PandoraPartyProject

シナリオ詳細

<黄泉桎梏>青き空に咲く橘の花<琥珀薫風>

完了

参加者 : 25 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 あの夏の日。洋々たる未来に思い馳せ、少年は琥珀色の瞳を蒼穹の空へと向けた。
 海の向こうには何があるのかと問うた、純粋で煌めく眼は、些細な話一つにも大仰に驚いた。

 あれから三年。
 天真爛漫だった少年『琥珀薫風』天香・遮那(p3n000179)は幾度となく戦いを超え、悲しみに涙して。
 真面目で強い眼差しを持った青年へと成長した。
 義兄の仕事を難しそうだとしか認識していなかった子供が、今はそれを継いで当主となっている。

「本当に、色んな事があったのう……」
「そうだねぇ」
 執務室でいつも通り仕事をしていた遮那が呟けば、返事が返ってきた。
 返って来るはずのない優しい声。去年の暮れに死んでしまった親友浅香灯理の声が聞こえるのだ。
 幻聴かと思い顔を上げた遮那の瞳に灯理の姿が映り込む。
「灯理……?」
「ふふ、びっくりした? 大丈夫、生き返ったわけじゃないよ。幻影というのかな」
 自分でもよく分からないと伝う灯理を遮那はじっと見つめた。
 灯理は死んだ。遮那が己自身で命を絶ちきったのだから紛うこともない。
 けれど目の前の幻影は優しい灯理そのもので、悪意など感じられはしなかった。
 ならば考えられるとしたら。
「未練が、あったか」
「……化けて出てるって? いやぁ、そんな効率悪いことしないよ僕。未練が無いとは言わないけど、未来は君達自身が決めて行けるって信じてるからさ。其れが見られないのは残念だけど」
 灯理の言い草に、遮那は「ふっ」と微笑む。何者かが真似ているのではないと確信する。
 これは恐らく直ぐに消えて無くなる類いの幻なのだろう。幻影自身に悪意も感じられない。
「まあ、心配せずとも何とかやって行けてる。吉野も明将も神使たちもいるしな」
「うんうん。遮那なら大丈夫だよ」
 微笑んだ灯理が部屋の障子に視線を上げた。

「……おい、遮那大変だぞ! 中庭に長胤様と蛍様が居た!」
「稽古場には忠継さんも居るらしい。安奈さんが言ってた」
 ドタドタと足音を立てて入ってきた柊吉野と御狩明将は灯理に目もくれず、遮那の元へ走ってくる。
「落ち着け二人とも、気が動転しすぎだ」
「だって、長胤様と蛍様……あ!」
 勢い良く振り返った吉野と明将はソファで手を振る灯理に目を見開いた。
「お前もか!!!!」
 遮那の執務室に居る灯理は、二人にとって当たり前過ぎて意識の外へ行っていたらしい。

「どうなってんだ?」
 明将が首をかしげるのに吉野は「おそらく」と世界地図を引っ張り出す。
「いま、天義で「神の国」と呼ばれる変な現象が起きているそうだ。理屈は分からんが、まあ結界を張って悪さをするんだろうな」
 伝令役として各国を飛び回っている吉野は天義の情報も仕入れていた。
「そんな奴らがいるのか?」
「遂行者とか言われるヤツらだが、何を考えてるのかはいまいち分からん。歴史を変えたいとか何とかだが、其れ其れ目的も違うしな」
「では、その神の国というものが、此処にも来たということだな吉野?」
 遮那の問いかけに吉野は頷く。

「結界が張られたみたいだから、一通り見て回ったけど俺達以外は消えた……いや俺達が隔離されたとみた方がいいな」
 厨房の女官たちも、御庭番たちも見つからなかった。
 しかし、代わりに灯理や忠継が現れたのだという。
「害はありそうか?」
「今のところは無いが、あんま長居はするべきじゃねーよな」
 明将の言葉に遮那は「たしかにな」と肯定する。

「核を探せば、消えるよ」
 灯理は自分の胸を指差して微笑んだ。灯理の胸にも核があるのだろう。
「そういえば神の国は核を探して破壊すれば解かれるらしい」
「……そうか、なら探して壊すしかないな」
 遮那は寂しげに灯理に視線を合わせる。
「そんな顔しないでよ。でも、ちょっと僕も寂しいから、少しだけお話したいな」
「ああ……」
 ほんの少しの語らいならば、問題は無いだろう。
「ありがとう。じゃあ、後で核を渡すね。何から話そうかなぁ……」
 いつも通りの優しい笑みで灯理の幻影は微笑んだ。

GMコメント

 もみじです。帳がおりたので核を探しにいきましょう。

●目的
・神の国の核を探す

●ロケーション
 カムイグラの天香邸とその周辺に帳がおりました。
 遮那や関係者、イレギュラーズだけが帳の中に隔離されました。
 お話する時間はあるので、散歩しながら核を探しましょう。

○正門
 天香邸には立派な大きな門があります。
 普段は閉まっており、潜戸から出入りすることが多いようです。

○石畳
 正門から屋敷に向かうまでには、石畳の道があります。
 中庭を抜けていくので結構長いです。
 戦いの傷跡はもうすっかり無くなっているようです。

○中庭
 屋敷を取り囲むように中庭があります。
 四季折々の花が咲き乱れ、池では魚が泳ぎ、中庭の奥には小さな滝があります。
 小川には橋が掛かっており、ゆったりと散歩できるでしょう。

 今は紫陽花が綺麗に咲いています。
 花菖蒲は濃い紫色で美しく、純白の梔子の香りは酔ってしまいそうなほど芳醇です。
 百合や立葵も大輪で艶やかな花を咲かせます。

○屋敷
 天香邸のお屋敷です。
 とても広く、隠れる場所がいっぱいありそうです。
 台所には作りかけのお菓子が並んでいます。
 イレギュラーズ達が隔離されているので人は居ません。

○執務室
 遮那が執務を行う部屋です。板間になっています。
 奥に遮那の机があり、その前には渡来品のソファが置かれています。
 このソファは友達達が集まるからという理由で遮那が設置しました。

○遮那の部屋
 香が焚かれ爽やかな良い香りがします。
 今まで貰った贈り物などが飾られています。
 新しいものが好きなので渡来品や美しいものも飾られています。
 奥の押入れには紐で厳重に封がされた箱があります。隠しているようです。

●核
 天香邸を散歩しながら探しましょう。
 様々な姿の幻影を纏っています。
 ふわふわの毛玉だったり、座敷童のような小さな少女だったり、小鬼だったり。
 灯理や忠継の幻影を纏っていることがあります。
 みんなお喋りが好きで、悪戯好きです。中には大人しい子もいます。
 外はどんな所なのか。まるで三年前の遮那のような事をきいてきます。
 腕試しをしたいと言う子もいるでしょう。

●NPC
○『琥珀薫風』天香・遮那(p3n000179)
 豊穣の大戦で天香の当主と成り日々精進しています。
 シレンツィオの遠征から戻って来ました。楽しい旅行でした。
 親友の死を経て、また一つ成長したようです。
 前へ向かって進むしか無いのだと思っています。

 天真爛漫で悪戯好きの少年は、真面目で真っ直ぐな努力家な大人になりつつあるようです。
 ただ、やはり元来の天真爛漫さは残っているようです。
 親しい人にはその幼さを見せることがあるでしょう。

 執務室に現れた灯理、中庭を仲睦まじそうに歩く長胤と蛍、稽古場の忠継といった幻影に胸が躍っています。もう会えないと分かっているからこそ、彼らの幻影は嬉しくあり。少しだけ寂しいようです。

○姫菱・安奈
 天香家に仕える種族美少女です。
 美少女刀法、菱派。自在抜刀夢幻の型。
 その名も「菱葉ポニテ抜刀術」の使い手。
 全ては天香のため――

 稽古場に現れた忠継の幻影と語らっています。
 楽しげですが、何処か寂しい目をしています。

○柊吉野
 初めて遮那が選んだ直属の臣下。獄人です。
 口は悪いですが優しい性格です。
 臣下として友人として遮那が背負う決意と矜持を共に背負うと決めています。

 意外と真面目なので、明将と一緒に核を探しています。

○御狩明将
 天香長胤派の貴族御狩家の生き残りの少年です。
 大戦の折、兄は戦死し、責任を感じた父母は家に火を付け、一人焼け出されました。
 現在は正純さんの元で暮らしています。
 友人として遮那が背負う決意と矜持を共に背負うと決めています。

 昔は吉野と喧嘩する事が多かったですが、現在は相棒といった感じです。
 二人で核を探しているようです。

○望
 吉野の故郷『春日村』の近くの峠で暴れていた精霊。
 使い魔として遮那の傍で過ごしている。

○猿飛・段蔵
 天香家に仕える御庭番です。
 遮那達の往く道を見守っています。

○黒影隆元
 鬼灯さんの祖父です。
 狂気に飲まれていましたが、現在は解放され優しいお爺ちゃんに戻っています。
 鬼灯さんと章姫を溺愛しているようです。

○喜代婆
 何代も前から天香家に仕える女官です。生き字引。
 とても穏やかで優しい皆のお婆ちゃん。

○万緒
 喜代婆に懐いている座敷童です。
 自分に似た幻影達と一緒に遊んで居ます。

○『彷す百合』咲花・香乃子
 元男性の種族美少女。
 海洋南西部に浮かぶセントリリアン諸島からやってきた白百合清楚殺戮拳の開祖。
 現地の人からは『灰の魔人』と呼ばれ恐れられています。
 白いセーラー服を纏い尋常ならざる能力を持ちますが、花は纏っていません。
 幻影と腕試しをしています。

  • <黄泉桎梏>青き空に咲く橘の花<琥珀薫風>完了
  • GM名もみじ
  • 種別長編EX
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2023年08月04日 22時07分
  • 参加人数25/25人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 25 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(25人)

夢見 ルル家(p3p000016)
夢見大名
ウェール=ナイトボート(p3p000561)
永炎勇狼
伏見 行人(p3p000858)
北辰の道標
咲花・百合子(p3p001385)
白百合清楚殺戮拳
仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)
陰陽式
メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りの守護者
炎堂 焔(p3p004727)
炎の御子
すずな(p3p005307)
信ず刄
マリア・レイシス(p3p006685)
雷光殲姫
鹿ノ子(p3p007279)
琥珀のとなり
日車・迅(p3p007500)
疾風迅狼
セレマ オード クロウリー(p3p007790)
性別:美少年
タイム(p3p007854)
女の子は強いから
黒影 鬼灯(p3p007949)
やさしき愛妻家
カナメ(p3p007960)
毒亜竜脅し
小金井・正純(p3p008000)
ただの女
ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)
戦輝刃
マッチョ ☆ プリン(p3p008503)
目的第一
ヴェルグリーズ(p3p008566)
約束の瓊剣
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
星影 向日葵(p3p008750)
遠い約束
不動 狂歌(p3p008820)
斬竜刀
ニル(p3p009185)
願い紡ぎ
カフカ(p3p010280)
蟲憑き
水天宮 妙見子(p3p010644)
ともに最期まで

サポートNPC一覧(1人)

天香・遮那(p3n000179)
琥珀薫風

リプレイ


 程よい暑さと突抜ける青空が広がる豊穣天香邸。
 頬を撫でる風はほんの少しだけ涼しく、過ごしやすい夏といえるだろう。
 中庭を流れる小川からも清らかな風が吹いてくるようだ。

『愛し人が為』水天宮 妙見子(p3p010644)は小鳥の囀りを聞きながら美しい設えの天香邸を見つめる。
「今まで見てきた帳とはまた違った趣ですね……平和と言いますか……降りてくる帳はその土地によって変化するのでしょうか?」
 小首を傾げた妙見子は数秒考えてから「あまり深く考えても仕方ありません」と微笑む。
「せっかく穏やかな時間が過ごせるんですからちょっとは楽しみませんと!」
 くるりと振り返った視線の先には『あの日から』鹿ノ子(p3p007279)の姿があった。
「不思議なこともあるものですねぇ」
「鹿ノ子様、大丈夫ですか? 遮那様とお話しできそうですか?」
 瑠璃色の尻尾を弛ませ妙見子は鹿ノ子へと問いかける。
「ありがとうございます。核は探さねばなりませんが、基本は遮那さんのお傍から離れずにいようかと思っています」
「そうですか。お役に立てたのなら幸いですよ。どうかお傍にいてあげてください、貴女達の近くにはいられませんが見守っておりますから安心してくださいね」
 全てを包み込む聖母のような微笑みで妙見子は鹿ノ子を見送る。

 執務室へと顔を見せた鹿ノ子は楽しげに談笑している『琥珀薫風』天香・遮那(p3n000179)と浅香灯理の姿を見つめ、そっと戸を閉めた。
 灯理とは積もる話もあるだろう。殿方同士でしか語れない話題もあるかもしれない。
 忠継との再開もきっとたくさん話しをするのだろう。その間も鹿ノ子は遮那を待って居たいと思うのだ。
 この待つ時間さえ、傍に居られるような気がして嬉しくあるのだ。

「豊穣も遂行者の手が迫って来てるって吉野さんから聞いてわたし心配で急いで駆け付けたのよ!」
 執務室の壁に『この手を貴女に』タイム(p3p007854)の声が響く。
 今まで見てきた遂行者の所業を鑑みればこの場所が壊されてしまうと危惧してしまうのも無理は無い。
「……それなのに、こんなことって!」
 タイムの視線はソファに座る浅香灯理へと向けられる。
 あれきりだと思っていた人たちと、普通に会話が出来る状況。
 嬉しいのか悲しいのか上手く分類することなど出来ないけれど、タイムの瞳には涙が浮かんでいた。
「……っ」
 思わず灯理に抱きついてしまいそうになるけれど、先に動いたのは柊吉野だ。
 嬉しそうに抱きつく姿を見て、タイムは己の気持ちに整理をつける。
 ――そうよね。嬉しい、でいいのよね。
 顔を綻ばせタイムは目尻に浮かんだ涙をそっと拭き取った。

『疾風迅狼』日車・迅(p3p007500)は「うーん」と首を捻りながら天香邸の空を見上げる。
 此処に降りた帳は他と少し様子が違うようだ。
「悪夢ではなく優しい夢のようです。これはこれで切ないかもしれませんが、もう一度会いたい人に会えるのは良いですね……」
 とはいえ核は破壊しなければならないと迅は呼吸を正す。
「僕は探しに行ってきます!」
 元気よく声を張った迅に遮那は顔を向けた。
「……出来るだけのんびり探しますので、皆さんもゆっくりお過ごしください。
 よき時間を過ごせるよう、願っております」
 迅に感謝を述べた遮那はその背を見送る。

『あたたかな声』ニル(p3p009185)は天香邸の穏やかな空気に視線を巡らせた。
「穏やかで、平和な……ここも、神の国?」
 ニルが目覚めたばかりの頃、豊穣で事件が起きていたのは覚えている。沢山の人が亡くなり、その中の一人が長胤であることも。
「ニルは神の国がきらいです。現実を上書きしてしまう神の国……今ある人や場所を否定する神の国が、ニルはいやです。でもここは……やさしい場所、あたたかい場所」
 涼しい風がニルの頬を撫でて何処かへ過ぎさっていく。青々とした葉や鮮やかな花が咲いている。
「誰かが好きだったひとが、まもりたかったひとがいて、微笑んでいる……」
 無理矢理再現されて歪められ攻撃してくるわけでもない。一緒に美味しいご飯を食べられる。
「……ここは本当に、神の国なのですか?」
 この地に降りた帳は真っ黒でも景色を歪めることもない。ただ美しい青空がそこにはあった。
 ――どんなひとが作ったの?
 ――なんのために作ったの?
 自分が知っている遂行者はもっと苦しくなるような国しか作ってなかった。
 壊したくないと思わせる為なのだろうか。
「あたたかくて、なのに、なんだかかなしくて……」

 ニルは二匹の小鳥と猫のココアを連れて天香邸を散歩する。
 ふわふわの毛玉がニルの頭の上に乗っかった。
「わわ」
「だあれ? おそとからきたひと? おはなしして?」
 ふわふわの毛玉がニルの周りに集まって羊のようにころころになる。
「いいですよ。ニルはこんなに大きな果物を食べました。覇竜というところです。ここから随分と遠いところでドラゴンがいます。すごく大きくて強いいんですよ」
 他にも練達であった友達や冬の狼と魔女の話をふわふわの毛玉に語るニル。
「ニルはいろんな場所に行って、いろんな人に会って。かなしいこともあったけど、それもぜんぶニルのものだから。だから……どんなにやさしくても、神の国は、ニルは違うと思うのです」
 遂行者もこの様子を何処かで見ているのだろうかとニルは青空を見上げる。

『永炎勇狼』ウェール=ナイトボート(p3p000561)は鳩と鼠を連れて天香邸の中を歩いていた。
 飛び立った鳩には上空から、鼠には室内の暗い場所を探させるために呼び出したのだ。
 小さい妖ならば隠れん坊している者もいるだろう。
「……幻影が迷子になってたりとかしてないよな?」
 なんて微笑んだウェールはこの天香邸を包む帳に悪意が無いのだと感じる。
 中庭から奥の院へと進んだウェールの足下に子犬のような妖が姿を現した。
「こんイちは! だあれ?」
「おう、ウェールっていうぜ。お前さんは?」
「キイチ!」
 妖の目線までしゃがんだウェールは豪快に頭を撫で繰り回す。キイチもそれが気に入ったのか嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振っていた。
「あー……お喋りが大好きなら聞いて欲しいんだが」
「きく! きく! なんのおはなし?」
 縁側へと座ったウェールの膝の上にキイチはちょこんと乗る。
「俺は元生物兵器で。元が付く前は製作者の命令に従いながら獣性の赴くまま色々やってたんだが……」
「うんうん」
 紆余曲折があり長男を養子として迎える事になったと語るウェール。
 今思えば同じ元生物兵器を一箇所に纏めた方が処分もしやすいという思惑があったのだろう。
「……一目見たときからビビッと来た。少しして恋だと勘違いした」
 そして半年して理解したのだ。
「生まれた時から今と変わらない旧型生物兵器の俺と違って。成長できる幼い生物兵器だったあの子を、強い遺伝子を喰らって進化しなければいけないという生物兵器として設定された本能を、獣性を恋や親愛と勘違いして、理解できた頃には本当の愛があの子から遠ざかる事を拒絶した」
 ウェールの悲しげな顔を子犬はぺろぺろと心配そうに舐める。
「今でもいつか我慢出来ない時が来てしまうんじゃないかと不安が消えない……それでも、元の世界に帰ったら、長男にごめんなさいと、感謝を伝えなきゃいけないから」
「ウェールはえらいねえ。ちゃんとごめんなさいって、いえるんだねぇ」
 尻尾をぶんぶんと振ってキイチはウェールを慰める。その必死な様子にウェールは和み、少しだけ笑みを浮かべたのだ。

「死者と再会したような状況……一体この状況は誰が望んで……?」
『共に歩む道』隠岐奈 朝顔(p3p008750)はぷるぷると首を振って天色の瞳を上げる。
「でも私がやるべき事は一つ。彼の最愛になるように彼の心身を支えたいんだ」
 出来る事ならずっと遮那の傍に居たい気持ちはある。この幻のような時間に一番喜び寂しさを感じているのは遮那だと思うから。
 朝顔は遮那と共に核を探して天香邸の敷地を往く。
「外は……豊穣にはないモノ、想像もつかないモノばかりの素敵な所ですよ。ね、遮那君」
「そうだな。いっぱい楽しいものがあるぞ」
 碧い海も賑やかな繁華街も豪奢な建物も豊かな自然も、沢山の未だ知らぬものがある。
 確かに核をさっさと壊すべきなのだろうと朝顔は視線を落す。
「遮那君がやりたい事を、言いたい事を思うままにやれば良いと思うよ」
 蛍や長胤に成長した姿を見て貰いたいのもあるだろう。忠継に今の実力を伝えたいでもいい。
 奇跡みたいな幻影がいる今だから遮那が後悔しないように。
「もしそれで何か大変になったら絶対に私が解決してみせるから。遮那君が立ち止まる人ではないと信じてるけど。駄目なら私が引っ張り上げるから」
「ありがとう向日葵。そなたは頼りになるな」

 鹿ノ子と別れた妙見子は屋敷の中を注意深く探索していた。
 何か異常があったならばすぐに駆けつけられるようにだ。
「あら……」
 屋敷の廊下の隅に落ちていた座敷童とそのとなりのメンダコに妙見子は目を見開く。
「これが核です? メンダコ連れた小さい女の子にしか見えないのですが……」
 そっと近づく妙見子の気配を感じた座敷童は勢い良く振り返った。
「もし? さっさと核を渡して……ってちょっと! なんで逃げるんです!?」
 そして、妙見子の手をすり抜けて廊下の奥へと走っていく。
「んも~! なんで追いかけっこなんて……!」
 妙見子はメンダコたちを追いかけ、追いかけ――何とか部屋の隅に追い詰めることに成功した。
「捕まえましたよ!」
「ぴゃー! おそといやー!」
 弱い力で暴れる妖たちを妙見子はぎゅっと抱きしめる。
「……怖いんですか? 外に出るのが」
「こわいよ」
「まるで昔の自分ですね、人と関わるのが怖くてできるだけ距離を置いて……気持ちは分かりますよ。私も未だに人と関わるのが怖いです」
 こんな風に聖母のような優しさで他人を包み込むような妙見子であるが、本当の所は臆病で傷付きやすい内面を持っているのだ。それは裏を返せば他人の繊細な心の機微を感じ取れる才能があるということ。
「でも意外と悪くないもんですよ。色んな人と関わって、友人になったり……恋をしたりね」
 そういった人間関係に辟易していた自分がいうのだから間違いないと妙見子は笑う。
「世の中そんなに悪人はいないんだなって思うことができるようになって。
 ちょっとだけ成長できた気がします」
 妙見子は腕の中の座敷童に視線を合わせる。
「ね? 違うでしょうか? 小さな妙見子。だから逃げ回るのは終わりですよ」
 それはかつての自分に言い聞かせるような優しい言葉。
 子供の時に言ってほしかった言葉。それを小さな座敷童を通して過去の自分へと伝える妙見子。
「貴女の核は私が持っていってあげましょう。外は楽しいことが待ってますよ」
 だからもう大丈夫だと目一杯の愛で小さな妖を包み込んだ。

「一体、なんだこれは」
『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)は唸りながら周囲を見渡す。
「なんともはや……」
 豊穣にも帳が降りていたのは知っていたがと『明けの明星』小金井・正純(p3p008000)は眉を寄せる。
「まさか天香邸にまでとは」
 天香邸を包んだ帳は真っ暗な世界でもなければ、歪んだ風景でもなかった。
 世間を騒がせている神の国にしては敵意や悪意がなさ過ぎるのだ。
「それに、天香に連なる方々のお姿まで」
 汰磨羈と正純は感心しながら遠くに見える彼らの姿を見遣る。
 死んだ筈の者達と語らい遊び、腕試しする。其れ等が纏う時間は穏やかで優しい揺り籠のよう。
 惑わし貶め帰れなくするつもりであれば、灯理の幻影が核の事を教える筈も無い。
「まるで、過去を清算する為の場だ。やれなかった事をやり、話せなかった事を話す為の……」
 汰磨羈は美しい花が咲く中庭に視線を向ける。遠くに蝉の音が聞こえた。
「今まで見てきた神の国の形成には、核となる聖遺物の性質が強く影響していた」
 この帳の中も同じように作られたものだとしたら、聖遺物に匹敵する『この場の性質を決める核』があるということになるだろう。
「このような状況に繋がる核、か」
 果たして。誰がこの風景を思い描いたのだろう。汰磨羈はゆっくりと歩き出す。
「あ、明将。異国からの客人もいらっしゃるみたいですしそちらの案内はお任せしても?」
 正純は御狩明将に顔を向ける。その隣には柊吉野の姿もあった。
「分かった。色々案内するよ」
「ふふ、頼りにしてますね」

 汰磨羈と明将、吉野は核を探しに天香邸の中を歩く。
 核を探すといっても何処にあるのか、全てを壊さなければならないのか。或いは『本命』があるのか。
「どうなんだろうな?」
「何はともあれ、まずは存在している核を全て洗い出そう。何をどう破壊するかは、それから決めても良いだろうさ」
 悪意も無ければ憔悴していくといった気配も無い。
「他の者たちが幻影と話す時間もほしいしな?」
「ああ」
 久々の再会を単純に嬉しいと思う気持ちも大切だから。核の破壊は彼らの用が済んでからにするのだ。
 そういえば、と汰磨羈は喜代婆の元へ足を運ぶ。
 生き字引に妖怪の座敷童。この二人なら、何かに気付いている可能性もあると考えたのだ。
「なぁ、喜代婆。御主は、この様相をどう受け止めている?」
「そうじゃのう。御盆も近く、皆が少しの間来てくれたのですじゃ。何も怖くもありませんのじゃ」
 ほっほっほと笑う喜代婆の隣で万緒も穏やかに過ごしている。きっと問題無いのだろう。
「まるで、"こうであって欲しかった"という願いが詰まったかのような場所だな、ここは」
 幻影は泡沫であるべきだと汰磨羈は視線を落す。例え、それが慈悲に満ちたモノであったとしても何時かは元に戻らねばならない。そういう意味では喜代の『御盆』という言葉は的を射てるのかもしれない。

 神の国の核を探す依頼だと聞いていたのだがと『アイアムプリン』マッチョ ☆ プリン(p3p008503)は首を傾げる。何だかこの場所が纏う空気は優しくてのびのびとしているのだ。
 それに『家族団らん』を邪魔してはいけないような気がしてしまう。おそらく遮那は気にしないだろうが、プリンが気になってしまうのだ。
「オレもやりたい事があるし、ならべく邪魔にならない様に動こう!」
 プリンがやってきたのは砂利が敷いてある庭だ。そこでは香乃子が幻影と腕試しをしていた。
「おお! お前が香乃子か! すっごく強そうだな!戦ってみたい!」
「なに……? 私に挑むのですか?」
 くるりと振り返った香乃子に「しまった」とプリンは口を塞ぐ。
「ごめん違う! 話し……そう話しをしにきたんだ!」
「話しですか? どのような用件でしょう?」
 プリンの元へと歩みよってきた香乃子にプリンはごくりと喉を鳴らした。威圧感というか赤黒いオーラが本能的な恐怖を覚えるのだ。それでもプリンは勇気を振り絞って言葉を告げる。
「オレ、ありがとうって言いたくてきたんだ! オレはマッチョ☆プリン! 百合子のライバルだ!
 百合子が使ってる技、作ったのお前だって聞いてな! つまり、お前のおかげで今の百合子がいるって事で、つまり百合子とオレがライバルに成れたのも……友達、ってものに成れたのも。お前がいたからって事だ! だからありがとうって言いたかった!」
「……」
 思ってもみなかったプリンの言葉に香乃子も目を瞠る。名乗り口上かと身構えていれば感謝を告げられたのだ無理も無い。無言の香乃子にプリンは居たたまれなくなり「むぅ」と唇を尖らせる。
「なんかありがとうって言うだけじゃ足りないな……よし!
 さっき食堂見かけたらそこでプリン作ってくる! とびきり美味しいの作るから待ってろ!
 うおおおおおお!!」
「えっ……」
 勢い良く走り去っていくプリンの起こした風で香乃子の髪が巻き上がった。

「帳による、幻影……? めぇ……天香家を訪ねていたタイミングで良かった、とすべきでしょう、か」
『ちいさな決意』メイメイ・ルー(p3p004460)は遮那の記憶を取り込んで帳が現れたのだと考える。希望ヶ浜でもそういった絡繰だったと記憶していた。
「でもワールドイーターとも、少し性質が異なるようです」
 思い出の姿や何時までも見ていたい夢。なのだとしても、このままでは帳が定着してしまう。
「『核』を探すお手伝いをします、ね」
 石畳の通路を歩き中庭へとやってきたメイメイは遠目に長胤と蛍の姿を見つける。
「長胤さまが、賀澄さまや晴さまと、手を取ろうとしていた、頃の?」
 それとも遮那が見たかった姿を映したものなのだろうか。二人が纏う空気は幸せそうだ。
 豊穣の暗い歴史をメイメイは知っている。長胤が深く関わっていたことも。
 けれど今は、豊穣という国は新たな未来へと歩み始めている。
 だからメイメイは長胤達の前に一歩踏み出した。
「あの、初めまして……! わたしは、メイメイ、です。豊穣の方々には、とてもお世話になっていて」
 メイメイの脳裏に過るのは晴明や瑞神たちの笑顔だ。幸せそうに笑っている。
「この先も、豊穣の為に……力になりたいと、思っています」
「そうですか、ありがとうございます」
 朗らかに微笑んだ蛍にメイメイは嬉しくなり、思い切って問いかける。
「お二人の思い描く未来の姿はありますか?」
 遮那の目指す未来もきっとそこにあるであろう。
「私はあの子が進む道を見守るだけです。切り拓くのは遮那自身ですから」
 蛍はメイメイの問いにそう答える。「既に託した」と多くは語らぬ長胤は、それでも穏やかな表情を浮かべていた。その答えを受け取ったメイメイは満足そうに微笑む。
「この国の『あるべき姿』は、『滅び』なんかじゃありません、から。
 これから霞帝の許で豊穣を支える、遮那さまのお力にも、なれれば……」

「うーん」
『炎の御子』炎堂 焔(p3p004727)は首を傾げながら天香邸の廊下を歩いていた。
「やっぱり、いつもなら核を守るためにいるはずの遂行者や、影の天使みたいな敵もいない?」
 中庭に居た長胤や蛍も、道場に居た忠継も穏やかな表情で楽しげな時間をすごしていた。
 死んだ人がもしも生き返ったのなら。そんな場所。皆が幸せに笑顔で過ごせる神の国。
「それならこのままでもって思っちゃうような優しい世界……でも、それはダメ、なんだよね」
 焔は板張りの廊下に視線を落す。
「せっかく大切な人に、大好きな人にまた会えたのに、またお別れしなくちゃいけないなんて……」
 ひんやりとした廊下の板間に足の指を押しつける焔。
「って、ボクがこんな風に落ち込んでたらダメだよね!」
 ぶんぶんと首を振った焔は顔を上げて前を向く。
 たとえ、直ぐに避けられない別れが待っているのだとしても、せめて今だけは楽しく過ごさせてやりたい。最後には笑顔でお別れができるように。自分に出来ることで手伝うのだ。
 そうなれば俄然やる気が出てくるというもの。
「あ、そういえばさっき……」
 何かを思い出した焔は『出来る事』を探しに廊下を駆け抜ける。

 メイメイは台所へと顔を見せた。
 作りかけのお菓子をそのままにしていると聞いて気になっていたのだ。
 先程廊下で見かけた遮那に許可は取ってあるので、お菓子を今から完成させるのだ。
「さすが天香家…良い材料を揃えていらっしゃいます、ね。作り甲斐があります……!」
「あ、メイメイちゃんも居る!」
 元気の良い声に振り返れば焔の笑顔が見えた。
「さっきここ通ったとき、気になってたんだよね。作りかけだったから完成させて、遮那くん達のところに持って行ってあげよと思って!」
「はい、わたしも皆さんに振る舞おうとおもってました」
 そこへ丁度やってたのはプリンだ。
「お、何作ってるの? オレもプリン作っていいかな?」
「はい、一緒に作りましょう!」

 メイメイの作っているのはおはぎだろうか。その隣にあるのは何だか難しそうな包みの菓子だ。
「こっちの作り方分かる? メイメイちゃん」
「えーっと……」
「やっぱりちゃんとわかる人にも一緒に作ってもらおう、喜代お婆ちゃんならわかるかな?」
「呼びましたかな?」
 ぬっと出て来た喜代の顔に焔とメイメイは飛び上がる。
「わわー!?」
 ほっほっほと悪戯が成功したと微笑む喜代婆と一緒に焔とメイメイはお菓子を作り上げた。
 その向こう側ではプリンが

「さあ、どうぞ」
 メイメイと焔は集まってきた妖たちにもお菓子を振る舞う。
 例え相手が幻影であっても楽しいひとときを過ごしてほしいからだ。
「どうしてこんな世界を作ったのか、もしかしたら、世界なら壊せないんじゃないかって思って作ったのかもしれないけど。今日は思いっきり楽しんじゃうんだから、残念だったね、遂行者さん! 今回だけは感謝してあげるよ!」
 お菓子を頬張りながら焔は青い空へと叫んだ。

『鬼斬り快女』不動 狂歌(p3p008820)は奇妙な帳だと青い空を見上げる。
「合縁奇縁も縁の内とか袖触れ合うも多少の縁とか言うが……」
 何がどうなって此処に帳がおりたのかは定かでは無い。けれど重く受け止めるよりは楽しんだ方が自分らしいと狂歌は微笑む。
「ちょっと早いが盆が来たと思うことにするか」
 遮那にとって親しい人物や無邪気な妖しかいないようではあるから問題無いだろう。
「今回の核は遮那の私物とかだったりしねぇか?」
「どうだろうな……その可能性もあるやもしれん」
 一通りの見回りに狂歌も同行する。他にも人が居るから大丈夫ではあるが、用心に越した事は無い。
 それに自分には親しい間柄は居ないのだ。
「俺のことは気にせずゆっくり話せよ、神の奇跡か悪魔の誘惑かは知らねえけど折角の機会なんだ、言いたいことは全部言って来いよ」
「すまぬな狂歌。ありがたい」
 死んでしまった家族との会話が出来るのなら、それは幸福なことなんだろう。
 きっとこのような機会などまたとないはずだ。
 甘えたいこと言いたい事全部曝け出していいのだと狂歌は目を細めた。
 送り出した遮那の背を見つめ、狂歌は口角を上げる。
「御盆って考えれば、あれだな……しまったな、精霊馬でも用意しとくんだった」
 もしかしたら厨房に行けば代用できるものがあるかもしれないと狂歌は歩き出す。

「……もしも。有り得なかった歴史。これは……」
 確かに有り得なかった光景なのだろうと『簪の君』すずな(p3p005307)は息を吐く。
 ――本当であってくれたら、と願わずにはいられません。
 それ程までにこの時間は和やかで朗らかな幸せな場所であった。
 けれど。
「皆さんが悩み、藻掻き、乗り越えて掴み取った今の歴史。大事なのは其方です」
 幸せな夢に浸り続けていられればどれだけ良かっただろう。
「――今、すべき事を致しましょう」
 すずなは中庭で寄り添う長胤と蛍へ視線をやってから屋敷の奥へと進む。

 とはいったものの如何すれば核を見つけられるのか。
 ううんと唸りながらすずなは稽古場へと向かう。頭脳労働は得意では無いから、出来れば身体を動かすようなことで解決できはしないか。
 聞こえてきた竹刀を打ち合う音に稽古場を覗き込んだすずな。
「おやまあ。剣を振っていれば何か閃くかも、と思って来てみましたが」
 そこでは忠継と安奈が打ち合いをしていた。
 稽古か腕試しか。何とも愉しそうだとすずなは身を乗り出す。
「すずなと申します。一手、私とも手合わせ頂けませんか!」
「おお、構わぬぞ」
 振り向いた安奈はすずなと場所を代わり稽古場の隅に座った。
「では参ります!」
「応!」
 竹刀が重なる音が稽古場に響く。

「といっても何処を探せばいいのやら?」
 執務室を出て来た迅は当て所なく屋敷の中を練り歩く。
 その迅の目の前をふわふわの毛玉が通り過ぎた。
「おや? きみは」
 迅はその毛玉を手の平の上に乗せて反対の指でそっとつつく。
 指先にすりすりと顔をつけた毛玉は「おそとのおはなしして?」と迅にせがんだ。
「外の話ですか。そうですね……」
 縁側に座った迅は大量に集まって来た毛玉にまみれながらこれまでの冒険を語る。
 空に浮かぶ島。竜達が闊歩する秘境。深き森で暮らす長耳の長命種達。
「天を突くような巨大な建物が並ぶ都市、呪物達が集まる社とそこで出会った扇の友……だってその服汚れたらもったいないですよカオル殿……」
 思い出を語る内に脳内に友人の声が響いた気になってくる。
「あとは狐の耳と尻尾がかわいい家族がいるんですよ」
「どんなこー?」
「可愛いですよ。きみたちと同じふわふわです」
「ふわふわー」
 きゃいきゃいと毛玉たちが迅のまわりを踊った。

 そんな毛玉たちを連れて迅がやってきたのは稽古場だ。ちょうどすずなと忠継の打ち合いが終わり、戦いの気配に誘われてやってきた香乃子の姿が見える。
「やや、こんにちは香乃子殿」
「あなたは以前、会ったことがありますね」
 幾度か遭遇したことがあるような気がすると香乃子は迅に視線を投げた。
「……どうでしょう。手合わせお願いできますか?」
「良いでしょう。掛かってきなさい」
 身構えた香乃子の纏う気迫が、どろりと溶け出す。迅との打ち合いは真剣でなければ失礼であると考えたのだろう。望むところであると迅も拳を打ち鳴らす。

「和風の御屋敷! って感じやなぁ。基本的に練達でぇへんし、こんな昔っぽい国があるなんて知らへんかったわ」
 中庭に響いた『蟲憑き』カフカ(p3p010280)の声に明将は振り返った。
 天香邸に来るのは初めての神使であるのだろう。
 案内をするように正純から言われている明将はカフカに歩みよった。
「ここに来るの初めてですか?」
「お、何? 案内してくれるん? 君名前は?」
「御狩明将です」
「明将君って言うんかよろしゅうなぁ。じゃあ、お言葉に甘えて案内してもらおうか。あ、敬語はええよ。そんなに歳変わらへんやろし。それじゃ、おじゃましまぁす」
 元気とはまた違ったカフカの口調に気圧されつつも、明将は彼を天香邸の中へと案内する。
 この『神の国』を崩すには核を壊さなければならない。それは灯理や他の者たちが持っているらしい。
「ならそんな急がんのかなぁ? ま、のんびり散歩やな……明将君はお友達とかおる? あ、さっき一緒にいた吉野君がそうなんやっけ」
 くるりと顔を向けたカフカへ明将は「そうだ」と返した。
「このお屋敷の遮那くんは?」
「あー、うーん……友達でもあるけど家は天香に仕えてた。でも、その家も焼けて残ってるのは俺だけ……今はさっきの人のとこに居候かな」
「仕えてるって。そっかそっか。戦国時代とかその辺みたいなもんやしそういうのもあるかぁ」
 明将の居候という言葉に「なるほどなるほど」と頷くカフカ。
 しばらく屋敷の廊下を歩けば、厨房から賑やかな声が聞こえてくる。
 メイメイや焔がお菓子を作っているようだった。
「お、厨房あるやん。和風の、ドラマとかでみる感じの厨房。趣があってええなぁ」
 外と繋がっているような土間の厨房、その壁際には大きな釜が据え付けられていた。
 使用人含め何十人もの飯を一度に作るのだ。厨房の広さもかなりのものだった。
「ここにも妖集まってるし。ふわふわやな。お菓子うまい?」
「オイシイ!」
「モットホシイ!」
 ふよふよと飛んでくる丸い綿毛のような妖がカフカの頭に乗る。
「んなら、普段食ってるもんより美味いかは分からへんけど料理作ったろか」
 見れば材料は残されているようだった。簡単なものなら作れそうだとカフカは腕を捲る。
「ここはシンプルに、和食!」
 カフカが手にしたのは葉物野菜と人参やゴボウなどの根菜だ。
「こっちは味噌汁にして。あ、魚あるんや。なら塩ふって焼こか」
 作っている間にもカフカの周りに集まったふわふわの妖は、楽しげにはしゃいでいた。
「腕によりをかけるでぇ」

 やはり身体を動かすのが一番だったとすずなは満足げに屋敷の中をあるいていた。
 くるると腹が鳴ったのを手で押さえれば、何処からか良い匂いが漂ってくる。
「この匂い……我慢できませんね!」
 料理が出来上がる頃顔を見せたのはすずなだった。
「お邪魔します――あ、カフカさん! なんですかこれ! めちゃくちゃおいしそうなんですけど!」
「ええ、そうかなぁ。嬉しいこと言うてくれるやん、一緒に食べよか」
「これ頂いちゃっても良いですか!? 稽古のあとでお腹すいちゃって……」
 厨房の傍にある食卓に並べられた料理に目を輝かせるすずな。
 具だくさんの味噌汁を一口するるすずなは一層顔を綻ばせた。
「んんん! やはり和食! いいじゃないですかお味噌汁。日本人としてはたまりませんね!」
 出汁の味が利いた料理を平らげてすずなはお腹を擦る。
「はー……満足です。めっちゃ寛いでしまいました。いい加減核の一つでも見つけないと……!」

『毒亜竜脅し』カナメ(p3p007960)は天香邸をぐるりと見渡す。
「あれ、すっかり隔離されちゃってるね。それに今までで死んじゃった人達もいるだし、まるでみんなを夢に浸からせて出したくない……なーんて考えすぎだよね♪」
 カナメはにっこりと笑って歩き出す。
 ゆっくりと核を探したいのは山々だけれど。色んな所を回るにあたって鹿ノ子にだけは会いたくない。
 胸がざわざわして気がついたら刀に手を掛けてしまうのだ。
 だから見かけたら逃げなければならない。鹿ノ子と放す事など何も無いのだ。姉が母を殺したことをカナメは忘れていない。
 石畳の上を歩くカナメの靴音が小さく響く。
「すっかり何も起きてなかったみたいに綺麗になっちゃったねー
 きっとみんな、今頃お屋敷の中で会いたい人と会って核が壊れるまでの時間を過ごしてるのかな」
 けれど……とカナメの心に黒い影が過った。これだけ開けた場所にいるというのに。
「どれだけ探しても、お母さんはいないの……? なんで?」
 今までの事をはなしたかった。これからのことも伝えたかった。
「たまに遊びに行って、抱きしめられて、頭を撫でられて、甘えたかった。
 血に塗れた手を怒って欲しかった、人の命を終わらせた事を咎めて欲しかった……!」
 カナメの悲痛な声は誰も居ない石畳に跳ね返ってくるだけ。
「魔種でもよかった、生きてさえいればよかった!
 ――なのに、なのに、なのに! 全部、お姉ちゃんが!」
 ぼろぼろと零れ落ちる涙が石畳の上に染みを作る。
 胸の奥から嫌な感情が止め処なく溢れ出すようだ。けれど、これを姉にぶつける訳にはいかなかった。
「カナの中に隠しておかなきゃ」
 ぐしぐしと袖で涙を拭いたカナメは顔を上げた。
「……核、探そっか。こんな所、早く出なきゃ」
 カナメが知る世界はまだ狭いのかもしれない。けれど、彼らに見てきたものを話すことは出来るから。
 カラコロとカナメが歩いて行く音が響いていた。

 まさか死んだ筈の人々の幻影が生み出されるとは思ってもみなかったと『騎士の矜持』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)は天香邸の廊下を歩いていく。
 人によっては今一度、心を整理する機会にはなるだろう。
 どうなるか見届けようとベネディクトは遮那の元を訪れる。
 使い魔のポメ太郎を連れて遮那の傍にやってきたベネディクト。
「暫く見なかったせいかすっかり大人になったな。成長期ではあったのだろうが」
「おお、久しいな。元気にしておったか?」
 ベネディクトと遮那が並べば、視線が同じ高さで交わった。以前は少し下を向かなければ合わなかったのだが。彼にも様々な出来事があったのだろう。
「色々と話は聞いている。大変だったな……いや、その言葉だけで済ませるのもアレな話か」
「込み入った話だからのう。気遣い感謝するぞベネディクト」
 少年期を超え、青年となった遮那に襲いかかった困難は身を裂くものだっただろう。
 数々の大切な人との別れである。されどそれを乗り越えて遮那はベネディクトの前で微笑む。
「今回の仕事が終わったら、暇があれば茶の湯でも付き合ってくれるか。遮那」
「もちろんだとも! 楽しみにしておるぞ」

 遮那と別れたベネディクトはポメ太郎を連れて屋敷の中を練り歩く。
 核探しといえど様々な形を取っているというから探すのも一苦労だろう。
 意思疎通も出来る者もいるらしいがとベネディクトは使い魔を見遣った。
「よし、良いか、ポメ太郎。核という物を探すんだ、とはいえ形は解らんからな……かくれんぼの様な物だと思えば良い」
 尻尾をぶんぶんと振りながら「なるほど?! そうなんですね!」と頷くような表情を見せるポメ太郎。
 分かっているかは判断できないが撫で回されたポメ太郎は何時になく上機嫌だ。

「――わんわん!」
「お、何か見つけたか?」
 駆け出したポメ太郎は小さなふわふわを咥えて持って帰って来る。
「これが核か? どれ……確かに核のようなものがあるな」
 ふわふわの中に小さな小石の感触があった。指先に神経を集中していたベネディクトのマントの裾をポメ太郎が引っ張る。
「うん?どうした、ポメ太郎。この匂いは……ふむ、厨房で何かを作っているのかな?」
「わんわん!」
「いや、お前のご飯を作っている訳では無いと思うんだが、そうだな……少し様子を見ていくか?
 もしかしたら何か分けて貰えるかも知れんぞ」
 ご飯が貰えるのだとはしゃぐポメ太郎をベネディクトは急いで追いかける。

『雷光殲姫』マリア・レイシス(p3p006685)は赤い髪を揺らし天香邸の正門の前に立った。
「ここに来るのも久しぶりだね」
 笑みを浮かべたマリアは以前、宴会に招かれたことを思い出す。
「きっと遮那君達にとってはもっとずっと素敵な思い出があるんだろう」
 辛い思い出もあるのかもしれない。けれど、それを含めて遮那にとって大切な場所に違いないのだ。
 マリアはぎゅっと拳を握り込む。
「絶対に守ってあげなければ」
 吹き抜けた風に赤い髪がなびいて、マリアは顔を上げた。
 屋根のついた大きな門に「立派だなぁ」と感心するマリア。
「さて……核はないかな?」
 そのまわりにはふわふわの毛玉と座敷童が楽しげに遊んでいた。
「ごめんよ。現状あまり害はなさそうだけど、そうも言ってられないんだ」
 不思議そうに首を傾げる妖の核を素早く回収する。
「ぴゃ!」
「またどこかで会えるといいね」
 手の平の上に転がった核を見つめマリアは中庭へと歩みを進めた。
 石畳にマリアの靴音が響く。優しい空気であるのに何処か寂しさを纏っているのが気に掛かる。
 もう何個も核を集めているのだ。抵抗もしない妖たちは素直に核となって消えた。
「あまり気分のいいものではないなぁ……。それにしても長い石畳の道だね。そろそろ中庭かな?」
 マリアは中庭の花に手をかざす蛍を見つける。その隣には長胤が寄り添うようにして見守っていた。
 幸せな風景なのだろう。微笑ましく映る。けれど、同時にマリアの胸はぎゅうと締め付けられた。
「もし、私達がもっと、もっと早くカムイグラに辿り着き、彼らを守ってあげられれば、こんな風景が現実になっていたのかな?」
 瞼を僅かに伏せたマリアはぶんぶんと首を振った。
「いや、良そう済んだことだ……。それに、この幻影を消すのは私の仕事じゃない……」

 マリアは厨房からの賑やかな声を聞きながら執務室へ向かう。
「遮那君はいるのかな? 挨拶くらいはしておきたいね」
 彼女の袖を引っ張る妖は核を持って居ない子らしい。ふわふわの毛玉を肩に乗せてマリアは遮那の執務室を覗き込んだ。そこには灯理たちと語らう遮那の姿があった。
「やぁ。遮那君。久しいね。随分立派になってしまって……。背も凄く伸びたね! 元気そうで何よりさ」
「ああ……少し気恥ずかしいが。そなたも元気そうで何よりだ」
 マリアと握手を交した遮那はソファへと彼女を誘う。
「今発生している幻影は、君にとって幸せでもあり、切なくもあるだろう。けれど、もし少しくらい過去に浸りたいのならそうしたまえ。なに、少しくらい君が思い出に浸っていたって誰も文句はいいはしないさ。こんな機会はもう二度とないかもしれないのだから」
 マリアの優しい言葉に遮那は琥珀の瞳を細める。
「そう言ってくれると肩の力が抜けるな。しばし語らうとするよ。ありがとうマリア」
「……邪魔をしたね。私は別の場所の核を探しに行ってくるよ」
 遮那に手を振ってマリアは執務室を後にした。

『涙と罪を分かつ』夢見 ルル家(p3p000016)は執務室への廊下を重い足取りで歩いていた。
 灯理に会えるのは嬉しいけれど、ひとときの夢だと思うと苦しくもある。
 それでも夢や幻だとしても、もう一度会える。会って思いを伝えられるならきっとそれは良い事なのだ。
 ――拙者にとっても、遮那くんにとっても。
 だから意を決してルル家は執務室へと足を踏みいれる。
「お久しぶりです灯里くん」
「やあ、ルル家ちゃん……元気にしていた?」
 言いたい事伝えたいこと沢山あった筈なのに、いざ灯理を前にすると言葉が出てこない。
 心配した遮那がルル家の傍に寄れば、その裾をぎゅっと握るルル家。
「私達、精一杯生きてます。大変な事も多いです。うまくいかないことの方が多いかも知れません」
 絞り出した声と、零れそうになる涙をぐっと堪えてルル家は言葉を紡ぐ。
「それでもずっと遮那くんと一緒だから。二人で過ごす毎日だから、とても幸せです」
「そっか……それなら良かったよ。遮那をよろしくね」
 朗らかに微笑んだ灯理の笑顔は何にも変わらないまま、そこにあった。

『やさしき愛妻家』黒影 鬼灯(p3p007949)は章姫と共に中庭へとやってくる。
「帳……このように穏やかで、夢のようなものもあるのだな」
 ひとときの幽世とはいえ、故人と再会できるのであれば積もる話もあるだろう。
 されど、鬼灯の祖父――黒影隆元は健在であるし、よく留守を預かってくれている。何なら章姫を抱いて散歩を楽しんでいるぐらいなのだ。ならばと鬼灯は隆元へと視線を向ける。
「祖父殿、灯里殿に話したいことがあるんじゃないのか」
「そうだなぁ……」
 こちらの世界においては鬼灯よりも共に過ごした時間の方が長いだろう。
「それに貴殿からすれば彼とて主かつ、孫のような存在だったのだろう?
 狂気から解放された貴殿を見れば、きっと灯里殿も安らぐはず。俺と章殿のことは気にせずともいい」
 二人で核を探しておくから改めて主との再会を喜んできてくれと鬼灯は隆元を送り出す。
「終わったらまた俺たちの所へ帰ってきてくれ」
「ああ……行ってくる」
 章姫を一撫でして隆元は灯理の元へ向かった。

「さて……せっかく探すのであれば」
 章姫に美しい景色を見せてやりたいと鬼灯は中庭を見渡す。そこには色取り取りの花が咲いていた。
 どのようなものが核なのか分からず此処まできてしまったが。
 そこら中に毛玉のようなものがふわふわと浮いている。おそらくこれが核を持って居るのだろう。
「鬼灯くん、核ってこのふわふわ浮いてるのもそうなのかしら?」
「そうみたいだ。たくさんあるな。他にも色んな所にありそうだ。手伝ってくれるか?」
 章姫は捜し物が得意である。よく散歩をしては綺麗な石を拾ってきて見せてくれる。
「もちろんよ!」
 鬼灯は章姫を抱え、立葵の花を見上げる。大きく伸びた茎に大輪の花が咲いていた。
「まあ、おおきなお花。とっても綺麗だわ」
「章殿お花の中に核はあるか?」
 小さな身体を持ち上げて花の中を探して貰う。
「お花さん、ごめんなさいね。ちょっと触るわね」
 章姫の手の中にころんと転がった小さな宝石。これが核なのだろう。
「鬼灯くん、核ってこんな感じかしら!」
「ああ、よく見つけたな。凄い、章殿」
 嬉しそうに核を陽光にかざす章姫に鬼灯は目を細める。
「それにしても、何故この帳は産まれたのだろうな……こんな優しい、穏やかな帳は」

『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は青空に顔を上げた。
「帳というからにはあまり悠長に構えていてはいけないんだろうけれどなんというか……心に響く帳だね」
 ヴェルグリーズは遮那の姿を遠目に見かける。
 あまり心配はしなくてもよさそうだと安堵する。
「今の彼ならきっと大丈夫だと思う。とはいえ、核は探さないといけないね」
 顎に手を置いたヴェルグリーズは周囲に浮かぶふわふわの毛玉を見つめた。そのすぐ下には子供の姿の妖が楽しそうにあるいている。
「万緒殿を誘って一緒に遊びながら話す算段でも立ててみようかな」
「う? 呼ばれた気がしたよ。何かご用?」
 何処からともなく現れた万緒がヴェルグリーズの背に乗る。
「おや、来てくれたんだね。この幻たちと一緒に遊ぼうと思ってね」
「遊ぶの? 僕は得意だよ!」
 万緒はふわふわの毛玉を手に包み込んで「えへへ」と笑った。
「満足したら核を渡してもらおうか」
「そうだね。ふわふわに約束だよ! なにする? かくれんぼ? 鬼ごっこ?」
「おにごっこー」
 きゃあきゃあと走り回るふわふわの毛玉と子供達に目を細めるヴェルグリーズ。
 空や心結もこんなふうにはしゃぐことがある。

 自分達は核を探すから用事が終わったら声を掛けてほしいと遮那に言付けたヴェルグリーズは屋敷の中を万緒と共に歩いていく。既に満足して核を渡して消えていった幻影たちの他にもまだまだ残っていた。
 頭の上に乗っているふわふわの毛玉が「外」のことをきいてくる。
 どんな世界なのか。たのしいのか。くるしいのか。まるで彼らは生まれる前の幼子のようだ。
「外にはもっとたくさんの人達がいて、それぞれの人が精いっぱい生きているんだ。色んな人が出会いと別れを繰り返して色んなものを前へと進めているんだよ」
 それでもたまにこうして立ち止まって振り返りたくなる時もあるけれど、生きている限り前へと進んでいかないといけない。
「遮那殿はもうそのことを知っている、そうできる強さを持っている。
 だから俺はあまり心配していないんだ」
 ふわふわの毛玉を撫でながらヴェルグリーズは成長した遮那の顔を思い浮かべた。

 ――ああ、どうかもう一度、と祈ったことが無いとは言わないが。
 タチが悪いと『北辰の道標』伏見 行人(p3p000858)は溜息を吐いた。
「こういうのは一度でも起きたらな」
 立ち止まる時は誰だってあるだろう。空を見上げ思い馳せる。何なら寝そべって大の字にもなる。
「だから――発想を変えよう。思い出作りと、胸を張りに行こうぜ。前より立派になった姿を見てもらうのは今だぜ? 遮那君」
「何だか気恥ずかしいものがあるが。でも、やはり話せるというのは嬉しいものだな」
 行人は遮那を送り出し、自分は核を探すため屋敷の中へと歩みを進める。
「核を壊さなければいけない、というがこれだけ多いとなると……」
 考え込んだ行人は「核が何処から来るのか?」と視線を巡らせた。
「いっぱい種類も数もあるのだから、俺はこれらが『核から剥がれたもの』だと思うんだ。だから、この場を維持している核がきっとある……はず」
 行人は目の前を通り過ぎるふわふわの毛玉を捕まえる。
「最も、全部を一度に同じタイミングで壊さなければいけないという可能性もあるが……」
「にゃー!」
 子猫の妖が行人の足を駆け上がった。次々に集まってくる毛玉に囲まれ羊のようになる行人。
「……えーっと、じゃあ外の話をしてほしいひと!」
「はーい!」
「えー、うでだめし!」
 口々に自分のしたいことを叫ぶ妖達に「順番だよ」と答える。
 妖を相手しながら行人は核が消える方法を探った。もしかしたら壊す以外で彼らが消える方法もあるのかもしれない。満足して消えていけるのならそれに越した事はない。
「壊してさようなら、じゃあ無骨に過ぎる。かといってそれ以外が無いのならばやむなし……だけれども」
 他の懸念は長時間に渡る帳の効果だろうか。こちらも様子を見ながら注意しなければならない。

「人の夢は儚いという。紅茶に落とした角砂糖のように溶けてしまうのだと……それは角砂糖が無かった事になる訳ではない、紅茶の中に確かに残されている、俺はそう思うのだが」
『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)はフードの端を引っ張って日差しを避ける。
 アーマデルの隣には『冬夜の裔』が居た。
「積もる話もあるだろう。俺は天香邸をゆるりと巡り、核を探そう。あんたも手伝ってくれ」
 視線を向けたアーマデルの肩を掴む冬夜の裔。
「……仕事だな? ならば対価を支払え。首を出せ……いい加減慣れろ」
「あんたは調査とか得意そうな雰囲気がある、頼りにしてる」
「……お前は雰囲気でヒトを判断してるのか?」
 冬夜の裔の問いかけに首を捻るアーマデル。
「品物であれヒトであれ、常でないものはそれなりの気配、存在感がある。
 視覚に頼りすぎるな、肌で感じろ……モスキート音? それは呪物ではないだろうしっかりしろ、真面目にやれ」
 小言の多い冬夜の裔を連れてアーマデルは屋敷の周りをゆっくりとあるく。
「手分けは必要だろうが、誰かが調べたところを探し直すのは必ずしも無駄ではない、と思う。見落としや気づかぬ事もあるだろうからな」
 契約上あまり離れられないであろう冬夜の裔を視界の端に置きながら、気になる所を教えてほしいとアーマデルは彼にお願いする。
「……酒蔵の聖女にも頼んではいるが、あいつ探し物はあまり得意じゃなさそうな雰囲気あるしな。酒を見つけるのだけは抜群に上手いが」
 アーマデルは核を持ったふわふわの毛玉たちに囲まれながら庭の奥まった所にある祠へとやってくる。
「他所で見るワールドイーターや核の性質を考えれば、何でもないところより、大切な品や思い出の在り処に核がありそうな気がするからな」
「……?」
 ゆらりと揺れた炎が祠から出てくる。おそらく核を持って居るのだろう。
「たたかう?」
「え? あ、手合わせか? お手柔らかに頼む」
 こういった類いのものは望みを叶えてやることにより此方の願いも聞いてくれやすくなる。
 飛び込んできた炎の精霊がアーマデルに纏わり付いた。
 皮膚が焼ける痛みはあれど耐えられないものではない。
 数度打ち合い満足そうに微笑む炎の精霊はアーマデルの手を取った。
 付いていくということなのだろう。
 即時破壊する必要も無さそうではあるし、これで遮那たちが別れを告げる時間も作り出せるだろう。

「死者が蘇った……?」
『白百合清楚殺戮拳』咲花・百合子(p3p001385)は青い空の帳を見つめ首を傾げる。
「否、これはあり得なかった世界が漏れているだけか。何方にしろ泡沫の夢」
 であれば、自分に出来ることは何かと考え百合子はカバンの中からカメラを取り出した。
「良い所へ来ましたね。手合わせをしましょうか」
 そんな百合子へ近づいてくるのは『彷す百合』咲花・香乃子だ。
 先程まで幻影と腕試しをしていたらしい。戦闘モードで近づいてくるのを百合子は制止する。
「戦いなんて何時でも出来ようが!」
「ふむ……」
「それに大体皆核壊して消える気っぽいであるし、本気の闘争の空気ではなし。そんな面白くない事をするくらいなら、この夢が本当にあった事だと記録するのが建設的だとは思わぬか?」
 百合子の言葉に深呼吸をした香乃子は「確かに面白くないかもしれない」と思い直す。
「だって、記憶だけで覚えているより、何か証があった方が良いであろう?」
 だからと百合子は香乃子の写真をパシャリと収めた。
「あ、ここに居た! プリン作ってきたよ!」
 厨房から特製の『モデル:マッチョ☆プリン』を持って来たプリンが駆け込んでくる。
「はい。香乃子どうぞ! ライバル百合子もどうぞ! 美味しいから食べて!」
「応! 遠慮無く頂くのである!」
 香乃子と百合子はプリンをぱくりと頬張った。堅めの弾力とまろやかなカラメルが美味である。
「美味い! では記念に撮ろう!」
 百合子はプリンと一緒にツーショットを撮った。現像したらこれも渡してやろうと百合子は微笑む。

『性別:美少年』セレマ オード クロウリー(p3p007790)はむすっとした表情で百合子達を見つめた。
 この場にいる者の多くが異常事態に巻き込まれているにも関わらず緊張感を欠いているとセレマは危惧しているのだ。用心ではなく困惑し、あるいは喜んでいる。熟練の特異運命座標すらその反応を示している。
 青空に彩られた幻影、本物とも知れぬ夢が、手に入らなかった日々を名残惜しませているのだ。
「さながらこれは『死霊の恋』。するとここは聖者を誘惑する夜の夢で、あの幻影共はクラリモンドか?」
 墓を暴けば本物ではないと知れることではあるが、夢を惜しむロミュオー共に拒まれれば思うようには動けまい。一番の敵はロミュオーそれ自身だろうか。
 ここは手に届く範囲から核を探し、破壊し探るべきだ。未練と誘惑の奥にある意図を。幸いにして此方には美少女という仕える駒がある手数には事欠かな……
「なんでテメェが一番緊張感ねえんだよっ!!!! つーか自分を殺そうとした相手とつるむなっ!!」
 香乃子と一緒のにプリンを頬張る百合子へセレマは思わず声を張る。
「……なんでこいつがここに?」
「近くを通りかかった時、何か気配を感じ中に入ってみましたら、不思議な空に囚われました」
 プリンを飲み込んで香乃子は偶然だと答えた。
「皆で回れば楽しい時間がカメラに収められる。今はそれで良いであろう」
「まあ、そうですね。戦いはまたそのうち」
 プリンを食べ終えた百合子は屋敷の中へと足を向け、セレマへと振り返る。
「セレマは来ないのか?」
 はぁと深い溜息をついたセレマは百合子の隣へ並んだ。
(このバカがこのイカレ(開祖)と一緒に動くなら同行するしかないだろ。数少ない手駒なんだぞわかってんのかこいつ)
 されど、理由はどうあれ香乃子がここに居るのは幸いでもあった。
 おそらく百合子も自分と同じように、この夢に一切の未練も誘惑も持たない側の存在だ。
 狂ってはいるが理知的であり、香乃子の視点や見識が参考になる可能性は無視できないだろう。
 必要であれば神の国の情報もすり合わせたいところだが。

「と言う訳で、遮那殿ー!」
 セレマの思考とは裏腹に百合子は元気よく執務室の戸を開け放った。
「あっ、お友達も大集合でよい感じではないか! 詰めて詰めて、よし入った!」
「おお? カメラか!」
 目を輝かせた遮那はぎゅうぎゅうになって灯理、明将、吉野と写真に収まる。
「撮るぞぅ! 1+1は?」
「にー!」
 カシャリと切られたシャッターと、楽しげな声が室内に響いた。
「現像したらあとで渡す故、楽しみにされよ!」
「おう、どんな風に写っておるか楽しみだのう!」
 カメラを手にした百合子に遮那は顔を綻ばせる。


 百合子はカメラを構えながら中庭へと足を踏み入れた。
「よし! 次! 長胤殿と蛍殿!」
 二人の写真は遮那に後で見せるためである。
「大好きなお二人の事を……苦い思い出があったとしても思い出せるものがあってもよかろう?」
 仲睦まじく寄り添う二人に百合子は近づいてカメラを構える。
 その中に映り込んだのは幸せそうな二人の姿だ。

「さて、私はどうしましょうか」
 正純は明将と別れ遮那と共に中庭へと訪れる。
 少し戸惑うような遮那の視線に正純は目を細めた。
「ははぁ、なるほど。私でよろしければ御一緒させていただきますね?」
「いいのか?」
 迷っていたのは正純が会いたくないのではないかと思ったからだ。
「……お気遣いありがとうございます。あれが蛍さん。似てる、と言われたことはありますが、確かにどことなく他人な気はしませんね」
「正純……」
 己の躊躇いを柔らかく包むような正純の笑みに大人だなと感心する遮那。
「私も蛍さまのお姿を見るのは初めてですね。ふふ、遠目からでも、遮那さんとよく似ていらっしゃるのが分かります。お二人とも母君似なのでしょうか」
 鹿ノ子の問いに「そうだのう」と照れくさそうに頬を掻く遮那。特に小さい頃はとても似ていると言われていたから余計にむず痒いのだ。
 中庭へやってきたマリアは遠目に蛍と長胤を見つめる。仲睦まじい雰囲気を纏う二人に目を細めた。
「やっぱり夫婦はこうあるべきだよね。離れ離れは辛いよ。もし混沌にも天の国があるのなら……どうか、この二人が二度と引き離されませんように……」
 マリアの祈りに呼応するようにふわりと甘やかな風が吹き抜ける。

 遮那はゆっくりと長胤と蛍の元へ歩み寄る。その傍では鹿ノ子が半歩下がって傍に控えていた。
「……遮那さん。この数年で、あなたはとてもご立派になられました」
 鹿ノ子の言葉に遮那は振り返る。正純といい鹿ノ子といいよく見てくれていると感心してしまう。
 緊張しているのが分かるのだろう。そんなに顔に出ていたかと口の端が上がる。
「その姿をお二人に見て頂きましょう? きっと今日限りの奇跡です。……大丈夫。遮那さんはご自分が思っているよりもずっとずっと素敵な殿方になっておりますよ。決心がつかないのでしたら、手を繋ぎましょう。僕も少し緊張しますが、絶対に離しませんから」
「ありがとう鹿ノ子。大丈夫だ」
 流石に女の子に手を引かれて姉夫婦の前に出るのは恥ずかしい。

「お久しぶりです長胤殿。それに初めまして蛍殿」
 ルル家は遮那の隣に立って朗らかな笑みを二人に向けた。
「貴方は……」
「拙者は遮那くんの……えーっと恋人……ではないですね、残念ながら今のところは」
 何を言い出すのかと遮那はルル家に振り返る。
「遮那くんに懸想しているもので夢見ルル家と申します」
「まあ、そうなのね」
 くすりと微笑んだ蛍は反対側に控える鹿ノ子を見つめる。
「其方の方は?」
「――ぬばたまに やがて満ちたる 望月を 明かきに照らす 片生ひなる和火」
 美しい和歌の声に耳を傾ける蛍と長胤。鹿ノ子は金色の瞳で真っ直ぐに二人を見た。
「……異国の小娘が、烏滸がましい発言でしたでしょうか。身分が釣り合わないと分かっていても、少しくらい自惚れてみたかったのです」
 ぱちりと遮那と同じ色の瞳を瞬かせる蛍。
「身分ですか……」
 蛍は鹿ノ子の言葉を受けて長胤に振り返る。
「たとえ長胤さまが許してくださらなくても、僕は遮那さんのお傍に居たいのです。隣に居たいのです。
 そして、どんなときも笑みを絶やさず彼を照らし続けたいのです。
 今はまだ、彼も僕も、未熟かも知れないけれど、互いに照らし(支え)合いながら生きていきたいと。
 ――僕は本気でそう思っているんです」
 鹿ノ子の真剣な言葉に蛍は目を細め彼女の肩に手を置く。
「誰に許しを請うことなどありません。身分の差違でいえば私など下女風情と呼ばれたものです」
「おい……その話は」
「それでも私は、長胤様を愛しております。今でもこれからも。ですから誰の許しも必要無いのです」
 お互いの間に紡がれる愛の形は其れ其れ違っているのだから、他者からの定義を受けるものでもないと蛍は鹿ノ子に微笑む。

 ルル家は長胤と蛍に遮那の努力を語り聞かせる。長胤亡きあと天香当主として懸命に頑張っていたこと、どんどん大人になっていったこと。
「どうかお二人共、遮那くんを褒めて上げて下さい」
「あの、長胤さま! 蛍さま !遮那さんのこと沢山褒めてください! 遮那さんはあの日からずっと豊穣の為に頑張ってきたんです!」
 ルル家の言葉に重ねるのはタイムだ。思った大きい声にタイム自身がぱっと頬に朱を散らす。
「ごめん、余計だった? 遮那さんは誰よりも二人に認められるのが嬉しいかなと思って、つい」
「いいや問題ないよ。ありがとうタイム」
 タイムは長胤を一度だけみたことがある。今目の前にいる彼とは雰囲気が全く違う。
 この穏やかな佇まいはきっと遮那のよく知る頃の長胤なのだろう。
 生き返ったわけではない。それをタイムも分かって居る。
 けれど我慢出来ずに大きな声を出してしまったのだ。
「どうか、よくやったと、よく頑張っていると抱きしめて上げて下さい。お二人はきっと遮那くんが一番褒めてほしい、認めてほしい方ですから」
 ルル家にも言われてしまえば、蛍は瞼がじんと熱くなってくる。
 こんなにも良い友人を持つ程に成長したのかと、涙を浮かべながら遮那を抱きしめる蛍。
「よく頑張りましたね遮那」
「姉上……義兄上……」
 遮那の頭を撫でる長胤は自分より大きくなってしまった『弟』を見て安心した表情を浮かべる。

 ルル家やタイムの言葉に目を細めた正純は長胤たちの前でお辞儀をする。
「天香邸を出入りさせて頂き、恐れ多くも遮那様のご友人と身の回りのお世話を手伝わせていただいております、小金井・正純と申します。こういった形ではありますが、お二人にお会いできて光栄です」
「……ありがとうございます。正純さん。遮那の面倒を見てくれているのですね。見た目は大人しそうに見えますが、意外と手が掛かるでしょう。やんちゃなのですよ……」
 蛍は遮那の背をぽんぽんと叩く。こういった『家族へ友人を紹介する』ことがこんなにも気恥ずかしいのかと遮那は頬を赤く染めた。普段見ない遮那の『子供のような』仕草に正純も新鮮さを覚える。
「こちらの扇も、お預かりさせて頂いております」
「ああ。それか……持っていてくれたのじゃな」
 正純が見せた扇に目を細める長胤。かつて相対した彼とは気迫がまるで違う。
 これが本当の長胤の姿なのだろうか。蛍を傍に置いた彼が纏う空気は穏やかで優しかった。
 蛍が割と遠慮無く物を言うのでその影響かもしれないけれどと正純は二人を見つめる。
「……いいなぁ」
「どうかされましたか?」
 蛍の問いに正純は首を緩く振った。
「あ、いえ、なんでもありません。お二人の仲睦まじいお姿が、微笑ましくて」
 微笑んだ蛍は「正純さん」と視線をあげる。
「どうか、遮那をよろしくお願いします」
「ええ、はい。生憎とお傍に侍ることは出来ませんし、未熟な身の上ですが、これからもその背を見守りたいと思っています。どうか、お二人も末永く彼を見守ってください」
 正純の言葉に蛍と長胤は確りと頷いた。

「でも、どうしてなのかな……多分、あなた達は致命者とかワールドイーターと呼ばれる存在なのよね?」
 タイムは蛍たちに問いかける。
「それなのに不思議と悪意みたいなものが無い。ここに帳を下ろした遂行者の意思とか命令とか、そういうの感じ取れない?」
 もしかしたら近くにいるかもしれないとタイムは辺りを見渡す。
 自分達に語らいの時間をくれた理由はなんなのだろうか。
「親切ってことはないでしょうし……」
 この帳が消える前に暗躍している存在の尻尾をつかみたいとタイムは目を凝らした。
「私達もなぜ此処に居るのかは分かりません。ただ気付けば此処にいたのです」
 幸せな夢を見せているような。美しい青空が広がる。
 それが何処か寂しさを感じさせるのは何故なのだろう。

 朝顔は長胤へと視線を落す。遮那の大切な義兄ではあるけれど獄人とは相容れぬ人。
 向かい合うことなど無いと思っていた。正直なところ怖いのだ。遮那と結ばれたい願いを知ると長胤は朝顔を否定するだろう。遮那が大切だと思う人にそう言われるのは辛いものがある。
 けれど、遮那は自分を信じてくれた。獄人の持つ視点が欲しいと言ってくれたのだ。
 理解はしている。――『たまたま私が獄人だっただけ、私自身が欲しい訳じゃない』なのだと。
 それでも目を逸らしてはいけないと朝顔は顔を上げる。向かい合わねばならないのだ。
「初めましてですね。……私は星影 向日葵。遮那君の最愛になりたい者です」
 長胤にどうしたら認められるか分からないと朝顔は眉を下げる。
 きっと長胤は朝顔の恋を許さないだろう。
「でも好きなんです。ドス黒い感情を抱え。全てに否定されても尚諦められないぐらいに! 今も昔も。変わった所も変わらない所も。天香・遮那の全てを! 遮那君は貴方のような当主になろうと、日々成長している。なら私も逃げない。全て受け止めてみせる」
 朝顔の言葉に長胤は蛍を見遣る。突然の告白に驚いているようだった。
「私達が貴方達の行く末を否定することはありません。なぜなら私達はもう居ないのです。未来を決めるのは貴方達自身なのですから」
 蛍の柔らかい言葉が朝顔の耳に届く。
「はい……」
 頷いた朝顔は「あの……」とおずおずとカメラを取り出した。
 例え此処が幻だとしても。確かに今、此処にあるということを証として残したいから。

「遮那くん、あとはゆっくり三人でお話してきては?」
「……ああ少しだけ良いか?」
 ルル家の提案に遮那は安心したような表情を浮かべる。中庭に面した部屋へと入っていく遮那達を見つめルル家はそっと襖を閉めた。
 きっと遮那は長胤や蛍に甘えている姿を見られたくはないだろうから。
 少し離れた所から誰も近づかぬように見守るのだ。


「はい! 安奈殿と……殺した時ぶりであるな忠継殿!」
「お前は……」
 忠継は稽古場に現れた百合子の言い草に吹き出す。
「ふん、吾は勝った方である故ズケズケ言うぞ。安奈殿が笑っていても常にどこか寂しそうなのは貴殿のせいであろうが!」
 置いて行ったものと置いていかれたもの。
 二人の間にしか分からぬ心の情動はあれども。
「仕方なかったのは……分からないでもないが相談も何もされないと相棒はいっぱい寂しいのであるぞ!
 うむ。いや、吾は怒りに来たわけではなくてな」
 百合子はカメラを構え忠継と安奈に前へ立つように促す。
「安奈殿、忠継殿、二人とも寄って」
「うむ? こうか?」
 僅かに隙間が空いた二人の間に百合子は首を振った。
「近くに近くによって、もっと! うむ!」
 忠継たちが寄り添ったその瞬間を逃さず百合子はシャッターを切る。
「仲睦まじいとも見えなくもない写真が取れたな。よし!」
 満足そうに微笑む百合子へ安奈は目を細めた。
 自分の感情が分からぬと困惑していた幼子の成長が安奈は嬉しかったのだ。

「うむ! 写真が一杯取れたな!」
 百合子は満足げにカメラを掲げる。ようやくセレマの不機嫌に気付いた百合子は視線を向けた。
「どうした? セレマ、自分が被写体になれなくて不満か? 今更であるが撮ってやらなくもないぞ!」
「いや……それにしてもこの一件。『死んだ人間にもう一度会える』なんて形で広まらないといいな。『神の如き所業』扱いされかねん。ボクが遂行者なら是非そうしてもらいたいと考えるな」
 眉を寄せて考え込むセレマは視線を百合子へと向ける。そこには僅かに不安げに揺れる瞳があった。
「……それともただの夢を留めて回る吾に呆れたか? どれだけ後悔しようとも夢など終わらせるのが筋だものな。でも、きっと吾がするまでもなく皆、夢から目覚めるし。それなら後で眺める為の残滓を残しておいた方が良いと思ったんだ」
 視線を落す百合子へセレマは首を振る。
「この一時を惜しむのはお前の勝手だ。だがな、それは夢じゃない。単なる未練だ。未練を抱くのが悪いとも言わないが。誰のものとも知れないこの幻は未練ですらない。都合がよすぎて振り返るではなく足を止めるようなものは特に。それにレンズというものは実在を写すものだ」
 それでも、と百合子はセレマへ一歩近づく。
「死霊の恋でも夢は鮮やかで魅力的なものだっただろう?」
「さあな。ボクは夢を信じていない。現実の悍ましさで手一杯だ。あと、終わったら1枚撮れ。最高のキメ顔を今思いついた」
 そんな二人のやり取りを傍で見ていたプリンは思いついたように目を輝かせる。
「あ、そうだ。二人のツーショット撮ってあげるよ。百合子は撮ってばかりだったよね」
「そうだな……お願いするか」
 プリンは百合子からカメラを受け取ってファインダーを覗き込む。
 そこには僅かに頬を染めて嬉しそうな百合子といつも通りのセレマが写っていた。
 楽しそうだと思いながら、プリンはシャッターを切る。
 吹いて来た風に百合子の黒い髪がふわりと揺れたのが目に焼き付いていた。


 核を持った妖たちと一緒にお菓子を食べながら中庭で待っていたニルの元へ遮那たちが帰って来る。
 彼らがさよならを言い終わるまでは核をこわしたくないとニルは此処でまっていたのだ。
 見失わないように手を繋いで。

「やるべき事はすんだかい?」
「ああ。大丈夫だ……ヴェルグリーズ」
 頷いた遮那の視線の先には大量の核があった。
 集められた核は美しい宝石のようで、布の上に敷き詰められていた。
 その様子を迅も見守る。別れの時が来たのだ。
 迅は遮那の顔を横目で追う。その表情は悲しみに染まってはいなかった。
 清々しい笑顔がそこにはあったのだ。
「……今回の帳は強敵でしたね。皆さんはしっかりしているから大丈夫だと思いますが、こんな風に優しい夢ばかりだと、覚めたくなくなる人もいるかもしれませんね」
 迅の言葉に遮那は「そうだな」と琥珀の瞳を伏せた。

「カーテンコールというのは。感情の荒海に飲み込まれた人々が、正気に立ち返る時間だ」
 行人は遮那の肩に手を置く。それは励ます意味が込められたものだろう。
「夢の時間を終わらせて、今までの全ては幻だと気づきながら、それでもその時間を愛する余裕を取り戻すための時間なんだよ」
 これが正しく終わらなければ人は夢から覚めず狭間を彷徨い抜け出せなくなる。
「夢の時間を自分のそばに、懐に忍ばせちゃ、人は都合のいい夢に浸るばかりになる。
 だから、行こうぜ遮那君。まだ知らぬ世界へ、さ?」
 わるいことを教えてやるからと行人は口角を上げた。

 正純は遮那の表情を見つめ僅かに心の奥に痛みを覚える。
 少しだけ何時もよりも昔の様な幼さを見たからだ。目の前にあるのは彼が失ったもの。
 ボタンが少し掛け違っていれば、この光景は今もあったに違いない。
 けれどそれは、今を生きる人々の安寧を奪ってまで得るものではないのだろう。
「さ、遮那さん。存分に今日を過ごし満足したら日常へ帰りましょう。
 これからも、貴方を支えますから。ね?」
 そっと背を押した正純に遮那は振り返り「ありがとう」と微笑んだ。

 ニルは「ごめんなさい」と口に出してその核を壊す。
「さようなら」
 煌めく光の粒子となった核は青い空へと散らばり霧散した。
 ニルは仲良く寄り添う長胤や蛍、遮那を見つめる。家族一緒のきっと最後の風景だ。
「ここで過ごした時間を、ニルは忘れません」
 ルル家も消えて行く蛍たちを笑顔で見送る。

「お疲れ様、遮那殿」
 ヴェルグリーズは遮那の背をぽんと叩いた。
「再会の喜びも、再びの別れの寂しさも、すべては大事な人と出会えたという事実があってこそだからね。全て受け止めて前へと進む力になってくれるから、たまにこうしていなくなってしまった人たちを思い出してもきっと罰は当たらないと思うよ」
「そうだな」
 遮那はヴェルグリーズの言葉に胸へ手を当てた。
 まだ消えて行った彼らの声が耳に残っている。

「もう一度会えたのは嬉しいです。それは本当です。それでも……」
 ルル家は遮那の袖を掴んでぽろぽろと涙を零した。我慢していた分だけ止め処なくあふれる涙。
「やっぱり、お別れは悲しいです……遮那くんは長胤殿や蛍殿と会えて嬉しかったですか?」
「ああ、会えてよかった!」
 ルル家の瞳に映ったのは少し悲しさを帯びた、満面の笑顔だった。


成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 お疲れ様でした。
 ひとときの夢に、ご参加ありがとうございました。

PAGETOPPAGEBOTTOM