PandoraPartyProject

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玲瓏郷ルシェ=ルメア

 流れを失った水はやがて澱み、腐り果てる。
 永劫にも思える平穏は、永遠に等しい無変化で、同時に残酷で優しい微睡のようなものであった。
 もし『彼女』の下に『運命(ダンテ)』が響かなかったなら、ルシェ=ルメアはもっと完璧だっただろう。
 もし『彼女』が『運命(リア)』を宿さなかったなら、ルシェ=ルメアは常に完全なままだったのだろう。
 さりとて、過ぎ去った日は戻らない。永きを生きた大精霊のたかがほんの一時(じゅうすうねん)は取り返しがつかない程に遠かった。
「……違うわね」
『永遠の淑女』は見るに堪えない程に下手な嘘に嘆息した。
「『もし時が戻ったとしても、恐らく私は全く同じ選択をするのでしょうから』」
 自分さえ騙し得ない欺瞞に何の意味があろうというものか?
 幾つかの局面において後悔が、或いは失意が皆無であったとは言えないまでも。
 幾つもの局面においてこの最悪は常に最愛だった。
 自身の頬に、唇に触れた熱い指先の熱も。玲瓏郷の静けさを無遠慮に破ったあの泣き声も――
 玲瓏公ベアトリクスにとって何処までも繊細な色彩だった。
 変化の無い世界に訪れた色褪せない福音であるかのようだったから。
「……でも」
 だからこそ。
 深緑が大いなる厄災を迎え、存亡の危機に立たされているからこそ。
 完璧も完全も失ったルシェ=ルメアが決断しなければならないのは確かだった。
 混沌にありながら混沌にない。次元の狭間、小さな揺らぎ。有り得ざる歪、幽かな例外。
 外界からアクセスするには難しいこの場所は領域そのものが『遥か美しき願いを届ける願望機』である。
 得る者が得れば――例えば、今まさに『外』で深緑の為に力を振るう特異運命座標が得たならば、それはあの茨をも寄せ付けない拠点になろう。
 聖なるかな、二竜と大精霊の庇護を受けたこの場所は一時、彼等の力となり、怠惰なる七罪を打ち破る為の切り札となり得るやも知れない。
 元より、最も旧き盟約は深緑と玲瓏郷の互いに守護の義務を交わしたものだ。

 ――だが。外界より押し入って来るものならば『例外』で済もうが。

「フォウ=ルッテ」

 ――己から外に道を接続すればそれは不可逆になろう?
   外敵ならば話は別だが、世界の理には歯が立たぬ。
  『守護』の契約の遵守が為に、主は玲瓏郷を消し去るか?

「茨紋」
 無数の光を跳ね返す湖の上に薄ぼんやりと光彩を放つ竜の巨影が二つ。

 ――盟約も相手だけに滅べという筋は無いと思うがね。良いのか? 貴様も消えるぞ?

 畳みかけた『フォウ=ルッテ』の直言に苦笑いを浮かべたベアトリクスは「そうね」と瞑目した。
 元々不安定なルシェ=ルメアは混沌との接続で、その復元力で呑まれてしまうだろう。
 一時の奇跡だけを残し、元からそんな場所等無かったかのように。
『彼』と過ごしたあの時間も、『彼女』を抱いた夜も消え失せてしまうのだ。
 そしてそれはルシェ=ルメアと色濃く繋がる自身さえも例外ではない。
「フォウ=ルッテ、それは不満かしら」

 ――『人』の考えるは分からぬ。
   元より我等は彼奴との対決に敗れ、約定に従いこの地を守護したまで。
   玲瓏の主たる貴様がそれを望むのならば、口出しする謂われなぞ無い。

「茨紋。貴方は?」

 ――好きにせよ。あの女(ミシェル)も流石にこれだけの義理を果たせば我を締め上げる事も無かろうよ。

「唯の約束なら――盟約なら」
 ベアトリクスはやや独白めいてそう言った。
「それだけなら、見ない振りも出来たかも知れない。
 それだけなら、確かに茨紋の言う通りだわ。約束でも出来る事と出来ない事はあるのだから」
「でも」と否定の言葉が宙を揺蕩う。
「……聞こえたの」

 ――何を聞いたのだ?

「愛しい音色を」

 ――感傷的だな。

「感傷的よ。今までで一番ね。愛しい、愛しい音だった。私の、私達の音色(クオリア)。
 世界にたった一つしかない、音を聞いてしまったのよ」
 ベアトリクスに迷いは無く、永遠で完全だった世界は充足を捨て、徐々にひび割れ始める。
「――そうしたら、娘の為に頑張れない母親なんていないものなの」


何かが起きているようです……

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