PandoraPartyProject
あの丘へのぞむ
石畳の喝采は小気味よく、屋敷の中庭を女が歩いている。
薄絹の裾がふれたコクリコの花達は、朝露を零し、慌てるように姿勢を正した。
そんな花々の傅くような素振りに、女――フレイスネフィラは幾ばくかの感傷に浸っている。
――彼女はこの国を憎んでいる。
彼女はこの国を恨んでいる。
彼女はこの国を呪っている。
怨念の猛りは、自他共に認める『彼女の在り方』のはずだ。
しかしそれは今この時に、彼女の胸に渦巻く想いとはまるで違っていた。
太古の伝承によれば、フレイスネフィラは、この国の創設期において、当時この地方に群雄割拠していた豪族の姫であった。対立するクラウディウス氏族と講和を結ぶ際、だまし討ちに遭い、復讐を誓う恐るべき怪物へ成り果てたのだと伝えられている。
伝承はおおよそ事実であり、けれど隠蔽されており、また忘れ去られてもいた。
それでも『事実は事実』に違いなく、彼女自身はそれを忘れようもないはずでもあったのだ。
現世は彼女が生きた時代の遙か未来に存在している。
復讐をいくら望んだとしても、あれほど憎んだクラウディウス氏族の者達も、勇者アイオンも、既にどこにも居ないのだ。そもそもアイオンの一件に至っては、どうやらフレイスネフィラの逆恨みでもあるらしい。かつて決戦の最中に聞いた謝罪の言葉もまた、忘れられるものではなかった。
講和の宴で毒を盛ったのは、あくまでクラウディウスの薄汚い長であり、アイオンではなかった。
あの勇者は健気にも、平和を信じていたに違いない。
決戦に敗れてから、長く封印されていたフレイスネフィラは、数々の受け入れがたい情報を知ることになった訳だが、どれもこれもやはり『事実は事実』なのだろう。
だから復讐など、既に為すべきは、何一つなくなってしまっていたのである。
悲しいかな、仇敵の子々孫々に至るまで延々と呪い続けられるほど、彼女の精神は強固ではなかった。
第一に、クラウディウスの民もイミルの民も、ただ長い年月の中で混じり合い腐りきっている。
互いを敵と味方ではなく血を混じり合わせ、民を貴と賎へ分け隔て、太古の因縁など忘れ去っていた。
フレイスネフィラはそんな『今』に、可笑しささえ覚える。「ならばそれでよいではないか」と。
そんな現世は、彼女にいくらかの面白い体験も与えてくれた。
勇者アイオン一行の仲間であり、最終的に自身(フレイスネフィラ)を封印した、巫女フィナリィのような者が居たではないか。理由は分からないようで、よく分かる。フィナリィには後悔があった。
フレイスネフィラの力は『死を喰らう』ものであり、様々な技法を用いた『永久封印』とも呼ぶべき多重の術式は、命を賭したフィナリィ自身の死によって、皮肉な綻びを生じてしまったからである。
故にフレイスネフィラが現世に現れたならば、同時にフィナリィが現れたとしても、おかしくはない。
とはいえ彼女の出現には謎も多く、少なくともフレイスネフィラが知る秘術の範疇ではない。
レアンカルナシオンなる者達の術――フレイスの技と然程違うものではあるまいが、それともまた別だろう。ならばまるで生まれ変わりとでも呼ぶ他ないが。もしもそうだとすれば、なんとなく『縛り付けたようで悪かった』などと、いささかばつのわるささえ感じるものだ。
――だから。本当はもう。何もかも、どうでもよかった。
時の流れに身を任せ、思念の終焉、怪物としての生に飲まれ、かつて人であった残滓の全てが消え失せるまで、泡沫を謳歌してみるのが、正解だったに違いない。
けれど彼女は、フレイスネフィラは、『やりたいこと』を見つけてしまっていたのだ。
フレイスネフィラを封印から呼び覚ましたミーミルンド男爵とその一派は、間違いなく自身の遠縁だ。
フレイス姫が子をなしたことはないが、誰か近い血脈の子孫に違いない。それにフレイスネフィラにとって、ミーミルンド男爵には大切な人を喪った同士という、なにやらシンパシーめいた想いも感じていた。
――だが、あれはなんだ。
大魔種。冠位色欲!
未来の可能性を永久に奪い去る滅びの権化、その一柱が。よりにもよってミーミルンド男爵を『反転』させたというではないか。
男爵は決して叶わぬであろう希望を追い求め、フレイスネフィラを眠りから解き放った。
ならばそんな遠縁殿のために、己が持てる力を振るい、結末を与えてやるのは吝かではなかったのだ。
彼等のために『死』をかき集め、『死を喰らう怪物』の権能を大いに振るってやるつもりであった。
そして再び立ち塞がる今世の勇者達と死闘を演じ、その刃を前に『彼の代わりに』倒れてやることこそが、自身の役割であるはずだった。
だがその『死』は、まるで足りていない。これは勇者(イレギュラーズ)が活躍した結果というもので、屈辱こそ感じても、それ自体は敵ながら天晴と云うべき話だ。足りぬ『死』は補う他なく、こうしてミーミルンドの軍勢は会戦の準備に勤しんでいるという訳だ。
いずれにせよ、それでよかったはずだった。
つい先日までは――
「それを……よくも滅茶苦茶にしてくれたものよ。
臓腑が煮えくりかえるとは、正にこのことよな。
目の前に現れでもしたのであれば、くびり殺してやりたいところ」
力の差を思えば決して叶わぬであろうが、そうして果てても構わないとさえ思う。
けれどイミルの民は。
ミーミルンド派の貴族達は。
今やずぐずぐに腐敗しきってさえも。
たとえ歪みきってさえいるのだとしても。
己が伝承を記憶してくれていた。寄り添い続けてくれていた。
ならば自身も、彼等の献身へ応えてやるのが筋というものではなかろうか。
感情をこね回すフレイスがベンチへ腰掛けていると、男爵の配下が慌ただしい様子で駆けてきた。
男爵の家臣達は派兵の準備に忙しいようだ。相手側(ローレット)へも、おそらく情報は風の噂にでも出回っているだろう。
「フレイス姫、そろそろ出立のお時間にございます」
「左様か。演ずる役柄は最後まで通すべきよな」
「……」
「まあよい。明日ではなく、その翌であったか。ともあれ最後となろう黄昏を愛でに参ろうか」
「……はっ。いえ、如何されましたか?」
「戯れ言にいちいち構うでないわ。儀式の手筈はよろしいか?」
「はっ! 万事抜かりございません! お力を振るわれるのを、楽しみにしております!」
「よかろ。下がるがよろしい」
「はっ! それでは、我等ミーミルンドに、勝利の栄光があらんことを!」
今日にも派兵を開始し、明日にでも天幕が張られ、その翌日には、あの丘で――
――今生の別れはとうに済ませておる。
消えゆく亡者から、最後の贈り物をくれてやろう。
待っておれよ、男爵(めいゆう)殿。
それから――勇者(イレギュラーズ)共!
――太古の怨念が渦巻いています。
――幻想国内にきな臭い気配が漂っています……。
これまでのリーグルの唄(幻想編) / 再現性東京 / R.O.O
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