シナリオ詳細
<灯狂レトゥム>翼無き者達
オープニング
●2022年11月11日
天気予報は晴れ時々曇り。降水確率は20%。
2人乗りの自転車がぎいぎいと音を立てた。夜になれば肌寒く日中はまだ暖かい。
越智内 定(p3p009033)の後ろに座って、綾敷・なじみ(p3n000168)は鼻歌を歌った。
「それ、何?」
「お母さんが小さい頃歌ってた子守歌」
ペダルを踏み締めて定は「そっか」と呟いた。
彼女と彼女の母親はほぼ没交渉の状態なのだという。それも、仕方がない話しなのだろう。
彼女は――『憑かれて』しまったから。
希望ヶ浜は『現実を受け入れられなかった人々』にとっての安寧の地だ。
スマートフォンの通知、行き交う車に排気ガスの香り。アスファルトに転がった蝉に、燦々と注ぐ陽射し。
通勤電車の混雑に、モニターに映し出された広告。聞き慣れてしまったCMソングに変わらない毎日。
魔法も、剣も、モンスターも何も居ない。代わり映えしないそんな毎日を愛おしいと抱き締め続けた誰かの夢。
召喚を経て、余りの恐ろしさに心を壊す者も居たらしい。
だからこそ彼等はイレギュラーズでありながら、世界に選ばれなかった振りをして元の日常を謳歌する。
それが『再現性東京:202X』。発展の最中に有ながら、未だ『現実の殻』を被ったままのハリボテの世界。
綾敷なじみの母親も、その住民らしくファンタジー的要素や神秘的作用には不寛容であった。
なじみの父親は猫鬼に憑かれていたがその外見までは顕現しなかったらしい。つまり、言わなければ『気付かれない』
普通に恋をして、普通に結婚し、子をもうけた。生まれた娘も何も変わった事の無い普通の女の子だった。
だが、その状況が一転したのはなじみの父が『猫鬼に喰われた』日だった。
その怪異は血筋に憑く。父から子へ。なじみへと伝染(うつ)った怪異は相性の良さからその姿を娘の体に顕現させた。
――それは何! それは! 巫山戯ないで、化け物!
あの日、10歳になったばかりのなじみが母に投げかけられた言葉は今も覚えている。
――何も普通じゃない! どうして、どうしてなのよぉ……。
泣き崩れる母を見て、なじみは『普通の女の子』になる事を決めたのだ。
「ねえ、定くん」
「うん」
「またねえ」
11月11日 20時30分。
それが彼女と分れた時間。
11月11日 22時15分。
その日、彼女と連絡が取れなくなった。
●
――時を遡り、11月10日の夕方に國定 天川(p3p010201)は澄原病院の院長室を訪れていた。
「来たぜ、先生」
「ああ、すみません。わざわざ……」
パソコンに向かっていた澄原 晴陽(p3n000216)は右手でマウスを操作し、作成中であった資料の一時保存とクローズの作業を終える。
其の儘、電子カルテを選択し、室内に入ってきた天川と定に向き直った。
この日に天川と定が晴陽の元を訪れたのは『秋祭り』の際に彼女がなじみの診察を行って居たからだ。
「……それで?」
「なじみさんの事は何処までご存じでしょうか? ……一応最初からお話ししますね」
綾敷 なじみは晴陽の受け持ちの患者である。晴陽が医者となる前や研修医出会った頃は晴陽と澄原 龍成の父親が担当医師であった。
彼女は悪性怪異:夜妖<ヨル>猫鬼に憑かれている。
猫鬼の気質は非常に荒く。呪詛のように血筋に張り付き最後まで貪り喰らうのだそうだ。
しかし、猫は気紛れだ。相性の良かったなじみに憑いたそれは彼女と約束をしたのだそうだ。
最初は吐出す言葉を食らった。其れだけで腹が満たされずなじみの記憶を摘まみ食いした。
欠落する記憶を護る為になじみは名付けた忘れたくはない記憶を『宝箱』の中に入れておいて欲しいと猫鬼に頼んだのだそうだ。
其れを失えば綾敷 なじみは『綾敷 なじみ』でなくなってしまうから。
最後はその沢山の宝物を猫鬼に喰わすという『約束』をしているのだそうだ。
現状の彼女と猫鬼のバランスはとれている。筈だった――
「最近は猫鬼の影響が大きくなっています。それも、彼女が顕現する時間が長かったからでしょうね」
「……それで?」
「猫鬼が『なじみさん』を喰うスピードが上がっています」
それはなじみも承知していることなのだそうだ。苦々しく呟いた晴陽に定が息を呑む。
「止める方法は」と問うた天川に晴陽は「分かりません」と首を振った。
「ですが、『猫鬼』はその方法があるのだと言って居ました。それが静羅川立神教の『死屍派』にあるのだと」
そこまでは定も仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)から聞いていた。猫鬼と静羅川立神教の関連性は分からない。
だが、『猫鬼』とは元来は蠱毒の一種であった。つまり綾敷の何処かに『恨みを買う者』が居たか――それとも『猫鬼』を使った呪詛を返されたか、である。
何れにせよそれは憑いた者の臓腑までもを食らう『病鬼』だ。
「『死こそ救済』である、と彼等は言います」
「……なじみさんの、お母さんは」
「『猫を祓うならば娘を殺して救済してやらねばならない』」
晴陽の口から告げられた、最も聞きたくはなかった言葉に定がひゅと息を呑んだ。
其れしか、救いがないとでも彼女の母は考えているのだろうか。
「以前、天川さんにはお伝えしましたが『死屍派』は未だ新しい派閥です。その代表の名が地堂 孔善。
孔善は希望ヶ浜で信者を作り派閥を拡大しているようです。……周囲を巻込んだ、無理心中でもするように」
名を呼ぶだけで、天川の表情が変化した。それは彼の仇敵の名前であったからだ。
「ジョー」
「……國定さん?」
2人は、同じ世界から召喚された旅人である。だからこそ『共通の認識』がある。
死こそが救済と説くカルト宗教団体『幸天昇』。その信者がクラスメイトであった定と妻と子をテロによって殺害された天川。
定は知らないが、幸天昇の教祖であった『地堂 孔善』は天川が殺害したはずの人間だ。
「……幸天昇の教祖が、此方に来て派閥を作っている可能性がある」
「あの『死が救済』っていう宗教が?」
「ああ。それに地堂 孔善は――あの教団幹部を皆殺しにしたのは、俺だ」
苦く、呟かれた言葉に定の目が見開かれた。殺した、筈だった。殺したはずの者達が希望ヶ浜に召喚され、新たに死を広めているのだという。
しかも、『猫鬼』はそこにヒントがあると接触を始めたのだそうだ。
「放っておけないな」
二重の意味である。個人的にも、なじみに関しても。
「……気を配っていて下さいね」
●11月11日20時55分
ここで、臨時ニュースをお送りします。
20時50分頃、東浦区中央センター街にて10代から20代とみられる男女の集団飛び降りが――
ショッキングなニュースがお茶の間に流れ込む。響き渡るサイレンが向かうのは澄原病院であった。
急患を運び込む救急入り口は喧噪に包まれる。医師達が対応に追われる最中、状況を注視していた晴陽はイレギュラーズを呼び寄せ。
「先生、無事か」
「……私はなんともありませんよ」
ひらりと手を返して応える晴陽に天川が胸を撫で下ろす。汰磨羈は「一体何があったんだ」とニュースを見詰めている。
東浦区、それはなじみの住まう地域の名前だ。
「東浦区で集団での飛び降り事件が発生しました。情報統制が出ていましたが――」
晴陽がモニターに映し出したのはとあるP-tuberの配信であった。
――みんなぁ、こんふぉるとぅーな! 東浦の事件現場に来ているよ~。
「この子って……」
見覚えがあると呟いたアーリア・スピリッツ(p3p004400)にサクラ(p3p005004)はデスマシーンじろう君を手にしながら「知ってるの?」と問うた。
「今、若年層に人気のP-tuberだね。院長、此処からは僕が説明しても?」
「ええ。真城に任せます」
「では、改めて。真城 祀です。水夜子の従兄です。あ、院長達とは別だよ。院長は水夜子の父方、僕は母方だ。
まあ、僕の事は良いんだ。このP-tuberはフォルトーナ。僕が『潜入している静羅川』の信者の1人だよ」
フォルトーナと呼ばれた配信者は希望ヶ浜市立東浦中学校に通っている――らしい。
そんな可愛らしい少年は東浦の事故現場の様子を克明に伝えてくる。
――唯一の信じられる相手と出会ったから、こうして『空』から救済を求めたんだって。
此の世界って、信じられないよね。だって、外はドラゴンが飛んだりしてるんだよ?
……なのに、大人はそんなの嘘だって言う。有り得ないよね。だから、皆此処で救済を求めたそうです!
「救済……?」
信じられない言葉だとボディ・ダクレ(p3p008384)は呟いた。
「なんや、焦臭くなってきたな。この配信者は静羅川に入信させる広告塔で、あの事件も静羅川の一件だって?」
カフカ(p3p010280)の問い掛けに祀は頷く。「唯一の信じられる相手とは」と水瀬 冬佳(p3p006383)は首を捻った。
「『恋叶え屋さん』って知ってる? 恋する誰かの恋を叶えるお手伝いをするアルバイトだそうだけれどね。
全員がそこを利用して結ばれたカップルらしいんだ」
「信仰が足りないんだよ」と『翼を得ることを目指す』楊枝 茄子子(p3p008356)はぼやいた。
「それで、会長達はどうすればいいの?」
「静羅川の調査に協力――」
そこまで紡いだ祀は「あ」と零す。
「院長、あの子って患者さんだろう?」
「……なじみさん」
フォルトーナの背後に紫の紙に金色の眸の娘が立っている。所在なさげな彼女は空を仰ぎ見て『カメラを確認してから』姿を消した。
「ああ、そういえば僕の可愛い水夜子、元気? メッセージに連絡が無くってね」
恋屍・愛無(p3p007296)はぴくりと肩を揺らした。
秋祭りの時に彼女が何者かのメッセージを受けて気分が悪そうにしていたことを思い出す。
「……ああ、『君』か」
彼女の敵か、と見詰めた先で青年は「味方だよ」と微笑んで。
「なじみさんが、どうして」
――「お疲れ様」のメッセージの後。
応答のない『なじみの返信』を気にしながら定はぼやいた。
――今月のフォルトゥーナ路地裏集会が迫ってきました! 11月12日、XX:XX、場所は~~~
「これに行こうと思う。フォルトゥーナなら、何か知っているかもしれないしね。
それに、フォルトゥーナの『オフ会』は夜妖と出会うことを目的に居ているからね。介入しないと余計な死人が出る」
「蕃茄も、いく」
「蕃茄?」
茄子子の問い掛けに若宮 蕃茄 (p3n000251)は「フォルちゃんの配信、蕃茄も見てた」とうきうきとした様子である。
「じゃあ、神様は僕と行こう」
「わかった。祀、行こう」
「ちょ――」
慌てる茄子子に「蕃茄、夜妖見てくる」と蕃茄はこくこくと頷いている。こうして子供達がフォルトゥーナに会いに行くのだろう。
「東浦の調査にフォルトゥーナのオフ会、それから『恋叶え屋』に関してか。
やることが多いな。そいえば定、なじみは? 東浦ならなじみの事も心配だろう」
汰磨羈の言葉に定は「連絡が無い」と呟いた。
またね――あれ以降、彼女の返信は無い。
彼女が何処に行ったのかさえ分からないまま、時が過ぎる。
- <灯狂レトゥム>翼無き者達完了
- GM名夏あかね
- 種別長編
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2022年12月14日 22時05分
- 参加人数30/30人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 30 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(30人)
リプレイ
●
少しでも。
ほんのちょっとでも、生きることに希望を持ってしまったら――ねえ、夢ちゃん。
君がいることが、恐ろしくなってしまったんだ。
僅かにでも。
ほんのちょっとでも、誰かのことを好ましいと思ってしまったら――ねえ、夢ちゃん。
君の言う意味が、分かってしまって苦しくなったんだ。
「私が傍に居ますよ」
本当だね。
君が。君だけが、居ただけだったら。
●
「なじみ嬢が?」
『求道の復讐者』國定 天川(p3p010201)は急激に血液が下がって行く感覚を覚えた。さあ、と血の気が引き唇が震える。
一同が揃っていたのは澄原病院の院内施設の一室、会議用に準備されていたテーブルを片付け、椅子だけを並べた急拵えされた場である。
澄原 晴陽の前に立っていたのは真城 祀と名乗る青年であった。彼は静羅川立神教への潜入を行って居る澄原 水夜子の従兄――晴陽や澄原 龍成は水夜子の『父方』にあたり、祀は『母方』の親戚であり血縁関係はない――だそうだ。
男の説明を受けてから天川はぎり、と奥歯を噛み締めた。モニターで流れ続ける『東浦区』の集団自殺事件レポート。周辺には規制線が張られ報道の手も及んでいない。現代日本を『作り上げた』希望ヶ浜に起きたショッキングな事件に天川は動揺を隠せない。
(クソっ……。冗談じゃねぇ!
まだ本物と決まったわけじゃねぇが、もしそうなら連中……こっちでも同じことを始める気か!? あの時とは違う……簡単にやらせるかよ)
あの時――その言葉に僅かな覚えがあったのは天川とは同じ世界から召喚された『なけなしの一歩』越智内 定(p3p009033)であった。
「……集団自殺……?」
「はい。希望ヶ浜の東浦区での少年少女の集団飛び降り事件です。事件性は余り疑われず、自殺として処理されるかとは思いますが」
現場証拠を見るにその処理が為されて然るべきだろうと晴陽は考えていたのだろう。定は「そう」とだけ呟いてから――モニターを眺めた。
ニュース画面に僅かに被るように配置されたブラウザでは現場をリポートするP-tubeの配信者の姿が見える。その配信画面に綾敷 なじみの姿が映ったのだ。
気のせいではないその姿――定は『彼女がなじみではなく、猫鬼』である事に気付いている。
あの穏やかで楽しげに細められる若草色が金色に変わるとき、その体のコントロールは『猫』が得ているのだ。
「猫鬼か」
神妙に呟いたのは『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)であった。
猫鬼の事を救いたいと考えていた汰磨羈にとって、連絡の途絶えたなじみと、なじみの体のコントロール権を得ている猫鬼。この現状は些か宜しいものではない。猫がなじみを乗っ取って、姿を眩ませたかのような『状況』が余りに救いがないからだ。
「……猫鬼君が『死』という概念を用いて問題解決にアプローチをしようとしたならば。
恐らく狙うなら、より教義の本質に近い中枢。幹部クラスだとは思うが。このフォルトーナは『そう』なのか?」
『獏馬の夜妖憑き』恋屍・愛無(p3p007296)の問い掛けに祀は「どうでしょう?」と薄らと笑みを浮かべた。その表情に腹立たしく感じたのは彼の口から水夜子の名が出たからだ。秋祭りに共に向かったあの時にも、水夜子は祀からの連絡に『自分には向けない』表情を見せていた。
「相手が何か分からない以上どう動くかもわからないガ……情報はあれどホント『無いよりマシ』レベルだナ」
調べる対象として祀がフォルトーナを挙げた他、自殺事件の『被害者』――当事者と呼ぶべきか――が全員SNSに存在している恋叶え屋さんによってパートナーを得た存在だというのも『調べる対象』として数えられるだけ行動指針が立てやすいと言うべきか。
苦々しく呟いた『ねこのうつわ』玄野 壱和(p3p010806)はaPhoneのグループチャットで連絡を取り合う事を了承し、トーク画面の参加を承認していた。
辿々しくaPhoneを操作する『未来への葬送』マリエッタ・エーレイン(p3p010534)は「え、えーほん……」と呟いた。
「うう、逆にこういうはいてく? なものはちょっと苦手なんですが……頑張ってお借りしたものを使わせてもらいます……」
「分からないことがあれば知り合いにaPhoneの開発業務に携わっている者が居ますからご紹介差し上げますね」
資料を纏める晴陽にマリエッタはおずおずと頷いた。再現性東京内ではaPhoneを利用しての情報交換が一番の伝達手段だ。リアルタイムに相手の状況を把握できる事は恐ろしくもあるが、効率の面では最も優れていた。
「が、頑張りますね」
「はい。ご無理せず」
頷く晴陽が気遣うように視線を送ったのは青褪めながらも『己の目で確認するべき』だと考える天川である。
彼と因縁深い存在がこの事件の首謀者か、その周辺に存在するのは確かな事だろう。問題は――その危険性だ。
「……晴陽ちゃん、私は此処に残って手伝っても良いかな?」
彼女は直接的には現場に関わることはないのだろうが、気にする素振りを見せている上に姿を眩ませたなじみの主治医でもある。『聖奠聖騎士』サクラ(p3p005004)は自身を妹のようだと接する晴陽の事が気がかりだったのだ。
「サクラ嬢」
「任せておいて。私も晴陽ちゃんのことが心配だしね? あ、でも、皆はジョーくんのことを任せたいかも」
「僕?」
名を呼ばれた定と心配そうな視線を送っていた天川が顔を見合わす。「大丈夫よぉ」と微笑んだのは『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)。
「なじみちゃんの事になると無茶をしそうだけど、そう言うときの『男の子』って凄いんだから。ねえ?」
「そうだな。それにさ、ダチが関わってる事件に首を突っ込まないってワケにはいかないよな」
それは『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)の使命にしても、個人的なことでも、だ。これ以上の犠牲が増えることは誰も喜ばないはずだ。
「それじゃあ、我輩もお手伝いしますぞー! なじみ殿が行方不明。心配で仕方がありませんが!
なじみ殿に何かあるとひよの殿が悲しみそうでありますし、手がかりなしになるよりは幅広い調査が必要ですな」
うんうんと頷いた『良い夢見ろよ!』ジョーイ・ガ・ジョイ(p3p008783)は飛び降り事件の患者に面会をしたいと晴陽に求めた。『黒き葬牙』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)は院内を自由に歩き回っても構わないか、と問う。
「ジョーイさん。治療に関しては後ほどお話しさせて頂きます。ベネディクトさんはどうぞ、病院内は自由に動き回って頂いて結構です」
頷く晴陽は病院の周辺調査から始めるというベネディクトの視線が定に向いていることに気付く。
どうにも皆に心配される定は「皆に注目されているぜ」なんて呟いた。
定は『なじみ』だけではなく猫鬼も救いたいと考えていた。その為にサクラは晴陽の傍で出来る限りの調査を行ないたいという考えであることを改めて表明する。
「ジョーくんは『猫鬼』を殺さずなじみさんを助けたいみたいだし
たとえなじみさんが食べられなかったとしても、次世代に『猫鬼』が取り付くのも防ぎたいでしょ?
気が早いかもしれないけどさ。もしかしたら自分の子供かもだもんね~!」
「エッ!?」
突然の爆弾発言に目を剥いた定。「あらぁ」とアーリアが揶揄うように笑い、晴陽は真顔の儘「成程」と頷く。
大慌てな定の様子を見ていれば日常を感じるが、それでも彼の隣には彼女がいない。
ベネディクトは日常が崩れるのは容易いものなのだと実感していた。
「まさか……綾敷が行方不明になるとは……」
その日は11月11日。綾敷なじみの誕生日だった。学校帰りに自転車で合流し、二人で跨がって海へ向かったらしい。
大切な約束を手にし、忙しくなると笑った彼女の大学受験を皆で応援していた。受験に合格した際には共に祝い、キャンパスライフを楽しむと言って居たらしい。
そんな彼女が姿を消した。痛々しい空気を宿した定を一瞥してからベネディクトは眉根を寄せ、静かに息を吐いた。
「何事もなければ良いが――」
●
「はいどうも! P-Tuberのアリスです! 今回はフォルちゃんに突撃コラボ……
という訳にもいかないので、あくまでプライベートで個人としてオフ会へ参加なのにゃ!」
aPhoneを片手に何時も通りの挨拶を行ったのはP-tuberの『P Tuber『アリス』』キャロ・ル・ヴィリケンズ(p3p007903)。
仲間内ではイレギュラーズ用のアイテム取引窓口をして居るちょっとした有名人。闇市(ガチャ)回し実況者でもある。
そんな彼女は同じP-tuberであるというフォルトゥーナの調査に乗り出した。P-tubeの悪用は見逃せないのが『プロの意地』でもある。
「忘れがちだけど私もイレギュラーズ。売り物の装備を引っ掴んで、慌てて駆け付けた次第なのにゃ! フォルちゃんには気取られないようににゃ……」
どうやら相手は危険思想の持ち主だ、と聞いている。
希望ヶ浜に存在する宗教団体『静羅川立神教』に潜入していた真城 祀曰く、静羅川の一団体『死屍派』の広告塔がフォルトゥーナらしい。
P-tubeを慣れたように確認する。フォルトゥーナのチャンネル登録者数は多く、ファンは若年層が中心だ。愛らしく中性的な外見に、「世界の闇見せちゃいまshow」と題した実況動画では夜妖や練達の外についても触れている。
もしかすると『知り合い』が居るかもしれない。心がざわめく気配を感じながらも『後光の乙女』ブランシュ=エルフレーム=リアルト(p3p010222)は『有り得て欲しくはない再会』を振り払うように首を振った。
「もしいなかったとしても、夜妖に会いに行くのはあまりにも危険ですよ」
「夜妖に会いに行く? アホか? わざわざ危険な存在に近づこうなんて、死にたいのか? ……自殺教唆の連中だったか」
ぼやいた風牙は良く分からないP-tuberについてはキャロに説明を受けていた。聞く限りでは『夜妖に会いに行く訳のない一般人とも言える存在』だ。だからこそタチが悪いと言うべきなのか――
「それにしたって練達じゃ、外なんて興味ないはずだぜ? そもそも希望ヶ浜ってそう言う神秘的な出会いNGっしょ」
エントマchang――エントマ・ヴィーヴィー(p3n000255)の『エントマChannel』でP-tuberに関しての造詣を深めていた『音呂木の巫女見習い』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)は唇を尖らせた。
「確かにそうだね。基本的に希望ヶ浜ではそうした『有り得ない存在』の話しはNGだ。
其れに触れに行く時点で正気の沙汰じゃない。まあ、詰まりはさあ……世界の隠された真実を見せて追い詰めてるって味方もあるわけだ」
祀の傍に立っていた若宮 蕃茄は秋奈と祀を眺めてからはっとしたように顔を両手で覆った。『羽衣教会会長』楊枝 茄子子(p3p008356)に良く似ている小さな少女は衝撃を受けたかのようである。
「蕃茄、NG……」
「……確かにそうとも言えるのかも知れないわね……? 私もそうだもの。剣靴は目立つし、車椅子に乗ってきたでしょう」
ヴェールで顔を隠した『黒靴のバレリーヌ』ヴィリス(p3p009671)もこの地区では出来る限り目立つ事が無きように普段の武装を転換している。
その甲斐もあって『病院暮らしでたまたま配信を見かけて救済というワードに惹かれた』という設定も押し通せる。脚を事故で失った不運な娘として名乗っておけば良いのだ。
「ここが『路地裏集会』なのね?」
周囲を見回してアーリアはふう、と小さく息を吐いた。視線の先には猫の姿となって先行する汰磨羈の姿が見える。
(……姿を消したなじみにフォルトゥーナ、そして静羅川立神教か。ここに来て、ここまで急激に物事が動き出すとは)
猫が何を考えているのかは分からない。いや、ひょっとすれば分かるのかも知れない。
「なじみちゃんってば、全くこんな時まで猫らしいなんて。
あの子に、勉強応援してるわって誕生日プレゼントだって渡したかったのに!
猫は気紛れで、でも寂しがり屋さんだもの――見つけに行かなきゃ、ね」
――……けど、私は『先生』だから。沢山の子供を守らなきゃいけない。ジョーくん、なじみちゃんは頼んだわよ。
共に行動は出来ない。子供を護りたいからと告げたときに定の不安げな表情をアーリアは思い出す。
先生と慕ってくれた彼はまだまだ幼い子供の様だった。勿論、なじみだってそうだ。彼女は『こんな時まで猫らしい』
汰磨羈もアーリアも、その言葉で嫌な予感を感じていた。
猫は死期を悟ると姿を消すと言われている。ひょっとすれば、彼女は猫鬼と己のバランスが崩れてきた事を察知したのではないだろうか。
「……猫鬼」
一番簡単な猫鬼の祓い方は綾敷なじみが子を成さず、なじみごと自分を殺すことだと『猫』は語った。
金色の眸を持ったその猫は自分は人では無く血筋に憑いた夜妖なのだと囁いていたのだ。祀は「皆さん、もう少しで『フォルちゃん』のオフ会場ですよ」と1ファンを気取るようにアーリアを振り返った。
「え!? 本当?」
今、女子高生を中心に人気を博しているP-tuberを気取るようにアーリアは声を弾ませた。「コラボしませんかぁ?」とキャロを誘うアーリアに、彼女の思惑に気付いたのはキャロも「勿論にゃ♪」と微笑みを浮かべる。
向かう先には夜妖が居るらしい。
戦う術も何も持たない子供にとってはどれ程に恐ろしいものだろうか――それを知りながら、逸る気持ちを抑えて風牙とブランシュは現場となる路地を見据える。
●
「恋叶え屋さん、ねえ」
呟く『北辰の道標』伏見 行人(p3p000858)は白椛大学の東浦キャンパスに訪れていた。
SNSで人気の『恋叶え屋さん』。そのアカウント名は『Love-Rabbit-Mito』、通称をミトちゃんと呼ばれる少女だ。
「ミトちゃんとやらと、一緒に行動している九天……そしてその二人が静羅川立神教の教徒……という噂……だが……」
決めつけることがないようにフラットな思想で行かねばならない。と、言いながらも『集団飛び降り』を行なった者が恋叶え屋さんでパートナーを見付けた直後というのは何とも気がかりだ。
集団自殺と、信仰。その言葉は耳障りが悪い。活動前にヴィリスが「宗教と言えば天義じゃないの?」と告げて居たが『蒼穹の魔女』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は「何処にでも、信仰はあるよ」と丁寧に彼女に教えていた。
そう、そんな彼女自身もファルカウ信仰の幻想種でありアンテローゼ大聖堂では神官の手伝いを行なう事もある。幻想種達にとっては象徴や命の源ともされるファルカウを『信仰』するアレクシアは何を信じるか迄は咎められないと考えていた。
それでも――
「生きる縁になるものならまだしも、生を投げ捨てさせるようなものは……放っておくわけにはいかないよ」
信じるが故に、そうして何かを傷付ける。悍ましい現実に納得することは出来まい。
「命の使い方は人それぞれ、望んで飛び降りたなら止める権利はわたしにはありません。
でもそれが望まないものだったり、洗脳や誘導の末のものなら――これ以上犠牲を出すわけにはいきません。原因を突き止めないと」
どうしようもなく、そうやって命を絶つことまでを『奏でる言の葉』柊木 涼花(p3p010038)は否定しない。
だが、何らかの原因の果てに『そう』なってしまっているというならば原因を突き止めて全ての事態を収束させなくてはならない。
「ミトちゃん、さんは『静羅川』の人……かもしれないのですよね?」
「ああ、そうだ。だからこそ『ミトちゃん』――八方への接触が大事だ」
aPhoneでの定時連絡を頼むと行人はメッセージアプリでの共有を提案する。静羅川立神教の全容が知れぬ以上は出来る限り全員の生存は確認して置くべきだ。
「洗脳、有り得なくはないな。フラットな見方も必要だが……それでも、穿った考えにはなりやすい。
死亡者の大半がここの学生で、おまけに静羅川立神教の信者が――ミトちゃんこと『八方 美都』に関わっていた者ばかりだと?
疑うなという方が無理な話だろう。だが、なじみ嬢の失踪も無関係とも思えん。慎重にことを運ばなきゃな」
天川は苦々しく呟いた。静羅川立神教による精神的な支配が理由に存在している可能性は大きい。
そも、それこそが『誰かの安寧』である可能性があるのだ。宗教が存在しているのは何処だって同じだ。
『水天の巫女』水瀬 冬佳(p3p006383)は再現性都市は『この世界に召喚された事実を受け居られない旅人達の安息地』と認識している。即ち、再現性都市に身を寄せて何不自由ない暮らしを受け入れながらも『外』を知らずに育った者達が居るのだ。
「……再現性都市で生まれ育って外を知らない人々にとって、隠されたこの世界の本当の在り様は、受け入れ難いものなのでしょうね。
或いは、その点こそが、再現性都市に生きる文化の陥穽なのかもしれない。
救い、即ち『偽りに満ちたこの世界からの救済』。そう形容すると、なるほど類似の事柄も思い浮かぶ」
偽りに満ちたこの世界からの救済は、どの世の中でだって必要不可欠だ。人の心は脆いからこそ頼る縁を必要としている。
それが、例えば。『静羅川』、静羅川立神教『死屍派』。そして恋叶え屋さんを頼って手に入れる『唯一の信じられる相手』
「なじみさんやそのお母様の件と言い、宗教絡み……浸透も理解できますし、厄介ですね」
――思えば、綾敷なじみは再現性東京の生まれだ。その体に夜妖が憑いていたからこそ、イレギュラーズと夜妖を、そして混沌世界を受け入れている。
だが、なじみの母はどうだろうか。綾敷 深美にフォーカスを当ててやるべきだろうか。
彼女は、娘が夜妖憑きである事を受け入れることは出来なかったであろうから。
「はあ。なじみちゃんの行方不明と、なんちゃら教の事件と、なんや不穏やなぁ。ジョーくんも忙しそうやし、俺も少しでもお手伝いさせてもらおか」
白椛大学にはバイトで踏み入れたこともある『ケータリングガード』カフカ(p3p010280)はaPhoneのマップアプリを眺めていた。
ケイオススイーツのビラを手に、宣伝のために訪れたアルバイターとして活動すれば良い。aPhoneで連絡先を交換した仲間達が一斉に動き出したことを確認しポケットの中に滑り込ませた。
●
規制線の張り巡らされた路を眺めて『ライカンスロープ』ミザリィ・メルヒェン(p3p010073)は「集団自殺、ですか」と呟いた。
「そのひとたちの共通点を調べられるなら、それも調べたいところですね。
そちらは白椛大学に向かった方達からの調査結果も……必要ですが、此処も興味があります」
ミザリィが見上げたのは事故現場であった『飴村第三ビル』だ。飴村の名前に眉を顰めたのは『名無しの』ニコラス・コルゥ・ハイド(p3p007576)。
「飴村っていうとあの事件を思い出すがな。……飴村事件。
口にしちゃいけないっていうあの事件をよ。結局あの事件の真相はよく分かってねぇがさてはて、ここはその事件と関わりがあるのかね」
「飴村事件、か。それはどんな?」
問うた『カースド妖精鎌』サイズ(p3p000319)にニコラスは異世界へと引き摺り込まれるのだと告げた。
サイズは「練達は『異世界』の扉を開きやすいのか」と呟く。確かにR.O.Oの時はその侵食により異なる世界らしき場所へと誘われることもあった。怪奇現象も負の影響により次元が歪むと定義する者も多く居る。
「それにしても、この状況でなじみさんが行方不明か……事件に巻き込まれた可能性が高いと……。
こんな状況だヤバい呪物が発生しているだとか、集団自殺の負のエネルギーに当てられたとか、そういうのが在りそうで困るな」
海の家で共にアルバイトをした相手である以上、見捨てることは出来ないとサイズは呟く。
集団自殺に不快感を抱いているのは『紅矢の守護者』天之空・ミーナ(p3p005003)であった。何が一体どうなっていると呟いてから飴村第三ビルを見上げる。
「ッ――……ん?」
何かが降ってくる『影』が見えた気がして目を見開いたが、直ぐにその影は消えてしまった。
「……一体何がどうなってんだ?若者の飛び降り自殺だけならない話じゃないが……。
集団自殺とは穏やかじゃねーよな……この世界じゃ私はなんの役目もない死神だが……いい気分じゃねーよなぁ。それに『今の』は」
「怪異が俺達を歓迎してるんだろうよ」
ニコラスはぼやく。その状況下に茄子子は僅かな苛立ちを感じていた。
「『飛ぶ』か」
ぎり、と親指を噛んだ。茄子子が連れて遣ってきたのは羽衣教会希望ヶ浜地区の支部長である日々林ひびだ。
「会長」
「わかるよね、日々林くん。会長も天啓と勘で頑張って探すけど、普通に見つからなくて悲しいことになる可能性もあるんだ」
探すのは、事前に晴陽が下調べをしたこのビルの持ち主だ。なじみと共に映り込んでいたあの女は希望ヶ浜のネットワークで直ぐに顔が割れた。
「……だから一緒に飴村偲を探してくれたまえ。
会長はなんか勘で良さげなタイミングで虚空に向かって問いかけるから、そのタイミングに丁度飴村くんがいるようにしたい訳なんだよ」
「会長は無茶をしそうで心配だけれど」
「君は無理をせずにね。会長は会長のやりたいことがあるのさ。……さぁて、練達は羽衣教会が貰うから。
なにが『死は救済』なんだか。死によって救済されるのは、ちゃんと頑張って最期まで生き抜いた“良い子”だけでしょ」
呟いて、茄子子は目の色を変えた。自身を母のように慕う蕃茄のことが心配だった。だが、茄子子は自身の事を主我主義者であると認識している。
何れだけ可愛い蕃茄でも、周りに彼女を見捨てないと信を置けそうな存在が居るならば任せて自身のやりたいことを行う為に割り切れた。
「ひえ」
天を仰いでから『可愛いもの好き』しにゃこ(p3p008456)は直ぐに『竜交』笹木 花丸(p3p008689)の背後に隠れた。
「今何か見えましたよね、笹木さん!?」
「え? あ、あー……そうだね……」
何かが落ちようとする影だ。自殺志願者が『何度も自殺を繰り返す心霊現象』。在り来たりな心霊スポットの様子が体現されている。
「な、なじみさんは何処に行ったんですか!? ちょっとどこかお出かけしたー…って訳じゃあなさそうですよね」
「そうだね。私も、ジョーさんも何も知らないから……」
花丸はふと、物思う。秋祭りの日に心配なのだとなじみに声を掛けたその時に彼女は言ったのだ。
――ひよひよを護ってね。
なじみは自分は大丈夫だと言って居た。だが、困ったような顔で笑って、誕生日に『最後に定と過ごしてから』居なくなった。
「……大丈夫って言われたってそんなの放っておけるわけないじゃないっ!
いつか、ひよのさんだって護ってみせる。けど……今は目の前の困ったお友達を全力で助けてから、だよね?」
「ひよのさんだったら『行ってきて下さい、花丸さん』って言いそうですよねえ。いやあ、笹木さん信頼されてる!
それにしても、仲のいい越智内さんにまで連絡無いのはさすがに心配ですね……。
何度も一緒に遊んだ仲ですしね! もちろんしにゃも協力しますよ! 見つけたらまた皆で遊びに行きましょう! ――どわぁぁぁ、また何か降ってきた! 靴!?」
びくっと肩を跳ねさせたしにゃこの声に花丸は「下がって!」と声を掛ける。
何かが、降ってくる。無心に其れを眺める茄子子に怯えたように空くんだひびの姿が見える。振り返ったミーナが渋い表情を見せ、ミザリィが咄嗟に身構え――『竜剣』シラス(p3p004421)の表情が消えた。
「悪趣味だぜ」
どちゃり、と音をさせたのは人の形をした――マネキンか、それとも。造詣がリアルなところを見れば、夜妖か何かであったのかもしれない。
息絶えたそれが動く事無くアスファルトに打ち付けられてから溶けるように消えて行く。
「……死ぬことが救済、でしたか。どうにも私とは相容れなさそうだ。
何故、こんな物が流行るのでしょうか。生きられるのならまだ、それ以外の道だってあるでしょう」
呟いて、その様子を眺めていた『ぬくもり』ボディ・ダクレ(p3p008384)は得も言いがたい様子で動かなくなった『塊』だけを見下ろしていた。
怯え、竦みそうになる定は引き攣った声を漏す。普段ならば、何も知らないと目を逸らしてしまうが――
「……この先だったかな。なじみさんが居たのは」
死骸を乗り越えてビルを覗き込んだ『赤い頭巾の魔砲狼』Я・E・D(p3p009532)の言葉に我に返った。
「なじみさん、何処に行ったんだろうね……うーん、ちょっとヒントが無さすぎるかなぁ」
考えられるのは、自分で姿を消したか、事故などで帰れず連絡を取る手段がないか、誰かしらに捕縛か監禁されている可能性だ。
「そもそも記憶が猫鬼に食べられすぎて、連絡を取る必要があるって考えすら失ったのかも。
この考えだと1が可能性が高い気がする。
もしかして何かをしなければならないという考えだけで……記憶の一部が欠落したまま街をさまよっている可能性もあるし」
「自分で姿を消した、可能性が高いと思うぜ」
Я・E・Dへと定は告げる。「今、体のコントロールをしているのがなじみさんじゃなくて、『猫』だったから」。
なじみの眸は金色だった。それは若草色の眸を持ったなじみではなく、猫鬼が顕現しているからこその姿だと定は言う。
「そう言えば飴村事件の怪ビルを調査する依頼でも、ビルに入らなくちゃいけないと強迫観念めいた感情を受けている人たちもいた。
今回もその関連で……猫が表に出てなじみさんを護ってくれているのかも知れない。
今までだってそうだったんだ、危ない時は猫が表に出て来ていた――きっと、屹度そうだよ」
青年は、まだ『綾敷なじみ』の中に存在する『猫鬼』を疑うことは出来なかった。
「きっとそうだ。何か企んでいるのは『紳士』や飴村偲って人達に違いない。
だってなじみさんが、あんな風に飛び降りる人達を見過ごす訳が、ないじゃないか!」
――それでも、心の中では不安があった。
なじみさん。
名前を呼べば朗らかに笑ってくれる。定くん、なんて笑ってから手を繋ごうと笑う彼女。
患った感情が、どうにもその笑顔を直視することを邪魔をする代わりに恐怖なんて取っ払った。
「早く見つけて連れ戻さなきゃ、ダメだ。
いくら今のなじみさんと猫の関係をどうにかする為のヒントがあるとしても、あんなのはダメだ――それになじみさんだって、待ってるはずだから」
待っているのは、僕の方だ。
君の「どうしたんだい? 定くん。馬鹿だなあ、なじみさんは居なく何てならないよ」なんて笑う声が聞きたくて堪らないのだ。
●
ファミリアーの小鳥に「頼むよ」と声を掛けたベネディクトはもふもふとしたポメラニアン、茶太郎に乗って上空から偵察を行って居た。
聴覚や嗅覚、己の感覚を活かしての索敵はイレギュラーズとして活動を続けてきたベネディクトにとっては慣れたものだ。
しかし、それに自身の友人が関わっているとなれば気も急いてくる。一同が会した際に見た定の表情がどうにも気になって仕方が無かったのだ。
(……綾敷に何もなければ良いが……)
病院には風邪で訪れる者も多い。そうした話しから、病院からは必要以上に離れないようにしておきたかった。
「そういった時期という可能性もあるが、専門の澄原が不安を感じているというなら警戒に値するだろうしな……」
外から眺めている範囲では確かに訪れる者は多いのだろう。しかし――晴陽が違和感を覚えるほど、というのはどの程度なのだろうか。
「茶太郎、もしも『違和感を覚えた』ならば教えてくれ」
呟いたベネディクトに茶太郎が「わうん」と合図をした。例えば、この周辺は平和そのものにも見える。飛び降りそうになっている人間がいたならば、無理にでも止めなくてはならないが。
視線を下げた先にふらつくように座り込んだ者を見付け、ベネディクトは咄嗟に少年の元に向かった。
「大丈夫か」
茶太郎から降りて、少年に声を掛ければ「ちょっと、体調が悪くて」と少年が野球帽を目深に被り直す。
「体調が? 最近は風邪が流行してると言うが……」
「そう、なのかなあ。お母さんも調子を崩したって聞いたからお見舞いついでに、診察を受けて行きなさいって……」
少年の母は澄原病院に入院しているらしい。敷島 夕冶と名乗った少年を気遣うようにベネディクトは病院入り口へと踏み込んだ。
正面玄関から入り、診察の受付を行って居る夕冶を気遣っていたベネディクトに「ベネディクトさん」と声を掛けたのは晴陽と同じように夜妖専門科で働く看護師だ。
「ああ、実は病院前で気分が悪くなったと言うから……」
「そう、なんですね。晴陽先生も最近はそうした体調不良者が続出していると言って居ました。
確かにそうなんですよ。特に東浦の患者さんが多いみたいで……町の診療所で診断を受けているのですが、皆原因不明なようでして」
そうして総合病院である澄原病院にまで訪れているのだという。看護師の言葉に「そうか」と呟いてからベネディクトも確かな違和感を覚えた。
普通の風邪であれば総合診療を受けずとも問題はないだろう。だが、挙って此処に訪れているという事は拭えない不調が蔓延している筈だ。
「……夜妖の仕業か?」
「かも、しれませんね」
――夜妖と呼ぶべきか、それとも『混沌世界に蔓延する何らかの影響』か。その判別は未だつかない。
患者の治療を手伝えないかと晴陽に校章をしたジョーイだが晴陽は「あまり望ましいことではありません」と肩を竦めた。
「再現性東京である都合上、スキルなどでの治癒は『神秘の作用』だと恐れられてしまう可能性もありますから。
治癒等の治療でなはく看護師として巡回を行なうのは如何でしょう? ただ、そのヘルメットは外して頂かねばなりませんが」
「それは失敬!」
確かに、と頷いたジョーイは晴陽の指示に従って看護師としての衣服に着替えた。なじみの手がかりを得たいという彼の気持ちを汲んでくれたのだろう。
「晴陽殿は何か起因ある事がありますかな? やっぱり、風邪?」
「そうですね……風邪、は気になります」
ベネディクトが調査している『風邪症状』。それが通常の風邪ではなく全般的な体調不良を指しているとするならば確かに気がかりだ。
そうした体調の違和がナイーブになった状態に更に自殺事件が覆い被されば更なる被害を生む可能性さえある。
「患者との面会はできますかなあ」
「……話せるかは分かりませんね。状況が状況ですし」
それでも、何か読み取れるのであれば向かうだけは無駄ではないはずだと晴陽は告げた。
早速、病棟を巡回しながら風邪症状や体調不良を訴える患者達とジョーイは面会していた。誰もがどうしてか分からないと告げる。自殺事件の患者達とは言葉を交すことは出来ない。
「うーん、困りましたぞ」
これでは得る情報は無いか。そう思いはしたが、読み取れたのはたった一言だった。
――蟲?
「ねえ晴陽ちゃん。なじみさんもだけど、最近身の回りで変わったことはないかな?」
「私は、特には無いはずでは、あるのですが……」
強いて言うならばこの患者の増加が気になるのだと晴陽は呟いた。それでもサクラは安心することは出来ない。
猫鬼は晴陽の患者だ。ならば、猫鬼の此れまでの事が静羅川側にも伝わっているはずである。澄原の跡継ぎである晴陽に何かしら仕掛けてくる可能性は十分に考えられる――そして、『なじみが懇意にする定』と『晴陽とは仲の良い天川』のルーツに静羅川が関わっているならば、狙いをつけられるかのうせいもあった。
「身の回りには十分注意してね。私も四六時中一緒にいられる訳じゃないからね」
護衛役として傍に張り付いていられたら何れだけ良いか。ずっと一緒に居られないのもサクラの故郷であり守護すべき天義の暗躍する影に、今、現在動乱の起る鉄帝を思えばこそだ。
「私の代わりに晴陽ちゃんを守ってね~」
デスマシーンじろうくんに話しかけるサクラを眺めながら、ふと晴陽は云った。
「そういえば、その子は動きますね」
「……え?」
「時折動いて着いて来ています」
「……そ、そう……なんだ?」
お土産の人形が真逆の動きを繰り返しているのは衝撃を覚えずには居られなかった。
晴陽が気になることがあるなら調査を手伝うと告げながら『動くと告げられた』デスマシーンじろうくんと手遊びを繰り返すサクラは「動くの?」と人形に問い掛ける。
「何か気になることがあれば天川さんにも頼んでみようよ。探偵だし、調査網があるはず。
患者自身や、患者の周りに静羅川関係者がいないか調べて貰おうかなって思うよ。
それに私もコネクションがある程度在るから、学校の友達に連絡して学生を中心に調べてみれるしさ」
「そうですね。『蟲』――が気になります。患者が時折零すのです」
蟲、と呟いたサクラは首を捻る。何らかの奇妙な蟲を見ていないか、と聞き回るだけでも調査に成り得るだろうか。
そちらは追々遣っていくのが良いのだろうがある程度を学生の連絡網であるメッセージアプリで聞き込めば東浦に行った際に小さな花弁のような蟲を見たという情報が散見された。そしてそれを視た者は風邪で学校を休んでいるとも為れている。
「蟲、か。探してみてもいいかも」
「はい。……サクラさんも何か知りたかったのでは?」
サクラは澄原や病院で『なじみと猫鬼』について何らかの資料を管理しているのではないかと問うた。
澄原の所有する資料は水夜子がある程度の管理を行っているらしい。其方に問い合わせてみるのも良いだろう。
「今まで出会った夜妖には発生する原因となる出来事があった。それを調べればもしかしたら……。
ううん、けど……もしかしたらどうにもならない事がわかるだけかも知れない。それだけでもいいんだ。知りたくて」
なじみには少し悪いけれど、と告げたサクラに晴陽は頷いた。
「知っているのは少しだけです。猫鬼は猫の蠱毒で産み出された非常に高い呪詛がもとになっている夜妖です。
本質はその儘ではないですが、『綾敷の血筋に憑いた』その夜妖は強すぎる呪詛が元であるが為に多くの代償を必要としているのでしょう。
その代償が徐々に大きくなっていくのは猫鬼の力が強くなっている、か」
「――もしくは、『猫鬼になじみさんが頼っている機会が多くなったか』?」
頷いた晴陽は「猫の力を頼れば頼るほどに、猫は代償を多く求める筈です。そして、なじみさんが交友を広げれば広げるほどに猫の欲も肥大化していく」と告げた。
「……後は水夜子に資料を探させましょう。澄原の屋敷に幾つかあったはずですから。
それに、呪いというものはいつかは昇華しなくてはならないものでしょうから。ここで終わるのであれば――」
扉を開いた晴陽があからさまに「げ」と表情を歪ませたことに気づきサクラはぱちりと瞬いた。
「あ、はる。何処かに行くところだった?」
(はる!?)
目の前に立っていたのは灰色の瞳をした落ち着き払った優男だ。「夜善……」と呼びかけた晴陽の表情はサクラ達には彼を知られたくなかったとでも云うかのようだ。
「晴陽ちゃん?」
「あ、ごめん。んんッ……晴陽さん。来客中だったんだね。いきなり顔を出してしまって申し訳……」
「いいえ! 用があったのでしょう」
勢い良く首を振った晴陽に合流する為に院長室へと訪れたジョーイとベネディクトが驚いたように声を掛ける。
室内に引き返した晴陽は青年に腰掛けるようにと雑な仕草で促した。
「は、晴陽ちゃん……」
「紹介が遅れました。彼は草薙 夜善。まあ……私の幼馴染みと言いますか……」
「こんにちは、夜善と呼んで欲しい。俺は、そうだね……晴陽さんの、元『許嫁』の幼馴染みだね」
にこりと微笑んだ夜善に一同は会釈を行なう。イレギュラーズであると言う紹介を受けてから、彼は自信が佐伯操の名代として活動する事があるのだと告げた。主に澄原や希望ヶ浜学園の視察などを行って居る佐伯製作所の部長職との事だが。
「一体何の用事ですか、夜善」
「東浦の事件の被害者の様子を見に来たのと……それから、何か探っているなら役に立てるかと思って」
穏やかな空気感を纏っている夜善に「何か知っておられると?」とジョーイが驚いたように身を乗り出した。
突然現れた部外者――わざわざ元婚約者と名乗る辺り何とも関係性でマウントを取ってきているのは気のせいではない気がするが――がどの様な情報を持っているか。サクラはそれを見極めたいと彼を眺めた。
「……実は、皆さんに静羅川の話をした際に夜善に頼ったのです。彼は立場上詳しいので」
「そうだね。それで、俺も希望ヶ浜新聞の記者として静羅川立神教に潜入をしようと思って――
ええと、サクラさん、ベネディクトさん、ジョーイさん、だったかい? 良ければ俺と一緒に『静羅川 亜沙妃』の情報を集めてくれないだろうか」
静羅川 亜沙妃、とベネディクトは呟いた。
「静羅川の姓を持つ以上、かの教団とは縁が深いのだろうが……誰だ?」
「教祖、と言われている女性かな。詳細は不明だ。彼女も『死屍派』には手を焼いているだろうし。
潜入してて時折聞いたんだ。――『蟲と出会った』、とかね」
●
「みんなぁ、こんふぉるとぅーな!」
明るい声音で手を振ったのは可愛らしいフードを身に着けていた中性的な子供であった。その声を聞いていたのはフォルトゥーナの出方を眺めている汰磨羈である。猫の姿に変幻した彼女は出来うる限りの危険を払う為に立ち位置にも気を配る。
「オフ会が始まりましたかね」
「……ああ、そうだな。そういえば、お主は水夜子の従兄だと言うが――」
汰磨羈の問い掛けに穏やかに微笑んだ祀はそれ以上は言わない。水夜子があからさまに彼を嫌っている理由は気になるが、知り合いの身内だというならば一先ずは彼の信頼は得ておくべきかと考えた。
「私ちゃんJKだけど浮いちゃわないかな……もちろん美少女すぎるやつで。
ってグヘェ! ア、アーリアセンセ! どどどどうしてここにィー!」
「大人だって、ファンになるのよ? ねー?」
「そうにゃ!」
秋奈へと微笑んだアーリアとキャロはフォルトゥーナを視線で追掛ける。
夜妖へと向かって歩いて行くフォルトゥーナを始めとした一行にアーリアは「路地裏集会って此処かしら?」とキャロに話しかけながらわざとらしく顔を出した。
「あの、フォルちゃんですよね? 嬉しい、肌も綺麗~! どんな化粧水使ってるんですか?」
嬉しそうにファンなのだと話しかけるアーリアに「コラボお願いするにゃ!」とキャロ――こと、『アリス』は微笑んだ。
「オフ参加希望だね? いらっしゃい~!」
手を振ったフォルトゥーナに招き入れられて子供達の輪に交ざる。車椅子でやってきたヴィリスは不思議そうに周辺を見回しておずおずと言った。
「こういうおふ会? ってよくあるのかしら。お友達ができそうで楽しみだわ」
そうしていれば『友達を求めた不運な少女』そのものだ。そんな彼女を連れて遣ってきた二人のインフルエンサーにフォルトゥーナは顔色一つ変えず楽しげに招き入れる。
「あ、フォルちゃんどうも初めまして! こちら『広告ティッシュ』になります……良かったら是非是非にゃ!」
「んふふ、勿論。よろしくね?」
微笑んでいるフォルトゥーナの出方を眺める愛無は苛立ったように祀を眺めていた。面倒だ、全てを喰って終わりにすれば良いのに。
感情というものはどうしようもなく捻じ曲がる。それは姿を消した綾敷なじみも、この場に集まる子供達もそうなのだろうか。
「考えてるね」
「……蕃茄くんに言われるとは」
「蕃茄、かみさまだから。何となく分かる。人間って難解なんだよ。愛無は自分をばけものだとおもってるかもしれないけど、人間らしいね。
感情は人を人たらしめる下品な毒だ。蕃茄は――蕃茄かな、心咲かな。わからないや――そう思う。
毒が回っているうちは永遠に悶え苦しむんだよ。抜けきるまでも時間が掛かる。特に、恋は。愛になれば、毒は抜け落ちるけど」
淡々と告げた蕃茄を横目で眺めてから愛無はそうだろうな、と呟いた。目の前で笑顔を浮かべる祀こそが恋敵だというワケか。
潜入捜査をしている以上、不幸な事故というものは付き纏う筈だ。だが、彼には利用価値がある事は水夜子が斬り捨てていない時点で分かる――分かる、が。
(水夜子君のあの表情――イライラする。
彼女にあんな顔をさせたのが此奴かと思うと本当にイライラする。感情なんてものはウェイトのはずなのに。感傷なんて邪魔なのに。
人間なんて餌のはずなのに……同じ面倒なら水夜子君には惹かれるのに。それ以外は、こんなに面倒だなんて)
それは、水夜子に関してだけ変化が生じてしまったという事だろうか。苦い表情を浮かべながらも金持ちの子供として振る舞う愛無は子供達の鰐溶け込むように息を潜めた。
「どうしてここへ?」
「んー、ふぉるちゃんのファンなんだよね。おねーさんもでしょ?」
無垢な瞳か、それとも此方の出方を確かめているのか。何にしても幼い子供から感じられた気配は読み解きにくい。
「そっかそっか。いいよな、フォルトゥーナくゃん!」
静羅川にも興味のある『パリピ』な秋奈。ちょっと危険な世界に興味があってやって来たと熱弁する彼女は「同年代も多くてちょっとバイブス上がっちゃうのでした」と無ヶ丘高校に通って居るであろう少女の肩を組んだ。
「ひえ、その……」
「フォルトゥーナくゃんの何処が好きか語り合おうぜぃ? あ、あっちの祀兄さんは怪しくないよ。オトナだけどさ!」
怪しくないと呼ばれた祀は肩を竦める。確かに子供達の視線が一番居たかったのは祀だ。
(……さて、どう出るか)
風牙の視線を受け止めてからフォルトゥーナはにんまりと笑った。
「はい! みんなぁ、あれが夜妖です」
じゃーんと微笑んだフォルトゥーナが見せたのは巨体を有する夜妖であった。肉の塊としか言えぬそれには無数の目が存在している。
「ひ」と引き攣った声を上げた子供を庇うようにアーリアが「大丈夫」と背を撫でた。
「ちょっと危険な世界。世界の真実! そう、これが日常の裏側に居る存在なのでっす!」
にんまりと笑ったフォルトゥーナ。動かない彼の目の前を風のように過ぎ去ったのは汰磨羈であった。
一気に肉薄した汰磨羈の斬撃が牡丹の華を咲かし夜妖へと叩き込まれた。
ぶよぶよとした肉を思わせた夜妖へと放った一撃はティタノマキアの閃光の如く雷霆の衝撃を走らせた。
「きゃっ!」
叫び声を上げたのは夜妖――ではなく何も知らぬファン達か。
「現れたな、怪物め! この正義の使者、ストームマンが相手だ!」
わざと『それっぽく』見せた風牙がポーズを決めて飛び込んだ。子友達の盾となる風牙に続いてアーリアも庇うように身を滑り込ませる。
「フォルトゥーナさん? あなたこれがどういう事か解っててやってますね?
放置すれば彼らは死にます。それとも、『現れた夜妖を一人で倒して人気でも取る』とか考えてますか?
そんな甘いもんじゃありませんよ。少なくとも一般人の手には負えません」
厳しい語調で告げたブランシュにフォルトゥーナは詰まらなさそうに表情を歪めた。
「説教じゃん」
呟いた少年は親指をがりがりと噛み始める。配信画面では見ることの出来ない激しい苛立ちがじわじわと滲んでいるかのようであった。
「説教とかいらないんですけどー、それに『一人』じゃないし? ほら。スペシャルゲストを紹介するよ、おいでよ! ルベちゃん」
「はーい、MCルベライトだよ~? あれ、エルフレームだね!
こんにちは、そっか、そっかぁ、あんたが居たからフォルちゃんがあたしを呼んだんだ」
にんまりと笑っていたのはインフルエンサーのルベライト=エルフレーム=リアルト。どうやら静羅川には直接的に関係はないようだが、フォルトゥーナとはSNSで交友があるらしい。
ブランシュのように路地裏集会に何者かが乱入する可能性を考えてフォルトゥーナが作った保険は――成程、目の前の魔種だったか。
情報を喰う事を楽しみにして居た魔種は情報のロスト、すなわち死こそが救済であるなら、人の幸せとは結局死ぬ事なのだろうと『用心棒』として此度のオフ会に協力していたらしい。
「えと、こうか? こうやるのかにゃ?」
慣れない戦闘に出来る限りの対応を行なうキャロはイレギュラーズとしての戦い方を思い出す。
P-tuberとしての見せ方。『チャンネル登録者数』を計算式に置換することは得意だ。冴えた脳は最も魅せやすい魔術攻勢で夜妖に対応する。
――グウウ!!!
ばらばら、と散らばるように無数に弾けるそれをヴィリスは「蟲?」と首を捻った。花か、蟲か。その様に見える美しいナニカ。
「――っとォ! たまきちに任せてずらかるぜ。えーと……」
「あ、藍梨」
「藍梨ちゃん、こっちだ!」
無ヶ丘高校三年生。なじみと同じ高校に通う、同級生の少女の手を引いて秋奈は走る。祀は大人だ。だからこそ彼に任せて戦線復帰すれば良い。
それでも、全てを隠しきるには難しい。危ないから隠れていて、と告げるアーリアは「蕃茄ちゃんも宜しくね」と背を叩いた。
「蕃茄にまかせて」
頷く蕃茄を一瞥してから『ストームマン』は攻撃を重ねる。
わざと演技っぽくすることで『やらせ』感を出す。それが一番必要なことだからだ。相変わらず花弁か、蟲か、そのようなものが舞い散る。僅かな体調の不調に倦怠感を纏いながらも風牙は夜妖を一気呵成に打ち倒した。
「フォルトゥーナ」
呼ぶ汰磨羈にフォルトゥーナは余裕そうに微笑んだ。
「どう見ても死を望んでいない子供達に死を与える。それを救済などと言うまいな」
「んふ、言わないよ。フォルちゃんは慈善事業をしてるだけだよ?
この世界に隠された真実を見せているだけ。大丈夫、だって、フォルちゃん――ちょっぴり戦えるから」
ばちん、と電流が走る。フォルトゥーナの至近から飛び退いて汰磨羈は身構えた。驚き慄いた一般人を見下ろしてフォルトゥーナはやれやれと唇を尖らす。
「こんふぉるとぅーな、っと。楽しいイベントだったぜ。
でも、こういう場所って不良とか危ない連中がよくいるから、あんま近づかないほうがいいと、オレは思うなー」
あくまでも『可愛い実況者』と話しているかのように風牙は見せかけた。その視線の厳しさをフォルトゥーナも感じていることだろう。
「……いつまでも無知ではいられないにしても、やり方ってもんがあるだろが」
「んふふ」
微笑んだフォルトゥーナ。屹度、風牙が感じているとおりに『竜の騒動』で真実を見た一般人の心を揺さぶって、自身等の信者を増やそうと画策して居る可能性は高そうだ。
「まあ、それは兎も角。今日は有り難う御座いました! あ、まって、近付かないで?
此処で僕らを捕まえたらオフ会に乱入してきたファンがP-tuberに暴行事件、とかになるかな?
それとも、フォルちゃんのことなんてもみ消しちゃうのかな? 佐伯製作所と希望ヶ浜学園がバックについてるんだよね? あ、澄原もか」
くすくすと笑ったフォルトゥーナに愛無の眉が吊り上がる。アーリアは「何が云いたいの」と問うた。
「君は、音呂木?」
「パイセンにも迷惑掛けるつもりかよ」
秋奈がフォルトゥーナを睨め付ければ彼は笑ってから首を振った。「んーん、今日はお開きかなあ!」と誤魔化すように告げた彼に周辺から除いていた子供達が曖昧な表情を見せる。
「さて会場にお越しの皆さん! 果たして神はいるのでしょうか? 答えましょう。神は存在します。
ですが、神はあなた達を救いはしません。神に人格は無いのです。
我々クラースナヤ・ズヴェズダーが同志アミナの言葉を借りましょう。重要なのは救われるための知恵であり、考え方にすぎないのです」
朗々と語るブランシュに子供達が首を傾げ、どう言う意味だろうと囁き合う。
「彼の言う『唯一の信じられる相手』は本当に貴方達を救いますか?
今まさに、貴方たちを救った我々の方が信憑性がありませんか?
考えてください。貴方たちの心で。もし、わからないのなら私が救いをあげましょう。そこで導きを与えましょう。
――そういう訳で今日は帰った帰った! ロクな集会じゃないからこれ!」
子供達をさっさと帰還させるために、ブランシュはその背を押した。
子供達は「フォルちゃんまたね」と手を振る者も居れば、ブランシュも含め『戦ったイレギュラーズ』を恐怖の対象としてみる者も居る。
「ロクな集会じゃないけど、『日常を壊しに来たロクでもないやつら』扱いはされちゃったねえ」
くすくすと笑うフォルトゥーナにブランシュは厳しい視線を投げかけた。
「……けれど、人数ばっかり集めて何をするかなんて『一つしか結論は無い』ように思えるのだけど」
「んふふ」
フォルトーナが笑う。一歩ずつ後退する彼は『オフ会に出るため』に友人であるルベライトに今日は声を掛けていたのか。
今後、ルベライトが彼と共に行動するかは気分次第なのだろうが――今、此処で大規模な戦いを行なう事は難しい。何よりも集まった子供達を巻込みかねないからだ。
「ねえ、外れて欲しい予想なのよ?」
「どうだろう。でもね、そういうのって結構当たるんだよ。だって、世界って結構単純に出来てるんだ!
例えば、好きとか嫌いとか。生きたいとか死にたいとか。行動の根幹って単純でね、それでもって、そこに無理にでも理由をつけるんだ」
くるくると回ったルベライトはヴィリスへと微笑んだ。
「脚、残念だね」
疼くのは、本来は剣の靴で鮮やかにめかし込んだ空虚な場所。
「死にたくなったら、相談してね」
――嗚呼、本当に。
それが真っ当な感性だとでも言う様に単純な答えばかりが並んでいる。
「あ、逃げるつもりか!」
「僕と話したいならさ、またお出でよ。何時だって『コラボ動画』してあげるから……今度はミトも呼んでおくからさ~」
ミト、八方 美都か。アーリアと汰磨羈は走って行くフォルトゥーナの背中を眺めていた。
「どうやら、今のは関わるなと言う警告だな。イレギュラーズの存在を危険視しているという事か」
愛無は自身等と関わることで誰かに危険が及ぶと言われた気がして不愉快だと呟いた。
子供達は興味本位と『世界の闇とは何か』を見にやって来たのだと事情を聞いていた祀は告げる。
「どうやら、フォルトゥーナとは再度の接触が出来そうですね。準備をしておきましょうか」
「……私としても、かの宗教集団は放置できん。協力できる事があれば、何時でも呼んでくれ」
汰磨羈の提案に祀は頷いた。路地裏集会に猫が鳴く。どこかで聞こえた鳴き声は夜闇に霞んで消えていった。
●
白樺大学のキャンパスは真白の空間であった。心理学部が存在する東浦キャンパスへと踏み込んだ行人は30分程度の間隔で行なわれる定時連絡を眺めていた。
普段は希望ヶ浜学園の教員として働いている彼は今日は白衣の代わりにシックなコートを身に纏う。胸もペットからカメラが出るようにaPhoneを入れ、偶然出会えた場合にが出来る限り情報を入手できるようにと共に活動するアシリカへと委任した。
(……さて、アポイントメントがとれるかどうか、だな。八方の方は仕事として関われるかも知れないが九天はどうか――)
恋叶え屋さんを自称している八方 美都はパートナー探しをして居れば関わることが出来そうでもある。だが、九天 ルシアはどうだろうか。彼女の情報は少なく――どちらかと言えば天川が警戒していることだけが良く分かる。
「ンまぁ、兎にも角にも歩き回ってみるしかないわナ。
手がかりの一つでも見つかれば御の字って訳だガ……とりま心理学部の場所探しからだナ。周囲に気を付けつつ探すとしますカ」
肩を竦めた壱和は白猫を偵察に出しながら、広々としたキャンバスを歩く。目指すは美都も出席するであろう必修科目の講義室だ。
「……大学か。随分と懐かしい空気。日本の再現度は本当に真に迫ってますね」
周囲を見回した冬佳は斯うしたところも再現されているからこそ『日常を謳歌することが出来ている』のだろうとも考えていた。
素性も含め、本格的に学生に扮する冬佳は講義室の席に座って聞き耳を立てていた。大勢が飛び降りたこと、P-tuberのフォルトゥーナが配信を行って居たことも考えれば学内で静羅川立神教に関連した何らかが浸透している可能性も高い。
(……『恋叶え屋さん』の利用者の中でまだ飛び降りてない人もいる筈。情報統制が敷かれていようとも噂は芽吹きやすいもの)
その通りだったのだろう。こそこそと噂話が巡り出す。
「あれ、はっちゃんまだ?」
「忙しいんじゃないかな。るーちゃんも来てるんでしょ」
「あー、るーちゃんかあ」
『はっちゃん』と『るーちゃん』。学生達のその呼び名はどう考えても探している二人を指しているのだろう。
まだまだ講義が始まる前だが心理学部の必修講義を受けるために学生達は講義室で語らっているようである。
「どーもどーも、ケイオスイーツっていう料理の宅配サービスやってるもんですー。
良かったらチラシ貰ってってー。あ、そうそうついでに聞きたいんやけど、恋叶え屋さんとか素敵なお人がおるって聞いたんやけど~」
「はっちゃん?」
「はっちゃんっていうんか。いや、有名やん? そんな有名人にウチつこうてもろたら最高やん?」
揶揄うように笑ったカフカに「確かにぃ?」と女子学生が笑った。冬佳はそちらとは別に学生達が「国文のたー君、飛び降りたんでしょ」「あ、ミトがひっつけてあげたたーくんとりかちゃん?」と囁き合っていることに気付く。
(……やはり、大学生という年齢である以上はそうした『パートナー作り』の場に相応しいのでしょうね)
だからこそ、彼女の活動が此程に活発になっているのだろう。
「失礼。俺は探偵の國定というものだ。ちょっとした事件を調査していてな」
天川が学生を呼び止めれば「やば、探偵だって!」「え、マジで居るんだ!」と何とも気の抜けたような返答がなされた。
「このリストに載っている学生と八方美都、そして彼女と行動を共にしているであろう女の情報が欲しい。
些細なことでも構わないし、君が知らないなら知っている学生を紹介してくれてもいい。
ああ……それと、この写真の娘に見覚えはないか?」
矢継ぎ早に告げてから、なじみの写真を見せた天川に学生達は「女ってるーちゃんじゃね?」と学生が口にする。
「るーちゃん?」
「ルシアちゃん。何か、静羅川で保護されたとかなんとか? 結構苦労してるらしいよ。ミトが勉強の面倒見てるっぽいし」
どうやら学生達の中で八方 美都の評判は上々だ。気易く、恋を叶えてくれる彼女の後ろ暗い噂に関しては「あのミトに限って~」だとか「実家が静羅川に関わってるとか行ってたけど、まあ、子供もそうとは限らんからな~」などという軽口で躱される。
(……どうやら学生生活は上手くやっているようだな)
天川が知り得た八方 美都の人物像はそれ程悪くは無かった。だが、一人の学生だけは違うと首を振った。
――あいつ、人を売ってるよ。
そんな悍ましい言葉は定時連絡の時点で仲間達へと流される。定時連絡を確認してから涼花は『空』からの視点で確認を行って居た。
白椛大学は文系学科を多く有する大学なのだろう。恋愛相談をしたいと学生達に相談を行なえば自然な流れで『八方 美都』の話題が出たらしい。
(ミトちゃん、さんは九天 ルシアさんと活動して居る日は講義をサボりがち……ですか)
九天 ルシアと名乗る少女が静羅川立神教に身を寄せている苦学生だという話も耳に出来た。
それが真実であるかは定かではないが、ルシアの親友を名乗っている美都は彼女に世話を焼いているらしい。
「涼花ちゃんだよね、あたしは茅蜩 夏生。なっちゃんでいーよ。ミトちゃん見たら連絡したげるからね~。
てか、何処の学部の子好きなん? それとも出会いがなくて困ってる系? ミトちゃん凄いもんなあ、キューピット力満載」
一連の話しを教えて呉れた茅蜩 夏生という少女と連絡先を交換して涼花は「宜しくお願いします」と告げた。
遠巻きに見えたイレギュラーズの姿に、どうやら美都達は授業を受けずに別の場所に居る用だという事を察して。
事前に希望ヶ浜の伝承や記述を調べておいたマリエッタは未知か既知であるかが違うだけでも安心できると考えていた。
しかし、この場所は人造的なものである。各種の知識をより合わせても、何が正しいかまでの分別は中々付かない。
(これが、日常……。再現性東京にとっての当たり前。
これは…この世界に召喚されてしまった人たちの、心を守るための場所だったんですね)
混沌世界には有り得ないような、魔法も何もかもが存在しない空間。マリエッタにとっては慣れない空間ではあるが何処か理解出来てしまう部分がある。
(最初から、ずっとこの世界にいる私は……。
記憶を失って、何もわからなかったからとはいえ、似たようなことになってた可能性もあったかもしれませんね)
だからこそ、救済を求めたのだろう。死とは即ち、終わりだ。優しい終わりを求め寄り添う感情はどれ程に甘ったるいものであろうか。
敢て学生になりきらず普段通り過ごせば良いだろうかとマリエッタは心理学部の中で周囲をきょろりと見回した。
「恋叶え屋さんと…それを利用した人の事に興味があってね。
使ったこと有る人とか、知っている事があったら教えてくれない? 仲介してくれると嬉しいなぁ」
聞き込みを行って居る行人と同じようにマリエッタも学生達に「知っていますか?」と問うた。恋などはしていないが、憧れがあると口にしてみれば学生達は「ミトって人気だな~」「確かに。はっちゃんは人気だ」と笑い合う。
「図書館の方で見たって聞いたよ」
「行ってみますね」
礼を言ったマリエッタと合流したのはアレクシアであった。『恋叶え屋さん』という異名だ。何となく占い事が好きなものが詳しいだろうかと占いやおまじないを披露して情報を収集していたらしい。
「恋叶え屋さんって言うのは美都君が白椛大学に入学してから始めたビジネスだそうだよ。
普段は普通に学校に通ってるだけらしいけどSNS上での情報だったら『ちょっとしたおまじない』が繋いでくれるとか、何とか」
それが何であるかは分からない。詳細は企業秘密だと言われたがこの学内ではちょっとした有名人である彼女を捜し歩くアレクシアは図書館前に立っていた。
「ねえねえ、あたしのこと探してたのってさ、あんただよね?」
「……ええ、と」
「あたし、ミト! 八方・美都ってーの。あ、恋叶えちゃったりしてる系のヤツ。それからこっちがルシアってんの。宜しくね」
にんまりと微笑んで旧友のように声を掛けてきた美都にアレクシアはびくりと肩を跳ねさせて。
「アレクシア。よろしくね、美都君、ルシア君。実は興味があって……」
話を始めようとした刹那、アレクシアの視界には天川とカフカの姿が見えた。
「あ」
その声音に、天川の肩が揺れた。聞き覚えばかりがあったその声音。
(最悪だっ……! 九天ルシア!? 正真正銘の本物じゃねぇか!!)
彼方も、天川を認識している。指差して「あの人」と告げられた事で本人である事が理解出来た。
指先が小太刀にかかったが、此処で騒ぎを起こすわけには行くまい。耐えろと歯を食いしばった天川の傍らをすり抜けてからカフカはちら、と視線を送った。
「君が恋叶え屋さん? ちょーっと話を聞きたいんやけど、あ、これチラシね」
「え、クーポン? やった。友達と行くね。何?」
にんまりと笑った美都にアレクシアはとっかかりとして最初に「『恋叶え屋さん』ってどんな風にカップルを結びつけてるんだろう?」と問うた。
「相性が良さそうな人を美都君が引き合わせてあげたりしているのかな?」
「んー、まあそんな感じ。似た考えの人を出会わせてやればいいみたいな? それで企業秘密のおまじないもしてるワケ」
企業秘密と言うからには教えてはくれないのだろう。合流した行人が成程、と頷いてからアレクシアはカフカと天川と頷き合って次の質問へと移行する。
「都市伝説があるでしょ? 『恋叶え屋さんが』結んだカップルが、1ヶ月の経たないうちに失踪するって。あれって本当なの?」
「あー、って言われるよねえ」
「美都君にどこかに連れて行かれるっていう噂もあって。どうなんだろ? 私もそこへ行けたりしない? ダメかな?」
踏み込んだアレクシアに美都はイレギュラーズを眺めてから、にんまりと笑った。
「アレクシアちゃん、仲良い男子とかいる? 女子でもいーよ。一緒においで、待ち合わせ場所はメッセージに送るから。あ、けど『必ず二人だけ』だよ」
「……もう一つ良いか。自殺事件について調べている。八方が関わった男女が飛び降り自殺をしたという話しだが」
天川の問いに美都は「んー」と首を捻った。
「なんか、そうらしいよね。満足しちゃったのかな? ね、ルシア」
「……そうかも。でも、『良かった』ね。信じられる相手が居たんだもんね」
呟いたルシアに天川の表情が変化した。ああ、やはり――やはり本物なのだ、彼女は。
國定 天川が『殺し損ねた』女が目の前に立っているのだ。
「……腹減ったナ。確かこういう大学の食堂って一般にも開放されてんだよナ。
……周囲に怪しまれないためにも食堂から飛ばすカ。うん、自由に歩き回っていいってあったシ。おばちゃん、カレーセット1つ頼ム」
きゅう、と腹を鳴らしてから壱和は食堂でカレーセットを食べて居た。ファミリアーは心理学部の講義がよく行なわれている東棟の第三講義室で偵察を行ない続けている。
(オレ的には心理学部自体が胡散臭ぇと睨んではいるガ……)
心理学部である以上、そうした宗教的な心理面に一定の興味を示す者も多い可能性はある。
(静羅川立神教の情報が入れば御の字っト……)
ここで信者を増やしている可能性は捨てきれない。壱和は傍聴を行なうように肘をついてカレーを掬っていたスプーンを眺めた。
斯うして食事をしている間に誰かに声を掛けられる者も居るのだろう。恋叶え屋さんはそうやってパートナーを増やす。
大学構内で出会うことのなかった存在を結びつける――それも、上手く『自殺事件』へと引きずり込めるような要素を持ち得た者同士を、だ。
(……どこに居るか分からないってーのも面倒だよナ)
呟いた壱和の目の前で『恋叶え屋さん』の話しをする女子大生達は楽しげであった。まるで静羅川立神教なんて存在しないかのような『恋バナ』に花を咲かせ続ける彼女達。
「くしゅん」
「大丈夫、風邪?」
「んー、最近ダルくってェ……」
そういえば、食堂でも体調不良者は多く居た。そんなことを思いながら、壱和も図書館前の広場へと向かった。
ある程度の事情聴取を終えて、天川はルシアから視線を逸らすように背を向けた。
「協力に感謝を。失礼する」
さっさと帰路に着こうとする天川に続いてカフカは「またねぇ」と美都達に手を振った。それにしても、やけに寒気がする。
何だろうか。
――糸だ。視線が揺れ動いてから、固定される。
「どうかしましたか?」
「……」
「あの……?」
マリエッタが呼びかけるがカフカの反応はない。
「あ、マリエッタちん」
振り返ったマリエッタに美都は彼女の背後を指差した。
「後ろ」
くるりと振り返ったその先にはひらひらと何かが舞っていた。その先に、カフカが目を見開いて。
「ッ、いや」
引き攣った声だけが漏れる。
「いやいや……嘘やろ……?」
見上げるカフカは一歩後ずさった。マリエッタと冬佳は顔を見合わせ、アレクシアは「蟲」と呟く。
美都から視線を外さない行人と壱和に、ぼんやりと立っているルシアばかりを睨め付ける天川。
涼花は「知っているんですか」と僅かな不安を滲ませながら問うた。
「どうして、アイツが――」
青年は旅人だ。何の因果か気紛れにこの世界に誘われただけの炊事洗濯家事が得意な18歳の青年だった。
それでも、だ。
彼にはちょっとした秘密があった。
その日、どうしようもなく出会ってしまった。
思い出すだけで悍ましい、地を這い、糸を吐く巨大な蟲。
何事もない平凡な人生に、変化が訪れたその瞬間。
それは、青年の目の前で糸を九天ルシアへと絡めていた。
――コール音が数度。
『はい』
相変わらずの淡々とした返答にほっと胸を撫で下ろした天川は「晴陽先生」とその名を呼んだ。
「悪いニュースだ。元幸天昇の幹部、九天ルシアが静羅川立神教の八方美都と行動を共にしていた。
信じたくはないが本物だ。奴がいるならば、まず間違いなく地堂もこちらに来ているだろう……嫌な予感がする。全力で警戒してくれ」
『……はい。私よりも天川さんがご無理をしないか、心配ですが』
『あ、天川さんだ。お疲れ様』『お疲れ様、國定』『お疲れ様ですぞー!』
晴陽の背後からイレギュラーズの声が聞こえた事で彼女の無事はある程度保証されたようなものだろうかと天川は感じていた。
『はる、誰?』
『……ああ、イレギュラーズの探偵さんです。お世話になっておりまして』
妙に親しげに呼びかけてくる青年の声が聞こえてから天川は首を捻った。『また紹介します』とだけ告げた晴陽は『無理をなさらず』とだけ告げて。
●
規制線を乗り越えるのは容易ではなかったが、それでも人の目を掻い潜ることはЯ・E・D達にとって不可能ではない。
「進入禁止の中に居る人ってそれだけで何かある人だよね、絶対」
呟きながら中央センター街に入り込む。只管に歩き回れば、何処かに居るはずだ。強い不安を抱いた誰かの影が飴村第三ビルに向かっていくことにも気付く。
「……臭いと音だけでも、ここに『誰か』が居る事は判るはずだし。
なじみさんじゃなくても、どんな人が居るかは確認しておく必要があるよね。絶対に事件の関係者だろうから」
先に周辺調査を行なう事に決めていたЯ・E・Dは22時15分という夜間に一人で歩き回る女性がいることが可笑しいと考えていた。
「なじみさんが『自分で姿を消した』のに不安に思っていることがあるなら――例えば、そうだ。
なじみさんがやりたいことの成功率が著しく低い可能性もあるんだね。それが、この自殺事件に繋がっているのかも知れない」
そっと見上げた飴村第三ビルの上空からまたも影が落ちる。
――ヒュ。風を切る音。
Я・E・Dの視界に覆うように降り注いだ『人の形』は歪に崩れて消え失せる。まるで、何事もなかったかのように消えていくそれは何か。
SNSを眺めれば、相変わらず噂話が記載されていた。
[http://adept???.net]
希望ヶ浜の怖い噂を教えてくれ
――1:以下、希望ヶ浜住民がお送りします 2020/0?/??(?) xx:xx ID:p3pxxxxxx
教わった所に調査に行く。
Я・E・Dはそのスレッド内にあった『飴村事件』をまじまじと眺める。
――260:以下、希望ヶ浜住民がお送りします 2020/0?/??(?) xx:xx ID:p3pxxxxxx
飴村事件の詳細を知ったヤツが秘密裏に処理されてるんだろ、怪ビル
その際には事件は解決したようだが
「飴村第三ビル……廃ビルならおそらく此処以外にもあるはず。このビルでなければならなかった理由が、あったりするのでしょうか」
ミザリィはビルの内部へと入り込んでから周囲を見回した。割れた窓硝子は幾人かに踏み締められた後がある。
調査が行なわれた後だからだろうか、それとも映り込んだ紳士達の姿が此処にあるとでも言うのか。
「飴村事件が理由だろうかな。取りあえずは屋上を目指した方が良いっぽいしな」
SNS上で話題となっていた飴村事件は『怪ビルこそが夜妖』であった。突然異世界に入り込むという怪談は曰く付きの場所には存在して居るものである。
ニコラスは「嫌な匂いだな」とぼやいた。
ここに至るまで静羅川立神教とその中でも肥大化し始めた派閥である死屍派についての情報収集は終わっている。
「死屍派についてだが、死が救済ねぇ。……死んだ方がマシだってことはこの世の中いくらでもある。
いきるより死ぬ方がよっぽど楽だ。だが死んだ奴等について願えるのは生者だけ。
どれだけ辛い死に方でもどれだけ幸せな死に方をしたであろうともそこに意味を見出すのは生きてる奴らの我儘さ」
「そうですね。余りに理解は出来ません。勿論、相容れることも」
呟いたボディは飴村グループ所有の雑居ビルである飴村第三ビルからは第一、第二ビルの何方も見ることが出来るのだと気付いて居た。
だが、飴村第一ビルはオフィスやテナントが入居している様子であり、第二ビルは一部フロアを除けば人の気配を感じることが出来る。
やはり第三ビルか。立ち入り禁止区域となった廃ビルに紳士の姿が存在することは違和感を覚える。
そもそも、自殺事件に絡んでいるのは10代から20代。彼が自殺志願者である保証はないだろう。
「死ぬってのは一瞬だ。だから生きてる限り生き足掻かなきゃいけねぇ。それが生者の特権だからよ」
「それを、彼等の教義はどの様に捉えているのでしょうね」
呟いたボディにニコラスは分からないとだけ首を振った。
定と花丸と共にビルの内部に潜入したしにゃこはすんすんと鼻を鳴らした。
「美少女の香りならお任せあれー」
「ちょっと犯罪っぽいよね?」
「ええー」
頬を膨らませるしにゃこに花丸はくすくすと笑った。立ち入り禁止区域には人目を気にしながら少数ずつ入り込んだ。
規制線の向こう側にはいくらかの車両も存在したが気を配れば問題は無い。入り込んでしまえばある程度の自由は利きそうだった。
出入り口には自殺を図る人が居ないようにとバリケードを張った。異様な空気が漂う街並みを眺めてからシラスははあ、と息を吐く。
「しみったれた街だぜ。練達に来るとまるで異世界のように感じるけれど、再現性東京は違う。
慣れてみれば本当に何でもない街。多分あえてそうして作られているんだろう。
平穏を心から望んでるのは分かるが、逆に歪に感じる……だから夜妖やら怪異やらが生まれてくるんじゃねえかな」
異世界と告げるのは混沌世界ではナンセンスだとは分かって居るが、どうしても言葉にせずには居られなかった。
ビル内部に入り込んでからシラスは嘆息する。晴陽から聞いた情報だけでもどうしても気に入らないことがあったのだ。
「綾敷・なじみの母親の話だってそうだ。『娘』を愛しているのは分かるけれど、『なじみ』を見る気はないんだろう……まあ、いいや」
それが誰かのことに重なったのは、気のせいではない。
――カラス。呼んだあの朗らかな声がどうしても脳にこびり付いて離れないのだ。胸糞悪い、過去の情景。
シラスはビル内でうろついているのであろう『猫鬼と合流していた紳士』との接触を行なおうと考えていた。それはボディとて同じだ。
そもそも、立ち入り禁止区域内に『行方知れずになった少女』と同行している時点で疑われて然るべきなのだから。
「それにしても飴村グループってのは希望ヶ浜じゃそれなりに有名なんだろうにこんな雑居ビルを所有してるのか」
廃ビル同然だとぼやいたニコラスは自身等はオカルト好きのただの一般人という体で此度の捜索を行なおうと考えていた。
集団自殺の現場へと向かって階段を上がっていくが、その最中に見えた人影は異様なことに何処かに掻き消える。
「……何処に行った?」
不思議そうに其方を追掛けたニコラスにシラスは「向こうに誰かがいそうだ」と呟く。それも、斯うした場所には場違いな鮮やかなドレスの女の姿が壁向こうに見えたのだという。
「探してみるか」
「……会長もいいかな?」
呟いた茄子子に続き、ミザリィもゆっくりと歩き始める。最初に声を掛けると決めたのはミザリィだ。
茄子子は宣戦布告を目的にして居るため、現段階では『接触』も難しいだろうか。
「つかぬことをお聞きしますが、飛び降りるなら、やはり屋上のほうがいいのでしょうか?」
淡々と声を掛けたミザリィに一寸、僅かな間を開けてから「そうですわね。ご案内致しましょうか」とドレスの貴婦人が微笑んだ。
「何方のご紹介で此処に?」
「……まあ」
「ふふ。死こそが救済ですものね」
微笑んだ貴婦人は飴村偲と名乗った。彼女の背後にはボディ達の探す紳士の姿はない。
(死は救済。そうですね、それについては、否定も肯定も、私にはできません。
もし、多くのひとが唆されているのだとしたら、首謀者の目的は……?
悪戯に死者を増やしたいだけならこんな回りくどいことはしないはず……死体が回収されていないなら、生贄というわけでもないでしょうし。
蟲毒のような、呪詛のような、そういったものの類でしょうか……?)
考え込みながらもミザリィは偲と共に屋上へと向かって行く。ああ、そうなのだろう。
花丸は窓の外を見て引き攣ったように息を飲む。何度も繰り返し誰かが地面に打ち付けられていくような幻惑を見る。
死骸は悪戯に叩きつけられ、霊魂は挙って何処かに『消えていく』。対話さえも出来ず、何処かに誘われ消えていく其れ等は一体何か。
「……何が起ってるの?」
花丸の呟きにしにゃこと定は首を振った。
――蠱毒のような、何か。
死ぬまで戦わせるだけ。その場に誘って『より強い恨みや人の死を蓄積させることで』力を得る者が存在しているならば。
死骸など問題は無い。生け贄など必要も無い。地に凄惨な事件としてこびり付けば蓄積した噂は災いに転じる。寧ろ、そうした事を行なう事で精神的な不和を与え新たな死を集めるという側面もあるのだろう。
「……此処は、居心地が悪い」
学生服姿のサイズは壊れた監視カメラなどがないかと考えていた。出来れば呪物などがないか周辺を探したいが――どうにも『飴村第三ビル』そのものの居心地が悪い。
「何が映っている……?」
壊れた監視カメラを修理して内部録画データを見られないかと考え込む。修理には少しばかり時間が掛かるだろうが、内部の確認は出来そうだ。
断片だけ眺めたそこには、長い黒髪をだらりと垂らした女が首を傾げて笑っていた。
「君」
びくりと肩を跳ねさせたサイズは背後に紳士が立っていることに気付く。仕立ての良いスーツに身を包んだ老年の男だ。
「何をしているのかな。此処は立ち入り禁止ですが」
「……お言葉だけど、そっちもだろう?」
シラスの問い掛けに紳士は「ああ、コレは失敬。飴村のオーナーの友人でして、務史と申します」と丁寧に頭を下げた。
「君達は?」
「オカルトに興味があったのでね」
ニコラスがわざとらしく告げれば、ボディ――雛菊はおずおずと紳士に駆け寄る。
「私、動画で見た『救済』というのに興味があって……『ここ』ですよね」
無表情の儘、雛菊が見せたのは『人々が飛び込む瞬間を捉えた』動画であった。この様な教義には否定的だが、これも捜査には必要だ。
「ああ、そちらでしたか。そうです。お嬢さんと皆様方はその噂を聞きつけてきたのですね」
「……まあ」
頷いたサイズに務史と名乗る男は「素晴らしい着目点です」と頷く。
「実は私も妻と子を不慮の事件で亡くし、途方に暮れていたのですが……静羅川に救われました。
何せ、善を詰めば死後の世界で彼女らにもう一度会えるというのですから。それ程素晴らしいことはない」
自身の事を語る務史は目頭が熱くなったとでも言う様にハンカチで顔を押さえ「失敬」とだけ呟いた。
「皆さんも、良き出会いがあれば『もう二度とは離れないように』しましょうね。
ご案内しましょう。屋上に。……ほら、貴女も着いていらっしゃい。ああ、貴女は『ここではないあちら』に興味があるのでしたか――猫鬼」
●
屋上に飛行を活かして伝って行くミーナは屋上扉には鍵は存在していないのだと確認をして居る最中――何者かが訪れた事に気付いた。
「あー、居るなぁ。屋上に自殺志願者が。
キミたちの空は、あんなコンクリートで出来た足の着く場所なの? 違うでしょ。翼が欲しいなら、上を向かなきゃ」
くすくすと笑った茄子子は自身より先に屋上に辿り着いた青年の背中を眺めていた。
ミーナは「お前、まさか」と青年に声を掛ける。
青年の傍では10代の少女が体を縮こまらせてぶつぶつと呟いていた。
「いかなきゃいかなきゃいかなきゃ」
何度も繰り返される声に青年が「は。は」と浅い笑い声を漏す。
「いこう、いかなきゃ。ここからいけば、救われるよ。あっちにいけば、ずっと一緒に居られるらしいよ、ねえ、ねえ」
「そ、そうだ……そうだよねえ」
青年の方が腰が退けているのだろうか。ミーナは「止めろ」と青年の肩を掴むが少女は立ち上がり叫び始める。
「ああああああああ、いかなきゃああああ!」
「死んでも何もならないです! 超絶美少女天使に免じてとりあえず一旦死ぬのやめましょう!
お話聞いてください! 神秘を否定するのに死に救済を求めるなんて余りにも矛盾してます! あああ、聞いてないどりゃぁッ!!!」
しにゃこのラブリーフェロモンが『刺激的』すぎて10代の少女は気を失った。
屋上から下を覗き込んだサイズはひゅう、と吹いた風に小さく息を呑んだ。何も存在はしていないが、只、洞のようにも見える。
「霊魂は……『いない方が可笑しい』が」
ミーナは呟く。屋上には誰もいない。ならば、地上か。それとも。
ビルの内部に何者かの気配がしたが、それも直ぐに掻き消える。一体何があったのかさえも分からない。
「どうして、皆さんは飛び降りたのでしょう。いっそ、落ちてみたら分かるでしょうか」
「分かるかも、知れませんわね?」
とん、と背を押されてミザリィはふわりとその体を浮かばせる。
――空を求めて……と言っていましたか。
だとすれば、彼ら彼女らは……死にたいわけではなかったのかもしれませんね。
……飛びたかったんでしょうか。……飛べなかっただけかのかもしれませんねぇ。
ミザリィさんと叫ぶ声が聞こえた。咄嗟にしにゃこが宙を駆りミザリィの体を抱き留める。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……今、分かりました」
空を求めていた。急転直下で飛び降りて、向かう先に『新しい別の世界が存在しているかのような幻惑』
まるで――此処から飛び降りた先に別の世界が存在し、その場所で楽しく遊んでいるかのような謎の風景が脳に流れ込んだのだ。
「此処が、入り口なのかも知れません」
花丸はぐるりと振り返り「どういうこと!?」と叫んだ。一連の流れに驚愕し目を見開いた定は「入り口……?」と呟く。
「はい。先に――何かが……『飴村事件』……?」
誰も内容を知らない怪異譚。それが捻じ曲がって何らかの異空間でも作り出したと言うのか。
「入り口、かあ」
呟いたのは茄子子であった。
「空か、コンクリートか。どうかな。……貴方は、そう思わない? ──飴村 偲」
呼びかけに偲が僅かに眉を吊り上げる。
「貴方の事は知ってるよ。通信会社の女当主。これも貴方のとこのだよね?」
「ええ、回線は提供しておりますもの」
偲に背を押されたミザリィは助かった。どうしたことか、ふらつきながらもミザリィに続いて飛び降りようとした男の背中へと翼を与えてから茄子子は苛立ったように呟く。
「翼、生えたじゃん。でも、キミたちはまだ生きてる。おかしいね。死ななくても奇跡は起こる。なら、死は救済じゃないのかもしれないよ。
例えばそう、生きながらに翼を得られる……“なりたい自分になれる”宗教、羽衣教会なんかもあるからね。
死ぬとかいう、一番楽で責任を取らなくていいことを押し付ける宗教ってどうなんだろうね」
宗教同士。交わらぬ道がそこにはある。茄子子の眸には鮮やかな色は灯されない。存在するのはただの苛立ちだ。
「これは宣戦布告だよ、『死屍派』。悪い宗教は、羽衣教会が丁寧に潰してあげるから」
「まあ。怖い」
くすくすと笑った偲の背中に「飴村さん」と声を掛けたのは――なじみであった。
「なじみさん!」
呼ぶ花丸になじみは、否、猫鬼は驚いたように顔を上げる。
「心配してるのは越智内さんだけじゃないんですよ! しにゃ達もです!
一人で勝手に決めてひっそりと消えるのはナシです! お願いです! どうにもならなくなる前に協力させてください!」
叫んだしにゃこになじみは金色の瞳を輝かせて唇を噤む。
「そうだよ。猫鬼さんはヒントがあるって向かったけど、私達じゃ手伝えない事なのかな?」
花丸の問い掛けに「それは」と呟いてから猫鬼は何かを迷ったように背後へと視線を送った。
背後に立っていたのは飴村偲だ。飴村グループの女社長は渋い表情を浮かべて一行を眺めている。
「猫鬼、行きましょう」
声を掛けられたなじみの肩がぴくりと動いた。
「なじみさん、もう遅いぜ? 帰ろう、送って行くから……」
声が震えた。定はそっと手を差し伸べるが、なじみは――『猫』は困ったように笑うだけだ。
お願いだ。どうか。
どうか、頷いてくれ。何時ものように手を握って「帰ろう」と笑ってくれ。
何かを企んでいるのは紳士や飴村に違いない。違いないと、思いたかった。
海に行ったとき、彼女の様子が変だったことも気付いて居る。彼女が猫に喰われる日が来ることも知っている。
まだ、何時も通りの日常を。越智内 定にとっての『非日常ではない日常の象徴』を。
もしかすると、それを押し付けてしまっているのか――?
「なじみさ、」
眸の色が、若草色に変わった。美しい、柔らかな色彩。
少し、近寄った彼女が手の届く距離に立っていた。定は手を引くことも、抱き締めることも出来ないままに彼女を見詰める。
もう一歩。それから、肩口に触れるように額が押し付けられる。
二人で自転車に乗っていた時よりも、ぐっと近付いた距離に定は「なじみさん」とその名を呼んで――
「ごめんね」
ぽつりと毀れた言葉に定は喉奥から引き攣った声が漏れた。後ずさるように離れたなじみの手を取ることも出来ない。
呆然と見詰める定になじみは困ったように笑った。
「花丸ちゃん、しにゃこちゃん、定くん。
あのね……あと少しだけ、少しだけ待ってて。
定くんに馬鹿だなあって笑うけど……けど、私も馬鹿だなあ、頼ることが、下手なんだもん」
困ったように笑ったなじみに偲が「行きましょう」と声を掛ける。
「はい」
「なじみさん!」
「――『飴村事件』」
ぽつりと呟かれたその言葉の後、なじみは偲に従うように背を向けた。
「先輩」
気付けば、彼女が後ろにいる。
「先輩達」
黒い髪の、何時だって後輩の可愛いあの娘。
「……夢華ちゃん」
現川 夢華は笑っていた。
「なじみんは、優しいんですよ。だって、だってね? 先輩達とずぅっと一緒に居たいって言うんですもの。
その為には、猫をどうにかしなくっちゃいけませんよね。何れだけ危険だって、それでも。
生き物は味を覚えたら、どうしようもなくそればかりが欲しくなっちゃいますからね。
ああ、それに――そう。猫鬼は『呪詛』ですもの! ねえ、先輩、呪詛って知ってます? 呪いは、返せば終わりですから」
くすくすと笑った彼女は振り向けば何処にも居ない。飴村ビルの外から聞こえたサイレンは次第に近付いてくるかのようだった。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。
猫は気紛れですが、ほんの少しだけ、ちょっとだけ、考えることもあるみたいですね。
GMコメント
このシナリオは11月11日22時15分~11月14日のあいだのおはなしです。
レトゥム第一話。はじめましての方も、何方様でもどうぞご参加下さいませ。
(※長編シナリオはプレイングが公開されません)
●目的
・綾敷 なじみを見付けること
・静羅川立神教『死屍派』の調査
●行動指針
以下のような行動を行う事が出来ます。
今回は『調査段階』です。それ程難しく考えず気になることを調査してみて下さいね。
【1】東浦区の調査
希望ヶ浜東浦区(なじみの出身、現住所地)での調査です。
東浦区中央センター街では集団自殺が起ったことから周辺は立ち入り禁止となっています。
が、皆さんなら潜入は可能でしょう。飛び降り現場は雑居ビルです。廃ビルとなっているようです。
おや、ビルの名前は……【飴村第三ビル】というようですね。
周辺では立ち入り禁止にもかかわらず紳士の姿も見られます。
周辺地形は特筆するならば坂が多く、地方都市の印象を受けます。繁華街もやや古びた印象です。
雑居ビルが建ち並ぶ場所が東浦区中央センター街です。
また、東浦区は【希望ヶ浜の北側】ですので調査にはプラスアルファで澄原病院も含まれます。
――時間経過で、また、人が落ちてくる。
・『猫鬼憑き』綾敷・なじみ (p3n000168)
猫鬼に憑かれた少女。夜妖憑き、普通であろうと考えている怪しくないなじんでる女の子。
誰に対してもフランクで、誰に対してもお友達だと笑ってくれる女の子です。
11/11 22:15~姿を消しています。現在行方不明中。
aPhoneは繋がりません。
・澄原 晴陽 (p3n000216)
病院での調査業務をしています。なじみの心配をしているようです。
最近風邪などで病院を訪れる者が多く、其れに違和感を懐いているようですね。
・『猫鬼』
フォルトゥーナが配信した際に彼女の姿がこの地で確認されました。
何処かに姿を消したようですが……その際には飴村 偲や『紳士』と合流していたようにも見えます。
・『紳士』
飴村グループの所有する雑居ビルの内部を歩いている老人です。詳細不明。
・飴村 偲(あめむら しのぶ)
通信事業を手がける飴村グループの会長。飴村第三ビルの所有者です。
跡取り息子を不慮の事故で亡くしたとされています。詳細不明
【2】フォルトゥーナの路地裏集会への参加
P-tuberのフォルトゥーナへの接触を行えます。静羅川立神教の信者である以外は分かりません。
路地裏周回はフォルトゥーナが配信の際に募集するオフ会です。10代が中心に集合するようです。
真城曰く、集会では「ちょっと危険な世界」を覗くために夜妖との接触が行なわれるようですが……。
・悪性怪異:夜妖<ヨル> ????
フォルトゥーナが会いに行く夜妖です。
どの様な存在であるかは分かりませんが戦闘が必須になる選択肢です。
放置すると普通に10代の子供達が死にます。
・フォルトゥーナ
P-tuber。フォルちゃんと名乗っている『表向き』戦闘能力の無い少年です。
若年層に人気を博しています。
・真城 祀(ましろ まつり)
澄原 水夜子 (p3n000214)の従兄。澄原病院の営業職です。表向きは。
現在は静羅川立神教に潜入中。フォルトゥーナとの接触を目指します。
・若宮 蕃茄 (p3n000251)
蕃茄、遊びに来た!!!!!神様だったもの。フォルトゥーナのリスナーです。
・オフ会に参加する10代の少年少女 *10名
面白おかしく遊びに来た10代の少年少女達です。夜妖の事なんてこれっぽちも知りません。
【3】私立白椛大学心理学部への調査
希望ヶ浜に存在する私立大学。事件で死亡した男女の大半は白椛大学の生徒だったようです。
此方での調査を行う事が出来ます。『恋叶え屋さん』として有名な『ミトちゃん』と関わっていた者達が事件に関わっていたようです。
・八方 美都(はっぽう みと)
県立白椛大学心理学部に通っている少女。所謂彼女が『恋叶え屋さん』。
何処に居るかは分かりませんが目立つ少女なので聞き込みを行なえば逢える可能性があります。
彼女自身も静羅川立神教の信者のようですが。
・九天 ルシア
ミトちゃんと一緒に行動していた少女です。彼女は静羅川立神教の信者のようですが……?
・????
糸を吐く蟲です。小さな花弁のような蟲が周辺を飛び回っているようです。
●情報精度
このシナリオの情報精度はEです。
無いよりはマシな情報です。グッドラック。
自由に歩き回ってみましょう。それでは、いってらっしゃいませ。
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