シナリオ詳細
<バーティング・サインポスト>溟渤パラノイヤ
オープニング
●
空と海とは永遠に交わらない。
例えこの海の向こうに到達したとて、決して叶わない。
嵐の夜である。
スプリットルに腰を乗せ、『アプサラス』トルタ・デ・アセイテ提督は荒れ狂う海原を睨めた。
吹き付ける春先の雨は冷たく、軍装に染み込んだ水分は体温をじっとりと奪っていく。
ここでは良くある事だ。
サプライズと呼ばれる局地嵐のただ中にあっても、潤沢な堅牢性と冗長性を誇る戦艦は揺るがない。
より厳密には、艦隊が誇る特別なスペックとクルーの練度は、並の船が容易に沈没する程の揺れの中にあっても、確たる艦隊運動を維持する力を持っている。
トルタのエル・アスセーナ号が率いる戦列艦隊アルマデウスは『無敵』である。
信じなくとも構わない。疑いを抱いても構わない。口に出しても構わない。
ただし行動だけには責任が伴い、砲口を向けた者はいずれも滅んだという訳である。
海洋王国が首都リッツバーグの酒場で語られる、そんな話を。けれどトルタ自身は信じて居なかった。
勝利と共に語られる数々の栄光も。
海賊上がりの大提督と云う、分かりやすいサクセスストーリーも。
愛する女と絶対に結ばれることのない絶望と比すれば、塵も同然であった。
トルタが女でなければ。元海賊でなければ。あるいは相手が女王さえでなければ。実際のところ、それが適うかはさておいて、やりようはあった筈だろう。
トルタには挑戦する自信もあれば、成し遂げられなかった際に受け入れる気っ風とてあった筈だ。その程度には修羅場を潜り、命も張ってきたのだ。
だが万が一。否、億が一にも。全てが上手く往き一縷の望みを果たしたとしても、永久に到達出来ないものがある。
たとえば世継ぎ。結局のところ脈々と紡がれた高貴な血統は、そこで途絶える事になる。
女王イザベラが愛する海洋王国に、自身が汚点を残すことをトルタは許せるか。否、許せる筈がない。
とはいえいずこかの高貴な男に正室を奪わせ、自身を側室とするなど論外だ。
ゼロと思えた可能性を決定的にしたのは、冠位嫉妬アルバニアの声へ応えたことに他ならない。
遂にその身を侵し始めた廃滅の呪い(アルバニア・シンドローム)に違いない。
けれどそれらは――彼女に多少の焦燥を与えたとしても――問題にはならないのだろう。
問題の根源はゼロが初めからゼロだった事にのみ起因するのだから。
可能性の話をするならば。トルタはゼロになにを重ねても、ゼロに過ぎないことを知っていた。
いくら敵を屠ろうとも。
歯が割れるほどに噛みしめようとも。
腹いせのように貴族の娘を籠絡し、虚ろな快楽に身を委ねても。
ゼロである可能性がイチに到達することは、永遠にない。絶対にありえない。
だが。しかし。それだけならば。
ただ絶望に身を委ね、自身の想い一つなど歴史の闇に葬ることも吝かではなかった。
なのにである。
よりにもよって今。
よりにもよって目の前に。
海洋王国が悲願に向けて突き進んでいる最中に。
可能性がゼロでない者が、もしも居なかったのであれば。
無数にかみ合うパズルのピースが、ただの一つでも欠けていたのであれば。
――トルタは決断しなかったのかもしれない。
●
星座のように島と島とを航路で繋ぎ。
彼等は。ついに来た。
来てしまった。
荒れ狂う紺碧の波濤を切り抜け、狂王種の襲撃を凌ぎきる。
この海域『絶望の青』における航海の過酷さは、誰しも身に染みていた。
先の海洋王国大号令が発せられてから、王国とイレギュラーズは強力なタッグを組んでいる。
近海掃討に始まり、第三次グレイス・ヌレ海戦の苦い勝利を乗り切り、絶望の青へとこぎ出した。
既に成し遂げたことは多いが、新天地への海路は未だ見果てぬ青の向こうへ続いているのだった。
絶望の青で王国とイレギュラーズを襲った災厄は数多い。
局地嵐(サプライズ)、狂王種(ブルータイラント)、幽霊船に海賊ドレイク。そして――魔種。
いずれも一筋縄では解決出来ぬ難題に遭遇し、果敢に立ち向かいながら。イレギュラーズは海域における橋頭堡の確保に全力を挙げていた。
冒険の中でイレギュラーズは自身や仲間達に奇妙な病状が発生したことに気付いた。
折しも行われた元特異運命座標オクト・クラケーンとの会談により、ローレットと王国はこの病を『絶望の青の支配者』冠位嫉妬アルバニアの権能である廃滅病(アルバニア・シンドローム)であることを知った。
治癒する方法はアルバニアを滅ぼすのみ。発生の危険があるのは絶望の青に踏み込んだ全ての者。
そう語ったオクトを信じるならば、ローレットと王国の成すべきは一つしかない。
コン・モスカの奇跡を頼りに、一刻も早くアルバニアを倒して絶望の青を踏破するしかないのである。
そして――
――ヨーソロー!
ビスクワイア艦隊はアクエリアと仮称される島を目指していた。
それはセントディンブラ島などの、これまで発見された島々よりもずっと遠く、また大きな陸地である。
だが情報によれば、このアクエリアには多数の魔種の影が潜んでいるらしいのだ。
艦隊はこの悪意が蠢く島を制覇し、希望の足がかりとせねばならない。
そうした中で船員達の心に陰りを落としている訳が、戦列艦隊アルマデウスが姿を見せない事であった。
対人対魔どちらにも強い、戦闘能力に特化したアルマデウスは過酷な絶望の青において『頼みの綱』だ。
過日の海戦において、魔種と交戦するなどわけのわからぬ言い訳を宣い、挙げ句の果てに海賊連合の旗艦を追い回していただけの為体を曝したとして、積み上げた武威が俄に蔭ろう筈もない。
だが見えない。
姿を現さない。
まてども、まてども。
この重大局面において、それは暴挙を飛び越え反逆にすら等しいと誰もが思った。
その時だった。
「二時方角に船影! あれは。ああ、やっと……アルマデウスです!!」
マストの上から響く声に甲板が沸いた。
無理もない。戦列艦隊の威容は希望の星そのものであったのだから。
「砲郭が開いたぞ!」
水夫ジェームズ・バーンの声は幾分か上擦っていた。緊張と安堵をない交ぜにした声音であった。
魔物が跋扈する海域において、友軍の戦闘態勢を確認したのだから当然だ。
砲身を見せたということは撃つモノがあるという訳で、矛先はもちろん敵であろう。
「聞こえたか!」
ビスクワイア提督の檄が飛ぶ。
「直ちに戦闘準備に入れ!」
カルロス・ジーニョ航海士が叫んだ。
「アイアイサー!」
クルーの一同が唱和した。
ガレオンの呼応は的確かつ迅速だった。
砲撃を準備し、全方向に注意をめぐらせ敵を探る。周囲の艦と情報を共有する。
士気は高い。絶望を泳ぐ覚悟を決めた者達には、誰しも一端の理由があるものだ。
大義と比しても自身の感情は、人生は、生命は。誰にとっても決して軽くはないのだから。
今か、今か。
誰もが待った。
相手は狂王種か、魔種か。いずれにせよ態勢に抜かりはない。
万事完璧に成し遂げたと思えた。
その筈だった。
ただ一つの誤算を除いて――
ぞろりと生え揃う牙のように、戦列艦の砲門が光る。
自船が砲火を浴びた事に気付いた時、全ては遅きに失していた。
●
「ビスクワイア艦隊がアルマデウスの砲撃を受けています!!」
悲鳴にも似た怒号が響いた。
イレギュラーズが搭乗する新鋭のフリゲート『サン・ミゲル号』は、砲撃を受けているビスクワイア艦隊を中心に、ちょうどアルマデウスとの対角線上に位置している。
本来の目標を通貫するならば。遠く遠方、海の彼方からの砲撃を浴びるビスクワイア艦隊と共に、サン・ミゲルはアクエリアへ上陸を果たさねばならない。だが横たわる現実は、次善への方針転換を強いてきた。
状況に対するキャプテン・ネレイデの判断は迅速で、かつ冷淡でもあった。
ネレイデ船長の考えはビスクワイア艦隊を見捨てて、自艦のみ戦線を離脱するというものである。
勝利が望めないのであれば、交戦すれば助からないのであれば、そうする他なかったのだ。
なにより船にはイレギュラーズ(救世主)が乗っている。
何を犠牲としても保護する覚悟もあったのだ。
「前方に敵影!」
怒号を孕んでいた声音は、今度こそ悲鳴そのものであった。
「狂王種(ブルータイラント)です……ッ!!」
どうすればいい。
ネレイデの額に汗が流れる。
砲撃は――角度が合わない。
白兵は――届かない。
どうすればいい。
飛んでるんだ。空を。
あの怪物は!
――終ワリダ。焉ワリダ。蓋棺ヲ授ケル。汝ヘ疾ク、寂滅ヲ賜ラン。
どうすればいい。
喋るんだ。人の言葉を。
あの怪物は!
怪物の側を波飛沫のように揺蕩う塵は、あれもまた小さな怪物ではないか。
万事休す。
恐るべき――けれど予見された――裏切りも。冷徹な対処も。
覚悟と努力の全てを水疱に帰そうとする絶望に相対して。
イレギュラーズは、どうする。
- <バーティング・サインポスト>溟渤パラノイヤLv:15以上完了
- GM名pipi
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2020年03月20日 23時15分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
サポートNPC一覧(1人)
リプレイ
●
無数の羽音は鼓膜をヤスリがけしたかのようで。
荒れた空を覆う塵芥の如き影は、いずれも腕の一抱えはあろうかと云う怪鳥である。
その中心に其れは――狂王種『爆炎のルーデリア』は羽ばたいていた。
イレギュラーズが搭乗する新鋭のフリゲート船サン・ミゲル号とそれを護衛するビスクワイヤ艦隊は、海洋王国大号令により絶望の青の向こう側、その橋頭堡となるアクエリア島を目指している。
計画では本日中の到達が予定されていた。
局地嵐サプライズ、狂王種の襲撃、数多の災厄を乗り越え、未だ島影は見えず。
――謹メ、悼メ。汝ラ矮小ナル生命ヲ焔滅ヘ捧ゲヨ。
割れたスピーカーのように耳障りな声がする。
一行に突きつけられた現実は過酷なものであった。
アクエリアへの航海に姿を見せなかった『アプサラス』トルタ・デ・アセイテ提督が率いる無敵戦列艦隊アルマデウスは、突如姿を現すや否やビスクワイヤ艦隊へ砲撃を開始したらしい。
「アセイテ様、遂に本性を現しましたね」
遠く見える船影へ駆ける、『『幻狼』夢幻の奇術師』夜乃 幻(p3p000824)の視線は鋭い。
ビスクワイア艦隊は更に遠方から打ち込まれる砲弾に大きく揺れているのが見えている。
トルタ・デ・アセイテは海洋王国のイザベラ女王に並々ならぬ情念を燃やしているようだが、こうして女王にすら逆らい裏切った限りには、あのアクエリアは魔種達にとっても重要な場所なのであろう。
ならば、幻は決意を固める。なんとしてもたどり着き――脳裏を過ぎる『貴方』の顔――なんとしてもたどり着き、冠位魔種アルバニアへ近づき、引きずり出さねばなるまい。
先程の信号弾が告げた内容は、サン・ミゲルの船員達に大きな衝撃を与えていた。
僅か後、先頭を進んでいたサン・ミゲル号の前に立ち塞がったのが、無数の怪鳥を率いるルーデリアだ。
「なんだ、なんなんだよ、あいつは!?」
「おわりだ、もうおわりだ、ここで! チクショウが!!」
ネレイデ船長が戦慄いた。水夫達が震え上がる。
「……計ったかのようなタイミングですね」
荒れた波間に揺れる甲板の上で、『終焉語り』リースリット・エウリア・ファーレル(p3p001984)は美しい剣――魔晶剣・緋炎を構えた。透き通った刀身に満ちた魔力が、幻炎のように揺らめく。
艦隊規模の視点では狂王種と魔種に挟撃されているという状況上、アルマデウスをやり過ごすことは不可能だ。このままでは壊滅する他ない。
であれば一刻も早く狂王ルーデリアを突破し、アクエリアに向け全力で前進するしかないのだろう。が。
「前門の虎、後門の狼……後がない状況ですが」
一筋縄で行かないのは目に見えている。
あっけらかんと天を仰いだのは『イワ死兆』アルプス・ローダー(p3p000034)――そのシートに跨がるホログラフィーの少女がアクセルを吹かす。
甲板の上で水冷4ストDOHC4バルブV型2気筒のエンジンが、低く唸りをあげている。
イレギュラーズが打ち立てた数々の生きた伝説の中で、最速を謳われるアルプス・ローダーは、酷く揺れる甲板を駆け、時に跳ねながら(!?)姿勢を保っていた。
最速の伝説は未だ動かぬまま――突如突風。
其れは余りに早かった。
緒撃。得物を抜き放ったイレギュラーズの眼前へ迫るのは炎嵐が如き巨体であったのだ。
最速は最速たり得ないと云うのか。
それはアルプス・ローダーよりも早かった。
甲板に足を打ち付けて、『大号令の体現者』秋宮・史之(p3p002233)が腕を十字に構える。
「……鳥じゃん?」
見得を切り、奥歯を噛みしめる。
巨大な影が史之と重なる、その刹那。
顕現した赤光の障壁が輝き、その斥力と巨大な怪鳥が衝突する。
巨大な船体すら吹き飛ばしそうな質量に、史之の足は甲板を離れ、背が舷側板へ叩き付けられた。
前後から肺を押しつぶす圧迫に身体中の息を全て吐き尽くし、意識が揺さぶられる。
――人ノ身ニ過ギシ力、絶望ノ青ヘ屠ッテクレヨウ。
雷のような音を立て甲板に亀裂が走る中、史之は舷側板を蹴りつけルーデリアの巨大な顔を睨む。
頭ごと一刺しに啄める程の巨大な嘴を前にして、ただの一歩も怯まず。
「おまえに……っ! かまってる暇はない! 邪魔を……するなぁっ!」
裂帛、渾身。輝いた赤い斥力が嘴の先を逸らし、ルーデリアがその巨体を僅かに傾ける。
「アルテナさん!」
「任せて!」
史之の合図に駆ける『冒険者』アルテナ・フォルテ(p3n000007)が細剣へ魔力を纏わせ、乱撃。
打ち合わせではここから飛翔斬を操る運びとなっている。上手くやってくれる筈だ。
「はんっ! 鳥のお仲間……って顔じゃねーな? 俺の前で空を制した顔するとはいい度胸じゃねーか!」
長大な三叉蒼槍の石突きを甲板に打ち付け、嘯いた『鳥種勇者』カイト・シャルラハ(p3p000684)が美しい緋翼を広げる。
――不遜! 我ハ爆炎、我ハ陽光、大海ノ紺碧ト蒼穹ヲ焼キ尽クス覇者デアル。
「譲らねーよ! お前に空は!」
舞い踊る羽の衝撃がルーデリアの顔を灼き、怒りに満ちた両瞳がカイトを睨め付けた。
「『鳥種勇者』のカイトが、この場をしっかりと収めてやる!」
「慌てるんじゃねぇ! こっちはお前等には俺達イレギュラーズが付いてる!」
響き渡るカイトと『勇者の使命』アラン・アークライト(p3p000365)の声に安堵の吐息が聞こえたか。
「船員同士で連携しろ! 孤立すんな!」
大きく傾ぐ甲板に、キャプテンの声が響き渡った。
「聞いたかテメエ等! 船を立て直せ!」
「アイアイサー!」
「例の信号弾! 頼んだぜ!」
「合点だ!」
甲板を駆けるカイトの頼みに、水夫の一人が頷いた。
天高く舞うのは、イレギュラーズによる救援の知らせ。ビスクワイア艦隊も気付く筈だ。
「であれば。あとは、これが必要で御座いましょう?」
傾く船の対角へ駆ける水夫達を背に、幻は奇術師のステッキ『夢眩』を中空に舞わせ。美しい幻惑の光が船体に淡い光を宿らせる。
「姐さん! 助かりますぜ!」
「あちらのお客様のお気に召せば良いのですが」
保護結界――その攻撃が船自体への破壊意思に寄る物でなければ、周辺環境へのダメージを打ち消す。
涼やかに飄々と述べた幻に水夫達は勇気づけられている。ひとまずの僥倖。
だが幻自身、今の奇術がいつまで通用するか図りかねている。船諸共に直接の悪意、破壊意思を叩き付けられるまでの僅かな時間を耐え凌ぐに過ぎないのは分かっていた。
運命座標の存在は、『飢獣』恋屍・愛無(p3p007296)の言葉を借りるならば『諸刃』だ。
世界の救世主でありながら、この海洋王国にとって『要人』に相当する者も多い。
ビスクワイア艦隊が盾となったのも、ネレイデ船長が彼等のトリアージを決断したのも。トルタ・デ・アセイテ提督の真の狙いも、特異運命座標に何かを突きつけることに違いない。
ならばこの一戦は、そしてその後は――どう転ぶか。
愛無は考える。アルマデウスほどの規模の艦隊であれば、海洋王国を裏切った以上は補給も整備もままならない筈である。そして時折垣間見える――以前に愛無自身もその目にした――女王への歪な忠誠心。
であれば、こちらの艦隊が早期に離脱出来れば、決着が叶わぬと退く目もある。
つまりビスクワイア艦隊を生かすのであれば、この怪鳥の撃破が鍵となる。
故に――
「じゃ……死んでもらおうかな」
愛無は触手のように粘膜を解き放った。
「喰い殺してやるよ。薄汚い鳥野郎――」
黒い雨の如く注ぐ毒手の群が、ルーデリアの巨体を次々に穿ち蝕んで往く。
●
ルーデリアを散開しながら包囲するイレギュラーズ達は迅速だった。
鉄火場に続く鉄火場のただ中で。
先の海洋王国大号令から、『氷雪の歌姫』ユゥリアリア=アミザラッド=メリルナート(p3p006108)の戦場はいつだってそうだった。今回とて予想通りである。
退くも地獄。進むも地獄。
どちらにせよ同じであれば、進んだほうがマシというものだ。
「なんとかしてみせますわー」
美しい可憐な歌声が、絶望に覆われた甲板を包み込む。
激情を押し隠して、柔和な表情を崩さず――ユゥリアリアの姿と『道征きのキャロル』はイレギュラーズのみならず、クルー達の士気も高めて。
――歩を進めるものたちに幸あれ。 進みゆくその先で、きっと何かを掴み取れることを。
歌声をかき消さんと、ルーデリアが金切り声をあげ――能わず。
「怖がらせようとしてるんだ。かわいいね」
小首を傾げた『海淵の呼び声』カタラァナ=コン=モスカ(p3p004390)は美しい――けれど深淵を湛えた水底のような――黄金の瞳を煌めかせ。
だが彼女自身も思う通りに、この挟撃のタイミングは最悪であろう。
ならばカタラァナもまた歌い、詠い、謳う。
ただ一つだけ受け継いだ、深淵に眠り待つ『神』を言祝ぐ歌――夢見る呼び声
それを耳にして苦しむ者は幸いであると。
「……チッ! クソ鳥共が!」
ルーデリアに率いられるように、次々と殺到する怪鳥の群れにアランは悪態一つ。
(思い出せ。人を救え。思い出せ……!)
喋る巨大な怪鳥、後ろには魔種の最強艦隊。選択が迫られる状況。しかしアランは己を鼓舞して、脳髄にアドレナリンが弾ける。
「つかな。陽光だとか抜かしやがったよな。
俺の前で太陽だ? 上等だ。俺の炎とお前の炎、どっちが強いか勝負しようじゃねぇか!!」
――不遜! 人ハ王ヲ試サズ、疾ク屈セヨ。
甲板を影が覆う。ルーデリアはその翼を大きく広げ――
「遅ぇよ、死ね!!」
脈動する巨大な狂刀が宙空を唸り、燦然たる救済の光がルーデリアの巨体を劈いた。
「まずは貴方です焼き鳥くん!」
――驕傲ヲ正ソウ。
駆け抜ける光条――『求婚実績(ヴェルス)』夢見 ルル家(p3p000016)。
状況への覚悟など、とうに済ませている。
だが生憎「拙者、途轍もなくしつこいので!」
諦める気など毛頭ありはしない。
――光よりも速く、蝶よりも華麗に、恒星よりも熱く。
荒れ狂う閃光の如き連撃がルーデリアの身に無数の血花を咲かせた。
揺れる甲板をリースリットが舞う。
炎を纏う月下の妖精は、その細剣をさながら摘み取った花のように――
宙を切り裂く鋭い斬撃は不可視の刃となり、ルーデリアの胸元を駆け抜け深く切り裂いた。
「クルーの皆さんは小型の対処をお願いします」
「合点承知!」
「帆を畳め! 俺は小型をやる! アビーとガレスは俺に続け!」
「アイアイサー!」
船の片側へ体重を預け、船体を立て直したクルー達が一斉に動き出た。
リースリットの号令はイレギュラーズとクルー一同の行動精度に強い影響を与えている。
●
最速は最速たり得ないのか。
その命題に答えるように、一陣の光条が戦場を駆け抜けた。
――遅イ、鈍イ。我ガ神速ノ翼ヲ、ソノ目ソノ魂ニ焼キ付ケテ進ゼル。
ルーデリアが割れた拡声器の声音であざけ、さえずった。
だが爆発するように、端からの三速で向かうのは、数々の仕掛けを搭載する車体だ。
――鈍イ、遅……何!?
加速する。加速する。加速する。
最速は最速たり得ないのか――答えは否!
咆哮するマフラーは、炎すら吹き上げて。
これまでの全ては、誰よりも早く動く為。
後がない? バックギアなど元より実装されていない。いる訳がない。
アルプス・ローダーはイレギュラーズ最速火力を吐ききるまで止まらない。
蒼い閃光がルーデリアの巨体を貫き――轟音。
けたたましい悲鳴をあげ、ルーデリアが翼を震わせる。
戦場へ嵐のように暴風が吹き付け、えぐり取られた血肉が灰となって散る。
ルーデリアの巨体が転げ、船体が大きく傾いだ。
「船が沈んじまう!」
「るせえ! 抑えこめ!」
「アイアイサー!」
ネレイデの激にクルーが唱和する。
「助かったぜ、奇術の姐さん。船がバラバラんなっちまう所だった」
「恐悦至極に御座います」
幻が優雅に腰を折る。
船体がゆっくりと水平に戻る中、横滑りに後輪が煙を上げ甲板に黒い弧を描いた。
――疾キニオイテ、コノルーデリアヲ越エルカ!
――認メヨウ。ダガ所詮ハソコマデ、ソノ程度!
ホログラフィーの少女は今一度アクセルを捻る。
「いえ。本番、行きますよ」
小さな音を立ててリミッターが弾け飛んだ。
神速を誇るルーデリアを僅か凌駕した先程と比し、今度こそ遙かに上回る速さで。
限界を超え、時さえ凍り付いたかの如き世界で、再び蒼い閃光が戦場を駆け抜けた。
その光条はルーデリアと比すれば糸のように細いのかもしれない。
その先端はルーデリアと比すれば豆のように小さいのかもしれない。
だが。
その先端は、さしずめ弾丸が如く。
その光条は、さながら斬撃が如く。
願い叶わなかった奇跡さえ、二つの車輪へ巻き込むかのように。
単車は西風の息吹を纏う光刃となり、時空すら歪めて全てを置き去りにする。
全てはこの絶望の最果てへ、イレギュラーズを――ヒーローを運ぶ使命を果たさんが為。
――バカナ、馬鹿ナ、莫迦ナ! 汝ハ最早、人デハナイ!
戦慄く怪鳥は拡声器の声音で叫んだ。
生存本能が激しく警笛を鳴らしているのだろう。
「バイクって呼びますよね、みんな」
かすかに憮然と聞こえた気がするアルプス・ローダーの声音。
巨体からあふれ出す炎とマグマが、ルーデリアの血と臓腑なのであろう。
絶叫と共に迸るルーデリアの魔力――サイレンがイレギュラーズへ吹き付け――
●
幾ばくかの時がながれ、しかし尚も戦闘は続いていた。
無数に転げるステューカーの残骸は、船が揺れるたびに絶望の青へと墜ちて行く。
イレギュラーズ達はこれまでの狂王種との戦闘経験、また多くがそれをまとめたコン=モスカの秘伝書ブルーノートディスペアーにより、的確な打撃を加えることに成功していた。
見知らぬ相手ではあるが、少なくともこの戦いにおいて要点を突くには十分なのである。
歴戦の一行にとってステューカーは弱い。だが数字の暴力は誰にとっても凌ぎきれるものではなかった。
大きな一撃はユゥリアリアが、戦場全域に対してはカタラァナが、それぞれ癒やしを施し続けねばここまで持ちこたえるのは無理であったろう。現に数名のイレギュラーズ可能性の箱を焼いている。
ならば敵方はどうか。
イレギュラーズの猛攻を浴びながらも、その身をずたずたに引き裂かれたルーデリアは健在だった。
アルプス・ローダーの初撃、その絶大な威力を身に浴びた以上、長く持たないのは明らかではあるが――ともあれここからの数十秒、あるいは数分をどこまで縮められるかが勝利の鍵となるに違いない。
「これでからっから、ガス欠ですね。ガソリンは残ってますが」
最後の火力を吐き出したアルプス・ローダーに乗る少女が両手をあげる。
だが僅か刹那の間に稼ぎ上げたアドバンテージは甚大だ。
揺れる甲板の上で、ひらりと宙を歩む奇術師がその両手を広げた。
「お静かに願えますでしょうか」
たちの悪い客を相手にするかのように、杖を閃かせた幻が奇術『夢幻抱影』へ誘い――
――人ノ子ヨ、小サキ者共ヨ、斯様ナル面妖ガ如キで我ガ翼は朽チヌワ!
ルーデリアは嘯き、その翼でイレギュラーズをなぎ払う。
僅か一撃、圧倒的な膂力は一行を切り裂き、海へとたたき落とした。
船舶は凄まじい音を立てて中程から折れ――
――良い夢には、残念ながら続きが御座います。
脳髄に響くような艶やかな幻の声音にルーデリアが首を振る。
睨め付けた周囲は、しかし甲板ではなかった。
花咲き蝶の舞う楽園を揺蕩うのは、かお、顔、貌――。
ルーデリアが食い殺してきた水夫達の怨嗟が、怪鳥の身に次々と突き刺さる。奇術『花蝶風月』。
「お目覚めのご気分は如何に御座いましょう」
――クビリ殺シテクレル!
「これで終わりなら、同情してあげるけどね」
きょとんと微笑んだカタラァナが紡ぐのは、人の耳へ届かぬ絶叫。
ルーデリアの声さえ上回る膨大な『聞こえない音』は、可視光を歪める波となる。
それは波濤魔術の極北――揺蕩うバーラエナ。
乱舞する音の刃がルーデリアを縦横に切り裂いた。
怪鳥が意識を混濁させる刹那に、カタラァナは戦場へ視線を走らせる。
「次はあっちかな」
そこでは怪鳥の群れに取り囲まれた数名の水夫が、懸命にカットラスを振るっていた。
もう一度歌おう、夢の声――
「二度目だな、鳥頭! って言いたかねえけどよ!」
ルーデリアの羽根を掴んだまま、カイトはその『上』に降り立った。
視界を過ぎったのは、数羽のステューキーが甲板で槍を構えた幻影に突撃する姿だった。
幻影は『かかし』に過ぎない。だがこの乱戦でたとえ一度や二度であっても、その攻撃を逸らしたのであれば僥倖であろう。こうは行くまい。
――小鳥風情ガ、我ガ身ヲ穢スカ!
「俺はそんな可愛いもんじゃねえよ」
おどけた声音で、けれど真剣な瞳で。
次々に迫り来るステューキーは、しかしカイトの身へ一度たりとも到達叶わず。
音速の槍撃が針のように、ルーデリアの巨大な首へと突きたった。絶叫が船を揺らす。
「でかいだけかよ!」
――小賢シイ!
カイトは革のように分厚いルーデリアの羽毛を掴み、身をよじって振り落とそうとする振動をいなす。
派手な立ち回りは、おそらく望遠鏡で観測出来るはずのビスクワイア艦隊に希望を与える筈だ。
それにこちらサン・ミゲルの船員達の勇気ともなろう。
――汝、バイクト云ッタナ!
「僕はアルプス・ローダーです」
暴風を伴うかぎ爪の衝撃が迫り――大気が爆ぜ、赤雷が甲板を駆け巡る。
「知ってます? アーマークラスは低ければ低いほど」
「言ってないで、俺が守るよ!」
展開された斥力で全身を覆った史之を劈く衝撃は、しかしその身を僅かにも傷付けはしなかった。
――小癪、小癪、小癪ッ!
「語彙がずいぶん減ってきたみたいですねー」
ユゥリアリアの艶やかな笑み。
揺れる甲板をさながら舞い歌うように、ユゥリアリアの紡ぐ術陣、その調和の力が史之の身体に刻まれたサイレンの衝撃を今や完全に癒やしきる。
「助かるよ!」
「いえいえー」
ここまで史之はその斥力を纏う新たな技によって、ほとんどの傷を受けていない。
だがこれで『万が一』すらも消滅する運びとなった。
「あとはこっちだね――産めよ増やせよヒドロゾア♪」
カタラァナの音を媒体とした魔力同調は、イレギュラーズのみならずクルーの傷をも癒やして。
――衝撃。満身創痍と呼ぶのも烏滸がましい、瀕死の重傷を負ったままルーデリアが舞い上がる。
巨体の重みを失った船が大きく傾き、ステューカーの死骸が再び海へと投げ出された。
張り詰めたロープがアランと愛無の腰を引き、ユゥリアリアが薄絹を思わせる魔力翅で僅かに舞い上がり難を逃れる。
伸びきったロープの衝撃に腰を折ったアランが帽子を押え、ルーデリアを睨み吐き捨てる。
「クソったれ、ぜってぇ殺す!」
「勇者殿!」
「あ?」
「お助けします!」
「俺はいい、船を立て直せ!」
「合点でさあ!」
「頼んだぜ!」
水夫を励ましたアランは腰を落として剣を構える。
放たれた斬撃は荒れ狂う嵐となって敵陣を引き裂いた。
この世ならざる絶叫をあげ、ステューカーの死骸は堆く屍山血河を築き上げる。
衝撃に吹き飛ばされた愛無が、粘膜を解放して船縁にかじりつく。
「そうでなくちゃ面白くない。そうでなくちゃ始まらない」
船縁を蹴りつけ、宙空に身を投げ出した愛無にステューカーの数体が殺到する。
「聞こえる、聞こえている。こんなものはどうでもいい」
爪が、嘴が。飛来する無数の怪鳥に刻まれるように愛無の身体に黒が滴り――しかし物ともせず。
反響を頼りに蒼穹を切り裂いて。
ああ、空を自由に駆けるお前には、僕なぞ地を這う蟲のようなモノなのだろう。
「その通りだ」
だが教えてやる。地を這う蟲の怨念。憎悪。それが、どういう物かをな。
巨大な黒蛇と化した愛無がルーデリアに食いついた。
「殺す、殺す、喰い殺す」
鞭のようにうねる粘膜が、マグマのように燃えたぎる臓腑を穿ち、喰み、飲み込んで往く。
「猫舌ならきついかな」
緋色に輝く灼熱の土塊――異形の臓腑をボタボタと落としながら、ルーデリアが金切り声をあげる。
――矮小ナ人間ドモ、地ヲ這イズル蟲風情ヨ!
羽ばたくルーデリアが暴風を巻き起こし、巨大なかぎ爪が愛無に迫る。
「っと、あぶねーな」
怪鳥の巨大な背に槍を突き立てたカイトが振り回され――
「けどよ、空はお前のもんじゃねー!」
投げ出されそうになったカイトは、目が覚める程の鮮やかな緋色を力強くはためかせる。
――蚊蜻蛉ガ!
「お前よりよっぽど鳥だと思うけどな」
舞い上がったルーデリアと共に風を切り、カイトは突き立てた槍を更に深くへとねじ込んだ。
――絶望ヘ沈メ!
絶叫する怪鳥の巨大なかぎ爪が愛無へと迫り――
●
「飛べて、掴めるなら、攫って連れて行くでしょう?」
どこへ。きっとこのひどく臭う海へ。今そこへ墜ちれば、廃滅の呪いは免れぬ。
あるいは。かの提督の船へ。今そこへ至れば、何が待ち構えているか知れたものではない。
――名刹! 褒メテ遣ワス!
「当てたついでにもらっていってね」
――畏れを抱けペクテン。
本能の恐怖に跳ね飛んだ巨体が船を揺らして、絶叫のサイレンが再びイレギュラーズを劈く、刹那。
「耳を塞いで」
甲板に響き渡る凜とした声音に、イレギュラーズとクルー達は反射的な防御姿勢のチャンスをつかむ。
リースリットの魔的な直感――クェーサーアナライズ。
「退きなさい。その傷では命に関わるでしょう」
揺れる甲板になぎ倒される、その瞬間。リースリットはマストを強かに斬り付けた。
「……愚かな」
食い込む刃がその身を支えて。剣を引き抜いたリースリットが、今度はマストを蹴りつけた。
月光を纏う斬撃が、眼前に迫る小型怪鳥をすり抜けルーデリアに突き刺さり――
中身の殆どを失ったルーデリアは、もう助かる訳がない。
だが狂王種の底知れぬ生命力は、未だその膂力を失わせずに居た。
――ナラバ汝等ノ幾匹カヲ冥府ヘノ共トシヨウ。
「道連れ狙い、ですか。往生際の悪い」
リースリットが嘆息する。
「嫌ですよ、拙者は可愛いお嫁さんになるんです!」
誰ぞか、お金持ちの!
ありったけの全て。超新星爆発の乱撃がルーデリアを貫き――
「離せこのクソ鳥がァ!!」
あばらの何本かが折れたろうか。
巨大な鉤爪の中で、アランは骨すら軋ませ砕く程の激痛の中、一撃を放つ刹那の機会を伺っている。
「離して頂けますか。僕には貴方などに構っている暇などないのです。
僕はあの方の為に必ずや冠位魔種アルバニアを倒さなければいけないのですから」
胸を焦がす幻の想いは、苛む痛みすらも夢へ溶かすかのように。
ルーデリアが飛び上がる、その瞬間。
黒い鞭が唸りを上げて、ルーデリアの両足を食いちぎった。
アランはもがく巨大重量の物理的暴力を叩き付けられ、だが。
火を噴くボード『プロメテウス・フレア』が宙を滑り、アランの身を甲板へと滑らせる。
勇者は――だが結末を変える生き物だ。
アランが甲板を蹴りつける。
折れた骨から全身を劈くはずの痛みなど、脳髄に沸き立つアドレナリンの前には無力である。
「ブチ堕ちやがれぇ!」
構え、甲板を踏み込む。大気が歪むほどの衝撃と共に放たれた神速の刺突は音の壁すら超越する。
音速波の絶叫を纏う一撃がルーデリアの巨体に吸い込まれ、その背へと突き抜けた。
「やれぇ――ッ!」
アランの声が天を貫く。
「――あったぼうよ!」
カイトは無数に飛来する怪鳥の爪をかわし、かわし、かわし、いなし。
その身を無数に切り刻まれたカイトは、しかし彼でなくては既に命すらあるまい。
裂帛の気迫をこめて、その愛槍がルーデリアの背に空いた大穴をさらにこじ開ける。
狙うは最後に残された心臓。その一撃に脈動は砕け、甲板に燃えさかる土塊が降り注ぐ。
「死んだ感想は――聞きたくねえな」
――マダ終ワラセン!
「何が前門の虎ですか! 拙者の邪魔をするなら! 虎だろうが冠位魔種だろうが! 食い千切る!!」
深く、強かに。突き立つ死の凶弾がルーデリアの一翼をもぎ取った。
最早怪鳥はただの怪異と成り果てた。空の自由は二度とない。
「衝撃に備えろ!」
「アイアイサー!」
ネレイデが叫ぶ。
振動と共に甲板に叩き付けられた重量に船が大きく傾いた。
海に投げ出された片翼に続いて、ルーデリアが甲板へ墜ち――再度、衝撃。
「拙者はトルタちゃんに会いに行きたいんです! 邪魔だぁぁ!!」
ルル家の銀河旋風殺――因果律さえ曲げんとするほどの宇宙力(うちゅうちから)。
無数の刃を繰り出す可愛いルル家達がルーデリアを縦横に切り刻み。
――嗚呼、どうか貴方の命だけは守らせて下さい。
貴方が僕のことを愛していなくても。
貴方が僕のことを嫌っていようとも――
出会いがあれば別れもあろう。
それが人の世。当たり前の定めである。
だがその運命を、幻は赦さない。だがそれだけでは、幻は終わらせない。
未来を紡ぐ奇術。夢幻が、続く楽園の贖罪が、瀕死のルーデリアを永遠の眠りへと誘い――
おわりだ おわりだ。
がいかんをさずける。
なんじへ とく。
とこしえを あたえん♪
青の神子は深淵を歌い。
それは怪鳥の言葉を模した、理解され得ぬ――してはならない子守歌。
●
「撤退!」
甲板から引きずり落とし、空を覆う羽虫のような大群は消え失せた。
「大号令の体現者、秋宮史之だ。今は退こう、この海を『希望の青』へ塗り替えるために」
ルーデリアを撃破してなお、イレギュラーズの戦いは終わってはいなかった。
戦闘の終了『前門の虎を撃破したこと』を一刻も早くビスクワイア艦隊へ知らせねばならないのだ。
「よくやった。少し休め」
「あ、ああ……」
肩を叩くアランに、水夫がへたり込んだ。
静かに歌うカタラァナの声に、水夫達の傷が癒えて行く。
だが水夫は何人かは倒れたままで介抱を受けているようだった。
命があるかは分からない。激闘の結末を受け入れるのは、まだ誰にとっても早すぎた。
「これで大丈夫ですー」
「ああ、すまねえ」
剣を甲板に突き立てたアランを、ユゥリアリアの調和の魔力がそっと包み込んだ。
癒やしの術を受けたアランはロープを使い、海へ墜ちた数名を果敢に救い上げ始めた。
軋む身体は。戦いを終えた壮絶な痛みは。背負う危険は。
アランにとって命を見捨てていい理由になどなりはしない。
ユゥリアリアはブリッジの壁を背に身体を休め、思考を巡らせる。
あの日からフィーネリアはユゥリアリアの前に姿を見せていない。
今なら分かる。あの時フィーネリアは、恐らく廃滅の病を患ったのであろう。
間違いなく、覚悟してのものだ。
伝えたかったものは、この絶望を踏破せよという強い意志なのであろう。
フィーネリアが託したかったものは、きっと未来とでも言うつもりなのだ。
(こんなもん縁起でもねえぞ)
だからフィーネリアは、きっとユゥリアリアの身代わりになったのだ。
ユゥリアリアが患う筈だった廃滅の運命から守るために、ユゥリアリアのの背を押したのだ。
だからユゥリアリアはこの鉄火場を戦い抜き、未来をつかみ取らねばならない――
ビスクワイア艦隊を構成するガレオンの一隻が大きく傾いでいる。
「ありゃ、もうダメだな」
努めて感情を抑制したネレイデの呟きに、カイトが拳を握りしめる。
見えている、分かっている、だがほうってはおけないとカイトは立ち上がり。
「カイト! てめえ何を考えてやがる!」
ネレイデが血相をかえた。
「んなこた、分かってるけどよ!」
「だったらよせ!」
「私達はアクエリアへ到達しなければなりません。
私達の移動開始をもって、ビスクワイア艦隊は撤退が可能でしょう」
そう口にしたリースリットは、けれど自身の言葉を半ば信じてはいなかった。
ビスクワイア艦隊が撤退出来るか否かは、未だ分からない。
だから、どちらかと言えば説得に近い言葉だ。
リースリットは考える。
アセイテ提督は呼び声に応じたのだ。
どの時点か。反転自体はおそらく――おそるべきことに――海洋王国大号令が始まった頃であろう。
だが裏切りの最終的な決断は何時か。遅かれ早かれではあったろうが、きっとつい先日だ。
トルタはどのみち、絶望の向こうへの到達を決して赦しはしなかっただろう。
自分以外の誰かが。否、誰であっても、その可能性を手にすることを拒絶したであろう。
ここへ至ったタイミングは、所詮『最後のピースが何になるか』の違いだけだったのかもしれない。
それはさておき。リースリットが考える限り、トルタはおそらく撤退を赦さない。
少なくとも『今のところは』『間違いなく』ビスクワイア艦隊の全滅を狙っているはずだ。
しかし愛無の分析では『深追いはしない』とも思えている。
結果として。イレギュラーズの総意は、ここへ来て割れた。
「でも、俺はあがきたい」
史之が拳を握る。
「強欲ですまんな」
カイトが小型船『紅鷹丸』を繋ぐロープを切り着水させる。
「考え直せ! 一発でも食らえば海の藻屑だぞ!」
「ならばならば。僕もいこうか、あの海へ」
「仕方ないですねー」
ユゥリアリアもまた、その氷の術式を海へと展開した。
「お供しますぜ!」
甲板を蹴りつけ宙に舞った四名に続いて、数名の水夫が小型船へと飛び降りる。
「ふざけんじゃねえぞ、馬鹿野郎共が!!」
叫ぶネレイデの声を背に浴びて、三隻の小型船へ降り立った者達はビスクワイア艦隊へとこぎ出した。
「てめえら……死ぬんじゃねえぞ……」
ネレイデが首を振る。
「ですが船長!」
「るせえ! 俺達は俺達の責任を果たす!」
救世主へ。一縷の望みに。ネレイデ自身が本当にやりたかった事を託して。
「アイアイサー!」
「拙者も諦めません!」
ルル家もまた、更なる可能性を模索していた。
痛む身体を引き摺るように、大空へ飛び上がる。
「トルタちゃぁぁあん! お話をしましょう!」
叫んだ。ぼろぼろの身体で。何度も、何度も。
徐々に近づき、一隻、また一隻と傾いで行くビスクワイア艦隊の向こう。
遂に姿を見せたアルマデウス旗艦エル・アスセーナ号へ語りかける。
「トルタちゃんは他にどうしようもないと思ってるからこんな事してるんじゃないんですか!?」
数瞬遅れ、返ったのは砲撃だ。
遙か遠方からの砲弾が、ルル家という小さなマトにそうそう当たる筈がない。
それでも風圧は空を舞う儚い身体を弾き飛ばすには十分だった。
間一髪。辛うじて空中で静止したルル家は、それでも叫ぶのをやめない。
ルル家は、トルタ・デ・アセイテが心の底から女王に弓を引きたいとは考えていなかった。
「拙者が一緒にどうすればいいか考えますから! 話をしましょう!!」
――呑気なものね。
脳髄を揺さぶる声がする。
その一言にルル家が顔をあげる。
トルタちゃんが、拙者をどう思っていても、拙者は!
「トルタちゃんの事を友達と思っているんです!!
もっと話したい事がたくさんあるんです!」
だから
「一緒に進みましょう!!」
叫ぶように。喚くように。怒鳴り続けて――
――――ビスクワイア艦隊へ降り立った者達へ、降り注いだのは激昂だった。
「ふざけんじゃねえぞ貴様等! なんで来やがった!」
無理もない。
ビスクワイア提督は命を捨てる覚悟で、イレギュラーズをアクエリアへ送り届けたかったのだ。
「お説教は後で聞くぜ」
カイトは涼しい顔でアルマデウスを睨み、飛来する魔物を貫いた
「これも嗜みですのでー」
ユゥリアリアが砲座に座し、アルマデウスの前衛艦へ早速風穴をこじ開ける。
「まかせておくれよ、この僕に」
深淵を歌うカタラァナが激闘に傷つく水夫達を癒やして。
史之は一人、沈み往く船の周囲で材木に捕まる水夫を救助していた。
――――
――
トルタは甘い吐息を吐きかける部下がしなだれかかるままにさせている。
「本当に、ああ。使えない鳥ですこと」
狂王種ルーデリアは死んだ。無尽蔵な生命力と火力は、退けられてしまった。
美しく整っていた筈の相貌を醜く歪め、トルタはビスクワイア艦隊を睨み付けている。
あなた達は努力してはならない。
あなた達は恵まれていなければならない。
あなた達はきらきらと輝いていなければならない。
才能は、可能性は、生まれ持った性は。あらゆる努力の上に存在しなければならない。
胸を灼く想い故に退くのか。自身が、この大提督が。嫉み妬む、この醜い衝動に身を任せて。
大艦隊にとって水と食料、それから弾薬は切実な問題であった。
それらを『どこで』『どのように』『どの程度』切るかというのは、重要な課題だ。
提督職を預かっていた以上、物の道理が分からぬ筈もない。
これ以上の戦いに乗るか反るかは本来的に、戦禍と消耗を天秤にかけて怜悧に判断されるべきものだ。
「ヒ、ヒヒ……ハ、ハッ!」
トルタがひきつるように笑う。
「……撤退しましょう」
「はい、マム」「イエス、マイ・ロード」「イエス、ユア・エクセレンシィ」
無論この決断自体は、それら諸々の事情を十分に加味してのものであった筈だ。
とどのつまるところ、これは本質的にトルタの敗北でありイレギュラーズの勝利である。
けれど彼女はそうした物理的事情ではなく、ただ自身の心を言い訳に出来る愉悦を楽しんでいた。
恵まれたあなた方は、この私から幸運にも見逃される!
なんと醜悪な物の見方であろう。
なんと気持ちの悪い考え方であろう。
自身の戦術的敗北を斯様な欺瞞にすり替えるなど、思ってもみなかった。
これまで自身が抱いてきた感覚にトルタは斬られている。その自傷へ付随する恍惚に背筋すら震える。
「ねえ、あなた」
トルタは突如、寄り添う部下の細い手首を掴み上げた。
「提督……今夜は、わたくしめでよろしいのでしょうか」
部下の女は頬を染め、もじもじと身をよじる。
トルタは微笑み、突如女の手首を捻って乱暴に甲板へと叩き付けた。
背を打つ衝撃に、女が激しくむせ返る。
「ええ、ええ。あなたの命が燃え尽きるまで愛してあげましょう」
「どうか早く。もう熱く疼いております……」
ああ、愛しい女王陛下。
あなたの希望、この国の願い。
その全てをこの海へと沈めてみせましょう。
そうして私は慈に満ちたあなたの顔に、絶望を刻みましょう。
そうして私は愛に満ちたあなたの胸に、永遠を刻みましょう。
そうして私は光に満ちたあなたの魂に、わたくしという消えない傷痕を刻みつけましょう。
――
――――
結論として。
割れたイレギュラーズの総意は、そのどれもが正しかった事になる。
リースリットが述べた通り、トルタ・デ・アセイテは狂王種撃破後もこちらの撤退を赦さなかった。
そうした状況の中で、カイト、ユゥリアリア、カタラァナの勇気ある行動は、英雄的な死を望んだビスクワイア艦隊に希望を与え果敢な攻撃行動を続行させるに至り、状況好転の重要な材料となった。
ルル家の決死の呼びかけがあったからトルタの注意が引き付けられた。
それによって砲撃の矛先に強い影響を与え、ビスワイア艦隊の被弾を低減する結果となった。
しかしネレイデには撤退を継続させねばイレギュラーズ全員がトルタのほうへ向かう事になり、トルタの判断材料が大きく変化する以上、予測不能かつ重篤な状況に陥る可能性があった。
故にネレイデがアクエリアを目指す決断をもう一度促すために、少なくない人数が残る必要があった。
だから残ったアラン、幻、アルプス・ローダー、愛無達は、自船の水夫達の命を救うことが出来た。
孤軍奮闘する史之が居たから、沈んだビスクワイア艦隊の船から、少なくない人数の救助に成功した。
そして愛無の述べた通りに、継戦を嫌うアルマデウスはその矛先を収め、海の彼方へ消えていったのだ。
水平線の向こうへと消えるエル・アスセーナ号を睨んで。
史之は小さな声で呟いた。
なんでこんなことしたの。
わからないけど。
「……ダダこねちゃダメだよ、トルタさん」
目映い夕陽はただ、同じ女へ恋した二人を分け隔てることなく照らし上げていた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
依頼お疲れ様でした。
モアベターへもう一歩踏み込んだ、良い結果だったのではないでしょうか。
今回のMVPは飛び抜けた最大与ダメージへ。
それではまた、皆さんのご参加を願って。pipiでした。
GMコメント
pipiです。
本性を現したトルタちゃん。
あなたはあなた自身を、無事にアクエリアへ送り届けねばなりません。
それはこの世界で『ゼロでない可能性』を背負う、あなた方の責務でもあるのです。
●目標
意外にも単純です。
皆さんが搭乗するサン・ミゲル号がアクエリアへ到達する。ただそれだけです。
けれど『より以上の結果』を望むことは、決して咎められるべきではありませんよね。
皆さんは迅速に狂王種と交戦し、全力で突破口を切り開かねばなりません。
戦闘が長引けば友軍の被害は加速度的に憎悪して行きます。
最悪のケースでは、皆さんの船はアルマデウスと狂王種に直接挟撃されることになるでしょう。
●ロケーション
前門の虎後門の狼。
皆さんの属する艦隊は、アルマデウスと狂王種の挟み撃ちに遭っています。
皆さんの船はアクエリアを目前にして、狂王種『爆炎の』ルーデリアと相対しました。
船はめちゃくちゃに揺れることや、戦闘で大きく破損したりする危険が予想されます。
海に投げ出される危険もあるでしょう。
各種対策では遠距離攻撃やそれらしいアイテムやプレイングでのアイディア。
あるいは飛行等のいくらかの非戦スキルも有利に働くかもしれません。
ただし簡易飛行や媒体飛行は戦闘に適しませんので十分にご注意下さい。
●敵
『爆炎の』ルーデリア
人語を操る巨大な怪鳥。恐るべき狂王種です。
何らかの意図を持ち、たびたび近接戦闘を挑んで来ます。
巨体に似合う膨大な耐久力の他、莫大な『反応』を持ちます。
ルールとしては甲板の至近距離に移動して攻撃。
次のターンに離脱して攻撃。といった動きをします。
・フェザーストーム(A):物遠範、出血、流血、火炎
・サイレン(A):神中範、ショック、麻痺
・急降下(A):物遠単、移、飛
・掴む(A):物至特、最大二人まで足で掴んじゃう。
・超高速飛行(P):飛行戦闘可能。通常移動で全力移動距離を飛行可能。
・巨大高速飛翔体(P):マーク、ブロック不能。
『ステューキー』×無数
小さな怪鳥です。
一匹一匹は強くありませんが、とにかくひどい数。
次々に至近物理攻撃を仕掛けてきます。
ルーデリアを倒せば逃げます。
●友軍
『自船のクルー達』
けっこう居ます。
武装はカットラスにピストル。あるいは船の大砲です。
独自の判断で皆さんのサポートや攻撃をしてくれます。
それらしいお願いがあれば聞いてくれることもあるかもしれません。
『ビスクワイア艦隊』
遠方に居ます。
皆さんが乗る船を保護していた艦隊です。
アルマデウスからめちゃめちゃな砲撃を受け続けています。
最適解なら決まっています。ほっておく事です。
●優先参加者
海洋王国からの指名です。
イレギュラーズの参戦は友軍の士気を向上させています。
このシナリオにおいて、指名者は特に大きな影響を持ちます。
●同行NPC
『冒険者』アルテナ・フォルテ(p3n000007)
両面型前衛アタッカー。
Aスキルは格闘、飛翔斬、ディスピリオド、剣魔双撃、ジャミング、物質透過を活性化。
皆さんの仲間なので、皆さんに混ざって無難に行動します。
具体的な指示を与えても構いません。
絡んで頂いた程度にしか描写はされません。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●重要な備考
<バーティング・サインポスト>ではイレギュラーズが『廃滅病』に罹患する場合があります。
『廃滅病』を発症した場合、キャラクターが『死兆』状態となる場合がありますのでご注意下さい。
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