シナリオ詳細
強欲の化身は死の運び屋
オープニング
●君の匂いを、見つけた
「ああ、見つけた」
その声はひどく妖艶で、甘美で、蠱惑的で……殺意に満ちていた。
思わず身を固くしたマレインは、杖を握る右手に力を込める。
振り向け。振り向かなければ相手を見定めることも出来ないだろう。背を向けて走れば、恐らく殺される。さっさと振り向け。振り向きざまに障壁を張り身を守れ。後のことはそれから考えろ。今あれこれと策を巡らせることの出来る相手ではない……それだけはこの甘ったるい、それでいて凍てつく殺気に満ちた空気で分かるのだから。
恐ろしく選択肢の少ない拙い思考でもそこまでは瞬時に回った――いや、これは思考ではなく鍛錬により獲得した反射と言った方が正しいのかもしれない。
マレインは己の思考に従う。一瞬、彼にその思考を叩き込んだ師の面影が脳裏を過ぎるのを感じながら、素早く振り向き刹那のうちに己を守る壁を築く。
完璧だった。一分の隙も狂いもなく己の正面に展開された障壁は、マレインのこれまでの地道な修行と経験の賜物であり、そこには何ら瑕疵はなかった……が。
「……かはっ」
込み上げる生温かい血が喉を塞ぎ、視界の景色はぐらりと傾く。ひんやりと冷たい石畳はマレインの体温を無情にも奪っていく。己の身に何が起こったのかも分からぬまま、マレインの意識は白濁に呑まれていった。
ああ、敬愛する我が師よ。どうせ散る命ならば、せめてあなたのお役に立ちたかった……。
「ああ……そうだ、そうだよ、この匂いだ。堪らん、堪らんねぇ!」
殺意の主だろうか……歓喜に声を上ずらせ、倒れるマレインにこつ、こつ、と 歩み寄り、彼の鼻先一寸のところでブーツのつま先を止める。
「君、今『彼』のことを考えているだろう? 僕にはね、分かるんだよ……君の中に間違いなく彼が存在しているのが、匂いで分かるんだ。君に一つ、いいことを教えてあげよう――ヴェンデルは、そのうち死ぬよ」
●君に、あげる
幻想で小さな村をひとつ治めるシャルル・シャンバ(p3n000133)は、ここ数日相次ぐ「謎の獣人による襲撃事件」に頭を悩ませていた。
大の男が見上げる程の巨躯からは想像も出来ない程に素早く動くというその獣人の風体を詳細に掴めた者は村にいない。目撃者は皆、口を揃えて「大きな黒い犬か狼のようだった」と言う。
被害を受けているのは村でそれなりの資産を有する商人や繁盛している店。真っ先に狙われるのは金品で、死者がまだ出ていないのが不幸中の幸いだった。
「まるで、金のニオイに釣られて襲ってきてるみてぇだな。狂犬のなりをしている割にはやけに人間臭く感じるぜ」
シャルルと膝をつき合わせて話しているのは、かつてお家騒動で殺されかけたシャルルを救い、今回は「ある調査」のために足を運んだジェイク・夜乃(p3p001103)だ。
ジェイクは、縁あって助けたクライフ男爵とヴェンデル・ノイナー(p3n000228)の仇敵であるベイルという没落貴族の行方を追っていた。
ベイルはかつてヴェンデルの姉を残虐な手法で殺害しただけでなく、クライフに一方的な逆恨みを募らせ彼の屋敷をオンネリネンの子供たちに襲撃させた救いようのない悪徳貴族だ。
「まさか、そのデカい獣人がベイルなんてことは……」
そこまで呟いてジェイクはかぶりを振った。
(いくら何でも突飛過ぎるだろう。腐っても奴は人間だ)
しかし、ジェイクの胸騒ぎは消えない。ベイルの捜索を行う上で、ジェイクはクライフに交友関係を確認していた。その結果、同じバルツァーレク派に属し、時折手紙のやり取りをする仲にある者として偶然にもこのシャルルが浮上したのだ。
クライフ本人を直接殺害することに失敗した今、姑息なベイルならば外堀を埋めようとクライフの知人友人を襲う可能性もある。
そう考えて訪ねてみたのだが、シャルルの所で勃発しているのは獣人騒動で、ベイルの影は窺えない。窺えないが……ベイルが行方知れずとなった後にクライフの友人が奇怪な騒動に巻き込まれているという事実は、ジェイクとしてもベイルの存在抜きに語って良いものではない気がした。
「ジェイク、そのベイルという貴族だけれど、彼は何にそんなに執着しているのだろう? 己の地位かい? それともクライフ男爵?」
「どうだろうな……俺にはその両方に思える」
ジェイクの答えを聞いたシャルルは思慮深い瞳を床の絨毯に落とす。
「ジェイク、執着が過ぎると人は己を見失うよね。己を見失えばどこに進んでいいのか分からなくなって迷いが生じる。そしてその迷いがまた己を見失わせる。そこに良からぬ甘言や誘惑を掛けられると、人はたちまち狂ってしまう」
シャルルの言わんとしていることを察したジェイクはそのおぞましい結論に唇を震わせた。
「まさか、反転……か?」
ジェイクがシャルルと話し込んでいる一方で、ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)はヴェンデルと共にシャルルの村内を巡回していた。
ベイルが独力でオンネリネンの存在を嗅ぎつけ雇ったとは思えないココロは、ベイルの背後に何者かが潜んでいる可能性に目を付け、ジェイクと協力しながら別視点で調査をしている。「爵位も下がって資産も大幅に接収されたベイル男爵に、あの子たちを探して雇うだけの力があったとはどうしても思えない。それに、ベイル男爵はヴェンデルさんに強力な術を掛けられていた筈よね? それがあっさり解除されていたのも引っ掛かる。あなたの術を自力で解ける程の人ならあの子たちを雇うなんて回りくどいことしないで自ら攻め入ってくると思うの。だから、わたしはベイル男爵の背後には彼に力を貸していた誰かがいる気がする」
「……」
ヴェンデルは暫くの間上手く言葉が見つからない様子で眉を顰め俯いたままでいたが、やがて重々しい調子で言葉を紡ぎ始める。
「……一人、心当たりがある」
「それは、誰?」
「ルドヴィーク――かつて、共に同じ師の下で切磋琢磨した者だが……今はどこにいるのか、生死すら分からない」
疑念の澱が色褪せた憧憬を濁していくのが苦しいのか、ヴェンデルは一度瞼をきつく閉じた。ココロはそんな彼を気遣いながら問う。
「……ルドヴィークさんという人は、どんな魔術師だったの?」
開いた瞼から覗くヴェンデルの双眸は、過去を見つめていた。
「私よりも遥かに優れた才能と能力を持ちながら何故か私を敵視し、やがて師の元から出奔しそのまま行方知れずとなった。私にとっては良き目標であり良き仲間であったのだが……彼は終ぞそうは思ってくれなかったようだ。今となっては何故私に冷たかったのか確かめるすべもない。だが、私の師が老齢で既に他界している今、私の術を容易く解ける力と動機の両方を持つのは、彼しか思い浮かばない」
ヴェンデルがそこまで打ち明けた直後。
ざぁーっ……と一陣の風が吹いたかと思いきや、鼓膜を突き破るかのような衝撃波がココロとヴェンデルを吹き飛ばした。
咄嗟に受け身を取り立ち上がった二人の前には、長身のヴェンデルでさえ見上げる程の漆黒の獣人が立っている。
「何だ、貴様らもここにいたのか。こいつはちょうどいい」
発せられた嗄れた声には、ココロもヴェンデルも聞き覚えがあった。
二人は一瞬顔を見合わせ、同時に獣人に向き直る。
「あなた……ベイル男爵なの?」
「ほぉう、察しがいいじゃないか」
獣人はニヤリと笑うなり二人に何かを投げた。叩きつけられるように足元に落ちたそれを見たヴェンデルの顔色が変わる。
「マレイン――マレインッ!!」
それは赤黒く変色した血に塗れた杖だった。そして、その持ち主はヴェンデルにとって己の命よりも大切な弟子のひとり、マレインだ。
残酷にも杖はそれを強く握りしめて離さないマレインの名残をぶら下げ、絶望的な死の香りを強く漂わせいた。
「『ある方』からの贈り物だ。どうだ、気に入ったかクソ魔法使いめが! フハハハハッ!!」
「黙れぇっ!!」
ヴェンデルは流れる涙もそのままに長杖を地面に突き刺しベイルをその場に縫い止めると、ココロに声を掛ける。
「ジェイクを呼び、一刻も早くイレギュラーズを集めてくれ! 今の奴相手ではこの術も長くは持たない、私もどこまで耐えられるか……私の命があるうちに、頼む!」
ココロは奥歯を噛みしめながら、僅かな時も無駄にはすまいと全速力で駆け出した。
- 強欲の化身は死の運び屋完了
- GM名北織 翼
- 種別通常
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2021年12月28日 22時10分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
流れ落ちた彼の涙が、託された願いが、風に運ばれる血の臭いが、『死地の凛花』ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)を急き立てる。
『あそこだ。あの様子は非常にまずい』
高く広い視野の中にベイルとヴェンデルの姿を捉えた『闇之雲』武器商人(p3p001107)はココロに無言で状況を告げた。
武器商人に伝えられるままにココロが視線の先に捉えたヴェンデルは、蹈鞴を踏みながら怒号を上げ、狂犬と化したベイルに対峙している。
「ヴェンデルさん!」
勇壮な灼熱の花吹雪が吹きすさび、ベイルは忌々しげに両腕でそれを振り払った。
だが、炎乱は血の臭いまでは掻き消してはくれない。全身血塗れのヴェンデルはココロの姿を認めた途端糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちる。
「そのままくたばれクソ魔法使いめがぁっ!」
細炎を捌いたベイルはヴェンデルを抱えるココロに鋭い爪を伸ばした手を振りかぶるが、その時緑閃光が彼の目を射抜いた。
「チッ、邪魔しおって……」
瞬きひとつの間にベイルの前からココロとヴェンデルは消え、代わりに
「はっ、尊厳どころか服まで無くしたみたいね、坊や!」
とひどく挑発的な声がベイルの耳を突く。
声の主は、口元を隠し目をゴーグルで覆った『天才になれなかった女』イーリン・ジョーンズ(p3p000854)。
(私の弟子に屈辱を与えた魔種……貴方を葬る理由なんてそれで十分よ)
表情は見えずとも全身から迸るイーリンの殺気がベイルの顔を怒りに歪ませた。
「貴様、誰に喧嘩を売っている」
殺意に満ちたベイルの双眸はイーリンに向けられる。
「華蓮ちゃん、ありがとう」
ベイルから離れたココロは、緑閃光を放った『嫉妬の後遺症』華蓮・ナーサリー・瑞稀(p3p004864)に礼を言いながら急いでヴェンデルの傷を癒したが、生きているのが不思議な程の深手を幾つも負い未だ目覚めぬ彼に戦線復帰は期待出来ない。
「拙がヴェンデルさんを安全な場所に運びます」
『斬城剣』橋場・ステラ(p3p008617)は、イーリンがベイルを引き付けているうちにひとまずヴェンデルを戦いに巻き込まれない後方に連れていった。
その間にイレギュラーズたちは互いの位置を意識しながらベイルに構えたが、『横紙破り』サンディ・カルタ(p3p000438)だけは戦場を大回りする。
(今回はやることが多いからな……急がないと)
ベイルを仲間と挟むような位置を見極めると、サンディはベイルの視線が自身に向いていないことを確認しながら慎重に、しかし素早く罠を仕込み始めた。
背後で何者かが不審な行動を取っていることにベイルは気付いていたが、フンと鼻を鳴らしたきりで妨害する様子もない。
●
「何をコソコソやっているのか知らんが、貴様らのやることなど所詮は全て無駄な足掻きよ」
「無駄かどうかは私を倒してから言うのね。それとも、今から懺悔でもするなら聞いてあげるけど……魂を切り離しても貴方はそこに居られるかしら?」
ゴーグルの下の魔眼に誘われし獣性がベイルに傷を走らせる。魔種を前にしても恐怖に動揺する様子もなく挑発を繰り返すイーリンにベイルは苛立ちを隠さない。
イーリンが僅かずつ、しかし頻繁に立ち位置を変えていることなど気にも留めず、ベイルは腕を振り回すだけでなく鋭い爪を刃物のようにしてイーリンに手刀を繰り出した。
しかし、そこにココロが駆けつけ、イーリンを庇うようにして立ちはだかる。
「ベイル男爵、あなたは一線を越えてしまった。もう、死以外は与えられない」
「フンッ、それはこっちの台詞だ!」
ベイルは嬉々として手刀の先をねじ込むが、ココロは歯を食いしばってそれを受け止め、そこに間髪を入れず『いにしえと今の紡ぎ手』アリア・テリア(p3p007129)が踏み込む。
「あらよっと、私参上!」
響かせるのは怨嗟の声。華蓮の閃光が効いているのか、アリアの奏でる不穏な響きはベイルの眉間に深い皺を刻ませた。
一方、その華蓮は祈りを捧げてココロの継戦を支える。
(華蓮ちゃんが一番わたしを分かってる。だから、この命を任せるなんて余裕です。ありがとう華蓮ちゃん、頼りにしてるから)
更に、怨嗟の声に続いたのは――
「おのれぇ……儂を舐めるのも大概に――ぐああっ!」
――空間を突き抜ける銃声。死神の鎌の如く襲いかかる二発の銃弾を避けられず、ベイルは初めて悲鳴を上げ身を揺らした。
「遂に魔種にまで堕ちたかベイル……馬鹿めが!」
愛用の銃の銃口から殺意の残渣を漂わせながら『『幻狼』灰色狼』ジェイク・夜乃(p3p001103)がベイルを罵る。
ヴェンデルと共にベイルの襲撃を受けたココロが今こうして無事でいてくれることに安堵しつつ、胸の奥で冷えた怒りを燃え上がらせながらジェイクは再び銃の照準をベイルに合わせた。
(だが、これでもうお前を始末するのに一片の躊躇いもなくなったぜ)
「どんなにお前が俊敏かは知らねぇが、俺の銃口から逃げられると思うなよ」
「黙れ黙れ黙れぇっ! 貴様らごときを相手に今の儂が逃げるなどあり得んわ!」
ベイルの禍々しい牙が露わになり、咆哮が空気を裂き地面の草を破裂させる。
押し寄せる衝撃波は身を引きちぎり骨を砕くかのように体内に轟き、イレギュラーズたちを一気に吹き飛ばした。
「師匠様を、倒させはしない……っ」
体の感覚なんて一瞬でどこかに行ってしまった。それでもココロは仲間のために号令を上げ立ち続け、イーリンはそんな弟子を信じ彼女の真後ろで粛々と己が役割に徹してベイルを睨視する。
「仲間を守るだの何だのと、クソ魔法使いと同じ台詞を吐きおって……虫唾が走るわ!」
急接近したベイルの爪がココロの肩を抉り、横腹を斬り上げた。ココロの片膝は地面に沈むが、その視線は輝きを失うことなく武器商人のそれと絡み合う。
『任せるがいい、ソリチュードの方』
『ありがとう、頼りにさせていただきます……せーのっ!』
息の合ったタイミングでココロは力を振り絞り飛び退き、無防備になったかに見えたイーリンに繰り出されたベイルの裏拳を踏み込んできた武器商人が受けた。
「やれ……話に聞いた通り、堕ちるところまで転がり堕ちた感じだね。だが……堕ちるべくして堕ちたのかね」
●
「堕ちた堕ちたと馬鹿にしおって……ならば儂が貴様を地獄に落としてくれる!」
ベイルは武器商人を殴ると見せかけ首根っこを掴み地面に叩きつけたが、武器商人は受け身を取り衝撃を最小限に抑えて立ち上がる。
「ヒヒヒヒヒ……」
(後腐れ無く殺せるのは結構、加えてどうにも他に問題があるようで面白そうじゃないか)
投げつけられたマレインの杖の背後に蠢くベイル以外のまだ見ぬ存在。それが武器商人の心を昂揚させた。
その間に華蓮は後退したココロの傷を癒し、ステラはヴェンデルを遥か後方に運んで戦線復帰し、ジェイクはベイルに魔弾を撃ち込む。
ベイルが手の甲で魔弾を弾けば、今度はステラの魔性の巨顎が禍々しく大口を開けた。
ベイルは本来ならばその巨体に似合わぬ俊敏さでステラの攻撃から逃れるのであろうが……。
(私が貴方を縫い止めるわ……丁寧に、丁寧に。たとえ寒風に血が舞おうともと)
イーリンに「余所見」を封じられているベイルは躱しきれず片足を抉られ、ベイルは憤怒の情を爆発させた。
「どこまでこの儂を小馬鹿にする気だ! さっさと貴様らの命を寄越せぇっ!」
これまでの威力の比ではない強烈な衝撃波が次々と押し寄せる大波のようにイレギュラーズたちを飲み込む。
これには武器商人も危うく意識が飛びかけるが、武器商人は血を吐きながらも薄笑いを浮かべて立ち続ける。
『武器商人、そろそろか?』
『……ああ、いい具合に『削れた』からね』
武器商人がサッと退いた。ベイルの死角に闇の如く迫ったサンディは、すり抜けざまにベイルに一撃を入れて武器商人と入れ替わる。
「まだ儂にちょっかいを出すか……死ねぇっ!」
ベイルはこれでもかとサンディに拳打と蹴撃を浴びせて爪を突き刺したが、サンディは悉く受け止め、いなし、弾くといった鉄壁の守りで武器商人とはまた違ったしぶとさを見せた。
とはいえ、いくら防御に自信のあるサンディでも圧倒的な力を持つ魔種相手では無事では済まない。
次第に疲弊し動きが鈍ったところでベイルの蹴りを真正面から食らい、サンディは堪らずその場に跪く。
「フハハハハッ! 貴様らなど所詮その程度よ」
サンディに膝を着かせて気を良くしたのか、ベイルはイーリンから距離を取りイレギュラーズたちを縦横無尽に襲う。
巨躯に似合わぬ超速で間合いを詰められたステラはちらりと視線をスライドさせ避ける素振りを見せたかと思いきや、神威に等しい一撃をベイルの腹に叩き込んだ。
一瞬体をくの字に曲げたベイルが、今度はアリアの放った漆黒の闇に囚われる。
「その身を流れる外道の血が、自らを苦しめる……なんてね♪」
アリアはこれでもかとベイルに苦痛を与えた。
ステラの一撃で苦悶した様からも、ここまで掛けてきた負荷が確実にベイルを苦しめていることが分かる。それはそこらの賊や魔獣ならとっくに倒れてもおかしくはない程のものだ。だが、まだ戦えるということはやはりそこは堕ちた者だけが至る領域……ということなのだろうか。
●
ならば、その負荷を、生きることの重圧を更に畳みかけて潰すしかない。
(何故こうなってしまったのか……どこかにその分岐点はあった筈なのだわ。もしそこに私が居たら……なんて、ううん、それは……)
華蓮が体現する神の意思はまるで雷。ベイルはそれに打たれたように一瞬動きを止めた。
「魔種にまでなってしまったら、私たちは貴方を救えない。ごめんなさい、もっと早く出会っていれば……だなんて、思い上がりだけれども……」
華蓮の言葉の裏で蠢くのはどんな感情なのか。そこにあるのは単なる慈悲とは違う、もっと残酷で生々しくて……美しいもの。茨となって発現したそれがベイルに絡みつき、棘が彼を刺す。
「ぐうぅ……おのれ、おのれ……」
歯ぎしりをしながら華蓮を睨むベイルにすかさずジェイクの魔弾がねじ込まれる。
「ベイルよ、お前は選択を誤った。魔種に堕ちたのはお前にとって最大の敗因になるだろうぜ!」
イレギュラーズの猛攻は止まらない。魔弾が刻んだ銃創から流れる血を拭うベイルに、今度は
「十全が強いのなら、相手にその力を発揮させないのも戦略の一つ……卑怯なんて言わないよね?」
と、一気に距離を詰めたアリアの零距離射程の一撃。懸命に耐えながらも体をぐらつかせるベイルにアリアは容赦ない追い打ちを入れる。
「ま、自らの行いを鑑みてなお言えるなら、それはそれで大したものだよね!」
「言わせておけばイレギュラーズ風情が調子に乗りおって!」
茨の束縛から未だ逃れられずにいるベイルには、アリアの連撃に悶絶しながら彼女を口汚く罵ることしか出来ない。
更に、蒼炎を纏った武器商人がベイルとの距離を詰めた。
「ヒヒ……実に楽しそうじゃあないか、『ごどうはい』」
追い込まれる程強くなる武器商人の一撃が、ベイルを暗い夜の底へと誘う。
「さあ、取立の時間だ。我たちから奪った血肉、その命で賄うとしよう」
ベイルは両手両足を振り回し眼前の武器商人を血に染めていくが、武器商人はその傷さえも己の力に変え、二重三重に最悪の結末を手繰り寄せようと反撃した。
片方の口角を吊り上げ小さく笑い声を発する武器商人の前で、ベイルは初めて地に膝を着く。
「ふざけるな……儂が、儂がこんなところで終わってなるものかァアアアッ!」
全てを拒絶しながら全てを奪おうとするかのような絶叫が辺りにこだました。
茨は木っ端微塵に吹き飛び、武器商人とステラは咆哮に呑まれ地面を抉りながら後方に飛ばされ、折角サンディが設置したトラバサミも足掛けワイヤーも彼方に葬られる。
そんな中、傷付き倒れる仲間たちを視界の端に捉えながらも、イーリンは表情を変えずサンディの後ろでベイルに対峙する。
ベイルは立ち上がると怒りに任せてイーリンに爪を突き立てようとした。しかし、ココロが紡ぐ福音を背に立ち上がったサンディがそれを受け止め、その隙にステラが全身の痛みに耐えながらベイルの前に戻るや否や切れ味鋭い一閃を繰り出す。
ステラの一閃は追い込まれた者だけが発揮する壮絶な殺意に煌めいていた。
横腹を裂かれたベイルは
「よくも、よくもよくも!」
と全力でステラを地に叩き落とすも、直後聞こえてきた呪いの歌声に思わず耳を塞ぎ呻く。
ココロの視線を感じて、呪詛の如き慟哭が彼女によるものだとベイルが気付いた時には、彼の頭上に闇の月が昇っていた。
「――神がそれを望まれる」
直後、ベイルの発する壮絶な悲鳴が虚しくイーリンの耳を劈いた。
●
「儂が、儂が、そんな……」
誤算、痛み、死への恐怖……様々な負の感情に支配されたベイルは半ば呆然としながらじりじりと後退りする。
(逃がさないよ!)
アリアがベイルを追い一撃を叩き込むと、ベイルはその場に尻餅を着いた。
「待て、話せば分かる、話せば……」
「まだ諦められませんか?」
立てないながらもステラがベイルに声を上げる。
「まぁこちらも色々考えてあげなくもないですよ……そうですね、『ある方』とやらの情報を洗いざらい吐くなら、ですが」
醜態を晒すベイルに落とされたステラの「甘言」。ベイルは僅かに目を見開くと、
「ヴェンデルの弟子を殺ったのは、儂にこの姿と力をもたらした魔法使いだ! 名はルドヴィーク……とか言ったか。そうだ、奴に頼めば貴様も儂と同等、いやそれ以上の存在になれるやもしれんぞ!」
とまくし立てる。
「それは全力で遠慮しますが……」
「話したぞ! さあ儂を見逃せ!」
ステラは無表情で首を傾げた。
「あぁ、何か勘違いを? 拙は手加減容赦なく葬る手段を『色々考える』と言ったのですが?」
気付けば満身創痍のイレギュラーズたちが一歩また一歩とベイルを追い詰めている。
はっと振り向いた斜め後方、突破口はそこだけだ。
何故そこだけイレギュラーズが手薄なのかなど、もはや追い詰められたベイルには考えも及ばない。
「儂はまだ終わってなどおらん!」
ベイルは素早く立ち上がると踵を返し蹌踉めく足に鞭打って駆ける。
「あの野郎、逃げる気だ!」
ジェイクが後方から叫んだ時には、
「そんなものだろうと察しはついてたわ」
(……全く、種が割れてんのよ)
とイーリンがとっくに愛馬と共に走り出し、武器商人も彼女にぴたりと追走していた。
イーリンと武器商人だけではない。どこからともなくひゅんっと放たれた魔術の刃が風を切ってベイルの足元の地面に刺さる。矢を射たのは、サンディの「隠れファン」を自覚し彼のピンチに陰ながら支援の手を差し伸べようと参じたサンディ・カルタ――偽サンディだ。
突然飛んできた刃に気付いたベイルは咄嗟に足を止め、一歩逃れた。刃は紙一重の差でベイルには当たらなかった……筈なのに何故か足の裏に痛みを覚え、ベイルは地面を見やる。
そこには一つ二つ、光を反射するまきびしが転がっていた。
必死で仕掛けた罠の大半が潰されてもなおそこに残るそれは、まさにサンディの執念と呼ぶに相応しい。
この状況を見守っているジェイクには、この先の展開が手に取るように分かる。
(ベイル、俺たちが何の対策もしていないと思ったか? 生き汚いお前の考えることはお見通しさ……俺は、お前をずっと追っていたんだからな)
偽サンディの刃とサンディの執念――愛馬を駆る二人が追いつくにはそれだけあれば十分だった。
再び駆け出そうとしたベイルの背後から、全速で追い縋ったイーリンの声が怜悧に響く。
「何のために今までずっと貴方の攻撃を見てきたと思うのかしら――」
イーリンの魔力剣がベイルの急所を貫いた。魔に堕ちた者を死の淵へと優しく残酷に誘う燐光。やがてそれは武器商人が仕掛ける畏怖と狂気の蟻地獄にベイル諸共引きずり込まれていった……。
●
戦いの後、ベイルの亡骸はシャルル・シャンバ男爵の意向により村の共同墓地に運ばれた。
「弔ってやりましょ……生きる権利と同じ、死んだら弔われるべきよ」
イーリンの慈悲の言葉にココロは頷き、物言わぬ姿となったベイルの前で静かに瞼を閉じる。
(責任転嫁は人の性、アドラステイアの大人たちに比べればあなたはそこまで腐ってなかった。たとえ敵であっても生かしてあげたかった。でも……あなたは魔種になってしまった。魔種はわたしたちの許されざる敵。例外なんです)
ココロが何を思っているのか、華蓮には何となく想像がついた。
「……せめて巫女としての務めを果たすのだわ」
華蓮はベイルの冥福を祈る。
(あなたを責めることは出来ないのだわ……七つの大罪は誰の心にだってある、私にもあるのだから)
思い上がりではない確かな力を持つ者への嫉妬、魔種に堕ちる悲しい人を生まないように出来る力を欲する強欲さ……華蓮は己の内面に燻る罪に唇を噛んだが、それでも彼女は祈り弔うことを途中で止めようとはしない。
「これで、終わった……のかな?」
アリアも華蓮の傍らで黙ってベイルを見つめていたが、その瞳に滲む色は勝利の余韻ではなく一抹の物悲しさだった。
一族を貶められた憎悪の中にも、フレイス姫は確かな気高さを持っていた。そんな彼女の血を引くミーミルンド家の派閥にここまで醜い心の持ち主がいては――
(――フレイスさんも悲しいよね)
一方、弟子のマレインを失ったヴェンデルは数日後にジェイクと落ち合い、杖を放さないマレインの右腕をクライフ男爵家の墓地の一角に埋葬した。
「……助けてやれれば良かったんだが」
黙祷の後に吐露されたジェイクの悔恨に、ヴェンデルはゆっくりと首を横に振る。
「咎は全て私にある。マレインを一人で行動させてしまった私に。私の甘さと迂闊さが、マレインを死に追いやってしまったのだ。だが……」
ヴェンデルの肩が小刻みに震えた。
「私は許さない。そして、二度と弟子たちに危害を加えさせない……っ!」
ジェイクは震えるヴェンデルの肩を叩く。
「ああ……俺も許せねぇ」
零れた一言に込められた怒りは、音もなく全てを焼き尽くす魔炎のように烈々と燃えていた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
マスターの北織です。
この度はシナリオ「強欲の化身は死の運び屋」にご参加頂き、ありがとうございました。
少しでもお楽しみ頂けていれば幸いです。
皆様の気合と頑張りのおかげで、反転し魔種に成り果てたベイルを見事撃破出来ました。
ヴェンデルには「あと一人」倒さなければならない奴がいるようです。
ご縁がありましたら、また一緒に戦ってあげて下さい。
今回は、ベイルを弱らせるために頑張って盾役を支えるために頑張って……ととにかく頑張ったあなたをMVPに選ばせて頂きました。そして、凜々しく頑張ったあなたとワイルドに頑張ったあなたに称号をプレゼントさせて頂きます。
改めまして皆様に感謝しますとともに、またのご縁に恵まれますことを心よりお祈りしております。
GMコメント
マスターの北織です。
この度はオープニングをご覧になって頂き、ありがとうございます。
以下、シナリオの補足情報ですので、プレイング作成の参考になさって下さい。
●成功条件
反転し魔種と化したベイルの撃破
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
現時点で判明している情報に嘘はありませんが、敵の攻撃パターンなどに不明点もあります。
●戦闘場所
村の平野です。
遠くに畑や民家、無舗装の道沿いに並ぶ木々などが見えますが、戦いの場は開けた草原です。見晴らしは良好ですが、遮蔽物が見当たらないため身を隠すには不向きな場所です。
●今回の敵について
ベイル男爵です。
ベイルは『強欲』の属性を持つ魔種に反転したようです。
巨躯の獣人と化し、身体的に恐ろしくタフになっているのでHPが凄まじい数値になっていると推測されます。
更に、凶暴な犬を彷彿とさせる外見から身体能力の高さもかなりのものと思われ、常人では目でも追えない程の俊敏な動きとそれを生かした連続攻撃を仕掛けてくる可能性も十分考えられます。
武装らしき武装は見当たりませんが、衝撃波のようなものをヴェンデルとココロさんに確実にヒットさせている辺りから、範囲攻撃が可能であるだけでなく【必中】属性を持つ攻撃も繰り出してくるものと思われます。
なお、『強欲』属性のせいか、攻撃により相手にダメージを入れる度にHPとAPをある程度回復してしまうようです。
●魔種
純種が反転、変化した存在です。
大いなる狂気を抱いており、関わる相手にその狂気を伝播させる事が出来ます。
強力な魔種ほどその能力が強く、魔種から及ぼされるその影響は『原罪の呼び声(クリミナル・オファー)』と定義されており、堕落への誘惑として忌避されています。
通常の純種を大きく凌駕する能力を持っており、通常の純種が『呼び声』なる切っ掛けを肯定した時、変化するものとされています。
また、イレギュラーズと似た能力を持ち、自身の行動によって『滅びのアーク』に可能性を蓄積してしまいます。
●ベイル男爵について(補足)
ベイル男爵は、かつてクライフ男爵の婚約者でありヴェンデルの姉である女性をあまりに身勝手な理由で殺害し、ヴィーグリーズの丘ではミーミルンド派に賊してイレギュラーズに喧嘩を売り、挙げ句それらの悪行をすべて「執事が独断でやったこと」として処刑を免れたクズ中のクズです。
その後、ベイル男爵は土地建物の大半を接収され、残された僅かな資産を抱えどこぞの空き家に潜り込んで泥水を啜りながら日々を生きていましたが、クライフ男爵への一方的な逆恨みは強まる一方で、何者かの後ろ盾を得ながらなけなしの資金をはたいてオンネリネンの子供たちにクライフ男爵邸襲撃を依頼しましたが、これもイレギュラーズに鎮圧されました。
全てを失い行方をくらましたベイル男爵でしたが、今回とうとう「魔種」というある意味最終形態となって姿を現しました。
●その他参考情報
時間帯は昼間、天候は晴れ、多少風がありますが、戦闘にはさほど支障はないでしょう。
気温は「黙っていると震えてしまう寒さ」です。
それでは、皆様のご参加心よりお待ち申し上げております。
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