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シナリオ詳細

<プルートの黄金劇場>Flos unus non facit hortum.

完了

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●享楽的な貴女
「月が綺麗な夜だとは思わないかい?」
「いいえ、ミズ。見えませんわ」
 カクテルグラスを傾げてから紺碧の髪を有する女は涼やかな目許に笑みを乗せた。
 胸に手を当てて、まるで芝居のように声を掛けていた銀の髪の女は「そうだろうか」と振り向く。
「ああ、麗しき『闇夜』。もしかして、君の掛けた夜帳のヴェールが月も覆い隠してしまったとでも言いたいのかい?
 違う、違うよ。ぼくの思う月は何時だってこの幻想に輝いて、その笑みを絶やすことはない。
 あの美しさに魅入られぬ者は屹度居ないだろうね――あの方は、今日もぼくを指名し、必要としてくれた! 記念すべき日だとは思わないかい!」
「あなた様がお思いならばそうでしょうとも」
 マーメイドラインのドレスは美しく波打った。エメラルドの瞳にくっきりと浮かび上がった興奮の気配は優美な娘の姿を見て情動の波を引かせたか。まじまじと女の姿ばかりを眺めている。
「レディ、帽子が歪んでいるよ」
「それは失礼」
「ぼくが触っても? 素晴らしい夜にするならば、エチケットとマナーは重要さ。
 愛しきあの方は、ぼくを! 指名したのだよ! 巨匠の舞台公演にお招き頂く準備は念入りに行なわねばね」
 美しい女の帽子の傾きを直してから、銀髪の娘はまたも演技が買った様子で堂々と言い放った。
 饒舌な女の傍に佇みながらも闇夜と呼ばれた娘――レディ・ノワールは笑みを絶やさない。
(ああ、本当に――)
 レディ・ノワールの指先がカクテルグラスをなぞった。黒いネイルに彩られた爪先が透き通ったグラスをつんと突く。
(本当に、面倒なこと)
 それでも、断ることが出来なかったのはレディ・ノワールを『招待』した相手が相手だという事だ。
 社交界に突如として現れた徒花。女は社交界からローザミスティカと呼ばれる女が姿を消してから長らく空席状態であった『誰とも知られぬ美女』という席にいつの間にか鎮座して、穏やかに微笑んで居た。
 それも全てが精神に干渉する術を有するが故だ。その能力を与えレディ・ノワールにその座を与えたのが――

「ああ、麗しきルクレツィアさま――ぼくにとっての祝福、美しき華よ!」

 眼前の銀髪の娘、『Athanasia(不滅)』をその名に有する女が名を呼んだ冠位魔種である。
 そう。この一連の動きは冠位魔種『色欲』ルクレツィアが噛んでいる。『巨匠(マエストロ)』ダンテは娘であるリア・クォーツ(p3p004937)を利用して何らかを企んでいるようであるのだが。
(わたくしは知らなくても良いの。少なくとも、今は)
 レディ・ノワールは何も知らない。そして、アタナシアとてルクレツィアが与えてくれた情報遺骸は無意味であると考えて居る。
(ええ、誰かの不幸などどうでも良いの。蟻を踏み付けたとて、わたくし達は心を乱してはならない。
 貴族とはそういうものであり――恵まれたならば、そうあるべきだと知っているのだから)
 レディ・ノワールは幸せそうに鼻歌を混じらせたアタナシアを見ていた。
『享楽』のアタナシア。そう名乗り上げる彼女はヴィーグリーズの喧噪で、そしてサリュー領でイレギュラーズと相対した経験がある。
 だからこそルクレツィアに此度も選ばれたのだろう。オーダーは単純だったが、疑うこともなく、良心の欠片もなく『仕事を忠実にこなせる』能力が彼女にはある。
「さ、行こうかレディ。先んじて言っておこうかな。ぼくはレディには愛される性質なんだ。
 美しきこの月がぼくらを祝福してくれているが、何も心配しないでおくれ。
 ぼくの心は何時だってルクレツィアさまにある。だから――嫉妬はしないで」
 そっと唇をなぞった指先にレディ・ノワールは眉を吊り上げたが、直ぐに笑みを貼り付けた。
「何をなさるか、憶えていらっしゃる?」
「勿論。クォーツ修道院と言う場所に居る全てを殺しきれば良いのだろう?
 ふふ、ぼくを見る命乞いをする眸は、きっと美しさに満ち溢れているだろうね。血を浴びたぼくが美しすぎても失神しないでおくれよ、レディ」
 微笑んだアタナシアの周辺にぞろりと冷気が立った。
 ああ、あの夜の逢瀬も楽しかった。酷く冷たい瞳をした彼等は随分と『去って』しまったらしい。
 あの時連れ帰ってしまえば良かっただろうか――?
 それも詮無いことだ。アタナシアは知っている。ルクレツィアは『オーダーをこなせば褒めてくれる』。
 あの美しい唇がアタナシアと呼ぶ度に心が躍る。あの蠱惑的な眸が己の姿を映しただけで身が震える。
 ああ、愛しき貴女。
 ――きちんと、殺して見せましょう。貴女がそう望むというのなら。

●セキエイへ
「一体何がどうなった」と青年は言った。
 眼前には美しい女が立っている。静かに佇む彼女の傍には対照的に騎士を思わす意匠に身を包んだおしゃべりな女が立っていた。
「だから、君の姉であるリア・クォーツは二度とは此処には帰って来ないのさ。
 それで、申し訳ないけれど、立ち退き? とやらをして頂きたいと思っている。ああ、けれど、安心しておくれよ。
 ぼくは『死後』に関してのアフターサービスはたっぷりと行なう性質なのさ」
 にこりと微笑んだアタナシアにドーレ・クォーツが驚いた様子で構えを作った。
「ドーレ!」
「……シスター、皆を連れて下がってくれ」
「ドーレ、危険!」
 叫ぶミファーにドーレが首を振る。リアが居ないとなれば最年長はドーレ、そしてついでミファーだ。
 家族を護る為に前に立つのは当たり前だとドーレは認識している。ああ、けれど、ラド・バウ等でも研鑽を積んだからこそ分かる。
 ――勝てない。
 圧倒的な差だ。しかも相手は魔種だ。リアから聞いている『戦ってはいけない相手』だ。

 ――いい? ドーレ。魔種に会ったら逃げな。院に来たら必ずあたしを呼んで。

(呼べって言っても、居ないじゃないか、バカリア――!)
 リアの身柄が何処にあるのか。バルツァーレク伯に関する一連の事件を経て彼女が帰還していないことは兄貴分のクロバ・フユツキ(p3p000145)から聞いていた。

 ――大丈夫よ、あたしだけじゃない。あたしの仲間が助けに来てくれる。……だから、それまで耐えて。

 ドーレは拳に力を入れてから唇を噛んだ。革命派のキャンプでドーレの父親を見かけたというリアに会うようにと促された一件から、少しばかりどの様に接するか迷っていた。
 リアは家族に強い憧憬と理想を持っている。姉のことだからこそ良く分かる。姉だから、大切なその思いを壊してやりたくなかった。
 少しばかり距離を置いていたことには申し訳なくなった。リアの身に何かあって助けに行けない自分が情けない。
 けれど、そうだ。リアなら斯うする。
「退け、魔種。家族に手出ししてみろ! 容赦しない!」
「……へえ」
 アタナシアがまじまじとドーレを見た。その背後のレディ・ノワールがぴくりと肩を動かして「アタナシア」と呼ぶ。
 アタナシアは勢い良く振り返り、レイピアの切っ先を向けた。
「あれは君のペットかい?」
「は!? え、し、知らな――」
 ずんぐりとした『犬』が姿を見せる。子供を背に乗せることが出来るほどの図体。
 それを見てアザレアが「ワルツ」と呼んだ。森に棲まう隣人的存在となったそれはクォーツ院を襲う脅威を払ってきたのだ。
 それ故に、姿を見せた。子供たちを護る為に。牙を剥き出す化物を前にしてからアタナシアは「すまないね、ぼくが美しいばかりに遊びたくなったのだろう?」と微笑んでから前髪を掻き上げる。
「それじゃあ、少し遊ぼうか。
 安心しておくれよ。苦しむことなく送って上げる――それがせめてものぼくからの餞さ」
 嘘だ。
 本当の指示は――

 ――アタナシア。『私の』アタナシア。
   よろしくて? 丁寧に、丁寧に。嬲って、苦悩させ、命乞いをお聞きなさい。
   その方が、巨匠の公演をより華やかに演出できますもの。
   あなたの可愛い軍勢に加えておやりなさい。それを、『娘』に見せてあげるのもよろしくてよ。

「君達に、ぼくと出会えたという祝福を授けることが出来ただけでも、感無量さ」
 アタナシアは微笑んだ。せめてもの弔いは、死後の有効利用という事でお願いしてもよいだろうか?

GMコメント

 夏あかねです。本日もお日柄が良く、とても素敵な殺戮日和となりました。宜しくお願い致します。

●成功条件
 ・『享楽』のアタナシア&レディ・ノワールの撤退
 ・クォーツ院で死傷者を出さない。

●背景
 『巨匠(マエストロ)』ダンテよりイレギュラーズに名指しで招待状が届きました。そこにはガブリエル・ロウ・バルツァーレク伯爵が拉致された旨が記されていました。
 この招待の結果を受け、リア・クォーツ(p3p004937)さんが行方不明になりました。
 一連の動きには冠位魔種ルクレツィアが関わっている可能性が高く、ダンテはリアさんを利用して何かとても酷い事を起こそうとしているようです。
 詳しくはトップページ『LaValse』下、『プルートの黄金劇場』のストーリーをご確認下さい。
 また、本シナリオでは『とても素敵なゲストの悪戯(指示)』によってクォーツ修道院が危殆に瀕していますがリア・クォーツさんは現在行方不明ですので参加頂く事は出来ません。
 リアさんのご家族の身柄は皆さんにかかっています。どうぞ、お助け下さいませ。

●エネミー
 ・『享楽』のアタナシア
 色欲魔種。冠位魔種ルクレツィアに心酔している女性。男性のような口調は彼女の騎士になろうと考えてのものでしょう。
 その称号は自称だそうです。誰に対しても好意的に接します。非常にお喋りでナルシストです。
「ぼくが美しすぎるばかりに皆が見詰めてくるのは分かるよ。けれど、この心はルクレツィア様のものさ」なんて言ってきます。
 彼女はルクレツィアを一番に考えて居るため交渉に応じるタイプではありません。
 その心酔は狂気の域です。ルクレツィアを女神だと信じていますし、揺さ振られることもありません。
『<ヴィーグリーズ会戦>ne vivam si abis.』にて夢見 ルル家(p3p000016)さんの「生きて帰れたら『超絶美少女のルル家ちゃんに負けた』アタナシアと名乗ると良いですよ!」の言葉を面白がってその様に名乗ることもある程度に、途轍もなく『ノリが軽い』が実力は確かな存在だと考えて下さい。
 ネクロマンサー。無数の死霊を手繰り戦います。
 非常にEXFが高く、ネクロマンサーでありながら前線で戦う装備を有しています。魔法剣士と呼ぶのが相応しいでしょう。
 前線にも出てくるネクロマンサーですのであらゆる事に対して警戒を行なって下さい。

 ・『レディ・ノワール』
 自称人間種とする幻想貴族。社交界に現れては笑みを振り撒く淑女。
 マーメイドドレスを身に纏う紺碧の髪を有する美女。冠位魔種ルクレツィアの内通者――つまり、彼女は魔種でしょう。
 社交界での情報収集を中心にしており基本は諜報員の役割が強いようですが……。
 歌を巧みに使用し、精神的な阻害を行えるようです。その能力は『ご主人様』から借り受けたそうですが――?
 美しく穏やかな彼女は本性を見せていません。
 今回はルクレツィアのお目付役と言うべきでしょうか。支援要員です。
 目的は「悲劇を作ること」なのでそれが果たせなさそうならアタナシアを引き摺ってお帰りになります。

 ・『伯爵』領の兵士達
 レディ・ノワールがクォーツ院の護衛のために存在した兵士の拝借(精神的な干渉)を行なった者です。
 操られているだけですので一般人です。もう一度言います。操られているだけです。
 ですが、非常に強力な精神干渉によって傷付いても斃れません。魔種相応の能力を有していると考えて下さい。
 酷い話ですがレディ・ノワール曰く「ええ、幸福なんてイベントなくして訪れませんでしょう」「わたくし、手を汚すことはできませんもの」ということで、クォーツ院を襲う中心的存在は彼等です。
 8人程度居ます。スペックは不明。非常に強化されているのは確かです。

 ・『死霊たち』
 2Tに1度4体ずつ増えます。初期に20体。アタナシアが『やる気を失う』と供給が減る彼女の死霊達です。
 逆に言えばテンションが上がると供給量が増えていきます。今日も今日とてテンションが高いです。
 アタナシアは幻想王国で使い捨てられた者や地に根付いた怨念を無尽蔵に生み出す能力を有しています――が、それもやる気が続く範囲での話です。
 兵士としてはそれ程有用ではなく、弱い者も混ざり、幼い子供などが動員されることもあります。
 また『この戦場で死亡』した場合はアタナシアの手駒になる可能性もあります。

●ロケーション
 クォーツ院。リア・クォーツさんのご実家です。ガブリエル・ロウ・バルツァーレクが治める領地の一角『セキエイ』です。
 緑豊かで整備され治安の良い街です。
 近くには広大な『サピロス森林』が広がっており、森林内には聖涙湖、星鏡湖等と呼ばれる『オデットレイク』と言う美しい湖があります。
 その湖畔に『クォーツ修道院』は立っています。現在、魔種の襲撃により騒がしくなってきました。

●味方
 ・『伯爵』領の兵士達
 クォーツ院の護衛のために派遣されていた兵士達です。ある程度は戦えます。護衛役を行ないます。
 半数がレディ・ノワールに連れて行かれていますが、まだ8人程度残っています。

●保護すべき対象
 ・魔犬『ワルツ』
 森の少し奥に生活している魔犬です。アザレアとリアだけが存在を知っていますが……。
 この危機的な状況に対して姿を現しました。化物です。背中に子供を乗せられる程度の大きさ。
 それなりの高い攻撃力を有しますが、魔種相手には長くは持ちません。アザレアたちを護っています。

 ・アザレア
 通称をシスター。修道院を切り盛りしているおばあちゃんです。皆さんのお母さんです。
 今は幼い子供達を護っています。怯えて泣いているソードやレミーを庇うように立っていますが……。

 ・ドーレ
 やんちゃ盛りではありましたが随分と成長したクォーツ修道院の要。リアさんにとっては頼れる弟です。
 リアさんの事は尊敬できる姉であり、少しお年頃なので関わり方に悩んでいる部分もあるようですが――
 一番気まずそうにしているのはリアさんが鉄帝国で見付けたというドルフという『男』のことです。
 父親ですが、会うことを拒絶してそれから何となくリアさんとも関係性が曖昧でしたが……姉の不在を知って臨戦態勢です。

 ・ミファー
 ドーレより1つ下の女の子。リアさんとドーレの仲介をするお姉さん的役割です。
 リアさんの不在を知って弟や妹を護る為に尽力します

 ・ソラ(男の子)
 ・ラシード(男の子、ファラの双子の兄)
 ・ファラ(女の子、ラシードの双子の妹)
 ・レミー(男の子)
 ・ソード(男の子、最年少)
 ・ノノ(女の子)
 クォーツ修道院の子供達です。互いを護るように過ごしていますが、ドーレもミファーもアザレアも、手助けがなければ直ぐに終ってしまうでしょう。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はDです。
 多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
 様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。

●Danger!
 当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
 予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。

  • <プルートの黄金劇場>Flos unus non facit hortum.Lv:50以上完了
  • GM名夏あかね
  • 種別EX
  • 難易度HARD
  • 冒険終了日時2023年12月08日 22時35分
  • 参加人数10/10人
  • 相談5日
  • 参加費150RC

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(10人)

クロバ・フユツキ(p3p000145)
深緑の守護者
シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)
優しき咆哮
サンディ・カルタ(p3p000438)
金庫破り
シルフォイデア・エリスタリス(p3p000886)
花に集う
雪村 沙月(p3p007273)
月下美人
ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)
戦輝刃
星穹(p3p008330)
約束の瓊盾
マッダラー=マッド=マッダラー(p3p008376)
涙を知る泥人形
リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)
神殺し
メイ・カヴァッツァ(p3p010703)
ひだまりのまもりびと

リプレイ


 夜闇に波紋を作ったオデットレイクに月が映り込む。水面に描かれた月を乱すように投げ入れた小石は気付いた頃にはその輪郭をも薄れさせることだろう。
 人間同士の関係性というのは所詮そうしたものだ。通り過ぎ、擦れ違う者の顔までも覚えては居られない。レディ・ノワールは実ったフィザリスを掌で丁寧に包み込んでから地へと落とした。
「レディ」
「ええ」
 目を伏せったレディ・ノワールはゆっくりと振り返る。サピロス森林の豊かな実りを楽しみに来たわけでも、オデットレイクに溢れる星を汲み取りにやって来た訳でもない。地に叩きつけられたフィザリスのように、呆気なく楽園へと誘われる命を摘み取りにやってきたのだ。
 女を呼んだのは、騎士服に身を包んだ銀の女であった。その切れ長に煌めくエメラルドは常に余裕と自信に溢れている。レディ・ノワールにとっては余り関わり合いにはなりたくないタイプの女ではあるが此度は仕事なのだから致し方がない。
「ああ、漸くの舞台だね。ご機嫌よう、アタナシアという。気軽に呼んでくれたまえ。
 さてと、ぼくは嫌いなものがあるのだけれど、知っているかい?」
「識るかよ」
 さも興味がなさげに、いいや、あからさまな嫌悪感を丸出しにしたドーレ・クォーツが眉を吊り上げた。聖職者が身に纏うカソックの袖は捲り上げられバンテージ代わりの包帯が巻き付けてある。
「ぼくを愛さない人間さ。まあ、そんなものこの世を探したって只一人しかいないのだけれど!」
 あからさま程にドーレの表情が『何だコイツ』と物語る。あんまりにもあんまりすぎる表情に「ドーレ!」と声を掛けたのは『妹』であるミファーだった。
 ドーレとは大きく違った澄んだ真白の肌色は雪をも思わせる。鮮やかな水晶色の瞳を覆い隠したのは分厚い眼鏡だ。眩い金の髪も、深く黒紫の髪を持ったドーレとは大きく違う。
 レディ・ノワールは正直な所、彼等の有する家族愛が理解出来なかった。血の繋がりも無く、寄せ集められた孤児の集合体。それが家族だと良い、魔種を相手に命を張ろうとしている。
(ああ――)
 彼等にツキがあったとすれば、相手がこのお喋りな魔種だったことだ。少しでも生きていられる時間が長くなる。
 それから、彼等にツキがなかったとすれば、相手が『冠位色欲』の右腕でもある『アタナシア』であったことだ。
「識っているかな。ぼくはあの人に愛されるために生きているのだけれど、愛を追い求めるというのも中々気苦労が絶えなくてね。
 ぼくがどれ程に美しく聡明で強く、誰よりも彼女を愛していたって、彼女の月色の瞳には映らない。
 せめて彼女の色に染まりたいと月の下でワルツを踊ってみるのだけれど、どうにもそれも上手くはいかず――……そう、上手くいかないから、ぼくだって『浮気』をしてみたくなるのさ。例えば」
 大地が揺らいだ。死霊達が姿を見せる。アンデッドの方が使い勝手が良いのだと嫌な手の内を晒して見せた『享楽』のアタナシアは唇を吊り上げ微笑んだ。
「――君を殺して口づけをしてみる、だとか!」
 ぎらりと鈍く光ったレイピアの先がドーレを襲う。
 疾い。避けられないか。辛うじて心臓を護るように腕を組んだ、刹那。
「おいおい、弟の純潔を奪ってくれるなよ」
 声が振った。咄嗟のことで瞼を降ろしてしまったことが悔まれる。敵前で『目を閉じる』事は即ち死だ。
 悔しい、それを教えてくれたのは彼だったではないか。
「クロバ」
「兄ちゃんだろ、ドーレ」
 がしゃん、と音が鳴った。 死炎銃刀・黒刃が分離し、その両掌に収まった。『傲慢なる黒』クロバ・フユツキ(p3p000145)が大地を踏込む。勢い良く振り上げられたのは漆黒の一刀。
 後方に下がったアタナシアが「おや」と瞬きレイピアで弾く。腰元が空いた――そこだ、と紅色が振るわれる。
 アタナシアが身を捻り、掌をぱくぱくと動かした。死霊の腕が顕現し、ぼとんと音を立て地へと叩きつけられた。
「器用だな」
「器用な女はモテるのさ」
 軽口を叩いたアタナシアを睨め付けるクロバの背後に『優しき咆哮』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)と『金庫破り』サンディ・カルタ(p3p000438)の姿があった。
「……シキ……サンディ……」
 ミファーの唇が震える。青褪めた彼女の顔をまじまじと見てからシキは唇を噛んだ。戦う事なんて知らないような、白魚の掌。それが握り締めたのは鍬だった。
 恐かっただろう。聖典の魔術を駆使するにはミファーはまだ研鑽が足りない。弟や妹を護る為の技術は、文字通り一筋縄で得られる者ではなかっただろうか。
「リアは」
 シスター・アザレアは幼い子供達を護りながら問うた。遠く聞こえた魔狼の雄叫びも、その声に忌避感を感じたように苛立ちを滲ませたレディ・ノワールの姿も、今は遠離ったように記憶が廻り、胸が苦しくなる。苦い物が口腔を見たし、肺の奥深くにまで入り込んだかのような感覚に襲われた。
「アザレア、ドーレ、ミファー……。……私、リアを守れなかった。……ごめん」
 ひゅ、とミファーが息を呑んだ。長女と言うべきか、最愛の姉の姿は此処には無い。
 シキのその一言だけで彼女が予想だにしない危険に直面していることが分かって仕舞ったのだ。分かって仕舞えば、酷く恐ろしい。
「せめて、リアが戻ってくるまでは私たちの名前を呼んで、絶対に、誰一人だって傷つけさせやしないから!
 ――ドーレ、兵士のみんな、ワルツ……一緒に、君たちの家族の為に戦わせてほしい」
 悔しげな響きに、覚悟が込められていた。シキの眸がぎらりと煌めきを帯びる。
 そのアクアマリンに乗せられたのは憤怒にも似た決意の輝きであった。脇腹より始まった娘の変化は、僅かに戦闘にも染み出ただろうか。
 脇腹を庇うような仕草を見せ、ガンブレイカーを握る少女は師と仰ぐクロバにも良く似た剣術を以て魔種の前にずらりと並んでいた兵士達を招き寄せた。
「まぁ任せなって。リアのいない今、俺達が正義の味方で参上! ――って奴だ。ドーレ、皆を頼めるな?」
 クロバは敢て安心させるようにドーレに声を掛ける。シキと、そして兵士を捉え離さない。標的は定まった。
「ぼくを呼ばないのかい?」
「あなた様の相手は何時だって私でしょう。久方振りですね、アタナシア」
「ご機嫌よう。今日こそ君の名前を教えてくれるのかい? 銀の盾の姫君」
 相変わらずだと『約束の瓊盾』星穹(p3p008330)の眉は吊り上がった。彼女の姿を最後に見たのは青薔薇を冠したお家騒動であったか。
 あの時にも見た軽薄な笑みと死霊使いという存在でありながら前線へと飛び出すちぐはぐさを星穹はよく覚えている。
(まさか、あの時戦った仲間を二人も見送るなんて、思っても居ませんでしたね……)
 星穹の眸に応えるように一等美しく微笑んだアタナシアは「君の考えて居ることが手に取るように分かるよ」と囁いた。
「成程、聞いて差し上げましょうか」
「ぼくが美しすぎて、叩き潰したくて堪らない――かな?」
 相も変わらず、いけしゃあしゃあと。星穹がじらりと睨め付ける。鮮烈な戦い方を見せる彼女は『アタナシアの気の引き方』をよく分かって居た。
 詰まり、この魔種は構わなくっても構っても面倒なタイプなのだ。ならば、思う存分に構って話し相手になった方が都合が良い。
「……さて。今度は貴女を送る番ですかしら。
 他者を脅かしてまで叶えたい理想。随分素敵なものなのでしょうね。
 リア様の不在ともきっと関係があるはず……必ずやこの状況を打破しなくては」
「ぼくの理想を聞きたいのかい? ふふ、君は相当ぼくが好きだなあ」
「結構です」
 首を振ったが、リア・クォーツの不在には関心があった。それも、彼女に聞くよりも黙って微笑むあの女に問うた方が良いのだろうけれど。


「悲劇がどうのって、そんな楽しそうに……死霊にされた人たちの中に小さい子どももいる。孤児院の人たちを狙ったのもきっと……!」
 奥歯がぎりぎりと音を立てた。睨め付ける『薔薇冠のしるし』リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)にアタナシアをぎらりと睨め付ける。
「そんな、悪趣味な人たちがやることを許すわけにはいかない。魔種だからどうのなんて関係ない……絶対に通さないよ!」
「可愛らしい紫苑の君、残念だがぼくはそういう趣味ではないよ。それは勘違いだ」
 眉を落としてあからさまにがっかりした様子を見せたアタナシアにリュコスは「ど、どういう意味」とぱちくりと瞬いた。
 幼子を狙うのは駒を増やすならば定石だ。そして、『享楽』を名乗った眼前の女には褒められるような感性も、倫理観もない事も容易に想像できる。だと、言うのに彼女は否定するか。
「ぼくはね、それ程人間の見分けが付かないんだ。見分けを付ける必要性がないからだ。
 老若男女、様々居るだろうけれども『ぼくを愛しているか、愛していないか』――それ位しか判断材料がない」
「……ええ、と……」
 リュコスはたじろいだ。何を言って居るのかと理解も及ばないからだ。その隣より動いた『消えない泥』マッダラー=マッド=マッダラー(p3p008376)はアタナシアの死霊達の前に陣取った。兵士達と死霊、レディ・ノワールの距離をとらねばならない。
 相変わらずの様子のアタナシアは楽しそうに声を弾ませて応える。その様子は幼い子供が蝉のぬけがらでも見付けて来たというような迚も細やかなお宝を披露する様子である。
「つまり、殺した人間になんて興味は無いし、殺す人間が何者であろうともぼくには些細なことなのさ。
 そうだな、ぼくを愛さない人間はいないから……『ぼくを愛さないルクレツィア様の敵かどうか』も判断材料かな」
 ルクレツィア、と『花に集う』シルフォイデア・エリスタリス(p3p000886)は呟いた。
(……ええ、そうやって聞くと如何に相手が恐ろしい存在であるか分かる。手を抜いているように思えるだけ安心するべきでしょうか。
 相手は冠位魔種直属、それも、かなりの格に位置する相手。
 何も取りこぼさないように。この状況でそれがどれ程難しいかは分かって居るつもりですが……)
 シルフォイデアは警戒を解くことはない。手を抜いていると実感したのは、アタナシアにとって此度の仕事がそれ程重要視されていないからだろう。
 失敗しても有象無象と同じ扱いを受けるだけ。成功したとてどうせルクレツィアは己を見ないとアタナシアは理解しているのだ。
 ある意味、彼女に与えられた仕事はレディ・ノワールとの責任を二分とする。ただの『リア・クォーツへの嫌がらせ』にしかならないからだ。
(方針としては……そう、此の儘、子供達を下がらせて兵士やワルツに防衛して貰う)
 シスター・アザレアを庇うようにして牙を剥き出す魔犬の姿を双眸に映す。彼等を支援することがシルフォイデアに求められる仕事だ。
 そう、此処ではイレギュラーズの役割も二分化される。クォーツ修道院の者達を守り抜く事、そして――魔種に撤退を促す事だ。
 魔種アタナシアを前にしてから『月下美人』雪村 沙月(p3p007273)はと言えば楚楚たる仕草でそっと居住いを正してから冷ややかな笑みを零す。
 その切れ長の瞳に乗せられたのは真っ向からの敵意だ。彼女の傍らで剣をゆっくりと引き抜いた『騎士の矜持』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)はレディ・ノワールを捉えている。
「相変わらずですね、アタナシア」
「君も相変わらず酷く疎ましそうにぼくを見る。正直、嬉しく思うよ」
 マゾヒズムがあるわけではないのだろうが、相手は腐っても色欲の魔種だ。沙月の視線はあからさまに鋭くなる。
「気持ちの悪い趣味をしておられること。私とは分り合えないのです、アタナシア。
 死した後も辱めるなど言語道断。幼い子達の命というなら尚の事。
 貴女のような人に捧げる訳にいきません……全身全霊をもって、戦わせて頂きましょう」
 アタナシアは一度リュコスを見た。それから沙月を見てから己の前に立つ星穹を凝視して、はたと首を傾げる。
「いや、理解は出来ないのだけれど、聞いてくれるかい?」
 アタナシアは本当に理解も及ばぬと言った様子でぱちくりと瞬いた。
「幼い子供だからという理由はどうして付随するのだろうか。持たざる者への庇護欲求かな。
 それとも、老いさらばえた老人ならば特段の価値を君達は見出していないという事だろうか」
「……ッ」
 何を云うのだとリュコスは目を見開いた。アタナシアをぎらりと睨め付け、周囲より溢れ出す死霊に向けて踏込む沙月はその言葉に心を乱されることもない。
「命を愚弄する者が、命の勝ちについて議論を行なうのですか」
 沙月の武術は家伝のものだ。冬の雪に、秋の月、夏の海に、春の花。四季折々の美しさはその流麗なる手捌きからも感じられる。
「実に無駄な討論になりそうですから、お返事は結構ですよ。
 貴女とは分かり合えるなどと思ってもいませんから――ええ、構う価値も余り感じていません」
 沙月はどの様に対応することがアタナシアの『テンション』を下げることに近付いていくのかと、その辺りの在り方を確認したかった。
 お喋りな彼女は無視をしても喜んでいた。其れ処かぐいぐいと出て来ては自らの存在を誇張していた。
(死者を冒涜する振る舞いは不愉快そのもの、理解も出来ませんが……大方、無視をしたって構ってくれと言わんばかりに出てくる。
 ならば、建設的な討論でもしてやるべきか。それとも、彼女以外を優先するべきか――)
 仲間意識というものを珍しく持ち合わせて居るであろうアタナシアが『自由に前線で走り回れる』と言うことは、支援を行なう必要が無いと言う事だ。
 ネクロマンサーとは、所謂後衛職である。通常ならば死者を使役する術者はか弱く、おいそれと前には出ない。アタナシアの場合は前に出ることは出来るが操れる死霊の数が少数か、それとも前に出るが故に少数ずつの操縦にしかならないか。
 どちらにせよ彼女の戦法には明確な穴がある筈だ。それを見越しておくのも今回の戦いだと沙月は認識していた。
 ――ああ、けれど、心に刃は潜ませている。女を殺す機会は常に伺っては居るのだけれど。
「ぼくはこの技術は死者が死後に輝く舞台を与えてやれる、詰まりはチャンスだと認識しているのだけれど。
 そう思えば、ああ、そうだな。実にぼくたちは分り合えない。悲恋の物語のようで物悲しくもあるけれど、そういうのも――そそる、だろう?」
 唇がつい、と吊り上がった。地を蹴ったアタナシアに気付き星穹が構える。死霊達と共に前線へと走ってくるのは『もう一人の魔種』の傀儡となった兵士達か。
「レディ・ノワール」
 ベネディクトは呟いた。何かと話を聞く相手ではあった。社交界に咲いた花。怪しげな夜のヴェールを身に纏った娘。
 相変わらず『幻想』という国は魔窟だ。何処に何が潜んでいるかも分からず、一寸先は闇――等では話は纏まらぬ。
「──生憎だが、お前達が起こそうとしている事を許す訳にはいかない。早々に立ち去って貰おう」
 レディ・ノワールの眸が揺らぎ、ベネディクトを見た。彼女のルージュによって形作られた唇が笑う。舌がぞろりと見えてから、その指先は天より地を指すように降ろされていく。

 ――♪

 歌声だ。何と云ったのかは分からない。ただ、その声音には酷く歪な響きが宿されている。
 ベネディクトは突如として周囲を取り囲む兵士達の姿を見た。兵士を引き寄せていたシキが驚愕に目を見開いた。
「なッ……」
「精神干渉の能力。成程……注意を少しばかり背けるには適しているか」
 ベネディクトが舌を打った。レディ・ノワールとアタナシアはペアとして『最悪』だ。相手にするとこの上厄介な相手である。
 だが、この戦場の要はどちらかと言えば――
(レディ・ノワールか。アタナシアはそうした仔細を把握して的確な指示など出来るまい)
 ならば、レディ・ノワールに退却の意志を抱かせることが目的か。一刻をも争う状況であるのは確かだ。
 ターゲットから一度外れたならば何度でも。引き寄せるだけだ。シキは「殺さないで!」と叫んだ。
 それは『兵士達を誰も失いたくはない』というシキの心優しさによるものだ。クロバは後方に下がって行くドーレが「大丈夫か」と声を張り上げたことに気付いた。
「大丈夫だ。何、格好付けてんだ、ドーレ。お前が傍で皆を守れ、お前しかいない!」
「……俺も、前に」
「お前が前に来てどうするんだよ。お前は兄貴だろ? お前が皆を護るんだ。応援してくれよ、皆の声が力になるからさ」
 クロバは構えた。此処で死なれても困る。それに――アタナシアの『素材』になり得る可能性だってあるのだ。
 死霊にトドメをさされて巻込まれて。そうした事が無いようにと気を配りたいが手が足りない。
 誰か、信用できる兵士を――後方のバルツァーレク派兵士達に尽力を求めるか、そう考えたときだ。
「手伝う?」
 声を弾ませてから、鮮やかな金の髪が揺らいだ。バルツァーレク派にて食客として身を置いているとは聞いていたが。
「奇遇だな、ユウナ」
「そうね、そうかも。手伝って上げる」
 兄と妹。それこそが尤もたる信頼だ。クロバが倒した兵士の運搬程度ならばユウナでも成せよう。明確な戦力に彼女を呼び寄せることは出来ないが――そう、覚悟の上で彼女に頼むのだ。
 何らかの事態に直面したならばユウナはドーレより先に命を失う可能性とてある。だが、その上で「任せる」と男は言った。


 ――♪
 歌声が響き渡る。精神干渉とは厄介だ。痛みも、苦しみも、何もかもを塗り替えてしまうのだから。
 その痛ましい姿を後方で見ながらもワルツを後方に下げてからメイは「いいですか、皆さん」と微笑みかけた。
「メイが盾をばーん! て出すですから、院のみなさんはその後ろでひと固まりになってほしいですよ。
 兵士さんも突出せずに、院の人を守ってほしいです! 敵さんがこっち来たら対応する感じでお願いなのです!」
 拳をしゅっしゅと繰り出した幼い精霊の娘。ほがらかな陽だまりのような笑みは、この場には余りに似合わない。
 だが、それだからこそメイが得た役割だ。この戦場ではリアの家族を失わないことが尤も必要な事である。
 魔種への対応はある程度が終れば倒しきれなくとも『撤退意思』を作り出すだけで十分だ。
「あと、ワルツさん! 一緒に皆さんを守ってほしいです! ……あとで、しっぽもふもふしてもいいですか?」
 両手をわきわきと動かしたメイは魔力の障壁を前線に張り巡らせた。傷付いた兵士やワルツを癒し、前方を護る仲間達の様子を眺める。
(……仲間を信頼していないわけじゃないです。でも、何処から敵が来るかも分からない。
 メイにはパンドラがあるけれど、この場の皆さんにはない。偶然の痛みはメイにとっては掠り傷でも致命傷になりかねない)
 不安だ。漠然とした恐怖心もある。大丈夫、大丈夫。己に言い聞かせる。
 メイは――くるりと振り返ってからミファーに笑いかけた。「リアさんは、メイにとっても大切なお友達なのですよ」と。
「リアさんは、ねーさまの大切なお友達でした。ねーさまの最期に立ち合ったひとの一人で。お墓にも一緒に来てくださったのです……。
 ここは、メイの家族の為に動いてくれた人が大切にしている場所とききました。
 ならば、メイはここを守ることで恩に報いたいのです」
「でも……それだけで、命を張れるの?」
「はい。『ねーさまならそうした』から」
 メイはその面影を追っている。心の向くまま、風の気配を辿るように。ただ、揺らいだ木の葉が行く先を定められないように、彼女の人生は苦難の連続だっただろう。
 それでも、彼女にとっての求めうる最善があったのだと信じていなくては、いけない。信じなくては苦しくもなる。
 ――クラリーチェ・カヴァッツァならそうした。
 ミファーは「メイ、さんは……本当のお名前はメイ・カヴァッツァっていうの?」と問うた。メイはぱちくりと瞬く。
「ええと……」
「リアのお友達の、クラリーチェさんの家族……なんでしょ?」
 ミファーの問い掛けに、メイの目頭が熱くなった。彼女達は家族を大切な縁だと思っている。
 血の繋がりが無くとも、傍に居なくとも。リアがそうであったように、ドーレがそうでなくなってしまったように。
 家族とは心の繋がりだと信じているのだ。メイはぐしりと眼を擦ってから顔を上げる。
「はい。……メイはねーさまの家族です。だから、家族は大切に大切に護りたいのです」
 魔力の弾丸が降り注ぐ。メイの眼前で落ちていくそれを受け止めたのはリュコスとマッダラーである。
「お前の蛮行、ここで止めさせてもらう」
「蛮行だなんて。こんなにも楽しいショーをそんな風に言われるのは心外だな。君は屹度、まだぼくの魅力に気付いて居ないだけさ」
 死霊を操るアタナシアは星穹に阻まれながらも楽しげに声を弾ませている。お喋りな彼女よりも、マッダラーが注意を向けたのはレディ・ノワールであった。
 死霊達を確実に減らさねばならない。数はそれ程多くはない、だからこそ、リュコスとの連携が胆となる。
「Uhhh……ほんとうに、楽しそうで、むかっとしちゃう……!」
 リュコスは唇を噛んだ。メイの元へと出来うる限りの全員が下がってくれた。それでも、相手は未だ未だ健在だ。
 ここからが根競べではあるのだ。逆境こそが力である。誰かを救いたいと願う己は進むべき道を定めている。
 後方で魔犬のワルツが牙を剥きだし警戒を叫ぶ。その声に気付き、眩い光を放ったリュコスは焦りを滲ませた。
 乱戦状態では相手を見定め続けることは難しい。故に、何処から攻撃がやってくるかも分からないのだ。レディ・ノワールが兵士に全てを巻込めと指示をしたかの如く、無数に荒ぶる剣戟が飛び交っている。アタナシアにもお構いなしだ。
「ぼくが血塗れなんて美しくなりすぎないかな」
「識りませんが」
 何故か星穹に対して同意を求めるアタナシアがにこりと微笑んでからリュコスを見た。嫌な視線だ。背筋にも嫌な気配が走る。
「あの犬も、家族なのかな」
(――どうして)
 意識をしたからか、それとも、アタナシアが魔物が紛れ込んで居ることに興味を持ったからか。リュコスはその視線を遮るように立つ、睨め付ける。
「……アタナシア……」
「ああ、いいやね。ぼくの愛しきあの人は、リア・クォーツというレディを苦しめればいいと言って居たんだ。
 それって、あの犬でも良いのかと。まあ、最も良いのは君達を殺す事なのだろうけれど……流石に今回はそこまでしなくても良いかと思ったのさ」
「ど、どうして?」
 リュコスは気を逆さか立てた犬のようにアタナシアを見ている。アタナシアは沙月を一瞥し、星穹を一瞥し、そして笑う。
「ぼくのことをあからさまに愛してない彼女達に愛されるまで尽力してやるのも、ぼくの仕事だからさ」
 死霊はそれ程増えていない。サンディは「アタナシアちゃん、正直、めっためたに言われて傷付いたんだろ?」とフランクに問うた。
「勿論! 君は何君だったかな」
「サンディ」
「ああ、サンディ! そうなんだ。ぼくはね、君を殺しても良かったのだけれど、今日という日はそちらまでは『おねがい』されていない。
 折角ならば麗しのルクレツィア様が殺せと言ったから殺した方がもっともっと褒めて貰えるだろう?
 なら、分かり合うまで少しだけの猶予を与えて遣っても良いかと思ってね。理解とは、最も深い愛だから」
 アタナシアはにっこりと微笑んだ。彼女との会話に言葉を挟んだのはサンディがヒーラーであるからというだけではない。
 アタナシアをメインに戦う仲間達の動向を確認していたが――それ以上にアタナシアから目を離さぬようにと注意していたのだ。
(死霊術士……目を離せば小細工されるに決まっている。レディ・ノワールの小細工は『自分が手を下さず、傷付けられないように』というものだ。
 けど、アタナシアはどう考えたって自分が主役の舞台を作りに来ようとする。
 ……シキやクロバがいるんだ、レディの側はなんとかなるだろうし、出来る事をしなくちゃな……)
 サンディは心に決めてから表情を、感情を隠すように軽やかに笑って見せた。
「じゃあさあ」
 混沌音楽祭記念メダルを取り出してからサンディはにまりと笑った。
「楽しい舞台演出の一つで、歌でもどうだ?」
 響き渡ったBGMにアタナシアが「おや、素晴らしい!」と手を打ち合わし――そろそろと後方を見た。
「なんて品のない音色」
 囁いたのはレディ・ノワールだった。彼女が駆使するのは歌声だ。だからこそ、なのだろう。
「歌の時間は終わりだ、息つく間もないダンスと行こうかお嬢さん」
 マッダラーは真っ向からレディ・ノワールを見据えていた。彼女を守る盾はない。アタナシアは前線に繰り出し死霊達はリュコスに、そしてマッダラーの前に居る。
 狙う隙がある――だが。
(……成程……)
 自らを盾としていたシルフォイデアは兵士を支えながらも統率を行ない、シキに回復を与えながらもレディ・ノワールの動きを見詰めていたのだ。
(歌声が聞こえなくなれば精神の阻害が薄まる。本来的な精神への認識阻害能力には何か裏があると思っていましたが――)
 歌声を武器にすると云う事は静寂を好む。静寂を好む彼女が社交界で『問題』を起こさぬのは、それだけあの空間に溢れる音が邪魔だからだろう。
 だが、此処でイレギュラーズに能力的な瑕疵が露見したとなれば相手も認識を改め、新たな対策を講じてくる可能性もある。
 心には留めておくべきだが、今は――
「来ます」
 シルフォイデアに頷いたのはクロバであった。レディ・ノワールが指先を動かし、サンディは構える。
「来る」
 シルフォイデアが頷いた。兵士達を殺さず、レディ・ノワールの手を減らした。ならば相手は選択を強いられる。
「――どうなさいますか」
 沙月はアタナシアを見る。ベネディクトとクロバを相手にした彼女は「さあ」と微笑む。
 足元から伸びる死霊は盾の如く使われる。そのお陰か周辺の死霊の動きは限定的だ。
「もう……しつこい!」
 リュコスの苛立った声音を耳にして、ベネディクトはアタナシアの死霊は『幻想国軍』の者はそれなりの強さを有しているとも気付く。
 個体差があるのだろう。成程、彼女が地に根付いた存在を使うのは大地に染みこんだ怨嗟こそが最もたる武器であるのは確かだ。
「……そうやって死を愚弄するか」
「違うよ、愚弄しているのではない。有効活用だ。死してもなお、素晴らしい職場にありつけたと感謝をされたいほど!」
 アタナシアは声を弾ませ微笑む。ベネディクトは理解出来ないと掃いて捨てるように女の言葉を否定した。


「貴女の相手は私。戦いに尻尾を巻いて逃げた負け犬と呼ばれたくないなら、私だけを見ていなさい」
「見ているよ、君」
 囁く星穹にアタナシアは「会いたかったのだろう?」と微笑む。。
「ええ、そうですとも。一年ぶりでしょうか、それともやっぱりはじめまして?
 貴女のことなんてすっかり忘れていましたし、興味もありませんのよ。
 享楽だなんて笑わせないで。貴女は遊ばれているだけですし、私も貴女の御主人様も遊んでいることに変わりはありませんわ。
 ――私、素直な物言いの人が好きですから。くだらない言葉遊びなんてやめて、シンプルに物を仰ってくださらない?」
「いいや、盾の君はぼくを好んでいるように思えるな。だって、身体は正直だ。
 ぼくの戦い方をよく覚えている。それに、ね、『ぼくの事を嫌いだったら此処に来ていない』だろう?」
 アタナシアの声が弾む。レイピアの先に産み出された無数の魔力がきらりと輝いた。未だ健在の魔種の魔力をベネディクトは剣で弾いた。
「人の死をもてあそぶ死霊使いも、人の意思をもてあそぶお前さんの在り方も、どちらも俺には我慢ならないな」
 泥人形の意地だとマッダラーは声を張る。誰かの意志で動くつもりは毛頭無い。存在理由を吐出せばそれで良い。
 レディ・ノワールの指先が震われる。歌ではない、音。風切る音が刃と形魔力を込めてマッダラーの腕を弾いた。
 だから、何だというのかと男は睨め付けた。リュコスはひりついた空気の中駆け抜ける。
 ワルツを護りたい。犬同士のシンパシーも感じる。全てが終わった後に、屹度仲良くなれる。
 だから、生きていなければ。
「メイたちがまもるですから! どうか心を強く持って! リアさんが帰ってきたら、みんなで『おかえり』っていうですよ!」
 気持ちは言葉。言葉は力。力は、勇気になって行く。
 そう信じているからこそ、何時だって葬送の鐘を響かせた。この音色が貴女を救ってくれることばかりを考えた。
 レディ・ノワールの歌声に重なった。荘厳なるその響きに歌声が僅かにブレた事に気付く。
「魔種さんたちが欲しているのが皆の苦悩や恐怖心ならば、その逆を見せてやるのですよ!」
 決意を胸にした小さな娘をレディ・ノワールは「腹が立つ」と囁いた。
 その動きに気付き、シキが走る。滑り込むシキを癒すメイの音色が荘厳に響き渡った。
「ッ、私は――」
 シキが奥歯を噛み締めた。
「私はまだ、倒れない!」
 揺るがない。それがシキに今できることだった。誰かの希望になれる。それだけが、己の在り方だった。
「……大丈夫だ。どんな絶望が齎されようと、苦痛は君たちを侵す毒にはなり得ない。
 だって皆、リアの家族でしょ? ちょっとやそっとじゃ折れない、強い子たちばかりに決まってる!」
「ああ、そうだな」
 あれだけ強気な彼女の家族なのだ。ちょっとやそっとのことで挫けるわけもない。
 サンディとシキは手を繋いだ。シキの片方の掌は『空いている』。
 何時もなら「バカねえ」と笑って手を繋いでくれる親友はそこにいない。居て欲しくったって居ない――
「シキ、分かってるな」
「ふふ、大丈夫だよ」
 サンディの掌から癒やしの魔力が走った。燻る再生の焔、タロットの指し示した未来が眩く光る。
 風に吹かれて去って行く。そうやって生きてきた彼は風に救われて遣ってきた。
「ねぇ、今日ばかりは、引いて下さらない?」
 問うた星穹を見詰めてからアタナシアは「んー」とおとがいを撫でた。
「君は名前を教えてくれなかったね。ぼくの名を呼ぶくせに、酷い人だ」
 銀の髪、エメラルドの瞳。それから、欠けてしまった耳朶。まるでピアスを穿ったようにその位置は失われているけれど。
 舌がぺろりと覗いた。蠱惑的な眸が嬉しそうに細められる。
「んふ」
 アタナシアが星穹の頬に触れた、爪を立てる。皮膚を裂かれ一線のみ血が滲んだ。
「んふふふふ、あはは、ふふ――ほら見てご覧よ、盾のお嬢さん。
 あちらで彼女が忌々しそうにぼくを見ているのさ! あんな瞳を向けられて喜ばないではいられないだろう?」
「マゾヒスト、というのでは?」
 星穹の問い掛けに、苛立った視線を送った沙月が僅かな構えを見せる。まだ、時ではないか。だが、何時だって準備は出来ている。
 生かして置いてはならない相手だ。彼女は名のだって同じ事をする可能性がある。
 人命に対する意識も、倫理観の欠如も、何もかも。アタナシアの名こそが彼女そのものを表している。
 皮肉な名前だ。Athanasia(不滅)。
「貴女へと此処でトドメを差すのが世の為、人の為でしょう」
「どうかな、ぼくの美しさが失われるのは世界の損失だ」
 沙月が構える。共にクロバは狙う。少しの隙で良い。真っ正面から迎え撃つ事が『ヒーロー役』には必要だからだ。
 本能が告げて居る。目の前の女はただの魔種ではない。それこそ、レディ・ノワールが『制御役』として準備された理由が他にもあると思わずには居られない程に彼女は本気を出しちゃいない。
 レディ・ノワールに一撃を叩き付けたのはシキの信念であったのだろう。真空の刃は少女の身体を弾き地へと叩きつける。
「か、は」
「シキ!」
 呼ぶクロバはアタナシアの剣戟を受け止め睨め付けた。
 ぴたりと動かなくなったアタナシアは背後で腕を切り裂かれたと庇うように俯く女に「レディ?」と呼び掛ける。
「アタナシア」
「どうかしたのかな、レディ」
 レディ・ノワールの苛立ちは頂点だった。真昼の太陽の位置の如く、それは燦々と大地を照らす意味を識っている。
 女は言葉にもしたくはない『選択』を選んだのであろう。これ以上は不毛であると。悲劇を作ろうにもセキエイを護っていた兵士達は皆保護されてしまった。
 これ以上女も手の内を晒したくはない。そして、アタナシアが『言うことを聞いている』内に撤退しなくては彼女が言うことを聞く性質(タマ)で無い事も確かだ。
「帰り道は分かってるのか? レディ・ノワール。だが、タダで返らせるわけにはいかないな
 ――悪いな演出家。俺は”死神”、どんでん返しは大の得意技だ!!!」
 死神は、ヒーローとは呼べる存在ではないだろうか。だが、狙うことは出来る。
 ひゅん、と風の魔力が周囲を包んだ。サンディは『もしも』に供えているのだろう。
 アタナシアは笑ってから「良い土産話ができそうだ!」と声を弾ませる。
「君達を殺して首でも持って帰れば、リア・クォーツは苦しんでくれるんじゃないかな?!」
「……なんて奴」
 シキは思わず呟いた。警戒するリュコスに、信じがたい物を見たとマッダラーは眺め遣る。
 美しく微笑んだアタナシアは「それでもね、時間制限がやってきてしまった」とがっくりと肩を降ろした。
「レディに叱られるのはぼくも嫌なんだ。ふふ、次こそぼくの美しき月が『君達を殺せ』と命じてくれることを待っているよ」
「本気で戦わず侮り、死ねば良いのです、アタナシア」
「今度は君の名前を聞かせておくれよ」
 沙月はそっと目を伏せてからその背中を見送った。
 レディ・ノワールと名乗った女がアタナシアのお目付役であったのはある種で幸運だっただろうか。
 高慢な女は自らの能力に欠けがあるとは信じたくはないはずだ。破られ、そして一撃を食らったのはさぞもプライドを刺激したことだろう。
(――幸運だった)
 シルフォイデアは息を吐く。もしも、アタナシアだけだったらば。そう考えてから背筋には嫌な気配が走った。
 最も、理解出来ないのは人語を有しながらも完全に思考回路が別の人種だ。アタナシアは『そう』である。
「……次……」
 次は、仲間を救う機会だろうか。それとも――シルフォイデアは「近々でしょう」と目を伏せた。
 巨匠の公演『準備』だからこその引き際であったならば。決意を硬く、出来うる限りの準備を整えておくべきかと少女は拳を固めた。
「……みんな」
 アタナシアが去った後に、降り落ちた静寂は元の通りとは行かぬクォーツ修道院前の広場を包み込んだ。
 メイの背中に張付いていたミファーの肩が揺れている。そっと、自分よりも幾分か背丈の高い少女を抱き締めたメイが背をさする。
 見様見真似ではあるが、そうやって宥めることを識っていた。
「……皆、聞いて欲しい。私はリアを守れなかった。この手は届かなかった。……私は、弱かった」
 シキはそろそろと近付いていく。ああ、流れ弾だろうか、最初に接敵したときだろうか。ドーレには小さな傷が幾つもある。
「……だから、もっと、もっと強くなるんだ。もう二度と、この手が届かないのはいやだから。
 ドーレだってきっとそうでしょ。……だから絶対、リアを取り戻さなくてはね」
 ドーレと拳をこつりと打ち合わせたシキは傷だらけの己の身体を支えるドーレの背を叩いてから、そっと小さな子供達を抱き締めた。
 俯くシキの背を撫でるのはサンディの掌だった。
 もうひとつ、何時もならば重なるはずの掌はそこにはない。
 ――蒼穹の色は三つ揃っていなければ、輝き美しい音色を奏でることは出来ないのに。

成否

成功

MVP

シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)
優しき咆哮

状態異常

クロバ・フユツキ(p3p000145)[重傷]
深緑の守護者
シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)[重傷]
優しき咆哮
雪村 沙月(p3p007273)[重傷]
月下美人
ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)[重傷]
戦輝刃
星穹(p3p008330)[重傷]
約束の瓊盾

あとがき

 お疲れ様でした。
 また素敵な夜にお会いしましょう。

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