シナリオ詳細
<神の門>落花枝に返らず
オープニング
●
「本当に良いのですか?」
心配げな視線を伴い、『先生』が尋ねてきた。
先生は優しい。兄さんと同じくらいに。……それ以上かもしれない。
「俺は君たちに無茶や無謀はあまりしてほしくないのですが……」
ですが、君が望むのなら。
黒髪から覗く空色の瞳は気遣わしげで、そっと胸に置かれた指は優しかった。
チリと胸に熱を覚え、何かを刻まれた感覚がした。
「……色も、そのままで?」
「はい。兄さんには会えたし、あの色はもう『お揃い』ではないから」
不格好に千切れたような黒翼を小さく動かせば、そうですかと先生がため息を零した。
数日前まで酷く荒れていた心が嘘のように静まっている。真夏のあの日から先生は何度も話を聞きに来てくれて、先生は幾つもの助言をくれたおかげだった。
この静まりも白翼も、全て先生の力によるものだ。
先生は少し何か言いたげにしていたけれど、付き従う信者たちに名を呼ばれ、頷きを返した。騒がしさは此処へは届いていないけれど、どうやら『招かれざる客』たちが侵入してきているようだ。本当に礼儀も何もなっていない。あんな人たちのところに兄さんが居るのだと思うだけで、僕の心は再び荒れてしまいそうになる。
けれど思い出すのだ。先生がくれた言葉を。
(先日は取り乱してしまったけど……大丈夫)
だって兄さんの家族は僕だけだ。
兄さんにとっての唯一は僕。
純粋な兄さんは染まりやすくて、今は悪いものに感化されてしまっているけれど、目を覚まさせてあげなくてはいけない。これからもずっと兄さんの手を引いて歩くのは僕しか居ない。そうしてこれからも、僕は兄さんとずっと一緒に過ごすのだ。
ふたりきりで。
ふたりきり。
それ以外は――。
――扉が、開いた。
有象無象がやってきたようだけれど、だから何?
「兄さん、会いに来てくれたんだね……!」
兄さんから会いに来てくれるってことは、兄さんは僕と一緒に居たいってことなんだよね? やっぱり、先生の言った通りだ。
殺してしまおう、壊してしまおう。兄さんが僕とともに止まり木に止まってくれない要因の全てを。
兄さんの目を覚まさせてあげれるのは、僕だけなのだから。
●
預言者ツロによって『二人のイレギュラーズ』は離反。そして幾人かが『茶会』へと招かれたことを、帰還したイレギュラーズによって他のイレギュラーズたちの知ることとなった。
帰還したイレギュラーズによって齎された、幾人かの有力者の元にも送られた『招待状』。これによって道をこじ開け、薔薇庭園に滞在するイレギュラーズの帰路を確保することを目標とし、イレギュラーズたちは動き出す――。
幻影竜が飛び回る審判の門を潜り抜けた。
預言の騎士や炎の獣、影の天使たちの目を掻い潜り、レテの回廊を駆け抜けた。
その先に見えてくるは神殿――テュリム大神殿。ルスト陣営の本拠地だ。
「……不気味ね」
テュリム大神殿内は美しいの一言に尽きる場所であった。それなのに何故だか違和を覚えたジルーシャ・グレイ(p3p002246)へ劉・雨泽(p3n000218)が「整っているからじゃない?」と口にした。
「確かに。ここは崩れておりませんの」
景色が崩れていたリンバスシティを経て神の国へと至るせいか、整いすぎていることに違和感を感じると物部 支佐手(p3p009422)が顎を引けば、「……美意識っていうのは解らねェが」と日向寺 三毒(p3p008777)が零す、気に入らねェ、と。
伸びる通路は広く、清潔で。高い場所には美しいステンドグラスが嵌り、煌めく灯りを回廊を駆けていくイレギュラーズたちの足元へと落としている。数え切れないほどある太い柱も立派で、置かれた美術品も、その装飾品に至るまで兎に角優美な場所であった。
戦う時は保護結界を展開した方が良いのだろうかと、敵の居城ながらもニル(p3p009185)が案じた頃。回廊を曲がった先に見えて姿にニルはアッと息を飲んだ。
「――ハーミル様!」
駆けていたイレギュラーズたちが失速する。
「あ、ニルだ」
身長よりも大きな鎌を後ろ手に、ぶらぶら。暇そうな様子を隠すこともなく回廊を左右に歩いていた『遂行者』ハーミル・ロットが、パッと明るい表情を浮かべた。……彼の足元で地に伏せていたコーラスの視線がニルへと向けられ、ニルは肩を小さく震わせた。
ハーミルの側にはコーラスだけではなく、白装束が数名居た。イレギュラーズたちに気がつくと、彼等は何か動作をした。ファミリアーか何か、知らせを出したのだろう。
「もしかして先生に会いに来たの? 『祈祷所』はこの奥だよ」
「またお会いしましたね、ハーミルさん。……通してくれるのですか?」
「うーん。ううーん……駄目!」
グリーフ・ロス(p3p008615)の問いに、ハーミルが返す。今日は此処を守ることを任されたんだ、と素直に。
(この先に、劉さんを傷つけたアイツが居る……!)
ならばハーミルを倒して先へ進む他ないだろうか。祝音・猫乃見・来探(p3p009413)を始めとしたイレギュラーズたちが得物を構える、が――。
「僕と戦う? いいよ。あ、でもー。先生が居なくなると、聖痕を持たない君たちは入れなくなるんじゃないかなぁ」
うーん、確かそんな感じだった気がする。そうだよね、コーラス。
黒豹のワールドイーターへと声を掛けたハーミルは遂行者だから、氷聖から聖痕を得ている。故に普段は気にしてはいないのだろう。
「あ。クルークのお兄さんが居る。……うーん」
「……祈祷所にクルークが居る、するの?」
「うん。でも先生が居なくなっちゃうと入れないし……お兄さん、会いに行ってあげてくれない?」
ハーミルが「ナイトプールの日からずっと荒れててさぁ」と告げてきて、チック・シュテル(p3p000932)はぎゅうと拳を強く握る。ズキズキと胸が酷く痛んだ。
「……血が出るよ」
雨泽が駄目だよとその手に軽く触れる。自分を大切にしてと言ったはずだ、と。
「アタシたちも通してくれるのかしら?」
「うーん……全員は駄目! でも通り過ぎざまに僕を攻撃しないって約束できるのなら、半分くらいは……いい、かなぁ? いい、よね。多分」
何かしても返り討ちにするだけなんだけどと笑ったハーミルが周囲の大人たち――氷聖の信者と思しき者たちへと問うと、彼等も良いのではないかと答えた。彼等はみな、傲慢なのだ。半数通したところで何か大事が起きるはずはない。だってあの場にはクルークが居るのだからと、イレギュラーズたちのことを侮っている。
「先生が居なくなっちゃうよ! すっごく急いで走ったほうがいいかも!」
数名のイレギュラーズたちを見送ると、ハーミルは残ったイレギュラーズたちへ天使のような微笑みを浮かべた。
「僕もお仕事しないと怒られちゃうから」
――ごめんね?
- <神の門>落花枝に返らず完了
- GM名壱花
- 種別長編EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年10月25日 22時05分
- 参加人数15/15人
- 相談6日
- 参加費150RC
参加者 : 15 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(15人)
サポートNPC一覧(1人)
リプレイ
●come see me
どうするのと向けられた視線に、『雨を識る』チック・シュテル(p3p000932)は瞳を一度閉ざした。この先に弟が――クルーク・シュテルが居ると言うのならば、戦いは避けられないのだろう。それはあの夏の日からずっと解っていたことだ。唯一無二の存在で、かたわれ。ずっと見てきた愛しい存在が変貌してることに気付いてしまっていた。
(同じ色には戻れなくても……今でも、愛している)
愛しているからこそ、チックにはやらねばならないことがある。
「おれ、行くね」
自傷しないようにと触れてきた劉・雨泽(p3n000218)の手を握り、告げる。
「僕は……」
言い淀むその瞳に、迷いが滲んでいる事がチックには解った。
チックは弟へ会いに行く。けれど雨泽は氷聖に会いたくはないのだろう。少しずつ心の準備をしてきた自分とは違い、彼は先日知ったばかりだからまだ会うには時間が必要なはずだ。
「雨泽。この先のヤツに伝えたい声があれば預かる」
言外に来なくて大丈夫だと告げるは『まなうらの黄』日向寺 三毒(p3p008777)。彼も夏のあの日の、雨泽の取り乱しようを知っている。会いたくないなら会わなくて良い。けれど言いたい事があれば伝えてやる。シンプルで、けれども苦しんでいる人を見て見ぬフリ出来ぬ、三毒らしい物言いだ。
「言いたいことはない、よ。……ありがとう」
「まァ此処は頼んだゼ。帰る道が塞がっちまうのは困るからよ」
「ニルは、ここでできることをがんばります」
ぎゅうと杖を握った『おいしいで満たされて』ニル(p3p009185)は先へ進む選択をした仲間たちを見て、そうしてファミリアーを一羽預ける。もう一羽は雨泽の肩へ、お守り代わりに。
「何かあった際は連絡します」
こちらはまかせてくださいと『愛を知った者よ』グリーフ・ロス(p3p008615)もファミリアーを先に進むことに決めた『優しき水竜を想う』オデット・ソレーユ・クリスタリア(p3p000282)へと託せば、彼女からも『凍狼の子犬』オディールを預かる。
「オディール、出来るだけ離れているのよ」
攻撃に巻き込まれてはいけないと子犬へと言い含めて、「それじゃあ行くわね」と明るく笑った。
「雨泽殿、こちらはお願いします。土産があったら、持って帰って来ますけえ」
「……僕の欲しそうな土産とか、此処には絶対無いと思う」
「確かに」
『黒蛇』物部 支佐手(p3p009422)が軽口を叩けば、雨泽にも小さく笑う余裕が生じたようだ。「欲しい土産が出来たらその時はよろしく」と先に進むことを決めた支佐手や『音呂木の巫女見習い』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)、『奪うは人心までも』結月 沙耶(p3p009126)、『最果てに至る邪眼』刻見 雲雀(p3p010272)
の背を見送る。
「こっちはアタシたちに任せて。……ニルたちをどうかお願いね、雨泽」
通り過ぎざまに『ベルディグリの傍ら』ジルーシャ・グレイ(p3p002246)が雨泽の脇腹を小突き、ひらひらと手を振って微笑む。
「アンタはアンタの、やれることをなさいな」
「……ニル達の事、よろしくね」
「うん……」
最後にぎゅっと手に力を籠めてから、チックが離れる。本当はこの手を離したくはない。嫌な予感はもうずっとしているから。けれど一緒に先へ進むよりは雨泽はここに残ったほうが良いと信じて手を離したのだった。
「劉さんには僕たちもついているから、大丈夫」
祈祷所へ進みたい気持ちを抑えて、『祈光のシュネー』祝音・猫乃見・来探(p3p009413)は回廊にとどまることを選んだ。まだ氷聖が居るのだと聞いてから駆け出してしまいたい気持ちはある。けれどそれより、雨泽のことが心配だったのだ。
「まあチックのことは俺たちに任せておけ!」
最後にバシンと『ポロキメン』ゴリョウ・クートン(p3p002081)が雨泽の背を叩いて活を入れ、ぶはははッと笑いながら先へ進んだ仲間たちに続いて回廊を進んでいった。
「奥に行くのは……もういい?」
もうひとりくらいいいよと首を傾げるハーミルは、クルークという仲間への信頼か。それとも傲慢さゆえか。注意深く彼を見る『優穏の聲』ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)の目を持ってしてもハーミルは子供にしか見えないが――彼は白を纏うれっきとした遂行者だ。
「ああ」
顎を引きながら、ゲオルグは思案する。
まず、彼が『見逃す』理由は必ずある。傲慢だが、それは根拠に拠る自信あってのことだ。
次に、格上の相手を侮ってはいけない。倒せると思わない方がいい。
更に、神官たちも魔種かそれに準ずる者ではなかろうか。先刻から聞こえるこの『声』の下でただ人が活動出来る訳がない。
故に回廊に残った者が取るべき行動で一番正しいのは『防戦』。
(私たちの役割は、ここで少しでも長くハーミルの意識を惹きつけること)
回廊に残った者たちの中で一番状況を理解できていたのはゲオルグだろう。
「それじゃあ」
ハーミルが神官たちへと視線を向けると、彼等は顎を引き『聖句』を唱えた。その途端、その場に残ったイレギュラーズたちの関心は一部――グリーフと祝音を除いて、彼等へと向けられた。
「奥へ行かないようにさせてもらったよー。半分以上通してあげたんだし、勿論許してくれるよね?」
無邪気な笑みを見せるハーミルの言は、その場に残ったイレギュラーズたち全員へ【怒り】付与を試みたということだろう。これがハーミルの『慈悲』への『対価』だ。既に仲間の……しかも半数以上を通してもらっている以上、イレギュラーズたちに返す言葉はない。
「……ハーミル様は、何故ここに?」
クルークとともに戦ったほうが絶対的に良いはずなのに、何故見送ったのか。
問うニルにハーミルは「クルークはどうか知らないけど、僕は友達だと思ってるから」と無邪気に笑う。お兄さんとの対話の時間を作ってあげたい。ハーミルの気持ちはそれだけだ。
「ハーミル、だったか? それだとお前は不利すぎないか?」
頭に直接響く煩わしい声へ眉を寄せながら『特異運命座標』マッチョ ☆ プリン(p3p008503)が問うが、その問いが面白かったのか、ハーミルはアハハッと明るい声をたてて笑った。
「先生が僕たちをここへ配置したのは、僕たちで十二分に守りきれるからだよ!」
それは傲慢でもなく、単なる事実だ。
大抵の場合イレギュラーズたちが8~10人でチームを組んでことに当たることを、長い間観察してきた遂行者たちは知っている。ならば余裕で相手取れるようにと兵を配置して当然だ。此処は敵の本拠地で、敵方に利のある地なのだから。
けれども思っていたよりもゾロゾロとイレギュラーズたちが来たものだから、ハーミルにとっては想定外だったらしい。だがしかし15人くらいなら……と思えるだけの余裕を持ちながら、チックの姿にアッとなったのが現状だ。
「つまりお兄さんたちは、僕等を倒すよりも生き延びる方を考えた方がいいんだよ!」
「ハーミルくんは優しいですね」
「教えてあげなくてもいいのに。でも素直なところが君の素敵なところです」
「へへー!」
ハーミルと神官たちは仲が良いようだ。
「僕もお仕事しないと怒られちゃうから」
――ごめんね?
話を引き伸ばして【怒り】解除をねらいたいところだが、そこまで甘くはないらしい。運動しながらお話しようか! とハーミルが鎌を握りしめた。
「キラリさん、気をつけてください。コーラスさんは秘宝種のコアを好まれるそうです」
この場にいる秘宝種でハーミルとコーラスに会ったことがないのはマッチョだけだ。グリーフが会った時もコーラスは大人しくしていたが、ニルからその旨は聞いている。
「ならばオレは美味そうに見える、という訳だな」
世界は弱肉強食だ。ヒトが植物や動物の命を糧としているように、コーラスの糧が秘宝種のコアというだけの話である。マッチョの好むプリンとて鳥の卵が使われているし、本来食事が必要ないはずの三名は他の生命を口にして糧とできる。――魔力で済むはずなのに生命を口にしている者も多い秘宝種と違い、コーラスの栄養と成り得るのはコアのみで、コアを食べねばコーラスは死んでしまうことだろう。
グリーフは秘宝種たちはいずれ来る終わりの時を迎えたいのだと口にしたが、他の命を奪ってるくせに何を言っているのとハーミルは返した。ヒトは食べずとも、美しいからと花を手折る。住まうために木を切る、石を砕いてそこにいる小さな命も奪う。どんな形であろうと様々な命を奪っているのに、自分たちだけはそれを願うのか、と。
「それに、コーラスにだって好みがあるよ」
ヒトに好き嫌いがあるように、コーラスにだってコアの中での好みがある。
そしてここに在るコアの中で一等コーラスが気になっているのは――
「ニルさん!」
誰よりも反応値の高いコーラスが地を蹴り、真っ直ぐにニルの元へと向かう。
「あげ、ません……!」
ハッと息を飲んだニルは、己の身を呈して『杖』を庇った。
コーラスが食べたいコア。それはニルの杖にあるコア。凶悪な爪を背に受けたニルは悲鳴を上げて地に倒れることとなったけれど、杖はぎゅうと抱えるように握って離さなかった。
マッチョはニルの傷が致命傷ではない事を瞳だけで確認すると、神官戦士たちへと向かっていく。他のイレギュラーズたちとてそうだ。『聖句』が効かなかった祝音とグリーフ以外はふたりの神官戦士へと引き寄せられた。
「……っ」
硬い。それがふたりの神官戦士へ対する第一印象だろう。この場にいるイレギュラーズたちの中ではグリーフのステータスが一等近く、敵方にグリーフがふたり居るようなものだ。タンクとヒーラーの神官戦士、そしてアタッカーのコーラスとハーミル。ゲオルグ以外の面々は、この時初めて状況を飲み込めたのかもしれない。
けれど。
「私たちはこの先に行かなきゃいけない」
真っ直ぐな声で『八十八式重火砲型機動魔法少女』オニキス・ハート(p3p008639)が告げる。この先に進むことを、彼女は諦めていない。いくら相手が強くとも、簡単におわらせはしない、と弾体へ魔術を籠めた。
「元より君たちから叩くつもりだったしね」
行動阻害を狙い、《120mmマジカル迫撃砲凍結弾》を打ち込む。
――けれどそれは、仲間をも巻き込む攻撃だ。
この回廊において敵のみを攻撃する術をひとつしか持たないオニキスの攻撃は、都度仲間たちへダメージとBSを与える。
「それは、信頼からくる攻撃?」
ハーミルは大技以外には識別があるが、神官戦士たちはその一撃に巻き込まれたとしてもよく判断したと彼を褒めることだろう。
ローレットのハイ・ルールは知らないけれど、ハーミルが首を傾げながら大鎌を振るう。狙いはオニキス。頭数を減らすためにも、ハーミルは体力が少なそうな者から狙っていった。
先へ進むことを選んだイレギュラーズたちは、回廊を駆けていく。しんと静まり返った回廊には響くのは彼等の足音のみで、既にハーミルや仲間たちの声は聞こえてこない。
けれどそのせいだろうか。脳内に直接響く『声』が煩わしい。
「煩い……その声で私に語りかけるな、少なくとも師匠の声で傲慢を騙るな! 師匠は怪盗は常に冷静であれ、傲慢になってはいけないと言ってたんだ!」
足を止めた沙耶が叫んだ。彼女には師匠の声が聞こえているらしい。旅人である沙耶は反転はしないものの、呼び声に応じれば狂気に陥る。進む先は二度と戻ることの出来ない魔の道だ。
「傲慢なのはわかってるつもりよ」
だって私は妖精で人間なんかとは違う。人間は愚かで弱い、そうでしょう?
妖精としての矜持のあるオデットは、それでもそれが傲慢だと知っている。
(……でも)
大いなる竜から見れば、妖精もまた小さきヒトの子。竜もまた傲慢であろうが、そこには歴然たる力量差があった。
「まだ大丈夫、私はまた気まぐれな自分の意志で、気に入ったほうの味方をしているだけのはずよ」
深呼吸をして自らの頬を張り、オデットは前を見つめた。
「……なる程ね?」
雲雀には、双子の兄の声が聞こえていた。特定の魔種が発していない此度の呼び声で聞こえる声は、きっと雲雀自身の願望から成る声だろう。
「なるほど煩ぇ、煩ぇが……酔っ払いどもの喧嘩ほどじゃねぇな!」
ぶははと笑い飛ばしたゴリョウが大丈夫かと振り返れば、幾人かの表情から険が取れた。抗う救けとなる力を彼は有している。
「みんなー! 元気だしてこー! こういう時こそ、あげみざわでパリピるしかなくない? バイブスぶち上げてこー!」
こんな時こそ明るく照らすのが我が役目と心得たり。秋奈が明るい声を上げると、ペンダントを握りしめて耐えていたジルーシャもそうねと淡く笑みを零す。揺れてるなんて、『らしく』ないじゃない?
荘厳な扉が見えてくる。あそこですかと支佐手が口にして、速度を上げてぴたりと扉についた。
中の様子を伺えば、人の気配がいくつか。チックの弟と氷聖と信者たち。ハーミルは嘘をついていないのだろうと支佐手は顎を引いて仲間たちへ『開ける』と知らせると、扉を押した。反対側の扉を雲雀が担い、ゴリョウと秋奈を先頭にイレギュラーズたちは祈祷所へと踏み込んだ。
「おや。ハーミル君が通したのですね。いけない子だ」
子を持つ親のような表情の男――この部屋の主である氷聖が小さく笑う。初めて彼に出会った者たちは『絵に描いたような善人』という印象を覚えただろう。
「ごきんげんよう、異端者たち。俺は君たちを歓迎します。ですが、用があるので失礼を。……と、俺が出てしまうと閉ざされてしまうので、此処に用がない方は外へ出たほうが良いですよ」
氷聖の視線はクルークとチックへと向けて「良い結果が得られますように」と微笑むと、それではとイレギュラーズたちへ会釈をした。ハーミルも言っていたが、言葉通り此処を去るつもりなのだろう。
「そこな遂行者、待ちんさい。こないだ祭りに来とったんは、おんしですかの?」
「おう。今日はまたぞろぞろと、兄弟喧嘩の見学か?」
支佐手と三毒に同時に声を掛けられ、帰ろうとしていた氷聖はこんにちはと笑んだ。
「くっ徳の高いお坊様みたいな、慈愛に満ちた目をしやがって!」
挨拶代わりにえいやっと《ジャミル・タクティール》を秋奈が氷聖へと放った。仲間たちが止める間もない一撃に、ただ氷聖は悠然と微笑み――彼の側に居た信者たちの連携の取れた連撃の反撃で秋奈が早々に沈んだ。
「氷聖、アンタ――!」
ジルーシャが声を荒げるが、氷聖は肩を竦める。今のはれっきとした正当防衛だろう。ことを荒立てずに帰ろうとしているところへ攻撃してきたのだから。
「秋奈殿!」
息を飲んだ支佐手が剣に手をかけながら間へと体を割り込ませる。早急すぎると秋奈へと諌めたい気持ちと、敵の本丸で仕掛ければそうなるという気持ちをせめぎ合わせながら、くっと一度目を閉ざして感情を切り替えると剣から手を離した。
(何かしたようには見えんかったが……)
氷聖も『何か』したのだろう。それともそれ以前から保険が掛けてあったのか。
「……フッフフ、なんか面白そうだったんで」
「秋奈殿は少し休んどってください」
パンドラ復活を早々に使うこととなった秋奈はジルーシャからの治癒を受けることとなった。
「大勢に一度に話しかけられると困ってしまうので順番に声を掛けて頂きたいのですが……いえ、それよりも俺にも予定がありまして」
以前もそうだが、『イレギュラーズたちは礼儀がなっていない』。すぐに先制攻撃を仕掛けたがるし、会話を阻みたがる。今日とて移動する氷聖を阻んでいる上に攻撃を仕掛けてきた。学習しませんねと、氷聖は不出来な子どもたちを見るような苦笑を浮かべていた。
「そこの黒い君。祭りとは氷菓の、ですね? それならば『はい』です。それからそちらの鬼人種の。『それ』はあなた方でしょう? 俺は立ち去ろうとしていたのですよ?
他にはありますか? 俺は兄弟の時間を邪魔したくありませんし、用事もあるので手短にお願いします」
では、と沙耶が一歩前へ出る。
「ここに来るまでにいた――ハーミルは、捨て駒にする気なのか?」
沙耶の問いに、氷聖は軽く首を傾げた。「そう見えるのですか?」と。そう見えるのであれば、見る目がないと言わんばかりに微笑んで。
「単純に算数です。あの子は『同朋』ですから」
同朋。つまりは魔種であり、イレギュラーズたちが10人程で挑んでも負けることもある強敵だ。そしてハーミルにはコーラスと神官戦士が二名ついている。故にひっくり返すような何かが無ければ負けるはずもなく、彼が無事に帰って来ることを氷聖はただ事実として知っているのだ。
「俺はあの子を信じているので。……君たちは仲間を信じないのですか?」
子どもを慈しむように、氷聖が微笑う。
仲間を信じて二手に別れたイレギュラーズたち。それを問うということはブーメランとなって沙耶へと返る言葉だ。
「……信じているとも」
「ご理解いただけたようですね」
(本当に底が知れなくって怖いわ)
気味が悪いと言っても良い。
けれど、「でもね」とやり取りを眺めていたオデットは思う。オデットはもっと怖いものを知っている。
(怒ったお母様の方がきっとずっと怖くて、悲しいわ)
オデットには絶対に無事に帰らねばならない理由がある。出会ったことが――会話を試みたことが間違いだったと『彼女』に思われないためにも、オデットは常に全力で立ち向かい生きて帰らねばならないのだ。
「それでは俺はこれで。皆さんも、あまり彼等の邪魔をしては野暮というものですよ」
「次は必ず、アンタのその横っ面引っ叩いてやるから――覚悟しておきなさいよ」
「俺はか弱いので、何かを盾にしてしまうかもしれませんよ?」
「信者ごと引っ叩いてやるわよ」
ああ怖い。
眉を下げて諫めるように微笑み、氷聖は信者を連れて姿を消した。
残されたのはひとりきり。クルークだけだ。
「兄さん」
チックの眼前でクルークが笑む。その表情は喜びで溢れていて、チックのことしか目に入っていないようだった。
「クルーク……」
再会を果たしてから、クルークは昔のままの姿だった。成長していない体、白くて綺麗な翼、柔らかな眼差しは春の木漏れ日のよう。
それがどうしたことだろう。黒く千切れた翼に、笑う顔には狂気が灯る。
これがクルークの本当の姿なのだと知り、先程まで氷聖が居た場所へと思わず視線を向けた。今までの姿は彼が『与えた』ものなのだろう。
「兄さん、僕だけを見て」
「クルーク……」
「側に来て。いつもみたいに抱きしめて」
ずっと一緒にいようって約束したよね?
クルークは『あの日』チックが言った事が抜け落ちたように微笑んでいて。だからこそチックは再度口にせねばならない。もう二度と同じ色には戻れないのだ、と。
「どうして? ……そいつ等がいるから?」
「違う。クルーク……」
「大丈夫だよ、兄さん。僕が助けて上げる」
「……おれは、自分の意志で皆と一緒にいる、よ」
「それは間違っているよ、兄さん。大丈夫、僕が導いてあげるから」
「間違ってるなんて……勝手に、決めないで!」
「……兄さん?」
チックが感情のままに声を荒らげたから、クルークの瞳が丸くなった。
けれどその瞳はすぐに笑みの形に細められ――チックの側のイレギュラーズたちは「ああ」と悟った。もう話の通じる相手ではないのだ。
(……難しいな)
話を聞くよう割り込もうかと考えていた雲雀も、眉を顰めた。聞く聞かない以前に、『通じない』のだ。雲雀が何と言おうと、捻じ曲がるだろう。
雲雀は弟というクルークと同じ立場で、雲雀の兄は物静かな人だった。未来が見えるからと言える言葉に限りがあるから、殊更のことだったのだろう。
(それなのに俺はわかってやれなくて)
後から知って、悔やんだ。だからふたりには後悔をしてほしくない。
けれどもふたりの会話を聞くに、既にやり取りを交わしていても平行線のようだ。弟は側に居たいと願い、兄は側には居られないと既に断っている。――魔種に堕ちた弟が存在しているだけで世界に害をなす存在であることを兄は、チックはしっかりと理解していた。ふたりの道は、二度と交われない。隣を歩めない。同じ色に染まってあげることもできない。
「大丈夫だ、私達がいるから心配はない」
不安そうだね、と沙耶がチックへと囁きを落とす。耳のすぐ側に掛かった吐息にチックが肩を跳ねさせると、クルークの眉も跳ねた。イラッとしたのを隠しもしないその顔に、執着を隠そうとしないその姿に、沙耶は煽るように微笑んでみせる。
「よう、お兄ちゃんっ子! 折角兄ちゃんいるのに一緒にうちへ飯食いに来ねぇたぁ随分と不義理だねぇ!?」
「わ……」
ゴリョウがチックの肩を抱くように手を置くと、チックから小さな驚きの声が上がった。途端、クルークが声を上げた。
「豚が! 汚い手で兄さんに触れるな!」
クルークにはチックがゴリョウに怯えたように見え、矢張り助けてあげるべきだという気持ちが挑発的な炯眼で膨れ上がり――爆ぜた。
タールのような禍々しい鳥や牙むく獣がクルークの足元から滲み出し、ゴリョウめがけて飛んでいく――。
●stay with me
「呼び声なんて嫌い、勧誘なんていらない。傲慢連中なんて……大っ嫌いだ!」
幾度も聞こえる声を否定して、祝音は頭を大きく振るう。すぐ側にいる雨泽は時折顔を顰めてはいるが呼び声に応じてはいないようで、少しだけ安堵を覚えた。
神官戦士による【怒り】で雨泽が前へ出てしまっているから、祝音もオニキスの攻撃に巻き込まれてしまう前へと出て天からの光輪を一等傷ついている仲間の元へと降らせる。
「声も、聖句も、厄介ですね」
自身への呼び声の対処を行っていないオニキスとグリーフは時折行動に支障がでているが、ニルはネックレスを握りしめて耐えている。戦闘への気は散ってしまうためコーラスから受ける傷は増えているものの、堕ちてしまうよりはマシだ。
抵抗の高い祝音とグリーフが何とか仲間たちの【怒り】を解除するのだが、その直後に神官戦士たちが動くのも問題であった。
「皆、諦めるな! 1人じゃ出来ない事があるから皆でやる。皆で来た。そうだろう!?」
自身の失敗から傲慢になってはいられないマッチョは己の心を強く持ち、グリーフとオニキスを鼓舞した。揺らいでいたふたりから、弱くはあるが同意の声が返ってくる。魔種の身へ堕ちるわけにはいかない。仲間たちの帰り道を確保し、全員で帰るのだ。
運良く聖句を弾くことが叶ったマッチョは自己強化をしようとしたが……《アッパーユアハート》の範囲内にコーラスが居なかったため、移動してからコーラスを挑発した。コーラスの視線がやっと、ニルの杖から外れた。
「屈せず、倒れないようにする。それが肝要だ」
ゲオルグもまた、旅人だからと油断することなく心を強く持って呼び声を拒み続けていた。この場に呼び声に落ちた者は、まだ、居ない。けれども現状はよくないとゲオルグは魔力を纏わせたナイフを投擲しながら静かに状況を捉えていた。
ニルと祝音とグリーフとゲオルグは、回復行動が可能な場合は複数回行動分も全て回復に専念せねばならない状況に陥ってしまっている。間に合わねばハーミルの鎌がひとりずつ丁寧に間引いていき、既に幾人かはパンドラ回復も使用していてジリ貧だ。
「うん、いいよ。諦めない人って僕結構好きだなー」
イレギュラーズたちが回復行動を行えない場合は神官戦士たちが傷を負うのだが――彼等も耐えてくれている。だからこうして、ハーミルはまだ楽しめていた。神官戦士たちだけで倒せる状況にならなければ、ハーミルはクルークの元へは向かわない。
けれどもそこに綻びが生じる時はかならず訪れる。
「……っ」
ぐうと神官戦士のひとりがついに血溜まりへと沈んだ。
ハーミルはぐっと唇を噛んで、神官戦士を串刺しにしたオニキスを刈り取った。
「……おじさんにはね、僕くらいの息子が居るんだって」
残るもうひとりの神官戦士が回復と聖句を唱える。鎌についた血をビュッと払って美しい回廊に赤い軌跡を描いたハーミルが小さく呟いた。
立ち位置が違えば『正義』も違う。生き方も、在り方も、背景も違う。
「この世界に来てしまったおじさんは帰ることを願っていたんだよ。……もう、帰れないね」
死した神官は旅人で、イレギュラーズ。イレギュラーズの全員がローレットに所属しているわけではない。
――先生に弔ってもらうためにも終わらせちゃおうか。
ひとりずつ狙うなんてこと、もうしない。反動があったっていい。仕留めてしまおう。
「早く眠っちゃってくれない?」
ハーミルは大鎌を旋回させた。
祈祷所での戦いは長引いていた。回復が使えるものは回復に集中せねばならない状況で、回廊の状況に近い。
「兄さん、僕を殺すの?」
歌いすぎて喉に負担が掛かっているチックへ、クルークが静かに問うた。
彼が魔種である以上、殺さねばならない。ぎゅっとチックは眉を寄せる。目に力を入れていなければ、涙が溢れてしまいそうだった。
「ほら、兄さんは変わらない」
優しいねとクルークが笑った。オデットから受けた傷が大きくて、血がボトボトと落ちては影に飲まれていく。
「僕を殺さないと、兄さんは外には出られないよ」
「どう……いう……」
「僕とずっと此処にいるか、僕以外と外に出るか……選んで、兄さん」
先生に触媒――つまりはこの部屋の鍵にしてもらったんだ、とクルークが微笑む。
何故とどうしてがチックの脳を駆けていくが、そんなことは決まっている。
「兄さんのため、だよ」
いつだって、クルークは兄のことだけを考えている。
兄さんと一緒に幸せになりたい。
兄さんとずっと一緒にいたい。
側に居られないなら、いっそ――。
「兄さんが惑わぬように、兄さんを正しい道へ導けるように」
クルークが命じるままに新たな影が生まれ、伸びていく。するすると、ドロドロロと伸び、フロア全体を覆い尽くす――反動も大きく広範囲で高威力、【識別】のない【必殺】の一撃。幾人かの体力を削り切ることが出来るだろう。
「っ」
けれどチックが視界に入れば、クルークの心は揺らいでしまう。
一緒の根底には『兄が』が一等大切で、誰よりも幸せになってほしい。
――本当は殺したくない。明るい場所で笑っていてほしい。
だからせめて、兄が『今度はちゃんと』やり遂げられるように――己を触媒とした。
「兄さん……」
禍々しく濃くなっていた影が薄れた隙に、ボタボタと血を流しながらもゴリョウと秋奈が肉薄する。この期に及んで、俺を見ろだとか私を見ろだとかは言わない。ただ、少しだけの時間を作るのだ。
「チック、解るな?」
チックの前には彼をかばうために三毒と支佐手が前に居る。戦線が崩れた時、立て直すために前に出たジルーシャの背中も、同じことを告げている。
「チック殿、今です」
支佐手の声と同時に、チックは歌を編む。
「――ふ、ぅ……ッ」
痛みの記憶が心を締め付けて歌を阻害するが――それでも歌う。
弟を殺すための《荊棘》を。
弟の影の魔術のように自在には編めないけれど、ただクルークの事だけを想い――そうして穿った。
――赦さないで。おれの事を、ずっと。
――赦すよ。兄さんが僕にすること、全部。
「クルーク!」
受け入れやすいように両の手を広げて倒れたクルーク。
咄嗟に駆け出すチック。
三毒は止めようか迷ったが、止めずに道を譲った。
「クルーク! クルーク!」
チックが駆けていくのを、誰もが見送る。
兄弟の離別に水をさしては野暮だろうと、起き上がらないことだけ確認してゴリョウも秋奈も身を引き、雲雀は眉を寄せて見守った。
「……クルーク」
動かなくなった弟の体を抱き寄せる。
「ごめん、ね……」
もう同じ色ではないと突き放したチックの想い。
けれどそれでも、最期の瞬間まで一緒にいたいと願っていたクルークの願い。
膝の上に抱いた弟の表情は安らかで、まるで眠っているようだった。
あの日と同じように、彼はチックが為すことを全て受け入れて――
「ありがとう」
瞼に、額に、頬に、おやすみなさいのキスを落とす。
クルークの姿が消えてなくなるまで、チックはずっと弟の傍らに寄り添っていた。
――――
――
「よし、と。それじゃあ行こうかなー。あ、その前にコアを貰わないと」
柔らかな天使が如き歌声を響かせて自身とコーラス、そして神官戦士を癒やしたハーミルがにっこりと笑った。怪我もしてしまったから白に赤い部分が目立つけれど、後から着替えてしまうから問題ない。
させないとゲオルグが立とうとして、マッチョも身動ぐ。だが、もう、ふたりは殆ど動けない。
「あれ?」
鎌をブラブラとしながら後方を伺ったハーミルが、床に膝をついているイレギュラーズたちの前で声を弾ませた。
意識が完全に落ちているオニキス以外のイレギュラーズたちは、新たに生じた気配に小さく反応し、僅かに顔を動かした。
「先生! わあ、もしかしてお迎え?」
「いいえ。俺は君を信じているので、必要ないでしょう?」
「……氷聖、様? 何をし、」
「忘れものをしまして」
にっこりと微笑むその人は、遂行者・氷聖。
彼の姿を認識した途端、ニルは床へと膝をついた。あんなに大事に握っていた杖はカランと音を立てて落ちていて、両の手は祈りの形に組み合わされる。まるで彼を『信仰』しているようなその姿に、グリーフから「ニルさん!?」と驚きの声が上がった。
(氷聖!?)
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返していた祝音の心に怒りが爆ぜた。視界が一瞬で赤に染まり、睨みつけてやろうとぐぐっと持ち上げた祝音の視界の端で、ふらりと雨泽が動いた。地に膝をついたイレギュラーズたちからのアングルからはその表情は見えない。見えるのは、真っ直ぐに氷聖へと顔を向け、静かに歩いていくその姿だけだ。
「劉さん……?」
近くに居た祝音は咄嗟に手を伸ばそうとする。だが祝音はもうヘトヘトで、伸ばした手も彼の服の裾を掴む前にパシンと乾いた音を立てて強く払われた。
「らう……」
祝音を冷たく見下ろす雨泽の瞳には、躊躇いも焦りも――感情と呼べるものが何ひとつない。反射的に視線が送られた以上の意味はそこになく、彼はすぐに祈る姿勢のニルの横を通り抜けて氷聖の元へと歩いていった。
ゲオルグもマッチョも声を掛けたが、振り返らない。氷聖の元までたどり着くと彼は『糸の切れた操り人形のように』全身から力が抜けて崩折れ、それを氷聖が抱えた。
「うん、順調ですね。……彼も」
「はーい!」
ハーミルがコーラスへと指示を出して神官の遺体を回収すると、自身は残るひとりの神官へと「おじさん大丈夫?」と肩を貸した。
「まともに挨拶もできずに申し訳ありません、弔ってあげねばなりませんので。俺たちはこれで」
「お兄さんたち、ニル、また遊ぼうね! ばいばーい!」
動けないでいるイレギュラーズたちの前で、雨泽を連れた遂行者たちの姿が掻き消える。
「――っ、ニルは今、何をしていたのでしょうか」
「ッ、僕はっ! 劉さん? 劉さんは!?」
氷聖をその目にした途端に信仰してしまったニルと、雨泽の姿を追って氷聖を捉え……少し抗った末に信仰してしまった祝音。ふたりは夢から醒めたかのように周囲を見て、悔しそうな顔をしている仲間たちを見て、薄ぼんやりと霞がかった意識で見た光景を思い出し、ハッと息を飲んだ。
「……雨泽様?」
どこにも居ない。
――彼は、行ってしまったのだ。
(でも、雨泽様の選択ではない、はずです)
甘くて冷たいあの夜に、彼がその選択をしたことをニルは知っている。祝音も、あの場に居た者は、彼の意思を聞いていた。
雨泽の肩に乗っていた小鳥は床に倒れ伏していて、掬い上げたニルの手の中でピィと力なく鳴いていた。
「皆……!」
クルークとの戦闘を終え、傷を癒やして整え終えた仲間たちが祈祷所の扉を開けて駆けてくる。
怪我はお互い様。血溜まりとて覚悟の上。
けれど悔しげな表情とひとり足りないことに気付いた時、彼等は――。
ああ、その胸中はいかほどか。
●
「先生、ご機嫌だね」
「ええ、まあ」
年甲斐もなく恥ずかしいことですとはにかみながら胸元のクロスを操る男の手の内で、それは幾つかの形に変わっていた。
敬虔なる使徒たる十字架。
ヒトガタめいたクロス。
――そうして、赤い角の鬼人種を模した人形。
くるくる、くる。幾つかの形へ変貌するそれを、ハーミルは不思議に思わない。
「しっかりと準備をした甲斐がありました」
夏の夜のプールでハーミルに勧めさせた『プッシーキャット』。
何故それだったのか、考えたイレギュラーズは居なかった。
オレンジとパイナップルにグレープフルーツ。それに赤いグレナデンシロップのノンアルコールドリンク。
標的の好みを調べるのは基本中の基本。甘さと名前に惹かれさせ――本当の目的を隠した。
赤いグレナデンシロップは創作料理で血をイメージして用いられることも多く、紅血を仕込むには『丁度良い』。
既にあの夜に、氷聖の呪術は成っている。後は幾つかの手順(プロセス)。接触、心を乱して付け入る隙を作り、そうして絡め取った。
(先生、楽しそう!)
『珍しく』楽しげに笑う氷聖の口から赤い舌が覗いている。聖痕を舌に持つ彼は機嫌が良い時で無ければその証を見せることはなく、氷聖が楽しいのだと解ってハーミルも楽しくなった。
触媒に刻まれた印を見たイレギュラーズたちはオウムガイのようだと思った者も居たが、彼の聖痕は渦巻く雲である。ハーミルも同じ印を頂いている。
「先生、おじさんを弔ったらケーキを食べたいな」
「おや、良いのですか?」
友人の死を悼まなくてもと、氷聖が意外そうにハーミルを見た。
「うん! だってクルークは――」
彼の願いは叶った。
愛しい兄の腕(かいな)に抱かれ、最期まで想って貰え、幸せの中で眠りについた。
「だからお祝い。僕はクルークの友達だもの!」
例え彼がそう思っていなくとも構わない。ハーミルはただ、無邪気に笑っていた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
会話が多いですが、戦闘判定は粛々と行われています。
Hardの、しかも魔種戦であるにも関わらず全体的に回復がかなり不足していたので、重傷者とパンドラ復活者が多く出ています。【2】が勝てたのは、クルークがチックさんに甘かったからです。
魔種討伐、お疲れ様でした。
また、雨泽が行方不明になりました。氷聖が7月からずっと準備をしていたことで、情報は少しずつ出てはおりましたが、もう手遅れなところまで来ておりました。
雨泽の手帳をニルさんが拾いました。内容は日々の日記なので読まなくても大丈夫なものですが、『PLとして』こっそりニルさんに見せてもらっても大丈夫です。
(非公開ノートURLです。SNSや今後の作戦掲示板等、第三者が見える場所にURLや内容を貼らないと約束できる方はお手紙等でニルさんへ尋ねてみてください。)(ニルさんの拾得物なので、ニルさんが独り占めしても大丈夫です。)
GMコメント
ごきげんよう、壱花です。
敵の本拠地へ乗り込みましょう。
事情により長編になっていますが、HardEXが2本と考えてください。
●成功条件
『クルーク』撃破
(※ハーミル撃破は成功条件に含まれませんし、ほぼ不可能です)
●失敗
上記成功条件未達成
ハーミルがクルークと合流
●シナリオについて
審判の門を潜り抜け、そしてレテの回廊を駆け抜けたあなた方は『テュリム大神殿』へと至りました。上位に属する遂行者の居所であり、敵陣の本拠地です。
無理にも招かれたイレギュラーズの安全なる帰還のためにも、そして、ルスト・シファーを表に引き摺り出すためにも、全ての道をこじ開けることがイレギュラーズ側の狙いです。
テュリム大神殿内の回廊を進んでいくとハーミルに遭遇します。そしてその先の回廊を進んでいくと『氷聖』の『祈祷所』があることを知りました。
●フィールド『テュリム大神殿』
神の国で最も重要とされている神殿です。上位に属する遂行者や指導者の居所でもあり、祈りの地でもあります。
礼拝堂や、長く美しい回廊、神殿内の中庭には花が季節外れに咲き誇っています。ある意味でもっとも権威を感じる場所がこのテュリム大神殿です。
※戦闘となる場所の詳しい説明は『エネミー』を参照ください。
●『原罪の呼び声』
大神殿内では絶えず傲慢の魔種による呼び声が響いています。
心を強くも持ち、しっかりと抵抗してください。
傲慢じゃないから大丈夫? その思いこそが傲慢でしょう。
●エネミー
【1:回廊】
テュリム大神殿内の長く美しい回廊です。
ハーミルが居ます。OPを参照ください。
回廊にて侵入者を『出来るだけ』防ぐ任にハーミルがついています。少数ならクルークが撃退出来ることを知っているので、自分の負担を減らすために通しちゃいます。8~10人は見逃します。それ以上は――ハーミルは残った全員を倒すor自分を抑えきれないと判断するとクルークと合流します。
ハーミルの背後に回ることは難しいです。
◯ハーミル・ロット
黒豹型のワールドイーターを連れた少年遂行者。魔種です。
明るく友好的な性格をしていますが、遂行者です。先生に任せられたお仕事は「しっかりがんばるよー!」と思っています。キリッと眉を上げて、やる気いっぱい元気いっぱい。
身長よりも大きな鎌を持っています。コーラスよりも反応は低いですが、一撃一撃が必殺の一撃です。BS解除やブレイク、広範囲回復も可能です。
「早く終わらせて、クルークを助けに行ってあげようかなぁ。でもお兄さんとお話の時間も欲しいだろうし……うーん、悩んじゃう!」
・『ワールドイーター』コーラス
黒豹型のワールドイーター。主食は秘宝種のコアで、いっぱい食べてきているため1体でかなり強い終焉獣で、滅びのアークから作り出された滅びの塊です。
反応・回避・EXAがとても高いです。
・神官戦士たち 2名
バフ・デバフ・回復も行える戦う神官たち。氷聖の信者。
魔種ではありませんが、弱くはありません。
【2:祈祷所】
ハーミルが居る場所から奥へと向かい、更に奥へ――行き止まりに荘厳な大きな扉があります。急がなくては入ることすら出来なくなるため、皆さんは先へと進みました。
氷聖が居なくなると扉に特殊なロックが掛かり、氷聖に属する者以外の出入りができなくなります。物理的なものではありません。が、此処を守護する触媒を壊す事で出入りが可能となります。
◯『影霞の鳥』クルーク・シュテル
氷聖の『手伝い』をしています。魔種です。チックさんの弟。
今まで姿を見せていた時は、兄に一目で気付いてもらえるように(あとお揃いのために)白翼でしたが、兄の翼が既に白くないことそして再開も果たしてもっと視線を向けてもらいたいが為に黒翼です。
触媒はクルークです。心臓の真上に氷聖の聖痕が刻まれており、クルーク自身がそれを望みました。どう転んでも『死ぬまでずっと兄さんと一緒』なのです。……きっとその先だって。
チックさんを見ると「ずっとここにいよう」と言います。他の人が居るのが気になるのなら殺してしまおう。そうすればふたりきりでずっと一緒に居られるよ。
兄を一番解っているのは自分だという傲慢さがあります。それなのに夏、兄に断られたために更に歪みました。大好きな兄は騙されているのです。兄を救ってあげねばなりません。兄を導いてあげねばなりません。それが出来るのは唯一人の家族である自分だけ。
「ぼくの側に居ない兄さんは『間違っている』のだから。ちゃんと教えてあげないと。――全部僕に任せて、兄さん」
戦闘している姿を誰も見たことがないため不明ですが、影の魔術を使用します。(チックさんは知っているかもしれません。が、過去に可愛らしい魔術を使っていたとしたら――今はもっと禍々しいと感じられるかも知れません。)
◯『救い手』氷聖
いつもふんわり微笑みながら信者たちに囲まれていて『何故か』戦闘をしないで帰ってしまう遂行者です。信者たちから『先生』と呼ばれています。クルークの居る部屋に居ますが、戦闘開始前には信者たちを引き連れて居なくなります。
呼び止めて問答を試みても良いですが、返答があるか・呼び止められるかは興味を引けるか否かになります。
彼に3回以上遭遇しているあなたは、何故だか彼を『信仰しなくてはいけない』『あの信者たちと同じようにはしなくてはいけない』と言う気持ちになるかもしれません。あなたは既に彼が信者たちに囲まれていてもそれが『普通』と思いますね?
「それが『正しい』ことなので、何もおかしくはありません」
ね。そうですよね?
●同行NPC
劉・雨泽(p3n000218)が同行します。
行動は【1】になります。回復は不得手で、近~中距離で戦えます。
どうしても【2】に同行させたい場合は、チックさんがプレイングで指定してください。クルークによく思われていないため、危険度が元気に鰻登りになります。わーい。(また同行させる場合は8~10人の内の数にも含まれてしまうので、同行させても良いことはありません。)
●EXプレイング
開放してあります。文字数が欲しい時等に活用ください。
本シナリオで関係者の採用はありません。
●情報精度
このシナリオの情報精度はC-です。
信用していい情報とそうでない情報を切り分けて下さい。
不測の事態を警戒して下さい。
それではイレギュラーズの皆さん、どうぞご武運を。
行動場所
以下の選択肢の中から行動する場所を選択して下さい。
【1】回廊
【2】祈祷所
※OPにある通り、チックさんは此方の選択のみになります。
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