シナリオ詳細
<禍ツ星>別レニ尸童、死ニ白粉
オープニング
●神輿に座するは
歌わずに落ちゆく木の葉が、鮮やかな緑を闇に溶かし込む。それは雨が続いたあとの風なき夜。染みた水がとくとくと土を流れ、木々に吸い上げられていく音さえ微かに聞こえるほどの、静かなる夜。空が晴れ渡らずとも、神輿は掲げられた。座する神の子――尸童(よりまし)を知らしめるかのごとく。
低く圧しかかった雲が不運の兆しを告げながらも、行列の中央を神輿はゆく。
盛夏を迎える前に、雨を乞わねばならない。童子が水で遊び出す前に、挨拶しておかねばならない。
暗闇にも映える金の刺繍で飾られた、麗しき白の衣を纏い、尸童となった少年は黙したままでいる。結い上げた黒髪もまた美しく、山鳥の羽で作った髪留めや、花の枝で編まれた頭飾りに至るまで、派手過ぎずひっそりと揺れる。その顔には白粉が丁寧に塗ってあり、元の顔つきさえ分からぬ程の粧いだ。
まるで人形のよう、と感想を漏らす者もいた。あながち間違いではない。
今このときばかりは、少年は弥彦でなく『尸童』なのだ。
行列の行く先は、竹林の中にある川の畔。降ろした神の御言葉を賜るのに、流れゆく水場は適していた。
畔にて神輿は下ろされ、尸童たる少年も地へ足をつける。
そして宿った神霊の声を聞くべく、大人たちは膝を着きこうべを垂れた。
――ああいよいよ、この地を見守りし神の御言葉が、我らのもとに。
「とこしえの別れあるものぞ」
思わぬ言葉に、大人たちも戸惑い呼吸を忘れる。
「死、悲しむにあらず。君にとこしえの別れを。我にとこしえの別れを」
たしかに子はそう言った。いつもと様子が違う、と誰もが考え始めたそのとき。
大人たちが目にしたのは、尸童の周りに立ち並ぶ何人もの少年少女。尸童と同じ装い、同じ化粧、同じ背丈の童子だ。
「君にとこしえの別れを」
「我にとこしえの別れを」
一人が言えば、別の一人が連ねる。まるで歌い出すかのように声を弾ませて、童は大人たちへ抱きつく。抱きついた先から悲鳴が響いた。抱きつかれた大人が、あっという間に骨と皮だけになってしまう。精気を吸われたのだと、誰かが叫ぶ。命を吸われたのだと、誰かが訴える。
神聖なはずの儀式の場が、瞬く間に阿鼻叫喚の渦と化した。
嗚呼、とこしえの別れを君に、我に。
●情報屋
「おしごと」
イシコ=ロボウ(p3n000130)はいつものように淡々と話しはじめる。
「カムイグラの夏祭り、もういった? 奇妙な呪具が出回ってるの、聞いてる?」
絶賛開催中の夏祭りにおいて、様々な祭具が使われている。祭具自体は、元からあるものと配られたものが混ざっているらしく、その中に呪具が紛れ込んだという。
単に禍々しい気を放つだけならいざ知らず、今回の呪具は一筋縄ではいかない。呪具を手にしたものは狂気に駆られ、悪事を働いてしまうらしい。すでに事例も幾つか出ている。
「もしかしたら魔種の仕業、かも。何にしても、急いで止めないと」
もろ手をあげて夏祭りを満喫するどころか、中止になりかねない事態だ。
せっかく縁の繋いだカムイグラと、海洋王国の合同開催となる夏祭り。これから良好な関係を築いていくためにも、此度の祭は何としても成功させなければならない。
「私からお願いしたいの、白粉」
おしろい。つまり化粧品だ。
イシコいわく、それが噂の呪具であり、村で起きている事件の元でもある。
「その村のお祭り、神輿に尸童って子どもを乗せて村中を練り歩くらしくて」
尸童(よりまし)とは一体何か。
平たくいえば依代となる人間を指す言葉で、祭事において子どもが務める場合が殆どだという。勿論、この村も例外なく。
「イメージすると、子どもに神霊とかを憑依させて託宣を賜る、ってのがわかりやすい?」
身を浄め、美しく飾った子どもを神輿に乗せて、神幸の際には行列の中心的な存在となる。
そして村を抜けた先、川の畔で神の御言葉を受けて終わる――というのが祭の流れだ。
「そしたら尸童の子も衣を解いて、川で化粧を落として終わり……だったんだけど」
呪具の影響ゆえに、終わることを許されなかった。何体もの怨霊が、尸童の少年のそばに出現したという。
怨霊に抱き着かれた大人は、生命力を奪われる。もちろん、抱きつくだけが攻撃手段ではないようで。
「抱きつかれる以外に、顔、落書きされる」
らくがき。思わぬ単語にイレギュラーズが固まる。
「化粧、と呼べる落書きもある。そのときの状況、気分で変わるっぽい」
おしろいを塗る、紅を刷く、眉を書く、頬紅を置く――と怨霊の気分で様々な落書きを施されるようだ。綺麗に描いてもらえればまだ良いが、怨霊によってはらくがきレベルな化粧もある。
「ふざけてるみたいだけど、立派な攻撃。油断、だめ」
場合によって心にもダメージを負いそうだが、幸い、しっかり洗えば落書きは落とせる。
肝心の白粉の在り処をイレギュラーズが問うと、尸童の少年が持っている、とだけイシコは応えた。
「懐かどこかに入れてある、かも。……呪具をどうにかできれば、少年も元に戻るはず」
断言はできないが、呪具の白粉をつけたことで、少年に異変が起きたと考えるのが一般的だ。
そして呪具の影響で、どこからともなく怨霊まで招かれた。ならばどうするのが適当かは、イシコにも口にできない。
「尸童の子、弥彦(やひこ)って名前。ずっとお母さんとふたり暮らしなんだって」
尸童に選ばれたことを、嬉々として母に報告していたという目撃例もある。
その母は現在、おかしくなった息子を目の当たりにし、倒れてしまったが。
「だからちゃんと彼女のところへ帰してあげて。それじゃ、お願い」
イシコはそう告げると、彼らへ後を託して立ち去った。
- <禍ツ星>別レニ尸童、死ニ白粉完了
- GM名棟方ろか
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2020年08月06日 22時37分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
「そう、ですか。呪具というものが出回っているのですね」
祭事を担う大人たちが『うつろう恵み』フェリシア=ベルトゥーロ(p3p000094)から事情を聞き、湿った面持ちで頷く。
「確かに祭具は賜りました。いつもと同じものに見えましたが」
尸童(よりまし)に用いる白粉は、庶民が使う一般的なものではない。それこそ貴い位の女性が用いる程、洗練された品が必要らしく、新しい祭具を定期的に受けとるのが常だと言う。
「その祭具……白粉について詳しいことがわかると、もっと早く助けられるんだ」
当惑した顔の彼らへ、『希望の蒼穹』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)がやや早口で告げる。
すると村人たちは、イレギュラーズをある蔵へ招き入れた。
「以前のものがございます。どうぞお手に取ってご確認を」
託宣の後、供え物やお清めを経て祭具を処分するのが定例だが、今回は無事に終えていないため、残されたままだ。早速『水天の巫女』水瀬 冬佳(p3p006383)が手に取り確かめ、仲間へ順に手渡していく。
(それにしても、尸童……とは。馴染みのある言葉です)
冬佳の眸がふわりと緩む。呪いによる事件さえ起きなければ懐かしむだけで済んだのにと、寂しげに目を伏せていると傍で声が弾む。
「紛れ混まれたら、こりゃわからねぇよな」
現物を目にした『笑う青鬼』八寒 嗢鉢羅(p3p008747)の声だ。
彼と並び白粉を眺めていた『レディの味方』サンディ・カルタ(p3p000438)はふと顎を引く。
「祭具は着物の何処にしまうものなんだ?」
「布で包んで懐に。弥彦にもそのように持たせたはずです」
弥彦――此度の尸童に選ばれた少年だ。
サンディは微かに唸った。戦いの最中に懐から落ちてくれれば容易いが、楽観視はできない。
「巾着切りの真似するかもしれねーが、容赦してくれよ?」
彼は肩を竦めながら村人へ事前に断りを入れた。
懐中物を掠めとるのは得意だが、相手が相手ゆえ難易度は上がる。しかし在り処が判っているだけで心持ちはだいぶ異なった。
「……みんな、そろそろ」
時間を確めていたアシェン・ディチェット(p3p008621)が背から仲間へ囁きかける。
別の村人から儀式の終わらせ方を聞いていた『鏡の誓い』ドゥー・ウーヤー(p3p007913)は、そこで大人たちへ口の端を上げてみせた。
「必ず弥彦さんは助けるよ。俺達に任せて」
真っ直ぐな言の葉と眼差しに、村人が深々と頭を下げていく。
「神使様、あの子をお願いします」
「何とかしてやるよ! よっしゃ、キバるぜ!」
嗢鉢羅が自らの両頬を叩いて気合いを入れ直す様は、人々の心に頼もしく映った。
そうして竹林へ向かう道中、彼らは『性別:美少年』セレマ オード クロウリー(p3p007790)との合流を果たす。
「そちらはどう、でした?」
後は傾くばかりとなった陽に眩しげに目を細め、フェリシアが問う。
するとセレマは眦をほんのり和らげて、
「首尾は上々だよ」
と一笑に付した。
●
暮れなずむにはまだ遠く、けれど赤みを帯びた陽射しが川辺に降り注ぐ。青々と伸びる竹に見守られた水面とせせらぎが、神使にも涼感を抱かせた。
祭の終焉に訪れるそこは、夏の盛りが近づくにつれ、子どもたちの朗笑が響く川だという。しかし今は。
「本当なら微笑ましい光景なのにね」
アレクシアが惜しむ。一見すると、子が水遊びに興じる光景でしかないというのに、今の川にあるのは童の姿をとった怨霊ばかり。そして呪に囚われた少年弥彦の躯のみ。
サンディは眉根を寄せる。
「……村の祭りで白粉つけたら、ってのは何の罪もねーしな」
そう話した彼の声音が、心なし揺れる。眼裏に呼び起こされた姿が、そうさせた。子どもに、弥彦に罪はない。悪事を働いたわけでもなく、村のため、祭のため己が身を神の依り代としただけ。奇妙な仮面を自ら被り乗っ取られた――何処かの馬鹿と比べたら。
「ええ。だから一刻も早く片付けるわ。お日様の化粧が終わる前に」
ライフルを手にアシェットが告げる。
――はじまりの合図など、必要ない。
(ボクのいない舞台が華やぐのは、気に入らないね)
苦々しさを噛んだセレマが微笑を送る先は、川で戯れる童子たちだ。鏡を覗くよりも明瞭に、誰に尋ねるよりも正しく、セレマに備わる笑顔が尸童を模した霊の気を惹く。
「ボクがいる場所こそ、表舞台なんだよ」
脚光を浴びるのに相応しい舞台上で、少年は衣装を着た子どもたちへ語りかけた。
直後、真白き腕がセレマへまとわりつく。
それが遊ぼうと誘っているかのように見えて、フェリシアは口許を手の平で覆う。ただただ、子どもらしい様相が痛ましい。そう感じながら彼女は、己の生命力を贄としていく。
彼女の加護が揺蕩う中、霊が集っていくのを感じ、アシェンが遺恨ある霊へ捧げたのは鋼鉄の驟雨。逃れることを許さない雨に打たれ、子どもたちが駆け回る。
かれらの姿を通して神様の言葉が聞けるというのは、アシェンには興味深い儀式だ。
(残念だけど今は、お祭りへの羨望を口にはできないわね)
仕事が一段落したら、どこかお祭りに出向いてみよう。アシェンは静かに心に決めた。
ふと、清冽なる氷が冬佳の四辺に浮かぶ。
「……先ずは、周りを鎮めなければなりませんね」
瞬く間だった。数多の凍てついた刃が、怨念にまみれた不浄を祓おうと、翔ける。鋭利な氷刃が霊を切り裂いていく様相は、宛ら白鷺が舞うかのごとく。弥彦も怨霊も一様に、白鷺の羽根は苦痛を分け与えていった。
そこへ。
「弥彦君!」
アレクシアが英霊の魂を顕現して声を張る。
「ぜったい助けるから!」
自身の名だというのに少年はぴくりとも反応しない。
わかっていた。だから動揺ひとつ見せず、アレクシアは緋の花を乱吹かせる。夕焼け空を切り取ったかのような欠片がひとひら、ひとひら、子どもたちの鼻頭や唇に触れる。
白皙の顔に無を刷いていた尸童たちは、いつしか花の舞い手である彼女へ敵愾心を抱く。
「君にとこしえの別れを」
弥彦に連ねて、周りの子らも紡ぎだす。
途端、歌声のごとく弾んだ童が次々とアレクシアへ抱きついた。
「おっかねぇ話だ」
頭を掻いて呟いた嗢鉢羅が続く。果敢にも一手に引き付けてくれた彼女の動きに沿って、ひたすら怨霊へ槍を振るう。
(しっかし、人様に群がる敵の横っ面を殴るのは、性に合わねぇな!)
僅かに皮膚の上を滑る緊張はそのままに、アレクシアを狙う霊を引き剥がしていくと、足を止めた一体が嗢鉢羅の頬へ紅を乗せ始める。
「なんだ、そんなに化粧が楽しいか?」
大口を開けて一頻り笑った嗢鉢羅は、子の悪戯を退けはせず受けとった。
無邪気さを前面に出す怨霊を眺め、ドゥーは唇を引き結ぶ。
(子供の姿をしているから戦いづらい、けど……)
放っておけない。祭を台なしにされるだけでなく、子どもの命も脅かされては。
だからドゥーはそろりと杖を掲げ、聖なる光を弾かせる。使ってみてから、ふむ、と首を捻って。
(これは別の手段の方が効きそうだね)
考えながら、杖先で宙にくるりと円を描く。
同じ頃、怨霊や仲間から離れて迂回していたサンディが、水流の音に耳を傾けていた。
「さーて。俺も始めるとしますか」
目指すは弥彦の背後。川辺の広さゆえ、身を潜めて進むのには向かないが、それでも――気を惹いてくれる仲間たちを信じて、彼はゆく。
不意に尸童の少年が手招けば、またひとつ怨霊が遊戯に加わる。
直後、激しい閃光をセレマが解き放つ。光は瞬きほどの間で怨霊たちを翻弄し、セレマに空を眺める余裕をもたらす。
誰かの心を映したのか爽快からは程遠く、見飽きた空だったが。
一方で冬佳が落書きの餌食と化していた。しかし顔色ひとつ変えぬまま、戯れてきた怨霊へ瑞光を披露する。明滅した一瞬の出来事は童子にとって不思議なもの。首傾いだ子が事態を把握するより先に、弧を描いた水月は霊を弱らせていく。
(依巫の事故は、さして珍しくもありません)
突発的に起きてしまうものでもあると、冬佳は思惟を巡らし、弥彦を瞥見する。
(白粉に引き寄せられた怨霊に憑かれてしまった、というところでしょうか)
呪具が召喚具と鳴り得るのは、冬佳もよく知っている。邪気が招いただけかもしれないが、いずれにせよ時間はかけたくない。
離れたところではドゥーが虚無を編み上げていた。絶対助けないと。その一心で結う想い糸は波動を飛ばし、光を伴って怨霊をくるむ。
子に囲まれながらも、アレクシアは諍い誘う花を散らし続ける。霊の数が増えても軽やかに跳ねる間、嗢鉢羅が白銀の刃で怨みを裂く。
「ほらほら、そんなんじゃ落書きもまともにできねぇぞ!」
霊験あらたかな十文字槍で押し止め、格闘を仕掛けて青鬼は遊びたがりの相手を続けた。
そうして弱った怨霊へと、フェリシアが指揮杖を掲げる。贈るのは没溺メトロノモ――単調な拍節器のごとく繰り返される音は、怨霊の耳にも確かに届いた。そうなればあとは堂々巡りの伴として、沈むだけ。
溺れゆく怨霊がもがくのを見やり、アシェンは弥彦と仲間の居場所を認め、砲撃により大火を生み出す。猛る炎の着弾先は怨霊。轟々たる赤の音で負の情を焼き尽くす。
そんな色を瞳に映して彼女は想い馳せる。呪具に振り回された人々の心身は、抉られたままだろうかと。
(あの子も、戻った暁には……)
考えてしまえば胸の奥がちくりと痛む。
大人たちを傷つけ、母に心労をかけさせたこと。
少年は果たして覚えているだろうか。覚えていたとしたら、どうしようか。
●
薄暮に揺れる竹の葉が、とうとう黒影を溶かし始めた。
駆けて童子を引き続けたアレクシアがまろぶ。目撃したセレマはすかさず、神気で尸童もろとも霊を打った。死を与えるためではなく、仲間の負担を減らすための光輝だ。
生じた時間でアレクシアは気付く。戦火の中でも尸童が、弥彦が不自然に庇う箇所に。
村人いわく、祭具は懐へしまうように持たせたという。狂気に侵食されて以降も同じ所にあるとは限らなかったが、ここへ来て確信を得た。
だから彼女はサンディへ眼差しで報せる。花の馨を振り撒いて。
彼女の合図に感づいた嗢鉢羅が、任せてくれと己の胸を叩く。そして未だ残る霊たちへと、流暢な口上で畳みかけた。
「やいやい、どこから沸いたか知らねぇが、ひでぇことしやがる!」
童霊がこぞって青の鬼へ振り向いた。
「ガキを取り込もうとする悪い子なんざ、この嗢鉢羅様が躾てやらぁ!」
機を逸するなと暗に告げた彼へ周りも首肯し、尸童の――弥彦の奪還に動き出す。
最低でも抑えと洗う担当が欲しいと考え、アシェンも加勢に向かおうとしたが、仲間の動向に、地へ靴裏を擦り付けて止まる。
「周りを整えるのは任せて」
アシェンは弥彦の対処に向かった仲間へそう言い届けて、カルネージカノンで景色を彩り、霊を弥彦から退けていく。
ドゥーとフェリシアも同じだ。虚無を転換したドゥーの波動が霊を押しやり、フェリシアの起こした青き衝撃は、近づこうとする子を吹き飛ばす。
「絶対に、お母さんのところに帰してあげましょう、ね……」
怨霊退治を続行しつつ、皆へこくりと頷いた。
そのときだ。尸童が、そおっと手招く。来い来いと、遊び相手を欲する無邪気な幼子のように。
刹那、尸童の後背へ迫ったのは、常より隙を窺っていたサンディで。
(ベンタバール……)
この手で剥ぎ取れぬものがある。けれど、この手で掴めるものもある。
呟いた名は己に刻んだまま、サンディが少年の衣へ手練を差し込む。招く仕種のまま佇んでいた尸童はほんの一瞬、出遅れた。新たな霊が出現した頃にはもう、白粉は怪盗の手の中だ。
大事な白粉を奪った主を目で追った尸童は、足元に突き刺さったカードに気付く。それが何かをかれが理解できずとも、動きは鈍った。
「弥彦」
不意に響くのは、なんとも戦いの場に不釣り合いな、女性の穏やかな一声。
「弥彦、お腹が空いたでしょう。もう帰ってきなさいな」
喋っているのはセレマだ。
幻影越しに尸童へ語りかけるその声は、面会したときに覚えた弥彦の母のものだが。母の幻影と声は、弱りつつあり、祭具を奪われたばかりの尸童には、
「お、か……あ……」
――届いた。
「冬佳さん、今、なら……」
フェリシアが託した先は、浄化のすべを知る冬佳。
「ちょっと我慢してくれよ」
一言入れてサンディが咄嗟に尸童を取り押さえたためか、暴れ出す前に冬佳も駆け寄れた。
真白いかんばせを見つめた冬佳の指先から流れ出づるのは、陽光と月明かりで浄められた真水。彼女の魂が知る限りの力で生み出した水で、塗りたくられた祭事用の白粉を溶かしていく。
幻影が消滅したところでセレマも加わり、落ち切らない部分へクレンジングクリームを擦り付ける。
ひどく冷えきった子の顔から呪いの白が祓われ、ぴたりと動きが止んだ。サンディがそろりと手を放しても、やはり暴れる素振りは無い。
窺いつつ冬佳が担うのは、清浄なる神水による治癒だ。水の華を咲かせて尸童に刻まれた苦痛を流す。
彼女たちの後方で怨霊を消し去ったアシェンが、ふうと安堵の息を吐く。
「化粧を落とすの、うまくいったのね」
近寄りながらアシェンが確認すると、冬佳が小さく頷く。
童子の霊を成仏させてまもない嗢鉢羅は、疲弊の色を隠して、弥彦と静けさを奪還した仲間たちへニィッと笑ってみせた。
「安心しな! こっちも片付いたぜ! って、うお。なんだこりゃ」
歩を運ぶ途中で、嗢鉢羅は地に刺さったままのカードに気付く。
ああそれ俺だよ、とサンディが口角をあげた。
「怪盗には必要じゃん。こういうの」
そういうもんなのか、と嗢鉢羅は興味津々にカードの表裏を眺め出す。
そこへ最後の怨念を掻き消して合流を果たしたドゥーは、何故だか口端がむず痒そうに歪んでいて。
「顔に何かされるの、やっぱり嫌だな」
呟きつつ、彼は手の甲で汗ばんだ頬を拭う。色など持たぬ筈の頬から、戦の名残が滴った。彼に落書きをした主は、もう此処に居ないというのに。
●
念のためにと冬佳が水で溶き祓った白粉からは、怨嗟の欠片さえ滲まない。憑き物が落ちたかのように弥彦もすっかり元通りでいる。怨霊が消え去ったときから既に、祭具はただの道具と化していたのだろう。
だが冬佳の顔色は優れない。淡く集っていく雲片のように、いつしか多くの情念が――怨霊に成り得る要素が、この地域に染み込み続けていたのかもしれない。ひとたび至った考えは覆せず、ましてやよそ見など冬佳にできるはずもなく。
「私、慰霊をしてから帰還します」
仲間へそう告げた彼女は、川の滸へ身を寄せる。
一方、竹林の前ではアシェンが優しい音を唇で歌っていた。
「これが呪われていたの」
「のろわれ……」
思いがけない言葉だったのか、弥彦の眼が真ん丸になる。
「この白粉に元凶……悪いものが憑いていたの。ぜんぶ、それが原因」
呪具に影響され、人々を傷つけたという現実は、幼子へ背負わせるにはあまりにも過酷だ。
常よりそれを懸念していたアシェンは、少しでも和らげようとゆっくり話を進めていく。そして弥彦の心境が落ち着いた頃合いを見計らって、次なる目的を口にする。
「さあ、お母様のところへ帰りましょう」
「そうだね、お母さんに早く顔を見せてあげたい」
耳を傾けていたドゥーも頬をふくりと上げて連ねれば、弥彦は「帰りたい」と応じてくれた。衣も解いて儀を終えた今の弥彦は、ごく普通の少年の顔を浮かべている。
寂寞たる夜が世を覆い尽くそうとしている。フェリシアとアレクシアは灯りを燈してほっと息をつく。暗くなる可能性を考慮していて良かったと、まだ昼の残滓が濃い日の底で思った――のも束の間、アレクシアはきょとんとした弥彦と眼が合う。
合った瞬間に弥彦が噴き出して笑ったものだから、今度は煌花の書を燈りにしていたアレクシアが、あれっ、と瞬く番で。
「お姉ちゃん、顔に色がいっぱい」
顔に色。そう言われてアレクシアは自らの頬をぺたぺたと触った。
「も、もしかして私、めちゃくちゃ落書きされてたり……する?」
彼女が尋ねる。
それまでは戦いもありじっくり拝むこともなかったからか、顔を覗き込んだフェリシアたちにも、微笑みが広がっていく。
落とさなきゃ、と慌てて川へ向かったアレクシアを、これを使いなよとクレンジング片手にセレマが追う。戦後の静寂は、こうしてあっという間に破られた。
沸き起こった慌ただしさもまた可笑しいらしく、あどけない顔で弥彦も笑うと。
――あははっ。
弥彦のものと混ざり、童たちの朗笑が重なった。
そして場にいた者が一様に驚く頃には、流れてきた笑声たちも風に紛れ、天へ昇っていく。
慰霊のため祈っていた冬佳が濡れた睫毛を震わせ、夕と夜の狭間へ吐息をくゆらせる。
そして今はなき子らへ、こう告げた。
「今度こそ、お別れしましょう。とこしえに」
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。弥彦も無事、母の元へ戻ることが叶いました。
呪具の奪取から弥彦の救出に至るまではもちろん、それ以外にも細かいところまで気を配っていただいたりして、良い結果へ繋がったと思います。
ご参加いただき、誠にありがとうございました。
GMコメント
お世話になっております。棟方ろかです。
●目標
尸童の少年(弥彦)の救出と怨霊の殲滅
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●状況
竹林に囲まれた川のほとりが戦場です。
川は浅く、夏になると村の子どもたちがよく遊びに来ます。
何もせず向かえば、現場到着は昼。
事前準備や寄り道などすれば、それより遅くなります。
大人たちは既に家へ篭っているため、現場にはいませんのでご安心を。
敵も明るいうちは移動せず、川辺で楽しげに遊んでいます。
●敵
尸童の少年(弥彦)×一人
呪具によって狂気に冒された少年。名は弥彦。7才。
イレギュラーズが全力で攻撃すると、そのうち殺してしまうでしょう。
攻撃手段は、ふたつ。
君にとこしえの別れを告げると、中距離単体の弱点をついて攻撃してきます。
我にとこしえの別れを告げると、自分を起点とした範囲内の味方のみを癒します。
また、副行動枠で『手招き』することにより、怨霊の数を一度に一体増やせます。
怨霊×五体以上
初期状態では五体。状況によって増えます。すべて子どもの姿で、弥彦と同じ格好。
戦闘能力としては、弥彦よりも強め。攻撃手段は二つ。
ひとつは、攻撃地点に移動して抱き着く技。HPを吸収され、体勢も不利に。
もうひとつ、落書きは至近距離単体へ、ダメージ以外に致命の効果も受けます。
時間経過または弥彦の『手招き』で、数が増える場合もあります。
それでは、いってらっしゃいませ。
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