シナリオ詳細
<希譚>花葬
オープニング
●澄原 晴陽と鹿路 心咲
澄原病院の院長室で指先でテーブルをとん、とん、と何度も叩く仕草を見せた澄原 晴陽 (p3n000216)はaPhoneに表示された時間を確認する。
30分余りの間、沈黙に満たされていた院長室は重い空気が流れている。
「先生、全てのことをお話しさせて頂きましたが」
居住まいを正した水瀬 冬佳(p3p006383)はその内容を全てこれから院長室に訪れる者にも話しても良いのかと問いかけた。
冬佳が知り得た内容を持ち帰り、澄原 水夜子 (p3n000214)と相談した上で晴陽に報告を行った所、能面のようであった彼女の表情には大きな絶望が浮かんだ。
気を確かに持て、と声を掛けた國定 天川(p3p010201)に晴陽は「申し訳ございません」と呻いたのだった。
「……向かう地点のマッピングは完了してあるから、いつでも」
Я・E・D(p3p009532)は『祭りの日』を確認した上で両槻の山にマッピングを行った。居住まいを正し、緊張を滲ますアルテミア・フィルティス(p3p001981)は指先をかたりと震わせる。
「その……容態は?」
「ああ……未散さんは火傷、ですね。首筋に小さな桜の判のような印が残されていました。そういえば、心咲も……」
現在、水夜子はアレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)と共に散々・未散(p3p008200)に付き添っているそうだ。
山の中で奇妙な存在の気配を感じてから未散の首筋には桜の形をした『火傷』が残されていたのである。
腫れて熱を持ったそれは痛ましく、怪異によるマーキングであろうと想定された。音呂木・ひよの (p3n000167)にお祓いを頼んだ方が安心だろうかと水夜子は引く事の無い痛みと熱を孕んだ火傷の対処を行って居るらしい。
「心咲さんも?」
足をぶらりと揺らがせた楊枝 茄子子(p3p008356)に晴陽は頷いた。
「……心咲の遺体にも桜型の痣が――火傷がありました」
「先生、顔色が悪い」
気遣うように声を掛けた天川に晴陽は「申し訳ありません」ともう一度呟く。
「謝る事じゃないが……辛い思い出だろう。無理に言わなくても良い」
「いえ、此れは私からの依頼ですから……ああ、来たようです」
晴陽が顔を上げれば、天川は頷き院長室の扉を開く。ぎこちなく顔を出した咲々宮 幻介(p3p001387)とアーリア・スピリッツ(p3p004400)の姿を見てから「ご足労を掛けました」と晴陽は目を伏せた。
ヴェルグリーズ(p3p008566)はその後に続いて来室する星穹(p3p008330)に気付きひらりと手を振って見せる。
そして、最後――
ムサシ・セルブライト(p3p010126)は「暁月殿!」と入室し、扉を閉じた燈堂 暁月 (p3n000175)の名を呼んだ。
「やあ、晴陽ちゃん。君から連絡なんて珍しいね。
龍成が『病院の院長室で待ってる』と言うから驚いてしまったよ」
「……龍成を連れてきていたらはっ倒していました。体調はいかがですか?」
「まあ、それなりに。それで――『心咲ちゃん』の話だけれど、道中に聞いたよ。私も思い出してきた、君は?」
単刀直入に本題に入った暁月に晴陽は小さく頷いた。
「それでは、改めて私と暁月先輩から話をさせて下さい。
皆さんの調査結果で、全てとは言わず思いだしたことを、一つずつ」
両槻と古くは呼ばれていた万年桜が咲く地があった。
どうしたことかその地名はいつの間にか『記憶にある筈なのに呼んでも欠落する』存在となったと言う。
元よりその地には葉山信仰が根強く、『ハヤマ様』と呼ばれていた神様が住んでいると燈堂一門では認識されていた。
「つまり、真性怪異に相応する『ハヤマ様』と呼ばれる神様がいたんだ。
だが、その神様とは別に近年になってから別の信仰が生まれたと言われている。それが――両槻の桜だ」
かの土地では日照による飢饉が襲い来た。そして其れにより疫病も発生したのだ。
それぞれが神の祟りであると認識され真性怪異の力が流れていた万年桜こそが本来の神様として『ハヤマ様とは別の存在』として信仰されることとなる。
「暁月先輩は、この新興の神の調査に行くことになりました。それが高校時代の話です。
当時の私は夜妖の治療には余り携わって居らず、心咲は一般人です。
『本来ならば巻込まれないはずの私達』は偶然、その場所に居合わせた――いえ、実際は必然であったのかも知れませんね」
晴陽は言う。
心咲の遺体には未散に刻まれた痣があった。つまり、心咲は万年桜の花びらにマーキングされており、暁月が調査に赴く日に『呼ばれた』のだろう。
「調査の為には実物に出会うことが必要だ。だから、『作法』に則った。
心咲ちゃんと晴陽ちゃんが居たからね。丁度都合が良かった。丁度いいなど、私の驕りだったのかもしれないが……」
暁月に頷いたのは茄子子と冬佳、天川であった。
儀式を行うのは必ず『三人』でなくてはならない。
まずは、一人が祭りの日に点在する16の祠に火を灯し、血を捧げる。
着いていく二人が火を消し、一方が血を捧げる。
もう一方は依り代になる人形を運ぶ。
依り代になる人形には火を消して血を捧げる者の血を含んだ綿と髪の毛等を詰め込んでおく。
そうして、祠を回り終えたならば、最後『若宮の地』と呼ばれた三点の中央でその人形の腹を切り裂くのだという。
「これが両槻で新たに産み出された悪性怪異の降霊の儀式だった。
予想外だったのは心咲ちゃんが『万年桜にマーキングされていた』事だ」
「心咲は『肝試しなんでしょう?』と言いました。マーキングされていなければ、暁月先輩一人でも対処が出来る程度の相手だったはず。
私はそれに気付かず、暁月先輩の『仕事』の手伝いをしたのです。降霊術を共に、行いました」
本来ならば夜妖相応であった筈の『万年桜の若き神』は鹿路 心咲の肉体を気に入った。
真性怪異と呼ぶに相応しい力を身に付け。心咲の躯に巣喰おうとしたのだ。
当然、暁月は抵抗した。儀式に参加した三人の内、暁月だけは戦う術を持っている。
――だが、一人で祓いきるだけの力はなかった。其の儘、時間を掛ければ次は晴陽が侵蝕される。
「暁月先輩」
どうすれば救えるか――その術ばかりを考えた暁月に心咲は言ったのだ。「はるちゃんを助けてね」、と。
だからこそ、燈堂 暁月は鹿路 心咲をその場で殺した。
その際に、心咲そのものの霊魂は真性怪異に取り込まれ、両槻の地で『器』として利用されているのだろう。
晴陽と暁月の記憶が混濁したのは真性怪異による侵蝕の所為であった。その所為で、彼女らは『何を行ってどうして心咲が死んだのか』を忘れていたのだ。
「暁月先輩が私を救うために心咲を……親友を殺したことを、どうしても許せませんでした。
ですが、それ以上に心咲を守り切れなかった私は私を許せない。
よく、天川さんに言うのですよ。影のように、過去が張り付いて私を許さない、って……」
晴陽は苦しげな笑みを浮かべた。彼が苦しい過去を話してくれた様に、晴陽もそうして言葉を並べることがあった。
「心咲は一声呼びをして、怪異に魅入られていたのでしょう。だからこそ、あの子は注意を促した。
それが本当の心咲なら……皆さんの前に顔を出した『心咲』は真性怪異の依り代そのものでしょう」
晴陽はゆっくりと立ち上がってからイレギュラーズに向き合った。
「心咲を、私の親友を解放して下さいませんか」
「……『祓い屋』としてではなく、心咲ちゃんと晴陽ちゃんの先輩として、解放しにいきたくてね。
心配性な友人がいると言えば、傍で見守って貰いなさいって。
晴陽ちゃんは何かあったら全員治療するから皆で行こうと言うんだ。頼りになる後輩じゃないかい?」
『あの一件』を終えてから、幾分か和らいだ笑みを浮かべるようになった暁月の言葉に晴陽は「頼りにならない先輩を持ったもので」と返した。
軽口を交わし合える。それは暁月の空気が和らいだこともあるが、心咲という重い荷物を降ろせる可能性が目の前にあるからなのだろう。
「先生」
天川の呼びかけに晴陽は何ですかと言いたげに視線を投げ遣る。
「よかったな」
――どういう意味か、気付いてから「いいえ、私はこの人が大嫌いですよ」と外方を向いたのだった。
●たたりじの宮
[桜浪漫譚(著:葛籠 神璽)]
その地域には無数の名前が存在した。今や、地の名前を語るより万年桜で親しまれているのではなかろうか。
この地の伝承は良くあるものだ。桜、巨大な木々は神が宿る、神の化身であるとされている。
時折波長が合うものはこの桜に何かを見るらしい。だが、何を見たのかと聞くことは無粋ではあるまいか。
「さて、オーダーは『マッピングされた地点』での『若宮』の撃破です。
……簡単に言えば、両槻の地の真性怪異はまだ若く、対処が可能な存在なのです。
時刻は『お祭り』の日です。祭りが終わるまでに作業を全て終えなくてはなりません」
説明を行う水夜子は広げた地図をとん、と差した。
両槻の地にある二つの塔。そして桜から結んだ三角形の中心それは存在して居た。
山道に存在した祠は16個。それらはその中心地の周りを巡るように配置されていることが分かる。
山は蛇行し獣道であるために上下の認識が難しかったのだろう。
「まずは儀式を行い『若宮』を呼び出します。これは暁月先生と晴陽姉さん、それから私が参加します。
皆さんはそれぞれの護衛を行って頂き、マッピング地点に集結。
『一度儀式を行っている』晴陽姉さんか『桜の花びらが張り付いていた方』の後ろに『若宮』が立つ事でしょう」
そうなれば、結界を張ります、と水夜子は適当に塩を振る仕草を見せた。
その結界にはひよのが構築の協力を行うらしい。結界を壊される可能性もあるため、結界の維持にも気を配って欲しいという。
「『若宮』は鹿路心咲の姿を取っています。彼女を撃破し、封じる事こそが今回のオーダーですね。
……ああ、あと、希譚に書かれていた『本来の神』は『ハヤマ様』です。
そちらには障るべからず。あくまでも『ハヤマ様』から別たれた『若宮』の封印を行いましょう」
『二つ棺(き)は若宮様がいらっしゃるから、入らない方が良いよぉ』
獣たちが告げたそれは、一方に『鹿路心咲の姿を借りた若宮』が鎮座しているという事だったのだろう。
ずたずたに引き裂かれた人形。だが、その姿を借りている以上は引き裂かれた筈の人形は修復され依り代としてこの地に眠っているのだ。
掘り返してそれを引き裂くことは叶わない。何せ、相手は真性怪異なのだ。生半可な力では撃退できないだろう。
「実力行使です。
封印の為に若宮を弱らせ、その『依り代』を顕現させます。
依り代となった人形の撃破を行い其の儘、その地に封じ込めて仕舞いましょう。
――但し、憑かれないように気をつけて下さいよ。取り憑かれた場合は心咲さんと同じように『その場で殺してしまう』しかありませんから」
終わった後は『二つ棺』――両槻の鍵の壊れた塔にちゃんと錠を落しハヤマのための神楽で締めくくれば良い。
散り際の桜は美しい。
桜吹雪の下に一人の娘が立っているのだ。
山の下にある筈の桜の花びらは遠く、遠くその場所まで運ばれてきて――
「見付けてね」
――彼女は振り向いて笑う。
- <希譚>花葬完了
- GM名夏あかね
- 種別長編
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2022年06月20日 22時10分
- 参加人数30/30人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 30 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(30人)
リプレイ
●『鹿路 心咲』
走ることが好きだった。誰よりも一番先へ向かって脚を動かすのだ。
ゴールテープを切る爽快感に、応援してくれた人達の歓声が心地良い。
真っ直ぐ、前へ、前へ――
小さな頃から、そうやって生きていた。
人並みに恋をして、人並みに高校生活を送って、それから人並みの幸せを得られると思って居た。
詩織先輩に言わせれば私は『見なくても良い物がある』立場だったから。
――みさきちは、無理をしなくて良いんだよ。
入学式で、人の生け垣から連れ出してくれた先輩との間に壁を感じたのは初めてじゃなかった。
先輩だけじゃない。暁月先輩も、晴陽も、私とは違う場所に生きているようだった。
――はるひめは頑張り屋だから。関係ない場所から手を引っ張ってくれる人が居ないといけないんだよ。
詩織先輩は優しかった。澄原という家の重圧に押し潰されないように晴陽を何時だって連れ出そうとしていた。
先輩と私が手を引いて。
晴陽が困った顔で笑うのだ。
目の前に、暁月先輩がいて彼が言う。
――心咲ちゃんは、優しいね。
違うよ。
暁月先輩。本当に優しくて良い子だったら。晴陽にあんな顔させなかった筈だもの。
●
「真性怪異にも詳しくないし、分霊や荒魂というのもピンとこない。つまりは大精霊から分かれた子のようなものか?」
少しだけファルベリヒトとイヴを思い出す、と『天穿つ』ラダ・ジグリ(p3p000271)が想像を向けたのはラサのファルベライズ遺跡群の大精霊ファルベリヒトとその守護者であったイヴであった。
「ええ、そうですね。その様なものであると認識して頂けるとよりグッと身近な存在になるかも知れません」
にこりと微笑んだ澄原 水夜子 (p3n000214)へとラダは成程、と頷く。真っ当に手に入るからだが足りなかったことが問題なのか。それならばR.O.Oで秘宝種が得たボディを駆使できないものかとラダは呟いた。
「『鹿路心咲』としてではなく『ハヤマ分霊』に名を与えて鎮められるならば、もしくは」
「ああ。何にせよまずは落ち着かせるところからか」
ラダと水夜子は両槻の地をさくりと踏み締める。周囲の気配は無、夜も深まれば住民達は山には踏み込まないか。
「此処に心咲さんがいるのね」
『プロメテウスの恋焔』アルテミア・フィルティス(p3p001981)はぞわりと背筋に走った気配を拭うように立っていた。
大切な人の魂。アルテミアにとっては『片翼』とも呼べる存在が居た。彼女を好き勝手されると考えればそれは我慢ならない。
(……私だって、そうだわ。エルメリアが――なんて思うだけでも腹が立って仕方ないもの)
すう、と息を吐いた。あの日の神威神楽の月が思い出される。妖の気配に、混ざり込んだ神霊の閑麗なる気配。
「……だからこそ、この神逐は必ず成功させるわよ」
神様は何時だって意地悪だと『希望の蒼穹』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は知っているような気がした。
「そっか……昔にそんなことがあったんだね……大切な友人の身体を勝手に使われて、そんなの我慢できるはずもないよ。
でも、正体がわかってるなら、やりようはある! 晴陽さん達の為にも、ここで終わらせよう!」
ここまでのやり口も、誰かの身体を借りていることさえも厭らしい相手なのだとアレクシアは唇を噛みしめる。
「ええ、そもそも『ハヤマ分霊』――いえ、若宮は心咲さんという器を得て一度真性怪異と成り遂せてしまった以上……。
もはや万年桜の妖を完全に祓い切るのは難しいのでしょう。とはいえその信仰の性質的に、必ずしも危険なものとも言い難い。
落し所としては、封印した上で確りと祀りその性質をコントロールする為の管理体制を整える……という所か」
ラダが言った通り『依り代を与え直して神として封ずる』事もその一環ではなかろうか。
『水天の巫女』水瀬 冬佳(p3p006383)は有り得なくはないが難しい事象として聞いていた。但し、その為に検証を重ねている時間はない。
今年の桜が散ってしまえば、更に力を付けて抑えきる機会を失する。何時まで鹿路心咲が鹿路心咲として保たれているかは分からない。
(ああ、寧ろ……鹿路心咲という依り代の精神が10余年の歳月に耐えて来れたからこそ、と言うべきでしょうか。
彼女が保たれている間に斃しきらねば、手も付けられない存在になる)
儀式の再現。其れこそが最も効率よく相手を誘き寄せられる。危険性もさることながら全てを思い出したならば心も痛かろう、と『アラミサキ』荒御鋒・陵鳴(p3p010418)は両槻の山を眺め遣った。
「……其れも覚悟の上と言うのなら……嗚呼、成る程。決着を付ける心算か。然らば。次は悲劇と成らぬ様、オレは祓い、見届けようとも」
祓い屋と、夜妖の専門医。寄って集って、向き合うと言うなれば『応えて』しまう自分は此処には向かない。
『今を写す撮影者』浮舟 帳(p3p010344)は「神様に望まれるって事だよね」と呟いた。もしも、望まれたならば帳は直ぐにでも答えてしまうだろう。
応じる事が何も為せないならば。神を目にすることは此度は諦めて結界の維持に気を配ろうか、と帳が横を見遣れば山道を愕然と見上げている『航空猟兵』ブランシュ=エルフレーム=リアルト(p3p010222)と目があった。
「おばけ?」
「お化け、かなあ。神様だって『目に見えないなら』お化け……だよね」
「ッ――おばけなんていないですよ。いるのは倒せる夜妖とかですよ。だからおばけなんていないですよ」
ざわざわと、木々が揺らいだ。
「――おばけしかいないですよ。助けて!」
ブランシュは反科学的事象はどうにも受け入れがたかった。真性怪異に怯え竦んだブランシュの様子に水夜子は新鮮だとうっとりと笑っている。
「ど、どうして笑っているですか!?」
「……どうにも、イレギュラーズの皆さんってお化け! 殺す! ってなりがちなので。愛らしいなあと思いまして」
酷いと叫んだブランシュに水夜子が「ごめんなさいね」とくすくすと笑い続ける。
「サテとおりゃんせ、とおりゃんせ――此方は虎口、彼方は鬼門、塞の神なきこの古都に。
童女を見つけ見失い、通りすがった観音打が、一夜の道祖となりましょう。
ええ、同じく通りすがった無害な魑魅も、目的のある有害な魍魎も、こちらを通すわけには行きません。
ましてこの神具に触れようものなら、素っ首落として野に晒しますので、以上ご容赦ご寛恕を」
うふふ、と頬に手を当ててうっとり笑った『破竜一番槍』観音打 至東(p3p008495)の言葉にえいえいおーと拳を振り上げたのは『うそつき』リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)。
「『若宮』をたおすまでぼうえい、がんばるぞー……」
勿論、リュコスとてブランシュと一緒で『夜妖(おばけ)が沢山』は恐ろしい。夜の山の雰囲気さえも一層とその恐怖を煽り続ける。
それでも若宮が誰かに取り憑いたならば? その人が死ぬ方がリュコスにとっては何よりも恐ろしかった。
「この作戦が成功したならこの地で倒したって前例が生まれる。
……この先にも他の真性怪異を倒せる可能性ってのが生まれるわけだ。ならやってやるさ。
俺のために。そしてあの2人の願いを叶えるためにも、よ」
そうして重ねていけば『石神』の地の旧き神とて手が届くだろうか。『名無しの』ニコラス・コルゥ・ハイド(p3p007576)はふと二つの塔を見上げた。
――私を見付けて。
「見つけてもらって何をして欲しいんだかねぇ。案外見つけてもらって封印されたがってたりな。冗談だ」
頷いて、リュコスは「心咲ってひとがあのまま使われるの、なんかやだな」とぼやいた。
助かると、いいな。死んでいるなら、解放を。
「うん、ここまで来たら乗りかかった船だからね。私達の力で心咲さんを若宮から解放してあげようよ」
そう皆が望むならば『赤い頭巾の断罪狼』Я・E・D(p3p009532)は両槻の地を眺める眸を揺れ動かした。
見付けてね。それは何方の言葉だったのだろう。
もしも、心咲であったならば。親友のために命を投げ出した彼女を救ってやりたい。せめて、魂だけでも。
ニコラスは山道をさくり、と踏み締める。順序を辿る。その為の道筋は『あの日』と何も変わりない。
「……悪りぃが若宮。俺が見つけるのは心咲さんだ」
●
――皆、ちゃんと帰って来てね?
真性怪異に触れる度に『竜交』笹木 花丸(p3p008689)は恐ろしくなった。何時だって、戦う敵は困難があれど倒せる可能性があった。
けれど、真性怪異は人の手によって斃すことが出来ない存在だと認識されている。否、そもそもの事象として鎮める事は出来ても『殺す』事は難しいのだろう。
(……いつか彼らの手によって蝕まれて、知ってる誰かが連れ去られてしまうんじゃないか……って)
こんな気持ちじゃ駄目だと頬をぱしりと叩いた花丸はふう、と息を吐く。こんな弱気ではひよのも困惑してしまうだろう。
彼女だって『真性怪異』と因縁深い。此処で、決意を固めておかねば。
「心咲さんと暁月さんと晴陽さんの三人の間にそんな経緯があったとは……じゃあ、彼女の魂は今も苦しんでいる……?」
呟く『宇宙の保安官』ムサシ・セルブライト(p3p010126)に頷いたのは『羽衣教会会長』楊枝 茄子子(p3p008356)。
「神様って、寂しがり屋だもんね」
そんな訳知り顔で呟いて――せっかく友人になったというのに封印しなくてはならないのだと思えば、少しばかりの寂しさが過る。
ムサシが言う『心咲の開放』が茄子子の感じた『神様への理解』と相反しているわけではない。どちらも両立できることなのだ。
「……若宮君を呼ばなくっちゃね」
手を伸ばす。指先に感じた違和感にこれが音呂木・ひよの (p3n000167)の巫女が張った結界なのかと『ifを願えば』古木・文(p3p001262)は実感していた。
(――ああ、もうすぐ桜が散るんだ)
初夏の湿った風が煽った桜の花びらが文の頬を撫でた。この桜が散れば、また来年まで『彼女』には会えないらしい。
「いやね、遠隔地から術者が結界貼るのってかなり不正確性があるんだよな。
それでも請け負ってくれたひよのには感謝するしかねぇんだが……『若い』なら祓えるかもしれない、ってのはマジか。……赤ん坊ならなんとかできる理論なのか」
呟いた『雨夜の映し身』カイト(p3p007128)はふと、ひよのの言葉を思い出す。
本来ならば信仰とは長年に培われて、積み重なった念である。ならばこそ、若い神であればそれは雑霊ほどの力と推定できるのだそうだ。
遠隔地からの術式がひよのの身体に何れだけの負荷を掛けるかを懸念していたカイトへ「支えて下さるでしょう?」とひよのは笑ったという。
文は後方を一瞥した。夜妖『マヨヒガ』を封じた鞭と妖刀『無限廻廊』。それぞれが武装を確かめる様子は違和感さえも感じさせる。
澄原 晴陽 (p3n000216)と燈堂 暁月 (p3n000175)。
高校から10年余りの付き合いがあるという彼女達は一つの事象に挑むが為にイレギュラーズを呼び寄せたのだ。
――燈堂 暁月が『祓い屋』として降ろした怪異に巣喰われ命を落とした娘の解放、怪異の封印だ。
儀式を行い、改めてその現場を再現することが必要であるらしい。文にとっては漸く来た真性怪異を倒せる機会だ。
R.O.Oでの特殊事例『豊底比売』の様に倒せる存在を認知し続けることにより真性怪異も『そう』だと手の届くレベルに転がり落ちてくる可能性とてある。
(石神の怪異はひよのさんが封じてくれた。逢坂のアレも、もしかして……)
両槻の山を踏み締めて、あの日のように準備を整える暁月の背中に『刀身不屈』咲々宮 幻介(p3p001387)は「暁月」と声を掛けた。
「ああ、……来てくれて嬉しいよ」
「まぁ、もう心配いらねえとは思うんだがな……一応のお目付け役みてえなもんだ、手ェ貸すぜ暁月?」
有り難いと眉をへにゃりと降ろして笑った彼の笑顔に多少の脱力を覚えたのは否めない。
「縁もゆかりも無い、とは言えねえしな……何度か感じた覚えがある気配だからな、コイツはよ。
それに、まだ力は弱い様だが神は神、だったら神殺しは咲々宮の本分だ……姿形に誤魔化される程、俺は甘かねえぞ」
「頼もしいよ」
暁月の肩に花弁が一枚見えた。幻介は其れを見遣ってから唇を噛みしめる。余り長時間接触させたくはない。
それは経験則だ。咲々宮の本能とも言える。勿論、ひよのの生家たる希望ヶ浜の『音呂木』や晴陽と水夜子――龍成の生家『澄原』を信用していないわけではない。既に存在して居る情報だけでもえげつない、と幻介は感じていたのだ。
(――ま、信用できないっていや晴陽は『構いません』って言うんだろうな。……信用されようなんざ、思って無さそうだ)
「……暁月さん」
『救う者』浅蔵 竜真(p3p008541)が呼びかければ暁月はやけにフランクな態度でひらりと手を振った。その様子は文字通り『憑物が落ちた』かのようである。
祓い屋での一件、拾った命を無茶をやらかして溢しやしないか。ひやりと背に伝う物を感じながら竜真は肩を竦める。
(あれから直ぐで……まあ、介錯しようとした俺が言うのもなんだが。あの人あれで案外馬鹿だからな)
暁月の軟化した態度。『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)や幻介が彼の周りに居ることもあり、口喧嘩めいた応酬を繰り返す晴陽も今日は彼とはその様な事はないらしい。
その横顔には緊張が滲む。
彼女が人を避けるような態度を取る事は『今から決着を付ける事柄』と大きく関わっていることを竜真は知っていた。
「晴陽さん。晴陽さんは強い人だ。でも、ずっと悩んできたことを知っている。
……俺の支えなんていらないかもしれない。けど、俺が支えたい。誰かじゃ嫌なんだ」
俺が、彼女の傍にいたい、と。竜真は面と向かって晴陽を見た。紫色の瞳が、竜真を見てから瞬かれる。
「私利私欲だとしてもそれで晴陽さんの力になれるのなら、来ない理由はなかったんだよ……だから俺にも手伝わせてくれないか」
「私のようなものに斯うして力を貸したいと、仰って下さる方が沢山居る。
不思議なことですね。友人さえ、恐ろしくて作らなかったというのに……。
有り難うございます。斯うして皆さんが私を支えて下さることはどれ程幸せなのでしょう」
心咲の一件があってから友人を作ることに臆病であった晴陽は『弟』がそうであったようにイレギュラーズと良き友になれるのではないかと感じ始めたのだろう。
晴陽にとって竜真は弟のような青年だ。
疎遠ではあったが大切にしていた弟は直ぐに無茶をする。彼と龍成と重ねているところはある。彼も龍成もどうにも前のめりだからだ。
20歳になったばかりの青年に、自分の為に無理をして欲しくはないと、口を開き掛けてから――屹度、また頼りないのかと叱られてしまうかと曖昧に肩を竦めた。
「暁月様……全く、貴方と云う人は!」
叱る『桜舞の暉盾』星穹(p3p008330)の傍らで『桜舞の暉剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は肩を竦めて言わせてやってくれと云う様に暁月を見遣った。
「祓い屋の務めではないとしても、そう簡単に無茶をしようとするのは頂けませんね」
「そうだよ。暁月殿も大けがの後に無茶をしないでほしいな。
……でも、放っておけない事情も理解は出来るからね。心配性の友人の一人として見守らせてもらうよ」
「ええ、ええ、ですから――斯うして参りました。貴方の友として、此処に。
心配性な友人のこと、ちゃんと忘れずに居てくれたんですね。安心しましたよ……本当に」
二人揃って、心配性の友人に詰められる暁月を眺めてから晴陽は「先輩も苦労しますね」と呟いた。
「あらぁ、貴女だって、そうよ? 心配性な友人が増えていくのだから。
晴陽さん、あのね……私も、貴女の言っていたことが解るわ――影のように、過去が張り付いて私を許さないって。
ずっとずっと、一人だけ生き延びたことが許せなかった。
夢で思い出しては、膝を抱えて震えていた……でも、自分のことは自分で許してあげなきゃ」
「アーリアさんも?」
傍らで揺らいだ柔らかな菖蒲の色の髪。気丈にも見えたアーリアの言葉に晴陽は驚いたように瞬いた。
「ええ。あの時――そう思ってからは過去は私の傍で囁くの。『どうして』って。
恐ろしいわ。けれどね、気付いたのよ。自分のことを許せるのは自分だけ。恐ろしければ誰かに頼って、泣き言を言ってもいいんだから!」
ね、とアーリアは晴陽の手をぎゅうと握った。丁度、年齢も近い。
晴陽は握りしめられた掌を怖々と見詰めてから、そっと握り返した。
「甘え下手で、申し訳ありません。私も、暁月先輩も……下手なんですよ」
「手厳しいな」
軽く返した暁月に『下手』同士だから此処まで拗れたんでしょうと晴陽は少しばかり棘のある声音で言った。
「全力で手を尽くさせて頂きます。ここで犠牲者を出してしまうと心咲様が浮かばれないと思いますからね。
それにしても親友の為に命を投げ打つとは……素敵な方だったのでしょうね」
穏やかに告げる『黒狼の従者』リュティス・ベルンシュタイン(p3p007926)に晴陽は「ええ」と頷いた。
「本当に、明るくて。真っ直ぐに走っていく――何だって、一生懸命な子だったのですよ」
思い出話を口にすることが出来る。それだけでも心は幾分か軽くなるものだ。
ふ、と笑みを浮かべたのは『求道の復讐者』國定 天川(p3p010201)である。
「なぁ先生。俺はな……誰かを守りたくて警察官になった。
だが……一番大切な妻子を守れず、復讐に走った駄目な男だ。先生の大切な人も……俺には取り戻してやることは出来ない」
天川に晴陽は頷いた。そもそも、鹿路 心咲はもう死んでいる。10年余りの歳月はそれを真実としてまざまざと晴陽の前に突きつけていたのだ。
葬儀に赴いたあの日のことを晴陽は忘れることはないだろう。『心咲が生きて返ってくる』事など有り得やしないのだから。
「そんな駄目な俺にも、一つだけ……一つだけ出来ることがある。……奴をぶった斬れる。だから、な。任せておけ」
過去について語らった者同士。アーリアも、天川も消し去りたくとも消えない過去の影が付き纏う。否、消し去ることさえ拒絶してきたのかも知れない。
復讐者である天川は自分の怒りのためだけに刃を振るってきた。
――自分を赦してあげなきゃ。
アーリアが、そう言ったように。天川も、そうできるだろうか。混沌では誰かのため、大切な人の為に怒りを込めて刃を振るうのだから。
「少し……ううん、随分いい顔をするようになったんですもの――終わらせにいきましょう、きちんと」
心配性な友人達の言葉に暁月は「そうだね」と決意したように目を伏せた。
●
「神様だか何だか知らないけれど、そろそろ退場の時間だね!」
セーラー服の裾がゆらりと揺らいだ。『優しき咆哮』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)が抱え上げたのはガンブレード・レインメーカー。
腰から下げた瑞刀から沸き立った清麗なる気配が自身を保ってくれているのだろうか。頭痛が酷く、何かに侵される感覚は拭いきれない。
(――退くのは容易だ。『真性怪異(そういうもの)』は危うきに近寄らず。
でも……私は心咲さんに会うために桜に呼ばれたんだって……なんでだろうね、そう思うんだ)
儀式のために辿る道は、怪しくシキの身を誘う。近郊の山。それはのっぺりとした影を想わす夜の『異空間』。
その感覚は『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)にとっても覚えがあるのではなかろうか。日中踏み入るだけならば軽度なハイキングコースとなれども、夜になればそれは人を喰らう地と変貌する。
住民達が日暮れ後に踏み入るなといった理由は肌を撫で付けた嫌な気配に似ていた。
「漸く、威を以って制する時がきたか。
滅する事が出来ぬという点は、聊か歯痒いが――それでも、大きな前進だ。必ずモノにしてみせる!」
だが、イレギュラーズとは『威を以て制する』事に特化した存在だ。可能性(いのち)を燃やし未来を掴み取る事が出来るはずなのだから。
「成程。本件、深く関わりがあるわけではござらんが、天川殿には先日の依頼で友のために力を貸して頂いた借りも御座る。
彼の友が助けを求めるならば微力ながら力を貸そう。紅牙斬九郎、これより義によって助太刀致す」
堂々と告げた『闇討人』如月=紅牙=咲耶(p3p006128)に有り難うと天川が手をひらりと振った。
「僕としては学問に必要な物は『センス』だと思うのだよ。物事の本質、要点を見抜く力とでも言おうか。
……学問に限らずだろうが。僕には壊滅的に『それ』が無い。みゃーこ君が学ぶ民俗学とて、センスと論調で作られる。
おかげでこの手の相手と全力で戦えると思えば鈍感なのも役に立つ。変わらないのならば。変われないのならば」
『獏馬の夜妖憑き』恋屍・愛無(p3p007296)は鈍化する精神こそ、最も斯うした相手には特攻であろうと彼女を見遣った。
神霊を研究するが故に、其方に心が寄りがちな澄原の娘、水夜子こそ『お気に入り』だ。彼女は依り代に適していそうだが、横槍を入れられるのも我慢ならない。
「さぁ、征くか。戦うのは嫌いじゃない」
まるでそれは葬列のようだと陵鳴は感じていた。桜の花びらが張り付いている、その背中。
分霊が真っ先に狙うのは誰か、既に縁のある晴陽や暁月か。それとも――
陵鳴は式神を作りだし、『しきわの道』に山を辿る。荒れた祠は斯うして辿る者達の肝試しで荒れたのか。
「ねえ、暁月さん。私ね、桜って好きよ。その下で飲むお酒は美味しいし、春だなぁって嬉しくなる。
でもきっと、それは散ってしまうから美しいと思うの……だからこの場所は、ちょっと怖いわ」
アーリアに暁月は頷いた。この地の桜が信仰された理由は狂い咲くからであった。
葉山、端山、羽山、麓山――
本山に対する端山という意味合いが在るとも言われているが、両槻の地では幽世と現世を隔てる地としての信仰が強かったのだろう。
作神信仰の一環としての稲作の信仰を集めたこの地を襲った日照りや飢饉、それにより発生した疫病は神の化身として桜を宛がい『分霊』した。
その分霊が、彼女の肉体に疵を残した。
ひりつく火傷の痛み。亡き人と同じ痕だと聞けば葬儀屋たる自身は悪くは無いとでも感じてしまうか。
(でも、嗚呼、そうだなあ。保護者もふたりに増えた事だし……今宵死ぬには桜が、生が、美しくて、惜しい)
匂い立ったのは生者のみが感じることの出来る華薫。『L'Oiseau bleu』散々・未散(p3p008200)は傍らをこそりと見てから笑った。
桜の花の香りが、濃い。心がザラつき不安と不吉を告げる。緊張に身体が強張らないように『竜剣』シラス(p3p004421)はすう、と息を吐いた。
「……依り代が必要なら、若宮は『あの日と同じ』ように桜の火傷を持つ奴の後ろに現れる可能性がある」
シラスへと頷いたアレクシアは不安げに振り向いた。二人の保護者。アレクシアを泣かせたとあってはシラスはこってりと未散を絞るだろう。
黄泉路まで追掛けてきて母親のように叱り付けてくれるだろうか。恐ろしや、と桜のキスマークを撫でてから未散は一度眼を伏せった。
儀式の道を辿りながらニコラスは水夜子と晴陽を立ち回るように進んでいた。
護衛役であるアルテミアは出来る限り誰かと向き合うように自身等の『違和感』を感じ得るようにと気を配る。
「あれは『心咲』ちゃんじゃない、連れていかれないで」
囁いたアーリアはぎゅっと晴陽の手を握りしめた。暁月より、彼女の方が不安定に見えたから。
晴陽の傍らに立っていた竜真は刀を構えていた。まだ、若木のような神霊であれば全力でやれる。希望ヶ浜に憑いた他の存在よりも簡単だ。
(鹿路 心咲――だけど、依り代を。彼女をまた……二人に斬らせたく、ないんだ)
その為に、剣を振り下ろさねばならなかった。若宮の姿がぶれる。晴陽の傍――否、『彼女』が現れたのは。
「――見付けましたよ、貴女を。心咲さん、貴女を迎えに来ました」
囁いた冬佳。彼女が直ぐに気付いたのは『桜の花びらを有する』仲間達で相互的に監視をしていたからだ。
未散。
矢張り彼女の傍であったかと冬佳は眺め遣る。水夜子がメカニズムまでは調べてくれていた。だからこそ、ここで付け入られる隙は無い。
「未散君!」
「未散! 来ると思ったぜ、渡すかよ!」
アレクシアとシラスの声が響いた。振り向いた未散はずきりと痛んだ火傷痕を抑える。
痣のようになったそれが、若宮に『彼女の居場所』を知らせるようで。
「封印、かぁ。せっかく友達になったのになぁ。あれ、なったよね?ㅤもう友達だよね。
だから、ほら――ねぇ、こっちへおいでよ若宮くん」
こてん、と首を傾いだ茄子子は微笑んだ。冷静だ。心咲の事は関係ない。心咲に関しては仲間や晴陽に任せておけば良い。
茄子子は『若宮』と話しにやってきた。竜真が剣を向ける。睨め付けるシラスとアレクシアが未散を庇うように立っている。
「漸く姿を現したな、若宮。要件は、"これ"で概ね察しただろう?」
肩を竦めた汰磨羈の眼前で『彼女』は「んー」と首を傾いだ。その仕草そのものが、心咲をダブらせる。
晴陽が息を呑んだその肩を支えてからミザリィは「大丈夫です」と震える指先で伝えた。
「……心咲ちゃん」
愕然としたのは暁月とて同じだ。『あの日』と同じ。
佇んだ心咲と晴陽が向き合っている。俯いた心咲の眸が怪しい色を帯びている。
「……同じ事を繰り返しに来た訳では無いのだろう? ならば、見据え、受け入れ、越えて行け!
大丈夫だ、私達が傍にいる。その意味を、御主は特に理解している筈だ、暁月!」
暁月の背を叩いた汰磨羈は若宮を睨め付けた。なんと、無作法な神だと攻め立てるように。
「さあてさて。若宮様よ、分霊様よ。其の娘の魂、解かせて貰おうか」
ご対面と相成れば、身を挺する覚悟は出来ているのだと陵鳴は笑った。
是れ正に急急如律令――矛一振りで神を封ずる助けになるというならば安いものだと向き直る。
竜真は直ぐ様に心咲へと斬りかかった。一歩足とも退かないと睨め付けた竜真の背後で「心咲!」と呼ぶ声がする。
竜真の肩がびくりと揺らいだ。
「姉さん!」
水夜子がその手を掴み、冬佳が「落ち着いて、先生」と声を掛ける。
鹿路 心咲。澄原 晴陽にとって10年ぶりともなる『その姿』が『あの日のよう』に誰かの剣の先にあったのだから。
●
結界のがばちり、と音を立てた。神具の傍に立っていた帳の表情が歪む。四方、遠距離からの支援を行うひよのの結界を保持する為に斯うして防衛を行わねばならないか。
帳は出来うる限り夜妖を引き寄せ、自身を鼓舞し続ける。
風神の加護が身を包む。味方を立て直す号令が響き渡った。言葉にすれば身を切る痛みも遠離る。
「大事な大事なお話の最中なんだよ! どんなモノにも邪魔はさせないのさ!」
万年桜の花びらが、風に乗せられて運ばれてくる。美しい、花の香りに包まれながら怖いとブランシュは唇を震わせた。
暁月に助けてと叫びたくとも、彼は晴陽と共に心咲に向き直っているか。
(ッ、そ、そんなこと言ってられないのですよ!)
怖かったと泣けば水夜子が「よしよし」と頭を撫でてくれるだろうか。一頻り怖がっているブランシュを愛でた後に。
そんなことを考えながらも、はっと顔を上げたその視線の先――夜妖を見付け、刀の非ず三撃を繰り出した。
「アレは昔の人の姿をした、解析不能の化け物ですよ。魔種でも何でもない、人の手に負えない恐怖……そ、そんなのに負けないのですよ!」
神様と呼べば崇高な存在に感じられる。
いいや、人を害する存在は神様なんかじゃなくて化け物だ。ブランシュは結界を守り抜く為に恐怖に打ち勝った。
「Uh! 夜妖はホラーだけど何も考えずに動きまわったほうがぼくはかなりマシだね……!」
怖い怖いと怯えているよりは、何も考えずにモンスターをぶん殴っている方が安心できるのだ。
リュコスは悪性怪異:夜妖<ヨル>を『おばけ』だと認識せずにモンスターだとして接することにした。
「よっつ……Uhhh……こ、ここを護らなくっちゃ」
震える膝に力を入れてリュコスは牙を剥く。吼えるように、叫んだ。狼は強いんだと髪を大きく揺らがせて。
感覚を研ぎ澄ませる。夜の闇にも目は慣れた。景色を消して、夜妖の不意を打て。
(……あっちも、こっちも……! 数が多いよお……!)
リュコスが「あっ」と叫んだ。一カ所。集う夜妖が神具に触れようとしているか。
「いやなんでしょうねコレ。
どこかでおにんぎょさんを見つけて、おにんぎょさんまってーってやって、気づいたらここにいた……ような……?
我ながら前後関係不覚ですがお仕事です! 守りますヨー! よいしょー!」
裏鬼門。南西を守護する至東。東西南北しっかりときっちり作られた再現性東京の内部でも『其れを感じさせないようなオブジェクト配置』は流石であった。南方らしき場所に日中に設置された神具が淡い光を帯びている。
「害を為さんというならば! 切り伏せててやりましょう。ズバーッと!
サテ東西東西、桜の滋養になろうとは思い上がりも甚だしい!
どうせなるなら私の『楠切火忌村正』のキルマークになるのがいいんじゃないですかネー! うひゃー守る戦いたーのしーい!」
『ビームムラマサ』と呼んだ楠切火忌村正『万朱』『一紅』。大小ワンセット。練達製であろうとも、その剣は由緒正しいと信じればそうなるのだと云う様に。
抜刀の瞬間こそ、至東の見せ場。刀身が鈍く返した憑きの色。目くらましと共に叩き込んだ一閃の背後より、リュコスがずんと飛び出した。
「まもって、みせる……!」
ふんすと飛び出した少女の遠吠えが響く。心のままに牙を立てる。色褪せた日々は誰だって抱いていた。
リュコスとて、過去に囚われている。晴陽が言った『過去が影のように張り付いた』――それは小さなリュコスだって同じだった。
この街は歪な構造だ。人であらねば、化け物だと糾弾される奇妙な街で。それでも、誰かのためだと人狼(ばけもの)は吼え続ける。
「幾ら多く攻めてこようと攻撃が当たるならば恐れるに能わず。音に聞きし音呂木の結界、必ずや守り抜いてみせるでござる」
ひらりと躍るように咲耶の絡繰手甲より飛び出したのは暗殺術。戦が長引けば、敵も味方も余り込む。
出来うる限り離れすぎずに敵を殲滅する中で、限られた仲間達と結界を守るならば連携を心掛けねばならないか。
(……聞けば彼等にとってようやく巡ってきた機会との事。ならば拙者達がいる限りこの結界は破らせぬ。だから皆、どうかご無事で)
この結界があればこそ、その怪異へと対抗し続けられる。何れだけ耐えられるか、だ。
そうも口にされたならば攻防一体の構えを崩さぬ咲耶は耐え忍んで見せようと言葉にするのみだ。
出鱈目に放たれた無数の弾丸、変幻自在に降り注いだ暗器の雨は、一寸の隙を付き魔性の一撃へと転ずる。
瑠璃の為にと力を貸してくれた天川に恩義を感じている。鉄火場に落とされた戦いの火蓋。
あの日のことを思い出す。戦えると言葉を尽くし、我武者羅に生きてきた彼女を支えたときの如く。
(恩義ある彼の友が為――そして、この戦場に共に駆ける仲間が為、紅牙斬九郎。この心は折れることなどあるまい!)
此処が壊れれば、皆が取り込まれてしまう可能性がある。帰り道も、なくしてしまうような。
そんな気配から逃れるべく文は神具を護るが為に意識を張り巡らせた。鬼門に裏鬼門、現世と幽世の境界――ああ、けれど、この地こそが曖昧なる黄泉路の最中だというならば。
(……文字通り、相手の陣地だね)
夜妖や霊魂。理外の相手がわき上がってくるのはこの地が其れだけ異質であるからに違いはない。
文は穏やかに微笑んでから手帳を開いた。呪いが漉き込まれた白紙にまじないを書き連ねる。
「多少は面倒臭い相手だと思ってくれると嬉しいな。僕の呪いと君たちの呪い、どちらが強いか勝負しよう」
結い紐を挟み込んでいた手帳に視線を落としてから文は穏やかな笑みを浮かべた。こんな場所だ、敢えて普段と変わりなく佇むだけだ。
無茶をして届かないとしても、無茶をする価値はある。真性怪異は千差万別、封(たお)せる存在も多くは居たが、希譚の怪異達は層一筋縄では行かないのだから。
花丸は滲んだ恐怖を拭うようにひよのの結界の維持へと注力し続けた。
――ひよのさんと一緒に行けなくて残念だったんだ。
この桜は美しかった。彼女は「私は、まあ、嫌われていますから」と微笑むだけだ。彼女には何か秘密があるのだろう。
思えば年齢さえも細かくは教えてくれやしない。初対面から私は貴女の先輩なのですと揶揄うだけだった。
長く時間を共有してきても、彼女は少し線を引いている。そんな彼女の力になりたかった。
(ひよのさんにだって、希譚の『何か』が関わっているかも知れない。なら、私が此処で耐えて、ひよのさんの抱えた秘密も――!)
何時か。ひよのの事情にも触れるかも知れない。その時まで、彼女が万全に戦えるように。
笹木 花丸は支えることだけを目指し続けた。
「無茶はしねぇが……あのひとらも大概に無茶をするひとだよな。何より1人『無茶した後』だし」
揶揄うように笑ったカイトは守護する法学が偏りすぎないようにと対応の陣形を組む。
「……でもそうでなきゃ、俺らに頼ったりもしないだろうし、何より『大事なひと』を助けにはいかない、よな」
カイトとて桜に絡んだ『話』に身に覚えがあった。人の姿を模して生き方をも真似た存在。
それは、人を真似て、彼女のままで死んでいった。「a」と囁きを残し、桜を愛するその人は人の痛みをも模倣したのだ。
(はてさて。俺の知ってる桜絡みの夜妖は『犠牲者を増やす前に』人として死んだんだが――
あの神様初心者の行き着く果ては、どーなるやら、か。
……せめて後味が悪くならんように下支えを徹底すんのが俺らの仕事なんだけどさ)
あの日のような、美しい桜の花がカイトの脳裏に過る。
封印術でこの怪異をも正しく導くにはどれ程の労力が必要だろうか。ただ、それだけが胸の痼りのように存在して居た。
ラダは踏ん張ることだけに意識を注力し続けた。突破されぬように、此処を護らなくてはならない。
「今日は関係者以外立ち入り禁止だ、お帰り願おう」
銃を構え、息を呑む。照準は狂いそうになる、それが真性怪異の『領域』だという事か。
無茶をする友人がいるのだ。此処を守り切らねばまたも身を挺して飛び込んで「ラダさんをお守りするためでした」等と胸を張るだろうか。
灰色の髪に紫の瞳、人ならざるものの隣にいても笑みを絶やさぬ理外を受け入れる少女。
「全く……保たねばみゃーこだけではなく、皆もと言うならば責任重大だな」
嘆息するラダはじわじわと沸き立った何らかの違和感に。背後を振り向くことを躊躇った。
もしもの時は興味を逸らす程度のことはしなくてはならない。そも、若宮と呼ばれている時点で、本来のこの領域に存在して居る『誰か』は――
「まだ、ここからが本番か……若宮の封印はどうだろうか」
●
――桜の花びらが舞い踊る。
「心咲」
あの子の姿が其処にはあった。美しい、あの日の再現。散って行く季節外れの桜色。
「心咲」
息を呑んだ晴陽の傍で暁月が「久しぶりだね、心咲ちゃん」と微笑んだ。
「先輩、はるちゃんも。『お久しぶり』」
「ッ――」
青褪めた晴陽の表情に、先生と冬佳は声を掛ける。苦い表情を見せるЯ・E・Dは晴陽の心境を慮るように若宮を睨め付けた。
「しかし、話にゃ聞いてたがよ……えげつねえ事しやがるな、これだから神って奴はロクでもねえから信用出来ねえんだよ!」
心咲。晴陽の唇が動いた。心咲ちゃん、暁月が呟いた。
「鹿路心咲を鹿路心咲たらしめるものは姿ですか、声ですか、記憶ですか。
あなたたちの知っている鹿路心咲は、あなたたちが苦しむことを望むでしょうか……思い出しなさい。彼女が最期に願ったことはなんだったのか」
ミザリィは気を確り持たねばならないと銀製のカトラリーセットを手繰り寄せた。
此処で誰一人膝を付かせる訳にはいかない『幸運』な乙女。奇跡を望んだ御伽噺の娘は嘆息する。
「……さて、戦場で無茶をするのはどこの誰でしょう。勇気と無茶は別物なんですよまったく。
あなたたちが『絶対に守る』というなら、私だって『絶対に癒す』と誓いましょう」
「後で全員、ミザリィさんに叱って頂かないといけないかも?」
「……そうかもしれませんね」
揶揄うような軽口であった水夜子の表情は今は固い。
流石に鹿路 心咲そのものの外見が目の前に存在し、その姿と戦わねばならないと言うのは晴陽や暁月を良く知る身としては苦い思いが滲むのだろう。
「心咲さんの姿をした若宮を弱らせないと依り代の人形が出て来ないんだよね? ちょっとやりにくいなぁ……けど、やれる事をやらないとね」
この周囲に依り代人形があれば、と呟いたЯ・E・Dは「若宮か心咲さんか。見破るくらいなら易いよ」と告げた。
「落ち着いて暁月殿。俺達は心咲殿を救いにきたんだ。無限廻廊が斬るのは心咲殿じゃない。
……キミの隣には俺達がいる。だから迷いなく前へ踏み出すんだ」
「貴方が戦っているのは若宮です。貴方の友人を模倣しただけの怪異です! 貴方が斬れないなら私達が斬ります!」
暁月が『もう一度』晴陽の目の前で心咲を切らなければならない。ヴェルグリーズと星穹はもしも彼が躊躇うならば自身が担うと告げた。
暁月が晴陽を一瞥する。硬い表情をした彼女の姿が嘗ての高校時代の風景と重なった。
――先輩! どうして!?
珍しいほどに声を荒げた晴陽が心咲の元に走ろうとした腕を掴んだ。近付いてはいけないと否定する。
咄嗟に掴んだ腕には刀より滴り落ちた血が付着していた。晴陽の学生服にも付着した血痕。
――ヒッ……先輩……心咲、心咲! いや、心咲! わ、私なら、治療、治療が出来ッ……!
医者の娘として生まれ、医者となる道を幼い頃から追掛けてきた彼女らしい反応だった。
青褪めた彼女が泣いている。暁月は「もう遅いんだよ」と何度も告げた。殺した自覚があった。人を殺す事に怯えた訳ではなかった。それでも。
――心咲……ッ!
泣き叫んだ晴陽を迎えに来た詩織が抱き締めた時、自分の無力さを実感したものだった。
「暁月殿……?」
ヴェルグリーズの呼ぶ声に、暁月は首を振る。
「晴陽ちゃん……大丈夫だね?」
「取り乱しました。ごめんなさい。
……10年余りもの歳月を、後悔だけで過ごしてきた私はこれでも大人になったつもりなのですよ。暁月先輩」
震える声音で告げてから晴陽は大丈夫ですと念を押すように呟いた。
「ならば、封じましょう。依り代の人形を暴き、『心咲さん』を助けるのです」
精神干渉への対応も随分と慣れたものだと冬佳は微笑んだ。
故に。清冽なる水の流れに心を沿わせるように凪を求める。
見据えた先の若宮を封じなくてはならないのだから。
「澄原先生も、燈堂さんも諦めていない。心咲さん、貴女を必ず――!」
ああ、そうだ。救うのだ。
「この手の相手は、あれこれ考えるよりシンプルに対処するのが良い。迷いは相手への恐怖となる。
恐怖はある意味で『信仰』だからな。物理的に殴れるならば。そうするだけだ。
真性怪異だ何だと言っても、僕にとって、その辺のモンスターと変わらん。だろう?」
首を傾いだ愛無に水夜子は「ええ、その通り」と大仰に頷いた。この場で殺す事を恐れるならば屹度、晴陽だ。
その恐怖さえも拭うように、愛無は『ばけもの』めいた姿を取った。
「実際、荒療治ではあったが。あのぱんだ女には感謝するべきなのかもしれないな」
ぽっと出たばかりの山の神様。そんな物に水夜子を取られて堪るかと。豪語する愛無の言葉が降る。
誰一人として欠けぬようにと、『神様ぶった存在』をその双眸へと映して。
●
「心咲だったか……その姿を模し、人様の心に土足で踏み込んでよ。例えそれが、貴様の本意ではなく『在り方』そのものだったとしても……。
それが俺達、人に対して害となるというのなら、『神殺し』裏咲々宮一刀流当代として……そして、暁月と晴陽の友人として」
幻介の言葉に晴陽がはっとしたように顔を上げた。友人を作るのが下手だと揶揄い返したのは暁月だった。
「――お前は、今此処で! 神殺の刃を以て、鎮め奉る!」
裏咲々宮一刀流 伍之型。 咲々宮の神刀は生きる意志を煌めきへと変化させる。闇夜を照らす月の怪しさを跳ね返した切っ先は若宮へと迫った。
「若宮、お前の姿は先生達にとってあまりに毒だ。一秒でも早く消えてくれ」
天川は平常心を保ちながらも若宮を睨め付ける。こんな所で狂って居られるほどに男の精神は柔くない。
(あの日狂えたら、どれだけ楽だったか……だが俺には無理だった。それを今更狂えるわけねぇだろうが!)
相手に近ければ近いほどに侵蝕は深くなる。全て持って行かれるような感覚にアルテミアは唇を噛んだ。
相手は仮にも神として信仰されている者だ。無暗に攻め込むわけではない。笑った若宮の笑顔が背筋をぞうと撫でた。
「持って行かれるものですか……そんな事になれば、『あの子』に合わせる顔が無いのだから!」
蒼と紅。双子の焔妖精が流した涙。輝く其れを握りしめる。彼女の言葉に応えなかった自分が、どうして『他』に奪われよう。
アルテミアは蒼く光を帯びた瀟洒なレイピアを握りしめた。
アルテミア、と呼ぶ『彼女』の声を思い出す。ええ、そうね。貴女の気持ちにも気づけなかった不甲斐ない姉だったけれど――
貴女の願(のろ)いは受け取った。
身を焦がす恋の焔。私が誰かの道筋となるための。
アルテミアと幻介。両者の攻撃を素知らぬ顔で受け止めた若宮の腕がぐにゃりと歪む。
「なッ――」
流石は怪異か。ゴムに刃を跳ね返される感覚に幻介が一度後退すれば暁月が「流石に、手強いね」と呟いた。
「その姿でその異様な動き。余りに感性を疑うぞ、若宮」
汰磨羈は低く呟いた。桜の花びらが己の身体に張り付いている。それが若宮のマーキングだというならば――危険域に踏み込む事を汰磨羈は厭わない。
刃の一閃、その光の向こう側を見据えたようにアーリアは微笑んだ。
魔女の気紛れな笑みと共に土が立ち上がった。迫り行く土壁。山の怪異に取っては土砂崩れにも重なって見えた憎き光景。
「……この技は、土葬だけれど。私はいつか死ぬならば、自然に孵って沢山の花で彩られたいわ、なぁんて」
シキがひらりと剣を翻し、若宮へと接近して行く。
「君は、心咲さん?」
声を掛けても、言葉は返らない。眸に爛々と宿された気配が揺らいでいる。美しい、灯火のように。
「心咲殿、キミを見つけに来たよ。晴陽殿も暁月殿もここにいる。一緒に帰ろう! もうここで縛られ続ける必要は無いんだ!」
ヴェルグリーズの優しい声に心咲の肩が揺らいだ。
手を伸ばされる。その刹那、ぐんと肉体が『引き寄せられる』様な感覚がした。
「キミとの縁に巻き取られるなんてゴメンだよ。さっさと出て行ってもらおうか……!」
「ヴェルグリーズ!」
星穹が叫ぶ。その間に立ち入るように飛び込んだのはニコラス。舌を打ち「侵食(く)う気満々かよ!」と呻く。
「ふむ、食欲とは最も素晴らしい感情ではあるが」
愛無が続く。蹴り飛ばした心咲の身体がぐにゃんと歪む。肉体を蹴ったという感覚がないのも気味が悪いか。
「肉体がなければ動けない癖に沢山の人に桜をつけるなんて……本当に、結構で大層なご趣味のようね。
貴方への信仰が変わったしまったことには同情するけれど、だからと云ってこんな風に人を苦しめることを望まれていた訳ではない筈なのに」
星穹は傍らのヴェルグリーズを一瞥した。彼にも桜の花びらが付着していた。大切な彼を奪おうとする痕跡。
「……だから、此処で終わりにしましょうか。
分霊という言葉に縁を感じない訳ではありませんが、貴方は私の友人を傷付け過ぎました……貴方にだって優しい心はあるだろうけれど」
星穹の言葉に――若宮の唇が吊り上がった。
「わたしに?」
そんな笑顔を、心咲はしない。叫び出したくなる晴陽の背を叩いてから「お任せ下さい」と冬佳はひらりと前線へと踊り出す。
「心咲さん! そこにいるんでしょう! 怪異ではなく、あなたが! 晴陽さんたちの友達だったあなたの想いが、まだあるなら力を貸して!」
その身体が依り代でしかなくとも。彼女はそこに佇んでいてくれたはずだった。
そうでなくては、あの道で、助けようとはしてくれなかった。進まないで、若宮に応えないでと囁く声は確かに彼女の者だった。
「鹿路心咲、出てきてくれ! 晴陽を助けたかったんだろ!」
依り代を求めている。シラスは心咲の『心』が強く残されたせいで、若宮は新たな身体を求めたのだと感じていた。
心咲を支配下に置くことが出来ない。若宮が心咲という依り代を己のものとできていないという証拠だ。
「応えて! 俺達は諦めない、だからキミも戦ってくれ!」
彼女が、少しでも若宮から逃れたならば。走って、走って、走って。
スポーツ推薦で高校に入ったのだと心咲を自慢げに語っていた晴陽の言葉を思い出す。
――いつだって、私の手を引いて。走って行ってくれるんです。
日焼けを気にして、恥ずかしそうにべたべたと日焼止めクリームを塗りたくる彼女を懐かしんだ晴陽の声。
今だって、真っ直ぐに走って、晴陽を助けに来てやってくれ。
シラスはそう、願わずには居られなかった。
(僕がみゃーこ君に感じる感情と、若宮が人に対する感情は似ているのかも知れないな)
水夜子はシンプルに狂って居るとさえ思われる。彼女の恐怖心は斯うした存在には発揮されていない。
モンスターに怯えるのは単純に対抗の術を持たないからだ。だが、諦観でも懐いているかのように、彼女はそもそも『夜妖』に怯えやしなかった。
(ああ、そうだ。彼女達のような逸脱者なら自身のような「異物」でも受け入れてくれるのではないかという期待があるのだろうな。結局。
……我ながらさもしい動機だとは思うが。彼女が大切だと思う事に嘘はない。共に戦場にあるならば、ある意味気が楽だ。
真性怪異も人を好き好んで求めるのは結局あれらも孤独なのだろうか。
孤独であれば存在は消える。
かみさまなんてものは、案外――弱いのかも知れない。
「地に捨てられし我が神名は荒御鋒! 主人に与えられし我が銘は陵鳴!
ハヤマから分たれた幼き神よ、ヒトの器を得た矛が欲しくは無いか!」
容易に折れることはないが陵鳴は気を引くように声を荒げた。ハヤマの分霊、幼き神。
その身はさぞ、異質に見えるであろうと陵鳴が堂々と名乗り出たその傍を――アルテミアの焔が奔った。
奪いたいと願う者は手を伸ばす。我武者羅に伸ばされた其れは目にも見えぬ速さで心を蝕むのだ。
あの時が、そうだった。
あの日を思い出した恋焔(あのこのおもい)がバチン、と音を立てた。
――がちゃん。
何かが落ちる音。陵鳴の矛がその掌から、執念から毀れ落ちた音か。
「若宮」
呼ばれた名に、鹿路心咲の形をした女がゆらりと揺れていた。
●
「心咲さんッ! 待っていてくれ……! 貴女の苦しみは必ず祓う……! だから、だから……もう少しだけ、頑張れ!!!」
ムサシは声をあり上げた。彼女はもう死んでいる。それは覆せない真実だ。
だが、その姿が『鹿路心咲』であるならば。霊魂が其処にあり、真性怪異の影響で対話を行う事が出来る可能性があるならば。
ムサシは信じたかった。彼女を救えるはずだと。彼女の『形』かた追い出すように耐出力を超えた一撃を届かせて。
じりじりと腕に走った痛みがレーザーソードの出力に耐えかねて腕へと火傷を残していることをムサシは知っていた。
それでも。
「ふざけるなっ!!!
お前が神だろうがなんだろうが……人の魂を玩んで許されるはずがない!!! 彼女の中から……出ていけええっ!!!!!」
神様だから――そう口に仕掛けてから水夜子は眩い存在だとムサシをまじまじと見詰めた。
屹度、自分ならば理外の存在にそこまで憤れない。神様なんてそんざいは人間を虫けらのように扱って理不尽の塊であるからだ。
悪縁は断ち切るに限る。ムサシは暁月達が新たな一歩を踏み出すために神様であろうとも、魂を愚弄するならば赦しては置けないと奔る。
高潔なる魂。それこそが宇宙保安官の在り方なのだ。
「死者を蘇らせる事はできないけれど、さすがにもう眠らせてあげないと可哀そうだからね」
Я・E・Dは静かな声音で、依り代人形の位置を探すように目を光らせた。『見付けて』と言った。それは依り代人形(本体)を、と言うことだろうか。
「見付けてね、っていったじゃないか……!」
シキは呻いた。さよならも、またねも、ありがとうも。伝えたい人が居るはずなのだ。
心咲。その肉体(かたち)を借りた真性怪異の声音は彼女そのもの。ほら、苦しげな顔をするのだ。暁月も晴陽も。
「伝えたい言葉は、ちゃんと伝えなきゃ、駄目なんだ!
それに私だってあなたに今度こそ花を受け取って欲しいんだ! ――だから応えてよ」
シキの周辺を美しい桜が舞い踊った。
竜真は英雄、救う者だという自負がある。故に、誰かの命を掬い取り、心を救う為に命を燃やす事は躊躇わなかった。
悲しい離別なんてさせない。依り代から引き剥がすが為に。
封印術は『依り代』を必要としていた。Я・E・Dが目を光らせ探す中、竜真の肉体は朱色へと変化する。
若宮は、何を語りかけてくるかは分からない。リュティスは縫い止めるように不吉な蝶と共に踊る。
(形を借りて佇む。10年余り。長きときに思えても余りに短い神の在り方、でしょうか)
桜の花びらが揺れた。リュティスの懐で花弁が萎れて行く。
「花弁が……? 何方も本領発揮と言うことですか」
リュティスの呟きにくすくすと笑った若宮が口を開いた。
「頂戴」
未散に手が伸ばされる。
薄淡のさくらいろ。ちょいと背伸びで睫毛に接吻けて洒落た仕草だと未散はそっと下がった。
「ぼくを染めたいなんて冗談はおよし。
ぼくはもう、たいようの光をうんと浴びているんだもの。月夜ばかりとは、思わないでくださいまし。
こんなにも綺麗なら、青空とまんまるおひさまだって一等お似合いでしょうし――ぼくが正しいレディの御誘いの仕方をお教えしましょうか」
その指先を絡め取ったのはシラスとアレクシア。
「ふふ、ぼくには二人も保護者がいますゆえ」
「しっかりしろよ、未散の冠は飾りじゃないだろう? 王様ならあんな奴の言いなりなんて無しだぜ」
揶揄うようにシラスは告げた。彼女は時々吸い込まれそうになるような不思議な錯覚をもたらした。
こうして、何かを引き寄せやすい。そんな彼女にアレクシアは叫ぶのだ。
「私の物だ!」と「あなたのものじゃない!」と。言霊が魔女のおまじないになるように。
「若宮! ……これ以上傷つけさせやしないし、まして絶対に渡しやしないんだから!
未散君は私のもの……私の大切な友達! あなたなんかにくれてやれるはずもない!」
大切だと叫ぶ声が響く。それは――屹度。
――はるちゃんは渡さない! 晴陽は私の大切な友達! あんたになんかくれてやるか! 私の全てを持って行け!
――暁月先輩、私は良いから、はるちゃんを!
あの日と同じ。晴陽がひゅっと息を吐く。
「胸糞わりぃ。その姿はてめぇが取っていいもんじゃねぇんだよ! ――ここが命の賭け所だ! 今度こそ守ってみせる!」
真性怪異を殺し尽くせ。天川の平常心が乱れる。その眸に宿ったのは怨嗟ではない、人を護るための焔であった。
天川が叫んだ。瞬間肉体強化剤『阿修羅』を太腿に叩きつける。
此処から、封じるというならば晴陽に危機が迫る。其れを許せるほどに男は弱くはない。
「正真正銘全身全霊って奴だ!」
必ず守ってみせると叫ぶ男の斬撃が若宮が近寄ることをも防いだ。危機的状況下に、肉体に感じた苦痛さえも遠ざける。
苛立ちが、『復讐』の為ではない『人を護る』為の刃を握る指先に力を込める。
実体がない。血潮が溢れるわけでもない。それでも確かに切り裂いたと感じた一撃。
「心に咲く――美しい名をした貴女の声を聞きたい。何たってぼくは王さまなので。人々には、笑顔で居て欲しいのですよ」
指揮棒を揺らがせる。魂魄の囁き、揺らぎ。彼女と『それ』を切り離すことを望むが如く。
「愉しかった事、悲しかった事、一緒に大人になれなかった事――悔いているならご安心下さいまし」
未散は囁いた。
「あの人達はあんなにも。愛されている――服喪せよ、宵桜」
若宮の動きが止まった。表情は硬く、若宮そのものは『動きたく』とも動けないと言った様子でさえある。
ニコラスは「今だ!」と叫んだ。思惑通り『鹿路心咲』を引きずり出す事こそが大事だった。
「心咲様」
リュティスが呼んだ。その名前に、煽られた前髪の向こうで優しい瞳が涙を湛えていることに気付く。
晴陽は「心咲」と呟いた。「先生!」「晴陽さん」と天川とアーリアが呼ぶ。「晴陽さん」と竜真は苦しげに吐き出した。
彼女に封印の術を使わせねばならない。その方法を携えて彼女は決意をしてやってきた。
高校時代の澄原 晴陽は頭が固いだけの女だった。再現性東京に夜妖という存在が居ることは幼い頃から知っていた。
それに対しての治療を求める患者達を隔離する事も必要だった。
但し、戦う術を持ち合わせて居るわけではない。
――澄原 晴陽という女は『全てを救えるとは思って居ない』。
寧ろ、犠牲はやむを得ないと考えていた。無駄な足掻きは必要ない。選ばなければ、誰かが死ぬ。
救いたいのは手が伸ばせる範囲だけだ。あくまでも自分の責任の内だけである。
凝り固まった価値観は燈堂 暁月の目にどう映っただろうか。朝倉 詩織には?
彼と彼女は屹度「そういうものだろう」と認識してくれただろう。
だと、言うのに。
親友が事切れる瞬間に絶望した。『手が伸ばせる範囲で』なんて口先で言いながら、その範囲すら護れなかったのだ。
過去が影のように張り付いている。
たった一人の親友さえ救えなかった自分に。
救う為の力を持っていたのに『殺すしかなかった』先輩に。
何れだけ、悔やんでも悔やみきれない。燈堂 暁月を恨んだ澄原 晴陽の感情は、自己嫌悪と同じ色を帯びていた。
「……私が『心咲』を此処で終わらせます」
その言葉を告げるまで、何れだけの年月を有しただろう。
――弱くて、ごめんね。心咲。
●
「参ります――」
ひよのから受け取ってきたという封印術の術式。準備は出来ましたと頷く水夜子の合図を受けて晴陽は行使する。
眩い光がその空間に立ちこめた。
「封に沈め、若宮ァッ!」
声を荒げた汰磨羈は愛刀の切っ先を押し込んだ。折れても構わない。刃に罅が走る。
汰磨羈の表情が僅かに歪んだことに気づき、水夜子が「たまきちさん、刀が!」と悲痛なる声を上げる。
「構わない。これ以上は誰も奪わせぬよ、若宮――!」
烏滸がましいとは思って居る。それでも、奇跡(ハッピーエンド)が好きだった。
「私はミザリィ。ミザリィ・メルヒェン――御伽話を冠する者。
世界は無情だと知っているけれど、それでも、物語の結末はやっぱりハッピーエンドがいい!」
ミザリィのシニヨンを飾っていたリボンが吹き飛んだ。僅かな可能性でも良かった。
ミザリィ・メルヒェンは彼等彼女らと親交が深いわけではない。これから知っていけば良いと笑う水夜子に肩を竦める程度の関係だ。
それでも、だ。そうやって笑う希譚の研究者に、夜妖憑きの治療を行う女医に、教員として働く祓い屋の青年に。
――疵を残したくはなかった。
「心咲くんじゃないキミってどんな感じなの?ㅤそもそもあるのかな?ㅤかみさまって感情とか意志とかそういう感じのはない?」
応えてくれないかなあ、と茄子子は笑った。一緒に遊ぼうよと手を伸ばして声を響かせて。
「ねえ、応えてくれなきゃお話しできないよ?
ほら、……ごめんね、もう帰らなきゃ。帰らないでって言われてたのにね。ごめんね。お話ししてくれないものね」
茄子子が手を伸ばした。此の儘、心咲から切り離せないか。イレギュラーズは『心咲から他の何か』に依り代を映したかった。
だが、それは未散の肉体を明け渡す事に近付くだけだ。そんなこと、為してはならない。
「どうする?」
茄子子は問うた。
「わたしは君が知りたいよ」
かみさまを知りたい。天義を手に入れられるかも。独善的で、偽善者ぶった『ナチュカ』の在り方。
「――ナチュカ」
唇が動いた。茄子子は「ああ、やっと呼んでくれたねえ」と笑う。
心咲の姿が霞む。茄子子は体内に何かが入り込んだことに気付く。
「晴陽くん、若宮くんと友達になる方法があるんだ。唯一の賭けだけど」
「ッ、それでは茄子子さんが!」
「うん、だからね。君が、私に手を貸してくれるんだよね?」
呻いた晴陽を食い止めて水夜子は「任せましたよ。たまきちさん!」と手を振る。茄子子の微笑みに汰磨羈はああ、もう、と声を荒げた。
「みゃーこ、いいな? 上手くいかねば恨むぞ!」
「ええ、ええ、勿論ですよ! 協力します!
ミザリィさん、『絶対に倒れないように支えてくれます』か? 汰磨羈さん、若宮をぶん殴ってやりましょう!
天川さんと竜真さん、アーリアさんは姉さんを。星穹さんとヴェルグリーズさん、幻介さんは『無茶しい』な先生をお願いシマス。」
皆が頷いた。ならば、とリュティスは「サポートならば、皆で行いましょう」と囁いた。
蝶々が羽ばたくように。指先が触れた黒き気配が弓へと変じた。
「これ以上、悲しい物語を増やすわけにはいきませんからね。ねえ、心咲様。
若宮から切り離す手伝いをさせて下さい。私は心咲様の……貴女の想いを聞かせて頂きたいと思います。
どうして自身の身を投げ打てたのでしょうか? 今は親友を見て嬉しいと思うのでしょうか? それとも解放して欲しいと願うのでしょうか?」
全てはその心のままに。リュティスは帰る場所がある。泥だらけになってでも、戻りたいと願った場所が。
その地に帰る為ならば、なんだって為してみせる。
心咲の唇が、震えた。声が聞こえた気がする。リュティスにだけ。誰にも届かぬような声で。
「そう――ですか」
ああ、そんなこと、想像していたけれど。何処までも優しい人なのだとリュティスは切なげに息を吐いた。
若宮は封印される可能性をひしひしとその身に感じているらしい。
茄子子。その体に『移ろう』とするならば。その干渉を此方からも、引きずり出せば良い。
――だったら! お前の奥で囚われてる心咲さんを見つけ出して引っ張り出すことくらいやってやる。
ニコラスは唇を吊り上げた。奇跡の余波。ミザリィが望んだハッピーエンドに対して汰磨羈が介入を行ってくれている。
茄子子が『引き寄せた』魂を横面から殴りつけるように。
「お前が荒魂ってことは和魂だっているはずだ。桜の花びらはここにある。縁はちゃんとある。
ならこっから和魂を引き寄せることだってできるだろうよ……畏み畏み捧げ申すってな。
力が足りねぇなら俺の存在を焚べてやる。眠ってるなら叩き起こす。悲劇はもう十分だ。捧げる価値すらありゃしねぇ」
ニコラスは叫んだ。かみさまなんて存在、信じているわけじゃない。それでも、『神頼み』は悪くない。
「――だから和魂よ。俺たちに手を貸しやがれ。
お前が人に幸運や奇跡を与えるモノだというのなら! 友達を救いたい。そんな些細な願いの一つ叶えてやれよ!」
若宮の。鹿路 心咲の身体を象っていた『それ』が光を帯びる。
「ああ、なんだ。こんな場所でずっとよく頑張ったな。さ、行こうぜ。お前に会わせたい奴らがいるんだ」
生きている存在ではない。
骨も、肉も、爪先の一つまで。もはや遠い昔に火に焼べた。
だからこそ、残されたのは精神の欠片だけ。ニコラスは手を伸ばす。笑って、揶揄うように触れた『魂(ゆびさき)』が仄かに温かい。
すれ違うように、人形に何かが吸い込まれていく。
茄子子は人形を掴み上げてから、そっと抱き締めた。
風に煽られて花弁がやってくる。茄子子を包み込んで、それから、風が山間の塔へと吹き込んでぴたりと静まった。
「――寂しいのっていやだよね。おいで、お友達になろう?」
友達なんて打算の上だ。
茄子子はくすくすと笑った。どの怪異にだって身体を明け渡すくらい『お安いこと』だったのだから。
●
「……おやすみなさい」
シキはペチュニアの花を供えて、おやすみなさいと呟いた。
心咲は此処で亡くなった。その事実は翻らないが、此処で『彼女が若宮から解き放たれた』事は確かなのだ。
後片付けに、神楽の音が響いている。その喧噪が遠離ることを眺めながらリュティスはふうと息を吐いた。
「……この桜吹雪が送って下さいますでしょうか」
屹度、優しい人だったのだ。暁月にも、晴陽にも、敢えて何も言わずに彼女は消えたのだ。
それは残された言葉がリュティスにだけ聞こえる声であったのも、屹度。
荒魂。そう称された若宮の『危険性』はЯ・E・Dが探し求めた人形にミザリィと汰磨羈が封じ込めた。
そして――『若宮』そのものは茄子子の背にぴったりと張り付いたように動かない。
「ははあ……。荒魂を封じることにより、依り代の人形に其方だけを封ずる。
術を叩き込んで封じた其方以外に残った怪異としての性質は夜妖に近い、か……」
成程と冬佳は茄子子を眺め遣る。無事に術式で若宮を両槻の地に封(たお)した事により、この地の信仰はコントロールしやすくなるだろう。
ハヤマ信仰。つまり、本来の両槻の神を適切に祀れるはずなのだ。
「お体の具合は大丈夫ですか? 無理をなさって……」
「みゃーこくんも心配性だよね。大丈夫だよ。でも、若宮くんってどんな格好になると思う?」
「……そうですねえ、心咲さんの姿を止めさせるとなれば、茄子子さんの姿を借りるか……もしくは、茄子子さんが望んだ姿になるか、ですかね」
今は依り代人形が『心咲を象っている』為にその姿にそっくりな外見を保ち続けるだろうとのことだ。
荒魂――人害を為す神の悪性を封じたことで、若宮は幼い子供のようにその場に佇むことになるだろうと冬佳はまじまじと見詰める。
「若宮に人の形を取らせたならば一先ずは音呂木でコントロールしてもらいながら、でしょうか。
出来れば『ハヤマ分霊』の名も改めた方が良いですね。……それはこの地に縁が深すぎる。新たに名を与えてもよいかもしれません」
「ああ、さっきみゃーこに言ったが『練達の技術』を駆使すれば依り代(からだ)を秘宝種のように与えられるのではないか?」
ラダの提案に「其方に神性を移してコントロールして行けば真性怪異への対抗策にも成り得ますね」と頷いた。
「問題は――」
ちら、と冬佳が眺めたのは暁月と晴陽だ。予期せぬ形で若宮をうつつに残すことになった二人はこれからどの様に若宮に接してゆく事になるだろうか。
「よく頑張ったわね」
とん、と背中を叩いてからアーリアは背をぐっと伸ばして暁月の頭を撫でた。
「子供みたいじゃないか」
「ふふ、いいじゃない、子ども扱いみたいだって。
高校生なんて、まだまだ子供でしょう?
子どもの頃に背負ってしまったものをようやく降ろせるんだもの、だからこれは今の貴方と、過去の貴方への『お疲れ様』よ」
ほら、とアーリアが視線を向けた先で、天川は同じように晴陽の頭を撫でた。微笑んで、大人が子供にするような優しい手つきでくしゃりと撫で付ける。
「先生。ちっとは気は晴れたか?」
「……ええ。その、子供の様な扱いをされている気がしますが?」
「おっと。このご時世だ。セクハラとは言ってくれるなよ?」
揶揄うように笑った天川の言葉に晴陽はぱちりと瞬いてから可笑しいと吹き出した。
「晴陽ちゃんが、笑ったのを久々に見たな」
暁月はほっとしたように息を吐く。長く、緊張をしたように固まっていた表情筋が少しでも和らいでくれたのであれば『先輩』としても喜ばしい。
詩織は――暁月にとって大切な彼女は晴陽も心咲も妹のように接していたのだから。
笑わなくなった晴陽に一番に悔しげにしていた詩織に言ってやりたい。あの子も、前に進めるようだ、と。
「さあ。そうして息を吐いたら……大人らしく、お酒でも飲みに行きましょうか。
晴陽さんや天川さんを誘ってみても、いいかもしれないわね。改めて、皆の思い出話を聞かせてちょうだいな!」
アーリアの呼びかけに気付いてから晴陽は天川をマジマジと眺めた。
「それでは、セクハラの可能性を考慮して詳しくは署で話を聞かせて頂きましょう」
「おいおい、先生」
「あらぁ、いい署(ばしょ)知ってるわよ? ねえ、暁月さん」
くすくすと笑って歩いて行くアーリアと晴陽の背中を天川は慌ただしく追掛けた。
「みゃーこ君。どうやら約束は完遂できたようだが」
「あら。桜というモノは巡り巡ってまた咲くものでしょう。新しい約束でもしましょうよ」
その様子を眺める愛無は水夜子を一瞥してからそうだな、と頷いた。
まだ『希望ヶ浜怪異譚』は全てを解き明かせてはいない。
ラダはふと、背中にひたりと感じた気配に『振り返らないまま』応える。
「――祭の日だというのにお騒がせし申し訳ない。ほどなく解散する故、お目こぼしいただけまいか」
祭りの日だ。本神がその顔を覗かせる可能性はあるはずだ。だからこそ、振り返らなかった。
ラダは振り返らないことにだけ敢えて『意識』を巡らせる。ひたりと背中に張り付いていた気配が離れた、気がする。
ほっと一安心した後にブランシュは何故か気になって――振り返った。
男が一人。
そこ、に。
[注:繙読後、突然に誰かに呼ばれたとしても決して応えないでください。]
[注:繙読後、何かの気配を感じたとしても決して振り向かないで下さい。]
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
少し毛色の違う希譚。両槻編。万年桜のイベントシナリオから、引き続いての第三回目でした。
一番最初からお付き合い下さった方も、二回目から、今回からの方も。有り難う御座いました。
GMコメント
夏あかねです。希譚は『両槻』ラスト。
●成功条件
『若宮』の封印
●希譚とは?
それは希望ヶ浜に古くから伝わっている都市伝説を蒐集した一冊の書です。
実在しているのかさえも『都市伝説』であるこの書には様々な物語が綴られています。
例えば、『石神地区に住まう神様の話』。例えば、『逢坂地区の離島の伝承』。
そうした一連の『都市伝説』を集約したシリーズとなります。
前後を知らなくともお楽しみ頂けますが、もしも気になるなあと言った場合は、各種報告書(リプレイ)や特設ページをごご覧下さいませ。雰囲気を更に感じて頂けるかと思います。
[注:繙読後、突然に誰かに呼ばれたとしても決して応えないでください。]
[注:繙読後、何かの気配を感じたとしても決して振り向かないで下さい。]
●両槻地域
『万年桜』と呼ばれる桜が狂い咲く場所です。山間に存在し、再現性東京の中でも田舎にフォーカスを当てたような場所となります。再現性東京・希望ヶ浜の住人にとってはリフレッシュの小旅行で親しまれます。電車で移動する事を目的に作られた場所です。
街の雰囲気は古都。古い建物が建ち並び、景観も意識して作られていることが一目で分かります。
どうやら春と秋には豊穣を願っての『春祭り』が行われ、今でも決まった時間になると奉納神楽が行われます。
- 参考リプレイ:<希譚>万年桜よ、狂い踊れ
- 参考リプレイ:<希譚>散花の君へ、思ひ成る
【A】若宮と戦う
儀式を経て出現する若宮を押さえ込み、封ずる事を目的とします。
所謂実力行使です。若宮の戦闘力を削りきった場合は『音呂木の封印術』を晴陽が代りに試行して若宮を依り代事封じてしまいます。
若宮は『鹿路心咲』の姿をしており、心咲の声音で、心咲の記憶を有して語りかけてきます。
晴陽や暁月にとっては見たくはないものでしょうし、高校時代の遺恨そのものです。
真性怪異『若宮』と呼んでいますが、正式には『ハヤマ・分霊』です。
この地で本来の信仰されるべき神様である『ハヤマ』より村人達の信仰が変化したことで別たれてしまった荒魂こそが『ハヤマ・分霊』の『若宮』となります。
まだ力の弱い神様であるために依り代を求め、山に伝わる『降霊術』を行った者を取り殺して、その姿を依り代としているようです。
・『万年桜の花びら』を有するキャラクターには侵蝕が強く発生します。
・若宮の侵蝕はランダムに付与され、付与された場合は『狂気判定』を数度繰り返します(精神体勢や平常心などである程度は耐えられます。時間経過で強くなります)
・侵蝕された場合は『依り代』状態となります。その場合に陥った場合は『対象を殺害する』事で若宮を封印する術が取られます。
・鹿路 心咲に戦闘能力はありませんでしたが『真性怪異』の妖気に惹かれ、周辺には山の霊魂や夜妖が呼び出され続けます。
・時折、『心咲』が浮かんでくるのか若宮の行動が鈍るときがあります。
・戦闘能力の詳細は不明ですが水夜子曰く『油断してはいけない存在』です。
【B】結界保護
儀式を終えた後に、山の外からひよのが『指定地点』に張り巡らせてくれる結界です。
この結界は術者であるひよのが離れた地に居るために維持が難しく、夜妖や霊魂の攻撃の余波で破壊される可能性があります。
結界を保護しておかなければ若宮が逃亡する可能性があります。
夜妖や霊魂を斥けることに注力して下さい。
伽藍堂となっている山の広場の四隅には結界維持用の神具が置かれています。壊されないように気をつけて下さい。
結界の保護と結界の維持は何よりも大切なものとなります。
●言葉&NPC
・真性怪異
人の手によって斃すことの出来ない存在。つまりは『神』や『幽霊』等の神霊的存在。人知及ばぬ者とされています。
神仏や霊魂などの超自然的存在のことを指し示し、特異運命座標の力を駆使したとて、その影響に対しては抗うことが出来ない存在のことです。
つまり、『逢った』なら逃げるが勝ち。大体は呪いという結果で未来に何らかの影響を及ぼします。触らぬ神に祟りなし。触り(調査)に行きます。
・鹿路 心咲
高校時代の晴陽の親友。暁月の恋人の友人であり、暁月が『晴陽の目の前で命を奪った相手』です。
若宮の依り代となっています。暁月と晴陽の目的は心咲の解放です。
・音呂木ひよの
ご存じ、希望ヶ浜の夜妖専門家。音呂木神社の巫女。由緒正しき『希望ヶ浜』の血統であるが故か『希譚』の真性怪異には嫌われているようです。
あなたと『現世』を繋ぐ存在。裏方作業を行って今回は『結界』を這ってくれます。
・澄原水夜子
「気軽にみゃーこ、みゃーちゃんと呼んで下さい」な澄原病院所属の澄原分家の少女。『希譚』や『真性怪異』の研究家です。
晴陽と共に儀式に参加します。人形を持つ係。
所有アイテム(夜妖『窮奇』
鞭の形をした厄災を滅ぼすと信じられたあやかし。鎌鼬を作り出し風の加護を纏います。)
・澄原晴陽
澄原病院院長。弟・龍成を心配する澄原家本家のエリート。感情表現がとにかく苦手な才女です。
夜妖を封じたアイテムを手に、儀式の手伝いに赴きます。戦闘能力は高くありませんが心咲の為に当時を再現します。
人形に髪と血を与え、蝋燭を消す係。
所有アイテム(夜妖『マヨヒガ』
その名の通り富貴を授けると言われた伝承の一部を封じたブレスレットです。攻撃の一部を反射する力を有します。)
・燈堂暁月
希望ヶ浜学園の教師。燈堂 廻の保護者。性格は優しくもあり厳しくもある。良き指導者。
裏の顔は夜妖憑きを祓う事を生業とする『祓い屋』燈堂一門の当主。
儀式を執り行う係。晴陽に「心配性名友人がいるなら見守って貰って下さい」「纏めて私が治療します」と言われ、ちょっぴり擽ったい気分だったりします。
所有アイテム(妖刀『無限廻廊』)
●情報精度
このシナリオの情報精度はDです。
多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
何故ならば、怪異は人知の及ぶ物ではないですから……。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定、又は、『見てはいけないものを見たときに狂気に陥る』可能性が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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