといい。言い回し、影、赤い口。ふつうはチビるさ。私も怖がりだしな。

ちなみに、私がそれでなんで近づこうと思ったかといえば、街角でギルド紹介してたから。「人から生まれた以上、人とのつながりを断てないと見えるな」みたいなこと言ったのはそういうことさ。
 対象の言葉を咀嚼する。自身の脳髄で舐るが如く、時を空けて。

「我が人間なのは世界の理だ。我が人間との繋がりを欲するのは自然な事柄だ。神は人間が造る『もの』故に人間とは断ち斬れぬ、酷く脆弱な集団で在る。他者との交流は新たなる『輪郭』を貪る術だ。芸術性とは他者の『芸術性』を混ぜて刹那に活きる、連鎖反応だと思考すべき。普遍的無意識に近寄るべく。意識を蒐集するのだ」
そんな脆弱の中で人ってのは優劣を付けていく。それすらも神が作ったってことになるが…それに関してはどう思う?(唐突な疑問をオラボナへと
(小さめの袋を持ってくる。中身はどこかで見つけてきた茶色の石)
よく考えたら、ここに石工の道具が揃っているな。
少し、場所と工具を借りても良いだろうか。
「神が創ったのは何だ。精神の安定と精神の不安定。精神の差別化だ。優劣を齎すのが人間で在り、優劣とは『神』への供物で在る。即ち、我等は『神』で『総て』を成すのだ。此度の場合は神=感情。我が崇拝する神とは別物よ! 何。工具の使用許可。好きに為せ。成せ」
ありがたい話だ。感謝する。
(コーンコーンカーンと石工。大雑把に直方体に削り出す。木で作った型のようなものを当てて、内側に線をひく)

あっ(腕力で粉砕)…あちゃー失敗失敗。
なるほどな…となると人柱とかの説明もつくな。気になってたことが分かってスッキリしたぜ。>オラボナ
「愚考。愚行こそが偉大なる理を孕むのだ。人間とは不完全で『完全』と解け、己の盲目性を『正』と見做す。見做した結果が感情。神なのだ。我の場合は神を分離させ、純化した神を崇拝する。即ち、恐怖。恐怖の容を創造すべき……失敗か。失敗とは糧だ。次に繋げる種なのだ。某国の諺を脳髄に刻み、自己満足への道を成せ」
不本意かもしれないが、私が今作っているものは像ではない。(こーん、こーん、カコーン、ゴリゴリがり)
作をするための道具といったところ。(削った石が水平かどうか観る)。
知っているかはわからないが、硯(すずり)という、字書きの道具だ。
…人ってのはめんどくせえ種族だな。俺ははっきり言って頭は良くねえが、何となく無駄骨しまくってるのは分かるぜ。>オラボナ
「啜り……硯か。確か……日の丸か。何処か……如何。我は国に疎く――何。貴様。人間が面倒な存在だと吐いたか。貴様自身も人間で。滑稽な事を。人間とは感情を有する知的生命体を説く言葉だ。人型など所詮は輪郭の『枷』で在る。枷を外すのが芸術性への近道だ。容に拘るのは退屈故に」
ふん、確かに俺自身も人間だ。だが、俺はあくまで自分がその1人であることを分かった上でのこの言葉だ。己の思考の中に己を含めないような愚行をしてるわけじゃないぜ?
「充分だ。己が己だと理解する事は容易く視える、至極困難な事柄だ。盲目的な人間には――感情を抱擁する生命体ならば――上々な答えで在る。勿論、我も人間だ。愚かな存在だと解けたが、愚かを融けぬ糞尿袋。ああ。人間万歳!」
パーシー・ビッシュ・シェリーも年中、鳥を眺めていた訳ではないし、雪舟も着の身着のまま防寒もせずに秋冬の凍える山水描いたわけじゃないだろう。
オーギュスト・ロダンも着想を得るためにダンテを連打したかもしれないが、腹減ったら劇場近くで飯を食うくらいはする。いくら瞑想が好きでも切り離せないさ。
尤も、召喚された者は超常だらけだけども。(硯っぽくなったものを磨く)
ん、できた。(硯を軽く水洗い。水を4,5滴垂らして黒い固形物を擦る。骨と動物の毛で作った筆を構える)

まずは試しに一筆……!
『人類恐怖』
 対象の執った筆を辿る。勿論、双眸と判る箇所は不可解故、影は歪んだ三日月で応えた。人間の奥底を抉り、粉微塵に融解させるが如く。嗤い。

「如何なる偉人でも。如何なる狂人でも。人間の域を超越する事は不可能だ。不可思議存在が『最弱』を強制させ、力を渇望するのも『世界』の秩序だ。恐怖。人類恐怖。人類こそが恐怖を知り、神の普遍性を問う『権利』を有する」
…っくははは!やっぱここはいい…ある訳じゃない頭をガンガン回した後のこの感じ、いらねえもんが全部抜けたみてえだ。
「無碍を掻き混ぜる心地は如何だ。己の感情を理に任せて、激流の如く『負』に向かう刺激は如何だ。不要なものを除き、真実だけを覗くべきだ。神こそが現実で在り、人間こそが幻で在る。幻こそが現を造り、現こそが幻を包む。感情で包まれた愚の生命よ。我が愚の骨頂だ。往くぞ。我等は虚空に墜ちて生く!」
(フキごはん、大きな揚げ茄子の汁、豆乳トコロテンとミョウガの千切り、ゴマ豆腐わさび付き、アルフォード離宮で作った糠漬けを、朱塗りの器に装って配膳)

作りすぎて余ったので持ってきた。肉は一切ない。
一度も口につけなくとも、目の保養にでもなれば、多少は意義があろうものだ。
美か美でないかを感ずる場として、ここは最上と心得ている。
(自作ながら、じっくり眺める。匙も箸も動かさない)
 対象の持ち込んだ『容』を観察する。興味関心よりも『技術』の為に凝視する。己の芯を――酷く歪んでは在るが――保った、痩身巨躯は機械の如く奇怪に嗤い。尚、嗤う貌は常だ。嘲笑と微笑みは同と解く。ああ。箸は此処に。無かったか。

「成程。精進料理。我が芸術性の遠方に在る、美の一種だと思考すべき。恐怖を演出する為に『食』を扱う事は多々故、冒涜する意味は皆無だ。人間とは業の深き物体。生命維持を為す淵で躊躇を覚える。ああ。全く。人間とは素晴らしい!」
感情に神が宿るという主張と、貴殿が恐怖を元に像を造っていること。
おそらく、憐れを形にしたら、こんな感じではないかな。と思うのだ。
(割り箸ひょいっと出してオラボナに、いる?と訪ねた)
 無聊の深淵。
 青銅の熱。
 己の業。
 恐怖。
 神。
 緩やかに。緩やかに。
 巨影は造り――完成。
「此度の作品も未完で終幕だ」
 肉の如き青銅塊。無数の乳房と触腕。流涎する大口。地を舐るもの。
 自身は未完だと吐き棄てるが、外見は充分に醜悪で在った。
這い寄るオラボナ=ヒールド=テゴスの新作!
動くとどうなるか分からないところがいい。苦痛を美的に表現したというラオコーンがあるが、余程殺気が見える
ふと思うところがあって詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーを改めて調べてみたが、有名な小説家経由で、どうもヒバリが前後を忘れ去って鳴く様をシェリーが嘆息していたという話が出てきた。
これは以前、我が喜び、我が悲しみを、前後省みず謳う詩人などそういまいという主張がそのまま出てきて全く驚いた。

われらは前後を見て、なき物を懐かしみ待ちわびる。
われらの心底からの笑いは、苦しみに充ちている。
われらの甘き歌は悲しき思いを語る歌だ。

ヒバリはそこらへんを忘れているようなぶっちぎりの魂の歌である。

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