シナリオ詳細
<涙海のレクイエム>ウルトラマリンの底
オープニング
●あの海を越えて
どうして人は海の向こうを目指すのだろう。
そこに何があるのかも、どんな苦難が待ち受けているのかも分からないのに。
「それでも人は海を越えるのさ。そこに海がある限りね」
およそ大海原どころか大自然と縁が無さそうな如何にも文系な男、『新聞屋』アレックス=ロイド=ウェーバーは褪せた金髪を潮風に靡かせながらそう言った。
ネオ・フロンティア海洋王国。
大陸の東、海流の中の島々によって作られた国家は、海運と交易とによって大いなる発展を遂げてきた。
それを支えてきたのは荒波も怖れずに船を繰り出す航海者達であり、その飽くなき冒険心は果てることがない。
だが彼らの前に大いなる壁として『それ』は存在していた。
その壁を誰が呼んだか『絶望の青』という。
変わりやすく荒れやすい海洋性の気候に航行を妨げる岩礁地帯。絡みつく海藻に襲い来る海魔。さらにはコンパスを狂わせる磁場……水平線の彼方を目指したまま帰らぬ人となった者は数知れず。
それゆえに人はその海を生と死、希望と絶望の境界として『絶望の青』と呼ぶのだ。
「絶望の青を越えるのが我ら《海洋》に生きる者の悲願。だが此度の戦い、決して志し半ばに果てるとも無駄にはなりますまい」
アレックスの隣、袈裟と呼ばれる僧衣を纏った禿頭巨漢の男が、青き死の壁を渉っていく海鳥を眺めながら呟いた。
壮年の男が告げるその言葉には、海洋の民の信念、そして勇敢に未知なる海に挑んで逝った者への敬意が籠もる。
男の名をエルテノール=アミザラッド=メリルナートと言った。
《海洋》の貴族、メリルナート家の現当主にして、先祖より引き継いだサルベージを家業とする者である。
沈没した船の鉄材や積み荷を引き揚げるメリルナート家を、死体にたかって商売するハイエナと陰で蔑む者もいたが、彼らのサルベージ事業はむしろ商売と言うより海難死した達への鎮魂の意味合いが大きい。
「我々は海で死んだ者がアンデッドとして甦り、幽霊船が彷徨うのを見てきた。ゆえに同志が死してなお辱められることのなきよう計らいたい。親しき者なら気持ちにけじめを付けることも必要……それは貴方がたとて同じでは御座いませんかな?」
「そうだね。お誘い頂いた上に船まで出して貰って有り難く思うよ」
エルテノールは今回の冠位魔種アルバニア、及び滅海竜リヴァイアサン戦で奮闘したイレギュラーズ達を絶望の青での引き揚げ作業に誘った。ギルドを通じての依頼という形だが、気持ちを組んだ上でのことだ。
今はメリルナート家の引き揚げ船団に乗り込み、戦場となった海域に向けて出港したところ。あれほど荒れ狂っていた海が今は嘘のように穏やかに凪ぎ、朝日が波間に煌めいて時折海獣が顔を出す。
だがこの青く美しい海の底では、未だ弔われぬままの人と船とが眠っているのだ。
それを見つけ出し、遺族に渡せる品は渡し、船材は新たな船に再利用する。そして誰とも分からぬ変わり果てた遺骸はメリルナート家の所有する墓地に埋葬することか今回の船旅の目的である。
遺体のある場所については死霊術を極めたエルテノールが当たりを付ける手筈となっており、情報屋のアレックスはイレギュラーズ達の活動の記録係としての同行だ。
「イレギュラーズじゃない僕は戦いには参加しなかったけど。せめて顛末を記録に残しておくくらいはさせて欲しい。だから船酔い覚悟でここに来た。君達も何かしら今回の戦いに対しては想いがあるよね?」
エルテノールと会話していたアレックスがイレギュラーズ達に同意を求める。
イレギュラーズに声がかかった最たる理由に、イレギュラーズの中からも戦死者や不明者が出ていることが挙げられる。
大海原に歌声を響かせて暴威を鎮めた人がいた。
魔種に落ちた女と痛みを分け合って消えた人がいて、冠位魔種相手に一矢報いて壮絶な死に様を見せた烈士も。
無論、《海洋》からも、友軍として駆けつけた《鉄帝》からも犠牲者が出ている。
沈んだ船。散った命。
彼らのために今出来ることがサルベージなのだ。
そして何よりも今ならまだ不明者を見つけ出し救助出来るのではないか。そんな蜘蛛の糸のようなか細い希望も。
エルテノールがこれから向かう海域に向けて合掌する。
ここから先がメリルナート家の戦場だと。
- <涙海のレクイエム>ウルトラマリンの底完了
- GM名八島礼
- 種別EX
- 難易度EASY
- 冒険終了日時2020年06月30日 22時15分
- 参加人数10/10人
- 相談4日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
リプレイ
●ウルトラマリン
「ねぇ、ディー。ウルトラマリンという色にはね、『海を越える』という意味があるんだ」
新聞屋はそう言って隣り合う少女へと語りかける。
《海洋》の貴族・クラーク家の末娘、『共にあれ』デイジー・リトルリトル・クラーク(p3p000370)は、ウルトラマリンというその言葉を転がすように反芻すると、海種の男が潜った海へと視線をやった。
ウルトラマリンはラピスラズリと言う青石を原材料とする顔料の主成分であり、島から大陸へ、海を越えて運ばれてきたことから名付けられた色だ。
神秘の象徴、まだ見ぬ世界への憧れとして。
「だから僕達は越えてゆかねばならないんだ」
新聞屋もまた海を見る。
眼前に横たわる青の群れ、それを越える前に今はやるべきことがあるのだと。
●海底の魂(うなぞこのたま)
青へ青へと沈みゆく身は、深く深くどこまでも落ちてゆく。
記憶を浚えば心の奥底には何があるというのだろう。
『幻蒼海龍』十夜 縁(p3p000099)はこめかみに生やした鰭を動かし、絶望と悲しみの終着点である海底を目指していた。
頭上を振り返れば船影は青に掻き消され、泡だけが影の代わりに己の後を絶えず追いかけて。
成就した恩寵は海流さえも宥めるけれど、心は嵐に飲み込まれた船のように翻弄され続ける。
のらりくらり。誰かと深く関わることを止め、誰かを愛することを諦めてきた。
ゆらりゆらり。ただ時が過ぎるのを待ち続け、ただ死ぬる日を待ち詫びてきた。
過去を封じ、未来を諦め、ただ生きるだけの自分は空蝉。
海に沈んだまま忘れ去られていく魂の失せた骸と同じに。
(ここにいる連中、みんな青の向こうを夢見て挑んだ奴らだったのになぁ。みんなは果てちまって、俺みたいな夢も希望も何もないのが結局ずるずると生き延びちまった……)
運命はいつだって残酷で、幸福を願う者、生きようとする者から容赦なく命を掠め取っていく。
愛する者の命も、己の命も。突然に、理不尽に。
(そう、あの人は……リーデルは願っただけだったんだ。誰かを愛し、幸せでいたいってな。なのに……なんであんなことになっちまったんだ……)
親を、兄弟を。夫を、子どもを。
家庭というささやかな世界。家族という暖かな絆。
大事なものを奪われるばかりの彼女から、最後は命さえもこの海が奪っていった。
薄幸な女との暮らしはただ寄り添うだけでも、誰かに寄りかかられるのは心地がよかった。
例え子がいても初めて縁づきたいと、ずっと共に在りたいと願った初めての恋だったのに。
溺死した子の後を追おうと女は身を投げて。
瀕死の彼女に止めを刺そうと首に手を掛けた。
ああ、側にいる俺よりも他の男の形見を取ろうというのか。
ああ、今愛し合う俺を置いて死んだ男の元に行こうと言うのか。
混乱は渦を巻き、愛は奔流となってこの手を動かし。
嫉妬は逆巻き、独占欲は濁流となってその命を奪った。
縁なんてないのだと女は言った。『縁』ならここにいると男は言った。
『縁』なんて嫌な名だと男は思った。『縁』とただ一人呼ぶ女はもういない。
なのにこの海は22年前の大号令の最中の出来事を、嫌でも心の底に沈んだ女を思い起こさせる。
あの時から己に未来を望めはしないと全てを諦めてきた。
あの時から己と繋ぐ縁などないと生きるのを諦めてきた。
どうせ神託で世界が滅びるなら今更何もない。
だから停滞の中に朽ちるのを待てばいいと。
だけど結ぶ先もないと思っていた糸を結ぼうとしてくれた人がいて、糸が尽きようとすれば切れぬよう留めてくれた人がいる。
縁は、例えこの目に見えずとも確かに細い糸で繋がれていて。
縁は、例えこの手に触れられずとも確かにそこにあるのだ。
(稚魚の頃に親父から縁が途切れねぇように名付けたって聞かされたけど、本当になかなか切れねぇもんだな……。お前さん達の縁もまだ無くなった訳じゃねぇ。きっと陸には待っている人がいて、悲しんでくれる奴もいるはずだ)
海の底で見つけた遺骨と遺品。
ここに落ちているものは縁が切れたものじゃない、俺が縁を辿ってみせると言い聞かせて拾い集める。
(俺たちの……《海洋》の悲願が、ようやく叶ったんだ。お前さん方も連れて帰ってやらねぇとな。いや……連れて行ってやるよ。海の向こうの新天地ってやつに)
青のそこから青の向こうへ。
縁を繋ぎ直して未来に届けるのだと、男は女の骸を抱いて船を目指した。
●ブルー・シャドウ
男が遺体を抱いて浮上するとき、水中スクーターに乗った女はすれ違いに底を目指す。
『なきむし』エマ(p3p000257)が駆るその機体の名はブルー・シャドウ。
それは青の底を目指すには相応しく、彼女の心を捕らえる消えぬ影。
海の底を探して回れば、人の手にあった品々が散らばっていて。
海の底を浚ってみれば、人であったものの欠片が残されている。
だけど様々に拾い集め、数多を引き揚げながらも、心はただ一人を探し求めた。
『大海嘯』を奇蹟の歌で鎮め、この海に消えた友。
コン=モスカの巫女として伝説に名を残す少女を。
(分かっているんです……あの時はああしなければいけなかったんだって……。でないと私もみんなも死んでたって。でも……)
本当にああするしかなかったのか。彼女が犠牲になるしかなかったのか。
自分に出来ることはなかったのか。彼女が生き残る道はなかったのか。
一抹の想いは付きまとい、新たな世界が発見されても彼女をこの海に残して自分だけが未来に向かうことは躊躇われた。
心は今でもこの海の、あの神秘の瞬間に残したままだから。
彼女が残してくれた時間、救ってくれた命だと言うのに。
コン=モスカ。
コン=モスカ。
船の上では大合唱で、誰も彼もが彼女の死を悼み、その名を讃えているけれど。
コン=モスカ。
コン=モスカ。
今はその声を聞くのが辛くて、彼女にはカタラァナという名前があるんだと逃げるように海へと潜った。
一日じゃ終わりませんねと、平気なふりして。
本領発揮ですと、笑って空元気を振り撒いた。
だけど海の中では笑わなくてもいい。
だから海の底では泣いたっていい。
だってこの青の群れは涙さえも隠してしまうから。
先程すれ違った縁が人との関わりを深めぬためにのらりくらりと躱しているのなら、エマは怯えを隠してへらりへらりと笑って弱さを押し隠している。
そんな彼女に怖くないよと側にいてくれた優しい友達がいた。
歪な笑いをバカにもせずに微笑んでくれた暖かい友達がいた。
だきっとたくさん泣いても彼女はバカにしないだろう。
堪えてきた涙を流しても彼女は慰めてくれるだろう。
だからエマは精一杯彼女の痕跡を探して足掻く。
服の一切れでもいい、指の一本でもいい。
ここで何も見つけ出せずに諦めたらきっとまた後悔するから。
ここで何も見つけ出せずに帰ったらきっと先に進めないから。
分かっている。これがただ自分への慰みでしかないことを。
知っている。これがただ救えなかった友達への言い訳だと。
(もう一度会いたいよ……)
カタラァナ。
大切な友の名を呟けば、今も胸が締め付けられる。
コン=モスカの巫女と呼ばれる彼女にも、一人の少女としての名があったように。
いつも微笑んでいた彼女にも、きっと自分と同じに悩みや苦しみがあっただろう。
時と共に伝説と成り行く中で、誰も彼もが彼女が少女だったことを忘れていく。
それを自分だけは忘れずにいるため、彼女がいたという痕跡が欲しかったけど。
特技の泳ぎを披露したとしても、彼女の欠片はどこにもない。
これほど多くを発見し、引き揚げに成功してもなお彼女だけは。
(どうして……諦めたくない……諦められないよ……)
諦めかけたその時、水中に花が咲いて、仄かな蛍火が海底を照らした。
諦めたくないと願ったその時、よく知った声が聞こえて、あの時聞いた歌が降り注いだ。
『いあ ろぅれっと ふたぐん♪』
(ここにいるのですか? 確かにいるのですね……この海がある限り、ずっとどこまでも一緒なのですね……!)
姿は見えずとも。
何も残らずとも。
水色の髪の少女はここにいる。
青の群れの中に。
青い影となって。
この海がある限りここにいるのだ。
●海の蛍火
海の底に眠る軍艦旗に船首像、それから錨に舵も。
それらに命はないけれど、船の魂とも言えるもの。
『狐です』長月・イナリ(p3p008096)は船の一部、象徴となるものを見つける度にロープに括り付け、海上に引き揚げられるのを見送った。
今もちょっと仲間のマリナ似の女神を模した船首像を見つけたばかりだ。
(無事だった艦はたったの7%……それ以外は沈んだり航行不能となったり。そこに乗っていた人の数を考えたら膨大な数になるのよね。その遺族はさらに何倍も……)
イナリは水中に小麦色の髪をたゆたわせながら、戻れなかった船と人の数を思う。
海水は青い棺となって沈んだ船を抱きしめて。
水底は海の墓場と化して人の骸を曝している。
それはイナリが如何に水中行動に馴染み、サルベージに適していたとしても、一度や二度の機会では到底為し得ないほどの膨大な数だ。
だけど嘆いていても始まらない。
だから今できることをするだけ。
稲荷神の『式』を狐人に書き込まれたイナリは、疑似神としての才覚を発揮する。
海底の地形、船の位置をマッピングすれば次の引き揚げに役立つだろう。
潮流の動き、船の識別をレコーディングすればなお効率が上がるだろう。
流されたり埋もれたりする前に少しでも多くと励む仲間もいたけれど、一人一人の遺品を掻き集めるには今は時が足りなさすぎる。
小さなものを拾い集めるのは他に任せて、せめて乗っていた船の一部でも持ち帰れば、船と共に沈んだ誰かを偲べるだろうと考えたのだ。
(ごめんね、今は時間も人手も足りなくて全員引き揚げてあげられないの……。でもいつか必ず迎えに来るから。だから今はみんなの代表ってことで、先に船の部品を持ち帰るから、それで我慢してね……)
だからイナリは船首像を引き揚げた。
例え砕けていたとしても、その姿は船を導く船乗りたちの希望だから。
それから彼女は軍旗を探し当てた。
例え破れ果てたとしても、それは国家に尽くした軍人達の誇りだから。
暗い海の底に埋もれたものを見つけるのは大変だけど、こんなこともあろうかと用意してきた水中ライトが役に立つ。
そうだ、灯りがあればもっとたくさん探せるじゃないか。
そうか、広く照らせば海底の全容が分かるじゃないか。
(五穀豊穣を司る大地の母たる稲荷神の力をとくと見よ。水底の砂を土としてあまねく照らす光となれ──)
豊穣の神、稲荷神の眷族、女神の化身となった狐の女は種を撒く。
水の中に咲く仄かに発光する白い花、蛍のような花粉を飛ばす花の種を。
それはイナリの恩寵で瞬く間に芽吹き、光の群れとなって水中を照らす。
その花は青の世界に灯る唯一の光だった。
その群は青の世界を遍く照らす光だった。
儚く散るはずの花の灯は希望となって咲き誇り。
儚く飛ぶはずの蛍の光は道標となって魂を導く。
遺体や遺品を必死に探していた縁とエマが、それからアレクシアが振り返る。
遠くで泳ぐマリナとユゥリアリアの姿が見えるほどに明るく、暖かく。
稲荷神の恵みは仲間達の探索を助ける大いなる力となるだろう。
(そう、ここで沈んだのね。ここにたくさん眠っているのね……。お疲れ様、そしてありがとう……。どうか安らかに……)
イナリは光に照らされ足下に散らばる残骸を見下ろすと、静かに手を合わせる。
その身、その品を今は残していくしかなかったとしても、せめて魂だけでもと。
水底に眠る魂が蛍火に送られるのを願いながら、イナリは自らも船の魂たる舵を抱いて海面を目指した。
●涙の群れ
「海の神様、どうか私に力を貸してください」
『希望の蒼穹』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は護符を握り、大いなる海神(わだつみ)に祈る。
海の底に沈んだ人達を少しでも多く見つけるために。
水の中でも息をして、長く潜れるようにしてくれと。
かくて女の願いは成就され、海底への道が開かれると迷い無く飛び込み、痕跡を探し求めた。
(緑の海藻さん、赤い珊瑚君も、ここに最近落ちてきたものがあったら教えて)
ハーモニアの呼び声に応えて海の植物たちが教えてくれる。
鎧を纏って浮かび上がれぬまま息耐えた骸を。
数多の戦場を共にしたであろう剣の一振りを。
真新しい遺体と遺品は捨てられた屑のように海の底に広がって、改めて犠牲の多さを思い出させた。
フェデリアでの戦いは勝利に終わったけど、勝った勝ったと喜ぶには失った人も物も多過ぎた。
自分にもっと力があったなら、もっと救えるものがあっただろう。
自分が上手く立ち回れていれば、死なせずに済んだであろう人も。
それは過信で傲慢だと分かってはいるけれど。
それでも絶望の青の向こうを見れた人がいるはずで。
それでも絶望の底に沈まずに済んだ人もいたはずだ。
(だけど私は誰かの希望でありたい……絶望に囚われた人がいるなら救ってあげたい。だから命の灯火を照らすよ。さあ、これを目印に来て。持ち帰れるものがなくても、必ずあなたのことを伝えるよ)
アレクシアは心の中に灯火を掲げた。
それは必ず皆を護るという彼女の想いの具現。
それは決して誰も見捨てないという決意の印。
死したる者の魂の輝きまでこの目に捉えるギフトは、同時に記憶と感情とを流し込み、アレクシアの身を苛んだ。
もっと生きていたかったという悔恨と、家族の元へ帰りたいという哀愁。
まだ見ぬ世界へ行きたかったという潰えた希望と、仲間のために一矢報いんとする覚悟。
それはあまりにも強く、あまりにも切なくて、この胸を締め付ける。
(みんなそれぞれに色々な想いがあるんだね。忘れないよ、ちゃんと覚えて伝えるね。貴方が誰だったのか、最期に何を思ったのか。一人一人、みんなだよ)
めくるめく記憶の走馬燈を一つたりとも忘れまいと、しっかりとこの胸に焼き付けた。
国は死んだ人を数で示そうとするし、この群青の海は一つのように見えるけれど。
でも本当は一人一人想いと共に沈んでいて、この海は一粒一粒の青で出来ている。
だから一つ一つの想いを背負っていきていくのだと。
それがこれからを生きる自分達の力になるはずだと。
例え何一つ見つけられずとも、メリルナート家の者に伝えればきっと遺族に伝えてくれるはず。
だからこの海から遺体と遺品と記憶を持ち帰る。可能な限りたくさん、この身に受け止められるだけたくさん。
そしてこの海から希望と覚悟と想いを持ち帰る。可能な限りたくさん、この身に背負えるだけたくさん。
私達にも、戦った相手にも、みんなに想いや人生があった。
けれど大切な何か、大切な人の為に戦い、この海に沈んだ。
この海は涙の群れで出来ている。
(戦いなんてやっぱり嫌い。命のやり取りなんてしたくないよ……。みんなで手を取り合えるように、私、頑張るから……。頑張るから……海の中なら少しくらい泣いたってバレないよね……?)
アレクシアの涙が群れに混じると、蛍のような儚い光が眠れる者の数だけ辺りを泳いで見えた。
●星の海
いつかこの青を越えられると思っていた。
だけどこの青を越える為に多くが死んだ。
ひたむきさは何者にも勝る力だと思っていたけれど。
ひたむきさは誰かを殺す諸刃の剣だと初めて知った。
ディープシーの『マリンエクスプローラー』マリナ(p3p003552)は、二つの足を尾鰭に変えて絶望の青と呼ばれた海へと潜る。
人魚姿を恥ずかしいなんて言ってられない。
人魚だからこそ出来る何かがあるのだから。
深くて冷たい海の底には数多の船と人とが沈んでいて、古きも新しきもこれだけあるのに、そのどれもが孤独に泣いているように見えた。
まるで誰も来てくれないのだと。
自分は忘れられてしまうのだと。
絶望に囚われているかのように。
(お待たせなのです。迎えにきました。さあ、海の上へ戻りましょう。大丈夫、これならまだもう一度船となって海を渡れるのです)
大きな大きなクジラのような船の死骸から鉄板を外すと、ロープに括って船の上へと引き揚げて貰う。
鉄材は溶かして再び船の材料として使えるのだと、サルベージ業を営む家系のユゥリアリアが言っていた。
引き取り手のない遺品や遺骨も、名も無き海の英雄として領内の墓地に埋葬して貰えるとも。
だから全ては無理でも、可能な限り何でも拾って回る。
未だ絶望の青に囚われている人や物に語りかけながら。
あなたを迎えにきたのです。
マリナは破れた国旗に語りかけ大切に胸に抱きしめた。
また海に出られるのですよ。
そして壊れた錨を労るように撫でてロープに結んで。
皆の元に帰って眠るのです。
それから名も知れぬ兵士の遺体を背負って船へと向かった。
(誰も迎えに来ない、みんなに忘れられてしまうなんて思わなくていいのです。あなたたちは負けた訳じゃないのですよ。敢な海の男達の魂を捨て置くなんて出来ないのです。だって私は──)
海の男は荒波の如く強く誇りあれ。
海の男は水平線の向こうを夢見よ。
海の男はこの海の如く心広くあれ。
幼少の頃に祖父から聞かされた海に生きる男の心得は、少女の心に海への憧れと船乗りの矜持を生んだ。
だけど自分は男じゃないからと都合のいいことを言って逃げてきた。
青海の女神像なんて称号を貰って調子に乗り、ギフトがある限り自分の船は不沈艦になると驕っていた。
だけど現実はどうだ。救うなんて言っても救えなかったじゃないか。
だから現実を見ろよ。誰かが挑むのをただ見ていただけじゃないか。
(挑んでいればいつかはなんて軽く考えて、私一人の力なんて微々たるものだと甘さを知ったのです……。だけどもう私は忘れません。それから逃げません)
私は諦めず、挑み続ける。
心は折れず、救ってみせる。
海の藻屑と消えぬよう、照明を手に探し続ければいつしか太陽は沈み。
時の狭間に流されぬよう、ぎりぎりまで引き揚げたなら、空の海に星は瞬く。
「私は絶対に忘れません。身を挺して命と希望を繋いでくれた海の男達がいたことを……。そして今度は私が護るのです。もっとたくさんの人を……あなたたちの分までも……」
甲板の上に疲れた身体を投げ出して星空に語りかける。
それでこそ海の男、自分の目指す強さだと。
夜空には群青色の空に星が散らばり、まるで海の中で見た蛍の光のようで。
名も知らぬ海の男達の魂は星の海を渉る船に乗り、今も旅しているのだろう。
「ミーナさん、アリアさん。港に着いたら起こしてください……」
戦場に残った仲間達に頼むと重くなった瞼を閉じる。
夢の世界に漕ぎ出せば、群青の空で星がきらめいた。
●死神と花束
青い海と青い空の狭間で炎のような赤い羽根がはためく。
それは夜船の舳先の篝火のようにゆらめいて、水平線の果て、死者の住む世界へと向かっているようにさえ見えた。
『葬奏の死神』天之空・ミーナ(p3p005003)は事実、異世界では死神であった。
元は人間でもあり、そして堕天使でもあるけれど。
少女の姿をしているが、かつては伴侶さえあった身だ。
帰らぬ誰かを傷む気持ちは多分にあるからか、それとも死神としての性がそうさせるのか、悲劇の海域を訪れるごとに弔いの花束を海に投げた。
あれは──冠位魔種アルバニアとの決戦前に引き受けた依頼で訪れた場所だ。
絶望の青を彷徨う怨念に憑依され、変異種姿になった者達を討伐した。
罪無き勇敢な軍人達が廃滅病を発症し、知性を失い、人ならざる姿と化してかつての仲間に討たれる。
討つ者も、討たれる者にも想いがあっただろう。
(新たな被害は出さずに済んだけど、命の形を無理矢理変えられるってのは嫌なもんだ。ただ難破したり戦死したのとは訳が違う……)
だからこそ歪められた命の形に憤りを感じる。
だからこそ死神として等しく命を送らねばならぬ。
エルテノールに頼み立ち寄って貰った海域で、己の羽根の色と同じ、炎のような紅色の花束を青へと捧げると、想いは魔種となった男と共に少女が眠る海の底へと沈む。
例え男が魔種となっても愛は変わらなかった。
魔種として愛し、魔種と共に滅びることを望み、手を繋いだまま海へ沈んで行った気高い少女。
それは変異種となった軍友への想いを変えることなく、討つことで心だけは共に連れて行くと言った軍人達と同じだった。
姿は変われど、在り方は変われど、恋情も友情も変わらぬのなら、人の心はなんと美しく、何と強きものだろう。
だからこそ歪められたまま終わらせたくはない。
だからこそ死神として美しいまま葬らねばならぬ。
(アンタは強かった、そして気高く美しかった……。故に、共に眠っているというのなら邪魔はするまい。遺品を求めるなんて野暮はしないよ。でもこちらから花束一つ、送らせて貰うよ。どうか安らかに……)
新郎新婦に捧げる祝福のように花束を捧げ入れると、想いは船と共に神なる海竜の眠る海へと向かう。
愛も魔も、憧れも悲しみも、全てを飲み込む青、その主。
その荒れ狂う嵐のような神を封じて眠りに着いた竜の姫。
彼らもまたこの海のどこかで静かに眠っているのだろう。
「リヴァイアサンよ、傲慢なる神よ。私はお前とは違う、人と共に生きていく。例え姿が変わろうが人を見捨てはしない。形が変わっても愛は変わらぬと教わったからな。死神として人に寄り添っていくさ。なにぶん元は人間なものでね、人と一緒じゃなきゃ生きていけない死神なんだよ」
宣言するように呟いて最後の花束を海に捧げる。
眠る神への供物として、あるいはこの海に眠る大勢の名も知らぬ英雄達への手向けに。
花束はしばし浮かび、そして飲まれ、やがて沈んでいく。
深い深い海の底、ウルトラマリンの底の方へと。
(そう言えば魔種と少女を見送ったときにも、縁とアレクシアとユゥリアリアが一緒だったな。不思議なものだ、これが『縁』というものか……)
仲間の名である『縁』という言葉を口の中で転がすと、イナリが海面に顔を出す。
青の群れの中に赤い花を投げた女と、白い花を咲かせた女。
これもまた『縁』だ。
「海の底にリヴァイアサンの鱗の一つでも落ちていなかったか? あれば護符にでもなりそうなものなのだが」
死神は冥界の篝火色した瞳を輝かせながら、船に上がろうとする稲荷神の眷族に手を差し出した。
●水の徒花
懐かしい黒い法衣を着る父の背中。
一念と共に突き出す数珠を握る拳。
それは幼い頃から見つめ続けたもの。
己の在り方として憧れ続けたもの。
『氷雪の歌姫』ユゥリアリア=アミザラッド=メリルナート(p3p006108)は、父が死霊術を駆使し、船を難破船の元へと導くのを郷愁と憧憬とをもって眺めていた。
自分もメリルナートの姫として海に沈んだ者達を掬い上げるものと信じていた。
だが正義感からか、それとも婚約への反発からか、不正を言挙げて婚約者の家を没落させる原因を作り、連帯を重んじる貴族社会からは疎まれた。
怨嗟の声は醜聞と化して家名に泥を塗り、勘当されたことにして家を出たのは数年前。
正しいことをしたはずだったが事実はどうだ。
婚約指輪はパンドラの収集機となって、今なお捨てることを許さない。
まるで永遠に消えぬ罪の印として。
「どうした? 久しぶりの引き揚げに緊張でもしておるのかな?」
「ええ、お父様。久しぶりに船員達とも会えて嬉しくて。激しい戦いの後でしたから余計にそう思うのかもしれません」
「お前にも心配させたな。大婆様も無事廃滅病から回復した。ここに来れぬことを残念がっていたぞ。しかしお父様、か。何もこの船の上でまで淑女ぶる必要もあるまい」
「じゃあ、親父。ありがとうな、ミーナの頼みを聞いて寄り道をしてくれて」
日頃は令嬢として振る舞えどわざと家族の前では荒っぽい地が顔を覗く。
視線を向ければ花束を海へ放る赤い羽根の少女が見えた。
「もう一箇所、寄って欲しいところがあるんだ。いいかな?」
それは女王を愛し、想いは決して適わぬと絶望から魔種となった女の元。
トルタ・デ・アセイテ。
恋に破れて祖国に反旗を翻し、破れて艦隊ごと海の藻屑と消えた美しき女提督。
彼女を偲ぶものが見つかったなら、想い人たるイザベラ女王の元に届けたい。
それが適わぬ恋でも、その想いが過ちだとされたままにしておきたくはないから。
彼女のアルマデウス艦隊の乗組員の遺品や遺骨も可能な限り遺族の元へ届けたい。
叛逆者となった彼らにも家族は居ただろうし、公に求めることは憚られるだろうから。
「よくぞ申した、娘よ。行くがよい。トルタ提督とその配下の遺品は必ず女王陛下や遺族の元へ届けると約束しよう」
「ありがとう、親父。必ず見つけてくる」
歌姫達と共にエコーロケーションで海の底の船体の位置を確認すると、人魚姿となり海の中へ。
海の始祖たるものの灯、隼人明星が海底を照らすと、そこに旗艦・エル・アスセーナ号の姿が。
海の底では敵も味方もない。
魂となった者に貴賤はない。
幼い頃よりの父の教えがユゥリアリアの中にあった。
ユゥリアリアは敵兵の遺体、敵将の遺品を拾い集める。
(これ、トルタ提督の……)
青の世界に漂う領巾、その持ち主の遺体は敢えて探さなかった。
愛した女の前に屍を晒すことは望まないだろうから。
美しいまま愛する人の元に届くことを願うだろうから。
隠されたものを暴くこと、眠れるものを掘り起こすことが正しいとは限らないことを今は知っている。
ミーナ達と共に行った依頼で出会った、愛を貫いて海へ沈んだ二人もそうだ。
向き合わねばならぬものもあること、捨ててしまってはいけないこともあることも今は知っている。
この指に今も嵌まっている、愛の印に送られた婚約指輪がそうだ。
辺りを仄かな光が照らす。
白い花から浮かびあがる光が、水葬される女を送ろうとしているようにも見えた。
ユゥリアリアは領巾だけを手に船を目指す。
船の上に戻ったらミーナと一緒に花を捧げて、アリアと共に鎮魂の歌を捧げよう。
それからマリナと一番いい酒を海に流すのだ。
絶望の青を越えたなら、これからまた新しい世界へ踏み出すために。
手には報われぬ恋に散った女の名残。
ユゥリアリアの指にも恋の徒花の記憶が嵌まっている。
●瑠璃の底
禿頭の偉丈夫が術を駆使して死霊となった者の在処を探る。
その背に敬意の眼差しを向けるのは何も実の娘ばかりではない。
『遺言代筆業』志屍 瑠璃(p3p000416)は死者の霊と向き合い、彼らの脳裏に刻まれた情報を視るのを己の生業としてきた。
諜報集団・黒脛巾組の下忍として、戦場や墓場を巡り、屍と化した者共に残る記憶の欠片のようなもの映像、あるいは文字化した思考の名残りを採集するために。
それは僧形の男と似て非なるもの。死者のためでも、遺族のためでもない。
彼らの持っていた情報の中から、誰かにとって有益となる情報を拾い上げるのは、打ち捨てられた遺体の身ぐるみを剥ぎ、金品を持ち去る盗人と変わらない浅ましき行為に思えた。
誰が使うのか聞かされもせぬまま屍肉の中を掻き漁り、使えそうな情報以外は無用と弔う事なく見て見ぬふりをしてきた。
瑠璃は知っている。
例え死体となり果てても、魂は霊となって残っていることを。
瑠璃は覚えている。
遺骸が朽ち果てたとしても、存在は誰かの心に残り続けることを。
瑠璃達、黒脛巾組の下忍が必要な部分だけ取り出して後は不要と打ち捨てたものを、メリルナートの一族は引き揚げ、葬り直すのだという。
それは忍として主に仕えるために捨ててきた心、心を保つために気づかないふりしてきた情というものを震わせる。
(私もいずれ私が見てきた者達と同じように命を落とし、屍として打ち捨てられるものと諦めてきました。でもこうやって引き揚げ、弔おうとする御仁もいる……)
瑠璃は海の底へと潜りながら、幾度となく考え、そして諦めてきた己の死を思う。
誰も来ない深く昏い場所で、骸は魚介の餌となり、骨は砂に埋もれゆく。
この底に沈む者はかつて想像した自分の末路、もし元の世界に残っていたならなっていたかもしれぬ姿。
(伺いましょう。あなたが何を見て、何を思ったか。伝えたい言葉、残したい想い、私が代わって伝えます)
ナイトゲイザーで海の底まてで見通した瑠璃は、屍を見つけると口元に耳を近づける。
もう物言わぬはずなのに、そうせずともギフトを使っていれば分かることなのに。
その口唇から聞き出すことで、死者の尊厳を護ろうとするかのように。
それは誰も見ていないからこその秘め事。聞こえた声は伝えられなかった愛を告げていた。
(人は皆役者、娑婆は生ける者の舞台。お疲れ様です、あなたは命を演じきりました。ご遺言は後へ続く役者にお伝えしましょう。なにせ私は『遺言代行業』、ですから)
その言葉は海底から見つかった手記として細工され、身元が分かる遺品となりうる物と共に死者から聞いたとは言わずに渡すだろう。
郷里に残してきた大切な人、生き残った仲間への言葉として。
(初めてです、こんな想いをするのは。かつての私はいくさ場に立つこともありませんでしたから。これはそう、私の──)
罪滅ぼしかもしれない。
群青の中から見つけたのは、そんな自分の心の奥底の、埋もれていた真実。
「何をしていらっしゃるんですか?」
組み立て式小型船に遺品を積んでメリルナートの船まで戻れば、遺品を手にするユゥリアリアがいて、ギフトを使えば物に込められた持ち主の感情を歌により感じとれるのだと言う。
側にいるアレクシアも、感情が伝わったり記憶が見えると難儀なこともあるよね、と。
ああ、そうか。
見えるのは自分だけじゃない。
感じるのは自分だけじゃない。
聞こえるのは自分だけじゃない。
ギフトの力で記憶を探ったということは誤魔化さなければいけないと、人目があるところでギフトは使えないと思っていたけれど。
人と魔、人と神なるものとの戦いを経験すれば、竜神を受け止め魔の穢れを払えるような何がしかの強き力を求めずにはいられないけれど。
もう隠さなくてもいいのかもしれない。
ありのままの自分でいいのかもしれない。
瑠璃はアリアと共に歌おうとする二人の元へ歩み出した。
●コン=モスカの歌
海は凪いでいる。
荒れ狂い、人も船も悲しみも全てを飲み込み、今は何事もなかったかのように。
だが『希望の紡ぎ手』アリア・テリア(p3p007129)は、メリルナート家当主の死霊術により蒼き炎として現れた死霊の姿を見た。
そしてユゥリアリアの歌声が沈んだ船の存在を捉えるのを。
それは紛れもない戦いの傷跡。
それは未だ絶望の淵にある魂。
だから彼らを引き揚げるため、その魂を慰めるため、最も高い場所である見張り台へと楽器と共に上る。
(ここなら引き揚げしてる人の邪魔にもならないし、この海のずっと遠くまで届けられそう。私はみんなのように海に潜ったりは出来ないけれど、でも楽器を弾くくらいは出来るから。だからせめて死んだ人達の安寧を願って奏でるね)
アリアはフィル・ハー・マジックで魔力を鍵盤楽器に象らせ、宙に浮かんだそれに指を置いて優しく聖歌を奏でた。
歌声なき音曲は、潮騒に混じり安らぎの調べとなって海の底まで届く。
それは海の底に眠る者の心を癒し、彼らを引き揚げる仲間を労った。
無念の死もあっただろう。
絶望の青を越えることも、家族の元へ帰ることもなく散った数多の命が。
覚悟の死もあっただろう。
国家のために命を捧げ、仲間を救い、強敵に報いて見事散った勇士の魂も。
敵も、味方も、今は全てが等しく海の底。
だから心を込めて安寧を祈って音を紡ぐ。
(次は生き残った私達からのメッセージ! 場違いかもしれないけど、でも聞いて欲しいんだ。私達は貴方たちの死を無駄にはしない。この先も進んでいく。そんな決意を込めるよ。だから見守っていてね)
それは行進曲。あるいは凱歌。
勇ましく、聞く者の心を震わせる、命ある者に向けた応援歌だ。
でもアリアはそこに歌詞を乗せはしない。
歌い手でありながらその美しい声を囀らせはしなかった。
感情が溢れて声が上づりそうだったから。
想いが込み上げて涙ぐみそうだったから。
否、この場に相応しいのは自分の歌じゃない。
否、この歌を響かせるのは自分の声じゃない。
あの子の、ごうごうとさんざめく大海嘯と共に消えたあの子の歌。
『いあ いあ しんかい の えいれい たち ふたぐん♪
いあ いあ うみ を ゆく ろうれっと の いちぐん♪
いあ いあ いかれる うみ の ぬし うたえ♪
いあ いあ やさしき うず の ひめ そよげ♪
いあ いあ うみ の そこ ねむれ あおの むれ♪
いあ いあ あお の そこ しずめ うみの たま♪』
trick of spilits.
アリアが持つギフトが伝説のコン=モスカの巫女の歌声を再現する。
それはワンフレーズだけ、途中からアリア自身の声に変わったが、船の上の誰も気にはしなかった。
コン=モスカ。
大海原に消えた巫女を讃えよ。
コン=モスカ。
この海に沈んだ英雄を讃えよ。
波の上に顔を出したエマが嗚咽を堪えて見張り台を見上げ、それに寄り添うようにアレクシアがそっと肩を抱くのが見えた。
船員達も皆、あの時聞いた歌を再び耳にして泣いた。
(カタラァナちゃんがここにいたらきっと歌ってくれたはず……だから私が代わりに歌ったよ。ううん、カタラァナちゃんにも聞いて欲しい、カタラァナちゃんが今どこにいるか分からなかったけど、きっとこの海に溶けてるんだよね?)
アリアは遺体も遺品も何も残さずに消えた少女にも届けと歌うと、ユゥリアリアの声が重なる。
それから、アレクシアの声が重なり、最後にエマの声が重なった。
歌と演奏を終えても喝采はなかった。拍手もない。
だがその歌は確かに海の底で遺品や遺体と向き合う者達の心に響いた。
見張り台を下りると縁が酒瓶を、イナリとミーナが花を抱えて出迎える。
これから船の上で鎮魂の儀を執り行うのだという。
「じゃあね、みんな! ばいばい! また会いに来るからね!」
寂しい別れは悲しいから、最後は明るく笑って言う。
海に向かって。海底に届くまで、きっと、きっと。
●ウルトラマリンの歌
「マリナさん、起きて下さい。着きましたよ」
港に着くと、甲板の上にごろ寝して船に引き揚げられた魚みたいになっていたマリナを、瑠璃が急かすように揺する。
「あれ? カタラァナさんは?」
「カタラァナさんはいません。あれ以来、消えたままですから」
「そうですか、あれは夢ですか。海の底に綺麗な花が咲いて、蛍が飛んで、カタラァナさんが楽しそうに歌っていたのです。皆さんもいました。赤い花束を持って、みんなで歌っていたのです。それから酒盛りもしたのですよ。海の男に酒は付き物なのです」
夢見心地にマリナが語ると、未成年は飲んだらダメですよとミーナとイナリが言う。
マリナと変わらぬように見えるが、彼女達は少女の姿をしているだけ、神様だけに本当の歳は謎だ。
「そう言えば瑠璃はウルトラマリンの原料となるラピスラズリの別名だったね」
「おいおい。口説くにしちゃあ、ありふれた手だねぇ」
瑠璃に向かって言う新聞屋に、縁が突っ込む。
新しく出来た縁を楽しむように笑いながら。
ユゥリアリアは父親と共にクラーク家のデイジーと今後の打ち合わせをし、エマがカタラァナの歌の名前を考える。
「コン=モスカの歌って言われると、何か違うなーって……。巫女としての使命とか言われると確かにそうなんですけどもー……」
「ウルトラマリンの歌はどう?」
友を失ったエマが元気を出せるように。これから先へ踏み出せるように。
アレクシアの提案を受けてアリアが再び歌い出す。
いあ ろうれっと ふたぐん♪
いあ うるとらまりん ゆかん♪
ウルトラマリンの底では青の群に涙が溶けている。
それでもイレギュラーズは海を越えていく。
この海に眠る者達の、想いと願いを連れて。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
このたびは私の初のEXシナリオにご参加いただきありがとうございます。
●構成について
お一人ずつの描写となっていますが、プロロークとエピローグで挟み、一本の物語となるよう仕立てています。
順番については演出上の都合ですが、時間はこの通りの流れでは無く、時系列は前後しています。
●描写について
ステータスシートとプレイングを元に、心情や信条を交えつつ皆様の行動を描写させていただきました。
大きくはプレイング準拠ですが、リプレイ全体として意味が通るように、それからお読みになった皆様とキャラクター達が希望を見いだせるように、繋ぎの部分にアドリブを加えさせていただきました。
他の人のパートも読むとよりお楽しみいただけると思います。
●テーマについて
タイトルは「ウルトラマリン」(海を越えていく)と「底」(沈んで動かない)という風に対比になっています。生と死、希望と絶望、縁を結ぶことと想いが適わぬことなど。
意識して読んでみるといいかもしれません。
PC達それぞれの胸に、そして皆様のご記憶にも残るシナリオになっていれば幸いです。
GMコメント
<絶海のアポカリプス>お疲れ様でした。
このシナリオは海洋大号令から始まる絶望の青攻略戦の後日談という位置づけ。今回はその個人企画第一弾です。
とは言っても海洋の全体イベントに全く参加していなかった方もおられると思います。そんな方でも大戦で沈んだ船や遺品・遺体の引き上げとふわっと捉えて参加していただいて構いません。
レッツサルベージ!
●目的
・遺体や遺品、船体、積み荷等の引き上げを行う
・海に沈んだ者に対し哀悼の意を捧げる
・激戦の記憶に想いを馳せる
真面目にサルベージに取り組む他、海に花束を投げる、海に酒を注ぐ、鎮魂歌を歌う等も可能です。各自思い思いに行動なさってください。
今回の大号令による戦いの犠牲者ばかりではなく、過去に絶望の青を踏破しようとして亡くなった人を範疇に含むことも可能です。
また犠牲者に対してどうこうじゃなく、サルベージを手伝いながらご自身の激闘を回想するシーンとすることも可能ですし、行方不明者の捜索も可能です。
●舞台
・戦いが行われた海域の「船上」または「海の中」
それ以外が設定されていた場合、シナリオに合うよう改変される場合があります。
●情報精度
このシナリオの情報精度はAです。想定外の事態は絶対に起こりません。
●描写
・申し合わせがなければ基本的にお一人様ずつの描写です。同じ場面に書いて欲しい人がいればお相手の方の名前を1行目に明記してください。
・心情を絡めた描写となります。心情をしっかり書き、口にしない想いは括弧で括るか、口にはしない部分がどこか分かるように区別してください。
・サルベージに必要な能力がなくてもメリルナート家の者が手助けしてくれます。ギフトや技能、装備品があればなお良い感じです。
・他のGMのリプレイの出来事は私には分からないので、分かるようにプレイング内で説明してください。
・他の方との相談は特に必要としません。お好きなタイミングでプレイングを書いてください。
●関係者
・エルテノール=アミザラッド=メリルナート
ユゥリアリア=アミザラッド=メリルナート(p3p006108)さんのお父様で、セイウチの下半身を持つ人魚型の海種。
サルベージを家業とする《海洋》の貴族、メリルナート家の現当主にして死霊術士。
死体や遺品で富を得ているとやっかむ者から陰口を叩かれても決して信念を曲げない徳の高い人物です。
サルベージのための助力は惜しまないでしょう。
それでは皆様の心の籠もったプレイングをお待ちしております。
Tweet