PandoraPartyProject

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蛇と果実

「……おや、何処へ行くんだい。バイセン」
「知れた事。主が今言ったではないか。
 この程、サリューの商圏――この幻想北部で痴れ者共が『胡乱な商売』をしておると」
 抜身の刀を肩に担いで、部屋を出掛かった死牡丹梅泉を執務室の主であるクリスチアン・バダンデールが呼び止めていた。
 この商都サリューはアーベントロート侯爵家の勢力圏に存在する北部の要衝であり、一族始まって以来の麒麟児と称されたクリスチアンはアーベントロートとの深く特別な結びつきにより、この街に事実上の自治権をもたらしている。その彼が『紆余曲折』を経て反転し、此の世に際限ない混乱をもたらさんとする魔種となっているのは多くの知らない事実なのだが。幸か不幸か大天才であるクリスチアンは魔種となった今も特別なままであり、己の原罪の呼び声を完璧にコントロールするという異能は時を経た今も彼の正体を一向に外部に露見させていない。
 閑話休題。
 そのクリスチアンの食客である梅泉がこの程幻想や近隣を騒がせる危険な薬物取引の事件についての話を聞いたのはついさっきの事であった。
 クリスチアンのやる事は何時如何なる時も卒がない。彼にかかれば首謀者の『シンドウ』なる旅人の足跡を辿る事も難しくはない話であり、それを聞かされた梅泉は「何時もの子供の使いか」とばかりにその問題の排除に動きかかった所である。無論、クリスチアンが政治的な反則であるのと同等にこの梅泉も荒事の鬼札である。放っておけば大抵の相手は唯モノ言わぬ屍と成り果てよう。
「まだ『やれ』と言っていないじゃないか」
「やらずとも良いのか? 人が気を利かせてやったら」
「……普通ならお願いするさ。『少なくとも彼等は私に挨拶もしていないんだから』。
 私は自分の管轄内で礼儀知らずの商売を認める程、お人良しの心算は無いよ」
「成る程。主が関知せぬ内に手を広げるとは中々したたかな連中よなあ」
 クリスチアンの言葉に顎に手を当てた梅泉は些かピントのずれた感心をした。
「中々巧妙な連中で見つけるのが少し遅れた」と返したクリスチアンはやや複雑な表情をしていた。
 揶揄すれば「元々そんな顔の作りだが?」と返すクリスチアンだが、今日の彼は何とも憂鬱で歯切れが悪い。異常な自信家でありながら、全てを自信以上に達成する天才肌がそんな風なのは至極珍しい。
「連中の巧緻はさて置いて」
 梅泉も(女心を除けば)勘の悪い方ではないから、そんな彼の微妙なニュアンスを既に察していた。
「止める理由があるか。クリスチアン。
『主のお嬢様』から調査と対処を命じられたのでは無かったか?」
「ああ。命令をサボタージュする事は無くは無いが、今回は別だね。
 彼女の調子から考えて、割に真剣に取り組まねばお叱りや疑いを頂戴する可能性がある。
 私としては私が黒幕ならば兎も角――痛くもない腹を探られ、要らない嫌疑を頂くのは真っ平だ。実に厄介な話だがね」
 梅泉の確認にクリスチアンは苦笑い交じりに頷いた。
「ねぇ、バイセン。ここは誰の街だ?」
「主であろう。クリスチアン・バダンデール」
「問いを変えよう。もっと大本。私は誰に認められてこのサリューを差配している?」
「リーゼロッテ・アーベントロート。気の置けぬ幼馴染と聞いたがな」
「とんでもない。彼女相手に気を置かなかったら首が何度でもすっ飛ぶだろう」
 冗句めかしたクリスチアンだったが「それも正解だが、もっと大本だ」と言葉を返した。
「では、幻想(レガド・イルシオン)そのものか」
「もう少しスケールを下げて欲しいな」
「……注文が多い。ならばアーベントロート侯爵家そのものに違いあるまい」
「そう。その通り。私の権限を担保するのは侯爵家そのものだ」
 相変わらずの調子で煙に巻くクリスチアンの『面倒』な物言いに梅泉の眉が動く。
「……苛立つなって。これは極めて複雑な――順序が必要な話なんだよ。
 リーゼロッテお嬢様は、アーベントロートの名代。謂わば当主代行だ。知ってるだろう?」
「うむ」
「彼女は当主代行としてアーベントロート領内に関わる絶大な権限を有している。
 それは間違いないが、その権限には絶対にして唯一の例外が存在する」
 クリスチアンはゆっくりとした調子で言った。
「『リーゼロッテ・アーベントロートは侯爵家の当主代行に過ぎない。ならば、御当主殿の意向に彼女の命令の全ては抗し得ない』」
「……………は?」
 梅泉は思わず怪訝な顔をした。
 アーベントロート当主はもう長らく全く顔を見せていない。
 口さがない噂を信じるならばリーゼロッテに殺されてしまったという者も居る。
 少なくともこの十数年表舞台に立ったという記録は無い筈である――
「『事件の解決はアーベントロート侯の意向に反している』。
 実に厭なのだが、命じられれば歯向かえる立場ではなくてね。
 この先の『愉しみ』を考えても、このポジションを失うのは上手くないからね。
 つまる所、抜けば斬れる君という宝刀を有していても、事態はそこまで簡単な話にはなっていないんだ。
 ねぇ、バイセン。重要な話はもう一つあるんだけど、答えは分かる?」
「さてな。主等の如き性悪な蛇共の思案なぞまるで知れぬわ」
「……心外だ。これは私も全く歓迎していない話なんだぞ」
 零れた溜息は今日で一番大きなものだった。
「アーベントロート侯は、当主代行リーゼロッテ・アーベントロートの全ての権限を停止した。
 当主代行として、アーベントロートに連なる者としての資格不適切との事だ。
 同時に当主代行としてのこれまでの統治、活動に関わる複数の罪状から彼女の捕縛を命じられた――」
 流石に驚いた顔をした梅泉の一方で今日のクリスチアンの表情はあくまで浮かないものだった。
「――彼女が既に『逃げ出した』のが実際の所、唯一の救いなんだけど」

※幻想で何らかの政変が発生し、リーゼロッテ・アーベントロートに逮捕状が出たという情報が駆け巡っています……

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