シナリオ詳細
<ネメセイアの鐘>玉屑に跪き
オープニング
●『eraser』
神様は残酷だ。万人に齎されるのは無償の愛などではない。
いのちの海より、一歩でも踏み出せば汚泥に塗れ、先さえ見通せぬ冠雪が隘路に積もり聳え高き塀となる。
泥に塗れ、雲脂と垢だらけの体で、それでも生きていく為にと誰かを蹴落とす人間の浅ましさ。
餓鬼がそうするように、無数のいのちを貪り渓へと落とす悍ましさ。門の隙間から見たあの石畳と美しき街並み。
憧れは焦燥に変わる。抜け出さねばならぬと足掻いた脚は崖にへばり付いた無数の指をも傷付け落とした。
誰かの叫声など、疾うの昔に聞こえやしない。雲雀が歌った、美しい聖歌と祈りの鐘の音色だけを聞いていれば良いのだから。
――そんな空間で少年は足掻いてきた。
一度は放り捨てたいのちだった。何時殺されるかも分からないと身を寄せ合い過ごしてきたイレイサ (p3n000294)はイレギュラーズに光を見た。
夜に救いを見出せば来るのは明日(あさ)だった。
暁雨の下に、伸びた影から手を離したあの時に決意をしたのだから揺らいではならなかった。
梅天の空。イレギュラーズが一度教えて呉れた優しさに、首を振った。
繊月の下でその人達が、この都市を救済しようとしていると知った。正義なんて、イレイサはこれっぽっちも信じちゃ居なかったけれど。
万人を救うなんて出来やしないと知っていた。
苦しみ、足掻き、それでも立ち上がれる人間が一握りだとも知っていた。
もしも自分がイレギュラーズに、シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)やココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)に出会えてなければアドラステイアの子供達と同じように昏い眼をして平気で誰かを殺していた筈だ。
人を殺したこと位、ある。生きる為には仕方がないと割り切らなければならない劣悪さ。
その延長線上に『アドラステイア』はあった。
「―――――サ」
ふと、イレイサは顔を上げる。目の前にはプリンシパル・アウセクリスが立っている。
「イレイサ、大人の儀はもうすぐだ」
「……ああ」
頷いてからイレイサは自身がお守りと武器代わりに持っていた短剣を見下ろした。
喧嘩殺法としか呼べぬ馬鹿みたいな戦い方も、ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)に習えば良くなるだろうか。
ああ、そういえば、ゼノビアはベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)たちとちゃんと外へと出ただろうか。
無茶をしそうなガラテヤの光を連れ出してくれただろうとは思うけれど……。
無茶。
それはお互い様だ。自分だって、死は何時だって隣り合わせだった。
明日食う物さえ知れない。惨たらしく獣の糧にされても仕方がないような環境で育った。
それでも。
――生きておくれよ、全てが終わったその先も。一緒に生きよう。
そして家族として、一緒にザクロを迎えに行ってくれないか。
約束をしたから、生きていたかった。
成人の儀式の為の祭壇はもう近い。まるで、それは処刑台のようで。
●ガラテヤの光
痛烈な論調は、淀むことはなく。停滞を怠惰の罪だと断言する乙女は「行きましょう」と議場のテーブルを叩く。
ゼノビア・メルクーリは「今こそが大罪を断罪するときなのです。神の御名の元、遂行者となるべきでしょう」と叫ぶ。
独立都市アドラステイア。
赦されざる悪とされた魔種の凶行に甘んじ、『凶星(アストリア)』の輝きをも内在した天義中枢へと反旗を翻した聖職者達が作り上げたとされる新興の神を祀る宗教都市。表向きには孤児達を保護し、新たな神を信ずる路を開いている――が、その実情は劣悪そのもの。
信ずる神は奇異なる存在であり、人の命をも惨たらしく捕食するかの如き異教。
高き塀に阻まれ思うように捜査をできずに居た聖騎士団が調査に乗り出したのは『国境線』にアドラステイアの戦力が割かれているからであった。
「今ならば中層に聖騎士の拠点を置き、下層の子供達の保護活動にも向かえる可能性もある、か。
確かにそうだな。……上層部にまで攻め入り、諸悪の根源を撃破することが叶えばあの都市を掌握できるだろう」
「諸悪の根源……『ファルマコン』と呼ばれた神と始めとする大人だね」
ベネディクトはシキへと頷いた。人を、異形の怪物に化してしまうイコルの供給は減少し、その代りに急激に人を『聖獣』と化す儀式が行なわれているとココロは聞いた。
手を拱いていられないのはその儀式にココロやシキ、ベネディクトとブレンダと共に中層調査へと赴いた聖銃士が呼ばれたと耳にしたからだ。
「ゼノビア、大人の儀については何か聞いているか?」
ブレンダの問い掛けにゼノビアは頷いた。脱出経路の手引きを行ないながら潜入捜査を得意とした『探偵』達から詳細を聞いたのだという。
「上層部に幾つか儀式を行なう聖堂があるのだと聞いています。
向きは全て中央の鐘塔を向いています。……鐘塔に赦されざる悪たるファルマコンが座すのでしょう。
ファルマコンの血液を注いだ聖盃はイコルの製造と同じように作り上げられているそうです。薄まっても居ない純粋な血液。それを体内へと摂取し――」
大人に何て、なれるわけがない。
その先に待ち受けて居るであろう結末は言葉にされずともブレンダには良く分かった。
大人の儀は聖獣を作り出す為の手段だ。その儀式にイレイサが呼ばれた。彼が潜入している『子供』であるのがプリンシパル・アウセクリスにばれたと推測できた。
「その儀式は イレイサだけ?」
問うたコラバポス 夏子(p3p000808)にゼノビアは首を振った「いいえ、沢山の子供達が導入されるでしょう」
「……その理由は?」
「それだけ、窮地だからでしょう」
やれやれと夏子は肩を竦めた。
「その儀式からイレイサを救い出さなくちゃ……。生きててって約束したんだ」
シキは静かな声音で、そう言った。
「そうですね。それに、上層へと踏み込めばファルマコンの喉元まで刃を届かせられるかも知れない」
ココロの研ぎ澄ませた決意は、全てを救う信念の刄でもあった。
- <ネメセイアの鐘>玉屑に跪き完了
- GM名日下部あやめ
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2022年12月17日 22時21分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
サポートNPC一覧(1人)
リプレイ
●
人は、どうやって死ぬのが幸せなのだろうか。
時折考えることがある。誰かの心に残り、その人を傷付けて死ぬ事だけは避けたかった。
ああ、こうなるならばあの人達に嫌われる自分であれば良かったのに。一歩、踏み出す度に脈が速まった。心が叫ぶ。息が苦しい。
イレイサ (p3n000294)の膝は笑っている。砕け落ちてしまいそうな体を律して進む。
「進みなさい」
マザー・ファルカの声が聞こえる。
「何を戸惑っているのですか。名誉なことではありませんか? プリンシパル・イレイサ」
ティーチャー・ルチルは赤ら顔で叫んだ。
頭は予想以上にクリアで、澄んだ空気を求めた肺は心地の悪い空気を拒絶するように胃の内部から混ぜっ返す。喉奥から滲んだ気配を堪えるようにイレイサは祭壇へと脚を掛けて――
コーザリティア聖堂の扉が勢い良く弾け飛んだ。砂埃と共に扉の破片とぶつかった衝撃で駆けた長椅子が散乱する。
「ッ、はあ!」
大きく吸い込んだ息を吐き捨てて『星月を掬うひと』フラーゴラ・トラモント(p3p008825)はライオットシールドに張り付いた塵を払うように振る。
姉弟子、『目を覚まして!』ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)が張り切っている。駆け出す脚はただ直向きに。かんばせに貼り付けた決意に揺らぎはない。
「イレイサさん助けに来たよ……!
……イレギュラーズのために盾になるとか、死ねるとか思っちゃ駄目。
イレイサさんはイレギュラーズが死んだらきっと悲しい。それは逆も同じ。ワタシもイレイサさんが死んだら悲しい……!」
「フラーゴラ……?」
呆然と見開かれたのは曇天の色の瞳。鮮やかな月と空をその人実に飾って、ふわりとした雪色の毛並みを揺らした少女は鋭く聖堂の内部を睨め付ける。
祭壇には塵芥が転がり、大人の儀の聖なる空気も崩れ去る。唐突なる乱入は突飛もない程が良い。
一人でも多く助けるためならば、早さが重要だった。展開された魔術障壁は悪魔をも却け屠る剣を握る少女を援護する。
星の如き燐光、師の術より学んだ閃光が上部のステンドグラスを散らす。光の軌跡を描き落ちてくる硝子の雨の中、『八百屋の息子』コラバポス 夏子(p3p000808)はキシェフのコインをちらつかせながら軽槍を振り翳した。
「キシェフ欲しい子 寄っといで~ プリンのなっちゃんでーすよ~」
何度も何度も、この地に訪れて気付いた。この都市の子供達は本当にただの子供だった。
親の愛情に餓え、善悪の区別さえ付かない言われたままの子供。泣きじゃくり、言われるが儘に疑いもなく迷いもなく人を殺す。
そんな子供達に罪を重ねさせる事など、最早許せなかった。誰がどうであるなんて問題ではない。夏子自身がアドラステイアを壊したいと願った。
周囲の子供達を巻込むように自身への注目を集める。さあ、このコインのために何れだけの人を殺したか。外に出れば唯の我楽多、この世界では何よりも価値のある配給品の鉄くず。
「キシェフ……」
呟く子供の声音は瞬く間に光の海に飲み込まれた。『浮遊島の大使』マルク・シリング(p3p001309)の指先から走った神聖が光解け、目映さに飲み込んだ。
「子供を聖獣という化け物に変えて戦わせる……そんなものが儀式であってたまるものか。
その子供達の生を、将来を奪う行いを、『大人の儀』などとは呼ばせない!」
命を愚弄する行いを、彼は許すことは出来ない。一気呵成に攻め入って、場を混乱の渦に巻込んだ。荒れ狂う波濤を思わす勢いは渦中の者達の意識を外に向けるに適している。
「何をしているのですか! 早く!」
声を上げたティーチャー・ルチルにはっと意識を取り戻したようにアウセクリスが剣を引き抜いた。その手首を強かに打ち付けたのは小剣。
「ッ、」
「申し訳ないがこんなふざけた儀式は邪魔させてもらう。君の相手は私だよ」
黄金の魔導式がきゅるりと蠢いた。『導きの戦乙女』ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)の放つ一射。修羅媛の希は、唯直向きに一人の少年を救うためにラプソディ。
「イレイサの危機とあれば駆けつけぬわけにはいくまい。
こんな時になってしまったが頼りになる大人、というものを見せてやろうじゃあないか」
「ブレンダ……」
少年が手にした短剣と同じ。いつかの日、お守りと投擲されたその剣の術は少年にとっての憧れだった。
ブレンダも此処までは彼に見せたことがある。だが、本当に戦う姿は未だ見せず。ここから先が女の積み上げた研鑽の証だった。
流派と呼ぶほどに高尚なものではない。ただ、ブレンダ・スカーレット・アレクサンデルが少年イレイサに見せる戦い方は苛烈であればある程良い。
その背中を見て、前へと進め。少年が、崩落ちてしまわぬように。
●
すべてを救い出すことなんて、できやしない。それは良く分かっていた。
アドラステイアの子供達は、誰もが救いを求めている。その差異はあれど、誰の庇護にも置かれずに歪んだ愛情の微温湯に浸かった子供達。
彼等に手を差し伸べれば綺麗事だと嘲笑われる。手を払われる。偽善者だと、叫ばれる。
だが、それは悪い事なのか。それを求める事を少なくとも『黒き葬牙』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)は罪と呼ばない。
だからこそ――戦おう。アドラステイア、歪んだ神の住処に礼儀作法も何もかもが必要ない。
「イレイサ!」
黒き狼の槍は、牙のように研ぎ澄まされた。青年の背後より顔を見せたゼノビア・メルクーリは「ああ、なんてこと!」と悲痛なる声を上げた。
「神を愚弄せし行いを遂行せんばかりか、尊き神の鉄槌をも否定するというのですか!」
頭を抱えた彼女が暴走せぬようにベネディクトは警戒を寄せた。彼女は強き信仰の代弁者だ。それ故に、その怒りも悲しみも神への冒涜だと憤る全てが彼女を構築する要素である。そうした苦悩さえも原動力ではあるが、箍が外れれば何が起るかはわからない。
「神を愚弄するのは何方か。我らがファルマコンの望みをも否定するというのですか」
マザー・ファルクは「行きなさい、トーマス」と叫んだ。名を呼ばれた少年の脚が震える。悍ましい程の恐怖が少年の肌を伝い蛇のように張った。
安全地帯の我が家。麗しきオンネリネンの『家』が壊されていく恐怖。大人になれば、護れるはずだったいとしいひとの恐怖に歪んだ表情に、戦う事も忘れて呆然と立ち竦む。
「ぎ、儀式を」
慌ただしく盃を拾い上げようとするティーチャー・ルチルを一瞥してから『可愛いもの好き』しにゃこ(p3p008456)は信じられないと声を上げた。
「しにゃより年下の子もいるじゃないですか!
もっと楽しい青春を送れるかもしれないのに自我も怪しい化け物にするなんて! 純粋な子供を洗脳して良いように扱う悪い大人は許せません!」
「そ、そんなことして居ないでしょうに。神の血を飲む事が何れだけ誉れか!」
声を上擦らせたティーチャーになど興味は無く『しにゃこラブリーパラソルちゅー』を勢い良く振り上げたしにゃこはぱちりとウィンクを飛ばした。
「超絶美少女天使しにゃこちゃん参上! 本物の天使は此方ですよ! なんちゃって☆
バカバカしいって!? こんな非道な儀式とどっちがナンセンスですかねぇ!? ほら、割れたステンドグラスの代わりにしにゃはどうですか?」
放たれたのは超新星大爆発。全てを見通し、儀式を急げと叫ぶティーチャーの元に向かわぬように、子供達を巻込んだ。
子供達を惹き付けるマルクや夏子を巻込まないように。その目は全てを見通して。
(この場所での戦いは、いつも辛くて悲しいものになるのだわ。
彼等だって、自分自身は信じる良い物の為に戦っているつもりの筈なのに……。
それが、なぜこんな悲しい儀式に行き付いてしまうのかしらね。せめて、私の小さな手で届く範囲だけでも救う事が出来れば……)
割れたステンドグラスの破片をぱきり、と踏み締めて『嫉妬の後遺症』華蓮・ナーサリー・瑞稀(p3p004864)は手を組み合わせた。
視線の先にはイレイサと、武器を構えたハルメにトーマスの姿が見えた。『優しき咆哮』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)はまだ無事に立っているイレイサの姿をその眸に映した。
「イレイサ――」
彼へと手を伸ばすために。ハルメとトーマスを却けなくてはならないから。シキと華蓮の動きを確認してから『蒼輝聖光』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)は頷いた。
「大人達の勝手な都合で聖獣にしようとするなんて許せない。
こんな儀式なんてめちゃくちゃにしてあげる! 誰であっても聖獣にさせる訳にはいかないから!」
砕けたステンドグラスに傾いた祭壇。聖杯は毀れ落ち、『めちゃくちゃ』な有様になっても尚も続行を求めるティーチャーやマザーの元へとスティアは飛び込んだ。
神様は残酷だ。それ位は疾うの昔に知っていた。それでも、打ち破れない試練は与えられない。
神は十全。だからこそ、神は時折人を試す。生きる為の力を、生きとし生けるもの全てに授けるために。
一人で駄目なら。
「皆がいる。皆の力で――私達がイレイサくんの力になるよ。だから最後まで諦めないでね。
ねえ、イレイサくん。無事に蛙って約束したよね? 帰ったらメアリちゃんやソマリちゃん、シュン君にも会うんでしょ?
だから頑張って、絶対に上手くいく!」
スティアの保護したイレイサの小さな家族たち。家族だった、仲間達。さいわいあれ、と送り出した彼等の笑顔をもう一度見たかった。
「……うん」
頷いてイレイサは身を守るように武器を構えた。振り向いたアウセクリスが叫ぶ。
「イレイサァッ! 神を愚弄するつもりか!」
「……どっちがだよ」
吐き捨てた少年には未だ届かない。各々が、各々の立ち位置で一気にこの場を制圧する為に動き出した。
意図する乱戦。マルクはマザーやティーチャーと子供を遮るように己の身を盾とする。アドラステイア外周の壁を思わすように、堂々と立った青年の法衣がはためいた。
「どいッ――てェ! 行こう、トーマス。家が壊される!」
春めく眸に、柔らかな緑の髪。結わえたリボンは儀式に出席するためにマザーがくれたものだった。
ハルメはマザーが大好きだった。ファミリーネームを持たない、ただのハルメ。親も兄弟も、なにもかもが居なかった彼女にとっての家。
「やあハルメ。久しぶりだね。君の家を侵しにきたの、ごめん。君の友達とこれから戦うよ、ごめんね。
でもどうか。君が今感じている感情だけは、大切にしていてほしいんだ。
君が大人の儀でなにを感じたのか、何を思ったのか。どうか……それだけを答えにして」
「ハ、ハルメは」
震える少女の途惑いにシキは確かに気付いて居た。彼女は、この地を愛している。それは屹度、家族だから。
家族。そう呼べる関係性と愛情がシキには眩しかった。有り得ない未来を模索するように、彼女は屹度求めていたから。
「ハルメは、お母さんが好きで……トーマス、トーマス! やだ。ハルメたちの家が!」
「あ、ああ。ハルメ……!」
そんな彼女が好きだった。トーマスは走り出したハルメを護るべく地を蹴って――盃が遠い。
「では悪いけれど……お相手してもらうのだわ。暫くは私にかかりきりになって貰うのだわよ」
恐み恐みも白す。神罰の代行者は弓を番える。
稀久理媛神の加護の一端は巫女のその身に害なすものを遠ざける。優しき巫女の翼を導く微かな追い風がトーマスの鼻先を擽った。
視線の先に彼女が立った。トーマスは握る銃剣に魔力を奔らせる。
「ハルメを、傷付けるな!」
こんな場所でだって、誰かを愛する事が出来た。こんな場所でだって、大切なものができた。
だからこそ少年トーマスは聖獣と成り果ててでも、彼女を守る力が欲しかったのだ。
「……トーマス? っていうの?
ハルメを守りたいなら聖獣になるんじゃなくて、無理矢理に大人になるんじゃなくて、君自身の頭と心で考えて、ゆっくり一歩ずつ大人になろうよ」
「そうやって待ってるだけの時間はないんだよ……!
家(アドラステイア)を愛するハルメを護る為には今、直ぐに力がなくっちゃ!」
少年は溺れているかのようにぜいぜいと息を吐出した。相当の無理をしてでも戦うと決めた彼を真っ直ぐに見詰めて華蓮は微笑んだ。
「……大好き、なのね」
その感情に共感した。その心に、その瞳に、その体に、何時だって情熱が燃えていた。じりじりと差し迫る熱を帯びた感情を華蓮はよく知っていた。
柔らかな蜜色の髪を揺らして、白い翼をはためかせてから彼女は指先に魔力を奔らせた。
不器用な恋心をとくとご覧あれ。その悪意は命を奪う事も無く、慈悲を帯びるわけでもない。ただ、只管に熱い。感情の色帯びた。
ハルメにはまだ聞こえていない。ハルメはシキと睨み合っている。トーマスはぐ、と息を呑んでから華蓮を見据えた。
「そうだよ。好きなんだ」
まだ、彼女には言えないその言葉を唇に乗せて。
●
アドラステイアを『家』と呼んだ子供達。端から見れば凄惨な現場に身を置き、汚泥を浴び人の死の傍らに佇み続ける。
それでも尚も、彼等にとっては家族だった。周りに助け出そうとする手が無かったからこそ、自分が護らなくてはならないとそう決めたのだろう。
その気持ちをベネディクトは解らないわけではなかった。
「はあ!」
不器用な程の太刀筋。ベネディクトから見れば遅いとしか感じられない一閃を放った『針水晶(ルチル・クォーツ)』
儀式の同行者であった彼等もこの場所に身を寄せなくては生きていけなかったのだろう。
「どうして、そこまで此処を」
「アドラステイアは僕らにとっての家なんだ!」
まだ幼い少年だった。伸びきった黒髪を一つに纏め、くっきりと左瞼に走った傷が痛ましい彼は震えを抑えてベネディクトへと躙り寄る。
「外の大人なんて、僕らを玩具だとしか思ってない! ここなら、子供しか居ない此処なら『断罪される魔女』以外は仲良くやっていける!」
「そ、そうよ。イチの言う通り!」
イチ、と呼ばれた少年に追従したのはふわふわとした綿毛のような白髪の娘だった。ぎゅうと握りしめられたのは大人の儀で使用されていた儀礼用短剣。慣れない武器を拾い上げてでも尚もベネディクト達をこの場から追い出そうとするのか。
「外に辛いことがあったのだろう。恐ろしいことだって、あったのだとは思う。だが、大丈夫だ。
このアドラステイアだけが選べる場所じゃ無い筈だ。その他の選択肢を俺が示そう。君達が選び取るために――コレは我慢比べだ」
戦い抜こう。槍の穂へと打つかった短剣。鈍い衝突音を跳ね返せば細腕は撓るように簡単に跳ね上がった。
命に対する余りに軽い認識。此処で死んだって構わないとでも言う様な――まるで、祖国を守るための絶対的な戦争を行なうような。
(……ああ、そうだ。分かるさ。死に物狂いでも護りたい場所があることくらい、嫌でも)
故郷を。祖国を。そうやって護らねばならなかった時は誰だって我武者羅になるものだ。その命を捨ててたって、誰かが生きてくれたら良い。
ベネディクトは解りながらも少年の隙を付き苛烈なる一撃を放った。慈悲の気配を帯びた狼の牙は命までもは奪わない。
「イチ!」
叫ぶ少女が青年を睨め付けた。何方が悪役であるかなど分からぬような光景に、ベネディクトは肩を竦める。この子供達は利用されている。
彼等の心の根幹を解きほぐすために必要なのはスティアが相手取っているマザーとティーチャーなのだろう。
(誰かが誰かを守る為に犠牲になって、また何時か守られた者も誰かの為に倒れるのだとしたら。
それは余りにも悲しい事だ。守る者も、守られる者も共に生きる──その未来を、今更でも……遅かったと言われようとも、切り拓こう!)
その決意は、言葉にせずとも槍の穂先に乗せられた。
舞い踊った天使の羽根。周年に展開された術式に、護りの加護を籠めた指輪が首でちゃりと音を立てた。
紡いだのは福音。鐘塔の響きよりも尚、鮮麗に奏でられたそれはマザー・ファルカとティーチャー・ルチルの視線を奪っては仕方が無い。
「どうして邪魔をするのです!? 彼等は大人になろうとしているのに」
「大人……? 神様なんて偽った化け物の血を飲ませることが大人だって言うの?」
スティアは鋭い語調でそう言った。艶やかな真昼の月。その澄んだ色彩をも思わせた長い髪が揺らぐ。無垢なる思いこそが、彼女にとっての魔素。
巡るそれらは誰かを癒やすためにある。命を救うからこそ、命を奪う事は許せなかった。
幼子の元へと血を運ぼうとするティーチャー・ルチルを遮ってスティアは背中越しに子供へと声を掛ける。
「貴方達はこの場に残って聖獣になることを是とするの? それが嫌だと言うのなら私達が守ってあげる。
今までの私達の戦ってきて信じてきてもいいと思えるならこの手を取ってくれないかな?
今はまだ信じられないと言うのならこの戦いで示してみせる! 誰も死なせないし、誰も殺させやしない!」
そろそろと手を握りしめた小さな子供。ああ、この子の未来にさいわいあれかし。そう願わずに入られまい。
意識だけを奪えば、その命は助ける事が出来ると瞬く神聖を放ったマルクやしにゃこ、フラーゴラが助けようとする命を蔑ろにするティーチャーの思惑をスティアは赦しておけなかった。
混戦状態でも惑うことなく相手を見定められたのは出来うる限りの数を減らすことに注力したからだった。フラーゴラは自身を盾として朽ちず、果てず、あり続ける。そうする事こそが正しい在り方だと、分かって居たから。
「どんな大人になりたいん、君達」
手を伸ばそうとしたマザーに気付き夏子は兎に角、その行動を阻んだ。炸裂した音、続き苛立ちだけが滲む。
「家族売らせたり 人間辞めさせたり ってのは 大人がガキにする事じゃねぇんだ。
ガキって呼んで不愉快かも知れないケド、聞かせて欲しいな どんな大人になりたいん 君達」
「どんな……」
子供達の惑いが、僅かな隙を作り出す。地を蹴って吼えた聖獣様から逃れるように聖堂の椅子に隠れて走るフラーゴラは鋭くその隙を見定める。
化け物。そう呼ぶしかない存在は、理性など無いけだものだ。それの何処に神聖さが籠もっているというのか。
「ああなったらオシマイ もー人でも何でも無い アレがいいの?」
「『なっちゃん』! どうしてそんな酷い事を言うのですか? ハルメ達は同じくファルマコンを信仰して……して……」
驚いたように叫んだハルメに「ど、どうしたのだわ」と華蓮は肩を竦める。潜入捜査の際に接触していた夏子はプリンシパルを名乗っていたからなのだろう。
「ハルメ、彼の言うとおりだ。聖獣になった者は戻れない。化け物になって将来を閉ざすことが、本当に『大人の儀』と言えるのかい?」
「だ、だって……それでも、此処はハルメの家なんですもの……」
マルクに問われてハルメはぎゅうとスカートを握りしめた。可愛いリボンを結んでくれたマザー・ファルカ。
大人になるための用意だととっておきのワンピースだって卸してくれた。なのに。
「ハルメは、おかあさんが大事ですのに」
「そう、そうよ。ハルメ。『お母さん』を信じなさい!」
母なんて、嘘っぱちだ。マルクは唇を噛む。諦めたくはない。可能な限り命を救うと決めてきたのだから。
「ハルメ」
「言わないで! いやです。ハルメはお母さんを信じているのだもの!」
頭を抱えて駄々を捏ねて泣いたハルメへとマルクが手を差し伸べる。
「オンネリネンとして国外に出征した子供達を、僕らはもう何人も保護してきた。
世界はね、もう少しだけ優しくなれる。少なくとも君達に、奪い騙し密告をしなくても、住む所と温かい食べ物を与えられるくらいにはね。
――本当に誰かを守りたいと思うなら、誰を頼るべきかを考えてほしい」
跪いたハルメに気付きマザー・ファルカは苛立ったように叫んだ。スティアへとティーチャー・ルチルを押し遣って、その指先には魔術の気配が走る。
「この馬鹿娘!」
「ヒッ、お、おかあさ――」
頭を抑えて、抵抗も戦う事も出来ないハルメへと魔力の弾丸が迫る。トーマスが叫ぶ声が聞こえた。ハルメ、と呼んだ華蓮は手を伸ばす。
ああ、それでも。
届かない。もう少しなのに。
お願い、かみさま。あの娘を護って。
「言ったよなぁ赤毛の少年 人助け精神ってのは ……護るってのは こうやって 自分の意志で だぁ!」
槍が軋んだ。魔力の弾丸を撃ち返し夏子が吼える。へたりこんだトーマスは驚愕の儘、マザー・ファルカを眺めているだけだった。
●
アウセクリスと戦うブレンダはイレイサへと言った。
――私がイレイサに教える剣の第一歩。まずは私の戦う様を見ていてくれ。
私たちは君を助けに来たんだ。だから自分からその命を無為にしようとはするんじゃあないぞ。
剣の師と仰がれることは何とも不可思議な心地だ。それでも、彼我僧だと決めてくれるなら。
(――プリンシパルと言えども、命を奪いたいわけではない。殺さず、しっかりその命を繋がねば。
ああ、それも私が勝てばの話だが……いや、イレイサも見ているんだ。必ず勝つさ。かっこいいところを見せないとな)
形の良い唇に淡い笑みが浮かんだ。二剣を握る指先にも力が込められる。
運命が間違わなければここにはいなかった。不吉と幸福がその傍で嘲笑う。
奏でるセレナーデを受け止めたアウセクリスの表情が歪む。
「ぐ」
奥歯を軋ませてブレンダを押し返した剣は欠け、不格好な疵を残した。それでも、アウセクリスは留まらなかった。
美しいセレナーデは命を零す。ブレンダの体を走り抜けた激痛は赤き軌跡を零した。
命が毀れ落ちようとも、此処で挫けるわけには行かない。無碍に命を投げ出すな、そうするのは『大人の役目』なのだから。
フラーゴラは口腔内でミラクルキャンディをころりと転がした吹いた慈愛の息吹がブレンダを抱き締める。
「……子供達は、もう、大丈夫!」
気を失った子供達。彼等を護りながら聖獣を相手にフラーゴラの焔が咲き綻んだ。
弾けた華に、続け超新星が爆発する。しにゃこラブリービックバン、その恒星の輝きを抜けベネディクトが聖獣と肉薄した。
「まるで、唯の獣じゃないか……!」
「これが、本当に『人』だというのですか」
胡乱に呟いたゼノビアに「ああ、だからこそ、赦しては置けない」とベネディクトは告げる。
ゼノビアの眸に滲んだ憤怒は、神への冒涜を赦さずと叫んでいるかのようである。
ココロは「抑えて、ゼノビアさん」と静かに声を掛けてから、真っ直ぐにティーチャー・ルチルを見詰めていた。
必ずしも其れ等を抑えなくてはならないから。星の如き燐光は、はらりはらりと光を落とす。
この地が闇だというならば一筋の流星よ――どうか、この地に光をもたらし給え。
共に笑える未来があれば、それはどれ程美しいだろう。華蓮はそう願わずには居られない。
ハルメは戦う気力を失った。それでもトーマスは粘り強くイレギュラーズの前に立っている。
――ハルメを、護らなくてはならない。
「トーマス君は良い子ですねえ。ハルメちゃんを護りたいんですもんね!
全てが終わったらしにゃのオススメスイーツを鱈腹食わせる拷問にかけてやります、げえへっへっへぇ」
可愛らしくデコレーションを施した傘を歴戦の射手がそうするように構えてからしにゃこの眸がきらりと輝いた。
標的は少年――ではなく、その背後の聖獣。
「ッ」
ひゅうと風を切る音と共に聖獣の肩口を穿った弾丸。しにゃこは真っ直ぐにトーマスを見詰めていた。
「あんな理性の無い獣になって本当に彼女を守れるんですか?
しにゃ達を退けて、その後は……誰がハルメちゃんを守るんです!? しにゃ達は貴方達の仲を引き裂いたりしません!」
「仲を引き裂くって」
「トーマス君はハルメちゃんが好きなんですよね!? だから護りたいんですよね、なら、分かるでしょう。どうするべきか!」
しにゃこは正面切って彼へと声を掛けた。ふわりと揺れた桃色の髪の僅かにナイフが掠めた。乱戦状態で、アウセクリスがブレンダに叩き込んだ攻撃が此方にも被害を及ぼしたのか。
しにゃこは「ほら、こうなれば誰が生き残れるかわかりません。それでも、いいんですか!」と叫んだ。
「そうだよ。聖獣は人の言葉が話せない。好きだって、大切だって、そう言えなくても後悔しない?」
「トーマス……」
ココロの真摯なその言葉。彼女の言葉が降る、恋時雨は何時だって暖かに身を包んでくれるべきだから。
ハルメはトーマスを見詰めていた。
「それでも、どうやって生きていけば良いんだよ。ハルメを護る為に、此処で力をつけなくて、外では大人が怖いんだ!」
踏みとどまった。ココロはそう感じた。彼女達が、生きていたいと願ってくれれば救う手を伸ばすことが出来るから。
「我々は何人もガキ共保護してる。ココとは違って誰も密告しねぇし。食うに困らんし戦う必要もねぇんだ。
バケモンにもなんねぇからガキらしく、さあ!
大人はガキを助けるモンだ 助けさせてくれよ お前等だってそうじゃないんかよ!」
夏子が叫んだ。華蓮はトーマスへと手を伸ばす。共感してしまったから。何時か、一緒に笑える日が来ることを願わずには居られないから。
「大好きな誰かを護りたい……その為に力が欲しい。知っている…その気持ちを私も良く知っているのだわ。
その気持ちは、とっても尊いものだって私も思ってる。
でも、そんな一足飛びに力を得るんじゃない……もっと良い手段はないかしら? この戦いの間だけでも、少し一緒に探してみましょう?」
――これからがあるなら、どうかこの手を取って。
差し伸べた手にトーマスは「教えて、助けて」と涙を流した。
「分かりました。私達に任せて」
ココロの光が、一筋の軌跡を残す。
「ッ、わたしは逃げます!」
「ファ、ファルカ。お前!!」
踵を返したファルカを追い縋るように振り向いたルチルへとマルクの放った聖なる光が包み込む。
引き寄せ続けたスティアがよこしまなる空気を払う。澄んだ気配はすぐにでも心地悪い生ぬるい風に巻き返された。
無数の光の雨。ココロと、マルク。その光を受けてティーチャー・ルチルは最早言葉は紡ぐまい。
ブレンダの剣がアウセクリスの頸筋に宛がわれた。
「殺さないのか」
「殺さんよ。殺す意味も無い。無用な殺生は望まない」
首を振ったブレンダを押し退けるようにアウセクリスはふらりと立ち上がった。
「お前達の所になんか、行くもんか」
その否定の言葉にブレンダは剣を構えたまま、一歩下がった。ふらり、ふらりと壊れた祭壇へと近付くアウセクリスは笑う。
「ああ、ファルマコン、どうか今一度貴女様のために戦う力を――」
「あなたにとってファルマコンとは何? なんでずっと信じていられるの? 疑う気持ちはないの?」
撤退を促されるアウセクリスは真っ向からココロへと向き直る。
「ないよ」
端的な返答に「どうして」とココロは上擦った声で問うた。ジェニファー・トールキンを救う手立てが、其処にあれば良いのに。
「ファルマコンは『真に信じるべき神』なんだ。それが見ていてくれるだけで、救われる。
信仰ってそんなものだろう。理解なんて出来ないような、誰かの思い込み。それでも、それが大切な礎になっていたら、それを信仰って呼ぶんだ」
アウセクリスは――もう、名前も忘れてしまった。嘗てはもっと平凡な名前だったと思う――聖騎士の家系に生まれたらしい。
三男坊であった彼は剣の才能に恵まれず、不正義にも騎士団への裏口入学を行なおうと持ち得る金や家の物品を奪い聖職者へと打診した。
故に、彼は放り出された。家名を捨てれば生かしていてやると。そんな過去など、どうでもいい。
そんな過去だから。なにもにも変わりないファルマコンを信じて止まない。
「――次に、ファルマコンを害するなら、赦しやしない」
「迎えに来るのが遅れてごめん。よく頑張ったね、イレイサ。
必ず君をここから救い出す。子供たちも助ける――だから一緒に帰ろう」
やっと、言えた。一緒に帰ろう。もう、背負わなくて良いと口にした刹那に毀れ落ちたのは少年の子供らしい涙。
「俺、でも」
「君が私達を大事に思ってくれてることは知ってる。でも、死んじゃダメだ。
盾になろうなんて思わないでよ……一緒に生きるって、言ったじゃないか……!」
全ての攻撃から君を遠ざけたかった。死から最も遠い場所に、幸せを溢れさせていたいから。
「君が私たちの為に頑張ってくれたように、私も君を守りたい。理由なんて『大切だから』って、それ以外はきっといらないから」
そうだろうと笑って繋いだ手は、離さない。涙を拭ってからイレイサは「行こう」と頷いた。
大人に何てまだ、ならなくったって良い。
少年が少年のペースで大人になれば良いと分かって仕舞ったから。
●
「お、おかあさ……」
膝を付いてからハルメは体を折り曲げた。まるで懺悔をするように、低頭した姿は神に平伏せるかのようである。
割れたスタンドグラスには神らしき存在のかんばせは見詰めることは出来ない。硝子にも構わず手をつき膝を折った少女は涙と鼻水でぐずぐずになったかんばせに構うことなく地を掻いた。
「わ、わたしの、家……おかあさ、ん。トーマス……うう……」
震えだけが支配した。大人の儀は続かず、マザー・ファルカは何処かへと逃げた。真逆、『お母さんにおいて行かれる』なんて思って居なかった。
ティーチャー・ルチルは気を失った。彼は屹度、聖騎士団に捕縛されてそのまま連れて行かれるだろう。
隣に、気を失ったトーマスが倒れていた。ハルメはそっと彼の服を握ってからぐすぐすと泣き始める。
「うう、う……なっちゃん」
呼ばれたことに夏子は「俺?」とぱちりと瞬いた。
――お名前聞いてもいいですか? ハルメ、上層に遊びに行ったときは必ず、プリンシパルに会いに行きますから。
潜入したあの時に、夏子が『なっちゃん』って呼んで徒微笑みかけた花咲くような鮮烈な紅色の眸の少女。彼女は縋るように手を伸ばした。
「ハルメ、おかあさん、居なくなっちゃ――……」
ぼろぼろと涙を流す彼女は、ただ、両親の愛が欲しかっただけだった。傍に居てくれるトーマスがいたって、それだけは埋められなかったから。
マザー・ファルカが居なくなってしまった事で押し寄せた恐ろしさばかりが悍ましい現実となって襲い来る。
縋り付く少女の背を撫でてから「何人も保護してるケド ハルメちゃんも来る?」と夏子は問い掛ける。トーマスを掴んだままの少女は「トーマスも、いい」と問うた。
「オーケー、来る気があるなら歓迎よ」
「投げ方は知っているな?」
予備の小剣を手渡すブレンダにイレイサは頷いた。割れたステンドグラスと対になるようにもう一枚存在した。
黒髪の女を崇拝する気味の悪い絵に差し込む光は疏ら。玉屑の影に隠れるようにしてイレイサは「あれを?」と囁いた。
「ああ。いいか?」
剣を投げれば、それは容易に割れた。ぱちり、と音を立て降り注いだガラス片の雨。
師と仰ぎたいと彼女の強さに憧れた少年は、イレギュラーズをその双眸に映した。灰色の、曇り空のような薄ら闇の眸。
真白の騎士服は聖銃士としての証だった。『薄汚れたままの餓鬼』では居られなかったから。
「……あのさ」
立ち止まったイレイサをベネディクトが振り返った。
蒼穹の如く芯の強い美しい眸がそこにある。幾度もの死線を乗り越えてやって来た騎士。その人が、アドラステイアにいたからこそ、為せることがあると言ってくれた。
「ベネディクト、俺にも何か為せる?」
「……ああ。アドラステイアに居た君ならば」
露命を繋いでやって来た。愛なんて目にも見えなければ味もしない。不条理で不理解で不可解な、解法のない度し難い感情だ。
それでも、イレイサは確かに愛する事を知った。ハルメが泣いていたように、家族を愛する感情は確かに存在し得たはずだから。
「ベネディクトが、いうなら。俺は屹度……。
ねえ、みんな。お願いがあるんだ。俺と、ファルマコンを倒してほしい。
これ以上、誰かが死なないように何て理想論も綺麗事も言えない。今だって何処かで知らない誰かが死んでても俺の心は痛みやしない――けど」
けれど、自分の脚で踏ん張れるなら、進むことが出来る筈。
「こんな場所、糞食らえだ」
吐き捨てるように呟いた少年は走り出す。
尊き信仰を胸にしたあの人の凜とした立ち姿が眩しかった。
死を遠ざける者と名乗ったその人に。己も同じように名乗りを上げることも出来るかと問うてみたかった。
黒き狼の衣を纏う青年のように、己の信念を貫けるだろうか。
聖なる哉と祈りを捧げるその人は貴族の嗜みを胸に真の信仰を知っている。
白翼の彼女だって、愛する事が苦しいと言葉にせずとも表した。
幼い子を救いたいと願った明るい彼女の微笑みは心地良かった。快活に笑うその様を己も真似ることも出来るだろうか?
二度目の邂逅だと言われたって、彼女の真摯な言葉が胸を打ったから。
ハルメの縋った先で、彼は優しく笑うのだ。僅かにだって光が差せば、この都市でも救いがあると信じていられるから。
「イレイサ」
何時だって己を導いてくれるあの人の医術の心得は無数の人を救うのだろう。
貴女の声が、共に進むべき未来を教えてくれる。
「……プリンシパル・イレイサ。
あなたがイコルを飲まずに聖銃士になり、代わりに他の人より多くの誰かを犠牲にしたとしてもわたしはあなたを肯定します。
だって、わたし達の為でしょ? 直面した問題に百点の回答を出せる優秀な人はそういません」
ココロは彼の手をぎゅうと握りしめた。イコルを飲まず、彼女達を手引きするために無数の命を犠牲にした。
死んでいく誰かを、見過ごしてきたその時間を人は後悔や罪と呼ぶのだ。
「大抵はできる範囲で、できる限りの対処をしていくもの。
あなたの努力に罪あるのなら。わたしにも分けてね。責任感からじゃない。これが、わたしの『こころ』です」
涙が滲んだ。背丈はココロの方が小さくて。自身の方が兄にも見紛う外見なのに、彼女は大人だから。
背負ってくれるというならば、重たい荷物だって、苦しくは無かった。
愛する事は、怖いこと。不条理で、不合理で、不器用で、余りにも破綻した人間の一番柔い所。
「ッ――」
俯いて涙を流した少年の頭をマルクはぽんと撫でて遣った。ベネディクトが背を叩く。
前を向かなくちゃ、進む場所があるのだろう。
「イレイサさん、生きててくれてありがとう」
フラーゴラが飛び込んできたときに、突飛もないほどに想ったのだ。ああ、なんて、この人達は優しく、素晴らしい人なんだろうと。
ハルメに縋られた夏子の困った顔も、ハンカチを用意してくれる華蓮の優しさも、剣を教えてくれるブレンダも。
「ほら、その為にはおいしーものいっぱい食べましょうよ。しにゃのオススメデザート教えますから!」
「じゃあ、私も行こうかなあ」
しにゃこやスティアのような『ともだち』を持ったことも無かったから。
「イレイサ、おいで」
シキが笑った。
家族になりたい。姉だと慕い笑えば困ったように頬を掻いて。それでも、生きていてと願ってくれたこの人の優しさが好きだった。
割れ落ちたステンドグラスを眺めてから、ブレンダは笑った。
「――これで、おさらばだ」
その剣の嗜みを、己が真似て信仰の礎へと一石を投じられたならば多くを救えるのか。
いいや、この国だけじゃない。もっと、もっと広い世界を見るために――「あいつを、殺したい」
はじめて、人のために誰かを殺したいと願った。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
あとがき
この度はご参加有り難う御座いました。
イレイサにとって、沢山の得たご縁は宝物です。もしもアドラステイアがなくなったら――なんて夢を抱いていることでしょう。
GMコメント
日下部あやめと申します。宜しくお願いします。
イレイサを救いに行きましょう。
●目的
・イレイサの救出
・『プリンシパル』アウセクリス達の撃退
●コーザリティア聖堂
アドラステイア上層部(高層)に位置している場所です。焦げ臭い匂いが蔓延しています。
雪がちらつき、壁が近いために閉塞感のある高層ですが、コーザリティア聖堂はそれ程狭苦しく感じられず美しい光景が広がっています。
潮の香りと奇妙な匂いを蔓延させたステンドグラスの美しい聖堂です。
正面ステンドグラスは赤い盃を手にした黒髪の聖女が描かれています。
入り口付近のステンドグラスには無数の白い手が描かれ美しいと言うよりも不気味です。
イレイサは聖堂の中腹付近に居ます。突入は正面出入り口から行って下さい。
●敵勢対象
『アドラステイアの子供達』15名
『プリンシバル』アウセクリスを中心としたアドラステイアの聖銃士たちです。イレイサの大人の儀に同行しています。
・『プリンシパル』アウセクリス
毒蠍と呼ばれる戦闘集団のリーダーを務めている少年。とても利口で、任務遂行に忠実的です。
イレイサを潜入しているスパイだと見抜き大人の儀に推薦しました。アウセクリスは儀式を経ずティーチャーになる未来があるそうです。
近接タイプ。とても強い剣士です。
・『プリンシパル』ハルメ
オンネリネンの子供達であった少女。花咲くような紅色の眸と緑色の髪をした可愛らしい少女。
とても溌剌としていますが『大人の儀』を見ていたためか表情は暗いようです。
それでも、此処はハルメの家。護る為ならばイレギュラーズと戦う事も辞しません。
・『オンネリネンの子供』トーマス
ハルメと共に活動している子供です。ハルメに片思いをして居る赤毛の少年です。
魔術の素養がとても強くオンネリネンとして活動していました。
聖獣になる事を望んでいます。そうなれば、ハルメを護れるかも知れないからです。
・その他の子供達 12名
儀式に同行している子供達です。彼等は『針水晶』と呼ばれる隊を組んでいます。
このうち5名は大人の儀に参加する予定です。
急いで潜入すれば子供達が儀式を受けずに済みます。(イレイサは5人が終わった後の最後の6人目のようです)
『聖獣様』 5匹
大人の儀式で急激に体が変化した子供です。天使様を思わす翼を生やした人と獣を曖昧にした奇妙な姿です。
人語は有していませんが何となく発語を行ないます。心が其処にあるのかは分かりません。
『ティーチャー・ルチル』
『マザー・ファルカ』
大人の儀の責任者です。ティーチャー・ルチルは『針水晶(ルチル・クォーツ)』と呼ばれる子供達を統率しています。
マザー・ファルカはハルメとトーマスの世話役であり、イレイサのことも世話をして居ました。
何方も戦闘能力を有していますが、子供達を盾にします。
●救出対象『イレイサ』
灰色の髪に黒い髪。天義出身15歳。両親は既に亡く此れまでのイレギュラーズとの交流でアドラステイアに潜入することを選びました。
イレギュラーズと非常に信頼しており、イレギュラーズのためならば死ねます。
喧嘩殺法と呼ぶしかない戦い方も少しは様になってきたようです。剣を得意としているようです。
プリンシパルでした。が、潜入がばれてしまっています。
いざとなれば自分が盾になることも辞しません。
●同行者『ゼノビア・メルクーリ』
天義南東部の街ガラテヤの神学校を、若くして主席卒業した英才。
停滞を怠惰の罪とする、強烈な信仰心の持ち主。常日頃は穏やかな態度と口調だが、神学論争は苛烈そのもの。『ガラテヤの光』の名を有しており、異端の教義を受け入れてしまうのではないかといった不安定を感じさせる女性ですがイレイサの協力者、イレギュラーズの協力者として活動してくれています。
とても怒っています。神秘攻撃もしくは回復で支援を行ないます。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
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