シナリオ詳細
再現性倫敦一九八四:序『彼は見ている』
オープニング
●再現性倫敦
わたしはうらぶれたマンションの一室で、公営放送を垂れ流すと同時に市民を監視するためのモニターを眺めながら、ベッドに腰掛ける。一つ息を吐いた、合成ジンを飲み干した。窓の外を見る。
ここはかつて、倫敦と呼ばれた場所。超国家ニュー・ブリタニア。
世界のほとんどは色彩にかけていた。唯一空だけは青かったが、それを除けばまったく、澱んだ町が広がっている。
朽ちた19世紀の街並みに、コンクリートで所々を補強したかのようなその街。此処だけが、我々ニュー・ブリタニアの民の住む、唯一のエリアだ。街の周囲は巨大な壁に阻まれていて、そこから外は、人が住めない場所が広がっていて――さらに遠くに、別の国がある。
前大戦で、人類は核兵器により、その大半を自ら死に至らしめた。世界は荒廃しつくし、しかし人類は死滅はしていなかった。やがて人類は集い、三つのコミュニティを作り上げた。
一つ、我々ニュー・ブリタニア。一つ、新・亜細亜。一つ、ノイエ・プロイセン。この、今や地球上に三つだけとなった超大国に人々は属し、そこに生きていた。
向かいのマンション、その壁に貼られた巨大なポスター、そこに描かれた男の顔が、此方を覗いていた。ひげを生やした、精悍な顔つきの男だ。
『彼が君を見ている』。そのように書かれたポスターは、街のあちこちに張られていて、我々を見ている……いや、本当に監視しているのかもしれない。しているのだろう。どこでも、いつでも、『政府』は我々を見ている。
『彼』とは、『彼』だ。『彼』という単語に、あの男、と言うような意味をこの国では持たない。『彼』とはすなわち、政府の中枢に存在する指導者の事であり、『彼』と言う言葉は、その『指導者』をさす以外には使われない。
『彼が見ている』。私達を。国民を。すべてを――見ている。見ているのだ。今もこうして、私を――?
そう考えたとたん――まるで考えすら盗聴しているかのようだ――部屋のドアが開かれた。青い制服を着た屈強な男たちが、警棒を手にゆっくりとはいってきた。
「ウィリアム」
男が声をあげた。
「思想警察だ。此処に来た理由はわかるな」
わたしはゆっくりと、頷いた。
ああ、どこで間違えた。どこで、誰が、間違えたのか――。
「再現性倫敦を“消去”してほしい」
練達、ローレットの出張所の一つにて。
『再現性ロンドンより来た』と名乗る男は、イレギュラーズ達へと告げた。
再現性都市。それは、練達に存在する、『旅人たちが自分たちの住んでいた世界の都市を模倣したエリア』だ。
様々な年代ごとに存在する『再現性東京(アデプト・トーキョー)』などが、イレギュラーズ達にはなじみ深いだろう。練達の技術で、かつての故郷を再現しようとしたもの。その成立には、様々な思惑が存在する。ある地区はテーマパークのような運営をしているし、ある地区は『混沌世界から目を背け、あるべき日常を謳歌するため』に存在する。
では――その年の一つを消去せよとは、いかなる理由があってのことか。
「再現性倫敦は、危険だ。元々は、ディストピア小説世界を再現した、テーマパーク的運用を行うはずだった」
その男が言うのは、練達に『再現性倫敦1984』を運営したいと現れたのは、二人の男だという。
ウィリアムとブライアンと名乗ったその二人は、自身たちの世界に存在するディストピア小説に感銘を受け、それを再現したテーマパーク的エリアの建築を行ったのだという。
「だが、再現性倫敦1984は、暴走した。そのディストピア小説に存在する国家『ニュー・ブリタニア』を『本当に運営し始めた』のさ」
ニュー・ブリタニアは、高度に発展した管理社会である。すべての人民は『政府』と呼ばれる管理機関によって運営・監視され、人民に自由はない。まさにディストピア国家のお手本のような国だ。
「ニュー・ブリタニアは異常な国だ。あそこに入ってしまえば、真っ当な精神ではいられない。信じられるか? 奴らは……『ここは混沌世界であると理解し』『同時にここは地球だと信じている』。同時に、まったく相反することを、心から信じているんだ……異常だよ。私も、元となったというディストピア小説を読ませてもらったが、まさにその登場人物たちと同じ精神状態だ」
イレギュラーズ達は唖然とした。まったく、理解しがたい。言葉で言っても、真実、理解することはできないだろう。例としてあげれば、彼らは『再現性倫敦』の土地内部を、不定期に自ら爆薬で爆破している。それを、市民たちは理解しながら、同時に政府の発表である『他国からの攻撃』だと、心から信じ、他国への憎しみを募らせている。
「私も、もう少しで……あの都市の一部になる所だった。それを慌てて逃げ出してきたのだ。あの『再現性都市』は異常だ。このままでは、本当に……他の再現性都市群に悪影響を及ぼしかねない。侵略を始めるかもしれないし、その思想が浸透してしまうかもしれないのだ。そうなったら……練達そのものにも、何らかの悪影響が及ぼされるかもしれないな」
仮にそうなってしまえば。再現性都市群そのモノへの不信感が、一般人の間に形成されてしまうかもしれない。そうなれば、練達の一般人による、再現性都市群への偏見や過剰な攻撃が行われるようになってしまうかもしれない。そこで、ローレットのイレギュラーズ達の出番という訳だ。
「一市民の革命と言う体であれば、再現性倫敦が消滅しても何の問題もないだろう。君たちは、一市民として革命を起こし、再現性倫敦を消滅させるんだ。方法は君たちに任せよう。内部に侵入して物理的な破壊工作を行ってもいいし、市民たちを扇動してもいい。中で協力者を募るのもいいだろう。だが、決して忘れるな。あの都市の人間の精神状態はまともじゃない。『君たちに心から協力しながら』/『同時に政府に忠誠を誓う』ことなど容易い事なのだから」
●再現性倫敦・親愛省 ウィリアムの独白
闇のない部屋。闇のない部屋。窓がなく、一日中光で照らされた、囚人たちの部屋。
そこは、隅々まで、あらゆる方向から光で照らされた、影も、闇も、存在しない場所だった。なんと恐ろしい場所だろう。絶え間なく照らされる光は、わたしの時間の感覚を奪っていき、同時に満足な睡眠をとることもさせなかった。もはや日にちの感覚もない。
何日、何分、何か月、何時間いるのか。其れすらも解らない。洪水のような暴力と、制限される自由が、さらにわたしから体力と精神力を奪っていく。
何が間違っていたのか。誰が間違えたのか。此処は、テーマパークであるはずだった……実際に運営される都市ではなかったはずだ……。
分からない。分からない。もはや何も……どうすればいいのか、どうなればいいのかも。ああ、ブライアン。君は今どこにいる――。
- 再現性倫敦一九八四:序『彼は見ている』完了
- GM名洗井落雲
- 種別長編
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2021年03月17日 21時55分
- 参加人数20/20人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 20 人
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参加者一覧(20人)
リプレイ
●再現された地獄へ
「ようこそ、再現性ロンドンへ……ここでは、架空のディストピア世界をお楽しみいただけます」
入場ゲートで鳴り響く、合成音声。テーマパークとして運用されていた名残が、空しく鳴り響く。
入り口は使われなくなって久しいのだろう、うらぶれ、整備もろくにされていない様子が見て取れる。だが、それでもイレギュラーズ達を受け入れているのは、未だこの都市がテーマパークであるという化けの皮を被っているつもりであるのか。イレギュラーズ達は、壁に貼られたポスターを見た。『彼は見ている』。精悍な顔つきの男だった。この国の指導者という事であるが、創始者であるウィリアムでも、ブライアンの顔でもない、誰でもない顔だった。
身分証を受け取って、街の中へと入る。『設定』では――過去に起きた大規模な戦争の結果、人類文明は停滞し、その上で三つのコミュニティを作り出して生存しているらしい。そのコミュニティの一つを再現したのが、ニュー・ブリタニア、再現性倫敦1984という事だ。街はおおよそコンクリートによって作られた画一的な建物が並び、特徴的な建物はと言えば、19世紀にたてられた遺物くらいのものだった。その19世紀の遺物すら、コンクリートによる浸食がすすみ、『彼は見ている』、ポスターが貼られている。あと何年かすれば、この建物もコンクリートに飲み込まれ、その外観は画一的なそれへと変わるのだろうか。それもまた、『政府』の政策なのかもしれない。
『彼は見ている』。巨大な『彼』のポスター。灰色の街には、紺色の制服を着た『公務員』たちと、ボロボロの服を着た『プロレタリアート』たちが歩いていた。そのどれもが、『彼は見ている』、疲れ切った老人のような顔に見えた。いや、それも偏見なのだろうか。だが少なくとも、覇気のようなものは感じられない……諦観に似たような空気が、この街を支配しているようにも思えた。
「あらあら、ディストピアの再現、ですか」
『あいの為に』ライ・リューゲ・マンソンジュ(p3p008702)は優しく微笑んだ。
(惜しい。再現されたのは『肥溜め』ですよ)
内心でそう呟く。事前情報によれば、『彼は見ている』、監視されている可能性は高い。今はまだ、虎口に飛び込んだ間抜けは子ウサギを演じなければならないだろう。
「俺がいた世界でも、監視社会だの思想統制だのって国は、数えるほどしか残ってないはずだが……」
『アサルトサラリーマン』雑賀 才蔵(p3p009175)は口元に手をやりつつ、うめいた。
「実際目の当たりにすると、こういう国は勘弁願いたいな……っと、失言だったか?」
「ううん、まだわたし達は『お客様』だと思うよ」
『雷刃白狐』微睡 雷華(p3p009303)が言った。少なくとも、すぐさま取り押さえる、というようなことは『政府』もしないだろう。とはいえ、その『お客様』という身分がいつまで続くかはわからないが。
「だけど……意識して気を付けた方がいいね。潜入して、すぐ『親愛省』送り、ってのは避けたいかな」
「おっと、『親愛省』にきたなら、優しくするよ」
『魔法騎士』セララ(p3p000273)が笑って言った。セララは『親愛省』所属の『公務員』、という役割を申請している。犯罪者の『更生』をつかさどる省らしいが、その実態は何が行われているのか分かったモノではない。
「なるべくなら、皆には会いたくないけどね?」
「だな。さて、そろそろ行くか」
『太陽の勇者』アラン・アークライト(p3p000365)の言葉に、仲間達は頷いた。もたらされたものはそれぞれの役割。この役割を最大限に利用し、
(この街を破壊するために)
アランの想う通り、この危険な街を練達から抹消する。
「じゃ、気をつけてな。またどこかで会おう」
アランは手を振ると、『工業地区』へと消えていく。仲間達もそれぞれ、己の役割を全うするべき場所へ向かい、灰色の街の中へと消えて行った。その一人一人の後姿を、『彼は見ている』――。
●真実省
『真実省』――それは、この国の『真実』をつかさどる省だ。日夜発生する『偽り』を、『真実』へと修正する。これは要するに、政府にとって不都合な真実を、都合の良いそれへと塗り替える事である。
「……プロレタリアート用新聞、1982年8月27日刊、『英雄ロジャー・メイの生涯』……この記事を修正、か」
ダストシュートのようなパイプから送られてくる、指示書と新聞のオリジナル。『夜明け前の風』黎明院・ゼフィラ(p3p002101)は嘆息した。仕事はひっきりなしにやってきて、次々と『真実』の修正を任される。例えば今回の仕事、ロジャー・メイだが、この人物は先般、思想犯罪者として捕らわれた人物でもあった。となると、そのような人物を政府発行新聞が『持ち上げた』事実は、完璧な政府という面目に対して都合が悪い。ロジャー・メイなる人物は、初めから存在しなかった、という事にしなければならないのだ。とはいえ、記事に穴をあけるわけにはいかない。ゼフィラはしばし迷った後、資料棚から今期の褒章授与者のリストを取り出した。中から、年若い軍人、ゲイリー・コールウェルを選び出し、
「彼にしよう……『期待のエース、ゲイリー・コールウェル、その半生とは』……」
ゼフィラは、旧式のコンピュータを叩くと、ロジャー・メイの生涯の項目をゲイリー・コールウェルの半生、へと挿げ替えていく。記事内容は、ゼフィラがアドリブで考えたものだ。真実省の職員の仕事とは、つまりこういうモノであった。
「ゼフィラ」
ふと声をかけられた。そこにいたのは、同じく真実省に勤務する『白き寓話』ヴァイス・ブルメホフナ・ストランド(p3p000921)だ。
「そろそろ『儀式』の時間よ」
と、些か疲れた様子でそう告げるので、ゼフィラは、うん、と伸びをした。
「そうか、そんな時間か」
「ええ。皆スクリーンの前で待ってるわ」
ヴァイスは手に持っていた『工作員によって偽りが記された雑誌』を、ダストシュートに放り投げた。どこへ行くのかは知らない。恐らく燃やされるのだろう。真実は、燃やされ、都合のいい事実だけが積み重なっていく。それがこの国の在り方だが、それに触れ続けていては、なるほど、些か疲れると言うものだ。
ヴァイスも、ゼフィラも、忠実に、政府の仕事をこなしていた。とはいえ、ただ右から左へ仕事を流していたわけではない。情報収集も同時に行っているのである。例えばゼフィラは改ざん前の資料を記憶していたし、ヴァイスは行動するイレギュラーズ達へと、便宜を図ったりしている。実際、イレギュラーズ達が動きやすいのも、二人の活躍が確実に寄与していた。
「キミはこの儀式、好きかい?」
「ええ、とっても」
ヴァイスはにこりと笑った。本心をおくびにも出さない。『彼は見ている』。それに、ゼフィラが『独特の思考に飲まれていないという保証もまたない』。イレギュラーズ達は味方ではあるが、同時に敵である可能性もある……精神が疲弊していくのを、ヴァイスは感じていた。
二人は並んで、通路を歩いた。粗雑な床は、歩くたびに固い反発を靴に返す。かつかつと音を立てて、会議室へ。そこには同じ省に勤める公務員たちが、大型のスクリーンの前に立っていた。二人が部屋についたときに、ちょうどライトが消され、部屋が薄暗くなった。
「始まりだね」
ゼフィラが言うのへ、ヴァイスは頷く。二人は人々の後方に立ち、スクリーンを眺めた。
まず、不協和音が流れ始めた。ぎりぎりと、心を不安にさせる音。それからスクリーンに、陰惨な現場がうつる。それは、殺人の現場であったり、虐殺の現場であったり、飢えで死んでいく子供達の姿であった。それらがうつるたびに、悲愴な音楽と不協和音が強くなる。
「ああ」
「そんな、酷い」
「なんてことを! なんてことを!」
公務員たちが、口々に声をあげた。目の前の悲惨な現状に、心から嘆き苦しんでいる様子だった。馬鹿らしい、と思うだろうか? しかしこの場に居ては、ゼフィラやヴァイスであろうとも、その心の内に不安な何かを抱かずにはいられない。その場の雰囲気と言うものは、酷く心に影響するものだ。
「毎度毎度……きついね」
ゼフィラが思わず声をあげるのへ、
「あら、非協力的態度よ」
ヴァイスが冗談のように言う。
「おっと、忘れてくれ……そろそろだ。バーンスタインのお出ましだよ」
ゼフィラがウインク一つ、言った。どうやらまだ、この二人は『独特の精神状態』には侵されていない様だ。
やがて画面には、一人の男顔が映し出された。卑劣そうな顔をした、老人のような男である。この男こそが、バーンスタイン。かつては『彼』と共にこの国家を作り上げたものの、今は反逆者として都市への攻撃をおこなっているという男だ。バーンスタインは、口々にこの国の汚点をぶち上げ続ける。そして『彼』を非難する言葉を放ち――その背後にはためくのは、『新・亜細亜』の国旗だ。つまり、バーンスタインの背後には、敵国の支援がある……。
「今戦争してるのは新・亜細亜だったなのよね。先週はノイエ・プロイセンではなかったかしら」
「おっと、非協力的態度だ。我が国はずっと昔から、新・亜細亜と戦争をしているよ」
ゼフィラが言った。確か先週末に、そのように真実省総出で情報を改ざんしたのだ。この『儀式』で敵国として認定される国家は、不定期に変わる。国民はそれを疑問に思わない……違う、疑問に思う心と、妄信する心が同時に存在する。
「バーンスタイン! お前が!」
「この卑劣漢! 死んでしまえ!」
「くそっ、くそっ!」
口々に罵倒の言葉をあげる公務員たち。ゼフィラとヴァイスもまた、口々に罵りの言葉をあげた。これは怪しまれないための偽装ではあったが、やがてその心の内に、何かうねりのようなものが生まれていることも、また自覚していた。
やがて映像がはじけるように消えると、それらの悲惨なものすべてが改善される様子が現れて行った。曲は穏やかなものに変わり、飢えた子供達は食料を得、戦争は圧倒的な勝利で終わり、笑顔で生活する幸せな人々がうつる。その中心から、『彼』の顔が浮かんだ。
「おお、『彼』だ!」
「『彼』! 『彼』!」
『彼』! 『彼』! 公務員たちのすがるような、称賛するような声が響く。『彼』! 『彼』! ゼフィラとヴァイスもまた、そのように叫んだ。胸の内に、温かな安心感が生まれてくる。吐きそうだった。人の心とは、こうも簡単に揺れ動いてしまうものなのか。それを効果的に使ってくる『政府』とは、恐るべき敵だ。
『儀式』が終わると、業務の休憩時間が始まる。公務員たちは各々過ごすために、会議室から出ていく。二人だけが残った。
「キミはこの儀式、好きかい?」
ゼフィラが笑って尋ねた。
「ええ、もちろん」
ヴァイスは肩をすくめて答えた。そして、せっかくの休憩時間だから、外の空気を吸って、この最悪な気分を吐き出してこよう、と思った。
●親愛省
『親愛省』は犯罪者の更生をつかさどる施設である。連行された犯罪者は、親愛を以って更生され、社会に復帰するという。
……本当に? 軽度犯罪者ならそうだろう。だが、より重篤と判断されたものは、激しい拷問の果てに『抹消』される。この国に生きていたという痕跡すら残されずに処刑されるのだ。
(……嫌な場所だ。四六時中光でともされていて、これでは心が休まる時もあるまいな)
『虚言の境界』リュグナー(p3p000614)は、手枷をはめられて、親愛省の廊下を歩いていた。リュグナーを刑務官が連行している。リュグナーは、破壊工作員として逮捕されていた……もちろん、ワザとであるが。
「ここに入れ」
入れ、と命じられたものの、半ば殴りつけられるように、部屋へと押し込まれた。足がもつれて、倒れ込む。
(うええ、リュグナー、キミほんとに来ちゃったの?)
中にいたのは、一人の刑務官――セララだ。ハイテレパスによる会話。
(ああ。おっと、起こそうとはするなよ。犯罪者に手を貸したら貴様の立場が危うくなろう)
リュグナーはゆっくりと立ち上がると、落ち着ける場所を探した。部屋の隅のあたりがいいだろうか。備え付けられた椅子に座ろうとし、
「614番、座る事は許可されていない」
セララが言う。リュグナーは腰をあげると、壁へともたれかかった。
(ごめんよー、規則で)
(わかっている。親愛省に潜入しているのは、貴様だけか?)
(ううん。クシュリオーネと、ライ、雷華も一緒)
『血風妃』クシュリオーネ・メーベルナッハ(p3p008256)をはじめとする仲間達の名前を、セララは上げた。
(それにしても、何でこんな場所に来たのさ。それも、犯罪者なんて)
(ここで何が起きているのか、実際に味わうのが一番だ。それに、ウィリアムとも接触したい)
ウィリアム、親愛省に囚われているとされる、この街の創始者のひとりである。彼からならば、何らかの情報が得られるかもしれない。
(ウィリアムかぁ。もっと奥。クシュリオーネの担当の方かも)
(貴様ではないのか?)
(ボクはもっと、軽微な犯罪者相手だよ。一応、拷問も『説得』って形にしてる。まあ、ハイテレパスで色々と情報仕入れたり、仕込んだりしてるんだけどね)
なるほど、とリュグナーは唸った。頼もしい事である。恐らく、この社会の構造的に、国民に自由意思を持たれてはまずいのだろう。そのために、情報統制と言語統制が行われているわけで、その自由のタネを植え付けるセララのやり方は、効率的と言える。
(だが……我はもっと奥へ行きたい。どうすればいい?)
(それなら簡単だよ。いい? 思いっきり勢いをつけて、ボクに駆け寄ってきて)
セララの指示に、リュグナーは一瞬、疑問符を浮かべたが、すぐになるほど、と思い至った。リュグナーはセララへ向けて一気に駆けよると、その両の腕を振り上げる。
「うわぁ! 誰か助けて! 犯罪者が暴れてるよ!!」
セララが悲鳴をあげる――同時、扉から複数の男がなだれ込んできて、リュグナーを押さえつけた。
「セララ、大丈夫か?」
刑務官の男が声をかけてくるのへ、セララはふぅ、と息を吐きながら、答えた。
「助かったよー。この人ダメだよ、まるで反省の色なし」
「君でもダメか……ならば、別の担当に任せよう」
ぐっ、と両の腕を押さえつけられたリュグナーが、無理矢理立たされる。半ば引きずられるような形で、部屋から退出させれた。
(がんばってねー)
セララの声が脳に響く。リュグナーはそのまま、廊下を引きずられていった。
「それで、ここに来たのですか」
クシュリオーネが興味なさげに言う。もちろん、監視を避けるための演技である。内心はリュグナーを心配していたが、それを表に出すわけにはいかない。
「貴様に何の関係がある? 其れより我をここから出せ」
「反省の色なし、ですね」
リュグナーも、あえて反抗的な態度をとった。クシュリオーネはリュグナーの胸ぐらをつかむと、ゆっくりと壁に押し付けた。そのまま顔を近づけ、
「614番。あなたの罪状はなんだか理解していますか」
(考えるだけでいい。読み取る)
リュグナーの小声に、
(目的はウィリアムさんですね。彼はこの奥です。かなり疲弊しています)
クシュリオーネは思考で答えた。
「さぁな? これは不当逮捕ではないのか?」
(我はウィリアムと接触したい)
クシュリオーネが、ぐ、とリュグナーを壁へと押し付ける。力が入る。痛みが、リュグナーの胸元を襲った。
「自白しなさい。あなたには20の犯罪容疑がかかっています」
(奥へ行く方法ですが……ごめんなさい。痛くします)
(かまわん)
クシュリオーネは、警棒を振り上げると、リュグナーの腕を叩いた。痛みはかなりものだが、これでも相当手加減しているのだろう。
「はっ、暴力でしか口を割らせられんとは、大した無能だな」
「そう言っていられるのも今の内です。今のは始まりにすぎません。今ならまだ、温情をかけても構いませんが?」
(……私が言うのもなんですが、相当辛いですよ?)
(やむを得ん。貴様は役割(ロール)を全うしろ)
「くたばれ、政府の犬が」
「いいでしょう」
クシュリオーネはため息をつくと、部屋の隅のカメラに向かって頷いた。途端、部屋の入り口から、無数の男たちがなだれ込んできた。公務員が着る、濃紺の制服ではない。白い制服である。
(こいつらが上級公務員か……)
リュグナーは再び、公務員たちに拘束された。クシュリオーネは敬礼のポーズをとると、
「私には手に余ります。皆様にお願いできればと」
「それほどの危険な犯罪者か」
男の言葉に、クシュリオーネは頷いた。
「より『危険度の高い犯罪者の部屋』へと送ってやるのがいいかと思います」
「それを考えるのはお前ではない」
男が言った。
「だが考慮には値する。同志クシュリオーネ、引き続き任務につけ」
「はい」
(お気をつけて)
クシュリオーネのエールを読み取りながら、リュグナーは再び、親愛省の廊下を引きずられていった。
警棒が振るわれ、拳が振るわれ、ブーツが降り落とされる。およそ思いつく限りの肉体的苦痛。それがリュグナーを襲っていた。肉体は傷つき、精神は疲弊する。その日の最後の拷問の後に、リュグナーが放り込まれた部屋には先客がいた。
「……ウィリアムだな」
リュグナーが声をあげる。ウィリアムは披露し、傷ついた身体の影響か、虚ろな目をこちらに向けるだけである。
「ローレットの……イレギュラーズだ……貴様は考えるだけでいい。此方が読み取る」
(思考を……読めるのか……イエスなら、まばたき一回、ノーなら二回……)
リュグナーがまばたきを一回、する。
(驚いた……だが……この国は危険だ……すぐに、逃げろ……)
まばたきを二回。
(ダメだ……この国が、虚構であったことは、知っているか)
一回。
(それが、このありさまだ……何故、こんなことになったのか……ブライアン、彼を知っているか? 私と共にこの国を作った……彼には、会ったか?)
二回。
(彼に接触しろ……彼ならまだ、正気を保っているかもしれない……だが……君も私も、ここにいては『レクリエーションルーム』に送られる……)
リュグナーは首をかしげて見せた。
(『レクリエーションルーム』は……だめだ、あそこにだけは行ってはいけない……あそこに入れば……心を砕かれる……)
そこで、ウィリアムの思考が途切れたことを、リュグナーは感じ取った。恐らく、意識を失ったのだろう。リュグナーは、痛む身体に耐えながら、思考を続ける。ブライアン。彼に接触するにはどうすればいいのか。そして、『レクリエーションルーム』。果たしてそこには何があるのか……。
「信ずる神は何かって? ええ……ええ、この世界で神と呼べる者など『彼』以外に有り得ますか?」
修道女は神を説く。拘束された犯罪者たちに向って。偽りの言葉を紡ぐ。
「勤勉……? この世界の人々は勤勉?
いいえ、ただただ唯々諾々と従う姿…それは精神的怠惰です。
労働者達は皆自分と同じ境遇を耐えている……?
いいえ、ちょっと遠くに行けば、もっと自由な場所がありますよ。
そうでしょう? そのように【神は仰いました】」
柔らかく。包み込むように。それは『政府』とは真逆の洗脳だったかもしれないが、しかしライの言葉は確実に、犯罪者たちにしみわたっていた。セララの偽装工作の力もあり、ライやクシュリオーネに思想を植え付けられた犯罪者が達が、街へと戻っていく。それはまさに、種をまく光景であった。
「お疲れ様」
雷華はそう言うと、ライの近くの椅子へと腰かけた。そのまま、紙コップに入った合成コーヒーを口にする。薄くてまずい。最悪の飲み物だと思ったが、他に息抜きなるようなものもない。
「『お仕事』はどう? 順調?」
「ええ。とっても」
ライは微笑んで、頷く。
「雷華さんはどうですか?」
「うん、『充実してる。予定通り』」
雷華の目的は、親愛省に囚われている人々を脱出させるためのルートの確認だ。如何に監視の目が厳しいと言えど、何らかの方法はある。雷華はそのルートを構築し、視界今は準備段階にとどめている。
「今日は省にこもりきりになっちゃうよ」
雷華は二口めのコーヒーを飲もうか少し悩んで、ひとまずやめた。椅子に紙コップを置いて、うーん、とひとのび。
「ライさんは。『散歩』に出るんだよね?」
「ええ」
ライが頷いた。
「せっかくの休憩時間ですから、気分転換もかねて。公園にでも」
「そっかぁ。うらやましいよ。『気を付けてね』」
ライは、
「ありがとうございます。そちらも、『お仕事』、頑張ってくださいね?」
と頷くと、ゆっくりと部屋を出ていく。残された雷華は、温くなったコーヒーに目を落として、嫌々ながら飲み干すことにした。このコーヒーと付き合うのも今だけだ。だったら今この瞬間くらい、この嫌な街の気分ごと飲み込んでやるさ。
●労働者たち
この街の労働者たちは、その殆どがろくに教育もされぬまま、労働に従事しているもの達ばかりだ。それは政府の方針であり、同時に策略でもある。
いかに数が多かろうと、その力の向く先が一致しなければ、ただの愚かな群衆に過ぎない。むしろ政府の監視の目は、中間層、つまり一般公務員こそに向いていると言えた。
とはいえ。その無秩序な意志の方向性も、今限りであるのかもしれない。
『L'Oiseau bleu』散々・未散(p3p008200)は『幸福な日常』を過ごす。安普請のマンションで目を覚まし、時間通りに作業場につく。果たして何を作らされているのかもわからぬような部品の欠片を製造し続け、時間が来たら休み、また作業につく。
夜になれば、プロレタリアート用の酒場に行って、合成ジンを煽る。アルコールの悪い所だけを煮詰めたような安酒にあわせて、配給された臭いだけのタバコを齧る。政府が発行したブタの餌のような粗悪な雑誌を楽しみに、酒場で出るささやかな『料理』を楽しみに、一日を過ごし、終え、また始める。
現実から目を背け、現実を心から信じ。1+1=2? いいや、1+1=3にも4にもなるのだと心から信じ込み。それがここのあるべき日常だ。
ああ、なんと、なんとつまらない。未散のように心強いものでなければ、この街に飲まれ、ただ日常を浪費するだけのブタに落ちかねない。それは危険な誘惑であり、温かなぬるま湯であった。
……だが。そのぬるま湯につかる事を良しとしないものがいることを、未散は察していた。それはプロレタリアートの中にも、一般公務員の中にもいる。未散は、まだ『独特の精神状態』に汚染され過ぎていないものを見つけては、声をかける。
「焦らないで、ぼくに話掛ける時はこうして、頭の中で呼び掛けて頂ければ」
(あなたは……もしかして、『彼の敵』のものなのですか……?)
彼の敵、とは、政府が喧伝する国家敵対組織の事だ。バーンスタインを筆頭とする、反逆組織。この国に行われている攻撃は、『彼の敵』のものであるとされている。
(いいえ。ぼく達はまた違った組織です。いいですか、いずれぼく達は必ず動きます。其れ迄普段通りの日常を過ごしてください。いずれ決起の時は訪れます)
未散は言った。
(忘れないでいてください。考えることを止めないで。そして1+1=2だと言える自由を持ち続けてください)
日常に埋没しながら。未散は種をまき続ける。いずれ、本当のVサインを掲げるために。
未散の、そしてイレギュラーズ達の撒き続けた『種』は、確実に人々の間に根をつけ始めていた。そして、種をまくものはここにも一人。
酒場の一室で、歌声が聞こえる。それは、十粒のブドウを分け合う歌だ。
三人でブドウを分け合おう。
一人が四つ。
残りの二人で三つずつ。
そして一人がこういうのさ。
ブドウは九粒しかなかったってね。
『あなたの世界』八田 悠(p3p000687)のそれは弾き語りだ。それは、偽りの平等を提起する歌である。本来平等としてあるべきは、ブドウが十粒あったことを知る平等、そして分け合う事に参加する平等だ。如何に見かけ上、平等をもたらされていたとしても、それは真に正しい事ではない。
もちろん、聞くものが聞けば即通報ものの反政府歌である。悠は各地を転々としながら、こうした歌を歌い続けていた。
(ほんと、幸福は義務です、なんて言われそうなところだよね)
悠は思う。重要なのは考え続けることだ……政府が押し付けた掌の上で考える事ではない。自分で真に考え、自分で真に自由を勝ち取る事なのだ。だが、それは確かに、辛く、難しい道のりだ。心折れてしまうものもいるかもしれない……でも。
(この都市を消滅させるには、人は飼われているだけではいけないんだ……)
酒場に目をやれば、数名の男たちに囲まれている、才蔵の姿があった。
「いや、外は本当にひどいもんだよ」
ぱたぱたとスーツの埃を叩き、そう告げる。スーツ。それはこの街の労働者が、決して手に入れられる類のものではない。
「そんなにひどいのか、外の国は。新・亜細亜からかい? それとも、ノイエ・プロイセン?」
「いや、もっと小さい所さ」
そう言って、懐からタバコを取り出す。この国では手に入らない、上質な銘柄のタバコである。
「持ちだせたのはタバコと酒くらいなもんさ。後は全部国ごとなくなってしまった」
「あんたの国、無くなっちまったのか」
「ああ、無茶してね。ニュー・ブリタニアは素晴らしいよ……それに比べて自分のいた所は最悪さ。政府はいつも嘘ばっかり言い続ける。例えば、配給は本当は減っているのに、増えてるって主張し続けたりね。他にも、自分たちに意見する奴は暴力で痛めつけて、改心を迫るんだ」
才蔵の言葉は、その全てがニュー・ブリタニアで行われていることであった。まるで素知らぬ様子で、才蔵はニュー・ブリタニアの批判を続ける。知らぬうちに、聴衆たちの間に、政府への不信が募っていく。
「まぁ、そんなどうしようもない俺の国も『滅んでしまった』のだけどな」
そう言って締めくくる。この言葉が、何かのきっかけになればよい……。
一方、同じ酒場にギャンブルに興じる集団がいた。そこには見知った顔の二人がいて、それは『名無しの』ニコラス・コルゥ・ハイド(p3p007576)と、『猪突!邁進!』ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)だ。
「くそっ、また負けた!」
労働者の男が悲鳴をあげる。床に置いてあるのは、どんぶりとサイコロ。行っていたのは、いわゆるチンチロという博打だ。どんぶりの中にサイコロを投げ、その出目を競う。一見すればただの『運ゲー』だが、確かにテクニックは存在する。博打の基本だが、考えることを止めた奴から沈んでいくのである。考えることを止めた奴。つまりそれは、この街の住民に他ならない。
「はっはっは、悪いな! これで俺の総どりだ」
積まれた紙幣を自身の下へと引き寄せながら、ニコラスは笑う。
「『考えるのを止めた』な? それじゃ勝てる訳がねぇ」
一方、ブレンダのギャンブルは、至極単純、腕相撲である。確かに労働者たちは筋力のあるものが多いが、それだってブレンダに勝てるわけがない。ブレンダは次々と大男たちを倒していき、喝采を浴びていた。
「さて、今日は随分と稼がせてもらった。私が奢ろう、酒でも飲もうではないか!」
「おう、俺も奢るぜ。稼がせてもらったからな」
ブレンダの言葉に、ニコラスが追従する。ボロボロに負けたが、酒が奢ってもらえるとなっては労働者たちも気分は良くなると言うもの。二人は酒場のマスターに酒を次々と注文すると、テーブルの上に並べた。ギャンブルに負けたモノ、勝ったもの、それぞれが酒を酌み交わしてく。酒が入れば、少しは口も滑ろうと言うもの。二人は日ごろの不満を快く聞き、肩を叩き、励ました。
「不満があるなら動くしかなかろう。口にしているだけでは何も変わらんぞ?」
「そうだ。良くなる事を祈ってるだけじゃ、さっきのギャンブルと変わらねぇ」
ブレンダの言葉に、ニコラスが続く。
「変わるにはどうするか。考えろ、思考を止めるな。望む未来のためにはどうしなきゃならねぇか問い続けろ」
「考える、か……あんまりそう言うの考えたことなかったよな」
労働者たちの間に、僅かなざわめきが起こる。今はこの程度でいい。今は静かに種をまく。それで――その時。
外で大きな爆発音が鳴り響き、酒場の建物をびりびりと震わせていた。
その、爆発音が起こる少し前。
「やあ、残業ですか」
深夜の工場、機械を弄っていた『ザ・ハンマーの弟子』リサ・ディーラング(p3p008016)に声がかけられた。びくり、とリサは肩を震わせ、ゆっくりと振り向き――。
「な、なんだ、アラン君っすか……」
ふぅ、と息をつく。アランは笑いながら手を振ると、
「おっと、今は新人のロイですよ」
と、侵入時の身分を言う。アランは『新人作業員のロイ』として、工場に潜り込んでいた。
「それで、残業? それとも調査か?」
些か砕けた調子のアラン。プロレタリアート地区はあまり監視の目が行き届いていないようで、こうして『素の会話』が可能となっていた。
「調査っすよ。これ、何の部品かわかるっすか?」
リサの手渡した部品を、アランは眺める。普段、作業として作らされているものだ。
「作っておいてなんだか、分からん」
「っすよね。巧妙に分割されててわかんないっすけど、これ全部武器のパーツっすよ」
「武器って……この都市の技術基準だと、銃か?」
リサは頷く。となると、この都市は銃を大量生産していることになる……何のために? この国が『戦争している』という事自体が欺瞞なのだ。それに、都市内の制圧に利用するにしても、ここまで大量生産する必要性はない。
「まさか……本気で外に打って出ようとしてるのか?」
「かもっすね」
「……臭ぇ国だぜ」
アランは吐き捨てるように言った。どうやら、依頼主の男の危惧は当たっていたようだ……このままでは、他の再現性都市、そして練達に多大な悪影響を及ぼす可能性がある……。
「他にはなんかわかったことあるか?」
「そうっすねぇ、やっぱりみんな不健康っすね。アルコール中毒もそうっすし、労働環境が良くないっす。これじゃ皆長生きできないっすよ」
リサの言う通り、プロレタリアートたちの健康状態は良くない。これもまた、政府の政策なのだろうか?
「じゃあ、いざって時に頼りにならないか?」
「そんなことないと思うっすよ」
「やはり、数は力か……」
アランは嘆息する。プロレタリアートたちは、この国において最も人口が多い階級だ。彼らが一致団結すれば、この国を転覆させることなど容易いだろう。
「そう言えば、ロイ君、昼間の『儀式』には参加したっすか? あれきついっすね……」
と。
その時、外から爆発音が鳴り響き、工場の壁を揺らした。空気が震え、それが決して小さな爆発でないことを現す。
「ロイ君!」
「リサ、お前はここに居ろ! 見てくる!」
アランは工場から飛び出す。リサの手の中で、銃の部品が怪し気に輝いていた。
「くそ、マジか……!」
路上では、酒場から飛び出したブラム・ヴィンセント(p3p009278)が、燃え盛る路上を眺めていた。どうやら、何か爆発物があったらしい。煌々と燃え盛るその炎は、爆発の規模が決して小さいものではなかったことを物語っている。
「ブラムさん、これって、『彼の敵』の仕業なんじゃ……」
作業を通じて中を深めた労働者が、ブラムへ声をかける。ブラムは頭を振った。わからん、そう言いかけて、しかし思い直した。
「『そうに違いない』」
嘘をついた。
「お前達は酒場に戻ってろ! 俺が見てくる!」
「ブラムさん、危ないっすよ!」
「大丈夫だ!」
ブラムは駆けだす。現場に近づいたときに、火元から逃げようとする、怪しい男が目についた。ブラムはとっさに、それを追って駆けだす――そこに、アランが追い付いた。
「ブラム!」
「アランか! 現場から逃げた奴がいる!」
同時、二人は駆けだした。路地に入り込み、逃げ出す男の背中を見つける。
「工作員か!?」
「多分! だが『どこ』のだ!?」
ブラムの言葉に、アランは唸った。
「わからん! だが、俺達(イレギュラーズ)ではないだろう! こんな予定はない!」
複雑な路地を、右に、左にかける。追いつけない。地の利は相手にあるのだろう。
「くそっ、ロンドンってのはディストピアになる宿命でも背負ってるのか!」
最後の曲がり角を曲がった時、二人は人影を見失った。忽然と姿を消したのだ。
「逃げられたか……!」
アランが悔しげにうめく。と、
「大丈夫」
ふと、二人の背中から声がかかった。そこにいたのはシィナ――『シャウト&クラッシュ』わんこ(p3p008288)が呼び寄せた協力者だ。
「ここから先は、わんこに任せて。工作員相手なら、工作員に任せた方がいい。そうでしょう?」
あたりにざわざわと人の声が溢れて、燃える建物が煌々と炎をともす。
集まった人々が、口々に『彼の敵』を罵倒し、『彼』を称える声をあげ続けていた。
●工作員たち
ロンドンの地下には、無数の地下通路が存在する。それは、政府が建築した秘密の地下通路である……。
そのルートの一つを、男が駆けていた。先ほど、路地を爆破した男である。
「これは『彼の敵』の仕業だ」
男が呟いた。
「これは敵対勢力の仕業なんだ……」
「あっれー、おかしいデスね!」
ふと、男の前方に、一つの人影が現れた。
「あなたサマは、憎き他国がこの国に攻撃を仕掛けてるのはご存知デスヨネ? 今のはそうなんデスヨネ? 憎き敵国、或いは恐るべき地下組織の仕業デスと」
かつん、と、音を立てて、人影――わんこが、男に歩み寄る。
「おかしいデスネ、あなたサマが今やったのは何デス? 建物の爆破……コレ、『他国の攻撃』まんまじゃないデスカ? なぜ愛すべき我が国を害してるんデス? 反逆者か?」
にぃ、とわんこが笑う。
「違う、これは敵対勢力がやったことだ! 俺は関係ない!」
「はっはぁ、マァジで言ってるデス? マァァジで言ってるデスね? キャヒヒ! なるほど、これが独特の精神状態ってやつデスね! 怖っ」
目の前の男の目が、正気を保っていることに、わんこは気づいた。正気で狂っている。わんこが付いた矛盾など、矛盾したことを忘れ、矛盾したことを忘れたことを忘れ、矛盾したことを忘れたことを忘れたことを忘れていくのだろう。これが狂気と言わず何なのか。
「なぜおまえはこの通路にいる! そうか、お前か! お前が『彼の敵』なんだな!」
「やっべー奴と遭遇してしまったデスね! まぁ、織り込み済みデスけど――」
わんこがそう言った瞬間、男の後ろから影が迫り、男を殴りつけた。すぐに昏倒させる。
「これが洗脳装置や魔術など無しで成立しているのですから――」
影、が声をあげた。影――『遺言代筆業』志屍 瑠璃(p3p000416)である。
「人の心と言うものは、脆く、壊れやすいものなのかもしれませんね」
「その辺のあれやこれやはわんこにはわかりまセンが!」
わんこは肩をすくめた。
「瑠璃サマ、そちらの守備はどんな感じデス?」
「上々、といえますね。長らくこんな地下に潜んでいた甲斐がありました」
瑠璃はとんとん、とこめかみに手をやりつつ、
「ここにすべて叩き込んできました。この国の『省庁』は、事前に聴いた愛情、真実の他に、平穏、と飽食、の二つの省があります。平穏は武器製造や軍事を、飽食は食べ物の配給をつかさどっています」
「舐めた名前してんなぁ」
と、暗がりからまた、人影が現れる。『鬼火憑き』ブライアン・ブレイズ(p3p009563)だ。
「嘘偽りの真実に、拷問の親愛。餓えた飽食に、武装した平穏か。なんか、こういう、反語っつーの? そう言うの使わないといけない決まりでもあんのか?」
「さぁ? 彼らなりのユーモアなのかもしれませんよ」
瑠璃は笑って、肩をすくめる。
「で、どこからやっちまうデス!?」
わんこが、キャヒヒ、笑った。
「真実と親愛は避けたい所ですね。となると、飽食か平穏か。食料供給を断つのもいいですが、そうなると、最初に割を食うのはプロレタリアートの方かも知れません」
「真実と親愛は、仲間がいるからな。巻き込まれたら洒落になんねぇ……俺は平穏に一票入れるぜ。一番無難だろ」
「そうですね」
瑠璃が同意した。
「私も平穏に。わんこさん、あなたは――」
「きくまでもないデスよ!」
うんうん、と腕を組んで、わんこが頷く。では、と瑠璃は言った。
「はじめましょうか。まずは火種を。大きな火種を――」
●幕間
プロレタリアート用新聞、1982年3月XX日刊
深夜の惨劇! 平穏省爆破される!
昨日深夜、平穏省が何者かによって爆破された。現場には『反乱者ブライアンはニュー・ブリタニアの即時解体を要求するものである』とペンキにて記されており、これは『彼の敵』と共に設立された『反乱者ブライアン一味』の昔ながらの攻撃の一環だと思われる。これにより、政府はより一層の警備体制の強化を――。
「……くっ……くくっ……」
公園のベンチに座り、新聞で顔を隠しながら、『Enigma』エマ・ウィートラント(p3p005065)は笑いをこらえるのに必死だった。
(笑い事ではないのよ)
ヴァイスの呆れたような『思い』が脳裏に響く。
(真実省総出でデータ改ざんしたのよ。反乱者ブライアン一味は、昔からこの国にあった、って。『儀式』用の映像データも改ざんしたわ……笑っちゃうわよ、わんことブライアン、瑠璃の顔が浮かんでくるのよ、バーンスタインと一緒に)
(わぁ、すごい見たいでごぜーますねぇ。今日の儀式が楽しみ)
公園に、ヴァイス、エマ、そしてライと『働き人』アンジェラ(p3p007241)の姿があった。だが、全員が全員、関係のないそぶりをしている。皆が別々の事をしているし、別々の方を見ているように見える。だが、これはエマのハイテレパスを中心とした、情報交換の場であった。
(“働き人”階級のものとしては……)
アンジェラが『思う』。
(平穏省が破壊されたことで、『部品』の生産ペースが上がっています。仕事が多くて、私はとても嬉しいです。生殖階級の皆様のお役に立てますから)
さておき、と一息付けてから、続ける。
(労働者階級の皆さんは、二種に大別できます。私達の蒔いたタネに影響を受けて、政府に不信を抱き始めた方。この爆破事件によって、より政府へと依存度を高めた方。皆さん、前者の方たちを味方に引き入れようと活動しています)
(親愛省側では)
ライが『思う』。
(セララさん達が『説得』した方たちが、徐々に街に増えてきていますね。雷華さんの作る『救出経路』もほぼ完成。不安なのは、リュグナーさんです。クシュリオーネさんでも、行方を追えない所に幽閉されているようで……)
(リュグナー様が心配でごぜーますね)
エマが『思った』。
(とはいえ、救出経路ができているなら、救出は可能でごぜーましょう。これは次回の大規模活動に譲ることになりそうでありんすが)
(真実省からは、報告した通りよ。皆のおかげで、仕事でいっぱいいっぱい……でも、ある程度の敵味方の区別はつきそう)
ヴァイスが『思う』。
(皆様、種は撒き終えたようですね)
各員の情報を、それぞれ整理し、アンジェラが『思った』。
(萌芽の時は近い、とみてもよいでしょうか。それでこの国がどう動くか……は、私にはわかりませんが。でも、上手く行くことを、信じています)
昼の終わりを告げるベルが鳴った。皆は立ち上がると、それぞれの『職場』へと向けて、ゆっくりと歩き始めた。
革命の種は撒かれ、その種は地に根を伸ばす。
萌芽の時はやがて訪れ、その時、この『都市』はどうなるのか――。
それはまだ、誰にもわからない。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
ご参加ありがとうございました。
革命の種は撒かれ、確かにその根を伸ばし始めました。
芽が土を破る時は、すぐです。
その時にはまた、皆さんの活躍が必要となるでしょう。
GMコメント
お世話になっております。洗井落雲です。
再現性倫敦1984を解体してください。
●最終目標
再現性倫敦1984の解体。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
●状況
『再現性倫敦1984』よりやってきた一人の男。その男から皆さんの下にもたらされた依頼。それは『再現性倫敦1984』の解体でした。
テーマパークの域を超え、実際のディストピア国家として暴走を始めた同地区は、このままでは練達そのものに、そして他の再現性都市に悪影響を及ぼす可能性があります。
再現性倫敦の解体さえ達成できるならば、ありとあらゆる手段は、ローレットのハイ・ルールに抵触しな限り、正当化されます。
極論、住民の生死も問いません。彼らを保護し、洗脳を解くのも良いですし、どうしようもなくなったら片っ端から皆殺しにするのも手です。
すべては必要な犠牲です。そうせざるを得ないほどに、『再現性倫敦1984』は歪な進化を遂げてしまったのです。
もちろん、平和裏に潜入した方がやりやすい場合もあります。すべては皆様の手にかかっています。
皆さんは、一市民としての身分が与えられます。一市民として活動可能なポイントは以下の『●再現性倫敦1984の施設』の項にて説明いたしますが、おおむね「一般公務員」「一般労働者」としての地位につくことになります。
もちろん、それを嫌って一切身分を持たないイリーガルな存在として侵入しても構いません。が、この都市の監視網は強固です。辛い戦いになるかもしれません。
●再現性倫敦1984の施設
再現性倫敦1984には幾つかの施設があり、千数百人程度の住民がいます。特に対処すべきは以下の場所でしょう。
・工場地区
工業製品や農産物を生産する工場が並んでいます。プロレタリアートと呼ばれる労働者たちが働かされています。
時折発生する“政府の敵”による破壊工作と、その恐怖を紛らわすために与えられる酒やギャンブルといった娯楽のために、彼らは自分たちが政府に守られていると錯覚して現状に満足しています。
国家内の独特な精神状態により、自ら破壊工作をしながらそれを他国や反逆者の仕業だと考えている政府の工作員たちは、必要とあれば直接的に皆様を排除しようとするでしょう。
ここでは一般作業員として、政府から押し付けられた労働に従事することができます。此処で労働に甘んじるか、何らかの火種を起こすかは、皆様の自由です。
・真実省
全ての真実を改竄し、都合の悪いことを全て隠蔽するための組織です。再現性倫敦1984がニュー・ブリタニアはないという証拠(練達の一部であることはもちろん、この場所が『再現性倫敦1984』という名であることも)を発見して消去したり、過去の統計や史料を改竄してこの街の何もかもが順調で右肩上がりであることを“証明”したりします。
皆様が人々に何かを啓発しようとしても、真実省の役人が動けばその証拠は容易く消えてしまうでしょう。
ここでは一般公務員として、真実省の活動(上記の証拠隠滅行為です!)を行いながら、国家転覆の準備をすることになるでしょう。上級公務員が何をしているかは、今のところは不明ですし、そのエリアに近づくことは困難です。
・親愛省
人々に政府への愛を“教育”するための組織です。街中から公務員の自宅まで至るところを監視し、思想犯罪者を『処理』し(その人物が存在したという痕跡そのものが改ざんされ、最初から存在しなかったかのように隠蔽されます)、拷問により改心を迫ります。省の建物内には多くの“思想犯罪者”たちが囚われているでしょう。再現性倫敦1984の設立者の一人とされているウィリアムも囚われています。
ウィリアムの友人にして、再現性倫敦1984設立の立役者であるブライアンもまた、親愛省に所属しているようですが……。
ここでは一般公務員として、或いは連行された思想犯罪者として、拷問を行う/行われることになるでしょう。上級公務員が何をしているかは、今のところは不明ですし、そのエリアに近づくことは困難です。
●本シナリオでできること
本シナリオは、全3話を予定しているシリーズの第1話に当たります。本シリーズには大きく分けて「公務員ルート」「プロレタリアートルート」「破壊工作員ルート」がありますが、いずれでも、今回は下準備の段階に当たるでしょう。
・公務員ルート
真実省や親愛省などで忠実に業務をこなしながら再現性倫敦1984の情報収集をします。
ただし、あまり露骨な情報収集や敵対的な行動は、優秀な政府のエージェントに察知され、親愛省の独房送りになる可能性は捨てきれません。
また、調査の最中に、皆さんに協力したり、共感したりしてくれる公務員も現れたりするかもしれません。しかし、彼らは同時に忠実な政府のしもべであることも忘れないでください。
・プロレタリアートルート
人口の大半を占めるプロレタリアートは、多くがその日さえ暮らせれば十分と考えています。が、必ずしも誰もがそう考えているという訳ではありません。
中には自分たちの地位に疑問を持つものや、積極的に反逆者を通報することで公務員として成り上がろうと考える者もいるでしょう。プロレタリアートの一員として、作業や交流などを通じれば、彼らと接触することも可能かもしれません。
一人一人の力は弱いかもしれませんが、数という絶対の力を持つのが彼らです。一致団結すれば、その力がどこに向くにせよ、強力な事に違いはありません。
・破壊工作員ルート
政府が喧伝するような他国や反逆者の破壊工作員は実際には存在せず、全ては政府による自作自演です。……が、それを事実にしてしまう事も可能です。
こちらのルートでは、兎に角破壊の限りを尽くし、物理的に再現性倫敦1984を解体できるはずです! 派手に動けば、同志も増えるかもしれません。
とはいえ、いきなり全破壊は難しいかもしれません。今はまだ下準備にするか、或いは最初から全開で行くかは、皆様のご随意に。
●最後に
ここはとても危険な都市です。
くれぐれも、皆様自身が、この都市の理念に囚われないようにご注意ください。
以上となります。
それでは、皆様のご参加をお待ちしております。
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