PandoraPartyProject

ギルドスレッド

俺の家

†常闇のトビラ†

フン……このように狭苦しい場所が、我が第二宮とは、な。

え、あ。あ、あー……。
ええと。どうも……。
今の聞いてました?
ヒェッ……。

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『三周年記念寄稿SS』ティファレティア・ライジング


●1-1
 普久原は鍵を開け、暗い自宅へ入る。
 灯りを付け、靴を脱ぎ揃え、緩んだネクタイを外す。
 違和感がある。
 正体は何だ。
 部屋をうろつき、探し――
 ああ。なんてことはない。エアコンが起動していないではないか。
 帰宅に合わせて部屋が涼しくなるように、タイマーをセットしていたはずだった。

(いつから、そんな習慣になったっけ……)

 それよりなにより、部屋がひどく蒸し暑い。
 これではサウナじゃないか。
 恐らく停電したのだろう。原因は夕刻の落雷に違いない。
 毎年のようにハマる罠なのだが、いざ引っかかるまでずっと忘れている。
 思えば今日は散々だった。通勤電車の行きも帰りも弱冷房車だった気がする。
 今日に限って、よりにもよって。オフィスカジュアルでなく、むさ苦しいスーツという日に。
(……厄日かな。厄年っていつだっけかな。当分先だったような)
 とにかくパソコンの電源を入れ、シャワーを浴びよう。
 部屋はその間に、冷えてくれているに違いない。
 消臭スプレーをしこたまに浴びせてやったスーツは……やはり明日クリーニングに出そう。
 そうでもしなければ、二度と袖を通す気になんてなれない。
●1-2
 シャワーを浴びた普久原は、髪を乾かす間もなくPCチェアに座り込んだ。
 今夜のお供は安物のウィスキーと、柿の種、それからチョコレートに煙草――
 オマケに付いてきたグラスに注げば、コンビニのロックアイスが意外と澄んだ音を立ててくれる。
 僅かに残された時間に、やることは単純だった。
 酒を飲み、SNSを眺めながら、聴き古した音楽をかける。
 それからソーシャルゲームを開いて自己ノルマを達成する。ただそれだけだ。
 たまには違うことだってやる。
 同人やインディーズの音楽だって滅茶苦茶レベルが高いし。メジャーだっていくらでも配信されてる。
 アニメや映画なんて定額でいつだって見られる。
 ワンクールのアニメを一気に見るのは、なかなかたまらない愉悦があるのだ。
 自由や贅沢というものは――おおよそこんなものだろう。
 中年の日常なんて、代わり映えする筈もない。
 明るい記事なんて一つも無いニュースを、だらだらと流し読みしてもいいし、なんだって構いやしない。
 幸せを感じる瞬間がない訳ではないのだ。
 例えば小説投稿サイトを読んだっていい。
 通勤しながら、休み時間に、寝る前にスマートフォンで世界に浸りきるのだ。
 プロ作家の本だって、スマートフォンで読めてしまう。文庫を買ったってさしたる金額じゃない。
 あるいはイラスト投稿サイトの新着を楽しんでもいい。お気に入りのキャラクターを、お気に入りのイラストレーターが描いていれば万々歳だ。なんなら右上にあるリンクから、えっちなイラストを楽しんで、せっせとブックマークしたっていいじゃないか。

 インターネットはいい。
 いつも現実を遠ざけてくれる。
 いつも足りていない、時間と場所を提供してくれる。
 いつでも毎日、都合の良い時間に、好きな場所で。
 いつだって夢のような時間を、約束してくれる。
 ずっと。ただずっと溺れていたい――
●2-1
 ネットサーフィンという言葉は、廃れて久しい。
 事象そのものが消えて無くなった訳ではない。きっと当たり前になりすぎたのだろう。
 今や誰もが日夜、手元の携帯端末で、情報の海を泳いでいる。
 イラスト投稿サイトには、アマプロ混合の美麗なイラストが並び、疲れた目を癒やしてくれる。
 けれど――そうしていると、机に乗りっぱなしのペンタブレットが、嫌でも目に入る事がある。

(いつから、絵を描かなくなったんだっけな……)

 埃をかぶった外付けHDDには、身もだえするような絵が眠っているはずだ。
 たっぷりと躊躇した後に、普久原はウェットティッシュで外付けHDDを拭き取るとUSBコネクタを繋げて電源を入れる。数ヶ月以上ぶりに描画ソフトを起動して、直近の自作イラストを開いてみた。
 小僧の頃に描いていたものよりは、多少マシにも思えるが――ひどい出来だ。
 ならば、もっと古いものは、どうだったろうか。
(あー、これだ。こんなキャラ描いたなあ、なんだっけ、ええと。エターナル……)
 こっぱずかしくなるようなタイトルの、自作世界の主人公であった。
 小説のような何かを書き起こしたり、イラストをつけたりしていた。
 想定していたのは、凜とした瞳に、美しい銀色の髪に、メリハリが派手なプロポーション。
 堕天使のような翼があり、なんだか十字架やドクロのモチーフを多用していた気がする。
 とんでもなく強い魔剣を振り回している。
 パートナーもまた美少女で、無駄に過酷でつらい設定を背負わされていた。
 それでもなんのかんのどうにか片付けて、二人は幸せに結ばれるのだ。
 今で云うところの、メリーバッドエンドだったように思う。
 主人公の名前はティファレト、ティファ……なんだったろうか。
 完成すらさせていない訳なのだが。はて――
●2-2
 初めはキャラクターに自己投影をしていた。
 つまりは『そんな無敵の女の子になりたかった』訳だ。
 普久原自身は心身共に男性である。
 だがなぜだか子供の頃から、ファンタジーの世界でミドルティーンの女の子になりたかった。
 美少女で、便利な魔法が沢山使えるという設定が良かった。
 さしたる理由はない。かなり消極的なものだ。
 生きていく上で、色々と『困りたくなかった』のだ。
 年々、妄想は膨らんでいった。
 歳なんかとりたくないから、だったら永遠の美少女にしてやろう。
 生きていれば、色々厄介なこともあるだろう。ならば無駄に強ければいい。
 どうせなら、とことんだ。闇属性か光属性で、神や魔王じみた強さがいいじゃないか。
 だって妄想なら、なんだっていいだろう。
 どんなに都合が良くてもかまいやしないだから。
 寝る前には、いつだってそんな妄想を膨らませていた。

(いつから、自己投影しなくなったんだっけな……)

 行きすぎた空想は、ついに自分自身の精神性から完全に乖離した。
 普久原の中では、キャラクターは勝手に生きており、自身とは完全に隔絶した人格を有していた。
 物語はいつだって都合良く回り、主人公は過酷な紆余曲折を、なんだかんだで突破するのだ。
 都合の良い世界で、無敵の能力で、苦労しながらも、なんでもかんでもどうにか出来る。
 主人公というやつならば――!
 けれど人生というやつは、そうとは限らない。
 ならば物語はどうだろうと考えた。
 より現実的であるべきなのかと悩んだ。
 バッドエンドだっていくつも考えた。
 いつしか普久原は、完全無欠の美少女ティファレティア・セフィルの事などすっかり忘れていた。
 既にそこには無数の物語と主人公が居た。
●2-3
 時にはMMORPGのキャラクターであった。
 時にはTRPGのキャラクターであった。
 時にはハマっていたジャンルの二次創作。
 時には全くのオリジナル――

(いつから、創作しなくなったんだっけな……)

 時間というものは残酷だ。
 何をしていても――していなくても――刻一刻と流れ去ってしまう。
 普久原の学生時代(モラトリアム)は終わり、ついに就職しなければならなくなった。
 創作も空想も、ただの妄想さえも。
 ただ『生きていく』という現実に押し流されてしまう。
 身体は衰え、体力は失われ、集中力も尽きてしまう。
 やりたいことを諦めたつもりになって、やらなければならないことに精を出す日々は終わってくれない。
 年金だって、どうせもらえやしないだろう。逃げ切ることすら出来やしない。
 だましだまし生きていくことを、三日続けて、三ヶ月続けて、三年続けて、十年続けて。
 夜にはこうして、何もかも忘れるように、安い酒を飲むのだ。
 ワナビを引き摺ったまま、それでもあのモラトリアムは、もう二度と戻らない――

 いつだろう。
 頭の中からティファレティアが居なくなったのは――
●3-1
 ――明るい。寝ていたのか。

 昨晩は、ひどく酔っていた気がする。
 身じろぎすれば、二日酔いの金槌が頭をガンガンに殴りつけてきた。
(寝てたよな。なんで空が見えるんだよ)
 どうにか身を起こした普久原が、そこを『無辜なる混沌』という世界の『空中神殿』だと認識したのは、実に数時間後の事であった。

 考えても見て欲しい。太陽にかざした手のひらが、指が――白く細いのだ。
 胸に何か乗っているのだ。重い物が、ふたつ。
 それが自分自身の胸であることを知った衝撃は、とてつもないものだった。
 服装だってそうだ。脚や胸元をさらけ出した、あられもないファンタジーの美少女そのものではないか。
 第一に、自由自在に動かせる翼なんて、この世にあるものかよ。
 そして最大のショックは、自身の容姿が小僧の頃に創作したキャラクター『ティファレティア』そのもの――もっと云えば『それを極限に美化した』姿であるという点であった。
 小僧の頃の絵になんて、似ても似つかないほどに。

 それから普久原も例に漏れず、空中神殿で通り一遍の説明を受けた。
 感想は(へえ……転生のトリガーはトラックじゃないんだな)といったものであったが、さておき。
 ここに召喚された者は、おおよそ『ローレット』か『探求都市国家アデプト』なる場所へ向かうらしい。
 普久原は――アデプトを選んだ。
 そもそも、この世界の救済などというお題目を、にわかに信じることが出来なかったのもある。
 ただ最大の理由は、ひどく疲れていたことだ。
 奇しくも真新しく生まれ変わった身体はともかく、心がひどく疲れていた。
 この世界での出来事が、夢でないことを信じることが出来たことすら、数日後の事だったのだ。
●3-2
 探求都市国家アデプト――練達という国では、再現性東京なる地域を案内された。
 別に東京に思い入れがあった訳ではない。
 どちらかと云えば、そんな場所からはさっさとおさらばしたい人生だった。
 別段、故郷だの実家だのに帰りたかった訳でもない。
 ただずっと『ここではないどこか』へ行きたかっただけなのだ。
 だから普久原がそこを居住地に選んだのは、やはり消極的な理由に依った。
 一番『面倒臭くなさそうだった』からである。
 なんといっても、東京(こきょう)に良く似ている。
 コンビニもあれば、アパートもあった。酒も煙草もインターネットも、なんでもござれだ。
 仕事だってある。
 馴染みのあるIT系の仕事だ。
 世界法則『混沌肯定』に支配され、物理法則さえ根幹から異なっているであろう世界で、わざわざノイマン型コンピューターを再現するというのは、ある種の狂気さえ感じるが。
 けれど見た目が変わっても、世界が違っても、『出来そうなこと』があるのは何よりも心強かった。
 自身がありふれた文明社会にそれほど依存していたことは――ある種の残念さは伴っていたが――当然のように受け入れることが出来た。
 心機一転しようと考える程の余力は無かったが、どうにか生きて行けそうだったと感じられたのだ。

 だから。
 あの言葉はショックだった。

 ――いままでの人生が夢じゃなかった証拠なんて、どこにあるんです?
●3-3
 普久原 靖は男性である。
 より正確には、自身を男性であると定義している。
 普久原は現代社会の東京郊外で生まれ育ち、ありふれたオタクとして生きてきた。
 少なくとも、自身の自我は、記憶は、そうであると信じている。
 オタクとして、好きなジャンルは『百合』である。
 百合というものを認識し、理解したときから、そこに『自分自身』は存在出来なくなった。
 そこに『少なくとも精神的に男性である』自身が存在してしまえば、尊みが消えると考えたからである。
 例えば『百合の間に挟まるおじさん』は、断固として許さないのだ。
 自身がそうであるなど、論外である。
 けれど普久原はある程度、歳を取ったオタクであり、こだわりもあれば、許容もある。
 例えば。普久原は、自分自身がある日突然、美少女になることを百合であると許容しない。
 そういったジャンルが存在することは許容する。
 ただ『見ないようにする』のだ。

 オタクにとって、棲み分けは重要だ。
 陽キャのように空気は読めなくても、誰とでもすぐに打ち解けることは出来なくても――
 自分自身の居場所を守るために、他者を尊重することは、どうしても必要だった。
 若い頃は血気盛んになっても、己が安住の地を見つけるために、そうした寛容を努めて身につけてきた。
 かつて苦手としたジャンルであっても、今ではごく自然と楽しめる程度に許容出来ているつもりだ。
 食べ物にせよ、好き嫌いは克服すべきだと努力してきたのもあれば、好奇心も強かった。
 その点は恵まれた精神性だったのかもしれない。
 けれど、それでも受け付けないものはある。
 食べたくないものは――決してゼロではない。

 だから。
 だからこそ。
 あの言葉はショックだった。

 ――女性ですよ。それも美少女です。

 この再現性東京2010街・希望ヶ浜で、水先案内人をしている女がそう言ったのだ。
 音呂木ひよのという少女は、悩める普久原の言葉を聞いて、確かにそう述べたのだ。
 お分り頂けるだろうか。
 三十路を越えたおっさんが、二次元美少女百合好きのおっさんが、美少女と呼ばれたのだ。
 これだけは断固として述べるが。この身体は、小僧だった頃に何よりも欲しかった身体である。
 それは紛れもない事実だ。
 現実を突きつけて『くれた』、あの言葉の正しさを疑う余地なんてありはしない。
 けれど――
●4
 頭がガンガンする。
 今日も今日とて、二日酔いだ。
 普久原は元来、さほど酒が強くない。
 それでも夜は狭い自室で、晩酌の習慣を欠かさなかった。
 ウィスキーのロックをダブルで一杯、ちびちびとやる。
 小説投稿サイトを読み、イラスト投稿サイトを楽しむ。
 この時間だけが、人生の充実であった。
 けれど、たまに羽目を外して何杯もやる。それこそ朝までやる。
 決まって襲いかかる二日酔いに後悔するが、どうにも辞められやしない。
 あんなことを思い出した晩には、特に――

 希望ヶ浜に来てから、もうずいぶんと経つ。
 自身の、訳の分からないこだわりさえ、時たま分からなくなる。
 それをアイデンティティーだとか、レゾンデートルだとか、格好良い横文字を並べて思い出してみても、流れる時間に揺蕩う自我というものは、今この時をこそ現実だと叩き付けてくる。
 いつだって決まって、こんな二日酔いの朝だ。

 普久原は、この世界での容姿から『ほむら』と名を変えて生きている。
 ――現実は受け入れなければならない。
 ――好き嫌いは克服しなければならない。
 そも、これを好き嫌いの範疇に含めることが、傲慢である。
 望んだ身体なのだ。望んだ未来なのだ。
 美少女異世界転生というものは!
 それを許していないのは、ただ自分の心だけなのだ。

 私は。この世界を――楽しんでもいいのかな。

 頭の中で何がどれだけぐるぐる回っていても、現実とは聳える不動の巌である。
 それでも普久原は、今日の夕方から、別件の仕事があることを思い出していた。
 かつて自身が背を向けた『ローレット』という組織の、案内をすることになっている。
 述べねばならない言葉を頑張って思い出す。
 シャワーを浴び髪を整えて、押しつけられた制服を着て、鏡の前で小首を傾げてみせる。

「えーっと。ローレットのイレギュラーズさんですよね。
 この街は初めてですか? ご案内します。色々と、珍しいと思いますので……」

 鏡の中の人は、今日もどうしようもなく綺麗だった。

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