PandoraPartyProject

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『黄金劇場』

「終わってしまったのね……」
 益々、力ない声でそう言ったベアトリクスの言葉にリア・クォーツ(p3p004937)の表情が幽かに歪んだ。
「……何よ、文句でもあるの?」
 友人を喪ったこの戦いの結末は確かな苦みを帯びていた。
『彼女』は確かに覚悟して全てをやり切ったに違いないが――世の中は割り切れる事ばかりでは有り得ない。
「いいえ」
 ゆっくりと首を振ったベアトリクスはリアの顔をじっと見つめた。
「良くやり抜いた。偉いわよ」
 頭を撫でようとした彼女にリアは憮然とした顔をした。
 憮然とした顔で避けかかり――途中でその動きを止めていた。
 白魚のような細い指が長い黒髪に絡む。触れる『自称母』の手はあくまで優しく、愛おしく。
 可愛くない他称娘(リア・クォーツ)を慈しむかのようだった。
「……別に、普通よ。逃げられない事もある。やらなきゃいけない事もある。
 そんな事、あんただって同じだったんでしょう……?」
 肯定してくれ、と半ば救いを求めるかのような問いだった。
 ベアトリクスはもう迷いを見せる事は無く「そうね」と頷いた。
「貴女はとても優しい子だから。お友達と最後まで居る事を選ぶべきだったでしょう。
 それに……ひょっとしたらこれは私の思い上がりかも知れないけれど」
 淡く微笑んだベアトリクスはほんの一瞬目を閉じていた。
「……私を心配してくれたのかも知れない、とも思っていたわ。
 貴女がカロンに向かったなら、私は矛を振るったでしょう。或いは貴女の盾になったでしょう。
 ……どの道、滅びるこの在り様でも、最後の時間をこうして過ごせているのは……望外だわ」
 ベアトリクスの言葉にリアの表情が強張った。
 リアにとってこの痛みばかりの『決戦』は親友と母、双方の喪失を伴うものになると分かっていた。
 少しでもその時間を遅らせたかった気持ちを完全に否定するのは難しい事だろう。
 同時に。ベアトリクスが今、改めて言及した『最後』は格別に重い意味を抱いていた。
 この混沌に優しい奇跡は続かない。よしんばあったとしても――それはきっとここでは無かったのだと。
 リアは母の言葉からそれを痛感せずにはいられなかった。
「……アンタの話、聞かせてよ」
 だから、リアは気丈にそう言った。
 泣きつく事をせず、『この期に及んでも可愛い娘の顔なんかではいられないで』。
「聞かせてよ、少しでもいいから。少しでも多く……」
 その大粒の宝石のような瞳に露を宿して、『本人が思う以上に無意識に可愛い娘の顔をして』。
「お願いだから……」
 予定とは全く違う格好で、実に無意識の内に――認めていない母親にそう願っていた。
「……」
「……………分かったわ」
 きっと折れたのはベアトリクスの方だった。
 何時の世も母親は愛娘の涙には余りに脆い。
 彼女の張った母親になれぬ意地も、罪悪感も――リアの前には余りに些事だった。
 それに第一、ベアトリクスは望んで居たに違いない。その胸に秘める思いの丈を伝える事を。
「何から聞きたい?」
「何でもいいわ。例えば、その……何であたしを放り出したのか、とか。
 それに関しては、フォウも茨紋も何も教えてくれなかったの。
 ……あたしは、どうしても知りたいの。
 玲瓏郷の事。アンタの事も、あたしの事も……それから、あたしの父さんの事も」
「……少し、長い話になるわね」
「気合い入れて長生きしなさいよ!」
 リアの言葉にベアトリクスは微笑んだ。
 出会った時のような険は既に消えている。
 丁々発止とした言葉はリアの元来の生命力の強さと気丈さをしっかりと示している。
『それはベアトリクスが不完全な我が子に望んだ健やかな成長の証そのものだった筈だ』。
「玲瓏郷はこの混沌の現世と外の狭間に存在するゆらぎ。
 私はずっと、在る様に定められた玲瓏郷の守護者のようなものだったわ。
 玲瓏郷に侵入した異物を排除する為の装置のようなもの。
 主人とは言うけれど、感情が無かった訳ではないけれど。
 今よりずっと自由は薄くて、自我も強いものだとは言えなかった」
「……玲瓏郷の成り立ちはひょっとして、分からない?」
「ええ。お恥ずかしながら。唯、そこにあるものに常に意味を求めたがるのは多分人間の悪癖の一つだわ」
 ベアトリクスの言葉をリアは促す。
「全ての切っ掛けは――私が『彼』と出会った事。
 いいえ、出会ってしまった事だった――」
「まさか」
「ええ。貴女のお父さんよ。彼は特別な俊英だった。
 迷宮森林から運命に手繰られるように玲瓏郷に迷い込んでしまった。
 異物を排除する役割を負った主人は――本当におかしな話だけれど、その『音楽家』に恋をした」
「……」
「空虚で希薄だった私にあの人は外の全てを教えてくれた。愛の全てを教えてくれた。
 私は彼の腕の中でずっとこんな日が続けばいいのに、と願っていたわ。
 ……実際、続く筈だったのよ。彼はずっとここに居てくれるって約束してくれた。
 将来を嘱望された彼は栄誉の全てを捨てて、私にだけ捧げる曲を書いてくれるって約束してくれた――」
 リアは敢えて名前を問わなかった。
 気になる話ではあったが、遠い目で物語を綴るベアトリクスはもう誤魔化すまいと信じていたからだ。
「――そして私は貴女を授かった。
 混沌の神様はきっと意地悪だけれど、私のような存在と彼の間に子供を認めてくれた。
 ……本当に嬉しかったわ。本当に。
 でも、神様はやっぱり意地悪だったから全てを丸く収めてはくれなかったの。
 ……産まれてきたリアは、今にも消えてしまいそうな位に希薄な存在だったわ。
 元々、そういう造りをしていた私が悪かったんでしょう。彼も貴女も何も悪くないのに!
 ……リアは産まれながらに長く生きられない事が分かっていた。それは、全部私の所為で――」
 怜悧な表情を感情的に歪めるベアトリクスにリアは何も言えなかった。
 自分を責める彼女の気持ちが分からないけど――少し分かる。
 例えば弟達が何か危険に晒されたとして、リアはきっと同じ事を考える。
『全ては自分が及ばない所為だったのだ』と。
 奇妙なまでの一致はリアに少なからぬ血の繋がりを感じさせた。
「違う。違うわよ。あんたはそれでも産んでくれた……お母さんじゃない」
 ……だから彼女は自分を責めるかのようなベアトリクスを制止する。
「……ごめんなさい。続けるわ。
 そうして産まれた不完全な貴女を補完する為に、私は力のバイパスを貴女に繋げた。
 きっと、それは生命の摂理に反する事だったのでしょう。
 玲瓏郷の主人として明らかな間違いだったという事なのでしょう。
 でも私に選択肢は無かった。安心した彼の顔を見て嬉しかった。
 大きな声で泣く貴女を抱くだけで、何を犠牲にしても構わないってそう思えた。
 ……そんな事をしていたからなのでしょうね。
 もうあの頃には私は本来あるべき――玲瓏郷の主人としての力は殆どなくなっていた」
「ちょっと待って」
「……」
「『じゃあ、あたしがこれまで生きてこれたのは』」

 ――私があんたの命を食い潰していたから?

「言わないでね」
 ベアトリクスはリアを制止した。
 リアは何故ベアトリクスが頑なに口を閉ざしたかを理解した。
 彼女はリアに背負って欲しくなかっただけなのだ。
 ここに到る全ての物語を、これから到る自身の最後を。
「……ばかやろう……っ……!」
 装置から凡百へ。実に情実的な、人間的なより強い自我を芽生えさせ、人を愛してしまった彼女は最早完全な存在ではなくなったという事なのだろう。
「ええ、馬鹿ね。きっと。でも誇らしいわ。
 でも、弱った私はあの時、招かれざる客――魔種がやって来た時、それに勝つ事が出来なかった。
 私達母娘の盾になった『彼』が反転するのを止める事は出来なかった。
 ……彼はね、リアのお父さんは『自分から反転した』の。反転で得た力で親の魔種を打ち破った。
 自分を侵す狂気に苦しみながら、それでも玲瓏郷から出て行ったの。
 ……貴女を玲瓏郷に置いたらまたどんな悪影響が出るかも分からない。だから貴女は外に託した。
 アザレアさんが立派な方だという事は分かっていたから。
 彼は最後の力を振り絞って貴女をクォーツ院まで送り届けた――」
「……それが顛末?」
「大体の。最後に彼の名前を伝えるわ」
「――――」
ダンテ・クォーツ。貴女のお世話になっているアザレアさんの息子で、世界的なマエストロ。
 貴女も会った事があるでしょう」
「――――――――」
 リアは二度息を呑んだ。二回目は尚、長い。
「……狂気に長く晒された彼は徐々に本来の形を喪失してる。
 元々は私達を守りたかっただけの願いは歪み、捩じれて――一番大切な貴女に『何か』を求め始めている。
 ……貴女の頭痛。それも彼の影響だわ」
『まさかの状況』に茫然としたリアにベアトリクスは言った。
「……お別れの時だわ。私はそろそろ消えないといけない」
「根性無い事言うんじゃねえよ!」
「……うん。そう言うと思ったから。貴女に一つお願いしたいわ」
「何を!」
「『もし貴女が許してくれるなら、私は貴女の中に入りたい』。
 殆ど浮かび上がる事は出来なくなるけれど、貴女とのバイパスはまだ残ってるから。
 貴女の不完全を埋めて、貴女を苛む何かから守りたい。もし許してくれるなら――」
「――そんなのっ、いちいち……ああ、いちいち断らないでよ!」
 光を放ち、今にも霧散してしまいそうな希薄な気配にリアは力一杯の言葉を投げた。
「……他人行儀はもうやめてよ、お母さん!」
 それが、直接交わせた二人の最後の言葉だった――

 ※深緑各地で行われていた戦闘が終了したようです――!
 ※大樹ファルカウや迷宮森林を包んでいた眠りの呪いは完全に消滅したようです。
 ※『玲瓏公』ベアトリクスが消滅し、リア・クォーツさんのギフトが変化しました!

これまでの覇竜編深緑編シレンツィオ編

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