シナリオ詳細
いとし花むすび
オープニング
●月に叢雲
ギルド・ローレットのカウンター近くで、はあと物憂げな溜息が零れ落ちた。ひとつだけ覗かせている藤色の眸は憂いを含んで窓の外へと向けられ、思案げに揺れている。
「スモーキーアクアな溜息ね。何か考え事でも?」
ファイリングされた報告書の束を手にプルー・ビビットカラー(p3n000004)通り過ぎざまに声を掛ければ、ジルーシャ・グレイ(p3p002246)は心配掛けちゃったかしらと眉を下げながら優雅に働いている彼女へと視線を向けた。
「藤の咲く季節だから……少し考えちゃうのよね」
「あら」
昨年プルーは、ジルーシャに藤花と神隠しの依頼を斡旋した。
あれから一年。あの藤は――藤の精はどうしているのだろうか。
「元気にしているそうよ。雨泽が幾度か様子を見に行っていると聞いているわ」
「あら、雨泽が?」
「ええ――ほら、噂をすれば」
ギルド・ローレットの扉の開く音がして、黒い笠がぬっと入ってくる。ふたりの視線が自分に向かっていることに気がついた劉・雨泽(p3n000218)は一度自身を指差し、濃くなったプルーの笑顔に呼ばれていると察して近寄ってきた。
「どうしたの? 僕の噂話? 照れてしまうのだけれど」
「去年の藤――お藤ちゃんはどうしているのかしらって話していたところなのよ」
仕事に戻っていくプルーの背中を名残惜しげに目で追ってから、ジルーシャは雨泽にどうなったかを問うた。尋ねられた雨泽は「ちょうど今行ってきたところだよ」と微笑んで近況を語る。
あれから一年の間に雨泽は度々神社の方へと顔を出しては道の整備や、観光客を呼べるようにしてはどうか等の提案をしていたらしい。
「提案?」
「あの一帯ね、藤の花で作ったお酒があるんだ。藤の有名な神社だし、そういうのを押し出してもっと観光客が寄りそうなことをすればいいんじゃないかなって思って」
裏山の藤への道は整えたけれど、もっと人が来るようになった方が藤の精だって楽しいはずだ。雨泽は指をひとつずつ立てて、提案して整え終えた内容を口にしていく。
ひとつ、藤の酒を振る舞うこと。勿論お土産にも出来るような形での販売形式にして。
ふたつ、毎年行われる『藤まつり』で裏山の藤までの道を花見提灯で飾ること。
みっつ、『花むすび』を行うこと。
「花むすび?」
「特別な紙製のリボンを藤の枝に結ぶんだ」
「あら可愛い」
この紙リボンの作成が一等苦労を要した。結んだリボンは雨が降ることで水に溶け、地に落ちた後は肥料になるように試行錯誤を重ねたのだと言う。藤の木にそのリボンが揺れているということは、雨が振るまでの間に誰かが訪っていることを表すことになる。
「お藤ちゃんも寂しくないってことね」
「そういうこと」
リボンを結ぶ時には願い事をする、というのも浸透させた。国の平和や、誰かの事を想い、願い、枝へと託すのだ。
「他にも色々提案したけど……あ、藤荅必阿加(藤たぴおか)もあるよ。木薯(きゃっさば)の澱粉を丸めたものに紫芋のフレーバーミルクを掛けた飲み物」
荅必阿加は、異世界の日本という国でも江戸時代から口にされているものだ。豊穣では紅茶やミルクを掛ける食べ方はされていなかったが、甘いもの好きな雨泽は藤色の荅必阿加なんてどう!? と推したらしい。
「それでね、今、藤まつりが行われているのだけれど」
「あら、良いわね。お藤ちゃんに会いに行こうかしら」
「せっかくだから皆も誘ったらどうかしら?」
しっかりと話を聞いていた腕利きの情報屋が、カウンターの向こうで「スウィートコーラルのような気持ちになれるお土産を待っているわね」と微笑んだ。
「というわけで、皆もどうかな?
因みに神社――天兎天神(あまとてんじん)のご利益は恋愛運と病気平癒だよ」
なんて最後に囁いて、雨泽は天兎天神の藤まつりへと君たちを誘う。
「神社の方は参道に屋台が色々と出ていてね、僕は藤の蜂蜜の掛かった団子が気になっているかな。藤まつりの期間は社務所が夜遅くまで開いているんだ。参拝して、『藤まもり』や『兎鈴』を記念に買って帰っても良いんじゃないかな?」
訪うのは、夜の時間。
神社内に枝を広げる白やピンクや紫の藤棚が灯りに灯され、一層美しく見えることだろう。
- いとし花むすび完了
- GM名壱花
- 種別長編
- 難易度EASY
- 冒険終了日時2022年06月01日 22時05分
- 参加人数20/20人
- 相談10日
- 参加費100RC
参加者 : 20 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(20人)
サポートNPC一覧(1人)
リプレイ
●藤まつり
ぽう、ぽう、と灯る明かりに藤が照らされて。
薄紅の、薄紫の、白の――藤たちがふわりと光放つように咲いている。
境内の庭園部分に掛かった太鼓橋からのんびりと穏やかな笑顔で眺める人々の手には、屋台で購入した食べ物たち。りんご飴に甘い蜜の掛かった団子、冷やし飴。人々の手の内にある、自分がまだ食べていない食べ物を見つけては屋台で買い求めた『貧乏籤』回言 世界(p3p007315)はズコッと音を鳴らして藤色のタピオカを口にした。
(これもあるんだな)
世界が元居た世界でも、江戸時代の頃からタピオカはある。大戦時には主食にもなり、当時を知る人がもう食べたくないと口にするほどだ。
買い込んだ甘味を床几に座して口にしながら藤へと視線を向ければ、やはりというかなんというか、『花むすび』を行う人々を多く目にした。どの人々も楽しげで、隣の人や今はここに居ない誰かの幸せ、そして国の平和を願っているのだろう。
世界には慕う相手も平和を願うような心はないが――。
(……一応、花むすびとやらもしておくか)
願い事は……と考えてみたが、浮かぶ顔ぶれは人生ハードモードな者ばかり。
(来年のまつりはもっと甘味の種類が増えていますように)
そんな願いかとここの神様に笑われそうだなと自嘲するが、甘味こそが世界にとってもっとも重要なものだ。
願わくは――ソフトクリームがありますように。
――他国からソフトクリームの機械が渡ってこないと難しいだろうけれど。
「んっ、おいしい!」
飲み口がすっきりとしている日本酒を口にした紲 雪蝶(p3p010550)は、満足げにぺろんと唇を舐めた。辛口だと鼻にツーンっときてしまうけれど、甘口なら大丈夫! な雪蝶は、そこでハッと気がついた。
「果実水で割ると、もっと甘くて美味しいのでは!?」
閃いちゃった! 僕ってば天才かも!
早速果実水を買い求めにいったら、りんご飴やイチゴ飴も気になった。ツヤツヤの色の、可愛いやつ。これ、甘いやつ? と尋ねた屋台のおばさんがそうだよって笑顔で教えてくれたから、当然買った。外の飴はとっても甘くて、中の果物も飴で熱されたからかとっても甘くて美味しかった。
「あ、そうだ。『花むすび』!」
甘いものを片手にお酒を呑んで、口の中もお腹の中も幸せ気分で満たしていた雪蝶は他の参拝客の姿にぴょんと頭を跳ねさせて。もぐもぐごっくんとお腹に全部収めたなら、紙のリボンを貰いに行って藤の木へと近寄った。
「大好きな人が振り向いてくれますように」
最初に思い浮かべたのは、大好き従兄弟の顔。
「紲家の皆が幸せでいられますように」
次に思い浮かべたのは、雪蝶の愛する家族たちの姿。
恋も頑張っていきたいけれど、雪蝶の幸せは家族の幸せあってのこそ。
どっちも大切だから、神様どうか、お願いね!
「お土産も買って帰ろーっと。ふふふ。皆笑顔になってくれるかなあ♪」
気に入ったお酒と、お守りと根付。勿論、家族の人数分。
(……恋愛成就の為には努力が1番必要って分かっているんですけどねー……)
息を吐き出せば、はあ、と重たい溜息となる。
けれども『真意の選択』隠岐奈 朝顔(p3p008750)は、恋する乙女である。恋愛運に定評があると聞けば、行くしか無い! 無いのである!
参拝をする参列者の列に並んでそわそわと待ち、両手を合わせた。
願うのは勿論、『大好きな彼の一番になれますように』。
差別ある豊穣の中で、鬼人種の朝顔にも差別なき笑顔を向けてくれる彼。
誰よりも一番輝いている男の子は少年から青年になり、一層人目を集める存在となった。
(……分かっている)
ぎゅっと瞼に力を籠めると、まなうらに恋敵の姿が浮かぶ。
彼が一番に想っている人。
他の人達だってきっと、彼と添い遂げるのに相応しいと思っている人。
(私は全然で……けれど、それでも私は……)
想いを断ち切ることなんてできない。
どうか見守っていてくださいともう一度頭を下げ、花むすびをしに藤棚へと向かった朝顔は、もう一度同じことを願った。
結ぶのは、出来るだけ高い所。天に届けてくれそうだから。
背の高さを生かして一等高いところへ結んだリボンを見れば、朝顔の気持ちは少し上を向く。そのまま境内を回って、持ち込んだインスタントカメラで藤や景色を撮ってまわると、インスタントカメラが気になるのか視線がよく向けられた。
豊穣にあるカメラ機はとても大きなものだ。それに読売も墨で印刷するものだ。豊穣にない技術だが、チラシを作るのはどうだろう?
(うーん、資金面が難しくなるでしょうか……)
けれど、考えられることはたくさんあるはずだ。
大好きな彼のように、朝顔も国をよくするために何かをしたいと願う。彼の隣に、胸を張って並べるように。
天兎天神は、兎が神使の神社である。それ故か、あちらこちらに兎の装飾があり、『散華閃刀』ルーキス・ファウン(p3p008870)はついついチラリと目に止めてしまう。何となく親近感を抱いてしまうのは、ゲームの世界での彼のアバターが兎なせいだ。
(お藤ちゃんも元気そうで良かった)
先に裏山へ顔を出したルーキスは小さく笑みを浮かべながら、束の間の『兎探し』を楽しんだ。
狛犬の代わりに兎が良い子にお座りをしているのに目を細め、ルーキスは社務所に向かう。買い求めるのは、ころりと可愛い兎鈴。
入れ替わりに社務所へとやってきたのは、『冬隣』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)と彼の神『イシュミル』だ。
「先に食べて行ってもいいんだよ?」
「……あんたが食べたいだけなんじゃないのか?」
イシュミルがそう口にしたのは、アーマデルが甘味の屋台を気にしながらも、まずは先に神へ挨拶に行くとその誘惑を振り切ったからだ。知らぬ神の社に行くのだと口にする生真面目な彼も好ましいけれど、食事に興味のなかった彼が食べ物に惹かれている姿も好ましい。
この地の神への挨拶の仕方を教わり、兎鈴とお守りを買い、眼前で揺らす。イシュミルはこの地の神等と一緒で、他の神を敬っても咎めない。そこは神徒として、広い心の我が神を自慢に思える点でもあった。
天兎天神のご利益のひとつ、病気平癒はイシュミルにも通ずる所がある。毒と病を司るイシュミルは、転ずれば薬と健康を司る。お守りの効果への期待も持てる。
参拝者の列に並んでお参り――神への挨拶を済ませると、配られている和紙のリボンを貰いに行く。
(こいつにも似合いそうだな……)
「なにかな?」
「なんでもない」
どこに結ぼうかと藤を見上げるイシュミルの横顔を見ていたことを誤魔化すようにアーマデルが藤へと手を伸ばすと、横に並んだイシュミルも藤へと手を伸ばす。
穏やかに花むすび――なのではあるのだが。
(こ、こいつ――!)
俺より高い所に結ぶのか!
身長が負けているのだから仕方がない。仕方がないのだが、何だか負けた気分だ。
「ダンジョー……」
アーマデルの声に黒猫がにゃーと鳴いて、リボンを咥えて肩に載る。
しかし。
「……猫には結べないのではないかな」
「くっ……!」
仕方なくイシュミルよりも低い位置に結んだアーマデルは悔しい思いを胸に屋台へと向かう。が、その悔しい思いはすぐに晴れる。何故ならアーマデルは、イシュミルよりも『美味しい』の理解度が深いのだ!
(これは、不思議な感覚ですね)
餅とも寒天とも違う食感をの荅必阿加を堪能しながら、ルーキスは屋台を眺めながら歩いていた。
「あ、こちらはお酒ですよね? 『藤花の舞』を一升下さい。ああ、俺じゃなくて師匠のお土産に」
沢山呑む人なのだと告げれば、一石用意できると店員が口にする。
一石はすごい量だ。だが、師匠はきっと多い方が喜んでくれることだろう。
「か、帰りに立ち寄らせて下さい!」
(お酒……雨泽は好きそう)
屋台をチラリと見た『燈囀の鳥』チック・シュテル(p3p000932)は、何処かに雨泽も居るのかなと思いながら社へと向かっていく。
まずは社の神様への挨拶から。周囲の人たちの動きを見て二礼二拍手一礼をしたチックは踵を返し、社殿の階段の上から境内を見渡した。
少し高い位置から眺めると、そこは夜の藤の海。
優しい色に照らされた藤が風にさわさわと揺れ、甘い香りが満ちている。
澄んだ空気と甘く香る空気で胸を満たしながら社務所へと向かい、初穂料を収めて兎鈴を受け取った。耳の横で軽く揺らせば小さく愛らしい音が鳴り、チックの頬が自然と緩む。
「……あ、雨泽」
先程は通り過ぎるだけだった参道の屋台へと向かえば、目立つ笠が視界に入った。やあと振り返った彼の手には、酒と団子。藤荅必阿加を食べ終えたからおかわり、なのだそうだ。
「あそこで食べない?」
チックも藤の蜜がかかった団子、それから香りの良いお茶を買い求める。それを待って、酒盃を手にした雨泽の指が、緋毛氈が敷かれた床几を指し示す。
飲み物を傍らに置いてゆっくりと団子を食むと、口内に甘さが広がっていく。鼻腔からは藤花の甘い空気を捉え、ますます香りに染まるよう。
「とても……良い香り。夜のお花見って、何だか不思議な感じ……する」
「でしょう? ふふ、おすすめした甲斐があったなぁ」
「あ。雨泽さん、チックさん、こんばんは」
ちょうどふたりが食べ終えた頃に、ルーキスが通り掛かった。
「これから花むすびをしようと思うのですが、一緒にいかがですか?」
彼の提案にふたりは顔を見合わせてから是と唱え、三人で藤の木へと向かう。
「この国が平和でありますように。……そ、それから」
ルーキスが小声で願うのは、恋愛成就。
傍らから溢れた笑む気配に、バッとルーキスが振り返る。顔には『聞こえましたか!?』と書いてあり、わかりやすい。
「叶うといいね」
「いや、でも……その。……恋愛というのは難しいですね。駆け引き? とか、そういうのは特に……」
鍛錬が積めないと口にする彼へ、雨泽が首を傾げる。
「惚れた腫れたも経験だと聞くし、鍛錬と変わらないんじゃない?」
「雨泽さんは、そういうこともスマートにこなしそうですよね……」
「ふふ、どうかなぁ」
「雨泽……だめ、だよ。からかう……するの」
チックに嗜められた雨泽が「えー」と拗ねたように口にして。
「僕、恋とかしたことないんだよね。しないようにしているし」
「え?」
「僕のことより。チックは何を願ったの?」
「えっと……おれは、大切な友達や……家族の様な子達。皆にこの先も、幸せが訪れます様に」
「君らしい、優しい願いだ」
「雨泽は……どんなお願い事を、かける……したの?」
「うん? そうだなぁ、うーん」
「雨泽さん、今考えていますよね……」
悪びれもなく、バレちゃったと舌を出した雨泽が藤棚の下から抜け出していく。花むすびに訪う人々の邪魔にならないようにふたりも後を追い、少し離れた所から暫く三人で藤を眺めたのだった。
「藤の花……一緒に見るんは、お久しぶりやわ。しかも今宵は、夜の藤」
「確か、前に見たのは幻想でだったか。あれも見事だったが……夜に見る藤ってのも、また風情があるねぇ」
緋毛氈の敷かれた床几にふたり並んで座る『幻蒼海龍』十夜 縁(p3p000099)と『暁月夜』蜻蛉(p3p002599)の少し開けた間には、焼き鳥や焼きそばがほわりと食欲をそそる香りをあげている。
縁の腕の中には『藤花の舞』の一升瓶。大事そうに彼が抱くのに少しも胸を焦がさずに済むのは、縁の表情がとても嬉しげだからだ。愛しいお人の嬉しげな顔を見る度に愛おしさが湧き上がってきて、きっと彼と同じ表情(いろ)に染まってしまう。
朱塗りの升を取り出して差し出せば、縁の手にそこが居場所とばかりに馴染む。
まずは縁の升へと注ぎ、蜻蛉の手の内にも注ぎ返して。
「匂いもいいな」
ふわりと香るのは、食べ物の香りにも負けぬ酒と藤花の香り。
薄らと紅を開いてゆっくりと迎え入れれば、酒精がより甘く香った。
「……ん、美味し。ほんまに藤の香り」
「また酔っちまわねぇように気をつけるんだぜ。さもねぇと、乗り心地の悪いおっさんの背中に負ぶわれて帰る羽目になるんでな」
「そないに心配せんでも、今日は控えめにしときますよって」
彼の背中は決して居心地の悪いものではないし、できれば意識のしっかりしている時にお邪魔したいものだが――それを差し置いても、蜻蛉には控えめにする理由がある。
(帰りに花むすび言う願掛けをして……)
浮かぶ思いを酒で飲み込み、そっと見上げる傍らの横顔。
ぐいっと一口あおって、「……あぁ、こいつは美味いな」と笑う男前な顔。
「……美味しゅうて、進んでしまいそ」
「お前さんも気に入ったんなら、土産にもう一本買って帰ろうかね」
藤の見頃が過ぎたら月見酒といこうやと縁が笑う。
(……もう、困ったお人)
蜻蛉の酒が進んでしまうのは、縁とのこのひと時が愛おしいからだ。
さわさわと、風に揺れて藤が鳴く。
明かりに柔らかく照らされる藤を堪能しながら飲み進めれば、一升瓶のそのほとんどが縁の腹へと消えていった。
「おっと」
「あ……」
床几から立ち上がった蜻蛉の足はどこか頼りない。咄嗟に彼女の型を支え、縁が覗き込む。
「転びなさんなよ、嬢ちゃん。花むすびとやらに行くんじゃねぇのかい?」
「え? ……うちの顔に書いてあった?」
「……その手のモンがわからねぇほど短い付き合いじゃねぇだろ、お互い」
頬を擦ろうとした手首を捕まれ、酒精で赤らんだ頬に朱が増した。
「少しは……おなごの気持ちも、分かるようになったやないの」
「どこかの誰かのおかげでな」
「そや、もっと分かって貰えますように、て。お願いしとこ」
「……なら、俺はお前さんがか弱いおっさんを苛めねぇように願うとしようかね」
蜻蛉が転ばないように、掴んだ手首を離さず藤の前まで引きながらの応酬。藤へと視線を向けて互いの顔は見ていないのに、そこに浮かぶのが笑みだと知っている。
「ここでいいかい? 嬢ちゃん」
「あっ、うん……大丈夫」
思わず、言葉が跳ねる。
背に感じる熱と、耳朶をくすぐる吐息と声。
――そのまま腕を回して、抱きしめてくれたなら。
膨らむ気持ちに、我儘になる心。
けれど望む腕は、伸ばした蜻蛉の手からリボンを取って、枝へと結びつけている。――蜻蛉の為に。
花が咲く時を待つように、蜻蛉も『いつか』を信じて待っている。
(好いた人が幸せで居てくれますように)
(蜻蛉がこれから先も側で笑っていてくれりゃぁいい)
同じ枝に、ふたつの願いが揺れていた。
●月下に藤は舞う
神社の裏山には、昨年は無かった花見提灯が増えている。道も歩きやすく手入れされ、人の行き来があることは見ればわかる。
(きっとあの子も喜んでいるでしょう)
働きかけた結果がちゃんと形になっていることが解り、『プロメテウスの恋焔』アルテミア・フィルティス(p3p001981)の唇には自然と笑みが浮かんだ。
ぽう、ぽう、と灯る明かりを追いかけるように登っていけば、暗闇に浮かぶように立派な藤の木が見えてくる。
記憶にあるままの、美しい花を垂らしてざあざあと風に揺れている一本の藤の木。
けれどあの日と違って、藤の木の下には沢山の花見客が居た。嬉しいことだ。
その中に混ざり、屋台で買っておいた酒を飲みながら藤を見上げれば、心からの感嘆の吐息が溢れ落ちていった。
「あ」
一合を飲み終えた頃、昨年依頼を一緒に完遂した仲間がちょうどお藤に挨拶をしようとしているのを見つけた。せっかくだからとアルテミアも彼等の元へ近寄っていった。
「お久しぶりです、藤さん」
「こんばんは、おうまさん」
「また遊ぶ……のは、夜なので危ないですかね」
人も多いからぶつかったら大変だと口にした『記憶が沈殿した獣』新妻 始希(p3p009609)に、少しだけ「んー」と考えたお藤がパッと顔を明るくして。
「それならね、おまつりおわったあとにまたきてほしいな」
いつでも遊んでねとお藤が笑う。
「それでね、らいねんもあえたらうれしい」
「そうですね、来年も……その先も。あ、そういえば。藤たぴおかは食べました?」
「たぴおか?」
「あら、お藤ちゃん。タピオカ食べたこと無いの?」
顔見知りの姿を見つけて、イレギュラーズたちが集ってきていた。タピオカを片手に裏山を登ってきた『月香るウィスタリア』ジルーシャ・グレイ(p3p002246)はお藤と目が合うとハァイと手を振って。
「こんばんは、お藤ちゃん。フフ、久しぶりね。元気にしてたかしら?」
「ジルーシャおにいちゃん! うん、げんきだよ」
にっこり笑ったお藤の視線は、すぐにジルーシャの片手に向けられる。興味津々な視線が、それなぁに? それがたぴおか? と告げている。
「おうまさん、『たべる』っていってたよ。たべもの?」
「うーん、飲み物で食べ物?」
「どちらも、でしょうか?」
ジルーシャと始希は顔を見合わせ、首を傾げる。
液体部分は飲み物だし、タピオカパールはもちもちした食べ物だ。
「おいしい? あまい?」
「味わってみてのお楽しみよ。ハイ、一口どうぞ♪」
「わぁ、いただきま……わっ、すぽってきたよ!」
びっくり! と真ん丸な目をしたお藤に、美味しい? と尋ねれば、お藤は両頬を押さえてぴょんぴょんと跳ねて何度も頷いた。どうやらお気に召したようだ。
「来年はきっともっと美味しいものが増えるかも知れませんよ」
「ほんとう?」
「例えば?」
「そうですね……藤クレープとか藤ケーキとか増えるかもしれませんよー!」
「けぇきとくれぇぷもあまいもの?」
「ええ、甘くて美味しいです」
来年が待ち遠しいと、あの日寂しいと訴えていた藤の精が幸せそうに笑う。
「一年なんてあっという間だよ。来年なんてすぐにくるよ」
この一年もあっという間だったでしょと『救いの翼』ミニュイ・ラ・シュエット(p3p002537)が顔を覗かせた。
キョロと視線を動かして貫太を探すが、夜だから今日はいない。あっという間に過ぎたこの一年。10歳だった少年は、水を得た植物みたいにぐんぐんと育ったことだろう。心も体も。
「そっかぁ、そうだよね。ふふ、たのしみ」
イレギュラーズたちに囲まれて、お藤が幸せそうに笑う。この笑顔はイレギュラーズたちが彼女を倒さない選択をし、そして神社や地域に働きかけたからこそ、今ここに咲いている。
「何もかも良い方向に転がっているようで、安心した」
「もう、あの頃のように寂しい思いはしなくなったかしら?」
自然に輪に加わっていたアルテミアの問いに、お藤は「うん!」と大きく頷く。ほら見てと示すのは、花見客と藤枝に垂れる沢山のリボンたち。
お藤にとっての幸せの証だ。
「そうだわ、お藤ちゃん。リボンを結んでもいい?」
「うん、どうぞ」
お藤は藤の枝だと思い微笑むが、それじゃあと彼女の後ろに回ったジルーシャがリボンを結んだのはお藤の髪だった。
「……え?」
「アンタがずっと笑顔で、幸せでいてくれますように」
ジルーシャの言葉に、ミニュイと始希、アルテミアも彼女にリボンを贈った。揺れるリボンに、お藤は幸せで泣きだしそうな顔でありがとうと微笑んだ。
「そうだ、お土産も受け取ってくれる?」
「おみやげ? あ、おほしさまのおかし!」
神主さんから貰ったことがあるよとお藤が笑う。神社との関係も良好なことが解り、アルテミアは笑みを深くした。
挨拶は順番だ。
「お久しぶりです、お藤さん。お元気でしたか?」
ミニュイ等が場所を譲ると、今度は『割れぬ鏡』水月・鏡禍(p3p008354)がお藤に挨拶をした。他の皆と一緒にしなかったのは、今日は同行者がいるからだ。
うんと笑ったお藤の視線は、自然と鏡禍の傍らの『決死行の立役者』ルチア・アフラニア(p3p006865)へと向かい、鏡禍もその視線を追って笑顔で紹介をしようとする。
「こちらはルチアさん、僕の……」
僕の、友達? それとも大切な人? 間違ってはいないけれど、勘違いされそうで、紹介の言葉は難しい。
なんと紹介するべきだろうか……と、語尾が緩やかになった。
「彼女よ」
「ええ!?」
緩やかになった語尾を、ルチアが遮った。
「ち、違いますよ!?」
ルチアの想像通り、鏡禍は大慌てだ。
好いた相手の色んな表情が見たいという恋心と、悪戯心。
「……冗談よ。鏡禍の友達のルチアよ。よろしくね」
くすくす笑いながら告げれば、鏡禍がホッと安堵のため息を吐いていた。
「鏡禍おにいちゃんのおともだちなら、おふじともおともだちになってくれる?」
「勿論よ」
「ルチアおねえちゃん、『かのじょ』ってなぁに?」
「お、お藤さん!?」
「恋人って意味よ」
「おともだちとはどうちがうの?」
「友達よりも仲良しで、一番仲良し……かしらね」
「なかよし! おにいちゃんはおねえちゃんがかのじょはいやなの?」
「そ、そういう訳では……ル、ルチアさん! 花むすび、いきましょう!」
他の人もお藤さんと挨拶したいでしょうし!
少し強引に押し切って先に歩いていく鏡禍の後をルチアはくすくす笑いながらついていき、お藤はふたりの背中をニコニコ見送った。なかよしっていいな。
「それではこの辺りで結びましょうか」
ルチアの身長に合わせて選んで場所で立ち止まれば、傍らに並んだルチアが枝へと手を伸ばし、鏡禍も彼女と隣り合うようにリボンを結ぶ。
(この恋心が実りますように)
胸の中で願う、ルチア。
「僕の好きな人が幸せでありますように」
声に出して願う、鏡禍。
少しだけ『僕では出来ないから、誰かが』と卑屈な気持ちでの願いを抱く鏡禍だが、隣り合う好いた人が自分を思ってくれているとは知らない。
「願い事、声に出てたわよ」
「えっ、出てました!?」
自分だけ知られてしまったのは恥ずかしくて、鏡禍はまたううっと小さく唸る。
「ル、ルチアさんは、何を願ったのですか?」
「知りたいの?」
「教えてくれるのなら」
「それは、乙女の秘密よ?」
一枚も二枚も上手なルチアのウィンクの威力は高い。
ついつい見とれてクラっとしている間に、質問者が入れ替わる。
「貴方こそ誰の幸せを願ったのよ。好きな人ってどなた?」
「秘密です」
「乙女でもないのに?」
「ルチアさんだって教えてくれないじゃないですか」
それもそうねとルチアが笑い、もうっと頬を膨らませた鏡禍も自然と笑い出す。彼女とともにあれるこの時間が、いつもとても楽しくて。
「また来年も来られたらいいですね」
「来年も、再来年も。その先も、ずっと来られたらいいわね」
さりげなく握った手を握り返されて、鏡禍は密かに真っ赤になった。ああ、夜で良かった。
「花むすびをしに参りました」
お藤に向けてそう口にした鬼の娘――『花嫁キャノン』澄恋(p3p009412)が微笑むと、藤の精であるお藤は嬉しそうに微笑んだ。
「きてくれて、うれしいな」
微笑むお藤は、『蒼太』よりも少し小さい。精霊ではあるが、この子も寂しい思いをしていたのかと思うと、笑みを見られることを嬉しく思った。
日々プロ花嫁として旦那様錬成の研究に邁進している澄恋は、天兎天神で恋愛運あっぷ! ……と、なるはずだったのだが。
(わたしの願いは――)
今、澄恋の胸を占めているのは、未来の旦那様ではない。
この国で今尚差別され続けている獄人(どうほう)たちのことだ。
子供らしく庇護を受けて幸せに育ってきた訳ではない澄恋は、その苦しさを知っている。ずっと良くなればいいと思っていた。政変があり、変わればいいと思っていた。風向きは少し変わって、『表向き』は良くなってきていることも知っている。――けれど差別とは根深いものであることを、身を持って知っていた。
知らないところで、幼子が虐げられていた。子供は愛されて、無病息災で育つべきなのに。
(蒼太様のあの時の姿が忘れられないのです)
座敷牢の隅で震えていた少年の怯えきった顔。
家族のために働きに出たと信じていた少年は、大人たちに裏切られた。薄暗い牢の中で、不安と恐怖の中で、彼はどれだけ一人で耐えていたのだろうか。
代われるなら代わってあげたい。だが、過去を変えることはできない。
なれば、未来を変えていくしか無い。
政変で刑部卿が替わり、獄人を苦しめている者等を取り締まりだした。澄恋は勿論、全力で力を貸すつもりでいる。望む未来を掴み取る為に、少しでも豊穣がよくなっていく為に。
(その過程で、わたしの角が喪われてもいい)
それはきっと、恐ろしいことだけれど。
けれどそれで、一人でも多くの獄人が救われるのなら。
だから、どうか――。
(獄人が健やかに過ごせますように)
澄恋は願いを藤の枝へと結んだ。必ずこの願いが結ばれますように、と。
「はじめまして、お藤さま」
目線を合わせて膝をついてくれた『白ひつじ』メイメイ・ルー(p3p004460)が優しく微笑むと、お藤は人懐っこくにっこりと笑った。
「見事な藤の木を、見せていただいてありがとうござい、ます」
「みにきてくれて、ありがとう。はじめてのひともいっぱいで、うれしいよ」
メイメイが見上げる裏山の藤は、神社の藤棚よりも立派などっしりとした藤の木だ。一本だけ咲いているからか、夜の気配の中でも仄かに光っているような美しさがあった。
それなのにこの木が去年まではひとりぼっちだったなどと……集う人々を目にすれば、俄には信じがたい。
「とても綺麗な色……。これが本当の藤の色、なのです、ね」
「おねえちゃんは、ふじはあまりみたことないの?」
「わたしは異国の、険しい山岳地帯の生まれなのです」
そうなんだと口にしたお藤は、この山のことしか知らない。藤がないところもあるんだ……と小さく口にして、それなら! と顔を上げた。
「らいねんもきれいにさくから、あいにきて」
「はい。また、来ます、ね」
「うん!」
日中の藤も見たいから、来年を待たずに足を運んでしまうかもしれないけれど。
メイメイの笑みに大歓迎だとお藤が笑う。
「お藤さまの藤の木で『花むすび』を、しても宜しい、でしょうか?」
「うん、もちろん」
届きそうなところはと探せば、お藤があっちと指をさして教えてくれる。
(カムイグラとのご縁が、続きますように)
この国は、メイメイの大好きな神霊様が護る地だ。
いつまでも平穏でありますようにと願いを込め、メイメイもリボンをひとつ結ぶのだった。
「藤が綺麗だな……」
裏山への道すがら。見えてきた藤を見上げれば、『特異運命座標』九十九里 孝臥(p3p010342)は思わずほうと溜息をついた。せっかくの藤見だからと丹精込めて作った弁当箱はそれなりに重く、楽しみだなと喜色を見せた一升瓶を抱えた『特異運命座標』空鏡 弦月(p3p010343)に「ああ」と頷き返し、ふたりは美しい藤の木の元へと辿り着いた。
(二人でこんな素敵な所に来られてよかった)
敷物の上に弁当を開けながら間近から見上げる藤は本当にきれいで、慣れ親しんだ自分で作った弁当の味も、一層美味に感じるものだから不思議だ。
「藤は綺麗、酒と弁当は旨いで良い事尽くしだな!」
美味しい酒に、美味しいご飯。
美しい花に、想う相手。
幸せが全てここに揃っている気持ちで盃を持ち上げてぐいと飲み干せば、酒精とともに心がひとつ軽くなる。
「そういえば、孝は花むすびをしたんだっけ? 何を願ったんだ?」
「……ウッ。は、花むすびの願い事?」
思わず、孝臥がむせた。
裏山へと登る前、弦月は『藤花の舞』を屋台へと買いに行き、孝臥は花むすびをしたいと一度わかれて行動したのだ。一緒にどうか誘われたが、弦月は酒が売り切れてしまうかも知れないと断った。……建前だが。
(俺の願いは俺が叶えたいからな)
勿論、神が願いを叶えてくれる訳ではないことは知っている。
けれど、それでも、そう思うのだ。
「考?」
「ひ、秘密だ」
目の前の人の幸せを願っただなんて、恥ずかしくて言えなかった。
「教えてくれないのか?」
「秘密だ」
「どうしても?」
「秘密って言ったら秘密だ!」
くわっと噛み付くように叫ぶような言葉を発したその顔は、赤い。
(やっぱり考は可愛いな)
孝臥の願いは、尋ねなくても自分のことだろうと察しが付いていた。いつだって孝臥は弦月のことを考えてくれていて、それが自惚れではないと知っている。
まだ、互いに片思いの間柄なれど。
「ほら、弦。箸が止まっているぞ」
「――むぐ」
照れ隠しと口封じに、おにぎりを口に押し付けられた。
藤の花にちなんでか、赤紫蘇を混ぜて紫にしたおにぎりだ。良い塩加減で、食べずに居るには勿体ない。
「酒だって、まだ呑むんだろう?」
ほら、とあれやこれやといつもの調子で孝臥が世話を焼き出した。
それ以上、花むすびのことは追求せずにだし巻き卵や煮物をつつけば、ふうと吐息を吐いた孝臥が藤を見上げた。
「綺麗だな」
弦月の呟きを藤のことだと捉えた孝臥は「ああ」と返す。
――混沌に来たのも悪くないな。
そう、思って。
遡ること数日前。『鬼菱ノ姫』希紗良(p3p008628)の元に文(ふみ)が届いた。差出人を確認した希紗良は心底驚いた。何故なら差出人は、ふらりと修行に出たっきりだった幼馴染『青藍』であったから。
彼女から指定されたのは、ここ。天兎天神の裏山、藤の木の下。
希紗良が着いた時には既に到着していた青藍は懐かしい気配に振り返り、久しぶりと希紗良に微笑んだ。
「今までどうしていたでありますか?」
「突然消えたのは悪いと思ってるわよ。ちょっと急ぎの用もあったのよ」
「急ぎの用、でありますか?」
「ええ。食べながら話しましょ」
屋台で買ってきたのよと手にしていた包みからおにぎりや卵焼きを取り出して、美味しいわねなんて笑い合ってから青藍はこれまでのことを話し始めた。
盗まれた里に伝わる宝刀を探す密命を帯びたこと。
今は兵部省に身を置き、情報収集をしていること。
両手で持った鮭にぎりへと視線を落とし、希紗良は彼女の言葉を余さず頭に入れる。……悪い予感がしていた。
「希紗良。最近アナタ【紅葉切】に似た刀をどこかで見かけていないかしら? ……私と同じように村を出た人間と共に」
――何故、それを。
小さく息を飲んだ。目を見開いた希紗良は一瞬時を止め、彼女の手の中の鮭むすびがぐらりと傾いたことでハッとした。わたわたと慌てて両手を動かしたため、鮭むすびは無事だった。
「其方は何を知っているでありますか?」
「気を付けなさい。そいつ、私たちの里にいた優しい人間じゃない」
青藍は幼馴染の身を案じていた。希紗良がその人を慕っていたことを知っていたから――。
伝えたい事はそれだけよと告げた青藍は、ぱくんと卵焼きの最後の一切れを口に入れた。
「花むすびにいきましょ。『希紗良に恋人ができますように』って願ってあげるわ」
「余計な世話であります!!」
思わず尻尾と耳を立ててクワッと目くじらを立てた希紗良を見て、青藍が笑う。幼馴染なふたりは、隔てていた時が無かったかのように昔のままだった。
言葉はいくつ交わしたって足りないのに、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。けれど生きている限り、会おうと思えばいつだって会えるから。来年も一緒に藤を見ようとふたりは小指を結ぶのだった。
――あれからもう1年ですか。
「迅香、りんご飴も買いましょう。それから、お団子も美味しそうですね」
横髪を揺らした風を追いかけて揺れる藤花へと視線を向けた『妖精医療』ヴァールウェル(p3p008565)は、小さくふと笑んでから傍らの青年――既にいくつかの食べ物を手にしている迅香へと声を掛けた。
「迅香は、食べたいものはありますか?」
「ヴァールウェル様が望まれるものを」
もっと我儘を言ってもいいのですよと笑ったヴァールウェルは『藤花の舞』一合とイカ焼きや焼き鳥、卵焼きと言ったつまめるものを購入し、裏山へと向かった。
「お藤ちゃん、元気にしていましたか。その後貫太くんとも仲良くしていますか」
「うん、なかよし! おにいちゃんね、せがのびたんだよ」
見つけたお藤へ、膝に手を置いて目線を合わせて話しかければ、パッとお藤が笑う。藤の木の下は藤見客で溢れており、知った顔もいくつか見つけることができた。
「僕のところにも最近女の子が住むようになったので、今度連れてきますね」
「ほんとう? うれしい」
仲良くなれるかなぁ。
まだ会っていない子のことを思い浮かべてお藤は楽しげに笑う。
「お藤殿、甘味はお召しになられますでしょうか?」
「あまいのすきだよ。ありがとう、おにいちゃん」
地に膝をついた迅香が甘味を手渡す。お藤は昨年よりも気配がしっかりとした存在になっており、神社の人も色々くれるんだよと話した。
藤の蜜が掛かったお団子を美味しそうに頬張るお藤に「ゆっくり食べてくださいね」と微笑んだヴァールウェルは、「僕たちは藤見をしましょうか」と迅香を伴い藤の木が綺麗に見られる場所へ。
ゆったりと楽しめそうな場所を見つけると、従者として振る舞う迅香は素早く持参した敷物を広げ、どうぞと静かに告げて。
美しい藤に、芳しい花の香。
口にする酒からも芳醇な香りが喉に抜け、香りに包まれる心地がした。
遠慮がちに酒に口をつける迅香も静かにその穏やかなひと時を楽しんでいる。
花の咲く間はあっという間。
けれどきっとこの穏やかなひと時を、ふたりは忘れることはないだろう。
人々はリボンを手に、藤の枝を見上げては寸の間止まる。
さて、何を願おうか。
そう思ったアルテミアの視界に偶然恋人らしきふたりの姿が目に入った。
(――ッ!)
その瞬間、アルテミアの脳は何故か知人の顔を思い浮かべた。
(何故……)
思い浮かんだだけなのに。
それなのに何故胸が高鳴って、顔に熱が集まるのだろうか。
アルテミアには祖父が決めた見合い相手も居るというのに――。
理由はわからない。
けれど。
(彼の幸せを願いましょう)
アルテミアは藤の枝に手を伸ばし、美しい金糸の髪を持つ彼の幸せを願った。
(友人の恋が叶いますように)
(俺の過去を知ってる人が生きているなら、その人にいい事がありますように)
ミニュイはどうやら正念場となっている友人の恋のために、始希は自分が覚えていない見知らぬ誰かのためにリボンを結んだ。
人々はたくさんの願いを藤へと託した。
沢山の紙のリボンが藤の木々で揺れ、さやさやと柔らかな音をたてる。
その音がまるでお藤が笑っている声のように聞こえ、ミニュイは酒の入った盃を傾ける。酒に詳しくはないが、沢山の笑顔と願いに囲まれて呑む酒はとても美味しいものに思えた。
●いとし花
「おにいちゃん、おかおあかいよ? だいじょうぶ?」
「……え? アタシ、顔、赤い? ヤダもう、恥ずかしいからあんまり見ないでったら!」
藤の枝に結んだリボンを愛おしげに見つめたままジルーシャが動かないから、お藤は心配になったらしい。
「お土産! そう、お土産買って帰らなくちゃ!」
追求を逃れるための言い訳なんかじゃない。プルーへのお酒と友達用の兎鈴は、買うと決めていたものだから。なぁんて、心の中で言い訳をして。
また来るわねと微笑めば、待っているねとお藤は笑って見送った。
夜が更けていけば、ひとり、またひとりと人はいなくなる。
空が白くなる頃には花見提灯の明かりも消え、静かな世界にお藤はぽつんと取り残される。
しかしその表情は――寂しげなものではない。
ざああ、ざあ、ざあ。藤が鳴く。
去年と同じように。
けれど今年は――去年よりもずっと華やかに。
さやさやと優しい音を、一緒に載せて。
――らいねんもまたそのさきも。
みんながしあわせでありますように。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
甘く香る藤の下、良い息抜きとなりましたでしょうか?
花のひとときは儚いですが、来年も再来年も、きっと美しい姿を見せてくれます。
あなたの心に残るそのひとときが、美しいものでありますように。
GMコメント
いとしと書いて藤の花。ごきげんよう、壱花です。
これは、歌舞伎や日本舞踊の有名な長唄『藤娘』に出てくる一節です。
藤花の咲く季節となりましたので、一年前のアフターアクションを。
こちらのシナリオは単発の『描写文字量の多いイベシナ』になります。
●目的
夜の参拝や藤見の宴会をして楽しく過ごしましょう!
花むすびをして豊穣郷カムイグラ、または世界の安寧祈願
●シナリオについて
藤花の見頃となりましたので、藤の名所の神社や美しい藤が咲くお山で藤見をしましょう。
神社の裏山にある藤はとても美しいのに、藤を見に来てくれる人がいませんでした。寂しがった藤の精が藤花迷宮という特殊空間に気付いてくれた人を招き入れてしまう、という神隠し事件が起こっていました。けれどそれも昨年までの話。イレギュラーズたちが神社に働きかけたことにより、裏山の藤へと続く道は整備され、今年は一緒に『藤まつり』が行えます。枝に花むすびのリボンが揺れているということは誰かが度々訪れているという証拠で、藤に宿る精霊『お藤』も寂しくありません。
イレギュラーズたちが楽しく過ごせば過ごすほど、藤は喜ぶことでしょう。
【関連シナリオ】※読む必要はありません。
・藤隠し
https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/5717
●迷子防止のおまじない
一行目:行き先選択【1】~【2】
二行目:同行者(居る場合。居なければ本文でOKです)
同行者が居る場合は二行目に、魔法の言葉【団体名+人数の数字】or【名前(ID)】の記載をお願いします。その際、特別な呼び方や関係等がありましたら三行目以降に記載がありますととても嬉しいです。
「相談掲示板で同行者募集が不得手……でも誰かと過ごしたい」な方もいるかと思います。その場合は二行目に【★マッチング希望】と記しておいてください。行き先が同じな希望者が複数名いれば、可能な範囲でお応えします。
【1】天兎天神
広い庭園と美しい藤棚で有名な神社。神使は兎。ご利益は、恋愛運と病気平癒です。『藤まつり』の期間の間だけ社務所が開いており、藤の刺繍で出来たお守り『藤まもり』、神使である兎型の鈴の根付『兎鈴』等の購入ができます。また、『花むすび』が行えます。
参道には、焼き鳥、焼きそば、焼きもろこし、お好み焼き、団子、りんご飴……と言った、縁日で食べられそうな食べ物の屋台がお店を出しています。鮭や時雨煮、明太子、高菜……等色んなおにぎりを扱うおにぎり屋さんもあります。
成人している人には、ご当地日本酒もあります。(下記)
未成人やお酒を好まない人にはお茶、冷甘酒、冷やし飴、果実水(林檎、桃、苺、甘夏)、藤荅必阿加(藤たぴおか:紫芋ミルクタピオカ)……等があります。
【2】裏山の藤
神社の裏手の山の中にある美しい藤の木の下で藤見が出来ます。神社からは花見提灯で道が照らされており、迷わず着けます。
こちらには屋台がないため、お弁当を持ち込んだり、神社の屋台で買い込んだものを持ち込むことが可能です。
また、神社同様『花むすび』が行えます。
『藤隠し』に出てきた藤の精、お藤が居ます。5歳くらいの可愛らしい女の童です。人語を解するくらいには長生きです。今年は花が枯れたら神社の方に挿し木をする予定だと雨泽が言っていました。
※藤花迷宮には入れません。夜なので貫太も居ません。
●花むすび
和紙のリボンを、藤の木の枝に結ぶことが出来ます。このリボンは特殊な和紙のため、雨が降ると水に溶けて柔らかくなって地に落ち、そのまま肥料となります。
古くから豊穣ではおみくじを木に結びます。それは木々のみなぎる生命力にあやかり、結ぶことによって願いが叶えられると信じられてきたからです。ここではおみくじではなく、『花むすび』を。御国の平和を願ったり、親しい人の幸せを願ったり、慕う相手との恋を願って紙のリボンを結びましょう。
●日本酒『藤花の舞』
藤花の酵母菌で作られた日本酒。
色は無色透明。すっきりとした飲み口で、仄かに花の香りがします。甘口。
屋台では、徳利、一合、一升、一斗、一石の単位でご用意できます。お土産にもどうぞ。
●同行
弊NPC、劉・雨泽(p3n000218)が同行しています。
【1】でも【2】でも呼ばれれば反応します。
基本的に藤花を愛でながらお酒美味しい! 藤の蜂蜜が掛かったお団子美味しい! してます。
●EXプレイング
開放してあります。
文字数が欲しい、関係者さんと過ごしたい、等ありましたらどうぞ。
可能な範囲でお応えいたします。
●ご注意
公序良俗に反する事、他の人への迷惑&妨害行為、未成年の飲酒は厳禁です。
年齢不明の方は自己申告でお願いします。
それでは、愛おしい穏やかなひとときとなりますように。
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