シナリオ詳細
<けがれの澱>禍津忘憂
オープニング
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豊穣郷カムイグラ――
神威神楽とも称されるその地は『絶望の青』の向こうに広がっていた新天地である。
それは大陸側から見た話だ。隔絶された大海原を越えた先にあったその小国はぽつねんと海に浮かぶ領土を有している。
その語源は知れぬが『黄泉津』と呼ばれたこの地は桃源郷の如く美しい四季に恵まれる。
黄金の穂が美しく実る時節の話である。
「今、何と?」
高天京――高天御所にて『霞帝』今園・賀澄は眉を顰めた。
カムイグラ特有の神霊達の加護を一手に受けた現帝は眼前に傅く神霊三名を眺め遣ってから困惑しながらも黄龍を見た。
「言葉の通りじゃが」
黄龍。それは神威神楽の守護者たる大精霊の一柱。四神の中央の座に位置する存在である。
雨の気配をその身に宿す神霊は悪戯にも霞帝の好ましく思う女の姿をとっていた。理由は面白いから。
長く伸ばした黒髪に利発な金の眸を有する神霊は「よもや我が神遣を疑っておらぬな?」と眉を吊り上げる。
「いや……しかし……。
神使達も聖教国の一件で忙しないだろう。聞き及べば異界へ渡っているとも言う。
そんな最中に神威神楽にて起きた変容を伝えてしまうなど、多忙で彼等の目も回ろうに。あとちょっと待てぬか」
「待てるものであれば永劫に待って欲しいものではあるが?」
黄龍はげんなりとしている霞帝を見てから鼻を鳴らした。不機嫌そうに見えたのは『現状』が好ましくないからだ。
膨れ面の黄龍を宥めるように頬を突いてから『陰陽頭』月ヶ瀬 庚は「まあまあ」と微笑んだ。
「事態が先に掴めているのでしたら良いことではありませんか。少なくとも僕は安心していますよ。
中務卿にも戻って来て貰っておりますし、出来うる限り自体を早急に解決するならば今から動き出すのが良いかと。
あ、神使達が疲弊するというならば労れば良いではないですか。ね? 中務卿」
「……ああ……まあ……」
にんまりと微笑んだ庚に『中務卿』建葉・晴明は頭痛がした。誰が準備をすると思っているのか――
「それよりももう一度報告を詳細に聞かせて欲しい」
「おぬしが指図するな。わしは瑞様の指示しか聞かぬからの! あ、怒ったか? 童。のう? 怒ったんじゃろ?」
にたにたと笑った宵色の狐耳を有する『少年』の傍に座っていた黒髪に白い狐耳を有する『少年』は「ツキちゃん怒られるのじゃ」と囁いた。
「ぬふふ、童で遊ばねばやってられぬ現状ではないかのう? アカ」
「そうかもしれんが。おじいちゃんは腰が痛いんじゃよなあ。調査で無理をしすぎたかの」
のんびりと話続ける二人を見詰めて居た黄泉津瑞神は「ツキ、アカ、私語は今は慎んで下さいな」と囁いた。
ツキこと星月夜。そしてアカこと宵暁月は二人揃って「はあい」と応える。
幼い外見をしているがうんと長生きをしている黄泉津瑞神の遣いの二人である。
「では、先程のお話を聞かせてください。禄存」
「フェグダちゃんでいいのに。瑞様ぁ。
じゃあ、お話ししますね。ツキちゃんとアカちゃんと三人で『自凝島』の観察をしてました!
天香長胤と巫女姫によってイレギュラーズが流刑地『自凝島』に流されてから瑞様は各地の穢れ払いをしながら全てをそこに集めて封ずる準備をなさっていたじゃないですか」
禄存に瑞神は頷いた。
カムイグラは一度、魔種の手に落ちかけたことがある。その際には民の抱くけがれに身を包み込まれ禍津神となった黄泉津瑞神を『神逐(かんやらい)』の儀を持って再誕へと至らせた過去がある。
神使(イレギュラーズ)が居なければそれも成せぬ事であり、多大なる恩義をカムイグラ側はローレットに感じているのだが――
「けがれはまだ全てを封ずることが出来てない」
黄泉津瑞神は静かな声音で言った。
「わたしはそれを自凝島の『麒麟』を用いて封じ込め形を作り、討伐することで消し去ろうと考えて居ます。
……少しばかり、憂うことがあり神力が乱れてしまうから時間は掛かってしまいましたが」
瑞様ぁと金重に呼んだ星月夜と宵暁月の頭を撫でてから瑞神は「今は落ち着いておりますよ」と囁いた。
憂うこと――例えば、天香長胤は賊軍として討たれた。その後、未だ年若き義弟が家を継ぐこととなったが瑞神にとっては心配の種であった。ようやっと彼も一人で歩いて行けるようになったと彼女は考える。
そして、『正眼帝』偲雪らの姿を見た。
常世穢国は存在してはならぬものであた。知古の間柄たる彼女の顕現に心を痛めたのも確かだ。
幾度かの戦を経て、ようやっと豊穣郷も『落ち着いた』と言うべきだった。
そうであるべきだったのだ。
後は掻き集めたけがれを形作り撃破を――と、そうなるべきだったのに。
「忘憂神社……聞いた事は無い?」
禄存の問い掛けに瑞神は「厄裳」と呟いた。
瑞神とは知古の神霊。旧くは大精霊の一角ではあったが廃れた信仰と、穢れを宿す彼女は気付けばその姿を雲隠れ為てしまった。
そんな彼女を祀るのが『忘憂神社』と呼ばれた古びた社である。ただし、豊穣郷の何処かに存在すると言った情報のみであり詳細は分からないのだという。
「近頃、京でその名前を聞くようになったからのう。わしらも調べておいた。
奴ら、記憶を切り売りする商売をしておるのじゃ。神木――いいや、神霊『厄裳』に記憶を食わせ、その部位に新たな記憶を挿入する。
他者の記憶を神力でねつ造しておるんじゃな。略奪でも物々交換でも、何でもござれの有様じゃった」
星月夜が渋い表情を見せる。確かにくるしく辛い記憶など無くした方が良い。
特に近頃まで『獄人(鬼人種)が差別されていた』この国ならば、そう願う者は多く居るはずだ。
――辛い記憶なんて不要だろ?無くした方が幸せだろう?
なら、私が買い取ってあげよう。君の幸せな記憶を対価に、君の辛い記憶を一つね。
痛くも無いし、悲しくも無い、ただ眠る様に一切を忘れるだけさ……さぁ、君の記憶を見せてくれ……。
「その忘憂神社の神木……神霊厄裳の気配が自凝島でしたんじゃ。
麒麟と良く似ている気配じゃから勘違いかと思ったんじゃが……そうじゃなかった」
「と、言うと?」
霞帝は先を急かすように――否、本当は分かって仕舞ったのかも知れない。
どうして自凝島からその気配がするのかを。どうして『所在の分からないその社の名が出た』のかを。
「『忘憂神社』は、願う者を導く性質を有しておる。
その所在は自凝島の内部――けがれの澱じゃ。厄裳のヤツ、罪人にけがれに巣食う記憶を喰らわんとしておるのじゃろう」
苦々しく言った宵暁月に晴明は嘆息してから振り仰いだ。
「霞帝、如何なさいますか」
「……神使には後でたっぷりと謝礼をするとして、一先ず彼等を呼び出して欲しい。
自凝島の事をこれ以上は放置は出来ぬ。何よりも神霊――今の名を、『厄裳』はけがれを蓄積させ禍津神へとなり得る可能性もある。
あの地は稀なる場所。黄泉津を揺るがすなれば、あの地を手に入れる事が一番なのだから」
霞帝はゆっくりと顔を上げてから一同を見遣った。
此度、行なうのは『朽ちた神性』の撃破、つまりは『神逐』である。
その為には。
「――自凝島へ向かおう」
●
たん、たんと毬をうつ。
少女のかぞえ唄に耳を傾けながらヤサカはゆっくりと顔を上げた。
「母上」
少女をそう呼んだ娘は20代半ばだろうか。親子であるというならばその立場は姿を見るだけならば逆である。
永きを生きた八百万の娘は「どうした?」とぶっきらぼうに言った。
「奴ら、勘付いた」
「ここに? ……ああ、もう少し遅いと思ってたけれどな。
『正眼帝』の事もあって、此方の様子をうかがうように瑞が準備をしてたか。忌々しい。あの女は瑞と会う前に此方で処分でもしておくべきだったか」
ぶつくさと呟いた少女はヤクモと言う。苛立った様子で呟いた彼女に「そんなことを言って、イレギュラーズとやらに叱られますよ」と穏やかに獄人の娘は言った。
コヅヱ。強い神の信仰者であり代弁者でもある娘は「厄裳様」とヤクモに呼び掛けた。
「『正眼帝』の事はイレギュラーズとやらに任せておくと判断なさってはありませぬか。
此方が手を出したとて彼女は『記憶』を差し出してはくれなかったでしょうから、無駄な仕事になるだけでしたもの」
「うむ。瑞との記憶を欲したが……それはなにも『正眼帝』でなくても構わない。いれぎゅらーず、とやらは持っているのだろう?
この豊穣郷で過ごした記憶があるならば一番だ。それが欲しい。『彼女』が食うならそれが一番力になる」
ヤクモは縁側に腰掛けてから「憂女衆の用意はどうだ?」と問うた。
「ございます。忘憂大社へ踏み入れようものならば、直ぐさまに」
「その前に、様子を見に行ってくると良い。ヤサカ、出来る?」
「ああ」
此処は自凝島――その中に何重もの結界を施して存在するその場所は『外』より招いた人間のみが入ることが出来る。
ああ、だが、厄介だ。此方の気配を察知した神霊を連れて遣ってこられては結界は破られる可能性もある。
漸く見付けた安寧の地。此処に満ちた穢れとその内部に存在する記憶を『餌』にして居たというのに。
「辿り着かれる前に、殺せ。いいね」
「承知致しました、厄裳様」
「相分かった、母上」
手にした毬を投げてからヤクモはごろりと縁側に転がった。
ああ、もう少しなのに――
もう少しで、貴方様はようやっと――
- <けがれの澱>禍津忘憂完了
- GM名夏あかね
- 種別長編
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2023年10月31日 22時20分
- 参加人数20/20人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 20 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(20人)
サポートNPC一覧(2人)
リプレイ
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『共に歩む道』隠岐奈 朝顔(p3p008750)は云う――
「私の位置がそちらに分かるように何か出来ませんか?
……恐らく私は導かれてしまうから、せめて自凝島への道になりたい」
その言葉を耳に為てから霞帝は「出来ぬ」とはっきり答えた。
眼前に座す者が豊穣郷の主である事を理解しながらも朝顔は声を荒げ「何故」と問う。
「貴殿が犠牲になることを求め、それが標となるなれば、俺は許さぬ」
「賀澄」
窘める黄泉津瑞神の声に霞帝は罰が悪そうな顔をしてから「すまぬ」とだけ返した。
国益を思えば神使――それも『ローレット』は所謂便利ギルドだ。他方に手を貸し、介入する。依頼人が変われば立場まで変わるような――を犠牲にする事が尤もたる近道だろう。
それでも霞帝は、今園 賀澄という男はそれを是とは出来なかった。
「忘れたい記憶は誰しもが持ち得るもの。理解はして居るよ、だが――みすみす戦友が死ぬのを見過ごせというのであれば俺は出来ぬ」
「……良いですね、我が豊穣の民、愛しき獄人の娘、向日葵よ。
あなたは思うが儘に生きれば良い。わたしはそれを祝福致しましょう」
高天京で噂になったその言葉を反芻する。無くしたい記憶はないかと問う声音は影法師の如く着いて遣ってくるのだ。
『プロメテウスの恋焔』アルテミア・フィルティス(p3p001981)は眉を顰める。忘れて何てやるものか、特に『彼女』の事は――
「アルテミア」
呼び掛けたのは霞帝であった。振り向くアルテミアに『エルメリア』の面影を見て彼は渋い表情を浮かべる。
「……どうかしたの?」
「高天京を歩くならば、貴殿も苦労をするかも知れないが」
「ああ……」
彼の表情だけでも察することが出来る。アルテミアの姿は豊穣郷を騒がせた『巫女姫』と瓜二つなのだ。
太政大臣であった天香長胤はことある毎に世の統治者として『巫女姫』エルメリア・フィルティスを引連れていた。
洋装の美女を厭う場であれば豊穣らしい和装に身を包ませ美姫として紹介していたのだ。
「大丈夫よ。良い意味でも悪い身でも有名でしょうけれど……だからこそ聞き出せる事があるもの」
肩を竦めたアルテミアに霞帝は頷いた。ふと、彼を見れば明らかに『御所で待っているにしては軽装』だった。
「……あの?」
お目付役がいなくなれば、という事だろうか。己も市井に降りる気で声を掛けた事が良く分かる。
「なーるほどなあ。ぶはははッ、ご飯食おうぜ霞の帝さんに瑞の神さん! 出掛けるよりもっと有意義だろ?」
肩をばしりと叩いた『黒豚系オーク』ゴリョウ・クートン(p3p002081)に「賀澄で構わんぞ、ゴリョウ殿!」と霞帝は肩を叩き返す。
呼ばれてから膨れ面をしていた白髪の童女――黄泉津瑞神は「わたしも食事に?」とぱちくりと瞬いて見せた。
「おうよ。俺、宮中の御台所にも入ったことあるんで割と把握してるのよ。
大膳司にも知人も居るしな。今回は許可貰って飯作らせてもらったぜ! 大膳司長には渋い顔されちまったけどな!」
「ああ、ゴリョウ殿のことは包平から聞いて居るぞ。俺は奴の作る鯖の味噌煮が好きなのだ」
そそくさと旅装を解いて行く霞帝を見詰めてから更に瑞神は頬を膨らました。
大膳司の鹿原包平という男の作るたこ飯が瑞神も好きだった。彼がゴリョウと懇意にして料理をしたというならば。
「美味しい物がございますか」
「ああ、今回の料理は俺の領の新米使ったおにぎりとおかずだ! おにぎりは和風もあるがツナやエビマヨ、叉焼や炒飯にぎりとかもあるぜ!
おかずは豚汁や中華スープ、ウインナーや卵焼きといった『こういうのでいいんだよ』セットだ。
こういう気取らねぇのをこういう場で食うのも悪くねぇだろ!」
「ツナマヨを下さいますか」
そそくさと席に着いた瑞神も気付けば旅装を解いていた。そんな彼女を見詰めてからアルテミアは小さく笑い「それじゃあ、行ってきます」と高天御所を後にした。
「先にゴリョウ殿の話でも聞いておこうか」
「ああ、俺ぁ、食材調達のついでに高天京の居酒屋や飯屋、八百屋や米屋、酒屋や棒手振なんかに知り合いがいるんで、手土産持ってそこから情報を集めてみたぜ」
特に人の集まる食事処とは酒で口が滑りやすい。『本音』が見えると考えて問うたゴリョウはある程度の調査を行って居た。
共通項が必要だ。獄人が中心になっているという行方不明者の情報は霞帝が個人敵に調べたものとも似ていた。
「なら、この情報を渡して他の神使にも調査を頼むか。ゴリョウ殿、この後だが……鯖の味噌煮を作ろう」
ゴリョウは思わず吹き出した。ああ、それも悪くは無いだろう。
ちなみに――霞帝と瑞神を御所に留めたゴリョウに感謝した『中務卿』建葉・晴明(p3n000180)は喜びの余り、彼に自由に御所の御台所に入る許可を与えたらしいがそれはまた別の話である。
「ふむ、安全無事に送り届けたいものじゃが」
自凝島を見据えた神ヶ浜にて。黄龍は腕を組み合わせてそう言った。
その傍らには『龍柱朋友』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)と『生命に焦がれて』ウォリア(p3p001789)の姿がアル。
「呼ばれずも、零れ落つとも、導かれるが運命なれば、再びの神逐とあらば、焔は再び燃え上がるべく豊穣の地へ推参仕る
――などと、堅苦しいのは今更よしておこう……黄龍、オマエが……豊穣郷が呼ぶならばいつでも来るさ」
「うむ。主ならば何時でも吾の事ロニ来ると思って追ったぞ、我が赫々たる焔火よ」
黄龍はふわりと浮き上がって美しく微笑んだ。射干玉の髪に、整った女の姿。髪飾りがしゃらりと音を立てウォリアを見下ろし笑っている。
「しかし、領地で作った酒の一つでも持っていこうかと思えば……また会う時はこうして大事の最中だ。つくづくオレは戦にしか鼻が利かないらしい」
「酒は勝利を飾った際に盃を傾けようぞ。吾も今この時にこそ口にしたいのじゃが……」
「や、止めておいてよね!」
慌てた様子で手をぶんぶんと振ったシキに「分かっておる」と黄龍はやや拗ねた様子で言った。
「うーん。……まあ、それならいいや」
「して、ウォリアにシキよ。直ぐにでも向かわずに吾の手伝いをしてから良かったのかの」
黄龍はすた、と己が引いた『陣』の上に降り立った。神使が自凝島に向かう際にはその場からは動けぬ様子である。
「うん。いずれ自凝島にはいくつもりだ。でも、今回は黄龍と少し話がしておきたくてさ……何かあると思ってたけど、色々けがれが襲ってくるかもだし」
シキは「キミを護りに来たよ」と真っ向から向き合い笑い、ウォリアは「望まれるならば守護を」と恭しく告げるものだ。
黄龍にとってはむず痒い言葉ではあるが、二人とも愛おしい子ども達として慈しんでいる。
「護衛を請け負ったからには黄龍の元には蟻一匹も通さない気概だ」
にたりと笑う黄龍を背にしながらウォリアは挨拶代わりに近付くけがれの化身に対して剣を振り上げ放った焔色の鉛を見舞う。
雨の如き気配が降り注ぐ。シキと黄龍を巻込まぬようにと気を配った戦いに、敵はそれぞれ戦い方も違うのだと認識すれば「あちらだ」と告げる。
「オーケー、あれから倒すね! じゃあ、そっちは」
「任されよう」
シキがひらりと跳ね上がった。黄龍はその陣を保つために全てのリソースを裂いているのだろう。彼女に傷一つはつけやしない。
ある程度を熟せば、黄龍が自らを守る結界術を施すと聞いていた。つまり、今は時間稼ぎである。
「ねぇ黄龍。もし知っていれば教えてほしいことがあるんだ」
「うむ?」
黄龍は陣の上にせっせと結界を張りながらシキを見た。気の抜けた顔を見れば、信頼してくれていると分かる。
だからこそ、シキもウォリアも聞いておきたかったのだ。
「厄裳さん、だっけ。その神様は、どんな性格? 好きなものは? 嫌いなものは? ……どうして、黄龍の気配にそっくりなの?」
「神霊『厄裳』……その神となりを未だ知る事は出来んが、どうなのだ黄龍」
勘違いや杞憂。それならば構わないとシキは言う。ウォリアは「『瑞の時』はおまえの友だと聞いた」と付け加えた。
「今回はどうなのだ。相手はまた知らぬばかり。オマエは笑っている顔の方がいい、心配事は此度もオレ達に任せるがいいさ」
「口説いて居るのか?」
「ッ――ふふ、黄龍! 今それ言う?」
シキは思わず吹き出した。ウォリアは「冗談を言う場合か」とあからさまに困惑を滲ませてみせる。
熱烈だと黄龍は笑った。ああ、勿論だとも。神霊たるもの『一番美しい笑顔を浮かべているとき』が良いのだ。
それは黄龍が瑞神に抱く気持ちと同じである。故に、『愛しい二人』が斯うして問うてくれたのはなんと有り難い事か。
「……君や瑞に少しでも引っかかることがあるのならわたしは厄裳さんと話がしてみたい。
どうすれば話せるのかなんて、今は到底わからないけど……だけど、だからこそ彼女のことが知りたいんだ。
なにも知らないまま、ただ斃してそれでお終いで、めでたしだ、なんてどうしても、それじゃ駄目なんだ」
シキが思い浮かべたのは『正眼帝』のことだった。彼女は朗らかに笑う瑞神の友だった。
「もう二度と、この手が届かないのは嫌だから……!」
ウォリアを、シキを見詰めてから黄龍はふと問うた。
「忘れたいと思う記憶はあるかの?」
「……――辛い記憶が不要、などと言うのは…厳しく聞こえても、甘えでしかない。
それが謂れ無き押し付けられたものだろうと、耐え難いものであろうと………乗り越え、苦楽を全て飲み込んで歩んでこそ、生命はその道を全う出来る。
死するまでそれが続いた場合の事を想像出来んのは、本来不死であるオレの限界だがな」
「ウォリアらしいの。吾はあるのだ。忘れたい記憶が」
黄龍は囁いた。「聞いても構わぬか」とウォリアは問う。ああ、今、何と云うべきか言葉が縺れたのだ。
困った。黄龍と話をしたい。あまりにも語りたいことも聞きたいことも漠然としていて距離を縮めようとしているようで、どうにも纏まらない。
気易い黄龍の懐にはすんなりと入れども、相手は風のように遁れてしまうのだから、シキを羨む気持ちもあろうか。
「黄龍にとっての、忘れたい記憶は厄裳さんの事?
……聞いて。わたしは確かに豊穣を愛していて、大切で、守りたい。でもそれは結果論に過ぎないんだ。
始まりは本当に単純で。大切な友達の黄龍の、大切な友達の瑞を助けたかっただけなんだ。
たとえどれだけ強くなろうとも、君と瑞がくれたその『心』が変わることはない。
だから、お願い黄龍。厄裳さんのことをたくさん、思い出せるだけ、わたしに教えてほしい。黄龍が、嫌でなければ」
黄龍は「吾と、厄裳は姉妹よの」と静かな声音で言った。
「瑞神に遣える四神の統制が吾であれば、死やけがれを統制するのが麒麟……吾の分霊よ。
本来の吾が成すべきことじゃが、瑞神に近しければ近しいほどに死とけがれは好まれぬ。その麒麟を支えるのが厄裳であった」
故に、気配が似ている。同一ではないが、麒麟と厄裳は非常に近しい存在なのであると。
やくも。『厄』を名に宿すが、八雲や屋久喪などとも表記されることのあるそれは濃いけがれの気配をその身に纏っているのだそうだ。
「しっかし、それで吾の気配がするのは可笑しいが――」
シキは『そのひっかかり』も解明しなくてはならないと認識した。
「……どうしたい?」
「役目より解き放ってやりたいものよの」
分かったとシキは笑った。黄龍の額に口付けてシキはそっと離れる。
「これは祝福で、願いで、ただの人間の加護だ。わたしに、特別な力は何もないけど。神様が祝福を受けちゃいけないなんて、そんなはずないでしょ?」
「……口説いて居るのか?」
「また言う! ふふ、ありがとう黄龍。わたし、自凝島に行ってくる。
心が走り出してしまったら、あとはもう足が勝手に動いてしまうものだよね」
ウォリアを振り返ってからシキは「行こう」と言った。
「到底物見遊山で行くような場所でないのは解りきった話ではあるが……行かねば」
「うん。黄龍。君と、瑞と、豊穣と……わたしのために、いってきます。見守っていてね」
●
「自凝島……あんな場所に、何か他の気配が……?
……いや、あってもおかしくはないか。私が捕まっていたときでさえ、あそこは尋常ならざる状態だった……はず。記憶が怪しいけど。
時間が経てば、何か別のものが棲み憑いてもおかしくはない、か……正体、確かめないとね」
呟き、島へと至る『蒼穹の魔女』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)の記憶は揺さ振りが掛けられる。
あの時、己は確かにその地へと誘われた。牢獄から感じられた濃い穢れと死の気配は気分の悪さをも誘う。
「あれからもう3年か。
あのときは、ただ逃げるだけしかできなかったな……何かを解決することも、手を伸ばすことも何もできなかった……」
思い浮かべた刑吏の姿。畝傍家とは天香家の離反と共に幾人かが討ち死に没落したとも聞いている。
あの時も、此処には畝傍と名乗った官吏が存在し、自らをを追い立てたのだと『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)は思い出した。
これまで着実に準備を行なってきた理由があるはずだ。そして、黄泉津瑞神が『今』と言ったからには、それにも理由があるのだろう。
「……いつか必ず戻ってきて、ここを浄化するんだってずっと考えてた。随分とかかっちまったが……戻ってきたぜ、自凝島。
何か、変なのが湧いてるみたいだが、かまいやしない。まとめて大掃除してやるとも。
双子たちに、これから先この国で生きていく人たちに、負債を残さないために――これはその大きな一歩だ」
豊穣郷を担うと決めて居たのだから。風牙は嘗ての日に麒麟の加護を籠めたブレスレットに指先を添える。
「まずは転移陣で現地入り。麒麟様、久しぶり。また世話になるぜ」
麒麟は『姿を人の物へと転じた』。風牙を前にして『幼い黄龍』を思わせる射干玉の髪の少女となる。
『久しい気配だ』
声が聞こえてから風牙は安堵した。地形は変化しているにはしているが、麒麟とこの転移陣の周辺は余り変化がないのは麒麟の守護が故か。
「麒麟、この周辺に簡易的でも柵か防塁を作っておくのはどうだろうか。陣を経由して黄龍にでも連絡すれば資材を貰えるだろ。
時間稼ぎ、防衛戦の補助……あって困ることはないだろう」
『構わない』
「オーケー……悪いな麒麟さん。ちょっと散らかすぜ。でも、護る為だ』
『わたしはおまえ達に従うようにと黄龍より聞いている』
こくりと頷く童女に風牙は「遣りにくいなあ」と呟いた。麒麟が童女の姿なのはそれだけその力が弱っているからだ。黄龍に似ているのはその分霊であるからである。
「ここが……自凝島……。
何人かのイレギュラーズが流され、応えてしまった者を除いて……ほぼ全員が帰還したあの危険な島に、まさかこっちから乗り込むことになるとは」
ごくりと息を呑む『真打』紫電・弍式・アレンツァー(p3p005453)に晴明が頷いた。
「余り踏み入れたい土地ではないが」
「ああ……だが危険でも踏み込むしかない。けがれを利用しようとする者がいるのなら止めなければ」
豊穣郷を救う為に此処にまでやってきたのだ。晴明の傍では不安げな顔をした『ちいさな決意』メイメイ・ルー(p3p004460)が立っている。
息を吸って、吐いて。落ち着くように胸を撫で下ろす。
「状況は少し異なってしまったようですが、いよいよ、です、ね。
晴さま……あの日、『共に』とお約束しました、から……この豊穣と、瑞さまの為に、も」
にこりと笑うメイメイに晴明は頷いた。この地は不安を誘う。ざわめく胸は嫌な予感ばかりを伝えている。
(晴明様は……他の方もついていらっしゃいますし大丈夫でしょう。今は……遠くから見守るだけにします。
あの方だって鬼人種差別の被害に遭われて一人になってしまったのですから傍に居なくても御守りしなければ。
彼だけじゃない、私を受け入れてくれたこの国に脅威が迫るなら私は幾らでもこの身を盾にする覚悟でいるんですもの)
信念を胸にしてやってきた『愛し人が為』水天宮 妙見子(p3p010644)の傍に禄存は立っていた。
「行かないの?」
「ええ……私は彼の傍に居て良いのか、ずっと」
「あれ? 悩んでるんだぁ?」
「……ええ……っと!?」
びくりと肩を動かした妙見子に禄存がにんまりと微笑む。『陰陽頭』月ヶ瀬 庚(p3n000221)の肩の上に座る小さな神遣。その隣には『未来を託す』ヴィルメイズ・サズ・ブロート(p3p010531)も立っていたか。
「いやあ、母に似ている神遣となれば、娘、いや、兄弟なのでは!?
この豊穣の地は妙見子様の故郷のような地ですし、愛息子たるこの私もお力添えいたしましょう。
顔だけでなく心も美しい親孝行ものでございますよ。ねー?」
「ねー? ヴィルちゃん様」
にこりと笑う禄存は妙見子にも良く似ていた。ヴィルメイズと禄存は直ぐに意気投合したのだろうか。
妙見子は小さく笑ってから「さあ、悩んでも仕方ないですね! というわけで息子ことヴィルメイズ様! キリキリ働いてもらいますよ!」とその背を叩いた。
「元気じゃないと悲しいカナ~」
「ふふ。それにしたって、黄龍様……私をモデルに神遣を作るなんて……悪い気はしませんが……」
レーダー役であるという禄存をまじまじと見詰めた妙見子は「庚様、ちょっと禄存様お借りしてもいいですか?」と囁いた。
「ええ。僕から離れちゃ駄目って事は無いですし、どうぞどうぞ」
「有り難うございます。禄存様。……貴女にはこっそり教えちゃいますね。神逐……正直この言葉の響き、あまり好きじゃないんです。
私も結構悪いことをした神様なんです! 自慢気に話すことでもないんですが……。
悪さをした神様って結局こうやって一人になっていくんだろうなってちょっと悲しくなってしまいますね」
こそりと話した妙見子に禄存はにこりと微笑んだ。
「豊穣郷での神逐は、瑞神様だったんだよ。でも、今は皆さんの輪の中に居る。
だから、だいじょーぶだと思いまーす。たみちゃん様は『追放』されないし、屹度再誕し、廻る輪廻で戻って来るよ!」
「あ、死ぬ予定は無いんですけど」
手を振った妙見子に禄存が「良い事言ったのに!」と頬を膨らました。
『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)は「話し中悪いが、此の辺りの掃討から開始しようか」と声を掛けた。
「もたもたしていると、いつまでたっても設営が出来ないからな。効率的に行くぞ」
周辺には肉腫達の姿があるか。複製肉腫であれば人へと戻り行く可能性がある。
「ああ。出来るだけ拠点は保つ方が良いな。宵暁月殿、その相棒の星月夜殿、どうぞよしなに。
幾度かこの島の任務に参加した事はあるが、詳細はそれほど知らないんだ」
「簡単に言えば、何かおるから倒すのじゃ」
「晴明に聞くと早いぞ」
二人の神遣にそう言われて益々苦労しそうだと晴明を見詰めてから『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は肩を竦めた。
「今日ばかりはそれ程苦労させたくないが……」
「帝が居りません故、安心でしょう」
「庚殿……ああ、そうか。瑞殿と香澄殿は留守番、成る程。
船頭多くして船山に登ると言うし、立場もある方々故、不明な状況に飛び込まれては部下の毛髪が保たぬだろう……こういう話はな、早ければ早いほど良いと、俺は思う」
出て来そうだからさっさと倒しておこうとはアーマデルは言いやしなかった。
「ン フリック 瑞花ニ 神力 込メテモラッタ」
瑞神の気配がここにあれば、ある程度の正気が保ちやすい気がすると『青樹護』フリークライ(p3p008595)は言った。
「青龍ノ加護モ有ル。外ノ応龍&オ留守番霞帝達トノ縁デ役ニ立ツカモ?」
「僕も協力しましょう」
庚にフリークライが頷いた。
「厄裳ガ神木……植物ラシキ点デモ フリックノ力 役立テラレナイダロウカ。自凝島地下 厄裳 根 張リ巡ラサレテル可能性モ警戒」
「根……」
確かに有り得ない話ではないとアーマデルは呟いた。根を張り巡らせ、地下に『鎮座』しているならば地脈からも力を吸い上げている可能性はある。
「危険だな、調査を敢行しなくては」
アーマデルにフリークライは頷いた。
「まずは――」
アレクシアは『違う気配を探る』事を念頭に置いた。その感覚は頼りになる綱である。
以前までの経験をその場に生かし、構造が違えども『経験則』をベースに添えればある程度は歩けるものである。
「……と、言っても何処から敵が出るか迄は本当に此処から、だけど」
「肉腫ですか。……話には聞いていましたが、まだ肉腫たちが残っているのですね。
冤罪で捕まったひとたちは可哀相ですが……豊穣にとって養虎の患いと成り得るならば、ここで討伐せねばなりませんね」
悲しげに眼を細める『豊穣の守り人』鹿ノ子(p3p007279)は決意をその胸に抱いていた。
霞帝の名代である。直々に彼に朋として言葉を賜り、そしてこの場までやってきたのだ。為すべきは明るい未来が為に。
「参ろう。豊穣に平和が戻ったと思ったらまた問題。『暦』の仕事は尽きないな。到底笑えたものではないが。
自凝島……以前、弥生が情報を持ってきたことがあったな。また行くことになるとはな。章ど――」
片腕を見てから預けてきたことを思い出して『やさしき愛妻家』黒影 鬼灯(p3p007949)はその腕が寂しいと見下ろしてから首を振った。
霞帝の名代なのだ。此処に居る神使達は。それだけの覚悟を持って挑まねばならない。
「章殿には感謝しかないのだが」
「いや……留守番とはいえアグレッシブすぎる帝のこと。何があるか分からないからな」
鬼灯は晴明に頷いた。思い返す。
――御所でのことだ。
「帝さん、遊びに来たのだわ!」
楽しそうに微笑む章に「おお、章姫」と呼び掛けた霞帝は旅装であった。そう、ゴリョウ達と出会った時点であの男は出掛ける気だったのだ。
「頼むぞ、章殿」
そっと鬼灯は霞帝の膝に章を座らせる。霞帝が「え?」と言いたげな顔をしたが章はにんまりと笑っていたのだ。
「帝、貴殿の性格は俺も熟知するところ。章殿が貴殿に会いたがって、お留守番したいと言ってた……のだが……」
「そうなのだわ! 旦那様のお帰りを待つのも良妻の役目だって聞いたのだもの!」
にこにこと微笑んだ章に霞帝はがくりと肩を落とした……のだった。
●
「常世穢国のが落ち着いたと思ったら……」
がくりと肩を落としたのは『歪角ノ夜叉』八重 慧(p3p008813)だった。おにぎりを手に「ツナマヨは美味しいですね、慧は何が良いですか」と尾を揺らす瑞神や「慧よ、何を食う?」と何故か引き摺り込んでこようとする霞帝を見ていて理解した。
早くしないと彼等は動き出してしまう。それよりもこの現状を看過することは出来まい。
『正眼帝』――そう、嘗てのこの国の統治者である『帝』の座についていた偲雪が望んだ平和にこの現状は不要だ。
そもそも、慧にとってこの豊穣は故郷である。故郷を厭うて居るわけでもなく、寧ろ好いているのだから豊穣を乱すというならば止めるまでだ。
「それでも、見過ごせる自体ではない、か。……ああ、いよいよ自凝島での『神逐』が始まるのか……」
息を吸い、吐いてから心を落ち着けるように『導きの双閃』ルーキス・ファウン(p3p008870)は傍らに立つ獄人にちらりと視線を向けた。
着流し姿であれど寒さを決して厭う様子は無く。隠れ里より久方振りにやってきた彼はルーキスの頭を幼子にするように撫で付ける。
「……豊穣の未来の為に力を貸してほしいと弟子に言われちゃ動かない訳にはいかないだろうよ」
「師匠――!」
頭を撫でるその掌を払うようにしてからルーキスは咳払いを一つ。
「豊穣に蔓延る憂いを断ち切る好機。尽力させて頂きます! 師匠も何か気になることがあれば教えて下さい」
「ああ。俺自身が獄人だ。獄人が標的だってんなら、それなりに同胞の集まる場所へと向かってみるとするか」
「はい。鬼人種の方が標的に成り得るというのはある意味『正解』のようでした。
賀澄様の治世で民の意識も大分変化したとはいえ、未だ獄人差別の記憶に苦しんでいる人はいるでしょう。……なら、ここで気にするべきは――」
どの様な対象がそうであるか、だ。ルーキスが目を付けたのは農民や奴隷階級として過ごしていた鬼人種達である。
霞帝の治世ではそうした人々もある程度救われただろうが全てが解決したとは言えぬ。賭博場や貧民区に向かう事にしたのだ。
「ま、下賤の身の上の方が狙いやすいってのはいい目の付け所だな」
「いえ、……ですが、世間的にその様な存在の方が姿を眩ましても目立ちにくいとは考えました」
ルーキスと空木の背を無送ってから慧は佐手どうしたことかと治安の確認をし高天京でも『下』へと向かう事とした。
「記憶……記憶ね、記憶……。私って、種族的に生体コンピュータみたいな種族だから記憶の捏造って比較的に容易なのよね」
『狐です』長月・イナリ(p3p008096)は唇を尖らせた。イナリは異界の神によって『支配』を受けている。
精神的な返納と洗脳めいた支配によって彼女の言は証明されている。つまり、稲荷神にコントロールされる娘は『式神』として活動して居るのだ。
と、言えども記憶や感情を消失させても喜怒哀楽が芽生え個々人による興味の探求は許されて居る。
「捏造された記憶、紛い物の記憶、偽札の様な記憶でも連中にとって価値があるのかしらね?
実演はしないつもりだけど、どんな反応になるのか気になるわ♪」
此度はその事情が気になった。『植付けられた記憶』の持ち主ならではの観点であろうか。
「忘れたい記憶――か。人によっては飛び付いてしまう問いだろうね」
それに対しての理解はできると『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は頷いた。そうした問いかけを受けた者が姿を消してしまうなど悪意があってのことだと気に掛かったのだ。
「自凝島の方も気になるけれど俺はまずこちらの件を調べてみることにしようかな。仲間達は向かっているようだけれど……」
「ええ、ええ、それでも高天京の後方支援も大事ね。色々な情報を駆使してリストにすれば分かることもあるかも知れないもの」
イナリは微笑んだ。聞き込みに向かう前に御所で黄龍が口にした『忘憂神社』こそが標的の名前なのだろうか。
「ある程度の情報集積をしておかないと。言うとおり獄人――いいえ、鬼人種から考えるべきかしら?
彼等は精神的に追い詰められることもあるわ。リアルタイムで鬱症状や、消したい記憶、トラウマを有していて、『一人になる可能性がある』人間を見付けられれば、あるいは」
イナリは呟いた。ある程度の交渉を行ない、行方不明者の交友関係などを辿ることが鮮血だろうか。
「うーん、記憶を消すことに需要があるなら、記憶を好きな風に上書きする行為にも需要がありそうね。
私達限定の技術だけど、一般大衆に広めても面白いかもしれないわね……あ、冗談だからね、本当よ」
「はは……もしも出来てしまったら、記憶の全てを塗り替えたい人が出てくるのだろうか」
全ての過去を否定するようだとヴェルグリーズは呟いた。この国の血塗られた過去から目を逸らしたい者はそうするだろうか。
例えば、天香長胤が『もしも』それと接触していたならば愛しき妻の記憶を追い遣ってしまっただろうか。
もし彼がその選択をしようとしても否定は出来まい。記憶というのはこびり付く垢のように頑固で、美しき花園が如く目を瞠る。善悪の差はあまりにないが、価値には大きく差があるものだ。
(……どうしたって、記憶は人を作り上げる為に必要なものなのだろうけれど)
歩んで来た道のりを表すように、それは存在して居るはずなのだから。
「忘れたい記憶がないかと話しかけてくる不審者を見かけていませんか?」
ルーキスの問い掛けに「知らないなあ」と鬼人種の男は言った。名を紫朗という彼はおとがいを撫で悩ましげに言う。
「姿を消した奴って話だが、それもどうだったかなあ」
ああ、この視線の意味は良く分かる。ルーキスは肩を竦めた。己が鬼人種ではなく、刑吏でも無い事がばれているのだ。
つまり、相手は『話をするならそれなりの対価』を望んでいるのだ。斯うした場所なればそれも頷ける。
(皆、日々を生きるのに精一杯なのだな……)
ルーキスは通りの向こうで空木が待っていることに気付いて居たが個々は己だけで乗り切ることに決めたのだ。
「……ところで、最近良い酒が手に入りまして。情報の対価としてお渡しすることも出来ますが、如何でしょうか?」
「おっ、分かってんね。アッチの通りに住んでた獄人の男が居てな。女房に手酷く振られたんだわ。
元はお役人の八百万の下で働いてたんだけどよ、天香家の変があったときに解雇されてなあ、そんな男と一緒に居られねえって。
そしたらよ、そいつさっぱり消えちまったんだ。蒸発したのかと思ったが……まあ、長い髪の女が一緒に居たって言う」
女、とルーキスは呟いた。それが妙なのだという。
女は女でも白髪の身形の良い獄人だった。しかも彼女は好いた男を連れ歩くと言うよりも勧誘でもして居るかのような素振りだったのだという。
「それが、探してる奴じゃねえか?」
紫朗に礼を言ってからルーキスは「如何でしたか」と空木に聞いた。空木が耳に為たのも紫朗が話す現状と余り代わりにない。
「……どもっす。聞こえてたんで、共有しておくんすけどコッチも同じでした」
慧はやれやれと言ったばかりに肩を竦める。鬼ってだけでも苦労があるだろうと告げ、酒を賄賂に話を聞き出したのだという。
慧自身の角を見遣り、歪な形で苦労しただろうと獄人は言ったのだそうだ。八百万は捻じ曲がった角を見て呪われているなどと馬鹿にするものも居るからだ。
「……ちょっと頼ってみましょうか。この豊穣を脅かす敵を排除したい。協力お願いします」
声を掛け、それを辿る。精霊達の囁きに耳を向けながら誘われるように慧はゆっくりと歩き出した。
その視線の先にはアルテミアが立っている。ゴリョウが話を聞いたという商人達から改めて話を聞いたのだが――それなりの苦労をした訳だ。
「……うちの『妹』は有名人のようだったから。けれど、ある程度の話は聞けたわ。
相手は『さま、或いはそれに近しい者に関する記憶』が一番に欲しいと言っていたらしいの。色々な意味で私達は瑞さまに縁があるから気をつけましょう」
アルテミアの笑みは硬い。聞き込みの際に商人に彼女は問われたのだという。
豊穣郷においてアルテミアの妹、エルメリアは大罪人だ。そして彼女に纏わる全ての真実も霞帝が伝えていたが、それでも『納得』できるものではなかったのだろう。
――『お前さんは妹について忘れたいと思った事はないのかい?』
商人の問いは当たり前のものだっただろう。妹を喪った不運の姉。しかも双子という特別な関係性でありながら自らがその命を奪う切っ掛けにまでなった。
「……どれだけ辛い記憶でも私にはエルの記憶を渡すことは出来ない。ただ、相手は欲しがるわ。
何せ、『大呪』に携わったのは巫女姫……エルだもの。その記憶をどう使用するかは分からないけれど、手放すわけにはならないもの」
●
「陣の防備ではあるが……中々、貴殿を守るという任務で構わないのか?」
『ああ』
麒麟だ。その小さな姿に鬼灯は「人の姿ならば守りやすい」と頷いた。
麒麟こそがこの転移陣の要である。複製肉腫に対して救う手を差し伸べるほどに鬼灯は余裕はない――が。
「しかし、数が多すぎるのも考え物だな」
汰磨羈も此度は『迅速に』というのをイメージしていた。故に、二人は周辺の掃討に急ぎ取り掛かってから下へと向かう役割を担う。
風牙の案であるバリケードの設置も行ないやすく対処を行うべきだ。
「さ、探索だ。頼りにさせて貰うぜ」
「うむ」
自慢げに頷く宵暁月と星月夜。その探知能力こそが此度では必要だろう。風牙の痕をついて行く禄存は「ヴィルちゃん様~、疲れちゃったー」と拗ねる。
「庚様、肩がほっそくて座り心地悪い」
「……」
「あ、華奢なの気にしてたの? ゴメンネ!?」
楽しそうに笑う禄存に庚が僅かに苛立った気がしてヴィルメイズは「気にしないで下さい!」と声を掛けた。
「私も美しすぎる肉体を有していますが、乗り心地の面では余り良くないかも知れません。顔が美しすぎて、眼が潰れてしまうかも知れませんし!
美しさとは罪ですし、庚様もその才覚に溢れていらっしゃるかと思いますよ。陰陽頭ですしね」
「……僕もそっちの路線に行きましょうかね」
「え」
助けてと言いたげな禄存の視線に妙見子は笑顔だけで返した。
探索を行ない、出来る限り転移陣周辺から『行動範囲』を広げることが目的だ。妙見子は悩ましげに見遣ってから「下に向かえば登るときの安全性も確保したいですね」と呟いた。
「『厄裳』がどれほど根を張っているか、分かりませんが、手がかりを得なくては始まりませんもの、ね。晴さま、参りましょう、か」
「ああ。気をつけるように」
「はい」
晴明が周囲を見回せば、メイメイは頑張ると拳を固めた。どんなに酷い物を見たとて、これしきの事だと気を持たねばならない。
メイメイはすうと息を吸ってから「星月夜様」と呼んだ。
「頑張ったら痕でお菓子を作ってさしあげましょう」
「貰ってやっても構わんがの~?」
にんまりと笑う神霊未満にメイメイはくすりと笑った。有象無象となる複製肉腫は皆で救えるならば救える限りを保とうと願った。
幸い拠点となるべき場所は掃討を行なった汰磨羈によって救助者が出ても運搬がしやすくなっている。鬼灯も転移陣での守護を行なってくれているのだ。
疎通可能な霊魂達は居たが、名を訊ねれば皆が罪人だという。そして、この地で命を落とした者達だ。
彼等に聞いた話は風牙やアレクシアの記憶と合致している。この島の管理を行っていた一族は畝傍というらしい。
「来ます」
鹿ノ子は
「遮那さんのおわすこの豊穣に乱あるを許さず――鹿ノ子、抜刀!」
地を蹴った。鹿ノ子が肉腫へと肉薄する。後方より支援を行なう鬼灯を振り返る。
此の儘攻め立てるのみ。鹿ノ子は地を蹴った。くるりと踊る。
「たとえ一撃は軽くとも、二撃、三撃、くるりくるりと何度も斬り付けられれば傷は浅くは済みませんよ!」
花のように舞う。蜂のように鋭く刺し、蝶々のように宙を踊る。その剣戟は美しく鮮やかだ。
鹿ノ子が避けた、その場所へ鬼灯の糸が伸び上がる。
「切りが無い」
「……ここの罪人たちの成れの果て、か。
巫女姫統治時代に投獄されて複製肉腫にされてからかなり長い間経っているだろう……助かるかどうかは分の悪い博打だろうな」
紫電へ汰磨羈は「仕方あるまいよ」と頷いた。
「もし手遅れだった場合は可哀想だが、眠らせてやるしかない。
せめてもの手向けだ……介錯はオレが引き受ける。こんな業、オレが背負うだけでいい」
苦しげに呟く紫電はするりと刀を抜く。謂れもない罪でこの様な姿になった者が居る事は非常に痛ましい。
妙見子に「お任せを」と囁くヴィルメイズとて思うところがあったのだろう。
(……彼等に記憶を消して欲しいかと問えば、屹度無数にあるのでしょう。
辛い記憶を消す……美しい私には美しい記憶しかございませんので、忘れさせるだなんて余計なお世話です。
ただ私がそう思えるのは、周囲の人々に恵まれていたからこそ。
特に鬼人種の方は酷い差別を受けていたと聞きますので、消したい記憶が多いのかもしれませんね。
加害者が忘れたとしても、被害者はいつまでも覚えているものです。少し運命が違っていたなら、きっと私も……)
彼らの様に謂れなき罪で囚われてそして死に至るのか――救えるならば、この地で助け、転移陣まで連れて行けば良い。
肉腫が人に戻ったと言えば霞帝はある程度の衣食住を与え、保護してくれるはずだ。
「参りましょう」
「ええ。下がっているのですよ……!」
妙見子は肉腫の足止めを行ない乍らも出来うる限り仲間を傷付ける全てから護る事だけを意識した。
意識していた――が。
(間に合わない……!)
仲間へ向かわんとする肉腫へと向け、鉄扇を振り下ろす。ざあ、と風が吹き顕現したまじないが流星の如く形を作った。
「私は加害する側でしたから……こうやって攻撃することに戸惑いがないわけでは……思い出したくもない……」
――それでも、迷ってなどは居られない。
ヴィズメイルは「妙見子様、人が!」と声を上げた。肉腫がぐらりと体を傾け、その姿を変容させたのだ。
人へと戻ったと言うべきか。意識を失った者を庇い、新たに現れる肉腫を睨め付ける。
「よお。肉腫と話すなんざ不思議な気持ちだが、ここ最近で変化は感じたか? 余所者の乱入だ。
お前達の住処を脅かす奴らだったろ。例えば――『神域』が何処かに出来たとか」
風牙の問い掛けに元は島流しに遭ったのだろう罪人、その『肉腫』は虚ろな目をして「居た、居た」と言った。
「畝傍の娘を探せば良い。アイツは詳しい、アイツなら」
「……また、畝傍か」
元はこの地を管理していた一家だ。その一人ならば確かに詳しいだろうか。
「……彼は…………やむを得ませんね。斬り捨て御免。どうか安らかに」
鹿ノ子が唇を噛む。迫り来る肉腫でも救えぬ者は、諦めなくてはならないのだ。
だが――情報は得た。アレクシアはその話を聞いて「奥に向かおうか」と提案した。
「それにしても、『忘憂神社』か……神社そのものがででん、とあるわけじゃあないよねきっと。
いや、でも神霊が信仰と結びついてるなら……『かつてそうだった場所』みたいなのはあるのかな。
麒麟も、朽ちかけていたとはいえ祭壇みたいなものがあったわけだし……そういえばあそこも、そのうち直してあげたいな」
「あ、そうだな」
風牙は今回のバリケードを作るときにでも一緒に直してやりたいと笑う。アレクシアは頷きながらも、ふと首を捻った。
「そうだった場所が此処に元々合ったんじゃ無くって、此処に移動してきた可能性があるって事なのかな。
神域は、本当に土地を必要としないだろうから……再現性東京なら、怪異はそうやって移動してるときがあったもんね。
ともあれ、もしそうなら参道的な道があるかもね。
うーん、この地の社みたいなのって、そういう『形』みたいなのは結構しっかりしてるイメージだし……そこに誘うって意味もありそう」
推測しながら歩むアレクシアについて行きながらフリークライは「忘レタイ記憶」と呟いた。
「フリック 忘レタイ記憶 ナイ。
フリック 生マレテカラノ日々 アラユル記憶 我ガ心 育ンダ。
ソノ全テガ フリック。コノ心 奪ワセハシナイ」
「……大事だと思う。記憶とは、人を作る物だ」
アーマデルは頷いた。フリークライは秘宝種だ。製造者が存在し、『彼女』を看取って停止している。
メモリーの多くは破損したが主の事だけは覚えて居た。彼女の事だけでも知っていて良かったのだ。思い出せぬ事が多くてもフリークライにとってはそれは喪失では無いのだから。
「記憶を切り貼りするものか……記憶は即ち縁、故にヒトは意識せず記憶を改ざんする。
喉元に詰まった苦い熱を忘れる為、心の拠り所となりうる幸福な記憶を失う……なんと高い対価であることか。
我が守神の兄弟に記憶と妄想を司るものがいてな、記憶は知識、妄想は知恵なのだというが。
ここでの記憶は生々しい感情を残したものと、熱を失った『記録』のような気がする」
アーマデルはふと呟いた。自身が駆使する魔術も死者の未練を元にしている。ヒトが生きた証であり道標が己の使用する魔術なのだ。
(……それにしても複製肉腫が多いな。即ち感染源が居るだろう)
ちら、と見遣れば冬夜の裔の姿があった。「俺には足りないものが多い、助けてくれ」と頼めば彼は「構わない」とそれだけを返してくれる。
「瘴気、ってヤツか……直感だが、この下はなにかヤバい」
ぴたりと動きを止めた紫電に妙見子は頷いた。
●
ヴェルグリーズは「聞き込みをしてみて洗ってみたのだけれど」と合流してから声を掛けた。
集積した情報の結果からイナリが目を付けたのは高天京でも歓楽街に位置する場所だった。花街だ。
怪しい気配のするその場所は夜間ならば人の気もあろうが日中は静まり返っている。寂れた街並みにしか思えぬその中をイレギュラーズは行く。
「話を聞けば、やはり此の辺りが一番に『声を掛けられやすい』ようだね。
まあ、でも良く分かるよ。客引きに紛れれば目立ちにくく、女性であれば歩いていたって何処かの遊女に思われるだろうから」
ヴェルグリーズが頷けばアルテミアは「まだ豊穣には斯うした場所があるのね」と呟いた。
しかも、獄人ばかり――どこか悔しげに眉を顰めるアルテミアに「仕方が無いことなのだろうね」とヴェルグリーズは頷いた。
聞き込みでよく語られてたのは白髪の美しい女であったという噂だ。
ならば――と、眼前の白髪の女を見てから慧は「もし」と声を掛けた。ぴたりと足を止めた娘の蜜色の瞳が怪しく光る。
「噂に聞く方では? なんでも記憶に関して話をしているのだとか――俺には嫌な記憶があります。お一つ聞いちゃ行かないっすか?」
「お話をお聞きしましょうか」
女は振り返ってから微笑んだ。己の有する災い。呪いの話に『全ての話を聞いてから』女はにこりと笑って見せた。
「似たような話を知っております。恋をした八百万が他の男と添い遂げたことで、血潮に呪いを宿したというもの」
ぴくりと慧の肩が揺らいだ。
「その記憶の名をジュカクと申します――買われますか?」
その言葉だけで『記憶は奪われる』だけではない『売買』をされるのだと慧は知った。傍に控えていたルーキスはごくりと息を呑む。
慧は元手となる記憶を有さない。己を作った『角』の記憶は主との幸福にまで繋がっていく。渡せるものではないからだ。
「……忘れたい記憶か、よければ話を聞いても?」
「忘憂神社の遣いです。由緒正しき神遣故、暴力はお控え頂けますことを」
にこりと微笑む女は『端から見れば何者かに囲まれる獄人の娘』に見える。見栄えが悪い、つまり、実力行使は難しいかとヴェルグリーズは刀を抜く事は為ず、構えたまま問うた。
「キミは何者か聞いても?」
「申しましたとおり忘憂神社の遣いです」
「……行方不明になった方達との関連は?」
「皆様、記憶を頂戴しました。ですが、更にお取引頂けるとの事で『忘憂神社』に招いております」
「それは何処かな」
ヴェルグリーズがじらりと睨め付けた。アルテミアは周辺の気配を感じ取りながらもまじまじと眼前の女を見詰める。
(やけに余裕そう……屹度、離脱の手段を持っているのね。ここでは追い詰められない。出来る限り話を引き延ばさなくちゃ)
アルテミアを見詰めてから女は「巫女姫様ですか?」と問うた。はたと驚いた様子で瞬くアルテミアに「いえ、巫女姫は亡くなられておりました」と女は云う。
「皆様は忘れたい記憶はございませんか?」
「……俺に忘れたい記憶は無いよ。俺にとって記憶はこの魂を形作る礎のようなものだ。そうそう人に明け渡していいものだとは思っていないよ。
忘れたいことのある人たちを非難する気はない。生きていれば心が折れるほどに辛いことだってあるだろう。俺はそれを否定しない」
「良い心がけでございます」
ヴェルグリーズはそれでもじろりと女を睨め付けた。
「……その記憶や心を利用して悪事を為そうというなら話は別だ。
行方不明となった人達の中には心配する家族や友人を持つ人もいるだろう。人の弱みにつけこむ者を俺は許さない。――答えてくれるかな?」
「弱みになど。望まれてのことでしょう」
微笑む女にイナリは「そうね、顧客だもの」と笑ってから指先をくい、と引いた。ファミリアーが女を上空から警戒し、観察しているのだ。
「それでは、また」
女はすたすたと歩き出す。追い縋るファミリアーは今だ女を上空から認識していた。
その様子を影より眺め、ゆっくりと顔を出してから朝顔は緊張を滲ませ息を吐く。
真っ向から忘憂神社の女を目にしてから朝顔は「忘れたい記憶があります」とそう言った。
「……いれぎゅらーず、でございましょう?」
「……どうして」
朝顔が顔を上げれば女は柔らかな白髪を風に揺らしながら「コヅヱと申します、神使の娘さん」と落ち着き払った礼を見せた。
たじろぐ朝顔は「出来れば攫われた者の安全や開放を願いたいの」と申し入れた。
「この恋の記憶(おもい)を全部あげるから」
「対価が足りません」
「全部でも……?」
コヅヱのかんばせをまじまじと見た朝顔に彼女は「貴女ひとりぽっちでは『あの方』は足りませんもの」と胸をとん、と叩いた。
「あの方……」
朝顔は独り言ちた。コヅヱは「少し囓らせて頂いても」と朝顔の胸に触れ、そのまま腕をずぼりと差し入れる。
心を素手で撫でられるとはどの様な感覚であるか。恐らくは朝顔にとっては初めてのものだろう。生温いチョコレートソースをゆっくりと垂らされているような奇怪な気配。指先が掴んだ刹那に感じた痛みにちくりと刺される。
「切ない恋をなさったのですね。けれど、大丈夫。全て――全て、持ち去ってしまっても構いません。買い取らせて頂きましょうか?」
「……何れだけなら保証してくれるの?」
「少しならば」
痛みに朝顔が眉を顰める。
破れかぶれな恋をした。誰もが君を好きになった。それだけ魅力的な人だったからだ。
傍らに居られるだけで満足したのは最初だけだった。徐々に、徐々に、欲しがる心は止まらず、彼の言葉に苦しみばかりが募った。
――ゆっくり、積み重ねれば良い。
そんなの時は舞ってくれないから。
――心に寄り添い、苦難を支えよ。
違うの。誰かが傍に居るだけで苦しかった。
「選択することは出来ましょう。捨て去り、そんな方のことも綺麗さっぱり忘れてしまいましょう。
記憶とはそういうもの。恋なんて特にそう。それだけ熱烈だったなら、存在そのものを忘れ去った方が幸福でしょう」
コヅヱの声に朝顔ははくりと唇を動かした。
獄人として生れ落ちた者の視野が欲しいだなんて、誰だって出来るでしょうと彼を糾弾したくなった。
『私で無くても良い』事が募り増える度に悍ましい程に何かが溢れ出しそうになるのだ。
「何も与えてなど下さらなかったでしょう」
軋む心に気付いてから朝顔は眉を顰めた。まだ可能性があるんじゃないかと諦めきれない心が叫ぶ。
「全部、全部無くなれば皆幸せになりますか?」
「どうでしょうね。お見積もりはさせて頂きました。手放したいならば全て頂戴致しましょう。
……大丈夫。楽になりますよ。何も影響なんて受けません。あなたは神使、お役目も捨て去ればただの娘にだってなれますもの」
コヅヱに肩を押されてから朝顔ははっと息を呑んだ。
ふと顔を上げれば――雑踏の中にぽつねんと一人。
彼女は消え失せていた。
ただ、忽然と消え失せた彼女であれど、僅かな気配が残っている。
「……自凝島?」
彼方に渡る際にフリークライが瑞神より籠めて貰った神力の花の香りが僅かに漂ったのだ。
●
ぴくりと肩を動かしてから風牙は「何か来る」と叫んだ。複製肉腫を相手にとっていたが、それらを『突然殺す』者が現れたのだ。
首をすぱりと切り落としたのはそっくりの能面を付けた女達だ。風牙にとって、まだ救えるはずであった相手の突然の死――到底受け入れられる者ではあるまい。
「なッ――」
「ようございます」
女が言った。
「ようございます」
同じ能面の女が増える。
「……誰だ」
睨め付ける紫電に「憂女衆でございます」と女が答えた。
「死を以て、参拝料とさせて頂いてもようございます」
「記憶を以て、参拝料とさせて頂いてもようございます」
女達の声音にアレクシアは「記憶……?」と呟く。
「私達が入って来たから? 複製肉腫の人をそんな風にした理由は!
『忘れたい記憶』を求めているって事? ごめんね、生憎、思い出したいことならいっぱいあるんだけどねえ」
アレクシアが杖を構える。紫電は――どうしようもなく、惑いを感じていた。
笑うあの子の声が聞こえた気がしたのだ。射干玉の髪、楽しげに笑うあの朗らかな声。ぴょこりと跳ねた髪。
鼻歌を混じらせ戦場を駆ける彼女は何時だって、我が侭で自由奔放だった。自己中心的という意味ではない『我が』『儘』なのだ。
彼女は死んだ。見殺しにしたのかと己を責める記憶がある。
(違う、この記憶は消しちゃいけない――この記憶を消すことは秋奈への執着と依存、愛の喪失に繋がるため、絶対に消してはならない)
紫電は絶えるように奥歯を噛み締めた。この記憶は、自身を自身至らしめるものだからだ。
愛しい人を愛する意味と意義を与えてくれているはずだからだ。
「どうしてこの様な場所に」
滅びの気配を宿したその人は神性ではない。肉腫だと庚が呟いた。
「膠窈肉腫か。こんなモノまでいるとはな。本命が近いという証左なのだろうが……名は?」
「憂女衆の友人とでも」
汰磨羈の傍で「畝傍家の者だろう」と風牙が呟く。憂女衆。女達は同じように言葉を繰返すばかりなのだ。
「忘憂神社の巫女か? 随分と"お揃い"のようだが」
「彼女達は大して話は出来ませぬもの。話すならわたくしでもよいでしょう?」
薄布でかんばせを隠しているが口元には覆う物は何も無い。にこりと微笑んだ『畝傍』の娘に汰磨羈が警戒を見せた。
「話さない……? ねえ、あなた達は、『厄裳』様の……神官? みたいなものなのかな?
記憶を集めるのはその人の力のため? 復活したとして……この地はどうなるの?」
答えやしない――憂女衆はただ「ようございます」とだけ答えてもう一度刀を振り上げた。
「ほら」
「……この人達は、人間……ではないのですか?」
妙見子の問い掛けに『畝傍』の娘がくすくすと笑う。
「忘れたいことはありますでしょう? そちらのお嬢さん」
鹿ノ子はじり、と女を眺めて「どうして私を指名したのですか」と問うた。
(膠窈肉腫……ルル家さんがその身と引き換えに呪われた力を行使していなければ、遮那さんもこうなっていたかも知れないのですね……)
緊張に唇が震えた。その存在が余りにも強大に見えたからだ。
「天香に出入りなさっているのでは?」
「……どうして」
「記憶を見せて頂きましたもの」
微笑む女は「捨てたい記憶は?」と囁いた。
「……忘れたい記憶、ですか? いいえ、ひとつもありません。
僕はもともと記憶を失っていて、ようやくそれを取り戻した身です。
もちろんそれは、楽しいだけのものではありませんでした。
けれど、たとえ辛いものであろうと悲しいものであろうと、それは僕の記憶であり痛みです。
それに僕の記憶は、もう僕だけのものではありません。たくさんのひとと関わった大切な記憶です。神様にだって献上するつもりはありません」
鹿ノ子が堂々と声を張る。女は詰らなさそうに「そこの忍びも賀澄に仕えていますね」と呼ぶ。
「主上を知っているのか。……忘れたい記憶か。
腐るほど程あるぞ。それこそ思い出すだけで頭が痛くなる様なな。だが、俺は強欲な忍。
この記憶の何一つ貴様らにやる気は無い。辛い過去も、血にまみれた記憶も、全て俺のものだ。黒影 鬼灯たらしめる全てだ」
「詰らない」
女は呟いてから――はたと気付いたように囁いた。
「ああ……そこに御座すのは建葉の坊主ではありませぬか。久しいですね」
「畝傍……薄雪……」
ゆっくりと薄布を取り払った女に晴明は目を見開き一歩下がった。妙見子とメイメイは不思議そうに晴明の反応を見る。
「三言(みこと)に良く似て……。坊は父に似ておりましたものね」
「晴さま……?」
メイメイは『三言』という名に聞き覚えがあった。先代の中務卿であり、晴明の父親だ。
彼は獄人の処刑に合い、不運にも命を絶たれたと聞いている――
(……晴さまにも、忘れたいほどの記憶……きっと、ない筈が、ないと、思って居た。
……けれど、それが――きっと……お父さんの、事だったとしても……)
確かに中務卿ともなれば『黄泉津瑞神』に近しい存在だ。だからこそ――
「晴さま。あなたの、記憶を『厄裳』とやらが、それを求めてきたのだとしても。
そういうのものは、わたしに分けて下さい、ね。貴方の背負ったもの、を。……欠片とて渡したくは、ないです、もの」
独占欲だった。たじろぐ晴明と、その袖を摘まんで睨め付けるメイメイを見てから薄雪はくすりと笑う。
「お友達ごっこばかりでは国は良くなどなりませぬよ、坊。
賀澄とてそれで失敗したでしょう。三言を喪ったのも、蛍が死に長胤と袂分かったのだって、甘さ故」
「薄雪」
晴明が名を呼んだが女は止まらない。
長く伸ばされた射干玉の髪、その姿は――ああ、黄龍に良く似ている。
(吾は賀澄の好みの女の姿をとったのだ。初恋の人と言っておったか――)
黄龍の言葉を思い出してから風牙は察した。霞帝の初恋の人であり、御所にも存在したのだろうその女は何かを知っている。
だが、救い難き『大地の癌』として此処に立っているのだ。
「迫害され、さぞや苦しかったでしょう。……大丈夫ですよ、坊。
賀澄の甘さを取り払い、苦しい記憶は全て捨て去りましょうぞ。厄裳なれば、そうしてくれる」
「どうして、『厄裳』とやらは、黄龍さまの気配を……」
メイメイは震える声音でそう言った。
「麒麟さまが、小さかったのも……その神力が弱っていたのも……三年前、この島が肉腫で溢れたのだって……」
目の前の女を見詰める。全てを結べば輪が出来る。その中心に立つように女はうっとりと笑った。
「麒麟如きの記憶では、足りないらしいですもの。坊……晴明や神使を捧げれば、もっと腹は満たされるかしら」
夥しい数の憂女衆がずんずんと歩いて遣ってくる。だが――光を帯びた。
フリークライの背に植わっていた瑞神の『加護』の華が眩く光、その行く手を阻む。
「フリークライ殿!」
「ン フリックノ花 瑞神ノ加護」
瑞花。その目映さに薄雪が「瑞神め」と忌々しげに呟いた。
「薄雪」
「ヤサカ」
「……一度下がれ、母上より伝令だ。立て直し『こ奴らを捕える』ようにとの事だ」
ヤサカと呼ばれた女の視線を受け止めてから鹿ノ子は後方へと合図をした。
「一度撤退を。……『道』は出来ています。その『道』を辿られないようにしなければ……!」
攻め立てねば元を立てない。だが、滴る水は止め処ない。今の言葉で、解ったではないか。
相手は記憶を糧にし、信仰を強め、徐々に徐々に迫り来る。
神霊は奥に居る。厄裳は――賀澄や瑞神をも取り込み何か事を起こそうとしているのだと。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした――
GMコメント
『豊穣郷』で大きな事件はこれが最後です。<けがれの澱>は3話~4話程度で構成されます。
●成功条件
『自凝島』へと渡る道の構築
●自凝島
神威神楽による流刑の地。悍ましき呪いの蔓延る罪人の終の地です。おのころしまと読みます。
嘗て、天香長胤&巫女姫が捉えたイレギュラーズをこの地に捕えた事があります。その当時より肉腫やけがれが蔓延っていました。
刑吏・畝傍家は全滅し、今は黄龍が『島を封じる』事で管理が成されていました。
黄龍より別たれた自凝島の守護神『麒麟』が中央に坐しています。その内部に瑞神は黄泉津の穢れを集め、現在の麒麟を禍津神にして討伐することで全てを終らす決断を黄龍と行って居ました。
ですが、黄龍にも良く似た気配を宿す神霊が内部に入り込んだようです。
簡単に言うと「けがれを利用しようとする神霊が居るから! どつこう! その為に道を繋ごう!」です。いくぞ~!
●転移陣
麒麟と黄龍を結ぶための霊脈を構築します。転移後の周辺掃討もとっても大事になりそうです。
転移陣を起動させ、転移後の場所に安全を確保して下さい。
また、転移陣が起動した場合は破壊を狙って敵勢存在が現れる可能性もあります。
●敵勢対象
詳細は不明です。
・複製肉腫 ???
数は不明です。
元々の『罪人』のなれ涯でしょうか。冤罪で逮捕された者なども居ます。それらが変化してずっと此処に居たようです……。
・膠窈肉腫 ???
膠窈種は純正肉腫(魔種相応)に原罪の呼び声がへばり付く、もしくは複製肉腫が【反転】した際に誕生する事がある特殊種族です。純正よりも強力な感染力を持ち更に【純正肉腫(オリジン)の誕生を誘発させる】能力を持ちます。
何故か存在して居るようですが数は不明です。
・憂女衆
白い面を付けた女達です。全員同じ外見をしています。
詳細は不明です。『ある場所』に踏み入れた時点で姿を現します。
・ヤサカ
・コズヱ
詳細は不明です。記憶を蒐集しているようですが……?
皆さんと出会った場合は『忘れたい記憶は無いか』と問い掛けてくるようです。危ない誘いですね……
●NPC
・宵暁月&星月夜
瑞神の神遣。速力を生かし偵察も得意な前衛タイプの宵暁月と、後方からの支援と連絡役を担う星月夜のペアです。
のじゃショタ。瑞神を敬愛している永きを生きてきた神霊です。今回の案内役です。
皆さんを護る事を第一にするようにと仰せつかっています。レーダー役としてもご使用ください。
・禄存
フェグダちゃんと呼ばれたいお年頃の黄龍の神遣。ウキウキるんるんで行動しています。
戦闘能力はそれなり。黄龍の『目』の役割も担います。人間サイズ~掌サイズに変化可能です。庚の肩に座っています。
レーダー役としてもご使用下さい。イレギュラーズを護る事を第一にしています。
・『中務卿』建葉 晴明
中務省(帝の補佐)の長。獄人差別を受けてきた当事者ですがそれから守ってくれた霞帝に恩義を感じ兄のように慕っています。
刀を駆使して戦うことが可能です。霞帝が為に、この地にまでやってきました。
・『陰陽頭』月ヶ瀬 庚
陰陽頭。肩に黄龍の神遣である『禄存』を乗せています。符術によるバッファータイプ。
大人しく真面目そうな外見ですが、結構お喋りで好奇心も旺盛な食道楽です。えらいひと。
・黄龍
自凝島の外からコントロールをしています。基本は禄存を『目』の代わりにしており、彼女に任せているようですが……。
・黄泉津瑞神
黄泉津の守護者。第一の獣。つまり黄泉津そのものっぽい神霊(精霊)です。
霞帝とお留守番をしています。瑞も霞帝も何方も前に出たがりなので、今回は二人で牽制し合っています。
・霞帝
所謂黄泉津で一番偉い人です。帝。現代日本に類似した世界から転移した旅人です。
迚も正義感が強く獄人差別に抗い、色々と(本当に色々と)大暴れした結果、帝になりました。
出しゃばりでたがりなので瑞神とお留守番で「言っちゃダメだぞ」「賀澄こそ」と牽制し合っております。
●四神とは?
青龍・朱雀・白虎・玄武と麒麟(黄龍)と呼ばれる黄泉津に古くから住まう大精霊たち。その力は強くこの地では神と称される事もあります。
彼らは自身が認めた相手に加護と、自身の力の欠片である『宝珠』を与えると言い伝えられています。
彼ら全てに愛された霞帝は例外ですが、彼らに認められるには様々な試練が必要と言われています。
●情報精度
このシナリオの情報精度はDです。
多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。
行動指針
当シナリオでの行動指針です
【1】自凝島内部に渡り安全を確保する&調査する
転移陣周辺の掃討を行ないます。また、転移陣周辺に『拠点を設営』してもよいかもしれません。
敵地であり、渡った瞬間から何が起こるかは分かりませんので警戒は怠らぬようにして下さい。
庚、晴明、神遣達がこの選択肢に同行しています。共に渡り安全確保をした後は周辺の探索を行ないましょう。
内部の様子は『何故か変化を為ている』為、何があるか分かりません。
けがれの気配は『下』が濃く、神遣たちは「何か違う気配を感じる」と下を目指すことを求めています。
転移陣周辺市か安全地点はありませんので継戦を意識しながら進んで下さい。
【2】自凝島のルートを安全に確保する手伝いをする
外で黄龍がルートを確保して居ます。その黄龍の護衛を行なう事が出来ます。
黄龍と何らかの会話をしておきたい、や、黄龍と内部の情報を器機考察を行なう場合は此方です。
人数を配分するならばそれ程多くなくても良いでしょう。
【3】高天京で調査を行なう
どうやら「忘れたい記憶は無いか」と声を掛けられた人々が姿を消しているようです……。
高天京にてそうした行方不明者の調査を行ないましょう。
屹度彼等は自凝島に転移しているのかと思われますが……。
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