シナリオ詳細
<月だけが見ている>幸せのうた
オープニング
●
黄金に輝く月の灯りが、窓の外から床に落ちてくる。
柔らかなスカートがふわりと揺れて、少女が踊るように指先を上げた。
窓硝子の向こうに見える大きな月を白い指が撫る。
「うふふ、ようやく会えるのねヨハンナ」
赤い髪の『紅き恩寵』レイチェル=ベルンシュタインは愛しき『姉』の名を呼んだ。
元の世界で死に別れた姉のヨハンナとの再開。
「死んだと思ってた私が、目の前に現れたらどんな顔をするかしら?」
「驚いて泣いてしまうかもしれませんね」
窓に近づいて来た銀髪の男『蒼き誓約』ヨハネ=ベルンハルトがレイチェルの肩にストールを掛ける。
「そうよね! 驚いて泣いちゃうかも! うふふ、姉さんったら意外と乙女だから」
ストールを握ったレイチェルは楽しげにくるりと振り返り少女のように笑った。
そんなロウ・テイラーズ序列一位『紅き恩寵』を睨み付けるのは『漆黒の戦望』ルルフ・マルスだ。
彼はか弱そうなレイチェルが序列の一番上である事が気に入らなかった。
ルルフはレイチェルが戦っている所を見た事が無いのだ。
ヨハネが持ち上げているだけで、レイチェル自身には戦う能力など無いとルルフは思っている。
だからこそ、腹立たしいのだ。
何故、弱いヤツの下に付かなければならないのか。
強い者が上に君臨し、弱い者は泥を啜る。
弱ければ死ぬし、強ければ生き残る。そうして、ルルフ・マルスは生きて来た。
自分で勝ち取った強さではなく、他人の強さを傘に着て弱い者が上に立つなど以ての外。
レイチェルもきっとそういう弱い者なのだ。
以前まで序列九位だった『白い妖精(ファータビアンカ)』ネイト・アルウィンも弱かった。
弱いくせに、いつまでもしぶとく生きている、そんなヤツがルルフは大嫌いだった。
数ヶ月前のその日も、ヨハネに実験体にされていたネイト抵抗もせず従っていた。
「抵抗しますか? ネイト。ディーンがどうなってもいいのですか?」
「いやだ。抵抗しないからお願い、ディーンには何もしないで」
相方である『焔朱騎士』ディーン・ルーカス・ハートフィールドの命を守るために、自ら実験体にされていたのだ。「ディーン」と蚊の鳴くような声で泣いていたネイトが弱すぎて虫酸が走った。
ヨハネを力でねじ伏せる事も出来ないのはネイトが弱いからだ。
拷問じみた実験を耐えていることが、ディーンを守ることに繋がると信じていたのだ。
馬鹿馬鹿しいとルルフは思う。
まるで、弱かった頃の幼い自分を見ているようで、無性に腹が立った。
「た、すけ……て、」
ネイトの枯れた叫び声が、幼少の記憶に重なる。
強い者に虐げられ食べ物も無く泥水を啜ったあの日々が沸々と記憶に蘇り、ルルフは歯を剥きだして首を左右に振った。ネイトから離れるようにルルフは踵を返し、その場を後にする。
「俺は、強い。誰よりも強いんだ――ッ!」
強さは正義である。
覇道であり、己の進むべき道は、自らの強さで切り拓くべきなのだ。
ルルフは誰よりも強く在らねばならなかった。
イレギュラーズもロウ・テイラーズもラサも全部ぶち壊して、自分が頂点に君臨する。
――――
――
月明かりが僅かに差し込む隠れ家でディーンとネイトは毛布に包まっていた。
人里離れた『紫花の聖母』葛城春泥の古い研究所で、二人は束の間の安息を過ごす。
ぶるぶると震える身体を擦るネイト。
「大丈夫か? 夜は冷えるからな」
ディーンはネイトを膝の上に乗せて毛布を二重に巻いた。
「あったかい」
見上げたディーンの首元にはネイトが付けた吸血痕がある。
抗い難い吸血衝動にディーンは血を飲ませてくれたのだ。
「ごめんね」
吸血痕に指先で触れて眉を下げるネイト。
「構わない。ネイトが苦しまなくて済むなら、血ぐらい幾らでもあげるよ」
優しい笑顔と共に大きな手がネイトの頭を撫でた。
ヨハネの元から離れられた短い時間。
ネイトとディーンだけの束の間の安息があった。
色々な話しをした。
ディーンが元の世界で救世主だったこと。蓮杖 綾姫(p3p008658)と共に戦ったこと。
人々の恐怖が綾姫達を傷付けたこと。その結果、抗った綾姫達によってが世界が滅亡したこと。
「怨んでないの? 綾姫のこと」
ネイトの言葉にディーンは首を左右に振った。
「私達の戦いは終わった。今は等しくこの世界の住人だ。彼女には世界を滅ぼす力も無ければ、私に救世主としての権能も無い。だから、怨んでないよ」
ディーンの器の大きさにネイトは嬉しさと同時に羞恥を覚えた。
大切な人や友達を失って世界すら滅んだというのに、ディーンはそれを乗り越えたというのだ。
そんな彼が傍にいてくれる嬉しさ。そして、自分の弱さに羞恥を覚えた。
「僕は、いっぱい、村の人達やヨハネに酷いことされて……、つらくて、今でも許せないし、ディーンみたいに乗り越えられない。どうしたら、ディーンみたいになれるんだろう」
「ネイト」
子供をあやすように少年を抱きしめるディーン。
「許さなくて良い。乗り越えなくてもいい。ありのままの君でいいんだよ。ネイトが怒っても泣いても離れないし、笑っていてくれれば私も嬉しい」
「本当に?」
「ああ、本心からそう思ってる。君に嘘は吐かないよ」
悪魔の子と呼ばれ迫害された少年を最初は哀れだとディーンは思っていた。
そんな可哀想な幼子に正義の味方として手を差し伸べることは当たり前なのだと。
洗脳を受けてマールーシアの住民達を殺した時も、心の奥底では因果応報だと思う心が少なからずあったのだ。それを否定する正義の心はあれど、「ざまあ見ろ」と思ってしまったのも事実である。
救世主として在った自分が、たった一人の少年によって悪魔のような心を得た。
葛藤し、苦悩し、否定したかった。
それでも、純粋なままのネイトの心がとても尊いものに思えて。
この子を守りたいとディーンは思ってしまったのだ。
だから、綾姫の行いを否定することなんて出来なかった。
結局の所、自分は正義の味方などではなく、大切なたった一人の為に動く唯の男なのだ、と。
●
「やあやあ、元気にしているかい? 皆のママ葛城春泥だよ!」
パンダフードの女、葛城春泥が場違いな程陽気な声でイレギュラーズに手を振る。
「おーっと、うちの子は今日もまた不機嫌そうな顔をしているね? 君の根城にはお邪魔してないだろう? 何をそんなに怒っているんだい?」
我が子である恋屍・愛無(p3p007296)の頬を突きながら春泥は愉しげな笑顔を浮かべた。
「…………いいから、説明」
「はいはい。ええと、今回はねいよいよ月の王宮へ攻め入るよ!」
ババーンとシステムエフェクトを自らの口で発した春泥はチック・シュテル(p3p000932)の前に立って彼の首筋にある牡丹一華の烙印を指差す。
「あー、もう結構進んでるね?」
チックは春泥の言葉に首筋を手で覆い隠した。
「君達に刻まれた烙印は次第に身体や精神を蝕んでいく。自覚はもう十分にあるよね? そろそろ危険領域になってる」
「つまり、時間がねぇンだな?」
レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)の問いに、春泥は「そうだ」と頷く。
「この烙印は治せないものなの?」
春泥へと顔を上げたのはジルーシャ・グレイ(p3p002246)だ。
「そうだねぇ。『ピオニー先生』に聞いても教えてくれないだろうからねえ。……あ、そうだ市場に回った紅血晶は無事に全部回収されたみたいだよ! よかったねえ! 君達が頑張ったお陰さ! いやまあ、僕としてはちょっとぐらい拝借しても良いかなとは思ってたんだけど……うん冗談だけどね」
顎に手を当てて妄想に浸る春泥をリュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)が睨み付ける。
「春泥……」
敵よりも、『今は』味方である春泥の方が何を仕出かすか分からないのだ。
「ふふふ、何だい? そんなに睨み付けないでも大丈夫さ! 子供を見守るのもママの仕事だからね!」
リュコスの頭をぽんと撫でたあと、春泥はネイトの前へと歩み寄る。
「君を弱いと言ってしまったことを謝るよ。君は強い子だ」
春泥はネイトを優しく抱きしめて背中をぽんぽんと叩いた。
「さあ、行こうか」
――――
――
月の王国は常夜の世界だ。ラピスラズリの夜空が広がり、黄金の月が空に浮かんでいる。
魔法陣を潜り抜けて、イレギュラーズはこの月の王国へやってきた。
美しい景色が妙に寒々しいものに思える。張り詰めた緊張感に身震いするようだ。
「ディーン……」
「ん?」
雛が親鳥に縋るように、抱っこをせがむネイト。
ディーンはネイトを抱き上げ優しく頭を撫でた。
安心しきった顔でネイトはディーンの胸に顔をうずめる。
「今ね人生で一番、幸せだよ」
半月にも満たない、短く儚い時間。
それでも、近くに自分を害する者が居ない生活は。
ディーンと二人で過ごした穏やかな日々は。
ネイトにとって安寧の時だった。
「良かった」
ネイトが幸せを感じているのならば、此処に立って居るのは間違いでは無かったのだろうとディーンは少年の細い身体を強く抱きしめた。
「この戦いで、僕、……死んじゃうね」
「……ああ」
そんな事はない等と否定することは出来なかった。
確実にネイトはこの戦いで死ぬ。
ネイトもディーンも覚悟してここまで来たのだ。
少年を抱きしめるディーンの腕に力が入る。今にでも逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
一分一秒でも長く、安全な場所で幸せを与えてやりたい、そう思うのに。
鼻の奥が熱を持つ。泣くものかと、腕の中のネイトの頭に頬を擦りつけた。
「――――お誕生日のうた、歌って欲しいな」
祝われることなんて無かったから。
誰かの家の中に見える温かな、幸せの、とくべつなひの歌。
嘘でもいい。生まれたことを誰かに祝ってほしい。今日が誕生日じゃなくても。
ゆっくりとした歌声がディーンの唇に乗る。
それは彼の故郷の誕生歌。
生まれて来てくれてありがとうと紡ぐ祝いの魔法。
- <月だけが見ている>幸せのうた完了
- GM名もみじ
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年05月25日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
リプレイ
●
終わる事の無い夜の世界。月の王宮が聳え立つ砂漠へと足を踏み入れるイレギュラーズたち。
砂へと沈み込んだ足跡が長く続いている。
進軍する最中『黄泉路の蛇』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は『焔朱騎士』ディーン・ルーカス・ハートフィールドと『白き悪魔』ネイト・アルウィンへと話しかけた。
「ネイト殿、ディーン殿。余計なことかもしれないが……」
「どうした?」
ディーンたちの前に編み紐を取り出すアーマデル。
「編み紐にこう、髪の毛を入れて編み込んで……結ぶと、腕輪になるだろう?」
思いを命をともに編み込んで、交換する。共につくる、編み上げる、撚り合わせる。
「そんな思い出を、いま、この時だからこそ、と思って。どうだろうか?」
アーマデルの提案にディーンとネイトは嬉しそうに微笑んだ。
出来上がった二つの腕輪を手の平の上に乗せるディーンとネイト。
それをお互いの手首につけて交換する。絆が強く結ばれる気がしてネイトは赤い瞳を細めた。
『焔朱騎士の剣姫』蓮杖 綾姫(p3p008658)はディーンの隣へと歩み寄る。
「ディーン、貴方達の覚悟の行く末を見届けに来ました」
「ああ……君になら任せられる」
「我が身をつるぎとして道を斬り拓く一助となりましょう」
綾姫であれば己を正しく見てくれるだろう。この行いが善と悪に二分出来なくとも。信念を貫く意志は綾姫にも伝わるとディーンは信頼している。
「それとは別に」
「うん?」
綾姫の声色が陰るのを聞いて、ディーンは彼女へと顔を向けた。
「私たちが世界の敵となった切欠を覚えていますか? 子供の身に悪辣な外道を働く所業、所々似通ってて反吐が出そうな気分です。あの時の私たちの気持ちが、今の貴方なら少しはわかるのでは……なんて」
「……ああ、そうかもしれない」
その気持ちが痛い程によく分かるとディーンは眉を下げる。
「こんな苦悩の中で君は戦っていたんだな綾姫」
英雄であったディーンは多くの者を救う為に、誰かの大切な人を斬り捨てたのだろう。
その行いが間違いであったか、そうでなかったか。問いかける綾姫とて答えは出せない。
謝罪を求めている訳ではない。
救えなかった命も奪った命も背負って生きて行かなければならないのだから。
同じ業を背負う者として……今はそう、内心に蠢く気持ちを一刀に込めて振るうのみなのだ。
「……いつか終わらせる、しないといけない時。それが、今日」
小さく息を吐いた『優しい子守歌』チック・シュテル(p3p000932)は小さな少年を見遣る。
細身のチックよりも華奢で小さなネイト。マールーシアに居た頃は村中から悪魔だと虐げられ、ろくに食事も与えられていなかったから栄養状態も悪かったのだろう。
本来ならディーンと一緒に逃げて少しでも生きながらえたいと思ってもおかしくない。
ネイトが『終わらせる』覚悟を持つには、きっと大きな勇気が必要だったはずだ。
「おれは、ネイトの意志を……絶対、無駄にしたくない」
チックの言葉に『ベルディグリの傍ら』ジルーシャ・グレイ(p3p002246)も頷く。
「ネイトに残された時間は、あとほんの少し。
……それでも、最後まで、アタシたちと一緒に戦うことを選んでくれたのね」
逃げるのではなく、戦うことを選んだ。それはイレギュラーズと出会い、ネイトが成長した証でもあるのだろう。ジルーシャにはそんなネイトの意志が誇らしく思えるのだ。
運命は変えられなくとも――
『うそつき』リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)は拳をぎゅっと握る。
「コウカイが残るさいごをむかえさせたくない。そのために戦うよ、ぼくは」
「うん……」
リュコスの言葉にチックとジルーシャも同意した。
砂の向こうに黒い毛並みが見える。
獰猛な牙を剥き出しにした『漆黒の戦望』ルルフ・マルスの姿だ。
『弱さを知った』恋屍・愛無(p3p007296)は脳裏に響く声に耳を傾ける。
――お前がラサで傭兵を名乗るならば。依頼人の願い以上のプライドなど無いと知れ。
それは懐かしい声で。愛無へと語りかけるもの。
「解ってます。団長。此処はラサで。僕は「傭兵」です。彼らを支える事」
それが愛無の今為すべき仕事なのだ。肩を押すように「行け」と声が聞こえる。
この身に刻まれた烙印なぞ、黒き獣を止める足枷にはなりはしない。
吹き出す闘志は愛無を包み、されど冷静に――『仇』を睨み付けていた。
「敵は敵で色々と思惑が入り乱れているようね」
『剣の麗姫』アンナ・シャルロット・ミルフィール(p3p001701)はルルフの奥で笑う『蒼き誓約』ヨハネ=ベルンハルトと『紅き恩寵』レイチェル=ベルンシュタインに視線を移す。
アンナの戦いは仲間を護ることに特化している。されど。
「……あのヨハネというのは、確かに一発殴りたくなる面をしているわね」
ネイトに同意するようにアンナは微笑んだ。
「序列二位なのも好きに選べるけどあえて二位にしているっていう雰囲気だし。……いや勘だけど」
ヨハネの真意は未だ掴めていないけれど、得体の知れない不気味さを感じるとアンナは眉を寄せる。
「全部殺せば最強になれる、か。それは確かにそうかもな」
ルルフを睨み付けた『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)は拳を握りこんだ。
「競争相手がいなければ弱かろうと関係ないからな」
全てを壊した後に君臨しても、誰も称えてくれやしないのにとイズマは息を吐く。
「それで全部殺すなど、黙って見てるわけにはいかない」
「まあ、そうだな」
イズマの後方に居た『やがてくる死』天之空・ミーナ(p3p005003)が頷いた。
話しの流れは良くわからないけれど、目的は違えない。
「ヤバい奴がいるからぶっ倒す。とりあえず理由はそれだけでいい。
――家族の再会にお邪魔虫はいらないんだよ!」
「うふふ、元気いっぱいね!」
ミーナの声に嬉しそうに笑みを浮かべるのは『祝呪反魂』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)の妹である『レイチェル』だ。
「……レイチェル」
彼女が生きているという事実を『ヨハンナ』は薄々気付いていた。
何度も『視る』機会があったからだ。けれど、信じたくは無かった。
「お前が、あの男の傍にいるなんて、否定したかったンだ。
……こんな再会、俺は望んでいなかった」
苦しげに眉を寄せるヨハンナにレイチェルが「姉さん」と手を振った。
●
先陣を切ったアーマデルの足下に砂塵が舞う。
遅れて弧を描く蛇腹剣がルルフの前に立つ偽命体(ムーンチャイルド)諸共絡め取った。
「ネイト殿らがヨハネに一矢報いたい気持ちはわかる……彼がヒトとして旅を終えられるよう」
此処は身を呈して戦う場だとアーマデルはルルフの攻撃を受けながら歯を食いしばる。
より多くを攻撃に振り分けたのだ。最後まで立って居られるかわからないからこそ。
この一手は足止めではなく、全力の刃だ。
偽命体やルルフにバッドステータスをばらまき、動けるうちにダメージをねじ込む。
そのアーマデルのすぐ後ろから駆けるのは愛無だ。
アーマデルと連鎖行動を行い、先手を取る作戦に「チィ!」とルルフは舌打ちをする。
偽命体を巻き込む愛無の咆哮。偽命体が感じた恐怖は怒りから怨嗟を伴い愛無へと向かった。
この偽命体はマールーシアの住人が元になっている。つまり、ネイトを迫害していた奴らなのだ。
ヨハネが造り上げたこの悪趣味な人形をネイトに近づければ、少年の精神が乱れるに違いない。
「此処で僕が抑える。彼らの邪魔はさせるわけにはいかない」
愛無は偽命体を押さえながらヨハネの思考に考えを巡らせる。
(テアドール君、ネイト君。そして偽反転。ヨハネのアプローチと博士の其れに酷似した物がある。ヨハネのアプローチの一つに「反転」があるのか?)
ヨハネの『神の器』が『妹(レイチェル)』なら、ラサでの目的は概ね果たしたとみるべきだろうか。
ヨハンナとレイチェルを接触させ、邪魔なルルフを切る。ヨハネの目的はそんな所だろうと愛無は偽命体へと鋭利な刃と化した触腕を振るった。
「……如何なる因業の果てであれ、そも、あれ(ヨハネ)ら端を発すること。死者(魂)の器(肉体)を弄ぶ所業は信仰上、赦し難い。歪められた器は破壊するしか無いのだろう?」
アーマデルは偽命体を見遣り眉を寄せる。死者を愚弄する行いは許せないとアーマデルは武器を握る手に力を込めた。
ミーナは身体を蝕む烙印の衝動に息を吐いた。
「っ……こんな、のどうってことない」
強い衝動に抗う様にミーナは前を向く。意識を持って行かれそうになるのを歯を食いしばって耐えた。
「逃がさないぞ、犬ころめ」
「は! 誰が逃げるかよ。全員ぶち殺す!」
ミーナが叩きつけた紅の刃を受け止めて尚、有り余る力で押し返すルルフ。
溢れ出る血が闘争心に火を付けた。
「こうでなくっちゃぁな!」
翻ったミーナの翼にルルフの爪が突き立てられる。
その一瞬の隙をついてミーナは再び大鎌を走らせた。踊るように揺らめくミーナの刃。
「甘く見るなよ、犬ころ!」
ミーナの攻撃を受けたルルフの視界に飛び込んできたのは小さな身体をしたリュコスだ。
前回、ルルフと戦ったことのあるリュコスは相手の攻撃をある程度把握している。
(この戦場は考えることが多い……だから少しでも邪魔になる要素を減らす)
ルルフの前へ出たリュコスはミーナの代わりにその攻撃を自身の身体で受け止めた。
血が噴き出し肉が抉れても大丈夫だとリュコスは強い眼差しを止めない。
きっとルルフは前回もうまくいかなくて、大分頭に血がのぼっていいるのだろう。
リュコスはわざとルルフの怒りを誘うように声を張り上げる。
「ネイトは君には殺させない」
「んだ、ぁ!? このクソがきが!」
ルルフはリュコスへと黒い戦斧を叩きつけた。
イズマはじくじくと痛む烙印の衝動を何とか耐えている。
「こんなの、どうってことない。彼らの苦しみを果たさせる事の方がずっと大事だ」
リュコスと交代するように前へ出たイズマはルルフの怒りを煽った。
「誰よりも強いんだって? じゃあ俺から殺してみろよ! それとも口だけか?」
イズマの言葉はルルフの真髄に響いただろう。
目を血走らせた黒獣はイズマへと戦斧を振り回した。
その壮絶な威力をその身に受けたイズマは歯を食いしばる。
「は……、まぁそうか、自分は強いと思いながら下克上してないんだもんな、弱いから吠えてるだけか」
「てめぇ!!」
追撃を振るうルルフの腹にイズマの絶大な魔力が叩きつけられた。
――――
――
「……似てるわね、ヨハンナちゃんに」
ジルーシャはヨハネの隣で微笑むレイチェルに視線を上げる。
竪琴を手に全体への支援を怠らないように気を配るのがジルーシャの役目である。
「こっちから攻撃はしかけないけど……」
用心に越した事は無いとジルーシャはレイチェルを見遣り、また戦場全体へと視線を戻す。
何があっても皆を支え続けられるように備えるのだ。
「いざという時は盾にだってなってやろうじゃない。誰も死なせるもんですか!」
ジルーシャの声にチックも胸に手を当てて頷く。彼の傍にはネイトの姿もあった。
「何者かもわからない……『魔術師』の、たった一言で。『悪魔の子』と追い詰めた住民達も、良くない。だからといって……彼らの亡骸を弄ぶ、して良い理由にはならない」
ヨハネによって偽命体にされたマールーシアの住人。ネイトが眉を寄せるのがチックには分かった。
かつて自分を追い詰めた人々だ。気を攫われるのも無理は無い。
「ネイト、……大丈夫だよ、ネイト。おれやディーン、皆が……一緒にいる」
振り向いたネイトはチックの声に頷く。
「──行こう。ヨハネの元へ」
「うん」
綾姫とディーンは連携してヨハネへと攻撃を繰り出す。
冴え渡るディーンの剣技に綾姫は口の端を上げた。
「綾姫、後ろへ」
彼が動きやすいように一旦後ろへ引いた綾姫の前を、朱焔の剣が大きく弧を描き走る。
それはヨハネの肩から腕を焼いた。
「さすが、頼もしいですね」
続けざまに突き入れた綾姫の刃がヨハネの傷口を抉る。
ヨハンナは赤い焔を纏わせヨハネの眼前へ拳を叩き込んだ。
「この身に穢らわしいお前の血が流れてるなんざ、最悪の気分だ」
「ふふ……そうですね。懐かしいですね……あの頃を思い出しますよ」
「うるせぇ! レイチェルを連れて来た事にも全部意味があるんだろ、俺を激高させる以外にも。てめぇの目的は何だ?」
元の世界で復讐鬼としてヨハンナはヨハネと戦い続けた。
それはヨハネにとって退屈な日々に落ちる潤いの一雫だった。
「目的は、貴女が一番よく知っているのではないですか? 何の為にここにいるのか」
「チッ、謎かけで遊んでやるつもりはねえンだよ」
ヨハンナの目的はネイトがヨハネに一矢報いること。ネイトやチックの望みを叶えること。
「ネイトも俺も、ヨハネに人生を弄ばれた──弄ばれた者の怒りを思い知れ!」
巻き上がる炎が怒りを表すかの如く、轟々と燃え上がった。
ヨハンナの姿は烙印の影響で片翼が生え、瞳には怒りの焔が揺らめく。
この怒りはヨハネに向けてでもあるし、妹のレイチェルに向けてでもあった。
混沌に召喚されたのにも関わらず自分ではなく、憎い相手の傍に居たという事実を信じたくない。
ヨハネと一緒に自分や多くの人々の人生を弄んだ事実が悲しくて。感情が入り乱れる。
(──それでも、レイチェルは大切な片割れなんだ)
「皆、あなたに殺意を抱いているみたいよ? 尻尾巻いて無様に逃げ帰るのをお勧めするわ」
ヨハネの前に立ち塞がったアンナは挑発するように言葉を投げ掛ける。
「ええ、そうでしょうね。その殺意すら心地良いものです」
アンナの攻撃を受けてなお、その絡め取るような笑みは変わらない。
纏わり付くようだとアンナは眉を寄せた。
●
戦場は加速し、度重なる攻撃の応酬が夜の世界に響いていた。
ミーナは烙印の衝動に耐えながら、状況を正確に把握する。
ルルフの押さえはリュコスとイズマが何とかやり込めていた。
二人がルルフの性格を把握し効率良く煽ったお陰でもある。
アーマデルや愛無も偽命体を上手く蹴散らしていた。ジルーシャの的確な回復のお陰もある。
怪我も多いが此処までは順調に事が運んでいるとミーナは判断した。
懸念すべきはどう動くか分からないレイチェルだろう。
ミーナはレイチェルを一瞥する。
ヨハンナはレイチェルを見つめ手を伸ばす。
彼女の性格からして、ヨハネの元に居る動機。それは。ヨハンナを傍に置くことなのだろう。
「……欲しいのは、俺自身だろ?」
優しげな視線を上げたレイチェルを見たヨハンナの胸に懐かしさがこみ上げる。
今すぐにでも駆けよって、会いたかったと抱きしめたい衝動に駆られた。
「ふふ、ヨハンナ……私の可愛い姉さん」
ふらりと近づいて来るレイチェルの間に割り込んだのはアンナだ。
ヨハンナがそれを認識した瞬間、アンナの胸に赤い血飛沫が舞う。
「ごめんなさいね。私の本当の役割は貴女をお姉さんに近づけさせないこと。再会を楽しみたければ私をどうにかすることね……それに、ねえ。どうして大切なお姉さんを攻撃するのかしら?」
アンナはレイチェルが放った魔力の刃を受けて血を流していた。アンナが間に入らなければ無防備なヨハンナの腕は切り落とされてしまっていただろう。それ程の威力の攻撃だった。
注意深く見守っていたアンナでなければ受け止め切れなかったもの。
「なんで……」
ヨハンナの口から零れる言葉。
「どうしてって……手足をもいだ方が持って帰りやすいでしょう? ヨハネがそう言うんだもの」
無邪気に、「後で治せばいいし」とレイチェルは少女のような笑みで微笑んだ。
それがどうしたって、『自分の知っている妹のレイチェル』とかけ離れたもので。
ヨハンナはヒュっと息を飲んだ。
「……っ、すまねえアンナ」
突然の再会で気が動転していたのだ。『あの』最愛の妹のレイチェルがまさか自分を攻撃してくるなんて考えもしなかった。
「大丈夫。久々の再会なんでしょう? それをカバーするのも仲間よ」
アンナはレイチェルを押さえながらヨハンナに笑みを向けた。
「ずるいわ。貴女……かっこいいじゃない、ヨハンナの目を奪うなんて、嫉妬しちゃう」
レイチェルはアンナの頬を指先で撫でる。
正直なところ、アンナにとって一番不気味な存在がレイチェルなのだ。
無邪気な笑みに見え隠れする底知れぬ闇は覗くだけで落ちてしまいそうで。
「私一人で盤面から消せるなら安いもの……今の内にヨハネへ!」
アンナの声と共にチックとネイトが走り出す。それをフォローするように動くのはジルーシャと綾姫だ。
精霊達にも手伝ってもらい、ヨハネに一矢報いるネイトの道を開くジルーシャ。
「大丈夫、みんなアンタの願いを応援してるわ。だから、行ってきなさい」
「うん……ありがとう」
ジルーシャに笑顔を向けたネイトが前を向く。
されど、その身に宿した吸血鬼の衝動がネイトを襲った。
「は、ぁ……、なんでこんな時に」
苦しむネイトの脳裏に聞こえてきたのはリュコスの声だ。
『ネイト! しっかり、ネイト! ふくしゅうはよくないとかそんなきれいごとは言わないし言えない。ぼくもそういう気分になる時だってある。だから、たおせなくても、せめてその気持ちだけは届けなきゃ……おおきいのをガツンとおみまいしなくちゃ! だから負けちゃだめだよ、ネイト!』
リュコスはネイトに精一杯の声を届ける。
「ネイト、貴方は強い子です」
リュコスに続いて綾姫の声が聞こえる。
「容易く怒りと絶望に身を任せて外道に堕ちた私より余程」
だから、まだ折れていいときではない。烙印なんかに負けている場合ではないと綾姫は声を張る。
「さあ、あのスカシ顔に一発叩き込んでやりなさい!!」
チックはネイトへと回復を施し、前へ進めと導く。
「これ以上……君達の、勝手な目的で。誰かが消費される……なんて、許す事……出来ない」
「ヨハネ!! よくも、よくも……僕の人生を!」
ネイトが放った魔法を避けもせず、ヨハネは笑いながらそれを受け止めた。
ヨハネにとってそれは頼りない攻撃であった。
けれど、死にゆくネイトの命の煌めきは、歓喜する程に甘美なものであっただろう。
――――
――
イズマとリュコスはルルフを相手取り奮闘していた。
怒りを帯びてなお、自らの勝利へ執着するルルフはイズマが思うよりも狡猾であったのだろう。
偽命体の元へイズマが走り込んだのを見遣り目を細める。
「俺にとちゃあ、そいつらはどうでもいいが……お前らにも邪魔なんじゃねえのか?」
「たしかにそうかもしれない。だが、多少なりとも効果はあるだろ?」
ルルフは偽命体諸共、イズマを戦斧で薙ぎ払う。
イズマはルルフを相手取りながらヨハネを一瞥する。
(一番不快なのは、この物語をどう転がしても貴方は悦ぶだろうってところだが)
覚えているかとイズマは心の中でヨハネに語りかけた。
この惨状が面白いというのなら、いつか全てくずしてやる。
「本気で生きる者を弄ぶのは、許さない」
歯を食いしばり、ヨハネへの怒りをルルフへの攻撃に乗せるイズマ
ミーナは乱戦になった戦場を見つめ冷静になれと息を吐く。
仲間を巻き込まないように立ち位置を見極め大鎌を振り上げた。
「邪魔者は全員殺すって言うがな、今回の邪魔者はお前なんだよ! 大人しくしとけ!」
「ぐっ、!」
ミーナの刃はルルフの胴を切り裂き、痛打を与える。
其れだけでは無い。一撃で収まるなど誰が決めたのだと言わんばかりにミーナは再度刃を振り上げる。
「くそが」
避けようと蹌踉めいたルルフにミーナの大鎌が突き刺さった。
されど、腐っても魔種なのだろう。ミーナの腹にも大きな傷が開く。
「大丈夫よ。いま回復するわ」
一歩引いたミーナへとジルーシャの回復が降り注いだ。
代わりに前へ立ったのはアーマデルだ。
積み重なったバッドステータスが、終盤になってより効果を発揮する。
身を苛む苦痛にルルフは歯を剥き出しにして怒りを露わした。
「てめえら、全員ぶっ殺してやる!」
冷静さを失ったルルフを見つめ、リュコスは此処だと確信する。
戦いで冷静さを喪えば大きな隙が出来る――それを何度も見て来た!
「そう……怒ってると、小さな子どもみたいだよ!」
「んだと、て、めえ!」
大きな口を開けたルルフはリュコスへと武器を向ける。
「悪いけど…ぼくもちょっとベンキョウしてるもん」
怒りに囚われ動きに精彩を欠いたルルフへリュコスは攻撃を仕掛けた。
愛無はルルフを前にして何故という気持ちがわき上がる。
「何故、こんな奴に!」
自身の居場所は奪われてしまったのか。何故、と。
けれど愛無はそれ以上に『傭兵』でありたいのだ。彼らの最後が安らかであれと、そう願いたい。
――その為に戦う。ですよね。団長。
「命を惜しむな。刃が曇る」
愛無は自らの身体を鋭い刃へと変え、ルルフへと走らせる。
「ヨハネであろうと。ルルフであろうと。ラサの地を脅かす者は打倒する」
けれど、愛無は死ぬ訳にはいかないのだ。前はこんな風に思う事もなかった。
――弱さを知ってしまった、から。
自分が死ねば、きっと春泥の孤独に向き合う者も居なくなる。
其れに。
「負けドッグ先輩。あんたの事、絶対みんな忘れちまうだろ?
あんたの孤独も。あんたが居た事も。きっと、僕以外は、みんな忘れちまう」
それはきっと寂しく、悲しいことなのだ。
「あんたは殺す。貸したモノは取り立てる」
だから、と愛無はルルフへ牙を突き立てた。
「くそが! 俺はこんな所で! 負けねえ、まけたくねえ!!」
「腹ん中で団長に詫びてこい」
黒き獣が喰らうは、居場所を奪った嘗ての仇。
闇夜に吠えるは、勝者の咆哮。
――僕は、傭兵として戦いましたよ、団長。
「おや、倒されてしまいましたか……残念ですが私達も此処までですね」
ザラリと大量の蝙蝠へと姿を変えたヨハネはレイチェルの元へ飛来する。
人間の姿へ戻ったヨハネはレイチェルを抱き上げた。
「もう終わり? まだ遊びたかったのだけど」
「ええ、間近で元気な姿が見られたでしょう? 今回はそれで満足してください」
「レイチェル……」
小さく妹の名を呼んだヨハンナに、笑顔を向けるレイチェル。
「ふふ、また会いましょうね、ヨハンナ」
手を振って去って行くレイチェルの姿が、『あの冬の日』に重なって。
追い縋りたくなる手を、ヨハンナは必死に耐えていた。
戻らない、日々が。遠く、遠く。彼方へ駆け抜けていくようだった。
●
戦いの残滓は消え、夜の静寂が戻ってくる。
イズマとアンナは周囲を警戒しながらネイトを岩陰へと運んだ。
「もう、大丈夫みたいだ」
「敵の気配は無いようね。だから、安心していいわ」
二人の声にネイトは僅かに笑みを浮かべる。されど、その身体は痛みと苦しみに苛まれていた。
笑いたいと思うのに、苦痛で顔を歪めてしまうのが悲しいとネイトは涙を浮かべる。
疲れて倒れ込んだ愛無の顔を覗き込む春泥は、傷口に回復薬を浴びせる。
身体に異常が無いか看ようとする春泥を「いらん」と愛無は払った。
「僕よりネイト君の方だろ」
「……まあ、それもそうだ。元同僚として手向けぐらいはくれてやろう」
リュコスはネイトへと近づく春泥を警戒する。
「何をするの?」
味方なのは頭で理解できても、本能的に彼女を忌避すべきものだと感じるのだろう。
「あと、ぼくは君の『子供』じゃないし子になったつもりもないよ!!」
「ふふ……その危機感知の強さは大事にした方がいいよ。でも、これは大事なやつ。手向けだよ」
ネイトの元へやってきた春泥は、痛みに苦悩する少年へ強力な鎮痛剤を打つ。
最期の時を苦痛なく過ごせるように。それが春泥からの手向けだった。
「流石に、ここへ来て無粋な真似はしないさ。ほら、痛みも苦しさも無くなってきただろう?」
安堵した表情を浮かべるネイトを見つめ、リュコスは「よかった」と呟く。
苦しみに満ちた終わりを迎えることだけはしてほしくなかったから。
「会ったのは少しのあいだだったけど、ぼくたちはみんなで見送るよ」
「ありがと……リュコス」
リュコスは嬉しそうな笑みを浮かべる。最期に見るのが涙だと悲しいと思うから。
その様子を一歩下がった所から見守るのはアーマデルだ。
往くべき所へ逝けるよう、その祈りを以て導かれるよう。
遠く遠く。誰かの為のおもいを、アーマデルは祈るのだ。
くしゃりと顔を歪ませたヨハンナはミーナに支えられネイトの元へやってくる。
レイチェルとヨハネはいつかまた自分の前に現れるだろう。
けれど、ネイトへの言葉は今この時しか言えないのだから。
「お疲れさん、よく頑張ったな……」
「立派なもんだったぜ」
レイチェルとミーナはネイトへ精一杯の笑顔を向ける。
孤独だった少年を見送るための沢山の笑顔。
綾姫はディーンの隣に立ちネイトを見つめる。
「ネイトは強くなりましたね、私などより。彼の事をどうこう言える身じゃありませんよ、私は」
「……綾姫、すまない」
「私に謝っている場合ですか、ほら……」
綾姫は眉を下げるディーンの背中を押した。ネイトの元へ膝を付いたディーンは少年を抱き上げる。
親に縋る子供のようにディーンにしがみ付いたネイトは浅く息を吐いた。
ネイトの足先が赤い花弁となって解けていく。
もう、どうしたって助からないのが、誰の目にも明らかだった。
綾姫は優しい微笑みを浮かべネイトへ問いかける。
「ネイト、もし、もしも……貴方の体が花弁と散るのなら、それを集めて私が一振りの剣にしてあげます。
それならずっとディーンの傍に居られる。どうでしょうか?」
肌身離さず持っていてもいい、墓標にしても構わない。
「ふざけた愚かな提案かもしれません。貴方の覚悟を愚弄してるかもしれません。ただ、自身の手で全て消した馬鹿な先輩からの手向けの選択肢を……」
綾姫の願いを愚かな提案などと、誰が誹れようか。
「へへ……いいの? 綾姫。そんな、幸せなことがまだあって、いいの?」
ネイトは涙を浮かべて綾姫に手を伸ばす。奇跡(しあわせ)の欠片を託すように。
「じゃあ、ミゼリコルデにして……? ディーンが僕を忘れないように、前に進めるように」
ミゼリコルデ。苦しんでいる誰かを『救う』ための剣。
その罪を忘れる事のないように。
「忘れない。全てを抱いて……それでも、私は前に進むよ」
「うん、良かった……ありがとうディーン。僕の傍に居てくれて、幸せだった」
たった数週間の時間だったけれど、幸せに満ち足りていた。
チックはネイトの傍に膝を付きそっと頭を撫でる。
小さな少年は幸せそうな笑みを浮かべチックを見つめた。
「……ずっと痛くて、苦しかった……よね。でも、もう大丈夫」
「ん……」
「誰も君を傷つけたり……貶めようとする人も、いない」
チックの手に縋るように頭を擦りつけるネイト。もうこうする事でしか感謝と親愛を表現できないのだ。
ジルーシャの竪琴から奏でられる旋律は、ネイトの命を延ばすことはできない。
ならばせめて、少年の受けた痛みが少しでもきえますようにとジルーシャは願うのだ。
「……生まれ変わって、また出会えたら。アタシたちと友達になりましょ」
「そうだね……友達、だよ」
「うん、嬉しい、なぁ……ジルーシャもチックも友達、だね」
掠れたネイトの声がチックとジルーシャの耳に届いた。
「その時は――本当のお誕生日の歌を贈らせてね」
ジルーシャはネイトが微笑むのを静かに見守る。
彼の竪琴に合わせて、チックは『子守歌』を歌い出した。
どうか、穏やかな最期であるようにと祈りを込めた優しい音色。
もっと早く出会えていたら……そんな後悔を塗りつぶすように。
――君が大切な人と過ごした時間を、幸せを。共に抱いて眠れる様に。
「おやすみなさい。アンタは、きっと天使だったわ
「生まれてきてくれて、ありがとう……おやすみなさい、ネイト」
おやすみ、と。僅かに微笑みを返したネイトの身体は、ふわりと赤い花弁へと変わり。
惜しむように舞った花びらが一枚、ディーンの手の平の上に落ちる。
綾姫とネイトが願った奇跡(しあわせ)の欠片は『慈悲の剣』となりて月灯を反射した。
大切な朱焔騎士の懐に抱かれて同じ刻を過ごすのだろう。
この先も、ずっと――
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
ルルフとの決着がつき、ネイトを無事に見送ることができました。
MVPは熱いプレイングだった方へ。
お疲れ様でした。
GMコメント
もみじです。砂の国での決着を着けましょう。
話しは難しいですが、要は『殴れば大丈夫』です。
分かりやすく説明すると。
・獣の魔種ルルフが怒ってイレギュラーズやネイト達を攻撃してくる。
・ネイトはこの戦いが終わったら死ぬ。でもヨハネを一発ぶん殴りたい。
・ディーンはネイトの死を苦渋の決断で受入れている。最後まで傍にいてやりたい。
・ヨハネと春泥は面白がっているようだ。
・妹のレイチェルはわくわくしている。
●目的
・魔種ルルフ・マルスの討伐
・魔種ネイト・アルウィンの討伐
・ヨハネ=ベルンハルトの撃退
●ロケーション
月の王国です。
広大な砂漠の向こうに王宮が見えます。夜空には満月が浮かんでいます。
月明かりがあるので、光源等は問題ありません。
砂漠が広がっていますが、十分に戦えます。
●敵
○『漆黒の戦望』ルルフ・マルス
強欲の魔種。傭兵団『宵の狼』幹部であり、謎の組織ロウ・テイラーズ序列三位『漆黒の戦望(ダークアンビジョン)』でもあります。
かつて、恋屍・愛無(p3p007296)さんが所属していた傭兵団『幻戯』に所属していた経歴を持つ『裏切者』。
幻戯を壊滅させる切欠となったモンスターをルルフが招き入れたとされます。
己の目的のためにルルフは動いています。それは己が最強になりラサを手にいれること。
その手にラサを収めた暁には不必要となった『月の女王』や『博士』、ロウ・テイラーズ、傭兵団の団員さえも殺し尽くせば自分が最強になれると信じて疑わないのです。
今は建前上『月の女王』に従っているようです。
しかし、元々誰かの下につくことを好みません。
苛立ちを募らせ破壊衝動が強く出ています。
手始めに紅血晶をイレギュラーズに奪われた屑野郎であるネイトを見せしめに殺そうとしましたがイレギュラーズに阻まれ全てを殺し尽くすと怒りに満ちています。
殺意の高い攻撃的な戦闘スタイルです。
邪魔する者は全員殺そうとします。
○『蒼き誓約』ヨハネ=ベルンハルト
謎の組織ロウ・テイラーズ序列二位『蒼き誓約(ブラオアイト)』です。
旅人であり、かつてヨハンナの妹レイチェルを殺し、復讐鬼に仕立て上げた張本人。
元の世界での役目はあれど、現在の状況を気に入っている様子です。
数十年前には葛城春泥と共に『ピオニー先生』の技術を教えてもらっていたようです。
テアドールを壊した人物でもあります。
様々な場所で暗躍し、きな臭い悪行も沢山行って来ました。
何か個人的な目的があるようですが、現時点では定かではありません。
戦闘スタイルは魔術に長けており、近接戦闘も出来ます。
ルルフを倒すと『紅き恩寵』レイチェル=ベルンシュタインと共に撤退します。
○『紅き恩寵』レイチェル=ベルンシュタイン
謎の組織ロウ・テイラーズ序列一位『紅き恩寵(グレイスローズ)』です。
レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)さんの双子の妹です。
旅人であり、元の世界で死んだと思われていましたが生きており、無辜なる混沌へ召喚されました。
元の世界での役割はあれど、現在はヨハネと行動を共にしています。
天真爛漫で明るい、太陽の様な女性。その性格から、実年齢よりも幼く見られがちです。
悪意はありませんが双子の姉ヨハンナさんに執着しており少し歪んでいます。
待ち望んだ姉との再会にわくわくしていますし、戦闘中に近寄ってくる可能性もあります。
戦闘能力は不明です。一般人の少女と同等かもしれませんし、強いかもしれません。
○偽命体(ムーンチャイルド)×10
ヨハネが『博士』の技術を借りて創った生き物です。
ネイトを迫害していた村マールーシアの住民が素材となっているようです。
●味方
○『白き悪魔』ネイト・アルウィン
色欲の魔種。謎の組織『ロウ・テイラーズ』に所属する序列九位白い妖精(ファータビアンカ)でしたが除名されています。
ラサの村マールーシアで悪魔の子として迫害されていた少年。
傷だらけの身体、焼印の痕。口に出すのも悍ましい行為の数々を受けていました。
その為、情緒が幼く泣き虫で癇癪を起こしやすいです。ひな鳥のようにディーンへ依存しています。
現在は『吸血鬼(ヴァンピーア)』にされています。
序列二位の『蒼き誓約(ブラオアイト)』ヨハネ=ベルンハルトによる実験のようです。
ヨハネから実験を繰り返し施され弱体化しています。
悪魔と子として迫害される原因となったヨハネへ攻撃をしかけます。
遠距離魔法で攻撃します。
ただ、注意があります。
ネイトは現在『吸血鬼(ヴァンピーア)』にされています。
ふとした瞬間に、女王のために動かねばならないと衝動的に思ってしまいます。
ネイトから烙印を押される可能性があります。
この戦いが終われば力尽きて死を迎えます。
その覚悟を持って戦場に立っています。
どうか、安らかに眠らせてあげてください。
○『焔朱騎士』ディーン・ルーカス・ハートフィールド
旅人です。
謎の組織『ロウ・テイラーズ』に所属する序列十一位焔朱騎士(ヴァーミリオンナイト)。
以前の戦いではネイトに洗脳されていました。
現在は正気のままネイトの傍に居ます。
ネイトの命が尽きる事を受入れています。それは簡単に出した答えではありません。
慟哭と悲しみを乗り越え、それでも最後までネイトの傍にいてやりたいという願いです。
ネイトが悪魔と子として迫害される原因となったヨハネへ攻撃をしかけます。
鋭い剣技に加え、炎の魔法を操ります。
オールラウンダーです。頼りになる戦力です。
○葛城春泥
練達の研究員で、深道の相談役です。
謎の組織『ロウ・テイラーズ』に所属する序列四位紫花の聖母(マザークレマチス)でもあります。
数十年前にはヨハネ=ベルンハルトと共に『ピオニー先生』の技術を教えてもらっていたようです。
積極的な戦闘参加はしませんが自分の身は自分で守れます。
一応医療の心得があるので、イレギュラーズの回復も出来ます。
この戦場では味方です。安心してください。後から刺したり呪ったりはしないでしょう。
死が目前に迫っているにも関わらず、精神的に乗り越えるネイトの一種の『強さ』に興味を持ちました。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
●特殊判定『烙印』
当シナリオでは肉体に影響を及ぼす状態異常『烙印』が付与される場合があります。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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