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シナリオ詳細

<タレイアの心臓>万華鏡に恋をして

完了

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●灰色の世界
 花の蜜は甘やかで、優しい微睡みに誘うよう。
 人の想いは不思議なもので、肌や距離でふわりと伝わる事がある。

『セカイは、今日も灰色だった』
 ――君がそう思っているのがわかっていた。

 ノームの里は、地下の遺跡部分で暮らす人とツリーハウスを橋で繋いだ樹上街で暮らす人で構成される小さな里。
 元々は遺跡に興味を持った穴掘り屋達が住みついたのが始まりで、代を重ねる内に手狭になったので一部の住民が樹上部分に家を作り始めた事で現在の姿となった。
 フラン・ヴィラネル(p3p006816)とグリム・サンセールはそんなノームの里で、共に『世界が灰色だ』と思っていたある意味同志のような幼馴染だ。

 ――碌に侵入者も来ない遺跡。それを延々と守り続ける、つまらない村の一族。それこそが、自らの故郷に対するフラン・ヴィラネル(p3p006816)の印象だった。
 自身もこの村の役目に縛られ、老いて死ぬのだろうか。そう思えば、彼女の心はただ萎びていって。
『セカイは、今日も灰色だった』

 一方グリムは、身体能力的に世界が灰色にしか感じ取れない少年だった。家族はグリムを連れて世界を巡り、あれは綺麗だろう、これは美しいだろうと自分達と同じ価値観を抱くよう期待した。グリムは何を見ても「うん」と言えなかった。父や母が心を動かす景色が、少年には響かなかった。感性の違いを感じれば感じるほど、家族は焦り矯正しようとしたし、少年自身は家族の期待に応えることができない自分を出来損ないだと思うようになっていった。そうするとますます、世界は遠くなり、孤独は深まり。
 世界中から拒絶されたような、たった一人異分子として生まれ落ちてしまったような、そんな感覚がグリムを支配した。
 絶望を深めるだけの旅。その結末はも残酷だった。
 旅馬車は襲われて父母は殺され、グリムは悪漢の玩具となった。
「ああ、俺が死ねばよかったのに」
 そう思いながら、囚われ繋がれ、嬲られ虐げられる運命を辿り、結果――「せめて死なせてほしい」苦痛から逃れたい、こんな生涯もう勘弁してほしい。少年は何度も願った。まるで罰ゲームのような生命で、誰一人理解者もいなくて――否。『いた』。ひとり、いた。
「みんなが素晴らしいと思っているものが、つまらないと感じる」
 ――そんな、同じような感性で里を見つめていた少女が、いた。

 その笑顔は可愛らしくて、あたたかくて、――『あたたかいって、こんなことなんだ』。
 指先は柔らかで、表情がくるりくるりと変わって、――『優しい気持ちって、こんなふうになるんだ』。
 声が明るく風に乗る。――『世界が明るいって、こんな時に言うのかな』。

 大きな葉の下で並んで座り込んで雨宿りをして、触れ合う肩が小さく震えていた。
 子どもどうしの距離感は近くて、あまり遠慮を知らなくて、その瞳に当たり前のように映る自分はなんだか別の生き物みたいに『この世界に居場所がある感じがした』。


●グリム・サンセール
 見覚えのある墨色の紋様が道を塞ぐように綴られている。
「この先はだめだよ。行かせられない」
 深緑を救うため、茨で鎖し、眠りの呪いへと幻想種を鎖した元凶こと『冠位』怠惰カロンを目指して大樹ファルカウの下層へと足を踏み入れたイレギュラーズの前に、グリム・サンセールが立ち塞がっている。以前の戦いで片腕を失った魔種が。

「お前は、ノウェル領で戦った魔種……!」
 『Safety device』ヨハン=レーム(p3p001117)が身構える。
(魔種は討伐する。それだけが僕から施せる慈悲だから)
 『純白の聖乙女』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)はヨハンの考えがよくわかる。彼女もまた、魔種の不可逆性をよく知っているから。
「これ以上犠牲者を増やさない、そのために……」
 倒すしかない、と呟いた。

 魔種グリム・サンセールは怠惰の冠位魔種カロンの配下。フランと同じ里の出身で、幼馴染だ。
「君たちは戦いを始めたがるけれど、カロン様は眠りたいだけなんだ」
 グリムはイレギュラーズの足止めをしたい様子で、カロンから借りた眠りの権能による世界を構築していく。
 それは、『眠りの世界』。
 侵入者を深い眠りへと陥れ、何らかの『条件』を熟さない限りは眠りから覚めることが無いように形成される世界。術者が術を解かなければこのフィールドから出る事は出来ない。

「あの魔種は、ティリオン殿が言っていた『子ども』? この世界は……?」
 ――先に進めば姿を現すに違いない、その魔種の討伐は任せてほしい、とティリオンに伝えて縁を繋ぐ『桜舞の暉剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)が周囲を見渡す。彼らがいる場所は、どうも深緑に住む幻想種の集落に見えた。特筆すべきは、集落の至る処に墨色で魔術に使用する紋様が書いてある事だろうか。
 遺跡の入り口、フランの家、グリムの家……様々な場所にあり魔力を帯びるそれらは、ヴェルグリーズが縁を持つ研究者ティリオンが教えてくれた術にとてもよく似ているようだった。

「ここは、ノームの里!」
 フランが声をあげた。地下の遺跡部分で暮らす人とツリーハウスを橋で繋いだ樹上街で暮らす人で構成される小さな里の中に彼らはいて、フランの見覚えのある里人たちがぽつりぽつりと日常の中――いずれも暗い顔をしている。ある者は家事を気怠そうにこなし、「ああ、もうやりたくないわ。毎日こんな事……」と呟いて。
 ある者はベッドで横になり、「ずっと寝ていたい」とごろごろしている。
 ある者は喋るのも億劫といった顔をして、空腹なのか腹を鳴らしてその場に座り込んでいる。

 声がきこえる。幾つも。
「今日が終われば今日と大差ない明日がくる。明日の次は明後日が。繰り返すだけ。食べて寝て――ああ、なんて無意味な生なのだろう」
「碌に侵入者も来ない遺跡を守る意味なんてあるのかしら」
「知識を増やしても死んだら無に帰すのだから、無駄なのでは」
「動くとその分休息を取らないといけない。動くことなく、ずっと休息していればよいのでは」

 その中にはフランの大切なお友達や、グリムやフランのおとーさんやおかーさんまでいるではないか。
「おとーさん……、おかーさん……っ?」
 二人は俯き、座り込んで娘の顔を視ようともしない。フランはがくがくと震える脚で二人の傍に向かおうとして――現実を思い出した。

 二人は救ったはずなの。ノームの里には、笑顔が戻っていったの。
(――けれど、『いなくなった』。それは、グリムがやったこと……?)

「伝えたかったんだ。その前に、君はいなくなってしまったけれど――」
 グリムはそんなフランへと、まるで御伽噺の王子さまみたいに優しく綺麗に微笑んで、ちいさな夏色の花を差し出した。
「フラン。色を見ることができて、けれどつまらない灰色を感じる君がずっと特別だった。君を同志だと思っていた。君が好きだった」
 5月の薫風は爽やかで甘酸っぱい香りを纏わせて、里に茂る緑がキラキラと明るい陽射しに輝いている。
「また君に会えて俺は嬉しいな。君もそうだったら、もっと好いけれど……俺は魔種だから、もう仲良くできないのかな」
 グリムは寂しそうに失った片腕を抑える仕草をした。
 それは、決裂の証。
 それは、哀しい運命のきざし。
 その瞳が希望みたいな小さな光をちらつかせながら、奥のほうでは「きっと断られるのだろう」とわかっている色を揺らめかせるから、フランは手を伸ばしたくなった。
「誰も争わない。誰も傷つけない。誰も悲しまない。正義も悪もなく、仲良く穏やかに――そんな世界を望むのは、いけないことかな? 俺は、フランと仲良くしたいよ」
 痛みを堪える彼の手を掴めば、きっとあたたかい。
 きっと、すごく嬉しそうに笑ってくれるんだ。
 けれど、この『眠りの世界』は――、
「君も、『世界は灰色で、つまらない』って言ってたじゃないか……?」
 気持ちがわかるだろう、と期待しながら拒絶を予想しているような哀し気な声と顔でそんな風に言う。

 ずるいんだ。
 グリムは、ずるいんだ。

GMコメント

 生きていて楽しいと思う瞬間や、日常の尊さってどんなところでしょう。
 透明空気です。
 今回は深緑の全体依頼をお届けします。

●成功条件
・『眠りの世界』を解除する

●失敗条件
・里の人々を怖がらせたり嫌がられたりする

●ロケーション
・眠りの世界(ノームの里)…地下の遺跡部分で暮らす人とツリーハウスを橋で繋いだ樹上街で暮らす人で構成される小さな里が今回の舞台です。里の人々は、グリム・サンセールを里の仲間として認識している状態です。
 里の人々は現在、「こんな世界はつまらない」「生きていてもむなしい」「もう何もしたくない」と思っているようです。怠惰モードですね。
 PCは里に招かれた客人、もしくは里の住人として現地で自由に行動し、里の人々に影響を与えることができます。
 魔種グリム・サンセールは今回のシナリオでは攻撃を仕掛けてくることはなく、PCの行動を静かに見守っています。
 里の人々に「何気ない日常の素晴らしさ」「世界の楽しさ、美しさ」「生きる喜び」といったプラスの感情を伝えたり感じさせたりできると、術が弱まり解ける仕組みとなっています。加えて、もし里の人々だけでなく魔種本人にプラスの感情を共感させることができれば、魔種は大幅に弱体化します。
 逆に、里の人々を怖がらせたり嫌がられたりすると術はより強固なものになり、魔種も強化されてしまうので、ご注意ください。

・墨色の紋様
 ヴェルグリーズさんが当シナリオに参加された場合は、ティリオンから教わった解呪の札を使い、眠りの世界にある墨色の紋様を一か所分に限り、消す事ができます。紋様が消えた場所が影響を及ぼす人は『眠りの世界』の中で正気を取り戻し、元の世界に生きる本人らしい言動をしてくれます。

●エネミー
・魔種【灰色の世界】グリム・サンセール
 深緑迷宮森林の村出身、色弱の少年であり現在は『怠惰』の魔種。過去の戦いにて負傷し、左腕欠損状態です。
 フラン・ヴィラネル(p3p006816)さんの関係者。戦域すべてに働きかける範囲攻撃を多用します。その能力や技は過去の冒険で一部が明らかになっています。主な技……『怒らぬ怠惰』『灰色の霧』『灰色の木葉』『墨色の紋様』。
 この魔種は皆さんが里でどんな行動をするのかを静かに見守っています。自分から戦闘を仕掛けてくる事はありませんが、もし攻撃を仕掛けられれば反撃をすることでしょう。

※魔種
 純種が反転、変化した存在です。
 終焉(ラスト・ラスト)という勢力を構成するのは混沌における徒花でもあります。
 大いなる狂気を抱いており、関わる相手にその狂気を伝播させる事が出来ます。強力な魔種程、その能力が強く、魔種から及ぼされるその影響は『原罪の呼び声(クリミナル・オファー)』と定義されており、堕落への誘惑として忌避されています。
 通常の純種を大きく凌駕する能力を持っており、通常の純種が『呼び声』なる切っ掛けを肯定した時、変化するものとされています。
 またイレギュラーズと似た能力を持ち、自身の行動によって『滅びのアーク』に可能性を蓄積してしまうのです。(『滅びのアーク』は『空繰パンドラ』と逆の効果を発生させる神器です)

●『夢檻』
 当シナリオでは<タレイアの心臓>専用の特殊判定『夢檻』状態に陥る可能性が有り得ます。
 予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。

●情報確度
 このシナリオの情報精度はCです。
 情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。

 以上です。それでは、よろしくお願いいたします。

  • <タレイアの心臓>万華鏡に恋をして完了
  • GM名透明空気
  • 種別EX
  • 難易度HARD
  • 冒険終了日時2022年06月04日 22時06分
  • 参加人数10/10人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(10人)

クロバ・フユツキ(p3p000145)
深緑の守護者
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
ヨハン=レーム(p3p001117)
おチビの理解者
リースリット・エウリア・F=フィッツバルディ(p3p001984)
紅炎の勇者
Tricky・Stars(p3p004734)
二人一役
フラン・ヴィラネル(p3p006816)
ノームの愛娘
ソア(p3p007025)
愛しき雷陣
ヴェルグリーズ(p3p008566)
約束の瓊剣
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
浮舟 帳(p3p010344)
今を写す撮影者

リプレイ

●colorful
 ブランケットが柔らかに擦れる。
 咳の薬が齎す口乾に水差しの残りを気にしながら子どもの手が紙の本を辿り、栞が床に落ちて、細い腕がそれに伸びた。
 指先で栞をつまんで、こほんと咳をする。
 発作みたいに咳が続くから息を吸うのに苦労しながら喉と肺をひくつかせて、ようやく吸う。酸素を感じながら、水差しに手を伸ばす――病弱な少年は、限られた時間を数えるように生きて来た。
「……ほんとに魔種って規格外の存在だね」
 呟いたのは、『今を写す撮影者』浮舟 帳(p3p010344)。
「でも、今回は言葉を持って伝える為の戦いだ!」

 ……だから、どうしようもなく奇跡めいた此のひとときの生の喜びを、刺繍をするように大切に心を響かせよう。
 声が枯れるまで、いや声が枯れても伝えて見せる。旅した中でボクが見てきた、綺麗で素敵な世界の形を!
 ――Now, let’s have a moment this happiness.

 道の傍で、誰にも気にされないような当たり前の石が転がっている。幾つも、幾つも。
 こんなに当たり前に陽光が注ぐ。
(小さい頃の記憶はどこかぼんやりしてて、怖い思いをしたせいだって思ってたけど……思い出した)
 『青と翠の謡い手』フラン・ヴィラネル(p3p006816)は花と灰のあわいに過去を垣間見る。

 小さい頃のあたしの世界は灰色だった。
 ……でも今、あたしの世界はカラフルで――幸せなの。


●其は、特異なる
 さて、此処に人がいる。
 場合によっては舞台装置とも攻略対象とも表現されるべき、心ある人々である。

「ふむ! ノームの里とやらを訪れるのは初めてだが、随分と気怠げなのだね!」
 語るは『悠青のキャロル』ヨハン=レーム(p3p001117)。ローレットのエース級と知られる勇者である。
「これは長丁場になりそうだぞ。良いかね? 医学的な話をしよう。まずこれは、僕たちの言動で彼らの心を動かせというミッションなわけだね」
 明解なる声は、その実力……数値では測れぬ問題解決能力をありありと伝える。
「今回はグリム君による部分が大きいのだが、一般的にここまで怠惰……もはや鬱症状が出ている者を助けるというのは難しい。いきなりファーストコンタクトから劇的ビフォーアフターしてきてと言われて、任せろと返事できるレベルではない」
 見霽かせば、集いしメンバーは戦力として上等すぎるほど。嗚呼、この武力で制圧するだけなら、どれだけ容易いだろう!
「それで? 僕たちはヒロイックな使命を帯びて何とかしよう等と驕りながら来たわけだ? そんなキラキラした人間からの応援など善意であっても鬱陶しいものさ。救いたがり……なんだったかな、そうだ。メサイア・コンプレックス」
 仲間たちは、幸いにして同じ視点でものを見れている。それはとても大切な事だった。これで武力制圧やら調査大会やら始められれば、いかに安全装置(Safety device)が機能しても天秤を戻す事が至難になってしまうから。

「自分たちの立場という物を意識して寄り添う事こそが大切なのさ。押し付けがましい説教はダメだね」

 見覚えのある景色だけどあの時とは全然違う、と『純白の聖乙女』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)はフランと視線を合わせて。
「悪い感情を抱かれないように、……だね」
 『紅炎の勇者』リースリット・エウリア・ファーレル(p3p001984)が「どのように接触するか、がカギですね。慎重に検討しましょう」と同意する。
「やあやあ、観客の心を掴んだり掴まなかったりする劇団ローレットの舞台袖はこちらかな?」
「とりま皆と仲良くなれたらオーケー!?」
 『二人一役』Tricky・Stars(p3p004734)が賑々しく双声連ねて。
「ふんふんっ……喜んでもらえばいいのか~……」
 『虎風迅雷』ソア(p3p007025)が尻尾をゆらゆらさせて、日向に伸びをする。
「確かにいきなり余所者が現れて「俺達は生きる喜びを知っている、だからお前らも喜ぼうぜ」と素直に説得してはいそうですねとなるなんて理想論にも程があるしな」
 『雪解けを求め』クロバ・フユツキ(p3p000145)が言えば、『桜舞の暉剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)も頷いた。『冬隣』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)も表情の窺えないフードの下、「マイナスの感情を抱かれそうな言動を排し、プラスの感情が見込める言動を心がければいいんだな」と方針を纏める。
「みんなの気持ちが伝わると信じてるよ」
 帳が、皆がフランを見る。里に縁深き少女、フランは頼もしい仲間たちに強い眼差しを見せた。
「うん、……みんなで、がんばろう!」

 フランのポニーテールが木々の緑の中でぴょこんと揺れて、溌剌とした「今からあたしたちがすること、全部。ちゃんと、見ててねー!?」という声が木霊する。グリムは静々と頷いた。
「わかった。観ているよ」
(彼がティリオン殿の言っていた子供……か)
 ヴェルグリーズの眼には、グリムが少女や自分たちの成す事に興味を抱いて、何かを待っているように見えた。
「村人が話す言葉のいくつかは実際に彼自身が思った言葉なんじゃないかな」
 囁けば、クロバが同感だと小声を返す。
(ティリオン殿との約束もある)
 ヴェルグリーズは、その縁を思った。
(この世界を打破して必ずグリム殿へこの手を届かせてみせるよ)
 その手には可能性が握られているが、物の形でそれが凝縮されていなくとも一人ひとりが現在時間を生きる『人々』はいつも可能性の塊だ。
「手分けして当たろう」
「了解――」
 明確にビジョンを共有する打てば響く10人が揃ったのだから、ゴールへの道は明るい。ヴェルグリーズの眼が物語れば、クロバの眼が同意の煌めきを返す。

「ここが、フランさんの故郷の……」
 リースリットは現実の筈は無い、けれど幻術の類にも見えない世界に気品のある金髪を靡かせ、歩む。スティアが「大分雰囲気が違ってるみたい」と右手を目の上にあげてからへろへろと降ろして見せた。
「きらきらっ……ふにゃあ」
「きりっ……へたぁ」
 フランが先輩の真似をするみたいにへたぁっとする。成程、とリースリットはわかったようなわからないような顔をした。
「怠惰モード、ですね」
「正解!」
「……正体は兎も角として。先程の魔種は里の出身者で、フランさんのお知り合い。……ですか」
 確かめるように零せば、フランはちょっと唇を尖らせた。
「グリムはずるいんだ」
 スティアが風にほどける白銀の髪を軽く手で落ち着かせながら呟いた。
「こんな世界で過ごしていたら精神がおかしくなっちゃいそう……」
 素直な感想を等身大の響きで舌先に乗せれば、「だよね」と共感が寄せられた。

 夢の中にいる。
 けれど、そもそも現実とて夢のようなものじゃないか。
「稔、どう思う? 稔も手伝ってくれよ~!」
「悪夢の中の悪夢、か。箱庭だな」
 華やぐ声、見下ろす声――Trickyは、虚は伸びやかに「やーあ!」笑み声温かに、里人の前にしゃがみ「どうしたんだ?」「遺跡の守り番だから行こうかと思ったんだが」「ふんふんっ?」「怠くてやる気がおきなくてサボっていた」「そっかそっかー」首をかしげる。
「稔、この人遺跡に引っ張っていく??」
 Trickyは青と橙、『稔』と『虚』を交互に魅せながら里を歩く。補色の如き双つの姿は、観る者に非現実的な気分にさせた。引っ張られるがままの誰かは、まるで小さな舞台に杜撰に転がされた、糸も切れかけの木偶人形。
「箱庭だな」
「遺跡はこっち? あっち?」
 兄弟や親友、相棒といった温度で声が連なる。
「つまらない、と云うのだったか。それが意味ある事だと意識させれば、少しは目が覚めるんじゃないか」
 虚が当たり前のように太陽に手を伸ばす。稔が白い雲の流される先を読む。
「……舞台上の全てに意味があるものだ」
 焦点が小さく窄まるように、雑音を排して感覚が高まっていく。人によってはゾーンに入ると表現するような――才花の発露。
「憂鬱な気持ちが晴れるように、明るい話題で」
 演出を相談するように、演技の打ち合わせをするみたいに二つの心が響き合う。
「そのあとは?」
「そのあとは……」
 華のあるその姿を視て、誰かが「二重人格?」と呟いた。
 ぱっと振り返る橙色がいかにも明るく楽しい色合いで――その過去に耐えがたい悲しみと絶望が秘されているなんて、誰も思いもしないのだった。
 当然だ。不遜に天使は勝ち誇るだろう――役者はあくまでこの限定的な箱庭舞台での役を演じるために此処に舞い降りたのだ、と。そんな事、当然だろうに? ――青い舌を覗かせて、その天才は哂うのだ。

「生きているのに死んでいる、生気のない村の人々……。灰色の集落、とはまさにこの事を言うのだろうか」
 クロバが感じるのは、すこし淀んだ風の流れ。己が歩む道のすぐ脇に流れるその小川。
(この光景を否定はできないのかもしれないな)
 ――俺も、生きる目的が無ければこうなっていたのかもしれないのだから。
 赤いマフラーが翻る。
「彼らの日常全てから彩が失われている。まるで……そう。怠惰の権能に侵されているかのよう。これを覆す亀裂を入れるには……些細な切欠が必要ですね」
 リースリットの声に頷いて。
「例えば……人生の彩として挙げられるものとしては、美味しい食事とかでしょうか。それは種族、文化を問わず共通です」
 スティアとフランが「私たちもそう思った!」と顔を見合わせた。
「都合のいい事に、身体が空腹を訴えていらっしゃる方が居る様子ですし、厨房をお借りして料理を振る舞ってみましょうか」
「家の台所つかおう。案内するね!」
 フランが自宅の方角を指した。
「よーし、精いっぱい腕によりをかけて、頑張ってみるよ」
 スティアが前向きに腕まくりをして意欲をみせて。つづく声は、その称号にふさわしい凛とした響きで。
「――世界は時に残酷だけど、とても温かくて優しいものなのだから」
 天から降り注ぐ日差しを大切に抱くみたいに、両手を胸にあてて微笑んだ。

 たった一言。
 ただ、微笑んだだけ。
 それだけで――視た者はその時、明るい世界を垣間見た。

 ――それは、スティアの『天賦(ギフト)』。
 スティアの周囲にいた人々が、プラスの感情を増幅させる。元々、温厚で善良な民ゆえに、効果は覿面だった。

「イレギュラーズだって」
「ローレットの……」
 里の人々が囁く声がきこえる。

 虎の耳の先端がぴょこりと揺れた。はらり、頭に降りた花びらに。
「はぁい、戦いは要らないみたいだね」
 しなやかな伸びをして、ソアのふわふわの手が花びらをちょいと摘まむ。
「ボクも戦わなくていいならその方がいいな」
 ひらり、風と彩を遊ばせて。
 お日さまが高い位置で落ち着いていて、絵筆を遊ばせたみたいな斑な陰を地上に落としている。太い枝に括られたハンモックをみつけて、ソアは身軽に身を乗せた。木々の葉を天蓋に、優しい影とオリーブの雫めいた木漏れ日の世界がゆったり、揺れる。揺り篭めいた心地よさにソアはとろりと目を細めた。
「くぁ……ぁー……ん」
 ――欠伸が出ちゃう。
(こうしているだけで、世界はとっても素敵なのにな)
 ――人間は面白い。
 ソアは微笑んだ。つまらなそうにしてる子どもの気配に目を向ける。
「おいでおいで」
 自分の恋人がソアを呼ぶ時みたいにあたたかに声をかければ、子どもの眼が野性の獣と出会ったみたいに変じる。微睡みの淵を覗くようにそろりそろりと寄る子どもを虎の手がえいっと悪戯な大胆さで出迎えて引っ張り込む。ふわりと優しく包み込んで、とろりと笑む。
「どうせ他にすることないならいいでしょう?」
 ――お昼寝の良さを教えてあげよう。
 にっこり、お姉さんなスマイルに子どもはびっくりしていたが、体温のぬくさと呼吸の心地よいリズムに誘われるように力を抜いていく。
 原始的で本能に訴えかけるような心地よい誘い。無垢に、柔らかに――虎縞尻尾の先がふぁさりと揺れて、「おやすみ♪」ご機嫌なお昼寝タイムのはじまり、はじまり。

 そんな二人の傍をそろりと忍び過ぎて、陽だまりに落ちる影の如き黑衣、浅黒い肌の少年――アーマデルは灰色の知人を思い出していた。
(灰色は全てを混ぜた色なのだと――そんなことを言っていたな)
 『濃淡で表す階調は多彩な光と曇りを魅せる。だが、そこから鮮やかな色をひとつ取り出す事は出来ない』
 何かにつれて彼を思うのは、それだけ彼がアーマデルにとって大きな存在ということだ。
 『コーヒーに入れたミルクを取り出せないように』
 全てを含むのに、それは混ざり過ぎているのだと。
 ほっそりとした長い指がスプーンを手繰り、マグの内側で混ざり合う彩を愉しむように語った、その優婉な声。珈琲のにおい。落とされるミルクの色までリアルに思い出せる。

 スプーンが混ぜてたてる音は喜びの兆しにも哀しみの予感にも成り得たし、さらさらと零した糖粉は。
(誰かの喜びが別の誰かを傷つけ、誰かの楽しさが別の誰かを打ちのめす)
(それをうまく調整するのが『他人と上手くやっていく』という事なのだろう。……俺は『ぶつからぬよう、距離を置く事』を選んだが)
 ――それでも、それが気に食わない者はいるものなのだ。
「ふう。思う所があり過ぎて、上手く立ち回れる気がしないな」
 アーマデルはグリムの視線を感じながら、住人に接触するべく歩み寄る。
「わかるよ」
 肩を並べるのは、ヴェルグリーズだ。
「俺はひとまず、里の客人としてコミュニケーションを試みる」
「いいと思う」


●森の薫り、木の香り
 ――結局は自分の力で立ち直るしかない、僕たちはそのきっかけを生むんだ。

「到着、からの合流!」
「警備ご苦労な事だね」
 ヨハンとTrickyが遺跡の入り口で相手取るのは、怠けていた守人。
 労いの言葉をかければ、男は微妙な顔で「サボってた」ともごもごと言い淀んだ。そう、と首を傾げつつ、ヨハンは隣にしゃがむと手伝いを申し出た。Trickyが――正確には稔が、ヨハンを見守っている。任せる、と。
 静寂が無限に続くような錯覚を招く。1分、2分、3分。――何も変化なく、ただ時間が過ぎていく――。
(うわぁ本当につまらないぞ)
 Trickyはというと、遺跡を調べている様子である。
 虚無い笑顔を薄く貼りつかせて、ヨハンは「この仕事、なかなかだね」と呟いた。声に籠る感情に、隣でしゃがむ男が「ですよね」と返事をする。
 ――会話の意欲がある。
 ヨハンはTrickyと視線を交差させた。
(嫌がられてはいない、順調だ)
(この調子で)
 Trickyが遺跡の建材にぺたりと手を置いている。Hollow Truth――Trickyのギフトが成果を齎す。
「妖精郷の門に繋がるといわれている遺跡、か」
 真実の欠片に呟きを洩らす。
「無頼漢に狙われたら大変な事になりそうな……」
「侵入者がやってきたこともあるんですよ」
「大変で大切な仕事ってわけだ」
「ええ、とても大切な仕事です」
 思い出したような響き。口に出した守人は、ハッとした。

 グリムが視線を注いでいる。耳をそばだてている。妖精郷の話をするTrickyの声は明るい。曇り空のどんより厚い雲のヴェールを取り払うみたいな快さで語れば、雨垂れめいた応えが少しずつ抑揚を強めて。
「これは、大切な仕事なんです」
 声を返す男の様子が明らかに変わっている。
 Trickyがそういえば空に浮かぶ島を知ってるかと話し始める。「あそこにも遺跡があった」と言えば、男はたいそう興味を抱いたようでワクワクとした目を空に向けた。

 滑るように空追い鳥が羽搏き翔ければ、地上では落ち陰が薄く音も無く駆けていく。

「人がプラスの感情を感じるならば、一番いいのはやはり感謝されることなんじゃないか」
「何が喜びで幸せか、それはヒトによりけりだが。多くのヒトに共通の『嬉しさ』のようなもののひとつは『故ある感謝』のような気がする」
 ヴェルグリーズとアーマデルが視線を交わし、方針を定めて互いの拳を軽くぶつけ合う。
「武運を」
「幸運を」
 ヴェルグリーズは、一振りの剣である。人とは異なる感性を有しながら、人という生き物への理解度は高い劍である。

 何人もの使い手の手に握られ、その生涯に寄り添った時間。
 人の姿にて人の足で日常を、戦場を歩んだ時間。
 それが齎したのは、物事を別の視点から捉えた時を想像する能力だった。人それぞれがその者だけの人生という名の物語を有するのだと他者の主観に思いを巡らせる特質だった。

 ヴェルグリーズは友を想い、仲間を思う。敵を思い、人を想う――そんな『ひと振り』である。
 人の姿での指がすくいあげるのは、誰かに忘れられたぬいぐるみ。
「持ち主を知らないだろうか?」
 穏やかで優しい声でぬいぐるみを抱えて問えば、幻想種がぼんやりと首を巡らせる。あの子のものだ、と示された花畑に、子どもがいた。
「ありがとう。持ち主がわかってよかった。これを渡してあげようと思う」
「そう、してあげて、ほしい」
 きっと、こうなる前は世話好きだったのではないだろうかーーヴェルグリーズは推測した。
「ああ、そうだ。あの子の名前は?」
「……ミーリエル」
 怠そうながらも、幻想種はついてきた。ヴェルグリーズは子どもにぬいぐるみを差し出して語り掛ける。
 人は名前に想いを籠める事が多いから、親に愛情たっぷりの名を贈られたのだろうとヴェルグリーズは微笑んだ。
「花に愛されるミーリエル、愛の花ミーリエル、ボクを忘れないで」
 人がそうするようにお道化た声でぬいぐるみを喋らせれば、子どもが反応を見せている。
「ボクをお迎えしてほしいな」
「リーフ……」
 ぬいぐるみの名前を呼んで、幼い手がそれを受け止める。
「あのひとが教えてくれたんだよ」
 ぬいぐるみを抱きしめて幼い声が礼を言う。それが心を揺らしたのか、怠そうな幻想種は目を細めた――嬉しそうに。
「――貴方と会えてよかった」
 言おうとした言葉がそのまま返ってくる。人と関わる時間の中で、よく見られる現象だ。ヴェルグリーズはその響きを心地よく受け止めて、自身もまた真心からの声を返すのだった。

 アーマデルが手を差し伸べるのは、水を汲んでいた男に向けて。
「手伝わせて貰えるだろうか?」
 ぱしゃり。カコン。涼やかな音が鳴る。
 井戸の奥底に目をやり、桶を手繰り寄せて水をくみ上げるアーマデルは桶に括った縄を外そうとしてつるりと指を滑らせる。たっぷりの水を湛えた桶がぐらりと傾いて、大変! 水がかかりそうに――、
 がしっ。
「あ!」
「っ、大丈夫か?」
 思わず、といった手が横合いから伸びて、幻想種の青年が桶を支えた。もうひとつ伸びた別人の手は同時にバランスを崩したアーマデルの背を支えるように。
「ありがとう」
 どことなく背伸びするみたいに顔を見上げて感謝を伝える少年に、大人たちは安堵と心配の織り交ざった目を返した。
「これを、どこに運べばいい?」
 アーマデルがたった今気づいたように首をかしげれば、周囲の者たちは「足が悪いリッテルさんの家に」と道を教えてくれる。生真面目な声が「了解した」と答えて桶を大事そうに抱えて行く背を見つめていると、怠惰が井戸に流れていくような心地。
「一緒に持とう」
 手が伸びる。
「あなたがいてくれて良かった」
 事実、いなかったら何をどうすればいいかわからなかったし、盛大に水をぶちまけていただろう。
「ありがとう」
「手伝ってもらってるのはこちらなので」
 不思議なことに、重さを分かち合うようにして歩む足取りは進むにつれ軽くなっていくようだった。言葉を代わる代わる発して心を見せ合うようにすれば、優しさと楽しさが胸の奥で踊るようだった。
 ありふれた羽虫がぶんと音を立てて、まとわりつく。
「日常のさまざまな事。家事も、学びや教授も、見守る事も。誰かがするからこそ保たれているものだ」
 ――『当たり前』になると失われていくもの。内に存在はしても忘れてしまうもの。
「役に立てたなら、よかった」
「こちらこそ」
 リッテルさんの家に着けば、具合の悪そうな顔で「今、とても眠たいの」と言いながら戸が開かれる。『こうなる前』の人柄が窺い知れるようだ、とアーマデルは痛ましくも好感を湛えてその顔を視た。
「ああ、お水が足りないとおもっていたんだわ。ありがとう」
 リッテルさんがそう言って、少しだけ表情を華やがせた。
「大丈夫か? 他に手伝えることがあるだろうか」
「お腹が空いてはいないですか」
 アーマデルが尋ねたのを皮切りに、いつの間にか怠惰の皮が剥がれたみたいな顔になって、幻想種の里人も問いかけた。

 里人が1人また1人、薫風に気付く。
 里の子が齎した茅花流し。
 外に出た少年少女が連れ帰ってきたそれは、新鮮な涼風だった。
 愛らしい娘、フランが『先輩』と呼ぶリースリットやスティアが並んで道を往く姿は華やかで、無感動が占拠していた里人の心に微笑ましさのようなものがほわりと燈った。


●風と壱枚
 クロバという青年は、深緑(アルティオ=エルム)の民には有名だ。イレギュラーズの中でも、特に名声が高い彼の武勇伝は里にも伝わっている。
 ――あの方が、高名な……。
 幾つもの眼が、クロバの姿を追う。
 左目と腕が黒く侵食されているように染まり、魔物めいて一部異形化している、禍々しい風貌。
 ――まるで、死神の如く不吉。
 どこか影があると感じさせながら、強い意志を秘める眼差しは絶対的な正義を魅せる英雄のよう。
 そんな空気感をはかるように、クロバは歩を進めた。
(コミュニケーションは取れる……か?)
 クロバが座り込むひとりに近寄る。弓を近くに転がして、自失した様子のその狩人に。
「弓を扱うのか」
 どこか遠い場所からやってきた風が囁くような希少な心地がして、狩人は口を開いた。
「どうも、やる気がなくなってしまって……」
 元々、クロバ自身がやや内向的な性格だ。人への接し方がよくわからない、そう思う時もある。故に。
「そうか」
 緑色の草が柔らかに揺れる。狩人の隣に腰を下ろしたクロバは、急がなかった。苦手に挑む分、慎重に相手との距離をはかり、心の機微を気にかけているのが相手に伝わっているが故に狩人の瞳には、好感があった。好ましい距離に誘われて雪解けを迎えた川の如くさらさらと流れていく、心。
「あの弓で里の人々の晩飯を狩ったりするのか」
「ええ、そうです」
 密やかではあったが、誇りめいたものが閃いて、弓が拾われた。

「貴方と話せてよかった」
「なんだか、気持ちが明るくなりましたよ」
 ――グリムが風を追いかけるように声をきく。

 里の人々と一緒に座り、地面に荷を降ろして中からaPhoneやビタミンカラーの小さいケースを取り出す、あどけない風情の少年――帳は「人と話すのが好きなのだ」と自然にわかってしまう、そんな懐こさで笑っている。
 帳は陽気で明るく「愛情をたんと注がれて真っすぐに育ちました」といった雰囲気がある。けれどその語る話は、見せるピルケースは。
「ぼくにとって、『生きること』はそれだけで喜ばしいことなんだ。こんな風に元気だけど、お薬を沢山飲んでないとここまで動けない位に虚弱でね」
 帳は生まれながらのハンディをありありと語る。
「それどころかベットの上から動けないくらいかな?」
 ケースの中身を大切そうに見つめて、けれど不幸ぶる気配はなく続けるのだ。
「そんなだから長く生きられるかもわからない。……だから明日が来るだけで嬉しいんだ!」
 ああ、とグリムは息を呑んだ――帳の気持ちが伝わったからだ。言いたい事が、行動の意図が。
 冬が寒いから夏の暑さがわかった。そんな温度で少年が笑うから、耳を傾けぬ者はいなかった。皆が聞き入るその声は健気で、きらきらしていた。
「それにね、こんな体でも頑張って旅をしてきたからね、『世界の美しさ』は語れるよ」
 帳がaPhoneを見せてくれる。
 人々は無気力の影から這い出てそれを視ようと身を乗り出したし、グリムも気になってしまう。
 ――なにせ、グリムとて親に連れられて世界の美しさを知るための旅をした経験があるのだ。グリムが自分の親に応えられなかった『模範解答』が魅せられるのだ。気にならないわけがなかった。

 電波が通ってなくとも、そこにある静止画や動画は見せられる。帳はそう言って欲しかったものをグリムにくれた。
「海洋の夕陽はまるで朱に呑まれるぐらいに壮観だったなあ。ほら、これが海。ずーっと、果てし無く水がちゃぷちゃぷしてるんだ……うん、深いよ! 鉄帝の雪景色は冷たくてもそこで暮らす人の強さで輝いていてね……ふふっ、あそこの人たち、元気いっぱいなんだよ!」
 懸命な声が、健気な笑顔が語る。
「天義の信仰は厳しいんだ。政治の揉め事もあるみたいで、……。人の歴史があって――一生懸命で、不器用で。人間らしさを感じるんだ。……あ、これ? 砂漠だよ。ラサのオアシスで迎えた夜はバザールの灯りがあっても霞まないほど綺麗だったな」
 人々は皆、世界をその手のひらに夢見た。グリムは、自分がこんな風であれば両親を喜ばせられたのではないかと思った。

「この深緑の森は何処までも偉大だね。鳥や獣たちの鳴き声、蟲のさざめき、川のせせらぎ、木々の揺れる音――全てがボクにはとても綺麗に思えるよ。他の国の森に行ったこともあるけど、此処のはそれらよりも更に大きく――そして偉大だ!」
 彼らの森をそう褒めてくれるから、皆が胸をそらして嬉しそうに口元を緩めた。

「だから、ぼくは世界が大好きだ! 苦しみや悲しみがあってもその輝きは確かにあるんだ!」
 偶像の血脈、生贄の血脈。虚弱体質がそれに由来する少年が言うのだ。
 そんな風に旅をして、このように叫ぶというのだ。
 その声には説得力があって、皆が心を動かされずにいられなかった。
「どうか、君たちも前を見て。積み重ねた君たちの世界はこんなに綺麗なんだ!」
 一人、また一人、頷いて。グリムは不思議な静けさと共に、そんな里人と少年を見ていた。その光景こそが、特別価値のある奇跡に思えたから。

 語り合う声を運ぶ風が、ゆらりと洗濯物を揺らしていく。
 ぽかぽかとした陽気。魔種の力が弱まっているのを感じながら、濡れた布の冷たさにヨハンは呟く。
「毎日これを続けるのは嫌になるね」
 洗濯物を干してくれるというので、手伝いに甘えていた女性が「全くよ」と苦笑した。
(ふむ。笑顔が出るようになった……)
 前進を感じる。思っていたより順調だ。里人の元の気質もあるのだろうか、と分析しつつ。
「ええ。私の人生はこれを繰り返して終わるの、と思ってしまうわ」
 全く同感だと頷けば、女性は意外そうに呟く。
「先生は、『そんなことを言うな』と仰らないんですね」
「そう、僕は説教に来たんじゃあない。この無意味な生というものを確認しに来たんだ」
 女性が好感を抱いた様子でくすくすと笑った。

 ――肌に感じる、確かな手応え。

「うん! 俺たちは二人で一役なんだ!」
 Trickyがいつの間にか里の人々に囲まれている。
「この里で、可笑しくて、明日の不安なんて想像も出来なくなるような、とびきりの喜劇をやってみるのも良さそうだ……なんてね」
「劇作家さん! わたしも劇に出られる?」
「そこのお姉さんはダイコンだぞ、劇作家さんの劇が台無しになっちまう」
「なんですって!」
 賑やかな声が里に増えて、人々の表情が笑顔に変わっていく。

 ――この世界を彩るものは、目に見えるものばかりではない。友と交わす何気ない会話、本の一節、新たな出会い……そういった中にもあるのだ。

 虚がグリムを見て、笑顔で手を振った。釣られたようにグリムが片腕をあげて手を振って――稔があっかんべーしてみせれば、意表を突かれたように目が丸くなる。
「今話したことは、明日君達が体験するかもしれないことなんだよ」
 明快な声が夢のような可能性を語る。
「ぼくも明日いきなりイレギュラーズになるかも?」
「イレギュラーズになってもならなくても、いつ何が起きるかわかんないぜ!」
 ――楽しさが広がっていく。
「未来には明るい光が差している。信じて進めば必ず見えてくる」
 ――ああ、その語る声には説得力があって、誰もが胸を躍らせずにいられないのだ!

 フランの家では、少女たちが賑やかな声を響かせていた。
「任せて、得意分野だから!」
「スティア先輩、たのもしーっ」
 フランの家で料理を始めるのは、三人。
「お邪魔します!」
「入って入って~」
 お友達が家に来た。そんな雰囲気でフランは両親に揺れる瞳を向けて、ちいさな声で「ただいま」と呟いた。
 しん、と静まり返った一瞬が怖くて、つらい。動揺せずにいられないフランを、リースリットとスティアが支えてくれた。
 おとーさん、おかーさん――縋りついてわんわん泣いてしまいそうな自分を叱咤して、フランは視線を台所に移した。

 ――がんばらなくっちゃ。
「……まっててね」
 二人が頷いてくれる。

 ことさらに明るい声で、笑う。
「エプロン、どうぞ!」
「わ、可愛いエプロン」
 お揃いのエプロンをつけて、食材チェック。
「こっちの棚に調味料があるよ。この瓶がお塩、これはお砂糖……」
「ふんふん、ひととおり必要なものはあるね!」
「冷たいデザートもつくりたいですね」
 リースリットが苺を洗ってヘタを取りながらセミフレッドを提案する。
「喜んでもらいたいね!」
「食べて貰う人の笑顔を思い浮かべて作るのは楽しいよね」
「私はホットサンドにしようかな」
「あたしは、シチューを」
「じゃあ、スティアさんのシチューと相性がいいのをつくるよ!」
 フランが懸命につくるのは、おかーさん秘伝のシチュー。家はいつも通りのようで、全然違うけど――鼻の奥がツンとして、眦がじんとしてきたから、フランは両手をぎゅっと握った。

 食欲を刺激する香りが風に乗って届いてくる。

 良いにおいだな、と呟けば弓を置いたままの幻想種から共感が返ってきたから、クロバはコミュニケーションの成功を感じた。
「貴方には夢があっただろうか?」
 ふっと迷子のような顔が返される。
「そうか」
 クロバはそれを予想していたように受け止めて、声を連ねた。
「俺は、それなりに長く旅人続けてきた」
 青年の声が語るのは――、
 戦場。左から来る敵を自分が、右から来る敵を仲間が受け止めて、命を賭した仕事の話。
 温泉。卓球ラケットを握って二枚のラケットで勝負した話。
 海。お菓子をぽぉんと投げて、イルカが受け止めた時の高くあがる波しぶきの煌めき。
 暑さ。寒さ。厳しさ。楽しさ。仲間と自分。敵と景色。
 屋敷や周辺の建物が小さく模型の様に見える高所。約束の残滓を胸に、夢なんて無いと語った時。大志を宿す瞳が夢を語って、夢が叶う瞬間をこの目で見てみたいと思った事。
 ――夜は必ず明けるのだと、祈り、願っている事。
 じっと耳を傾けるその心へ、すこし不器用な言葉が降り積もる。
 ――ゼロで眠ってしまった人々の心に色を。

 弓を取る手は、力強く。
 しっくりくるそれを携えて、狩人がクロバに笑む。明日からはこれまでの日常に帰るつもりだと言って。
「庭のようなものです、この周辺の森は。先祖代々、幼い時から我が子に伝えるのです。森の見かた、森の歩き方、狩の仕方」
 それは誇りなのだ。クロバはその肯定に頷いた。
「明日は良い肉をご馳走しますよ、旅人さん。いずれ別の地で語られるかもしれないあなたの冒険譚を彩る、とっておきを――それを聞いた誰かが羨ましいと零すような立派なのを」
「ああ。頼む」

 フランの家では、料理がどんどん完成していた。
 フランは鍋つかみで耐熱皿を持つ。母、ミュスカのように。
「……おまたせ。あったかシチューのできあがり、だよ」
 コトリ、と素朴な音を立てて白いスープが置かれる。優しい、良い匂いが温かい湯気をいっしょにほわりと広がった。
「はい、あーん」
 ほたりと零れたしずくを指でぬぐって、安心させるように笑顔をつくって、フランが健気にスプーンでシチューを口もとに寄せると、父は目を細めた。母が自らの手でシチューをすくい、父が口に入れるのと同じタイミングでそれを味わう。
 ぽたりと雫が落ちる。
 ひとくち、口の中に招かれたシチューは淡く甘みを帯びた柔らかな味だった。よく煮込まれた野菜は、歯を立てると蕩けるように崩れて、美味しさを口のなかいっぱいに広げてくれる。
 ――美味しい。
 ちいさな声が洩れる。
 スプーンが揺れて、雫がこぼれた。
「……」
 父と母が顔をあげて、娘を見た。
 肩を小刻みに揺らしながら、甲斐甲斐しくスプーンでシチューを掬って。眉尻をさげて双眸を涙の潤みに煌めかせ、必死に笑顔を向けるフランを。
「……フラン」
「フラン」
 二人分の声が重なる。弾かれたように顔を視て、少女は両親に抱き着いた。
「――お、おかあさ……っ、おとうさ……んっ……!!」

「これで、フラン殿のご両親が戻るだろう」
 家の外で解呪の札を掲げ、墨色の紋様を打ち消したヴェルグリーズが踵を返す。
(今回の鍵はやはり、フラン殿だ)


●料理
「じゃーん! スティアスペシャルだよ!」
「たくさんあるよ~!」
 リースリット、スティア、フランが料理を完成させると、人々は空腹を思い出した。
「フランちゃんとお友達がふたりで作ったのかい」
 フランにそう尋ねるのは、先ほどまで喋る気も起きないといった顔をしていたおじさんだ。
「うんっ! 食べて食べて?」
 いっぱいあるから遠慮しないでね、という少女たちの笑顔に釣られて、人々が手を伸ばす。自分の意思で手を動かして――美味しさに自然と笑みを零す。


 すや、すや、す――くう。
 お腹が鳴く。
 いいにおいがする。

 涼風が届けるにおいは、目覚めの後に幸せが待っていると甘美に誘うようで、ソアは口元に手をあててふわ~っと欠伸をした。
「んぅー、」
 ごろんっと転がるように地面におりて、一緒にころんっと転げた子どもを抱っこする。
「お腹がペコペコ~、ご飯にしようね」
 子どもはまだ半分夢の中みたいな顔で、くわりと欠伸を噛み殺している。
「貴方もお腹空いたでしょう」
「……」
 瞼をおろし、子どもはもごもごと何かを零した。
「ええ、知らない? ううん、困ったな」
 ほてほてと仲間のところに歩いて、ソアは子どもを降ろした。
「おはよ~」
「おはよう!」
 大人しい子どもに「待っててね」と言って、ソアは食材をチェックした。
「食材、余してるね……全部好きに使ってうんと贅沢しちゃうよ?」
「いいと思う」
「うんうん」
 リースリットとスティアが頷いた。
「よ~し。ボクでも簡単に作れそうなサンドイッチでいこう」
「ソア・スペシャルかな?」
「対抗してスペシャル合戦する?」
「スペシャルコラボしちゃう?」
 パンを切ってから焼しめて、香りの良さに思わず喉を鳴らして。子どもがじっと見ているから、「何を挟もうか?」と笑いかける。
「良い香りでしょう? 今度こそお腹空いた? ほらっ」
 ひょいっと虎の耳をお腹にあてれば、素直なお腹の虫が空腹を教えてくれる。
「おなか、すいた」
「うん、正直でよろしい!」
 ソアはからりと笑い、サンドイッチをつくっていく。
「これは、タマゴ……これは、お野菜……これは」
 ――1個は辛いのたっぷりの『当たり』を作っておいたよ、と悪戯にウインクして。
「あたり……?」
「ボヤボヤしてる顔がきっと火を噴くんだからっ♪」
 ソアは尻尾をひょこひょこ揺らして、余った食材をつまんだ。
「これ、おいしー」
 子どもがぽやぽやと言って新しいサンドイッチに手を伸ばし――「ッん、んん!?」「あ、当たった?」びっくりしたような顔がそれを持て余して喋るどころではない様子で首を縦に振る――額に汗を浮かべて、目は涙目。顔が真っ赤になっている。
「ふっふー、びっくりした? ジュース飲んで」
「んんー!!」
 子どもがジュースを慌てて受け取った。

「――こんな風に、何気なく過ごすのがボクは一番楽しい」
 グリムの視線に気づいて、ソアは口元で虎の指をたてた。
「こんな毎日を守りたいから働いたり戦ったりする。きっとそれは、里の人も同じだったはずじゃないかしら?」

 金色の瞳がきらきらとしていた。グリムは少し考えて、「そうだね」と同意した。当たりのショックから回復した子どもが、じーっとソアを見ている。
「はい、普通のサンドイッチだよ」
「ほんとのほんとにぃ……?」
「ほんとのほんと」
 まるで本物の姉妹みたいなやりとりに、スティアとリースリットがくすくす笑った。
「ソアお姉ちゃんのサンドイッチが心配なら、私が食べちゃおっと」
「あっ」
「私も……♪」
「あーっ」
 子どもが慌ててサンドイッチを手に取る。ソアはニコニコして新しいサンドイッチを追加した。

 里を包む空気が変わっている。中の人々が、笑っている。
「もうすぐ夏、この里にも夏蜜柑が実るね」
 これからの楽しみを語れば、その季節を楽しみにしているおばさんが「たのしみね」と声を返してくれたのが嬉しくて、ひまわりみたいに破顔してフランは母といっしょに手を振る。
「グリム! グリムもこっちにきてーっ」
「フラン、こぼしてるわよぉ」
「ぎゃー!」

「呼んでいるよ」
 動かないその背を押すような声。
「キミはああして生き生きとするフラン殿を否定するのかな、あれもフラン殿なのに?」
 ヴェルグリーズが真摯な眼差しで陽だまりを見つめている。
「フラン殿が家族に囲まれて幸せそうに笑っている――そんな姿は、好き? 嫌い?」
 グリムが足を一歩踏み出した。

「そんなの……」
 決まってるじゃないか。

 細やかな雨垂れのようにしめやかに密やかに空気を震わせる、ヴェルグリーズにだけ届くように顰められたその声は、とても人らしく生々しい。繊細で未成熟な少年らしい。

 父レザンは愛妻ミュスカの木の実入りのパンを手に愛娘フランがグリムに料理を渡すのにぐぬぬと唸り声を零している。なにせ相手はとびきりの悪い虫。はっきりと好意を示して、とんでもないことに魔種なんだぞ。パパは許さないぞフラン、いやフランを許さないわけじゃなくグリムを許さないのだが、今は攻撃しちゃいけないのか? そうか?
「フランんんんんん!! 仕方なくやってるんだな、そういう作戦だからなんだな……立派な仕事ぶりだ! よし立派なのはわかったからもういいぞ、そんな作戦捨ててしまえ」
「あ、な、た……?」
「くっ……」

「……、……いただきます」
 グリムはそんな父レザンにこれ見よがしにシチューの皿を持ち上げてみせて、スプーンを取った。
「はいっ、召し上がれ!」

 スティアはこっそりと自分の両親や叔母を想い――ひとりの婦人に気付いた。後ろめたそうな顔で「あたしったら、料理が面倒で子供にごはんをつくるのをほっぽりだしちゃってたわ」と炊き出しのお世話になりながら、ごはんに歓ぶ我が子をみている。
「そんな気分のときも、ありますよね」
 スティアは頷いた。
「まま、ごはん美味しいね」
 子どもが頬に食べカスをつけたまま、無邪気な笑顔を咲かせた。ああ、と母親の顔をして婦人が目元を綻ばせる。
「あたし、忘れていたわ。こんな風に喜んでくれるこの子が見たくて、喜ばせたくて、料理していたの」
 あなたたちのおかげ、と向けられた眼差しと声に、スティアは優しく微笑みを返した。
「誰かとお話しながら、これ美味しいねって言えたり……」
 スティアが想うのは、何気ない日常の素晴らしさ。
「おうちの花壇に花が咲いて、咲いたって教えたり、」
 ちょっとふざけるみたいにサメのぬいぐるみを揺らして。
「サメが花壇で悪戯しちゃって怒られたり……」
 こほん、と咳払いして、スティアはサメのぬいぐるみに喜ぶ子どもの頭を撫でた。
(平和な時には退屈だなーって思うかもしれないけど、いざなくなってしまうと恋しくなるものだから……)
 優しい瞳は、ちょっとだけ普段より大人びている。
 スティアは天真爛漫で無邪気にみえても、艱難辛苦と無縁ではない。寂しさや悲しさ、つらさを体験として識るからこそ、他人の痛みがわかるし、他者への思いやりが深くなれるのだ。
「がおー、しゃーっ」
「きゃー、あはは!」
 母親の婦人は、そんな光景を眩しそうに眼を細めて、ホットサンドを手に幸せそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
 ――それは、心からの感謝だった。

「お食事です……」
 どんよりとした空気が立ち込める家の戸を控えめに叩いてリースリットが料理を届けてまわる。見た目も可愛らしいデザートをひとくち、スプーンに掬って。
 無感動にそれを口に入れた相手へと、小鳥のように可憐な仕草で首をかしげる。
「……お味は、如何でしょうか?」
 ――美味しいものを食べる事は、即ち生きる喜び。
(言葉で難しくとも、これなら或いは)
「……おいしい」
「よかった、です」
「あの……息子が、すみません」
 去り際にぽつりとかけられた謝罪に、リースリットは振り返った。その家の扉は沈黙して、それ以降ひらくことはなかった。

「お掃除隊だ! 手をあげろ~」
「お掃除しちゃうぞお~っ」
 スティアが子どもを連れて家々をまわり、怠惰モードな人々の部屋を綺麗にしたり、手を引いてお散歩隊&お掃除隊として連れ出したりしている。
「うわーっ」
 ずるずるとお布団ごと引っ張られた物ぐさが、外の騒ぎにびっくりしている。
「皆でごはん食べてるのか……?」

 遺跡の警備を終えた男が洗濯物を干していた彼女に手を振り、共に炊き出しの列に並ぶ。
「あ、あの人遺跡の警備に付き合ってくれた人だ」
「あの方は、洗濯を手伝ってくれたのよ」
 二人はヨハンを見付けて、それぞれが過ごした時間を共有した。

「皆、今日一日はつまらなかっただろうか?」
 ヨハンがひとつひとつ指折り語る。
「つまらない事を続けてくれるお陰で助かってる人がいる。洗濯をしてくれる人、食事を作ってくれる人、万が一に備えて遺跡を守ってくれている人」
 実際に体験したのを知っているから、里の人々は神妙に少年の声に耳を傾けた。

 声はお前にも届いているだろう? ――確信を胸にヨハンは続ける。

「つまらないと思う事は悪い事じゃない」
 ――大事なのは共感と称賛だ。
 ヨハンははっきりとしたビジョンを堂々と掲げる。その手に植物の種を握りしめて。
「皆で集まって愚痴に不平不満でも好きなだけ言うと良い。その後もこの日々を続けるのだろう? 偉いぜ」
 男が。女が。その声をきく。
 今日という一日を振り返り、続く日々に思いを馳せて。
 小柄で細身のイレギュラーズが、まさに己こそ特異だと言わんばかりに響かせる声に心を奪われる。
 茜に染まりつつある空を背負うように、その声は言うのだ。
「ノームの火は、消えちゃあいない」
 灯火よ消えるなと、誇り高き者に対するかのように朗々と呼びかけるのだ。

「諸君、隣人も、子どもらも、ここにいる誰もがその燈火が尽きるまでを只、生きるものだと諸君らは理解しているだろう」
 人々は現象として今、生きている。
 死ぬまでの時間を。
「隣人も、子どもらも、ここにいる誰もが絶えても――『ノームの里の火』よ、消えることなかれ!」
 その手がひらいて、植物の種が零れた。
 人々はそれに、重力に引かれるがまま地面に落ちた種がいつか芽吹いて咲く未来を思い描いた。その花が枯れ、また種が零れる四季の巡りを想った。

 瑞々しい瞳が灰色の魔種を見て、片目を瞑る。
「グリム、お前も来いよ」
 グリムは意表を突かれたようだった。
「俺?」
「うるせえな、こまけぇ事は良いんだよ!」


●薄明
 夕映えにフランの声が響く。周りのひとたちにも聞こえるように、ゆったりと紡ぐ声が。
「あの木にみんなで登って、あたしが足を滑らせたよね」
 くすくすと笑う声は、愛らしく楽し気で、時間が巻き戻るみたいだった。
(この里で大好きな家族と、友達と、皆と過ごしたんだ)
 少女の声が大切な思い出をひとつひとつ紐解いて、大好きを形にしていく。
「外は、広いよね」
 外に出て世界が広くてびっくりしたことを打ち明ける時は、内緒の話みたいに囁いて。いっぱい友達ができたんだと告げる声は、嬉しそうでーー大事な名前をひとりひとり紡いで、自慢するようだった。
「そうそう、スティア先輩のサメちゃん事件でギャー! ってなったり、リースリット先輩もいる黒狼の皆の話もしなきゃね!」
 お話したいことはたっぷりあるから、フランは空の色が移ろうのをじっくり見守りながら声に世界を乗せた。楽しくて、ワクワクして、あったかい――そんな世界を。
「あたしはこの里も、外も、世界ぜーんぶ、大好きだよ」
 視線をふわりと笑ませて、つぼみが花開くようにグリムを瞶める。

 色を変じた空が眠りを見守る色を広げていく。昼に隠れていた無口な星が輝きを増していく。

「グリム、だったか」
 クロバが注ぐ眼差しは、狩人に向けたそれをなんら変わらない。
「確かに生きることはつまらない事なのかもしれない」
 当たり前のような受け止めの気配に、グリムはそっと顎を引く。それを確かめてから、クロバは続けた。
「けど、フランだってそうだ――彼女は旅をして幾多の人々と出会いその心に影響を受けてきた」
 共感と受け止めの後、転ずるなら此処なのだと肌に感じる勝負勘が訴えていた。
 畢竟(つまるところ)、これは『コミュニケーションを取る』という名の『戦い』だ。
 コミュニケーションは経験だ。クロバは沢山の仲間を思い出していた。彼らとの時間がクロバに今、『戦う』力を与えてくれている。

「魔種だろうと関係ない。……俺達は一人では成り立たない。 ”出会い”はいつ訪れるかわからない。だけど心を動かすようなそれは何よりも素敵なものだと俺は信じている」
 冬と春を分けるみたいに、距離を保つその彼にその距離をよしとして滔々と語る影が伸びて、苛烈な日差しに熱せられた地面を守っている。
「それに、本音を言うと俺は怠惰には負けたくない。足を止めたくなるときはある、それでも戦うことだけはやめたくない。それだけだ」

 スティアが頷く。
「誰も争わないし、誰も傷付けない世界は素敵だと思う」
 切なく瞳を揺らし、年頃の少女らしい声が凛として。
「でも、さっきまでの里の人たちみたいに、ただ生きてるだけの状態は幸せだと言えるのかな?」
 神意により特異運命座標に選ばれた少女が、聖女だ優秀だと言われる風格の中にあどけなさを咲かせて。
「何もせずに怠けて、緩やかな死を迎えるような世界こそつまらないと感じちゃう」
 純粋な感性を響かせる。
「貴方が気にしているフランさんが同じ様になっても好きでいられるのかな? ……少し、考えてみて欲しいな」

 人々がそれぞれの家に戻っていく。
 帰る場所、安心して過ごせる居場所。
 四季が巡るように、太陽と月が交代するみたいに、それは当たり前のような特別だった。
 眠りの世界が、目覚めていく夜。

「何も起こらない世界は、平和だよ。ずっと何もしないでいたら、疵付く事もない――」
 スティアがふわりと微笑んだ。
「悲しかったり辛かったりもないかもしれない。でも、そこでは……幸せを感じる事もないんだ」

 疲労が静かに足元から忍び寄るようでだった。
 けれど、一生懸命な時間が齎したそれは勲章めいて心地よく、満足感があった。
 フランは深く息を吸って、「あたしは今生きてるんだ」と胸を張った。父と母が両側に立ち、守ってくれている(おとうさんの圧が強い)。

「グリムが元気で、すっごく嬉しかった。魔種だって、グリムがずっとあたしの友達なことは変わらない」
 ――グリムの望む世界は、あたしも望むものだよ。
 当たり前の距離感で微笑めば、グリムが眩しそうに眼を細めた。
「……ありがとう」
 フランはグリムの諦念を否定しない。その通りなの、と笑うしかなかった(父が喜んでいる)。
 ――ごめんね、と眉を下げて。
「雨宿りのことだって覚えてるし――あたしがその手を取って、好きになって、ずっとこの村で暮らす未来もあったかもね」

 でも、あたしはもう知っちゃったんだ。
 すっごく真っ赤に輝く、一番星の輝きを。

「ねえ、グリム。人を好きになるって悲しくて、でもすっごく幸せだって、わかるよ」
 ――わかるに決まってるじゃない。
 フランは切なく睫毛を震わせた。雨上がりの森みたいに煌めく瞳はどんな宝石よりも美しく、その輝きの色がわからなくとも、世界で一番価値がある光を宿しているのだと少年は思った。それが見て湧くあたたかさが、失いたくないと恐れる淋しさが、幸せと呼ばれる感情なのだと少年は感じた。
「そ、う――だね。俺も、わかるよ」
 世界が熱を冷ますみたいに静かな時間に向かっていく。
 グリムは夜が呼びこんだような冬めく寒さの中で首を振る。
「俺にも楽しさを感じる瞬間は、あった。美味しさがわかる。あたたかさを知ってる」
 悲しさを感じる。痛みがある。
「ありがとう。料理も、美味しかった」
 季節が逆戻りするような寒気が世界を浸していく。線を引くようにして、魔種は冬と夢のあわいに星を視た。

 10人――両親と仲間に囲まれるフラン、いと浄きアエレ・スティア、雪解けを求めしクロバ、燎原の焱を防ぐヨハン。春告げのリースリット、情深きソア、天使Tricky。賦活の剣ヴェルグリーズ、繰切のアーマデル。個性豊かな仲間たち――そして世界の鼓動を今その心に感じる帳が、成功――確かなその手ごたえに微笑んだ。

 栞が零れる――夜の始まりに、星は瞬いた。

成否

成功

MVP

浮舟 帳(p3p010344)
今を写す撮影者

状態異常

フラン・ヴィラネル(p3p006816)[夢檻]
ノームの愛娘

あとがき

ご参加、ありがとうございました。

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