シナリオ詳細
<Autumn food>月光を飲み干しに~豊穣~
オープニング
●つたえきくは
その年はたいへん厳しい日照りで、陸の上も川の中も食べ物に困っておりました。
蟹のおかあさんはおなかをすかせた子どもたちを、ただ勇気づけることしかできないのでした。
おかあさんは毎日川を出てぎらぎら光る太陽の下、丘の枯草をハサミでちょん切って、やっと食べられそうなところを集めて集めて束にして、日が暮れるまで汗みずくで働きまわりました。それでも子どもたちが満腹するには程遠く、日に日に痩せ衰え命果てていくのです。
ある日おかあさんは山に登りました。そして山頂からお日様に呼びかけました。どうかお鎮まりください。地上はひどい飢饉です。大地はひび割れ、川は枯れかけ、子どもたちはあといくばくもありません、お助け下さい。しかし太陽はそ知らぬふりをしておりました。おかあさんは声がかれるまで何度も呼びかけました。そうしているうちに泡を吹いてばったり倒れてしまいました。
おかあさんが気が付くと既に太陽はどこにもおらず、夜空にぽっかりと月が出ておりました。蟹のおかあさんはお月様に呼びかけました。お救いください、地上はひどい飢饉です。大地はひび割れ、川は枯れかけ、子どもたちはあといくばくもありません、何卒お助け下さい。
お月様は哀れに思いましたが、ちっぽけな蟹の願い事をただ叶えるのは神の沽券に関わります。ではしかたがない。恵みを降らせよう。代わりにおまえの命を捧げるように。おかあさんは言いました。かまいません。子どもたちが死んでしまう以上に恐ろしいことなどありません。
お月様はいよいよ哀れに感じられて、蟹のおかあさんを自分の宮殿へ住まわせることにしました。そして地上には恵みを降らせました。ひらひらひらり。ふわふわふわり。それは月にそっくりの花でした。蟹の子どもたちはその花で清められた水を飲んで息を吹き返し、花びらを食べて元気を取り戻しました。
さようなら子どもたち。元気で生きていくのですよ。おかあさんはもう地上には戻れないけれど、お月様の宮殿からおまえたちの無事を祈っています。
おかあさんは子どもたちを見守り続けました。今も見守っています。
●今日のこの日に
長い石段を上ると、左右にぽつぽつと色彩が映えてくる。
黄、白、赤、紫、桃、橙が、岩陰に、木陰に、時に石段の狭間に。それはやがてあふれるように。大きな山門をくぐればそこは月に照らされた儚くも麗しき光景。その寺は菊に包まれていた。
両手で丸を作るよりも大きな一輪咲きが庭を覆っている。五色の雲がたなびくような優雅な景色。極楽とはこんなところを言うのだろうか。蛙がぽちゃんと池へ飛び込んだ。辺りには清廉な香りが漂っている。
縁側で『無口な雄弁』リリコ(p3n000096)がきれいな膳を横に、月に向かって切子のグラスを掲げている。とろりと甘いシロップで満たされたそれには、まあるい菊が一輪浮いていた。
リリコだけではなく、庭や縁側のあちこちで参拝客がそうしている。
何をしているのかとあなたが問うと、リリコは「まかるがえし」を作っているのだと答える。
「……今夜ね、菊を浮かべたお酒を飲むと長寿になるらしいわ」
私はまだ子どもだからシロップだけどねとリリコは言う。
「……まあ、イレギュラーズさんは長寿の人が多いからいまさらと言うかもしれないけれどね」
大きなリボンが愉快そうにさやさや揺れた。
「……十分に月の光を浴びた菊酒をね、まかるがえしと呼ぶそうよ。死んだ人も生き返るほどの霊力があると言われている。でも地元の人はそんな呼び方しない。もったいない、と呼ぶんだって、ふしぎね」
あまりにありがたくてもったいない飲み物だとか、珍しいから分けてやるのがもったいないだとか、諸説あるらしいが、本当のところは誰も知らない。地元では縮めてもった酒と呼んでいるらしい。
聞けば今夜は菊花の祭り。
花の膳を作り、菊酒と共にいただくのが恒例なのだそうだ。膳には菊花のてんぷらやおひたし、吸い物、刺身などが並ぶ。黄色を筆頭に白や赤紫の菊の花びらが膳を彩り、じつに華やか。味の方はしゃきしゃきと歯ごたえが良く、ほんのり苦いなかを清涼な香りが駆け抜けていく珍味であるそうだ。豊穣の、この季節ならではの御馳走と言ったところか。
「……ああ、そうそう、黄色い菊にはご用心。花言葉は『破れた恋』、誰かと花を交換するなら気をつけて」
あなたは刺身のつまの黄色い菊を見て苦笑した。リリコを真似て漆黒の夜空へ切子のグラスを掲げると、夜露に濡れた菊のような月から蟹のおかあさんが今夜も地上を見守っているのが見える。
リリコは箸とかいうものに苦心しながら大根おろしがたっぷり入った温かな出汁に菊のてんぷらをいれ、口へ運んだ。ぱりっと耳に心地よい音が響いた。
- <Autumn food>月光を飲み干しに~豊穣~完了
- GM名赤白みどり
- 種別イベント
- 難易度VERYEASY
- 冒険終了日時2020年10月12日 22時11分
- 参加人数50/50人
- 相談7日
- 参加費50RC
参加者 : 50 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(50人)
リプレイ
●
少し遅れてしまった。
ブラッドは山門をくぐり、綾姫との約束の場所を目指す。何やら前方が騒がしい。
「離してください、やめていただけますか」
「いいだろうねえちゃん、一発ヤラせろよ」
立ち止まってみれば警備のはずの綾姫が逆に絡まれている。小柄な綾姫の嫌がる態度が酔客を興奮させているのだと気づく様子はない。ここは自分が入らねばならないようだ。
「落ち着いてください。そちらの方は俺の友人です」
ブラッドは酔客の肩に後ろから手を乗せた。大柄で無表情なブラッドはこういう時威圧感がすごい。酔客は見るからにビクつき、捨て台詞を吐いて去っていった。
「お怪我はありませんか」
ブラッドは自分の胸のあたりにある綾姫の顔を見つめた。
「お恥ずかしいところを見せました。警備のつもりが守られるなんて」
「いえ、何も気にする必要はないのです。災難でしたね」
「ブラッドさん、お礼に菊膳をいただきませんか?」
「そうしましょう」
膳を前にブラッドはまばたきをした。
「食器がない……」
「食器はこれで、箸というものです。チョップスティックとも言いますね」
綾姫はブラッドに持ち方や使い方を説明してやった。
「ははあ、食器だったのですね。串焼き用の串かと思いました。勉強になります」
小さな綾姫が器用に箸を使うところを眺めていると、微笑ましい気分になる。自分もと天ぷらを箸で取ろうとしたブラッドはころりと落とし、気恥ずかしさに菊酒に口づけた。
所詮虚像よ。つまらぬ物を視た。バッサリと切り捨てるには幻はふくいくたる菊酒の香り。
くだらないくだらない。僕はあの人を蘇らせたくて骨を探してるんじゃあない。知朱はまかるがえしを手に場を離れた。反魂を意味するそれを宙へ掲げると月光を吸い尽くすように酒は輝く。ちびりと流し込めば舌の上に広がるまろやかさ。
知朱がそうしていると、シューヴェルトが駆け寄ってきた。
「すみません、警備の方ですよね。手を借りても?」
「……いいぜ」
面倒なので普段なら放っておくが、今夜の自分は酒が入っていて傍若無人は癇に障る。心得顔でうなずき返し、知朱はシューヴェルトと道を急いだ。菊花が薫る庭先で、半グレどもが徒党を組んでいる。絡まれているのは長い黒髪の、いやその裏は真紅の青年。胸ぐらをつかまれたところで知朱とシューヴェルトは臨戦態勢をとった。
「なになに、イケナイコトしたいの? 僕でよかったら相手してあげるよぉ?」
ゆるりとした声が響き、不埒者どもが振り返った。ラズワルドだ。
「ねぇねぇ、そっちのオニーサンより僕のほうがきっと楽しいよ」
フリーの男の腕に絡みつき、ラズワルドは体を擦り寄せた。その色白な肌は夜目にも白く、菊酒の匂いが香る。
「へへっ、じゃあおまえも連れて行ってやるよ、いいとこ行こうぜ」
「わぁい、うれしいな、なんてね!」
ラズワルドが手にしていた菊酒を放り投げる。同時に自分もジャンプして男へハイキック。崩れ落ちた男には目もくれず、放物線を描いてきた菊酒を受け止め、くいっとのどごしを楽しむ。
「せっかく釣ってたのに邪魔すんナ」
「赤羽」
青年、赤羽・大地はつかまれていた襟を振りほどくと男へ平手を入れた。激高した男のみぞおちへ膝蹴り。さらにローキックで向こう脛を狙う。男の大振りな拳が大地を襲う、大地はステップでそれをかわし男の背後へまわり首筋を手刀で打った。
ドサリと倒れた男の奥から知朱とシューヴェルトが全力疾走。ジャンプからのダブルドロップキックで不埒者どもを薙ぎ倒す。
「すまないな。ここは行き止まりだ」
「酒で気が大きくなっているところ悪いがあいにくと僕は今虫の居所が悪い、菊酒の菊のようにそこの池にでも浸かるか?」
半グレの気の利かない口上よりも洗練された殺意。男たちは少しずつ後ずさりし……。
「今日はこのくらいにしといてやらあ!」
どこかで聞いたような台詞を残して半グレたちは逃げていった。
「おつかれさま、よかったら皆でまかるがえしを飲まないか」
シューヴェルトがそう提案するとそれぞれに肯定の返事がきた。
「せっかくの祭りだ。少しくらいこういう役得があってもいいだろう」
「しかシ、長寿の飲み物カ。信じる者は救われる……かは分からんガ、今日くらいは信じてみるかネ」
「破れた恋、ねぇ……しなきゃ痛い思いしないじゃんねぇ?」
シューヴェルトに問いかけるラズワルド。シューヴェルトは苦笑するしかなかった。
●
ボクは全然子どもじゃないしお酒も飲めるけド! 甘いの好きだから甘いシロップ。それにしようっト。
シェプはシロップ片手に庭を進む。庭は見ごたえのある菊の花にあふれてとってもきれい。なんだかうれしくなってスキップしていると、向かいから誰か来た。
「鬼灯くん、このお花はなあに? とっても綺麗なのだわ!」
「それは菊というんだよ、章殿」
「きく、菊というのね!」
菊に気を取られてとてとてと歩いていた章姫が不意に転びかけた。
「あ」
「おっと」
同時に差し出される救いの手。シェプと鬼灯の間で宙ぶらりんになった章姫は二人へ微笑みかける。
「ありがとうなのだわ!」
「どういたしまして」
シェプがそう言うと鬼灯が会釈をした。
「章殿は本当に花が好きだな。持って返っても良いと聞いたし、一輪だけ頂こう。花瓶に飾って水をやれば少しは……どうした章殿?」
「このままにしておいてあげて」
「貴殿は優しいな」
お互いにほほえみ合う夫婦の隣でシェプは食用菊を選り抜いて、ぶちー。
「それはどうするの?」
「おかし作るときに使うノ! クッキーに入れたりもいいけど、ボク、カムイグラで観点っていうゼリーみたいなの知ったかラそれにここのお花使うとすごくキレイでいいと思うんダァ~」
「お花のお菓子、それも素敵ね! ね、鬼灯くん!」
鬼灯はうなずきながら、帰ったら睦月に庭へ菊を植えてもらえないか相談しようと考えていた。鑑賞と食用、両方。
「見事な菊に御座るな……菊酒なるものは初めて口にしたが、中々良いものに御座る」
「そうじゃな、美しい花がこうも美味い酒になる。まっこと人の子が考えることは面白い」
幻介の言葉に瑞鬼が答え、盃へ口づける。
「しかし、長寿を肖れる菊酒とは……御伽話であろうが、出来ることならば真実であって欲しいものよ」
言いながら幻介は菊酒の盃を掲げた。水面に映り込む月、それごと一息に飲み干す。
「その心は?」
「であれば、お主との別れの時も先に伸ばせるで御座ろう?」
「なにを言うておる。たかだか数十年伸びたところで誤差のようなもの、それよりも今を楽しむほうがよほど大事じゃぞ? 長く細くよりも太く短くじゃ」
瑞鬼らしい言い方に幻介は破顔した。ふと庭の菊へ手を伸ばす。
「拙者の國では、露見草や星見草の異称で呼ばれる事もあるで御座る……何とも風流なもので御座るな」
手折られたのは白と赤。幻介は顔を背けながら瑞鬼へ差し出した。
「……柄では無いで御座るが、こういう時はこうするものなので御座ろう?」
白い菊の花言葉は『あなたを慕う』、そして赤は『あなたを愛しています』。
「ふふ、口で直接言うのが好みじゃがこういうのも嫌いではないぞ」
瑞鬼は受け取った菊を髪飾りにし口の端を上げる。返事はこれへと蕾を渡す。つまり未だ来ぬ定め。
「この花を咲かせるのは現介、お主じゃぞ?今日ももちろんこれだけではなかろう? わしをもっと楽しませよ」
「月にそっくりの花……言われてみると、たしかにお月さまから振ってきたみたいな色をしていますのね。であればこれは月の香かしら……」
菊へ顔をうずめるように香りを楽しむヴァレーリヤにマリアは笑いかけた。
「君の言い回しはいつもロマンチックだね! 月の香りはしたかな?」
「ふふ、どうかしら。いつか月に行けたら分かるかもしれないけれど」
月光を受けてたたずむヴァレーリヤは普段の様子が嘘のようにひどく儚げだった。マリアは彼女の腕を抱き、急ぎ言の葉を続けた。
「そういえば、ここのお祭りのお酒を飲むと長寿になるんだって!」
「そのようですわね」
「でも私はいいかな……不老だから……逆に君と一緒に老いたいし……まぁ君を置いて先に逝くことがないのは利点だけどね!」
ヴァレーリヤは大きな瞳をさらに大きくした。
「なんだかそれって、プロポーズみたいですわね?」
「プ、プロ……!?」
顔は真っ赤。火を吹きそう。あわてて擦る頬、やっぱり熱い。だけど否定する気も……ね? そんな様子にヴァレーリヤがくすりと笑う。
「だったら私はこのお酒をいっぱい飲んで長寿にならないと、ね? そうと決まればお部屋に戻ってご飯にしましょう!」
「うん! 戻ってゆっくりしようか! なんだか右手が寂しいなー?」
一瞬キョトンとしたヴァレーリヤはすぐにその意図を察した。
「ええ、一緒に戻りましょう」
手を繋ぐ、それがどれほど、安心できる行為であることか。
跳ねる跳ねる跳ねていく、飛び石をぴょんぴょこ、広い歩幅に追いつきたくて。なのにこの人ときたら立ち止まってはぼくの様子を見るの。
「手を取りましょうか?」
いいえただすこし、この菊があなたさまを思い起こさせて足を縫い止めただけ。まんまる赤い菊は蟹の甲羅色。あなたさまを思い出す御伽話。
「なにか気になるものが有りましたか?」
首をふるつもりが、あなたさまを見つめてしまった。あの献身は慈愛は、身に覚えがある。
「――嗚呼、いえ、なんて事はないのです。ヴィクトールさまが、お月さまへ行ってしまったら……少しだけ、ぼくは寂しいなって、そう思ったんです」
この朽ちた翼でそこまでは往けぬ。ならばせめてこのおひとがここへ居る間に。赤を手折ろう。花言葉は確か『愛情』であったはず。涼やかな苦味と甘さは風に溶けてあなたさまへ届くだろうか。
「月に? 先程のお話のことでしたか。なら大丈夫ですよ」
ヴィクトールは紫を未散へと贈る。この想いが届くと信じて。月に行く資格など自分にはないのだ。むしろ未散が飛び立つのをいつか見送る、そんな側だろう。未散の翼は、飛ぶためにあるのだから。
どこか憂いているその瞳を見上げ、未散は手の中の菊を大事に抱く。
「帰ったらサシェでも作りますか。よう、眠れるそうですよ。屹度蟹の仔等も此の香りで母の居らぬ悲しみを、癒したのでしょう」
「ええ、サシェ、作りましょうか」
眠れるだろう。夢も見ずに。
異国情緒は来る者拒まず浮かれさせる。ハルアもまた。飲んだのはシロップのはずなのにどこか真綿の心地。見上げた先には蟹のお母さん。その姿を見ると心の奥がずきりと痛む。
――大地はひび割れ――川は……子どもたちは……――
同じ言葉、祈りを、ボクはたくさん聞いてきた気がする。額の石が懐かしさを呼ぶ。混沌とは違う世界を大好きだった証であるかのように。
「ボクは……」
夜風が吹いた。菊がざわめいた。死人へ捧げる白い菊、花言葉は『真実』。花よ、ボクへ伝えたい想いがあるの?
でも大丈夫。この世界で出会った人たちがくれた、大切な想いが胸に温かく灯っている。だから。ボクは。
「きっと、帰るよ」
「お酒に菊を一輪浮かべるとは、風流ですね」
「本当だね。ひとひらの花弁で、こんなにも見える世界が変わる」
月を浴びて縁側へ座る二人は無量とウィズィ。無量は手のひらで盃をゆっくりと揺らし、揺れる菊を眺めている。どこか曖昧な菊花の様子は無量の心に染み渡る。無量は月を見上げ、そしてもう一度手の中の月を見た。
「……それに、月を浮かべ其れを飲み、生き永らえるとは面白いと思いませんか?」
「うん? どういうこと?」
かぼそい声を聞き漏らすまいと、ウィズィは無量へぴったりと身を寄せた。
まかるがえし。
死した肉体から離れた魂は月へと昇る。
「月を呑むことでその魂を思い出し、糧とするのやも知れませんね」
……ああ、友の死、そして、この手で奪った命。失ったものはたくさんあって……。
「それでも、それらがいつか生きる意思になるのなら、それは……幸いなこと」
「そうでしょうか」
ただじっと手元の月を見ている無量の長いまつげを、綺麗だと思った。
「それなら、私達の明日の為に、飲もうか」
ならばと手酌をしようとした無量の手をウィズィが押し止める。注がれた透明な液体にウィズィの姿が映り込む。それを見ると、奇妙に心が安らいでいくのを感じた。
「ふふ……では、私からも一献」
酌を返し、ふたりは盃を手にとった。
「乾杯」
互いの姿を写し取った酒が体へ染み入っていく。思うのは互いに同じこと。あなたは私のお月さま。
ショールを羽織って歩くその姿を見ていると、長生きなんてどうでもいいと思っていたはずの心地が曖昧になっていく。だって出会った頃から変わらないハーモニアのアレクシア、対してカオスシードのシラスは年を経て身長も伸び、同じだった視線も今では自分のほうが高い。
そんな思いを振り切るように、シラスは庭へ目をやる。
「まるで虹みたい、夜だけど」
「そうだね。目にも麗しいし、食べても美味しい」
「菊の花がこんなに多種多様だなんて知らなかったよ。お寺の雰囲気と合わさって神秘的できれいだ」
「色によって花言葉も変わるらしいね。リリコ君が黄色い菊は『破れた恋』だって言ってたけど、他の色も恋に関する花言葉が多いんだよね」
「そうだね、基本は高貴、高潔、思慮深い、と品があっておとなしい感じだけれど、色がつくと情熱的なものが多いね」
やっと笑ったシラスにアレクシアもほっとした。
「赤は『あなたを愛しています』紫は『恋の勝利』とかね。それだけいろんな世界でこの花はたくさんの恋路を見てきたってことなのかな」
言いながらアレクシアは紫を一本手に入れた。
「これはね、『恋の勝利』以外にも『夢は叶う』って花言葉もあるんだ」
「……なんだって本人次第なのだと思えるね、気に入った」
シラスは白い菊を手にとった。
「まだ俺はこれから何にでもなれると自分で信じてやらなくちゃ」
「がんばって。この紫の菊、シラス君にも押し花の栞をプレゼントするよ」
「身罷るを返すで『まかるがえし』なのでしょう。謂れを伺いますに、延命よりは死を遠ざけるものに思えます」
「珠緒さんてば物知りね」
感心している蛍に珠緒は微笑み返した。
「いつどうなるかわからない世情ですし、あやかりたいものです」
「そんなこと言わないで。珠緒さんはボクが守るよ。そうだ、『まかるがえし』に浮かべる菊の花の送りあいっこしましょ?」
「それは良い案です」
ふたり菊花の園をそぞろ歩き。もういいかい? まあだだよ。もういいかい? もういいよ。
「はい、ボクからはこのピンクの菊の花。『甘い夢』っていう花言葉みたい」
「何故に?」
「だって今のこの一時も珠緒さんとの毎日も、甘い甘い夢のような時間だから、そんな幸せをくれる珠緒さんに、この菊を贈りたいなって。そ、それにね……」
この優しいかわいいピンク色が、とっても珠緒さんみたいって思えたから……その、すごく摘みたくなっちゃって……。
「それは珠緒を手折りたいということですか?」
「ええええええっ、そ、そこまで、はっ」
「ふふふ、とても、嬉しいですよ。珠緒からは赤い菊の花です。花言葉は……『あなたを愛しています』。蛍さんから教わり、珠緒の心に生まれた想いです。今や大輪、その象徴として、これをお贈り致します」
「ありがとう、ありがとう珠緒さん! 珠緒さんの愛をいただくんだもの、死なんて月まで吹き飛んじゃうわ!」
きゅっと一飲みした蛍は幸せでくらりときた。
縁側に腰を下ろしたアーリアはまかるがえしを月に掲げていた。この酒にまつわる話を聞いたら胸がいっぱいになっていた。
「もったいない、ねぇ……確かにそうかもしれないわぁ」
まかるがえしが謳う長寿。もしそれが本当なのならば、アーリアは考える、何杯飲んだらただのヒトと不老の大好きな灰色の彼の溝は埋まるだろうか。この前迎えた誕生日、またひとつ年を取った。……置いていくのが怖い。
「……まあ、まだあきらめてなんてないけど!」
ちびり、喉を潤すとアーリアは立ち上がった。
「ねえお月様、蟹のお母さん、私にもお花を頂戴! それを飲み干して、私もずーっと長生きするの!」
お家で待つ彼のために、菊を摘もうか。
月光を浴びるとルーキスの髪は銀色になる。それを愛でながらルナールは彼女と手を繋いだ。
「……うん、絶景。強いて言えば菊の花がルーキスに負けてる位かね?」
「ふふ、ありがとう。ルナールも最高」
ルーキスは楽しげ。ふたりで庭の飛び石を踏む。
「食欲の秋も嫌いじゃないけど、ゆったりする時間は欲しい」
「そうだな。ちゃっかり酒瓶も持ってきてることだし」
「うん、この辺りかな? なかなかいい景色だね」
境内のベンチに腰掛け、ふたりして酌をしあう。
「というわけで早速乾杯」
「んー……奥さんと飲む酒は格別に美味い」
「それは何より。美味しいか?」
「美味しい。なんて言ったって世界一美人な奥さんだしなぁ」
「酔ってる?」
「酔ってない。素面。というか、俺が酔わないの知ってるだろう?」
「それならそれで、お褒めの言葉はありがたくいただいておくよ」
とろりとわらったルーキスにルナールもまた笑みを誘われた。
「好きな人と飲む酒は一番おいしいっていうけど、ましてや旦那様ともなれば格別、また一緒に飲もうねー」
「あぁ、また一緒に飲もう」
そんな約束がなくてもふたりはいつまでも一緒。飲むのだっていつでもできる。だけど、こういった小さな約束の積み重ねが人生に彩りを添えていくのだろう。手はつないだままのふたり、すこし不便でとっても嬉しい、空いている片手でルナールは淡く光るルーキスの髪を撫でた。その柔らかな感触に相好を崩して。
まかるがえしは甘いシロップのを。
ポシェティケトはそれに桃色の菊花を浮かべた。だって美味しそうなんだもの。
「シャルは、何色?」
「悩んだけど、黄色にしてみたよ」
「まあ、お月様の色!」
「うん! 盃の中にお月様が浮かんでるみたいだよね!」
ポシェティケトに褒められ、シャルレィスもご機嫌。
「これって長生きの飲み物なのよね。鹿は不思議で特別な気持ちになっているわ」
「うん! 長生きしていっぱい冒険とか楽しい事とかしなくちゃね♪」
「ええ、ふふ、たくさん長生きしましょうね」
「もっちろん!」
シャルレィスは身軽に飛び石を渡っていく。ポシェティケトはその後からトコトコついていく。ふたりなりのお月見道中はそれぞれの散歩の距離と速さ。
「まかるがえしの菊のお花はお月様の見立てなら、ここは夜がたくさんのお庭という事になるのかしらねえ」
「うんうん、花の香りとひんやりした空気が気持ちよくて……特別な世界に迷い込んだみたいでワクワクしちゃう!」
ふいにポシェティケトがしゃがんだ。タンポポみたいな黄色い菊を摘む。
「ワタシのお月様、貰ったわ」
「わ、クララの頭にもお月様!」
ポシェティケトが相棒の妖精の頭へ菊を置けば、それはティアラのように輝いて見える。
「自分だけのお月様なんて、ちょっと贅沢だよね! あはは!」
シャルレィスは桃色の菊を一輪摘んだ。それをポシェティケトの頭へ。満足そうな彼女から返礼。笑い声はじける庭。
(…紫月とリリコと3人、まるで家族みたいだな…。)
そう考えるとヨタカの心は浮き立った。夜も更けているのに庭はいっそう美しく、月光を帯びてキラキラ。宝石細工を敷き詰めたかのよう。まるで夢の中だ。
「豊穣風の庭は美しいうえに落ち着いた雰囲気を持っているからゆったりとした時間を過ごせるのがとてもいいね」
武器商人は番のヨタカへそう話しかけた。
「……」
「小鳥? どうかしたかい?」
「…あ、ああ…。…紫月が月と共に光輝いているように見えて…見とれてしまった…。」
「ヒヒ、うれしいことを言ってくれるね」
「…だって…三人でこんなきれいな場所を歩けるなんて…とても嬉しいし、楽しいんだ…。」
「我(アタシ)もだよ」
リリコもこくんとうなずいた。
「…そう言えば、ここにある菊は持って帰っていいのだっけ…。」
ヨタカは庭で咲き誇る紫の菊を採り、武器商人の銀髪へ挿した。
「…綺麗だ、紫月…。」
「ありがとう小鳥」
続けてヨタカは白と緑のピンポンマムを見つけ、リリコの頭へ飾ってやった。
「ふふ、良く似合ってる……。」
そのまま頭を撫でてやるとリリコのリボンがさやさや揺れた。そしてリリコは白い菊を摘むと武器商人とヨタカへ差し出した。
「…ん、大事にするよ…。」
「プリザーブドフラワーにでもしようかね」
武器商人からはヨタカへ赤い菊、リリコには同じくスプレー菊。
「二人とも、長く永く、我(アタシ)に愛されておくれね? だぁいすき」
ぴこぴことアホ毛が跳ねさせ芹奈は菊酒の杯を重ねた。
「うちでも祝い事の度に飲んでいた菊酒だが、ここの菊酒も中々に上等!」
「ふふ、芹奈ちゃんも相変わらずいい飲みっぷりね! ママ、嬉しいわ♪」
庭を眺めながら美鬼帝が顔を伏せる。
「……飲んでる芹奈ちゃんを見てると薫さんを思い出すわね。芹奈ちゃんは私似だけど……仕草とか見てるとね。思えば薫さんと夫婦の契りを交わした時に飲んだのもこのもった酒ね……」
(むっ、親父殿が亡き母上殿との思い出話をまた始めたな……菊酒を飲むといつもこれだ)
芹奈は少々げんなりした。とはいっても顔には出ないのだが。この仕事をしない表情筋、時にはいい方向に働くらしい。
悪い事ではないとはわかっている、そのくらいの分別は芹奈にもある。ただ母の事を自分に重ねられるのはどうにも落ち着かない。
(拙は拙。母上殿は母上殿だ)
そんな反発めいたものが心に宿る。一方で親父殿の気持ちもわからなくはない。感情の板挟みになるといつもどうしていいのかわからなくなる。
「……何だか湿っぽくなっちゃったわね……お開きにしましょうか」
そう言った美鬼帝が遠い目をする。
「親父殿?」
「ああ、薫さんが会いに来てくれたみたい」
赤髪の女の姿が芹奈に見えることはなかったが、それでも思う。親父殿の所に来てくれてありがとう、と。
(今日は結婚記念日だったわね薫さん。子どもたちの未来に幸あれ)
美鬼帝は盃を月へ掲げた。
一面の菊花。絹のような夜空。ぽっかりと浮かぶ月。ルーキスは圧倒されつつ言葉を口にした。
「こういう景色を風流と言うのでしょう。それにしても月白さん、こういう場所似合いますね」
「そうでしょうか」
「ええ、月下美人……そんな言葉が浮かぶような」
「月下美人?」
「あ、気に障ったようでしたらすみません。いや男性だってちゃんと分かってますからね!? 間違えたのは最初だけですよ!?」
必死になって言いつのるルーキスに月白は袖で口元を隠し笑い声を立てた。
「……ふふ、驚きましたが怒ってはいませんよ。むしろ光栄です。それにしてもルーキスさんは詩人なのですね。今回は私の趣味に付き合わせてしまったかと思いましたが、杞憂だったようで何よりです」
「お気になさらず。俺もこんな素晴らしい景色が見れてありがたいくらいです。そういえば……」
「そういえば?」
「こういう場所では『俳句』なるものを詠むのが、雅で乙な大人の嗜みだと聞いたことがあります。なので、自分もやってみようかと」
「俳句……」
ごくりと唾をのむ月白の前で、しばらく悩んでいたルーキスは朗々と吟じた。
「『菊の花 食べても美味しい 凄い花』」
「『月の下 菊が綺麗で うれしいな』」
「……コレジャナイ」
「……季語があるので俳句です」
「え、季語? そんな決まりが? さすが、芸術を嗜んでいる方は違いますね」
「……」
「……」
「……まかるがえし、飲みに行きましょうか」
「はい」
●
この国の酒は体になじむようで、するすると入っていく。喉を焼くような熱さも落ち着けば次を傾けている。エッダは月を見上げた。たまには一人酒をしゃれ込みたい時もあるから。たまには自分の心と向き合ってみたい時もあるから。自分は嘘つきで、本音は自分自身すらも欺くから。けれど、あの月に位は素直になれる気がした。
妬みと焦り。それに連なる感情。
ああ、心揺るがぬ強さが欲しいでありますなあ。本当に強ければ、己の正義が第一でいられるのに。……まあでも、そういう自分も結構好きだから、どうしようもない。
「……花が肴というのも雅で良い。自分の菊は一体何色……」
顔を上げた先に、一本芯の通った白菊。
アンジェリカは菊花の膳を前に目を輝かせた。
混沌へ召喚されたときはあまりのことに仰天したが、和食や現代の料理を当然のように食べられるのはありがたい。ただでさえこの姿は文字通りの現身で本名はトップシークレットだし。せめて食くらい馴染んだものであってほしいと願うのは普通だろう。
「菊酒を飲むと長寿になる、ですか」
今の自分はどんな時間が流れているのだろう。800年を超える吸血鬼となるのか。それとも……なんて悩んでも仕方がない。今は目の前の美味しいものへ集中したい。
「ん、お刺身も天ぷらも白米にあってご飯が進みますね。あ、おかわりください」
菊の花びらも悪くない。美味しいものが食べられればそれでいい。
お酒はそれなりに好きな希。でも今気になるのはもった酒の由来。
こういうのは住職に聞いてみるのが一番だろう。探し回って見つけた彼を質問攻めにする。
「まかるがえし……死反? 初めて聞く銘だけど? 蟹の話はさっき聞いた。菊が水を綺麗にする。月の光をよく浴びた酒をもったいない酒と呼ぶ、それは何で? お月様の恵みだから? 人が生き返った伝承があるから?」
住職は穏やかに微笑み、あくまで推測だがと付け足して、そのものの名を呼ぶことを失礼と捉える文化が豊穣のこの地方にはあると教えてくれた。
どうも腑に落ちない。忘れられている、勿忘草のギフトを貰った自分みたいに。花が咲くには太陽の協力もまた必要なのに……。
ここまで来るのにくたくたになってしまった。雪は月光浴で疲れを取り、ゆっくり食事を楽しむことにした。月の光の下で手足を伸ばし、誰も見てないからと甘いシロップのまかるがえしを手に長椅子へごろんと横になる。きれいな月が見えた。不思議と元気が回復し、雪は勇んで寺の中へ。
「わぁ、お花なのに食べられるなんて素敵です! 見るだけじゃなくて、食べて楽しむことも出来るのは嬉しいですね」
シロップの甘さも楽しみつつ箸を進めていく。気に入ったのは菊のてんぷらとおひたし。ごはんもおかわりして、温かい天ぷらと冷たいおひたしを交互に味わう。
(お友達へのお土産はどうしようかなー、そうだ)
雪は桃色の菊を1輪摘んだ。
「初めまして、アイシャと申します」
「……ごきげんようアイシャ。来てくれてうれしい」
「月の綺麗な夜ですね。お庭の綺麗さと相まって、夢の世界にいるような気持になります」
「……私も」
そのままふたりは黙って庭を眺めていた。沈黙は心地よかった。
「リリコさんはまかるかえしのお伽噺をどう思いますか?」
「……優しくて悲しいお話」
「私は……蟹のお母さんの愛の深さが哀しくて……子どもたちは幸せだったのかなって……」
どうしても母と自分を重ねてしまう。大切だから愛しているから、守りたい、幸せになってほしい、その為なら自分の命だって、お母さん……。桃色の菊が滲んで、ほとりこぼれた涙をリリコがぬぐってくれた。
「先日はありがとうございました、であります。これはその時の礼。遠慮せずたんと召し上がれでありますよ!」
「今日は招いてくれてありがとう希紗良ちゃん。うん、お礼はありがたいんだけど……団子のお礼にしては豪華すぎない?」
団子から御前へ一足飛び。わらしべ長者でももう少し間があるのでは? 問いたげなシガーに希紗良はいい笑顔を見せる。
「気のせいであります! 知人も殆どいないキサにかけていただいた御恩。これしきでは豪華とは言えませぬな!」
「そ、そっかー」
今度何か御馳走しようとスモーキングエルフは心の中で硬く決めた。
「ところで、菊の花ってこちらではよく食べられる物なのかな?」
「花には、食に適したものがあるそうであります。キサも初めて口にしたでありますが」
「へえ、食用に栽培されてるのか……所変わればいろんな料理があるもんだ」
「アッシュグレイ殿のところではどのような料理が食べられていたのですか?」
「俺のところ? そうだな、基本はパンとシチューそのバリエーションって感じだ。それとサラダ、これが美味い。新鮮な野菜やちょっと変わった果物が深緑ではたくさん採れ……」
そこまで言ってシガーは希紗良が目を七色に輝かせているのに気づいた。
「希紗良ちゃんは豊穣から余り出てないのかな?」
「はい! 豊穣の外の人とじっくり話すのは初めて故、話を聞かせてほしいであります!」
「ふふふ、わかったよ。何から話そうかな……」
「まかるがえし……ああ、死返か。死を遠ざけるのではなく取り込むの、か?」
アーマデルは目の前のシロップを見つめて難しい顔をした。
「ど~したの。あっ! もしかして~月光が貯まるのを待ってるの」
突然ウロから話しかけられ、アーマデルは驚いた。
「月光を貯めるなら高いところがよくない?? 木とか登っちゃお~よ」
「待て待てなに人の物を持っていこうとしてる。それに、そういうわけじゃない」
「なんで~どして~~???」
「俺の居た世界の神は、天から降ってきたヒトも神も殺す瘴気を放つものを取り込んで抑えようとした結果、医神から死神になった経緯があった……それを思い出すと、少しくるものがあってな」
「ふ~~ん。生と死はそんなに離れたものじゃないと思うけど、死から再生することに神性を感じるならニンゲンは生に執~着しすぎてるんだろ~~ね」
「そうか?」
「そ~思わない??? ボクはそ~思う」
言うなりウロは自分の持っていたまかるがえしを一気飲みした。
「うわっ、じつは酒臭いな?」
ウロの後方には食べ散らかされた膳と、空になった一升瓶が転がっている。
「お酒好きだけどねぇ、どこぞの蛇が酒で退治される話みたいな……眠くな~っちゃうんだよね……ねむ……すや……」
「おい、寝るな、俺を枕にするな」
一人残されたアーマデルは覚悟して自分のまかるがえしを飲んだ。
「……甘い。ついでに食事を、なんだこれ、生だ。これ、はフライか?」
秋は羊たちの恋の季節。
それとは関係なくヨハンと数子はシロップのまかるがえしを手にとった。
「「乾杯!」」
耳に涼やかな音色。
「うーん、あまーい」
「ほっぺが落ちそうです」
数子もヨハンもまかるがえしを気に入ったのかグイグイ飲む。ぷはーとやって、いざ御膳。ヨハンの目がきらりと光る。
「ふふん。ミーちゃんに和食を作ってもらった時のせつじょくを果たすためにも! お箸の使い方を練習したのです!」
「すごい! ヨハンくん、お箸使えるようになってる! 掴めてる! すごいわ! めちゃめちゃ上手だわ!」
ヨハンはぷるぷるふるえながら海老天を数子の目の前まで持ってきた。
「は、早くあーんしてください! 掴むの難しいんですからこれ!!」
「あーん!? ちょっとまって、プルプルしてて口に入らないわ……!」
「は、はやくはやくぅ! もう待ちきれないです!」
「がんばって、あと少しよがんばって! ああ~!」
垂直落下していく海老天を、あむっと数子が受け止めた。
「ふ、ふふん……どうですか。これでボクもちゃんとお箸を持って食べれるようになったってわかったでしょう!」
「フフ、もうちょっと練習したら完璧ね! また和食を作ってヨハンくんにご馳走するから、いっぱい練習しましょうね。ヨハンくんのためならいーっぱい美味しいごはんつくれるわ!」
「み、ミィ……」
「どうしたのヨハンくん。よしよし、いい子いい子。はい、私からもあーん」
「久しぶりにゆっくり食事にしましょうか。美味しそうなお膳ですね。違う世界に来ても、こうして自分の世界で食べていたものと変わらない料理を食べられるのはうれしいですね。ね、風巻」
「おぉ、白米……白米美味しい」
「あらあら、もうすっかりごはんの虜ですね」
紡は威降が食事に夢中になっている様子がかわいらしいようだ。威降は膳の上のものに次々と手を付ける。菊花が舞っている吸い物、シャキシャキした食感が箸をすすめるおひたし。この国の食文化は故郷のそれとよく似ていて、ついでに景色まで慣れ親しんだそれとそっくりなものだから、白米がいつもより美味しく食べられる気がする。菊花の膳というのも珍しくていい。名物にうまいものなしというけれど、これは例外だ。威降自身は刺し身のつまとして飾られている菊花くらいしか知らないが、こうしてみるといろいろな種類があるとわかる。
「月羽さんも楽しんで……ますね! 天ぷら、お好きなんですか?」
「ええ、好物です」
「だったら俺のを分けてあげますよ。この赤紫のやつとか」
「……そうは言っても風巻は男の子ですし、食べ盛りでしょうに」
「俺は吸い物とかあるので大丈夫!」
「……そう言うならありがたくもらいます。じゃあせめて、お酌くらいはさせてくださいな。お相手が嫁ぎ遅れの女でよろしければ、ですが」
「えっ、いいんですか! ありがとうございます!」
天ぷらよりもっといいものをもらえた気がする。
きれいな月を写した甘い蜜を、すうっと飲み干し。
「んん、これは、確かにもったいない、ですね」
そうメイメイは口元を抑えて驚いた。
「……もったいない、から、誰かと分かち合いたい……そんな感じがしまし、た。素敵なモノを教えてくれた、リリコさんには感謝、です。ふふ」
「……どういたしまして」
リリコは片足を引いてお辞儀をした。
「菊のお花、綺麗ですよね。まるくて、良い香りがして」
「……そうね。私も好き」
ふたりでやりとりを続けながら菊花の膳をいただく。刺し身に添えられた黄色い花。温かい吸い物からはほんのりと高貴な香り。色よし、香りよし、味、もちろんよし。月色のそれをぱくり。おひたし、美味しいです。
秋だからだろうか。これから冬へ続く死の足音を聞きながら、一年の実りを迎える豊かな季節だからだろうか。月にまつわる話は不思議と物悲しいものが多い。その月から降ってきたという菊花づくしの膳を前にして文は箸を手にとった。
「これは……なんだろう? これも菊の花なんだろうか」
桃色の花びらをかきあげにした天ぷらをとり、文は小首をかしげる。そっと味わうと、爽快な香りとが口の中いっぱいに広がった。
(こんな綺麗な物をただの男の胃の腑におさめてしまうのは申し訳ない気がするけど、遠慮なく頂きます)
頬が火照ってきたのはまかるがえしのせい。虫の声、酒の器、秋風、夕月に菊の花、それに……ああ、会いたかったよ。
「お花のお料理なんて素敵ねーしかもそれだけで御膳がほぼ完成するなんて、凄いわー♪」
蘇芳は新天地の新たな料理法に興味津々、気分が上がりっぱなしだ。もぐもぐ、楽しんで食べて、ときに小姓さんへ質問などしながら技を盗んで覚えていく。この繊細な味わいは癖になる。これをさらに見た目の華やかさと両立させながら、目にも舌にも快い膳を自分でも作りたい。
そして主役は、そう、まかるがえし。なんだかロマンチックな酒だ。死んだ人も蘇るなんて……蘇るなんて……。もし本当にそうなら、何杯だって飲んでしまうのに。そう思いながら杯を重ねるうちに、ふわり、視えてしまった笑顔。
「ちょっと月に魅せられたってだけのことよねー……」
特に帰る気もない。そんな故郷だったけれど、なつかしいと思えるのは自分が思ったよりも混沌の世界に馴染んでいるからか。椅子とテーブルでの食事が一転、ここでは板の間で正座。お膳に並んだ食事も懐古を抱かせるものばかり。
(豊穣……気に入ってしまったかも知れません)
さてと、と箸を右手に茶碗を左手に、食事の用意。興味深し菊花の膳。故郷の作法はここでも通用するらしい。ぴんと伸びた瑠璃の背筋に周りから感嘆のささやきが漏れている。おかずを一口、ご飯を一口、汁物一口の三角食べ。大好きな甘酢漬けが最後に来るように調整して、ごはんと共にいただいた。もぐもぐごくん。至福のひととき。
「ごちそうさまです」
「まかるがえし、めっちゃ美味しかった……。菊を使った料理も独特の味わいでお酒がよく進んで……永遠に飲み続けそうやったわ」
いやはや、食の楽しみは人生の楽しみのひとつ。そのひとつをじっくり味わえたお礼に、ひとつ警備でも手伝おう。そんな殊勝な気持ちでつつじは庭へ飛び出た。絡んでいる酔客を適度にいなし、暗がりで転んでしまって腰が抜けた爺さんを背負い上げ、迷子の子どもを親元へ運び、一息ついたつつじは空を振り仰いだ。
蟹のお母さんは今宵も空から見守ってくれている。
「おかげで綺麗な菊も咲いてるで……。まかるがえしも美味しかったわ、おおきにな」
お母さんが大きなハサミを揺らして返事した。そんな気がした。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
おつかれさまでしたー!
豊穣でのお月見&菊づくし、いかがでしたか?
楽しんでもらえるとがんばった甲斐があります!
それではまたのご利用をお待ちします。
GMコメント
みどりです。ちがえしのたまとはんごんこー♪
菊酒飲みつつお月見しませんか。
ひとりでまかるがえしを飲んだあなたは、ここにはいない誰かの幻を見るかもね?
●菊酒
別名まかるがえし。
未成年はあまーいシロップです。アンノウンは自己申告。
また菊全般の花言葉は「高貴、高潔、思慮深い」だそうです。
●書式
一行目:同行タグ または空白
二行目:行先タグ どのタグでもまかるがえしは飲めます
三行目:プレ本文
●行先タグ
【庭】
大輪の菊に囲まれて散歩しましょう。ゆっくりと飛び石を歩き華麗な花々を愛でる優雅な時間です。RPで花を摘んでも持ち帰っても構いません。
【食】
お寺で菊花の膳をいただきます。菊酒といっしょにお刺身、吸い物、おひたし、漬物、てんぷらがついてきます。あ、忘れちゃいけない白米お替り自由!
【警】
警備です。夜なのとお酒が絡むので不埒者がでるかもしれません。参拝客を酔いどれや半グレから守りましょう。酔い覚ましがてらいかがですか。
Tweet