PandoraPartyProject

ギルドスレッド

廃墟

【RP】贄神は星を見る

 夜空が見たい。
 思い立って、廃墟を貫いて立つ樹木の枝に足をかけて、両手で身体を引き上げるように木の上へ。無造作なそれにがさがさと枝葉が顔や手を打つが、痛み慣れしている分、あまり気にはならなかった。
 格闘することしばらく。やっと屋根の上の高さに顔を出すことが出来て、小さく一息を吐く。
 もとから長い幽閉と暴行で随分弱っていた上、それなりにあったレベルまで1に戻っているこの身体は、結構どんくさい。
 太い枝に腰を下ろすと、片足首に嵌ったままの枷が千切れた鎖と擦れて鈍い音を立てた。

「……星。月。……空、広い」

 人と会話をしないとすぐに端的どころか単語になりがちな呟きを零して、まだ夏の気配がしっとりと残る生温い夜風に左右異色の瞳を細める。
 広くて高い、どこまでも続くような夜空が、とても心地よかった。


・異世界からやって来て、ほんの数日。廃墟の屋根の上の、ある日のこと。
・入室可能数:1名
・どなたでも歓迎

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どこまでも続く広く遠い空に両翼を広げ、風に身を預けながら飛ぶ。
生まれた頃から当然の様にしていた行為は、深く物事を考えずとも癖の様に身体は動き己を操るようにこの広い空を泳いでゆく。
和らいだとは言えまだ暑さの残る外気に若干の不快感を感じるものの、飛び進んでさえいればその風が暑さを奪い去ってくれる。
夜の空中遊泳は、己の心を落ち着ける大切な時間だ。
凪いでゆく感情に目を閉じ撫でる風を感じていれば、その感覚を遮る様に枝葉の打ち付ける音が聞こえた。

「…?」

音のした方に目を向ければ、鬱蒼とした草葉の合間から顔を出した何かを金の瞳が捉える。
ばさり。
ひとつ大きな羽ばたきをして男は止まり、その「何か」に視線を注いだ。
 垂らした足をぶらりと揺らす、子供のような癖。
 実は、高い場所に登った経験はあまりなかった。勢いだけで随分と上まで登ったは良いけれど、屋根より上の高さは結構高い。これ、降りる時に随分と苦労をする気がひしひしとする。もう今更だけれど。
 はふ、と無表情のままではあるがやりきったような呼気を吐き出して、もう一度星空に視線を戻そうとして──見られていることに、ようやく気がついた。
 ぱちり。控えめな驚きを示すように、左右異色の瞳が瞬いて。

「…………飛んでる……?」

 じ、と穴が開くような視線で相手を見つめた。
 まだ、この世界の住人との接触経験は、ほとんどなかった。
優しい風が黒色の髪を弄ぶ中、しばらく眺めていれば太い枝に腰を落ち着け足を揺らし始めた「何か」が不意にこちらを見上げた。しっかりとかち合った視線が逸らされる事も無く真っ直ぐに。
暗い為にはっきりとした面立ちは認識できないが、夜闇の中その肌の白さだけは妙な存在感を放っていた。

「…そんな所で、何をしている?」

視界を広げてみればそいつが登ってきた木は随分と高さがあるようだが、見た限り翼は無いようだから同じ種族ではない。
わざわざこんな真っ暗な闇の中、あの高さを登ってきてまで何をしたいのか。
純粋な疑問だけが先走り、凪いでいた感覚の名残か物を深く考えないままその疑問を口にした。
――少し、警戒の色を含んだような物言いになってしまっただろうか。
その事に気付いたとしても、既にそれは後の祭り、というもの。
 屋根の位置にして、おおよそ3階建て以上の高さがある。普通に高い。
 まさか、その高さで他者と遭遇するとは思っていなかったせいで、不意を突かれた。虚空を見つめる猫のように瞬きせずじっと相手を見つめる姿は一見すると平然としているが、これでもそれなりに驚いていた。
 警戒を含んだ男の問いに、やっと、また一度瞬きをする。えぇと。これは。多分、スカイフェザー、だろうか。一応、現地の種族については軽くではあるが学んでいた。

「…………、……夜空を。星を、見ようと思って」

 先に相手の種族について考えてしまったせいで、返答は、ワンテンポどころかツーテンポくらい遅い。
 張ることもしない囁くような声は相変わらず不親切で、男にしては高く、女にしては低い、どこか硬質な声だった。紡ぐ内容は、平凡なものだったけれど。
問い掛けてからこっち、待てども待てども返事はない。痺れを切らして二の句を紡ごうと口を開いた時にやっと聞こえた声。性別の判断がつかない中性的な声質が言い放った返答に一泊程の間が空く。

「……星?」

言われ、視界を上へと向ければ己のいる場所よりも遥か遥か上の方で幾千もの星々が輝いている。日常的な事だからと特別気にした事は無かったが、成程これは見る価値のある景色だ、と。すんなり納得をして視線を元の位置へと戻し再びその姿を捉えた。

「なるほどな、星か」

確認をする様に繰り返した言葉。羽音が響く。
少しばかりの寄り道を、と。男は少しずつその高度を下げ「何か」へ近づいていこうとその翼を羽ばたかせた。
その胸に"興味"という感情を引き連れて。
「この廃墟の中からだと、枝葉が邪魔でほとんど見えない」

 だから登って来たのだと言外に告げて、相手ごとその翼の向こうの星を眺める。
 夜の闇に煌めく満天の星々と、立派な猛禽の翼を持つ青年。もとの世界では見たことのない組み合わせだ。なんだか、少しだけいいものを見た気分だった。
 相手の羽ばたきで生温い風がわずかに動いて、さわりと葉が揺れた。それに心地好さそうに瞳を細め、もっとよく見えるようになったその姿を改めて眺めた。
 瘦せぎすの自分とは違って精悍なその青年は、きっととても自由に空を飛べるのだろう。空を飛ぶのは、どんな感じだろうか。もとの世界でも空を飛ぶ種族はいたし飛ぶ技術はあったが、生憎と、自分がそれを体験することはなかった。

「…………座るなら」

 ぽん、と太い枝を叩いて示した。
「枝葉は陽射しや雨風を凌ぐ為のものだからな」

星が見えては元も子もないだろう、と軽口を叩く様に。
翼に浴びる視線を感じ取るも気にした様子は無く、幾度か羽ばたきを繰り返しながら樹に近付けば葉に当たらぬように広げた翼を徐々に狭めていく。促された枝へと鉤爪の足を掛けるも大柄な自分が乗ってもびくともしない太い枝に、この樹の頑丈さが伺い知れた。
足場を落ち着けた事によって相手をしっかりと見ることができるようになると、よりその白さが目につく。そしてそれと合わせて、身体の細さに僅か目を見開いた。

「……よく、ここまで登ってこれたな」

いったい、この身体のどこからそんな力が出てくるのか。
「……そういうものか」

 相手の軽口を素直に受け取って、納得したように呟いた。
 雄々しい翼に、鋭い鉤爪。自分にはない部位が珍しくて、ついつい無遠慮に観察してしまう。ほとんど動かない無表情ながらに、まじまじと見つめる視線は子供のような純粋な好奇心に溢れていた。
 建物ひとつ飲み込むような、生命力に満ち溢れた木だ。廃墟暮らしになってから少し経ったが、今となっては、この大樹こそが廃墟で暮らして行ける大きな要因だった。

「……何度か落ちるかと思った」

 ぽつりと呟く。また足を揺らせば、鎖が小さな音を立てる。
 思い立って自分が動けば、やりたいことがいくらでも出来る。そう思ったら、多少無茶なことでもやってみたくなる。ものすごく疲れたし、不運のせいで落ちかけたりあちらこちら擦りむいたりぶつけたりもしたが、それは仕方ない。
自分の冗談をすんなりと受け入れてしまった相手を見遣り口元に手をあて、一瞬の間。
(なるほど、冗談は通じないタイプか)と一人思う。
ひたすらに感じる視線にはじわじわと戸惑いが現れどうしたものか、と。

「…おい、星を見たかったんじゃないのか」

その視線を他へと誘導するように呟く。
見られる事に慣れているとは言えない、しかもそれが疑いの目などであればまだしも、そうではない。ただただに真っ直ぐな「好奇心」の固まりの様な視線。
――自分の内を見られそうで、落ち着かない。
鉤爪の足を邪魔するように、両の足首に繋がれた鎖が軋んだ音を鳴らす。
同じものが目の前の青年にもつけられているのは、聞き慣れた鉄の擦れる音で気付いていた。

「この高さで落ちたら洒落にならんぞ」

言いながら空を見上げれば見慣れた星空。
片側だけの視界で見てもそれはあまりに広く雄大でいて。
 冗談が通じない、もしくは無知ゆえの常識不足、というやつだ。主観が混ざらない部分の物事は、そう言われればそういうものなのかと納得してしまう。
 相手の呟きに、無表情のままでまた瞳を瞬く様はどこか人形めいている。けれど、一度また言われた通りに夜空を向いた視線は、ちらりと相手に戻って、また空を向く。どうやら、星空以上に気になる先が出来てしまったようだ。

「……見ていたら、駄目か」

 結局、素直に本人に聞くことにした。
 相手の存在が気になる、もっと見ていたい、とどこか虚ろめいた瞳がじっと相手を見つめて主張する。だって、星はまた登れば晴れてさえいればいつでも見られる。でも、偶然この場で出会っただけの相手は、逃したら最後だ。

「意外と死なない、と、思う」

 多分。
一度肌に刺さる様に感じていた視線が外れる。戻る。外れる。空に向けられる気配のない視線に徐々に顔が引きつっていく。
己自身も気紛れの興味で近づいた節はあったが、まさかここまで食い付かれるとは思いもせずに。口元が僅かに開き「あー…」と言葉にならない声ばかりが吐き出されていく。
頭を掻き見上げていた顔を下ろせば此方を見続ける青年に視線を向けて。
―虚ろな瞳がまるで、獲物でも見つけたかのような視線に錯覚してしまいそうだ。

「無言で見続けられるのは…居心地のいいものではない」

膝を曲げ、太い幹に腰を下ろす。

「何か聞きたい事があるなら言え、答えられる事には答えてやる」

ここを離れるその時までこのまま見続けられるよりはマシだろうとそう投げ掛けた。
どうせ散歩がてらの暇つぶしだった時間だ、少しの寄り道くらいはなんてことない。
外見に見合わず図太い事を言う青年に、「降りる時は手を貸してやる」と言葉の終わりに言い加えながら。
 この世界で己が異世界人であることは理解している。が、それを差し引いても、この男には対人経験的な経験値が大いに不足している。自分自身は、観察、監視、見世物、その他諸々に長い歳月によってすっかり慣れていた。結果、自分の視線によって相手が何を思っていたかも気づかない。
 その証拠に、心地いいものではない、との言葉に一瞬だけ虚を突かれたように瞳をわずかに見張った。それから、ゆるゆるとその瞳を伏せて。

「……悪い」

 ものすごく素直に、しょげた。
 けれど、続く言葉にぱっと分かりやすく視線が上がる。己のことを話すのは得意ではないけれど、興味の向いた他者の話を聞くのは好きだった。

「スカイウェザー、近くで見るのは初めてだ。なんの鳥、とか、どれくらい飛べるのかとか、手触りとか、気になる」

 どうやら、降りる時はスリルを味合わなくて良さそうだ。この青年、どうやら随分と付き合いと面倒見がよい様子。ありがたい。
「いや…無言でなければ、別に構わない」

自分の言葉に落ち込んだ様子を見せた青年が、続いた言葉にはすぐに飛びついたような表情になり、なんとなく、人付き合いに不慣れなのかという印象を受けた。
己自身も人付き合いが得意というわけでは無いが、目の前の青年は殊更この点に関して無知なような気がして、どこか子供を相手にしている様な感じさえする。
降りる時の助力を申し出たのも、きっとこれが一番の理由だろう。"目を離すと確実にまた怪我をする"という危機感。

そんな心配を他所に、促せばどんどんと出てくる質問や疑問に順を追って返答を返していく。

「オレはイヌワシの血を継いでいる。どれくらい飛べるか、というのは高さか?それとも飛行時間か?手触りは…自分で確かめろ」

ばさり、と暗褐色の羽毛が綺麗に繕われた翼が片翼だけ青年の前に広げられる。直に確認しろという事だろう。抜くなよ、と付け加えながら青年の手が触れるのを待った。
 なら良かった、と声にほんのわずかな安堵を見せ、反面、表情筋が仕事を放棄した表情はあまり変わってくれない。けれど、仕草や態度には出ている分、相手のように聡い者ならなんとなく雰囲気を察することは出来るだろう。
 痛みや傷に無頓着になっている上、本人はこれでも好きなことが好きなだけ出来る現状にじんわりとはしゃいでいる。ゆえに、危険もあまり気にしない。
 結果、恐らく、登った時のことを聞いても呆れるような話しか出て来ない。

「いぬわし。見たこと、ない。どっちも。……!……わ」

 言い慣れぬように繰り返し、この世界の図書館で調べたらその鳥が分かるだろうかと考える。ワシ、と言うから、きっと猛禽類だ。
 高さも飛行時間も気になると言いながら、不意に広げられた翼に一瞬だけ分かりやすく瞳を見張った。
 いいのか、と聞き返すことすらしなかった。思わず、といった様子で相手の翼へ宝玉で出来た爪を持った手を伸ばす。もふり。
表情には出ないが、どうやら感情は豊かなようだ。次々と変わる雰囲気に表情とは違い表現力豊かな目と動き。遠目では見えなかったがなるほど、これであれば対話も問題は無さそうだ。
それに、表情の乏しさは人にとやかく言える立場でも無い。
むしろ第一印象は見目や大きさで大抵怖がられたり身構えられたりする。だからこそすんなりと許容してくれる相手は珍しく、ありがたかった。

「しっかりと計ったことは無いが、雲の上までなら飛べる。他の飛行種がどれ程の時間飛べるのかは知らないが、飛行時間はそんなに長くはないと思うぞ。合間合間で羽を休めるからな。」

問い掛けられた質問に丁寧に答えながらも、ふと疑問に思う。
確かにイヌワシの種族は数自体が希少な為見たことが無いのはわかる。しかし思い返してみればこの青年の反応は"飛行種"自体を初めて見た様な反応だった。

「…お前、ずっとここにいるのか?」

触れられる翼はそのままに、問い掛けた。
 ある程度分かりやすく見られる変化の要因に、今のテンションがそれなりに高いというのがあげられる。初めて自由を得てから、初めて高い高い木に自力で登って驚くような美しい星空を見て。おまけに、空高く飛ぶ翼ある種族との出会い。
 今夜は、いつもよりずっと楽しい気がする。早く眠ってしまいたくならないのが、その証拠。
 相手に恐ろしさは感じない。嫌な感じを受けない。大体、本当に恐ろしい存在だったら、自分の酔狂に付き合ってなんてくれないだろう。降りる時は手を貸してくれようとしている時点で、十二分にお人好しだ。おまけに心地よいものではなかった視線も許して、丁寧に質問に答えて、触らせてもくれる辺り、並べれば並べるほど、自分からしてみれば随分と優しい。
「雲の、上。……すごいな。ずっと昔、空を飛んでみたかったことを、少し思い出した」

 流れる雲は、高く、自分にはとても遠い。
 声に驚きと感心と共に、ほんの少しの憧憬が混ざった。ずっと、ずっと、遥か遠い昔の憧れを思い出して。
 掌に感じる羽毛の感触。あたたかくて、大きい、しっかりしたそれ。なんだかじんわりと感動しながら、何度かゆっくりと羽毛を乱さないように気をつけながら撫でる。

「数日前に来た。これからという意味なら、多分。ほかに行き場がない」

 ことり、と首をかしげる。
 この廃墟に来たどころか、この世界に来たのすら数日前だ。これからずっとここにいるのか、という意味なら、おそらくはここで暮らすしかないだろう。
翼の無い種族が一度はそう願う事があるらしいのはよく耳にした事がある。
自分に無いものだからこそ欲しがる、というよりは、共通して空への憧れが強いのかもしれない。
あの雲に手が届いたなら、あの星を掴めたなら、そういう"夢"というものは自分にだって覚えがないわけではない。命の取り合いの日々が続く中で、随分とそういった純粋な感情は擦り切れていってしまったけれど。

「……空を飛べることが、必ずしもいい事とは限らない」

それは空気にすら解けて消えてしまいそうな小さな声で、相手にも聞こえないであろう言葉。
前髪で隠された横顔は何も読み取らせてはくれない。
余計な思考に入りかけていくこの話を打ち切ろうとするかのように一度息を吸えば改めて相手を見遣り。

「ああ、旅人(ウォーカー)というやつか」

空中庭園という所に召喚された時に説明を受けた。
その時は勝手に世界線を越えて召喚されるなんて随分と不憫だな、と思ったのを覚えている。
突然元いた世界から召喚され、急に世界の終局の運命を捻じ曲げる為に戦えと言われるなんて勝手以外の何があるというのか。
元々この世界の住人である自分ですら理不尽さに眉根を寄せたのだ。…世界の終局を目の当たりにしてなりふり構っていられなかったのもあるのだろうが。
しかしそれでこんな廃墟にしか居座れない奴が現れるのは如何なものか。
…といくら文句を言った所で既に過ぎた事だ。今の思考の時間はきっと意味がない。

「…お前、本当に見た目に依らず図太い神経をしているな」

心の底から感心した。
行くところが無いと廃墟暮らしを容認するにしたところで、普通であればもっと不平不満が出ても可笑しくないであろうに、この青年には今のところそういった感情は一切見当たらない。
自分なら受け入れろという方が土台無理な話だ。
 翼があれば、この窓から飛んで行けるのだろうかと。ここから逃げられるのだろうかと。遠い昔に人々を見限って天空の島へ旅立ったと伝わる同族のもとに行けるのだろうかと。
 窓から見える鳥を見ては、ずっと、そんな叶わぬ夢を見ていた。幽閉場所が地下になって窓の外も見られなくなってからは、そんな夢すら忘れたけれど。
 相手の微かな声は聞き取ることができなかった。もともと、耳も目も、あまりよくはない。
 もふ、もふ、と相変わらず熱心に相手の翼を堪能する手。生き物の翼と呼ばれる部位に触れたのは、生まれて初めてだった。つい、手を離しがたい。

「そう、ウォーカー」

 こくん、と外見年齢の割には頑是ない素振りでひとつ頷く。まだ、自分を示すその単語は少し慣れない。
 感心した様子の相手へ視線をやり、また小首を傾げた。図太い、のだろうか。

「……だって、とりあえず雨風は凌げるし。落ち着いて眠れるし。神官達も、信者達も、いないし。好きなこと、していいし。食事はちょっと困るけれど」

 訥々と、ここが自分にとって悪い場所ではないのだと告げる言葉。
 もう、監視の目もない。何をしてもよくて、何をしなくてもいい。不幸のどん底に突き落とすための策略も張り巡らされていないし、自分を傷つけ貶め苦しめることで幸福を搾り取ろうとする神官達や信者達もいない。
 現状、ちょっと困るのは日々の食事だけだが、それももとからそれなりに減らされて生きてきたから、あまり困っている気もしていなかった。
 気分的には、多分それなりに呑気だ。
相手がどういう経緯でこの空へ、翼へ憧れを抱いたのかは知らない。無理に聞く事でもない。
"見る"事や"聴く"事は、狩猟の為の五感を鍛える一環で人よりも身につけている自信はある。
けれど会って数時間とも経たない相手だ、そこまで踏み込むのも野暮というものだろう。
自分はどうにも、世話焼きの癖が身についていていけない。

それはそうと…随分と熱心に堪能されている。有翼種というものはそんなに珍しかったのだろうか。
例えば目の前の青年の元の世界、そこには翼のある動物は居なかったのか。
――それとも…

思考を巡らせていると、続いた言葉に引っかかりを感じる。
"神官"、"信者"、そして言葉の端々に残る青年の不満に似た何か。先程は不平不満を出していない事から随分と図太いのだと思ったが、今の青年の言葉は裏を返せば「前は好きな事を出来ない、落ち着けない環境にいた」事にも繋がる。
もしそうであるなら、図太い、というのは不正解だ。
今の状況が以前の環境よりもいいものなんだとしたら、青年の発言は全て本当の事なんだろう。今のこの環境が大分マシなのだと言ってしまう程に。
いくら考えた所で本人に聞かない限りは憶測でしかない。
しかしそこで踏み込めるほどの猪突猛進さと熱意は、生憎と過去に置き去りだ。
考えている間の長い間を取り繕う様に「そうか…」という生返事だけが返された。

「ここ、食い物はあるのか?」

話を食べる事のみに限定して切り返す。
普段は何を食べているのか、言葉にそういうニュアンスも含めて問い掛けた。
自分の翼に触れるあまりにも細すぎる手首を視界に捉え、何気なしにその手首の横に自分の手首を近づけて。

「…細すぎる」

僅か眉間に、皺が寄る。
 もふもふで、あたたかくて、手を離しがたい。
 羽も少しずつ場所によって手触りが違って面白い。
 大きな羽の硬めの羽毛としっかりした軸の硬い感触と、小さな羽毛のふわふわの感触と。中にしっかりと血肉と骨があるから適度な硬さと体温もあって、低体温の自分にとっては結構あたたかい。
 それに何より、楽しい。
 相手の翼にすっかり夢中だが、無心にもふもふ撫でる様は初めてのおもちゃを与えられた子供に見えなくもない。無表情は変わらないものの、これでもそこはかとなくじんわりと静かにはしゃいでいる。

 この世界で旅人が異質であり異端であることはわかっていても、状況的には誘拐された被害者、もしくは世界の生贄と言うべきものだとも理解していても。
 身ひとつで、生活の場や当座の生活費すら与えられずに放り出されたのは理解していても。
 実のところ、この世界に連れて来られたことに何ひとつ文句はないのだ。
 だって、空が見られる。木々に触れられる。太陽の温もりを感じて、風を感じて、好きな時に好きなだけ眠れて、何をするのも自由で自己責任だ。
 何より。どうしようもなく邪魔で仕方がなかったこの体質が随分と弱まっただけでなく、誰にどう付与するかの指向性が与えられた。これが一番大きい。

「ない。この世界の金銭は、持ってない」

 ふるふると首を横に振って、素直に返す。
 物々交換で今の服を貰った。ぼろ布同然だった服を買ってくれた商人は、多分同情したのだと思う。金銭の類は持っていないから食料を買う訳にもいかないし、そもそもこの世界の食材はよくわからない。
 仕事をするにも、自分には知識も力もないし身元の保証もない。特異点の仕事もまだない。

「特異点だからと、たまに食材や食事をくれる人はいる。他は、採ってる」

 細いと言われても、自分にとってはこれが普通だ。
 淡々と端的に話す中身は、単純に言えばお布施とサバイバルだ。

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