シナリオ詳細
<美徳の不幸/悪徳の栄え>The course of true love never did run smooth.
オープニング
●
理性と恋とは、
まるっきりそっぽを向き合ってる。
僕らが魔種であるように。君が人であるように。
理性と現実とは、
まるっきりそっぽを向き合ってる。
僕らが侵略者であるように。君が救世主であるように。
「やっと」
やっと終るのだ。あのうらぶれた日常にさようならを告げられる。
破れた恋は、死をも意味すると言うけれど。叶わぬ恋路の前に立ってから俯くことしか出来なかった。
何せ、ただの子供だったのだ。それこそ身をも引き裂かれる想いを越えて悪事に荷担する選択肢を選ぶしか無かった。
少なくとも彼女(ジナイーダ)は破れ気触れに利用されただけだった。
人を獣に転じさせるという行ないに『博士』が魅入られた時、幼馴染み(ブルーベル)だって窮地に追い遣られたのだ。
その結果がこの在り様ならば「殺したいほど恨む」という子供染みた考えに至ることだって許されよう。
――くすくす、あら、可哀想に。助けてあげてもよろしくてよ?
愛しい人のためにその愛でたっぷりと、『可愛がってあげましょう』? 大丈夫、皆喜びますわぁ。
その甘言に手を伸ばした。その最悪な女が傍に居た。ルクレツィア、冠位魔種。色欲を頂くその人は言った。
手脚になりなさい。お前の為すべきは何かを知りなさいと。
故に、リュシアンはエルメリア・フィルティスを反転させた。彼女がカムイグラに渡り一悶着が起きたのは偶然であれど好機だった。
一国を落とせばいち早くあの女の理解と力を得られるからだ。ルクレツィアの役に立つことがリュシアンにとっての復讐の近道だった。
生憎のことだが、それを防がれても、リュシアンは何時如何なる時も復讐が為に刃を研ぎ澄ませた。
ベルナール・フォン・ミーミルンドの反転に加担した。深緑の冠位怠惰にも手を貸した。そして、博士の首を取るまでやってきた。
(そこまでで、あいつらと交友関係を結んだのはバカらしい話だよ。
俺は魔種なのに、あいつらは何時だって俺に手を貸そうとする。そんなの、いっそ嘘だって破って捨てて欲しい)
――生きている意味が最早無為だった。
それでも、その体は魔種であり、ルクレツィアに近すぎた。廃棄処分するにも惜しい存在だとよく分かって居る。
――いっそ、次に会うなら殺せと言った。
奴らは首を縦に振ってくれることだろう。そうで無くては困るのだ。
リュシアンは静かに息を吐いた。
ジナイーダ。勿忘草の花の良く似合う愛しい人。
ブルーベル。困った顔をして笑う気の良い幼馴染み。
君達の元に行くまで、あと少し。ただ、受けた恩義だけは返さなければ――
●
「月原さーん」
呼ぶリリファ・ローレンツ(p3n000042)に月原・亮 (p3n000006)は「何だよ-」と気怠げに返した。
「依頼の品、ゲットできました?」
「んー……まだ……」
「なんか最近、ぼーっとしてますよね。どうかしたんですか?」
「うん、いや、まあ」
世界が滅びそうだけれど、むしろそれは『世界を救うチャンス』だと亮は捉えていた。楽観的なのは何時ものことではあるのだけれど。
だからこそ、終わりが見えてきてどうしようもなく不安にはなったのだ。
例えば――リリファって全てが終わったらどうするの、とか。
「バグ・ホールの対応とか、日々忙しくなっちゃって。あんまりのんびりしてられないなあって。積みゲーとか」
「あー、確かに。一緒にやるって約束してたゲーム出来てませんもんねえ。ホラーだから一緒にやらないと恐いですし」
「そうそう。ホラーゲームって誰かとやるべきだよな。一人じゃ風呂は入れないし」
「まあ、私が居てもお風呂は別ですけど」
あっけらかんと笑ったリリファに亮は「それはそう」と軽口を返しながら刀をまじまじと見た。
「ここでリリファが俺と風呂入るって言ったらどついてた」
「えっ、流石に言いませんよ。やだなあ」
「分かる」
――そんなことを言うからちょっとだけ、ほんのちょっとだけ『そういう事』を考えて慌てたのだ。
いつも一緒に居た相手が異性であることを意識するというのはそういうことだった。当たり前の様に傍に居たからこその変化だ。
「「…………」」
二人とも黙ってからちら、と顔を見た。ゲームをして、一緒にお菓子を食べて、それから、疲れて眠って。
そんな日々が一番に楽しかったのに。妙な変化を感じてならない。命のやりとりをする場に出くわしてから、その時からずっと。
「月原さんは……あの、その……混沌から帰るんですか? ほら、好きな人が居たりして」
「……どうかなあ。好きになった相手が帰るかも知れないし」
「えっ、相手が旅人ってことですか!? あー、それもそうですよねえ。私なら相手が旅人なら着いていくかも、なんて」
リリファの蒼い瞳が亮の赤い瞳を見た。それから「まあ、分かりませんけどね。未来なんて」と笑う。
「リリファは――」
そう言い掛けたときだった。
喧騒に、叫声が混じった。咄嗟に刀を手にした亮に、周辺の状況確認に走るリリファ。
二人で行動することになれてから、お決まりの動きだったが亮はリリファと離れる事が不安だった。
(今日はいけない気がする――)
リリファの手を掴んでから亮は「待った」と声を掛けた。
「ど、どうしたんですか?」
「リリファ」
「はい?」
ぱちくりと瞬くリリファに――何時もなら、別に? 何もないけどさ、なんて茶化すけれど――亮は「行っちゃダメだ」と声を掛けた。
「……どうして?」
「何か、変なことが起こってる気がする」
囁いてから、亮はリリファの手首を握ったまま、歩き出した。
叫声の響くその場所へと辿り着いたとき、褐色の肌の少年がその双眸へと映り込んだ。
「……ローレット」
俯いていたのは金の髪に、褐色の肌を有する少年だった。旅人を思わす軽装に、紅に染まった瞳が虚ろに亮達を捉える。
「リュシアン、ですか」
リリファが呟いた。彼は妖精郷で姿が見られた魔種だ。カムイグラの巫女姫動乱の引き金であり、ファルベライズ遺跡で姿が確認され、ヴィーグリーズ会戦にも姿を見せた。つい最近で言えば月の王国にて協力した相手でもある。
だが、魔種だ。悪事を積み上げ、冠位色欲の『小細工』の実働班とも言える相手だ。
(……様子が変だ)
亮はリリファを庇うように立った。
戦いなんて識らない世界から遣ってきた少年と命のやりとりの多かった場所から現れた少女。年齢を重ね、大人となってもその『土台』は変化はしない。詰まり、亮よりリリファの方が戦慣れして居ても――護らねばと思った。
「月原さん」
「……直ぐ、伝令を送ったからさ。……仲間(あいつ)らが来るまで、俺が護ってやるから、リリファ」
「え、いや。月原さんこそ危険ですよ」
「大丈夫だって。てか、格好つけさせてくれって。俺も、女の子一人くらい護れるから」
にかりと笑ってから亮は「リュシアンだったな?」と問うた。するりと引き抜いた刀が冷たい色を宿している。
「……うん」
「好意的な相手だと思ってたけど、今日はそうじゃないって?」
リュシアンの唇が吊り上がる。自我の揺らぎに、凶暴性が牙を研ぎ澄ませ喉元を狙っている。
――甘えん坊ですこと。
――リュシアン、貴方は屹度、私を裏切るでしょう。だからこその首輪よ。
この首輪は決して外せやしない。外させやしない。これは、これまでの報いですもの。
「オーナーはさ、結構得意技って言うか……まあ、色欲らしい人なんだ。
人の目を眩ませて、分け隔て無く『与える』人。翻れば愛されるために、愛を汲むみたいな。
だからかな、俺……もう自分が分からないな。幻想って街を壊さなくちゃならないことしか分からない」
リュシアンは首を振った。多重反転という言葉が脳裏に過ってから亮は「リリファ」と叫ぶ。
「絶対後ろに居ろ」
「えっ、あ、ああ、はい」
リリファが身構え、亮が刀を振り上げる。リュシアンの指先一つに弾かれた。
出来れば、仲間達には直ぐにでも来て欲しい。そうも言ってられないか――耐えろ。時間を稼げ。
「理性と恋はまるっきり外方を向き合っていたからさ。これは報いなんだ。
我武者羅に走ってきた、俺の最後。ふふ、はは……『終わりにしよう』か、イレギュラーズ」
- <美徳の不幸/悪徳の栄え>The course of true love never did run smooth.完了
- GM名夏あかね
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2024年01月27日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談6日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
サポートNPC一覧(2人)
リプレイ
●
拝啓、ジナイーダ。
久しぶりに手紙を書きます。思えば、きみに手紙を書き始めたのは字の練習だった。
おれたちが苦労をしないように、きみは勉強を教えてくれたね。
あまり役立てていないようで、きみが叱る様子が目に浮かぶ。
気付けばおれもベルもずいぶんと遠い遠いところに来てしまったから、
きみのくれたものは何も返せていないのかもしれない。
それでも、きみは「もう、仕方ないなあ」なんて笑うのだろうなあ。
そんなことを想像しながら、今日は手紙を書いています。
もうすぐ、色々なことが終わりそうです。
無事に……なんてことは無いと思う。おれの最後はやっぱり、これまでの報いを受けるはずだから。
それでもさ。
もし、無事で、何事も無く済んでしまったら、きみの墓に向かおうと思うんだ。
その前にブルーベルかな。あいつのところに行ってから最後にきみのところに行く。
それから、きみのそばで眠りたい。
ベルのことも連れていくよ。
一緒に手を繋いで、昔みたいに寝よう。
おれは正直恥ずかしかったけど、ジナイーダは好きだっただろう?
ベルも嫌がってたけど、あいつも好きだったんだよ。ジナイーダと寝るの。
きみはあたたかいから、寝心地が良いって褒めてた。
だから、一緒に手を繋いで三人で眠ろう。それから、夜中に起きてしまったら星を見よう。
ジナイーダは星に詳しかっただろ? だから、おれとベルに教えてよ。
おれたちも今まで見てきたことをきみに教えるから。一晩じゃ教えきれないよ。
でもさ、きみはきっと笑いながら聞いてくれるんだ。
それを思えば、それだけで嬉しくなってきた。
ああ、やっぱりさ。
おれは、きみが好きだった。
だった、って書いてしまって少し後悔した。
きみが好きだよ。ジナイーダ。
きみを護れなかった弱いおれを叱ってよ。バカみたいな事をして人に迷惑を掛けて、ってさ。
ベルのことも叱ってよ。おまえなら沢山の友達が出来ただろって、背中も押してやって。
それじゃあ、続きはまたきみの傍で話すから。
少しだけ待っていて欲しい。
きみとベルの一番の友人 リュシアンより
●
市中に響いた叫声が耳を劈いた。普段の朗らかな王都と打って変わって戦火に塗れた紅色のキャンバスのようであった。
その中心に立っているのはクリームベージュの髪に犬の耳を有する少年である。冬空にも似合わぬラサの傭兵を思わせる軽装の少年は俯き頭を抱えている。
その姿を双眸に映してから、くるりと背を向けて周辺の被害軽減が為に走るのは『可愛いもの好き』しにゃこ(p3p008456)であった。
桃色の髪は駆けずり回っているが為に煤を被り、乱れたものであった。普段から良く櫛で梳かし整えているというのに、戦場の空気は乙女の気持ちを蔑ろにするようにべたりと張付くのだ。
「落ち着いて下さい! 超絶美少女しにゃこちゃん惨状――じゃなかった、参上! ついでに今、超絶最強援軍が来ました! マジです!」
迷える仔羊と称するのは取り残された住民達だった。誰も彼もがローレットに訪れる度に時折目にする者達だ。
近くのパン屋の店主や道ばたで遊ぶ子供達。そんな見慣れた顔が恐怖を貼り付けて脚を竦ませている。『牧羊しにゃこ』はそんな迷子達を無事に安全地帯に届けるのだ。
「避難先はアチラです! 余裕がある方、体力がある方は動けない方に手を貸してください!
押さない慌てない! 焦ると逆に詰まって逃げられなくなりますよ!」
手をぶんぶんと振ってからしにゃこは声をかけ続ける。一般人を多く巻込んでいるこの状況だ。しにゃこが避難誘導に当たっていれば、自然と手伝いの手が来るはずだ。
そう、戦場には彼等がいることを知っている。此度の戦場は明確な救援要請があった。『壱閃』月原・亮(p3n000006)はその背に『永遠の0・ナイチチンゲール』リリファ・ローレンツ(p3n000042)を背負うように庇いながら魔種と相対していたのだ。
「月原さん」
呼ぶリリファに亮は「しくったなあ」と呟いた。出来れば避難誘導を完璧に終えたかったが、そうも行かない。眼前の魔種の顔を亮も見たことはある――が、話せば分かる相手で『なくなっている』のは確かなようだからだ。
「ッ――」
亮の脚が震える。馬鹿だろと思わず毒吐いた。だってそうだろう? 元々、戦うような環境から来ちゃ居ないんだ。
――月原さんは……あの、その……混沌から帰るんですか?――
そんな言葉が頭に廻った。此処で死ねば、そんな未来の話も無くなってしまう。
こうした場に立って、自分は死んでも良いけれど相手は、なんて献身的に思えたのはきっと。
「月原様」
呼び掛けられてから顔を上げる。ひらり、と蝶々が踊った。『黒のミスティリオン』アリシス・シーアルジア(p3p000397)の声音であると気付いたのはリリファが「アリシスさん、皆さん!」とその名を呼んだからだ。
仲間達が近くに来るまでの間、亮もリリファもその接近には気付いて居なかった。目の前のリュシアンはただ呆然とみているだけだが、周辺だけでも危機は積み重なっている。
『ニグレド』、『キトリニタス』――それから、狂気を帯びた一般人達。
「月原くん、無事かしら」
まるで舞うような動きであった。可惜夜(あたらよ)の如く、艶やかな黒髪が視界を覆う。『永夜』白薊 小夜(p3p006668)の囁きに「ああ」と思わず呻いてから亮は息を吐いた。
「月原くん、リリファさん。伝令をありがとう。情報屋さんには散々お世話になっているもの、剣が取り柄の私には恩を返す絶好の機会だわ」
直ぐに助けてみせると告げる小夜の握る刀がぎらりと怪しい色を帯びた。イレギュラーズではあるが実力はさよ達には遠く及ばない二人を庇い、救う絶好の機会だ。
「月原くん、正気の町人の避難をお願いできるかしら。それとよく頑張ったわね」
「……小夜さんは?」
「ふふ。小夜君だけじゃあないよ!」
鋭くリュシアンを睨め付けたのは『雷光殲姫』マリア・レイシス(p3p006685)であった。その真紅の髪が雷を帯びて白くなる。
「リュシアン君……君が、いいや、ルクレツィアが街中を戦場にしたんだね? リリファ君と月原君を狙った訳じゃあないだろうけれど……。
生憎私の友人なんだ。大事な友人をこれ以上喪うわけには行かない。君の好きにさせてたまるものか!」
亮を、そして、リリファを護るように前に出るマリアを見詰めてから、リュシアンはキトリニタスを護るように体の向きを変える。
「……ローレット……」
低く、呟かれたその名はリュシアンにとっても友人と――いいや、そう呼んでも良いような関係性では無い。何時か報いを受ける己は『友人では無い』と言い張るべきだ――……知り合いと、呼べるような人間が居る冒険者ギルドである。
「……会っちまったな」
俯き『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)は言った。その声は低く、掠れている。
まるで息継ぎを忘れてしまったかのようにやっとの事で吐き出した言葉は、酸素を求めて溺れているかのような悲痛さを抱いていた。
「風牙」
名を覚えられるだけの関係性になって閉まったとは何とも皮肉だ。正義感が強く、元より曲がったことを好まない風牙にとってリュシアンとは不倶戴天の敵である筈だった。勿論、此れまでの行いの一つも許せる余地はない。
これまでの風牙であったならば「テメェの事情なんざしらねえ」と拳を固め叩き付け、如何に悍ましい行いであったかを糾弾しただろう。
彼女は一つ大人になった。酸いも甘いも噛み分けてやってきた。だからこそ、彼の動機も、想いも、理解してしまった。『もしもオレだったら』と、たらればを考えてしまう程度には――
「……リュシアン……」
名を呼んでから『銀焔の乙女』アルテミア・フィルティス(p3p001981)は唇を噛み締めた。
喉を通すことの出来ない煮え湯を一気に飲まされているかのように、アルテミアは全ての事情を飲めずに居た。
当たり前では無いか。彼はアルテミアにとっては宿敵だった。ただ、それは彼が報いを受けるために研ぎ澄ませた刄であったはずだ。
「ふざけるな……ホント、ふざけるんじゃ……ないわよ……ッ。
私は自我を失った『獣』を討つ為に剣を握ってきた訳では無いのよ……ッ」
「アルテミア」
親友の――幼馴染みの――『双子の妹の秘密を知っている』『白銀の戦乙女』シフォリィ・シリア・アルテロンド(p3p000174)は眉を寄せた。
彼女の思いは痛々しいほどに分かる。リュシアンは冠位色欲の体の良いお人形なのだ。どうすればイレギュラーズの神経を逆撫でし、どうすればイレギュラーズの脚を少しで求めておけるかをよくよく理解している。
「……シフォリィ、アルテミア……」
ほら、彼はまだ自我があるのだ。それでも、自らの脚では立っていない。自らの意志と信念を有して居てくれているわけでは無い。
その眸の危うさも。揺らぐ、指の先に込められた力の一つだって。彼がお人形遊びの最中にぽつんと取り残された哀れな傀儡であることを告げて居る。
「――もう『終わり』だよ」
そんな言葉を聞きたくってきたわけじゃあない。アルテミアは叫びたくなったその言葉をなんとか飲み込んでから剣を握った。
●
逃げ果せる者達の脚が縺れる。亮とリリファに「後方へ」と穏やかな声を掛けてから『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は前線を見た。
其方から駆けてくる者達は誰もが皆、悍ましい恐怖劇に巻込まれないと舞台を降りていくのだ。観客席はさぞや慌ただしく、幕引きの気配が遠い戦火はくゆる篝火に薪と油を投げ入れたかのようだ。
(……流石にこの状況は放置できない、な)
ヴェルグリーズは小さく息を呑んだ。亮とリリファには『避難誘導』を手伝って欲しいと告げてからヴェルグリーズはゆっくりと前へと向かった。
転び駆けた子供には手を差し伸べ、全ての確認を行なうしにゃこが『最後』だと告げるその時まで油断は許されない事を知っている。
周囲を歩き回るニグレドに、呻き頭を抱えた人々は誰もが狂気に駆られ内心に抱いた欲望を発露させるように力に走る。過ぎた力を持て余し、それらをぶつける場所を探すように人が人を傷付ける。
止めなくては。逸る気持ちも、自らの責務も、一度は堪えたようにヴェルグリーズはリュシアンを見た。
「魔種の行いに対抗するのが俺達の務めだ、ここは全力で当たらせてもらう。
……でもリュシアン、キミの最後がこれとは流石に報われないと俺は思うよ」
「……報われない……?」
掌をじいと見る。報いを受ける己が報われる必要があるのかと、本当に分からないと言った風情だ。
(ああ――この状況を見て運がないと言うべきか、それとも、頼る相手を間違えたと言うべきかは分からない)
『航空指揮』アルヴァ=ラドスラフ(p3p007360)は肩を竦めた。その目がまじまじと見据えた魔種は今にも衝動に駆られたかの如く動き出しそうな気配を醸し出す。
「只、ファルベライズから長らく関りがあった彼が純粋であったのは間違いない。
であるのなら、彼が彼である内に終止符を討つのが、せめてもの救いじゃないのか?」
『討たない』という選択肢なんてものはなかった。それはアルヴァも、ヴェルグリーズも、『ただの人のように』リンディス=クァドラータ(p3p007979)でさえも分かって居る。
「けれど――」
リンディスの唇は慄くように震えた。言葉を紡ぐにもやっとだというように縺れた舌が彼の名を呼ぶ。「リュシアンさん」と。
「いつかは、とは思っていましたが……こんな形は、望んでいなかったけれど」
リンディスの声を聞きリュシアンの眸が揺らめいた。きっと、どんな形であったって彼女は最後に「物語を記録する」と言うのだと、皮肉な事にもそこだけは冷静に理解出来ていたのだ。
「アルテミアは俺を殺すだろうし、リンディスは、……泣かないでくれると良いな」
「ッ、」
何て酷い事を言うのだろう。首を振ったリンディスの前をアルテミアが走る。ただ、直向きな剣はその時にあったのだから。
彼は自分を見て、目を逸らすことには気付いて居た。アルテミア・フィルティスの顔立ちは彼が反転させた娘と瓜二つだからだ。
変化を帯びたのはリュシアンが起こした事の顛末によるもの。縦割れの金色の左眼に、紅の煌めきを帯びるようにもなった銀の髪。その揺らぎを見るだけでリュシアンは目を逸らすのだ。
嗚呼、逸らして等くれるな。目を背けても妹は帰ってこない。エルメリア――あの子は、彼と出会ってしまったから。
「私を見なさい!」
吼えるように声を上げた。リュシアンの双眸がかち合った。若草の色であっただろうその眸が鈍く魔的な紅色へ変化する。
雷の気配を纏うプリゼペ・エグマリヌ。突き刺したって、それは直ぐに弾かれる。それでいい。ただ、目を背けることがないように。
「……アルテミア」
「聞こえていますね。意識だってまだハッキリしている」
「シフォリィ」
シフォリィの唇には笑みが浮かんでいた。アルテミアとの連携を意識し、後方にリュシアンの意識が向かぬように壁となる。
「……貴方を含め、その後ろにいるルクレツィア、その体に刃を突き立てたい、その思いは変わりません。
貴方は、貴方達は私の親友を歪めた、だからこそ許せなかった。
ですが貴方自身で、反転はしていたとしても、ただ自分自身の想いで私の前に立っていて欲しい、そう思っていました」
それでも、理解してしまった。冠位魔種ルクレツィアは焚き付けられるように舞台に立った。それに付き添うだけの忠義をリュシアンは持ってなどいない。
(リュシアンはジナイーダとブルーベルさえ居れば良かった。
その為になんだってしてきたのだから、ルクレツィアが今更『戦え』と言ったところで応じない。
何だかんだで、頑固なのですから。きっと……そう、屹度、これは無理矢理に舞台に登らされただけだった)
ルクレツィアはリュシアンが協力しないことを許すことは薙いだろう。それ故に、酷く、苦い気分にもなる。
「……終わらせましょう、まだ貴方が、貴方である間に」
「……俺が、何時まで持つかな」
「さあ。持たせて下さいよ、あなたなら出来るでしょう」
ただ、突撃を心掛けた。後方のニグレドは、そして、逃げ果せる一般人を追いかける者達は、この舞台には不要だからだ。
シフォリィと擦れ違うようにして幻燐の蝶々がはらりはらりと宙を踊った。アリシスの手にした槍は薄らとした魔力を纏わせて無数の蝶を呼び寄せる。
それらは魂の欠片を吸い出し、全てを奪うが為の術式だった。けれど――抵抗力を大して持たぬ相手にも効力を万全に発揮できる程の術式にはなってはいない。それを利用し、自らの元に引き寄せるのだ。
(ええ、屹度。リュシアンは『持たせる』でしょう。こうもなってしまったならば……自らの在り方を保てるように。
きっと、リュシアンと言う少年が魔種としてでは無く、リュシアンとして死ぬために、懸命に抗うのだ。ただの、獣となるまえに)
アリシスは眼を伏せった。蝶々の閃きにはたと顔を上げたのは勿忘色の髪をしたキトリニタスだった。くい、とそのキトリニタスの手を引いて笑うのは榛の色の髪のキトリニタスだ。
「Bちゃ――」
しにゃこは避難活動が終ったのだと駆け寄ってきたがその姿を見て一度動きを止めた。その双眸を隠すように両の手が覆う。
「え?」
「見ちゃダメだよ!」
「裏声使う必要ありました!?」
ばたばたと脚を動かしたしにゃこの手をリリファが握る。大丈夫かと、問うているかのようなぬくもりに「大丈夫ですけど、美少女なので心配しましたか」と彼女は笑って見せた。
「さあ、大丈夫なので! ね! 真打ちは遅れてやってくる! お待たせしました恋のエンジェルです!
うぇっひっひ、お二人さんいい雰囲気じゃねーですか!
ここは幾多のカップルを成就させてきたしにゃにお任せて下がっててください! 終わったら共に危機を乗り越えた二人は……って奴ですね! ふふふ」
「あ、調子乗った」
「カップルじゃないですよ?」
亮とリリファに囲まれて、しにゃこはかズム声音を其の儘に「まあまあ、待ってて下さいよ」と微笑んだ。物陰に隠れている一般人達は粗方避難できたはずだ。それでも、足りないものがある可能性は否めない。
亮とリリファにはそうした対応をして貰うと決めた。それから――終ったら共に危機を乗り越えた二人の『恋(?)』が何だか良い雰囲気になる事を望んでみせる。
「まあまあ、ここはしにゃに任せて下さいよ」
にっかりと笑ったしにゃこを見てから亮は「ムリすんなよぉ」とひらひらと手を振った。
●
――あなたの終わりが来るならば、なんと言葉にするべきか。未だに見つからないままだ。
亡くした腕の代わりに水晶の腕を造りあげてからリンディスは向き直る。ちぐはぐな心は、彼を捉える度に軋みを上げる。
仲間達に救うべき人々を任しておけば良い。それから、リュシアンと向き合うアルテミアを、シフォリィを支える事だけがリンディスに課せられたオーダーだ。
その心は清く、正しく、そして『何事もを逃さぬ様にと見据える』が為にあった。記録者である娘は魔導書を手に唇を震わせる。
「ねえ、リュシアンさん。ずっとわかったふりをしていました。
貴方が歩んだ悲しみと、その復讐の想い――こんなにも、こんなにもどうしようもなくて、苦しくって。
……恋い焦がれた末に帰ってこない痛みは、こんなにも痛くて。いまなら本当の意味で、少しわかる気がします。喪って、しまったから」
リュシアンの眸がリンディスを見た。彼は、言葉を返せやしない。ひゅ、と息を呑んでからアルテミアの剣を弾くだけだ。
酷く、恐ろしい顔をした。その後方に居るジナイーダとブルーベルの姿をした『それ』を傷付けられる事が無いように、朧気な意識でもそれきりの事だけは護りきろうとしていたから。
「喪った」
――その人は、何も言葉を残すことはなく薔薇の庭園で散ったのだという。
奇跡を願うだなんて編纂者には必要の無いことだと兄が言った事を覚えている。リンディス=クァドラータは記録を行なう者であるべきだと。
兄の言葉を聞いてから、常に人々の歩みを記録することに意識を割いて生きてきた。
その中で出会った人が居た。恋しい人になった。手を繋ぐだけでも温かだった。
アルテミアが唇を噛む。『恋をする苦しさ』なんてものをは彼女も知っていたからだ。
その傍らを通り過ぎキトリニタスを狙ったのは可愛さ大爆発のしにゃこラブリービッグバン。
その目映さをパラソルを開いてくるりくるりと回してからしにゃこは真っ直ぐに『キトリニタス』を睨め付ける。
勿忘色の髪。鶩のような翼。まるで何処か苛立った様子で眉を顰めた不機嫌顔の彼女。
「それにしても魔種ってのは趣味が悪いですね! こうやって人の弱みにつけ込んで無茶苦茶にして、最低です……。
キトリニタスも何かやりづらい見た目してます! でも残念!しにゃの親友はここに居るので! 張りぼてなんかにごまかされませーん」
「親友……」
「そうです! Bちゃんはしにゃの親友でしたからね! へへーん、リュシアンさんは分からないんですか?
Bちゃんじゃないじゃないですか! 勿論、ジナイーダさんだって別ものですよ!」
ほらほら、と指差すしにゃこにリュシアンは振り向いて、ずきりと頭が痛んだように膝を震わせた。
その姿にヴェルグリーズが「変化している」と呟いた。多重反転の影響が少年の身を大きく変容させようとしているのだ。
ニグレドを遠ざけるように降り注いだ鉛玉。ヴェルグリーズの冴えた眸がぎらりと前線を睨め付ける。
「無尽蔵に増えやがる。が、無限に増えるわけじゃない筈だ!」
そうだ。しにゃこが、そして亮とリリファが一般人を遠ざけてくれている。アルヴァは残る者達を惹き付け、そして――
「誰も見捨てやしねぇ。あのクソ女の思い通りになって堪るか」
リリファが「あっちです!」と声を上げた事に気付いてから跳ねるように身を捻ってから手を伸ばした。
幼い子供の腕を引く。「すまねぇ、手綱は頼んだ!」と亮へと託してからニグレドを振り払う。
「本当に、嫌になるのね」
小夜は囁いた。魔種であるリュシアンはアルテミアに惹き付けられようとも自らの意志を有したままキトリニタスに近付こうとするのだ。
それを見ていれば翌々理解出来て苦しくもなろう。彼にとって、キトリニタスは大切な相手である事が良く分かる。
それ程に大切な人であったというならば、小夜の剣はニグレドを切り裂き、そしてリュシアンを見据えていた。
「小夜君。あれは」
「ええ、あれはきっと――」
彼にとって大切な人でしょう、と囁かれればマリアは「何て酷い」と呻いた。ニグレドを振り払うように進む。
リュシアンはキトリニタスを護ろうと動くのだ。だからこそ、彼がそうするならば全てを巻込むように戦えば良い。
キトリニタスの一方は楽しげににんまりと微笑んで居る。もう一方はといえば、飛べやしない翼を揺れ動かしてリュシアンの背後から飛び出そうとするのだ。
「『ブルーベル』」
その名前をマリアも知っていた。彼女を守ろうと走るリュシアンも、リュシアンの的を打ち払わんとするキトリニタスも。
(何方も互いを大事に思っている。そんな関係性を利用して、戦わせようとするだなんて――!)
唇を噛み締めたマリアがぎらりとキトリニタスを睨め付けた。ヴェルグリーズとアルヴァが戦線に復帰する事を確認し、風牙は深く息を吐き出した。
「なあ、リュシアン」
拳が震える。息がくぐもった。ああ、なんて――なんて皮肉な状況だ。
「……あれが、お前がやりたかったことだよな」
亮がリリファを護る。リリファは亮を信頼し、共にあるために動く。
「なら、やってみせろよ。そこにいる二人を、護り切ってみせろ!
――リュシアン、オレはお前の後ろにいるそいつらを殺す。殺すぞ」
あの日、敵意と殺意を溢れさせたのだ。風牙はその時から変わらず『正しいことを追い求める』ように進んで来た。
「やってみろよ」
憤怒が滲む。リュシアンの眸がぎょろりと動いて『敵(イレギュラーズ)』を見る。
「……あのさ」
「ええ、言いたいことは分かるわ」
小夜は射干玉の髪を揺らがせて、息を吐いた。風牙の言いたいことは良く分かる。
キトリニタスを先に倒しきりたい。リュシアンが護るというならば、『丸ごと』押し退けてしまえば良い。
口ではなんとだって言える。「どこにも行かせねえ」と。「ここがお前達の最期の場所だ」と。それっきりの言葉を吐き出せたとしても。
「『そのままの彼』であるほうが好ましいのでしょう」
小夜はアルテミアの気配を感じたように囁いた。彼の自我の上で、彼がイレギュラーズと相対してくれるならば良い。
愛なんてものは度し難いのだ。茨の道を進むように困難だ。それをよく理解した上で、アルテミアは言う。
「ええ、彼を倒すのであれば正気のうちがいい」
「ならば、先にキトリニタスを斬ったならば、既に壊れかけた彼の心がどうなるかは、分かるでしょう?」
マリアの悲痛な顔を見てアルテミアは「そうね」と小夜に頷いた。
何れだけ罪を重ねてきたとしても。何が理由であったとしても。彼は許されざる存在だ。
そんな彼であっても『誰かを護りたい』という想いは人と同じだ。
「てめえの好きってのはその程度だってのか? あ? リュシアン、返事しろ!」
「――……ッ」
リュシアンの意識が眩む。アルヴァは叫んだ。
「好きだったなら頑張れよ。あんな糞女の好き放題になってやるなよ。男だろテメェ! ――男なら、少しは根性見せやがれ!」
「ッ……るせぇ」
思わず呟いたリュシアンにアルヴァの唇が吊り上がった。
それでいい。キトリニタスを諸共狙い、そして『リュシアン』が護ろうとするならば彼を諸共倒せば良い。
イレギュラーズの目的は、それ故に『固まっていた』。目標意識がズレていなかったからこそ、一般人を護って尚も、目の前の魔種を倒しきれる。
「月原さん……」
リリファはか細い声で彼を呼んだ。風牙が言う様に亮がリリファを護る事のように『当たり前に誰かを護りたい』という願いをあの魔種は持っていた。
それをも蔑ろにする冠位色欲を許せないというのは容易いことだ。最も大元を糺すならこの世界に訪れる破滅を遠く追い遣らねばならない。
「大丈夫だ、リリファ」
小さく呟いて亮は俯いた。マリアが護ってくれる。心強い――けれど、それ以上に。
「……もし、状況が変われば俺達もああなったのかな」
呟く亮にリリファは何も答えることなんて出来やしなかった。
●
リュシアンという少年は最初から未来を予見していた。
そう、生半可な儘じゃ勝てること何てないと分かりきっていたのだ。
イレギュラーズは強く、そして信念を胸にして居る。小夜の剣は迷いもなく、拳を固めたマリアには倒す事に対する迷いはあれど、それをも払拭するだけの『誰かのために』という原動力がある。
ヴェルグリーズは愛しい子供達を、そして、相棒を守る為ならば切り伏せることを是とするはずだ。
「リュシアンさんはBちゃんの幼馴染みでしたよね?」
「……親友」
赤い瞳が虚ろに、揺らぐ。親友という言葉に「いや、それはしにゃなんですけど」とその座を取り合ったのは少しだけの余興だ。
「だから、悪い人じゃないと思ってます。
月リリカップルみたいに、楽しく毎日を過ごして、互いを助け合う関係性である筈だったんだなあって思ってます。
でも、しにゃはBちゃんの時と同じです。『Bちゃんとジナイーダさんを護りたい』リュシアンさんを倒す事に決めました。
まあ、親友の? 大親友の? 言葉を借りたなら――『ばぁか、おまえはそんなことできるやつじゃないだろうが』ですよ!」
からりと笑ってから、しにゃこの傘はゆっくりと開かれた。鮮やかな桃色に、フリルとリボンが揺れている。
「カップル」
「そうですよ」
カップルだと楽しげに揶揄い笑うしにゃこは「後でちゃーんとお願いしますからね!」と笑った。
(ええ、そうでしょうとも。リュシアンとジナイーダはそうあるべきだった。
彼等の運命を狂わせたのは旅人であり、この世界へとやってきた異邦人だというのは何て皮肉な事でしょう)
逸脱者(たがえるもの)として、アリシスはその在り方が間違っていること何て分かって居た。
分かって居るからこそ、その運命の歯車が狂ってしまったこと全てを悲しむことなど出来ないのだ。
強烈な光は、全てを狂わせる。
少なくとも『博士』とよばれた旅人は、ジナイーダという小さな世界で過ごしていた少女にとっては心惹かれる存在であったのだろう。
「今更、過去を悔んで等はいられません」
「……ああ、そうだ」
「ジナイーダもブルーベルも、帰ってやこないのです」
「けれど」
アリシスは目を伏せた。それでも『もう二度と』は喪いたくはないのだ、と。
そんな気持ちが分かって仕舞うからアルテミアは唇を噛み剣を振り下ろすのだ。
嫌になるほどに、相手を倒す事だけを考えて居たのに――心を揺らがされたのはエルメリアの姿がよぎったからだ。
「もう、終わりにしましょうか」
そう、リュシアンは最初から予期していた。だからこそ、此処から先はリンディス=クァドラータの記録に過ぎない。
結末を言えば、彼等はキトリニタスを、そしてリュシアンを、倒せた。
マリアがジリ貧の状況を打開するべくヴェルグリーズと共に駆けたのだ。
落ち着いた声音が響き、人々の安堵を誘うヴェルグリーズは亮やリリファに全てを託している。
眩い光の下を駆けて行くように、キトリニタスを狙う彼等はリュシアンを無力化したのだ。
マリアの雷の気配がリュシアンの意識を刈り取らんとした。「やめろ」と叫んだ。リュシアンの吼える声がする。
「ジナイーダを! ベルを! 奪うな!」
叫ぶ。手を伸ばすリュシアンの腕が吹き飛んだ。滲んだ苦しさをマリアは飲み干して、大地を踏み締める。
ヴェルグリーズの剣は、ただ鋭く命を奪うために光った。リュシアンを前にして、ヴェルグリーズはキトリニタス諸共に『全て』を終らそうとした。
「リュシアン」
キトリニタスの声音が弾んだ。ただ、それだけで風牙は唇を噛んだ。
畜生。
呻いた。畜生。
唇噛む。鉄の臭いがする。――畜生!
「なんで、テメェが『ジナイーダ』の声で話すんだ!」
奥底から叫んだ風牙にジナイーダがころころと笑った。ベルと呼ばれたキトリニタスが庇うように立つ。
「駄目ですよ。Bちゃんのまねっこは」
しにゃこの声音がふわりと踊った。全てを閉じ込めるように『しにゃこの想い』が弾き飛ばす。
「リュシアン、こっちよ」
弾む、弾む。踊るように。楽しげに。砂漠を駆け回っていた頃のように、ジナイーダはころころと笑うのだ。
「ジナイ、」
その声音を遮るようにその背中にアルテミアの剣が突き刺さった。
血潮が、ぼたぼたと落ちていく。ひゅうと引き攣った声を漏してからそのままその肉体は落ちていく。
アルテミアの唇が震える。望んだのは『当たり前の最後』だ。だから――此処に願うのだ。
奇跡を。
憎らしい相手であったって、せめて、せめて、死後くらいは幸せであって欲しい。
――アルテミア。
笑う『彼女』の声が聞こえた気がした。
待っていてね、エルメリア。私はもう少し親友とこの世界を旅しなくてはならないの。
――アルテミア。
笑う『彼女』に微笑み返した。
大丈夫よ、エルメリア。私も愛しい人と一緒だから。だから、最後になったら迎えに来てね。
それまで、どうか、彼が彼の大切な人のところに行けるように願っていた。
アルテミアは静かに剣を引き抜いた。恋の炎を受け入れたようにリュシアンの眸は鮮やかな紅色から穏やかな色彩へと変化する。
「……俺って」
「おかえりなさい」
リンディスは眼を伏せった。ここからは本当に、本当に余録なのだ。ただ――最後まで、彼の傍に居て、見て居なくてはならないから。
「それでも、その末に選んでしまった道と、その道の中で起こしたことは許されてはいけないことですけれど。
だけれど、その途中で私たちに交わった……仲間だったって私が思っている時間も、リュシアンさんだから。
――抱いた思いも、抱いた恨みも。為した悪事も、為した目的も」
彼の事をずっと見てきた。
だからこそ、リンディスは決意を胸に言葉にする。
「……その全部を纏めて、リュシアンさんを記録します。あなたの想いが、確かに世界に在ったのだと。
私が記録するのはただの魔種・リュシアンではなく――『リュシアンさん』
せめて、貴方のままで最後まで。抗って見せてください。例え、冠位魔種の手であろうと、これ以上貴方の物語は汚させない」
笑うキトリニタスの命を狩り取りながら、マリアは囁いた。
――何て惨いのだろうね、と。
その言葉にしにゃこは「だから、魔種ってのはきらいなんですよ」と目を伏せたのだった。
●
「一応、聞いておきます。墓標の場所は、ジナイーダの隣が良いですか?
静かに問うたアリシスに「聞かなくても、分かって居るくせに」とリュシアンは朗らかな笑みを浮かべた。
それも、ささやかな『猶予』でしかない。きっと、幼馴染みと愛する人の元に誘われるためにはこの時間が必要だったのだ。
「そんなことを願っても、許される身の上かな」
「……許されるかだなんて。私は貴方の事を絶対に赦しはしない。
けれど、死者を冒涜などしないわ。死後の貴方が、貴方にとって護りたかった人の側に行くことを私は否定しない」
アルテミアは唇を噛んだ。俯くアルテミアの傍で、小夜は「よく頑張ったわね」とリュシアンの顔を覗き込む。
俯いていたリュシアンは虚ろな眸で揺らぐように膝を付いた。
「ああ、そうだ。リュシアン。……ヌーメノンは見つかったのですか?」
「いいや。きっと、全てが終わったら、あいつは逃げていくんだ。もし、アリシスがアレを見かけたら、仲良くしてくれる?」
「さあ」
アリシスはすうと眼を細めてから「それでは、二人と仲良くなさい」と柔らかな声音で囁いた。
アルテミアは静かに見下ろしている。彼の終わりはなんて呆気ない。
「リンディス」
呼ばれてから、引き攣った声を漏したリンディスは無くした腕を庇うように一歩ずつリュシアンへと近付いた。
「……酷い顔」
「ええ、そうでしょう。けれど、この感情だって必要な『記録』なのですよ」
リュシアンの手が伸ばされた。頬に触れる。暖かい、生きた人の気配だ。
「俺さ、リンディスの事は良い友人だと思ってんだ。アルテミアにも風牙にも、シフォリィにだって色んな因縁があったけどさ――」
掠れる声音が、地を叩く。体がぐらりと傾いでからその肉体をリンディスは支えた。
ああ、もう話さないで居て。あなたが死んでしまうその刹那が近付いて着てしまったのだから。
「俺も、ベルも、出会い方が違えば、君達の良い友人になったかな。
しにゃ……Cちゃんはベルの良い友人だったろ? 俺達、ずっと三人で居たから……君達が居ればもっと、広い世界を見ることが出来たんだろうな」
リンディスの肩が揺らいだ。彼等は魔種で、長らく活動をしてきたけれど、幼くしてその姿が変容したのだ。
砂漠を我が物のように駆け回り、オアシスで脚を浸す。ばしゃりと弾かれた水に「冷たい」と笑う声が響く、そんな何気の無い毎日を過ごしていた筈だった。
「……言ったでしょう、リュシアンさん。ずっと、ずっと、わたしはわかったふりをしていたんですよ」
分かって居る振りをして、理解者の様に振る舞って。
いつだって、そばに居られるように微笑んでいた。
「分かったふりをしていたから……きっと、友人になった時も衝突はするのです。
でも、分り合えるはず。分かり合うまで少し時間が掛かっても……友人ならば大丈夫ですよ。
何度だって。きっと、しにゃこさんとBちゃんさんは喧嘩をして……他の友人達も巻込んで。
サンドバザールで食べ歩きだってできますよ。もっと広い世界にジナイーダさんを連れて行ってあげることだって」
砂を掻き集めるようにしてリンディスは言葉を重ねた。編纂される情報にそんなものはない。ただの夢物語だ。
耳に為ているアルテミアは『三人』がそうやって過ごしてきたのだろう事を思って唇を噛んだ。
「そっかあ」
リュシアンが笑う。その眸に赤い色が差し始める。
「もう、だめみたいだなあ」
リュシアンの前にしにゃこがリリファと亮を連れて遣ってきた。
「ほら、リュシアンさんがカップルを別つことはありませんでしたよ!」
「……」
リュシアンは小さく唇を吊り上げた。亮とリリファは顔を見合わせてからしにゃこの肩を掴む。
「いや、カップルじゃ――ああ、でもなあ。まあ……それでいっか」
「は!?」
大仰に驚いたリリファが後方へと下がりマリアの背中に隠れた。小夜はこてりと小さく首を傾げてから「付き合っているものだと」と呟く。
「付き合ってませんけど!?」
「……あら、リュシアン」
その気配に、小夜はゆるゆると顔を上げた。風牙は悲痛な表情を見せる。
亮とリリファのやりとりをリュシアンが笑っているのだ。
――なあ、リュシアンってさあ。ジナイーダのこと好きだろ。
――うん? うん。
――違うよ、家族としてじゃなくってさ。ああ、まあ、いいけど、あたしのことも家族にしといてよ。
――はっ!? ああ、でもなあ、うん、まあ、好きで、でも、ベルだって離れる事無い家族だよ。
――ならよかった。
そんなやりとりを思い出した。ジナイーダが好きだよと笑う顔だって――嘘だ。もう、彼女の本当の笑顔も声も忘れてしまったのだ。
キトリニタスの作り出した姿が本物であるかさえ、朧気になる程に遠くにまで。
「……リュシアン、俺からキミへ別れを贈ろう。
せめて残った思いの一欠けらだけでも抱えて、安らかに――もうキミ達が共にいることを邪魔するものはいないのだから」
嫋やかに微笑んだヴェルグリーズがそっとリュシアンの肩を叩く。
耐えきれることも無い。体を支えても居られない程に伽藍堂だ。
「……もう、終わりにしよう」
「ええ。そう致しましょう。……私がやりますか?」
一応、と。シフォリィは付け加えた。自身が介錯しなくても良い。終らせる事は誰だって出来る。
アルテミアは一歩ずつ踏み出してから「私にやらせて」と囁いた。
「リュシアン貴方は憎い相手ではありました、でも、向こうで、皆とまた、普通に笑いあっていて欲しい。それは嘘偽りない本心です」
シフォリィの言葉を聞きながら一歩、一歩と進む。アルテミアの冴えた剣はゆっくりと少年の胸に突き立てられ、鮮やかな炎を上げた。
「……背負う命の責任がまた一つ、増えてしまいましたね───」
シフォリィがそっとアルテミアに触れた。未だ、幻想に広がる戦線の気配は引く事は無い。
「さようなら、リュシアン」
アリシスは囁いた。拾い上げた短剣は傷だらけであってもよく手入れが為されていた。
そっと、その感触を確認してから、ただ終わりを思った。
理性と恋とはまるっきりそっぽを向いた。
雪が溶ければ春が来る。夏の向こうに冬が泣いた。
――一つの恋は破滅に向かった。何も残さぬままに、冬の殻だけ放置して。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
月原とリリファはこれからがありますが、リュシアンとジナイーダにはもうないんだなあと思うと何だか悲しくなりました。
ただ、月原とリリファの未来を守って下さったのは皆さんです。
此の儘ハッピーエンドに突っ走って行けると良いですね。
GMコメント
夏あかねです。
●成功条件
『魔種』リュシアンの撃破
※亮&リリファの生死は成否判定には含みません。
●フィールド情報
ローレット近辺。イレギュラーズは周辺に広がった色欲魔種や一般人対応に駆り出されているでしょう。
ルクレツィア自身とはやや距離が外れていますが、ルクレツィアやアタナシア、王城(フォルデルマン)へと辿り着かせない為に市中で暴れ回っているようです。
此処で街を壊滅的状況に追い込めば次はフィッツバルディ公やアーベントロートの暗殺令嬢の殺害を目的とすることでしょう。
取り逃がせば幻想の街は危機に見舞われ、バグ・ホールの影響もあり復興の目処が立たなくなります。
つまり、遊撃の役割を担う『多重反転した魔種』を撃破することが皆さんには必須のオーダーです。
●エネミー
・『魔種』リュシアン
深緑編で撃破された魔種ブルーベルの幼馴染み。
初恋の人でもう一人の幼馴染み『ジナイーダ』が『博士』と『タータリクス』によりキマイラへと変貌させられた事を目にし、それにより反転。
現在は『色欲の冠位魔種』の使いっ走りをしています。
その結果、タータリクスを反転させたり、カムイグラの動乱の切欠ともなった巫女姫を反転させたりと派手に動いている節はあります。
仇であった博士を撃破(<月だけが見ている>magna opera)した事により、あとは死ぬだけと覚悟を決めています。
ですが、此れまでの行いを鑑みて最後は敵として殺されるためにイレギュラーズを待っていたようです。
が、ルクレツィアによる多重反転で『色欲』及び『憤怒』と重ねるように『怠惰』がのし掛かり自我の崩壊が始まっています。
現在は辛うじての意思の疎通が出来ますが、彼の意思に反して肉体は勝手に動き出し周囲を壊すことばかりを目的としています。
街を壊滅的状況に追い込むことが目的です。須く壊しましょう。須く潰しましょう。
短剣を武器にしています。基本的にはアサシンのような鋭い攻撃を繰返すタイプでした、が、今はオールラウンダーと言える性能を有します。
・『ニグレド』 10体
皮肉な事ですね。博士の研究にインスピレーションを刺激された錬金術師タータリクスによって作られた人工生命体です。
どろどろで、形も何もかもがない『汚泥』のような存在ですが、それらはリュシアンに付き従っています。
曰く、オーナー・ルクレツィアの悪戯です。彼等は狂気の伝播装置の役割です。
モンスター程度の戦闘力を有し、一般人を狂気に陥れることを目的としています。
・『キトリニタス』 2体
オーナー・ルクレツィアの悪ふざけです。魔種ブルーベルと『少女』ジナイーダを模しています。
ただ、体がそうであるだけです。非常に卓越した戦闘能力を持ちます。
リュシアンは彼女達を本能的に護るようです。……なんだか、可哀想ですね。
・一般人達
リュシアンの『原罪の呼び声』に影響され狂気状態に陥った一般人です。
増えていきます。数は不明です。不殺を心掛けるべきでしょうか……。一撃では倒せませんので対応を行なう際にはその戦闘力を見極めてください。
イレギュラーズを狙いますが、そうで無いときは周囲の一般人と殺し合いをして居ます。
また、市中である事から街中にいる彼等、彼女等は物陰に隠れているほか、逃げ惑っています。巻込む可能性も留意するべきでしょう。
●同行NPC
・月原 亮&リリファ・ローレンツ
仲良し喧嘩ペア。お互いがお互いを意識し始めています。
相手が一番に大切ですが、旅人同士では『帰る』場所があるため如何するべきか結論の出ないまま。
此度の騒動では皆さんが訪れるまではリュシアンたちの気を惹き耐え忍びます。
皆さんと無事の合流を果たした場合は避難誘導及び、簡単なエネミー撃破をお手伝いします。
(前準備※付与や誘導など を優先した場合は彼等がリュシアンの気を引き続けるので、死亡率が上昇します)
●情報精度
このシナリオの情報精度はD-です。
基本的に多くの部分が不完全で信用出来ない情報と考えて下さい。
不測の事態は恐らく起きるでしょう。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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