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シナリオ詳細

<さんさあら>不達のニルヴァーナ

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●罪と罰
 暗く冷たい『再現性さんさあら』と化した街では、元の『再現性京都』の住人も多くが黒い蔓に絡め取られている。中には最下層のヴァイタラニ河にまで引き摺り込まれた住人もいて、そこでは過去の幻覚を見せられながら『感情が形を取った異形』にも襲われる危機にある者も少なくなかった。
 街の住人達は多くが特別な力を持たない一般人だ。
 そのような一般人がなぜ、過去の罪を見せられながら罰を与えられるのか。
 この街は――この街を形作る『ソーマの呪い』とは、何が目的なのか。

●辿り着けぬニルヴァーナ
 『再現性さんさあら』最上部。
 黒い蔓が大樹のように絡まり合い枝を広げるその場所で。

「……何ということをしてくれたのです。この刃は。このアイは」
「嗚呼……その顔、もっと観たかったが……」
 『千殺万愛』チャンドラ・カトリ(p3n000142)が突き立てた刃は、『はづきさん』を庇った辻峰道雪に埋まっていた。血を流す傷口から噴き出すのは黒い蔓。この地域を覆うものと同じだ。
 更に速度を増して道雪を覆い尽くそうとする蔓を、目映いほどの月光が照らす。すると、蔓の成長はいくらか緩やかになった。
『うちのせいや。呪いをここまで育ててもうたのも。にいさんが呪いの刃を受けてもうたのも。……何度も、この人がうちを殺してまうのも』
 声と共に歩み寄ったのは、狐面で顔を隠した『はづきさん』その人だった。
「『はづきさん』……いいえ、我(わたし)は貴方の名を、正しい名を知っていたはずなのです。
 『ソーマ』の名を知っている貴方を、知らないはずが無いのです! 貴方を殺さねばならない理由も、貴方の名さえわかれば、思い出せたら!」
 記憶に無くとも過去の罪を明らかにする蔓の液や暗闇も、何故かそれだけは彼に明かしてくれなかったらしい。
 真名を求めるチャンドラの姿を、『はづきさん』は静かに見下ろしていた。
『……しんどいなぁ。顔も声も、名前もわからん誰かをアイし続けるんは』
 その表情は、狐面で隠れてわからない。その声に感情は無い。
 月光に声を響かせながら、『はづきさん』は言葉を紡いだ。
『皆、ありがとうな。ここまで黙っといてくれて』
 道雪に刃を刺したままのチャンドラの両手を『はづきさん』が掴むと、力を込めてその手ごと道雪から刃を抜く。
『ソーマの呪いはな、解けるんよ。呪いの根は、全ての感情。全ての興味。全ての執着やったんやね。
 それがもうじき解(ほど)ける。せやから、『うちの』呪いはこれでおしまいや。けど、にいさんのは』
「いいえ……いいえ! 呪うほどのアイを、どうして解けましょう。解いてはいけない理由があったから、我は解かなかったのではありませんか。違いますか、名も呼べぬ貴方。
 それほどのアイを、我は……! 何故です、道雪!!」
 この刃を道雪が受けることは、チャンドラにとって全くの予想外であったのだ。『はづきさん』の真名を思い出せずとも、あの狐面以外に突き立ててはいけないものだったと理解はしていたのだ。

 ――廻るべきものが、廻らない。
 ――解けてはいけないものが、解けてしまう。

「どうあってもそのアイを解くと仰るのなら……ええ、我は」
 黒い蔓がチャンドラへ撚り集まる。この場の蔓が外から集まるだけでなく、肉体の内からも生じて四肢に絡まっていく。
 まるで初めから彼の一部であったかのように、一切の拒絶もないまま蔓は彼と合一したのだ。
「我は、カトリ(器)でなく。カトリを満たすソーマを得て、貴方がたをアイします」
『……チャンドラ・ソーマか……』
 その姿を見上げた『はづきさん』がぽつりと溢すと、僅かに俯いて狐面を外す。すると和装が見る間に煙へ包まれ、次に現れた姿は冠を被った金目の姿だったのだ。

(皆、聞こえるか。はづきを名乗っていた吾(わたし)だ)
 その声は、目の前にその姿を見ているイレギュラーズにも、ヴァイタラニ河にいるイレギュラーズにも届いた。耳からではなく、意識へ直接届く『ヤマ』としての声だ。
(チャンドラを、少しだけ頼みたい。あれはチャンドラ・カトリでなく、『ソーマの呪い』として注いでいた本来の力を己の内へほぼ取り戻したチャンドラ・ソーマ。
 吾はあの力に対して死することしかできない。そういう運命であるからだ。呪いを解(ほど)くなら、あと少しだけ吾は生きなければ)
 この『再現性さんさあら』に満ちる空気によって、現在の『はづきさん』もとい『ヤマ』とチャンドラはかなりの強化を受けているらしい。『ソーマの呪い』の大部分をその身に取り戻したチャンドラは黒い蔓と短剣を組み合わせて戦うことで『ヤマ』や道雪だけでなく、この『再現性さんさあら』にある命を全て狙うが、この蔓も使い手を得たことで炎の弱点を克服しているという。
(チャンドラを少しだけ抑えてくれるならば、吾はその間に呪い(アイ)の解き口を探し出そう。簡単なことではないが、元はと言えば吾が招き入れた因果(たね)。吾の因果のために、失われる命があってはいけない)
 今探さねばならない『呪いの解き口』は二つ。『ヤマ』が抱え続けてきたものと、道雪が受けてしまったもの。
 『呪いの解き口』とは即ち『呪うほどの執着の原点』である。
 『ヤマ』に関しては、『ヤマ』本人に心当たりは無くは無いが確たる自信がないというもの。
 道雪に関しては、呪った本人も予期していなかったもので何が解き口となるかわからないが、言の葉が蔓を解くこともあろう、とのことだ。
(吾はこの呪いに捕われていたが、永らえさせられていた側面もある。この呪いを解いたとき、吾の存在を保てるかもわからないが……この街の住人にとっても、彼にとっても、それが解脱の路となろう。
 どうか、手を貸してくれ)
 『ヤマ』の声が響く間にも、黒い蔓が鎌首をもたげるように狙いを定めている。
 この街が終わるか、呪いが解けるか――その果てに待つのは、如何なる形の解脱なのであろうか。

●罪の根源
 罪の名は、欲(アイ)。あらゆる感情と執着。
 嫉妬、恋慕、憤怒、憎悪、慈愛、希望、憧憬、悲哀――苦も楽も、快も不快も、等しく輪廻を巡る罪である。
 罪を得ずに生きることは難しい。ゆえに人は輪廻を解脱できない。
 吾は、吾の務めを果たさねばならない。

 ――貴方はお気付きでないのですか。
 ――人の罪を定める時。新たな輪廻へ送る時。貴方がどのようなお顔をされているか。
 ――いけません。これ以上、我は貴方に従うだけのものではいられません。
 ――全ての罪を、最後にしますから。我が憎み、我が慕い、我が恐れ我が慈しみます。我で最後にしてください。どうか。

(これは……この感情の根源……?)

 『執着』が形を取った異形に絡め取られ、冷たいヴァイタラニ河へ沈んだ『刑天』雨紅(p3p008287)。ハイテレパスでその根源を問えば、知らない記憶が五感を上書きする。
 雨紅には未だ理解できなかった。愛おしく思いながら傷つけるような、痛いほど縛り付けるような愛などあるのかと。
 理解できないが、上書きしてくる記憶が自分の記憶と混ざってくる。
 命を殺せば殺しただけ己の手を穢していくものが、穢れではないとしたら。
 穢せば穢すだけ、綺麗になるものがあるのでは?
 痛くすればするだけ、この人には自分を覚えて貰えるのでは?
 苦も楽も快も不快も全て自分が与えたなら、もう何も与えなくていいのでは?
 ――この人は、自分を見ながら静かに眠れるのでは。楽になるのでは?

 そして、我で最後にしろと求めた人物は短剣を振り上げて――。

GMコメント

旭吉です。
シリーズ<さんさあら>最終話、EXでお送りします(なにげにPPP初EXです)
前話参加者の全員に優先が付与されておりますが、参加を強制するものではありません。
ご都合よろしければ、お付き合い下さいませ。

●目標
 チャンドラ・ソーマ(ソーマの呪い)を解(ほど)く。

●状況
 練達の『再現性京都』のテクスチャが剥がれ、隠されていた『再現性さんさあら』が露わになった地域。
 その全域での決戦になります。
 大小の黒い蔓が複雑に絡み合った植物世界の内側は常に異様な闇が満ちて暗く冷たいですが、元々『さんさあら』世界の住人であった『はづきさん』ことヤマとチャンドラはこの場所で一時的に本来の力を取り戻し、大幅に強化されています。
 ヤマが本来の力を取り戻したことで戦場は広く月光で照らされていますが、大小の黒い蔓が活発に動くため明るくは無いです。
 ここの闇や蔓には、蔓を断ち切った時に発生する乳白色の液とほぼ同じ効果があります。

●NPC
 チャンドラ(チャンドラ・ソーマ)
  今回のみ攻撃系。主武装は呪いの短剣と黒い蔓。
  黒い蔓を取り込むことで本来の力と記憶をほぼ取り戻しましたものの、『ヤマ』の名に関係することだけ思い出せず不完全。
  炎に弱い弱点は克服されている。
  『再現性さんさあら』内の全ての命を狙うが、特にヤマと道雪を優先して狙う。

 『はづきさん』(ヤマ)
  ソーマの呪いを解いた後の自身の滅びを受け入れているが、『再現性京都』とチャンドラを救いたいと願っている。
  チャンドラにここまで呪われるほどの強い執着について、未だはっきりとした心当たりはない。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はCです。
 情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。


行動場所
 以下の選択肢の中からメインとなる行動を選択して下さい(メインは【1】だけど【3】でやってみたいことがある場合も、選択肢は【1】でお願いします)

【1】チャンドラ・ソーマを撃破する
チャンドラ・ソーマと戦闘。チャンドラ・ソーマはイレギュラーズのチャンドラ・カトリでもありますので、殺さないようご注意を。
チャンドラとの会話がメインになりそうな場合はこちら。

【2】『はづきさん』(ヤマ)を助ける
ヤマを助けて『呪い(アイ)の解き口』を探します。辻峰道雪さんの救助をメインにしたい場合もこちら。
ヤマはこの呪いを解けば自身が消えるであろうことを感じています。

【3】その他
【1】【2】以外の行動をメインにしたい方向け。住人の救助や、呪いが解けた後の活動をメインにしたい場合等。

  • <さんさあら>不達のニルヴァーナ完了
  • 解脱は遠く。あらゆる感情と執着が罪となる世界を解(ほど)けるのか――。
  • GM名旭吉
  • 種別EX
  • 難易度HARD
  • 冒険終了日時2023年10月06日 22時05分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

(サポートPC2人)参加者一覧(8人)

仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)
陰陽式
メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りの守護者
エマ・ウィートラント(p3p005065)
Enigma
冬越 弾正(p3p007105)
終音
雨紅(p3p008287)
愛星
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
グリゼルダ=ロッジェロ(p3p009285)
心に寄り添う
ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
変わる切欠

サポートNPC一覧(1人)

チャンドラ・カトリ(p3n000142)
万愛器

リプレイ


 罪を雪ぐヴァイタラニ。
 暗く冷たい、底の底。
 ――冷たい、とは?
 これほどまでに熱く、これほどまでに苦しいのに。
 この眼が曇って、貴方が見えない。
 貴方の顔が、思い出せない。


 日の光は黒い蔓で完全に覆い隠された植物世界『再現性さんさあら』。
 『はづきさん』がイレギュラーズの道行を照らす月光さえ、今では黒い蔓に阻まれつつある。
「こうなってしまうのは……運命だったのだろうね」
 そう口にする『はづきさん』の姿は、顔の半分を隠す狐面から白髪に金冠を戴く姿へと変じている。
 かつて真名を『ヤマ』と名乗ったその人は月光をより広く、より遠くまで届けようと手にした笏を振るった。
「この光は……」
 月光が照らすと、闇は霧散し黒い蔓も光を避けるように退いていく。星明かりも無い植物世界の暗闇へ、静かな月光が遍く行き渡り――しかし、蔓の主『チャンドラ・ソーマ』と化した『千殺万愛』チャンドラ・カトリ(p3n000142)自身は、訝しげにその光を見つめるのみだった。
「やはり、お前には効かないか」
「我(わたし)はこの光を存じております。しかし、何方が使っていたのかは思い出せません。貴方だったのですか。貴方は我にとって、何だったのですか」
 この世界の闇を写し取ったような黒の瞳で『ヤマ』を見つめると、チャンドラから黒の蔓が四方へ伸びる。蔓は枝分かれしながら大樹のように太さを増し、世界を照らそうとする月光を見る間に覆い隠していった。

 どこまでも伸びて空間を覆い尽くそうとする黒い蔓の間を、『心に寄り添う』グリゼルダ=ロッジェロ(p3p009285)はリトルワイバーンへ飛び乗り搔い潜りながら翔けていた。
(雨紅殿に声を掛けたいが……河へ近付く隙が無いな)
 『罪の根源にて』雨紅(p3p008287)が異形に絡め取られ沈んだきり戻ってこないヴァイタラニ河を空中から見下ろす。あの河に沈んでも息ができるものなのかはわからない。しかし、たとえ息ができるとしてもあのような異形と共に長居すべきでないものであることは察せられる。叶うならすぐにでも掬い上げたいが、少しでも動きを止めればこちらを捕えようとする黒い蔓をグリゼルダも無視できない。
「こっちへ……来い!」
 襲い来る蔓の群れのいくらかを引き付けると、そのままリトルワイバーンを加速させる。せめてこれで、雨紅が少しでも戻りやすくなれば。あるいは――誰かが手を伸ばせるなら。

「『冬夜の裔(すえ)』、妄執の主よ。協力を頼む。目的は『全員助ける』事だ」
『霊を使役するなら具体的に命令しろ。こっちはお前の胸の裡まで共有していない』
 黒い蔓に周囲を囲まれた闇の中。グリゼルダとは別に蔓を退けていた『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は使役霊の『冬夜の裔』に助力を頼んだが、姿を現した『冬夜の裔』は主を守る最低限の露払いをするばかりで命令の実行には至らない。
「あんたの判断で動いていい。弾正も、道雪殿もヤマ殿も……この場にいる誰一人、命を奪わせたくない」
『…………』
 『冬夜の裔』は目隠し越しにアーマデルを見る。その視線に込められたものなど知る由もないアーマデルは、辻峰 道雪の救助へ向かう『黒響族ヘッド』冬越 弾正(p3p007105)達に同行しようとしてふと、呟く。
「あんたには……【契約】ではない糸を感じる。それが何かはわからないし、『今』を過ぎれば忘れてしまうかもしれないが」
『そうか』
「だが、きっとまた思い出す。その時には……——ッ!」
 その先を言わせまいとでもするかのように、『冬夜の裔』の鋭い刃がアーマデルを襲う。
 それは『彼』の裏切りではない。元々【契約】した時から、『彼』は使役の見返りにアーマデルへの『傷』を望んでいたのだ。
『……お前の巫山戯た命令を受けてやる。行け』
 斬り付けられた傷は、アーマデルの脇腹に焼き切ったような痕を残す。それを命令履行の意志と受け取って、アーマデルは『彼』に背を向け駆けていった。
(お前には分かるまい。そんな期待もしない。何も生まぬと知っていても刻まずにいられぬ気持ちなど)
 それは『妄執』の『英霊残響』として、『彼』の寄る辺となっている感情。冷たく燃え続ける執着の刃を手に、『彼』はアーマデルとは異なる方向へ地を蹴った。

 直前までチャンドラと同行していたこともあり、『チャンドラ・ソーマ』の元へ最初に到着できたのは弾正達だった。
「いつも弾正とアーマデルにはR.O.O.で世話を焼いてるからな。こいつはついでだ」
「この蔓が街の外に出るまで成長したら、私の店も商売あがったりですからね」
 『鳥籠の画家』ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)や『ホストクラブ・シャーマナイト店長』鵜来巣 冥夜(p3p008218)も合流し、行く手を阻む蔓を退けながら彼らの元へ路を切り拓く。
 彼らが来る本当に少し前まで、弾正はアーマデルや『光暁の友人』メイメイ・ルー(p3p004460)達と共に『チャンドラ・カトリ』と行動していたのだ。しかし、『はづきさん』の姿を目にした途端突出した彼を止めようとしたメイメイとアーマデルに対して、弾正は行動を起こせなかった。その結果、道雪が『はづきさん』を庇い、今は命の危機にある。
 ――本当に?
(引き留める判断が遅れたのは虚をつかれたからだ。道雪殿がこんな事をした理由がわからなかった……)
 ――それも嘘ではない。しかし、本当にそれだけだろうか?
 自分を騙し続けてきた道雪を。自分の大切な人を殺した道雪を。これ幸いと、見殺しにしようとしたのではないか――思い至ったその可能性を、他ならぬ弾正自身が否定しきれなかった。
 道雪は今もなお、刃が抜けた傷口から蔓に拘束されているというのに。
「この蔓、月光を避けるって聞いたがそうでもないのか。むしろ月光を遮るように伸びてやがる」
「炎にも強くなったようですね。これは思った以上に……弾正様?」
 ベルナルドと冥夜が反応の薄い弾正へ振り返る。彼の意識は未だ思考の底だ。
「弾正」
「……アーマデル」
 その意識を掬い上げたのは、アーマデルの声と手だった。いつかの迷宮のように彼の手に引かれると、弾正は安堵と共にアーマデルの手を握る。
「この手がいつも、教えてくれる。俺が非道に染まらぬよう、引き留めてくれる……君こそが、菩薩の蜘蛛糸だ」
 どんな地獄の底でも、弾正にとってこの糸だけは信じられる救いだった。そしてその救いを手にしたなら、今は目の前の闇を打ち砕き照らし出す時だ。
 対峙したイレギュラーズ達を、チャンドラは静かに見つめていた。
「……何方も此方も、この呪いを解(ほど)くおつもりで。ならば我は、全てをアイすることを躊躇いません」
「チャンドラさま、それは、だめです」
 辺りの蔓が敵を認識してざわつき始める中、メイメイが瞳にバロールの魔眼を宿して進み出る。小さな彼女の声は、この危機を前にして些かの揺るぎもない。
「わたしはチャンドラさまに、こんな事をさせたくは、ありません……! わたしたちの知らない、かつてのあなたにとって、成さなくてはならない事だとしても」
「それは貴方のアイでしょう。そして全てのアイは……、――嗚呼。少し、思い出しました」
 黒と銀の瞳がメイメイを見据えて応える。その視線に、イレギュラーズとして向けられていた時の優しさはない。
「アイとは、罪で、毒なのです。人からその毒が完全に消えることはなく、毒と知りながら口にする人がいる……確か、そうではありませんでしたか。『名も知らぬ貴方』」
「……そうだったかも知れないね」
 感情も無く問われたヤマは曖昧に応える。チャンドラは未だ『ヤマ』の名を思い出せないがために、その人を正しく呼ぶことができない。
「毒を消し去ることができないなら、貴方がこれ以上の毒を食らえないようにするしかない……だからこそこの呪いは、毒となり得る人を捉えるのではないですか」
「お前が思うのなら、そうなのかもしれないね」
 続くチャンドラの憶測にも、ヤマは答えを断定しない。恐れのない静かな声は却ってチャンドラを煽りかねない危うさがあり、いくら自身の滅びを受け入れているとは言え軽率とも取れる言動だった。
「あまり煽るものではないぞ。私達はイレギュラーズとして務めは果たすが、その前に御主が倒れてしまってはそれもできないのでな」
 白旺圏を発したことで伸びた髪を払いながら『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)が窘めると、ヤマは僅かに目を細めた。
「ああ、ヴァイタラニから来てくれたのか。確かに、皆の努力を無碍にしてはいけないな」
 汰磨羈の他に『羽化』ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)や『Enigma』エマ・ウィートラント(p3p005065)の姿を目に留めたヤマ。しかし、ジョシュアの表情は曇っていた。
「毒の話が……聞こえたので。どういうことですか、チャンドラ様。毒を消し去れないなら、毒を食らえないようにするしかないとは。その人が毒を食らう前に殺してしまえば、毒を食べようがない……ということですか? そんなの、結局毒から守ってないじゃないですか!」
 毒の精霊であるジョシュアは、その出自と性質ゆえに多くの苦しみと悲しみを味わってきた。優しくしてくれた人を亡くしたこともある。だからこそ、『毒』と称するものから守るためにその人を殺すという思考は理解しがたかったのだ。
 その怒りを受けてなお、チャンドラは僅かに視線を伏せたのみだった。
「毒に……アイに触れなければいけない方だったのですよ。生きている限り毒に触れてしまうなら、毒で死ぬ前に殺すしかないではないですか」
「…………」
 ――そう、なのでしょうか。
 毒そのものとも言える自分に置き換えてジョシュアは考えてみた。
 生きている限り、毒に触れてしまうなら。自分に触れてしまうなら――あのやさしいひとに、出会わない方が良かったのか。
「……いいえ、貴方には殺させません。アイのために多くの人が犠牲になる光景なんて、二度も見たくありません。ましてや僕に温かく接してくださるような、死なせたくない方々なのですから」
 苦しみも悲しみもあった。だが、あの温もりと優しさに出会えた。
 その出会いまで無くして、ましてや出会う前に殺していいとは、どうしても思えない――!
「二人とも、こちらへ!」
 前衛へ出た汰磨羈がヤマを促すと、動けない道雪をベルナルドと冥夜が双方から肩を貸し連れ出す。道雪の傷からはまだ蔓が生じていたが、ヤマの月光により成長は抑えられている。
 そのまま後衛の更に後ろまで下げられた二人をチャンドラの黒い蔓が狙えば、汰磨羈が桜花破天の燃える花弁と共に殲光砲魔神の一撃で迎え撃った。
「力を概ね取り戻したと聞く。相手にとって不足なし――御主の面倒を頼まれている。全力で行かせて貰うぞ」
「ならば我のアイを示しましょう。貴方がたが、貴方がたの罪ゆえにアイされるのです」
 蔓が伸びれば闇ごと巻き込んで魔神の光が破壊し、生じた空間に月光が差す。そこへ再び蔓が伸びる――『根元』を断ってはならない、『チャンドラ・ソーマ』との戦いはそうして始まった。


 暗く冷たい、底の底。
 けれど眼は熱く、胸は苦しい。
 泣いているのだと感じた。だから熱くて苦しいのだと。
 泣きながら見下ろした貴方の顔が、どうしても思い出せない。

(……違う。思い出せないのではなく、私はこの景色を「知らない」)
 まるで我が事のように馴染みつつあった景色だが、この呪いのような感情の濁流は知らない。
 『これは私ではない』と、断言できる。
(最期の瞬間まで『見てもらえる』、殺せば『楽にできる』……その想いは確かに愛なのでしょう。それでも)
 半ば一体化しているからこそわかる。この感情の濁流の中には、明確に「悲しみ」がある。
(苦しみを終わらせたいと願う貴方が、これほど嘆き悲しみ、苦しんでいるではないですか)
 振り上げられた短剣が突き立てられる前に、起きなければ。もうここにはいられない。
 しかし、深く潜りすぎて帰り道がわからない。
 
 ただ、ただ、暗くて、冷たい――。

(……!)
 何かに腕を掴まれて、急に感覚が現実に戻る。
『――様。雨紅様。わっちの声が聞こえんすか』
 続いて、意識に語りかけられる声。エマだ。あの心細い闇の中で聞こえた声を聞き違えるはずがない。
 そのまま強い力で引き上げられて、冷たい河から息のできる世界へと引き摺り戻される。
 今までいたあの暗くて冷たい場所は、息ができなかったのだ。
「雨紅殿、気を確かに! 雨紅殿!」
『共鳴を試してみんしたけど、応答がありんせんで。精霊達やグリゼルダ様にもご協力頂いて、何とか引き上げられた次第でありんす。わっちらがわかりんすか』
 まだぼんやりと定まらない意識の中で、二人の顔と声を認識する。意識へ直接届く声はエマのものだが、鬼腕の怪力で引き上げてくれたのはグリゼルダのようだ。二人の姿越しに降り注ぐ月光も見えるが、度々黒い影で隠れてしまう。
 ここは、そうだ。黒い蔓で満ちた、『再現性さんさあら』だ。
「私は……戻ってこられたのですね……」
「河の中で、何を見んした」
「それは……まず、はづきさんにお伝えしたいのですがいいでしょうか。あれは恐らく、お二人の根本でもあると思うので……他人に知られたくない場合もあるかと思いまして」
 それを聞くと、エマはふむ、と頷いて上層を見上げる。
「わっちもはづきさんには聞いておきたいことがごぜーます。ご一緒いたしんしょう」
「道中の蔓は受け持とう」
 グリゼルダの護衛の申し出を受け、エマと雨紅は月光が明滅する上層を目指す。その場所が近付くにつれ、様々な音や光が交錯するのが見えてきた。
「くふふ、事態は最悪でごぜーますが。チャンドラ様に辻峰様にはづきさん……この結末はどこへ行き着こうとしているのか」
 ああ、楽しい――と。
 譲れない執着同士が衝突するこの戦いの行く末が興味深くて、自然と口角が吊り上がってしまうエマだった。


 『チャンドラ・ソーマ』が操る蔓は、彼から生じているものだけではない。『再現性さんさあら』を構成する蔓はその全てがヤマをこの地へ束縛する『ソーマの呪い』であり、『ソーマの呪い』は本来彼を主とするものだ。
 この『再現性さんさあら』にある限り、前後も、上下左右も、どこにも逃げ場はない。
「この蔓を手にして、いくつか思い出したことがあります。蔓の液を浴びすぎた住人が、中毒のような様子だったのを覚えておいでで?」
 戦いの最中、チャンドラが口にした言葉へ反応したのはメイメイだった。
「……覚えて、ます。平和だった商店街が、変わり果ててしまって」
 あまりにも突然で、悲しい景色だったのを覚えている。彼女の返事を聞くと、チャンドラは絡み合う蔓の上へ降り立って見下ろした。
「感情(つみ)あるものにとって、『ソーマ』とは文字通りの甘露なのです。アイさずにはいられない、アイされるためのもの。アイされるために『ソーマ』は形を取る……それが『ソーマの呪い』。この地にあるものは、逃れられる筈も無かったのです」
「たとえ、真実がそう、なのだとしても」
 隙あらば絡みつこうとする黒い蔓を、メイメイは神気閃光の光で照らし尽くす。
「わたしが出会ったチャンドラさまは、お優しい方です。このような事、望まれるとは思えません。『アイ』に雁字搦めにされている、のは。チャンドラさまご自身では、ないのですか」
 今、彼が自分で言ったのだ。「アイされるために形を取った『ソーマ』が『ソーマの呪い』だ」と。
 ならば今、蔓の形を取った『ソーマの呪い』を纏っている彼の姿はまさに「『アイ』によって身動きが取れなくなっている自分自身」とも言えるのではないか。力と記憶を取り戻した今、『チャンドラ・カトリ』は『チャンドラ・ソーマ』としてそうせねばならないから。
 ――チャンドラさまは、今。何をお思いですか。
 ハイテレパスでも直接本心を問いかけてみるが、しかし。メイメイに返ってくる意志は沈黙ばかりで、言葉の代わりに太い蔓が持ち上がり彼女を捉えようとするのを汰磨羈が脇から消し飛ばした。
「返す言葉を持たぬのは、図星か? あるいは、もはや言葉は意味をなさぬか。どちらにせよ温い攻めをするつもりはないがな」
「……時間が、無いのです」
 消し飛ばされた跡に再び蔓を生やしながらチャンドラが呟く。
「理由がわからずとも。我が真に何を望んでいようと。今すぐにでも、あの方をアイさなければ。それを阻むというのであれば、貴方がたも諸共に」
 焦ってはいるようだが、虚しいような。彼の言葉の節々に滲むのは苛烈な攻撃性よりも、強い悲しみと虚無だった。
 その様子に、ジョシュアが思わず口を開く。
「はづき様は、好きも嫌いも何も思わなかったのですよ。あなたはそんなはづき様を満たしたかったのですか。そうして繰り返しても、どちらも苦しいのではありませんか……」
「それは、あの方の口から?」
 チャンドラの問いを、ジョシュアは肯定する。事実、確かにヴァイタラニ河で聞いたからだ。『あの世界で感情を抱くことは罪だから』と。同時に、『チャンドラもそれをわかっていたはず』だとも。
「……どちらが先、だったのでしょうね。我がアイを得てしまったのと、あの方がアイを得てしまったのと」
 しばし記憶を辿る素振りを見せるものの、やがてそれも諦めたのか、彼が合掌のように手を合わせればその背で蔓達が曼荼羅のような伸び方を始めた。明らかに異様な光景に、イレギュラーズは警戒の体勢を取る。
「呪い、という名ではありますが。満ちていれば、苦しみが入る隙もありません……」
 やがて蔓が曼荼羅を完成させると、辺りの闇が白く書き換わる――より正確には、イレギュラーズ達の視界が『過去の思い出』へと書き換えられたのだった。


 視界が変わったのは、直接『チャンドラ・ソーマ』と対峙していた者達だけではない。
 薄闇に黒い蔓ばかりだったベルナルドの視界も、突如白で塗り潰された。
 視覚以外の情報は変わらないが、視覚の情報が強烈過ぎて体がうまく順応してくれない。
「……アネモネ」
 白が落ち着くと、見馴れた部屋に懐かしい人がいた。自分に幸せそうに笑いかけてくれる、白くて美しい愛しい人。決して有り得ない妄想ではなく、確かに実在した思い出の日々。今は手を伸ばしてももう届かない、とうとい日々。その尊さは今でも色褪せない――が。
(……戸惑うばかりの日々はとっくに卒業してらあ。久し振りにイイモン見せて貰ったよ)
「すまん、ちょっと視界をやられちまって足場も狙いもわからねぇ!」
「貴方もですか……こちらへどうぞ」
 ベルナルドに応援を頼まれると、冥夜がその手を引き太めの蔓の上へと導く。冥夜自身も兄の幻覚を見たところだったのだが、彼は式神を通して現実世界の知覚を得てどうにかやり過ごしたのだった。
 誇らしい兄との、幸せだった頃の日々。再会後の苦しい日々。そして最期を見せつけられながら。
(……俺は、過去を後悔はしていない。最後に兄上が、温もりに包まれて旅立ったのを見た。やり直すつもりは無い)
 上位式の『蓮』をはじめ、紙の式神にも警戒させているその蔓には、ヤマとヤマに連れ出された道雪もいた。道雪の怪我は流血こそ冥夜に癒やされたものの、傷口から伸びて成長する植物の『呪い』は根治に至らない。この場所ヘ来るまでに、弾正も自身に引き付けた上で大量の紫電を浴びせたがすぐに後から再生してしまった。道雪の愛刀の雷を継いだ、強力なものであったにも拘わらずだ。
 その弾正も今は、視界を奪われてしまっている。初恋の順慶と過ごした思い出や、弟の長頼との思い出。どちらも弾正を惜しみなく愛してくれた、今でも大切な、しかし既に亡き人々だ。
 この地域へ来てから、何度彼らの幻を見たことか。自分が彼らを思わないでいられる日は恐らく無いし、何度見ても見飽きるという事も無いが――。
「……そう、か。ようやく……思い出した」
「道雪、殿」
 視界は未だ戻らないが、絞り出すような道雪の声を弾正は聞き当てた。
 この目に未だ映っている順慶を殺し、自分すら騙してきた道雪の、苦しい声を。
 苦しいのにどこか、満ちた声を。
「この蔓から流れ込む、欲望。スパイという道具になる為、奪われてきたモノ。……傷が痛む度、満ちていく感覚だ」
 余程の痛みなのか、度々耐えきれず呻き声をあげる道雪。その彼に近付いたのはヤマだった。
「これは本来、チャンドラが吾(わたし)に刻むはずだった致死の呪い。全ての感情、全ての執着を注ぎ込んだ呪いだ。解き口を探し出さねば……しかし」
 その後も何かを探すように度々呟いていたヤマだが、声は重い。一方で、当の道雪は呻き声以外は穏やかですらある。
「そうか……傷から根を張る『これ』が、そんな呪いなら……抱え続けるのも、悪くはない。ここに、彼の全てが在る……ということだろう?」
「だが、これはお前に向けられた呪いではないのだ。お前に吾の肩代わりをさせる理由は無い。そのような犠牲を吾は望まない」
「嫉妬、……だと言ったら?」
「……何?」
 二人の話を聞く内に、弾正の視界が晴れてくる。そこに映ったのは道雪の傷口に触れていたヤマと、満ち足りた笑顔の道雪だった。道雪と付き合いの長い弾正でさえ、彼のそのような表情は見たことがなかった。上手い演技の笑顔ではなく、からかう時のものでもない、それを。
 チャンドラからの全ての感情を受け止めることに、安堵する。そのような道雪が彼に抱いていた欲望とは。
(道雪殿……まさか)
「はづき。君は……知らないだろう。報われない愛に笑顔で蓋をして、心を痛めていた彼を」
「何のことだ?」
 道雪の犠牲を望まないヤマへ、他ならぬ道雪から告げられた言葉にヤマは疑問を深めるばかりだった。
 その時、別の方向からヤマを呼ぶ声が届いた。
「はづきさん……ですね。実際に目にするのは初めてのお姿ですが」
「何やらお困りのご様子でありんすねえ」
 ヴァイタラニ河から戻ってきた雨紅とエマだ。二人をここまで護衛していたグリゼルダは、周囲の蔓を斬り払うべく既に飛び立ったという。
「ああ、戻ったか。ヴァイタラニに沈んだお前を案じていた。あの場所では何か見つかったか」
 ヤマが問うと、エマにも促された雨紅はまずヤマだけにハイテレパスを送った。
『そのことですが……あの景色は、チャンドラ様が貴方を殺めた時のものだと思います。今の貴方とよく似た姿をしていたので、恐らく……。他の仲間達にも伝えたいのですが、構いませんか』
 その問いに、少しの間があった後。ヤマの承諾を得た雨紅は、ヴァイタラニ河で見たとある『執着』の根源についてこの場にいる皆に話した。
自分が憎み、自分が慕い、自分が恐れ自分が慈しむ……全ての感情、つまり世界の罪を一人に纏めてしまえば、罪人は一人。『ソーマの呪い』が人を取り込み育つのは、それによる仕組みなのかもしれません」
 そして、その呪いの発端と言える感情も雨紅は見てきた。
「相手の方を、悲しみや苦しみから解放したかったのかと。あれが執着なら、『他の誰でもない自分が』と付くのでしょうが……相手の顔がよく見えないほど、泣き腫らしていました」
「……よくわかった、有難う。おかげで、吾の呪いは解き口が見えてきた」
「待ってください、はづきさん」
 すぐにでも行動を起こしそうな口振りだったヤマを、雨紅は咄嗟に引き留めた。
「あの根源の言葉はわかっても、相手の言葉は曖昧だったような……答えたかどうか、覚えていますか?」
「何も。吾がヤマとして限界だったのは、彼が嘆いていた通りの事実だ。見かねた彼が、吾を殺めた。その輪廻を、吾らは繰り返しているのだろう」
 それでは、彼の嘆きはただの一方通行だ。この呪いが解けるとしたら、今まで何もしてこなかったヤマが彼に何らかの答えを返す時ではないのか。
「はづきさん。呪詛返し、というものはご存知でごぜーますね?」
 話を聞いていたエマが問うと、ヤマは頷いて肯定する。
「読んで文字の如し、呪いを相手に返すもの。呪われた時、もしくは呪われそうな時に、その呪術を相手に返すというもの。人を呪わば穴二つ、とも言いんすね。
 今回の解呪とは、その呪詛返しにあたると思うのでありんすが……『ソーマの呪い』がチャンドラ様に返ることになりんせんか? その辺りの対策はおありで?」
 閉じられたままのエマの目が、真っ直ぐヤマを見る。
「かけた呪いが重ければ重いほど、返る呪いも重い……輪廻を越えて縛るほどの呪いが如何ほどのものかなど、考えるまでもない。そのまま返せば今度こそ、彼は完全に壊れてしまうだろう。或いは、吾を呪った時点で既に」
 ヤマの言葉は、エマの懸念する「呪詛返し」の弊害を否定していない。好悪全ての感情を注ぎ込むという呪い方がそもそも常軌を逸しているのだ。記憶を失っているという今のチャンドラの姿に既に呪いの代償が現れているのではないかとヤマは言う。
「チャンドラ殿の記憶が無いのは、俺ははづきさんの願いだと思っていたな……」
 意外なような、少し残念そうな声で反応したのは弾正だった。
「願い、とは」
「己を殺した罪を忘れて、明日を生きて欲しい……と。それほど、はづきさんは彼を大事に思っていたのだと」
 これまでに自身が喪ってきた人達と、彼らが自分に遺してきた思いから、この『はづきさん』ももしかしたらと弾正は感じていたのだ。
 だが、『はづきさん』を装わないヤマという存在は違った。
「……吾にそのような力は無い。だが、犯した罪は償うべきもの。ヤマとしての務めを果たしきれなかった吾はこの混沌世界に呪いで縛られ、吾を呪った彼は記憶と力を失った。その贖罪のために、吾はこの地で『はづきさん』として務めてきた」
 今度こそ、誰に殺されることも無く最後まで、ヤマとして。
 チャンドラに決して見つからぬよう、可能な限り元の形から偽った姿形で、この地で人の執着を公平に裁き続けていたかったのだという。
「結局、呪いの運命からは逃れきれなかったが。今度は呪いの解き目がわかった。呪いを呪いとして返すのでなく、元の『感情』の形に解いて戻す。これなら彼への呪詛返しは悪い物とはならないはずだ」
「それは、つまり……呪いとして注がれた感情を、本人に返す、ということで?」
 ヤマの提案を雨紅が確認すると、ヤマは頷いて肯定する。
 確かに呪いはそれで除けるかも知れないが、やはりヤマの立場は『一方的』なのだ。
「はづきさん。この混沌では感情は、愛は罪になりません。お二人が元の世界でできなかったことも、今ならできるかもしれないのですよ。一方的でなく、お互いに話し、お互いに聞いて欲しいのです」
「……話すことがない。善悪は既に定まっている。ならば、吾は――」
 どこか諦めも感じられるヤマの言葉が終わる前に、甲高い刃の音が響く。
 冬の雨の如く冷たく甘い、妄執の音。アーマデルの『冬夜の裔』が、蔓と共にヤマへ迫っていた短剣を弾いたのだ。
「『冬夜の裔』! ……チャンドラ殿」
「…………」
 『冬夜の裔』の元へ、アーマデルも駆け付け加勢する。蔓の上から見下ろすチャンドラに言葉はない。
 『話すことがない』沈黙だけが、場を支配していた。


 ――また、あの記憶だった。
 真っ暗で何も見えなくて、言われたことをできなかったから、この暗いだけの部屋へ独り閉じ込められた。
 頭では「また」と、これが視界だけの書き換えとわかっていても、記憶が蔓のように身体を雁字搦めにして動けなくなる。
 それどころではないとわかっているのに、どれほど「動け」と念じても動かない――。

「ジョセ。しっかりしなよ、ジョセ」
「……シエル、様」
 チャンドラがヤマへ短剣を仕向けるいくらか前。
 視界を書き換えられていたジョシュアは、シエル・ルーセントの声で僅かに身体の感覚を取り戻していた。
「僕がわかる? つまらないところからやっと抜けられたんでしょ」
「声は、わかるのですが。視界がまだ……今、どうなってますか」
「今はね……、っと。しばらく僕の手を離さないでくれよ!」
 シエルがジョシュアの手を強く握ると、急に走り出す。襲い来る蔓をラズライトの護りの魔法で防ぎながら時を稼いでいるのだ。
(執着っていうのはさ、わからなくもないよ)
 走りながら、シエル自身も少し前まで見ていた『過去』を思う。剣士が剣を預けたままの、いつかの相方の話。
 あの相方と別れてから森で長く眠っていたシエルが再び目を覚ました時、独りぼっちのジョシュアが視界に入った。
 その魂の色が、少しだけ。本当に少しだけ剣の相方を思い出せるものであったから、シエルは手を差し伸べた。
(理由は、たったそれだけだけど。だから、あげない)
 少しだけ知識を教えて、少しだけ知恵を与えて。寂しげな背中をからかったりもしてきた。
 大きくて重いものではないが、取り上げられたくないと思う程度にはシエルにも執着が芽生えていたのを感じている。
「そちらはもう目が覚めたのですね。では……」
 シエルの視界が戻っているのを確認したのか、チャンドラは蔓と共に移動しようとする。
 その行く先に飛来し、立ちはだかったのは汰磨羈だった。
「御主はそこまで、一刻の猶予も無く『はづきさん』を殺めたいのだな。ようくわかった。私達の視界を塞ぎ、その間にヤマの元へ向かおうとしたのだろうが……」
 妖刀に宿していた殲光を限界まで溜め込むと、そのまま大上段に振りかぶる。
「私達は『はづきさん』に頼まれてここにいる。成すべき務めを果たすまで、倒れてやるわけにはいかない……それがイレギュラーズだからな!」
「その務めを、果たさせてはいけないのです。この呪いを解かせてはいけない……例え貴方がたの敵となろうとも!」
 大小の蔓が螺旋を描いて汰磨羈へ襲いかかる。汰磨羈が殲光を解放するにはいま少し時間がかかり、蔓に捉えられるまでには間に合わない――その蔓を領域ごと照らし焼き払ったのは、メイメイの神気閃光だった。
「あの方が消えてしまっていい、なんて道理はありません。でも、だからって、駄目です。わたしは、チャンドラさまと、敵になりたくありません……! 他の皆さまも、手を尽くしてくださっているはず、ですから」
「死以外の一体何が、あの方を救うというのです。我が思い出せないアイの、何をご存知なのですか」
「わかりません。わたしは、かつてのあなたを、『はづきさん』を、詳しくは知りません……ですが」
 話しながら、ハイテレパスでもメイメイは伝えてみる。これが本当に、彼が心から望むことなのかと。
 どのような過去であれ大事な人を手にかけ、そのために仲間を敵に回すことが喜びなのかと。
『望みであろうと、なかろうと。喜びであろうと、なかろうと。これが、我の全てです』
「チャンドラさま……!」

「スペクルム・ナルケー!」
 その時、花の毒粉がチャンドラを包む。水仙花の毒で彼を縛ったのは、視界が回復したジョシュアだ。
「僕をアイするのなら毒に染まるという事。あまり動かないでください」
「へえ、一端に使うじゃないか」
 視界が戻るまで守ってくれていたシエルにからかわれても、今はチャンドラから目を離さない。それでも、彼が強く手を引いてくれていたことだけは覚えている。
「……さっきはありがとうございました、シエル様」
「迎えに来たついでだよ。ちゃんと無事に帰ろうじゃないか」
 微笑みかけるシエルに、ジョシュアの表情が僅かに緩む。
 妖刀を振りかぶったまま二人の様子を見守っていた汰磨羈には、そのやりとりの穏やかさが少しだけ、ほんの少しだけ――束の間見せられた、主と愛猫の関係が重ねられて。
「……さぁ、腹を決めて付き合って貰おうか!」
 ひと息に殲光砲を叩き付ける――!
「く、う……っ!」
 蔓での防御も貫通して浴びせられた光が、一帯の蔓ごとチャンドラを襲う。蔓の数を大きく減らされ、自身も満足に動けない状態では、汰磨羈達への反撃は儘ならない――が、しかし。
(……? 彼は動いていないのに、どこかで何か……――あ!)
 一瞬早く気付いたのは、ハイセンスで警戒していたジョシュアだった。彼の手にあったはずの短剣がどこにもないのだ。
「チャンドラ様、短剣はどこです!」
「……この場所の蔓は、今は全て我と同じ『ソーマ』です。我自身が動けずとも……」
 一掃された分を埋めるように、他の場所から蔓が集まってくる。あっという間に彼を覆い尽くすと、彼をどこかへ運んでいくようだった。
「まずい、『はづきさん』!」
 飛行する汰磨羈をはじめそれぞれに全速で移動するが、蔓の移動があまりに速い。
 その目標は危惧した通り、道雪と共に太い蔓の上にいた『はづきさん』で――。

 その短剣を弾き飛ばしたのは、妄執の刃だった。


 『アイ』とは何なのか、長らく理解できなかった。

 書き換えられた視界で見せられる景色を見ながら、アーマデルは今までを思い出していた。
 『縁』とは糸であり、それは互いが望む故に撚り合い、新たな『糸』として織り成される。そういうものだと今までは思っていたのだ。
 七翼の少年が妙にしつこいのも。夜告鳥の彼が自分にだけ奇抜な薬を処方するのも。
 師兄が複雑な目で自分を見るのも。
(……違う、のだろうな)
 望まず、望まれても。望んで、望まれなくても。『縁』の糸とは、抗いがたく絡んでしまう。
 どのような色でも、形でも。それはある種の愛で、憎しみで、繰り返されれば『執着』となる。
 そうせずにはいられない気持ちも、今のアーマデルは少しだけ理解したつもりだ。
(弾正と撚り合わせた糸が教えてくれた。俺と弾正とでは、色模様の違う糸だとしても……)

 ――その時、刃の音がして目が覚める。
 
「『冬夜の裔』! ……チャンドラ殿」
「…………」
 蔓の上から見下ろす彼は、見下ろすばかりで動かず声もあげない。よく見ればイレギュラーズ達に押し止められた痕と思しき負傷も複数ある。
 更に、少し遅れて彼を引き付けていたイレギュラーズ達も追い付いてくるのを見上げながらアーマデルは考えていた。
(孔雀は……毒蛇をも呑むという。俺が彼の内面に踏み込み難いのはその為だろうか)
 『チャンドラ・カトリ』は、水牛の角を戴き孔雀の尾羽を纏う派手な出で立ちだった。言葉を交わす機会は度々あったにも拘わらず、どことなく苦手意識を持っていたのはそんな本能的な理由だろうか――と。
『アーマデル。どうする』
「アーマデル!」
 『冬夜の裔』に応えようとした時、道雪の側にいた弾正がアーマデルを呼ぶ。
「道雪殿の蔓を完全に取り除くのは難しいらしい……だが、俺は音の力を信じている。だから歌おうと思う。誰も死なず明日を生きる為の歌を!」
「……いいと思う。それなら俺達は、何としてもここを守る」
『来るぞ』
 弾いた短剣がチャンドラの手元に戻るのを確認した『冬夜の裔』が、戦闘の構えをとる。アーマデルも蛇銃剣を構えて腰を落とし、相手の出方を見た。
 チャンドラは視界に捉えた『はづきさん』へ、静かに問うた。
「……名も呼べぬ貴方。貴方の名がわかりません。これだけ思い出しても、我にはわからないのです……」
「それを教えてしまっては、お前は全ての力を取り戻してしまう。呪いを解(ほど)くのも難しくなってしまうだろう」
「解かないでください。それは、解いてはいけないものです。恐らく、貴方のために」
「それではこの街のためにも、お前のためにもならない。吾はようやく得たこの巡り合わせを、失いたくないのだ」
 『はづきさん』の答えに、しばし言葉を失ったチャンドラ。
 しかし。
「……で、は。やはり。貴方が解く前に、我がアイするしかないのですね」
 辺りの大小の蔓が主に呼応して動き始めると、『はづきさん』の元に残る者以外のイレギュラーズは徹底して蔓を刈り、チャンドラを退け続けた。

 『はづきさん』――ヤマは、チャンドラの手が及ばぬ内にと解呪を始めようとしていた。
「吾の前に、お前の呪いを解いておきたい。吾が消えてからでは手も施せまい」
「はづきさん」
 再び道雪の傷に触れるヤマへ、雨紅が問う。
「相手を、愛するだけでなく。相手の愛を受け取ることも、愛ではないのですか?」
「いかにも。だが、吾はあらゆる感情に中立でなければならない」
 愛情だけでなくあらゆる感情を向けることも、向けられることも許されぬ身だとヤマは言う。
 この世界で感情は罪でないと再度告げても、それ以外の生き方はできない、と。
「……はづきさんは、消えたいのですか?」
 それは善悪でも、罪罰でもなく、意志の問題。返らぬ答えに、雨紅は更に続けた。
「はづきさんは、チャンドラ様も住人の皆様も気遣っているのに、その中に自身を入れていない。呪いが解けて消えても仕方ないとは、私は思えません。……それでも、このまま消えたいのなら。それを止めることはできません」
 けれど、もし――僅かでも、永らえたいという意志があるのなら。
「たとえば、でごぜーますけど」
 ひょこりと口を挟んだエマが手にしたのは、アクリルキーホルダーの身代わり人形。
「こんなものでも依代になるなら、憑依することはできないでごぜーます?」
「……お前達は、何故そこまで吾の生存を望む。永らえさせたところで、吾はお前達の害にも、益にもなり得ない。むしろ消えた方が、今後の禍根も失われると……」
 あくまで、他人にとっての損益や善悪でしか語れないヤマ。しかし、エマはそれでもにんまりと笑った。
「なに、少なくともローレットはお人好しが多いのでござりんす。わっちも、貴女の行く末をもう少し見てみたい」
 できうる限りの準備はした。あとは選択を待つのみ。
 生き存え、また新たな生を送るか。
 このまま消え去り、記憶の中に埋もれるか。
「……願いとは、口にした時点で呪いとなる。口にした者にとっては、叶えたい欲望となって。向けられた者にとっては、執着となって」
「束縛ではなく、存在を支えるものになる……そのように受け取ってはもらえませんか」
 遠くの蔓を見上げて呟いたヤマに、雨紅は提案してみる。
「その意味で捉えるなら、この『ソーマの呪い』も正しく吾を支えるものである事になるか」
「少しばかり困った規模でありんすがねえ」
 エマがくすりと笑うのを見て、ヤマは改めて目の前の呪いに、自身の『意志』に向き合った。


『遥か彼方 目指して走れ
 伸ばしたその手は 月に届くさ
 例え今 この世界が終わろうとしていても
 必ず君を抱きしめるだろう
 空っぽの君を愛で満たし
 始まりの朝へ 共に』

 弾正の歌が魂の叫びとなって響き渡る中。
「まだ先は長いぞ!」
 ベルナルドがワールドエンド・ルナティックで蔓を同士討ちさせる傍ら、冥夜は黒い雨を降らせると雨粒が金色へ変化するのに合わせてまとめて蔓を焼き払っていく。
「『冬夜の裔』、英霊残響合わせられるか」
『指示はそれくらい具体的に頼む』
 アーマデルは『冬夜の裔』とタイミングを合わせると、蔓を跳び移り『怨嗟』と『妄執』の英霊残響を同時に見舞った。
 多様な不調を一度に浴びせられると、チャンドラは残った蔓と共に大きく後退した。
「いいえ……いいえ、我は……何をしてでも……!」
 減った蔓が他から自発的に集まってくる。自身からも表出させようとさせていたが、重ねられた不調を回復できずにその場に蹲るのみだった。
「まだ近付かせる訳にはいかんようなのでな」
「今度は動かないでもらいますよ!」
 一番近くまで近寄っていた蔓をグリゼルダのスーパーノヴァが破壊し、ジョシュアのワイズシュートがチャンドラの本体を狙う。先ほどの同じ轍を踏まないため、周囲に不審な動きをする蔓がないかジョシュアは人一倍警戒していた。
(短剣は……チャンドラ様の手にある。蔓は今のところ対応できてます、よね)
「攻め手も増えて、御主も相当に傷を貰ったと思うが……どうだ」
 妖刀の切っ先に殲光を生み膨らませながら、汰磨羈が問う。返答が何であれ、『はづきさん』が未だ務めを果たせていないならこの刃を振るうしかないのだが。
「…………」
「……そうだな。この程度で諦めるくらいなら、御主もこのような呪いは行わなかっただろう。私も情けは無用とする」
 その意志の強さを認めた上で、汰磨羈の殲光は膨張を続けていく。

「……チャンドラ!!」

 動けないチャンドラへ声を張り上げて呼びかけたのは、呪いに蝕まれずっと横たわっていた道雪だった。彼は今立ち上がり、傷口から蔓に根を張られているとは思えない強い声をしていた。
「チャンドラ。君は殺意を最も強いアイだと言った。命の終わりまで相手をアイし尽くすことだと。
 だが……君の性質が如何に殺意を愛だと捉えても。君自身は、はづきを……愛する人を、殺したくはない筈だ」
「貴方に、何がわかるというのですか……。一時共犯となっただけの貴方に、我の何が」
「この呪いは、君の感情の全てなんだろう。俺に向けられたものではなくても、いくらかは感じられた。全くの出鱈目、ではないと思っているが」
 傷口の蔓に触れながら話す道雪にチャンドラが言葉を返せないでいると、道雪は蔓に触れていた手を握り締めて続ける。
「報われない愛に心を痛め続ける君を、俺は巡る運命から解き放つ。例え世界の全てを敵に回してもだ!」
 それは、世界を敵に回すなどという大それた、愛の告白にも似た宣言。
 些かも恥じらうことなく告げられたそれに初めは弾正も驚いたが、やがてその言葉と声は心の内に染み渡り彼へ新たな決意をもたらす。
(順慶……長頼……。どうか、今はそちらへ行くのを待っていてくれ。俺はこの世界で、仲間達と共に歩みたい。たとえ輪廻を断ち切ろうと! 生きる事を諦めない!)
「世界の全てを敵に回しても、か。エゴまみれでいいじゃねぇか」
 ベルナルドもその宣言に口角を上げて同意する。彼自身、愛する一人の女の為ならば祖国を敵に回しても構わないと考えている男だからだ。
 そして、当のチャンドラ本人はと言えば――小さく震えて笑っていた。
「何、ですか。貴方がそこまでする理由は何です? この期に及んで我の何が、貴方を世界の敵に駆り立てるのです」

「……愛してる。君を愛してるんだ、チャンドラ・カトリ……――」

 そこまで言い終えて、道雪は膝から頽れる。弾正と『はづきさん』が彼を支えるのを、チャンドラは不思議そうな、唖然としたような様子で見送るばかりで。
「チャンドラさま」
 蔓を伝って、チャンドラの背から一歩ずつ歩み寄ったメイメイが呼ぶ。
 彼が振り返ると、メイメイの胸で組まれていた手から大小の白い花が溺れ落ちて開花していく。
 零れ落ちる光はPandora Party Project――少女の可能性の光だ。
 目映く光を放つ雪花は小さなメイメイを瞬く間に包み込み、大切な人を命をかけて守るための一時の変容をもたらす。少女より成長した、大人の女神の姿――『開花』した本来の彼女だ。
「これは、わたしから、チャンドラさまへの『アイ』です」
 短剣が握られたチャンドラの手を取ると、払い落とすように短剣を手放させる。更に蔓を生じている肌にも触れ、丁寧に払い落としていく。
「メイメイ。貴女は」
「チャンドラ・ソーマでなくても、いいじゃないです、か。からっぽの器のままでも、そこに収まるモノだって、きっとあります。わたしは……お優しいチャンドラ・カトリさまに、戻ってほしい、です」
 最後に、払い落とした短剣の代わりに手を置く。


 もしかしたらこのまま、思い出さない方が幸せなのかも知れないけれど。
「……『ヤマ』さま、ですよ。お名前」
「…………。…………!!」
 ハイテレパスで意思を訊ねる度、特にヤマに直接刃を向けてからは、その名がわからない苦しみを痛いほど嘆いているのが伝わっていた。これ以上黙っているのは、メイメイ自身があまりにも辛くて。単純に、大切な人の名を呼べないのも悲しいとも思ったから。彼女は、ついにその名を教えてしまった。
「これで、お名前。呼べます、……ね」
 ふわりと笑むと、花が落ちるようにメイメイもその場に倒れてしまった。変容は解け、蔓の上に倒れたのはいつもの小さな少女だった。
「……メイメイ。メイメイ!!」
 倒れた彼女をすぐさまチャンドラが助け起こす。その命が尽きていないことを確認してひと息吐くと、対峙していた汰磨羈が膨張させていた殲光を収め妖刀を仕舞った。
「メイメイの思いが通じたか。御主、元に戻っているぞ」
「元に、とは……?」
「黒い蔓ではなく、孔雀の羽が生えたチャンドラ殿だな」
 アーマデルにも指摘されると、チャンドラはようやく自身の『ソーマ』が失われたことに気付いた。
 しかし、チャンドラから『ソーマ』が失われてもこの地域の蔓が消える様子はない。『ソーマの呪い』は、残り続けているのだ。
「メイメイ様のPPPでも、解けなかった……!?」
「いいえ。『解けるように』はしてくださいましたよ」
 ジョシュアの懸念を打ち消すようにチャンドラが首を振ると、彼はメイメイを安定した場所ヘ寝かせ歩いて行く。
 行く先は、道雪と彼を支えている弾正、そして。
「……ヤマ、様」
 チャンドラは混沌に召喚されてから初めて、『はづきさん』をその名で呼んだ。
 彼の手に刃はない。チャンドラがヤマを殺めることは、もうない。
「今際の際以外に、お前の声で呼ばれる日が来ようとは」
「よかった、チャンドラ殿! ……道雪殿の解呪は可能か、はづきさん」
 弾正の問いに、ヤマはしばらく傷と蔓に触れる。やがて頭上から薄明かりが射し込むと、辺りの蔓が光を避けるように収まっていった。
 ヤマの月光の力が盛り返したのだ。
「先程までは、呪いの解き口……執着の接点が吾にはわからなかった。何故、これほど強く根を張るのかも。だが、それも今は明らかだ。あれほど鮮明に愛を語られては吾でもわかるというもの」
 月光が降り注げば、道雪の肉体全体へ伸びていた蔓は隠れるようにその丈を縮めていく。その蔓が傷口へ隠れてしまう前にヤマの所持していた索で絡め取ると、根ごと傷口から取り除くことができた。
「意識はその内に戻る。彼が犠牲にならなくて吾も安堵した」
「ああ、感謝する。はづきさんも無事で……これで全員生き残って……」
「いや……吾は、わからないな」
 道雪に代わって弾正が礼を言いかけた時、ヤマはエマと雨紅を見た。
「消えたいのか、生き存えたいのか。選べと言っていたな」
「強制はいたしんせんよ」
「あなたの意志で選んで欲しいです」

 二人の答えに頷き、ヤマが見出した意志は――。


 ――数週間後。

 ここは『再現性京都』。今は工事中の区画が多い街だ。
 一足先に工事が終わった場所は近代的なビルであったり、ショッピングモールであったり、一昔前を彷彿とさせる商店街であったりと様々だが、その商店街の一角にこの復興で新たに建てられた表札がある。
 個人の戸建てにしては妙に表札からの距離がある路地を進んでいくと、やがて少し開けた土地へ出る。そこにあるのは――。

「なあなあ、ここ絶対『はづきさん』やったって!」
「なんか祠あったやんなぁ! 古いやつ!」
 探検でもしていたのか、二人組の子供達が文句を垂れながら『祠』を探すが見当たらない。
「なあ……神社って潰れるんかなぁ……」
「タタリとか嫌やなぁ……俺ちょっと親に教えてくる!」
「ぼくも!」
 慌ただしくやってきた子供達が、慌ただしく帰っていく。表からも完全に出ていったのを確認して、近くの電柱に隠れていた狐面が姿を現した。
『子供て恐ろしいなぁ……信仰も呪いなんえ?』
「『存在を支えるもの』でなくて、ですか?」
 続いて姿を現したのは、長い黒髪の女――の顔をした男。
 『はづきさん』と、それを手伝うようになったチャンドラだ。
『うちは神でも何でもない、ただの旅人やねんけどなぁ。前もあないな感じで、いつの間にかお社建っとったんよ』
「ある意味『ご神木』だったでしょうしね、あの呪いも」
 困ったような狐面の『はづきさん』に、チャンドラはくすくすと笑う。
「そもそもヤマ様、そのお姿でいらっしゃることが問題なのでは? 我から隠れるためのお姿だったのなら元のお姿でも」
『ヤマやのうて『はづきさん』な』
 『はづきさん』はあの『再現性さんさあら』の一件以来、冠を戴く姿は現していない。呼び名も狐面でいる間は『はづきさん』とすることを求めているらしい。チャンドラは度々ヤマと呼んでしまうようだが。
『この街では『こっち』の方が都合がええんよ。慣れてもうた、とも言うけど』
「ヤマ様でいらっしゃる時よりお元気そうなのは、複雑な思いが致しますが……しかし」
 ひらり、舞い降りた一枚の葉。辺りに紅葉は無いにも拘わらず落ちてきた紅葉の若葉のようなそれを、『はづきさん』は以前と同じように拾いに行く。
「『それ』は、結局止めては頂けないのですか」
 この葉はただの葉ではない。『はづきさん』の能力によりこの形を取っている、人間の思い出だ。
 そうしてあまりにも多くの思い出と感情――執着(どく)に触れ続けて耐えられなくなったのを、今のチャンドラは明確に思い出している。
『ここは『さんさあら』やなくて、うちもほんまはこれを見る必要はあらへんのやけど。やっぱ、可哀想やんか。誰にも拾われへん執着は』
「……貴方様のそういうところ。本当は今も殺してでもお止めしたいことは、どうかご理解くださいね」
『殺されても呪われても直らんかったからなぁ。どうでもあかんかったら、今度は壊してくれてええよ。それ』
 チャンドラに顎で指し示したのは、ひとつのアクリルキーホルダー。
 今ここにいる『はづきさん』の本体とも言える、依代だった。

 『はづきさん』――ヤマの魂に刻まれていた『ソーマの呪い』。実体化したそれらは巨大な蔓の群生となり、その上から人工の街のテクスチャを張っていたのがかつての『再現性京都』の正体だった。
 しかし、その『ソーマの呪い』は根源となる感情に解(ほど)かれ、還元された。巨大な蔓は全て消え失せ、テクスチャの土台となっていた構造物は失われた。強力な呪いによって土地に縛られていたヤマ自身も存在が非常に希薄になってしまったが、完全に消えることは無かったのだ。
 数々の執着と奇跡を目にする中で生まれた、小さな意志によって。

『……もう少しだけ、生きていたいんだ』
「少しでいいなら、明日にでも殺しますが?」
『ひとまず、この街が復興するまでは猶予をくれないか』

 土台を失った街は今、住人達の手で工事が行われている。これから完成していくのは『再現性さんさあら』の上書きではなく、正真正銘の『再現性京都』という街だ。もし何らかの怪奇が起きたとしても、そこに『さんさあら』の力が関与することはない。
 これからまた始まる街の歴史を一日でも長く、できればずっと見守り続けられたら――かつてこの街が始まる基点となった一人の旅人は、商店街を疎らに行き交う人々を見つめていた。

成否

大成功

MVP

メイメイ・ルー(p3p004460)
祈りの守護者

状態異常

グリゼルダ=ロッジェロ(p3p009285)[重傷]
心に寄り添う

あとがき

大変長らくお待たせしてしまい、ご迷惑をお掛け致しました。
お陰様をもちまして<さんさあら>全3話完結となります。

『ソーマの呪い』が解かれた結果、以下の変化が発生しました。
・呪いによって生じていた『再現性さんさあら』は消滅。
・『再現性さんさあら』を土台にしていた『再現性京都』は壊滅状態になったものの、人々は無事。残留している住人による復興工事の最中。
・『はづきさん』ことヤマは一時非常に希薄な存在になったものの、イレギュラーズに与えられた依代と執着によって存在が固定されている。
・辻峰道雪に根を張っていた呪いも解かれた。

考えられる限りの、最善の結果を迎えられたのではないかと思います。
皆様のあらゆるアイに支えて頂いたお陰です。
称号は、お優しいあなたに。
ご参加ありがとうございました。

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