シナリオ詳細
再現性東京2010:きみの絵をちょうだい
オープニング
●美術室にて
締めきった窓の向こう側で、野球部の掛け声が響いている。
ガラスで隔たれただけなのに、あちらとこちらは別世界のようだと少女は感じていた。
カキィンと鳴る軽快な音、空高くまで響く声援や掛け声。
そんな動の象徴をよそに、自分たちは冷房の利いた美術室で悠々と絵を描いているのだ。
この静と動の違いは、少女にとって魅力的だった。だから彼女はキャンバスに、野球部の生徒たちを最初に描いた。そしてキャンバスの奥に、窓を付け足す。
やがて彼女が着手したのは、窓にぼんやり透ける自分の姿。誰かまでは特定できないが、知っている人が見れば、横顔のシルエットや髪型から自分とわかる。
「飲みもの買ってくる。なんか要る?」
そんな彼女の耳朶を打ったのは、同じく絵を描いていた友人の問い掛けだ。既に美術室のドアへ手をかけていた友に聞かれて、少女は漸く思い出す。随分前から水筒が空だったことを。
「要る! オレンジジュースおねがい」
オッケーと答えるや否や、友は教室を飛び出した。軽やかな靴音が、あっという間に遠ざかっていく。
足の早い友人のことだ。数分もしないうちに戻って来ると踏んで、少女は一息入れようと、座ったまま思い切り伸びをした。
「おなかすいた」
幼い子どもの声がした。驚いて辺りを確かめたところで、彼女は固まる。
イーゼルに立て掛けていたキャンバスの裏側、ボールのような黒いものが浮いている。しかも、口らしき部分に何かを咥えて。
あっ、と思わず声が出た。黒いボールがもしゃもしゃと食べていたのは、友人の描いた漫画だ。下書きではあるが、今朝見せてもらったばかりで、よく覚えている。
「返して!」
得体の知れない生き物について考え恐れるよりも、友人の成果を取り返す方が先決だ。だから少女は黒いボールを掴もうとした。すると、ぺろりと漫画の原稿を平らげたソレは、彼女の腕を容易く弾いてしまう。
そのときだ。漫画を食べたボールが、人のかたちを取ったのは。
「これって……」
彼女には心当たりのある姿だ。そう、正しく友人の原稿に出てきた――主人公の少女にそっくりな形。
色こそ黒いままだが、漫画の登場人物に模した奇妙な存在は、にこりと微笑む。
するとその後方、いくつも同じ球が現れて。
「きみの絵、ちょうだい」
「わ……私……?」
言うが早いか黒い球のひとつが、描いている途中だったキャンバスを飲み込んでしまう。
まもなく造形されたのは、描き手である彼女自身――ぼんやりとした、少女の姿で。
「何してんのマミ!! しっかり!」
突如響いた呼び声に、固まっていた少女は我に返る。
いつ戻ってきたのか、友人が彼女の手を引っ張り、美術室から連れ出してくれた。
●カフェ・ローレットにて
「おしごと」
カフェ・ローレットにおいてもイシコ=ロボウ(p3n000130)の表情は変わらない。
「学生生活とか、先生としての生活とか、楽しんでるところ悪いけど」
希望ヶ浜でよく見る服装に身を包んだ若者たちを前にして、イシコは淡々と話し出す。
「悪性怪異……夜妖<ヨル>が現れた。中学校の美術室」
その日、コンクールの作品作りのため、中学二年生の女子生徒二名が美術室に篭っていた。
そこで彼女たちが出くわしたのが、悪性怪異のヨルだ。
「はじめは、黒くてまんまるのボール。これぐらいの」
イシコが手で大きさを示す。スイカ程度のボール型怪異は、どうやら絵に惹かれて現れるらしい。現に、少女二人の作品はかれらに食べられてしまった。
一人は、バッグの上に置いていた漫画の原稿を。もう一人は、イーゼルにあったキャンバスを。
「その人が描いた絵なら、なんでも食べたいらしくて」
デジタル作品ではなく、本人の手で直接触れて描いたものを好むようだ。つまり。
「何か、絵を描いてきて。それか美術室で描いてほしい」
予め描いたものを持ってくるなり、美術室で作品作りに励むなりしていれば、かれらは姿を現す。
「現れたら、ぜんぶ倒して。八体いる」
逃げる間際に少女たちが目撃したのは、人のかたちを得た二体と、球状の六体。
まずは絵に惹かれ、はらぺこのボール型ヨルが現れるはずだ。
人のかたちを既に得ている二体は、腹が膨れている分、かれらより少し遅れて登場する。とはいえ、そのタイミングまでは掴めていない。
「仲間の食事が阻まれたって分かったら、すぐ出てくると思う」
食べ物の怨みは恐ろしい、とまでいかなくても、イレギュラーズのことを『ごはんを邪魔してくる敵』と判断すれば、早い段階でその二体も出現するだろう。意図してタイミングを遅らせたい場合は、注意が要る。
「ヨル、食べた絵から誰かの情報を抜き出して、姿を真似する」
絵に描かれた人物を模ることで、かれらは手足を使って様々なことができ、場合によっては表情もつくようになる。
「だからって人物のいない絵は、だめ。人物が含まれた絵でないと、出現しない」
絵のクオリティに関しては問わないらしく、人型であれば自然と出現条件を満たす。
「美術室、今は他に作品もない。机とか椅子も壁際に避けられてる」
椅子、イーゼル、絵の具など絵を描くのに必要な道具は好きに使っていい。
もちろん自前のものがあれば、それで描く方がより愛着も篭り、怪異をおびき出しやすくなるだろう。
「退治を終えるまで、誰も美術室に近づかない。そうなるよう『掃除屋』さんが整えてる」
掃除屋――学園に雇われた人々で、怪奇現象の証拠も、戦いの痕跡もすべて隠蔽し、片付けてくれる存在だ。
そのため、一般の学生たちについては心配せず、怪異の退治に専念してほしいと、イシコは改めて告げた。
「変哲もない日々を送る『希望ヶ浜』の人にとって、怪異はあってはならない、から」
ならば、彼らの願う『平穏』を守るのは、常ならぬ世を知り、立ち向かう心を知るイレギュラーズの仕事だろう。
「……食べられた絵のこと、だけど」
イシコはそこでぽつりと言葉を連ねた。
「ヨル、倒せば絵は戻ってくる。戦いの中で踏んだりしないよう、気をつけてあげて」
なるべく綺麗なままで返してあげた方が、彼女たちにとっても良いはずだ。
そこからイシコはさらに付け足す。
「それと、すごく暑い。冷房かけていいし、水分もちゃんと摂って。体調、大事に」
なにせ東京は――東京を模した街は、とにかく暑いから。
- 再現性東京2010:きみの絵をちょうだい完了
- GM名棟方ろか
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2020年08月20日 22時15分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
「っし、こんなもんだろ」
袖を捲くる『勇者の使命』アラン・アークライト(p3p000365)が室内を再度見回す頃には、美術室がカラになりそうなぐらい片付いていた。金目のものと呼べるお高い気配がする参考資料や胸像も含め、片端から避難させてきたのだ。
重いものは任せてくださいと胸を張っていた『機心模索』イルミナ・ガードルーン(p3p001475)の機敏な働きもあり、作業はみるみるうちに進み、そして片付いた。
移動しきれなかった分は、『オネエ口調のお兄さん』夕凪 恭介(p3p000803)がせっせと端へ寄せていて。
「これなら、思う存分に動き回れそうね」
ふう、と一息つきながら恭介が呟くと、どうぞ、と『シティガール』メイ=ルゥ(p3p007582)が水筒とカップを差し出す。
「麦茶を入れてきたのです」
「ありがとメイちゃん」
どういたしましてと返したメイの頬は、この上なく誇らしげだ。
そうしている間にも、壁に架けられた冷房のスイッチを操作したのはアランだ。
「冷房ガンガンかけといた。リラックスしながらやれそうじゃねェか?」
「何度設定にしたの?」
「二十六度」
『希望の蒼穹』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)からの質問に、アランがしらっと答える。あえて口に出すまでも無いが強風設定だ。アレクシアと『リインカーネーション』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)が顔を見合わせて、きょとんとする。
「どうせ動くし、いいんじゃねぇの?」
二人が言おうとしたことへ先に答え、アランは揚々と画材を手にする。
「それもそうだね。あ、準備できた??」
絵を描く準備と描かれる準備の具合を、スティアが皆へ問い掛けた。
途端に『祖なる現身』八田 悠(p3p000687)が、成長の過渡期らしい性質を前面に出した子の姿へ変化する。
「モデルの準備は万端だよ。……可愛く描いてね?」
ぱちりとひとつ瞬けば、瞳からきらきらと光の星が零れた、ような心持ちを見ている側が抱く。
言い終えた悠もまた、手にした鉛筆を物差しに、他のモデル――アレクシアやスティアたちの寸法を目測する。
モデルはいた方が描きやすいというメンバーのため、数人でモデルを担当することになったのだ。
しかし実物に似せて写すのは、本人を目の前にしてもなかなか難易度が高い。けれど悠の湛えた微笑みからわかるのは、楽しそうだという雰囲気ばかりで。
そしてアレクシアはペンと紙を照明に透かし、淡い光をじいっと眺めた。白紙でも、光を通すと幾つもの色が見える。これからここへ、自分なりの彩りを乗せていくのだと考えたら、胸が弾んだ。
浮き立つ想いをふくりとあげた頬に蓄えて、アレクシアは描き始める。
「ふふふ、メイのクレヨンさばきをお見せする時が来たのですよ!」
きらり輝くメイのまなこ。両手に握られしは色とりどりのクレヨンだ。
使ってカラフルな絵を描くのですよ(絵は幼児レベルです)
「アレクシアさんとー、スティアさんたちの事も描いてあげるのですよ!」
堂々たるメイの宣言に、やったね、と彼女たちの声が返った。
「いっぱい、お絵かき、楽しいのですよ~♪」
「お花と、草と、太陽と~皆さん仲良しな絵なのですよ~♪」
そこまで歌ったところで、メイがはっと気付く。
「メイもモデルさんするのです、ポーズとった方がいいですか?」
「そうだね、元気なポーズをひとつ……」
「こうですか!!」
スティアの呟きに、メイが都会的なカッコイイポーズで静止した。
すると次に恭介が拍手を送りながら案を示す。
「いいわよー、もっとキリッとしてみましょうか」
「こうですか!」
クレヨンを手にポーズを決めたメイの姿は、美術室に漂う雰囲気をより和やかにさせた。
「構図、構図かぁ」
スティアの傾けた頭は、床と平行になる勢いだ。やがてポンと手を叩き、笑みを綻ばせる。
(学園だし楽しそうにしてる二人! これにしよ!)
こうして描き手はそれぞれの『描いている姿』を元に、自分の想像で形にしていく。
音楽を耳にしているかのように身を調子よく弾ませれば、スティアの筆も捗った。
「女の子を描けるなんて、新鮮な気分よ」
鼻歌混じりに呟いた恭介の手元は、さらさらと水が流れていくかのように絵ができあがっていく。
近くで絵を描いていたアレクシアが、ちらと彼の絵を見やったのち、ぱちくりと瞬くのも当然で。
「えっ、すごい、もう服を?」
「普段は服のデザイン画ばかり描いているから、お手の物なのよ」
先ほどまで会話していた顔とはまた一味も二味も違う職人の表情を、恭介はほのかに滲ませる。
モデルと描き手のやりとりに花が咲く一方で、『腐女子(種族)』ローズ=ク=サレ(p3p008145)は難しげに眉根を寄せていた。
(女の子の話、気になるんだよねー)
描いていたのは野球部員。現れたのは、ぼんやりと描いた自分。
熱心に描いた対象の姿をとるのなら納得いくが、違った。なら、原因はどこにあるのか。僅かに尖らせた唇でううんと唸り、ローズが沈思する。
(もしかしたら、優越感が関係してるのかも)
推測と可能性は、踏み出すための大いなる一歩。だからローズは、自らが最も優越感を感じていた頃の想い出を引っ張り出してきた。そう、それは腐女子(種族)の頂点たる『壁サーの女王』に君臨していた時代の話。当時の自分を想起しつつ描けば、かれら悪性怪異の欲する絵となるだろう。
鋭く分析したローズは、こうして制作にとりかかった。
一方のアランは、額に鉛筆を押し当てて唸ったままだ。
(絵、絵なぁ。絵心なんて何もねェからな)
仲間たちの動向を見つつ、鉛筆を押し当てる先を額から紙へ変えてみるも。
(わっかんねぇ……人って、人ってなんだ?)
哲学的な目覚めがアランを苛める。
(おかしいだろ、一番見ている形のはずなのに筆が進まねぇ)
頭を抱え出しそうな彼の近くで、頬へ筆先を押し付けたイルミナが、友人の画家が描いた絵を眼裏に浮かべていた。ああいう風に描こうと思い立ったが吉日、彼女は鮮明に顔を思い出せる人々の姿を辿り、筆を踊らせた。
やがてイレギュラーズが銘々で絵を仕上げれば、仲間の作品を鑑賞するひとときが、自然な流れで訪れる。
悠が描きあげた絵は、細部まで精密に描き込まれていた。画力に関しては人並みだが短時間で為したとは思えぬ力作で、思わず周りも「おお」と唸った。
その隣では、照れを帯びた笑みを唇に刷き、恭介が頬をふくりと持ちあげる。
「どんな服着てもらいたいかって、つい考えちゃって」
「わーい! きれいなお洋服!」
スティアがぱちぱちと拍手して喜ぶ。
ふと、力作を掲げていたメイの興味がよそへ向く。
「それは何なのです??」
彼女が問いかけた相手はアランだ。
「適当に女をな。漫画的な」
アランの作品をそれぞれ覗き込んでみる。愛らしい桃色の髪を広げさせて、はわわしている女子が描かれていた。キラキラした瞳は大きく、細長すぎる手のバランスなどから、幼稚園児並の画力はあると推定される。
将来有望な絵のはずだが、アランから零れたのは底が抜けそうなほど深いため息。
「筆より剣を持ってる時間のほーが多いのに、絵なんて描けるわけねェよ」
「私はね、描きたいものを描いたよ!」
眩しい笑みと共にアレクシアがお披露目したのは、ヒーローの装いをした人の絵だ。いつも人々の前では笑顔を見せてくれるヒーロー。一人でも多くの人を、動物を助け、時には哀れな敵にだって手を差しのべるヒーロー。
「憧れてるんだ。私がなりたい存在!」
語るアレクシアの双眸に宿るキラキラが、口よりも雄弁に心を物語る。
「イルミナも描きましたよ! 近所にある商店街の方々です!」
ふふんと鼻先を鳴らして、イルミナがひっくり返らんばかりに胸を張る。
日常風景で拝める笑顔を切り取った絵は、抜群の記憶力に伴ってか黒子の位置からシワの度合いまで正確だ。
そのとき。
「おなかすいた」
突如として子どもの声が聞こえた。
前触れなく顔をだしたのは、おなかぺこぺこのボール型悪性怪異――ヨル。それだけではない。
テニス部の少女も、学生服を纏ったポニーテールの少女も、つられて姿を現した。転がる球のヨルが、じいっとローズの描いた絵を凝視するような素振りを示し、あげないから、とローズが絵を隠す。
アレクシアがすかさず、教室を保護するための結界を展開する。戦いの余波が新たな悲劇を生むのは、どうしても避けたかった。この美術室もまた作品同様、ここで日常を過ごしてる人にとって、大事な場所だから。
●
イルミナの絵を、一体の球がぺろりと平らげた。
「本当に絵を食べた……不思議ッスねぇ」
イルミナが感心するも、球は瞬く間に商店街の人物の姿を真似して。
「突撃するですよー!」
後ろではほら貝の音が鳴り響かんばかりの勇ましさで、メイが蒼き彗星のごとく駆けていた。賑やかさが戦場に音の華を咲かせ続けるそばで、髪を高く結わえたヨルの行く手を遮りながら、悠が尋ねたのは。
「どうして絵を欲しがるのかな? 姿が欲しい? 込められた思いが欲しい?」
「きみの絵をちょうだい」
「きみの絵」
「ちょうだい」
まるで他の言葉を知らないかのように、ヨルたちが挙って繰り返す。
悠は眸を細めた。姿かたちを持たぬかれらは、通わせる言葉も知らないのだろう。
(自分が何者か判らないのかな。だったら悲しいことだけど……)
迷惑をかけていい理由には、決してならない。
ゆえに悠は己の生命力を供物として、仲間たちへ力を捧げていく。
そしてアランが限界突破せんばかりに拳を唸らせ、眼光鋭く敵を見据えた。
「手早くクリーンに決めようぜ」
絵を描くのに脳みそを消費した分、身体を動かし敵をぶっ飛ばすという行為への気合いは恐らく人一倍だ。
同時にアレクシアが布陣を目視し、かつての勇士が滾らせた想いを胸に抱いて、誘争の赤花を踊らせる。
すると黒球だけでなくテニス部の少女も巻き込んで、花弁の嵐が吹きすさぶ。
まもなく花びらに撫でられた存在が覚えるのは、術者アレクシアへの敵愾心。
複数体の攻撃を一手に引き受けようと駆ける、アレクシアの近くでは。
「さ、いよいよ肝心の悪性怪異ッスね!」
気合い回路フル稼動、意欲ステータスオールグリーン。
そんなイルミナが真っ先に繰り出すのは、怪異であろうといとも容易く貫く一手。
彼女が描いた商店街の人を模したヨルへ、容赦なく捧げた一撃だ。
「どんどん倒すッスよー!」
続けて波に乗った彼女は、有り得た可能性を纏いて二度目の刺突を贈る。
するととうとう一体目のヨルが、逃れる手段もなく消滅した。
(……ヨルも可愛い服、着たいかしら)
なんてね、とちょっとだけ和んだ眦のまま、恭介はまあるいヨルの群れへロベリアの花を供える。
ヨルの内で渦巻いてやり場のなかった情念を、そのまま刃へ換えるのだ。
(着せてあげたいけど、準備が大事よ)
だから先ず、麗しき花を咲かせた。かの黒い球体に。終わりへ近づく彩りを。
そのとき、学生服の少女は悠へスケッチの仕種を披露した。鉛色の細い線が、一瞬で悠を絡めとる。振りほどこうとするも簡単には取れない。そこへ。
「ごめんなさいね悠ちゃん、はいお水!」
盛大に水が撒かれた。絵の具バケツを手にした恭介は、ずぶ濡れになった悠へハンカチを手渡す。冷房の効いた部屋では寒気を覚えるが、目下の問題は纏わり付いたこの線で。だから悠は、腕に巻き付いた線をこすりだす。
ただの鉛筆の線ではないが、しかし落とせた。
「濡らすか何かして擦れば、この線落とせるわ!」
悠が線を拭い落としていく間、恭介が皆へそう伝える。
同じ頃、祝福を授かろうと水鏡を張ったスティアは、ちょうだいとねだる球たちを眺めていた。
(やっぱり、大事にしている絵を奪いたいんだね。……考えるのはあと。頑張らなきゃ!)
両頬をぺちぺちと挟んで自らへ言い聞かせ、スティアは顔をもたげた。
一方のローズは。
「絵を描くときはね、魂を込めるの。この絵で、見た人の心を捕まえられるように」
盾でヨルを叩き、盾が軋んでもなお口を動かしていた。
「心を捕まえられたら、自分のエモが他人に伝わるの!」
盾を持つ手を緩めぬまま、己の胸元をとんと叩く。
「伝わったら、エモに共感してくれる同志になるの! 人類総エモ同志化するのよ!」
攻め立てられるヨルは、ぷるぷると身を震わせるばかりだ。
「それだけ心血を注いでるの! そんな絵を奪うのって最低だね!」
美術室で高らかに歌われるローズの弁舌と盾に圧殺され、音を上げたヨルはふしゅうと気の抜ける音を噴いて消えてしまった。
●
「巷で噂のシティガールが行くのですよー!」
メイは速力を破壊の糧とし、一向に崩れる気配のなかった球を貫いていく。腹をすかせたヨルは漸く、潰されて溶けた。
傍ではリミッターを解除したアランが、再現性東京において聖剣の残影を再現する。
与えられたのは限りある一瞬。しかし一瞬あれば充分だ。
「さあ、さぁさぁ、行くぜ……!」
殺意の紅を煌々と燃やした大剣で、敵を叩き潰す。
振り下ろした刃が球体に当たった直後、跳ねた敵がアランへの体当たりを試みる。
「わぶっ!?」
球が突撃した先はアランの顔面だ。張り付いたヨルを剥がそうともがく。
苦心する彼をよそに、ぼんやりした造形の少女が、悠へ色を塗りたくる。鉛筆の濃淡のみで美しい陰影を描きだした。しかしそれは、悠へ苦痛をもたらすもの。
「だめだよ、こんなことしたら」
悠の超分析が纏わりつく鉛筆の色や線をはらはらと散らすろ、そうだよ、と言の葉を繋げた者がいた。
一度は膝を着きかけたアレクシアだ。
「絵を大事に、大事に描いた人がいるんだよ!」
奪われた悲しみを知りもしないヨルへ、声を嗄す。
そして彼女の編み上げた魔力がかたち作るのは、赤き花だ。
爛漫と咲き誇る花嵐の中で、ヨルの数を頷きのみで数えたイルミナと悠が、動く。
「合わせるッス!」
「うん、いくよ、イルミナさん」
イルミナは、エネルギーフィールドを纏った両腕で。悠は、何度目かになる強制接続で。
両者の力を一点集中させ、未だ元気だったヨルを木っ端微塵に砕いた。
矢継ぎ早に恭介が、怨嗟を弓へ番える。恨みも嘆きも一条に束ねて放ち、黒いヨルを射抜く。別れの挨拶を交わす暇もなく、矢と共にヨルは消えた。
不意に、鉛の線が近くにいた悠たちを飲み込んだ。
「悠さん! どうぞ!」
片腕を掲げたスティアが、やさしい光を贈る。更には浄化の力が、スティアの四辺へ活力をももたらす。
漸くそこでアランが、むんずと掴み剥がしたヨルを床へ叩きつける。
「こっ、の……潰すッ! 絶対ェ潰す!」
右手に輝く太陽を力に、皓々と冴える古き月の輪を左手に点しての――クリムゾン・インパクト。
このときをもって、球状のヨルは絶滅を迎えた。
●
ブルーコメットと化したメイが、学生服の少女をふらつかせる。
そして少女が構え直すまでの、ほんのわずかなひととき。
ヨルの眼前へ飛び込んだイルミナが、テネムラス・トライキェンで怪異へ風穴をあける。
「持ち主のもとへと戻る様にさせてもらいます!」
少女にぽっかりできた穴は、足取りを揺らがせるのに充分だった。
鮮麗な色に浸したアレクシアの花が、舞う。だからかヨルも、赤を掻き消そうと灰の色をアレクシアへ飛ばした。
(絵も、みんなも、守ってみせるんだから!)
何度だって咲かせてみせると決意したアレクシアへ、白とも黒ともつかない色が襲いかかる。
だが、悠の燈し直した饗宴の加護が、瀬戸際で避ける力を支えた。だからアレクシアはすんでのところで灰色を避ける。
そこへ、ブースターを用いて恭介が少女へ一撃、静かな一撃で毒を注ぐ。
「……ごめんね」
恭介が囁いた直後、ローズが敵へ迫る。恭介たちが離れた好機を見計らって暴れに暴れる。
トークだけでなく物理的にも大暴れしたおかげで、ヨルは煙りのように消えゆく。
そして塊の内側からは、紙が舞い散った。
「はい、救出完了よ」
恭介が作品を掬い上げ、片目を瞑り皆へ知らせた。
ふと美術室を満たすスティアの歌声が、神聖なる音色で仲間たちを癒す。
彼女がこまめに不浄を破り転成していたのも、皆をしかと支える力となっていた。
(うん、なんとかなるなる!)
彼女の近く、跳ね回るメイの突進先は、残るテニス部の少女だ。
「おかたづけはきちんとしないとですよ!」
いけないことはいけないと口にしながら、少女をふらつかせる。
生じた一瞬の隙をつき、イルミナが突貫した。少女を模したヨルの要素が――黒い液体のような影が、傷口からぱたぱたと溢れていく。
そこへ、盾をしかと構えたローズが向かう。
「あのね、何はなくとも愛なの。愛あってこその二人なのよ!」
前触れなく紡ぎ出したローズの愛を、盾と共に押し付ける。前進するだけ少女は壁へ追い詰められ、盾を押し返そうともがいた。
「お互いに正直になれないだけ! わかる!?」
わかりませんとはヨルも答えられず、後ずさった。言動に引いているのか、勢いそのものに圧されているのかはわからない。だが悪をも制すローズのバイタリティとメンタリティは強い。強すぎる。
盾によって壁際へ追い詰められた少女は、それでもラケットを止めず――盾越しにローズへスマッシュを放った少女へ、すかさずアランが飛びかかった。
「これ以上かわいい生徒を脅かすのは許さねぇ!」
青春学園ドラマの教師よろしく熱き叫びが轟く。
「死ねやァァ!」
青春学園ドラマの教師にしては荒い叫びが響き、アランの斬撃は弧を描く。
月を思い出させる閃光に篭めた情熱は、紛うことなき本物。
だからこそ彼の一撃は――月は、かの者を死地へ叩き落とした。
「お、っとと」
そこでアランが咄嗟に掬いあげたのは、ヨルが落とした絵。
眦を和らげ、絵にかかった埃を軽く払う。
絵の中のテニス部の少女は、陽の元で健やかに笑っていた。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。ご参加いただき、誠にありがとうございました。
絵を描くところから和気藹々と楽しんで頂けたようで、たいへんほっこりしました。
またご縁がございましたら、よろしくお願いいたします。
GMコメント
蝉の音を聞きながらの部活動って、いいですよね。棟方ろかです。
●目標
絵を食べる怪異の殲滅
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●状況
美術室なので物は多いです。広さは、一般教室二つ分ぐらい。
条件を満たすまでヨルは出現しないので、先に場を整えるのも良いでしょう。
『人物の描かれた絵』であれば条件は満たせます。顔がはっきりしていない人物もOK。
一作品につき一体出現……と決まっているわけではありません。ここは状況によります。
かれらにとって絵がより「ほしい」ものなら、全員が一斉に出てくるかもしれません。
●敵
・テニス部の女の子(ヨル)×1体
漫画の登場人物を模した怪異。色は黒いですが活発そうな女の子。
見えないボールを様々な打ち方で打ち、遠距離まで攻撃可能。対象は単体でブレイクあり。
距離が近い相手は、ラケットで直接殴ることも。
・学生服を着たポニーテールの女の子(ヨル)×1体
絵を描いていた生徒マミの姿になった怪異。全体的にぼんやりした造形。
スケッチする仕種で、自範に鉛筆で描いたような線を絡みつかせて攻撃。
線が纏わり付いたままだと、毎ターンAPを自動損失します。
もうひとつ、手足や武具を鉛筆の芯のような色に染める攻撃では、呪いも付与。
・球状のヨル×6体
空腹なので、絵を食べに現れます。ボールのままでも、もちろん戦えます。
絵に描かれた人物っぽい戦い方をしますが、どんな戦い方でも効果は以下のもの。
ひとつは、近距離単体への攻撃。暗闇付与。
もうひとつは、遠距離単体への攻撃。怒り付与。
●再現性東京2010街『希望ヶ浜』とは?
練達には、再現性東京と呼ばれる地区がある。日本の都市『東京』を模した地区だ。
そしてここは『希望ヶ浜』。東京西部の小さな都市を模した地域。
希望ヶ浜の人々は、かつての世界を再現したつもりで日々を生きている。
だが日常を脅かす夜妖<ヨル>(悪性怪異)は、何処かに存在するのだ。
●希望ヶ浜学園とは?
夜妖<ヨル>と戦う学生を育成するための学校で、希望ヶ浜地区に存在する。
怪異を討伐できる人材を育成するために設立された。
ローレットのイレギュラーズを、教師や生徒として招いたのもこの機関だ。
住民には『幼稚舎から大学まで一貫した教育を行う、由緒正しき学園』と認識されている。
●夜妖<ヨル>とは?
都市伝説やモンスターの総称。再現性東京の住民にとって、存在してはいけない生物。
それでは、いってらっしゃいませ!
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