シナリオ詳細
慟哭の雨
オープニング
雨が降っている。
いつも。
いつまでも。
絶える事無く。
シトシトと。
深々と。
雨が。
降る。
鬱蒼と茂った森は降り続く雨に濡れ、冷えた緑の匂いに満ちている。
辺境の地。里は遠く、ほぼほぼ人の理からは外れた場所。そんな場所の夜。
なのに、今夜に限ってはその中に薄明るく灯る人火。
「本当に止まないんですね。この『トラロックの中庭』は」
「ああ。気流の関係で、この森林地帯上空は雨雲が絶える事は無い。雨神(トラロック)の名を関する所以さ」
大木の根本に張った野営結界の中で、『生物学導師』アラン・メトリーと『助手』コルト・フェアリは言葉を交わす。
「止まない雨……。それが、『かの者』が此処に住まう理由……」
「そう。この森の主、『コクレア・インフェルヌス・サトゥルヌス』だ」
お茶を啜りながら、アランは説く。
「彼女が長い月日を生きる内に、世界の環境は激変した。現在、彼女が生きるに必要な高湿度が維持される環境はこの森と周辺地域しかない。コクレア種も、彼女が最後の一匹。彼女が死ねば種は絶える」
大きく息を吐き、気を取り直す様に言う。
「だが、望みはある。コクレア種は単為生殖する生物。繁殖が成功すれば、可能性は残っている」
「ですが、先生……」
コルトが小さく呟く。
「コクレア種……特にサトゥルヌス亜種の繁殖行動は……」
「それは、私達の勝手な都合だよ」
「!」
打つ様な言葉に、身を竦めて口を噤む。
「この世界の生命には、皆等しく生きる権利がある。例えそれが卑小な微生物一匹でも、強大な竜の一柱であっても」
「…………」
「君はまだ若い。偏った価値観に縛られるのも当然だろう。だけど、いつか必ず理解出来る時が来る。その時までは、私の側に居なさい」
「はい……」
頷きながら、それでもコルトは思う。
(先生は、何も思わないのでしょうか……?)
そっと送る視線。深い森の向こう。
其処に眠る。
いつかの地獄。
●
雨が降り注ぐ森。
その中に、かつて村だったモノがある。
全ての者が絶え、自らが墓標となった。
苔と蔦に覆われ、殆どが朽ちかけの世界。其処に、華奢な人影が一つ。佇んでいた。
「結構な事デス」
雨に濡れた声は、それでも涼やかな少女のソレで響き渡る。
「全てノ生命は平等。等しい権利ノ所有者。ならば、等しく守られるベキ。誠に、尊き理解。信念」
嘲りや皮肉の響きは無い。純粋な。ただただ純粋な称賛。
「その信念ヲ違えぬ方々がいらっしゃる限リ、生者側ノ安寧は必然。なればコソ……」
濡れた下草を踏みながら、廃墟の中心へと歩み寄る。やがて立ち止まると、腰を屈めて張り付いていた苔を払った。
「貴女方の悲しみハ、アタシが拭いましょう」
出て来たのは、髑髏が一つ。無念の慟哭を吐く様に口を開いたままのソレを取り上げ。
「貴女方は弱いモノですが、ご安心ヲ。術は、差し上げマス」
彼女の影がユラリと揺れる。飛び出して来るのは無数の死者の念。残滓。
「余りにモ古過ぎテ、思いも想いも溶けテしまった方々。行き場の無くなっタ『力』を貴女方ニ。共に連れて行っテ下さいネ。ソレが、対価デス」
宙を舞った思念達が、地へと溶けて行く。一泊の前。やがて、彼女の手の中の髑髏が泣き始める。生命が戻った様に。いつかの憎しみを、思い出したかの様に。同じ声は、周囲からも。幾つも。幾つも。
「さあ、お行きなさい」
導きに従って、彼女達は舞い上がる。力を得、力を束ね。一つになって向かう先は、かの者の元。
「主よ、どうぞ祝福を……」
悲しき願いの成就を願い、『天慈災禍の狂い姫』エメレア・アルヴェート(p3n000265)は静かに祈った。
●
突然の地響きに、野営結界の中で寝ていたアランとコルトは驚いて飛び起きた。
「じ、地震!?」
「いや、この地域の地盤は安定している。地震とは無縁の筈だ。それに、この揺れはもっと地表近く……」
何かに気が付いたアランが、外に飛び出す。慌てて追ったコルトが見たのは、驚愕と歓喜が張り付いた表情で雨の向こう見つめる彼の姿。
「何と……まだ休眠期の筈なのに……」
嫌な予感に駆られ、自身も目を向ける。
夜闇の向こう。降り頻る雨帳の更に向こう。
這い出た名残の土砂を落とし、巻き込む木々をへし折りながら蠢く巨大な軟体。
正体を察し、戦慄く声でコルトは呟く。
「コクレア……インフェルヌス・サトゥルヌス……」
「そうだ、コクレアだ! サトゥルヌスだ!! まさか、生きている間に活動する姿が見れるとは!」
子供の様にはしゃぐアランを他所に、コルトは真っ青な顔。
「い、いけない! 早く何とかしないと!!」
「何を言っている!? 貴重な観察対象だ! 手を出してはいけない!」
「良い加減にしてください!!」
あまりの感覚のズレに、遂にコルトは声を荒げる。
「あの触角が見えないんですか!? 蛍光色に光ってる! 繁殖衝動のサインです!!」
「そうだ! コクレアは発情している! 繁殖するんだ!! 凄いぞ! 希少種の繁殖行動が見れる! 最高のスペクタルだ!!」
「本気、なんですか……?」
敬愛する師の狂態に、コルトは呆然と呟く。
「コクレアの……サトゥルヌス亜種の繁殖に必要なのは……」
ーー知性生物の、脳内物質なんですよーー?
卑小な小動物のやり取りなど気にも止めず。子喰い王の名を冠する地獄の蝸牛は、ゆっくりと蛍光色の視線を向ける。
森の外。少し先。巣食う者達
我が子らに、生命与える為の。
甘露。
●
「……と言う訳で。急な収集、申し訳ないのです」
本人も急いで来たのだろう。頭の寝癖を整えながら『新米情報屋』ユリーカ・ユリカ(p3n000003)は皆に頭を下げる。
「話は聞いた通りなのです。休眠期の筈のコクレア・サトゥルヌス亜種が繁殖行動を起こしたのです。対処要請が届いています」
コクレア・インフェルヌス・サトゥルヌス。
詳しい者が、苦い顔をする。
体長20m。体高10mに及ぶ巨大蝸牛。
蝸牛。そう、蝸牛である。
モンスターの様に特殊な異能など持たない、ただ巨大なだけの原生生物。
蝸牛らしく生存戦略は防御全振り。仕留めるのは困難を極める。
とは言え、基本は草食で攻撃性も低い。巨大さ故に行動に巻き込まれれば生死に関わるが、常時は脅威ではあるものの切迫した危険では無い。
ただし、ソレはあくまで常時の話。
問題は、繁殖期を迎えた時。
単為生殖を行うコクレアは、卵を成熟させる為にその時期だけ特別な栄養を必要とする。
知性生物の脳内物質。それも、致死レベルのストレス下で分泌される脳内麻薬。
それを得る為、コクレアの捕食行動は極めて凄惨なモノとなる。悪意も悦意も無い。ただ本能のままに行われるソレは、だからこそ悍ましく。無慈悲極まる。
「コクレアの森の側に、療養所があります」
ユリーカは言う。
「患者とその家族を合わせて、数は40人前後。皆、長患いの果てにトラロックの加護が宿るとされる森の清水に望みを託す方々です。もう、動く事も叶わない方もいます」
部屋の空気が、重さを増す。
「コクレアは、ただの生命です。悪も前も無く、ただ生を全うしようとするだけの。最後の一匹です。先の話と合わせて、ご判断を願います」
話は終わり。
皆が、席を立って行く。最後の一人が、訊いた。
コクレアは、休眠期にあった筈。期間はランダムとは言え、あまりに早過ぎる。と。
「……霊障なのです」
返ってきた答えは、意外だった。
「『目』を持つ方が、確認しました。幾つもの死霊が合わさった複合霊が取り憑いて、異常な繁殖衝動に駆り立てていると」
複合霊? そんなモノ、何処から?
「あの森の中には、以前コクレアに食い尽くされた村があります。恐らくは」
意味を察し、悪寒に震える。続ける、ユリーカ。
「にしても、今までは大人しくしていた方々がどうして急に……ですよね」
小さな唇が、クスリと笑う。
「何処かのお節介が、余計な事でもしてくれやがりましたかねぇ……」
何処か遠くで、調子の狂った聖歌が聞こえた。
![](https://img.rev1.reversion.jp/illust/scenario/scenario_icon/15674/63894ce404b8c652915c41ef8b879d20.png)
- 慟哭の雨完了
- GM名土斑猫
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年05月01日 22時21分
- 参加人数8/8人
- 相談10日
- 参加費150RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(8人)
リプレイ
「馬鹿な事を言わないでくれ!!」
降り頻る雨音の中に、初老の男性の声が響く。
『生物学導師』アラン・メトリーは集まったローレットのメンバーに向かって抗議する。
「分かっているのか!? あの個体はコクレア・サトゥルヌス亜種の最後の一頭なんだ! 今回の繁殖が、種を繋ぐ最後のチャンスかもしれない!! それを、それを駆除するなんて……」
「……だガ、このままにすれバ『アレ』ハ人ヲ食うんだロ?」
その言葉を遮る様に、『彼岸の魔術師』赤羽・大地(p3p004151)は言う。
「幾ら絶滅危惧種とは言エ、人の生命と天秤にかけるモンじゃねェ筈ダ」
「しかし、一頭だ! 最後の……最期のだぞ!? ソレを、こちら側の勝手な理由で……」
拳を握りしめて詰め寄りかけた『金庫破り』サンディ・カルタ(p3p000438)の肩を、『黒裂き』クロバ・フユツキ(p3p000145)が掴んで止める。
「博士、御主の言う通りだ」
代わる様に説くのは、『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)。
「全ての命には『等しく生きる権利』がある。しかし、それを言うならば」
淡々とした語り口。けれど、切り込みは鋭く。
「よもやとは思うが……療養所の者達には生きる権利などない、などとは言うまいな?」
一瞬、愚かな望みを繋ごうとしたアランの顔が強張る。
「己が立場と欲に寄った、偏った価値観を抱いているのは御主の方だろう? 博士」
反論の道理は無い。それを口にする事は、それこそ己の論に対する矛盾に尽きる。
少し離れた所で、滑る音が木々の間を這いずる気配。夜闇と雨帳の向こう、鮮やかに燃える蛍光の灯。
目で追いながら、『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)も説く。
「確かに、生きる権利は人間にもあの蝸牛にも等しく有る」
輝く蛍光は、美しい。己が生命の意味を、只々全うしようとする無垢なる願い。
けれど。
「だが、権利は往々にして衝突する。その時はどれかを選び、他を捨てねばならない」
ならば、定められた死に抗おうとする人々の意思もまた。
であるならば、人たる者が組するべきは。
「……コクレアを討伐する。俺は、人間が生きる権利を選ぶ」
それもまた、生命ある種としてのあるべき摂理。
道理である。
真理である。
生命を探究する者であるならば、ソレを否定するは資格の喪失に直結する。
なれど、道理で括れぬモノがあるもまた人心。
「……確かに、君達の言う事は確かだ。だが……」
其が如何に、愚物極まる選択であったとしても。
「それでも私は……諦められないのだ!」
「先生!?」
愛弟子であるコルト・フェアリの声も届かない。叫びと共に踵を返したアランの姿は、濡れた木々の向こうに消えた。
「……最早、狂信の域だな」
揺れる藪を見つめながら、『Pantera Nera』モカ・ビアンキーニ(p3p007999)は呟く。
「生命を繋ぐための行動は尊い。蝸牛が卵のために捕食せんとするなら、私達が診療所の人々の命を護ろうとする行動も間違っていない筈だ」
装備を確かめながら、『タコ助の母』岩倉・鈴音(p3p006119)は言う。
「療養所には姉さんが護衛が入っているが、如何せんのデカブツだ。敷地内に入られて混乱が起これば被害を押さえるのは難しい。その前に仕留めよう」
言って、夜雨の中を移動する蛍光を目で追う。進む方向に、迷いが無い。
(もう、気づいているのか)
正しく。かの者が行く先には療養所がある。知る筈は無いのに。匂いか。音か。はたまた純然たる本能の成す業か。
(そちらは、頼むぞ)
先で守りにつく姉に、そう願う。
「コクレアを屠れば、わたしの主である魔劍もさらに強化する事が出来るでしょう」
療養所の門前に構えながら鈴音の姉、岩倉・真礼は施設の管理者達に言う。
「蝸牛狩りに、協力します」
力強い言葉に励まされ、管理者達は頭を下げて作業へと戻る。
幾重にも張られて行くバリケード。
此処に在する患者達は重病・不治・末期の者がほとんど。雨神の祝福が宿ると言われる此の地の水に、せめてもの可能性を託す者達。
身体の自由も効かず、体力も無い。無理に逃げても、どれほどの時が稼げるか。寧ろ夜気と雨の冷たさに蝕まれ、それこそ命が危うい。
事前の避難と言う選択は無謀に尽きる。
そして、付き添う介護人や職員達も。その程度で見捨てられるなら、元からこんな辺境まで寄り添っては来ないのだ。
皆の決意は固い。
だから、真礼はこの役を選んだ。
全ては妹とその仲間達に託し、己は最後の堰を守る礎に。
目の前に広がる昏い森。その向こうに、揺らめく蛍光の焔が見える。
距離はまだある筈なのに。酷く、はっきりと。
想像を上回る大きさと、そしてただ種を繋ぐ手段を貪らんとする無機の如き意志。
淡々と己が命の意を成就せんと蠢く原始の機構(システム)。
下手な悪意害意よりも、遥かに怖い。
「……ならば、此方も全力で……」
冷たい雨の中、真礼は静かに相棒の柄を握る。
「協力をお願いします」
アランの消えた茂みを向こうを、呆然と見つめていたコルト。彼女に向かって『ツクヨミ』善と悪を敷く 天鍵の 女王(p3p000668)は申し出る。
「見た所、貴女の師は失礼ながら思想が些か偏向しておられる様子。加えて、大分錯乱なさってもおられる様です」
「…………」
「このままでは、どうにも宜しくない方向に転がる可能性も否めない」
聞いているのか、いないのか。
何も返さず立ち尽くすコルトに、それでもツクヨミは論を説く。
「貴女も、相応の矜持と敬意を持って彼に師事していた筈。もし、そこに見出していた彼の像が紛い物でないと今でも信じているのなら……」
最後の言葉は、凛と鳴る。
「彼を咎人に堕としたくなくば、協力を」
「協力してくれ、コルトさん」
隣で見ていたイズマも願う。
「この森に救いを求める人々を犠牲には出来ない。
だから、アランさんが森から出ないように止めてくれ。診療所の人達をコクレアの餌にする、なんて言い出さない様に」
そんな事はと思いつつ、先のアランの目のギラつきは確かな不安を覚えさせるモノ。
そんな最悪の展開は、何としても。
「……先生は……」
沈黙していたコルトが、ポソリと言った。
「純粋な人なんです……。ただ、純粋に生物が好きで……魔族や人や、そう言った高位種族の争いに巻き込まれて絶滅していく原生生物達を守らなくちゃと私財を投げ打って……。そんな先生に憧れて、私は……」
濡れた眼差しが、ツクヨミ達を見る。
雨のせいか。涙のせいか。もう見分けはつかないけれど。
「……先生は、間違ってしまいましたか? だとしたら、何処で掛け違えてしまったのでしょうか……? 私達が、行かなければならなかった道は……」
「……その答えは、私達の中にはありません。見つけたいのであれば、貴女自身で見つけるのです」
静かに諭し、告げる。
「彼の、側で」
差し伸べる手を、向き合う手が躊躇いがちに握った。
「さて、行くカ」
話が付いた事を見届け、赤羽は皆と共に踏み出す。
闇夜。
雨帳。
そして、深い森。
五感の冴えは、酷く悪い。
それでも、かの者の動きを見失う事は無い。
その巨体に加え、繁殖衝動の発現である触角の灯が目立つ。
加えて、赤羽にはもう一つ確かな目印……否、耳印が。
コクレアの起こす地鳴りと、降り頻る雨音の奥から。なおハッキリと聞こえる大勢の声。
否、大勢と言うのは間違いかもしれない。それは、多にして個。数多の人々の思念が混じり、同化し、巨大な群体と化した異形の声。
そして、その声が象るモノは。
悲しみと苦悶に彩られた、怨嗟。
「……これまた、腹の底まデ響きやがル……」
死者の声。
位相を越えた先を見る術を持つ者に届く、彼方からの慟哭。
死霊術師である赤羽の耳は、それの尽くを受け止め。分析する。
声が訴える。意は復讐。望むは、コクレアの破滅。
声が通る度、脳内で再生される地獄。
生きたまま頭蓋を溶かされ、脳を啜られる者達。酸に犯され、身動きもままならぬまま、眼前で子が。親が。友が。恋人が。
それを成すモノに、一切の情は無い。
悦も。
悪も。
食する喜びすらも無く。
淡々と。ただ淡々と。
必要な滋養を取り込んで行く。
種を繋ぐ。
原初にて、根源たる生命の意。
それだけを、全うする為に。
だから、彼らは願う。
悲しみも。
後悔も。
痛みすらも、かのモノの苦となりはしない。
ならば。
ならば、せめて。
その意を奪おう。
無情にして絶対たる習性(システム)。ソレが至る先を奪おう。
それが。
それだけが。
我らが愛する者達へ捧ぐ対価。
例えソレが、如何なる犠牲の元に成るモノであったとしても。
もう我らには。
払う術すら有りはしない。
「……洒落にモならんナ。こいつァ……」
最早、如何なる言葉も術も。彼らを止める事は叶わない。目覚めさえしなければ、まだこの怨嗟を荒ばせる事だけは無かったかも知れないが。
(……ソレでハ、何ノ救いニモ成りませんノデ……)
思考の隅を、声が過ぎった。
聞き覚えのある、声だった。
「エメレア……やっぱり、お前の仕業カ……」
エメレア・アルヴェート。天慈災華の狂い姫。
死者の救済に、己が理の全てを捧げた狂人。
今まで静かにしていた霊達の急な活性化。そして、情報屋の思わしげな言葉。
恐らくは……と思っていたが。
「ったク、派手にやってくれやがっテ……。けれど……」
刻まれると思われた恨み節は、すぐに色を変える。
「そのお陰で、直に『彼等』の声を聞く事が出来る」
そう。死者の救済は、何も彼女だけの願いではない。
「俺達で、最後の願いを叶えよう」
独り言ちた言葉に、頷く気配が幾つ。そして、抜けた茂みの先に。
「おお……」
「大きい……」
響く、感嘆の声。
雨の匂いに混じって漂う、陸貝特有の土臭い臭気。纏って蠢くは、身の丈10m、体長に至っては闇の向こうに果てて見渡せず。
冠するは、子喰らい鬼王の御名そのもの。
コクレア・インフェルヌス・サトゥルヌス。
災禍を運ぶ、無垢なる神森の主。
一見竜種とも見紛う様な威容。流石の猛者達も、一瞬攻めあぐねる。
けれど、その間にもコクレアの進軍は止まらない。一心に進む様は、正しく『目標』を定めている事が明らか。
「ビビってる場合じゃねぇカ!」
本能の忌避を振り切って、走り出す赤羽。しかし。
ツルン。
異様に滑る地面に足を取られ、派手にすっ転ぶ。
「な、何だァ? こりゃ……」
拭った指に纏わり付いたのは、雨水でも泥でもない。ヌルヌルとネバつく、透明なゲル状。
「粘液か!」
それは、蝸牛を始めとする軟体動物が分泌する粘液。コクレア程の巨大種ともなれば、その量も尋常ではなく。
「こいつぁ面倒だナ……」
広く粘液に汚染された地面を見て唸る。これではまともに歩く事すら難しい。
さてどうするかと頭を捻った瞬間。
「ぼうっとするな!」
鋭い声と共に、掻っ攫われる赤羽の身体。一瞬遅れて、雨とは違った液体が降り注ぐ。強く感じる酢酸臭。受けた地面の下草が、白煙を上げて溶け焦げた。
見た赤羽、思わず唸る。
「桑原桑原。すまねぇナ、クロバ」
「異能持たぬ原生生物とは言え、生に対する執着は鬼気迫るモノがある。油断するな」
間一髪引き上げた赤羽を下ろしながら、クロバは彼に尋ねる。
「赤羽、これはお前らが知る死霊術士の仕業なんだな?」
「!」
少しの間を置いて、苦笑する赤羽。
「ま、そう言うこっタ。目的からしテ、多分どっかデ見てるだろうサ。だガ、ならどうすル?」
エメレアは厄介である。正味、今の状況で更に抱え込むのは得策ではない。向こうから介入してこないのであれば放置するべきと言うのが、正直な所。
「それだけ分かれば、十分だ」
そして、その意はクロバも同じだった。
「死者であれ、生きている存在であれ。生命を冒涜した罪は重い。それだけの話だ」
言葉の端々に怒りの気配は感ずるものの、それに囚われて喫緊の事態を危うくする愚は犯さない。
何処からか感じていた視線に射殺す様に一瞥を返し、クロバはまたコクレアへと走った。
「やレやレ……」
体勢を立て直しながら、赤羽はぼやく。
「バッサリ冒涜と言い切れねェとこガ、『アレ』の一番厄介なトコではあるんだけどナ」
いつかは。
でも、ソレは本当にいつかの話。
「間違った進化? 知的生命体の敵?」
滑る粘液を滑る様に跳ねながら、クロバは狂イ梅、毒泉の式を紡ぐ。コクレアの巨体に並走しながら、声を聞く。
霊魂疎通は、怨霊の嘆きを。
動物疎通は、コクレアの願いを。
愛する者。大切な者。そして、自分。奪われた悲しみ。苦しみ。苦痛。憎悪。
知あるが故に、患うが定めの負念。チリチリ。チリチリ。煮え滾る汚泥に火炙られる様な痛みが心を犯す。
「馬鹿言うな。勝ち残った俺達が勝手にそう断じてるだけだ」
コクレアの声。
無垢。透明。余りにも、純粋。
善も悪も無く。罪の概念も命の概念も無い。ただ、在るがまま。己が衝動の導くままに。種の存続と言うシステムを繰り続ける。
そこに、己の命すら介入する遊びは無い。
何処までも澄み渡り。
それ故に。
恐ろしい。
「等しく生きる権利がある。それにだけは同意するよ博士」
生命の平等を叫んだアラン。彼の半ば狂気に浮かされた眼差しを思い出す。
そう。彼の主張は正しい。全ての生命に尊卑は無く。であるからこそ。
「故に、これからするのは俺達の生存競争だ。これまでも、これからもずっと続いていく摂理だ」
抗う権利は、人にも有る。種の価値希少など意味は無い。生きようとする意思は、全て事情に優先する。
それこそが、ただ一つの真理。生命の、本懐。
迫る覇気に、コクレアの本能は彼らを餌ではなく敵と認識する。
防衛反応。
広域に吐き散らされた酸が降り注ぐ。
焼けつく痛みを対価と受け取りながら、起動する昏ノ太刀・滅影。踊る銀髪の下から、真紅の瞳で猛る競合者に告げる。
「……残念ながら、お前をこの先へ通すわけにはいかない。だが、『知ろうとする』のは俺達だけが出来る事だ」
刃一閃。硬い殻を、諸共穿つ。
動く触角。先で燃える目がクロバを見る。
怒りも無ければ、苦痛の色も無い。そも、そう言った仕組みを持たないのか。それとも。
硝子玉の様に澄んだソレを、己の視線で返し。
「せめて死と生を裁定する者として、錬金術師の端くれとして……」
一瞬の躊躇いを振り払う様に、力を。
「お前を理解する、努力は見せるぜ」
振り抜いた閃きに、殻の破片と葉色な体液輝羅綺羅と。
「死んだ人間の恨みつらみなんかは、俺としてはどうでも良いのさ」
空想による飛行。共に付与したイズマと共に足手纏いの地面を置き去りにしながら、サンディは呟く。
「ただ、何だろな?」
横で蠢くコクレアを見る。
手に負えようも無い巨体。
それに倣う怪力、重量。
そして、意志の疎通など叶う筈も無い無垢。
大自然の生子。
根底から異なる種。
人を糧としか認識しない捕食者。
制御不能の、災害そのもの。
「何ひとつ、管理出来てねぇモノをさ」
己が分を弁えず。その結果、生まれるを避け得ぬ犠牲を顧みもせず。ただただ、傲慢な理想のみに酔う思想。
「『管理観察してる!』みたいなさ」
それは、彼が最も唾棄するモノ。
「いかにも幻想貴族~みたいな感じがして、気に入らねえんだよな」
蛍光に光る触角。その先でギョロめく眼球が、サンディとイズマを捕らえる
偽書『ヨルの払いかた』によるアナザーアナライズ。増強されたモンスター知識が、危険の予兆を告げる。
「皆、来るぞ!」
届く範囲にだけも、声を届ける。皆が回避・防御の姿勢を取った次の瞬間。
吹き上げられ、降り注ぐ酸。防御越しに感じる熱感が、かの者の荒びを伝える。
人に倣う感情が無くとも。
人に通じる怒りが無くとも。
荒ぶ激情は有る。
本能が生きる為の術ならば。
生が至る道の障害に、荒び抗うもまた本能。
その生命の本質に、浅はかな偽善で茶々を入れると言うからには。
「男だよな!? そこまでやるからには、命賭けてんだよなぁ!?」
猛進するコクレアを阻む様に。
閃くは、外三光。邪剣の忌光が、無心に進むコクレアを縫い止めようとした時。
突然、真下に展開する魔法陣。
「何!?」
驚く間も、備える暇も有りはしない。陣から放たれた光針がサンディの四肢を射抜く。
血の飛沫と共に落ちるサンディ。進むコクレアの巨体が圧殺する寸前、暗視・透視・超聴力・エコーロケーションと持てる技術総動員で状況を把握していたイズマがその身を掴む。
響奏撃・弩で穿ってコクレアの注意を逸らすと、その間にサンディを抱えて離脱。
「大丈夫か!?」
「すまねぇ……」
纏い付く粘液をぴかぴかシャボンスプレーで落としていると、視界の端でまた閃く光。
「!」
起動しかけた魔法陣を、罠対処によって無効化する。
「対密猟者用のトラップ……。アランさんか!?」
発光してエネミーサーチを発動。索敵するが、感知範囲に彼の気配は無い。
「俺達の行動に反応した訳でもない……と言う事は、遠隔操作型か?」
だとするならば、術者であるアラン本人を抑えなければ解除は不可能。
(アランさんはツクヨミとコルトさんが対処する筈。なら……)
それまでは、術を持つ自分が対処する。
「なぁ、勝手な都合は貴方も俺もあの蝸牛も同じだよな、アランさん?」
あちこちで起動の気配を見せるトラップに向かいながら、イズマは何処かにいる筈のアランに言う。
「人間も生態系の一部。人間がそこから逸脱してると思う事こそがおこがましい。即ち、環境変化も俺達が最後の個体を討つのも所詮は自然の摂理。違うか?」
生命を説くのであれば、当然の理屈。
それでも、想いの暴走の果てにソレを歪めると言うのなら。
「言っておくが罠で止まるほど俺達は甘くない」
こちらも、信ずる理に従って抗うまで。
「俺達を妨害して逃げ回るつもりなら、その間にコクレアは絶滅するぞ」
けれど、せめても願わくば。
「ならばせめて、最後の瞬間までコクレアを観察したらどうだ?」
最後は、かの者の姿を追い続けた者の務めとして。
「……それが、研究者としての最善じゃないのか?」
ソレが在った、確かな証を刻む事を。
「……随分と、厄介なモノを誂えておられる様で」
「先生は、生物を一方的な理屈で害するのなら相応のリスクを背負うべきと……」
「その思いを、多少は人側にも向けていただけると結構なのですが……」
起動するトラップの数と威力の容赦の無さに呆れるツクヨミの声に、申し訳なさそうに頭を垂れるコルト。
「貴女が畏まる事ではないでしょう」
言いながら意思を繋げるのは、茂みの間を這い回る一匹のヘビ。
ファミリアとして使役するソレは、熱感知能力に優れた生物。闇と雨に閉ざされた森での探索には、うってつけの存在。
事実、程なくして。
「……其処ですか」
藪陰に隠れる熱源を感知。仲間に発見した事をハイテレパスで共有すると、自分は隠密行動に入る。複数の技術を併用し、更にはギフトによる幻影をスクリーンのように展開して周囲の異常を遮蔽する。
視界も足元も劣悪な環境に加え、地の理は向こうに有る。再び逃げられては、また無意な時間を食う事になる。
「お願い致します」
「……はい」
コルトにハイテレパスで協力を願う。
ゆっくりと進み出るコルト。怯える目は、それでもかの者が挟む場所をしかと見据える。
「先生……いるのでしょう……?」
「……コルトか」
茂みの空間が歪み、出てくるアラン。
「良い所に来た。手伝いたまえ。あの無法者達からコクレアを守る。トラップの起動術式は教えてあっただろう」
「先生……もうやめましょう。コクレアを止めて、療養所の人達を守らないと」
「……コクレアは、世界で最後の一匹だ。見捨てる事は出来ない。私達が、人が守らねば……」
「……そうです。私達は人です」
師の言葉に、コルトの声音が変わった。
何かを、決心したかの様に。
「先生は教えてくださいました。他の生物を利得抜きで守れるのは人心ある者だけと。けれど……」
言葉を探る。
外れかけた師の心。それを、在るべき道に踏み止まらせる為の言葉を。
「もし、他種を守る事に囚われて同種である人を犠牲にする選択をしてしまったなら。きっと、その瞬間に私達は人ではなくなります」
アランの顔が、強張る。
「己が血脈を残すのが、生命の本懐です。その為に同族を利するが種としての前提条件と言うのなら、それを外れた者はその種としての資格を失うでしょう。かと言って、利した他種になる事も出来る訳はない。コクレアでもない……人でもない……そうなった私達は……」
一瞬躊躇って。それでも、その言葉を口にする。
「きっと……ただの『化け物』です……」
「コルト……」
「先生、教えてください。私達は……人ではなく、化け物となった私達は……」
――何を、守れるのですか――?
「……優秀な御弟子を、お持ちの様ですね」
「!」
絶句していたアランにかけられる、もう一つの声。
見れば、そこには夜闇に微睡む様に佇むツクヨミの姿。
「ここから先は、私の戯言をお聞きください」
雨音に遮られぬ様、ハイテレパスの声が紡ぐ。
「御弟子様から、お聞きしました」
静かな囁きが、アランの乱れる心を撫ぜる。
「本来かの者は、休眠期間。繁殖には個体に高い負担が掛かる。休眠期間が長いのが、その証明。どうしてそれを、見過ごせましょうか」
まるで、その呼び名の元たる月神の声の祝詞の様に。
「不完全な状態での繁殖で子を増やす所か、それこそ絶滅ですね」
優しく。優しく、あやし。諭す。
「かの者は今一度眠らせ、本来の理に戻すべきです」
けれど。
「無理だ」
その道の識者は、静かに否定する。
「あの覚醒は、普通の繁殖周期によるモノではない。明らかな、狂乱状態だ」
ああ、分かっていたのか。
ツクヨミは、目を細める。
「私の知識内では、理解の及ばない現象だ。だが、これだけは分かる。通常の方法で、今のコクレアを休眠状態に戻す事は出来ない。出来たとしても、リスクが大き過ぎる」
見つめるツクヨミとコルトの間で、大きく息を吐いて。
「駆除するしか、ない」
絞り出す様に、そう言った。
「……絶滅は、免れません」
ツクヨミは、判断した。
もう、此方の真意を隠す意味は無い。
ならば。
「ですが、取引です」
申し出る。
たった一つの、選択肢を。
「医学と薬学を、職業柄嗜んでおります。遺伝子だけでも残し、再起の可能性を見出したいなら」
手を差し伸べる。彼の教え子に、そうした様に。
「協力して下さい」
差し伸べられた手を見て、アランは悲しく笑う。
「ああ、そうだね。きっと、そうするしかないんだ。コクレアを今の無為な苦しみから救って、罪無き人々を守る為には。だが……」
彼の口が、小さく何かを刻んだ。
気付いたツクヨミが身構え。
コルトが叫ぶ。
「私は、コクレアが滅ぶ瞬間を見たくない!!」
苦悩の慟哭と共に、起動するトラップ。無情の光針が放たれる寸前。
自身の幻影に隠れ、死角から現れたツクヨミの本体がアランに一撃を加えた。
「コルト……」
ゆっくりと倒れながら、彼は願う。
「コクレアの……最期を……私の、代わりに……」
それは、ついに御せなかった自身の愚情の肯定と。
確かに己の先へと進んだ教え子へのバトン。
「……難儀な、方ですね」
降りしきる雨の中、昏倒した古師を抱き締めながら。
新たな探究者は天鍵の女王の言葉に、静かに頷いた。
アランの拘束とトラップ解除の報は、ツクヨミによって直ちに皆へ共有された。
最後の詰め。皆が、一斉に動く。
「『コクレアが絶滅する危険がある』と考えるのは、我々人類が知的な動物だからだろうな」
罠対処への忙殺から解放されたモカが、先陣を切る。
「他の一般的な動物にとっては、そんなの知った事じゃない。喰うか喰われるか、その二択だ」
巨体の圧殺を避けながらレンジを取り、攻撃によるデバフを叩き込んでいく。
享楽のボルジアで致死毒を。ナイアガラデッドエンドで失血を。残影百手で進行を止め。雀蜂乱舞脚で呪いを穿つ。
上位捕食者とは言え、所詮はただ巨大なだけの蝸牛。穿たれたデバフは尽く通り、その身を蝕んでいく。
「私の料理を食べてくれる人間と、食べてくれない上に人間に恐怖を与え捕食する生物。私がどちらを取るかは言うまでもないだろ……」
痛みからか。それとも種の存続を阻まれる危惧からか。苦しげに身を捩るコクレアを真っ直ぐに見据え。
「我々は喰われたくない。ならば」
最後の、一撃を。
「喰うしかなかろう」
それこそが、唯一にして絶対の摂理。
苦し紛れに吐き散らされる酸を掻い潜り、側面に回り込む汰磨羈。絶界・白旺圏で宙を疾走しながら抜刀。
「内臓の位置も蝸牛と同じなら、殻の前半分側に肺、殻の付け根付近に心臓がある筈だが……」
仲間の位置を確認し、絶照・勦牙無極で穿つ。狙いは防御の要である殻。神秘を纏った刃閃に砕け散る。
「まだだ!」
そのまま残った殻に飛び乗ると、勦牙無極の撃ち下ろしで徹底的に破壊する。その果て、奥に見て取れたのは胃。飛び退きながら一撃。溢れ出した酸が、自身の肉体を侵し始める。
「……知的生命体を惨殺し、栄養を得る。そのような、知的生命体から反撃されても仕方がない繁殖方法を取った上で、最後の一匹となった」
自然摂理は、等価交換の摂理。得る為に殺すならば、抗いによって殺されるもまた定め。
「お前も、其が摂理に倣うを選んだ者! 依存はなかろう!?」
温度視覚で探り出すは、血流が最も多い箇所。即ち、心臓。
猛撃の〆たる一撃。吹き上がる緑色の血柱。
「……不適切な進化だった、という事だ」
刃に残る血を拭い、陰陽の式はそう告げた。
毒を喰らい。血を失い。酸に焼かれ、心臓を貫かれ。
それでもなお、コクレアは果てなかった。
寧ろ、己が命の終わりを悟り。血統存続の本能が、残る力の全てをそこに集約させた。
その様は、正に狂える竜に等しく。迂闊に近づく事すらもままならない。此処に至り、赤羽が最後の術を打つ。
エキスパートを持って発動する地獄花。持って呼びかけるのは、彼方の意志。コクレアを狂わす障りの根源。
荒び呻く、複合霊。
「死して尚、この世に残る貴方方……」
幾重にも重なり合う怨嗟の奥。其処にある筈の、人たる意思を探り出す。
「俺もまた、理不尽に命を失っテ。一度は彼岸に立って、此岸に帰り来し者ダ。その憤りハ、痛い程分かル」
探り当てた人の理も、怨霊と化した御霊の一部に変わりなく。故に、鎮まり給えと願うに非ず。
「身体を失ったぐらいデ、何もできないなんてムカつくよナ。だかラ、この赤羽様ガ……あの女の言う所ノ、死人権の行使を手伝ってやるサ」
正しく。願うはかの者達の復讐の成就。その助力。その怨嗟を晴らす事こそが、彼らを救う唯一にして最上の術。
「精々俺等が上等に働けるよウ、アンタ等の底力も見せてみナ!」
他に術を持つ者達の声も、次々と。
受けた怨霊達が、割れんばかりの叫びを上げる。叫びは呪鎖となり、憎き者の枷となる。
一瞬ピタリと止まる、コクレアの巨体。
「今ダ!!」
呼びかけに応じて、走る者。
鈴音。リトルワイバーンに騎乗し、木々の間を縫いながら接近シムーンケイジでコクレアを更に拘束。オールハンデッドで皆の機運を上げながら、コクレアを見る。
「……パンドラの加護で間に合う分なら、囮代わりにくれてやろうかとも思ったんだがな……」
そんな事をしても、何の解決にもならないと知っているから。
「どれくらい喰らえば眠るのか分かんねーんだ。学者センセイに聞けば良かった。悪ぃな……」
小さな謝罪と共に、迸る神気閃光。
「知的生物と言えども、いつかは滅ぶ。蝸牛よ、先に待ってろ!」
続いたのは、イズマ。
「命を賭けて、生きる権利を勝ち取らせてもらうよ」
ハンズオブグローリーで撃ち、発光で後続の道を照らす。
「最後まで生きた君に敬意を表して……永遠に眠れ」
静かな祈りと共に、必殺の一撃を。
最後に、クロバ。
「お前は、悪食が過ぎた。だが――それでも、生きていた」
コクレアの目が、彼を見る。
濡れていたのは、雨のせいか。それとも。
「それだけは、覚えておく。必ず」
放たれた終ノ断・生殄。最期の足掻きの酸も。せめても籠ったボロボロの殻も切り裂いて。
全ての閃きが消えた後、コクレアの巨体は一切の動きを止めた。
その身を洗う雨が、静かな音を立てて流れていく。
絶え行く種。その慟哭の様に。
●
コクレアを、食したい。
申し出たのは、療養所の管理者である地元の民達だった。
人を襲った獣を討った時は、その肉を食らう事で存在を自然流転の輪に還元し、不浄な人血に荒びた御魂を鎮め、後に祟り神と化すを防ぐ。
野の生物と共に、自然の一部として生きて来た者達の流儀であり知恵。
それを、コクレアにも施したいとの事。
「なら、私の出番だ」
料理自慢のモカが、ノリノリで申し出る。
「調理するには大分大きいが、私の調理技術に不可能は無い」
コクレアは見る見る解体され、展開された携行品の簡易キッチンで料理されていく。
雨で濡れた空気の中に溶けていく、暖かい香り。
味見して頷くと、モカは集まった人々に笑顔で告げた。
「今宵だけの特別な料理だ。召し上がれ」
本来、濃い粘液と酸。硬い肉質のせいで食用には適さないコクレアだが、モカの手腕によって見事な滋味へと変わっていた。
本来は、愉しむ為の食事ではなくあくまで自然信仰の儀式。とは言え、美味しくいただけるのならソレに越した事はない。
人々はモカの腕と、恵みをくれたコクレアに感謝しながら匙を運ぶ。
其処には最早、昏い負念も血臭も無く。
ただ清浄な自然の輪廻が回るのみ。
食は生命。糧を得る根源的喜びが、全てを浄化していく。
少し離れた所でその営みを見つめていたコルト。彼女に、近づく者達数人。
「コルト様」
呼ばれ、見た先にはツクヨミ・汰磨羈・クロバの三人。
「アラン様は、どの様で?」
「診療所の部屋を借りて休んでいます。まだ目は覚めませんが、命に別状はないそうです」
「それは重畳」
「ツクヨミ様の手腕のお陰です。先生に今一度のチャンス、ありがとうございます」
頭を下げるコルトに、ツクヨミは首を振る。
「彼の為ではありません。彼には、まだ果たさねばならぬ責任があります故」
小首を傾げるコルトの前に、汰磨羈とクロバが進み出る。
「コレを」
汰磨羈が渡したのは、数本の試験瓶。中が劣化しない様に、魔術で封がしてある。
「コレは……?」
「コクレアの細胞サンプルです。汰磨羈様のテスタメントのサポートで抽出・保存しました。お納めください」
「!」
驚くコルトに、汰磨羈とクロバは言う。
「学術的好奇心を否定するつもりは無い。何が役に立つか分からんしな」
「理解する努力は見せると言った通り、出来る限りの協力はしよう。解析と考察、たとえ滅びたとしても出来る事は残っている筈だ。『毒薬変じて薬となる』。譬え害を及ぼす存在であっても、俺達の今後に何かを齎すかもしれない」
「皆さん……」
「それと、コレもだ」
遅れて来たモカが、更に何かをコルトに渡した。
真珠色に輝く、ゴムボールの様な物体。手の中に収まるソレを見たコルトが、目を見開く。
「コクレアの……卵……!? 成熟してる!? どうして……!?」
「捌いてる時に見つけたんだ。一つだけ、他のと様子が違っていた。やっぱり、そう言う事か」
コクレア・サトゥルヌス亜種の卵は成熟する為の栄養素に知的生物の脳内物質を必須とする。
あのコクレアは、それを成さずに絶えた。それなのに、何故?
ツクヨミは、言う。
「あくまで……あくまでも、推測に過ぎませんが……」
曰く、己の種が絶える事を本能的に察したコクレアは、今際の瞬間の己の脳内物質を体内の卵に集約させたのではないかと。
コクレアは、知性生物ではない。脳内物質の成分は人のそれとは根本的に異なる。それでも、コクレアの本能は種の存続の為に無きに等しき可能性に賭け。そして、かの子はそれに答えたのではないかと。
クロバも言う。
「無論、その子が正常に育つかどうかは分からない。だが、もしそれが叶えばその子は人の血を啜る事無く生まれた子と成る」
そう。それは、コクレアと言う種の新たな生き方。知性体の犠牲を介さず、種を繋げる術の獲得。
汰磨羈は説く。
「他者を喰らい、糧にするだけが生命の在り様ではなかろう。より確実に繋げる道を、生命は常に模索する。それが、進化と言うモノだ」
最後に、モカ。
「見届けてあげな。それが、アンタらの責務だ。それでもし、その子がまた殺戮の道を辿らざるを得ないなら……」
「その時はまた、我々が止めましょう」
ツクヨミの約定。
コルトは頷き、静かに脈打つ卵を抱き締めた。
「……で、問題の霊達はどうなったんだい?」
宴の輪の外でちびちびやっていた赤羽を見つけ、鈴音は真礼と共にそう問うた。
「はテ? お前さん、そっちの方向ハあまり気にしないタチじゃなかったカ?」
そう訊き返されて、ポリポリと頬を掻く。
「まあ、確かに。霊には説得する言葉も無いし、生命あるものの戦場に死んだものが主張できる場なんてこの世にありはしないってのが自認ではあるけどね」
「コレ程の騒動を起こす怨念だから。逝く先くらいは把握していたいの」
もし、まだ未練を遺していたりしたら。また、何かの拍子に。
二人の言い様に、苦笑する赤羽。
要するに、おちおち酒も飲んでられないと言う事。
「心配いらねぇヨ。散華した。綺麗さっぱり、一欠の未練も遺さずにナ」
「そうか……」
「良かった……」
安堵する二人に、また苦笑。
「まあ、元々こんな大それた事なんて出来る筈もねェ弱い方々だったがナ。何処ぞノお節介ノお陰デ、大迷惑だゼ」
最も、その迷惑が無ければあの御霊達は文字通り世の末まで泣いていた訳で。
其処の所が、また癪であったり。
もやもやを洗い流す様に、杯を煽る。ほうと息を吐き、ふと気づく。
「そう言や、サンディとイズマはどうしタ? 姿が見えねぇガ……」
赤羽の問いに、鈴音と真礼は揃って森の方を指す。
「先に帰ったよ。いつまでも此処にいると、『死体を一つ増やしちまいそうだ』って言ってね」
「怪我が癒えてない。イズマは付き添いです」
ああ、と納得する。
サンディは、アランを許してはいない。彼の性格であれば、無理のない事。
「難儀なこっタ……」
笑いつつ、次を注ごうとした手が止まる。
確か、森の中にはまだ……。
しばし考え、いやいやと思い直す。
(今此処に至っテ、何をする筈モ無ぇカ)
先の読めない狂人だが、その点だけは妙な信頼があった。
改めて流し込む酒精。
心地良く、喉を焼く。
●
「悪ぃな。イズマ」
「全くだよ。俺もモカさんの料理、ご相伴に預かりたかったなぁ」
「……戻っても良いぞ?」
「その怪我で夜雨の森を歩き回られて、別口の餌になられても寝覚めが悪いね」
愚痴の真似を言い合いながら、昏い森を行く二人。
と、イズマの足が止まった。
どうした? と訊く前に、サンディも気づく。
少し先の闇の中、佇む小柄な人影。
修道女姿の、少女。清楚な姿の中で、額の紋章と紺碧の双眸が爛々と。
どうした、迷子かと尋ねようとして、一つの情報が二人の脳裏を過ぎった。
修道女。
額の紋章。
「お前!?」
「天慈災華の!?」
瞬間、少女の影から伸び上がった『何か』がサンディを飲み込んだ。
「サンディさん!?」
驚くイズマ。
術発動の素振りすら感じ取れなかった。想像以上の手練れ。イズマの戦慄が、走り切る前に。
ペッと吐き出されるサンディ。
「あ、あれ???」
ポカンとする二人に、彼女は言う。
「『苦痛』ヲ、此方に頂きましタ。御怪我はそのママですガ、夜道ノ苦労は無くなりマスよ?」
声の端々に垣間見える、狂気の気配。ペコリとお辞儀をし、丁寧に。
「此度ハ、哀れナ御霊の救済ニご協力イタダキ、心ヨリ感謝致しマス。この御礼ハいずれ必ズ……」
まるで当たり前の事の様な口調が、サンディを苛立たせた。
「待てよ。俺達は、お前に依頼された訳じゃ……」
「それデモ、貴方方ハこうしてクレタでしょう?」
穏やかに上擦った声は、あくまで親しげに。
「アタくシは、『貴方方』を信頼していマスので。此の世の、何モノよりモ」
まるで、悪魔に告白される様な甘ったるい怖気。
絶句する二人に、また微笑んで。
「ソレでは、また何れ。愛シく愛しイ、『盟友』方々」
言葉の結びと共に、影の底から伸びた無数の手が彼女を引き込む。
立ち尽くす二人。
後はただ、しとしと。しとしと。
雨の音。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
ご苦労様でした。今宵の案件、無事成功と相成りました。
後はごゆっくりお休みの程を。
それでは、またご縁機会など有りましたら。
その時はまたどうぞよしなに。
GMコメント
こんにちは。土斑猫です。
今回も頑張らせていただきます。
●あらすじ
繁殖に人を捕食する危険な生物が眠る森。
本来休眠期にある筈のその生物が、かつて捕食された者達の怨念によって呼び覚まされた。
被害者が出る前に、対処を願う。
●目標
巨大蝸牛『コクレア・インフェルヌス・サトゥルヌス』の被害を防ぐ事。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
●ロケーション
時間帯は深夜。
舞台は森〜療養所敷地。
天候は雨(豪雨ではなくシトシトと振り続ける)
夜に加え雨の為、視界は劣悪。
森の中は濡れた草木によって滑り易い。
療養所敷地内は玉石敷で多少動き易い。
雨の為、火及び熱を利用する魔法・武器は威力が半減する。
コクレアに療養所敷地に侵入され、犠牲者が出た時点で失敗となる。
●エネミー
『コクレア・インフェルヌス・サトゥルヌス』×1
巨大な蝸牛状原生生物。
ランダム周期で活動と休眠を繰り返し、活動期はほぼ繁殖行動に費やされる。
卵を成熟させる栄養素として知性体の脳内物質、特に致死レベルのストレスによって分泌される脳内麻薬を必要とする。その為、繁殖行動の一環として人間を始めとする知的生物を捕食する。
先の脳内麻薬の分泌を促す為、獲物は強酸性かつ強い覚醒物質を含んだ消化液によって意識を覚醒させたまま脳だけを引き摺り出すと言う捕食方法を取る。
ある程度の捕食をすると、数百個の卵を産んだ後に再び休眠に入る。
絶滅危惧種で、サトゥルヌス亜種はこれが最後の個体。
〈戦闘方法〉
・『圧殺』:進行方向で隣接した場合、物至単に大ダメージ。
・『粘液』:本体周り20m以内が粘液で汚染。命中・回避・反応・機動力が半減する。
・『酸』:強酸性の分泌液を飛ばす。物遠扇に大ダメージ。火炎付与。
※生命力が高く、非常にタフ。
※後述の複合霊の影響を排すれば、再び休眠期に戻る。
●『複合霊』
かつてコクレアに子や親、恋人を捕食された者達の怨霊。何も出来ない弱い霊だったが、エメレアに強化され合体する事で強い影響力を得た。
コクレアに取り憑いて繁殖衝動を掻き立て、それによってコクレアが駆除され種が絶える事を願う。
※コクレア以外は認知の対象外。危害を加える事は無い。
※コクレアが死ねば昇華・消滅する。
※複数の意志が混じり合い、混濁してはいるが思考力は残っている。強い意志で呼び掛ければ、疎通を図る事は可能。
※エネミー扱いではない為、戦闘対象には選べない。
●NPC
①『生物学導師』アラン・メトリー
50歳。人間種。男性。
コクレアの研究を生業にする生物学者。生物愛が強く、過激な行動を取る場合がある。
対処方針がコクレアを害する方向となった場合、森の中に仕掛けていた密猟者用のトラップを起動させる。
※トラップ:数は不明。嵌ると毒・出血・足止のいずれかが付与される。
術者の意識に連動して起動するタイプなので、アランを黙らせるor説得する事によって全て無効化される。当然本人は逃げ回る。
②『助手』コルト・フェアリ
16歳。人間種。女性。
アランの助手。彼を敬愛してはいるが、コクレアに対する姿勢には疑問を感じている。
説得する事で協力してくれる。
希望した行動を取らせる事が可能(プレイングにて内容明記)
③『天慈災禍の狂い姫』エメレア・アルヴェート
コクレアを憎悪する霊達に助力した、お馴染み気狂い死霊術師。今回は介入行動はせず、成り行きを見つめるだけ。
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