シナリオ詳細
<フイユモールの終>鎖扉の向こう側
オープニング
●
――お前のせいでエルフリスは死んだ!
幼い頃、先代六竜『白輝帝』イグナティウス、つまり父親にそう言われた。
父は母を深く愛して居たらしい。
僕を産んで死んでしまった母の事を、いつも嘆いていた。
でも、産まれてしまったものは、どうしようもない。
卵には返れないのだから、仕方ない。
――どうして、エルフリスが死ななければならなかったのだ。
――おまえのせいで! お前が死ねば良かったのだ! エルフリスの嘆きが聞こえるぞ!
そんな事を言われても、どうすればいいか分からない。
僕が今から死んだって母は返ってこない。
ただ、僕は父の怒りが収まるのをじっと待つしかできなかった。
――――
――
過去の苦い記憶を思い出していた『白翼竜』フェザークレスは深い溜息を吐く。
最近では思い出す事もなかった記憶が浮かんだのは、母エルフリスの幻影に会ったからだ。
「……母上は嘆いてなかったし。嬉しいって言ってくれたし」
幻影といえど母に初めて抱きしめられ、フェザークレスの心は満たされた。
それなのに、思い出すのは父から受けた仕打ちだ。
「嫌な事思い出しちゃった。もう、父上も死んだのに」
両親の居ないフェザークレスは叔父である『灰鳴竜』ジルヴィルムに育てられた。
冠位魔種ベルゼーもフェザークレスを気に掛けて世話を焼いてくれた。
はぁ、と溜息を吐いたフェザークレスは慌てた様子の羽音を聞いて顔を上げる。
「フェザークレス!」
「どうしたの?」
ジルヴィルムが血相を変えてフェザークレスの前に降り立った。
「此処から逃げるぞ。ベルゼーが暴走した」
「……うん」
前々から決めていた事だった。
ベルゼーが暴走した時はジルヴィルムと共に安全な場所へと避難することを。
「人間の奴ら、無謀にもベルゼーの腹の中に入っていったぞ。戻って来れるかも分からないのに」
「な……!?」
目を見開いたフェザークレスはジルヴィルムに掴みかかる。
「それは本当!? あのバカども! ジル手伝って! 助けに行かなきゃ!」
「ほおっておけ。人間が勝手に入ったんだ」
「嫌だ! 逃がさないとあいつらまで死んだらベルゼーが悲しむ!」
強い眼差しでジルヴィルムを見上げるフェザークレス。
「……」
「ジルが行かなくても僕がいく!」
「分かった」
観念したように溜息を吐いたジルヴィルムは、フェザークレスと共にベルゼーの腹の中へと向かった。
●
ベルゼーの腹の中は彼の思い出に彩られていた。
フリアノンや、亜竜たちの村。そして、風光明媚なヘスペリデスも映し出される。
イレギュラーズはそんなベルゼーの腹の中を進んでいた。
仲間が命を賭して紡いでくれた『奇蹟の道標』を無駄にしないため。
バサリと羽音がして白き竜が二体、目の前に舞い降りる。
フェザークレスとジルヴィルムだ。
「なにしてんの! さっさと出るよ!」
怒ったような剣幕で捲し立てるフェザークレスに首を振るアーマデル・アル・アマル(p3p008599)。
「いいや、ここでベルゼーを止めないと……」
「出来るわけないでしょ!」
フェザークレスの覇気にぐっと息を飲むのは如月=紅牙=咲耶(p3p006128)だ。
「だが、やってみなければ分からないでござるよ」
咲耶が言葉を発した瞬間、フェザークレスが目を見開く。
見た事も無いような白翼竜の顔に咲耶は首を傾げた。
「……うそ、なんで。早く逃げろ!」
「如何したのでござるか?」
フェザークレスの視線はイレギュラーズの後ろに向けられている。
「……あいつ、死んだ筈なのに」
ぶるぶると震えるフェザークレスに唯ならぬ事態が起きたのだと咲耶もアーマデルも察した。
「あいつとは?」
「僕の父親……先代の六竜『白輝帝』イグナティウス――!!
……お前ら、速く逃げろ!!!!」
フェザークレスの叫び声にイレギュラーズは後ろを振り返る。
『白輝帝』イグナティウスの背から広がった眩い光翼は視界を覆い尽くす程に大きくなった。
それはまるで、天界から舞い降りた大天使のような神々しさを纏う。
溢れ出る強烈な閃光に、誰しもが次の瞬間に『死』を予感した。
真っ白な光に包まれて消え失せるのだと本能が悟る。
されど、その光の前に影が立ちはだかった。
竜の姿へと戻ったフェザークレスが翼を広げイレギュラーズを庇ったのだ。
次の瞬間、全てを覆い尽くす純白の光輝が視界を覆う。
「フェザークレス!!」
「……っ、痛ぁ! このクソ親父!!!!」
ジルヴィルムの叫びと共に、血飛沫がフェザークレスから吹き上がった。
霧のように辺りに拡散するフェザークレスの血はイレギュラーズの頭上にぽたり、ぽたりと降り注ぐ。
六竜たるフェザークレスだからこそ凌ぎ切れた攻撃なのだろう。
人間が直撃を受ければ一瞬で消し飛んでしまうのが分かる。背筋が凍るようだ。
「カイヤも他の人間も怪我はない? 歩けるなら早く此処から出て!」
ジルヴィルムに支えられ、立ち上がったフェザークレスは再び閃光を放とうとするイグナティウスの前に翼を広げた。
されど、イレギュラーズは引くことなど出来はしなかった。
冠位魔種ベルゼーを止めなければ、やがて世界は喰らい尽くされてしまう。
「――俺達は引かないよ」
一歩前に出たのは、ヴェルグリーズ(p3p008566)だ。
ヴェルグリーズは練達においてフェザークレスと戦った一人である。
白翼竜に一番複雑な感情を抱いているのはヴェルグリーズだろう。
最初は傍若無人に多くの人を殺めた邪悪な竜フェザークレスだった。
覇竜の村、クレステアでは崇め奉られる心優しき竜だった。
ヴェルグリーズはフェザークレスと対話し、真正面から向き合い、その罪を認めさせた。
白翼竜にとって、それは大きな変化だっただろう。
この変化が無ければ、この場でフェザークレスは敵対していたかもしれないからだ。
「ここで引けるなら、アンタたちと『対話』なんてしてない。そうだろ?」
ジルヴィルムへと視線を向けるシラス(p3p004421)は口の端を上げる。
竜の里ヘスペリデスへ入って来た人間を追い返そうとしたジルヴィルムと、戦う事なく『対話』で切り抜けられたのは、シラスの言葉が大きかっただろう。
否定するだけでは『対話』することが難しくなる。それは竜も人も同じなのだ。
これが幼い頃から分かっていれば、苦労せずに済んだだろうと幾度も思った。
感情にまかせて否定し、状況が悪化したなんてこと幾らでも経験がある。
「だから俺達に協力させて欲しいんだ」
ジルヴィルムはシラスとフェザークレスを交互に見つめた。
「でも、お前達が死んだら……っ! ベルゼーが、悲しむんだ」
苦しげに息を吐くフェザークレスの口から、ゴボリと血の塊が地面に落ちる。
「私達は死にません。死ぬ事など許されないのです」
マリエッタ・エーレイン(p3p010534)は静かにエメラルドの瞳を伏せた。
この手で奪ってきた命灯の輝きは、両手でなんて数え切れないもの。
これが虚勢であっても構わない。今はそれでいい。内側から湧き上がる死への恐怖を嘲う声なんて今は聞いていられない。
「そうだよ。私達は何度も苦難を乗り越えてきた」
瞳に強い眼差しを宿したスティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)はフェザークレスを見つめる。
一つも犠牲が無かったなんて、そんな事は決してない。
けれど、其処には仲間の覚悟があった。
未来へ紡ぐ道となりて、その糧となるために、命を輝かせた者たちがいるのも事実だ。
「だから、私達は前に進まないといけないんだ!」
スティアの力強い声が、戦場に響き渡る。
そんな風に己の意志を貫き通せる『人間』が、フェザークレスは――『大嫌い』だった。
弱くてちっぽけで、直ぐに死んでしまう。
そんな小さき者が大嫌いだった。
怖かったのだ。
死なせてしまうのが怖かった。
触れてしまえば壊してしまう。近づけば潰してしまう。
だから、此処へは来て欲しくなかった。
安全な場所で、過ごしていてほしかった。
死んでほしくなかった!
カイレンにも死んでほしくなかった――!!
フェザークレスは、本当は人間が『大好き』だったから。
「ああああ、もう……! 分かったよ。ほんと、まじで。人間ってヤツは!」
うなり声を上げたフェザークレスは地面に足爪を食い込ませ、イグナティウスを睨み付けた。
「僕があの閃光を受け止める! その間にお前らは有りっ丈の攻撃を仕掛けて!」
「フェザークレス様……」
ニル(p3p009185)はフェザークレスへ陽光の癒やしを降り注ぐ。
されど、それはドラゴンにとって微々たるもの。フェザークレス自身の回復力の方が上回っていた。
「ありがと。でも大丈夫。こっちに回復はいらないから。その分をとにかく攻撃を仕掛ける事に回して」
「わ、分かりました!」
ニルはフェザークレスの意志をくみ取って頷く。
ニルにとってフェザークレスは大切な友人であるテアドールを壊した竜であった。
冠位魔種ベルゼーが空腹を紛らわせる為に練達を襲った時に、引き連れられて来たフェザークレスとテアドールは戦ったのだ。有無を言わせぬ暴力に機械の身体は殆ど壊れてしまった。
フェザークレスは最初は大切な友人の仇だった。けれど、交流を重ねる内に邪悪なだけの竜ではない事が分かったのだ。だからニルは自分の気持ちに正直に、フェザークレスを手伝うと決めた。
「初めて会った時と、全然違うじゃないか」
くすりと微笑んだロロン・ラプス(p3p007992)は少年竜のお尻にキツいお仕置きをした事を思い出す。あれはアーマデルが言い出したものだった。
人間を超える者として、分かり合えると思っていたのにとロロンは思い馳せる。
自分とは違う考えであったことに、ロロンは少なからず寂しさを覚えた。
この心の内にチリチリと揺らめく感情を言い表すには、言葉が少し足りないように思える。
憧憬、嫉妬、憐憫、諦め、落胆。
自らが期待してしまったが故の、気持ちの落下がむず痒いのだとロロンは息を吐いた。
「でも、多分その道も間違いじゃないよ」
自分とは違う道だけれど。どんな道だって前に進んで行けるから。
「そうだな……紡がれる道は何処かへ繋がっている。絡まっても構わない。挫折しようとも。フェザークレス殿は一人では無いのだから」
アーマデルはフェザークレスを支えるジルヴィルムを見上げた。
どちらも竜の姿をしており、普段より雄々しく勇猛に見える。
「拙者も居るでござるよ! 何せ白翼竜の友なのだからの!」
優しげな瞳で微笑んだ咲耶にフェザークレスの緊張が少し解れたような気がする。
守らなければならない人間(友人)たちの声は、フェザークレスを奮い立たせるのだ。
「絶対に守ります!」
青い瞳に宿した強い意思。ユーフォニー(p3p010323)の声が戦場に響く。
冠位魔種ベルゼーを倒さなければならない。
その痛みはユーフォニーの胸に未だ深く突き刺さっていた。
あんなにも優しいベルゼーを倒さなければならない苦しみ……けれど、それはベルゼーとて同じではないのか。苦しんでいるからこそ、どうにかしてだましだまし此処までやってきた。
「……!」
視界がイグナティウスの閃光に覆われる。猶予は残されていない。
ユーフォニーはギリっと唇をかみしめる。
明確な答えなんて見つからないけれど。それでも、ユーフォニーは前に進まなければならないのだ。
「行きましょう!」
――必ず、生きて、帰ってくるために!
- <フイユモールの終>鎖扉の向こう側完了
- GM名もみじ
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年07月25日 22時05分
- 参加人数12/12人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 12 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(12人)
サポートNPC一覧(1人)
リプレイ
●
風光明媚なヘスペリデスの風景が目の前に広がる。
その中に現れた先代六竜『白輝帝』イグナティウスのウィンクルムの威圧感は凄まじいものだった。
「腹ん中にえらいもん飼ってるわねー、あのおっさん」
『ハイテンションガール』郷田 京(p3p009529)が感心するようにイグナティウスを見上げる。
「流石に七罪ってわけね……この胃袋なにで出来てんだか」
周囲を見渡せば胃の中とは思えない程の広大な空間が広がっていた。
「なかなかイカつい図体してんじゃないの、こいつ?」
そこへ立ちはだかるイグナティウスの威圧感は見過ごせないものだろう。
「これは流石に、マジで行かないとヤバそうじゃないの」
「敵は荒れ狂う先代六竜! ベルゼーを止める前に挑むにはちょうどイイ壁じゃないか!」
強気な笑みで『業壊掌』イグナート・エゴロヴィチ・レスキン(p3p002377)は拳を打ち鳴らす。
「今回は頼もしい味方も居る事だし、恥ずかしい姿は見せられないね!」
イグナートの視線の先には『白翼竜』フェザークレスの姿があった。
イグナティウスと対峙するその雄々しき姿に見惚れるのはウィール・グレスだった。
「フェザークレス殿が抑えていてくれる間に、あいつに出来る限りの攻撃をぶち込もう」
先陣を切って走り出した『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は眉を寄せ、イグナティウスを見上げた。
腹立たしい程にイグナティウスには親しみがあった。何より『父親』という幻想に憧れもある。
アーマデルには父も母もいない。『親』と呼ぶならイシュミルがそれに一番近いだろう。
次が師兄であろう。彼が自分を疎んでいたと後で知ったけれど、それだけでは無かったと思うのだ。
手にした蛇腹剣がフェザークレスをすり抜けイグナティウスの右腹へうねる。
「『父として』? 笑わせる、その言葉はひとりの男として、夫としてのもの」
大切なものを失った絶望は分からなくも無い。
「だが子を成すのはひとりでは出来ない。被害者面は頂けない、大人げない」
「知ったような口を……」
翻ったアーマデル目がけて尾が叩きつけられる。
「血の繋がりが家族を構成するのではない。撚り合わせた糸が家族という紋様を織り成すのだ。あんたの妻は、あんたが子を守り育ててくれると信頼していたからこそ、頑張れたんじゃないのか?」
大気に怒りが溢れる。イグナティウスの心に反応して地面がぐらぐらと揺れた。
「……あんたはその期待に応えたのか?」
「小さき者が何を言おうと、私の中にある憎しみはきえん」
「あんたのそれはあんたの大切なものが、あんたよりもあいつを優先した事へのやきもちだろう?」
アーマデルの問いかけにイグナティウスから強烈な閃光が放たれる。
それは練達でフェザークレスが放った凶悪な光と似ていた。
命が削れる予感にアーマデルは歯を食いしばる。
されど閃光は大きな影に阻まれた。フェザークレスがその身を挺して庇ってくれたのだ。
「大丈夫!?」
「ああ、問題無いフェザークレス殿」
『竜剣』シラス(p3p004421)は聞こえてくる言葉に驚いたように目を瞠る。
フェザークレスがこんなにも自分達の身を案じてくれるなんて。人間を気に掛けているとは思っていたが想像よりも心配してくれている。けれど、同時にフェザークレスの身を案じなければならなかった。
このウィンクルムを討ったとしてもこの先は更に危険なのだから。
「どうせベルゼーやアンタらからしたら居眠りする間に朽ちる命だ。
この場での生き死には大した問題じゃないのさ。
人間にとって大切なことは何を成したか、そうだろう?」
屁理屈だとシラスは思いながら、ウィンクルムの元へ駆け出す。
それを察知したウィンクルムは薙ぎ払おうと尾を振り上げた。
鈍い音がして小さな声が漏れる。されどそれはシラスのものではない。
イグナートがその身でウィンクルムの尾を受け止めたのだ。
「流石! 六竜レベルになると全力で防いでもこの威力か! この仙術で守りを固めたらちょっとした亜竜の牙くらいなら止めるんだけれどねぇ!」
折れた骨と断裂した筋肉の痛みに顔を歪めるイグナート。
「まあ、それでもオレは死んでもないし。六竜はこの程度なの?」
続けざまに叩きつけた拳と言葉。怒りの矛先を己に向けられればとイグナートは考えたのだ。
イグナートが引き受けてくれた隙をシラスは見逃さない。
「ここまでお膳立てされて攻撃を通せなかったら格好がつかない。全力でやらせてもらうぜ!」
フェザークレスが自己回復を備えているのならば、ウィンクルムも当然その可能性はある。
何せ竜種の幻影。それを潰すのがシラスの役目だ。
振り上げた手の平の上に魔力石が浮かび上がる。毒を孕み禍々しく光る石は真っ直ぐにウィンクルムの身体へ飛翔した。そこから染みこむ魔力が回復を阻害する。
どうやらバッドステータスへの耐性はあるが無効ではないらしい。
シラスの攻撃を見定めた京は地面を蹴り走り出す。
「全力全開でぶっ飛ばす!」
しなやかな筋肉から生み出される攻撃力は、獰猛な森の狩人を思わせるものだ。
「こっちの助っ人も長くは保たないみたいだし、モタモタしてられないわよね!」
フェザークレスとて攻撃を受け続ければいずれ倒れてしまうだろう。京はそれを危惧しているのだ。
「しかしまあ、あのドラゴンなんなのかしら、腹立つわね。ただの幻影なんでしょうけど、それにしたって随分な物言いじゃないの?」
フェザークレスのせいでエルフリスが死んだと詰るのは酷というものだ。
それは事実ではあるけれど、フェザークレスにはどうしようもないことなのだ。
「まあ良いわよ、やりやすいったらないわ。おいこらクソヤロー、事情は知らないし聞いちゃいないだろうけど、今からしこたま蹴り飛ばしてやるわ!」
京は勢いを付けて跳躍し、ウィンクルムの右腹に強烈な一撃を叩き込む。
「本当に、碌でもない親はどんな種族でもいるもんだよ」
『紅風』天之空・ミーナ(p3p005003)は赤い瞳で始まった戦いを注視した。
確かに愛する人を失う悲しみは痛い程によく分かる。ミーナだって経験したことだ。
「だからって、その人が最期に残した大切な子を蔑ろにしていい権利なんて、ないんだよ!」
青い剣を掲げミーナは声を張り上げる。
翼を広げ近づいたミーナは何度もウィンクルムの腹に剣を走らせた。
そこから吹き出す血を予想していたのだが、一向に血液は滴ることはなかった。
代わりに黒い靄や傷口から溢れていた。
「もしかして……」
ミーナはじっとその傷口を観察する。目の前の竜は謂わば幻影。本物はもう既に亡くなっている。
つまり、生物としての竜ではないということだ。
血は流れない。けれど、ウィンクルムを構成する血に相当するものは流れている。
耐性はあるが無効ではない。ミーナはそう分析した。
これは未知の相手との戦闘で優位になる情報である。相手を知ることは勝機への道筋なのだ。
『夜砕き』如月=紅牙=咲耶(p3p006128)は剣を抜いて深呼吸をする。
目の前の竜が白輝帝なのだ。フェザークレス達の影響で出て来てしまったのかもしれない。
「しかし障壁として立ち塞がるのならば何度でも乗り越えるまで。いざ、参る!」
地を駆ける咲耶はウィンクルムの攻撃を躱す位置へと回り込む。
京たちが右腹を攻撃するのならば自分は左腹からの攻撃を主とするのだ。
イグナティウスの妻を愛する気持ちの強さは計り知れないものだろう。されど、それを息子であるフェザークレスにぶつけるのは断じて違う。例え故人の幻でも言わねばならないことがある。
「流石に己の身の事、エルフリス殿は子を産む際に己の死期は悟って居られた筈。
それでも産もうとした彼女の覚悟と意志を否定するのでござるか?」
「……」
ギロリとイグナティウスの瞳が咲耶を睨み付ける。
圧倒的な威圧感に身が震えそうになった。けれど、咲耶は地に足をつけて押し留まる。
「お主はエルフリス殿の気持ちを理解していたのでござるな。でなければこう辛く息子に当たれる訳が無い。否定しなくては失った悲しみに耐えられなかったから!」
「その煩い口を閉じろ、人間め!」
咲耶の指摘は図星であったのだろう。愛しているからこそ悲しみは深くなる。
乱れ出した覇気を咲耶は感じ取る。その乱れに沿って咲耶は刃を突き立てた。
竜種のことはだいたい分かったと『頂点捕食者』ロロン・ラプス(p3p007992)はその場で跳ねる。
「あとは冠位暴食にしか用はないのだけど……まぁ行き掛けの駄賃ってやつだね」
見上げた強大な竜の姿。フェザークレスの父親イグナティウスの咆哮が木霊した。
彼はこの空間が生み出した幻影でしかない。先程から同じような怨嗟を吐くばかりだ。
「聞くに堪えない放言を少し黙らせたいし、息子と同じ痛みを味合わせてあげるとしようかな」
親子ならお尻が弱いと笑うロロンの気配を察し、フェザークレスが尻尾を丸める。
「さぁて」
びょんびょんと跳ねて戦場を駆けるロロンはフェザークレスの足下からイグナティウスの後方へと回り込んだ。被弾を気にせず戦えるのはロロンの強みであろう。
その身体に蓄積されるダメージは膨大な爆発力となるのだ。
執拗に尻尾の付け根へと回り込むロロンを払おうと地面を打ち付けるイグナティウス。
指向性がある攻撃は隙を生みやすい。
ロロンの攪乱にイグナティウスは苛立ちを覚えた。
弾力のある身体を股下に潜らせ張り付く。
体積を極限まで広げ魔力を循環させたあと、一気に放出するのだ。
「かつてほど尖った威力ではないけれど」
それでもぬるぬるで力が入りにくくなったとこにはガツンと効くはずだとロロンは笑って見せる。
爆散したロロンの攻撃に短い悲鳴を上げたイグナティウスはブレスで辺り一帯を焼く尽くした。
「キミに背を預けることになるとは少し前までは思ってもみなかったよ、フェザークレス殿」
『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)はフェザークレスを見上げる。
「助けに来てくれたキミに報いる為にも俺達は必ず良い未来を掴んでみせる。竜と人が支え合った時の強さ、あの幻影に見せつけてやろう!」
ヴェルグリーズの隣にはウィールの姿もあった。
フェザークレスが六竜といえど何度も致死の閃光を受ければ膝を折ってしまうだろう。
「あまり長期戦にはしたくない。ウィール殿も協力してほしい」
お互いの攻撃タイミングをずらし、隙を埋めるようにするためだ。
「分かりました」
持ちうる全ての力でこの戦況を潜り抜けねばならないのだ。
正面をフェザークレスが抑えてくれているのならば、他の仲間が攻撃を重ねている場所へ合わせるのが妥当だろう。そこから深く抉っていくのが定積のように思えた。
「翼や尻尾での打撃攻撃が一番怖いから、ウィール殿も気を付けて」
「はい」
踏みならされ、隆起した地面を駆け抜けるヴェルグリーズ達。
そこへ振り下ろされるは巨大な尾だ。
ヴェルグリーズの頭上に迫り来る尻尾をウィールが受け止める。
「っ……!」
「ウィール殿!」
「私は大丈夫です。折れたりなんてしませんよ」
ピシリとウィールの腕に亀裂が入った。それでも「大丈夫」だと頷くウィールの意志を汲み、ヴェルグリーズは右脇腹へと剣を走らせる。
「ニルにできるのは、フェザークレス様ができるだけ傷つかなくていいようにすること……」
身体も心もと、小さく呟いた『あたたかな声』ニル(p3p009185)は戦場を見渡す。
「ウィンクルム様を全力で止めること、ウィンクルム様に、ニルのありったけをぶつけること!」
走り出したニルは魔力を杖に溜め込んで魔法陣を作り出す。
渦巻いた魔力の奔流は巨大な球体の形となって大きくなった。
叩きつける強大な魔力はイグナティウスの腹に巨大な傷跡を作りだす。
カウンターで叩きつけられる爪にニルの身体は弾き飛ばされた。
「きゃう!」
ゴロゴロと転がるニルは痛みに耐えながら立ち上がる。
「ニルは、いたくたってかなしくたって大丈夫。
きっと、フェザークレス様のほうがいたくてかなしいから」
ぎゅっと杖を握り締めたニルはイグナティウスに視線を上げた。
「大切なひとが傷つくのも、いなくなるのも、きっとかなしいです。でも『かなしい』を怒りに変えて誰かにぶつけるのは、『かなしい』が増えるだけなのです」
ニルの言葉にイグナティウスはブレスをまき散らす。
それでもニルは声を上げることを止めない。
「かなしいならかなしいって言えばよかったのに。かなしいなら誰かと分け合えたらよかったのに。
フェザークレス様だって、ジルヴィルム様だって……ベルゼー様だってかなしかったでしょう」
その心に寄り添うニルの言葉にフェザークレスの胸にじんと熱いものがこみ上げる。
「怒りに変えても、『かなしい』のは『かなしい』のまま……ウィンクルム様は、今もかなしいの?」
咆哮が戦場に響き渡る。怒りの中に隠れた悲しみ。
ニルはイグナティウスの悲しみが分かってしまった。
『相賀の弟子』ユーフォニー(p3p010323)は青い瞳に強い意思を宿す。
「明確な答えが見つからないならぶつかってみるだけ。私、難しいこと得意じゃなかったですもん」
いつだって真っ直ぐに『届け』と想いを込めるのだとユーフォニーは笑顔を浮かべる。
「喪った痛みをフェザークレスさんに向けるしかないほど、イグナティウスさんはエルフリスさんを愛していた。それを是とは思わないけれど、イグナティウスさんの見せた弱さだったのかもしれませんね」
されど、とユーフォニーはイグナティウスへ声を張り上げる。
「エルフリスさんが亡くなったのはフェザークレスさんのせいじゃないです!」
命を繋ぐのは竜も人もも命がけなのだ。生命の誕生は生易しいものではない。
だから命は尊いものだとユーフォニーは思うのだ。
「私、フェザークレスさんに出会えて嬉しいです。命を繋いでくれたエルフリスさんを尊敬します」
ユーフォニーの声に『未来への葬送』マリエッタ・エーレイン(p3p010534)も頷く。
「さぁ、少しばかり弱音を吐いてしまいましたが……まったくもって、止まるわけにはいかないんです。どんな相手であっても……覇竜を、ベルゼーを……そして今を生きる人たちが潰える事が無いように」
目の前の幻影を超えてこの先へ行かねばならない。
「この先の扉を開くんです。私達の、手で!」
瞬きをしたマリエッタの瞳がエメラルドからヘリオドールへと変化する。
魔力が廻り体内の魔素が高まった時に瞳の色が変わるのだ。
同時にマリエッタの中の『魔女』との親和が高くなる。
それは侵食するようにマリエッタの心を蝕むものだ。
されど、彼女は内なる魔女を押さえ込み戦場に立つ。
「相手はこのとんでもない強敵ですが、場において下がることも小細工をする必要もありません。信じられる味方と……何より、竜さえも私達に手を貸してくれる。なればこそ、最初から全力で仕掛け続けましょう」
マリエッタの足下から魔素が溢れ出し、光を伴ってイグナティウスへと迸る。
「子を恨む親がいるというのは悲しいね」
『聖女頌歌』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)は僅かに瞳を伏せた。
「それほどまでに好きだったとも言えるけど、二人の愛の証である子供のせいにするなんておかしいよ!」
首を振って胸元へと寄せた指先を握る。
吹いて来た風にスティアの髪が巻き上がった。
「子供だって好きで母親の命を奪った訳じゃないのに……できるなら生きていて欲しいと思うのは子も同じなのにね」
生きていてほしい。スティアもそんな風に思ったことがある。
気丈に振る舞う彼女にも悲しみは付き纏っているのだ。
ふっと息を吐いたスティアは瞳を上げて戦場を見渡す。
今回は幻影といえど竜との戦いだ。自分の回復が戦場の要となることは把握している。
回復量も追いつくかどうか分からない。
だからこそ、なるべく多くの仲間へ回復が届くように前衛の後ろまで戦場に入り込む。
現状では一番ダメージを負っているのはイグナートであろう。
スティアは蒼き光の聖杖を掲げ祈りを捧げる。
彼女の魔素は祝福の音色となり、イグナートの傷を癒した。
●
ミーナは赤い瞳で戦場を見渡し一層眉を寄せた。
幻影とはいえ先代六竜と今代のフェザークレスとの激闘は、その名を体現するが如く、眩い閃光を辺り一面に散らしている。ミーナはぎゅっと唇を引き結ぶ、焦りは大局を見誤る原因となる。
深呼吸をして味方へと視線を向けるミーナ。
スティアやマリエッタの回復は仲間へと的確に降り注ぎ何とか戦線は維持されていた。
何せ竜との戦いである。多少の損耗は折り込み済だ。
その上で、更に高みを目指すのならば、魂(パンドラ)を多量に失うことになるだろう。
ミーナの見つめる先にはマリエッタとユーフォニーが居る。
「ただでさえ強敵だというのに、ユーフォニーは本当にもう。
せめてこちらに相談してくれて何よりです……いいでしょう、無茶にぐらい付き合ってあげます」
「マリエッタ、ありがとうございます!」
ユーフォニーとマリエッタは視線を交し、頷き合った。
この戦場はまだ『道半ば』であるのだ。この先に待ち受ける者達の元へ仲間と共に往かねばならない。
誰一人として失ってはならないのだ。
「だからこそ!」
ユーフォニーとマリエッタは仲間を穿たんとするイグナティウスの凶刃の前に飛び出す。
イグナティウスの魔力を帯びた爪の斬撃が戦場の広い範囲を切り裂いた。
「……っ! う、ぐ」
血煙が漂う程の凶悪な竜の爪は、ただその一撃で戦況を塗り替えてしまえる程の威力である。
イグナートとシラスの瞳に映る背中はユーフォニーのものだ。
身体中から赤い血を流している。骨は折れて皮膚を破り、内臓はいくつか潰れているだろう。
それでも、ユーフォニーが立っていられるのは、世界に愛されているからだ。
可能性の色彩は彼女をまだ戦場に伏すことを許していない。
ユーフォニーの口からボタボタと血が滴る。息をすることさえ苦しくて、全身に痛みが駆け巡った。
「私達は! あなたたちを送り出さないといけないんです! まだ、この先には沢山の竜がいて、ベルゼーさんだって居るんです! だから、一欠片だって奪わせはしません!」
自らの魂を削ることになっても、イグナートやシラス、スティアに託す強い意思を掲げるユーフォニー。
その意思に並ぶのはマリエッタだ。彼女自身もスティアを庇いパンドラを大量に失っている。
誰かの命を奪っていた魔女(じぶん)が、今度は未来への道をその身で切り拓かんとするのだ。
皮肉だろうと、己の中に問いかけるマリエッタ。
されど、根本的には『同じ』ことであるのだ。
何かを成す為に犠牲にしたのが他人か自分かの違いでしかない。
マリエッタの中にある確固たる強さは、表裏一体であり、きっと覚悟の証であるのだ。
ユーフォニーとマリエッタの勇気を、イグナートとシラスは噛みしめる。
本来であれば無茶をするなと言ってやりたい所であった。
けれど、彼女達の強き意志は『前に進んでほしい』という願いでもあった。
仲間に背を押され、それを無碍にすることなんてイグナートとシラスには出来なかった。
「ありがとう、ユーフォニー、マリエッタ!」
「やってやるぜ!」
怪我の有無もあるが、なにより彼女たちの強い覚悟がイグナートとシラスの勇気となる。
「この前のも今日のもどちらも幻影。都合良く解釈したっていいじゃないですか」
ユーフォニーはフェザークレスの背へ語りかける。
「『今』生きているフェザークレスさんの心が何より大切。そうですよね、ジルヴィルムさん!」
共に戦ってくれているジルヴィルムへユーフォニーは振り向いた。
その身は仲間を護り抜き満身創痍だけれど、少しも輝きを失ってはいない。
「でも命あっての心だから、全員で勝ちましょう、絶対!」
「ああ……!」
ユーフォニーの言葉にジルヴィルムは大きく頷いた。
「フェザークレスさん……罪というものは、生きる限りどうしても付きまとうもの」
マリエッタはフェザークレスに多角的なアドバイスを投げかける。
「誰かが向けてくる罪の言葉は、否定ではなく受け入れて。
それを飲み込んででも、進むのだと……私はそうするほうが、強くかっこいいと思っていましてね」
否定するだけでは、一歩しか前進できない。その先の未来を掴むためには、それすら受け止める必要があるのだとマリエッタは諭す。ユーフォニーとマリエッタの言葉はフェザークレスの中に染みただろう。
「ところでフェザークレス殿の遺伝上の父ということは、弱点も……?」
アーマデルの言葉に咄嗟に尻尾をきゅっと巻いたフェザークレス。
ファーストコンタクトで植え付けられたお尻への洗礼を身体が思い出してしまうのだ。
「僕のは狙わないでよ?」
「……いや、普通、生物全般そこらへんは弱いのだろうが」
目の前に居るのは幻影(ウィンクルム)だ。生物的な器官が備わっているかすらも怪しい。
これまでのイレギュラーズの攻撃で一滴の血も流していないのも不自然だった。
「恐らく中身は違うのだろうね」
イシュミルはマリエッタ達へ回復を向けながら応える。彼は生物について多少詳しい知識を持っていた。
「父親にとって子は自分の立場を脅かすもの、そこへ蛇や竜の性質、強い執着が加われば……つまり、フェザークレス、キミの責はこれっぽっちも無いということさ」
性質によるものだとイシュミルはフェザークレスへ顔を上げる。
「元より、子を成し生むのは命がけの所業。どれだけ科学や魔術が発達しようと、それは変わらない生物の業。キミの母は果敢に立ち向かい、キミへの愛情をもってやり遂げた。あれはその頑張りを認めず、『父親』になり損ねた哀れな男の亡霊だよ」
亡霊なのだとイシュミルは強く念を押した。
だから心配は要らないのだとフェザークレスに優しく語りかける。
フェザークレスは目の前の父親を見上げた。
自分一人では挫けてしまいそうになる。実際に目の前の悪意を孕んだ否定の言葉は怖いのだ。
それでも小さき人間達が自分のために声を掛けてくれている。
その想いは、人であろうが竜であろうが関係無いと思えた。
フェザークレスの迷いをスティアは感づく。悪意へ対抗するには己を奮い立たせねばならない。
「お母様から貰った優しさを忘れないで!」
スティアの放った言葉にフェザークレスの中に渦巻いていた昏い気持ちが晴れる。
心の中に光が差したような感覚に視界が開けた。
「自分の愛する人が産んだ子供を大事にしない親なんてぶん殴っちゃえー! このわからず屋ー! って言うくらいで丁度良いはずだよ」
「うん……」
フェザークレスは尻尾をゆらりと揺らした。
「小さい頃だと力では勝てないから怖いよね。
でも今はジルヴィルムさん、カイヤさん、ウィールさん、それに私達だっている!」
一人の力では足りなくとも、皆の力を合わせれば勝てるはずだとスティアは声を上げる。
「恐怖に打ち勝つ為に、そして新たな一歩を踏み出す為に頑張ろう?」
フルルと同意するように鳴いたフェザークレスにスティアは頷いた。
「よし! 後は……」
スティアはイグナティウスへと顔を向ける。
「よく見なよ! この子はエルフリスさんに似てるよね! とくにこの角はそっくりじゃない?」
エルフリスの幻影を見たスティアにはフェザークレスとの共通点が分かった。
「そんな『大切な人』の忘れ形見を攻撃して、後悔しても遅いんだから!」
少しでもイグナティウスの心を揺さぶれれば、フェザークレスとの和解の道も見いだせるはずだから。
「親ならば子の幸せを強く願うものでござる。幻とて父親ならばそろそろ受け入れられい、お主の妻に望まれて産まれた子を! ……でなければ、お主の妻を否定するのも同義でござろうが」
「何を……」
咲耶の声に、地鳴りのようなイグナティウスの声が響く。
彼の怒気に呼応するように美しい景色に分厚い雲が掛かった。やがて雷鳴が轟き、イレギュラーズの目の前に雷が落ちる。
「フェザークレス殿も、この様な機会は二度と来やせぬぞ! お主の想いを思いっきり父親にぶつけるでござるよ! なぁ、ジルヴィルム殿!」
咲耶はジルヴィルムに振り返り一瞬笑みを零す。一緒に背中を押して欲しいという合図だ。
刃に毒を纏わせた咲耶はイグナティウスの足下へ左方から迫る。
咲耶は狙いを惑わせるため左右に飛び回りながらイグナティウスの右足へ刃を走らせた。
固い鱗は咲耶の剣を弾く。重い痺れが咲耶の手に伝わった。
「先代の六帝の幻といえど手強過ぎるでござるな。幻影ならばもう少し手心が欲しいものでござるが!」
咲耶は間合いを取り、フェザークレスとジルヴィルムへ顔を上げる。
「お二方はまだ大丈夫でござるか? もう少しだけ耐えていて下され!」
「大丈夫。僕は負けない!」
フェザークレスの言葉を聞いて咲耶は安心して剣を掲げた。
迷いはあれど、その心はきっと『父』に立ち向かう勇気を持っているのだろう。
イグナートにとってフェザークレスとの共闘はおろか、会うことも初めてなのだ。
白翼竜はイグナートにとって報告書の中だけの遠い存在だった。
けれど、今は目の前に居て先代六竜の幻影から身を挺して守ってくれている。
彼は一緒に頑張る仲間なのだとイグナートは口角を上げた。
「イイかい? 子供が産まれる事に罪なんて有るワケが無いんだ! 子供を産む事でキケンな事があるとしても、ソレは親が覚悟しなきゃならないセキニンってヤツさ」
イグナートはフェザークレスへ声を張り上げる。大丈夫だと背を押すために。
「母親はソレを理解してたからフェザークレスを責めてない。
そして、あのクソ親父は親になる事を覚悟出来てなかった情けない男だって事さ!」
ウィンクルムはイグナートの言葉に怒気を強める。
大いなる竜が人間の言葉一つで感情を揺さぶられるのだ。勝機はあるとイグナートは確信する。
その漲る勇気をイグナートはウィンクルムへと叩きつけた。
「父親の器が知れたら超えるのが息子のヤクメってヤツだ!!」
「戯言を抜かせ! この弱小な竜が父である我に勝てるとでも思ったか! 死ぬべきは矮小たるフェザークレスだったのだ!」
地響きを伴った傲慢な声が戦場に響き渡った。耳鳴りがするほどの怒号。
シラスは眉を寄せイグナティウスを睨み付ける。
「幻影が分かったような口をきくんじゃねえ!」
目の前に居るのはこのベルゼーの腹の中にしか現れない紛い物だ。
本物が持つ繊細な心の機微や、『未来』への成長や修正は行われない。
劣化コピーともいえるもの。それがウィンクルムの正体だ。
「フェザークレスが死ねばよかった? エルフリスが嘆いている?
――――母親がそんなこと思うわけがねえだろうが!!!!」
許せないと、シラスは拳に全身全霊の力を込める。
シラスの拳はイグナートが抉った傷跡を的確に捉えた。血が噴き出すかと思われた傷口からは、黒い靄のようなものがドロドロと流れでる。それは、目の前に居るのが本物で無いと証明するのに十分だった。
体感として。これは幻影(ウィンクルム)であると刻まれる。
イグナティウスの口から吐き出されたブレスがロロンを覆った。
体表が蒸発し即座に自己修復が走る。其れすらも追いつかない部分が硬化し『傷』となった。
その傷は水分の膜に包まれ吸収される。見た目は元通りにはなるのだが、蓄積ダメージとして劣化した細胞が体内に溜り続けるのだ。それはまるで復讐の種を育てているようなもの。
ロロンは地面をバウンドしてウィンクルムの背後に回り込む。
幻影であれど、ウィークポイントは存在するだろう。鱗の薄い部分を狙うのは作戦的にも道理である。
鱗の中は生物ではないにしてもだ。
「ボクは今虫の居所が悪いんだ。八つ当たりだけれど、加減も容赦もできないよ」
自分が受けたダメージを乗せて、放つのは最大火力のぷるるーんぶらすたーだ。
尻尾の先から素早く螺旋を描きながら駆け抜けたロロンは根元に巻き付いた。
次の瞬間、戦場に響き渡る爆音がイグナティウスの尾の付け根から弾ける。
「ぬ、何を……」
先代六竜とて鱗の薄い部分を攻撃されれば困惑するだろう。
「懐に潜り込んだスライムの厄介さを十分に堪能してもらおうか」
イグナティウスの身体に纏わり付くロロンは巨大な身体を操る竜種にとって厄介な敵であろう。
蓄積されたダメージとロロンの攻撃で弾け飛んだ尾が、地面に叩きつけられ黒い靄となって霧散する。
「確かにフェザークレス殿が生まれなければ母君は死ななかったのかもしれない」
ヴェルグリーズは剣を構え、イグナティウスへ駆ける。
「けれどフェザークレス殿が産まれたことを否定するということは、次代を産もうとした母君をも否定することになる、それは誰も望まないはずだ」
その言葉を刃に込めてヴェルグリーズは押し込んだ。
イグナティウスの鱗が割れてヴェルグリーズの剣が肉に食い込む。
「例え父親であろうとフェザークレス殿の生まれた意味を穢すのは許さないよ」
ドロリと溶け出した黒い靄が地面へと落ちる。
「フェザークレス殿、俺はキミにはこれからもずっと生きていてほしい」
「ヴェルグリーズ……」
「キミが起こした過ちを俺は許さないけれど、その過ちをただの無とするか。意味あるものにするかはこれからのキミ次第だ」
命令のまま練達を襲った罪は消えやしない。ヴェルグリーズはその罪を許しはしないだろう。
けれど、その先をフェザークレスに問いかけるのだ。
「自分が愛するものを……人を正面から愛してほしい。
キミがそれを望んでくれるなら、きっとこれまでの行いに意味はあったんだとそう思えるから」
「うん……」
この場で答えの出る類いの話ではない。
フェザークレスが歩む時間の中で向き合わなければならないものだろう。
京はイグナティウスの背面に回ってダメージを受けている部分へ狙いを定める。
翼を広げてフェザークレスと向き合っているのだ。京達が後ろに回り込むのは難しくない。
自らの羽で視界は遮られるだろう。尤も先代六竜であるならば、魔力的な視覚を持っていてもおかしくはないと京は考える。されど、どちらにせよ背面からの攻撃は有効に思えた。
それにロロンが弾き飛ばした尾も無くなっている。
この好機に駆け抜けないわけにはいかなかった。
京はイグナティウスの身体を駆け上がり、背を走った。
巨大な身体を人間が這い回る感覚にイグナティウスは苛立ちを覚える。
翼を広げ風の力で京を落そうとするが、ごつごつとした鱗に捕まった彼女を振り払うことは出来ない。
「小癪な……」
「余所見してる余裕はあるの?」
一瞬の隙をついてフェザークレスがイグナティウスの腹に爪を立てた。
――昔はあんなに怖かったのに。
フェザークレスの手は恐怖で震えてなんかいなかった。
もっと強いと思っていた。
幻影だから単純な強さではない。父親という逆らえない者に対しての恐怖。心の問題だ。
「全然、怖くなんかないや……」
フェザークレスの言葉に京は「そうよ!」と応える。
「こんな幻影怖くなんてないわよ! 怖いと思ってたのはフェザークレスの心。でも、君の周りには皆がいるのよ。アタシだって居るわ! ジルヴィルムだって親なんでしょ? だったら父親らしいこと何もしてないクソ親父が今更何を言ったって蹴散らしてやればいいのよ!」
こんな風に、と京はイグナティウスの頭を有りっ丈の力で殴り付ける。
幻影とはいえ、何だかんだで生き物なのだ。頭部への攻撃は有効であろう。
「怪獣退治にはミサイルが一番でしょ!」
京の誇らしげな笑みはフェザークレスの心を揺り動かした。
「フェザークレス、私は女だからさ……わかるんだ。あんたの母がどう思ったか」
ミーナはイグナティウスへ青空を映した剣を走らせる。
「あんたがきちんと真っ直ぐ育って、元気でいてくれれば、それでいいって思うよ、母だもん」
産み落とすことで自らの命が失われようとも、フェザークレスの未来に幸せが訪れることを願った。
その心がミーナにも分かるのだ。
「それに、あんたには、家族がいるんだろう? だったら今更出てきた、クソ親父になんか遠慮する必要ないよな!」
フェザークレスを実際に育てたのはジルヴィルムだ。
ならば、フェザークレスにとっての親はジルヴィルムに他ならない。
「うん、分かってる」
ミーナの言葉もフェザークレスの中にしんしんと雪のように降り積もる。
それは冷たいものではない。やわらかくて温かい小さな光たち。
「ニルはエルフリス様を幻でしか知らないから。
ウィンクルム様とかなしいを分かち合うことはできないけれど」
そこに存在した想いは計り知れないのかもしれない。それでも。
ニルは小さな身体で声を張り上げる。
「ちゃんと見てください。怒りに押しつぶされたりなんかしないフェザークレス様を!
エルフリス様が残した家族を! エルフリス様が大切に想っていたひとを!」
ニルの胸の奥から情動が沸き起こる。悲しみや怒りが交ざった苦しい気持ち。
けれど、伝えなければならない言葉。
「――ちゃんと向き合ってください!!!!」
ニルの叫びはイグナティウスの耳に届く。
向き合うことは、許すということだ。
エルフリスの命と引き換えに生まれ堕ちたフェザークレスの未来を。
それを否定しなければ、エルフリスは報われないのだと思っていた。
自分だけがエルフリスを想っているのだと信じていた。
「フェザークレス様は『かなしい』がわかるから、やさしくてつよいから」
今ならイグナティウスを受け止められるのではないかとニルは顔を上げる。
「フェザークレス様はともだちを傷つけたけど、ごめんなさいって言ってくれました。悪いことをしたんだって思ってくれました。ウィンクルム様も、フェザークレス様にひどいことをしたんだから、ちゃんと、フェザークレス様にごめんなさいしてください」
全く知らないフェザークレスの『成長』を聞かされ、イグナティウスは僅かに動きを止めた。
「――この私が、間違っていたというのか」
エルフリスを想う心と、フェザークレスを憎む気持ちがぐるぐると目まぐるしくのた打つ。
それは、憎しみの軛が解けることを意味した。
フェザークレスを憎む気持ちが欠片でも揺らいだ。それは幻影を維持する意味が失われるということ。
怨嗟の塊だったイグナティウスの身体が、黒い靄となって末端から消えていく。
「ねえ、父上。僕は貴方が居なくてもちゃんと生きて行けるよ」
罵倒を浴びせるのは簡単であろう。けれど、否定するだけでは前に進めないとイレギュラーズたちが教えてくれたから。
「だからさ……心配しないでよ。父上と母上の子『白翼竜』フェザークレスは今代の六竜なんだから」
ボロボロと崩れていくイグナティウスの身体をぎゅっと抱きしめるフェザークレス。
それは、母エルフリスがフェザークレスにしてくれた抱擁と同じ。
イグナティウスは息子の背後に寄り添う愛しき竜の姿を見つけた。
「エルフリス……そこに居たのか」
「本当に仕方のない人。私は貴方との子だから産んだというのに。もう行きますよ。これ以上フェザークレスの未来を妨げてはいけない。さあ、愛しきイグナティウス」
「ああ、分かったよエルフリス」
消えかかった身体でフェザークレスを抱きしめ返したイグナティウスは息子の顔を真っ直ぐに見つめた。
「フェザークレス許してくれ私は憎しみに囚われていた」
「……うん、いいよ。もういいんだ。大丈夫だから」
ほろりとフェザークレスの瞳から涙が零れ落ちる。両親にきちんと別れを告げることが出来るのだ。
それはきっと、自分一人では成し得なかったものだ。
「さよなら、父上、母上」
光の中に消えていく両親を見つめフェザークレスは涙を零しながら笑った。
――――
――
美しき白き竜たちの姿をカイヤは目に焼き付ける。
クレステアの伝承にまた一つ、物語が加わりそうだと目を細めた。
ユーフォニーはスティアに回復を受けながら顔を上げる。
「ジルヴィルムさん、フェザークレスさん。お互いに思っていることを伝え合ってみてはどうでしょうか」
痛みに顔を歪めながらユーフォニーはそれでも二人に笑顔を向けた。
「おふたりのペースで、素直に、愛情も心配も、不満もぜんぶ。言葉は時に凶器ですが、言葉にしないと伝わらないこともありますから。長くを生きる竜種でもすれ違ったままの時間が多いのは寂しいです」
「……そうだね。ちゃんと伝えないとわかんないもんね。ジルは結構過保護だし」
「お前が心配させるからだろうが」
フェザークレスとジルヴィルムのやり取りに目を細めるユーフォニー。
「さて、そろそろ行くでござるかの」
咲耶は一通り傷を癒したあと伸びをする。
「まぁ、ここまで来たのでござる。お主達も共に来ぬか? これを逃せばベルゼ―に会えなくなるかもしれぬでござるよ?」
咲耶はフェザークレスに視線を向けた。
「ううん。僕達はもう此処を離れるよ。いつ抜け出せなくなるか分からないから。ベルゼーもそれを望んでないだろうし。先に進むなら気を付けてね」
バサリと羽を広げたフェザークレスとジルヴィルムは出口へと向かって飛び去る。
仲睦まじい二体の竜がふわりと空に消えていった。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。激しい戦いでした。
MVPは強くイグナティウスへと訴えかけた方へ。
ご参加ありがとうございました。
GMコメント
もみじです。フェザークレス、ジルヴィルムと共に戦いましょう。
●目的
先代六竜の幻影(ウィンクルム)を撃退する
●ロケーション
冠位魔種ベルゼーの腹の中です。
風光明媚なヘスペリデスを映し出しています。
●敵
先代六竜『白輝帝』イグナティウスのウィンクルムです。
元となった先代六竜はとても強く雄々しかったようです。
そのウィンクルムもかなり強力な敵です。
フェザークレスとジルヴィルムの協力が無ければ攻撃を凌ぐことは難しいでしょう。
翼からの強力な閃光はフェザークレスが受け止めます。
それ以外の爪や尾での攻撃、ブレス攻撃はイレギュラーズ自身が対処します。
ウィンクルムといえど、フェザークレスには父として厳しい言葉を放ちます。
――母竜エルフリスを殺したのはお前だ!
――どうして、エルフリスが死ななければならなかったのだ。
――おまえのせいで! お前が死ねば良かったのだ! エルフリスの嘆きが聞こえるぞ!
父竜イグナティウスは、母竜エルフリスを深く愛していました。
それ故に、フェザークレスを産んでエルフリスが死んでしまった事に絶望してしまいました。
幼い頃のフェザークレスは父が怒るのが怖くて仕方がありませんでした。
イグナティウスが死んだとベルゼーから聞かされた時、フェザークレスは心底安堵しました。
●味方
○『白翼竜』フェザークレス
天帝種『バシレウス』の六竜のひとり。
練達を襲撃した竜のひとりです。
慕っているベルゼーに言われるまま練達の人々を攻撃しました。
子供故の素直さだったのでしょう。
その幼さと素直さは欠点でもあります。
六竜でありながら人間に絆されたとジルヴィルムに叱責されてしまいました。
感謝と親離れしたい気持ちと反抗期が重なって複雑な思いを抱いています。
ジルヴィルムとは少し和解したようです。
母の幻影に抱きしめられ、子供のように泣きました。
父の事はあまり好きではありません。
イグナティウスの放つ強力な閃光を受け止める事に手一杯です。
長引けば長引くほど、体力を消耗していきます。ですが、回復は不要です。
イグナティウスを倒すことだけに集中してほしいと思っています。
○『灰鳴竜』ジルヴィルム
将星種『レグルス』であり、『白翼竜』フェザークレスの兄貴分です。
フェザークレスの母竜は将星種であり、ジルヴィルムの姉でした。つまり叔父甥の関係です。
将星種の母竜は天帝種であるフェザークレスを生んだ時に死亡しました。
卵から還る前からフェザークレスの世話を焼いており、親でもあり兄弟でもあります。
ベルゼーの事を尊敬しており、人間に絆されているフェザークレスを窘めています。
人間を知る事は大切であるが必要以上に近づいてはならないと忠告しました。
フェザークレスを援護しつつ戦います。
●味方
○灰耀(カイヤ)
灰家の耀。亜竜集落『クレステア』に住んでいる。村長の息子。
フェザークレスと交流のあった祖先灰蓮(カイレン)に瓜二つ。
面倒見が良く冷静沈着な兄貴分だが、時折やんちゃな所がある。
自分の身は自分で守れる程度には戦えます。
○ウィール・グレス
刀や剣の逸話が交ざり具現化した伝承の精霊。属性は風。
元はクレステアの鍛冶師が打った剣でした。
フェザークレスの美しさと強さを讃える為に作られた剣なので、彼を貶すと刃が飛んでくるらしい。
最近は温厚になったとか。
自分の身は自分で守れる程度には戦えます。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
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