シナリオ詳細
<月眩ターリク>月夜のワルツ<くれなゐに恋う>
オープニング
●
お嬢様が失踪した。
アラーイスさんの店から帰宅したアタシは、姉の姿が無いことに驚いた。祖父はすぐに人を使って捜索を始め、アタシは家を飛び出してひとりで夜のネフェルストを探し回った。
まろびそうだった。でも駆けた。転ぶ寸前で足を前に出して、一歩でも前へ。
――どうして。
普段一緒に行く場所にも、お嬢様はない。
普段行かないような場所にも、お嬢様はいない。
日が傾くよりもずっと前に返ったはずなのに、どうして。どうして家にいないの。寄りたいところがあったのかな。言ってくれればいいのに。めいっぱい頼ってほしいのに。家出――ってことはきっと無いよね。それをする理由がない。アタシのことが嫌いなら、アタシに出て行けって言えば済む話だもの。
だから、違う。
――どうしてだろう。
店じまいしたばかりのアラーイス商会の戸を叩いた。
どん、どん。力加減なんて考えられない手は、すぐに赤く染まった。
どん、どん。赤い跡が扉についてしまうことにも気が配れない。
此処に居てほしい。ただそれだけが願いだった。
奥から人の気配がして、従業員の人が来てくれた。アラーイスさんも騒ぎを聞きつけて来てくれた。お嬢様はあれからアラーイスさんの店には戻っていないこと、そしてアラーイスさんも探してくれると言ってくれた。
アラーイスさんに感謝を伝え、アタシは夜のネフェルストをまた駆けた。
けれどもその日、お嬢様が見つかることはなかった。
――どうして、ひとりにしちゃったんだろう。
●
「それでね、こわかったところをたすけてもらったの」
――あああアアアアアああアアア……。
祭壇の端に腰掛けたモモは、足をパタパタと動かした。
「ひいさまはすばらしい人。だからこれもすばらしいことなの」
歌うようにモモは口にして、赤い瞳で祭祀場をぐるりと見る。
沢山の『できそこないたち』と沢山の吸血鬼が遠くに見える。皆『祭祀』を行ったり『防護魔法』を維持したりと忙しそうだ。
モモの側にも『できそこないたち』は居る。お友達は同じ年くらいの子がいいからと、『博士』から同じ年頃の子たちを貰った。シカさん、ライオンさん、オオカミさん。みんな素敵でとっても可愛い。
「おねえちゃん、きいてる?」
――あああアアアアアああアアア……。
きっと『聞いているよ』のお返事だ。モモはちょっぴり嬉しくなる。
「ここでサイシっていうのをすると、みんなもっとひいさまのことが好きになるんだって」
モモは身体に『花が咲いた』日のことを思い出す。段々と『女王』への愛が深まっていく日々は、毎日が愛おしかった。愛おしくて愛おしくて、水晶の涙を幾つもポロポロと零したものだ。
ゆっくりと時間を掛けて身も心も女王のものになるのだが、この祭祀が成功するとその時間が早まるのだそうだ。
「だからモモね、かんがええたの」
祭祀場と同じ名を持つ人を『贄』にすれば、祭祀の成果もあがるんじゃないかって。
――あああアアアアアああアアア……。
「しんぱいしているの?」
傍らの『人間だったもの』のうめき声に、赤い目をぱちくり。
けれど心配させないように、モモはすぐに大丈夫だよと笑ってあげる。ひいさまと一緒でモモは優しいんだよ、えっへん!
「シャファクおねえちゃん、やさしいから来てくれるよ」
ひとりじゃなくなるよ。みんな、仲良しだもん。
ね、大丈夫でしょ?
●
ローレットのラサ支部の隅にシャファクは居た。
フラン・ヴィラネル(p3p006816)はアラーイス・アル・ニールとシャファクを挟むように寄り添い、凍えそうな程に身体が冷えているシャファクに熱を分け与えている。――少しだけ『認めたくない衝動』が湧くものの、泣いている友だちのためだ、それでも離れようだなんて思わない。
香水店を訪った日から――シャムスが居なくなってから、数日。翌日にはローレットへと捜索依頼を出し、それから毎日、シャファクは何か情報は来ていないかとローレットへと足を運ぶか、街中を駆け回っている。
(――畜生が)
チッと小さく舌打ちが溢れる。アルヴァ=ラドスラフ(p3p007360)は背を壁に預けて腕を組み、気付かわしげに萎れた花のようになっているシャファクを見ていた。気にかけようと決めていたのに、と思ってしまうのは仕方がない。
だからこそアルヴァは非番を終えて幻想王国の館へと戻ろうと思っていたが、こうしてラサに残っていた。
アルヴァの気掛かりは、もうひとつ。
「咲耶さん、体調は大丈夫?」
「いやなに、忝ない」
如月=紅牙=咲耶(p3p006128)があの日、香水店から離れた人気のない路地裏で、貧血で倒れていた。項には花の痕――『烙印』があり、そして目を覚ました彼女からの報告で『吸血鬼』モモに遭遇したことが知らされたのだ。
ラサは今、危険だ。イレギュラーズとて無事ではすまない。烙印が付与されてしまった者は今、どれほど居るのだろうか――。
一般人であるシャファクには今まで知らされてはいなかったが、吸血鬼と呼ばれる存在が実在していることを教え、彼女が街を駆け回る際は咲耶とフランの両名がついていくようにしていた。
「……こんな時に、ごめんね」
ラサに足止めを食らったのはアルヴァだけではない。香水屋にウキウキ引き寄せられた劉・雨泽(p3n000218)が必然的にシャファクの依頼を受け持つことになり、そうして今ラサに残っている。
そして彼が謝るのは、新しい任務でイレギュラーズたちが動かねばならないからだ。
「ううん、大丈夫です」
この数日、気を抜けばすぐに涙が溢れてしまうシャファクが顔を上げ、涙を手で拭う。拭いすぎたその頬は、ずっと擦り切れて真っ赤だ。フランはそんなシャファクの顔に濡らしたハンカチを押し付ける。まるで、一年前の自分を見ているようだった。
ありがとうと口にして、シャファクが無理をして笑う。無理をしなくていいと言ってあげたい。けれどそう言ったって無理をすることは解っている。だって自分もそうだったから。
「祭祀の阻止をしてほしいんだ」
雨泽が告げるのは、『吸血鬼たちが祭祀場で祭祀を行っている』という話だった。
「それは烙印の進行度を早めるものなのだそうだよ」
進行すると、どうなるのか。
既に複数名に現れている新たな効果としては、激しくなる吸血衝動に『水晶化』と『女王への崇拝』だろう。これは大体20日を過ぎた頃の者に生じているから広く見られるようになる頃だ。
「それは……何とも悪趣味な」
思わず項に手を当てた咲耶が渋い声を出した。
もっと経てば――と、悪い想像は容易くつく。
「祭祀場は『アル=アラク』と呼ばれているそうだよ」
「ある、あらく――」
シャファクが呟き、イレギュラーズたちの視線が彼女へ集う。
居なくなったシャムスは、シャムス・アル・アラク。
彼女の実家のアル・アラク商会はラサでも大商会の部類に入り、名も通っている。
偶然、と楽観視出来る者は此処には居ない。きっと狙われていたのだろう。ずっと、知らないうちに。
「アタシも、連れて行って」
「シャファクさん?」
フランに寄り添われていたシャファクが立ち上がった。
危ないよ、危険すぎるよ。その気持ちを籠めてフランはシャファクの手を引くが、言葉にまでは出来ない。
――きっと、止められない。止めちゃ、いけないんだ。
「アタシ、行かないといけない気がするんです」
お嬢様が……ううん。お姉ちゃんが、呼んでいる気がする――。
- <月眩ターリク>月夜のワルツ<くれなゐに恋う>完了
- GM名壱花
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年05月02日 22時06分
- 参加人数10/10人
- 相談6日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
(サポートPC10人)参加者一覧(10人)
リプレイ
● أُخْت
願いが叶う宝石。
それを祭壇へ祈りを捧げながら飲み込めば良いのだと教わった。
『最初の願い』を、シャムスは思い出す。
あの子――妹とともに、草原を駆けたかった。手を繋いで駆けて、一緒に同じ景色を見て、夕日を望んで、今日は楽しかったね明日は何をしようって微笑みあいながら眠りにつきたかった。年頃の姉妹たちが当たり前に甘受している日常を、沢山のことを『双子の姉妹』として過ごしたかった。ただ、それだけだった。
――どうして私の身体は弱いのだろう。
それはシャムスが悪いわけではないと祖父は言っていた。妹や両親と『別れた』赤子の時、助けが来るまでの何日もの間に衰弱しきっていたせいだ。
『早くに助けに行けず、すまない。けれどお前だけでも無事でいてくれてよかった』
祖父はそう言ってよく涙を零し、シャムスを愛情深く育ててくれた。だからそれでよかったのだ。
あの日、出産のために都を離れていた両親が祖父へと赤子を見せようとし、道中で盗賊たちに襲われて喪われたはずの妹。彼女に会えたのは本当に奇跡としか言いようがない。
――これで願いが叶う。
宝石を手に入れて、シャムスは喜んだ。
けれど帰りしな、怖い話を聞いてしまったのだ。
――祭祀場『アル=アラク』で……
――アルアラクの子は『うってつけ』では……
――血で魔法陣を……
(何をしようとしているの?)
シャムスは息を呑んだ。手の中の宝石が、途端に恐ろしい物に思えた。
何の企てがあるのかは解らない。けれど、その何かに巻き込まれんとしていることは解った。力のない自分では、身体も強くない自分では、何も抗えない。
されど出来ることはあるはずだ。
(生贄が必要なら、私を。血が必要なら、私のを)
この宝石を返せば、妹が犠牲になるはずだ。だから、何も知らない振りをしなくてはならない。
そうして、シャムスの願いは変わった。妹のために。
祭祀場の周囲にはたくさんの『人ではない』ものが居て怖い声が聞こえているけれど、シャムスには迷いは無かった。
(あの子を守れるのは私だけ)
宝石を――紅血晶を飲み込んだ。
――しかし、シャムスは知らなかった。身体が崩れるなんて、意思も奪われるだなんて。……これではシャファクを守れない。
身体が焼けるように熱く、変じていく。喉からは悲鳴とも呼べない絶叫が溢れ、痛みに溢れる涙は何故だか硬質な音を立てて地面へと落ちた。赤い瞳の少女がくすくすと愉しげに笑う声がどこか遠い。
――ああ、シャファク、シャファク!
私を探そうとしないで。どうか、ここには来ないで!
離れた地に居る声無き姉の声は、妹に届かなかった――。
●طنجرة ولقت غطاها
常夜の世界、月の王国。
どこまでも広がる砂漠に浮かぶ月は、どこに居ても大きく映える。
どこから見ても変わらなくて、それはまるで――
(まるで、偽物みたい)
シャファクと手を繋いでいる『ノームの愛娘』フラン・ヴィラネル(p3p006816)は、離れないように、大丈夫だよと気持ちを伝えるように、手にぎゅっと力を籠めた。焦っているシャファクは振り返らない。けれど応えるように彼女の手にも力が籠められる。
(……うん、大丈夫)
ひとりで駆け回れるほどこの場が安全ではないことを、シャファクも理解していた。
月の王国内にある祭祀場は本物の『アル=アラク』を模した偽物だ。わざわざそんな偽物を作ってまで吸血鬼は祭祀を行わんとしており、見える範囲にも何人もの吸血鬼や彼等に従う者等が確認できているた。祭祀場中央の水晶付近には殊更多く、妨害されぬよう警戒に当たっているようだ。
そんな中を、吸血鬼たちに見つかるのを避け、目当ての人物をシャファクたちは探している。
(屹度居るのでござろうな)
無意識に『夜砕き』如月=紅牙=咲耶(p3p006128)の手が首筋へと伸びる。つい先日、咲耶は吸血鬼(ヴァンピーア)に襲われたばかりだ。状況から考えて咲耶を襲った吸血鬼『モモ』が関わっている確率が高い。
モモから烙印を付与されたフランと咲耶にとって、彼女はその内『親』となる予感があった。烙印がチリと熱を持ち、あの少女がこっちだよと知らせているように感じられた。
再会は、きっと近い。
しかし再会は、最悪の形で訪れる。
「あ!」
場違いに明るい声が響いた。
「来た来た! こっちこっち! こっちだよ!」
小さな少女が明るい笑顔とともにイレギュラーズたちへと大きく手を振っている。モモだ。道中の吸血鬼やそれ以外の者等がイレギュラーズたちに気付くも、彼等はモモの『お客』だと、手を出しては来ない。
「その節はどーも、ってやつだよね!」
近寄って、まずはご挨拶。一応ね、大人の礼儀ってやつ。
モモは嬉しそうに笑って「あいたかったよ」と伝えてきた。
「それで?」
ずっと怒りの縁にありながらも、『航空猟兵』アルヴァ=ラドスラフ(p3p007360)が問いかける。正直モモの顔も見たくは無いが、情報を持っていそうな存在なのだから仕方がないという気持ちを隠しもせずに。
モモの周囲にはキメラのような子どもが3体。こちらは偽命体(ムーンチャイルド)なのだろう。そう冷静に判断するのは、『ウィザード』マルク・シリング(p3p001309)。シャファクのお嬢様――シャムス・アル・アラクは彼女と双子だと事前に聞いているから、改造されていないことに少しホッとする。
(……しかし)
視線を横にずらす。
モモの傍らにはもうひとつ――血色の、まるで溶けて崩れた人の肌のような『元人間』のようなものがある。嫌な予感に、イレギュラーズたちの心臓がドクドクと跳ねていた。
(――でも、これはきっと)
悪い予感というものは、当たるもの。『レジーナ・カームバンクル』善と悪を敷く 天鍵の 女王(p3p000665)は静かに双眸を細め、会話を見守った。
「……お嬢様はどこ?」
シャファクが声を震わせながら問う。
「おじょうさま?」
「アタシの……お姉ちゃん」
「ああ、シャムスおねえちゃん!」
「そう。お姉ちゃんはどこ!」
フランの手をギュッと握って、シャファクが声を荒らげる。
モモは――不思議そうな表情をしていた。
「目の前にいるよ?」
「目の、前……?」
モモの傍らには三体の偽命体と『人のなりそこない』みたいな存在しかいない。
――矢張り。
その場に居た殆どのイレギュラーズは、同じ気持ちを抱いた。
――矢張り、あれが。
きっと、理解出来ていないのはシャファクだけだろう。
――矢張り、あれがシャムスの変わり果てた姿なのか。
(……姉か。あの、生き物とも呼べないものが)
ギリと音が鳴りそうな程強く、『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)は拳を握った。そうして己を戒めていなければ、今にもモモに飛びかかりそうだった。
人のなりそこないのようなもの。生き物とも呼べない人だったモノ――それが、紅血晶が齎す最悪の状態『晶人』。そうなってしまっては二度と『人』には戻れない。命だけは繋がれて、生きている間中苦しみ続けるのだ。
風牙はかつて失った妹と、愛する姉妹たちを思い出しながらシャファクを見た。シャファクは困惑した表情で「どういうこと?」「お姉ちゃんいないじゃない」と呟いている。
イレギュラーズたちはこの娘に目の前にある事実を教えねばならない。
(何故、どうしてこんなことになってしまった?)
銀の瞳が、現実を映して見開かれていた。
(俺が、俺が何にも気付いてやれなかったから?)
アルヴァは、全ての責が己にあるように思えてならなかった。出来たことはもっとあったはずだと、シャムスが消息を絶ってからずっと思い続けている。
(俺のせいで、こんな小さな少女にあんな辛い真似を……?)
魔種になった姉の命を奪った日のことを思い出す。深い絶望と、喪われる熱と、温かなぬめり。あんなものは誰にも味わわせたくはない。
「全く趣味が悪い」
変わり果てた肉親を眼前に突きつけるだなんて、悪趣味以外の何と言えようか。数多の苦楽を見てきた老兵であろうと、そう思う。『老兵の咆哮』バクルド・アルティア・ホルスウィング(p3p001219)は不機嫌さを隠さず吐き捨てた。
「あーあ、もったいねえことしやがる。『こうなる前』のツラは拝んじゃいねェが、あと10年もすりゃあ、おれさま好みのイイオンナになっただろうによ――」
好き勝手に生きる山賊のほうがもっと人間味がある。『山賊』グドルフ・ボイデル(p3p000694)が肩を竦めれば、「どういうこと」とシャファクがグドルフを見た。
「言葉のままだ。あのガキの言葉通り、アレが嬢ちゃんの姉ちゃんだ」
「皆、何を言って……ねえ、フラン。フラン、違うよね。お姉ちゃんじゃないよね。ねえ」
だってお姉ちゃんは、アタシと同じ髪と肌を持っている。
だってお姉ちゃんは、アタシを見るといつも微笑んで声を掛けてくれる。
あんな、あんな、あんな――あんなドロドロした姿のひとじゃない。
シャファクの息が、ハッハッと小刻みに荒い。上手く空気を吸えていないだろう背を、寄り添うようにハンナ・シャロン(p3p007137)が撫ぜた。
唐突に崖っぷちへ立たされたこの少女に、何と声をかければいいのだろう――。
「ねえ、フラン。ハンナ。違うって言って」
懇願だった。震える声が、心から否定の言葉を望んでいる。
嘘でもいいから、今は『違う』という言葉が聞きたくてたまらない。そんな、切実な声だった。
「シャファクさん……」
「あれは、君の姉ですよ」
言葉を詰まらせるフランの代わりに、『刹那一願』観音打 至東(p3p008495)が答えた。
「嘘……」
「嘘ではありません」
「嘘! 信じない!」
「……信じなくとも、あれはもう助かりませんよ」
静かに紡ぐ至東を見て、その場に居るイレギュラーズたちの顔をシャファクは順に見ていく。目がしっかりとあった『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)は、ゆっくりとかぶりを振った。誰も嘘は言っていない、と。
最後にシャファクの視線はモモへとたどり着く。モモはぱちぱちと瞬いて不思議そうに首を傾げてから、にっこりと微笑んだ。
「モモがウソついてないって、わかってくれた?」
「……本当に、お姉ちゃんだとして……どうして?」
「ん?」
「どうして、こんなことを」
シャファクの震える声に、ああそんなこととモモが笑った。
「なかまになってほしかったの」
烙印だと進行が遅い。紅血晶は効力が強すぎてその殆どを異形としてしまう。けれど、もしかしたら成功するかも? 可能性がゼロとは言えない。失敗したとしても女王に命を捧げたこととなるのだ。それは誉れであると思う。……吸血鬼ならば、だが。
「ふっっっざけんじゃ……ねえ……っ!!」
「ひゃっ」
風牙の怒りが爆ぜた。心のままに叫び、床を踏みつける。
けれどそうしたって、今目の前にある現実が変わらないことも知っている。
「ありゃもう無理だな。死なせてやれよ」
グドルフが言った。シャファクが息を飲む。
「そうね、あれはもう助からないわ」
これ以上の犠牲を出させないことが、レジーナの――イレギュラーズたちの仕事だ。
晶人になったことは誰もないから、彼等がどう感じているかはイレギュラーズたちには解らない。けれど総じて苦しんでいるように見える、と報告が上がっている。
助からないことをイレギュラーズたちは知っている。出来ることは限られている。ならば少しでも苦しむ時間を短くしてやるのがせめてもの情けだろう。
「ど、どうして? わか、わかん、ないよ、そんなの。おじさん……そう、おじさんだって助かったじゃない。どうして」
どうして、そんなことを言うの。
あれを姉だと告げておいて、助からないなんて酷いことをどうして言うの。
シャファクの瞳から、ローレットを出てから我慢し続けていた涙がこぼれ落ちた。ボロボロと溢れる涙を見て、マルクは胸が苦しくなる。どうしてという気持ちはマルクも、他の多くのイレギュラーズたちも同じだ。どうしてこんなことにと思い続けている。
「フラン、うそ、だよね」
お姉ちゃん、助かるよね? お願いだから嘘って言って。
涙で輪郭のない瞳が告げている。いつも元気な瞳が、今日は朽ちる前の果実のようだった。
フランはその瞳から逃げたくなった。――けれど、大好きな人が選んでくれた香水がふわりと香って、フランを強くする。
「お嬢様は――シャムスさんは、もう元に戻せない」
嘘は、言えない。これが真実。ぎゅっとシャファクの手を握りしめ、真っ直ぐに目を見て伝えた。
「でも、おじさんは」
「おじさんはまだ片手だけだったから」
でももう、これは――『ひと』じゃない。
「お姉、ちゃんは、ひと、だよっ」
ひどい、ひどい、ひどい、ひどい! 皆、ひどいことを言う。
シャファクの表情が大きく歪み、イレギュラーズたちの胸も痛くなる。
けれどこれは、嘘偽りのない、本当のことなのだ。
「その晶人はもう救えない」
流れを見つめていたレジーナが口を開く。
これはありふれた、よくある不幸な話のひとつ。カードのフレーバーにだってきっとなっている。
「シャムス・アル・アラクという人は晶人のまま永遠と苦しみ続ける運命に囚われてしまった」
眼の前の事実を認めなさいと静かに告げたレジーナの後に、咲耶も続く。
「……シャファク殿よ。晶人と成った者はもはや救えぬ」
「でも、でも」
「――それでね」
お話、続けてもいいかな?
場違いに、愛らしい声が割り込んだ。モモはマイペースに自分の話したいことを話すつもりのようだ。
「しっぱいしちゃったから、シャファクおねえちゃんにおねがいしたいの」
「……アタシ?」
「うん。モモのおともだちになって? それからハカセにおねがいしてみるの」
シャムスお姉ちゃんを戻す可能性が、あるかもしれないよ?
絶望の淵に落ちた者にとって、たった1%の可能性でも『あるかもしれない』という話は、猛毒だ。すがりたくなってしまう。
「アタシがあなたの仲間になったら……お姉ちゃんは……」
「駄目だ。それだけは絶対に駄目だ、シャファク」
「そうでござるよ、シャファク殿」
アルヴァが強く否定して、咲耶とともにモモから隠すようにシャファクの前に立つ。
「もー。今おねえちゃんとはなしてるのに。まあいっか。みんな、シャファクおねえちゃんをつれてきて。じゃまをする人はどけちゃっていいから」
モモがやろうとしていることは祭祀に当たる。吸血鬼になる前のシャファクが自分の血で魔法陣を描くことを望んでいる。それから仲間になろうと言うのだ。
――あああアアアアアああアアア……。
「シャムスおねえちゃんもいく? そうだよね、シャファクおねえちゃんとの間をじゃまされたくないよね。――うん、いいよ」
べしゃり。晶人が――シャムスが、ゆらりと揺れて一歩踏み出す。べしゃり。肉だった物が嫌な音を立て、ふらふらと揺れながらシャファクへと近寄ろうとした。
「お姉、ちゃん……?」
「駄目だよ、シャファク。近寄っては」
よろよろと近寄らんとするシャムスへ武器を構えた咲耶たちとシャファクの間に、ウィリアム・ハーヴェイ・ウォルターズ(p3p006562)が入る。
「でも」
「晶人は危険な存在……です」
「ボクたちの後ろに」
「下がって……みゃー」
メイメイ・ルー(p3p004460)とチェレンチィ(p3p008318)も前へと立ち、シャムスを救えない現実にボロボロと涙を零した祝音・猫乃見・来探(p3p009413)もシャファクの側に立った。
「シャファク様。お姉様はもう元には戻りません。あの吸血鬼が戻してくれるといっても、それは嘘です」
背に触れて、ハンナが告げた。背に触れる温かな手が『側にいるよ』を伝えてくれている。
「シャムス モウ助カラナイ。フリック 謝ル」
八百屋のおじさんを助けたことで、シャファクは希望を抱いてしまった。イレギュラーズたちなら助けられると思ってしまった。それは今回とケースが違うのだが――突然そう言われたって一般人のシャファクには解らないことをフリークライ(p3p008595)は理解し、現実を教える。言うのはとてもつらいけれど、これは希望をもたせた者の責任だ。
「誰かが終わらせてやらないとだめなんだ! てめえがやらないなら、オレたちがころすぞ! あいつを可愛そうな晶人として殺すぞ! てめえは、それでいいのかよ!?」
紅花 牡丹(p3p010983)が吠えた。牡丹は身内が死ぬという経験を経ている。
晶人はもう、助からない。
「我(わたし)達が楽にしてあげる事は簡単よ」
でも、本当にそれでいいのかしら?
言い置いて、レジーナは偽命体へと身体を向ける。
「なんだよ。殺すしか道はねえっていうのに出来ねえのかよ」
それなら代わりに殺してやろうか。
山賊の男が喉をくつりと震わせ、向かってくる偽命体の前へと身体を踊らせる。半人半獣の子どもたちの表情は虚ろで、苦しそうだ。この生命も山賊は奪うと決めた。カネも、モノも、命も、希望も。相手がオンナだろうがガキだろうが関係ない。恨みがシャファクの生きるバネとなるならば、その姿を見せてやろう――グドルフという男は、そう、背中で語った。
その背の意味を正しく汲み取ったのはマルクだろう。静かに彼の隣へと並んで半人半獣の子等を見つめた。
(――少しでも速く、楽にしてあげたい)
この子たちも、哀れな子だ。
拐われ、怖い思いをしただろう。尊厳を奪われ、悔しい思いをしただろう。
残された命は僅かで、その生命も使い捨てられる。そんなこと、あっていいはずがないのに。
どれだけ悔やんだとて、起きてしまったことはどうしようもない。だからこそ速やかに楽にしてあげることを選ぶしかない。たとえ背後に幾つもの十字架を背負おうとも、マルクはそれが優しさだと信じ非情に徹せる。
「アタシは……アタシ、は……」
姉にとってどうあることが最善なのか。
イレギュラーズたちに肉親を殺され、その後どう思うのか。
殺す以外の道がないのなら、どうするのが最善なのか。
「いい、どんなに時間がかかってもいい、悔いのねえ道を選べシャファク」
「僕はこの杖で、君を助けるよ。シャファク」
「はい。わたしも……守ります」
「この呪われた体で良ければワタシが盾になりまショウ」
アルヴァも、ウィリアムも、メイメイも、アオゾラ・フルーフ・エーヴィヒカイト(p3p009438)もシャムスとシャファクの間に立ち、油断なく視線を走らせた物部 支佐手(p3p009422)もシャファクを背に隠す。
「皆様、こちらはわしらにお任せを。シャファク殿には、指一本触れさせませんけえ」
無辜の少女に、悩む時間を。
悲哀なる姉妹に、別れの時間を。
「――シャムスさんの抑えは任せましたよ、アルヴァさん」
「ああ、任せろ」
イレギュラーズたちは、誰かを守る時が一等強いのだ。
「シャファク殿をキミにあげることはできないよ」
「どうして?」
ヴェルグリーズが偽命体から血の花弁を舞わせながら彼等越しにモモへと声を掛ければ、観戦の構えのモモは足をぶらつかせながら首を傾げる。モモはどうやら、おともだちが上手に『とってこい』が出来たら褒めてあげるつもりで居るらしく、自身に危害を加えられない限りは手を出さないようだ。
「ひいさまに命をささげることはよいことなのに」
「ふざけんな!」
吠えた風牙と同時に咲耶とアルヴァが前に出ていた。ふたりはシャムスの元へ、風牙は『博士』の犠牲者たちの元へ。
「モモ、テメェのそれは善意なんかじゃねえよ。ただの歪曲したエゴだ」
義腕から狙撃をして迫る偽命体の一体をバクルドが遠ざける。
「てめえのやってる事が良いも悪いもわからねえなら、そりゃ教育してねえ親(女王)の責任だな」
「ふふ。おかしなことを言うのね、おじさん。よいとわるいは、たちばがかわればかわるの。それくらい、モモだってしってるもの」
勝てば正義で、負ければ悪だ。山賊が命も金も略奪も是としているのと、何が違うのか。己を棚に上げた言葉はモモには通らない。
「……ころ、して……」
偽命体たちが、時折何かを呟いている。小さく微かでよく聞こえなくとも、何と言っているかなど近くにいれば痛いほどに解る。水晶の涙がハラリと溢れ、イレギュラーズたちの攻撃で花弁を舞わせ、時折意識が戻るのか苦しげに表情を歪めて口にされる、その言葉は――死を願う言葉。
「許しは請わない。君たちを救う力は、僕にはないから」
距離を保っているレジーナの隣を駆け、マルクが偽命体に肉薄する。
――殺さなくてはいけない。殺すべきだ。
魔力が紡いだ剣を握りしめて上段から振り下ろせば、既に傷ついている偽命体へ大きな傷を負わせた。けれど、まだ足りない。
「……退場願うのだわ」
苦しみを長引かせはしない。己が反動を受ける事も諾し、レジーナは黒き顎の直死の一撃で偽命体の命を奪った。
「しに、た……」
「うん、ごめん」
本当は助けてやりたいけど、偽命体も晶人も、助けてやることはできない。
「ごめんな。オレじゃ、お前たちを助けてやれない。元の姿に戻すことも、親元に帰してやることもできない」
偽命体たちは身体が頑丈で、風牙では一撃で終わらせてあげることも出来ない。だから仲間たちと息を合わせ、短時間で終わらせてやれるようにするしかない。……力が足りないと感じてしまうその瞬間が、風牙は嫌だった。
(もっと、強くならねえと)
命を取りこぼさないように。それが出来ないのなら、終わりを与えるために。
「キミ達の行く末にせめて安息があらんことを祈っているよ」
風牙で足りなければ、仲間が引き継ぐ。鞘と両刃の刀の二刀流を持ってヴェルグリーズが攻め立て、殺すことこそが我が本質と心得た至東が迫る。
「……死にたしと仰せであれば、せめて望みが叶ったと知りてから、旅立たれませ」
首を落とさずに腹部を超高出力刀ビームで『ふたつに』分ければ、目を丸くした偽命体は最後に微笑み――逝った。
アルヴァと咲耶を始めとした、シャファクを庇うと決めとイレギュラーズたちはなるべくシャムスを傷つけずに押さえている。
「お姉ちゃん……」
シャムスは、シャファクを求めるように手を伸ばす。
欲しいのか、救われたいのか――姉の思いを汲もうと考えれば後者だろう。
シャファクは手を伸ばしたくなる。凶器と成り果てた手は、少し振るわれるだけでもシャファクを切り裂くだろう。それでも、手を取りたいと思ってしまう。
「シャムス 求メテルコト キット一番理解シテイルノ シャファク 君ダ」
(そう、アタシが一番解ってる)
フリークライの言葉は、すとんと胸に落ちてきている。
「シャファクさん、彼女の……シャムスさんの願いを、叶えてあげて。僕じゃダメなんだ……君にしか、叶えられないんだ……!」
代われるなら代わってあげたいけれど、それはできない。ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)が悔しさを滲ませ告げている。
「いいぜ、俺はまだ、これくらい、シャファクの痛みに比べりゃへっちゃらだ」
シャムスを押さえているアルヴァの身に『赤』が増えていく。
(――お姉ちゃん、やめて)
姉が誰かを傷つけるを見たくない。優しい姿を、シャファクは誰よりも知っている。助けてくれた。拾ってくれた。恩人だった。姉なのだと知った時、本当は嬉しくて嬉しくて一人で泣いたんだよ。……その言葉をもっと早くに伝えられていたら、どんなによかったか。
「シャファクさん、終わらせてあげよう? あたしはこのままシャムスさんが化け物って言われて、知らない人を殺して、知らない人に殺されるのなんて嫌!」
――うん、フラン。アタシも嫌。
水晶の涙を零すフランに顔を向けても、喉から言葉が出て来ない。喉が、ひりついてくっついている。
けれど、意思は伝わったはずだ。
――行こう。お姉ちゃんを殺しに。
腰の後ろに手を回し、ナイフを抜き取った。
震える手は、すぐにナイフを落としてしまった。けれど、ハンナが拾ってくれた。気持ちを込めるように、ギュッと握らせてくれた。
シャファクは前を向いた。咲耶の肩越しに、アオゾラの向こうに、姉の姿が見える。
前へ進むシャファクへ、力を――。
メイメイと祝音が加護を与える。
やり直しなんて、きかない。一回限りの本番で、終幕。
烙印持ちの者たちの動きが怪しくならないかの警戒をしていた支佐手が道を譲る。庇うために前に立ってくれていたイレギュラーズたちは、道を譲る度にシャファクの背や肩に手をおいた。
――行っておいで、悔いのないように。
そう、言ってくれている。
「シャファクさん、ひとつだけ答えて」
フランが、シャファクが握るナイフを一緒に握った。
「――最後に、お姉ちゃんと話したい?」
そんなの、そんなの! 当たり前だ!
シャファクはボトボトと涙を零し続ける顔のまま、頭を上下に大きく振った。
話したい。伝えたい言葉がある。言わないといけない言葉がある。姉の言葉だって知りたい。――けどそれが叶わないことを、シャファクはもう理解していた。
最後の偽命体が断末魔の声を上げた。
シャファクはイレギュラーズたちに背を押され、フランとともに走り出す。
フランは――奇跡を願った。
潤沢な運命力の前では奇跡は起こらない。
――それでも、願うんだ!
フランは願った。祈った。
――あたしの命、あげるから!
その覚悟をシャファクが知ったら悲しむことは解っている。解っているけれど、フランはそう願ってしまう娘なのだ。誰かが傷つくなら、自分が傷ついたほうがいい。今この時以外では駄目だから、全てを掛けてフランは願った。
(代償は全部あたしが受けるから! 烙印がいっぱい減ったって、あたしが晶人化の一部を受け取ったって、だから――!)
奇跡を、願った。
沢山の声が、腕が、温かさが、シャファクの背中を押す。
誰もが最悪を選ばないようにと、シャファクが前に進むことを望んでくれた。
シャファクが握りしめ、フランが手を添えたナイフがシャムスの身体へ埋まっていく。
(おねえちゃん)
キラキラと輝くナイフは、シャファクの宝物だった。
(お姉、ちゃん)
使わないことが一番だけれどと、身を挺して自分を護ろうとしてしまう妹への姉からのプレゼント。
(おねえ、ちゃ……アタシの、)
シャファクはシャムスに拾われてから、毎日が幸せだった。幸せすぎて夢を見ているんじゃないかと毎朝頬をつねりたくなるくらいに、夜になって眠って目覚めたら――全部夢だった。そうなるのが恐ろしかった。
同じ顔の優しい姉と、穏やかな祖父。
盗賊団では得られなかった、少女らしい日常。
(アタシの、世界一大好きな)
壊れていく。愛しい日常が、壊れていく。
――今、壊している。
大好きな姉を、大好きな半身を、世界一大好きな女の子を――終わらせる。
「お姉ちゃん、アタシ――!」
ナイフが埋まっていく。
血は零れずに、溢れた花弁が辺りに舞う。
伸びた姉の手は、ナイフを持つ腕を引き寄せていた。
「アァ……シャファク……サマーァ、大好き」
「っ、シャムス、大好き、だよっ」
――奇跡は、起こらなかった。
それでも沢山の、集ってくれたイレギュラーズたちの想いが、僅かにシャムスの意識を浮上させたのだ。
サマーァ。それはシャファクの『本当の名』。
ほんの一瞬、一言だけの最後の言葉。
フランが、皆が、叶えてくれた。届けてくれた、言葉。
同じかんばせのふたりの少女はたちは、互いに大好きだと口にして。
ひとりは結晶の涙とともに命を散らし、
ひとりは暖かな涙とともに命を奪った――。
●الشفق
支えてくれていたフランの手から力が抜ける。
お姉ちゃんの身体からパリンと硬質な音がして、ああ、お姉ちゃんが花弁になって散っていく。
アタシの膝からも力が抜けた。もう、立ってはいられない。
けれど、ナイフの主導権は全てアタシに移った。
(ごめんね、ごめんなさい)
アタシは全てに謝る。助けてくれた友だちに、大好きなお姉ちゃんに。
これからするのは皆の気持ちを裏切る行為。
――ナイフを、己に向けた。
(だって、生きてなんていけない)
誰かが叫んだ。誰だろう。もう、わからない。
眼の前で、赤が散った。ナイフがアタシに刺さる――前に。
「馬っ鹿野郎……っ!」
水色と、ぼたぼたと落ちる赤が映った。
「シャファク殿、御免!」
黒い影がそう言って、アタシの頬がパンと鳴った。姉の想いを犠牲にする気かと言っていた気がする。色んな人が叫んでいる気がする。けどごめん、全ての音が遠くて、よく聞こえない。
受け身を取ることも出来ないアタシの身体が吹き飛ぶのを、幾つもの温かな手が支えてくれた。
――アタシは、姉の後を追うことも出来なかった。
がむしゃらにナイフへと手を伸ばそうとするアタシを、到底許されない言葉――死を願う言葉を吐くアタシを、皆が押さえてくる。ううん、違う。解ってる。沢山の声と手が、アタシを労っている。支えてくれている。
誰が何を言ってくれているのか、解らない。アタシの世界は水底で、ただぼんやりと色だけが見えている。金、水、黒、白……いろんな色。こんなにいろんな色が覗き込んでくれているのに、アタシと同じあなたの色だけが世界にない。
「あああ、あアアぁ、あぁぁああああアアア!!」
お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん!
皆に何か言わなくちゃいけないのに、アタシの喉と心はいつまでも世界に向かって吼えていた。
――さよなら、アタシの世界一大好きな女の子。
「あーあ」
モモがつまらなさそうな声をあげた。
「シャムスおねえちゃんもモモのおともだちも、みぃんないなくなっちゃった」
「クソガキ、てめえのせいだろ」
「どうして?」
ギリッと奥歯を噛み締めた風牙が、モモを睨む。
「あのキメラになった子どもたちも、あの姉妹も! 全部全部全部、てめえらのせいだ! てめえらがいなければ! ああはならなかった!」
「本当にそう?」
モモは不思議そうに風牙を見て、指先に髪をくるりと巻きつける。
「ハカセがつくったの。シッパイってすてられるのを、モモがもらってあげたの。モモのおともだちを殺したのも、シャムスおねえちゃんを殺したのも、おにいちゃんとおねえちゃんよ?」
間違っている? とモモは確認するように、事実を口にする。
モモは「シャファクおねえちゃんを連れてきて」と『お願い』しただけだ。阻止しようとしたのはイレギュラーズで、殺したのもイレギュラーズ……と、シャファクだ。
「あーあ。もう。サイシ、ダメそうだし……モモ、かえるね」
「待つでござる!」
くるりと背を向けかけたモモは咲耶の声に振り返り、嬉しげに微笑む。優しいお姉さんは大好きだ。
「また、会えるでござるか?」
「うん! おねえちゃんがのぞむなら!」
モモ、王宮にいるから。王宮まで、会いに来てね!
お友達が遊びに来てくれる感覚なのだろう。嬉しいなぁといとけなく笑い、そうしてふわりと花弁となって消えた。彼女の愛する女王の元へ帰ったのだろう。
「チッ」
グドルフは血で描かれた魔法陣を靴裏で擦ってみたが、既に魔力を帯びているのだろう。
「――クソみてえな仕事だったな」
踏み消せなかった酸化した赤に舌打ちをして、ぐいと酒を煽った。喉を下るのは酒精の苦味が、後味か。今日ばかりは気分良く酔えそうにない。
(この感触を、忘れるもよし、覚えるもよし。どうぞご随意に)
至東はその言葉をシャファクには届けない。言う必要もないからだ。シャファクが最後に怯まないように、至東はシャムスの最後の瞬間はシャファクのすぐ背後に居た。怯むようなら後ろから手を伸ばし、『効率よく終わらせてやる』ために。
初めて人を殺した少女を見ても、至東には何の感傷も浮かばない。人など、たくさん殺してきた。いかに効率よく斬るかを考えて斬ってきた。
(後は全部、君次第です)
人斬りは、仕事を終えれば速やかに去る。暖かな言葉の響く此処は、至東の居場所ではないから。
シャファクの泣き声は、祭祀場に響き続けている。
強制的に眠らせることは出来たけれど、誰もがそれをしなかった。
今は、いっぱい泣いたほうがいい。
たくさんのあたたかな手が彼女を支えていた。
泣き疲れて眠るまで。
眠りについた、その後も。
(大丈夫、でござるよ)
されど、シャムスの心へと訴えかけていた咲耶は知っている。
彼女の姉が消えそうな意識は己の最後を悟りながら、見守る者たちへ最後の願いをハイテレパスで告げていた。途切れ途切れの断片しか解らない意思だったけれど、繋ぎ合わせ、その想いは伝わっていた。
――あの子はきっと沢山泣くでしょう。
けれど邪魔をせずに泣かせてあげてください。
涙が枯れたら、流した涙で潤い、前を見て育ちます。
私の妹は強くて逞しい。私の、愛しい花。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
少女を奮い立たせてくださってありがとうございます。
きっとあなたの心にも少女の心にも、傷となって残り続けることでしょう。
ですが、これが『最善』であったことを誰もが知っています。
登場の頃からずっとシャファクは名前に反応しており、前回のマスコメにも示唆されておりましたね。
シャファクの『本当の名』はサマーァといいます。
お疲れ様でした、イレギュラーズ。
モモに会いに行きましょう。
GMコメント
ごきげんよう、壱花です。
●目的
『晶人』撃破
●成功条件
シャファクに止めを刺させる
●シナリオについて
戦闘判定は確りと行われますが、リプレイ描写は心情に傾く形となるかと思います。
モモが積極的に動かないため戦闘の判定としては難しくはありませんが、成功条件によりHardとなっております。
あなたたちは祭祀場『アル=アラク』へ向かいます。
そこであなたたちはモモと偽命体、そして血まみれゾンビのような『晶人』と遭遇することとなります。
モモは明るく友好的に接してきます。でも祭祀の邪魔をすると知れば、偽命体をけしかけてきます。
シャムスはどこかと訊ねれば、きっと不思議そうに教えてくれることでしょう。「目の前にいるよ?」と。
晶人を元に戻すことは出来ません。シャファクは信じません。信じたくありません。救う道を欲します。たくさんの声を届け、説得してください。救う道を、諦めさせてください。そうして彼女にトドメを――。
これはそう言ったお話です。救いはありません。
●フィールド:『偽』アル=アラク
月の王国内に作り上げられた『古宮カーマルーマ』の祭祀場『アル=アラク』です。
本来のアル=アラクと違わぬ姿で存在しています。屋外であり、月を望む美しい場所です。
大地には大仰な『血』の魔法陣が描かれ、中央には水晶のようなものが存在しています。
●『晶人(キレスドゥムヤ)』シャムス・アル・アラク
晶人となってしまったシャファクの『お嬢様』です。
シャファクと同じ色の肌は爛れ落ち、どろりと溶けた血色の蝋のよう。
シャファクと同じ色の瞳は宝石と化し、光を反射するばかり。
身体を傷付けると『血の代わりに花弁』が舞い散ります。自我は余り存在せず、強い力に飲まれ苦しみ呻いているかのようです。……この変化をしたものは二度とは戻ることは出来ません。
無作為に襲いかかりますが、シャファクを求めているようです。
力は強いですが、動きは緩慢です。2名も居れば抑えが出来ます。体力も、元がシャムスであるせいか低いです。傷つけば傷つくほど、動きが緩慢になります。けれど、苦しみながらもノタノタ歩き、妹に手を伸ばそうとします。
●『偽命体(ムーンチャイルド)』 3体
『博士』が作りだそうとした人造生命体、の、失敗作です。非常に短命です。
どうやら拐かされた幻想種の成れの果てのようです。その特徴があります。
上半身は幼い子ども、下半身は獣になっています。鹿、獅子、狼の子が居ます。少しだけ意識があるのか、言葉が通じる時は「ころしてください」と口にします。涙を零しながらも、身体は『外敵から祭祀を守れ』の命令に従い攻撃してきます。近接攻撃主体、体は硬めです。
●『吸血鬼(ヴァンピーア)』モモ
儚げな印象の少女吸血鬼。
いとけない容姿をしていますが彼女が魔種相応の実力を有していることは、かぷっとされた人は知っているかと思います。
性格も見た目同様幼く、悪いことをしているとは思っていません。「すべてはひいさまのために」です。吸血鬼は素晴らしい存在なのです。善意で烙印を付与しました。
「みんなもひいさまのために命をささげたいよね?」
優しくしてくれる人、誰かに優しくする人が大好きです。攻撃されると悲しくなって「ごめんね、ねむっていて」としてきますが、邪魔をしない『優しい人たち』には何もしません。
●シャファク
明るいラサの商人の娘。姉はシャムス・アル・アラク。
目の前にいるよと言われても信じられません。『どこに? こんなどろどろがお姉ちゃんの訳ないじゃん』と思います。信じられません。信じたくありません。
本当にシャムスなのだと知ると、イレギュラーズたちに「お姉ちゃんを助けて」と泣きながらお願いしてきます。だっておじさんだって助けてくれたでしょ。おじさんは無事に生きているのに、どうしてお姉ちゃんは助からないって言うの。意地悪言わないで。
姉が助かるのなら何でもするでしょう。吸血鬼にだって。
救う道がないのだと正しく理解した時、きっと彼女は前を向くでしょう。
姉の半身として。シャファクは姉が伸ばした手で最後に求めることを正しく理解し、ナイフを握ります。
●特殊判定『烙印』
当シナリオでは肉体に影響を及ぼす状態異常『烙印』が付与される場合があります。
また、烙印の症状進行が著しい人は、思った通りの行動が取れなくなる可能性もあります。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●サポート
シャファクへの【説得】or【サポート】が可能です。
説得は通常参加者さんよりは少なくなるため一言二言程度になりますが、寄り添うことができます。
サポートは彼女を庇ったり、最後にバフを掛けたりできます。
同行者さんがいる場合は、お互いに【お相手の名前+ID】or【グループ名】を記載ください。一方通行の場合は描写されません。
シナリオ趣旨・公序良俗等に違反する内容は描写されません。
●EXプレイング
開放してあります。文字数が欲しい時等に活用ください。
それでは、イレギュラーズの皆様、宜しくお願い致します。
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