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シナリオ詳細

<琥珀薫風>闇夜を纏い

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 丹色から浅紫へと空が移ろっていく。
 地平の隅から上がってくるのは瑠璃紺に彩られた夜の気配。
 少しばかり慌てん坊の一番星が、零れんばかりに輝きを増していた。
 もうすぐ細く仄暗い上弦の月が上ってくるだろう。
 こんな夜にはどうしても頭の片隅に響く声がある。
 ――全ては天香家の為に。
 耳元で幾度呟かれただろう。楠 忠継の声は姫菱・安奈の心の奥深くで燻っている。

 安奈が忠継と初めて会ったのは、彼がまだ公の場で刀を握っていた頃だ。
 凜とした立ち振る舞いや歩き方、どれ一つ取っても『強さ』がにじみ出ていた。
 手合わせ願いたいと口の端を上げた安奈の願いは、遠くない内に果たされる事となる。
 己が家族を救ってくれた恩義に尽くす為、忠継が天香家に入ったのだ。
 先輩風を吹かせ、いの一番に忠継へと勝負を挑んだ安奈。
 されど、結果は惨敗。
 一度たりとも剣を掠める事さえ出来なかったのだ。
 悔しいと思った。同時に楽しいと思った。こんなにも近くに『越えられぬ壁』が出現したのだ。
 只の駒として天香の歯車に徹していた安奈が、越えたいと思う目標が出来た。
 それまで味わいの薄かった世界が、濃密な激動に変じる。
 無味乾燥の凡庸だった自分が、忠継の隣に立つ時だけは『何者か』に成れる気がしたのだ。
 されど。忠継はもう居ない――

「美少女とは名ばかりの、ものだな、これでは」
 気高く戦う事を背負って生まれ落ちた美少女。
 彼女達の中に有りながら才能も無く、凡庸に月日だけを重ねて此処まで来てしまった。
 安奈が菱花を背負うに至ったのは時間という研鑽を積んだだけ。
 同じ時間を掛ければ、誰だって安奈より強くなるだろう。
 それを一瞬でも忘れる事が出来たのだ。
「は……」
 小さな溜息と共に漏れた言葉。
 死ぬ事や失う事が怖かった訳では無い。
 ただ、指先に刺さったままの棘が抜けない。其れだけなのだ。
 自らの手で忠継を斬った事。生涯、忘れはしないだろう。
 彼が生前に残した意志を継ぐ事こそが一番の手向けとなる。

「全ては、天香家の為に」


 灯籠の和紙が蝋燭の明かりを部屋の中に柔らかく広げる。
 黄泉津カムイグラ。高天京の一画。
 葛西家の応接間に集まった数名の貴族は、一様に険しい顔を突き合せていた。
「ほんに、口惜しい。天香の天狗童子が次代などと」
「天狗童子とは口がお悪い。此処は鴉童とでも呼びなされ」
「ほっほ、確かに。あの黒い羽根。塵溜の煩い鴉に違いない」
「若造が興味しきりな海向こうでは、鴉を『くろう』と呼び習わすそうじゃ」
「九郎とは傑作じゃ。げにウケるのう」
「なれば若いうちに、たんと買うていただきませぬとな」
 扇の下に隠した下品な笑い。
 彼等は天香家を継いだ遮那の事が心底気に食わないのだろう。
 最初のうちは身内の酒の席での言葉も。日に日に増して行く鬱憤は確実に広がっていた。
「あの鴉童は下賤の者であろう」
「確か、天香先代が妾と共に拾ってきたのだとか」
「卑しい身分が麿達の上に立つ等と……ほんに、解せぬ」
 重苦しい溜息と怨嗟。今ならまだ勢力は大きくない。この話し合いは今のうちに失墜させるのはどうかと、この家の当主である葛西乗政が持ちかけた会合だった。

「……知っておるか。近頃、大陸へと獄人を流して居る輩が居るそうなのだ」
 大陸。幻想国では大々的な奴隷市が行われているらしい。
 何でも、砂漠の国における戦いの余波で売れなくなった奴隷の処分を兼ねているというのだ。
 その流れは瞬く間に世界中の商人の間に広がり、海の向こうから入手した獄人は物珍しさから高値で取引されることもあるという。
「これは由々しき問題ではないか?」
「獄人なぞ、いくらでも生えて来るでしょうに。何を今更。たんと大陸にくれてやれば良い」
「いやいや。違うぞ。中瀬。『これは由々しき問題』なのだ。『誰かが手引き』しなければ獄人を大陸に渡すなど出来るはずも無かろう。違うか?」
 中瀬と呼ばれた男は葛西乗政の考えに思い至る。
「成程。確かに『誰かが手引き』しなければ不可能でありますな」
 にたりと乗政と中瀬は口の端を上げた。
 心の底から笑いがこみ上げる。
「この奴隷の話が出てきたのは、天香が今代になってから。あやしい。ほんに怪しいではありませんか?」
「それに、鴉童の『側仕えの獄人』が港を彷徨いていたと聞いておる」
「何? 奴は大戦で死んだのではないのか?」
「違う違う。あれではない。鴉童と同じ年端の獄人よ」
「つまり」
 にやける口元を隠すように扇を広げる中瀬。金箔の貼られた扇に蝋燭の火がぬらぬらと揺れる。

「――獄人の奴隷を大陸に流しているのは天香の当代。天香・遮那に間違いないであろう」

「下に恐ろしい。下賤の者の考える事は分かりませぬなぁ」
 首を振る中瀬はくつくつと笑いを含んだ。
「麿達はこの問題を重く受け止めておる。同じ地に住まう獄人を他国に流すなど有ってはならぬ。そうは思わぬか? 中瀬よ」
 乗政の言葉に中瀬は大いに頷いた。
「我々は正しく、悪を処さねばならぬな」
「ええ。ええ。そうですとも。獄人を大陸に流すような輩は成敗してくれましょう」
 部屋に木霊する高笑いは、障子の外にまで漏れ出ていた。


 梅の花がこぼれて地面に紅い花が咲く。
 膨らんできた桜の枝先。春の足音が近づいていた。
 小金井・正純 (p3p008000)は縁側に飛んで来たメジロに目を細める。
 今頃、遮那は天香邸の執務室で書類に目を通しているのだろう。
 此処は星々を祀る、小さな社。正純が住まう星の社。

「すまない。正純殿。場所をお借りしてしまって」
「いえ。問題ありませんよ。お茶をお持ちしましたので、どうぞ」
 正純は安奈の前に温かい茶を置いた。
「それで、安奈殿。吾達を呼び出したのは茶を啜る為ではないのだろう?」
 咲花・百合子 (p3p001385)は出された茶を冷ましながら安奈に視線を向ける。
 歓談がしたいということであれば、天香邸に呼びつければ良いだけの話。
 されど、わざわざ正純の社を借りて場を設けたのだ。
「何かありましたか?」
 お茶受けの和菓子を食みながら、夢見 ルル家 (p3p000016)は首を傾げる。
「ああ、遮那様には内密にしたくてな。内容が内容だけに、執務に支障を来すだろうからな」
「どういうこと?」
 先を急かすようにシラス (p3p004421)が視線を上げた。

「貴殿達ならば、知っておるだろう。今、大陸で奴隷が売りさばかれているのを」
「勿論。何度か彼等を助けたりもしたな」
「その騒動は我々や遮那様の耳にも届いていてな。大層憂いておるのだ」
 八百万が獄人を虐げ下人にていると言った話も知らぬ訳では無い。
 されど、大量の獄人がカムイグラから流れているという話しを聞き、胸を痛めているらしい。
「天香家として大々的に調査を行えば、その分柵も増えるだろう。遮那様は皆に迷惑は掛けられまいと極秘で側仕えの獄人を大陸へ派遣したのだ」
 それだけであれば、自分達が此処へ呼び出される理由としては薄い。
 ルル家は安奈の次句を待った。
「遮那様はまだ若く長胤様の様に政が上手い訳もない。執務に追われ引きこもっているのが現状だ。それに血の繋がらない遮那様が天香家の当代になった事を良く思わない者も居るのだ」
「まさか……!」
 正純が金色の瞳を見開く。
「ああ、一部の貴族共に、今回の奴隷流出の『犯人に仕立て上げられようとしている』のだ」
 こういった『商品』の流出には多くの人が関わり、秘密裏に行われる事が多い。
 尻尾を掴むのも一苦労なのだ。時間が掛かりすぎる。
「証拠を揃え真犯人を捕まえている間に、遮那くんが事の責を問いただされ、天香の当代を追われている可能性が高いと」
「その通りだ。だから、その前に此方から打って出る」
 安奈の言葉に百合子は「それなら話しが早い」と拳を握った。

「貴族共を打つ。されど、殺してはならぬぞ。……屋敷には強力な用心棒が居るからな。それを叩きのめせば我らの強さに恐れおののくだろう」
 腕の立つ用心棒と私兵を打ち負かせば貴族共は大人しくなる。
 罵詈雑言を吐けども、平手の一つでもお見舞いしてやれば泣きっ面を見せるだろう。

「これは、遮那様の為に我らが背負う咎だ。やれるか?」
 安奈の真剣な眼差しに、イレギュラーズは覚悟を持って頷いた。
 ――全ては、天香家の為に。

GMコメント

 もみじです。遮那の為に悪を成す覚悟。
『<ヴァーリの裁決>陽光を望む』と設定的にリンクしています。排他ではないです。
 こちらはあくまで豊穣の依頼であるため、ブレイブメダリオンの配布はありません。

●目的
 用心棒を打ち負かす
 豊穣貴族を脅迫する

●ロケーション
 葛西乗政の屋敷です。広い中庭で戦う事になります。
 夜間ですが、篝火があるので問題ありません。

●敵
○『用心棒』仙次郎
 葛西乗政に仕える水の八百万。
 腕の立つ用心棒です。強力な敵です。
 剣術、水の術式を使ってきます。

○私兵×12
 刀、弓、薙刀等で武装しています。
 そこそこの強さです。

○葛西乗政
 遮那を奴隷流出の犯人に仕立て上げようと目論んでいます。
 下賤の者が自分達の上に立つ事を腹立たしく思って居ます。
 戦闘能力はありません。

○中瀬、他数名の貴族
 遮那を奴隷流出の犯人に仕立て上げようと目論んでいます。
 戦闘能力はありません。

●味方
○姫菱・安奈(ひめびし・あんな)
 天香家を守る忠臣。菱花を背負う美少女。
 咲花・百合子(p3p001385)さんの関係者です。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はBです。
 依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。

●注意事項
 この依頼は『悪属性依頼』です。
 成功した場合、『豊穣』における名声がマイナスされます。
 又、失敗した場合の名声値の減少は0となります。

  • <琥珀薫風>闇夜を纏い完了
  • GM名もみじ
  • 種別リクエスト
  • 難易度-
  • 冒険終了日時2021年04月04日 22時15分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費300RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

夢見 ルル家(p3p000016)
夢見大名
※参加確定済み※
咲花・百合子(p3p001385)
白百合清楚殺戮拳
※参加確定済み※
シラス(p3p004421)
超える者
※参加確定済み※
彼岸会 空観(p3p007169)
小金井・正純(p3p008000)
ただの女
※参加確定済み※
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
金枝 繁茂(p3p008917)
善悪の彼岸
幻夢桜・獅門(p3p009000)
竜驤劍鬼

リプレイ


 星々を祀る、小さな社には膨らみ始めた桜も見えていた。
 平地より僅かに高度がある『天地凍星』小金井・正純(p3p008000)の社は桜の開花も遅いのだろう。
 もう少しすれば一面の桜に覆われるに違いない。
 そんな長閑な庭の様子とは裏腹に、和室の中は重苦しい空気に包まれている。
 姫菱・安奈が語るは天香の当主を追い落とす、貴族達の策略だった。
 正純は金木犀の瞳を伏せ思考の海に身を委ねる。
 天香の規模や地位を考えれば、むしろ今まで静かだった事が不思議なぐらいなのだ。
 何れは遮那自身が越えなければならない障害だ。否、この様な事は日常茶飯事で障害にすらならないものだろう。されど、それは今では無い。まだ、今は我武者羅に前だけを向いていて欲しい。
 正純は薄く瞼を上げて息を吐いた。
 全ては天香家の為に――
 それに……。
 開け放たれた障子から拭いてくる風に正純の髪が揺れる。

「なるほどね、卑しい身分のガキの癖に……ってところか」
 安奈から話しを聞いた『鳶指』シラス(p3p004421)は自嘲気味に口の端を上げた。
 遮那の置かれた状況は他人事ではない。自分もいつか貴族の側へのし上がろうというのだ。
 イレギュラーズであれどスラム出身のシラスを影で口さがなく噂する者も居るだろう。
「遮那は世話になってるルル家の大切な人だからね。俺もなるべく手を貸してやりたい」
 友人のため、陥れられようとする若葉のため。されどそれ以上に。
「葛西乗政という人間がムカついて仕方がない」
 シラスは緩く拳を握り込んだ。
 直接手出しは出来ないならば部下にその分は払ってもらおうと『離れぬ意思』夢見 ルル家(p3p000016)へと頷いてみせる。
「安奈殿のような忠臣がいて下さり本当に助かります!」
 ルル家は安奈へと笑顔を向けた。
「なにせ政は綺麗事だけに非ず!
 いずれは裏も知る必要があるとは言え、今は遮那くんも表だけで精一杯!」
 誰かの手で支えてやらねばその目が曇る事だってあるだろう。そうやって手を差し伸べてくれる周りの人が居る事は遮那にとって幸運だろう。ルル家とてその一人だ。
「及ばずながら拙者も協力させて頂きます!」
 豊穣の貴族の間で悪名が流れようとも。そんな些末な事はどうでもいいのだとルル家は強い眼差しを安奈に向けた。
「他者を陥れる為にここまでするか、というのが正直な感想だ」
 茶を啜りながら『霊魂使い』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は溜息を吐いた。
 豊穣の地にはアーマデルが支援している子供が居る。此処へやってきたのも単純にその保護した子が心配だったからだ。
「こういう輩が大手振って歩いてと安心できない」
 子供達が健やかに日々を過ごせるのならば、自身が多少手を汚そうとも問題無いのだ。自分の名声よりも子供達の未来の方が大切なのだ。

「あの大きな戦を越えてなお、この国は未だ澄みきってはいない様子。何と嘆かわしい事か……」
『帰心人心』彼岸会 無量(p3p007169)は安奈へと視線を送り首を振る。
 無量は僅かに解していた姿勢を正し背筋を張った。
「私もお手伝いさせて頂きましょう。あの子とは、その位の縁は繋がっております故に」
 決意を込めて無量は言葉に乗せる。
「あの騒乱でちょっとは変わったかと思ったけど、まーそんなに容易く変わらんよな」
 頭を掻いた『撃劍・素戔嗚』幻夢桜・獅門(p3p009000)は畳の上に足を投げ出す。
 八百万が上位の存在であり、その中でも貴族は帝に連なる由緒正しき血筋を有する。故に人の上に立つべきは自分達なのだという思想は簡単に変えられるものではない。
「でも困るんだよなぁ。天香家の当主さんは獄人の事考えてくれる貴重なお人だからさ」
 暇な貴族達は悪巧みをするのが仕事なのかもしれないが、遮那の足を引っ張って貰っては困るのだ。
「だから、まあ、ぶっ潰しに行くしかねぇよな!」

 皆の言葉を聞きながら『背負い歩む者』金枝 繁茂(p3p008917)は己の内側に入り乱れる感情に整理をつけられずにいたのだ。
 天香・遮那の為という気持ちは、繁茂にとって実感できないものだ。
 彼自身、天香に対して彷徨う思いを持て余している。
 天香が行ってきた事。犠牲になってしまった人は確かに居た。
 その業ごと継いだ遮那を憎むべきか、同情するべきか。まだ繁茂には分からないのだ。
 されど、天香が同胞を助ける為動くのならば、繁茂が為すべき事は見えてくる。

「大局を見ることなく些事に拘るは小物の証よ。やってやろうとも」
『白百合清楚殺戮拳』咲花・百合子(p3p001385)は立ち上がり、障子を開け放つ。
「――全ては、天香家の為に」
 降り注ぐ陽光は、百合子の強き眼差しに光を添えていた。


 薄曇りの月を頂く夜の空。群青は深く深く染み渡っていく。
 正純は屋敷の奥広間へ矢を放った。
 用心棒に守られているとはいえ、少しぐらい驚かせる事ができるだろう。

「どうも、曲者だぜ」
 音も無く現われたシラスの影に、私兵は目を見開いた。
 一度の瞬きをする間も無い。青年は突如として現われ、私兵を地に転がす。
「な!?」
 敢えて殺そうとは思わないけれど。手加減も一切無いシラスの術に私兵は次々と倒れていく。
 正直な所退屈とさえ思う程の力量の差だ。数が多くなければ絶対に負けることは無いとシラスは冷静に判断していた。
「最早不要な殺生は行いたくはありませんが……
 謀の内容が内容なだけに、手心を加える訳にも参りませんね」
 続けざまに翻るは大太刀の閃光。無量が振るう刃は月光を跳ね返し、舞うように戦場を飛んだ。
「人の上で胡座かいてる連中にお灸を据えるって意味では、余裕持って制して見せる方が効きそうだと思うけど、どうかな?」
 アーマデルの術式が影となり戦場に木霊する。
 もし生き残った私兵や用心棒が居るならば、同じような輩に話しが回るだろう。
 人の口に戸は立てられないのだ。むしろ圧倒的な力を見せつけることが出来れば臆病者は近づいて来ることすらなくなるかもしれない。そちらの方が好都合だろう。

「人でなしに仕え心が痛まないのか? 心がなまくらか、刀が泣いてるぞ」
 用心棒である仙次郎の前に立った繁茂は彼を挑発するように口角を上げる。
「何を獄人の分際で生意気な!」
「とっとと刀を質に入れて水芸でもやってろ。湿った八百万にはお似合いだ」
 怒りの形相で繁茂を睨み付ける仙次郎。
「来いよ八百万、鬼が恐くないならな」
 剣檄が陰る月の合間に響き渡る。

 ――――
 ――

「貴殿等も哀れよな。付くべき主をよく考えると良い」
 百合子は仙次郎に拳を叩き込む。少女の髪が風に浚われた。
「些事に囚われ、大事を見失うような主君なれば使える甲斐はなかろう。
 命をかけるのであれば、誇りをくれる者に使えた方がマシよ」
「そうかもしれぬ。だが、此処で其方に下ればそれこそ武人の名折れだ」
「ああ、確かに」
 交わされる拳と刀。一瞬の隙を突いて百合子の影から安奈が刃を走らせる。
 正純の弓は引き絞られ夜空に星の矢が降り注いだ。
「吹き飛びなさい」
 力の差は歴然なのだと知らしめる為、可能な限り大きい傷を負わせるのだ。

「こっちががら空きだ!」
 獅門の剣は仙次郎の胴を薙いだ。蘇芳の赤が月明かりの下にまき散らされる。
 続けざまに繰り出される仙次郎の剣を左手で受け止めて、右手の刀で斜め下から刃を走らせた。
「ぐあっ!?」
 痛みにのた打つ敵に追撃をかけるのはシラスだ。
 叩き込まれる連打は到底耐えうるものではない。
 右へ逃げても左へ逃げてもシラスの猛撃は留まる所を知らないのだ。
「主人を選ぶべきだったな」
「そうです。あんな人達に仕えるなんて。考え直した方がいいですよ?」
 魔剣を携えたルル家は不可避の太刀筋を仙次郎へと突き入れる。
 視線の先、好機を次へと渡すため振るわれる一閃。
「さあ、八百万の扱う剣術をお見せ頂きましょうか」
 沙羅と鳴る大太刀を掲げ。無量が仙次郎目がけて走り込んだ。
 剣が交わされ火花が散る。薄らと口元に笑みを浮かべる無量に仙次郎は胆を冷やした。
 どう足掻いた所で、勝てる見込みが無いのだと悟る。
「それでも、来ますか?」
「無論。戦えなくなるまで!」
 仙次郎の水術が戦場を覆い尽くした。浮かぶ水の珠がイレギュラーズを襲う。
 アーマデルの双剣が月の光に閃いた。
 一閃が戦場を走る。
 真横に散る赤花の如く血。
 重心を傾がせた仙次郎の身体を貫くは正純が放つ一矢。
 風を切り戦場を穿つ槍と鳴る。

 圧倒的な力は私兵達の記憶に刻まれた。
 為す術も無い程の力量でイレギュラーズは葛西邸の用心棒達を叩きのめしたのだ。


 外の剣檄に身を震わせる葛西達。
 月明かり差す障子に人影が見えたかと思うと、勢い良く開かれる。
 シラスによって投げ込まれる私兵たち。
 痛めつけられた男達は血を流しながらぐったりと横たわっていた。
「ひっ!? 死んでる!?」
「いや、殺してはないよ? でもお前らも簡単にそういう風になれるよ? なってみる?」
 シラスは男達の元へ寄って、一人の手を持ち上げて葛西に振ってみせる。
「やぁやぁ、これは奇遇ですね葛西殿! 失礼致しますよ!」
 満面の笑みで入って来た少女に貴族達は目を剥いた。
「お主は……天香の!」
「おや、よくご存じで」
 大呪の大戦で烏天狗の力を振るったという天香の側仕えルル家の事を、その場に居た貴族で知らぬ者は居なかった。その左目は烏天狗の緑柘榴だという噂がある。怪しく光るそれに目を奪われれば近づいて来たルル家の刀がひたりと顎に当たった。
「お、お髭の剃り残しがございますね!」
 一度動けば喉元を掻き切られそうな状況に葛西は息を飲む。
「どうぞどうぞ。引き続きご歓談下さい! ただ拙者も葛西殿の仰る通り心得深い者ではございませぬ故手元が狂うかも知れません」
「き、貴様……ッ!」
 ルル家を睨み付ける葛西は声を荒らげる。その顔目がけて振り下ろされる獅門の刀。葛西の顔すれすれに光る白刃にごくりと喉が鳴った。
「てめぇら、邪魔すんなよ」
 口下手な獅門は睨み付ける事で貴族達を脅しに掛かる。
「穏便にしてくれって言うから今回はこれでおしまいだ。……次に降る雨がはあんた達の血でない事を祈っておいてやるよ」
 獅門にとって今回の戦いは不完全燃焼だった。悪人を成敗するという分かりやすいものではなく、悪さしないように脅迫するだけで終わらせるのだから。
「……こんな感じでいいのか? 貴い方々の戦いってやつはよく分からねぇな」
 やれやれといった視線で獅門は自らの刀を畳から抜いて踵を返した。

「『彼』はまだ青いのですから、余り虐めないであげて下さいませ」
 無量は開け放たれた障子の向こうに視線を上げる。
 桜の花びらが夜空の月に照らされて雪のように舞っていた。
 美しく洗練された庭の風景。
「戦闘中は気付きませんでしたが、美しい桜のある庭ですね。これほどの桜を持つに相応しいやんごとない身分のお方なれば、その貴きお慈悲を見せる事で帝にも覚えが良くなりましょう」
 月明かりに無量の唇がぬらりと光る。
 後光を帯びて芳しき妖艶さを身に纏った女の声が貴族の耳朶を擽った。
「それと……今回の依頼主には感謝してくださいね。殺すなと言われなければその首……桜と共に散っていたでしょうから」
「……っ!」
 ひやりと葛西の背筋に汗が流れていく。
「身内だけの与太話に留めて置けばよかったものを、声を大にして話せばこうなることも予想出来なかったのですか?」
 無量の隣に佇むのは正純だ。弓を片手に和室へと足を踏み入れる。
「天香・遮那は、天香・長胤によって正式に当主として認められたお方。その方を貶めようとするなど、天香、ひいてはそれをお認めになった帝や天香本家に弓引くことと知りなさい」
 目覚めた帝に楯突くとは、則ち貴族の地位を剥奪されるような状況に陥る可能性があるということだ。
 いくら頭の悪い貴族なれど、誰が権威であるかは理解しているだろう。
「さて、小賢しくも賢しい貴方達です。どうすればいいかはお分かりですよね?」
 正純の微笑みに葛西達は視線を逸らした。
 その胸中は今、どうするべきかという判断に迫られているのだろう。
 頼りの用心棒も庭先で神使に倒されてしまっている。
 自分達は貴族だと言った所で、世界を股にかける神使に効果が薄い事も分かっているだろう。
「他人の足を引っ張る事で自分を高めた気になる。これほど腐り果てていては売り物にもなりはすまい
 分かるか? 奴隷よりも価値がないという事だ」
 アーマデルは蔑む表情で葛西達に告げる。
「何を為してきたか、何を成せるのか。言ってみるがいい、価値あると自負するならば」
 アーマデルの耳元で囁く声がする。葛西達に無き者にされた無念の言霊が脳髄に響くのだ。
「お前達が踏み潰してきた者達の無念の声が聞こえる。なあ、お前達には聞こえないのか? 怨嗟の声が。ほら、お前の直ぐ傍で呪いの言葉を囁いて居るぞ」
「ひっ!?」
 怖気が走り葛西は誰も居ない筈の背後を振り向いた。
「聞こえないのか。お前達がしてきたこと。俺は覚えておくぞ」
 迷える者達が往くべき処へ往けるように。

 繁茂は辺りに充満する血の匂いと目の前の葛西を見ている内に、心の奥底からこみ上げる怒りを感じて拳を握り込んだ。報復という大義名分で殺された同胞達。『あいつ』を。

 殺してはいけないのか? 多くの者を踏みつけ生きてきた奴らを
 殺してはいけないのか? 同胞を助けようとする者を貶めようとした奴らを
 殺してはいけないのか? また誰かが死んでしまう、同胞が、大切な者が死んでしまう。

 繁茂の中に渦巻く声。握り込んだ拳から血が滴る。
 鋭い牙を剥き出しにして繁茂はうなり声を上げた。
 ――守らなくては、皆を、あいつを、約束を
 今度こそ、守らなくてはいけない、だから殺そう、殺して、あいつの願った世界に!

 部屋の外に漏れ出す程の叫びに似た繁茂の慟哭。
 衝動のままに、葛西へと拳を振り落ろした。
「ひぇぇえ!?」
 されど、それは男の頬を掠め畳にめり込む。
 寸前の処で思いとどまった繁茂は息を荒らげながら葛西を睨み付けた。
「次は殺す」
 このまま留まれば、本当に殺しかねないと。繁茂は足早に部屋を出て行く。

 静かになった部屋の中に打撃音が響いた。
 視線を上げれば百合子が黙々と貴族達の顔を叩いている。
「吾は一人一人の顔を叩くぞ。言い訳など聞かぬ。権力では御せぬ暴力装置として振る舞い、貴族の矜持とやらがどれ程のものか量ってやるのである」
 勿論手加減はしている。精々頬が赤くなる程度の力でしかない。
「ひぃ! もう十分だろう!」
「逃げるな。全員叩く。そこまで手加減しているのに涙を流したり泣き言をいえばもっと叩くぞ」
 百合子は逃げ惑う貴族達を一人一人捕まえて張り倒していく。
「どうやら矜持は血脈で受け継がれぬらしい。遮那殿であればこの程度の暴力ではどうにもならぬからな」
 泣きながら頬を押さえる貴族を百合子はもう一度引っぱたいた。
「此度は辛抱出来ましたが。はてさて、次回はどうでしょうかね?」
 ルル家は葛西の頬に添えた刀を引いて、皮一枚を切り裂く。
 不用意に動かなかったのは賢い判断だった。
 蘇芳色の血が一筋葛西の頬を伝い、畳の上に落ちる。
「では皆々様! これからも天香家をどうぞご贔屓にお願い致します!」
 ルル家の声と共にイレギュラーズは葛西邸を去っていく。
 残された貴族達は、悔しげな表情で扇子を畳へと叩きつけた。

 ――――
 ――

「おや、正純殿もいらしていたのか」
「安奈さん……」
 神社の境内で安奈と正純はお互いの顔を見合わせる。
 二人が居合わせたのは縁切りと道開きで有名な神社だった。
「先日は、遮那様の為に尽力してくれ、感謝するぞ」
「いえ。私がしたいと思ったからです。それに、あの方には悩む顔より笑顔でいて頂きたい。
 ……戯言ですね」
「いや。遮那様の周りに居る者は皆そう思っておるよ。戯言などではない」
 屈託無く笑う安奈に正純もつられて微笑んだ。
 春を告げる優しい風が、薄く色づいた桜の花びらを運んでいった。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

お疲れ様でした。如何だったでしょうか。
小賢しい貴族達に天香の怖さを分からせる事ができました。

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