シナリオ詳細
<漆黒のAspire>滅びを選ぶか否か
オープニング
●
この世界はもうすぐ終焉を迎えるのではなかろうか。そんな事を松元 聖明は、ふと、思った。
新たな実験台の幻想種に『死者蘇生薬』を投与する。ドーピングを施した上で試した結果は、やはり失敗に終わった。手足を拘束したベッドの上にて、一度死に、薬の投与で生き返ったと思われた実験体は、狂気に侵された顔をしていた。
ベッドの側に立つ聖明に狂気の矛先を向けようとして、松元 エピアによって屠られた。
美丈夫の夫へ振り返り、美女は心配そうに尋ねた。
「聖明さん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。しかし、こうも成功しないとなると、最近の世界情勢と関係しているのだろうか……」
溜息をつきつつ、今し方の実験体についての要点だけをメモする聖明。机の上には何十枚と綴られたレポートが積み上げられている。
今まで、どれほどの数の幻想種や人間種を実験に使っただろう。それらは『肢体蘇生薬』を作る過程での実験であったり、薬が完成した後の実験であったりと、理由は様々だ。
エピアが顎に指を乗せながら首を傾げる。
「どういう事かしら?」
「最近、なんだか理由の分からない穴が空いたり、この前のように通常の生物とは異なる何かが出てきたりするようになったよね?」
「ええ」
「同時に、こんな噂も聞いていてね。
『世界はもうすぐ滅びるんだ』、なんて、根拠の提示も無い噂だよ」
「でも、最近はそう思ってない。そうでしょう?」
妻の問いに、聖明は嬉しそうに笑う。
「察しがいいね、エピアさん。
そうだよ。最近はその噂もあながち間違いじゃないのかな、って思うようになったんだ」
「それはどうして?」
「これは非情にややこしい物言いになってしまうけどね。死者蘇生薬は死者を蘇生する事に特化した薬だ。だけど、与えても全く成功しない。元の人格のまま生き返らない。これは、死ぬ事は認めても、死ぬ前と同じように生きる事を世界が拒否しているのでは? そう考えたんだよ」
「つまり、死者蘇生薬を使った死者の生還を、世界は祝福しない。いつまで経っても成功しないのは、世界がそう強制しているせいなのではないか、って事?」
「エピアさんは本当に察しが良いね。要点を摘まめばそういう事になる」
聡い妻の言葉を聞いて、聖明は嬉しそうだ。
彼女の言う話の根拠はどこにもなく、答えとしてはむしろ不明、以外にはない。例えるなら陰謀論めいた説だ。
だが、少なくとも、聖明はそう思った。思うしかなかったと言うべきか。
実験を幾度繰り返せども、最初以上の思った成果は得られない。その最初の成功例たるマウスも、三日と経たずにその身体をぐずぐずに崩していったけれども。
実験体を人と思わぬ医師。だというのに、人には生きる事を目的とした薬を出そうとする医師。矛盾した存在となった彼は、魔種であるエピアと長く連れ添った事で狂ってきていると、分かる者には分かるだろう。
「それで、その節が正しいとして、お薬はどうするの?」
「改良は重ねている。そうだね、次は……イレギュラーズか、もしくは邪魔してくる者がもし人型なら、それを攫って試してみようと思う。
その為にも、この場所を出よう。深緑の領内がどうなっているのかも確認しないと。この近くで穴が空いたら許せないよ」
「良いわね。手伝うわ、聖明さん」
「ありがとう、エピアさん。君が居てくれれば心強いよ」
血の臭いが濃く残る実験室で、血とは無縁の唇が重なった。
●
深緑領内はどこもかしこもざわめいていた。大樹ファルカウの影響だろうか。
松元 聖霊(p3p008208)は深緑に足を踏み入れてからずっと気になる場所があった。
記憶にある場所を目指して歩く彼についていく形で、仲間達も一緒に来ていた。
ここ最近、世界のあちこちで起こっている様々な事。天義だけでなく深緑にもそれが及んでいるとなれば、自然と記憶にある場所を探し求めるのも無理らしからぬ話だ。
ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)は、ざわめく木々の音に警戒を向けながら、聖霊の背に向けて問う。
「一体、どこへ向かわれているのでしょうか?」
「心当たり、としか言えねえな」
「そう、ですか」
その言葉の真意を測りかね、それ以上の追求が出来ぬヴァイオレットの背中を耀 英司(p3p009524)が「気にするな」と言いながら軽く叩く。
(聖霊の事だ。おそらく、ご両親の事だとは思うが……)
先日の邂逅での事を思い返し、胸中でのみ嘆息をつく。
出来れば、彼にこれ以上負担が無い事を祈るしかない。
彼等の様子を後ろから見ていた嘉六(p3p010174)は、後ろ頭を掻きながら誰にも聞こえないように「どうしたもんだか」と呟いた。
最近、聖霊を含む彼等の様子がおかしい事には気付いていた。どう踏み込んで良いのか、測りかねている内に今日のこれである。
(あいつの性格からいって、自分から話すような奴でもないしな)
何度か飲み交わしたりした仲であり、付き合いも深い嘉六。故に、彼の性格は多少なりとも分かっているつもりだ。助けを求めるのが苦手な性格だなんて、とうの昔に知っている事。
それでもはやり、どうにかしたいのが友心というもので。
胸中で本日何度目になるのか分からない溜息を零し、空を仰いだ。
「ん?」
疑問の声を上げたのは誰だったか。
木々が多い茂るも、往来というだけあって広めの道を通っている。
その向こうより見える一組の男女。
白黒の羽を一対ずつ持って飛んでいる美女と、彼女の隣を歩く白衣を着た偉丈夫の男。聖霊と英司にとってはもう馴染みの顔だ。
「おや、いらっしゃい。それとも、おかえりなさい、かな。聖霊」
「やっぱり私達の子なのね。ここに戻ってくるなんて」
穏やかに笑って聖霊に声を掛ける二人は、その部分だけ見れば親子の再会だろう。だが、彼等とは対照的に、聖霊の顔はとても、暗い。
「父さん、母さん、頼みがある」
「なんだい?」
「何かしら」
「…………もう誰も、傷つけずに、静かに暮らす事は出来ないか?」
聖霊の言葉の意図を、誰もがすぐには測りかねた。英司一人を除いては。
やや間を置いて、夫妻は首を振る。
「それは無理な相談だよ、聖霊。『死者蘇生薬』を完全なものにする為には、犠牲がつきものだ」
「私達の子である貴方なら、理解してくれると思ったのだけれど……残念ね」
「俺は、父さんも母さんも傷つけたくないし、二人がこれ以上誰かを傷つけるのを見たくもない!」
「聖霊……」
子供の我儘であると、彼自身も理解しているかは分からない。
けれど、彼の偽らざる本音でもある。
エピアが手を差し出す。その意図が分からず、聖霊はただ見つめていた。
彼が問う前に、彼女は優しい母の顔で囁いた。
「そんなに私達を傷つけたくないというのなら、一緒に暮らしましょう」
「ああ、いいね。三人で一緒に暮らそう、聖霊。そして一緒に母さんを幻想種に戻そう」
名案だ、とばかりに破顔する聖明。
二人の顔を見て、聖霊の目が見開かれる。
ふらりと進みそうになる足を止めたのは、左右の肩にそれぞれの手を置いた英司と嘉六。そして、後ろから彼の名前を呼ぶヴァイオレットの声だ。
彼等が愛息子を引き留めたのを見て、夫妻の怒気と殺意が膨れ上がる。イレギュラーズを完全に敵と認識している彼等にとって、邪魔をされた事は何よりも腹に据えかねるものだった。
睨み合いによる膠着状態が続く。その空間を壊したのは、イレギュラーズの後ろからした軍靴の足音であった。
振り返ると、近付いてきたのは鎧を着込んだ集団だった。腰に剣を携えた集団の人数は、ざっと数えて十名ほどか。
「全剣王様のお望み通りに、全てに滅びを!」
高らかに叫ぶ彼等に、眉を顰める。
不毀の軍勢と呼ばれる者達だろうという事は何となく想像が付いた。
前門の虎、後門の狼。
挟まれる形で対峙する事になったイレギュラーズは、戦いの構えを取る。
木々のざわめきは、まだうるさい。
- <漆黒のAspire>滅びを選ぶか否か完了
- 掴みたいものは
- GM名古里兎 握
- 種別通常
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2024年03月05日 22時06分
- 参加人数8/8人
- 相談5日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
その瞬間だけは、世界から音が消えたかのようだった。
『ヒュギエイアの杯』松元 聖霊(p3p008208)が、魔力で生み出した剣で魔種エピアを刺した、その瞬間は。
●その答えは遅すぎたのか、それとも
時は少し遡る。
不毀の軍勢が後方から迫って来た所で、イレギュラーズはまず優先順位を決める事にした。
「聖霊殿、君はどうしたい?」
この場において、優先順位を一番最初に決定する権利があるのは彼だ。
そう考えたからこそ、『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は彼に問うた。
話を振られた男はキュッと口を一度強く結んだ後、自分の今の望みを口にした。
「母さんを……いや、松元 エピアを、殺す」
死なせる事が救いだとか、そんな思いではない。そんな考えを、医者である自分は否定する。『彼女』とは違うのだ。遍く生命に害を為すならば敵とみなす。それが、彼が出した答えだった。
「その意見を尊重するよ、聖霊殿。……どうか、よき別れを」
聖霊に背を向ける。彼が両親と向き合う為の時間を稼ごう。その為にも、敵にこの先は行かせない。
星空が煌めく刀身で、先制の攻撃を広範囲に与えていく。
後に続く『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)も愛用の細剣を閃かせる。彼と彼の両親との再会について、以前立ち会った事がある。その時に松元夫妻の考えを聞いた。
(反転や死が不可逆なのは世界の理か……きっとそうだな。
世界の中で生きる以上、それは破れないだろう)
彼の中の記憶で、『お願いね』と答えた彼女の表情と言葉が蘇る。聖霊にもイズマにも、縁の深い彼女。生前の彼女も魔種だった。
魔種のまま静かに暮らす選択肢だってあったと思えるのは、彼女との出会いで得た考えだ。
(それでもエピアさんを幻想種に戻したいのは、何故だ?)
聞きたかった。だが、それは後で聞けば良い。
今は、聖霊が悔い無きように、時間を稼ぐだけだ。
魔力の音が響く。広く、広く、親子を邪魔する無粋な敵だけを狙って。
二人だけでは心許ない。
心配というよりは単純明快な事実からの判断で、『闇之雲』武器商人(p3p001107)は不毀の軍勢を迎え討つ彼等に加勢する。
戦場の様子を広く観察出来る故に、自分を含めた仲間達の立ち位置を確認する。
『傲慢なる黒』クロバ・フユツキ(p3p000145)も聖霊の方に回ったようだ。『黄昏の影』ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)に『諢帙@縺ヲ繧九h縲∵セ?°』耀 英司(p3p009524)、それから『のんべんだらり』嘉六(p3p010174)は聖霊と深く関わりのある者達だ。彼が倒れないように支えてくれる事だろう。聖霊の側は心配なさそうであると判断する。
(ご両親の行動原理については、我(アタシ)にも共感出来る所はあるけどね)
自分とて、必要になれば彼等のようにやるだろう。
とはいえ、行ないは許容できるはずもない。理解はするしそれを含めて殺意もまた肯定する。
その上で。
始めるしかないのだ、殺し合いを。
「彼等の為にも、不要なものは取り除かないとだね」
既に斬り結び始めた二人を追うように、指先を空中に踊らせる。
空中に展開された魔方陣から発された気糸の斬撃が、仲間を避けて範囲内の鎧姿へと叩きこまれた。
背後の戦闘とほぼ同時に走り出したヴァイオレットが目指したのはエピア。
まずは自分に集中してもらう為、巨大な影を生み出す。地面より生えたそれは壁のような大きさで、注意を引くには十分だった。
「邪魔ね」
言葉に滲む怒り。乗ってくれた事を確認し、次なる一手を繰り出す。
その合間にクロバが斬り込む。
「母親か。父親しか知らない俺にしてみればどのような存在かは分かりかねるが少なくともアンタみたいなのとはちょっと違うんだろうな」
子への愛情は反転しても確かである事は伝わってきたが、同時に歪さも知る。
彼等へと言いたい事は多くある。子である聖霊には悪いと思いつつも、クロバは言いたい事を今の内に吐き出した。
「魔種に堕ちた身を戻す事自体への試みは立派かもしれない。
だが、その為に何人犠牲にした?」
エピアに、聖明に、問いかける。
だが、返ってきた聖明の言葉は。
「犠牲とは人聞きが悪い。私は医者なのだ。実験体と言ってほしいね。
人数なんて、覚えてはいない。カルテを見ればわかるだろうがね。君も、私とエピアさんを『悪』だと断ずるのかい?」
「善悪の話ではない、ただ俺は『それが気に食わないだけ』だ。
俺は死者は『絶対に蘇らない』と知っている」
『死者蘇生薬』の単語を聞いた時から、気に食わないと思っていた。
己は錬金術師だ。端くれであると自覚しているからこそ、死者蘇生は決して出来ない事も理解している。
故にこそ、叫ぶのだ。己が矜持を。揺るがぬ信念を。
「だから――命を冒涜することと、ふざけた事をこれ以上抜かすんじゃねぇ!!!!」
それが、錬金術師であり、『死神』と称する己の一線なのだ。
両手で構えた大型のカンブレードで近付く。
妻たる彼女に危害を加えんとするのを理解している聖明が杖を向けるのを、嘉六の銃弾が阻止する。
薄ら笑みを浮かべた優男へと向いた視線を受け止める。挑発するように言葉を発した。
「こっち向いてくんなきゃ困るぜ」
向けられる怒気に、背中を冷や汗が一筋流れる。
(踏ん張れよ、俺)
罪を犯す事を決めた友の側に立つと決めたのだから。
彼の後ろには聖霊の側に控える英司が立っている。彼もまた聖霊の側に立つと決めた友だ。
エピアの回復などさせない。友のやる事を手助けする為にも、走って場を掻き回す。
英司の方も用意は出来た。
聖明が、憎しみを聖霊にぶつけないように、あえて自分が受けよう。その為にも、もう一度。
「ここから先は、救えねぇ……変身」
ベルトを装着する。湧き上がる闇を裂く雷と共に姿が変わる。出で立ちはまるでダークヒーローのよう。
だけど、自分はヒーローなんかじゃない。そんなものは疾うの昔に資格などなくて。
それでもこの姿をとったのは、友を守る為。
「……大切なものを、守ってやれ。聖霊」
隣で、男が頷く。自分と違い己の手を汚した事の無い友が、己と同じ罪を背負うのが、心苦しかった。
されど、彼が隣で見てほしいと願うならば、それに応えよう。
嘉六だけをマークされぬように、そしてヴァイオレットがエピアにトドメを刺さぬように、隠された仮面の下で、冷たい瞳が静かに燃えていた。
●一度きりの終焉を、その手で差し出そう
鎧姿の軍勢は少しずつその数を減らしつつある。武器商人が念話でイズマやヴェルグリーズに敵の行動や予測を伝えてくれる事でやりやすかったのもある。
ヴェルグリーズの剣が鎧姿の持つ武器を叩き落とす。彼を狙おうとする別の個体へ、武器商人の魔法の斬撃が突き刺さる。
イズマが遠き場所から放った神秘なる力もまた、範囲内に居る複数名の鎧姿へと直撃する。
あと少し。残り数体を落とせば、エピアとの戦いに加わって彼等の負担を減らす事が出来る。その一心でただ力を振るう。
夫妻を相手取る嘉六、クロバ、ヴァイオレットにも疲労の色は見える。傷は聖霊が癒してくれている事で、どうにか戦えているというのが現状だ。それでも、エピアの回復をさせない事を中心に動いていたおかげで、彼女の傷は全く癒される事は無い。
(そろそろ頃合いでしょうか)
ヴァイオレットはトドメを刺すべく動く事を決めた。聖霊はきっと、母エピアを苦しませない。それどころか、幸福を持ったまま死を迎えてほしいと願うのだろう。
それがヴァイオレットには許せない。
悪には死を。己にもいつか因果応報の理に沿う日が来ると分かっているからこそ、その応報を受けず幸福に死ぬ悪など許せぬのだ。
同時に、彼が母を手に掛けた悲しみを背負うのをさせたくはなくて。それならいっそ自分が母の仇として憎まれる方がいい。
その為の動きを察していたのは、一人だ。彼――――英司は躊躇う事なく彼女の前に立ち、行動を阻害する。
自分を見つめるその眼は、「行くな」と確かに言っていた。
誰が立ち塞がろうと関係ない。歩を進めようとするヴァイオレットを、英司が身体で止める。
「……何故、因果応報を邪魔するのですか、英司様!」
「アンタが泣いているからだ、死にたがりのお嬢ちゃん」
「え……」
言われて、目元に手をやる。彼の言う通り、そこには確かに雫がいくつも通っていた。
褐色肌の頬を伝う透明な雫を、英司の指が掬う。
(アンタの涙を拭うのが俺の悪だ)
ヴァイオレットに誹りを受けようが、甘んじて受け入れるつもりだ。
友人の彼の考えを尊重する為に。
『……――――様は、……わね』
耳元で、愛しい女の声を思い出す。
ヴァイオレットが止めてほしいのは、自分ではなく、きっと……――――
後ろの声を聞きながら、聖霊はエピアの元へと進み、両手を伸ばす。今、自分は穏やかに微笑めているだろうか。
「母さん」
「…………聖霊」
ふらりふらりと、地面に着いた彼女の足が、聖霊を求めて進んでいく。
やがて彼女も両手を伸ばし、二人の距離がゼロになった。互いの背中に、腕が回って温もりを確かめあう。
長らく触れていなかった温もりは当然のように温かくて、懐かしさに目を閉じる。
けれど、感傷に浸ってばかりもいられない。
「…………ごめん、母さん」
今している事も。
今からする事も。
許されるはずは無いと思っている。
覚悟をアメジストのような瞳に込めて、聖霊は手に一本の短剣を作り出した。
そして、彼女の心臓がある部分に向けて、刺した。
●唇が紡ぐ、永遠の呪縛の言葉を
倒れる身体。それを抱き留めながら座り込む。
抱きしめてほしかった。それは彼の心からの思いで、そして母の願いだった。
「母さん、俺を愛してくれてありがとう。
生きたいって願いを叶えてやれなくてごめんな」
二度目だ。生きたいと願った人の願いを叶えられなかったのは。
せめて、最後に祈りを。エピアが、母が、幸せであった頃の記憶を思い出してほしいと、奇跡を願う。
けれど、無情にもそれは世界に届かなくて。
「なんで……?」
発動しない奇跡に、アメジストのような瞳が見開く。
『彼女』の時には出来た奇跡が、白無垢の友の時には叶えられなかった。そして今も、母に叶えてやれない。
「なんでだよ……?!」
せめての罪滅ぼしをしたかった。母が少しでも安心して死ねるようにと、願った。なのにどうして届かない。叶えてくれない。
震える手を見つめる聖霊の頬を、エピアの手が撫でた。
「……優しい子ね、聖霊。奇跡の力をお母さんに使おうと思ったの?」
「…………優しくないよ、俺は」
親を手にかけた自分は優しくない。
医神の資格を失くした、ただの医者。遍く生命に害を為すなら己の手で……と罪を背負う事を決めただけの自分。せめて奇跡の力で最期は幸せを感じて欲しかっただけの、我儘な子供だ。
エピアが笑う。その笑顔に、遂行者だった普通の女と白無垢の友の笑顔が重なる。
「……母さんは、幸せよ。やっとあなたを抱きしめる事が、出来たもの。
こんなに大きくなったのねえ……」
頬に手を添えて目を細めて笑う顔は、確かに『母』の顔だった。
「ご飯は食べてる? ちゃんと眠れてる? 規則正しい生活をして、元気に過ごすのよ……」
子を心配する親の言葉。
もう長く触れる事の無かった、『母』の言葉の温かみ。
自然と零れ落ちる涙を、エピアは「あらあら」と笑いながら拭う。
「反抗期になったり、色々と成長してるのね……」
どうして、この子の成長を間近で見られなかったのか。
そんな思いを浮かべているのが、目から伝わる。伝わってきたからこそ、聖霊の目からは涙が止めどなく溢れていく。しゃっくりのような嗚咽が喉の奥で響いている。
「泣き虫さんね」と笑ったエピアの顔が、ぼやけて見えない。
「………聖霊、お母さんの最期の願い、聞いてくれる?」
言葉が出ない代わりに頷いて、それを見たエピアが微笑みながら願いを口にする。
『それ』が聖霊の耳に届いた時、彼の目が見開かれた。
彼が返事をする前に、目が閉じて頬に触れていた手が落ちた。
「ぇ……ぁ……あ、あぁぁぁ……!!!!」
言葉を形作る事も出来ず、慟哭となって空気を震わせる。
エピアと聖霊。母と息子の最期の別れ。
地面に寝かせてもなお止まらぬ彼の涙を止めたのは、嘉六が「聖霊!」と叫びながら彼の身体を後方へ動かした事と、前方、それも目の前に近い場所で響いた金属音だった。
見上げてみれば、イズマと聖明がそれぞれの武器をぶつけ合いながら睨み合っていた。エピアの前に立ち、踏ん張るイズマの背中が視界に入る。
「連れて行かせはしない! 貴方の妻は、ここでこのまま眠るべきだ!」
「黙れ!」
短い声に含まれた怒りと憎しみ。
彼の杖と己の剣をぶつけ合い、力が拮抗する中で、イズマはどうにか彼を退ける方法は無いかと考えを巡らせる。
彼にエピアの遺体を連れて行かせてはいけない。嫌な予感がするのだ。
以前、夫妻と出会った時に感じた二人の狂気。特に夫の方の狂気は、医者だというのに他者を巻き込む事を是としていた。
エピアを幻想種に戻したいという願いを持った男――――松元 聖明。
そのエピアが死んだ今、彼にその遺体を引き渡してしまえば、更に聖霊を苦しませる結果になるのではないか。そう思ったのだ。
「妻を連れ帰りたいと思う夫の何が悪いのだね!」
「連れ帰った先で、貴方は何をしようとするつもりなんだ!」
「決まっている! 私は彼女を――――」
「イズマ!」
彼の背後から聖霊の声が飛ぶ。
力の拮抗で気が抜けない為振り返る事は出来ないが、振り返らずともなんとなく想像はつく。彼がどんな顔をしているのか。
返事をせず、彼の言葉の続きを待つ。
「……連れて帰らせてやってくれ、頼む」
「わかっているのか、聖霊さん。彼は、エピアさんを……」
「頼む」
再度の声に、イズマは目を閉じる。せり上がる感情を飲み込み、剣を引いた。半身をずらせば、聖明はすぐさまエピアの遺体に駆け寄り、抱き上げて再び立つ。
その間、彼は一度も聖霊を見なかった。聖霊の方も、父を見る事はしなかった。……出来なかった、と言うべきか。
「エピアさん……」
死の闇に眠る彼女の名前を一度だけ呼んで、彼は来た道を戻っていく。
背中を見送りながら、嘉六は聖霊に問う。
「良かったのか?」
「……ああ」
「そうか」
友人の選択を咎めるつもりは毛頭無い。
それが彼の選択だというのなら、自分は彼の思いに寄り添うだけだ。
慟哭以降、彼の嗚咽は聞こえない。きっと今、耐えているのだろう。弱い所を見せようとしない強情さを持つ友だから。
一連のやり取りを見ていたヴァイオレットは英司の身体に寄りかかったままずるずると膝から崩れ落ちていく。
何故。どうして。彼が悲しみを背負わねばならないのか。それは己の役割の筈だ。
――――嗚呼。だというのに。どうして、この胸の奥で、えも言われぬ何かが嗤うのだ。
聖霊を振り返る事もしないまま、英司は静かに目蓋を閉じる。
誰かを殺す事は善行ではなく、同時に他の誰かにとっての絶望であり、そして誰かの救いになる。この場合は、誰が絶望で、誰が救いか。
己に出来るのはその絶望を共に背負う事ぐらいだ。
(母の優しい思い出を抱き続けてやれるのは、お前だけなんだ、聖霊)
かつて自分にも居た優しい家族を、妹を、そして一生を賭けて愛すると誓った女の笑みを思い出して、目を閉じた。
遠くなり、見えなくなった男の背中を見送りながら、クロバは何とも言えぬ心持ちを抱く。
許容できる筈も無い男の凶行。男の妻にして己が母を、自らの手で殺めた子にして医者。
果たしてどちらが罪深いのか。
悩ませる話だ。けれども、願うのは。
聖霊の心が壊れない事だ。
(はてさて)
事の成り行きを静観していた武器商人は嘆息を胸中でのみに留める。
理解はするし、肯定した上で殺し合う事としたのも自分だ。
とはいえ、後味の悪さは否めない。知っている者が身内を手に掛ける瞬間というのは、どうにもどこか居心地の悪さを覚える。覚えるだけで、それが本当に居心地が悪いかなんて、些末にしか感じないのだけれど。
「ヴェルグリーズ、怪我の具合は?」
「……大丈夫だ。問題無いよ」
呼ばれ、身体を軽く動かして自身の様子を見せつける。
「そう」と、短く呟いて、口元に僅かな笑みを湛えた武器商人の様子を、いつもの事と捉えて肩を竦める。
彼の足元、というより周りには不毀の軍勢が倒れている。武器商人やイズマと共に倒した者達だ。苦戦したものの、どうにか重傷を負わずに済んでいるのは、イズマが治癒を行なった事によるものが大きい。改めて、感謝する。
そして、聖霊を見やる。彼は未だに俯いたままで、嘉六が付き添ってくれている。
地面に膝をついたまま、聖霊は嗚咽を堪えるのに集中していた。
また己の罪が重なった。救えなかった罪が増えていく。
彼の耳に残る、エピアの最期の言葉。
「どうか幸せに」
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。
エピアは無くなりましたが、まだ聖明が残っております。
次でおそらく最後になるでしょう。大事な『アレ』もどうなるやら。
MVPは、聖明の動きを理解したあなたへ。
GMコメント
次がご両親との最後、と誰が言いましたでしょうか?
お覚悟ください、とは言いましたが、最後とは言っていないのでした。
とはいえ、今回が成功すれば次回が最後の可能性もあります。どうなるかはイレギュラーズの行動次第です。
それでは、『前門の夫妻、校門の軍勢』という状態をお楽しみください。
●成功条件
・不毀の軍勢の殲滅
・聖明もしくはエピアの撃破(どちらか一体を撃破すれば残りは撤退します)
●戦闘フィールド
往来がある道の為、道幅は二十メートル近くあります。
周りは木々が多く、民家は見当たりません。
木々の間隔はある程度の隙間を保っています。
●敵情報
・松元 聖明
松元 聖霊の父。聖霊が『医神』として尊敬する者。
死んだと思われていましたが、去年深緑にて再会。魔種エピアと共に居る影響か、妻エピアを純種に戻す為ならば人に害為す事を厭わぬようになっていました。
判明している事は、BS回復手段、通常の回復手段、光の光線を出す事になります。
息子である聖霊は出来れば傷つけたくないが、それ以外のイレギュラーズについては殺意を抱いています。
・松元 エピア
松元 聖霊の母。聖霊が幼い頃に死んだと聞かされて『いた』。
白黒の一対の羽を持つ魔種。去年、深緑にて聖霊と再会。
翼から羽根を飛ばす攻撃は共通して【神近範】、白の翼は【麻痺系列】、黒の翼は【不調系列】を伴う事が判明するが、それ以上は不明。
また、魔種である以上、全体的な能力はかなり高い。
聖霊は傷つけたくないが、イレギュラーズには強い殺意を覚えています。
・不毀の軍勢×十名
全剣王に従う剣士達です。
『非常に防技が高い』『非常に反応が速い』タイプが半々存在しております。
彼等はイレギュラーズのみならず、聖明とエピアに対しても向かおうとするでしょう。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
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