シナリオ詳細
<希譚>蛇蠱
オープニング
●『凶の長持』
この地には、嘗て風土病が存在した。
故、近付いてはならぬ。
故、恐れなくてはならぬ。
島に移り住んだ『ゴトウ』達は皆、病に冒された。
神の怒りだ。それを鎮めるならば供物を捧げねばならぬ。
――この長持を開ければその病は抑えられよう。だが、有柄を信仰せぬ者は呪い死ぬであろう。
島に入れてはならぬ。
島に入れてはならぬ。
島に余所者を入れれば有柄の神を愚弄する者が現れるやもしれぬ。
「開きませう」
卜占を行うゴトウの女は言ったという。
風土病が発生したのは祟りである。この島は神聖なる有柄の棲まう地だ。
踏み入る者はアリエの御身を穢した事となる。元より、この島に棲まう者はアリエの所有物である。
蛇蠱と呼ばれる彼女達は信心深くアリエを支え続けてきた。
蛇蠱が儀式を執り行い母なるアリエに還る事でアリエはその力を誇示できるのだ。
「私が神の御身に還りましょう」
女は言ったという。己のようにアリエの声が聞ける者が儀式を行い続けるのだ。
長持は母なるアリエの胎へと祀り二度とは開く事が無きように風土病を封じ込めておきなさいと。
「良いですか。今後も生まれてくる蛇蠱達はこの儀式を行うのです。
其れだけで足りないならば小芥子を身代りとするのです。アリエの胎を満たすのは人の凶兆。
……我らの神アリエは吉兆を齎すために凶を喰らわねばならないのですから」
――――それは、葛籠 檻(p3p009493)が『彼女』から聞いた『有柄の昔話』であった。
彼と名の重なった民俗学者、作家『葛籠 神璽』の手記にもこう書かれている。
・外部の人間に『小芥子』を渡すことから『子化身』と字を宛がう。
・『子化身』となった人形は外部の『有柄以外の人間の因果』を受けて神の許へと奉納される。
神というのは信仰によって人を救う。そして、巣喰う存在である。
神様など、人が信じなくとは成り立たぬのだと。
●
「暗い表情ですね」
澄原が有する屋敷の一つは実質的に希譚の調査の為に澄原 水夜子 (p3n000214)が利用していた。
元はと言えば、希望ヶ浜を拠点としている従姉の澄原 晴陽 (p3n000216)の居所であったそうだが、病院に詰める彼女は近隣のマンションを拠点としており、ほぼ水夜子専用の『秘密基地』の状況なのだそうだ。
コンビニエンスストアで適当に購入してきた菓子を雑多に並べて情報整理を行っていた水夜子へアルテミア・フィルティス(p3p001981)は「笑える話ではないからね」と肩を竦める。
「みゃーこは朗らかだな。ああいう『もの』を見たというのに」
「まあ、ああいう『もの』は怪異にはツキモノですから」
ラダ・ジグリ(p3p000271)はフランクに微笑んだ水夜子に肩を竦めた。
逢坂地区に存在する有柄島での海祭りに参加を行ったイレギュラーズ達は『調査』をする為に島民の目を掻い潜って山や海へと向かった。
祭りは盛大に行われ島民達も成功だ、此度も上手くやれたと盛り上がっているそうだが――新道 風牙(p3p005012)は納得することが出来なかった。
幾人もの目の前で滝壺から身を投げた『巫女』達。手を繋ぎ、小芥子を投げ入れていった彼女達は最後、滝の濁流に身を呑まれたのだ。
「供物が落ちて来ただけ、でした。それ以上を恐れても『アリエ』にとっては良いこと尽くめでしょう」
息を吐き出すミザリィ・メルヒェン(p3p010073)にヴェルグリーズ(p3p008566)は頷いた。
山の頂点、丁度『蛇の首』と称するべきその位置の滝から、水に飲まれて海の中に存在した洞へと巫女の身体は流れてきた。
引き摺るほどに長かった装束が連なり足を隠しては蛇を思わす様子。その周囲に揺蕩う小芥子の異様さは何とも言い難いものであった。
「まあ、逢ったことある人だったしー。
私ちゃんと話したいみたいだったし。食いしん坊だったのかなあ。蛇のお腹は生暖かそうだしなあ」
茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)の目がぐるりと動いた。水夜子は秋奈に『先輩』の――音呂木神社の――お守りを手渡した。
「熱ッ――」
「反発し合うのですね。音呂木の『神』と逢坂は。……まあ、何方が信仰(ちから)が強いかならば明らかに前者ですから」
秋奈で『実験』でもしているかのような水夜子は「檻さんと秋奈さんはアリエ様に気に入られましたね」と告げた。
頷いた水瀬 冬佳(p3p006383)は「あの洞は蛇の胎。……安堵を与えたのは母に抱かれているという感覚だったのでしょうか」と首を捻った。
「それで、これからどうなさるのですか? 此方の存在を『アリエ様』が認識しているとなれば……」
「ええ。島に潜入して真性怪異を封じなくてはなりませんね。
そも、アリエ様というものが何処を基点に始まったか――推察してみましょうか」
水夜子に冬佳は頷いた。
まずは、仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)が気にかけ続けた長持だ。それに風土病を封じ込めているというのはどういうことか。
「そもそも『蛇蠱』というのは本来は蛇憑きなどではなく風土病を指していたのではないか?
風土病患者が存在して居た事からそれが転じて征き――恐怖が『アリエ様』を作り出した」
「島に近付くな、というのも後天的に付随した風土病を避けるための内地の人達の言葉だったのかもしれませんね」
ミザリィはそれならば納得が行くと頷いた。
「山頂で見た女の子……彼女は次代の『蛇蠱(ぎしきのみこ)』だった、か」
風牙はどうやって封じるんだと頭を悩ませた。
「神様の神託を聞くために儀式を執り行い、贄を捧げるのが通例です。
ならば、その落ちた先の洞に何らかの変化があった筈。そちらに存在する長持を封じるのです。
儀式の出口となる『洞』――つまり蛇の腹の中に飛び込み、その内部の怪異を撃破し、神様の加護を遠ざけましょう」
作戦は簡単だ。
あの島そのものが『アリエ様』であると認識されている。つまりは真性怪異の身体の上を練り歩き、真性怪異の腹へ飛び込まねばならないのだ。
蛇の身体は柔らかい。まるで、此れが神の身体だと認識した途端に擬態を解いたかのようにぐにゃりと歪む感覚を与えるのだ。
「内部の想定怪異は?」
ヴェルグリーズの問い掛けに水夜子は「巫女です」と言った。
「犠牲となった巫女達。その残穢と呼ぶべきでしょう。
其れ等を斥けて長持へと近付く。儀式が終わったばかりで『アリエ』も眠りに付く頃でしょう。
次の海祭りまで眠っているならば好都合。贄はもう捧げられているのです」
そしてその贄となった巫女達はもう亡くなっている。救う手立てさえもない。
その巫女達を以て真性怪異をその地に封じるのである。
「やってみましょう。気をつけることは二つ。
島民には気付かれないように。それから……アリエ様に『飲み込まれて仕舞わないように』です」
これは両槻の怪異と比べれば古株。一時的に封じる空いてでしか無いのだと水夜子は告げた。
古木・文(p3p001262)は逢坂に来る切欠となった『朱殷の衣』もこの蛇蠱達の血潮で染められたものだったのかと思い当たってから苦々しく嘆息した。
いや、違うか。
あの衣は『嘗て島に潜入して粗相を起こした者の血潮であった』とするならば――
「本当に怖いのは人、か――孤島って密室だね。何が起ったって『外の人間は罪に問うことが出来ない』からね」
- <希譚>蛇蠱完了
- GM名夏あかね
- 種別長編
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2022年07月21日 22時05分
- 参加人数30/30人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 30 人
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参加者一覧(30人)
リプレイ
●蛇の胎I
有柄の島へと渡る前に『反撃の紅』ブランシュ=エルフレーム=リアルト(p3p010222)は「えーと」と首を捻った。
「整理するとアリエ様っていうのは、恐怖が集まった存在で、その贄となった巫女達はもう亡くなっていて……」
つまりは――『おばけ』だ。
青ざめたブランシュに澄原 水夜子 (p3n000214)は「そんなに怯えないで下さいよ」と微笑んだ。
今一度、島へと渡る前に『桜舞の暉剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は音呂木・ひよの (p3n000167)の居る音呂木神社へと足を向けた。何かあったときのためにと購入した鈴飾りに念を入れておいて貰うためだ。
「はい。私が念じる程度ならば幾らでも……ご足労をかけましたね」
「あはは。ひよの殿との縁があれば御守りもよりご利益を増しそうだし……必ずただいまを言いに戻ってくる、帰り道は任せたよ」
彼女が自分たちにとっての帰り道である事をヴェルグリーズはよく知っている。彼女を取り巻く特異な環境が真性怪異に厭われることだって良く分かっていた。
頷いたひよのは待っていることしか出来ない。何せ、真性怪異達は音呂木の血筋を酷く嫌っているからだ。
彼が帰って来るというならば信じて待っているしかあるまい。ひよのは「どうぞ気をつけて」とその背中を送り出した。
「漸く、辿り着けるか。今まで追い続けた甲斐があったというものだ――王手だぞ、アリエ」
呟く『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)の瞳は怪しい色を宿していた。黒々とした海は蜷局を巻くようにさざめいている。頬へと伝う汗は蒸し暑さから来るものであろうか。ホログラムで作られた遠方の海も、本来ならば存在し得ない海と言う環境下を人為的に作り出した弊害が存在して居るとでも云う様に人の念は渦巻き続ける。
(あの時、語り掛けて来たのは真性怪異か巫女のうち誰かか。いずれにせよここに役者は揃っている。
本当は逃げたかったのか。自分が祭で贄になった時に……今もなお)
その結論は出てやこないか。『天穿つ』ラダ・ジグリ(p3p000271)は音呂木神社にて塩、日本酒、お守りの準備を願い出た。他国の出身であるラダにとって特異的な場所である再現性東京<アデプト・トーキョー>での文化は全容を理解するにはまだ至らないだろうか。
「蛇は煙草の吸殻を嫌うと聞くな。吸殻を浸しといた水、スプレーにして持っていっとくか」
「準備万端ですね」
にこりと微笑んだ水夜子に「まあ」とラダは緩やかに頷いた。何があるか分からない存在であるからこその真性怪異。
例えば、『銀青の戦乙女』アルテミア・フィルティス(p3p001981)の心に痼りのように残り続ける『石神地区の怪異』は真に封じられたとは言えない。イレギュラーズ幾人かにマーキングをし、来名戸神本体が外へと出てこないだけであの地に縛り付けられていることには違いない。
両槻にて年若い神霊であるハヤマの分霊を封じ、その存在そのものも蕃茄の名で縛り付けることが出来たのはあくまでもその神性が脆く幼かったからに他ならず、石神の例の通りこの逢坂の真性怪異は精々、時間稼ぎとして封じることしか出来ないだろう。
「準備は万端――だが、はぁ。悪りぃな、みゃーさん。悩みに悩んだがよ。
今回俺は洞の方には行けねぇや。ちょいと野暮用ができちまった。今度この埋め合わせは絶対するから許してくれ」
手をぱん、と合わせて『名無しの』ニコラス・コルゥ・ハイド(p3p007576)は水夜子に頭を下げた。驚いた様子で目を丸くした水夜子はニコラスをまじまじと見詰めてから首を振る。
「ええ。怪異を目の前にして己の心に従うことは悪い事ではありませんから大丈夫ですよ。
その野暮用……きっと、ニコラスさんなら称賛がありますよね? なんたって私を置いて行っちゃうんですから。ねえ?」
「分かって言ってんだろ?」
「結構な付き合いになりません?」
くすくすと笑う水夜子にニコラスはがりがりと頭を掻いた。彼の『野暮用』――それは山頂付近で目撃された少女の事である。
逢坂に根付いた真性怪異は島そのものを神体として捉えた奇怪な構図だ。蔓延した風土病。それでも土地を捨てきれなかった彼等は山の神に贄を捧げ儀式を続けることで風土病の発症を抑え込んできた(と、考えた)。贄とは信仰の象徴そのものだ。
「少女を攫えりゃ真性怪異の力を将来的に削れるかもしれない。なんて打算がないわけではねぇがよ。
そんなことよりも被っちまったんだよ。名前を喪った少女とな。……なぁ木偶」
呟いたニコラスが呼んだ名。アルテミアの唇が僅かにざらついた息を吐き出した。木偶、と呼ばれていた贄の娘。古今東西、閉塞的な村の信仰には贄の存在が付き纏う。詰まり――彼は贄として育てられた少女のその身に思うところがあったという事だ。
「おそらくだが、これが有柄島での最後の依頼だろう」
周辺確認を行ってから『チャンスを活かして』シューヴェルト・シェヴァリエ(p3p008387)はそう告げた。島へと渡るためにチャーターした船のエンジン音がやけに響く。彼の耳は心霊的存在の声をよく聞く霊魂疎通にも似ていた。生者と死者の明確な線引きが行えてなければ、それは自身の寿命を縮めることに通じている。其れを彼が分からぬ訳がない。
死者が隣人として存在して居るという事は現実に悪意的に侵蝕する可能性があると言うことだ。『闇之雲』武器商人(p3p001107)はくつくつと喉を鳴らした。島へと渡れば生ぬるい感覚に安堵を齎す様な気配がするだろうか。
残り香のようにその身を包んだ煙草の香りに、清めの塩。武器商人にとっての安堵とは愛おしい小鳥(はんしん)と共にあることだ。鳥籠の中に封じ込めておきたいと願うほどに愛を啄む愛おしい小鳥。存在を強く認識する度に、島へと向かう船の中で決意は新たになって行く。
――我(アタシ)がかえるべき場所は此処ではない。
ならば、彼と共にあれば有柄に取り込まれるのか? いいや、そんな事もない。所詮は神に捧ぐ供物の一端とされるに違いない。そうも感じれば隣人へと沸き立ったのはちりちりとした嫉妬心であった。許せるものか、唇が吊り上がり笑う武器商人の頬を生ぬるい風が撫でた。
船着き場に辿り着いた船を見詰める幾つもの視線。海祭りの時とは大きく変化した島民達の仕草に『陽だまりに佇んで』ニル(p3p009185)はぐうと息を呑んだ。向かうべき場所は定まっているというのに、島民達から向けられる視線の一つ一つが閉塞感そのものを感じさせる。
「薄気味悪いというか排他的というか……過ぎた信仰心ってぇのはどこまでも人を狂わせるのね。
……それを食いもんにするカミサマとやらも気に食わないんだけど」
嘆息し、煙草を携帯灰皿に乱雑に押し遣った『慈悪の天秤』コルネリア=フライフォーゲル(p3p009315)は嘆息する。
煙草のにおいを纏う女を非難するような瞳は、幾人かのイレギュラーズを同じような目で見詰めていることが分かる。どうやら、この島では煙草は余り好まれないらしい。
(蛇は煙草を厭うとは言うけど――まあ、此処まであからさまに嫌悪感を丸出しにされりゃ、それも信用できそうだわ)
コルネリアは冷めた視線を島民へと送っていた。生温い空気感に旧い因習の島。閉鎖的なその場所は酷く排他的で立ち入る者を選別している。
だが『黒狼の従者』リュティス・ベルンシュタイン(p3p007926)は誰かに確かに手を掴まれた感覚を覚えた。それが以前の『沖の島』での出来事だったからだ。誰が掴んだのか、何だったのか。その理由(わけ)を識るためにも此処までやってきた。
「水夜子様、必要準備は一応用意してきましたが……人手が足りないときはお手伝いを願っても良いでしょうか?
出来うる限りは私が引き受けます。必要物資も手分けして人目に付かないように運び込めば良いでしょう。村に残るイレギュラーズも多く居ますから」
リュティスは清めの塩以外に真水等、水夜子が文献より調べた封じの術を幾つか準備してきていた。酒に生卵と言った蛇の好みを熟知し、神を鎮め神に眠っていて貰うために。敢えて心に宿すのは敵愾心ではなく其れそのものに共存するために平伏するという気概であったか。
「有り難うございます。気をつけて下さいね」
「……ええ。お守りも持ち合わせておりますから」
それは主人からプレゼントされた黒狼の懐中時計であった。何らかの作用があるわけではないが信じることこそ大切なのだと彼女はよく知っていた。
●因習の村I
「真性怪異……ね」
『煉獄の剣』朱華(p3p010458)の覇竜領域(クニ)では竜を信仰する者が居る。それらと同義なのだろうかと呟いた声音はあまり意味を成さないか。
「アッチもただの人ではどうにか出来るようなモノじゃないもの、普通は。
――何れにせよ、何かを犠牲にして生きながらえるなんてやり方は真っ平御免なのよ」
唾棄すべき現実が其処にはあるのだと言いたげに朱華は呻いた。神様だか仏様だか識らないが邪魔をするのは人間の勝手なのだから。
「……神様仏様だか何だか知らないけど、邪魔させてもらうわっ!」
村の中に灯されたのは眠りに就かぬ民家の明かりであった。イレギュラーズ達が訪れた事で僅かな喧噪と警戒を露わにした島民達の視線を逃れるように朱華は山道を登っている。
さくさくと、踏み締める地面の泥濘に足を取られぬように『絶塊』百合草 瑠々(p3p010340)は器用に地を踏み締めた。可愛らしいスカートに絡まった蜘蛛の巣を僅かに眉を寄せてから払除ける。
「……神や仏を信じてるわけじゃないが、いざ実際にそれらしいのがいると見せられちゃどうしようもねえな。
片手念仏唱えるにゃまだ早い歳だと思ってたが、そうもいかないって事か。じゃあ一つ、蛇蠱とやらを拝みに行って、拝借するとしますか」
その名を口にした瑠々は薄ら寒さだけを感じていた。贄となるべき蛇蠱(へびみこ)。その選別がどの様に行われているのかを彼女達は識らない。
それでも誰かが犠牲になることは許せやしないと助けを呼ぶ声を探す『なけなしの一歩』越智内 定(p3p009033)は真摯な表情を崩す事はなかった。
「この島の慣習を思うに、救助要請の声が届くかは微妙だね」
そもそも助けなんて求めていないかも知れない。陰湿な因習。それは端から見ればの話であり当人達にとっては当たり前に行われていることであったのかもしれない。
「ヒーローよろしく罪なき子を守るためと謳っても良いのですが……贄が絶えたらどうなるのか、気になりません?」
「……まあ、確かに」
「風土病が本当にあるのか、あるとしたらどんなものか、はたまた天変地異など起こったり、密室殺人よりもっと不思議なものが見れるかもしれませんよ、うふふ!」
おっとりと笑った『薄紫色の栞』すみれ(p3p009752)の言葉にびくりと肩を揺らがせたのは『ひつじぱわー』メイメイ・ルー(p3p004460)であった。
山に居たという贄の少女。繰り返される負の連鎖。蛇の姿をしているという事がどういう成り立ちであったとしても『外』に繋げてやれば何か変化するのではないかとメイメイは考えていた。
「風土病……が、もしなかったら……どうして贄に、なっていたのでしょう……?」
メイメイの呟きにすみれは「どうしてでしょうね。けれど、再現性東京<アデプト・トーキョー>だからこそ考えられることはありそうです」と意味ありげに微笑んだ。
その言葉を聞きながらニコラスは「教えて呉れなかったんだろうな、誰も、外の事なんて」とぼやいた。自身は贄になる少女に外を教えてやりたかった。だが、何れだけ言葉を重ねようとも定が不安視したように『生まれたときからそうだった』ならば――石神の少女のように外に触れながら因習から逃れられなかったわけではないとすれば――どの様な声を掛けても外を望むことはないのかも知れない。
「……やるせねぇな」
呟きは生温い風に包み込まれた。山道を進む一行はほの明かりを揺らがせながら、草陰に潜み村の喧噪をやり過ごすのだった。
「――この島の歪んだ風習を断ち切り、島の人にこれ以上の犠牲を出させないように。『凶の長持』を、真性怪異を封じる、か」
そう呟いた『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)は島民達に作戦が妨害されないように村の程近い洞と村の間に位置する場所に身を潜めていた。
海に潜らず進むための道は山間をぐるりと大回りして行くらしい。どうにもその道中が蛇が蜷局を巻いているように感じたからだ。
いざともなれば闇討ちする覚悟で息を潜め身を隠す。背後に潜んでいる風牙を一瞥してから『導きの戦乙女』ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)は村人達が松明を手にイレギュラーズを探そうと動き出していることに気付いて居た。
「やれやれ……何かに縋りたいと思う気持ちはよくわかる。それが神という強大な力なら猶更だ。
それに頼っていればなにも起こらないのだからな。ああ、私にはまったくもってわからないよ。自分以外の誰かに自分を委ねる、そんな気持ちなんて」
分かりたくもないとブレンダは呻いた。意味があるかは分からないが、島民達に言葉を掛けたいと願っていた。
この島どころか世界から見ればブレンダそのものが『外様』の人間だ。世界が呼び寄せた異世界の存在。再現性東京(このばしょ)の人々にもそうした外から遣ってきた者は多いはずだ。だが、誰もが似たような世界から身を寄せ合うようにして此処にやってきている。
まるで何かに縋るように。何かに縋りたいと言う気持ちが作り出したのが再現性都市なのだとすれば、ブレンダはこう言うしかあるまい。
人の弱さと保身とは此程までに重要な事なのだ、と。パズルのピースが欠けてしまい、心のよりどころをなくした者が集うのが再現性東京なのだとすれば――「その心に一太刀、か」
「まあ、けれど、この島には一言言いたいことがあるよ。
はァ、陰湿、閉鎖的。息が詰まりそうだ。俺は部外者中の部外者で、なんの因縁もないんだけど。そんな俺にでも思うところがある。
よく分からない信仰とかそれの贄になろうとしてる少女とか、そんな話聞いたらほっとけないし。……遣る瀬無くなるし、少しムカついてくる」
ぐい、と背筋を伸ばした『スカーレットの闇纏い』眞田(p3p008414)は呻いた。空を駆けなくとも村人達は簡単に動き出すはずだ。
山頂に向かおうとする村人達。山頂で見かけられた贄の少女が今も上に居るのだと仮定すれば簡単な結論が導き出される。
(どうせ、蛇蠱は外に触れないようにって山頂の荒ら屋で丁寧に育てられましたってオチでもあるんだろ。藁なんかをベッドにしてさ。
そういうの、厭だ、厭だ。ムカつく他ないじゃん。まあ、……オカルトってそんなもんなんだろうけれどさ)
眞田はポケットに手を突っ込んで立っていた。松明を手にした村人が、山へと通じる道へと向かおうとするその眼前にブレンダと、眞田、そして『新たな可能性』ハルモニア=パナケイア=ヒュピノス(p3p010685)が立っている。
ハルモニアはまじまじと村人達を見詰めた。
長くも続いてきた儀式に変革を起こすことは難しい。其れは端的に言えば悪しき伝統と呼ぶに相応しいからだ。
「ま――先ずは冷静になってただ耳をかたむけるだけでいいですから聞いて下さい」
一礼するハルモニアには親に問いたかった。我が子の幸いを願い成長を思う事はないのかと。これから先に共にという願いはなかったのかと。
子は風習の意味さえ教わらずに巫女はそうあるべきだと教わり続けて居たのだろう。子供は酷く心細かったに違いない。
「……自分が生贄になったとして感じず、受け入れ神様、産んで育ててくれた皆様有難う御座いました――なんて言うと、思うと思いますか?」
理不尽であると告げるハルモニアに村人達はざわめき首を捻るだけだ。彼等、彼女らは歴史の中でそれに疑問を抱かずに育ってきたのだから。
村人達は「意味がわからねぇな」「そうやって繋がってきたことに今更なにを」と口々に繰り返す。風牙は唇を噛みしめた。
(――実力行使しか、ないか……?)
●蛇の胎II
「アリエ様、つまり、島そのものが真性怪異だと言っていいってことよね?
で、歴代の巫女の残穢を抑え込みながら封じにいくと……なるほど、やることだけは分かりやすいわね」
シンプルだわ、と笑ったのは『光鱗の姫』イリス・アトラクトス(p3p000883)。視界の把握は光を身に纏うことでノーリスクに出来るだろう。
「闇の中で敵から攻撃食らうってのも精神的にダメージもありそうだものね。……水の中は昏いけれど、そもそも水中は私のテリトリー。
何処までやれるか分からないけれど、準備は多いに越したことは無さそうだものね」
水中に適した肉体を持つ海種。再現性東京では余り見られぬ種族――そもそも、この地は旅人が多く、大体が『人間種相応の外見に擬態している』――ではあるが、その宣言は心強い。
「探すべきは『凶の長持』なのでしょう。洞の何処かに存在して居るとは考えられますがその位置そのものは判別が着いていない……」
水の温度は一定ではあるだろうが、変化がないとも限らないと『ライカンスロープ』ミザリィ・メルヒェン(p3p010073)は出来る限りの対策を講じていた。イリスのように自らを光源と位置づければ両手も空くのかも知れないが、そう簡便に全ての用意が調うわけではない。
「『凶の長持』なあ……封印までしかできないことに、歯がゆさとか無いわけじゃないけど、どうであれ、島民と歩んできたってのも事実なんだろうな。
だからせめて、ゆっくり眠っててくれよ。今回の封印が強固になるよう、眠りが長くなるよう、力を尽くす」
其れしか無さそうだと『点睛穿貫』囲 飛呂(p3p010030)は呻いた。出掛ける前に飛呂は父に話を聞いていた。せめて無事に帰ってくるようにと父は蛇避けの呪いについて語る。彼が詳しいのは希望ヶ浜に長く棲まうているからではない――そも、飛呂の母方の旅人(ウォーカー)はとある蛇神なのだ。
男は頭髪に針を仕込んでおくという呪いを息子に話した。五行思想において蛇は木、金に負けると告げはしたが、此処の蛇には水の要素もありそうなことが懸念だとも彼は伝える。
希望ヶ浜での教鞭を執る彼の言葉を淡々と聞いていた『ifを願えば』古木・文(p3p001262)は「参考になります。囲先生」と緩やかに頷いたのだった。
――『蛇には針が毒となる』。試すなら皆にも話しておきなさい。信じれば、その蛇蟲たちにも反映されるかもしれない。
その温和な声音は頼りになることだろう。民俗学を専攻する彼に文自身も様々な討論を重ねておきたいとは考えた。最初に彼がこの地の怪異譚に触れたのは『朱殷の衣』と呼ばれた曰く付きの物品だった。それから長らく追掛けて辿り着いたのがこの離島だ。
片田舎、本土は工業地帯として変化し、海に流れ出た排水は現代の進展を告げるように緩く問題視されてきたものだろう。其れから逃れるようにして、船で行き来を求め、高度的な発達を求める事なく閉鎖的に過ごしてきた離島というロケーション。日本と呼ばれた『舞台設定』にはありがちなロケーションの中で育まれてきた真性怪異は封じることしか出来ない――が。
「真性怪異は封じることが出来る。古い信仰は強いが可能性は零じゃない。両槻の地で僕はそれを見たし、知ったんだ」
文の懸念は一人、山頂に向かうと宣言した『神を信仰するもの』葛籠 檻(p3p009493)であった。友でありながら、信心の向く先が蛇に向いている。
(……他人の信仰に口を出せない以上、すまないが彼が信仰する神に足り得ないところまで堕ちてもらうよ)
彼が、この地の神に呼ばれるならば。足止めが目的ではない彼は村には立ち寄らず一人でふらりと歩いて行ってしまった。イレギュラーズ達が洞へ向かわんとするならば、彼は『彼女の頭』に対面する為に山を登っているのだろう。
「まあ、アリエ様の言い分だってさ、聞く耳持たないわけじゃないのさ! 普段なら『うんうん、そうだね、よちよち』なーんて私ちゃんも言うわけだよ」
へらりと笑った『音呂木の巫女見習い』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)。でも、と首を振る。手を握る『戦神護剣』紫電・弍式・アレンツァー(p3p005453)の力強さが自身の立場を良く分からせる。
「秋奈」
「へーき、紫電ちん、私ちゃんはそんなに信用できない?」
「いいや。だが、オレは『音呂木の巫女見習い』をしている秋奈の『剣』だろ?
神を鎮めるために剣を向ける事はよくあることだ。この異変を鎮めるのも道理――オレは紫電。戦神に恋し、共にある刀、紫電だ」
違うか、と問うた紫電に秋奈は満足そうに笑った。『引っ張られやすい』のだとひよのが言っていた。秋奈は面白半分で全てを受け入れてしまうから。
だからこそ心配し、此処までやってきた恋人をまじまじと見詰めてから秋奈はへらりと笑った。
「そうだね。うんうん、そうだ。
アリエちゃん。ごめんね。やっぱりダメ。そういう歪んでるのは好きじゃないんだ。生憎ね。
てなわけで残念! ここにいる私は、音呂木の巫女見習い、秋奈ちゃんだ! ここからは巫女さんとして仕事! やってやろうじゃん」
行くぜ、と洞へと繋がる道を一気に駆け下りていく秋奈の背を紫電は追掛けた。背中に追い縋るように感じた生ぬるい気配。母の腕に懐かれるような安堵が強くなっていく。母の胎へと戻る様に穏やかな気配が頬を撫で、息を詰めさせる。
その感覚は赤子の頃に忘れるらしい。本質的に人間が懐く愛着は幼児期に培われた愛情形成の一部だと言われている。つまり、誰しもが懐いていたであろう感覚は次第に失われていくものである筈なのだろうと『ぬくもり』ボディ・ダクレ(p3p008384)は考えた。
「本曰く『宗教は人のためにある』とのこと。決して、人が宗教のためにあるのではない。
ではこれはなんだ。どれだけ捧げた、どれだけアリエを肥え太らせた?
この地域は朱殷の衣以来でありますが……あぁ少しだけ、気に入らない」
自身の体を包み込むようなこの安堵も。酷く胡乱な気持ちにさせるのだ。だが、島民はこの場所に酷く安堵を覚え永遠の揺り籠のように過ごしている。
「人に近い知性を持ち拙者達と違う理に生きる存在。願われて生まれた神。真性怪異とは一体何なのでござろうなぁ...…」
呟く『朝を呼ぶために』如月=紅牙=咲耶(p3p006128)の傍らで『水天の巫女』水瀬 冬佳(p3p006383)は目を伏せった。
「真性怪異はその性質上、信仰によってその形を得る。有柄がこのような形になった由縁としては、納得できる話ではありました。
人が救いを求め、故に生まれた神が救いを齎す……その共生関係も、より深くより密接になれば人と神は混じってしまう。
やがて島の人々は有柄に取り込まれ、神を象るシステムの一部となったのでしょう……物は言いようですね。神とは人より生まれ出ずるものですが……」
神とは人より生まれ出ずるもの。だがしかし、生まれ出でた神は人をも喰らい唯一となるのだろう。神に縋り、神に委ねる。
そうして神に『自我』を求める故に、それは身勝手にも動き出すのだ。咲耶の疑念であるように、願われて生まれ出でたそれは精霊などと大差はない。
信仰心という形が生み出した歪さは何時しか拭いきれるものではなくなるのだろう。他者が、無理にでも引き剥がさぬ限りは。
咲耶はさくさくと地を踏み締めて洞へと向き直った。洞穴の中は浸水し、靴先を濡らす。足元を照らす明かりも覚束ないが――それも構いやしない。
霊魂達の声音は揶揄うような、脳を揺さぶるような、只、それだけだった。咲耶は息を呑んでからじっくりと周囲を眺め遣った。
「所々に遺骸と小芥子、両槻や石神でも似た様な不気味さを感じるでござるがこれ以上犠牲を増やす訳にもいかぬでござるな。
さて.…..長持はどこにあるのやら?」
目当ては斯くも探し辛いか。だが、紐解こう――『封じられたはずの神様は何処で眠っているのか』を。この島の最奥とは果たして。
●因習の村II
村人達の松明明かりがてらてらと照らし続ける。山頂も、洞も進ませるわけには行くまいと風牙は酷く冷めた瞳で彼等を睨め付けた。
「祈る先は違えども、等しく"神"を主と仰ぐ者……あなた方の教えを私にもお聞かせ頂けないでしょうか……」
修道服を着た如何にもといった様子の『外』の人間を気取ったコルネリアは敬虔なる使徒として俯き加減でそう囁いた。
余所の神を信仰する者に、どの様な反応を見せるのか。村人達はざわめいて「アリエ様の信徒というわけではないだろうに」と口々に話し合う。
「……護島の人間は生まれたときからアリエ様の加護を受けている。『蛇蠱』として生まれてきた子供以外はなあ」
「……どういう、意味合いで御座いましょう」
敬虔なる使徒として。穏やかなシスターとして。コルネリアは首を傾いで見せた。さらりと頬を撫でた髪は潮の気配を多分に孕んでいる。
どうにも村人は外からやってきたシスターに『島のしきたり』を教えようとしているようである。
「この島はアリエ様のお身体。無粋な事をなさるな。アンタだって信じる神が侮辱されたら耐えられないだろ」
「ええ、そうですね。主を穢す勿れ――最も足る言葉です」
頷くコルネリアの背中、その先を見据えた村人は「松明だ」と呻いた。山へと登る少しの光。その僅かな変化に気付いたか。
シスターであろうが関係はないと村人達は松明を握りぞろぞろと隊列を組もうとする。その様子に「何が」と手を伸ばしたコルネリアに「どけ」と男達は走り出す。
「どうもどうも。ああ、俺も山頂に向かおうと思ってるんですよ。小さい子の犠牲が耐えられなくて。
あと俺、オカルト信じてないんだけど、もし何か居るとしたら……面白そうだし?」
へらへらと笑った眞田に村人はざわめいた。何をいきなり、と言いたげな目線を送る者。酷い侮辱だと憤る者。静かに眞田を見詰めて首を傾げた老人。
幾人もが彼の様子を眺めていた。村人達の松明の明かりが一斉に眞田を照らした。前髪が影を落とす。まるで表情の見えない青年は大木の枝に腰掛けてからへらりと笑う。
「オカルトなんて信じてないって言っただろ? 肝試しに禁足地に踏み入るってのもオツじゃない?」
「何てことを!」
「アリエ様を侮辱する気か!」
「そもそも、アリエ様なんてもん信じてないんだってば」
枝に手をついてぐりんと身を捌く。枝へと器用に立った青年はぺろりと舌を覗かせた。下から照らされて伸びた影は奇妙な形を作るかのようである。
「――どうしてもやめて欲しいなら、まずは俺を捕まえて阻止してみてよ。ここまでおいで!」
鬼ごっこでもしようと誘うように眞田は木々を蹴った。人間相手ならば全然怖くない。
眞田を追掛ける村人達は、村の出入り口に幾人ものイレギュラーズが立っていることに気付いた。
村人達を前にしてブレンダは静かに嘆息する。向き直ったからこそ、伝えたい言葉。それが意味を成さなくとも構わなかった。
「貴様らはいつまでこんな意味のないことを続けるつもりだ!」
堂々と叫ぶ彼女の声音に乗せられたのは扇動と人心掌握の技術だった。村人達に彼女の声は聞こえただろう。びくりと肩を揺らす島民達は驚いたようにブレンダを見詰める。
「誰かを犠牲に神様に護ってもらえればいい? ふざけるな! いつまで甘えている!
贄のことなど忘れて知らぬふりをしていればさぞ楽だろう。カミサマとやらが護ってくれるのだからな。
何も考えない貴様たちはカミサマとやらの家畜じゃないか」
「お嬢さん、神というものは『人間業でない』からこそなんですよ。甘えなんかじゃあない。疫病を抑えるために必要だった。違いますか?」
そろそろと歩み出たのは村では耄碌しているようにも見えた男であった。腰を折り杖をついた男は一喝するように声を張り上げる。
「神を人と同じように扱っちゃあいかん! アンタ様が『神に抗う力がある』と言ったところで儂等にはないんじゃ。
その犠牲となる蛇蠱(へびみこ)が受け入れておるんだからそれでいいじゃあないか。島民は全員『そうやって生きてきた』んじゃから!」
叫んだ男の声にブレンダははたと察する。この島に渡る前に逢坂地区の港湾付近に棲まう漁師や地区の者達は『ゴトウには気をつける』ように言っていた。
それが歪んだ認知による神への絶対的信仰心なのだとすれば――言葉が全てを伝えきることは出来ないのだろう。
だが、底に一石を投じる意味はある。それはささくれのように誰ぞかの心を惹き付けるはずなのだ。
「未だ人であるというのなら自分で考え自分の意思で動け」
唇を噛みしめてブレンダはそう言った。信仰心とはなんとも歪んでいる。贄として命を失う者だけではない。そうさせて来た者達とて『犠牲者』なのかもしれないと彼女は感じていた。
(……この世界に無駄なこと何て何もない。自分が動かば何かが変わる。島民が信仰の心を失えばアリエとやらの力も削げるはず。
それだけではない――私はこの島民たちに今ではなく明日を生きてほしいんだ)
それは、山頂に向かう彼等が言っていた言葉だ。定は生け贄にされる誰かがいるなら僕は僕のエゴで助けたい、とそう告げた。
ブレンダとてそうだ。同じ言葉を費やしたい――「無駄かどうかを決めるのは今じゃない。未来だ」
「私もそう思う」と返せば、彼は「ブレンダさんみたいに直接声をかけれるのはすごいぜ」と肩を竦めることだろう。
未来で無駄だと分かった時に自分はどうするか。絶望するか希望をまたも懐くかは分からない。偽善の末の結末を求める程度ならば構わなかった。
「行っちまったねぇ。ま、贄だかを奪われるとなったらそりゃ行くか……アタシも仕事をするか」
「コルネリアさん」
「分かってるよ、殺さない殺さない」
小さく笑ったコルネリアに身を隠していた風牙は頷いた。先に手出しすれば武器を持ちだしてきそうだとコルネリアは煙草の香りをその身に漂わせながら地を踏み締める。
「あくまでアタシはか弱い修道女として言葉で止めましょう。争いはよくないしね?」
喉奥で笑ったコルネリアに「悪い修道女も居たもんだな」と風牙は揶揄うように笑った。
姿を現した風牙の隣で煙草の煙を漂わせ、コルネリアは小さく笑う。
「これも仕事なんでね、悪ぃけど道を譲ってくれや」
「……誰一人奥に行かせるつもりはない。誰一人、これ以上犠牲にさせない。
騙してごめん。殴ってごめん。怒るのも憎むのも当然だ。それでも、オレはオレの意地を貫かせてもらう」
風牙は松明の明かりを揺らす村人達を適宜殴りつけていた。その意識を混濁させ、進ませない。
そうする事で『彼等が行おうとする』当たり前の抵抗を奪うのだ。力を有しているからこそ出来る反撃。説得する言葉さえ通じないことを意味したそれ。
――貴方たちから祭祀を奪う。生贄を奪う。神を奪う。
そうして、ごく普通の、犠牲を必要としない世界を押し付ける。それが、最終的に貴方たちのより良い世界に繋がると信じるから。
それが自分勝手だとしても、閉じた島の因習はこれ以上はない方が良かったのだ。
●因習の村III
黙って攫って。ハイ、おしまい。それで済むわけがないとニコラスは考えていた。
山頂の伽藍とした空間に一人の少女が佇んでいた。滝を眺めて手を組み合わせ目を伏せた齢にして10に満たない少女だ。
(巫女が望んでねぇことをここのカミサマは許すとは思えねぇ。
仮にできたとしてもそいつの心はここに残ったままだ。……それじゃきっとダメなんだ)
ニコラスが地を踏み締めれば、振り向いた少女は驚いた様子で青年を眺めた。その背後にはメイメイや定が立っている。
「話をしようぜ、巫女さん。俺はそのためにここに来た。まずはお前の名前聞かせてくれよ」
聞く耳を持たないだろうかとニコラスは少女を見詰めた。その様に教育されている可能性があったからだ。おずおずと踏み出したのはメイメイ。
「こ、こんにち、は」
「……こんにちは」
少女の返答にほっと胸を撫で下ろす。挨拶を交わしてくれるならばまだ安心できる。
「わたしは、メイメイ。あなたは…?」
「……? 名前、いちいと呼ばれています」
ほら、と少女が指差したのは櫟の木であった。その傍には掘っ建て小屋が存在して居る。どういう意味合いであるかを察した定は唇を噛む。
櫟の木の傍の小屋に住んでいるからこそ『いちい』。植物の名前を其の儘、子へと付ける事はよくあるが愛情によるものであるかは定かではない。
「いちい、か。ここに住んでるのか?」
「そう。いちいはここに住んでます」
どうして、と定は周囲を見回した。荒ら屋には碌な設備も整っていないだろう。否、島の様子も前時代的であった。此れでもまともに扱っている方なのだろうか。
「何故次代の贄が既にこんな所に居るんだろう。まさか次の儀式まで此処で過ごすってんだろうか……それこそ疫病じゃなくても病気になっちゃうぜ」
「いちいは蛇蠱なので」
「その、へびみこってのは、贄の巫女という意味だろう?」
「……?」
いちいが首を傾げる。彼女を見付けて置いて帰るなんて選択肢はなかった。彼女が飛び込まないように、定は明かりの方へお出でと手招く。
まだ警戒心の浅い幼い少女だ。だからこそ、いちいは頷いて大きな石に腰掛けた。少しでも滝から離しておかねば、彼女が飛び降りる可能性を感じたからだ。
(おっかない話だけど、いちいが飛び込むってんなら僕も行かなくちゃ。……自分でも最近少し、無茶が過ぎるような気がするぜ)
ごうごうと音を立てている滝を覗き込んだ定に「落ちたら流石に死ぬだろ」と瑠々は肩を竦めてそう言った。
少しずつ山頂から連行することを望んだすみれは少女が動きたがらぬ様子を感じ取る。引き摺る衣は蛇の尾のようにずるりと長いか。
「銀舌があれば仲間認定されるかもしれませんが……生憎我が獄相は異なります故、不審者にしか見えないでしょう」
美しい菫色の髪を揺らがせてすみれは笑顔で警戒されぬようにといちいの前に立っていた。
「贄になるより楽しいことを教えたら大人しく着いてきてくれませんかね……例えば、キスとか」
「そ、それはどうなのかしら」
朱華はぱちりと瞬いた。それでも、一先ずは此処から早く動かしたかった。定が言う通り『どうして此処に居るのか』を識らねばならないからだ。
「初めまして……ね。知らない人ばかりで不安かもしれないけど、今は朱華達と一緒に来て」
「いちいはここにいないといけないので」
首を振ったいちいに朱華と瑠々は顔を見合わせる。
「良いから来い。こんな所に籠ってるくらいなら、世界を見せてやる。贄なんかで終わるのは胸糞悪いんだよ」
「いちいは生まれたときから蛇蠱なので」
「その蛇蠱ってのは何なんだ」
「しらない?」
いちいの言葉に瑠々は「島の外から来たからな」とがりがりと頭を掻いた。朱華は優しく明かりでいちいの顔を照らす。出来れば強硬手段は後にしたかった。ニコラスが出来れば彼女の意思を尊重したいと言った事に朱華も大凡は同意していた。
「いちいは蛇蠱だから」
「――まさか、疫病というのは……『蛇の獣種であることを指してる?』」
朱華の呻く声に瑠々とすみれははあと息を吐き出した。よくよく見ればいちいの膚には無数の鱗が存在して居る。その眼孔も蛇を思わせる。
ここは再現性東京だ。『人離れした外見は厭われる』事は確かである。それが神による呪いか、それとも本当に蛇の獣種であるかは分からない。
だが――確かに、いちいと名乗った少女は蛇にも類似した外見であった。
「いちい……お前が小芥子を拾った時になんでかわいそうなんて言ったのか教えてくれ。
俺達だって、俺の見てきた世界を。俺の見てきた美しいものを。そして残酷で綺麗な広い広い世界の話をしてやれる。此処は少し肌寒い。山を下りてから」
「ここで話せるでしょう? いちいは、アリエの贄にもなれない人間が可哀想だと思った。
アリエと同化して、アリエと一緒に島のために過ごせない人間は小芥子に心を込めるしかない。それが何れだけ侘しいか、いちいは識ってるから」
ニコラスは呻いた。彼女は外を知らないが故に常識が限りなく『信仰』に寄り添っている。何が正しいかと口にしても屹度、応えることはないのだろう。
「いくぜ、いちい」
島を降りようと手を引けば、いちいはどうしてと立ち止まった。メイメイが握った腕に力が込められ、山を下りることを彼女が否定する。
「なんでこんな事するのか? それはよ。俺が見てきたものをお前にも見せてやりたいからだよ。こーんな狭い世界に閉じこもってちゃ勿体ねぇんだ。
だから手を伸ばせ。神の巫女たるお前じゃなくてお前だけのお前自身の望みを教えてくれ。
役割なんざ関係ねぇ。周囲が望むお前なんざ知らねぇしお前がしなきゃいけないことなんざ聞いちゃいねぇ!
お前がしたいことはなんだ。それを俺が叶えてやる! だから! 答えろ!」
「――いちいは、贄になりたい」
淡々とした言葉だった。ニコラスは唇を噛む。此程までに少女を歪めた島民に恨み辛みが沸かぬ訳ではない。
ぐ、と息を呑んだいちいと視線を合わせてから朱華は「いちい、貴女の識らない場所に少しだけ連れて行かせて」と声を掛けた。
「……行こう」
無理にでもその腕を引っ張った。瑠々は少しの間は自身と朱華がひっぱる。後になればメイメイがケアしてやって欲しいと告げた。
行きはよいよい帰りは怖いとはよくいったものだ。洞へと向かう者達とは別に何かが目の前に現れる危険性。
村人ではない何かが現れるのではないかと感じて、朱華の背中には脂汗が伝う。
瑠々は「行くぞ」といちいの腕を掴んでから滝の音に気を惹かれたように顔を上げ、何かを見た。
――それを見た時に、神か仏を見た気がした。信じるタチは無いが、両手を合わせ黙した。
瑠々はしなくてはいけない気がしたのだ。人が神仏に触れるという事は、天上人を下界に降ろすという許しがたい行為で、そのための許しを請う動作だと子供の頃に厳しく言われた。言われてきたからこそ、百合草の家にあるしきたりを護ってしまったのだ。
「瑠々さん」
それがアリエを神と認識する行いであると感じた時には酷く狼狽したが、その行為で『何か』が直ぐに向かってくることはなかったのだろう。
「幼いのですね、いちいさんは」
「いちいは食べるよりお祈りすることが好きだから、体の成長が遅いらしい」
本来は十を超えた年齢なのだという彼女にすみれは嘆息する。松明が揺れている。
「いちいを何処に連れて行くつもりだ!」
「何処に、だなんて。許せない行為をしているのは貴方達でしょう?」
朱華がぎろりと村人を睨め付ける。何かしてくるならば実力行使をするだけだ。いちいが疫病を有している存在だとして山頂の『禁足地』に閉じ込められているならば――それがしきたりであるならば、山頂から少しでも下れば『封印へと赴いたあちら側』に影響がある筈だ。
「無駄なことをしなさんな……だったかしら? アンタ達が散々やらかした結果が今のこの有様何でしょうが!
誰かに犠牲を強い続けるんじゃなくて、他の方法も少しは考えてみなさいよっ!」
「此れこそが我々にとっての正しい行いなのだ!」
「児童虐待、拉致監禁……その他諸々当たるぜ? 警察にそれらを伝えても良いのか?
島の伝統とはいえ、やってることが時代に追いついてねーんだよジジイ共。いい加減にアップデートしな」
瑠々は苛立った。朱華は実力行使しかないかと仲間達を振り返る。いちいをメイメイに任せてぎろりと睨め付けた瞳は、僅かな苛立ちを宿していた。
「その神様、吉兆を齎すというのに厄介な我々の到来を許していますよね。病を振りまくあたり端からヒトの味方なんかしていないでしょう。
……『無駄なことをしなさんな』だなんて。
怪異に怯え従うことしかできない皆様を見るのはとても楽しいので、我々の行動は無駄ではないですね」
くすくすと笑ったすみれは『鬼の形相』で微笑んだ。神の怒りよりも怖いものはあるのだと、そう教えるように――
「……お祭りの時は、島のひとに親切にしていただいた、ので。あれが偽りの姿と、思いたくはなくて。
島には島のやり方があって、暮らしを守るために縋り続けていたことを、やめにしろ、というのは乱暴です、よね」
ぽつりと呟いたメイメイにいちいは首を捻った。
「島の人は、みんな優しいのに……」
「そう、ですね。けど……それでも……変わってほしい、のです」
繋いだ手を離したくはなかった。どうしても、その手を話すと二度とは握れないような気がしたからだ。
●蛇の胎III
淡く光を帯びて、光源として己を照らす。イリスは洞の中を緩やかに進みながら歴代巫女の姿を探していた。
足元には水の気配がする。海中に位置しながらも角度などから水没していない洞は浸水しているのか人のかたちを取る彼女の靴を濡らしていた。
「風土病について調べてみたけれどね、蛇蠱(へびみこ)の呼び名の通り……なのかもしれないねぇ。
村人の中に蛇の鱗のように膚が荒れる者が現れるらしいのさ。ああ、それが『どういう因果』なのかはわからないけれどね。
皮膚炎のように蔓延し――それは治らず蛇のようにその姿を変貌させるとされているらしい。それが有柄の外、逢坂で伝わっていた話なのさ」
武器商人は風土病について調べてきたのだとそう言った。さて、洞の中の水は鬱陶しい。ブーツに絡みつく海藻の一つでさえ重苦しいのだ。
清めの塩を持ち込み、ざぶり、と足を上げる。一歩、踏み込むために感じられたのは生温かな気配。蛇の体内に入り込んだかのような――
「長持は、水の中……だろうか」
海水に濡れない箇所を探した文は出来れば自身は近付くことなかれとそう心に決めていた。彼はどうにも逢坂の怪異との波長がよく合っていた。
(一度、朱殷の衣に魅入られかけた。
あの時はボディさんに止めてもらったけれど、誰かの手を煩わせる可能性を考えてしまう……長持からは離れていよう)
もしかすれば蛇に魅入られる可能性でもあるのだろうか。『贄の巫女』を引付ける事が出来る可能性さえある。
「……音呂木の神様、毎回頼ってしまって申し訳ない。郷里に妻子を残しているんだ、袖引きも勧誘も結構だよ」
遠目に見えたのは幾人もの姿。長い黒髪は濡れそぼり俯き加減で白い巫女装束に身を包んだ女達はざぶり、ざぶりと足を上げる。長く衣は水中へと垂れ下がり蛇のように長い尾を表していた。
まんまるな結い紐に音呂木神社のお守りを手にして文はその様子をマジマジと眺め続ける。気配は、強い。
「あのさ」
秋奈は紫電と硬く手を握りしめてからへらりと笑った。
「最優先は、私ちゃんが私ちゃんでいる間に長持を見つけて封印する事……なーんだけどさ。
私ちゃんが一人いても、それは私ちゃんじゃないかもしれないから気を付けてよね。
お守りがカイロみたいになってるくらいには私ちゃんもそっち側なのでな。その分、凶の長持を探すのに集中するから勘弁してほしいなあ」
「秋奈も言って居るがオレもだ。秋奈ほど近くはないが『秋奈が奪われるなら』保証は出来ない」
紫電ちゃんったらと笑った秋奈はその手を固く握りしめる。
「水中に連れてかれるってんならその先にあるか? 呼吸必要ないし!
めぼしい候補は沈められそうになった水場と、滝壺、滝壺、滝壺に、滝壺に行かなきゃ――」
「秋奈……?」
紫電は秋奈の様子に目を瞠る。その様子を眺めてからアルテミアは「水夜子さん」と呼びかけた。「みゃーこちゃんですよ」と微笑みながら拠る水夜子も今ばかりは巫山戯ている余裕はないか。秋奈を眺めてから厳しい視線を向けている様子だ。
「以前の調査で滝壺に巫女達が落ちたのを見ていたし、報告でも聞いていたけれど……“死”が濃い場所はやっぱり慣れないわね……。
それに、頭に響くような誘いも、油断していると一気に持っていかれそうね。
確かに此処は妙なほど安堵を感じ、ずっと居たいとも思ってしまいそうになる……」
だからこそ、気持ちが悪くなるほどの嫌悪感があるのだとアルテミアは呟いた。大丈夫ですかと囁く水夜子にアルテミアは小さく頷く。
「……大丈夫、こんな誘いに、“まやかし”に、私は靡いたりなんてしないッ!」
足元を薙いだ炎が己の存在を誇示している。アルテミアは決して巫女達の前に『双子(ふたり)』の炎は負けやしないと胸を張った。
「……塩で清めておけば良さそうでしょうか?」
可哀想にと目を伏せたリュティスは遺骸を眺めていた。水夜子に同行を願い出ていた彼女は何が何でも水夜子を守り通すと宣言している。
「みゃーこさんって呼んで貰っても?」
「みゃーこ様」
「ふふ」
にこりと微笑んだ水夜子に「もしも『秋奈さん達の封印が失敗した』ならば共に封術を施してくださいますか」とリュティスは問い掛ける。
頷く水夜子にリュティスは贄の巫女達には攻撃以外に効果的な対策がないかも考えましょうと提案した。
「何らかの依り代があると両槻の経験から考えるべきでしょうか。
……贄の巫女の遺骸、小芥子でしょうか? 気配を全く感じないですし、実体があるとは思えません。
ですが、依代になるような物はありそうかなと……」
「ええ。有り得ます。ですが……生まれた歴代の蛇蠱とは、即ち『神の器』。
『万年桜』にとっての心咲さんのような、有柄の為に調整され有柄の為に産まれた有柄に最も適合する相性の良い器。
望んで有柄と一体になり、その力を受けた魂の残穢……人の力でこれを消滅させるのは、確かに難しいですね」
呟いた冬佳は「望んで有柄の一部になった以上『解き放つ』のではなく、消滅させねばならないという事ですか」と水夜子に問い掛ける。
「ええ。冬佳さんの仰るとおり。どうしようもない程に、アリエは『彼女達を愛している』のでしょうね」
己の島で生まれた子供を腹の中に戻して仕舞うほどには、と囁く水夜子にぞうと背筋に走った気配を祓えぬまま「長持を探しましょう」と冬佳は心に平静を懐いた。
りん、と鈴の音を慣らして進むヴェルグリーズは「声が聞こえる」と呟いた。それはシューヴェルトも同じであっただろうか。
「……ぱっと見た範囲には、なにもないんだね」
ヴェルグリーズは周囲を見回す。やはり、簡単に見つかる場所には無さそうか。
「おかあさまに抱かれる……というのはわかりませんけど、ずっといたいような気がしてしまうのは不思議です。
こんなに……たくさんの遺骸がある、かなしい場所なのに。そう、……かなしい。くるしい、つらい。こんなの、ニルはいやです」
「……厭なのはわかるのです」
頷いたのはブランシュであった。ニルとブランシュを見詰めてから水夜子はその背中を撫でる。大丈夫だと言いたげに声を震わせ、不安を紡ぐ二人に視線を送る。
「神様の生贄。生贄になるってどんなでしょう。誰かのために犠牲になる。
……いたくて、つらくて、くるしくて、死んでからもずっとここで、こんなふうにいる。
それは……かなしいことではないですか? 巫女の皆様はここにいたい? ……贄だから、とかでなく、ここにいたい?」
「ニルさんは、優しいんですねえ」
水夜子はその頭を撫でた。きっと、心優しい秘宝種(つくられたそんざい)だからこそ。ニルはそう感じたのだろう。
覇竜で作ったお守りは小さいけれど、心を込めた者だった。大切な人を想う気持ちを詰めた大切なものを握りしめているのに、どうしても切ない。
「ニルも此処に居ると忘れてしまうのでしょうか……」
「帰る為にも頑張るぞ」
ほら、と針を己の身に潜めて、蛇眼の宝石飾りを身に着けていた飛呂は防水ケースに入れたaPhone10を手に洞の中を進んでいた。
シューヴェルトは出来る限り巫女達の言葉を聞き流し進もうと考えていた。怪異相手には普通の攻撃よりも呪詛が込められた方が効くだろうか。
そう考えたのは互いの呪い比べのような感覚だ。始まりの巫女。それがこの『神』の全てを始めたのだとすれば大したものである。
人の恐れが、彼女をそうしたのか。それとも、卜占を行う女の甘言に惑わされて人がそうなったのかは定かではない。
――私が神の御身に還りましょう。
そう告げた女が卜占を行うが故に、アリエは吉兆を占う存在だとして慕われてきたのだとすれば何と云う惨いことであろうか。
――いですか。今後も生まれてくる蛇蠱達はこの儀式を行うのです。
其れだけで足りないならば小芥子を身代りとするのです。アリエの胎を満たすのは人の凶兆。
……我らの神アリエは吉兆を齎すために凶を喰らわねばならないのですから。
不幸を喰らいながら、神の御身に還りその精度を強めていると信じられてきたと檻が聞いた話を思い返せばシューヴェルトやイレギュラーズの前に立っている贄の巫女達は伝えるべき怨嗟も、嘆くべき悔恨もないのやもしれない。
飛呂は嘆息する。全く、蛇なのか人なのか、どうにも判別は着かないが、そうなる程に信仰が人を狂わすというのだから救いがない。
●蛇の胎IV
「巫女達は皆そろって滝の下へと落ちて行った。となると、最も“死(念)”が集まるのは滝壺……その水底でしょう?
……魅入られてい人が居る以上、あまり時間を掛けるのは得策ではないわ。多少の無茶は許してくださいね、水夜子さん」
「アルテミアさん、危険ですよ」
「『帰ってくることを待っている』人が居れば――念なんて根競べでしょうッ!」
アルテミアは高度を稼ぎ落下の勢いのママに滝壺の水底を目指した。ぼこり、と音を立てた水泡。
呼気さえ奪わんと迫り来る巫女達をイリスが払除ける。アルテミアは何が何でもとその手を伸ばした。
「去れ! さもなくば、我が太刀にて滅してくれよう!」
叫ぶのは汰磨羈であった。最早畏れぬようにするという受動的な対応だけでは巫女達は却けられないか。威を知らしめ恐れを懐かせる。
何が神か。所詮は神性をも否定することが出来るのは人でしか無いのだから。
"御主等は、祓われる宿命にある厄に過ぎぬ"という事を――汰磨羈の瞳がぎらりと光った。
「我は、厄を食いちぎる妖の獣ぞ。故に恐れよ。そして、首を垂れて退がるがいい!」
兎にも角にも長持を探し続け、儀式を行う者を護らねばならない。探索する咲耶は「水か」と滝壺より繋がる深い泉を眺め遣った。
「滝壺から繋がっている場所、それこそが長持の在処でしょうね。水夜――みゃーこ様、水には気をつけて下さい」
足を掬われると告げるリュティスに水夜子は「モテるって結構辛いですよねえ」と揶揄うように笑いかけた。
「長持には風土病が詰め込まれてるとされる。
そんな物は奥深くにでも置き、少しでも自分たちから遠ざけたいと思うのが人の恐怖かと……アリエは人が作ったのならば、尚更です」
人為的な神様であるが故に、封じるのも不快水底であると言うのは納得が出来るとボディは足元に縋り付くような水の気配を撥ね除けた。
怪異とは畏れと恐れの対象だ。人が作り上げたからこそ、それは信心深さと恐怖心に付け入るのだ。
恐れてなるものか。塩でもぶつけてお前など怖くはないと告げてやれば良いとでも言いたげにボディは囂々と音を立て流れ込んでくる水を眺めていた。
「潮が引いているからこそ、此処に立ち入れるのでしょうか。海祭りが行われるのは潮の満ち引きも関係あるようですね。
……しかし、厭な気配だ。地底の滝はまるで食道で、湖は胃のようですね。此処が蛇の腹だから、そう見立ててしまいます」
迫り来る巫女をアルテミアの――そして、エルメリアの――炎が薙ぎ払う。巫女等を切り裂くように走り、動くのはシューヴェルト。
実態のない存在。そう感じさせるが攻撃を加える度に足元の小芥子がぱきりと割れて、遺骸が霧散し消え去って行く。
(物理的実体を持つ脅威じゃなくて呪いのようなものに対抗する経験値が普通に足りてない自覚はあるけど――『水の中に引きずり込んでくるだけ』ならどうにでもなるわけですよ)
それこそが自身の在り方であった。引き摺り込んでくるというならば、それに倣って水中へと飛び込み、長持を探し続ける。
封印作業は仲間達に任せておけば良い。邪魔しに来る者達を引付ける事ならば得意分野だ。
水中を進むイリスの尾びれをぐいと引っ張った何かが居た。イリスは淡い光を放つ己の身を僅かに屈めて見詰める。水中に広がる黒い髪。巻き付くようにして離れぬ呪いの気配。
ごぽりと水泡が上がった。それは纏わり付いて離れ得ぬ怨嗟のようにイリスにしがみ付く。酷く胡乱な気配をさせている。まるで、己も『贄になった』かのように生者の気配を求めて笑い続ける女達。
(屍骸というわけでもないのに、酷い匂い。この水自体が真性怪異そのものみたいな感じね。
……水の中で自由に動けるけど、普段より水が重たい。それに、纏わり付かれちゃ苦しささえもあるわ)
ボディも己にしがみ付いてくる巫女を払除ける。長持の気配がする。それは悍ましい。『此処に居たいと思わせる』感覚こそが悍ましいのだ。
こんな場所に居たいわけがない。燈堂の屋敷で過ごす穏やかな日常とは離れた離島に恋い焦がれる訳もないのだ。
今は、恐怖よりも苛立ちが強かった。ボディの苛立ちは巫女達をも却ける。
水中を進むことも難しいか。ブランシュは少しばかり水かさの増している洞の中でぴょんと跳ね上がった。
「なんでこの人達襲ってくるですよ!!?? これ倒せるのですよ!? こういう非科学的現象は倒せる夜妖だけで十分なんですよー!!
みゃーこ先輩助けてって言いたいけど此処でそう言ってたら足掴まれて終わる……!」
「逃げるブランシュさんも可愛いですね」
「言ってる場合じゃないのですよー!? やだー!」
叫んだブランシュは確かに巫女達の気を引いていたのだろう。追い払えるかは分からなくともその体を水中に滑り込まして巫女達を手当たり次第に良ければ長持の元へと誰かを届けることは出来そうだ。
封じることは仲間に任せておけば良い。ラダはお守りを胸に平常心を保ち続ける。
「――さぁこちらだ。私達をここに留めたい者も、私達とここを出たい者も全て!」
贄となった者に何れだけ自我があるのかは分からない。倒すこと、封印の邪魔を企てる者を却ける事。それが第一の目標であれどそれだけが目的ではなかった。
ラダは誰かに手を引かれるような奇妙な感覚を覚えた。確かに、何者かの気配を感じていたのだ。
ラダの脳裏に浮かんだのは長い黒髪に桜の花びらを揺らがせた幼い精神性の少女だった。若宮――今は蕃茄と名乗る娘――のように都合良く手段が浮かぶわけではない。あれは奇跡が交わったが故に齎されたものだった。
「あなた達が何を思ってその身を捧げたのか、私は知らない。でも、今を生きる者を邪魔するんじゃない!!」
●蛇の胎V
(水夜子……水夜子は、放っておいても大丈夫なんでしょうか?)
ミザリィが不安げに視線を送ればリュティスと共に行動する水夜子が立っていた。万一の時に彼女が身を挺して簡単に死んでしまう気配がしたのだ。
「ミザリィさん?」
「……いえ。気をつけて下さい。貴女もこの仕事をしていると波長があちら側でしょうから」
ミザリィへと水夜子はぱちりと瞬いてから肩を竦めた。確かにそうだ。護って下さいね、なんて揶揄うように笑う彼女だがイレギュラーズに何かあれば一番に身を挺す――言い方は悪いがこの場では『デコイ』のような役割を担う心算なのであろう。
「酷く、耳障りな声がするでしょうから貴女も気をつけて下さいね」
「ミザリィさんも。それに惹かれて私を置いていったら泣いてしまいますからね」
揶揄うように笑う水夜子へとミザリィは肩を竦めた。元より、何かの声に振り返るつもりなど無い。
(私の帰るべき場所はちゃんとありますから。
少なくとも……こんな、太陽の光さえ差し込まないような洞の中で生涯を終えるなんて真っ平です。
私には帰りたい場所があって、帰ってもう一度会いたいひとがいて、だからずっと此処には居られないんです)
もしも『会いたい人』の姿をして、声をして、それが此処に居たならばどの様な心境になるだろうか。
そうとも考えながらミザリィは深い水を眺め遣る。呼吸は必要なくとも、息が詰まった気持ちになって『ぶはあ』と大袈裟に呼気を吐いたブランシュは肉体をぶるぶると震わせた。
「ここにずっといるのは嫌だ。とても心地が悪いし何かに飲み込まれてる気がする。はよ帰りましょうですよ……。
長持ーー! どこですー! さっさと出て来て下さいよ、もうやだー! みゃーこ先輩! おばけばっかりー!」
「おばけを恐れると滅茶苦茶来てくれるのでブランシュさんはとっても良い引付け役かもですね」
「聞きたくなかったー!」
その言葉通り、ブランシュの元には無数の巫女が集っていた。ばしゃばしゃと水の中で身を揺らがせる彼女が巫女を引付ける間にまた幾人もが水中へと潜り行く。
「この手のは大元を断ち切らねばキリがないからね。いくら気が長くとも無駄なことはしないとも」
武器商人は清めの塩を巫女に向かって投げ付けた。『水場を掌握する』事は真性怪異からコントロールの権限を奪うことと同義だ。
流石に難しいか。武器商人は滝に身を投げ委ねた女達の怨嗟を打ち払うように腕を振り上げる。
水の中からばしゃりと顔を出したイリスははあ、と息を吐き出した。
「アリエ様、鱗持つ蛇神――光鱗のアトラクトスの信仰はまた別物だけどね。
いいわ、例え呪いだとしても、受け止められるだけは、ね。これで島の中も外も大人しくなればいいんだけど」
ぞろぞろと姿を見せる巫女。その中心には初代の巫女であった女が立ち竦むようにして立っている。
女の眼窩から溢れ出るどろどろとした気配。ひゅうと息を呑んだ武器商人は其の儘口笛でも吹き鳴らすように再度、呼気を吐き出してから唇を吊り上げた。
怪異。怪異であるならば恐れなど亡いことを示してやれば良い。それが彼女達にとって『どれ程までに』自身等の存在を否定されている事になるかを武器商人は識っていた。
「水引というものを知っているかな? ……冠婚葬祭に纏わる日本の文化で、飾りの一つなんだ。
古い因習の残る集落には、まだ残っているんじゃないかと思ってね。作り方は簡単で和紙をくるくると巻くんだけなんだよ」
文は静かに巫女達へと向き直る。目的は、巫女達をアリエから解放する事だった。
万年筆を握りしめていた文は穏やかな微笑みで水引を手にし続ける。
「こうやって結び目の先を上になるように結べば、真結び――意味は『今後同じことが起こりませんように』
願掛けみたいなものかな。形が変わって不機嫌なのは分かるけど、今回だけは大目に見ておくれ――」
唇が、白い紙束に謝罪をした。折鶴への謝罪。とても大切な万年筆を犠牲にするか否か。
『贄の巫女』がアリエから解放される奇跡が起こせるなら腕の一本くらい安いと青年は笑った。
「真名は泥鮒。山の洞に捧げられ、死ぬまで現世を呪い続けた山姥の二十七番目の子。
……女性が苦しむ因習は苦手なんだ、困ったことに実家の惨状を思い出してしまうからね。
さ、願掛けもお終いにしよう。呪いも祝いも似たようなものじゃないか。それに何だか、文具屋っぽいでしょう?」
それでも『アリエの神性』は余りに強すぎた。文の表情は僅かに歪む。
ごうんごうんと何かが蠢くかの様な声。それが巫女から発されたと気づきラダは苛立つように睨め付ける。
「全く五月蠅いな――ここが母の胎なら、子は還らず生まれ出るものだ!」
ラダは叫んだ。吹きかける煙草の水。せめて蛇体だけでも剥がれてくれれば。それでも『若い神様』であったハヤマ分霊と比べれば強すぎる神性が霊魂を蝕んでいる。
贄であった少女達。その心に手を伸ばしたかった。
蛇のように割れた舌。巫女装束の足元は長く水中へと繋がっている。まるで姿そのものが蛇のような彼女達。
「みゃーこ、背中は任せる。可能な範囲で支援してくれ」
呻いた女は初代の巫女を狙っていた。中心となっている巫女を水夜子と共に狙っていた。厄払いを行うべく、巫女を薙ぎ払う。
「あら、信頼してくださるんですか? やだなあ、たまきちさん。此処で私が手を抜いたら『二人で死んじゃうスリルとか』味わえそうでは?」
「――莫迦言え。私が死のうとすれば真っ先にみゃーこが飛び込んで阻止するだろう」
ばれてると舌をぺろりと見せた水夜子は汰磨羈に真っ直ぐと唇で音を立てずに囁いた。
咲耶は何が何でも護るべきを定めた。秋奈と紫電が長持の元へと走り行く。二人で行わねばならない儀式。水夜子がサポートすれど、命の危機と隣り合わせだというならば出来る限りの危険を払除けるべきだ。
「……元は怪異に巻き込まれた犠牲者であれども拙者の技に曇りは無し。封印の者には一人たりとも近づけさせぬものとしれ」
その身の上は不憫であれど、こうもなればそれは敵であることには変わりはなく。淡々と絡繰手甲より糸を伸ばした咲耶は贄の巫女達の何も定まらぬ眼窩を伺うように睨め付けた。
塩を撒いてやろうかとリュティスは落ちていた小芥子へと塩を撒く。攻撃に巻込もうとも問題はない。塩を撒かれ清め払われる事となる小芥子諸共ボディは払除けた。
「巫女よ、死しても使命に動かされる者よ。死の上で動く私が、相手になってやる」
神々廻剱皇は鋭くも美しい刀剣であった。ヴェルグリーズは足期を断ち切る力をそれで得られるならば振るわぬ理由も無かろうとその剣を振り上げる。
悪縁に悪い運命を切り伏せる。恐れてはならぬのだ。この怪異は恐怖で人を縛るのだ。
恐怖で縛られるというならば、怪異を却けるだけの決意を持てば良い。ふと、ヴェルグリーズは顔を上げた。
(巫女の様子がおかしい……?)
――それは同時刻にメイメイが少女の手を引いていた頃だった。定が、朱華が、瑠々が、すみれが山を下りている頃。
村の入り口で風牙やブレンダ、コルネリアが村人達と語らいをしている頃。
いちいと名付けられた櫟の木の傍に棲まう少女は『山頂』を折り始めたのだろう。
「おやすみなさい、巫女のみなさま。贄になったことは変わらなくても。どうか……穏やかでありますように」
唇を震わせてニルは飛呂の事は守り抜きますとそう言った。飛呂は「有り難うな」と肩を竦める。
「巫女なのか蛇なのかもうわからないが、蛇なら、お前たちにもこの針効くか?」
万が一がないように、封印術を使用するものを支援しなくてはならない。飛呂は僅かに滲む疲弊を拭い切れやしなかった。
気を強く持たねばならない。安堵する心に違うと告げ続けなくては。飛呂は水中から顔を出したボディが「何かの紐です」と呼ぶ声に気付く。
「……長持ですね」
ミザリィは己に絡みつくものを否定しながらぐん、とその紐を引っ張った。ブランシュは「えいさほいさ!」と勢いを付けて其れを引きずり出す。
リュティスとボディが顔を見合わせ、ニルは「これを引き上げて封じれば、いいんですね」と問い掛けた。
「もういい。御主等はもう、"帰る"べきだ」
汰磨羈が声を張り上げる。儀式が始まった――
●蛇の口
ヴェルグリーズは秋奈を見遣ってから肩を竦めた。相変わらず彼女は無茶をする。紫電とは同じ『武器同士』ではあるが、識らない仲でも無い。
彼女達が無理をするならば止めたいと考えていた。深みにまで入っていってしまうというならばヴェルグリーズは手を伸ばすと決めていた。
――帰ってきて下さいね。
ひよのがそう言っていたのだ。困った様子で肩を竦めて、そうやって笑う音呂木の巫女。
見送ることしか出来ない彼女の代わりに、全員ソロって帰らなければならない。帰り道を示すという事は名を呼ぶという事だ。
「秋奈殿、紫電殿」
名を呼んだヴェルグリーズに秋奈は「だいじょーぶだぜ」と軽やかに笑う。
ひよのにただいまを言う目的は、もう掲げられ続けて居る。皆で無事に帰ってこられることを祈ってなければならないのだ。
「ここまできたらあとは長持を封印するだけだ。……秋奈とオレで封印する。
秋奈と一緒に、強く、硬く。この紐も、絆も誰にも解かせない」
紫電は睨め付けるように、そう言った。傍らに居る秋奈はひよのに師事をし巫女を目指しているらしい。
彼女が戦神としての在り方以外を見付けたのは、この世界で過ごして行くが為だったのだろうか。
(……オレは巫女ではなく、ただの刀だ。怪異というの本来専門外で、今まで避けてきた。
だが、どんなに安全策を突っ走り、逃避しようとも、いつか狂いの深みに入らなければならないのなら、それは今なのだろう。
ならば、秋奈と共に、どこまでも深みへと――例え、オレの刃が欠けようともな)
此処で退けば秋奈が『喰われる』ならば。蛇蠱になど『して』たまるものか。
「フフ……そうだな。何度ほどけようと、また結べばいい。この紐も、そしてウチらの絆も……な」
支えてね、と汰磨羈に微笑んでから秋奈は紫電と共に長持の元へと飛び込んだ。作法は『パイセン』と水夜子に習った。
必ず二人出なくてはならない。ならば、『その役割を担ったからには自分たち』こそ危機の隣に立っている。
「アリエ様だろうが初代の巫女だろうが私ちゃんの声を聴けぇ!
前、なんか話しかけてくれたじゃん! お話したらもうズッ友じゃん? 私は巫女やぞ! あ、朱殷の衣、気になりだけど知ってる?」
――ザア、ザアと何かが音を鳴らす。脳をも揺さぶるような感覚に「脳しんとうはいらないんで!」と秋奈は叫んだ。
「秋奈、大丈夫か!?」
「深みにいかないと気づけないならやってやろうじゃん。
……ッ、舌が割れちまおうが知ったこと。これは私ちゃんの物語だ。最後は皆と笑ってハッピーエンドするんだよ!
音呂木が巫女見習い、茶屋ヶ坂アキナ! 魑魅魍魎の跳梁跋扈を赦さず、鬼哭啾啾たる世を滅す!」
舌先に僅かな痛みが走る。口蓋に張り付いた血の気配。それは秋奈も紫電も同じだ。舌先にぴりりとした痛みが走った事に気付く。
紫電は「秋奈!」と呼んだ。彼女の左腕に蛇の鱗が僅かに見えた。何かに取り憑かれた殺すなんて揶揄うように言っていたひよのを思い出す。
(いやあ、取り込まれたらパイセンに殺されるんだぜ、私ちゃん。音呂木の神様って結構辛辣!)
水夜子の側から離れずに冬佳は儀式を行う秋奈と紫電を護るように動き続ける。
平静を懐かねばならない。穏やかに、あくまで危機など此処にはないと告げるように。
「申し訳ありませんが、しばしお眠りなさいませ『アリエ様』
共生し、内に抱くその在り方は優しいものですが……人は、その極みには耐えられ無いのです」
冬佳の傍からじりじりと前に出た汰磨羈が口にしたのは六月晦大祓祝詞(みなづきのつごもりのおほはらひ)。
「高天原に神留まり坐す 皇が親神漏岐神漏美の命以て 八百万神等を神集へに集へ給――」
天津祝詞を口にする。再現性東京に深く根付く文化は神道か。
そも、日本と呼ばれた国家に棲まう以上は習俗の文化として何気なく触れる八百万の神g米だ。
大祓の祝詞は罪を、影を払うが為に。天つ罪、国つ罪。汰磨羈は其れは相応に力を持つであろうと宣り聞かせる。
「速佐須良比売と伝ふ神 持ち佐須良比失ひてむ 此く佐須良比失ひては 今日より始めて 罪と伝ふ罪は在らじと――」
――その声は滝壺の囂々とした音に掻き消された。
ただのひとりで、檻は山頂に立っていた。文が心配していたの『彼の信仰』
「アリエの神よ、小生の声は届いているか?」
聞こえているかは分からない。此れより封じられる彼女。封印しようとしている傍らで、それを起こすように声を掛けることは『わるいこと』である自覚はあった。
それでも、だ。いちいが去り、伽藍堂になった山頂に檻は一人で立っている。
風土病が本当にあるのか、あるとしたらどんなものか、はたまた天変地異など起こったり――
すみれがくすくすと笑っていた。定が『この島の慣習』と告げて居た言葉さえも今や気にもなる事でもない。
檻は『封印』されることは防ぎたかったのだ。
「小生は、あれを持ち出して、じぶんのものにしてしまいたくて、たまらなくなるのだ。なあ、有柄の神よ、汝は小生だけの神となってくれるのか?」
ここに檻がずっと居るのではなく、アリエが来るのだ。それならば――アリエを自分のものと出来るならば檻は受け入れたかった。
「……ただ、その場合は島のものの祈りなんて言うものを受け入れては欲しくないな。
小生一人分の小さな祈りだ。たったそれだけの力しかない、小生だけのものになってくれるなら」
愛という者を全て捧げようと檻の唇は吊り上がった。呪いでも何だって残せば良い。
人智及ばぬものを、人の手に掴み取れるものへと。小生のものにしたい。
檻の声に『応えた』のか、それとも『僅かに聞き耳を立てていた』のかは定かではない。
「ああ、アリエ」
まるで愛しい人を呼ぶように檻は囁いた。目の前の女は鴉の濡れ羽の長い髪を揺らがせていた。金色の色の瞳が檻を眺め眩そうに天を仰ぐ。
祈雨された島の天気は崩れ始め生憎の晴天とはならないか。檻はフラれてしまったと俗っぽい言葉を連ねてから彼女を見詰めた。
――神璽に似ている。神璽と同じ事を言う。私は『この島』そのもの、離れる事など。
「ああ、神は信仰に巣食うならば、小生は祈ろう。小生の檻に、神を得られるまで、巣食われるまで!
人を巣食うものが、人に巣食うものが、愛なのだからな! ――似ているならば、それを追えばアリエが手に入るだろうか」
横たえられ、塒を巻く体の上に立った男の頬に女の冷たい掌が触れた。
連れて行きたいというならば、女の割れた舌が檻の鼻先を擽って、離れた。檻は腕に感じた奇妙な違和感を見下ろしてくつくつと笑う。
鱗か。己の腕にあったものに僅かに別の色彩が混じった。それがアリエと呼ばれた女の齎す疫病であると男は本能で察知したのだ。
「アリエよ、『お前の封印が解けたら小生を連れて逝く』か?」
囁く声に応えるものはない。降る雨の中、彼女が封じられたことを、その時男は察したのだった。
静まりかえった洞は潮の変化があるのか、僅かに海水の上昇が見られた。
「出ましょう」と水夜子はイレギュラーズへと声を掛ける。滲んだ疲労感はこの島に感じていた安堵にとってかわるものだったのだろう。
「……終わった?」
秋奈の問い掛けに「今暫くはアリエも封じられた、ということです。また数年越しにお目見えするかも知れませんが」と水夜子は肩を竦める。
石神と同じく、信仰の在り方を変えきることが出来ない以上はまたお目見えする可能性は十分にあるのだろう。
「長持を封印して、期待できる効果としては……難しい所です。
『アリエ様』が次に目覚めるまでの時間を大きく稼げたかもしれませんし、当面は島民への直接的な干渉も弱まるかもしれない。
大きく力を削げた……とは言えないでしょうけれど」
そう呟いた冬佳は朝ぼらけの島を眺めている。石神と同じく、逢坂の怪異も『目覚めるまでの時間稼ぎ』を行っただけだ。
「やはり、次に目覚めるまでの間に信仰の在り方を変える事が出来れば良いのですが……。
ここまで根深く結びついてしまっていては、なかなか難しいでしょうね」
「そうですね。信仰とは人の基盤。それを他者が大きく影響を与えることは難しい」
「……水夜子さん、音呂木は如何する心算なのですか?」
澄原の人間と言えども怪異の専門家として『真性怪異に触れられぬひよの』の代わりに現場に赴くフィールドワーカー。
石神の怪異は当面の間は封じられよう。だが、いつかの日に目覚めたならば『選んだ誰か』を来名戸の村へと連れて行ってしまうかもしれない。
逢坂とて同じだ。その身に変化を走らせた秋奈が何時『蛇蠱』として選ばれるかも分からない。音呂木の加護があるが故に耐えたのかもしれないが――
「……音呂木とて、問題を抱えているのですよ。
石神、逢坂、両槻。三カ所の真性怪異を回ってきて、私も思ったのです。
彼等を追掛ける手記を残している『葛籠神璽』とは誰なのか。そして――『彼が見付けた真性怪異にのみ嫌われる音呂木とは何なのか』」
冬佳ははた、と水夜子を見遣った。
確かにそうだ。怪異の専門家として武器商人や檻が興味を持った作家、エッセイスト、文筆家、希譚の蒐集家『葛籠神璽』。
彼の記録に残された神は皆、音呂木を嫌っている。真性怪異は他にも存在して居たではないか。その中でも特に拒絶反応が強かった三つの怪異。
其れ等を封じた今、次に探すべきは。
「音呂木の神様ともそろそろ会いに行く用意を調えねばならないのでしょうね。その為にはひよのさんに決意をして頂いて――」
……音呂木に纏わる人間だとでも言うのだろうか。
「前々から思ってたけど、みゃーこ先輩はこういうの、怖くないんですよ?
ブランシュ達と違って、そこまで自衛できるとは思いませんし……いや怪異に対しては一番お詳しいから勝てるんでしょうけど」
「一番怖いのって、人かもしれませんね。
私は自衛が出来ないので、練達を襲った竜種も、外のモンスターも怖いですね。
ですが、怪異は『いざとなれば私を取り込んで』しまうでしょうから……」
ほえ、と首を傾げたブランシュに「分からなくって良いのですよ」と水夜子は意味ありげに微笑んで。
「――死する恐怖よりも安寧のように神は私達を包み込みます。その時々に存在する狂気が酷く心地よいと感じてしまった私は、もう」
それ以上告げずに水夜子は「でも、生きて美味しいものを食べて楽しく過ごしたいのは本音ですよ」とブランシュの髪を優しく撫でたのだった。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。希譚『逢坂地区』
朱殷の衣より長くゆっくりと蛇のように進行させて頂いたこの地区も終了です。
希譚は残るはあと一つ、水夜子の云う様に今まで味方していた神様が一柱存在して居ますね。
そちらへと、向かう日をまた、整えなくてはならなさそうです。
GMコメント
こんにちは。<希譚>逢坂編ラストステージです。
前回までが気になる方は<希譚>有柄の海祭りをご覧くださいね。
●成功条件
『凶の長持』を封ずる
●希譚とは?
それは希望ヶ浜に古くから伝わっている都市伝説を蒐集した一冊の書です。
実在しているのかさえも『都市伝説』であるこの書には様々な物語が綴られています。
例えば、『石神地区に住まう神様の話』。例えば、『逢坂地区の離島の伝承』。
そうした一連の『都市伝説』を集約したシリーズとなります。
前後を知らなくともお楽しみ頂けますが、もしも気になるなあと言った場合は、各種報告書(リプレイ)や特設ページをごご覧下さいませ。雰囲気を更に感じて頂けるかと思います。
[注:繙読後、突然に誰かに呼ばれたとしても決して応えないでください。]
[注:繙読後、何かの気配を感じたとしても決して振り向かないで下さい。]
●逢坂地区
『海沿いの田舎』『離島』にフォーカスを当てたシチュエーションとなるこの地区は『近郊都市』をイメージスポットにしております。
再現性東京・希望ヶ浜の学生達が鳥渡した外出や旅行に赴く東京街。電車で移動し作られたその場所は『神奈川県~静岡県』の海沿いの街を思わせます。
漁師町です。それなりに文明は発達しており、遠く、工場街が確認できます。少し電車で移動すれば、工場や近代的な建築に変化し、その工業汚水などで漁業が衰退した……という歴史的な流れがありそうです。
また『海の向こう側』については本来の海であるかは確証がありません。此の地は練達です。『日本列島から見える海』をホログラム的に投影してる可能性もあれば、海向こうは混沌の大陸である可能性だってあります。
- 参考リプレイ:<希譚>朱殷の衣
●有柄島(沖の御島)
逢坂地区から確認できる離島です。本依頼のメインスポット。
地区内では『名前を呼んではいけない』『行ってはいけない』とされ、名を呼ばれる事は少ない様です。様々な伝承が付随しています。
島の名前は『ありえ』と読みます。護島(ごとう)という一族が代々居住し、神託を齎す神様を護っているとされているようです。
-参考リプレイ:<希譚>逢坂有柄の伝承
今回は儀式が終わったために島民達にとっての皆さんは招かれざるお客人となります。
●島の『洞』
海の中に存在するというその洞は、水が干上がって蛇の身体のように道を形成していたため、水位が上がりきって居らず膝を濡らす程度となっています。
洞へは水中行動に類するスキルがなくとも進むことが出来ます。寧ろ、島民にばれないためにこっそりと此方に向かう事が出来るのは喜ばしいことかも知れませんね……?
洞には『山頂の滝』から流れ込む地底の滝、遺骸が浮かんだ湖などが存在して居ます。それ程狭くはありませんが、閉塞感と共に母に抱かれるような安堵を与えてきます。
●蛇蠱(へびみこ)
この島に住まう『護島(ごとう・島の外では後藤とも名乗る)』を指している言葉のようです。
憑物筋の一種だと思われていましたがその実情は『昔』風土病に罹患していた存在であり、今はその言葉が転じて『この島の巫女』を指し示しているようです。
【有柄での調査ポイント ※これ以外の行動も可能】
(1)洞へと向かう
洞へと向かい『凶の長持』を封ずる為に贄の巫女との戦闘を行います。
また、凶の長持を封ずるのもこの場所です。
膝まで水に濡れ、周囲には『贄の巫女の遺骸』と小芥子が浮かんでいる奇妙な空間です。水音が反響し、恐怖心を映したように水面が揺れます。
何処からともなく足を引き摺るように『贄の巫女』達は皆さんを襲うでしょう。
単純なスキルでの戦闘ではなく『怪異への対策』を講じておくことがポイントです。実力行使も出来ますが、あまり効果は見込めないかも知れません。
何処からか見知らぬ女が話しかけてくる気配がします。彼女は此処にずっと居ましょうと囁くようです。
狂気に陥った場合はこの地で命を絶ちたくなるような衝動が――
『凶の長持』の封印は洞の中で『贄の巫女』を斥けながら長持を探す必要があります。
・『贄の巫女』 無数
これまでの島で行われてきた儀式で命を絶った巫女達です。
中心となるのは卜占を行ったとされる初代の巫女。そして蛇のように舌が割れた巫女装束の女達です。
彼女達は気配もなく現れ、足へと縺れ水の中へと引き摺り込もうとします。
怪異そのものなので、何らかの対策(平常心や感情封印、『お守り』を持ち込む、塩などなど)を行っておくと良いでしょう。
また、実力行使でスキルで振り払うことも出来ますが倒しきる為にはかなりの労を有します。
・『凶の長持』
洞の何処かに存在して居ます。水の中か、滝の中か、それとも。何処に存在するか分かりません。
其れを発見した後に、水夜子に封印方法を教わりましょう。紐を結ぶ簡単なものです。
ただし、紐を結ぶ際には『必ず二人』必要です。左右から協力しタイミングを合わせなくてはなりません。
そうした封印を行う際に『贄の巫女』は封印を行う人物を標的に襲いかかってきます。
(2)村へ向かう
洞へと向かった仲間を支援するべく村人の足止めを行うならば此方です。
また、お山を見に行くことも出来ます。海祭りでは皆さんを歓迎していた島民は皆さんをまるで虫を視るような目で見詰め「無駄なことをしなさんな」と嫌うように吐き捨てるでしょう。
……山頂で幼い少女が一人。蛇を思わす『姿』をしていました。どうやら彼女も島民で次代の儀式の贄であるようですが……。
●言葉&NPC
・真性怪異
人の手によって斃すことの出来ない存在。つまりは『神』や『幽霊』等の神霊的存在。人知及ばぬ者とされています。
神仏や霊魂などの超自然的存在のことを指し示し、特異運命座標の力を駆使したとて、その影響に対しては抗うことが出来ない存在のことです。
つまり、『逢った』なら逃げるが勝ち。大体は呪いという結果で未来に何らかの影響を及ぼします。触らぬ神に祟りなし。触り(調査)に行きます。
・音呂木ひよの
ご存じ、希望ヶ浜の夜妖専門家。音呂木神社の巫女。由緒正しき『希望ヶ浜』の血統であるが故か『希譚』の真性怪異には嫌われているようです。
お留守番してます。帰ってきて、『ただいま』と言って上げて下さいね。
・澄原水夜子
「気軽にみゃーこ、みゃーちゃんと呼んで下さい」な澄原病院所属の澄原分家の少女。『希譚』や『真性怪異』の研究家です。
一緒に行動可能です。役に立つかと言われれば、頑張ります。何かあれば聞いてみて下さい。
・葛籠 神璽(つづら しんじ)
作家。希譚関連では、良くその名が見られる。著書多数。
●情報精度
このシナリオの情報精度はDです。
多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
何故ならば、怪異は人知の及ぶ物ではないですから……。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定、又は、『見てはいけないものを見たときに狂気に陥る』可能性が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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