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シナリオ詳細

<祓い屋>月匂追い、糸廻り

完了

参加者 : 20 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 ダークグレイの暗色が辺り一面を包み込んでいる。
 僅かな明かりは小さく揺れて漂っているばかりで、一寸先だって見えやしない。
 ぽつりと置かれた革張りの椅子に座っているのは『掃除屋』燈堂 廻(p3n000160)だった。
 ぐったりと椅子にもたれ掛かり、薄く開かれたアメジストの瞳は虚ろ。
 その椅子の後ろに立っているのは澄原龍成だ。

「廻。大丈夫か? 少し乱暴にしちまったから疲れたんだな。ごめんな」
「……ぅ」
 頭が痛むのか、廻は手を頭部に持って行く。
 しかし、力が抜けきった腕は、途中で支えを無くしたように椅子の上に降ろされた。
「俺は廻の全部が知りたいんだよ。好きな事も嫌いな事も楽しい事も辛い事も全部。
 だからこうして先に『夢の中』からお前を調べてる。記憶と夢は近い所にあるからな」

 此処は夢の狭間。夢を渡る者の領域。
 龍成に憑いた悪性怪異――『獏馬』の結界の中だ。
 誰かが見た夢の残滓に巣くう悪性怪異を見つけ出すのは非常に困難。
 例え夢の中を探す事が出来るのだとしても時間が掛かってしまう。
 だから、龍成は廻の意識だけを此処へ攫って来た。廻の事を知るには十分な時間が確保出来る。
 いまごろ現実世界では、目を覚まさない廻に周りが焦っているだろう。
 意識だけだとしても、記憶には刻まれる。それは返って身体へも影響を及ぼすのだ。

「あまね……だっけ。そいつが廻の記憶を持ってるんだろ?」
「……あまね」
 龍成の問いかけに反応を見せる廻。
「散々、廻の中を探しても見つけられなかった。お前に掛けられた『呪い』を解く方法」
「のろ、い?」
 龍成は獏馬から『廻には呪いが掛けられている』と教えられていた。
「あいつ……燈堂暁月が強制的にお前を従わせてるんだろ? 呪いを掛けられて、逆らえないんだよな?
 あまねの能力で記憶を封じられて、今までの事全部忘れちまって。道具みたいに使われてるんだろ?」
 龍成は廻を後ろから抱きしめる。辛そうな表情を見せる青年を、廻の虚ろな瞳が捉えた。
「暁月さんは、命の恩人……で」
「だからって、あんな事していいはずねえだろ。あいつは廻に酷い事をしてんだよ。廻にはそれが分かんねえのかよ」
 廻の記憶を探って知った暁月と廻の関係性。歪に綻んだ輪の中に閉じ込められている。
 幾度、暁月が廻に無理を強いたか分からない。彼が廻の首に手を掛けたのは一度や二度ではないのだ。
 暁月の恋人、詩織が死んで、廻が生きている。
 その事実に抗えぬ慟哭を暁月が抱えているなんて、廻には関係無い事なのにだ。
「俺はそれが許せない。命の恩人なら何をしても良いのかよ。あいつは間違ってる。俺が獏馬の能力で廻の意識を攫うのもあいつは分かっていたはずだ。なのに泳がせている。お前を『生き餌』にしてる。
 絶対にあまねが持ってる記憶の封印が解けねえって高をくくってやがるんだ」

 だから。
 だから。
 だから――


「俺が廻を救ってやるよ。あいつから解放してやる」


 龍成は廻の目を自分の手で覆い隠す。見たくないものを見なくていいように。
 どんな手を使ってでも。廻を暁月から守ってみせる。
 たとえ、獏馬の能力でこの身が、傷付いていようとも。
 必ず救うのだと。


 窓の外に見えるはずの月は雪雲に隠れて暗い影を落としていた。
 バレンタインの夜に倒れた廻を連れて、燈堂家本邸に戻って来た『祓い屋』燈堂 暁月(p3n000175)とイレギュラーズ。カフェ・ローレットからの要請を受けて、駆けつけた者も居る。
 本邸のリビングに敷かれた布団の上に廻は寝かされていた。
 その周りをイレギュラーズが囲む。

「暁月さん、廻君はどうなってしまったの?」
 シルキィ(p3p008115)が不安そうに眉を下げていた。布団の隙間から出ている廻の手を握る彼女の指先は震えている。目の前で廻が倒れたのだから無理も無い。
 近くに居た恋屍・愛無(p3p007296)や浅蔵 竜真(p3p008541)、アーリア・スピリッツ(p3p004400)が居なければ一人で泣いていたかも知れない。
「……」
 暁月は横たわる廻の胸元に触れて目を瞑る。呪術的な感応で廻の状態を探っているのだろう。
「……うん。このままでは廻は目を覚まさないだろうね」
「嘘でしょう? 目を覚まさないってどういう事なの?」
「その通りの意味だ。廻の意識は今此処に居ないんだよ。悪性怪異『獏馬』に連れ去られてしまった。
 ――『生き餌』の役割をきちんと果たしたのさ」
 暁月の声に竜真が目を見開き、暁月の着物の襟を鷲づかみにする。
「どういうことだ? 暁月さん。生き餌って何だよ」
「獏馬をおびき寄せる餌の事だよ」
 ギリギリと胸ぐらを掴む竜真の手の力が強くなった。

「廻君、さっきまで、楽しそうにしてたのよ……!? 最初に見た時からどんどん笑顔が増えて、お友達も増えたわ。ねえ、暁月さん、そう思うでしょ?」
 廻はもうフードを目深く被り、人を寄せ付けなかった暗い瞳の青年ではなくなった。
 イレギュラーズと出会い、話して笑い合い。少しずつ心の壁が取り払われて。
 ようやく心の底から笑っているのだと思えるようになったのに。
「あの笑顔を失わないように、守りましょうって……決めたのよ、私。暁月さんもそうなんでしょ?」
 それを、『生き餌』とはどういうことなのだ。
 獏馬をおびき出す餌だと、言ったのだ暁月は。

「暁月君、どういう事か説明してくれないか。廻君がこうなる事を知っていたのかね」
 愛無は揺蕩う怒気を隠そうともせず暁月を睨み付ける。
「分かっていた……というか初めからこの日の為に廻を外に出していた。自由を与えていた。獏馬を倒す為に必要なんだよ。言っただろう、私はあれのリードを握っていると」
「っ……!」
 暁月の言葉に愛無は拳を握る。廻が視界に入らなければ全力で殴っていたかも知れない。否、以前の愛無であれば彼の喉元に噛みついていただろう。
 暁月を大切だと思う『廻の意思』が無ければ怒りの儘に食べ尽くしていた。
 また、目の前で大切な人を失ってしまうかもしれない恐怖に、心が竦んだのだ。

「それよりも今後の話しをしようじゃないか。建設的なね」
 二人のやり取りを一歩引いて見ているアーリアには分かった。平静を装った暁月の表情は、感情を殺し切れてなどいやしない。後悔を噛み殺し。大切な者を危険に晒し。
 それでも尚、成し遂げなければならない覚悟と決意。内に秘めたるは愛無の怒りと同等だ。
 ――不器用な人ね。
 アーリアは心の中で溜息を吐いた。
「……分かったわ。とりあえず話しを進めましょ。恋屍ちゃんも竜真くんも、落ち着きなさい、ね?」
 アーリアの包容力のある声に、ゆっくりと息を吐く愛無と竜真。振り上げた拳を降ろす事が出来たのは彼女が居てくれたお陰だろう。

 ――――
 ――

「今、廻の意識……魂とも呼べるものは、獏馬の結界に囚われている。つまり、夢の中だね」
 暁月は集まったイレギュラーズへ向けて言葉を投げかける。
 廻の意識は無理矢理身体から引き剥がされ、獏馬の手に落ちたのだという。
 獏馬の結界は夢の中にあり、現実世界からの干渉は極めて困難だ。

「このままでは廻は目を覚まさない。其れだけなら時間を掛けて探せば良いと思うかも知れないが、獏馬の結界に囚われた意識と身体は細い生命力で繋がっていて、離れている時間が増える程、次第に弱ってしまう」
「つまり、急いで廻さんを助けなければならないんですね?」
 暁月の言葉にラクリマ・イース(p3p004247)がブルーグリーンの瞳を上げる。
「そうだ。意識と身体が完全に離れてしまえば廻は死ぬ」
 廻の死――その言葉に。集まった全員の胸に緊張が走った。嫌な汗が愛無の背筋を流れていく。
「早く、しないと……です、ね」
 震える指先をぎゅっと握るのはメイメイ・ルー(p3p004460)だ。

「獏馬の結界の中に入るということは。向こうのテリトリーに侵入するということ。危険が及ぶ可能性が高いだろう」
 だが、その危険を冒しても廻を奪還しなければならない。悠長に座している時間は無いのだ。
「あれの目的は君達から溢れる感情や想いといったエネルギーを食べる事だ。満足するまで食べれば現実世界へと帰還していく。君達にはそれまで幻影と勿忘草、龍成を押さえ込み、耐え凌いでほしい」
「獏馬を倒す事は出来ないのでしょうか?」
 ボディ・ダクレ(p3p008384)の問いかけに、暁月は首を横に振る。
「無理だろうね」
 夢を渡り幾夜追いかけただろう。『獏馬の結界の中では獏馬は倒せない』。
「――だからこそ、現実世界へとおびき出す必要がある。それを成す為の『生き餌』だ」
 龍成が廻に興味があろうが無かろうが、獏馬とあまねは引かれ合う。
「必ず、現実世界であまねを取り返しにくる。しかし、廻の魂が夢に囚われたままでは獏馬を倒す事も出来ない。敵と共に消失してしまう。それだけは、避けねばならない。誰も死なせてはならない」
 廻の事を生き餌と言う暁月からは覚悟が見えた。彼を危険に晒す代わりに宿願を果たすという覚悟だ。

 空気は重い。されど、それを押して眞田(p3p008414)は言葉を発する。
「んで、夢の中へどうやって行くのさ?」
「この場所で眠りにつき、夢を渡っていく。だが、簡単にはたどり着けないだろう」
 獏馬の結界に辿り着くといっても、道標も無い暗闇の中を進まなければならない。
 迷い落ちてしまえば、意識は戻らないかもしれない。危険な進行だ。
「では、どうすればいいのでしょうか。無策という訳ではないのでしょう?」
 冷静なアンジェリカ(p3p009116)の声に暁月は頷く。
「愛無君のギフトを夢の中で一時的に強化する。君なら廻の匂いが分かるだろう。捕食者たる君に与えられた神からの贈り物は『嗅覚』だ。獲物の匂いを鋭く繊細に嗅ぎ分ける事が出来る」
 帰巣本能。絶対に廻の元に帰る強い意志を増幅させる。愛無のアメジストの瞳に強い光が宿った。
「ああ……約束したのだよ。何処に居たって見つけてみせると」
 愛無だけが感じ取れる『柔らかでほんわかしてる良い匂い』を辿るのだ。
「それだけでは、辿り着けても帰って来られないでしょう?」
「アンジェリカ君の言うとおりだ。だから今度はシルキィ君の糸を辿る。太陽と月が廻るように。シルキィ君のギフトを絶対に切れない糸にする。廻の身体へ帰る道しるべだ」
 その言葉にシルキィはペリドットの瞳を上げる。
 廻が帰って来られるように。絆を。心を。想いを糸に。廻の小指に自身の糸を強く結びつける。

 それは偶然であった。愛無とシルキィが此処に居て二人がギフトを持っていたこと。
 されど必然であるのだ。それが世界に選ばれし特異運命座標たる強さ。

 愛無が匂いを辿る。廻の魂に辿りつけるように。
 シルキィが糸を紡ぐ。廻の身体に帰って来られるように。

 月匂追い、糸廻り――


GMコメント

 もみじです。龍成と夢の中での戦い、廻を救い出しましょう。

●目的
 龍成の撃退
 廻の保護

●ロケーション
 獏馬の結界の中です。
 誰かの記憶から引っ張り出した混ぜこぜの風景をしています。
 意識だけの存在となり敵と戦います。
 しかし、意識が傷を受ければ肉体に反射し、目が覚めても残ります。

 未練や後悔といったものが幻影となり、精神干渉を受け続けます。
 獏馬は満足するまで栄養を摂取すると撤退し、精神干渉が緩和されます。
 精神干渉が弱まった間に龍成と残った幻影を撃破すれば勝利です。

●敵
○『刃魔』澄原龍成(すみはらりゅうせい)
 獏馬の夜妖憑きで、その能力を使い廻の意識を攫いました。
 廻の『希望ヶ浜に来た後』の記憶を無理矢理引き出しています。
 あまねが持っている廻の記憶を解く鍵を探すためです。
 それも、暁月から廻を救う為に必要な事だと信じています。
 其れを邪魔するイレギュラーズを排除しようとしてきます。
 獏馬の力で強化されており、非常に強力です。
 黒いナイフを持っています。
 EXA、攻撃力、CTが高く、BS攻撃、必殺、ブレイクなども持っているようです。
 その他詳細は不明。

○獏馬(ばくま)
 龍成に憑いている悪性怪異です。
 人の夢を渡り、記憶や感情、思い。果ては魂までも喰らい尽くす暴食の夜妖です。
 獏馬に憑かれると、徐々に記憶を失い狂っていきます。
 暁月の恋人も獏馬に憑かれ狂ってしまいました。
 龍成の事は気に入っているようで、彼ではなく他者の記憶や感情を喰らう事で生存代償を肩代わりさせています。
 勿忘草から吸い取った養分で腹が満ちれば撤退します。
 獏馬の結界の中(夢の中)では、獏馬を倒す事は出来ません。
 能力の詳細は不明。

○勿忘草×20
 獏馬に操られている夜妖です。獏馬に栄養を送る役割を果たします。
 勿忘草は感情や思いを増幅し、後悔や未練といった幻覚を作り出します。
 獏馬の夢の結界内では幻影が強化されます。
 龍成や獏馬を庇うことがあります。獏馬が撤退すると同時に消えます。
 勿忘草の強さはそこそこです。

○幻影×?
 勿忘草から生み出された幻影。勿忘草が撤退すれば増えることはありません。
 未練や後悔といった負の感情が具現化したもの。
 大切な誰かの形を取ることもあれば、自分自身だったりもします。
 目の前突然現れ、神秘攻撃を仕掛けてきます。

●NPC
○『掃除屋』燈堂 廻(p3n000160)
 戦場の隅で椅子に座っています。
 意識が朦朧としているのか、ぐったりとしています。
 あまねはぬいぐるみの姿で廻の傍に居ます。
 椅子の周囲には鳥籠のような檻があり、どんな攻撃も寄せ付けません。
 龍成を撃退すれば、檻は開くようです。

○『祓い屋』燈堂 暁月(p3n000175)
 夢の中を灯火で照らし、迷わないように先導します。
 戦闘にも参加しますが何か思惑があるのかサポートに徹します。
 剣術を得意とし、自分の身は自分で守れるでしょう。
 腰に差した刀で戦います。簡単な回復が使えるようです。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はCです。
 情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。

  • <祓い屋>月匂追い、糸廻り完了
  • GM名もみじ
  • 種別長編
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2021年03月27日 20時05分
  • 参加人数20/20人
  • 相談7日
  • 参加費100RC

参加者 : 20 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(20人)

郷田 貴道(p3p000401)
竜拳
カイト・シャルラハ(p3p000684)
風読禽
武器商人(p3p001107)
闇之雲
ヨハン=レーム(p3p001117)
おチビの理解者
黎明院・ゼフィラ(p3p002101)
夜明け前の風
ラクリマ・イース(p3p004247)
白き歌
アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯
メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りの守護者
恋屍・愛無(p3p007296)
愛を知らぬ者
シルキィ(p3p008115)
繋ぐ者
散々・未散(p3p008200)
魔女の騎士
ボディ・ダクレ(p3p008384)
アイのカタチ
眞田(p3p008414)
輝く赤き星
ハンス・キングスレー(p3p008418)
運命射手
浅蔵 竜真(p3p008541)
アンジェリカ(p3p009116)
緋い月の
微睡 雷華(p3p009303)
雷刃白狐
コルネリア=フライフォーゲル(p3p009315)
慈悪の天秤
ノーベンバー・グレゴリオ・ウーンデキム(p3p009410)
自称『怪盗紳士』
時尾 鈴(p3p009655)
いつまでも傍に

リプレイ


 深夜のディープブルー。時計の針は夜中の十二時を越えた。
 燈堂家の本邸では慌ただしく夢を渡る準備が行われている。
 外では、夜妖を迎撃する音が響いていた。

「大丈夫です。貴方達が眠っている間は私達が必ず守ります」
 安心させるように頷くのは『護蛇』白銀だった。燈堂の護蛇たる矜持。強く優しい瞳に『あたたかい笑顔』メイメイ・ルー(p3p004460)は少しだけ肩の力を抜いた。
「廻さまを、このまま犠牲には、しません。……必ず、助けます」
 小さな指で『掃除屋』燈堂 廻(p3n000160)の手を握り、夢の中へ落ちて行く。
『ネコミミシッポ』時尾 鈴(p3p009655)は廻の眦から流れる涙を拭った。
 鈴は少しでも廻を安心させるように彼の頭を撫でる。
「廻さん、大丈夫、暁月先生が助けてくれます。みなさんも、僕も。今行きます……!」
 だからもう少しだけ待っていて欲しい。

「思う処はあれ『誰も死なせてはならない』という言葉を信じよう」
 アメジストの瞳を『祓い屋』燈堂 暁月(p3n000175)へと向ける『飢獣』恋屍・愛無(p3p007296)は迷っている暇は無いと首を振った。
「僕はヒーローじゃない。彼女と同じ『傭兵』だ」
 大事なことはとっくに教えて貰っている。空っぽだった愛無にルウナが刻んだ言葉。
「らぶあんどぴーすとは覚悟の形と……」
 目覚めぬ愛しき獲物の唇に指先を添えれば温かさを感じた。この体温が無くなってしまうなんて想像がつかないのだ。それも他の誰かの手によって、など。笑えない冗談だ。
 愛無の向かいに座る『もう少しだけ一緒に』シルキィ(p3p008115)は苦しそうな表情を浮かべる廻の頬に手を添える。
「必ず、キミを助け出す。だから……少しだけ待っててねぇ、廻君」
 彼の小指に結ばれた糸をペリドットの瞳が見つめた。
 零れそうになる涙。廻の胸上に置かれた手にシルキィと愛無の手が重なる。
 ――月匂追い、糸廻り。必ず、一緒に帰ってくる。
 強い意思と共に。夢の狭間へシルキィと愛無は潜っていった。

 ――――
 ――

「優しい声、笑顔、すぐに酔ってふにゃふにゃになる所、弟みたいで本当にかわいい、大事な子」
 僅かに伏せられた翠玉の瞳。『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)は前を往くシルキィと愛無を見つめる。
「私にはシルキィちゃんのように糸を紡ぐ事も、恋屍ちゃんのように香りを辿る事もできない」
 されど。愛無とシルキィの道を開き、未来を鮮やかに彩る事は出来る。
「ねぇ、そう思うでしょ? 暁月さんも」
 愛無が廻の匂いを辿り指し示す方向を灯火の明かりで照らすのは暁月だ。
「ああ。彼等の未来を照らすのが私の役目だからね」
「絶対に、連れ戻すわ」
 アーリアは隣の暁月に視線を上げる。彼の手元に握られた灯火は仄かに辺りを照らしていた。
 明るいはずなのに、彼の表情は暗く陰りがある。
 何が彼を其処までさせるのだろうか。その肩に背負う『燈堂』当主としての責任。
 未練も、情も捨てられず、非道になりきれない不器用さ。
 思い詰めた顔が気になるのだとアーリアは暁月の隣に立ち進んで行く。
 暁月の後ろ頭を見つめる『緋い月の』アンジェリカ(p3p009116)は先ほどの彼の言葉を思い出していた。
 ――『生き餌』ですか。
 廻に対しての行いに思わない事が無いといえば嘘になるだろう。
 されど、後ろから見える横顔ですら、思い詰めた感情が読み取れる。それならば、自分達が目指し、成すべきことは決まっているのだ。
 廻を夢の中から救い出し、獏馬を倒す為の道を切り開くこと。
 それが世界の救世主たる特異運命座標の役目なのだから。
 否、そんな大それたものじゃない。これは『友人の為』なのだとアンジェリカは視線を上げる。

「風がよーわからん感じだな」
 羽根を吹き抜けていく風が今は感じられない。無風とは違う得体の知れない感覚に『先導者』カイト・シャルラハ(p3p000684)は眉を顰めた。
「まあでも、コレでも航海士だ。情報さえあれば導くぐらいわけないぜ」
 愛無がギフトで匂いがたどれるということは、少なからず大気のようなものがあるのかもしれない。
 三叉蒼槍とイーグルマントでカイトは己が目立つように振る舞う。
「不思議な場所、ですね。色んな、カタチがぐるぐるとしたような」
 メイメイは不定形な夢の風景へ視線を流した。
「風景に惑わされるなよ? 夢なんだから考えるだけ無駄だぞ?」
「はいっ。そうですね。あ、でもこれは廻さま?」
 水たまりに映った小さな廻の姿。映り込む背景には空と山が広がっている。田んぼのあぜ道には手を振る男女の姿。何処か廻に面影があった。きっと両親なのだろう。母親の腕の中には赤子が抱かれている。
 次の風景は板張りの弓道場。大きな巻き藁に突き刺さる羽根の無い矢。練習風景だ。
 その次は揺らぐ視界。遠くの的。刺さらない矢。後悔に押しつぶされるように真っ暗になっていく。
「ごちゃまぜの記憶なんだ、本人の正しい意思とは限らないからな!」
 廻の記憶の残滓に引き込まれそうになったメイメイをカイトが止める。
 本当か虚像かも分からぬ映像。廻さえ知らぬそれを『本物』だと考えるのはきっと良く無い事だろう。
「はい。先を急ぎましょう」

 夢の道を行きながら『自称『怪盗紳士』』ノーベンバー・グレゴリオ・ウーンデキム(p3p009410)は己の内側にある後悔を噛みしめていた。
 自分が守りたかった教会を守れなかったことは彼にとって心臓を穿つ、抜けない棘となった。
 ただ、許せなかった。世の中の理不尽を正すために怪盗になったのだ。
 他を害するだけの理不尽が許されていい訳がない。
 前を行く暁月を一瞥する。問い詰めるのは後だ。『他を害するだけ』であれば後から断罪すればいい。
 人の幸せを他人が決めて良いはずが無いのだ。
「ならば、僕は……いや、私は。私の『美学』の為に戦おう」
 先を行く愛無を見失わないようにスカーレットの瞳で追いかけた。

 愛無が辿るは廻の匂い。
 その為に本能を研ぎ澄ませる。捕食者たる怪物を呼び覚ます。
 優しくて柔らかで、美味しそうで甘い。――獲物の匂い。
 濃く、濃くなっていく。近づいていく。
 食べたい。食べたくない。食べたい。食べたくない。鬩ぎ合う心を抱えて。
「あぁ、み い つ け た」
 愛無は匂いのする方へ駆け出した。


 ぬるりと緩い皮膜を潜るような感覚に目を瞬かせた『宵闇の調べ』ヨハン=レーム(p3p001117)。
「これが……獏馬の結界。敵のホームグラウンドへ乗り込んだというわけですね」
 果てしなく広がる空間に誰かの記憶を織り交ぜた映像が湧いては消えた。
 仲間が同じものを見ているのかすら怪しい異質な空間。心の弱い者では此処に居るだけで精神に異常を来してしまうかもしれない。これならば相手が優位に立っていると思うのも無理はないかもしれない。
 されど。
「余裕ぶっこいてるヤツを叩きのめしてやりましょう」
「ハッ……! 夢の中、ねぇ……全く、なんでもありだな」
『慈悪の天秤』コルネリア=フライフォーゲル(p3p009315)は纏わり付く嫌な空気に反吐を吐く。
 悪態を吐きながら彼女の瞳は周囲を隈なく観察していた。
 壁や障害物は無い。有るとすれば、大きな鳥籠と、途切れ途切れに映し出される映像。誰かの記憶。

 揺らぐ空間。勿忘草が黒い影から這い出てくるのを最初に捉えたのは『夜明け前の風』黎明院・ゼフィラ(p3p002101)の瞳だ。
 彼女の記憶から呼び覚まされる未練と後悔が幻影となって具現化する。
 無辜なる混沌に召喚され、置いてくる形となってしまった家族――娘の姿がゼフィラの前に現われた。
 ゼフィラを呼ぶ声がする。何故戻って来ないのかと問いかける娘にゼフィラは眉を下げた。
 召喚されたのは不可抗力ではあるのだ。来たくて来たわけじゃ無い。戻れぬならばこの世界で楽しむ方が生きていく上で好ましい。冒険生活を満喫していると言っても過言ではない。
「それを責められると少しばかりつらいが……かと言って、悪趣味な夜妖に覗かれた所でどうという事もないのだけれど」
 目の前の娘は本物ではない。されど、同じ姿形、同じ声で呼ぶものだから少しばかり腹立たしいのだ。
 ゼフィラの胸元から光が広がる。それは目の前の娘を包み込み跡形も無く消し去った。
「まだ、掛かりそうだからさ。もう少し待っててほしいかな――」
 この世界はまだ自分を必要としている。その最たるものが燈堂の人々だ。
 自分が家族に会えない故の代償行為といえるかもしれない。されど此処で廻が夢の中に囚われ死んでしまえば暁月の後悔はゼフィラより深いものになるだろう。だからこそ。
「さて、微力ながら手助けをさせてもらおうかな」
 黎明院・ゼフィラが立つ限り、味方の傷は癒し続けてみせよう。
「さあ、根比べといこう」
 ゼフィラが指差した先。
 揺らぐ空間から悪性怪異『獏馬』と『刃魔』澄原龍成が現われた――

 まあ、何て睦まじい友情でしょうかと。囀る小鳥の美しき声が戦場に跳ねる。
 嗚呼、何て美しい献身に慕情でしょうかと。白き指先が広げられる。
「――誰も彼も皆、一方方向の自分勝手」
 氷の如く鋭利さを纏う『L'Oiseau bleu』散々・未散(p3p008200)の言葉。
「でしたらぼくも今宵の此の土俵に上がらせて頂きましょう」
 未散の前に白き星が突き刺さった。変幻する光の中から現われたのは王冠を被った未散自身。
「ぼく以外が其の王冠を戴くとは不敬極まり無い。――其れに、ぼくの頭上に載せて良いのは、此れと彼のお人の頭だけなのです」
 自分が二人も居るなんて『虫唾が走る(こまってしまう)』というのに。
 ――即ち、『 無 礼 者 』
「胡乱な幻如きがぼくを騙るな」
 未散は自分自身の幻影を何の情けも容赦も無く、跡形も無く吹き飛ばした。

 返事が、随分と返ってきていない――
 空色をした『虚刃流直弟』ハンス・キングスレー(p3p008418)の瞳が僅かに揺らぐ。
 学園の図書館の隅の隅。
 一人佇む本棚に、あのノートを置いたのはどうしてだっただろう。
「僕は、何も知らない君と話しをした」
 あのページに記されているのは等身大の自分達。相棒と交わす合図でも姉との思い出でもない。
 名前も知らない彼との秘密の調べ。二人しか知らない、密やかな契約。
 近頃は砂漠での決戦や闘技場に通っていたからそれなりに忙しくて、少し間が開いてしまったかもしれないけれど。返事を書いたのだ。だけど、ふっつりと内緒話はそこで途絶えてしまった。
 そんなに時間が経ったわけではない。
「でも。どことなく“らしくないなぁ”と思ったんだ」
 秘密のノートの向こう側に見える指先を、廻に重ねた。
 檻の中でぐったりとしている彼を救うという話しを聞いたのはカフェ・ローレットのカウンターだった。
 偶然居合わせた。だから参加した。たった其れだけのこと。
 胸の奥に感じる不安を解消する為に選んだ都合の良い代替行為だ。
 顔も知らない『彼』への心配を、廻を助ける事で解消出来ると思った、から。
 廻のぼやけた視界にハンスの青い翼が映り込んだ。

「澄原」
「……ンだよ」
 眉を顰める彼の名を呼ぶのは『痛みを背負って』ボディ・ダクレ(p3p008384)だ。
 澄原という苗字にボディは心当たりがあった。
 北の澄原病院で起こった天使症候群の事件。その病院の医院長『澄原晴陽』と同じもの。
 同じ髪色、瞳の色。
「澄原龍成、貴方はあの人の関係者ですね?」
「チッ、関係ねぇよ。何もアイツには関係ねえ」
 何故こんな場所にいるのか、こんな事をしているのか。
 ボディはソレを聞くために龍成に会いに来たのだ。
 差し込まれるナイフの切っ先をボディは鉈で弾く。刃に重さも感じられない軽い小手調べだろう。
 この場に居るイレギュラーズが、『どの程度で死ぬ』のか見極めているのかもしれない。

 龍成を抑えるボディの身体には無数の傷が刻まれる。
『協調の白薔薇』ラクリマ・イース(p3p004247)は丁寧にそれらを癒していった。
 傷を負わせる度に、それが端から綺麗に治って行くのだ。龍成は紫瞳をラクリマに向ける。
「邪魔する奴を攻撃しても回復されて思いどおりに動けないのって中々イライラするでしょう?」
「くそがッ」
 悪態を吐く龍成。その様子をくすくすと笑う声がする。ラクリマの真横に現われた白い服。
「笑ってないで手伝って欲しいものですね」
「いやいや。これは俺の戦いじゃないしね。でも、戦うの上手くなったよな。仲間と協力したり、励まし合ったりしてさ。昔は棘が多くて触るのにも苦労したのに」
 邪魔をする親友(ノエル)の声。彼は事ある毎に、忘れるなと言わんばかりにラクリマの前に現われる。
「俺が忘れられないから、ですかね」
 忘れられるはずもない。永遠に消えない傷を残して居なくなってしまったのだから。
「俺より大切なの?」
 そんなはずがない。ノエルより大切なものなんて無い。
「でも、でも今は大切な親友を失うわけにはいかない!
 またあなたのように失いたくない! もう後悔はしたくないのです!!」
 鳥籠の中の廻を『助ける事』が出来るのだ。
 あの日助けられなかった親友(ノエル)ではない。今、手を伸ばせば助けられる親友(廻)が居るのだ。
 ――もう何か失うのは嫌なのだ、絶対に『親友』を死なせはしない!
 赤と黒の棘がラクリマの鞭から解き放たれた。

「HAHAHA、なるほどなるほど。理解したぜ、こいつはまったく趣味が悪い!
 他人様の深層心理に土足で踏み込んでくるとは、中々恐れ知らずだな」
 戦場に『ドラゴンスマッシャー』郷田 貴道(p3p000401)の声が響き渡る。
 自らの拳で貫いてやりたいと貴道は龍成を見遣る。
「『刃魔』とか言ったか、手応えがありそうじゃないかHAHAHA! 言っとくが、ミーはこの件の詳細や背後事情なんて知ったこっちゃない。いいから、さっさと、闘おうぜ?」
 カフェ・ローレットからの緊急依頼の報を偶然その場に居合わせ受け取ったまでのこと。
 燈堂家や澄原龍成について何の知識も感情も無い。
 されど、貴道にとって其処に戦いがあるのならば、赴く道理が立てられる。
「今回、ミーの楽しみはそれだけなんだ
 ……俺ぁな、メンヘラ男の言い分なんかに全ッッ然興味ねえんだよ!」
 戦える火種を探し、拳を交わせる相手を探し。貴道はそうやって此処まで来たのだ。
 空気を裂く拳のうねり。開幕一番の顔面への痛打。
「……ッ、てぇ」
 咄嗟に急所を外した龍成だが、貴道の拳は重く、口の中に鉄の味が染み出す。
「龍成。それはあまり真正面から食らってはいけないよ。痛いだろうに」
「分ぁてるよ」
 貴道の拳の威力は相当なものだ。彼の思惑通り、注意を引くには十分過ぎるもの。
「は……、強ぇじゃん、お前」
 繰り出される刃は貴道の腕を捉える。切っ先が届く瞬間、暁と黄昏の境界線から空間を覆い尽くす閃光が広がった。
 届いた刃。されど、皮膚を裂くに留まる。
 それはヨハンが放った刹那の栄光、仲間の防御を底上げする術式だ。
 龍成相手に防御を固めることは悪手だろうとヨハンは思案する。されど、積み重なる一手の僅かな差を埋めるのは仲間を救いたいと願う一粒なのだ。
「はじめましてダークヒーローのお兄さん」
 ヨハンは少しでも龍成の気を分散させようと言葉を投げる。
「そもそも廻さんがこうなったのも悪性怪異とかいうモノが原因では?
 そんな敵の力を借りて廻さんの騎士気取りは、失礼ですが笑っちゃいますね」
「るせぇ……ッ! どいつもこいつも」
「まぁ、それならそれで結構! どちらが正しいのか決闘で決めましょうか!」
 ヨハンの強気な瞳が揺るがぬ意志を映し出す。


「燈堂君みーつけた。……絶対、皆で帰ろうな。だから少し待ってて」
 鳥籠の中。虚ろな瞳で戦場を見ている廻に言葉を掛けるのは『Adam』眞田(p3p008414)だった。
 眞田は廻から視線を逸らし、龍成へと向き直る。
「……防げなかった。やってくれんじゃん、なあ。澄原君? その名前、ここらではよく聞くよ」
 赤茶の瞳は怒りを孕む。それに呼応するように眞田の影から黒い瘴気が這い出てきた。
「……あそこいにる子、俺の友達なんだけど。何が目的でこんなことしてんの? 燈堂君を殺したいわけ?
 じゃあ俺も殺していい?」
「ンなわけねぇだろ。殺すなら、こんな間怠っこしい事しねぇ。現実世界で正面から心臓刺せば簡単だろ」
「まぁ、確かにそうなんだけど。その言葉が本当か、なんて俺には分からないし。実際、燈堂君は辛そうにしてるじゃん?」
「……」
 苦虫を噛みつぶすような龍成の表情。苛立ちと焦燥感が混ざった顔だ。
「分ぁってる」
「いや、分かってないよ。急がないと、燈堂君が危ないんだ」
「危ない? どういうことだ?」
 眞田は龍成の瞳を見遣る。
 夢の中に廻を攫い、辛い思いをさせてしまっているという自覚はあるのだろう。
 されど、其処に潜む危険性に気付いて居ないのか。
 それともこの言葉自体が眞田達を惑わすブラフなのか。
 考える間を与えぬ様に眞田の腹部に衝撃が走る。何者かが腹に纏わり付いていた。
「やあ、また会えると思ったよ。前はなんで現れたか分からなかったけど、感情を食べてたんだ」
 金色の髪。柔らかそうな白い頬。青い瞳が眞田を見上げている。
「……なあ、その子の姿を隠れ蓑にするなよ。俺の前にその姿で現れるな!」
 押しのけてナイフで幻影を裂いた。切なそうに揺れる幻影の顔に苛立ちを覚える。
「俺は……殺人鬼なんだよ。だから君も殺せる」
 殺せると。自分に言い聞かせる。

「さて、夢、記憶……そういったモノは素人があれこれ弄り回すにはややデリケートな部類ではあるが
 練習は充分に出来たのかねぇ……ヒヒヒヒヒ……!」
 夢の中に溶け込みそうな『闇之雲』武器商人(p3p001107)は口の端を上げた。
 幻影を次々と生み出す勿忘草を引きつける為、彼等が集まる場所へ。
 内側から響く声。破滅の呼び声が勿忘草を襲う。
「いらっしゃい、未練も後悔も全部私が呑み干すわぁ」
 武器商人とは反対側。重ならないようにアーリアも彼等を引きつけていた。
「危なくなったら武器商人さんが護ってくれるけど――暁月さんもお願いね?」
「ああ。勿論だとも」
 アーリアの背後に降り注ぐ火の粉を払うのは暁月の役目であろう。
「であれば、我は此方に集中しようか」
 武器商人は二人のやり取りに頷いて背を向けた。
 彼の手にペールブルーの光が溢れ、惑星環の様な金と銀の輪が周囲に浮かぶ。
 ゆっくりと武器商人の周りを回るそれは何者も寄せ付けぬ結界だ。
 怒りに任せ彼に攻撃を繰り返す勿忘草。
 物理的な打撃は白き光を飛び散らせ弾かれる。魔術的な術式は渦巻く輪が喰らう様に飲み込んだ。
 武器商人の周りを回っている金銀の輪を壊さない限り、彼への攻撃は届かないだろう。
 盾役としては、頼もしい限りだった。

「相手の領域での戦い……厳しい展開になりそうだね」
 幻影は『雷刃白狐』微睡 雷華(p3p009303)の記憶を読み取り『誰か』を作り出す。
「……主さま」
 嫌な記憶。守れなかった人。失いたくない大切な人。
 雷華は目の前に現われた主を見つめ眉を寄せた。あの時と何も変わらない。そのままの姿で。
「……っ、あの時は失敗したけど、今度こそは……」
 唇を噛みしめる雷華。それが幻影なのだとしても。大切な人が目の前に居る事が嬉しいと思うのだ。
 されど同時に。この場に幻影として現われたということは、会うことの出来ない絶望に己が縛られている現実を突きつけられる。
「あんな思いを味わう人は、居ない方がいいから……」
 だから。
「廻さんは必ず助け出す……彼の為に、彼を待っている人たちの為に」
 雷華は大ぶりのコンバットナイフを横薙ぎに幻影を切り裂く。
「それに……誰かを守るための戦いで……わたしは、これ以上負けられないんだ!」
 大切な主のカタチをしたものは雷華の刃に裂かれ薄暗い空間に霧散した。

「……顔合わせの時とは違うんだろう、澄原。今回は獏馬も姿を見せ、本気で奪い取りに来た」
「あぁ……お前は。廻の『お友達』だったっけ」
 常磐公園の花園ドームに走り込んでいく『暁明』浅蔵 竜真(p3p008541)を龍成は視ていたのだ。
「段取りまで整えて、俺たちの気が緩んだあの時を狙って、ご丁寧に魂だけ。だが悪いな。廻もあまねも、無事のまま俺たちが連れ帰らせてもらうぞ」
 竜真は刀を抜き去り獏馬へと斬りかかる。夢の狭間から出てきた黒紫の刀が竜真の太刀筋を受け止めた。
 龍成と交わす言葉は多いのかもしれない。
 けれど、竜真には『獏馬』に聞き出さねば成らぬことがあった。
 夢の中では獏馬を倒す事は出来ない。されど、抑えておく必要がある。
 黒紫の刀を人間の姿のまま振るう獏馬。竜真はそれを刀で弾き、重心を攻勢へ転じた。
 少しでも獏馬の手の内を暴くのが、この戦場での戦果であろう。
 暗闇の中に白刃が光る。


「行くぞ、テメェら!」
 カイトの声が戦場に響き渡る。彼の記憶を千切って張り付けた船の甲板が現われた。
 波打つ三叉の槍から炎が燃え盛り甲板を走る。
 目の前を横切っていくのは助けられなかった仲間達の姿だ。
 未練と後悔。海に散って行った人々をカイトの視線が追う。
「だけどな、俺は奴等の分まで生き延びるって決めたんだ。足を引っ張るやつは船幽霊って決まってやがるんだぜ!」
 迫り来る、かつての仲間を切り裂く。
「みんなも帰るところがあるんだろ? 幻影なんかに負けんじゃねーぞ!」
 鷹飛のピアスがカイトの耳に光った。
 片方は大事なリリーに預けているのだ。この片割れを持っている彼女の元へ帰る。
 その強い意志が在る限り負けたりなんかしないのだから。
 メイメイの前に現われるのは怖がりの自分。誰の力にもなれない自分。
 でも。それでも。
「そんな、ことは……ない。わたしは、きっと。きっと、やれます。
 廻さまは、大事なお友達、です。彼を救い出すまでは、負けません……!」
 誰の力にもなれないと思っていた。けれど、こうして誰かの為に力を振るっている。
 それは、きっと誰かに傷つけられるのが怖かった自分が居たからこそ、立つ事が出来た場所。それまでの自分を否定することはない。全部包み込んで前を向けば良い。
 優しいメイメイの友達を救いたいという思いは、それを叶える強さになる!
 暗き夢の中に光が駆け抜けた。

「廻君を連れ戻す為には、わたしのギフトが必要。だから、最後まで倒れられない……気持ちは逸るけれど、無茶は厳禁!」
 シルキィは鳥籠の中の廻を見遣り、すぐさま視線を幻影へと向ける。
 キリが無いように見えるが、勿忘草さえ居なくなれば倒しきれる。
 海の色を写した黒髪に白いヒガンバナを手にした少女がシルキィの前に現われた。
「誰にだって、未練や後悔はある。けれど、それは次に進む力にもなる。だから、負けられない!」
 再会の場所は此処じゃ無い。また、会う日は今じゃ無いのだとシルキィは幻影を打ち砕く。
「彼が獏馬の夜妖憑き、廻さんを夢の中に攫った張本人ですか」
 アンジェリカは緋い瞳を龍成に向ける。
「彼自身も廻さんに執着しているようですし……」
 何か思惑があるのだろうか。
「――だとしても。廻さんはここから連れ戻させていただきます。彼と、そして皆が今一度笑顔で笑いあう姿を私は見たいですから」
 廻達が幸せそうに笑って遊んでいる姿は此方まで元気にさせられるのだ。
 無辜なる混沌に召喚されてアンジェリカというアバターに転生し戸惑う日々を送っていた『鈴木 学』にとって、廻は傍で『見守りたい』と思える存在になっていたのだ。
 アンジェリカの目の前に『鈴木 学』が現われる。
「今はもう、ある程度は今の姿に慣れはしましたが。こうして幻影の姿で現れると何とも言えない気持ちになりますね。本当に」
 自分の姿が嫌だった訳では無い。その姿で普通に生きてきたし日常生活も送っていた。けれど、今は少しだけ遠くなっている気がするのだ。自分を倒す事に躊躇しないほどには。
 眩い光が戦場を駆ける。閃光は『嘗て』のアンジェリカを焼いていった。

「しかし、私の後悔……ね」
 顎に指を添えてノーベンバーは赤き瞳を僅かに伏せる。
 彼の後悔は仄暗い息吹だ。怒り渦巻く心の内を糧にいくらでも戦い続ける事ができる。
「さて、龍成さんと言ったかな。正直私は部外者だから君が何をしたいかさっぱりだけども。だからこそはっきり言おう。『君は間違っている』と」
「ンだよ……!」
「というより、今回の件、本当に君の意思? ちょっと僕は疑問なんだよね」
 くつくつとノーベンバーは龍成を嘲う。問いかけを、言葉を投げ続ける。
「まぁ、夜妖に寄っているんだろうけれども。君は何か既視感は感じないのかい?
 まさに、君が大事にしていた物と『同じ状態』なのでは無いかな」
「どういうことだ」
 理解が出来ないと言いたげな瞳でノーベンバーを睨み付ける龍成。
「君は、君が大事にしていた人の事は覚えているのかな?」
 不可解な言葉遊び。惑わす為の押し問答。されど、それは確実に龍成の隙を作るだろう。
 鈴はノーベンバーの背後から走り出す。
 一直線に龍成の元へ進む鈴を幻影が遮るように蠢いた。
 それを鈴は一瞬の躊躇いも無く背の日本刀で切り裂く。
「暁月先生はここで一緒に戦っている。廻さんはすぐそこに囚われている。僕に身内はない」
 大切な人達は目の前に居るのだ。幻影が現れた所で鈴には立ち止まる要因が無い。
「自分自身の幻影にためらう必要はない」
 切り裂かれていく『誰か』の姿。本物ではないと分かっているから。
「攻撃できないということはありません」
 駆け抜ける先に、鈴は龍成へと飛びかかる。

 幻影の中に飛び込むは雷華。
 彼女の周りに集まるのは嘗ての主。そして妹だ。
 救えなかった場面を何度も何度も繰り返し。その度に小さな棘が雷華の心に突き刺さった。
 一つ一つは小さなものだろう。されど、誰が好き好んで大切な人を傷つけるものか。
 それでも。雷華は幻影の只中に身を滑らせる。
 この身に幻影の注意を引きつけることが出来れば、それだけ仲間の傷が少なくなるのだ。
「今回は倒す事が目的じゃないから、守り重視!」
 破邪の結界が雷華の周りを走り出す。
「さぁて仕事の時間だ。貰うもんは貰ってんだ、いっちょやるかね。あー、でもターゲットまで近付くにゃ邪魔なのが多いか、んじゃ露払いやろうか」
 ガトリング砲をひっさげてコルネリアが口の端を上げた。
「っと、早速お出ましかってな」
 コルネリアの視界に懐かしい顔が浮かんでくる。
 彼女の育ての親、養母である修道女だ。
「なぁるほど、悪趣味なこって」
 養母が病死したのはコルネリアの責任ではない。けれど、薬が買えずに視ているだけしか出来なかった過去の自分が叫びを上げる。清貧は命を救ってくれやしない。誰も助けてくれやしない。
「幻だとしてもこうやって相見えたのがこんな所なんて最悪な気分だ」
 コルネリアは養母に近づき眉を寄せる。
「なぁババア、本物のアンタならどう思うかな。銃を持ち、道を外して人をも殺める」
 この穢れ無き母の元へ行くことは叶わないのだろう。
 自分の手は汚れている。血に濡れている。そんな薄汚れた自分が母の隣に立てるわけが無い。
 それでは、今まで刈り取ってきた命に報いる事が出来ないのだ。
 己は悪で無ければ成らないのだから。
「じゃあな、ババア。ゆっくりオネンネしてな」
 眉間に銃口を定め、コルネリアは罪を重ねる。積み上げてきた命に報いるために。

 心を揺さぶるような後悔や未練は無いのだと貴道は拳を振るい続ける。
 もし、未練があるとするならば元の世界で取り損ねたベルトだろうか。
 眩い光の中で栄光という勝利に酔いしれてみたい。戦い抜いた先に辿り着く境地に至ってみたい。
 弱みをあげるとするならば、混沌に召喚されたという、顔を見せてくれない妹と。
 最近気になっている少女のことだろうか。
「は……」
 雑念を振り払うように、貴道は拳を叩きつけた。

「連れて来てくれた、其れは良い。でも嘘を言って居ないとは限らない。
 ――あなたさまに対する心証は概ね良いものではない。ね、暁月せんせ」
 未散は戦いの合間に暁月の背後に立つ。それは後ろから首を掻く事ができるのだという牽制を意味した。
「君達に危害を加えるなんて事はしないよ。ただ、私は此処に来なければならなかった。君達を導く明かりとしてね。何か変な事を考えて居るんじゃないかと思って居るようだけど、大丈夫だよ」
「何、何事も起こす心算が無いのなら。カラオケのオールナイト……」
 フリードリンクでアルコールも付けると未散は暁月に視線を上げる。
 その視線の先。暁月の目の前には女がいた。彼の幻影。
「――あなたさまの前に現れた幻(それ)は誰の姿でしたかしら。斬れるのか気になるのです」
「はは、君も人が悪いな」
「単なる知的好奇心ですよ」
 幻影だからこそ。絶対的な不可逆だということが分かる。
 暁月の前に現われたのは朝倉詩織。獏馬に壊された暁月の恋人。彼が斬った人。
「この手で斬ったんだよ。感触も匂いもまだこびりついている」
「斬れるのですか」
「さぁ、どうかな。また、斬りたくは無いんだけどね」
 暁月であれば斬ることは容易いのだろう。されど、『それ』を斬れるのかと未散は問いかける。
「もぉ、しゃきっとしなさい!」
 隣に立つアーリアは憂い顔の暁月を一喝した。
「貴方は一人じゃない、私も、ここの皆も、外で戦ってる皆も、門下生だっている」
 アーリアの言葉に暁月は視線を上げる。詩織の向こうに見えるイレギュラーズ。鳥籠の中に居る廻。
「だから絶対廻くんを連れ帰すし、獏馬も祓ってみせるわ。イイ女は、約束を守るのよ?」
「そうだな。君の言うとおりだ。私は彼女を斬った時のように一人ではない」
 握った刀を詩織に向ける暁月。視線の端には真っ白な服を着た幼き日のアーリアが見えた。
 それがアーリアの未練なのだろう。何の不安も無く清廉潔白で幸せな日々を過ごしていた日々。家族とともに緩やかな時の中で生きていたかったのかもしれない。
「でも、それじゃあ愛しの欠月とは出会えなかったもの!」
「そうだろうね」
「ヒヒ……、こっちは任せなよ」
 アーリアに叩き込まれる魔法に割って入るのは武器商人だ。
 幼き日のアーリアは阻まれた反動で転がって行く。
「道を開くわ! だから、二人をお願いね」
「ああ!」

 ――望ヶ浜にもきっと、桜が綺麗な場所があるでしょう?
 廻くんと、暁月さんと、門下生の皆と、食いしん坊の怪物ちゃんと、優しい蚕の女の子と。
 皆で、お花見に行きましょうね。そんな小さな希望で、私は強くなれるの。

 それが、アーリア・スピリッツの願い事。
 ささやかな。けれど、尊い想い。


 ゼフィラの聖域に溢れる光はハンスの傷を癒していく。
 パールホワイトの光輝に包まれると滲んでいた血も塞がった。
「ありがとう」
「もう一踏ん張りだ。がんばろう」
「うん」
 ゼフィラの激励に頷くハンス。
 夢の中を飛び回る青い鳥。後悔も未練もハンスは覚えて居ない。
 呼び覚ます記憶が無ければ、誰も出てきやしないのだから。
 カタチを取る事の叶わなかった幻影を突っ切り、獏馬へと翔るハンス。
「この夢の中でお前を倒せないなら、せめて封じられて貰うよ。生憎こういう手合いは慣れてるんだ。実に気に食わない事にね!」
「あは、封じるかぁ。そういうのって良いよね。膨大な力を持った者が支配されて貶められる。そういうのが好みなのかな? 強大な敵に立ち向かうというのは浪漫だものね」
 そう、あれたら。どれだけいいのだろうと獏馬の呟きがハンスの耳に届いた。

 獏馬を満たすには感情や記憶が強い程良い。
「だったら、今の僕は『好都合』だろう。使えるモノは使う。それが傭兵だ」
 愛無はアメジストの瞳を鳥籠へと流す。薄く開かれた虚ろな瞳。この戦場が見えているかも怪しい。
「例え、それを廻君に拒絶されようと。守ると言った。傍にと誓った。それを貫く。
 彼を守る。彼の居場所を守る――」
 聖夜に交わした雫型のペンダント。紫ノ雫を握りしめる愛無。
 鳥籠の中に座っている廻の手の中はユーディアライトが握られているのだろう。
「恩人を喰った事。悲しみ。彼女を『おいしい』と思ってしまった事。己への怒り。廻君への想い。全て喰らえばいい」
「はは、お前は……とても、美味しいな」
 その内側に秘めた慟哭。大切な人を喰らった後悔。渦巻く怒り。そして、愛しき者への愛情。
 獏馬にとってそれは極上の『味』だった。
「そも君や龍成君を他人と思えぬ。孤独に飢えた暴食の獣。僕もそうだ」
 分身たるあまねの言葉は獏馬の言葉ではないのか。意識しているか無意識なのかは分からないが獏馬も『他者』を求めたのでは無いかと愛無は問いかける。
 共存代償を龍成以外から求めるのは、その証ではないのか。
「例え最初はお気に入りの玩具だったとしても」
 覚えがある。ただの興味が、次第に移ろい、大切な者へ変化していくこと。
 獏馬を抑える愛無は間近で囁かれる言葉に耳を寄せた。
「……そうだよ。ねぇ。笑ってしまうだろう。暴食の化身が、さぁ」
 化物たれ。暴食たれ。貪り喰らい尽くし暴虐で蹂躙する悪性怪異が。一人の人間に囚われた。
「龍成君に名前を付けてもらえばいいのに。『しゅう』、とか」
「しゅう……」
 名を与える事は、其れだけで呪術的な意味を成す。
 あまねの対となる名前。輪を描く言葉。愛無が付けた名だ。
 化物の愛無だから分かる孤独と弱さ。寂しがりの怪異に差し伸べる蜘蛛の糸。
 燈堂に連なる者には輪を模した名が多いのだろう。
 きっと、気のせいなどではない。呪術的な要因があるのだ。

「廻は救出すればなんとか助かるんだろう。暁月さんが生き餌として泳がせていたのなら、それくらい当然手段を用意しているはずだ」
 竜真は刀の柄を握り、獏馬へと言葉を投げる。
「ならもう一つ、命の奪い合いをする相手に訊くのも変な話だと俺も思うが、それでも気になることがあるんだ……獏馬を討つ……祓ったとして」
 獏馬は紫がかった灰の瞳を興味深そうに竜真に向けた。
「その時、あまねはどうなる? 無事でいられるのか? お前を斬ったら、半身のあまねは、どうなる?」
 竜真の視線が獏馬と重なる。其処には僅かな驚きと、愉悦の色を感じ取った。
「は、ははっ。そんなの決まってるじゃない」

 獏馬が死ねば、あまねも死ぬ――

 やはりそうなのかと竜真は眉を寄せる。
「道理でしょう。本体である僕が死ねば。尻尾であるあまねは消滅する」
「なら、あまねが死ねば、お前はどうなるんだ」
「どうにもならない。大抵の動物は尻尾が千切れたって生きていられるでしょう」
 あまね側に科せられた制約。竜真はその先の未来も垣間見る。

 獏馬が死ねば、あまねが死ぬ。あまねが死ねば、廻も――

 竜真はギリリと奥歯を噛みしめた。獏馬から感じる絶対的な余裕は『此処』から来ているのか。
 廻を大切だと思う程、獏馬を殺す事が出来ないという枷。
「ふふ、よく気付いたねぇ。ご褒美をあげるよ」
 夢の闇に溶けるように消えた獏馬は、竜真の間合いの中に入り込む。
 耳元で囁く言葉。誰にも聞こえない誘惑の音色。
「……使うか、使わないか。お前が決めていい。でも、廻を救いたいなら選択肢は無いんじゃないかな」
 竜真に託されたもの。使い方次第で悪手にもなるそれを。獏馬は口の端を上げて押しつけた。
「何を考えているんだ……お前は」
「さぁ。其処までは教えてあげないよ。それに一人じゃ発動も難しいんだ。それは。お前達の真意が試されるね。楽しみだ」
 迷う心。竜真の行き場の無い感情に目を細めた獏馬。
「……ふふ。お腹いっぱいになっちゃった。じゃあね、今度会うときは、もっと楽しめそうだ」
 満足そうな顔をして微笑む獏馬。
 獏馬が黒い闇にゆっくりと消えて行くのと同時に、勿忘草も夢の中から消滅した。
 その様子を武器商人が追う。
 暁月が獏馬を追うと言い出してもいいように。感覚的に探りを入れるのだ。
「最も、ここは夢の中。どこまで有効かは知らなんだ。ヒヒヒヒ!」
 武器商人の嗤い声が暗闇の中に響き渡った。


 ヨハンは水色の瞳で龍成を一瞥する。
 龍成が何を考えていようと、彼の言い分は聞く必要が無いのだとヨハンは眉を寄せた。
 空気など読まない。打ち負かすまでこういう輩との対話は不可能だ。
「僕は仕事を成功させるその一点のみに集中する」
 一人でも多く、長く持ちこたえさせる。それがヨハンの矜持だ。
「今回はハーフ・アムリタを持ってきましたからね。出し惜しみはしませんよ!」
 アクア・ブルーの光が地面から湧き上がり、夢の中を包み込む。
 癒やしの力は仲間を勇気づける言葉となる。
「さぁ返してもらおう。取られたモノは取り返す!!」
 ヨハンの影から眞田が走り出す。
「へえ、ナイフ使うんだ。同じだな。しかも手馴れてる。じゃあ、俺も本気で行く……また後悔する前に」
 ただ我武者羅にナイフを振るった。相手が何を考えて居るかなんて関係ない。
 目の前の龍成は、自分の大切な友達を攫っていった。彼が苦しむような事をした。
 其れだけで眞田の黒い瘴気は怒りを帯びる。龍成からの攻撃も痛みですら置き去りに。
 切っ先が赤く光るナイフは眞田に傷を刻む。
「目的を果たすまではくたばれない」
 可能性の炎を燃やしても。譲れないものがあるのだ。
「君と燈堂君がどういう関係か知らないけど、もし……友達とかだったら? 早く、早く逃げなよ。じゃないと俺、本当に……!」
 迸る黒い刃。龍成の身体にアガットの赤が散った。
 眞田の攻撃を返すように鈴の日本刀が龍成を払う。
 いくら相手の回避が高く在ろうとも獏馬の力を失った龍成には俊敏さが欠落していた。
 鈴の日本刀の刃が龍成を捉え切り裂く――

 散ってしまった白いヒガンバナの向こう側。シルキィのペリドットの瞳に龍成が映り込む。
「……キミが龍成君、だねぇ。こうして会うのは初めてかなぁ?」
「ああ、君がシルキィちゃんか。初めまして廻の陽だまり……」
「ゃ、め」
 龍成がシルキィに手を伸ばした瞬間、鳥籠の椅子が倒れた。
 廻が鳥籠の中から龍成に怒りを向けたのだ。起き上がろうとして椅子ごと転倒したらしい。
 鳥籠の床に這いながらも懸命に龍成とシルキィへと手を伸ばしていた。
「君の為に怒ってンだよ。すっげぇ、好かれてるな。……羨ましい」
「"暁月さんの大事なもの"を奪いに来たんだよねぇ。けれど、ただ奪うならこんなに周りくどいことをしなくたって良いはず。ねぇ。キミは、廻君をどうしたいの?」
「それじゃあ、意味がねぇンだよ。探してんだよ」
「何を?」
「……」
 シルキィの問いかけはばつの悪そうな表情で返される。

「やはり一緒に撤退はしてくれませんか」
 ラクリマは残った幻影と龍成にブルーグリーンの視線を上げた。
「は……、まだ『準備』が出来てねぇからな」
「準備?」
 獏馬の力を失ってはいるが、強敵で有ることに変わりはないだろう。
 廻の元へ行くのか、愛無やシルキィ、暁月へと攻撃を仕掛けてくるのかラクリマは注意深く龍成の動向を観察していた。
 時間が過ぎるにつれラクリマに焦りが募る。
「早く廻さんを助けなければ」
「お前はいいよな。廻の傍に居られて」
 親友として迎え入れられ、共に酒を飲み交わす。弱音や涙さえ見せられる相手。
 単純に羨ましいのだろう。自分には手に入れる事が出来ない関係性。
 愛無やシルキィに傷を負わせれば、廻はどんな顔をするのだろうか。
 ラクリマに傷を負わせれば。黒い感情が龍成を覆う。迸る怒りの瘴気。
 一番近くに居たラクリマだからこそ気付いた龍成の狙い。
「させませんよ!」
 白き花に赤い血が飛び散る。神経が焼き切れそうな程の痛み。龍成のナイフがラクリマの掌を突抜けた。
 突抜けた刃のまま龍成の手を握り込む。
「廻さんのためだと言いながら、結局は自分の事ばかりしか考えていない貴方に、
 彼が友人と思いを寄せる人達を奪わせるわけにはいかない!!!!」
 誰一人として欠ける事は許されない。ラクリマは視界の端に仲間の姿を捉える。後は頼むと頷いた。

 ボディは龍成の刃を弾き、一歩踏み込んだ。
「答えろ、貴方は何のため廻様を此処に攫った」
「救う為だろうがよ!」
 眉を顰め、龍成は吠える。その答えは予想していた通りのものだ。
 ならば、更にと言葉を重ねた。
「何故、貴方は廻様を救いたいと思った。何故、貴方は廻様を守りたいと思った」
 その根本は何なのだとボディは畳みかける。
 龍成の本来の願い。誰かの命を喰らってでも為したい事。
「チッ、くそが!」
 ボディの言葉に耳を塞ぐかのように龍成は刃を振るう。
「答えろ。貴方は何の為に獏馬の夜妖憑きとなり、燈堂廻を救いに来た。
 答えろ、──澄原龍成ッ!」
 どんな時でも言葉を荒らげないボディが、感情を発露する。
 其れだけ龍成という男を知りたいと思ったのだろう。
 何を考え、此処に立っているのか。憤り、不可解。それが、自分の中で消化することも儘ならず、取るに足らないと断ずる事が出来ない程、ボディの『心』をかき乱した。

「澄原晴陽は、曲がりなりにも、誰かの命を生かす為に動いていたぞッ!」
「――ッ、っせぇ!!!! アイツは……姉貴は関係ぇねえだろうがッ!!!!!」
 激昂。龍成の周りに漂っていた妖気が爆発した。
 ボディの顔面目がけて叩き込まれる『拳』。続けざまの腹部への『蹴り』。
 先ほどまで持っていたナイフは足下に転がっている。
「答えるまで、そして答えても皆様の所へは行かせない」
 鉈を構え、龍成からの殴打を防ぐボディ。
 先ほどまでの精細さや切れは無く、ただ、暴力を叩きつけるだけの攻撃は痛みこそ有れど、痛打たり得ないのだ。
「答えろ。此処に立つ理由を」
「廻はあいつに呪いを掛けられてる。それを解く方法を探してンだよ。邪魔するんじゃねぇ!」
 ボディの胸ぐらを掴んだ龍成は怒りに満ちた表情で彼を睨み付ける。
「それに、姉貴の事を気やすく呼ぶンじゃねえよ。お前に姉貴の悩みがわかンのかよ。俺にだって分かんねえのに」
 晴陽が暗い顔をしている理由。何も語らない彼女の、心の内側を慮る事が出来ない己の無力さ。
 近くに居るのに心は遠く。声を掛ける事さえ躊躇ってしまう、不器用な自分の不甲斐なさ。
 けれど、一つだけ分かる事がある。ボディが言った様に、彼女は『命を生かそうとしている』のだ。
 口数少ない姉から感じ取れる唯一の意志。
「廻の呪いは命を蝕むかもしれねぇ。分かんねぇ、から。此処へ連れてきて『調べた』けど、分かんねぇ。
 でも、姉貴が命を生かそうとしてんのに、俺がそれを簡単に諦められるわけねぇだろッ――!」

 獏馬との契約。
 彼が獏馬に生命力を分け与えること。
 それが叶わないのなら他人から生命力を奪うこと。
 その代わり龍成に強さを与えること。
 そして、最後に命を――『奪わない』こと。
 己と契約するのならば、絶対に揺るがぬ条件だと獏馬相手に叩きつけた。
 今までとは違う餌。不遜で傲慢で強欲。だから、価値を見出した。
 龍成の渦巻く負の感情と、深い愛情の狭間で揺れ動く思いに、獏馬は酔いしれる。
 だから、常盤公園の花園ドームでも、誰一人として『命』は奪われていないのだ。

 ボディは地面にナイフが転がっている意味を理解した。
 怒りの儘にそれを振るえば、辿り着く先は『死』なのだろう。
 必殺を切る目を持っているからこそ、能力が強化される夢の中では『使えない』のだ。
 それは澄原龍成に真摯に向き合ったボディだからこそ分かる彼の内情。

 だからこそ、ボディの内側にチリチリとこみ上げるものがある。
 感じたことの無い激情。溢れる怒り。廻を救う為に生きていたいと願うなら。
 ――何故、奪わない命の中に『自分(りゅうせい)』が入っていないのか。
 どうして、一番大事にしなければならない存在を手放せるのか。
 ナイフを捨てれば其れだけ己の身を危険に晒すことになるというのが分からないのか。
 ボディは怒りのまま地面に鉈を叩きつける。カラカラと転がって行くボディの鉈。
「来い。貴方の相手は、私だッ――!」
 負けられない。負けてなんかやらない。この男にだけは。


 暗がりの夢の中が薄く色づいていく。
 幻影の消滅と龍成の撤退によって、獏馬の結界がこの場から解かれようとしているのだ。

「廻さん……!」
 開いた鳥籠の中に飛び込んだのは鈴だ。
 身体に目に見える異常はないか、傷があったりはしないか念入りに調べていく。
「……う、鈴?」
「はい。もう大丈夫です。安心してください」
 目を開けた廻は鈴の手を借りて起き上がった。
「帰りましょう。みんなで」

 ――月の匂いは追いかけた。後は、糸を廻らせるだけ。
 糸の名前は"天蚕糸"。
 シルキィは手の中から『切れない糸』を作り出す。

 わたしも、愛無ちゃんも、アーリアさんも。燈堂の皆も
 ……それだけじゃない。
 キミを大切に想う、皆の願いが籠った糸。
「廻君。小指、出して。糸を結ぶよぉ。この糸が、皆の願いが、キミの道しるべになる。
 だから……廻君。一緒に帰ろう?」

 崩れかけた夢の結界の中。
 足下すら覚束無いあやふやな場所で、唯一の道筋がシルキィの糸。
 夢を辿り。繋ぎ。手繰り寄せて。
 月明かりみたいな優しい光の中に飛び込んだ。

 ――――
 ――

 愛無は視界が明瞭になっていくのを感じる。
 現実世界へと帰ってきたのだ。
 視界の端に揺れる茶色い髪に視線を落とす。

 廻の唇に愛無の本来の指が触れた。
 黒い指先から伝わる愛無の生命力。
 血色が戻り、薄く色づいた頬に伝う涙。
 瞬かれた瞼の奥。アメジストの瞳が重なる。

「おかえり、廻君」
「ただいま、愛無さん」

 瞳を上げれば、シルキィやアーリア、竜真やラクリマ、他の仲間の姿もあった。
 安堵で涙がこみ上げる。
 夢の中で必死に戦ってくれた皆に。
 廻はありがとうございますと微笑んだ。


成否

成功

MVP

浅蔵 竜真(p3p008541)

状態異常

ラクリマ・イース(p3p004247)[重傷]
白き歌
メイメイ・ルー(p3p004460)[重傷]
祈りの守護者
恋屍・愛無(p3p007296)[重傷]
愛を知らぬ者
ボディ・ダクレ(p3p008384)[重傷]
アイのカタチ
眞田(p3p008414)[重傷]
輝く赤き星
浅蔵 竜真(p3p008541)[重傷]
時尾 鈴(p3p009655)[重傷]
いつまでも傍に

あとがき

 お疲れ様です。如何だったでしょうか。
 無事に廻の魂を救い出す事が出来ました。
 めでたし、めでたし。

 ――とは。いかないようです。
 まだまだ燈堂家には動きがあります。

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