PandoraPartyProject

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黒夢の檻

黒夢の檻

 ダークグレイの暗色が辺り一面を包み込んでいる。
 僅かな明かりは小さく揺れて漂っているばかりで、一寸先だって見えやしない。
 ぽつりと置かれた革張りの椅子に座っているのは『掃除屋』燈堂 廻(p3n000160)だった。
 ぐったりと椅子にもたれ掛かり、薄く開かれたアメジストの瞳は虚ろ。
 その椅子の後ろに立っているのは澄原龍成だ。

「廻。大丈夫か? 少し乱暴にしちまったから疲れたんだな。ごめんな」
「……ぅ」
 頭が痛むのか、廻は手を頭部に持って行く。
 しかし、力が抜けきった腕は、途中で支えを無くしたように椅子の上に降ろされた。
「俺は廻の全部が知りたいんだよ。好きな事も嫌いな事も楽しい事も辛い事も全部。
 だからこうして先に『夢の中』からお前を調べてる。記憶と夢は近い所にあるからな」

 此処は夢の狭間。夢を渡る者の領域。
 龍成に憑いた悪性怪異――『獏馬』の結界の中だ。
 誰かが見た夢の残滓に巣くう悪性怪異を見つけ出すのは非常に困難。
 例え夢の中を探す事が出来るのだとしても時間が掛かってしまう。
 だから、龍成は廻の意識だけを此処へ攫って来た。廻の事を知るには十分な時間が確保出来る。
 いまごろ現実世界では、目を覚まさない廻に周りが焦っているだろう。
 意識だけだとしても、記憶には刻まれる。それは返って身体へも影響を及ぼすのだ。

「あまね……だっけ。そいつが廻の記憶を持ってるんだろ?」
「……あまね」
 龍成の問いかけに反応を見せる廻。
「散々、廻の中を探しても見つけられなかった。お前に掛けられた『呪い』を解く方法」
「のろ、い?」
 龍成は獏馬から『廻には呪いが掛けられている』と教えられていた。
「あいつ……燈堂暁月が強制的にお前を従わせてるんだろ? 呪いを掛けられて、逆らえないんだよな?
 あまねの能力で記憶を封じられて、今までの事全部忘れちまって。道具みたいに使われてるんだろ?」
 龍成は廻を後ろから抱きしめる。辛そうな表情を見せる青年を、廻の虚ろな瞳が捉えた。
「暁月さんは、命の恩人……で」
「だからって、あんな事していいはずねえだろ。あいつは廻に酷い事をしてんだよ。廻にはそれが分かんねえのかよ」
 廻の記憶を探って知った暁月と廻の関係性。歪に綻んだ輪の中に閉じ込められている。
 幾度、暁月が廻に無理を強いたか分からない。彼が廻の首に手を掛けたのは一度や二度ではないのだ。
 暁月の恋人、詩織が死んで、廻が生きている。
 その事実に抗えぬ慟哭を暁月が抱えているなんて、廻には関係無い事なのにだ。
「俺はそれが許せない。命の恩人なら何をしても良いのかよ。あいつは間違ってる。俺が獏馬の能力で廻の意識を攫うのもあいつは分かっていたはずだ。なのに泳がせている。お前を『生き餌』にしてる。
 絶対にあまねが持ってる記憶の封印が解けねえって高をくくってやがるんだ」

 だから。
 だから。
 だから――


「俺が廻を救ってやるよ。あいつから解放してやる」


 龍成は廻の目を自分の手で覆い隠す。見たくないものを見なくていいように。
 どんな手を使ってでも。廻を暁月から守ってみせる。
 たとえ、獏馬の能力でこの身が、傷付いていようとも。
 必ず救うのだと。


 夢の暗闇の中。椅子に座る廻の元へ人間の姿を取った獏馬がやってくる。
 虚ろな瞳を向ける廻とぬいぐるみ姿のあまねに視線を落とし眉を寄せた。
「……」
「君は、いつでも人型になれるんだね」
 あまねの人型は片手で数えられる程、それも数分の変身が限界だったのだ。
「はあ? あまね、もしかして言ってないのか。お前がその姿しか保てない理由
 ぬいぐるみの姿を示して獏馬は一層不機嫌な表情を見せる。
「いいよ、言わなくていい。関係ない。僕が、選んだ事だから」
 あまねは首を振り廻へと抱きついた。
「……あまね? 何かあるの? ねえ」
 ぐったりとしながらも腕の中のあまねに問いかける廻。
「言いたくない」
「どうして。嫌だよ。あまねまで僕にヒミツにするの?」
 ぐらぐらと貧血のような目眩が廻を襲う。獏馬の力を使って龍成に記憶を覗かれたからだ。
 自分の意思とは関係無く暴かれる想い出は廻の体力を奪う。精神が不安定になる。
「暁月さんもあまねも僕にかくし事する。こわいよ。こわい……」
 記憶の無い廻廊を、地に足をつけていない感覚でずっと歩いてきた。
 一番身近な二人に嘘をつかれるということは、廻にとって何れだけの恐怖だろうか。
 闇の中を灯りも無しに歩くのは怖くてたまらないだろう。
「おしえて。ねえおしえてよ……お願いだよ。ひとりぼっちは嫌だよ」
 地下の座敷牢であまねが深く眠り、暁月もいなくなった時間。
 闇に蠢く何かが怖かった。ひとりぼっちが怖かった。
 廻はあまねをぎゅうと抱きしめる。
「お願い」
「お気楽だなあ。いいじゃないか。言ってやったら、そして思いしればいい。自分がどれだけ守られていることを」
「どういうこと? ……痛っ」
 獏馬は廻の髪の毛を掴んで上を向かせる。頭皮がジンジンと痛んだ。
「お前があまねの器じゃなければ。龍成のお気に入りじゃなければ今すぐにでも殺してやりたいよ」
 苛立ちを隠そうともしない獏馬は椅子の背に廻の頭を押しつけた。
 ギリギリと押される頭蓋に眉を顰める廻。
「あまねが現実世界で、そのぬいぐるみの姿しか取れないのは、極限まで生命力を『吸っていない』から。
 その子はね、お前に負担をかけないように、常に飢餓状態にあるんだよ
 生命力の消費が少ないぬいぐるみの姿で。一日の殆どを眠っている。
 廻の生命力を吸わないように。
「月に一度の『暴走』はお腹が空いて我慢出来なくなるからだよ。お前に分かる? お腹が空いて空いて空いて狂いそうになる感覚が。……だからね、僕はお前の事が嫌い。大切に守られてるのに怖い怖いって泣いてるお前が大嫌いだ!」
 バチンと獏馬は廻の頬を張った。
「獏馬!」
 咎めるように龍成が声を上げる。
「分かってるよ。ちょっと叩いただけでしょ。ほんと、腹立つ。何でこんな奴が大切なの。お前を助けたのは僕なのに。……まあ、いいや。美味しいもの食べさせてくれるんでしょ?」
「ああ。あいつらは廻を取り返しに来る。必ずな。その時は思う存分食べれば良い」
 早く来い。イレギュラーズ。
 全てを手に入れるのは自分なのだからと龍成は口の端を上げた。

 ――――
 ――

 朦朧とする意識が浮上する。
 何時間、何日とも思える時の流れ。疲弊していく心。
 廻の虚ろな瞳は空中を揺蕩う。

「……?」
 学生服のポケットに違和感を感じて探ってみる。
 掌に転がる一粒の飴。これは千種がくれたものだ。
『――元気が出るように』
 コロンと口の中に投げ込めば、甘い味が広がる。優しさが染みていく。
 いつの間にか掌にはシルキィがくれたプラネット型のチョコレートがあった。
 一生懸命作ったのだという少しだけ歪な可愛らしい月と太陽、地球の形。
 もう片方の手には愛無がくれた粉雪降り積もる葉をイメージしたリーフパイがある。
「どうして……」
 すり減った心を癒やす様に次々と誰かに貰った思い出が降ってくる。
 メイメイがくれた羊のストロベリーチョコアンジェリカからは少し苦くて美味しいガトーショコラアーマデルからのチョコ入り塩バタークッキーと眞田からの温かいココア。竜真からは冬景色のブールドネージュ青海波紋様の手毬の根付アーリアがくれた花の香りがするウィスキー
 甘いものだけじゃない。
 ラクリマからは不思議な音がするガムランボールをもらった。手の中に握り込めば優しい音が耳を擽る。不安が和らいでいく。
「……っ、ぅ」
 首元に捲かれた月柄のマフラーに顔を埋めた。シルキィが温かくなるようにとくれたものだ。この寒々しい空間の中で何れだけ救いになっただろう。
 月柄のマフラーに留められた赤と黒の狭間。ユーディアライトの輝きを握りしめる。愛無がくれた大切な石だ。廻の頬を伝う涙が落ちてくる。
「廻、大丈夫? 泣いてるの?」
 あまねが心配そうに廻の涙をごしごしと拭いていく。それでも、後から溢れ出る涙。
「うん……、大丈夫。皆の思い出が、温かくて」
「そうだね。そうだね。もうすぐきっと皆が向かえに来てくれるよ」

 どれだけ記憶を暴かれようとも、皆から貰った思い出は僕だけのものだ。
 だから、大丈夫。
 思い出を失ってしまわない限り。折れたりなんてしないのだから――



 希望ヶ浜『祓い屋』燈堂一門で緊急の依頼が発生しました。

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