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シナリオ詳細

<終焉のクロニクル>思い出に翡翠と瑠璃のような夢を見て

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 ずっと、ずっと考えていた。
 私は、なんのために生きているんだろうって。
 一瞥もされずに殺されかけて、優しく導いてくれたおじさまを失って。
 ずっとずっと考えていた。
 ――でも、ほんの少しだけ、分かってきた気がするのよ。

 岩山を飛び越えて、辿り着いた影の領域を駆けていく。
 前後不覚になりそうな闇に満ちた領域は、心を陰鬱にさせていく。いるだけで自分が自分じゃなくなっていくような、そんな感覚。
 滅びのアークに覆いつくされたような薄暗い空、ひび割れた大地に黒い靄が落ちて行くのが見えた。
 可視化した滅びのアークが水を侵して作られた影の湖を越えれば、より濃い滅びのアークに溢れていた。
(うぅぅ……怖い、のよ)
 逼迫感と不安感が駆り立てられ、普段だったら思いもしないような気持ちが溢れ出す。
 視界に蠢く無数の獣達――それらはすべて、滅びのアークで出来ていた。
 人を真似るように集落を築いたそれが、少しずつ、少しずつ一つに集まっていく。
 それはまるで、無数の生き物の群れが一つの生き物になるようにも見えた。
(こいつら全員、終焉獣なのよ……)
 ぎゅぅと自分を抱きしめれば、感じたのは何か硬い物に触れる。
(……お姉さん)
 それはある幻想種の娘より貸してもらった本だった。
 その日の思い出が、翠璃を少しだけ落ち着かせてくれる。
『さっきはああ言ったけど、『蒼穹の魔女』はとにかく頑固なのがウリでね。
 まだ、本の感想を聞かせてもらうのは諦めていないから。またね。それまで、あんまり無茶はしないよーに!』
(えへへ……そう、そうなのよ)
 まだ、その時のことを、まだ覚えている。
(うん、まだ覚えてるのよ……お姉さん)
 ぎゅっと本を抱き寄せて、深呼吸。
『翠璃……君が望む場所へいって、君が君らしく生きていけるようにと、ずっと願い続けてる。
 大好きだよ。どれだけ離れたって、どんな関係になったって、私たちは友達だ』
『人間という物は、こうした時に写真を撮るらしい。思い出という物は何時だって綺麗なモノだからね。
 きっと、次の約束にもなるだろう。また会う時に写真を渡すよ』
(そうね、次の約束もあったのよ)
 その言葉が、お友達の声が、沢山の約束が。ただでさえ綻びかけている知性に力をくれる。
 脳髄もろとも蕩け堕ちてただの化け物に下るまで、ほんの少しだけの時間をくれる。
 ――だから、そのお礼を、したかった。


 ワームホールを越えた先は、影に満ちた領域だ。
 薄暗く、逼迫感のある領域は脚を進めるだけでもどんよりとした気分にさせてくる。
 断崖の合間から零れ落ちる滅びのアークが滝のようになった地域を走り抜けていく。
 枯れ果てた木々に葉に変わってヘドロのようなものがへばりついていた。
 ヘドロの合間から見える遠くに見えるのは幻想風、天義風とも似た影の城。
 イレギュラーズが至るべき、終焉の果て――原罪イノリの居城。
「――お姉さん達、駄目なのよ」
 走り抜ける最中、シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)は息を呑んだ。
 突然、声をかけられたから――ではない。
「……翠璃?」
 旋風がイレギュラーズの眼前に降り立った。
「翠璃……また会えた」
 チック・シュテル(p3p000932)は降り立った少女を見やる。
 少しだけやつれたようにも見える翠璃の表情は少し険しい。
「合えてよかった! でも、何が駄目なの? 影の城に行かないと!」
 そういうスティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)に翠璃は「それはそうなのよ」と短く告げる。
「でも、ここを行くのは駄目なのよ」
「……なにか、この向こうにいるんだね」
 頑なに否定する姿にアレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は言えば、少女がこくり頷いた。
「翠璃さんがそこまで言う相手って……」
 ユーフォニー(p3p010323)は首を傾げた。目の前の亜竜種と思しき娘は魔種である。
 これまでイレギュラーズが何度か共闘さえしてみせた娘は以前の報告書によればピュニシオンでイレギュラーズの道を阻んだこともあったらしいが。
「お姉さん達は蠱毒って知ってるのよ?」
「ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせる呪術の一種のことだ」
 応じた恋屍・愛無(p3p007296)に翠璃はこくりと頷いた。
「この先には1体、滅気竜がいるのよ。この滅気竜……滅気竜同士の蠱毒で生き残った個体なのよ。
 だからね、危険――なんて生易しいものじゃないのよ。多分、竜にだって匹敵するのよ」
「それでもぼく達は先に進まないといけないんだ」
 そう続けた炎堂 焔(p3p004727)に、翠璃はもう一度「そうね」と応じて。
「だから、私が此処にいるのよ――ねぇ、お姉さん達。
 私を信じてあれを迂回していくのと、真っすぐに突き進むの、どっちがいい? 選んでいいのよ」
 そう言って、翠璃は柔らかなままに微笑んだ。
「流石に安全ではないのよ。でも――少なくとも蠱竜と遭遇するよりは遥かに安全だと思うのよ」
 どちらにせよ危険なことは変わりあるまい――だが、元よりここは影の領域。
 そんなものは、ある意味で当然ともいえるだろう。
「魔種が1人いたのを見たことがあるのよ。でも、それ以外は普通の終焉獣なのよ。
 魔種1人ぐらいなら、お姉さん達は勝てると思うのよ」
 そう説明した翠璃はさらりと知る限りの彼女たちの情報を語る。
(万が一でも世界が滅びちゃう前に――皆へのお礼をしたいのよ。だから……原罪への道の一つを、私が示してあげるのよ)
 そう微笑む少女の真意を、気付く者はいたのだろうか。

GMコメント

 そんなわけでこんばんは、春野紅葉です。

●オーダー
【A】または【B】どちらかから敵陣を突破する。

●シナリオ特殊ルール
 皆さんは以下の2つのルートどちらを進むのか一方を選択していただきます。
 ばらけてしまった場合、お互いに戦力分散により命の危険が高くなります。
 ご相談の上、どちらか一方へとお決めください。

●フィールドデータ
【A】蠱竜領域
 影の領域に存在する一角です。
 滅びのアークに満ちた小さな岩山です。
 岩山の頂点にヒメロスの寝床が存在しています。

 翠璃は『もしも』の為に皆さんと同行してくれます。

【B】影の道
 蠱竜領域を迂回して影の城へ向かう道中です。
 翠璃と一緒にお話ししたりしながら終焉獣や魔種と戦います。
 まるで城下に広がる集落のような場所に暮らすのは人型の終焉獣のようです。

●エネミーデータ
【A】
・『蠱竜』ヒメロス
 滅気竜の一体です。鋭角な爪と棘を生やしたワイバーンのような姿をしています。
 滅気竜同士の蠱毒を潜り抜けたことで深い狂気と強大な戦闘能力を獲得した個体です。

 限りなく竜種に近いスペックを有します。はっきり言って『撃破』は不可能です。
『パンドラの加護』によるイクリプス全身図状態になり、文字通り命を懸けてもしかすると撃破できるかも……と言ったところでしょうか。

 とはいえ、ここはあくまで影の城に向かう道中に過ぎません。
 翠璃は「こんな道中で命を懸けるなんて、絶対にやめた方が良いのよ」と強く引き留めるでしょう。

 竜種じみた驚異的なタフネス、信じられない高火力と高機動力を有します。
 滅びのアークに満ちた肉体は堅牢な守りと抵抗力を発揮します。
 滅びのアークによるブレス、巨体によるシンプルな突撃、爪、牙による切り裂きなどを行ないます。

【B】
・麗琅
 玉を頂く杖を握る亜竜種風の女性。魔種です。
 翠璃曰く、水や空気を操る魔術を用いるとのこと。
 予測されるBSは【乱れ】系列や【窒息】系列、【足止め】系列、【飛】あたりでしょうか。

・終焉獣×???
 無数の人型の『変容する獣』たちが道中に蠢いています。
 アタッカーやタンク、バッファーにヒーラーなどなど。
 種類は多種多様。手早くひきつけ、手早く倒す必要が出てきます。

 何故でしょう、酷く嫌な気配も感じます。
 その気配は集落に近づけば近づくほどに濃くなっているようですが……。

 ●『パンドラ』の加護
 このフィールドでは『イクリプス全身』の姿にキャラクターが変化することが可能です。
 影の領域内部に存在するだけでPC当人の『パンドラ』は消費されていきますが、敵に対抗するための非常に強力な力を得ることが可能です。

●友軍データ
・『翠月の暴風』翠璃
 10代前半と思しき緑髪碧眼、緑の鱗を持つ女の子の元亜竜種です。
 知性的で優しく穏やかな性格をした『無尽蔵な知識欲』を罪とする暴食の魔種。
 その罪の影響か、魔種にしては非常に理性、知性的な面が目立ちます。
<クロトの災禍>にてイレギュラーズに先んじて影の領域に潜入していました。
 今回も敵意はなく、皆さんの道案内兼友軍として行動します。
 魔種なので大変強力ですが、それでも難易度はHARDです。ご注意ください。

●ルート【A】Danger!
 当シナリオAルートにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
 予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はDです。
 多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
 様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。


フィールド選択
相談の上、どちらのルートから突破するか選択してください。

【1】【A】蠱竜領域
 影の領域に存在する一角です。
 滅びのアークに満ちた小さな岩山です。
 岩山の頂点にヒメロスの寝床が存在しています。

 翠璃は『もしも』の為に皆さんと同行してくれます。

【2】【B】影の道
 蠱竜領域を迂回して影の城へ向かう道中です。
 翠璃と一緒にお話ししたりしながら終焉獣や魔種と戦います。
 まるで城下に広がる集落のような場所に暮らすのは人型の終焉獣のようです。

  • <終焉のクロニクル>思い出に翡翠と瑠璃のような夢を見て完了
  • GM名春野紅葉
  • 種別EX
  • 難易度HARD
  • 冒険終了日時2024年04月04日 22時05分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)
私のイノリ
チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
大樹の精霊
炎堂 焔(p3p004727)
炎の御子
恋屍・愛無(p3p007296)
終焉の獣
祝音・猫乃見・来探(p3p009413)
優しい白子猫
ユーフォニー(p3p010323)
竜域の娘

リプレイ

●再会は優しい風と共に
「あぁ、やっぱり、翠璃……!! また会えた!」
 風を連れて降り立った少女の手を取った『黄龍の愛し子』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)に、翠璃が緩やかに笑う。
 握りしめた掌の熱が、シキに目の前の娘が本人であることを教えてくれる。
「再会を喜ぶような暇なんて与えられないのはわかってる。
 それでも、一度だけ……一度だけ抱きしめさせて。大好きな私の友達」
「うん、大丈夫よ」
 くすりと微笑んだ少女の小さな体をぎゅぅと抱きしめた。
 シキよりも背丈の小さな少女の小さな手が優しくシキの頭を撫でた。
「……うん、君が導いてくれるなら、それを拒む理由なんてどこにもない。一緒に来てくれる? 翠璃」
「もちろんなのよ、そのためにここに辿り着いたのよ」
 抱擁を終えたシキに答えた翠璃は嬉しそうに笑っている。
「翠璃さん……また会えて、嬉しい。みゃー」
 そう声をかける『祈光のシュネー』祝音・猫乃見・来探(p3p009413)の姿は普段とは少しばかり代わっている。
「ふふ、私もまた会えて嬉しいのよ。道案内、頑張るから着いてきてくれたら嬉しいのよ」
 柔らかく笑う少女と両手でハイタッチを交わせば、翠璃が柔らかく笑ってくれる。
「僕も頑張るよ……!」
 その様子に祝音もこくりと頷いてみせる。
「翠璃、こうしてまた会う……出来たの。とっても、嬉しい。
 ……世界が滅ぶ……するかもしれない、今。
 翠璃が言ったように、ゆっくりは……出来なくなっちゃった、ね」
「そうね……でも、不謹慎かもしれないけれど、私は少しだけ良かったって思ってるのよ」
 2人の会話の途切れたタイミングで『赤翡翠』チック・シュテル(p3p000932)が話しかければそう言って翠璃が微笑んだ。
「それは……どうして?」
「お兄さんやお姉さんと、こうして私のままでまた会えたのは、世界が滅びかけてくれたからだと思うのよ。
 そうじゃなかったら、私は……ううん、何でもないのよ」
 ふるふると髪を揺らして、少女は少しだけ困ったように笑った。
「そう……『またね』を叶えられたの……良かったって思う」
「ふふ、私もなのよ!」
 嬉しそうに、翠璃が笑ってくるりと宙を回る。
「また翠璃さんと会えるなんて……お祈りが効いたのかな?」
 そう首を傾げる『天義の聖女』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)に、翠璃は嬉しそうに笑って。
「んふふ! それもきっとあるのよ!」
 楽しそうに笑っている少女の姿を見て、スティアは表情を綻ばせる。
(もう少しだけ頑張ってくれたら私達が決着をつけるからどうかそれまで……
 でも案内してくれるって事だし、ちょっとは無理するんだろうなぁ)
 天真爛漫な印象を受ける翠璃の姿を見ながら、スティアは笑みを零す。
「道案内をしてくれるんだよね?」
「任せてほしいのよ!」
「あんまり負担をかけないように私達も頑張らないとね! 出てきた敵はさくっと倒して、どんどん先に進もうー!」
「おー! なのよ!」
 スティアがネフシュタンを掲げれば、くすくすと笑って翠璃も小さくこぶしを突き上げる。
「こんな状況でなければ再会を喜びたいところだけど……とりあえず、進みましょうか。
 こんな場所でも、少しは落ち着ける場所もあるかもしれないし」
 その様子を見ていた『蒼穹の魔女』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)が言えば、少し驚いたように目を瞠って「そうだったのよ!」と思い出したように呟いた。
「翠璃ちゃんが調べてくれてて、比較的安全な道がわかってるならそっちの道を使わない理由はないよね!
 ありがとう、翠璃ちゃん! 凄く助かったよ! それと、また会えてよかった!」
「ふふふ、お姉さん達の助けになれるのなら、私もこんな暗いところで頑張った甲斐があるのよ!」
 そう続けた『炎の御子』炎堂 焔(p3p004727)に、翠璃が誇らしげに微笑んだ。
「えぇ。教えてくれてありがとうございます、翠璃さん」
 その様子に『竜域の娘』ユーフォニー(p3p010323)は微笑みながらそう続けるものだ。
「何より無事でよかったです」
「ふふ、それはお姉さん達のおかげなのよ」
 嬉しそうに目を細めて笑う翠璃がくるりと宙を舞う。
「その間のこと、良ければ教えて貰えませんか?」
 そう問いかけたユーフォニーにこてりと首を傾げた翠璃は「そんなに面白いお話にはならないけれど、いいのよ」と眼を細めた。
「元気にしてたみたいで何より。えっと……そうだ、本を渡してたんだよね。読んでくれたかな?」
 こてりとアレクシアを見て首を傾げた翠璃だったが、すぐに「もちろんなのよ!」と微笑む。
「とっても楽しいものとか、ちょっぴり悲しいのとか、いろいろあったけど。
 全部全部、面白かったのよ。この本があったから私、自分のことを見失わずにいられたのよ。
 だから……貸してくれて、ありがとうなのよ」
 そう言って、翠璃が貸しておいた本を手渡してきた。
「こんなところで出会うと思ってなかったから次の本はないんだけど……でも、無事にここを切り抜けたら、また何か見繕いましょうか!」
「そうね……嬉しいのよ、お姉さん。でも……大丈夫なのよ」
 どうして、と聞くのをアレクシアは堪えた。
「どうせならば、もっと穏やかな再会としたかったが。この状況では是非も無い。
 終わってしまえば、全てが思い出だ。きっと、この旅も、イイ思い出になるだろうさ」
 そう『愛を知らぬ者』恋屍・愛無(p3p007296)が言えば、翠璃はどこか驚いたようにも見えて。
「終わってしまえば、全てが思い出。そうね……そうなのよ」
 そう呟く翠璃はしきりに頷いている。それはまるで自分に言い聞かせるようにも見えた。
「懸念すべき事もあるだろうが。遠足を楽しもうじゃないか」
「そうね、あんまりいい景色とかもないのは残念だけど、楽しく行くのが一番なのよ!」
 ころりと表情を変えて頬を綻ばせるその姿にはやはり敵意のようなものは見えない。

●最後の思い出
 迂回路を取ったイレギュラーズの足取りはゆっくりと、けれど穏やかなものだった。
 ユーフォニーの連れてきたドラネコのリーちゃんや焔の使い魔が念のための先行を行なっている。
 道中の終焉獣達をざっくばらんに蹴散らしながら進むイレギュラーズの道を遮れるものは今のところ存在しない。
 それはまさに愛無のいうところの『遠足』を思わせるほど。
 その一方で、進む足取りと道程の奥の方から感じる気配は濃くなっていく。
 それが原罪の住まう『影の城』へ近づいているからなのかまでは分からないが、どんどんと濃くなっていた。
 愛無は少しだけ先を行く翠璃の方を見やる。
(何が起こるか分からないのは事実。例えば……翠璃君が敵になる可能性。
 終焉獣の集う集落が『蟲毒』となっている可能性。リスクをあげればキリはない)
 淡々と推測を重ねる愛無とて、翠璃と敵対することはまだあまり考えたくなかった。
(……それに)
 視線に気づいた翠璃がくるりと宙返りをして愛無の事を見ていた。
(こうしてイレギュラーズに手を貸している彼女は魔種から見れば明確に『裏切り者』だ)
 原罪直隷の終焉陣営の魔種と暴食陣営の魔種であった翠璃は、必ずしも味方とまでは言い切れるものではないのかもしれない。
 そんな陣営の違いを踏まえてもパンドラ側に味方をするのは裏切り行為以外の何物でもあるまい。
(何にせよ、時間をかけるべきではないだろう)
 濃くなる気配をひしひしと感じながら愛無は考えうる可能性を思い描く。
(酷く嫌な気配、何だろう……バグ・ホールではない……?)
 ひしひしと感じる嫌な気配に対して、祝音もまた意識を向けていた。
(この奥に終焉獣達が住む集落があるみたい……何かを祀るのを模倣した?
 あるいは蠱竜領域の蟲毒から逃れた竜か、蟲毒で死んだ存在の死霊がいる……?)
 今のところ、その答えが何であるのかは分からない。
 奥へと進むたびに濃くなっていくだけで、行きつくためのヒントが全く存在していないのだ。
 敢えて言うのなら、祝音の知る限りの魔術知識の中では引っかかるものがないことが『魔術』の類ではないと推察できるぐらいだろうか。
「翠璃さん、大丈夫?」
 なんとなく声をかけた先で、翠璃はきょとんと首を傾げた。
「大丈夫なのよ!」
 ゆらゆらと空を浮かびながらそう微笑んだ。
「ひとりで寂しくありませんでした?」
 そう問いかけたユーフォニーに翠璃は微笑を零す。
「もちろん、ちょっぴり――うぅん、すごく寂しかったのよ?
 でもね、お姉さん達の言ってくれたことを思い出したら、頑張れたのよ」
 そう笑う翠璃の表情は優しいものだった。
「……ずっと、この影の領域にいたんですね」
「うん。怖いことはたくさんあったけど、竜に比べればマシだったのよ!」
 ユーフォニーの言葉を受けた翠璃はそう笑って言うのだ。
 その様子はどこか誇らしげに見えた。
「……翠璃さん」
 ユーフォニーは少しだけ先を行く少女の名を呼ぶ。
「この後も一緒に行きませんか」
 少女の気持ちを示すように尻尾が揺れていた。
「いえ、行きましょう。さいごまで、ずっと」
「そうだよ! 一緒に行こう? 翠璃ちゃんならきっとここにはいない皆とも仲良くなれるよ!」
「えへへ、そうかな? そうだと嬉しいのよ」
 目を細めて、翠璃が笑っている。
 その様子を見ながらも焔の心には嫌な感覚が燻っている。
 それはこの空間に満ちる気配とは別の感覚だった。
(……ここでお別れしちゃったら、もう会えなくなっちゃうんじゃないかって、そんな気がする)
 じっと見つめる焔の瞳に翠璃がこてりと首を傾げる。
「ねぇ、だから、一緒に行こう?」
 風のように気付けば攫われてしまうような、そんな気がして焔は言葉を重ねて言うのだ。
「……えへへ、そうね。きっと、最期までずっと、一緒に行くのよ」
 そう言って笑った翠璃の声には、何か違和感がある気がしたけれど――それを2人が問うよりも前に、少女が曖昧に笑う。
 まるで、「それ以上を聞かないで」とでもいうように。
「ねぇ、翠璃、もしかしてまたどこかへ行ってしまうのかい?」
 だから、シキはそう問いかけていた。翠璃は変わらず曖昧に笑っている。
「……分かった。でも、ちゃんと、憶えていて。君が例えどんな存在になっても友達だってこと。
 君には私たちがいるよ。ずっとずっと、忘れないでね」
「――うん。ありがとうお姉さん」
 目を瞠った翠璃は、嬉しそうに目を細めて笑う。
「ずっとずっと、忘れないのよ。お友達だって、ちゃんと、ずっと、憶えておくのよ」
 そう呟く翠璃の声が少しだけ潤んでいるのは気のせいじゃない。
「この戦いが終わっても、また会おうね」
 スティアの言葉に、翠璃はどこか切なく目を細めている。
「滅びがなんとかなったら魔種とだって一緒に過ごせる可能性だってあるし、元に戻れる可能性もない訳じゃないと思うから!」
 その表情に翠璃の想いを感じて、それを遮るようにスティアは言葉を重ねた。
「……そうね、でもそれは確実じゃないのよ」
 翠璃がどこか切なく笑みを浮かべる。
「それでも! どうか無事でいれますように、心から願っているよ。
 気休めかもしれないけど、次に会う時を夢見て、祈っておくね」
「えへへ、ありがとう、お姉さん」
「今の私は天義の聖女だからね、祈りの効果もパワーアップしてるかもしれないし!」
「わぁ! 本当?」
「本当だよ!」
 胸を張ってみせたスティアに、翠璃は目を瞠る。
「すごいのよ! 聖女様なのよ!」
 目を瞠った翠璃はくるくるとスティアの周囲を回りながらキラキラと眼を輝かせた。
「……翠璃、……大丈夫? あの日、お茶会をした時……よりも。元気、ない様に思えた……から」
 心配した様子で翠璃を見たチックに、翠璃は少しだけ驚いたように見える。
「ふふ、大丈夫なのよ。少しだけ疲れてるかもしれないけど、全然元気なのよ!」
「そっか……此処には、滅びのアーク……沢山満ちてる、けど。……大丈夫、おれ達がついてる。
 君が、翠璃として在れる様に。支える……するから、ね」
「えへへ、ありがとう、お兄さん。そういってもらえるのはとっても嬉しいのよ!
 私も、お兄さんたちを支えるのよ」
 目を細めて笑う少女は心の底から笑っているように見えた。
 バッグに入れた返してもらった本の重みを感じながら、アレクシアは一つ息を漏らす。
 じっと、翠璃の方を見る。裏切りだとか、それ以前の問題だった。
(……忘れそうになるけれど、魔種だからね)
 パンドラの加護の外でどんな影響を受けるか分からないイレギュラーズとはまた違う影響を受けている可能性は大いにあった。
(それに……何かはわからないけど、何かは隠してるんだろうな)
 けれど、それで何かを問い詰めるわけではなかった。
 こういう『隠し事』をするタイプには、聞いたって答えてくれないのだ。
 それを、アレクシアはよくよく知っている。
(……だって、私も隠し事する方だから)
 視線を交えた翠璃がアレクシアに気付いた様子でこてりと首を傾げていた。


●終焉集落
 辿り着いたのは集落めいた場所だった。
 人の営みを真似るのは人の姿を取る終焉の獣達。
 蒼白く透き通った身体の個体は人型の変容する獣だろうか。
 アポロトスや中にはクルエラだっているのかもしれない。
 その全てを把握するにはそもそも数が多すぎる。
「……いたのよ、お姉さん達」
 翠璃の視線の先、そこにいた女が視線に気づいたようにこちらを見やる。
「あら、もうこんなところまで来たのがいるのね」
 玉を頂く宝珠の杖を握る亜竜種を思わす魔種。
「わたくしの名は麗琅、はるばるこんな場所までお疲れさまでした。
 ――早速ですが、お前達の旅は此処で終わりよ」
 笑う麗琅の握る宝珠の杖が汚泥のような魔力の水を帯びる。
「させません」
 静かに告げるユーフォニーの身体が光に包まれる。
 煌く極彩色の光が曇天の空の下を照らしつけ、咆哮が轟いた。
「――な!」
 目を瞠る麗琅を『見下ろし』、竜域の娘はもう一度咆哮を上げた。
「白いドラゴン……すごい、すごいのよ、ユーフォニーお姉さん!」
 目を輝かせる翠璃の声を聞いた。
 興奮する少女の声に笑いかけながら、その背に無数の万華鏡を作り出す。
 彩波揺籃の万華鏡が織りなす無数の魔法陣が放つ砲撃は瞬く間に終焉獣達を一掃する。
「ふ、ふふふ。驚きましたが、本物の竜なはずもない。さぁ、終焉の獣どもよ、数を以て押しつぶしなさい!」
 麗琅が笑う。その声には動揺がありありと乗っていた。
「……おれ達は、この先に進む……したい。だから、打ち払う、させてもらう……よ」
 動き出さんとする終焉の獣たちの動きを抑え込んだのはチックが織りなす歌の音色。
 灰黒の濃霧に迷い込んだ終焉の獣たちの歩みは緩んで止まる。
 連中が呼吸をするのかは定かではないが、蹲っている様子を見ればきっと効果はあるのだろう。
「ふふ、お兄さんのお歌、やっぱり素敵なのよ」
「……別の曲、聞かせる、するよ」
「それはとっても楽しみなのよ!」
 朗らかに笑って、翠璃が目を輝かせている。
「ここは通させてもらう……無限の光のその先へ、消し去る……!」
 一気に動き出した祝音は終焉の獣の間を縫うように走り出す。
 狙うべきはただ一人。その手にあるは無限の光。
 創世より至るアイン・ソフ・オウルの名を冠する絶技を魔種へと叩きつけた。
「麗琅は水と空気を使うんだっけ」
「うん、そうなのよ」
 カグツチを構える焔は翠璃から聞いていた事前情報を再確認すれば、そう少女の肯定がある。
「……ボクは相性が最悪だね」
 そう呟きつつ、焔は万雷の舞台に自分の役目を見出している。
「じゃあ、ボクは終焉獣だ!」
 振り下ろされる裁きの炎、強大なる妖異あるいは悪神へと振るわれた審判の炎は終焉の獣達にはちょうどいい。
「わたくしの情報を漏らした――それも魔種ともあろうものが!?」
 麗琅が目を瞠る。
「裏切り行為とはふざけたことを! さてはお前がここまで導いたのね!」
 叫ぶ声、愛無はその反応に懸念点を再認識する。
「んふふ、そうなのよ!」
「なら――仲良く諸共に殺すまでよ!」
「おっと、そうはいかない。君からは聞きたいことがある」
 体表上に形成された魔眼の一瞥をもって、愛無は麗琅を締め上げる。
 如何なる守りも貫通する魔眼が廃滅と紅き焔を齎した。
「そうだよ、あなたを自由にはさせない」
 間断なく、アレクシアはヴィリディフローラを掲げる。
 萼を思わす緑の花弁は色彩を帯び、濃紫の花弁が華を開く。
 釣鐘の花弁は炸裂と共に麗琅へと陣を刻む。
「まぁ、いいわ。だれからであろうと磨り潰せばいいだけのこと!」
 そう叫ぶ麗琅が空に杖を掲げれば、汚泥のような雨が降り注ぐ。
 しかしそれらはアレクシアの展開する魔力障壁の前にまるで意味を持っちゃいない。
「ここで立ち止まっているわけにはいかないんだ。さっさと先に進ませてもらおうか!」
 目を瞠る魔種に向けて、シキが走り込む。
 アクアマリンの輝きを帯びた斬撃は苦痛を与えることなく、魔種の身体を蝕む。
 その動きが僅かに鈍った刹那に、ガンブレードに闘志を注ぎ込む。
「一気に削ってやるから、覚悟して!」
 守りに動くには既に遅い。
 美しき青の煌きを纏い放たれる斬撃が魔種の身体に今度は痛撃を打ちこむ。
「今のうちに纏めるよ、その方が皆も都合がいいだろうし」
「ありがとう、お姉さん!」
 スティアは翠璃へとそう声をかけ、セラフィムの出力を上げた。
 天地神明の加護を降ろし、溢れる魔力をネフシュタンへと注ぎ込む。
 蒼き燐光を纏うヴァークライトの聖杖が、注ぎ込まれた魔力に合わせて光を増した。
 曇天の空を穿つばかりに掲げた聖杖、輝く蒼の光が波を打つ。
 掲げられた聖杖が放つ魔力の波動は旋律に変じ、神の福音となって響き渡る。
 終焉の獣たちの動きが一斉にスティアを向く。警戒し、毛嫌いするように敵意を向けてくる。
 清浄なるを嫌うのは滅びの獣たちの特徴とでもいうべきか。

●終焉に捧ぐ命運
 戦いは烈しさを緩めることなく続いていた。
 竜を思わす姿のままに打ち出されるユーフォニーの魔術は美しくも苛烈だった。
 彩波揺籃の万華鏡が穿つ景色はパンドラの加護もあるのか、竜の放つブレスや魔術を彷彿とさせた。
 圧倒的な手数で織りなされる魔術を受けた終焉の獣たちは夥しい滅びのアークを四散させながら世界に霧散する。
「……数が多いのは問題ですね」
 ユーフォニーは呼気を零す。
 圧倒的な数を粉砕できるのはパンドラの加護のおかげでもある。
 逆に言えば、パンドラの加護が無ければ押されていた可能性はあった。
(このイヤな予感は麗琅からじゃないのかな……じゃあ、どこから?)
 裁きの炎が戦場を焼き尽くす中、焔は内心に首を傾げている。
 集落での戦闘が始まってからというもの、その気配はずっとへばりつくように周囲を漂っている。
 ふわりと風が吹いた。その柔らかな風は焔の描いた裁きの炎を取り巻いて、激しさを増して燃え上がる。
「翠璃ちゃん! ありがとう!」
「ううん、お手伝いができるのなら頑張るのよ!」
 嬉しそうに笑って言う翠璃の表情に焔は言い知れぬ違和感を覚えた。
 脳裏を離れない、友達を失うような嫌な予感の理由は分からないままだ。
「翠璃さんも頑張ってるし、私も頑張らないと!」
 スティアはそんな姿に微笑むと共に、セラフィムの出力を高めていく。
 舞い散る天使の羽根に似た魔力の残滓は飽和した魔力の一部であろう。
 循環する魔力を聖杖に捧げ、ネフシュタンは蒼光を瞬かせる。
 それを空に掲げれば、優しくも瞬く蒼光の輝きが戦場を迸る。
 多数の終焉獣を取り囲んだ聖性の輪が獣たちの動きを縫い留めた。
「翠璃さん、大丈夫?」
 祝音は改めて翠璃へと問いかけていた。
 その問いかけはもう今日だけで何度目だろうか。
 ここは影の領域、狂気に満ちた滅びのアーク色濃き大地だ。
 目の前の少女がいつなんどき、狂気に全てを奪われるのか分からない。
 それが心配で仕方なかった。
「ふふ、お兄さんは心配性なのよ、全然大丈夫なのよ!」
 けろりと笑ってみせた翠璃が腕を払い、魔力の旋風が終焉の獣たちを薙ぎ払う。
「翠璃、行くよ、聞いて」
 チックは星燈を掲げ詠唱を紡ぐ。
 幾重にも織り込まれた旋律が鮮やかな花を生み出した。
 揺らめく赤と青の織りなすコンチェルト、麗琅へと降り注ぐ花の色に翠璃が「わぁ」と短く驚いている。
「鬱陶しい花ねぇ――まぁ、全て押し流せば終わりね」
 数多の傷が浮かぶ魔種の命はそう長くはもつまい。
 アレクシアは彼女の攻勢をずっと受け止め続けていた。
「何もさせないよ」
 ヴィリディフローラは鮮やかに輝きを湛えている。
 美しき光を帯びた真白の神花に呑みこまれた魔種の手から魔力が霧散する。
「――さっきから、毎度毎度と!」
 激情する魔種のシンプルな殴打など、アレクシアには痛くもかゆくもない。
 その動きを見つめた愛無は触腕を槍状に精製した粘膜を射出する。
 槍は真っすぐに麗琅を穿ち、がくりと動きを怯ませた。
「ぐぅ……鬱陶しい、わぁ!」
 血反吐を吐いた麗琅が己を貫いた槍を握りしめた。
「さて、答えるとは思わないが、聞かせてもらおう。此処で何をしている?
 この辺りにいる終焉獣どもの気配も妙だ」
 愛無は戦闘が始まってから、稀にエネミースキャンをこなしていた。
 それらの個体は、どこか、あるいは何かが弄られているような感覚があった。
「ふふ、教えるわけないでしょうに」
「そうか、じゃあこのまま倒すだけだね」
 そう告げるままにシキが走り込んだ。
 どうにもずっと落ち着かないままだった。
 その原因が麗琅なのだとすれば、彼女を倒せば片が付く可能性が高い。
 警戒を怠らぬままに降りぬいたアクアマリンの斬光が大きく麗琅を斬り開く。
「……は、はは、はは」
 膝を屈し、杖を支えにもまるで立てぬ麗琅が突如として笑いだした。
 その姿を見たシキは、ぞわりとした悪寒が背筋駆け抜けるのを感じた。
「ふ、ふざけている。ふざけているわ。
 ……こんなはずではなかったけれど。まぁ、いいでしょう。
 どうせお前達は此処で死ぬのだから!」
 血走った眼で叫ぶ姿が、何故か負け惜しみとは思えなかった。
「そうだ、そこの化け物……そうよ、お前。教えてあげる。
 わたくしがここで何をしていたのかをね! さぁ、真似事しかできぬ滅びの獣どもよ!
 餌はここにある。貪り喰らいなさい、そして一つに融け合えばいい!」
 そう叫び、嗤笑を高らかに――そんな『魔種に吸い寄せられるようにして』終焉獣たちが集まっていく。

●終焉獣『ダイダラボッチ』
 ベヒーモスがその背中から小型のベヒーモスを生み出し、パンドラ収集器を狙って行動したことがあった。
 魔種の身体を貪り喰らうようにして、人型の終焉獣たちが一塊へと融合していく様はまるでその逆のようだ。
 人類のサイズなど遥かに遠く、辛うじて人型を取っている程度の巨人が咆哮を上げた。
 成り損ないのダイダラボッチ、無数の生き物の群れが一つの生き物へと生まれ変わった。
「仮定の一つではあったが、本当にそうなるとは」
 そう呟くは愛無である。
 懸念の1つに過ぎなかった事態、素早く判断すれば一気に終焉獣へと飛び掛かる。
 触腕による精密なる斬撃が終焉獣を両断――けれど。
「……む、あまり効いた気がしないな」
 ボロボロと零れ落ちた終焉獣の命を横目に薙ぎ払われた愛無は着地と共に呟く。
「身体を作っている分を切り離しただけになっているのか……」
「じゃあ、融合した終焉獣全部を倒さないといけないってこと? 流石にキリがないよ!」
 愛無の推測を聞きながら、スティアは振り下ろされたダイダラボッチの腕を抑え込む。
 巨大な滅びのアークが持つ純粋な質量は大きく、抑え込むだけで手いっぱいだ。
「――この!」
 腕の形を綻び、魔力障壁もろとも呑み干さんとするダイダラボッチめがけ、スティアは聖杖を叩きつけた。
「――聖なる神滅の刃よ、力を貸して!」
 世界の戒めから解き放たれた極限の輝きが蒼い光を伴い炸裂。腕の一部、終焉獣が消し飛んだ。
「……せめて、弱点みたいなものがあれば」
 アレクシアは全容を見るように終焉獣を見上げた。
 ゆったりと腕を上げたダイダラボッチの片腕がアレクシアに向かって降ってくる。
(……スティア君と私のことを確実に狙ってきてる?)
 此処にいるイレギュラーズはもちろん、イレギュラーズ全体を見てもなお指折りの堅牢さの2人を敢えて攻撃する。
 その挙動は合理的とは言い難い。
「もしかして、幻朧の鐘花の効果が残ってる? それなら……」
 巨人の足元へと展開された魔法陣より咲き誇る真白き神の花がダイダラボッチの動きを絡め取る。
「……やっぱり、いた! あそこ、巨人の胸の辺りに麗琅がいる! あれが核だったりしないかな!」
「やってみて損はないね!」
 もしもの為に温存しておいたパンドラの加護を纏い、シキはユ・ヴェーレンを握りなおす。
「……翠璃、大丈夫?」
 美しく花開く瑞兆の軌跡を言祝いだシキはふと違和感に気付いて翠璃の方を見た。
「……う、うん」
 唖然を絵で描いたように呆然と立ち竦んでいた少女が震える声で頷いた。
 シキはその背中をそっと抱きしめる。
「大丈夫、私たちがいるよ」
 小さな体を抱きしめて改めて伝えれば、翠璃が柔らかく笑った気がした。
「ありがとう……お姉さん」
 笑みを浮かべた翠璃が少しだけ手を握りしめて、覚悟を決めた様に風を呼んだ。
 何枚かの終焉獣が消し飛び、翠璃が短く「あ」と声を漏らす。
「……翠璃、おれ達が支える……するから、ね」
 チックは星海の詠唱を紡ぐ。
 旋律に因り燈された膨大なる魔力は星屑の海を作り出す。
 白鳥の燈したアリア、旋律はあり方を変えて無数の終焉獣を塗りつぶす。
「……お兄さん、ありがとう」
 そう言う翠璃の声は少しだけ落ち着き始めているように思えた。
「本当はもうみんなで逃げても良いのかもしれないけど……でもあれが奥の手ならあと少しだよ。頑張ろう、翠璃ちゃん!」
 焔もまた、チックに繋げるように翠璃へと笑いかける。
 巨大に変じた終焉獣は確かに恐れるべき存在に思えた。
「それに、ペルーダに比べたらちっとも強くなさそうに見えない?」
 焔の言葉を受けて、翠璃が目を瞠った。
 小さく笑って「そうかも」と短く呟く声を聞きながら、焔は裁きの炎を振り下ろす。
 終焉の獣たちの幾つかが焼け落ちていった。
「あれが嫌な気配の正体だったんだ……」
 ぽつりと祝音は声に漏らす。
 両手を広げるままに、祝音は魔力を練り上げていく。
「絶対にみんなでここを突破するんだ」
 手繰り寄せた掌握魔術、ピアノを奏でるような柔らかな指捌きに従い、不可視の魔力糸が巨人の足元を絡め取る。
 無数の滅びのアークが溢れ出し、零れ落ちた一部の終焉獣たちが世界へ還っていく。
 ちらりと翠璃の方を見る。
 ダイダラボッチの出現直後と比べて、その表情は明らかに余裕を取り戻しつつあるように見えた。
「悪影響とかがあるわけではないんですよね?」
 ユーフォニーの疑問に、翠璃はこくりと頷く。
「でも、こんなのが出るとは思ってなかったから……ごめんなさい」
「翠璃さんは私達を騙したわけじゃないんですよね?」
 そう謝る翠璃に笑いかければ、彼女はこくりと頷くのだ。
 それなら充分だった。ユーフォニーは魔法陣を展開する。
 三種の陣はそれら全てが異なる魔術である。
 万の彩色と美しき音色を奏でる術式が一斉にダイダラボッチを削り取っていく。

●幸福を知っている
 滅びの巨人との戦いは激しさを増している。
「……うん、やっぱり。まだペルーダや蠱竜なんかよりずっとマシ……これなら」
 翠璃がぽつりと呟いた。
「翠璃?」
 シキはその言葉に何か嫌な予感がした。
 今にも、消えてしまいそうなそんな予感。
「――ねぇお姉さん」
 くるりと翠璃がシキの方を見た。
 微笑むばかりの少女の瞳には覚悟が見えていた。
「私にはお姉さん達がいるって、あれ、とっても嬉しかったのよ。ずっとずっと、忘れないのよ――だから」
 それは別れの挨拶のようにしか聞こえなかった。
「――私が、隙を作ってあげるのよ。だから、お姉さん達、後はお願いね?」
「無理はしちゃダメだよ!」
 制止するアレクシアに翠璃はふるふると首を振った。
「ごめんなさい。お姉さん……でも……きっとここで無理を通すのが、一番なのよ」
 申し訳なさそうに言いながら、決意を堅く少女が言う。
 その視線を見て、アレクシアはどうしようもなく悟ってしまった。
(こんなことを分かりたくないけど、でも。分かっちゃうんだ……)
 目の前の少女の意志の固さが否応なく、ありありと。
「ふふ、次の本が読めなくなるのは少しだけ、未練かもしれないけれど。
 あの本があったから私、ここまでこれたのよ。ありがとう、お姉さん」
 言葉だけでなく、たしかな『物』を持っていたことは翠璃にとっては良いことだった。
 確かにその想いがあることを教えてくれたから。
「スティアお姉さん……約束、破っちゃうことになるのよ……でも、祈ってほしいのよ」
 翠璃は微笑むように呟いた。
「翠璃さん?」
「全部終わった後、私のために祈ってほしいの。お願い」
「……約束するよ」
 どこか縋るような声でそう言った少女へ、スティアは頷くしかなかった。
 その言葉を聞いた少女が、華やいだように笑う。
「でも、まだ私は信じてるから……次に会う時があるって」
「えへへ、ありがとう……本当に、ありがとう……」
「チックお兄さんも、ありがとう。心配してくれて……おかげで、私、翠璃として終えることができると思うのよ」
 チックへと振り返った翠璃がそう笑った。
『……君が、翠璃として在れる様に。支える……するから、ね』
 自分が言った台詞が蘇る。彼女の物言いは、やっぱりお別れの台詞だった。
 せめて少しでも、彼女の離別の台詞がそうでなくなってくれるように祈りを込めて、星海の詠唱を紡ぐ。
 旋律に因り燈された膨大な魔力が織りなす星屑の海が、戦場を呑みこんだ。
「足止めでのこるのなら、ボクは一緒に残るよ。
 こんな場所で、お友達を一人残して先に進むなんて出来るはずがないよ!」
 翠璃へと真っすぐに向き合った焔の言葉に、翠璃が目を瞠る。
「――ありがとう、焔お姉さん。でもね、違うの……足止めで残ったりしないのよ」
 そう、彼女は微笑んで言うのだ。
「一緒に、お城まで行けなくてごめんなさいなのよ。でも大丈夫、最期まで私はお姉さん達と一緒に戦うのよ」
 ふるると涙を誤魔化すように頭を振った翠璃の周囲には魔力が重なっている。
「……何をするつもりなの?」
 祝音は少女へと問いかける。
 その言葉が、表情が、何をしようとしているのかは明白に伝えている。
「翠璃さんも一緒に、全員で突破で……!」
 制止すべく、祝音は手を伸ばす。ふるふると、翠璃がそれを拒絶する。
「祝音お兄さん……ごめんなさいなのよ。それは出来そうにないのよ」
 魔術知識を総動員しても、目の前の少女が何をしようとしているのか、把握できないでいた。
 いや――違う。出来るけれど、したくなかった。
 際限のなく高まる魔力の質と出力、それは一人の生命体がベットできうる領域を超えている。
 出来ているのなら、その代償は命以外にあろうはずもない。
「……何をする気かは知らないが、必要なら盾になろう」
 そう言う愛無へ、翠璃は嬉しそうに笑った。
「でもね、お姉さん。盾よりも――もっと良いのがあるのよ。
 言ったでしょう? 私が隙を作るのよ。だから――」
「……デカい一発を撃ち込めと?」
 予測して愛無が言えば、翠璃は頷いてみせる。
「ユーフォニーお姉さんも、どかんって大きいの、お願いするのよ」
 そのまま翠璃が向けてきた視線に、ユーフォニーは咄嗟に頷いていた。
 目の前の娘の言う言葉の決意の固さはユーフォニーもよく分かる。
「私も……さいごまで一緒に行きたかったですよ」
「ふふ、ありがとう。その言葉だけで嬉しいのよ。お姉さん達のその言葉で、私はもう十分なの」
 どこからか、風が吹いていた。
 それは少女の周囲を取り囲み、竜の爪を思わせる魔力が少女の周囲に展開されていく。

●幸福な清風
「――そう……命を懸けるには、十分なのよ」
 小さく笑う声と、小さな体が滅びの眼前に立ち塞がった。
「翡翠も、瑠璃も、幸福を意味するんだって、お母さんが言ってたのよ」
 唐突な翠璃の言葉は柔らかなままだった。
「私は、幸運なのよ。幸福なのよ。だって、何もわからなくなる前に、お姉さん達の役に立てるから。
 もう怖くないの。だから、大丈夫――私に任せて」
 そう囁くような声がして、翠の風が戦場に吹き付ける。
「だって、ここには、こんなにも沢山の滅びのアークがあるのよ。……今だけは、魔種で良かったのよ」
 暴風のように激しく、鎌鼬のように鋭く、滅びの魔法を相殺した風と魔力が強大なる終焉獣の体を切り刻む。

 嵐はやがて優しく穏やか落ち着いていく。
 重苦しい曇天さえも嘘のように穏やかな空気が満ちて、最後には1人の少女を攫って凪いでしまう。

 文字通りの風穴を開いた終焉の獣は、中心に据えられた魔種の姿を露出する。
 明らかなる絶好の機会に、約束通りに愛無が動いた。
 感傷など柄でもない。
 飛び込むままに粘膜を槍状に伸ばして打ち出した。

『――君が望むならモラトリアムを続けることもできるのだろうがね』

 あの日、愛無の言った言葉に翠璃は答えを返さなかった。
 これが終わりなのだ。感傷は柄でもない――が、流石に愛無とて思う所はあった。
「約束だ――果たすとしよう。恐らく、君に悔いはなかっただろうけどね」
 槍状に伸びた粘膜が核たる魔種を穿つ。
 終焉獣の右半身が揺れ動く。
 開かれた風穴を新しい終焉獣で埋めるための時間稼ぎだろう。
「翠璃さんの命を無駄になんてさせるもんか!」
 スティアは魔力の出力をあげた。
 その身に銀翼の加護を降ろし、天義の聖女は前へ躍り出る。
 薙ぎ払うように描かれる腕の前へ、身体を曝け出す。
 それ以前に集めていた聖性への敵愾心は衰えていない。
 浴びせられる滅びのアークの只中で、スティアは膝をついて祈りを捧ぐ。
 聖華の輝きが滅びを受け止め、振り払う。
 間髪を入れず左腕が動く。
「こっちの腕は任せて!」
 刹那に動くアレクシアの妨害魔法が左半身からの薙ぎ払いを受け止めた。
「……翠璃、ありがとう」
 息を吐いたシキは涙ぐむ声を押し殺して剣をとる。
 大切な友達が作ってくれた道を踏みしめて、シキが行く。
「君は、これからもずっと友達だ」
 パンドラの加護による出力の上昇のまま、跳ぶ。
 アクアマリンの闘気を纏う斬撃が核を奪われまいと足掻く終焉獣を両断する。
 竜域の娘は咆哮を上げる。
「翠璃さんの切り開いてくれた道です、無駄には出来ません」
 ユーフォニーの周囲で無数に展開された万華鏡の如き魔法陣から複数の砲撃が一斉に放たれる。
 無限の万華が終焉獣の身体を更に焼き滅ぼし、核たる魔種だけが墜落した。
「ぐ……ゲェ」
 死に体の魔種が血を吐きながら起き上がる。
「げふ、馬鹿げてるわ……馬鹿げてる……自分の命をパンドラ側の為に使うなんて、馬鹿げてる……ふふ。
 無駄死にであったことを教えてあげる!」
「にゃー!」
 祝音の叫ぶ声にはたっぷりの怒りが含まれている。
 命を懸けてくれた少女を侮辱する女への、隠されぬ怒りが。
「絶対に、許さない……!」
 自分が出来る限り全ての魔力を、注ぎ込む。
 消費が増える? 知ったことか。
「お前を倒して、僕達は此処を突破する……!」
 全身全霊、あらん限りの魔力を籠めた無限の光がボロボロの魔種に痛撃を叩きつける。
 チックは青白い灯が宿るカンテラを吊るした杖を掲げ、少しだけふるふると振った。
「……翠璃、『またね』」
 揺らめく明かりが星屑の瞬きを残して舞い散っている。
 彼女の命が彷徨えることがないように、導きのカンテラは揺れる。
 その涯てに辿る眠りが安らかであるようにと。
 チックは旋律を紡ぐ。別れを惜しむような歌は、魔種の心を貫くだろう。
 血反吐を吐きながら翠璃への怨み事を吐く女に、突き刺さるほどの良心があるかは知れない。
「ごふ……ふ、ふふ。良いでしょう、認めます。わたくしの負け、だと!」
「逃がさないよ! 翠璃ちゃんとの約束は、最後まで一緒、だから!」
 その言葉を真実にするように、焔は燃える。
 目の前で起きたことへの感傷を抱いている暇はなかった。
 音速を越えた刺突は魔種の身体を貫き――瞬く間に滅びのアークの形で霧散させた。
 核たる魔種を失った成り損ないが綻びて零れ落ちる。それはもう二度と1つに集まることはなかった。
 積み重なったパンドラを嫌うように、アークの塊たる獣たちは雲散霧消、雲の子を散らすように散っていく。
「翠璃君……」
 アレクシアはふと懐を見る。痕跡さえ残さず消えた少女が此処にいた痕跡は、一冊の本しか残っていない。
 自身が預けておいた本が、ここまでの道のりに同行してくれた少女の存在を忘れないように知らせてくれる。
(……あれ? こんな栞、持ってたっけ)
 本の真ん中に落とされないように大切に挟まれた一枚の翡翠色の栞。

 ――お姉さん達のおかげで、私。すごく楽しかったのよ。ありがとう。

 たった一行の小さなお礼の言葉が綴られていた。

成否

成功

MVP

シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)
私のイノリ

状態異常

なし

あとがき

竜に無意味に殺されかけた娘はたくさんの思い出と一緒に風に攫われて消えました。世界の敵になった存在としては幸福な生涯だったことでしょう。
お疲れさまでしたイレギュラーズ。

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