PandoraPartyProject

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剥がれ落ちる記憶

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 水面に浮かんで行く泡を、水底から見上げる。
 白く光る水面はゆらゆらと揺れていた。意識は微睡み、思考は像を結ばない。
 ただ、胎児のように漂っている感覚。
 自分が何であるのか。誰であるのか。そういったものが不明瞭でぼんやりとしている。
 時折、思い出したように浮かび上がる映像に、無性に懐かしさを覚えた。

「ぁ……さくら」
 掠れた声が自分のものなのか、それもよく分からない。
 けれど、脳裏には満開の桜を『誰か』と一緒に見ていた記憶が浮かんで消える。
 大きな背中に着いて行けば、何も怖くないと思っていた。その感情も滲んで分からなくなる。
 海の青さと眩しい陽光が鮮明に弾けた。秋色の絨毯を踏みしめ歩き、冷たい雪兎を一緒に作った。
 皆であつまった食卓や、温かなぬくもりに身をゆだねることもあった。
「まって……」
 憶えていない。けれど、その記憶は大事なものであると本能で手を伸ばす。
 伸ばして、伸ばして、伸ばせども。指先は空を掴むばかり。

 悲しかった。
 怖かった。
 自分というものが、消えていくのが分かる。
 伸ばしていた手がだらりと、垂れ下がった。

 ――――
 ――

 練達の研究所の一室で『掃除屋』燈堂 廻(p3n000160)を取り囲む白衣の研究員たち。
 その中にはパンダフードを被った葛城春泥の姿が見えた。
「廻の方は順調そうだね。最初の方は抵抗してたみたいだけど、メニューを増やして正解だったよ。もうこの子の中に記憶は残ってない。全部、空っぽさ」
 久々のROOへのダイブの後、廻は春泥によって研究所へと連れて来られていた。
 泥の器から神の杯へと作り替える術を完成させる為だ。
 廻であった頃の記憶は神の杯には不要であると、春泥は研究員達に削ぐように命じていた。

 目を閉じたままの廻を優しく撫でた春泥は満足そうに微笑む。
「そうだ。ROOで妖刀廻姫から受け取った『離却の秘術』だけれど、ようやく解析できたんだよ。大願を叶える為には一つでも取りこぼしてはいけないからね。イレギュラーズに感謝しなければならない」
 本来であればヴェルグリーズ星穹が紡ぐ秘術を春泥は解析し複製したのだろう。それでも、使用出来るのはたった一度に過ぎない。使い処が難しいもの。
「暁月の右目を廻に埋めた時から、犠牲は最後にしようと決めていたんだ」
 幼い暁月から右目を奪い、それを大切に保管していたのは『神の杯』を造り上げるため。

「だから、お前達もようやく解放されるね。真、実」
「……」
 廻の身の回りの世話をするため真と実は煌浄殿から呼び戻されていた。
 二人は元々廻と同じく、過去に神の杯の候補としてこの研究所へ連れて来られている。
 神の杯の適性は認められず、廃棄される予定だったものを、当時の廻の強い意向で凍結されていた。
 殆どの記憶を無くしていても廻への感謝と忠誠は煌浄殿でも健在であったのだ。
「僕達の命は、廻のものですから」
「たとえ廻の記憶が無くなろうとも俺達は傍に居ますよ」
「そうかい。なら、最期の時を過ごすといい……次に目覚めた時は何も覚えてないだろうけれど。それでも君達の想いは伝わると思うよ」
 真と実に優しい笑みを浮かべた春泥は、他の研究員達を連れて部屋を後にする。

「……ようやくだ。輝一朗。君の願いがもうすぐ叶うよ」
 春泥の柔らかな声色は、祈りを捧げる聖母のようであった。

 廻の楽しげな声が耳の奥で響いている。
 久々に廻の笑顔が見られて良かったと思っていたのだ。
 泥の器にされてしまった廻は、一日の大半を眠っていると聞いていたから。
 それなのにだ。
 ROOからログアウトしてみれば、廻の姿は何処にも無かったのである。

「いや、おかしいでしょ、廻は何処へ行ったんですか」
 ROOへのログイン装置がある研究所の中に『祓い屋』燈堂 暁月(p3n000175)は傍に居た職員に詰め寄る。
「申し訳ありません。メディカルチェックに問題があった為、葛城所長が連れて行ったということは分かるのですが行き先までは、こちらでは分からないのです」
 ふざけるなと怒号を上げたかった。
 けれど、目の前の職員は本当に何も知らないのだろう。彼に怒ったところで何も解決しない。
「暁月、ここに居ても仕方ないから出よう」
「……分かった」
『煌浄殿の主』深道 明煌(p3n000277)の声に暁月は肩を落し研究所の外へ出た。

 研究所の外に出れば木枯らしが首の隙間に入ってくる。
 身震いした暁月に明煌はマフラーを巻いて「大丈夫だから」と告げた。
「廻は死んじゃいない」
「どうして分かるのさ」
 心配の裏返しで明煌を睨み付ける暁月。自分でも焦っていることが分かる。
 明煌は暁月に掌を差し出す。その上には赤い糸が輪になっていた。
「これ、廻の首に付けてるやつの糸なんだけど。繋がってるのが分かるんだ。鼓動も感じる。だから廻は生きてるから安心して」
 その言葉に暁月は長い溜息を吐く。明煌が確証を持って言うのだから事実であるのだろう。
 一先ずは命に別状は無いことは安心できた。
「場所は分からないのかい?」
「研究所の地下だろうね。普通の職員は知らない場所なのかも。結界で隠されてる可能性もある」
 ここは相手の陣地だ。何の情報も無く突撃するには分が悪い。
 苦虫を噛みつぶしたような顔で暁月は拳を握った。

 明煌は暁月の瞳を真っ直ぐに見つめ言葉を告げる。
「暁月聞いて欲しい。廻が神の杯になることは止められない。止めてしまえばその時点で死んでしまう。必ず完成させなければならない。先生はその最終段階へ入ろうとしてる」
「指をくわえて見てろってこと?」
 再び怒りを露わにした暁月が明煌を睨み付けた。
「違う。先生の目的は神の杯に降ろす神を分け、悪神とそれを封ずる無限廻廊を破壊することだ」
 繰切をクロウ・クルァクと白鋼斬影に分け、『封呪』無限廻廊を破壊する。
 それは暁月にとって、人生を掛けた役目を壊されるも同義。
「な……そんな事出来るわけが無い。そんな事したら燈堂は終わってしまうじゃないか!」
 今まで必死に護り抜いてきたもの――門下生や燈堂に住む家族たちの居場所が無くなってしまうと暁月は声を荒らげる。
「暁月……! 俺は、お前が当主の役目から解放されることを望んでる。でも、廻を犠牲にするのは嫌や。だから、繰切をクロウ・クルァクと白鋼斬影に分けて無限廻廊を破壊して……廻も取り戻す」
「むちゃくちゃだ! 出来るわけがないだろ!」
 明煌の言う事は絵空事のようなものだ。そんな事が本当に出来るとは思えなかった。
「うるせえ! これしか方法は無いだろ!」
 研究所の外壁に明煌の声が響き渡る。

 細い糸を手繰り寄せ、掴んできた道標。
 泥の器から神の杯へ。繰切を二分し、元の二柱へ戻す。
 クロウ・クルァクを神逐し無限廻廊を解く。
 そこまでは春泥も明煌も同じ目的であろう。
 けれど、明煌は『廻を犠牲にしない方法』を選ぼうとしている。

「白鋼斬影を降ろした廻から、もう一度引き剥がす」
「そんな事したら廻は壊れてしまうんじゃないか……廻ではなくなってしまう」
 神の杯になるということは記憶と人格を喪い、神そのものになるということであろう。
 それを戻した所で元の廻は帰って来ないと暁月は震える。

「その為に、あいつらが頑張ってくれた」
 ROOで手に入れた離却の秘術、それと対成す繰輪の術式。
 夢石を繋ぎ、想いを紡ぎ、この道筋をイレギュラーズは掴み取った。

 一歩間違えれば、明煌は春泥と行動を共にしていただろう。
 廻を犠牲にして暁月を救う意思も揺るがなかった。それを変えたのもまたイレギュラーズだ。

「――絶対に救ってみせる。全部、一人残らずな」


 ※希望ヶ浜の<祓い屋>に大きな動きがあるようです……

最終話『<祓い屋>結実の蛇』

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