シナリオ詳細
<琥珀薫風>約束の果て
オープニング
●
静かに尾を引いて青い海を船が進む。
目の前に広がる景色はどこまでも続く大海原だ。
船の甲板から水面を覗き込めば深い海の色が見える。
底の見えない深青に飲み込まれそうで、『琥珀薫風』天香・遮那(p3n000179)は瞳を伏せた。
「遮那様……気分が優れませぬか」
憂う横顔に並ぶのは『天香の忠臣』姫菱安奈だ。吹いてくる風に長いポニーテールが揺れる。
「……」
安奈の問いかけに遮那の視線は彷徨い、辛そうに眉が寄せられた。
遮那の手に握られているのは夢見 ルル家(p3p000016)からの手紙だ。
動揺していたのだろう、所々滲んだ文字で綴られた手紙には信じられない内容が書かれていた。
遮那がシレンツォオに遠征している間に、親友である浅香灯理が『魔種』となったというのだ。
それに加え、天香の当主の座を乗っ取ろうとしている。
最初は冗談だと思った。
お調子者のルル家が自分を驚かせる為に寄越した手紙なのだと。
すぐに次の手紙が来て「びっくりしましたか?」なんて可愛い文字が踊るのだと思っていた。
けれど、翌日もその翌日もそんな手紙は来なかった。
もう一度、ルル家からの手紙を見返して遮那は蒼白になった。
否、信じたくなかった――
灯理が魔種になったなんて信じたくなかった。
「安奈、私は……また大切な人を斬らねばならぬのか?」
波の音と震える声。琥珀の瞳から涙が零れ落ちる。
「灯理を斬らねばならぬのか!?」
安奈よりももう随分と大きくなった遮那が、子供のように声を張り上げた。
「はい。天香の当主として、その名を騙る不届き者を処さねば成りませぬ」
「だが! 灯理は私の親友なのだ! それを……それを……」
「ならば何故、長胤様を斬られたのでありましょうか? それは逆賊としての討伐は元より、長胤様は魔種に堕ちた者だからでしょう。人の世に仇成す存在に他なりませぬ。灯理殿も然り。
天香の当主として都を守る為、遮那様は親友殿を討たねば成りませぬ」
安奈は天香の忠臣として非情な言葉を選んだ。
それを『遮那が望んでいる』と思ったからだ。遮那とて魔種になった者を放置出来ないと知っている。
踏ん切りが付かないだけ。親友を斬る嫌悪をどうにか決意に変えたいと足掻いているのだ。
だから、安奈は背を押してやる。自らの意思で決別できるように。
「何泣いてんだよ」
「ガキみたいに甘えてんじゃねーよ」
遮那の両側から手が伸びてくる。柊吉野と御狩明将が遮那の首を押さえぐりぐりと頭を掴んだ。
吉野は遮那の涙を手ぬぐいで拭き取る。
「灯理が魔に堕ちたなら、俺達の手で形着けるしかないだろ」
明将は遮那に頭突きをしながら活を入れた。
「あいつは頭良いから考えてる事ちょっと分かんねえとこあるけど、それでも俺達の親友だから」
悲しげな決意を遮那に向ける吉野。
「ああ、すまない。吉野も明将も安奈も……」
涙を拭った遮那の懐に望が突進する。自分を忘れるなと主張しているのだ。
「望もな。……もう大丈夫。必ずこの手で灯理を討つ! それが親友にしてられる手向けだ」
蒼穹の空に一陣の強い風が吹いた。
●
「僕は幸せだよ、那岐」
「ああ、俺も幸せだ」
天香邸の部屋の中、鹿ノ子(p3p007279)は幼馴染みの那岐に微笑みを浮かべる。
幸せそうに寄り添い、耳元で囁く声は甘く。されど、鹿ノ子の心の内は固く閉ざされていた。
琥珀の瞳は那岐を映しているのに、心は遮那の未来を望んでいる。
――全ては、全ては。遮那さんのため。
貴方の未来が輝くのなら、此処で赤い花になっても構わない。
忘れてほしいと貴方に告げた時、悲しそうな顔をした。
そんな顔を見せてくれるほど、貴方の中で僕は大きくなっていたのだと嬉しかった。
「いつまでも一緒だよ、那岐」
鹿ノ子は幼馴染みの手を優しく握る。
安心させて、那岐を殺す。
魔種である幼馴染みが遮那に手を掛ける前に、自らの手で殺してみせる。
たとえそれが、自分を助けてくれた存在なのだとしても。心を守ってくれていた人なのだとしても。
全ては、遮那の為に。
那岐は寄り添う鹿ノ子の髪を撫でながら目を細めた。
「この結界の中に居れば、苦しむ事無く幸せで居られる。鹿ノ子が悲しむことは何もなくなるんだ」
「本当に? 嬉しいよ那岐」
愛らしい顔を自分に向けてくる鹿ノ子の頬を指で撫でる。
待ち望んだ鹿ノ子との蜜月。幸せで泣きたくなる衝動が那岐の中に溢れた。
同時に、絶望が那岐の心を覆う。
本当は鹿ノ子の心が自分に無い事なんて解っているのだ。
彼女は変わってしまった。自分の知っている『あの日の鹿ノ子』ではない。
だからこそ、束の間の幸せな時間に酔いしれた。
この幸福な時間を奪われたくない。
ただ、鹿ノ子と一緒に居られればそれでいいのに。
きっと遮那はそれを邪魔しにくるだろう。
だから、遮那を殺す。誰にも鹿ノ子を奪われないように。
――――
――
「本当にだめかな、隆元……もう、無理なんだろうか」
そんな風に弱音を吐く主を黒影隆元は大凡初めて見た。ちょうど一年前の冬だ。
「私の力が及ばず申し訳ありませぬ」
黒影隆元は元の世界で人形を作る事に長けていた。
彼の作る物には魂が宿り、動き出すとも言われていた。
だから、この無辜なる混沌でも炎の八百万である灯理をどうにかして仮初めの身体に移す事は出来ないかと模索していたのだ。
されど、灯理の命の根源である『真火』は徐々に小さくなっていった。
人間種でいうところの不治の病であり、為す術は見つかっていなかった。
「持ってあと一年というところかな」
「左様でございます。悔いの無きよう……」
「悔いかあ……いっぱいあるや」
隆元の言葉に灯理は浅香邸の天井を見上げた。
「まだまだ子供の遮那を支え、共に政を行わねば心配で仕方が無いし。
意地っ張りで、意外と気を使う吉野や明将達を導いてあげないといけないし。
皆と一緒に気兼ねなく旅行にでも行きたい……行きたいなあ」
「夏になれば、遠征してみてもいいのでは?」
最後の夏。決して忘れることの無い思い出を抱き逝けるのなら幸せだろう。
「ああ、惜しいなぁ……せっかくルル家殿とも仲良くなれたのに」
死にたくない。死にたくない。死にたくない――
●
「……だから、僕は魔種となった」
天香邸の中庭で山茶花を愛でながら灯理は遮那達へ視線を向けた。
「命を繋ぐ為に、君達に幸せで居て貰う為に。
少しでも君達が笑顔で居られる時間をつくりたくて。
だからさ、泣かないでよ二人とも。笑っていてほしいんだ……」
緩やかに微笑む灯理に遮那は強い眼差しで『否定』する。
「其方の好きにはさせぬ! 灯理よ、我が親友よ……いざ尋常に勝負!!!!」
剣を抜き去った遮那の頭上に白い光が弾けた。
その光は天香邸を覆い尽くし、春の陽気の如く温かな風を吹かせる。
「これは……」
小金井・正純(p3p008000)は弓を構えながら空を仰いだ。
もう十一月だというのに、まるで春のような心地の良い風が正純の頬を撫でる。
「結界よね。この前見つけたあの印」
正純の隣へと歩み寄ったタイム(p3p007854)は眉を寄せ、以前見つけた結界の基軸を思い出した。
「恐らく中のものを閉じ込めるためのものだな」
黒影 鬼灯(p3p007949)は己の祖父である隆元へと視線を送る。
「その通りだ鬼灯よ。我が結界が完成すればこの場所は隔絶され、この世と彼の世の狭間で永遠に幸せな日々を過ごす。老いも病も無く、幸福で居られるのだ」
鬼灯へと手を伸ばす隆元の言葉は真か嘘か判断は付かないが、結界を抜け出すには彼を倒すしか方法は無いように見えた。或いは、結界の基軸を破壊する事も有益であろうと小声で炎堂 焔(p3p004727)に教えてくれたのは猿飛段蔵だった。
「ふむ……追いかけて来てみれば何やら奇怪な事になってますね」
天香邸に張り巡らされた結界の外、『彷す百合』咲花・香乃子は首を傾げる。
香乃子はダガヌが消え去り、その力であるダガヌチもまた香乃子の体内から消失したあと、種族美少女である安奈と咲花・百合子(p3p001385)を追いかけて此処まで来たのだ。
ダガヌチを取り込んだ香乃子はこの世界の在り方を知った。知らぬ事ばかりで儘ならない。
「無知は罪ではないですが、知ろうとしないのは愚かです。此処はどう出るか様子を見てみましょう」
踵を返した香乃子は近くの寺院の屋根へと登り、天香邸を見下ろした。
百合子は強い気配を背筋に感じて振り向く。
「まさか……」
険しい顔で気配を探るも、香乃子が近づいて来る様子はなかった。結界に阻まれているのだろう。
されど、彼の者がいつ突入してくるか分からない。
「急がなければ」
早くしなければ結界が閉じる。
隆元は鬼灯を。
那岐は鹿ノ子を。
灯理は遮那とルル家を。
その常幸の檻に閉じ込めたいと願い。
「難しいことはわかんないけど、今度はカナがお姉ちゃんを助ける番だよね?」
カナメ(p3p007960)自身、鹿ノ子に思う所が無い訳では無いが。それを思えるのはその存在が生きて居ればこそなのだ。
「俺も手伝うよ。此処まで関わって来たんだ」
遮那の方に手を置いたのはヴェルグリーズ(p3p008566)だ。
「ああ……」
思えば、兄の長胤を斬った時も終わりを告げる剣は傍に居てくれたと思い出した。
「遮那くん、行きましょう!」
「私もちゃんと、傍に居ますから」
傍らのルル家と隠岐奈 朝顔(p3p008750)の言葉が心強い。
「鹿ノ子! 絶対に助けるから待っておれ!」
操られている鹿ノ子は那岐の傍に居る。遮那は琥珀の双眸を上げた。
那岐から鹿ノ子を救い、灯理を討つ。
決意と矜持を胸に抱いて――
- <琥珀薫風>約束の果て完了
- GM名もみじ
- 種別長編EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2022年12月07日 22時25分
- 参加人数15/15人
- 相談5日
- 参加費150RC
参加者 : 15 人
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参加者一覧(15人)
リプレイ
●
爽やかな空色は広く澄み渡り、花の香りを纏わせた風が頬を撫でる。
冬の気配は何処にも無く。あたたかで優しい春の日差しが降り注いでいた。
安寧の揺り籠で微睡み見る夢は、どんなに幸せなのだろう。
柔らかな色彩が『夏の残照』鹿ノ子(p3p007279)の視界を覆う。
結界の中は夢の中のような多幸感に包まれて、何の不安も無い世界だった。
けれど、予感がある。
遮那は来るだろうと、来てしまうだろうと。
己がいくら道化を演じようと神使達を欺しきれる筈が無いことは最初から分かっていたのだ。
或いは、己こそ裏切り者と罵られるかも知れない。それでも良かった。
遮那を危険な目に遭わせたくはなかった。
ふ、と声が漏れる。遮那を守りたいという意思は灯理と同じなのだろう。
けれど鹿ノ子の心は晴れない。此処に来て、否が応でも思い知らされるものがある。
遮那を深く知っているからこそ、彼がこの場に来てしまうことを避けられない。
どんなに辛くとも、天香家の当主として、彼は絶対に逃げ出さない。
だから……
――――
――
風に揺れる艶やかな黒髪と凜とした『琥珀薫風』天香・遮那(p3n000179)の横顔に息を飲む。
「遮那さん」
小さく名を呼んだ『揺れずの聖域』タイム(p3p007854)は真っ直ぐ『親友』を見据える少年の眼差しに初めて会った時の情景を思い出す。あれから二年。幼さの残る子供だった遮那が青年へと成長しつつあった。
大人になったと言葉にすれば容易く聞こえるだろう。されど、それは彼が弛まぬ努力を怠らず天香を背負ってきたからこそ。そんな『少年』の背を皆が支えたいという想いがあればこそ。
――なのに、なのに! あんな顔、もう見る事は無いと思ってたのに!
タイムは胸元で指を握る。皮膚が白くなるほど力を込めて。悔しさともどかしさが胸を締め付けた。
運命というものは残酷だと『離れぬ意思』夢見 ルル家(p3p000016)は眉を寄せる。
唇が戦慄き、それを押さえるように歯でかみしめた。
視線の先に佇むのは遮那の親友、浅香灯理だ。いつも優しい笑みを浮かべ遮那を支えてきた少年。
その灯理の命の灯火が魔種にならねば尽きるだなんて……ルル家の瞳に涙の膜が張る。
負の感情を解かなければ、こんな痛みも苦しみも感じなくて済んだのかもしれない。
けれど、同時に『悲しむ』事が出来てよかったとルル家は思うのだ。
以前の『自分』だったなら灯理との決別も、きっと何も感じなかっただろう。他の戦いと同じように只、別れがあるだけだったに違いない。だから、良かったといえる。
「灯里くん。拙者は戦います」
凜とした声が天香邸の中庭に響いた。決意が揺るがぬよう。己を奮い立たせるように。
幾千の戦いと、散りゆく命を見送ってきた。その道が正しかったのかルル家には分からない。
いくら振り返っても答えは無く、これから先も胸を張れる日は来ないだろう。
それでも守りたい未来があるのだ。軽やかな金属音を迸らせ、ルル家は白く輝く星の剣を抜く。
「――天香之比翼、夢見ルル家。参ります!」
緑瞳に矜持と輝きを宿し、少女は剣尖を閃かせた。
「吉野さんも遮那さんの傍にいて」
タイムは柊吉野へと顔を向ける。
この戦いで背負うべきものの重み、その覚悟は全員で背負うべきなのだと告げれば、少年は「分かってる」と短く応えた。吉野とてこの数年を共に過ごしてきた友人との決別なのだ。刀を握る手に力がこもる。
皆がどんな想いでも、最後まで自分が支えると決意したタイムと同じように、吉野もまた強い意思でこの戦場に立っているのだ。何が起ろうとも己の成すべき事を成す。其れがタイム達の戦いであった。
『桜舞の暉剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は遮那の腕に触れる。
その別れに寄り添うことは、ヴェルグリーズにとって自然なことだった。
初めて会ったのは彼が義兄を斬った戦場で。別れの瞬間の迷いを、その背を優しく押したのだ。
それに。
「俺は別れの精霊にして、何より……キミの友人だから」
「ヴェルグリーズ……」
遮那の背には沢山の思いが寄せられている。家臣や友人たち、天香に連なる街の人々。
その願いを思えばこそ、この場に閉じ込められる訳にはいかなかった。
ふう、と深く嘆息した『燻る微熱』小金井・正純(p3p008000)は緩く首を振る。
「ダメですね、ええ」
冷静では居られない自分を自嘲するように呟いた正純。
噴き出す感情が胸を焦がすように弾ける。
「遮那さんやルル家には悪いですが、二人を守るためにとこんなことしでかす灯理くんも、それ以外の今回の一件に関わる誰も彼も自分勝手がすぎます……」
隔絶された世界で平和に幸せに、などという灯理が、那岐が、癪に障るのだ。
愛し合っているのに、愛されているというのに。正純の胸の奥で焦燥が迸る。
それ以上を求め、大切なものを傷つけて。
相手のためだと己を赦して、自身は悪たらんと傲慢に酔いしれている。
閉ざされた道の上に差す光はもう無いのだと、絶望と不安を見なかったことにしているのだ。
「そういう大事なことはお互いに面と向かって言いなさい! 話し合いなさい!
なんのために口がついてんですか貴方たちは! 言わなくても伝わるとか反対されるの分かってるから言わないとかそんなのはダメでしょう!」
湧き上がる苛立ちと言葉に、はたと我に返った正純は、一つ咳払いをして金の双眸を瞬かせる。
「まったく……全員まとめてお説教といきましょうか。今日はいつもよりも容赦はしません」
全力で打つからねばならぬと正純は弓の握りに力を込めた。
戦場を走り抜けたルル家を見守るタイム瞳には、彼女がいつも以上に感情を露わにしているのが映る。
冷静でいてほしいと願いつつ、それは無理な相談なのだろうと分かった。
タイムとて儘ならない想いを抱え嘆息するばかりなのだ。
こんな戦い誰も望んでなんかいないのに……タイムの頬を細く伝う雫が陽光に煌めく。
「ルル家チェックヨシ。なるほど、"あっちは偽物"か」
戦場に視線を巡らせた『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)は鹿ノ子の傍で刀を構える那岐の姿を見つけ、その容貌を注視する。空色の髪に金の瞳。那岐が幻術を解いたいま、見間違う様な事は無いだろう。
汰磨羈は並んだ『毒亜竜脅し』カナメ(p3p007960)に頷く。
カナメの動きに合わせ、弧を描くように呪獣の側面へと回り込む汰磨羈。
「こんな邪魔者がいては、落ち着いて話す事も出来ないだろう?」
黒い血潮に似た液体が呪獣の胴から吹き上がれば、汰磨羈はそれを身を翻し避ける。
続けざまの獣の牙を受け止め、なぎ払う。
汰磨羈が舞うように跳ねれば呪獣が後ろに回転して地面を転がった。
「この手の雑魚は任せろ。纏めて薙ぎ払うのは得意分野だ!」
「かたじけない……」
遮那の言葉に「なあに、気にするな」と汰磨羈は口の端を上げる。
駆け出した遮那を追うように進路を変えた呪獣を汰磨羈の刃が切り裂いた。
「通さんよ」
汰磨羈の作り出した道の合間を縫ってカナメが前に出る。
「カナはね、お姉ちゃんがどうしようと何かを言うつもりはないんだよ?」
好きな人と一緒に過ごし、笑って、泣いて、幸せを感じて……『そのまま何処かに消えてしまえば』とカナメは思ってしまうのだ。それだけでカナメも同じぐらい幸せな気持ちになれる。己のあずかり知らぬ所で幸せに暮らしてくれるならどれ程良いだろうか。
されど、今は違う。違うのだ。
カナメは那岐の隣に佇む鹿ノ子に顔を向ける。
「今のお姉ちゃんは、何でかなぁ……見てられないんだよね」
向かってくる呪獣を邪魔だと言わんばかりに蹴りつけるカナメ。
「ねぇ遮那っち! お姉ちゃんを助けたら真っ先に抱きしめてあげてほしいんだ
じゃないと……カナ、我慢できなくなって、きっと殺しちゃうかもしれないから」
刀の柄を握り締めるカナメを遮那は一瞬だけ見遣り、頷く代わりに琥珀の瞳を瞬かせた。
「カナが見たいのは、お姉ちゃんのあんな姿じゃない。
この前は助けてくれたから……今度はカナが助ける番だよ!!」
引き裂かれた呪獣の向こう側に、鹿ノ子の姿を捉えたカナメが叫ぶ。
「――遮那君、君に伝えたい事があるんだ」
小さく息を吐いた『真意の選択』隠岐奈 朝顔(p3p008750)は遮那の背を見つめた。
「私は何も心配ないように強い者を取り繕った、誠実で誰も傷つけぬ恋をしたかった……そうすれば君に相応しく、最愛を手に入ると思ってたから。今もそうあろうとしてるけど……ちょっと難しくなっちゃった。
それぐらい君への想いが醜く育っちゃったの」
遮那へと並んだ朝顔は眉を下げ心の内を明かす。
「君と特別な関係な人を嫉妬して。時に遮那君すら傷つけそうになる……」
朝顔は遮那に向かって牙を剥く呪獣を大太刀で押しとどめた。
「遮那君、大好き。君の全てになりたい。君の全てが欲しいぐらいに。
……全て終わったら、此の恋心受け止めくれると嬉しいな?」
切なる願いを込めた言葉は遮那の耳に確りと届く。
朝顔の持つ刀の刃と獣の牙が摩擦し音を立てた。横薙ぎに払われた獣が地面を滑る。
剣檄の音が戦場に反響し、呪獣の咆哮が空気を震わせた。
動き回る獣の隙間で『頼れる守護忍』黒影 鬼灯(p3p007949)と黒影隆元の『視線』が合う。
布で顔を覆い隠した隆元がこちらを見ているのが分かった。
「久しいな、鬼灯。元気で何よりだ……また一緒に過ごせるな」
鬼灯の視界に朧気な記憶が流れ込んで来る。
掌の優しさも愛情も、全て、全て思い出した。
息を飲む音が聞こえてくる程の鬼灯の『動揺』を『北辰の道標』伏見 行人(p3p000858)は感じ取る。
「鬼灯、落ち着け」
「……」
「俺の知ってるお前は、嫁さんにうつつを抜かしているけれど、水の心を持って静かに戦う奴だ」
行人の言葉に鬼灯は深い溜息を吐いて「ああ」と友人に手を上げる。
再び隆元へと顔を上げた鬼灯は確りと彼の事を思い出した。
思い出してしまえば、お前なぞ知らぬと手を払い除けることなど出来やしない。
かつて隆元は鬼灯をその手で生きながらえさせ、愛情を注いだ。この世界にやって来てからも鬼灯の幸せを願い続け待っていたのだろう。長い月日の中で徐々に狂い始め、仕えた主は病に伏せ魔に堕ちた。
救えるはずの命が目の前で散ることに誰よりも抵抗し足掻いた隆元にとって、それはどれだけの絶望だっただろうか。その心を思うほど唇をかみしめざるおえない。
「空繰舞台の幕を上げよう。ここにいる全ての演者の為に」
「ああ……俺はお前をもたせる。その代わり、頼むよ」
ゆるく鬼灯から広がる銀の糸は空に溶け込み戦場に張り巡らされる。
「隆元……いや、祖父殿。永遠に変わらぬ時は成程優しいのだろう。
だがな祖父殿。俺がその時の中に留まるには、あまりにも遺していくものが多すぎるのだ」
時を止め幸せな結界の中で過ごす隆元の願いは『優しさ』故なのだ。
それを鬼灯も分かっている。されど。
「頭領と俺を慕ってくれる部下達。この豊穣の大地。遮那殿、霞澄帝」
そして、と鬼灯は腕の中で小さな手を振る章姫に視線を向ける。
「貴方が鬼灯くんのお爺様? ごきげんよう! 私は章姫、鬼灯くんの奥さんなのだわ!」
「……俺の妻の、章殿。この全てを護る為ならば俺はどんな地獄でも歩もう」
元より、忍などになった時点で蓮の花咲き乱れる極楽など行けるはずもないのだ。
「だからこそ、貴殿の誘いには乗れぬ。俺を捕まえたところで、結果は同じこと」
「……」
鬼灯の言葉に隆元の纏う色に悲しみが広がる。
同時に浅香に仕える忍が姿を現した。鬼灯を庇うように前にでた行人は蔦を纏う刀を掲げる。
揺らめく螺旋の焔が刃に反射した。炎の精霊は行人に加護を与えるのだ。
戦場を駆け抜ける赤き炎は浅香の忍の眼前をすり抜けじりじりと黒衣を焦がす。
「まさか、こんな子供騙しに引っかからねえよな? 浅香の忍さんたちはよ?」
目の前をじりじりと揺れて動く焔に浅香の忍は苛立ちを募らせた。
「チッ……」
常に冷静で在らねばならない忍を絡め取る行人の采配は鬼灯ならず、遮那たちにとっても有り難いものだった。広域俯瞰により常に戦場の動きを把握している行人は司令塔として優秀であった。
それに、と行人は口角を上げる。己の領分は守備にあった。前に出て派手に動くよりも手堅く仲間を守り援護する方が性に合っているのだ。こと、今回に限っていえば友人である鬼灯の背を押してやれる。
「鬼灯!」
「ああ……すまない」
行人に群がる忍の間を抜け、鬼灯は『祖父』の元へ駆け出した。
●
戦場のうねりに視線を巡らせる『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は数度瞳を瞬かせ、『炎の御子』炎堂 焔(p3p004727)へと頷く。
「結界の基点はボク達で何とかしに行くよ、こっちは任せて! だから皆は遮那くん達と一緒にいて、支えてあげて。戦いのことだけじゃなくて、その後のことも……」
焔の言葉にアーマデルも同意するように戦場から屋敷へと顔を上げた。
「儘ならぬ事も多かろう遮那殿が望むもの……出来る限りを。鬼灯殿にも幾度か世話になっているしな」
結界の基点は複数あるだろうとアーマデルは『馬には蹴られぬ』不動 狂歌(p3p008820)に振り返る。
遮那の奴も本当大変だなと狂歌は戦場で剣を振るう少年を想った。
「魔種に成っちまう程思ってくれるダチを切らないといけないの辛いな。遮那、お前はきっと切っても切らなくてもお前は後悔するからよ確りと自分の心に従えよな。なに、遮那が失敗しても他の奴でも俺でも助けてやるからよ思いっきりお前の思いをぶつけて来い」
その言葉と想いは遮那にきっと届いただろう。この戦場に居る皆が狂歌と同じように思っている。
傍に寄りそうのは自分で無くとも良い、その代わり彼らの助けになるように狂歌は動くのだ。
「見分け方はどうだろうか。或いは近づけば分かるだろうか?」
「術式なんかはからっきしだが怪しいのは結界の中央を基点に四隅に設置する四方か五行に対応した物か大体五か六ヶ所って所だろうな」
「ああ、結界というものは……複数の点で円、或いは正多角形を描くもの。何故なら理の書き換えを拒む現実からの圧を弾く強度が必要で、それこそが安定した形状だからだ。つまり、複数……最低2つ見つければ、他の位置を推測し易くなるだろう」
アーマデルの言葉に狂歌は「其れだけ分かれば十分だ」と口の端を上げる。
「結界が閉じる前に兎に角急ぐか」
土を蹴り上げた狂歌の姿は屋敷の影にあっという間に見えなくなった。
機動力に任せ結界内の外縁部分を移動する狂歌。
「中央が隆元って奴なのだとしたら、この辺にあるはずだよな」
狂歌が視線を上げれば歪に空気が澱んだ土が見えた。
その土に大太刀を叩き込めば爆音と共に地面が破砕する。
「やったか?」
じわりと煮詰めた瘴気が和らぎ、本来あるべき晩秋の冷たい風が僅かに流れ込んだ。
立ち上がった狂歌は次の基点へと駆け抜ける。
結界の揺らぎはアーマデルにも感知出来る程だった。
先んじた狂歌が何かしら結界に影響を与えたのだろう。
「守り手のいない場所と居る場所があるのかもしれないな」
全ての場所に結界の守り手がいるのならば『此処に基点がありますよ』と知らせるようなものだ。
用心を怠らないようにしなければとアーマデルは拳を握った。
アーマデル達と手分けして結界の基点を探す焔は、走りながら唇を噛む。
(大切なお友達が魔種になって、こんな形で戦わなくちゃいけなくなるなんて)
それは身を裂く程に悲しい想いに違いない。もう二度と立ち上がれない程に辛いであろう。
だから、他の仲間には遮那を支えてあげてほしいのだと焔は願った。
「……本当は、もうこんな思いをする人は出したくなかったのに」
焔の瞳に涙の膜が張る。ゆるりと溜った雫が眦に溜っていく。
魔種になった灯理だって遮那の事が大切で、誰かの為に選んだことなのに。
「どうしてこうなっちゃうの。ボク達はどうしていればよかったんだろう、クラリーちゃん……」
思い出の中で微笑む友人の姿が脳裏に浮かんだ。
「しっかりしろ、ボク! 今は深緑でのことを思い出してる場合じゃない!」
ぱちんと頬を両手で叩いた焔は大きく深呼吸をして瞳を上げる。
結界は何とかするから任せてと遮那達に言ったのだ。ならばここで悩んでいる暇など無い。
この結界が中の人達の幸せを願って用意されたものなのだとしても、相手の意思も考えず閉じ込めて。あまつさえそれが幸せだなんて。そんなのは間違っていると焔は拳を握りながら走る。
「幸せっていうのは、辛いことや悲しいことがいっぱいある中でも、
お互いに相手のことを想いあって、頑張って作り上げていくから大切なものになるんだよ!」
焔は空間が歪に揺らいだ場所を見つける。その周りには浅香の忍と思われる人影があった。
「一方的に与えられて、自分が何もしないでも続く幸せなんてボクは嫌だ!」
炎を纏いし槍を携えて焔は忍へと突進する。
「……だから、こんな結界は必要ないんだ!!」
焔の強力な攻撃を受けきれず、忍は血を拭いて地面に転がった。傷を押さえながら立とうとする忍に焔の放った炎の縄が絡みつく。
「くそ……っ!」
悪態を付く忍を横目に焔は結界の基点を引き裂いた。
焔と対角の位置でアーマデルは壊した結界の基点の上に枯れ葉と枝を置く。緩く火を起こしたアーマデルの目の前を白い煙が昇った。
こうする事によってこの場所の基点は破壊されたと仲間に知らせるのだ。
「生あるものが関わる事に、永遠など無い」
流れ、変化し、巡り、捩れ、なお廻る、そうして万物は流転する。
「それが止まれば……美しいのはその一瞬のみ。巡り廻らぬものはやがては膿み、腐りゆくのだ」
停滞する事で澱みいつかは破滅へと落ちてしまうから、止めてはならないのだとアーマデルは瞳を伏せた。
「――天香に停滞は不要! 壊れよ!」
『白百合清楚殺戮拳』咲花・百合子(p3p001385)の凜とした声と共に結界の基点が破砕する。
澱んでいた空間が晴れ渡り本来の冷たい晩秋の風が戻って来た。
「あと少しか……」
百合子の隣に寄り添うは『性別:美少年』セレマ オード クロウリー(p3p007790)だ。
「まるでティル・ナ・ノーグ……常若の国だな」
結界の基点に狼煙を置いたセレマは長い睫毛を伏せる。
閉鎖空間に閉じ込められてしまえば利益は薄いが、『手段』として永遠を求めるセレマにとってはこの結界は興味深かった。
「こういう仕事じゃなけりゃもう少し観察に時間を割いたものを……」
百合子へと振り返ったセレマは彼女が結界の外を凝視しているのに気がつく。
「アレは開祖か」
「……例の灰の魔人か。何でここに?」
結界の外、天香邸の中庭が見渡せる屋根の上で『彷す百合』咲花・香乃子が此方を『視て』いる。
「ダガヌが消えた影響か、濁った気配が消えた印象がするが……ううむ、どういう心持で此方を観察しておるのであろうか?」
セレマのファミリアーからも直ぐに香乃子が動く様子は見られなかった。
「もしかしたら結界が破壊されるのを待ってるのやもしれぬ」
「ふむ? まあ……お前の勘がどこまで当てになるかはわからんが、結界が壊れる頃に外回りのファミリアーには気を配るか」
香乃子から視線を逸らし、セレマを抱え上げた百合子は物凄い勢いで屋敷を駆け抜ける。
――――
――
絡み取るように、優しい抱擁が鬼灯を包み込んだ。
柔らかで揺蕩うような微睡むような記憶が隆元から流れ込んで来る。
「鬼灯……」
朗らかな隆元の声が耳に届くだけで、涙が零れ落ちそうになった。
縋ってしまえば楽になれると本能が告げている。
「さあ、おいで」
差し伸べられた隆元の手は懐かしく。鬼灯の頭を撫でてくれていたあの時のままだった。
「祖父殿」
結界の要である術式がゆっくりと広がる。
されど、伸びて行く光の筋が彷徨うように揺らめき、力なく消えた。
「結界の基点が壊された、か」
アーマデル、焔、狂歌、それに百合子とセレマが其れ其れ基点を壊した為、光の筋は其処へと到達出来ず、術式の完成は成らなかったのだ。
それでも、隆元は諦めきれなかった。
ならばせめて鬼灯だけでも傍において起きたいと願い、彼を絡め取るように呼ぶ。
ゆっくりと祖父の元へ歩み出す鬼灯。
「おい、鬼灯! しっかりしろ! 鬼灯!」
隆元の元へ歩き出した鬼灯の手を掴んだのは行人だ。
鬼灯のやりたいことをさせる。その為に行人はこの戦場に立っている。
されど、それは『行人の知っている鬼灯のやりたいこと』なのだ。操り人形になった抜け殻ではない。
「君は誰だ。俺が親友として認めた君は、誰なのか。
お前だけのお前じゃない、だろう。お前の右手は何を抱く為にある?」
隆元の手を取りかけた鬼灯の指先が止まる。
「もう少しコイツとはつるんでいたいんだ。悪いね、爺さん」
目の前を掠める行人の刀を飛びすさり避けた隆元は、己の手に視線を落した。
「例え見送るにしても、もっと静かな時にやりたいものでね!」
行人の背を見遣り、鬼灯は彷徨っていた意識を浮上させる。
大事な友人。大事な部下と主と、腕の中の大切な人の笑顔が鬼灯の脳裏に溢れた。
「……っ! 彼等を遺して一人幸せな夢を見るなど、それは俺にとって死に等しいのだ祖父殿」
辛そうな表情で鬼灯の指先が糸を繰る。本気で挑まなければならない相手。
死闘と呼んで相違無い戦いは、蘇芳の赤い血の色で塗れた。
肩で息をする鬼灯と隆元。天香邸の美しい庭に血飛沫が飛び散る。
どちらが倒れてもおかしく無い。それ程にお互い力をぶつけ合った。
されど、それでもと鬼灯は隆元に告げる。
「死んでくれるな、貴殿には聞きたいことが山ほどある」
「私も、私も沢山お話ししたいのだわ」
空を繰り、暦を奏でる者として。この結界は必ず打ち砕く!
「俺は強欲だ。忍の癖に一人が寂しくて、虚しくて。暦を創った。名を奪い、名を与え、居場所を作った。
満たされた筈の器はまだ餓えていて、硝子の棺にいた章殿を連れて帰った」
だから、自分自身に隆元を責める事などできないと拳を握り締めた。
震える指先は隆元に差し伸べられる。
「まだ貴殿が狂気に染まりきっていないなら。俺の幸せを願ってくれているのなら。この手を取ってくれ」
時を止めるのではなく。共に歩んで行きたいのだと鬼灯は隆元に願う。
「あ、あ……鬼灯」
結界の術式が弾けるのと同時に、隆元はぐったりとその場に伏した。
血塗れの地面に倒れた隆元を鬼灯は確りと抱きしめる。
「祖父殿、なあ、もうすぐ雪が降って来そうだ。
そしたら……かまくらを作って、雪だるまを作って、酒でも飲もうじゃないか」
幼い頃には出来なかった、そんな温かさを『一緒に』分かち合いたいと鬼灯は祖父の手を握る。
その手を緩く、だが、確かに隆元は握り返したのだ。
●
結界の術式が弾けるのを灯理は悲しげに見つめていた。
それでも、自分の命が助かる方法を探してくれていた隆元が死ななくて良かったと安堵したのだ。
君主と共に歩むのが忠道なれど、楠忠継の死に様を見てきた灯理にとって、同じ轍を踏んで欲しくはないと思ってしまうのだ。彼の志しは尊敬こそすれ、家臣には『生きてほしい』と願ってしまう。
残された者の悲しみを知っているから、自分も足掻いてみせた。
きっとこの道は間違っていて、天命を待つのと変わらないのだと心の奥底で誰かが囁いていたけれど。
何もせずにただ命が尽きるのを待つなんて出来なかったのだ。
「吾は開祖の元へ行くぞ、ついてこいセレマ」
「はあ”ぁ? お前、馬鹿野郎がお前」
結界が解けるのを見守っていたセレマ。その耳に届いた百合子の言葉に思わず苛立ちを覚え声を上げる。
「開祖はきっとこの戦いに興味があるのだ。だからああして『視て』いる。
ならば、教えてやる。長胤殿を討った戦いの事から今まで全部!」
頭を抱えたセレマは眉を寄せて首を振った。
「お前に投資した分はまだ返ってねえのに窮状に飛び込みたがるような勝手と馬鹿を言いやがって。
仕事中だぞこらボケが遊びじゃねえんだよ。毎度止めろつってもお前やるよなぁ? 止まんねえよなぁ馬鹿だからなぁ?」
「うむ、止められても多分止まらぬ」
何方にしろ積極的に戦闘へ介入されるのは困るのだと百合子は仲間が戦っている中庭の方角へ振り返る。
「……せめて先行することで依頼主を守るという建前から口にしろボケが」
「それなら主導権握りに出撃するまでよ! ……という建前でどうだ?」
深い溜息を吐いたセレマは百合子に手を向けた。その手を見つめ首を傾げる百合子。
「目の役はやってやるつってんだよ。テメェじゃあれの正確な所在までわからねえだろ」
「……うん! 教えて! 吾が最短距離で行くから!」
花が咲くように笑みを零した百合子はセレマを抱き上げ走り出す。
灰の魔人――香乃子は狂人であるとセレマは眉を顰めた。
狂人とは理解されない整合性を備えた存在であり、特に香乃子は理解を求めない部類の怪物で、理知性も備えているのだと。
「あいつの欲望の方向性は前回で把握した。それでもやるってのかよクソ」
香乃子は百合子達が自分へ向かって来ている事を既に把握しているだろう。それでも動く様子が無いということは自分を脅威ある存在だと認識していないのだとセレマは分析する。
ならばその認識を覆せば良い。その手札は用意した。
されど、香乃子の目的は『美少女の殺害』であり、得体の知れぬ技と手数で押さえ込まれれば守る事すら危ういかもしれない。完璧な仕事を取るか投機先(百合子)の命を守るかの選択にセレマは口の端を上げる。
「両方やればいいんだろうがよクソがよ」
香乃子は天香邸を見下ろせる棟の屋根に居た。
対峙する百合子とセレマを見つめ「何故、此処に来たのだ」と言わんばかりに凝視する。
「ただ力があるだけの者が何も知らないままこの戦いに介入して台無しにしようなど吾は許せぬ!」
百合子の言葉に香乃子は視線を逸らし、天香邸の中庭を見遣った。
「……だって絶対後悔するぞ。もう取り返しがつかなくなってから蹂躙したものの気持ちを推し量るなんて絶対後悔するぞ。それでなくったってお前は未遂一回なんだからな!」
「未遂? どういうことですか?」
初めて、香乃子から『意味のある言葉』が返ってきた。百合子の言葉に返事をしたのだ。
百合子はセレマの制止を振り切り、香乃子の手を掴む。
危険は承知の上で戦意を纏わず、その間合いに飛び込んだのだ。
「貴女が見たがっているものを最前列で解説付きで見せてやる」
遮那と灯理。二人が親友で、どんな思いで戦っているかを手を引き中庭に向かいながら伝う。
「お互い譲れない大切なものを守るために戦って居る。遮那殿は託されてきた思いを守るために、灯理殿は親友の幸せのために。開祖、貴女は何のために戦うのだ。貴女は何をしたくて、どうなりたい為に戦うのだ」
「私は……」
言い淀む香乃子の手を百合子はぎゅっと握り絞めた。
「怖かった。変えられていく自分が、変わって行く世界が、怖かった」
大凡予想していたものと違った答えに百合子もセレマも困惑する。
ダカヌと共に邪気を置いてきたのかと思うほどに、香乃子は訥々と語った。
世界の歪曲と融合。改ざんされる人々の記憶、己の存在。
香乃子を突き動かしていたのは恐怖故の他害だったのだと、百合子は知る。世界を信じられなくなった一人の人間のなれの果ては、こんなにも『弱く』見えるものなのか。
「だったら、尚のこと……貴女は彼らの結末をみるべきだ」
生きるということ。その『矜持』を知る為に。
――――
――
「ふざけるな! なぜ、結界が壊されたんだ!? あれが無ければ安寧の時は訪れないのに!」
天香邸の中庭に叫び声が響き渡った。
怒りを迸らせる那岐の形相に汰磨羈は眉を寄せる。
先程まで穏やかだった彼の精神が、ここに来て急激に『魔』へと寄ったのだ。
それ程までに鹿ノ子との安息の時間が大切なのだろう。
さすれば、其処から導き出される答えは、邪魔する者の排斥へと繋がる。
汰磨羈は「此処が正念場」だと呼吸を整えた。
「生憎だが。かけがえのない戦友の想い人を殺らせる訳にはいかんのだよ」
刃が陽光を反射し、一閃の斬撃が那岐を襲う。
「ルル家は、いささか背負い過ぎるからな。ここらで助力するのが戦友というものだろう?」
返した太刀で汰磨羈はもう一度剣尖で薙いだ。
飛び散る赤き血が対峙している者が人間であることを証明する。
「余計なお節介のエントリーだ。盛大に邪魔させて貰うぞ」
舌打ちをした那岐は汰磨羈の剣檄に身を翻し体勢を立て直した。
「何の目的があってかなんて、そんなのどうでもいいよ
今のお姉ちゃんがそっち側にいたいんだとしても、お姉ちゃんは渡せない」
幻術が掛けられているように見える鹿ノ子を呼び戻すようにカナメは大きな声で姉の名を呼ぶ。
「お姉ちゃん、目を覚まして! 今のお姉ちゃんの隣に、本物はいないんだよ!」
妖刀を握るカナメの心に『囁き』が聞こえる。
(今ここで、お姉ちゃんを殺せたらどれだけ気が楽だろうか。幻術から解放する名目で心臓を一突きして。そうすれば、緋桜を知る者はいなくなる)
『最後にカナメから記憶を奪って全てが終わる』
けれど、今はそんな事をしても誰も幸せにならない。
ざわめく囁きを抑えるようにカナメは刀柄をぎゅっと握り締めた。
カナメは剣先を那岐へと向ける。
那岐の事はカナメは『知らない』。
「あなたが幻術でお姉ちゃんを惑わしてずっとそばに置いたとしても、所詮そうする事でしか理想を遂げられない可哀想な人、だよね」
カナメの言葉に那岐は「うるさい」と鋭い視線を寄越した。魔種の邪悪な瘴気はカナメを食らい付くさんと地面を走る。
「そんな人になんかにお姉ちゃんはふさわしくないからね」
那岐の瘴気を真っ向から受け止めたカナメは、それを引き裂くように前進する。
「カナは! 妹として、推しの幸せを守るファンとして、あなたをここで倒すよ!」
姉を思う妹の思いは戦場に波となって響いた。
この戦いは遮那達にとって辛いものになるのだとヴェルグリーズは憂瞳を揺らす。
自分は彼らの思いや運命に寄り添うものでしかない。
望むのはより多くの人が望む結末。
「俺はいつだって願ってる。せめてその別れが良きものでありますように」
その為に自分は存在するのだからとヴェルグリーズは那岐に刃を向けた。
押しとどめられた剣を弾き、返す刃で那岐の胴を払う。
ヴェルグリーズの隣を遮那の剣が抜き去り、那岐の首を捉えた。
それを爪で弾き避けた那岐は翻り間合いを取る。
この戦場では遮那と鹿ノ子、それに那岐の思いが交わる場所になるだろうと、ヴェルグリーズは三人を見遣り。その思いを尊重したいと祈った。
「どんな理由があろうと遮那君を傷つけるだなんて!」
朝顔は思いの滾りを叫ぶ。戦場に木霊するは偽りなき朝顔の本心。
「傷でも彼の中に残ろうなんて、何かを与えようだなんて許せない! 私は遮那君の全てが欲しい。だから遮那君を害する全ても私に寄越せ!」
どうして。どうして。どうして!
朝顔の心の中で醜い心が渦巻く。それを歯を食いしばって耐えながら朝顔は遮那の肩を掴んだ。
「那岐は遮那君が倒したいのでしょう? なら、そのお手伝いを」
手伝いをして、それから遮那が救いたいと願う鹿ノ子を助ける。
本当は嫌だと言いたい。けれど、遮那がそれを望むなら叶えてあげたいから。
だから、朝顔は最後まで立ち続け無ければならない。
朝顔は遮那の刀を持つ手に指を添える。
「ねぇ遮那君、私は君と全てを分かち合いたい。彼女を君の手で救いたいのでしょう? ならば私は君の力になります」
「ああ、ありがとう向日葵。苦労を掛けるな」
「遮那君の隣に何時までも居る。だから私は誰にも倒されてやらない!」
この胸に渦巻くものが醜い恋だとしても自分が遮那を幸せにするのだと、彼の涙を全部受け止めるのだと朝顔は慟哭するように叫ぶ。
「鹿ノ子先輩。どうして貴女が遮那君の最愛なの?
彼が側にいる誰かを失う事を嫌だと知っている癖に! それを幸福の為と嘯く貴女が!」
「鹿ノ子――!」
遮那は那岐の刃を避け、その奥に佇む鹿ノ子の名を呼んだ。
数度、瞳を瞬かせた鹿ノ子は目の前に広がる光景に眉を下げる。
(遮那さん。遮那さん。あんなにひどいことを言ったのに。傷付けて、遠ざけて、どうか自分の知らないところで幸せになってくれと言ったのに。それなのに、どうしてあなたは来てくれたの)
目の前にある那岐の背を、刺し貫けばその命を奪えるのかもしれない。
されど、それでは駄目なのだと鹿ノ子は拳を握り締めた。
覚悟と決意を此処で示さなければ、那岐にも遮那にも申し訳が立たないから。
諦め切れなかった。捨て去ることが出来なかった。この想いだけは、誰にも奪わせてたまるものか。
――僕は僕のすべてを掛けて、この『恋心』を証明しなければ!!
「させるか! 鹿ノ子は俺が一番幸せにしてやれる! 誰も邪魔することは許さない!」
那岐は遮那へと剣を向ける。
膨大な魔力を纏わせた刃は『死』を予感させるもの。
「覚悟しろ、天香遮那……! 邪魔をする者は全員駆逐してやる」
「……!」
その間合いでは遮那に傷が及ぶ、鹿ノ子は其れだけは嫌だった。
美しい翼は何者にも穢されてはならないから。
那岐の剣をその身で受けた鹿ノ子は、背後から迫り来る『遮那の剣』も受けるつもりだった。
「鹿ノ子!?」
けれど、それを許さなかったのはもう一つの強き意思。
「大丈夫、死なせません! 君と私で全てを掴み取るんです!」
朝顔の手が鹿ノ子の身体から剣尖を逸らし、深々と那岐の胴に刀を突き刺す。
「ぐっ、……うっ」
その好機を鹿ノ子は逃さなかった。
「ごめん。長い間、縛り付けていてごめんなさい」
鹿ノ子の剣は那岐の心臓を刺し貫く。的確に寸分の狂いも無く。
「遠い遠い約束を、覚えていてくれてありがとう」
「は、はぁ……、はぁ……鹿ノ子」
「でも、僕はもうひとりじゃないから……泣きたいときに、傍に居てくれるひとがいるから」
那岐は血に濡れた指先で愛しい鹿ノ子の頬を撫でた。
「…………大好きだよ、那岐」
その上を、鹿ノ子の瞳から溢れた『涙』が流れる。
泣かないでと願った那岐の想いが鹿ノ子の涙を止めていた。けれど、それももう必要ない。
鹿ノ子が『泣きたい』と思ったのならば、それは流すべきものだから。
涙の約束は雫となって地面に落ちて消えた。
母を殺し、幼馴染みを殺し、いつか育ててくれた主人も殺す日が来るのだろう。
それでも鹿ノ子は遮那を選ぶ。この国と彼を選ぶ。
「遮那さん……離れてしまって、ごめんなさい。許されないことだと分かっています。
でも、それでも僕は……あなたのところに、帰りたい」
身勝手な願いだと分かっている。それでもこの想いは止められないのだ。
「あなたの……隣がいい」
傷を負いそれでも自分へと伸ばす鹿ノ子の手を遮那は優しく掴んだ。
「ならば、共に往こう。鹿ノ子には私の罪を見届けてほしい」
「はい……」
二人の手首に光る琥珀の約束。前へ進むためのあたたかな温もりが陽光に照らされていた。
●
冷たい風が首筋を掠い、晩秋がいよいよ冬の気配を帯びて来たのだと灯理は目を細める。
またさらに寒くなって帝の生誕祭の頃には雪が積もるだろうか。
新年を迎えて、初詣でおみくじを引いて、寒さに身を潜めながら慌ただしく日々を過ごし、気付けば雪が解けた土から新しい命が芽吹くのだろう。
「ああ……」
陽光に手を翳し、灯理は唇を噛んだ。
この手には春のあたたかな日差しはもう掴めない。
それは、魔種になろうとなるまいと変わらない、残酷な『天命』であるのだろう。
「悔しいなあ」
小さく零れた感情は行人の目にもはっきりと見えた。
己の運命に抗い、足掻いている少年の泥臭く生々しい感情だ。
行人は大人だ。自分が助けるべき相手を見誤らない。
けれど、そこに何の感情も抱かぬほど冷徹でも無かった。
だからこそ、前に進もうとする遮那の背を押してやるのだ。それが自分に出来る手向けであるのだから。
「さあさ、祈りを込めて。思いを抱いて」
灯理へと繰る絡め手は、毒を孕んだもの。その攻撃を受ける灯理に一手でも多く割かせたのなら其れだけで行人の勝ちであるのだ。
「そうら、任せたぜ、皆」
遮那に想いを抱え、此処に集まった皆のために。己の心のままに。
「いつまで戦うつもりなの?」
タイムは鹿ノ子に回復を施しながら灯理へと顔を上げる。
「だって灯理さんには遮那さんを殺す理由がないでしょう? ならもう決着はついてるじゃない」
結界に閉じ込めたいのは、灯理が自分の元に遮那をずっと置いておきたいから。それは大切な人の意思も未来も奪う事になる。
「灯理さんが本当にそんなこと望んでるとは到底思えない!」
「そう、だね」
タイムの叫びに灯理は悲しげに微笑む。
叶わないと知っていながら足掻いている。大人から見ればただの『我儘』に過ぎない。冷静で大人びて見える灯理とて儘ならぬ想いを抱えた『少年』であるのだろう。
「案外不器用なのね。……知らなかった」
タイムの視界の端に吉野の姿が見える。刀を掲げ灯理へと一心不乱に斬りかかっていた。
魔種となった灯理の戦闘能力は桁違いに跳ね上がり、吉野の刀を受け止めては流している。
「何で……っ! お前、お前が! 友達なのに!」
「吉野、君は器用だね。泣きながら怒ってるの」
言葉にならない想いがあるのだろう。何故、どうして。渦巻く感情を抑えきれず溢れる涙のまま、吉野は灯理に剣を向けているのだ。
「ことここに至っては隠し立てする必要は無いでしょう? 灯理くん、貴方の想いをぶつけてきなさい。頭がいいから、優しいから変に悩んでしまうのでしょう」
正純は弓を構え矢をつがえる。灯理への射線を防ぐ忍の眼前に、熱砂の風が吹き荒れた。
「ルル家、貴方も全ての想いを吐き出してぶつけて。今の貴女なら、彼となら、それが出来るはずです」
正純の言葉にルル家は確りと頷く。
「明将、貴方も彼の友人を、遮那さんの友人を名乗るのであればしっかりと喧嘩してきなさい。大丈夫、そのための道は私がつけてあげますから」
「……分かってる。ありがと正純さん」
珍しく素直に刀を抜いた御狩明将の背を正純は強く叩いた。
「灯理……なあ、灯理よ」
明将は灯理の剣と刃を交える。魔種の力で押し戻せば簡単に弾くことが出来る刀を、灯理は受け止めて彼の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「心配すんなよ。俺達がアイツを支えるからさ。神使達も居る。だから、『任せろ』よ!」
「ふふ、明将も頼もしくなったね。吉野もすごく成長した。……嬉しいな」
「その上から目線止めろ! 俺達は対等な『友達』だろ!」
魔に堕ちて、相対しているというのに。彼らは自分の事を友だと言ってくれる。灯理にはそれが嬉しく思えた。同時に涙が溢れそうになるのを堪えるのに、努力しなければならなかった。
「もぉ何よ、ぜーんぶ分かったような顔して!」
タイムは吉野達の剣を受けとめる灯理に声を張り上げる。
「楽しいのも、辛いのも、苦しいのも! 分かち合えるのが友達でしょう!
何が二人の為よ。気持ちのいい言葉で自分を誤魔化して一人で決めて!
――――『生きたかった』のはあなたじゃないの!!!!」
凜と張り詰めたタイムの声が中庭に響き渡る。動揺した灯理の瞳がタイムを見遣り彷徨う。
吉野と明将の刃が灯理の肩に食い込んだ。
「生きたかった。帝の生誕祭の祭事も、新年の祝いも、芽吹きの色も、満開の桜も。一緒に見たかった、しょうもない事を話して喧嘩して仲直りして、それで……笑い合いたかった」
掴めない未来の情景に、灯理の瞳から涙が零れおちた。
「灯理殿、遮那殿の友人としてこのような別れ方を選んだキミに憤りが無いと言えば嘘になる」
ヴェルグリーズは「けれど」と剣の柄を握り締める。己も様々な魔種を見てきた。其れ其れに事情と想いがあったのだ。だから反転したからといってその相手を直ぐに悪だと断ずるつもりはない。
「ただ、どんな別れであったとしてもいつだって俺はそれに寄り添おう。もちろん灯理殿、キミにだって。彼らとの未来にたくさんの未練を抱えるキミへ」
断ち切られる肉に赤き血飛沫が空へ舞う。神経が焼き切れると思うほどの痛み。それを遮断することなく灯理はヴェルグリーズの剣を受けた。吉野のや明将、行人や正純の想いも全て受け止めた。
「灯理……」
息を飲む遮那の背を押すのは、いつだって正純の役目だ。
前に進まなければならない時に正しく押してやるのが、見守ると誓った正純の使命なのだから。
「遮那さんも、思いの丈をしっかりとぶつけてください。大人になることと、言いたいことを我慢することは別のものですから。存分に、好き勝手なさってください。私たちが、いえ、私がお支えしますから」
「ああ……ありがとう。正純。其方にはいつも背を押して貰っているな。感謝しておるぞ」
悲しげに視線を向けた遮那が、まだまだ心許なくて。正純はほんの少しだけ安堵した。
まだ、自分は危うげな彼を『見守る』存在で居られるのだと。
(……私もいつまでも迷ってはいられませんね。この想いの答えを、出さなければ)
――――
――
「灯里くんは私達を守ろうとしてくれた。私は遮那くんを守ろうとした。遮那くんも、きっと私を守ろうとしてくれた。でもそれが私達をこんな場所に連れてきてしまった」
辛そうに眉を寄せるルル家は「きっと、一人で背負い込んじゃ駄目なんだ」と首を振る。
魔種といえど、灯理は元々戦闘に長けているわけではない。
ルル家達が血の上に積み上げてきた戦闘技術は灯理の力を上回っていた。
増えていく深い傷に汰磨羈やセレマは逃走を警戒する。たとえこの場の結界が壊されたとしても、再び準備を整えれば遮那達を閉じ込める事は可能になるからだ。
百合子と姫菱安奈は万が一香乃子が暴れ出した時の為に、彼女の両脇に控えていた。
されど香乃子は遮那達の戦いの一欠片も逃すまいと凝視している。
行人と鬼灯は隆元の手当を行い、行く末を見つめて居た。アーマデルと焔も怪我人を回収し救護に回す。
ヴェルグリーズは願う。
最後の一太刀は遮那に託したいと。
遮那にとっては義兄を斬った時と同じ想いをするかもしれない。
けれど、自分の手で決着を着けることは大事なことだと思うから。
「辛くとも、悲しくとも、その別れに意味はあるのだと俺が見届けよう」
この別れがせめて良きものでありますように。この行いに意味があったのだと、いつか振り返る時が来るから。その時までどうか、安らかにと願うのだ。
怪我から立ち上がった鹿ノ子が遮那の隣に寄り添い。遮那へと迫る攻撃を朝顔が弾く。
ルル家は遮那と共に灯理へと剣を向けた。
「遮那くん。二人で背負っていこう、分け合っていこう。罪も、痛みも、喜びも、幸せも。ずっと支え合って生きていこう。いつか死がふたりを分かつまで」
友達だからじゃない。天香に仕えているからでもない。
ルル家自身がそうしたいと、そうありたいと思ったから。
「遮那くん、貴方が好きです。ずっと貴方と二人で未来へ歩いていきたい」
「ああ、これはルル家と共に負う罪だ」
傷と涙を分けて、其れでも未来へ歩み出すための決別だ。
「灯里くん。私達を守ろうとしてくれて、ありがとう。好きって言ってくれて、ありがとう」
「……泣かないでよ二人とも」
微笑んだ灯理は胸に触れた剣尖に瞳を閉じる。
「ごめんね、遮那。ルル家殿」
謝罪の言葉を残して、灯理はその身に剣を受入れた。
タイムは胸元で指を握って「嫌だ」と唇を噛む。
目の前で大切な人の命が失われるのが我慢ならない。
意地悪な運命ならば、それに抗っても構わないのだろうとタイムは祈り続ける。
深々と突き刺さるルル家の剣は灯理の命を奪うものだ。
命が消えるその瞬間まで諦めきれる訳がない。守れる筈の無いものを守りたいと思うなら奇跡を願うしかないとタイムは涙を流す。
「わたしの体でも寿命でも健康でもなんでもあげる。どうか灯理さんの命を救って!」
過ちも、罪も、苦しみも、後悔も、祈りも。すべて愛したい。
だから強く願ってほしいとタイムは灯理へ言葉を放つ。
我儘でも何でも構わない。
どうか、と祈り続けたタイムの想いは命の灯火が消えかけた灯理にも聞こえた。
もう一度、ほんの少しだけでもいい。
瞼を開けて伝えたい想いがあるのだとルル家は灯理の頬に触れる。
「私達は、もう大丈夫だから……」
痛みも苦しみもなく。どうか幸せな夢を見るように眠ってほしい。
涙伝う頬に笑顔を浮かべるルル家。灯理の見る最期の景色が笑顔であってほしいから。
「灯理……兄上と忠継に遮那は前に進んでおりますと伝えてくれないか」
精一杯の笑顔で、強き琥珀の眼差しで遮那は伝う。
「うん、伝えておくよ。……ねえ、遮那、海綺麗だった、ね」
「っ、ああ、楽しかったな」
夏の遠征で初めて海を渡った。
翡翠のように煌めく水面と、はしゃぐ遮那達の声が灯理の耳に木霊する。
皆との思い出を抱いて、ゆっくりと赤い瞳が閉じられた。
天香邸の中庭にルル家の泣く声が聞こえてくる。
遮那の涙を掻き消すように、ただ一際大きく、ルル家の咽び泣く声が響き渡った。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。如何だったでしょうか。
MVPはもっとも心に響く想いを紡いだ方へ。
琥珀薫風の長編シリーズはこれで終わりとなります。
お付き合いありがとうございました。
GMコメント
もみじです。琥珀薫風長編最終話です。
遮那の物語はこのお話で終わりとなります。
悔いの無きように生き生きと、ご自身の最終話を掴み取ってください。
※長編はリプレイ公開時プレイングが非表示になります。
なので、思う存分のびのびと物語を楽しんでいきましょう!
最後ですから、心情や台詞などもりもりで詰め込んでください。
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●目的
・魔種浅香灯理、那岐の討伐
・鹿ノ子の救出
・結界の破壊
●ロケーション
豊穣は高天京天香邸。広い中庭です。
山茶花が咲いており、美しく彩られています。
足場や明りは問題ありません。
女官や戦闘をしない者は奥の院に避難しています。
奥の院まで攻撃は届きませんのでご安心ください。
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【A】浅香灯理と戦う
○浅香灯理
遮那の親友です。天香家の親戚筋である浅香家の少年。
シレンツィオから一足先に帰ってきました。
天香家の当主になるべく準備を進めています。
順調にいけば数ヶ月の内に彼が天香家の主となります。
那岐の呼び声を受けて魔種となっています。
彼の目的は遮那とルル家さんを守る事です。
戦闘能力は魔種なので、とても強いです。
○黒影隆元
灯理の家臣。黒づくめの忍です。
黒影鬼灯さんの祖父です。鬼灯さんの命を救い、愛情いっぱいに育てました。
鬼灯さんと共に、結界の中で幸せに過ごしたいと思っています。
戦闘能力は強いです。鬼灯さんを捕まえようとします。
○浅香の忍×10名
灯理に使える忍びです。戦闘能力はそこそこです。灯理を守るように動きます。
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【B】那岐と戦う
○那岐
鹿ノ子さんの幼馴染み。魔種です。
幻術を操り遮那に成り代わり当主交代の宣言をしました。
普段は遮那の姿をして、天香家の人達を騙しています。
彼の目的は鹿ノ子さんと共に生きることです。
そして、その邪魔となる遮那を殺すことを優先します。
戦闘能力は魔種なので、とても強いです。
○呪獣×10
那岐の呪いが形になったもの。遮那を狙います。
○鹿ノ子さん
鹿ノ子さんは那岐の隣に居ます。
実は操られている訳では無く、自分の意思で那岐の傍にいます。
どう動くかは鹿ノ子さん次第です。
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【C】結界の破壊
前回の調査で天香邸には結界の基点が数カ所ある事が分かっています。
これらを破壊することで、結界を破る事ができます。
探して破壊し戻ってくるにはそれなりの時間が掛かります。
速やかに全力でぶっ壊しましょう!
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●NPC
○『琥珀薫風』天香・遮那(p3n000179)
豊穣の大戦で天香の当主と成り日々精進しています。
シレンツィオの遠征から戻って来ました。楽しい旅行でした。
自分の身は自分で守れる程度の実力です。
背中の翼で戦場を飛び回り、アクロバティックな戦術を駆使します。
決意と矜持を持って灯理を討ちます。
那岐を倒し、鹿ノ子さんを救うのです。
○姫菱・安奈
天香家に仕える種族美少女です。
美少女刀法、菱派。自在抜刀夢幻の型。
その名も「菱葉ポニテ抜刀術」の使い手。
遮那を身を挺して守ります。
全ては天香のため――
○柊吉野
初めて遮那が選んだ直属の臣下。獄人です。
口は悪いですが優しい性格です。
その身を挺して遮那を守ります。
臣下として友人として遮那が背負う決意と矜持を共に背負うと決めています。
○御狩明将
天香長胤派の貴族御狩家の生き残りの少年です。
大戦の折、兄は戦死し、責任を感じた父母は家に火を付け、一人焼け出されました。
現在は正純さんの元で暮らしています。
その身を挺して遮那を守ります。
友人として遮那が背負う決意と矜持を共に背負うと決めています。
○望
吉野の故郷『春日村』の近くの峠で暴れていた精霊。
使い魔として遮那の傍で過ごしている。
○猿飛・段蔵
天香家に仕える御庭番です。
遮那達の往く道を見守っています。
それなりに強いです。
○喜代婆、万緒
正純さんの管理する星の社で皆の帰りを待っています。
○『彷す百合』咲花・香乃子
元男性の種族美少女。
海洋南西部に浮かぶセントリリアン諸島からやってきた白百合清楚殺戮拳の開祖。
現地の人からは『灰の魔人』と呼ばれ恐れられています。
白いセーラー服を纏い尋常ならざる能力を持ちますが、花は纏っていません。
結界が張られているので入ってきません。遠くから静観しています。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
●琥珀薫風の特設ページ
https://rev1.reversion.jp/page/kohakukunpu
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