PandoraPartyProject

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願いよ祈りよ燃え尽きるまで

 風に煽られ舞い込む砂の飛沫を忘れてはならない。
 テントを立て身を寄せ合って暮らす日々に怯えてはならない。
 僅かな食い扶持も貴重な働き手に渡し、餓えを凌ぎ砂漠の蠍を喰らうたあの夜は私の糧となっただろう。
 母親という生き物は子らのために自らの食物を差し出すものらしい。例にも漏れずあの人も、そうして餓え死んだ。
 流浪の民とまでは行かずとも、枯れた土地から逃れるようにして家族は土地を点々とした。
 何もないまっさらな荒野を行く日もあった。埋没した古代兵器を踏み抜いて脚を失う者も居た。
 やっとの事で見付けた豊沃の地は疫病と稀に見る災害によって荒れた。
 馬鹿みたいな現実だった。苦労して手に入れたというのに直ぐに不幸に真っ逆さまだ。
 ある者は絶望し命を絶った。瓶の端に張り付いた米の欠片を食む毎日を送りながら流れに流れ辿り着いたモリブデンにあの人がいた。

 ――如何な犠牲を払おうとも戦わねばならぬ場面がある。

 野営で見詰めたその人の横顔は酷く窶れて見えた。乾ききった麺麭に豆のスープを配るクラースナヤ・ズヴェズダーの司教であったその人は火の潰えた薪火から立ち上る白煙だけを見ていた。
「司教さま……?」
「……ああ、どうかしたのか?」
 彼女のごわついた金色の髪も、草臥れていても優しげな色を失わない青空の眸も。
 高名な画家が描くという天使様を思わせて、酷く美しいもののように見えた。
 対する私は暗い夜の色の髪には雲脂が纏わり付いて決して綺麗では無かった。指先でくるくると髪を弄りながら優しいその人を見詰める。
「司教さま、あまり食べていらっしゃらないから」
「私の事は気にしなくて良い。それよりも、腹は満たされているだろうか?
 不甲斐ないな……幼子の腹も鱈腹満たせてやれないとは。もう少し辛抱していてくれ。きちんと、導いてみせる」
 クラースナヤ・ズヴェズダーの教義に耳を傾けたのはその時が初めてだった。腹が空こうとも泣かず、彼女の手伝いをした。
 薪を運ぶその人の手伝いを申し出て、お古の聖書を貰った。文字も大して判読できなかったが、彼女は優しく教えてくれた。
 彼女はスラム街では聖女様と呼ばれていた。
 施しを慈悲深く分け、地震の犠牲をも厭わない物語のような人。母を亡くした私にとっての愛おしい姉であり、母であった。
「アミナ」
 父代わりのその人は誰にだって分け隔て無く微笑み、文字だけではなく歴史や料理までも教えてくれた。
 それが、あの人のお役に立てると思うだけで嬉しかった。あの人のように一人で立つ未来が私にもあればと願ったからだ。
 司教さま。
 聖女さま。
 ――聖女『アナスタシア』さま。

 ――神は我らと共にあり。
   我らの屍の先に聖務は成就されるであろう。
   前進せよ。恐れるなかれ。主は汝らを守り給わん!


 その人は、欲望に身を任せたという。その人は、怒りと苦しみ、悲しみに身を任せたという。
 己の犠牲を厭わぬ人だったから、彼女の犠牲一つで救われる未来があればと願ったのだろう。
 この国の在り方が悪いと言った。弱いからこそ、虐げられる。それは、『今』になって良く分かった。
 グロースと名乗ったあの人は、弱者を羽虫のように扱った。吹けば飛ぶ塵芥のように、簡単に命を散らそうとした。
 あの人のような存在が居るから悪いのだ。
 赦してなどしまえるものか。

 ……頭が痛い。
「アミナ、どうしましたか」
 頬を撫でた同志ブリギットの掌はひんやりとしていた。思わず涙が頬に伝った。
「弱音、吐いて良いですか。こんなの、同志ムラトにも……イレギュラーズにも、言えません。
 私は、革命派の象徴でなくては。父代わりであったあの人にも、優しい友人達にも失望されたくないのです」
 ブリギットは何も云わないまま頭を撫でてくれた。頬の涙を掬い上げて、私の言葉を促してくれる。
「無力である事が恐ろしい。夜毎、後悔をするのです。もう少し私が強ければ……。
 私があの人のように、身を粉にしてでも全てを救う決意が出来ていれば良かったのに。
 私があの人のように、誰もが羨む『聖女様』に成り得たら良かったのに、私は何時だって中途半端で」
 幼い子供の様に泣きじゃくった私の背を彼女は撫でてくれた。
 おばあちゃんと呼んで欲しいと何時だって言っていたこの人は、失った母の愛を与えてくれるようだったから。
「わたくしも、無力です。護りたい者は何時だって掌から零れ落ちていく。
 わたくしも欲張りで、何もかもを護りたかったくせに……結局全てを取りこぼしてしまった」
 この人の声は震えていた。腕の中に収まって、体温を感じているだけで幸せだった。
 簡単なことだったのに出来ないままだった。うんと背伸びをして生きてきた私は当たり前の愛に餓えていたのだろうか。
 甘える事も、弱音を吐いて生きることだって出来なかった――それは聖女でも、革命派の象徴でも無かったから。
「私は、貪欲です。希望を見てしまったから、理想を抱いてしまったから。
 家畜は潰え、季節が全てを奪い去る。慟哭の冬に怯えながら、私が、私は、私なんかが……生きていたいと、願ってしまったから」
 誰かが死んだ。餓えに苦しむ者を横目に見ながら、貴重な栄養を貪り、嚥下し、嘔吐した。
 繰り返し、繰り返し、腸が生きる事を否定しているように感じながら命を愚弄した。吐瀉物に塗れた苦しい現実から目を背いて笑った己の浅ましさよ。
「生きてよいのです。護れないならば、護れるようになれば良い。
 わたくしも、あなたも、願ったのはたった一つだけの願いで、祈りで、あったでしょう――?」
 その人の腕の中で、夢を見る。うんと強くなった私を。
 嗚呼、けれどどうしてこんなに――頭が痛いんだろう……?

 ※アミナが思い悩んでいる様です……

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